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2009年 10月 26日

   ・・・ レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について ・・・

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       引き続き、有難うございます。
       上で書きました事をまず要約しますと、
    
       レオナルドの生家を訪れ、今迄ずっと祖父の家と思い込んでいた
       アンキアーノの彼の生家と言われるものが、
       実は祖父の友達の家であり、レオナルドはその家で生まれたもののすぐに
       祖父に引き取られ、実の母親カテリーナ・Caterina
       出産後じきに近所の農夫と結婚、何人かの子供も出来た、
       というのが、生家の管理の女性の話でした。

       かなり驚き、家に戻って後改めてレオナルドについて
       調べたのですが、何の気なしに レオナルドの母親 
       検索をかけました。
       なんと出るわ、出るわ、・・驚きました!

       レオナルド・ダ・ヴィンチの母親については、今迄
       近所の農婦、樵の娘、ロシア系ユダヤ人、スラヴ女性 ecc ecc
       いずれも憶測の域を出なかったのですね。

       が今回サイトで知りました、2008年春に出版された本
       の内容はかなり衝撃的な内容ですが、記録を掘り起こし
       積み上げての実証のように思われます
       私は研究者ではありませんし、内容についてとやかく言う程の
       知識もありませんので、そのままご紹介いたします。

       サイトは
       google で madre di leonardo で検索をかけて頂くと
       多分一番最初に出ます PDFファイル版の
       Dalla bottega di Leonardo da Vinci al Museo di Storia delle ...
       をクリックすると、
       La madre di Leonardo era una schiava? です。
       他もありますが、これが一番詳細です。
        
       出版された本の題名は
       La madre di Leonarudo era una schiava?
       レオナルドの母親は奴隷だった? で、
       筆者はFrancesco Cianchi・フランチェスコ・チャンキ
       彼の父親レンツォRenzo・チャンキと共にレオナルドの研究者
       既に数年前レンツォの「レオナルドの母親はオリエントの奴隷だったかも」
       との推測の発表があり、その研究を継いでの今回の出版だった様子で、
       その本の要約をサイトで見つけたのです。

       レオナルドの父親 ピエロ・Piero はフィレンツェで公証人をしており、
       銀行家の ヴァンニ・ディ・ニコロ・Vanni di Niccolo` の
       公証人で友人でもあり、

       ヴァンニの遺言は最初、妻アーニョラ・Agnola が亡くなるまで
       ギベッリーナ通り・Ghibellinaの家に住むという条件で作られたのが、
       後ピエロにこの家を譲る事に変更され、彼は1451年10月24日に死亡。

       カテリーナの妊娠は(逆算すると)ヴァンニの死の3ヵ月後で、
       それまでのヴァンニ家と公証人ピエロの関係は、
       それを境に急に途絶えます。

       カテリーナがヴァンニ家の奴隷であったのは、
       資産台帳によると少なくとも1446年からの事と分かっており、
       奴隷は家の資産と同様、妻のアーニョラに渡るはずでした。

       奴隷という言葉には、抵抗がありますね。
       ですが当時のフィレンツェのみならず、資産家の家には
       女性奴隷がおり、14世紀の初期まではイスラム圏からの奴隷
       が主流を占め、同世紀末には黒海、ギリシャ、バルカン諸島が増え、
       15世紀の中頃からアフリカからの奴隷が現れたのだとか。

       1457年のフィレンツェに於ける奴隷の数は、
       確認されている数だけで544人、という報告もあり、
       奴隷の値段は、年齢、身体状態の他に出身地も影響したと言い、
       白人、とりわけコーカサス出身が高かったと。

       彼女達は新しい名前を与えられ、(カテリーナ、マルゲリータ、
       マリーア、マルタ、マッダレーナという名が一番多かったそう)
       キリスト教に改宗させられ、洗礼を受けたといいます。

       で、本題に戻りますと、
       奴隷と関係を持ち子供が生まれる事は、勿論公的なダメージを
       受けるだけでなく、おまけにレオナルドが生まれて8ヵ月後には
       他人の持ち物である奴隷との関係に関し、大変厳しい法律が
       発布されたのだとか。

       ヴァンニの未亡人とその親戚筋が騒ぎ出すのを宥める必要も
       あったのか、譲られた家にピエロはすぐには移らず、
       23年後の1479年から、その家に移り住んだ様子です。
       前後しますが、
       ギベッリーナ通りの家に住み残った未亡人アーニョラの  
       資産台帳の申請からは、奴隷カテリーナの名は消えており、
       別の下女になっているそう。

       ちなみにヴァンニの未亡人アーニョラというのは、
       フィレンツェの著名な家柄であったそうで、
       その家柄に繋がるベルナルド・Bernardo は
       メディチ家に対するパッツィ家の叛乱で捕まり、
       バルジェッロ宮の窓から絞首で吊るされ、それを後年
       レオナルドがスケッチした、という不思議な縁も。

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       こうしてカテリーナはフィレンツェから消えるのですが、
       1457年に祖父アントーニオのbocche(公証人の台帳?)に
       父親ピエロの直筆
       「リオナルド、serピエロの庶子 彼とカテリーナ、現在ヴァッカ・
       ダ・ヴィンチのダカッタブリーガ・d’Achattabriga のピエロの
       妻 の間に生まれた、5歳」という記述に現れます。

       カテリーナは、レオナルドを出産後1年も経たないうちに
       上記の農夫ピエロに嫁いだ様子
       この5歳になるまで、レオナルドは母親と一緒だったのかも
       知れませんね、乳母のような形で。

       奴隷の身分であったとすれば、早々に追う払うような形で
       カテリーナを他の男に嫁がせ、レオナルドを祖父が引き取った、
       というのも飲み込めます。

       いずれにしてもこの5歳の時に、祖父の家に引き取られ
       教育されたのかもしれません。
       上記のように、父親のピエロは辣腕の公証人だったようで、
       嫡子であれば、父親以上の凄腕の公証人になったかもですが、
       当時の公証人規定で、庶子はその職を継ぐ事ができず
       このお陰で、我々は彼の素晴らしい作品に接する事ができ、
       その万能の天才振りを賞賛できるわけですね。

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       と、この本と同時に出版され紹介された他の1冊
       エリザベッタ・ウリーヴィ著 Elisabetta Ulivi
       レオナルドの系図・ Per la genealogia di Leonardo
       には、これまた驚く事が。

       52枚のレオナルドのスケッチ等に残された200以上の
       指紋の破片から、遂に最新技術を持って、
       レオナルドの左手の指紋が作り上げられたそうです。

       そうして指紋からは、人類がかなり特定出来るそうで、
       同じ指紋は約65%のアラブ人が持っているそうで、
       つまり、レオナルドの母親カテリーナは
       アラブ系の女奴隷であったことが推測出来るというものです。

       という事で、現在のレオナルドの研究者達の目標は、
       奴隷の売買書、または自由民にする書類の発掘だそうで、
       もしそれが見つかれば、出身地、身体的特徴などが分かると。

       というのが、今回知った事どもでした。
       単純に生家を訪ねたつもりが、思いがけない大きなニュースを
       運んできて驚いていますが、
       上手くお伝えできた事を、願っています。

      ◆ 追記 ◆

       リンクしております「イタリア、とりわけヴェネツィア」のペーシェクルード様が
       大変興味深い記事のアドレス、
       レオナルドの指紋に関連して、彼の未発掘の絵が見つかったか、
       という記事のアドレスを送ってくださいました。
       ひょっとして、ミラノ公ルドヴィーコの娘のビアンカの肖像画
       かも知れない、大変美しい絵です。
       ご覧下さい!
       http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2652331/4755445

    
      ◆*◆*◆

       ブログご訪問有難うございます!

       この23日は、友人達が南のバーリからヴェネツィア空港に
       到着の予定が、ゼネラル・ストの発表と重なり、
       どうなる事かと少々心配いたしましたが、
       2時間の遅れで何とか無事に!

       という事で、秋の快晴の空の下をあちこちと。
       で、明日26日からはヴェネツィアに移動し、
       最後はファエンツァに行き、1週間後に家に戻ります!

       という事で、コメントのお返事が遅れても
       ご容赦願います!
       行ってきま~~す!!
       
  

by italiashiho2 | 2009-10-26 09:07 | ・フィレンツェ | Comments(9)
Commented by ペッシェクルード  at 2009-10-27 20:32 x
sinkai さん、行ってらっしゃい。
本当にinteressantissime な話です。この話を頭に入れて、もう一度ダ・ヴィンチの評伝を読んでみます。最近彼の絵ではないかと思われる絵画が発見されたと新聞にありました。その絵には彼の左手の指紋に酷似するものがあったのだそうです。
Commented by cucciola at 2009-10-28 17:43 x
shinkaiさま、

素敵な旅行続行中のようでうらやましい限り。
ところで、このレオナルドの「生家」にはびっくりですね。生家といえば「生まれ育った家」という感覚だったんですが、生まれただけでも「生家」なんですね。
それにしても、クレメンテ七世といいレオナルドのお父さんといい、身分の高人でも外国人の奴隷をお手つきにしちゃうんですね。偉いと思うのは、外聞も考えずにそこから生まれた子供は引き取っているところですかね。女性にとっては酷な話ですが、子供もろとも捨てられるのとどっちが幸せだったんでしょう?いろいろなことを考えさせられる記事でした。
Commented by Vi at 2009-10-30 07:08 x
ヴィンチ村の博物館までで生家までは行きませんでした。ご苦労様です。 もう一度じっくり読ませて頂きます。一寸複雑ですね?(汗) 名前も色々出てくると難しいです。あのドキュメンタリーも母親は、幼いレオナルドをいつも遠くから見守っているシーンが出てきていたり、母親とは成長しても一回会っているシーンがありました。ドラマでは一言も喋らないです。奴隷とは言ってませんでしたけど、実際はそうだったんですね?ドラマでは、 叔父さんが芸術を開花させたところがあったような感じです。とても自由人だったようで、自然の中に連れ出しは虫を解剖したりしていました。また観たくなります。あのケーパー私も記念館?の辺りの崖で見ましたが同じ辺かもしれませんね?花がきれいで驚きでした。 写真がどれもきれいですね? 行ってらっしゃい!
Commented by shinkai at 2009-11-01 08:29 x
★ペッシェクルード様、 こんにちは! コメント有難うございます。

はい、送っていただきましたアドレスの記事を読んで見ます。
それにしても、どんどん研究も、科学技術も進み、今迄の謎だった部分がどんどん明らかにされていきますね!

メールを拝見した後、またメールさせていただきます。
Commented by shinkai at 2009-11-01 08:56 x
★cucciolaさん、 こんにちは! コメント有難うございます。

はい、今回は少し驚きました。 そのつもりでサイトを見直すと、かなリ曖昧ですね。 公的には誰も抗議する人間がいないので、そう思うままに
置いておこう、というような感じを受けたのですが・・。

アラブ系の奴隷説にはおどりきましたが、エキゾチック容貌だったったのでしょうね。
アフリカからの奴隷が入ってくるのが、後ですね、で、クレメンテ7世の話につながりが出来るのも興味深かったですし、レオナルドのお祖父さんの対応にもある意味納得ですが、それにしても哀れですね。
多分ほって置いての、評判を苦にしたのかもしれませんし・・、そして、こんな記録を掘り出したその研究者の努力にも、頭が下がります。

謎が解けるのも面白いですが、ある意味、余り科学的でないほうが、夢があるのかも、ですね?!
Commented by shinkai at 2009-11-01 09:08 x
★Viさん、こんにちは! コメント有難うございます。

それにしても、あの半ドキュメンタリー、Viさん良く覚えていらっしゃいますねぇ?!
叔父のフランチェスコは、確かにレオナルドを可愛がり、遺産も残したようですが、この遺産相続の件で、レオナルドと異母姉妹の間でかなりの問題になった様子です。

ええ、それに母親カテリーナをミラノに呼んでいますし、葬式代金も払っているのです。
ただし、母親とは呼ばずに、カテリーナと名で呼んでいたようですね。
このあたりからも、普通の親子関係の呼び名とは、意味する所も
多少違うような気がしますが・・。
Commented by のす爺ィ at 2017-05-14 18:35 x
今日はこの頁を興味深く拝読いたしました。

レオナルドの生家へは私も行ったのですが(1978年でした)、なんか真新しくって、まァ嘘じゃあないんだろうけど…ってな感想を抱いたせいか、それ以上深く突っ込んでませんでした。…ので、この記事は非常に興味深く読ませていただきました。特に指紋の件には驚きました。後年のミラノでの母親との関係については以前どこかで聞いたことがありましたが、ともあれ、彼が同性愛者になったのも含めて、人格形成にはこうした母親との特殊な関係が絡んでいたのかもしれませんね。

貴重な情報を有り難うございます。
Commented at 2017-05-14 18:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by italiashiho2 at 2017-05-14 23:26
★のす爺ィ様、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、本当に、あの現在生家として残されている家は、外側が大変綺麗に整備されており、綺麗すぎるほどですね、家の周囲なども、
私もさすが世界のレオナルドの生家となると、こんなものかと思ったのをよく覚えております。

母親についての研究も、大反響を呼んだらしい本の出版からすでに10年近くたちますので、また新しい研究発表があるかも知れませんね。

はい、「アーニョラ」ですね。私も再読してすぐ気が付き、訂正いたしました。
有難うございます。


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