イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2011年 01月 27日

   ・・・ ヴェネツィアのゲットー ・ 追悼の日に寄せ ・・・

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       1月27日は、EC諸国において追悼の日と定められていますが、
       つまりアウシュヴィッツの絶滅収容所が解放された日
       記念して定められたそうで、
       ナチのホロコーストによる犠牲者への追悼の日
       各地で記念式典が行われ、TVでもその関連番組が放映されます。

       12月にヴェネツィアに行きました時、ゲットーの広場も通り、
       少し説明も聞きましたので、その折の写真で様子をご覧下さい。

       上は、ゲットー・ヌオーヴォの広場にあった
       蝋燭立てを摸した、お祭りを現わす8本の灯り。

       追悼の日に関連し、こちらも是非ご覧頂きたいと思います。
       ジョルジョ・ペルラスカ ・ 「追悼の日」1月27日に寄せて
       http://italiashio.exblog.jp/5065679

       イタリア唯一の絶滅収容所・リジエーラ・ディ・サン・サッバ
       http://italiashio.exblog.jp/5491205


       ヴェネツィアのゲットーはどこにあったか、地図をどうぞ。
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       右下に見える橋が、国鉄駅前から左手に進んで来て渡る最初の橋
       ポンテ・デッレ・グーリエ橋・Ponte delle Guglie で、渡って左手に。
       お昼頃までは魚屋の屋台が並び、ヴァポレットの乗り場もある道で、
       100mほど進み右手に抜ける低めのソット・ポルテゴ
       建物の下を潜り抜ける道ですが、標識も出ており、
       左手角はユダヤ料理のレストランですから、すぐ分かります。
       
       地図に打った赤点の所から右折し、
       ユダヤのお菓子屋さんなどの店もある道を抜けて行くと小さな広場で、
       ここの壁に、上のジョルジョ・ぺルラスカの記事でご紹介した
       ナチのホロコーストに対する記念碑もあり、

       4の位置に大きなシナゴーガ
       3の位置の博物館と共に、申し込むとガイド付きで見学できますが、
       博物館では、素晴らしく繊細な手仕事による品々も見れます。
       そしてこの1~5の数字は、
       かってのゲットー内にあったスコーラ・Schola・学校・教義館

       説明が後先になりますが、
       ゲットー・ヌオーヴォ・Ghetto Nuovo・新ゲットーと呼ばれる場所、
       ここが島の様に運河に囲まれているのがお分かりと思いますが、
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       1516年3月にここにヴェネツィア共和国政府によるゲットーが設立され、
       それまでは比較的緩やかに各地域に居住出来たユダヤ人たちが
       全てこの島の中に住む事を強制され、
       島への2か所の門は、朝開かれ、夕暮れには閉じられました。

       ゲットーに当たるイタリア語ヴェネツィア訛りはジェート・Geto、
       ここに大砲を作るための鋳物工場があった事に由来するそうで、
       これがドイツ系ユダヤ人の G の強い発音で、ゲットーになったと言われます。

       最初の地図に見られる様に、
       隣接地に Ghetto Vecchio, Ghetto Nuovissimo, 旧・最新ゲットー
       あるのは、鋳物工場が古い、新しいという意味で、
       ユダヤ人居住区を指すゲットーは、ゲットー・ヌオーヴォが一番古く、
       後の人口増加に従い、隣接したこの地区も居住区になったという事。



       ゲットー・ヌオーヴォの広場
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       島状態になっているこの区画に入って来て、広場南側の建物群、
       正面に4つのアーチが見えますが、あの奥から博物館に。
       いずれも5~6階建てですが、一番右端には7階建ても見えます。
       この7階というのは、ヴェネツィア・ゲットーが唯一の物とか。
       
       こちらは上の写真に続く、広場の右端。
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       こういった背の高い建物は、狭いゲットー内の建物に居住者が溢れ、
       中世以来ユダヤ人には不動産所有、また建設も許可されなかったため、
       既にある建物を高くする方法しかなかったのだとか。
 
       最盛期にはゲットーに5000人もの居住者がおり、
       どなたかの計算によると、一度に全ての人々がベッドに横になれない広さ、
       というか、狭い居住空間だった筈との事。



       広場西側にあるレストラン。
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       こちらは、広場の真ん中の井戸。
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       ヴェネツィアにユダヤ人が居住し始めたのは9~10世紀と言われ、
       12世紀頃には1300人ほどが数えられたとか。
       13世紀には現在のジュウデッカ島・Giudecca に住む許可が与えられ、
       これはヴェネツィア本島の南に延びる島で、
       当時2つのシナゴーガがあったとか。

       商貿易に関しては大変に敏い事もあり、
       ヴェネツィア共和国政府のユダヤ人に対する政策は、
       他のヨーロッパの国のそれに比し、
       勿論高税金が科されたものの、比較的良かったとされます。

       その後に続く時代に於いて政策の変遷もあった訳ですが、
       1492年に始まるスペインのユダヤ人追放により
       何十万人という人々が他の国に逃れ、ヴェネツィアにも。
       こうして様々な政治的思惑も絡んでのゲットーの設立だったでしょう。

       居住空間の条件の悪さ、時間、自由制限もありましたが、
       昔から東方との商貿易に励み、異人種との付き合いに慣れ、
       他宗教の人間を受け入れる素地のあるヴェネツィアでは、
       幸いにゲットーへの襲撃事件などは起こらなかったようです。
       
       最初にゲットー内に5つの学校があったと書きましたが、
       これは1~5の番号順に記しますと、
       1.イタリア人
       2.イーディッシュ語を話すドイツ系
       3.ドイツ語
       4.東方中近東からのユダヤ人
       5.スペインおよび西側から

       と、つまり言語が異なる各国からのユダヤ人がここに住みつき、
       それぞれの伝統に従った宗教行事も行っていたわけですね。



       広場の北側の壁には、
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       ナチの収容所へ運ばれた状景の浮彫図が掲げられ、
       壁の上には、強制収容所と同じ様に、
       忘れない想いをこめて、鉄条網が再現されています。

       写真は撮りませんでしたが、
       この左手には、警官詰め所があり、

       右端の建物は、当時からあった老人ホームだそう。



       西の建物の屋根越しに見える、教義館の塔、だったと。
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       広場の東端からの眺め
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       そしてこの橋を渡り、島から出る訳ですが、
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       橋を渡った袂には、この詰め所が両脇に。
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       かっての警備人詰め所がそのまま残されている訳です。



       これは、フェッラーラ・Ferrara のシナゴーガ博物館展示の
       ゲットーの門の鍵。  (カタログより)
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       フェッラーラにもかって大きなゲットーが街の中心にあり、
       この鍵で朝夕7つの門が開閉されていたという、
       ヨーロッパ中に唯一残るオリジナルとの事。

       こうしたゲットーが解放されたのは
       1797年のナポレオンによるヴェネツィア共和国崩壊に因ります。

       財産のある者は他所の地に移り住み、またそのまま残った人々も
       多かった訳ですが、ナチによるユダヤ人強制移送悲劇の歴史があり、
       現在このゲットー内に住むユダヤ人は、ほんの数家族とか。

       殆ど当時のままの状態で残っているというヴェネツィア・ゲットーですが、
       次回にヴェネツィアの街にお出での時は
       出来ましたら、この広場もご訪問下さいね。


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       今回は追悼の日に因み、少し重い話題かと思いましたが、
       あれこれ読んだ事も含め書きました。

       TV番組でも、第1次、2次世界大戦の実写フィルム、
       証人のインタヴューも含め、あれこれ見、知るチャンスは
       日本にいる時よりも、ずっと多い気がします。

       単に戦争賛歌、非難ではなく、本当の事を伝え残す事、
       知る事は、大切な事だと考えるようになりました。
       
       そしてここに、知った事をそのままの形で、
       上手くお伝えできているように、と願います。



       ではまた、
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by italiashiho2 | 2011-01-27 00:05 | ・ヴェネツィア | Comments(6)
Commented by lan at 2011-01-27 22:47 x
ゲットーのアパートは静かでしたね。
華やかな場所を散歩して、フェニーチェ劇場でコンサートを観た後、あのアパートに戻ったら、ちょっと頭が冷えてました。
悲しみが染みついている場所だけれど、それでもここに人々の暮らしがあったのだという事実を受け止めたかったのです。


あのユダヤ料理レストランは安くてヘルシーで、ランチのおかずの種類も多いでヴェネツィア来訪される方にはオススメいたします。

Commented by italiashiho2 at 2011-01-28 01:31
★lanさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうでした、今地図と見比べて考えると、ゲットー・ヴェッキオに入る地域だったようですね。 天井が普通の建物よりも少し低かったかな、という感じが残っていますね。

そうそう、あのレストランでも食べましたね。 特別美味しいという物ではなかったですが、ユダヤ料理のコーシャでしたっけ、がどういう物かと知るのにも興味があり良かったし、そう、本当に体には良いという感じで、それに安かったですね。


Commented by ゆんぴょ at 2011-01-28 01:32 x
こんばんは~。
27日は追悼の日でしたか。
ゲットー・・・本当に島に詰め込まれているような状態だったんですね。
門まで閉じられて。鍵がずしりと重いですね。歴史を物語ってます。
知ることは大切なことというメッセージに同感です。
真実はきちんと語り継がれていくべきですね。日本ではなかなか触れられない部分もこちらのブログで知ることが出来てありがたいです!
Commented by italiashiho2 at 2011-01-28 06:25
★ゆんぴょさん、こんばんは! コメント有難うございます。

メールも頂いています。 ご心配でしょうけど、どうぞ、頑張って下さいね! よろしくお伝えを!!

ゲットーという言葉はなんとなく知っているのですが、内部の生活がどんなであったか、というのは我々には想像もつかない訳で、考えた事も余りないのですが、やはりかなり過酷であったろうと思います。

昨日、と今日27日、あれこれ新しいエピソードの映画なども放映されていて見ましたが、こうして新しい映画が作られる事自体、記憶を新たにするチャンス、を持つ心の余裕が生まれている事なのだと信じます。
Commented by littlealps4383 at 2011-01-28 08:49
おはようございます。日本の山梨は今日も晴れ・・・
日本海側の東北地方は局部的な大雪に見舞われ大変です。
それに霧島では噴火が起きるし・・・
このご紹介は人間の生々しい生き様と
力強い種としての生き様が感じることができます・・
大事な出来事や忘れてはいけない出来事を
ちゃんと残す文化が素晴らしいですね。日本ではありえない。
さまざまな苦難があったわけですが、そういう大事な部分は
ぶれていない・・・素晴らしいことだと思いました・・・。
Commented by italiashiho2 at 2011-01-28 19:52
★littlealpsさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうでしたか、霧島の噴火だったんですね、昨日のこちらのTVニュースに出たのですが、どこの山かはっきり聞き取れずにいました。でも、噴火だけで人々への被害については言ってませんでしたので・・。

ナチの行った事に関しては、そして戦争の被害についてはヨーロッパの国々は地続きですから、大変生々しいにも拘らず、現在の国同士の関わりを見ると、その対応が大変に大人だという気がします。 大人の対応でないと、地続きの隣の国同士が存続できない、という基本的な考え方があるように思えます。 
やはり歴史が始まって以来の長い交流があるからなのでしょうね。 とにかく、何事にも息が長いです!
 


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