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2014年 03月 06日

   ・・・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ ・ リミニ 3-2 ・・・

       引き続き有難うございます!
       リミニの狼、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ
       その2を続けます。

       3人目の妻イゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Atti(1432-1474)が、
       彼の深い愛を受けとめ、賢明でよき妻であった、
       読んでこちらもほっとする、と書きましたが、

       じわじわと彼の運が傾きかけた頃、追い討ちをかける様に
       彼を追い詰めた権力者は、こちら時の教皇ピオ2世・Pio II(1405-1464)。
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       ピオ2世は、本名をエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ・Enea Silvio Piccolomini
       現在のトスカーナはオルチャの谷に位置するピエンツァ・Pienza
       彼の生まれ故郷でもあり、現在は世界遺産に登録されてもいますが、

       教皇在位たった6年の間に、この田舎町をルネッサンス風にすべく奮闘、
       はたまた時代錯誤的なトルコ相手の十字軍派遣をぶち上げ、
       遠征艦隊の船待ちのアンコーナの街で、力尽き逝去という方。

       
       あ、その前にシジスモンド・Pの街リミニの繁栄について少し。
       1450年前後ヴェネツィア共和国に雇われ、ここは支払い報酬が
       他の雇主と違い毎月きちんとしていたそうで、はは、
       自軍の整備も整え、国の整備もし、カステル・シスモンドの建設、
       自領内の道路の整備、田舎と都会の経済流通の改善、職人達の組合の整備、
       などなどと順調だった様子。

       こうして順調にマルケ州においての力を蓄えていく様子を見、
       疑念を抱き始める教皇側ですが、
       1454年に起こったのがローディの和と呼ばれるもの。

       これはコスタンティノープル(現在のイスタンブル)がオスマン・トルコの
       手に落ち、東ローマ帝国の崩壊となった事で、
       トルコの脅威の前にいつまでも国内の戦争のみに関わっておれない、
       と、漸くにイタリア国内領土の確認を権力者達がしたもの。

       でその時にナポリ王でもあるアルフォンソ5世アラゴン国王が、
       それ以前にトスカーナ侵略に乗り出した際にシジスモンド・Pに
       思いがけない手酷い敗北を喰らったのを深く根に持ち、
       ・・息子への遺言にもマラテスタ打倒を託したほどなのだそう、
       この会議へのシジスモンド・Pの出席を、
       彼が出席する会議には一切出ないとの強硬姿勢で拒みます。

       ナポリ王国はローマの南に位置するカトリック王国で、
       北を警戒する教皇側は常に寄り添っているわけですが、
       そんなこんなで、主要会議からはじき出されるマラテスタ家。
       
       おまけにシエナ近郷出身、シエナ大学で学んだピオ2世にとっては、
       かってのシエナの敗北に一役買ったと誹謗の的ともなった
       シジスモンド・pは許しがたい相手なのですね。

       1458年に教皇となった後、3度にわたる召還にも応じない彼を
       1460年クリスマスの日、破門に処します。
       雄弁家として鳴らしたピオ2世の弾劾書はまさに火を噴く激しさで、

       殺人、強姦、姦通、近親相姦(3人兄弟だったはず・・?)
       冒涜、偽証 eccecc。 卑劣で残忍冷酷の大罪人、と決めつけ、
       彼の肖像か人形を火刑に処すという・・、


       傭兵隊長として戦地で戦う、作戦を練り、奇襲もかけ
       待ち伏せ戦もする、これは戦が仕事の事。
       これ以外に読んでいて、シジスモンド・Pが住民や家臣相手に
       残虐な性格を見せた、というのは見当たりませんし、
       徹頭徹尾に大悪党に仕立て上げているのが分かります。

       まさに頭に血の上りきった有様で、こういう権力者が相手では
       どうあがいても勝てませんね。
       教皇の目を気にし、傭兵隊長に雇う側も少なくなり、
       ここぞとばかりモンテフェルトゥロは領域に攻め込み、苦しめます。



       この当時のイタリアの勢力範囲図をどうぞ
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       黄土色のStato di Pontificioが教皇領で、この中をそれぞれに
       委任を受け治める形で、マラテスタ家があり、モンテフェルトゥロ家が
       存在するわけで、破門を受ける事は半ば追放に近く、
       自領土も遂にリミニの街のみに。

       こうしてシジスモンド・Pは、きつい事が分かっていて
       誰も引き受けないヴェネツィア共和国の仕事、
       ギリシャに出かけてのトルコとの対戦の仕事を請け、出かけ、
       結局消耗し疲れきって戻ります。

       漸くに、失礼! 1464年にピオ2世が逝去し、
       1466年新教皇パオロ2世の元、ローマに出かけ、
       トルコとの対戦での褒章に、元の領土を戻して貰うよう願いますが、
       こちらも狐の教皇で、出来るだけ長くローマに引き止める間に、
       秘密に兵を動かしリミニまでをも乗っ取りに出るほど!

       気が付いて怒り狂うシジスモンド・Pに、1500ドゥカーティの
       褒章が渡され、漸くに和平が整うものの、
       1468年春、教皇側の軍として出かけたノルチャで病を得、
       同年10月遂に帰らぬ人に

       彼のロマーニャ地方一帯をしっかり自領にする夢も、
       テンピオ・マラテスティアーノの建設も、
       すべて未完のままに終わります。

       そして先回絵画館の絵でご案内したように、
       彼の孫の代パンドルフォ4世で、マラテスタ家も絶えます。

       彼が愛した妻イゾッタは、その後修道院に引きこもり亡くなったとも、
       シジスモンド・Pの跡を継いだロベルトに毒を盛られたとも・・。
       
       SとI、シジスモンド・Pとイゾッタの飾り文字の入ったマラテスタ家の門、
       これがテンピオのどこにあったのか思い出せないのですが、
       こうして今に残る2人の印。
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       シジスモンド・pの生涯の敵であったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも、
       彼の死後は息子に跡継ぎが生まれず、家が途絶えていますし、

       当時の小領主として、いずれは絶えてゆく運命の家柄だったのでしょうが、
       大変鮮やかに生きた男、という感銘をも受けますし、
       冷酷非情と評判の男の隠された内面心情が、なかなか良いではありませんか?!

       一方的な権力者側の非難のみでなく、最近の研究によってあれこれ
       明らかになっているシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタのお話、
       長々と書きましたが、
       どうぞお楽しみ頂けました様、願います。
       お付き合い、有難うございました!



       最後はサイトから拝借の写真で、リミニの空気を。

       暮れ行くテンピオ・マラテスティアーノ
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       夕暮れのリミニの海
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       2千年を生きるティベーリオ橋
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       そして、アウグスト門
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       夏の夜の賑わい、リミニの浜、ディスコテーカ
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       年越しの夜の花火、 ・・・ああ、もう3月だよぉ!!
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by italiashiho2 | 2014-03-06 07:25 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(8)
Commented by hairpriori at 2014-03-06 08:01
街をライトアップする・・とう発想が日本にはないですね
Commented by シニョレッリ at 2014-03-06 08:27 x
Shinkaiさん、おはようございます!

シジスモンドのお話、楽しく拝見しました。有難うございます。

Tempio Malatestianoは、ジョット、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ヴァザーリなどお宝芸術品の宝庫なので、私の場合、リミニに行く大きな目的の一つとなっています。

単なる疑問なのですが、Duomo di RiminiとかCattedrale di Santa Colombaと呼ばれることが滅多にないのは、何故なんでしょうか?

そう言えば、ヴェネツィアもDuomo di Veneziaとは呼ばずにサン・マルコ寺院ですね。
Commented by italiashiho2 at 2014-03-06 15:53
★hairprioriさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうですねぇ、こちらの明るさに慣れた目には、日本の街の中、家の中もそうですが、は明るすぎて、特別にライトアップする必要が無いのではないでしょうか?!
Commented by italiashiho2 at 2014-03-06 16:03
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、あのリミニのテンピオはこうして改めてみると、やはり素晴らしいですね。 もう一度ゆっくり訪問して見たいものです。

そうなんですね、もともと教会だったのをシジスモンドがマラテスタ家の墓所として改築し、改めてドゥオーモになったのが19世紀になってからだったか、多分そういう事情もあると思います。 
地元の方はドゥオーモと読んでいるという説明がありましたが、教会のサイトでもテンピオ・マラテスティアーノで検索をかけると一番に出るのですが、教会行事が最初に出るので面食らいました。 確かに中にページはあったのですが・・。

きっとヴェネツィアのサン・マルコも同じ事情だと思います。 あそこはずっとドージェの私的礼拝堂という位置づけで、ヴェネツィアのドゥオーモは島の東はずれのサン・ピエトロがドゥオーモだったのです。 ヴァティカンがあれこれ指図するのを嫌ったからだといわれていますが。
なのでもうしっかりサン・マルコ聖堂と定着しているのだと思います。
Commented by ぷぅ・どぅ at 2014-03-09 02:01 x
Shinkaiさん、こんにちは!
リミニそしてSPMの大作、お疲れ様でした!
たまたまリミニに行って、SPの名前に惹かれた私ではありますが、Shinkaiさんのこの解説がなければ、SPはそのまま記憶の底に葬られていたに違いありません。
感謝です!

教皇にはボコボコニされたんですね、、、彼。
でも一国の主としての彼の功績は、尊敬もの。
私は、好きです!
Commented by italiashiho2 at 2014-03-09 15:13
★ぶぅ・どぅさん、こんにちは! 嬉しいコメント有難うございます!

ね、ちょこっと片隅でファン・クラブでも作りたいような、ははは、そういう可愛さを感じません?!
あのピエロの描いた独特の肖像には、世の酷評がピッタリですけど、でもねぇ、ああいう教皇の破門状は、大マスコミのペンの暴力みたいなところがありますよねぇ。

「ボコボコにされた」という言い回しが私には無かったので、とても良く分かる、はは、親しみのこもった表現で、大いに喜んで一人で笑っておりました、有難うございま~す!
Commented by mitsu at 2017-02-11 19:28 x
ジジスモンド・Pの詳細な記事、引き込まれて読ませていただきました。新開様のブログは奥が深くて宝の宝庫のようです。一体いつから始められたのですか?カメラの技術、テーマへの探求、文章力、情報のまとめが素晴らしくて、享受させて戴くばかりで申し訳なくなります。
Commented by italiashiho2 at 2017-02-12 05:24
★mitsuさん、こんにちは! コメント、たいへんご親切なコメント、ほんとうにありがとうございます!!

いやぁ、彼については一度ちゃんと調べてみたかったのです。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた素敵な肖像にまず惹かれ、あまりにも悪口が多い人物なので興味を持ったのでしたが、怖いもの見たさみたいな感じで、ははは、
でも今頃は研究が進んでいて、一方的な悪口だったのも分かって、楽しくなりました。

ブログはもう10年以上になるのですけど、面白くなったのは自分でなんとかイタリア語のサイトが読めるようになってからの事です。
やはり自国の事はあれこれとても詳しいサイトがいくつもありますし、自分の興味のある事を新しく発掘して知る楽しみに嵌ったのでした!

ですから自分の為にブログを続けているようなものでして、
こうして読んで頂け、楽しんで頂けるというのが一番の私への励ましであり、お褒めの言葉なのです。
こちらこそ、本当に有難うございます!!


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