イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2011年 10月 20日

   ・・・ パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア その1 ・・・

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       皆さま、ヴェネツィアにようこそ!

       空からこうして眺めて頂くと、
       ヴェネツィア本島の中心にサン・マルコ聖堂の鐘楼が聳え、
       その右にドゥカーレ宮が大きく少しピンク色にどっしりと、
       左少し手前にはサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会があり、
       ジュウデッカ運河を挟んで、レデントーレ教会が茶色に大きく、
       右に目を移すと、サン・マルコ広場の向かい側になる、
       サン・ジョルジョ島の教会と鐘楼が見えますね。

       サン・マルコの小広場からだとすぐ向かい側に見える
       サン・ジョルジョ島ですが、
       こうして見ると、意外に間の運河が広い事も良く分かります。

       ヴェネツィア本島の上には、お墓の島サン・ミケーレが四角く、
       そのすぐ向こうに、ガラスで有名なムラーノ島、
       そしてラグーナ・干潟があちこちにあるのも良く見えます。

       ヴェネツィアにようこそ! ・ 空からのヴェネツィア
       http://italiashio.exblog.jp/12137384



       という事で、今日から3回に渡って、
       ヴェネツィアのシンボルであるドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
       はたまたかってのヴェネツィア共和国、1000年に渡って続いた
       セレニッシマ・Serenissima と呼ばれた国の、
       行政司法の中心であった建物内部をご覧頂こうと思います。
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       とはいえ、内部のご案内に付随するこの国の政治形態については、
       塩野七生さんの「海の都の物語」に素晴らしく詳細に書かれておりますし、
       私が言及するには到底力不足なので、パスです。
       
       内部は、殆どの有名な広間などは写真禁止で、
       それに、余りの広さと見事さ、建物の大きさで見疲れた挙句に
       軽~く方向感覚も失い、写真を撮る気力も失う程なのです、正直。
       という事で、ガイド・ブックからの写真も少々お借りする事に。

       が、修復が進み、建物は大変美しくなっていますし、
       博物館としての整備も進み、徐々に見物できる部分も増えています。
       が、また逆に観光客の多さからでしょう、
       見れる部分が昔よりも限定される部分もあります。
       なにせ、2010年度の訪問者は136万人程というのですから、
       ・・入場料 X ・・と試算したくなりませんか?! ははは。

       イタリア全体の観光についての一般向けガイドブックの中で
       ヴェネツィアに割かれた部分が何ページかで、
       またその中のパラッツォ・ドゥカーレとなると、半ページ程。
       ですからそれよりは少し詳しく、写真も多く見れる、   
       という事にしたい、と願っております。
       
       ・・では、よろしくお付き合いの程をお願い申し上げ
       ごゆっくりお楽しみ下さいますように!


       写真の殆どは昨年秋9月の物ですが、
       最初の様に何枚かは以前のものもあります。

       で、こちらがドゥカーレ宮見物の入り口
       建物南側、スキアヴォーニ河岸に向いている場所。
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       まず中庭の素晴らしい眺めをどうぞ!
       現在の入り口から入って来た向きでの中庭の眺めです。
       とお断りするのは、
       今正面に見えるアルコ・フォスカリ・Arco Foscari と呼ばれる
       白い一連の突き出した部分、
       この下のアーチの通路を通って現在は出口となっているのですが、
       これが建物の正面玄関でもある(あった)カルタ門
       ・Porta della Carta に繋がっています。
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       カルタ門のカルタというのは、紙の事なので、
       多分かっては布告を張り出したりした事からの名と思いますが、
       すぐ近くに記録書館があったから、という説もあるそう。
       カルタ門は、一連のご案内の最後にご覧頂きますね。

       では、現在の訪問者用の門はなんと言うかと思われたでしょう?
       はい、shinkai めも探しまして、
       ポルタ・デル・フルメント・Porta del Frumento・穀物門
       というらしい、と分かりました。
       言うらしい、というのは、現在の門はフルメント門、と書いたのが
       見つからず、でもあれこれ突き合わせまして・・。
       スキアヴォーニ河岸に向かい、かっては建物内部に
       大切な兵糧、穀類倉庫もあったでしょうから、納得です。

       写真右に見える階段は、この写真では少し見え難いですが、
       階段上部に2体の大きな彫像があり、
       巨人の階段・Scala dei Giganti と呼ばれます。


       アップでどうぞ
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       で、皆さん写真をご覧になって、アルコ・フォスカリの
       上に丸屋根がある、と思いになるかもしれませんが、
       これは私めの責任で、この丸屋根はすぐ向こう側お隣にある
       サン・マルコ聖堂の一部なので~す、すんまへん。



       時計部分のアップですが、文字盤をどうぞ
       始めて気が付きましたが、数字が5、10、15と進み、
       60で最後なのですが、この表現は初めて見ました。
       まさか、1時間で一回りとも考えられませんし、
       何か意味があるのかな? また調べてみましょう。
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       時計の一番上に見える2人の天使に挟まれた紋章ですが、
       アルコ・フォスカリの一部ならば、
       フォスカリという名のドージェ・総督、
       フランチェスコ・フォスカリ・Francesco Foscari
       ヴェネツィアの最盛期に、最長不倒の総督期間を過ごした
       彼の物と思ったのですが違いました。

       という事からまたあれこれ探し物にかかりまして、
       この紋を持つドージェが、120代迄続いた内に誰もいない事、
       この突き出した全部が65代フランチェスコ・フォスカリの
       在任中(1423-1457)に建設されたものではなく、
       後の67代クリストフォロ・モーロ・Cristoforo Moro(1462-1471在)と
       72代ジョヴァンニ・モチェニーゴ・Giovanni Mocenigo
       (1478-1486在)にも持ちこされ完成された事が分かりました。

       上部に据えられている時計も、1615年に、
       という記述がありましたから、後の時代に設置されたのかも。

      ◆追記です
       上の天使に挟まれた紋ですが、ドージェの冠が上に見えますので
       あれこれ探しまして、92代のジョヴァンニ・ベンボ・Giovanni Bembo
       (1615-1618任)の物ではないかと思います。
       ただベンボの紋は、花が山形の下に1つ、上に2つなのが違いますが、
       年代もちょうどですので、彼の寄贈かもしれません。



       という所で、こちらをどうぞ。
       ヴェネツィアのドージェについての記述が詳しく、
       参考にしている本 Claudio Rendina著 I DOGI にありました図版、
       見えやすいように空と右側部分を切っておりますが、
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       アルコ・フォスカリも全部が完成していない時の様子で、
       その手前に屋根のある下り階段、多分木製が見え、
       徐々に徐々に様子が整えられていったのが分かります。
       この図版の年代はありませんが・・、

       皆さん良くご存じの様に、
       ヴェネツィアはラグーナ・干潟に杭を打ち、地盤を固めて造り上げた街
       蛮族に追われて本土から逃げ、干潟のこの地に新天地を求め、
       営々と造りあげた街で、小さな破片の様な土地を400以上もの
       橋で繋ぎ合せている訳ですね。

       ですからパラッツォ・ドゥカーレが最初に造られたのは、
       完全に要塞の形であったという9世紀に溯りますが、
       今我々が見る形は、14~15世紀に整えられ
       美しく再建され始めた以降の物と言えますね。
       何度もの大火による大波壊も乗り越え、その後も留まる事無く、
       4世紀に渡り次々と改装美化され続けた、
       まさに一国を象徴する建物なのですね。
       
       アルコに名を残すドージェ、フランチェスコ・フォスカリについても
       かなり今回あれこれと分かりましたので、
       最後のカルタ門の時に一緒にご案内致しますね。



       巨人の階段部分
       ここも最後に参りますので、ここでは中庭からの素晴らしい雰囲気を。
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       昔々イタリアに初めて来た時、見物にもカルタ門から入り、
       この階段も上がれたものでしたが・・! 昔話。 

       上のテラスにちらっと緑が見えますが、
       あの右手奥がドージェの住まいとなっていて、
       テラスではドージェ夫人が植物を育てたのだと



       中庭から見上げる東の棟、ルネッサンス風部分と呼ばれる
       細やかな優美な装飾が施された壁面ですが、
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       右端にほんの少し見える南の棟と西側の棟の
       中庭に面した壁面は
       ゴシック様式の古いレンガ積みのままの壁で、 



       こんな感じ。
       この壁は西棟のサン・マルコ小広場に面した方で、
       写真も上階からの物。   
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       中庭には美しくて大きな青銅鋳物の井戸が2つありまして、
       こちらは手前、南側にある物ですが、
       いずれも1554、59年に作られた(井桁が)物と。
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       西棟のポルティチにある大きな客室付きのゴンドラ
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       ドージェのお召しであったのかどうか、
       何も説明がありませんでしたが、
       彫りの見事さをどうぞ。
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       かってのゴンドラはこんな風に覆いの小部屋付きで、
       は~い、4畳半程広くはないと思うのですが、うふ、ははは、
       色も黒ではなく、様々に塗られていたのだとか。
       で余りにも放埓すぎると、16世紀になって禁止されたのだそうで、
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       一説にある、ペストに因る多数の死者への追悼の為である、
       というのは当てはまらないそう。
       なぜなら、ヴェネツィア共和国時代の追悼の色は
       赤だったのだそう。 
       これも知りませんでしたので、また調べてみましょう。



       中庭から、では上階の見物に。
       東棟の中程にある金の階段・Scala d'Oroからどうぞ!
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       ご覧の様に重厚華麗、化粧漆喰に本物の金を貼った物だそうで、
       82代ドージェ、ロレンツォ・プリウリ・Lorenzo Priuli(1556-59任)
       の時に作られた物だそう。
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       この階段を上まで上がって来ると3階のロビーにでます
       中央に見える扉、ここがドゥカーレ宮「秘密の行程」の始まる扉
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       「秘密の行程」は一切写真が撮れず、ガイド・ブックからの
       数枚になりますが、またこちらも最後にご案内いたしますね。

       今回の見物は、この秘密の行程に参加して後、一般の見学同様
       自由に行ったり来たりしたので、頭の中の地図がわやくちゃとなり、
       おまけに良い平面図が見つからず、まぁ階層の複雑さもあるのでしょうが、
       再構築に大変時間がかかったのでしたぁ。
       

       この3階の四角いロビーの天井ですが、
       ティントレットの描く物で、右端に見えるドージェは、
       金の階段を作ったロレンツォの兄ジローラモ・Girolamo、
       珍しい事に兄弟続けてドージェになった、弟が先、という例。
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       この時のドージェの選挙に対抗馬として出ていた者が背中に大きな瘤を持ち、猫背、
       民衆が嫌って、もしグリマーニがドージェになるなら
       犬に喰わせてやる!と何度か叫んだのだそうで、・・凄いなぁ!
       本人はかなり粘ったものの、遂に辞退したのだそう。

       厳格さで鳴る、いや、そう言われているヴェネツィア共和国政府ですが、
       代々の選挙の様子などを読んでいると、結構ハチャメチャで、ははは、
       民衆の感情、ドージェの生活態度でも、人間の面白さが
       にじみ出て来るのが丸見えで、時に大いに笑えます。



       これが有名な、ボッカ・ディ・レオーネ・Bocca di Leone
       呼ばれる秘密の告訴の投書口
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       これは人間の顔をしていますが、まるでライオンの顔の物もあり、
       ドゥカーレ宮内に関わらず、各地区に一つはあったようで、
       現在でも時にあちこちで見かけますが、下に高利貸しに関する事、
       衛生問題等などと書かれていた記憶があります。

       秘密の告訴と言っても、決して無記名ではならず、  
       必ず自分の名と連名者が(2名?)必要で、
       告訴によって呼び出しを受けると、司法官の前で
       説明する事になり、後に10人評議会にまで届いたのだそう。



       東棟3階の奥にドージェの居住部分・アッパルタメントがあり、
       その部分の様子を、これはガイド・ブックの写真で。
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       こちらは中庭から見上げた時の、奥に緑のテラスが見えた、
       あのテラスへの出口部分で、入れませんでしたがこんな様子。
       テラスが見える筈の窓にはヨシズが張られておりまして・・。
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       このテラスを愛用したドージェ夫人についてcucciolaさんがこちらに。
       ガーデニングを愛したヴェネツィア元首夫人
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765095.html



       では、ちょっと気分を変えまして、2階部分の柱廊をどうぞ
       どっしりとした柱が続く奥にちらっと見えるのが、
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       サン・マルコ小広場なのですが、
       残念ながらテラスには出れません!
       まぁ、妥当な処置ですよね、でないと、
       あのテラスが観光客で溢れかえるでしょうしねぇ、ははは。
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       柱頭部分、かなり修復された様子が見えますが、
       ヴェネツィア共和国を倒したかのナポレオン君の軍は、
       結構この地でも乱暴狼藉を働いているのでございますぞ。
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       ならば負けずに、べぇ~!とでも、ね。
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       こちらは南側に開ける部分ですが、こちら側もここまでで、
       お馴染のサン・ジョルジョ島を今日の最後に。
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       古い記事ですが、よろしかったらこちらも。
       ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale
       http://italiashio.exblog.jp/5351189

       ヴェネツィア関係は、こちらからどうぞ!
       http://italiashio.exblog.jp/i5/
      
       という所で、今日のドゥカーレ宮その1を終えますが、
       昨日から少し体調を崩しておりまして、鬼のかく乱、
       その2が明後日に、という事になるかも知れませんが、
       どうぞ、よろしくお願いいたします。


       いつも有難うございます、お世話様です。
       励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~~す!

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by italiashiho2 | 2011-10-20 23:53 | ・ヴェネツィア | Comments(8)
Commented by pescecrudo at 2011-10-21 18:41 x
shinkai さん、こんにちは。
ヴェネツィアを楽しませて頂いています。今まで何グループのヴェネツィア案内をしたでしょうか。その度総督宮殿に案内し、慌ててガイドを読んだりしても何も説明出来ませんでした。
新しいコースも出来たのは、shinkai さんのブログで知りましたが、私自身が新しいカザノーヴァの探究コース等も体験し、もう一度ちゃんと勉強しなければならないようです。後2回続くそうですが、期待わくわくで、待っています。
Commented by italiashiho2 at 2011-10-21 20:45
★pescecrudoさま、こんにちは! コメント、そして嬉しい励まし、本当に有難うございます。

いつも表の写真だけ撮っているのが、中も何回振りかに見物するチャンスがあり、それでもなかなかその大物振りに振り回され、どのようにご案内したら良いのかにも、止まったままだったのですが、遂に意を決して。 でも、やはり私には大変です!
次々に引っかかって来るものが多すぎて、知らない事だらけで・・。

有難うございます。 なんとか今の状態で出来る所を、と思っていますので、今後ともご教授よろしくお願いいたします。
Commented by ゆんぴょ at 2011-10-22 00:03 x
こんばんは! ヴェネツィア、ドゥカーレ宮はツアーだと観光コースに入っているものの、時間の制約もあり・・・すごい、すごい!と目をみはるばかりで、あっという間に次の観光へと向かった覚えが。さすがに、こうしてじっくり見せてもらえると、内容が濃く、知識も増えますね!
時々笑いも交えて~、shinkaiさん流の観光ガイドに引き込まれるものがありますよ。重厚なゴンドラ、昔は追悼の色が赤だったとはね。
ところでお体は大丈夫ですか!? 寒くなってきたからかしら。ご無理なさらず、しっかりご自愛くださいね。
にゃーこの写真の下に文字も入れてくださり、ありがとうございます。
ペイントはどうだったかな? 太字にするにはパレットの上、Bという文字がありませんか? これをクリックしたら太字になるかも。(違ってたらすみません)
Commented by italiashiho2 at 2011-10-22 02:37
★ゆんぴょさん、こんばんは! コメント有難うございます。

はは、内容が濃いのかどうか、余り必要でない知識ばかりが増えるかも知れません。 私自身、余り真正面の難しいのよりも、個人的な逸話とか、そう言った方が好きで、その方から入ると割とすっと分かりやすくなる、という感じで、そんな感じでご案内で来たら良いなと思っているのですけど・・!

ご心配有難うございます! どうも何か食べた物がいけなかったようで、何が、というのが分からないのですが、2日間めまいがしていたのですが、もう昨夜遅くから大丈夫。 今日は昨日食べられなかった分もじわ~っと食べて、買いだしにも出かけて来ました。

やぁ、ゆんぴょさん、有難うございます。 今今、これを書きながらペイントを試していたら、そう、小さなツール・バーが出て、これで変更できるのが分かりましたよ、 OK,やり直してみますね!
Commented by italiashiho2 at 2011-10-22 02:56
★ゆんぴょさん、今新訂版に替えた所です。 う~ん、前よりは良いかな?
ペイントを使って色を入れた時は鮮やかなのですけど、それを今度使うと色が鈍くなるのですよね、これが残念ですねぇ。

にゃ~こによろしく!! こちらは急に寒くなっていますが、そちらもお風邪などひかれぬようにね。
Commented by BB at 2012-10-16 22:56 x
この記事、何度も途中で横やりが入ります。
仕方ない、時間のある時に,ゆっくり読むか!と
スキップする事に== ! トホホホ…。ごめんち。
Commented by BB at 2012-10-16 22:59 x
そうそう、言い忘れました。
何回も途中でストップしたこの記事。
だけど、ここだけは数回読んだのですが。
どう言う意味ですか?
『かってのゴンドラはこんな風に覆いの小部屋付きで、
 は~い、4畳半程広くはないと思うのですが、うふ、ははは、』BY shinkai
ここ、ここです。 どう言う意味ですか? ウフフフフ…。
Commented by italiashiho2 at 2012-10-17 01:11
★BBさん、こんにちは! お忙しいのでしょう?! そろそろお疲れの限界かな? 頑張ってね!!

ははは、分かっておられるではないですかぁ!! そう、単に雨風、冬の寒さを防いだだけでなく、あれこれ愛人の密会用に利用されたようでありますよ。
現在でも、運河は暗いのですぞ。
良かったなぁ、昔はぁ!!


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