イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2014年 11月 13日

・・・ 美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして ・・・


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       世界遺産指定の、中世の塔が残っているサン・ジミニャーノ
       先回は雲海の朝焼けを見て頂きましたので、
       今日は塔の上からの眺めをご覧下さいね。

       例により塔の名を確かめつつ、あれこれ興味深い事も
       知りましたので、そんなもろもろも!
       ごゆっくりどうぞ!

       上は町の外からの景観、4ヶ所程の遠方から見れたのですが、
       これはコッレ・ヴァル・デルザ行き方面からのもの。



       上に上がれる塔は唯一、ドゥオーモの横にある現市役所の
       パラッツォ・デル・ポーポロ・Palazzo del Popoloの右
       トッレ・グロッサ・Torre Grossaですが、・・写真の上がぁ!
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       塔に上がるには、写真中央に開いて見える入り口から



       中庭に入り
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       正面の上り階段を行きますが、
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       トッレ・グロッサがこんな風に!
       高さ54m、現在町で一番高い塔、1300~1311年に建設。
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       塔の下の入り口を入ったところに切符売り場があり、
       大変親切な係りが笑顔で、各国語で対応。
       塔だけで良いからまけろ!なんぞというお客にも丁寧に、ははは。
       いやぁ、一体にこの町の人は観光客に親切でしたねぇ!

       塔内の階段。 段数は書いてあるのが見つからず、
       ええ、まぁ、大丈夫、心配なく上がれますです、はは。
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       途中の窓から見える、ドゥオーモとその東の広場
       そして双子の塔と呼ばれるサルヴッチ・Salvucciの塔
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       塔の最上階を、北にある要塞から眺めると
       こんな風に登っている人が見えますが、
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       こんな感じ、かなり広いでしょう?
       真ん中に大きな鐘が二つ下がり、その下を通り抜けたり、
       あちこちから展望が楽しめます。
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       が、壁の高さが私の胸の位置で、かなり幅も広いのです。
       なので、一生懸命に爪先立って下を覗くのですが、
       ・・背の高い男性の方が、こういう場合は有利ですねぇ!



       さて、町の南側。 
       左に切れて見える塔はクニャネージの塔・Cugnanesiで、
       見える通りはサン・ジョヴァンニ・Via San GIovanni、
       突き当たりに町のサン・ジョヴァンニ門・Porta San Giovanni.
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       ついでに右のベリニャーノ通り・Via Berignanoの、
       古い家並みと瓦の感じをどうぞ。
       真ん中辺り、右に突き出す丸い形は、
       町の城壁にいくつかある見張りの塔。
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       左に戻り、右の塔が上の写真で切れて見えたクニャネージの塔で、
       13世紀建設、足元に大きなクニャネージ邸がありますが、後ほど。

       左の塔が、先回の朝の写真でベッチのアルコの横に見えていた
       ベッチの塔・Becci.
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       塔の名前、また町のどの位置にあるかなどは
       改めて後ほど地図でご説明しますので、
       まずは塔の上からの眺めをお楽しみくださいね!



       これはドゥオーモ広場のドゥオーモの向かい、
       パラッツォ・(ベッキオ)・デル・ポデスタ・Palazzo Vecchio del Podestà
       つまり古い政庁付属の塔で、1200年に建設の町で一番古い
       ロニョーザの塔・Rognosaと、左に切れてキージの塔・Chigi.
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       高さは約52mあり、トッレ・グロッサに継ぐ高さで、
       名前のロニョーザはローニェ・Rogneに由来し、なんと疥癬病の事!

       というのも、この古い政庁から新しい建物、現在の市役所に移った時、
       この古い建物が監獄として使われ、その収監者に疥癬病者がいたのですと!

       ははは、これは伝染病だそうですから、いっぱいうつったろうねぇ!!
       頃は14世紀、中世ですものねぇ、ははは、
       読んだだけで痒くなりそう!
       
       所で当時の高さ52mは町で一番高い塔だった、というのをご記憶に。



       ロニョーザの塔はドゥオーモ広場にあるのですが、
       その足元の少し南側はチステルナ広場・Piazza della Cisternaで、

       見える塔はディアーボロ・Diavolo・悪魔の塔
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       いやなに、上階にある建て増しが素晴らしく大きいでしょう?
       それも持ち主が旅行中に出来上がっていた!
       という伝説的な由来なのだそう。
       


       チステルナ広場の様子をどうぞ

       手前真ん中に見える塔が、2本あるうちの一本のアルディンゲッリの塔
       Ardinghelliで、もう一本も見え難いので、後ほど広場側から。
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       朝の雨が嘘みたいな暑い午後で、ワンちゃんものびてますねぇ!
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       遠くに望む平野の眺め
       オリーヴ畑、葡萄畑、そして雲が動いて行きます・・。
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       ドゥオーモ広場から繋がるドゥオーモの東側の広場、
       エルベ広場・Piazza delle Erbeに面する塔2本、
       双子の塔・Torri Gemelleとも、建設者の名でサルヴッチの塔とも
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       サン・ジミニャーノに到着したばかりの午後、
       雨上がりの広場に出かけて即、目の前に立ち塞がったこの2本の塔。
       素晴らしい白グレーの石の迫力で、威圧感を受けた印象がとても鮮明。

       その左斜めに見える低めですが太い塔は
       ノーミ・ペショリーニ・Palazzo Nomi Pescioliniと言い、

       その手前に見える低い赤い屋根の部分も含まれ、
       そこが現在アパート式の宿になっていて、4泊しましたので、
       旨いもの!編 の時にでもご案内いたしますね。



       ノーミ・ぺショリーニ邸の正面
       ここは確か大きなレストランだったと。
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       真ん中に石碑が見えますが、
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       こんな様子で、ラテン語は読めないものの、はは、
       LONGOBARDO REX なんぞと彫られたのを見つけ調べましたら、
       13世紀建設で、当時ロンゴバルドの王デジデーリオの宮殿だったとか、
       フェデリーコ・バルバロッサも滞在した事があるとか!

       ・・当時の政情に無知なshinkai、読んだままに記し、
       どなたかのご説明を当てにお待ちしておりま~す!

     ◆ 追記 ◆
       クリスさんがコメントを下さり、やはり、
       13世紀、ロンゴバルド王の宮殿、というのはおかしいとの事。
       コメント欄のほうもご参考に願います!
       


       さて復讐の、いや、復習のお時間で~す! ははは。
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       町の中心部にある塔の位置と名前ですが、主なものを
       1.ノーミ・ぺショリーニ、塔の家
       8.9 双子の塔、またはサルヴッチの塔
       12.キージの塔・Chigi 
       14.ドゥオーモの鐘楼
       16.トッレ・グロッサ
       17.ロニョーザの塔
       18.19 アルディンゲッリの塔
       23.ディアーヴォロの塔
       24.ベッチの塔
       36.クニャネージの塔
       


       コムーネのサイトから拝借の写真に、
       (しつこく、ははは)上と同じ番号を入れてみました。
       これで位置関係がお分かりでしょうかぁ?
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       で、今度は下からの眺めで(しつこく)どうぞ! ははは。

       ドゥオーモの前から、向かい正面の古い政庁の
       17. ロニョーザの塔  まるで切れていますが・・、はは、
       左に切れているのが、12.キージの塔
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       このロニョーザの塔が1200年建設の、町で一番古くて
       当時一番高い塔 約52mだったと書きましたが、
       1255年、この塔よりも高い塔を造るべからずというお布令が出ます。


       所で、町の歴史を簡単にご説明しますと、
       中世の塔がたくさん見事に残る町として
       世界遺産にも指定されているこの町ですが、

       イギリス・フランスからローマへの巡礼通商道路である
       ヴィア・フランチージェナ・Via Francesina南北を、
       そしてシエナからピサの東西を、結ぶ道が交差するこの町

       エトルスクの時代からの住民移植がありローマ期と徐々に栄え、
       1199年に自由都市を宣言、公平である目的から、執政官を
       「外国人・この町以外の人間」から半年毎に選ぶと言う方法で、

       法王支持派のグエルフィ・guelfi と、皇帝支持派のギベッリーニ・ghibellini
       の町内抗争が熾烈な時期も乗り越え
       農業、とりわけサフランの栽培・染料、薬用、料理にも使われる高価なもの、
       そしてワイン用葡萄、羊毛の取引、金融・高利業で栄え、
       1300年代前半には13000人の人口に。

       こうして一番の繁栄を迎えたのが14世紀だったのですが、
       1348年のペストで町の人口の3分の2を失い、
       その後フィレンツェの元に下り、遂に零落のまま、
       再繁栄することは無かったと言います。
       
       17世紀のペストの後は人口が3000人と言う、
       トスカーナ大公国内で一番貧しい町だったそうで、

       そのお陰と言うとおかしいのですが、
       町に新しい建築のブームが押し寄せることなく、   
       中世のまま殆ど無傷で、この町が今に残っている訳ですね。



       これはドゥオーモ東側のエルベ広場からの眺めで、

       一番右にロニョーザの塔、次いでキージの塔
       そして手前2本が双子のサルヴッチの塔
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       塔の形は大体四角形、ご覧のように余り窓や開口部がないのが
       古い時代の塔の特徴で、時に見える横一列の小さな穴は、
       外部にテラス、通路を造る為の支えの持ち出し材用なのですね。

       このサルヴッチ家というのは、町のギベリン派一番の大物で、
       商売と高利貸し業だったそう、その優勢を見せ付ける為、
       1255年公布の52mのロニョーザの塔を越える事なかれを無視し、
       もっと高い塔を建てたのを、後に切り取られたのだそう!



       チステルナ広場に出てきた所
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       広場の北側にあるのが、ディアーヴォロの塔
       最上階の建て増し部分がはっきり見えますが、
       この部分が所有者の旅行から戻ってきたら出来ていた!
       というのが、このディアーボロ・悪魔の名の付いた所以と・・!
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       元の塔の上部に張り出しの腕木が大きく出ていて、
       これを利用してバルコニーとか、ちょっとした部屋を造ったとか・・。

       ちょっと見え難いのですが、この塔の下は通路になっていて、 
       その名も「金の小路・vicolo dell'Oro」と言い、
       金箔師達が店を持っていたと。
       彼らはフローリン金貨を叩き薄く薄く延ばし、
       その板金は黄金背景の絵を描くのに使われたのだそう・・!
       なんとねぇ、金貨を叩き伸ばして使っていたのかぁ!



       こちらはチステルナ広場の西側、中央の建物の隙間に
       ドゥオーモ広場とを繋ぐ道が通りますが、

       左奥にトッレ・グロッサ、そして右にロニョーザの塔が見え、
       手前2つの塔が、アルディンゲッリ・Torri degli Ardinghelli.
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       右の塔はまさにドゥオーモ広場との境にありますが、
       このアルディンゲッリ家は町の有力なギベリン党派で、
       ドゥオーモ広場に双子の塔を造ったサルヴッチ家に対抗し、
       この2つの塔を造ったのだと。

       勿論13世紀に造られた塔で、お触れに従わず
       ぐんと高い塔を建てたものの、その後に当初の半分程にも削られたと!
       最初の塔が右で、2番目が左で、左右かなり形が違いますね。
       

       こうした力の優勢を見せびらかす為の塔は、当時一体幾本あったか?!
       海抜334mの丘の上の塔の町の姿は最初にご覧頂きましたが、

       現在残るのは16本!で、最盛期には多分72本あったろうと!
       町の裕福な家柄は、それを誇る為に、殆どが塔の家だったと!!

       では塔の内部の生活はどうだったか?
       普通の塔の場合、内部はとても狭く、大体が1X2m、
       ただし壁の厚さは約2m、夏は涼しく冬は暖かく・・。
       1階部分は店、2階に住居、寝室、台所は一番の上階、
       これは火を使う事からの用心ですね。

       階段に使う梯子は、上に上がった後引き上げ、
       とりわけギベリン対グエルフィ抗争時には襲撃対策で。
       
       と言うような塔の建設も12世紀後半から13世紀を境に、
       その後は造られなくなり、
       上記した様に町の経済状態が衰退に向ったからなのですが、
       こうした古い状態の塔が今も残る要因と。

       フィレンツェの街に中世を探し その1と2



       こちらはチステルナ広場からサン・ジョヴァンニ通りに出て
       振り返るべッチのアルコと、ベッチの塔
       この塔は13世紀で、ベッチ家は商人ながら町の有力者で、
       重要な政治的位置を占めていたそう。
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       このアルコ前の左手角にあるのが、
       クニャネージの塔と、その左に邸宅
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       ベッチの塔、そしてこのクニャネージの塔の位置は、
       町の最初の城壁を双方から固める位置にあるのですね。
       ベッチの塔と同じく13世紀のものと。



       脇通りの奥にトッレ・グロッサが見えますが、
       その手前に見える蔦の絡んだ建物
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       ここに小さな博物館があり
       その名も「サン・ジミニャーノ1300年
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       一番栄えた黄金時代のこの町の様子を再現し、
       往時を偲ばせて見せます。
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       博物館のサイトは
       http://www.sangimignano1300.com



       この部分は、ベッチのアルコが真ん中下部に見える
       町の中心部の様子で、塔の林立もよく想像でき
       当時の資料を集め、忠実に再現したという事からも、
       張り出しの腕木に乗っかるテラスや通路も良く分かりますね。
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       こんな塔の内部の様子もありましたが、
       狭く、プライバシーなんぞはまるで、でしたでしょうねぇ・・!
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       という塔の町のもろもろでしたが
       お楽しみ頂けました様に!


       最後は、夜空に浮かぶトッレ・グロッサ
       ではなく、ロニョーザの塔です、すみませ~ん。
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       お付き合い、有難うございました!




     *****

       水彩ブログには、ヴォルテッラの朝 ・ 描き始め 
       アップしております。
       見てやってくださ~い!     


     *****        
       

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       今夜はエキサイトの新しい管理画面から、初めてのブログ・アップを。
       というのも、このところあちこち弄いまくってくれていて、
       コメント欄の改悪もそうなのですが、
       前の管理画面に戻らなく、HTMLの編集画面で出るので
       ちんぷんかんぷんで、仕方なく新しい管理画面から。

       で、やっとアップしたと思ったら、
       ブログランキングへのバナーのリンクが出来ず、
       大いに焦りまくりましたが、最後に何とか・・。

       ですがおまけに一つ良い事を発見したのは、
       ははは、コメント欄に書き込む文字が大きくなっておりましたぁ!!

       という事で、皆さん、以前同様気楽に、
       コメントをお願いいたしま~す!!

        
       もひとつ、
       励まし応援クリックも、忘れずにお願いいたしま~~す!

          
          
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by italiashiho2 | 2014-11-13 05:59 | ・トスカーナ Toscana | Comments(18)
Commented by hairpriori at 2014-11-13 07:27
こういうのを中世の街そのまま
と言うんでしょうか
日本はすぐに壊して新しくしちゃうので
昔の景観ってあまり残ってないですね
Commented by シニョレッリ at 2014-11-13 13:53 x
shinkaiさん、こんにちわ!

塔全部を意識したことがなかったので、大変勉強になりました、有難うございます。

中世の頃、塔による見栄張りは普通だったのでしょうか?
フィレンツェにも塔が幾つか残っていますが、これも見栄張りのため?

最も多くの塔が建てられたのは、「百塔の街」アスティでしょうか? 現存するのはサン・ジミニャーノよりも少なく12塔ですが、最盛期は150以上だったらしいです。

他にも塔が沢山ある街に行った記憶がありますが、名前がすぐに出てきません。年を取りました。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-13 15:52
★hairprioriさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうですね、中世の面影が残ると言うのはどの町にも、大都市にもあるのですが、ここは町全体が古い建物で、中を改装して、という様子です。
はい、日本に行くと恐ろしいほどモダンですね。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-13 16:04
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

こちらこそ、いつも教えて頂いて有難うございます!

裕福さを見せつける為に塔を建てたというのが、どうやらこの町の特徴だったみたいですね。 以前は貴族同士の権勢を示す為かと思っていたのですが、どうやら商人の家柄同士の様子で、コムーネのサイトにもその様に書いてありました。 と、ギベリンとグエルフィの対抗意識もあったのかと。

フィレンツェの方はまた少し違っている様子です。 貴族が塔を建てて住んでいたようで、町の城壁内の土地が狭くて上に伸びざるをえないという事情、そして貴族同士の争いのためのいわば要塞的な役割と、のようですが。

あ、アスティはまだ行った事がないのですが、そうですか、それは面白そうです。
ボローニャに9月の末に行った時、パラッツォ・コムナーレの中を見たのですが、昔の街の模型があり、塔がたくさん! 係りの人に聞きましたら昔は80くらいあったと。
となると、アスティはもっと凄かったんですね!
Commented by musica at 2014-11-13 17:03 x
何回も訪れたサン、ジミニャーノの街。
なのに今回初めて訪れたような感覚。いままで、なんてぼや-~と見ていたんだろうと、
shihoさんに案内してもらうとなんかくっきりと頭が整理されるんです、今回は又高いところからの観光もしたので気が付いたのですが。shihoさんには俯瞰力が視界だけでなく時代を超えて人の思考とかにも及んで、私を案内してくれてる。と。
私にとってポイントが押さえられているのです。
それに競争心とかプライドとか、結構そこが何時の時代もエネルギー原だと、云うことも、うなずき合って見物しているようで。
Commented by クリス at 2014-11-13 20:07 x
sinkaiさん、はは、困ったぞ!!
デジデーリオ(Desidèrio re dei Longobardi)というのはランゴバルト最後の王というわれる御仁ですが8世紀の後半に人物ですので13世紀の宮殿を彼が築くはずはありません。
また彼の拠点はパヴィアなのでサン・ジミニアーノと直接的なつながりはないのですが、名を残した宮殿を作ったという事なのでしょうか?
フェデリコ2世は各地を回っていますので、ここも当然訪れた事はあるでしょう。ただフィレンツェだけは行ってないのですね。
カール大帝のイタリア遠征でランゴバルトは終わったと日本では認識されていますが、実際はスポレート、ベネベント等の諸公がデジデーリオに従わず、フランク側に付いたためランゴルトの家臣団はそのままイタリアにおけるフランク族の家臣団に組み入れられました。
教皇派と皇帝派の対立の大元は、このランゴバルト族等と教皇を中心とした旧来のローマ諸部族の抗争に起因しています。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-13 21:34
★Musicaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

あ、そうでしたか、何回も行かれたのでしたか、そうですよね、フィレンツェの方からだと近いですものね。

いぇいぇ、自分が知らないのであれこれ読んで、辻褄合わせに励んで、付け刃の知識をご披露しているだけなので、そんな風に仰っていただけるとお恥ずかしいです!
でも好奇心が旺盛なので、新しく知るととても嬉しいですよね、ちょっとした過去への冒険でもあり、重箱の隅を突っついている感じでもあり・・、ははは。

本当にそうですね、そしてやはり経済力があってこその文化だなぁと、いつも思います。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-13 21:45
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。 
へへへ、お待ちしておりましたぁ!!

そうでしょう、やはりね、いくら無知でもロンゴバルドの首都は北だった筈、と思って、何でこんな所に?と思ったのでした。 それに13世紀なんて・・。

今見直してきたのですが、やはりXIIIと書いてありますが、VIIIの書き間違いかなぁ? それにバルバロッサも11世紀位ではないのですか?
あの大きな建物が8世紀にあったと言うよりも、あの土地に昔デジデーリオに関連した館か何かがあった、位な意味を大げさに書いているのかもしれませんね。

グエルフィとギベリンの抗争について、ああ、そういう事も含まれるのですね。 
あのあたりの事情は本当に複雑で、いつも言葉だけでやり過ごしていて、数字に弱いのも拍車をかけます、へへ。

有難うございました!
Commented by クリス at 2014-11-13 23:26 x
再度書きます。
ちょっと勘違い、13世紀とあったのでフェデリコ2世のつもりで書きましたが、sinkaiさんは1世の赤髭王バルバロッサと書いたのでしたね。1世だと12世紀です1122年(生年)~1190年(没)です。
5回に渡るイタリア遠征をしてますので、もちろん立ち寄る機会もありましたでしょう。でも、建物はない。
孫の2世は1194~1250年、13世紀の建物に寄るのであれば、こちらでしょう。
とすると記述が8世紀だとつじつまが合いそうな気がします。でも見る限りでは違っていないのですね。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-14 05:06
★クリスさん、有難うございます!

建物の正面の写真を見直して見ると、ざっと見には4階建てなのですが、1階部分がとても高く、レストランになっているのを覗いた時も中2階式にして使っていたのですね。
で、現在のその1階部分は古く、2階以上が新しい別の石での増築になっているのに気が付きました。

なので、元々の古い建物があって、それに由来する何かがあったのかもしれませんが、そうするとやはり8世紀の間違いなのかもです。
2階以上の建て増しの窓は2つ並びの大きなもので、あの地の13世紀のものと同時期は思えません。
Commented by paprica at 2014-11-16 01:32 x
面白いっ!! こんなにもたくさんの塔を建てて、それぞれに役割はあったのでしょうか?使われている明るいグレーの石がとてもきれいですが、何ていう石なのでしょう。塔の一階はお店で、その上が住居スペースになっていたというのも面白いです。その街の歴史も紹介してくださるので、当時の様子を思い浮かべることもできて楽しいです。

あぁ、羨ましい。こうして小さな中世の街を散策できるなんて〜。また色々と紹介してくださいね!
Commented by italiashiho2 at 2014-11-16 05:45
★papricaさん、こんにちは! コメント有難うございます。
お帰りなさい、無事にお戻りでGus君は大喜びのことでしょう! 

そうなんです、大体石の名前はどの町の建物でも出てくるのですが、なぜか、この町のは出ないのですぅ!
そして大体白い、薄いグレー調の石なんですね。 茶色に見える建物は煉瓦なんです。
丘の上の町で、あの近所で取れた石を使ったのかもしれません。

普通の町だと、ちょっと大きな建物は何々の為の、とありますね、ところがこの町のは個人の商人の金持ちが、競って建てた様子なのです。なので1階が店なのですね。

以前何となしに考えていた貴族の派閥争いか、というのではなく、裕福な町の商人たちが競って、まぁ、皇帝派か教皇派かの争いもそれに輪をかけた様なのですが、塔の家を建てた、勿論もっと見せびらかしに高いのも、というのも知って面白かったのでした。

はぁい、またこちらにお出かけくださいね。 トスカーナやウンブリアの方も是非回って見てください!!
Commented by 小父さん  1 at 2014-11-16 07:20 x
昨晩このページを眺めていたら寝てしまいました(笑)

たくさんの塔の不思議を今グッグってみたところです。

異様な(笑)塔の乱立、ふと思いつきましたのは近代国家の都市化、超高層化の雰囲気に
似たものがある気がします。
今の東京、大阪、名古屋なんて目的は違ってもこのサン・ジミニャーノの「13世紀の貴族の権力の象徴としての塔建設が次々と行われたこと」に似た心理があるように思います。

行ったことはありませんが、正に中国の上海とかドバイの超高層化には見栄っ張りが入っていると思います。そう考えるといっこうに変わらない人間の心理って実に面白いですね。

さて、「高さ54m、現在町で一番高い塔」というと現在だと15~6階のビルですね。
法隆寺の高さが31.5mということですから、54mの塔の建設にはたぶん犠牲者も多く出たでしょうね。

塔内の階段の写真も素朴ですよね。日本の城も籠城して兵糧攻めなんかにあっていますが、
この塔では籠城生活は不便そうに思います(笑)

双子の塔も興味深いですね。繁栄の証なんでしょうが、まるでデザインみたいです。防衛のための塔ではないですね。
関西空港への渡り口にツインタワーって計画されましたが、結果ひとつだけしか建設されていません。そうそう、福岡の野球場ソウトバンクドームも最初ダイエーがぶち上げたのはツインドーム構想でした。これもひとつだけの建設でダイエーは後に倒産してしまいましたし・・・。
Commented by 小父さん  2 at 2014-11-16 07:21 x
>塔の最上階を、北にある要塞から眺めると、

これってエンパイア・ステート・ビルから覗いている雰囲気に思えます。

>が、壁の高さが私の胸の位置で、かなり幅も広いのです。

shinkaiさんって高所恐怖症じゃないんですね。
壁の高さが高いのは正解だと感じてます。
でないと墜落事故が13世紀から多数発生したと思われるからです。

>アルコの横に見えていたベッチの塔・Becci.

まで下りてきましたが、ピラミッド建設なんかとも似た気持ちなのかな?と思えてきました(笑)

>いやなに、上階にある建て増しが素晴らしく大きいでしょう?

なかなかのお洒落で(笑)

>Rogneに由来し、なんと疥癬病

監獄として使われたとは、なんだか監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われたロンドン塔を思い出しました

ありゃ双子の塔はこんなに接近しているんですか!

いやはや72もの塔が建てられたとは!!!
こんな街は世界でも類例がない気がします。

日本のマスコミやテレビにはあまり登場しない気がしますが、とても面白い街を紹介していただき有難うございました。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-16 15:36
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

あ、そうなんです、余り好でなかったので書かなかったのですが、この町を形容するのに「中世のマンハッタン」という言葉があるそうですが、まさに!ですね。

見栄っ張りの競争、見せびらかしという感じは、人間の尽きない欲望、心理なのでしょうね、ははは。

ですが、私も昔そう読んで思い込んでいたのですが、今回読んでみて分ったのは、「貴族の権力の象徴として塔の建設を競った」ではないのですね、一般庶民の金持ちが塔を建てたのです、この町では。
商人、金貸しが、ちょうどの教皇派と皇帝派の争いも輪をかけ、見栄っ張りで競ったというのが真相のようです。

リンクしたフィレンツェの中世の塔では、貴族の上の階級のみが塔を建てることが出来た様子で、ダンテの家は塔を持てなかった、というのがありましたが、
このサン・ジミニャーノは自由都市を宣言し、市民達が自分達で執政官を選んでいたので、貴族の塔ではないのですね。

ですから塔の上から何か投げつけたりの喧嘩沙汰はあったらしいのですが、1階は店舗として利用し、籠城戦などはなかったと思われます。

それに登ったトッレ・グロッサなどは幅広の大きな塔ですが、他の塔はそれに比べると細いので、高くはあっても中は狭いと思われます。

Commented by italiashiho2 at 2014-11-16 15:46
★小父さん、続けます。

そうですよねぇ、きっとたくさん事故があった事でしょうね!
地盤がかなり固い土地で、きっと基礎工事をしっかりした塔が今もこれだけ残っている、ということでしょうが、
建設途中で既に傾いて倒れた、というようなこともあったでしょうねぇ!

はい、私は何とかの高上がりで、ははは。 高い所に登るのが大好きなんです、飛行機も好きです!
ですから何とか脚の大丈夫なうちに、まだ登ったことがないヴァティカンの上に登れるチャンスがありますように、と、ははは。

塔が監獄に使われるのは一般的で、逃げられませんから、あちこちにあります。 ヴェネトのソアヴェのお城の塔の修復の時は、塔の足元から何mもにも積もった骨が出たとか!!

いぇ、世界遺産指定の町なので、きっとTVにも何度か登場しているはずですし、映画の中にも中世の町の背景としてよく見かけます。
こちらこそ、いつも有難うございます!
Commented by 小父さん at 2014-11-16 20:33 x
こんばんは昨晩このページを眺めていて、これじゃー何も書けそうにないと参ってしまったわけです(笑)


今朝ウィキペディアを見てやっとキーボードが叩けるようになったわけです。サン・ジミニャーノ歴史地区が1990年にとしてユネスコの世界遺産に登録という記述は最初に読みましたよ(笑)。

今、沢山のイタリア関連テレビを観ていますが、サン・ジミニャーノ歴史地区は出てきません。

ローマにミラノ、フィレンツェに日本の映画が撮られたアマルフィーが多いです。

テレビ「小さな村の物語 イタリア 」http://goo.gl/VG0HaC
にもないようです。

普段はコメントを書いたり、レスを読むので精一杯なんですが、今皆さんのコメントを読ませていただいたら、イタリア在住の方もいらっしゃるのか、皆さん中々の歴史家ですね。

もっとふんどしを締めてかからないとと感じました。

>サン・ジミニャーノのはトスカーナ州のコムーネの一つである、コムーネは「共同体」を指す語であり、現代ではイタリアの自治体の最小単位である。イタリアの自治体には、日本の市町村のような規模による区別はなく、人口100万人を超えるナポリのような都市も、バローロのような1,000人以下の村もすべて「コムーネ」である。そのため日本語に訳す場合には「ナポリ市」や「バローロ村」のように日本の自治体の規模に合わせて翻訳される。(ウィキペディア)

面白いです。
イタリアの知識がまた一つ増えました。
Commented by italiashiho2 at 2014-11-16 22:29
★小父さん、再度有難うございます!!

私のブログは、最初始めた時はこんな感じではなく、もっと名所旧跡を軽~くという感じだったと思うのですが、だんだん自分が嵌まり込みまして、ははは、自分が知りたい事、日本語での情報がない部分をあれこれ読んで知り、書くようになったのだと思います。
ですから、観光でするっと見て納得、という感じよりもも少し深く、でも専門家的な事よりは易しく、と、自分に合った位置で、ははは、書いていると思います。

で、分からない部分を問題提出しておきますと、ずっとずっと詳しい方がコメントで教えて下さり、
また小父さんの様に好奇心に富み、何でも知ってやろうと言う有難い読者にも恵まれて、
ブログ書きも大変とは思いつつも、ははは、どっぷりと自分の楽しみ、知る楽しみ、応えて頂ける楽しみに嵌っています!

なので小父さんにお願いしたい事は、今まで通りに疑問に思われる事を気軽に書いて頂けると有難いです。
自分の至らない説明にも気が付きますし、新しい疑問も湧き、改めて調べられます。

自分の経験から、良く分っていますよ、小父さん。 疑問が湧くと言うのは、かなりの理解がないと出てこないもの、だと言うのが!
改めて、好奇心旺盛な小父さんに感謝しつつ、最敬礼です!!



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