イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2015年 01月 21日

   ・・・ サン・ガルガーノ修道院 ・・・

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       今日は、トスカーナはシエナの街から南西に約35kほど、
       平野に聳えるサン・ガルガーノ修道院・Abbazzia di San Galgano
       のご案内です。

       サン・ガルガーノ修道院の名を覚えておられずとも、
       この大きな廃墟風教会の写真はどこかでご覧になられていると。
       そうです、タルコフスキー監督の映画
       「ノスタルジア」にも登場した、あの大聖堂です。

       ちょうど訪問した日は生憎の雨、しかも本格的な降りでして、
       トップは少しでも乾いた写真をと、はは、wikipediaから拝借のもの。

       今日は少し写真が多くなりましたが、ごゆっくりどうぞ!



       地図をどうぞ
       盆地風のメルセ平野・Merseに位置し、西に見えるキュズディーノ
       Chiusdinoの町が最寄で、ここで修道院に名を冠された
       聖ガルガーノが生まれています。
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       南東にチラッと見えるモンタルチーノ・Montalcinoの町の南には、
       これも有名なサンタンティモ修道院・Abbazia di Sant'Antimoが。

       サンタンティモ修道院のご案内




       さて当日は朝からかなりの降りでして、ちょっと山越えをし、
       平地の中のこんな道にやって来まして、
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       近くのアグリトゥリズモの横に駐車し、
       糸杉の並木が続く修道院への長い道を
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       正面の扉と、そのアップ
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       そして円柱と柱頭飾り
       シトー派修道院独特の、簡素な装飾。
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       正面脇の2つの扉の位置からは、中が覗けるのですが、
       覗こうと近づいた所、草むらの水溜りで既にびちゃびちゃ・・!

       もう一度聖堂を見晴らす感じに道を辿り
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       正面の南に延びる建物、往時の威容も忍ばせます。
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       切符売り場の横に広がるカピートロの間・Sala di Capitolo.
       質素なフレスコ装飾ですが、この廃墟風の中で見ると、
       少しホッとする感じで・・。
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       カピートロというのは、本の章とか節の事を言い、
       この部屋に毎日修道士達が集まって修道院の会則の一章を読み、
       その他の様々な話し合いもされたのだとか。



       
       これは隣接の部屋で、面会所・Parlatorioなんだそう。
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       他にもスクリプトリウム・scriptoriumという
       筆写室も見れたようなのですが、見逃し残念!
       2階には修道士達の個室と礼拝堂があるのだと。

       一体全盛期には何人程の修道士達が居たものでしょうか?
       今回数字が見つけられませんでしたが、またのチャンスに。



       
       もう一度建物の外にでて、聖堂に向いますが、
       窓の飾りが残っている部分も見え、
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       入り口脇にあった平面図で、
       奥行き71m 幅21mの3廊式、並ぶ円柱は左右に8本ずつ。
       右横に見える1の部分が上のカピートロの間。
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       聖堂内に入った途端、目に入る水溜り、雨だれ!! ああ!
       そうだった、ここの天井は抜けているんだったっけ・・!
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       左に見える鉄柵部分が入り口で、左の側廊側を入り口に向き
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       写真の手振れご容赦!
       傘を傾けて撮るのに、やはり焦ったようで、
       今回はピンが甘いと思っても、雨が降るのが写っていたりで・・、




       聖堂内入り口付近の、唯一天井が残っていた部分
       アーチの組方も良く分かります。
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       はい、ここだけ地面が乾いていたのですが
       ここに引っ込むと他は見えず、撮れませんで・・。
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       内陣部分から、最初に見た入り口を振り返り
       見事に主廊部分の天井が落ちていまして・・。
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       このサン・ガルガーノ修道院が建設に取り架かったのは
       1218年、聖別されたのが1288年

       名が冠されている聖ガルガーノは、上記した様に
       すぐ近くのキュズディーノの貴族の出身、つまり騎士で、
       正確な姓も記録には無い様ですが、
       ガルガーノ・グイドッティ・Guidotti と。

       1148年頃に生まれ、1181年11月30日没
       彼の時代はトスカーナ一帯に抗争が絶えず、
       このキュズディーノ周辺はヴォルテッラの司教の下にあり、
       当時はシエナ共和国とのいわば境界線にあたり、
       争いも絶えなかった事でしょう。

       こんな時代に青年期を過ごしたガルガーノが、
       放埓で自堕落な我が身を恥じ、夢のお告げに導かれ
       隠者の生活に隠遁した後、亡くなったのですが、

       ヴォルテッラの司教がすぐ、1185年頃に礼拝堂を建設、
       この司教の後継イルデブランド・パンノッキエスキ
       Ildebrando Pannocchieschiが修道院を造る事に

       ガルガーノは既に生前シトー派との繋がりがあったようで、
       この計画は大きな弾みがつき、シエナのたくさんの貴族たち、
       フランスのシトー派教会からの直接の参加もあり、
       1201年には既に修道士たちの最初の活動が。

       建設も迅速に進み、1227年にはすぐ傍らの山の上の教会と、
       これは後ほどご覧に、下の教会も出来、
       1228年には病室が、翌年には修道士達の部屋も終了という、
       一大修道院の発足でした。




       逆に、入り口扉近くから、内陣方面を
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       廃墟に相応しい雨の風景、と思ってやってくださいまし。



       内陣部分にある祭壇部分かな?
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       見上げる主廊部分の壁
       この高さ、この荘厳さ! 当時の威容を想像します。
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       南仏のセナンク修道院もシトー派修道院ですので、
       内部の厳格で簡素な様子が少しでも偲ばれるかと・・。


       大きな疑問は、これだけ素晴らしい見事な大聖堂が
       どうしてこれほどな廃墟になったのか、ですが、
       読んでみると、意外にこの聖堂の命が短かった事を知りました。
       
       1262年に殆どの工事が終了し、1288年には聖別式も。
       修道院に集まるたくさんの修道士達の働き、財産の寄付、
       神聖ローマ帝国皇帝のエンリコ5世、オットーネ4世、
       続くフェデリコ2世からも大きな贈与が続き、
       13世紀の半ばにはトスカーナにおけるシトー派の
       最大の修道院となったと。

       沼地を開拓し、川の流れを利用した水車を持ち、
       毛織物の縮絨機も、製鉄所も修道院内に。
       建築家彫刻家のニコラ・ピサーノと契約を結び、
       シエナのドゥオーモの説教壇を作ったり、
       シエナ共和国との結びつきも深くなり、修道士がカメルレンゴ・
       camerlengo・この場合は財政管理者と、に指名されるようにまで。

       14世紀に入り、事情悪化が始まります。
       まず1328年の飢饉に続き、1348年のペストの蔓延と
       修道院の発展が止まると共に、当時一帯の修道院や荘園が
       そうであったように何度も略奪され、
       現在フィレンツェの花の大聖堂に献身を称えた騎馬像の肖像がある
       ジョン・ホークウッドなど、ご丁寧に2度も侵入を!
       こうしてこの世紀の末には、8人の修道士が残るだけになったと。

       15世紀に入っても状態は好転せず、修道士達はシエナに
       建物を建設し引越し、修道院を放棄する事に。
       ですがまだ建物類は健在ですから、その所有権を巡り
       シエナ共和国と教皇との抗争が始まり、
       1506年には教皇より聖務停止を命じられますが、
       平常通りの聖務遂行で粘るシエナ共和国。

       が1503年より修道院を預かっていた僧の一人が、
       悪辣にも屋根を覆っていた鉛を引っぺがし売り払うという・・!
       これで一挙に建物自体の衰退が始まり、
       1576年には修道院に住むのは、僧服もつけていない
       修道士が 一人だけ、窓のガラスはすべて割られ、
       僅かに病室のあたりのみが残る有様に。

       衰退はどんどん進み、1781年にはアーチが崩れ始め、
       1786年には稲妻にやられた後に鐘楼が崩れ、
       13世紀からの残った大鐘は、溶解され青銅として売られ・・、
       遂に1789年最終的に、教会としての神聖を失う結果に

       まさに失礼な言い方なれど、あがきは長かったものの、
       これだけの聖堂が活動したのは、僅か2世紀間なのでした。



       側廊側のアーチと、円柱角柱と柱頭飾り
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       外壁側の柱の足元
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       外に出て、後陣の後ろ側からの眺め
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       ウィキから拝借の写真で、後陣の上空から
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       19世紀の終りから保存への研究も始まり、
       1926年、新しい建設はせず残った部分を保存、という
       修復が始まり、現在に至っているとの事。



       後陣の後ろから見える上の教会、通称ロトンダ・Rotonda
       と呼ばれるモンテシエピMontesiepiのエーレモ・eremo・隠所
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       ぬかるみの道を、半ばやけくそで、ははは、
       岩に刺さった剣を見たさに、も一つははは、上ります。




       ぐるっと後ろを回る感じで辿りつくと、
       なんと車が止まっているではおまへんかぁ!
       なんだぁ、車で来れたんかいなぁ!!

       いや、中世の巡礼さの謙虚さを見習い、
       はい、こちらが山の上のエーレモ、ロトンダでございます
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       下の聖堂の建設様式にも、シトー派の様式に則った上に、
       エトルスクやケルト、テンプル教団の匂いがある、
       というのですが、ここもまさにその象徴なのだそう。




       円形の主体に、今右奥に人が見える玄関の張り出し部分、
       そして私のいる手前奥に張り出した四角い礼拝堂があり、
       真ん中に見える透明の覆いの中に剣!
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       実際はかなり暗く、この写真を見て初めて、
       あ、猫ちゃんが居たんだ、と気がついたshinkai、残念。




       ぐるぐるとバウムクーヘン式の天井!
       色は煉瓦の赤茶と石の白。 正面下に祭壇用のテーブル。
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       サン・ガルガーノが岩に突き刺したという剣。
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       彼は大天使ミケーレのお告げに導かれ、このモンテシエピに
       辿りつきここを隠所に定めますが、十字架にする木が無く、
       岩に己の剣を突き刺し十字架に見立てたという、   
       1180年のクリスマスの日の事。
       ですから、神に誓いを立て隠者の生活を始めて後、
       僅か1年ほどで亡くなった事になりますね・・。
 
       伝承によると、彼を妬む仲間が留守の間に引き抜こうとするも
       ダメで、その悪さの報いは彼ら3人に下り、川に溺れたり、
       稲妻に撃たれたり、狼に腕を食われたり・・!

       戻った彼は折れた剣を見て悲しむものの、お告げにより
       繋ぐとピッタリと合い、また一本の剣になったのだとか、はい。
      



       傍にあった小さな説明には
        このモンテシエピの頂上にあった岩に、
        1180年ガルガーノ・グイドッティが
        平和と贖罪のシンボルとしてあるように
        剣を打ち込んだ 
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       サン・ガルガーノのあれこれの逸話を読みながら、
       やはり騎士道物語で有名なアーサー王や、
       裕福な商人の家に生まれ、騎士になりたかったものの
       転向したサン・フランチェスコとの、共通点を思います。

       中世に在って、騎士道に疑問を感じる人々も多かったでしょうし、
       案外ガルガーノの選んだ道は内心密かに賞賛され、
       この聖堂の発足が大変順調だったというのも、
       その辺りからの援助も大きかったのかなとも思いました。
       

       ところでこの剣の実証がパヴィア大学の教授によって行われ、
       12世紀の武器である事が証明されたのだそう。
       で、その下に小さな字で、
       1924年頃まで、この剣は岩の割れ目に突き刺されており、
       抜く事ができた、と!  ・・ワシャ知らん。




       円形の主体から左奥に突き出す形の小礼拝堂、
       ロレンツェッティの礼拝堂と呼ばれているのだそうで、
       暗く、目いっぱい露出を上げて撮りましたら、こんな天井画。
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       左に多分聖母に聖人達の祭壇画があるのでしょうが、
       アンブロージョ・ロレンツェッティの作とは知らず、
       それに私の故障持ちの目では到底見れず・・!




       ぐちゃぐちゃに濡れた足で、戻りは車の通り道を。
       距離は長いものの歩くのは楽で、
      
       畑の向こうの聖堂を見つつ
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       道脇の畑に穂を持つ作物、これは何でしょうか?
       雨に煙る風景の中、畝の間に咲く黄色い花が鮮やか。
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       さて、正面近い位置から、煙る聖堂をもう一度
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       聖堂・修道院は毎日オープン、9時から19時
       冬季11月から3月は 9時半から17時半 だそう。

       最後はサイトから拝借の写真で、
       月夜の聖堂をどうぞ
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       長いお付き合い、有難うございました!



     ◆ お知らせ ◆

       広島の絵の友人、田谷行平先生ぎゃらりーたむらにて
       24日から2月1日まで個展を開催されます
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       どうぞお出かけご高覧頂きますよう
       ご案内申し上げます

 
     *****

       水彩ブログには、 納屋の猫 ・ 描き始め を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!    
     
    
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by italiashiho2 | 2015-01-21 02:00 | ・トスカーナ州 | Comments(19)
Commented by cucciola at 2015-01-21 06:14 x
shinkaiさま、

こんばんは。
サン・ガルガーノ、私も訪れたことがあります。
実は結婚後、たまたま見ていたMTVにPOOHというロックバンドが登場して、彼らの歌っている教会跡があまりに素敵だったので、あれはフランスか、イギリスかと夫とおしゃべりをして、よくよく調べたらサン・ガルガーノだったんです。
これがそのミュージックビデオです。
https://www.youtube.com/watch?v=6x8oQNh85hc

この教会、完全な形で残っていたらこうも人の心をひきつけることはなかっただろうなあ、と思うと不思議です。
バームクーヘンの天井は、言いえて妙です!
Commented by シニョレッリ at 2015-01-21 08:49 x
Shinkaiさん、こんにちわ!

かなりの降りの中、お疲れ様でした。
外野席からの勝手な見方では、荒廃した大修道院の建物には実に雨が似合っていると思います。

私が行ったときは、無料で、しかも建物内に自由に立ち入ることが出来たと思います。

「切符売り場」と書いておられるので、有料になったようですね。写真を拝見すると、以前よりも整備が進み、修復も行われたように思いました。

丘上のモンテ・シエピ礼拝堂を見逃す方が多いと聞いてますが、行かれたのは流石ですね。
無料の時は、礼拝堂の扉が何時も開いているとは限らず、折角行ったのに入れなかったことがありました。
Commented by kaida-poppoya at 2015-01-21 12:38
剣にまつわるお話や、黄色い野の花。。。私たちのエリアでは、7月になってから現れそうな花たち。。。ありがとうございます! 愛さんの話では、今シーズン、雪が少ないようですね。。。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-21 14:33
★cucciolaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

あ、お出かけになった事がおありでしたか、やはり一度は自分の目で見たい気がする場所ですよね。
はい、あの形はヨーロッパの北の方の教会ととても共通しているのだそうですから、お2人のお喋りは当りでした。
プーのヴィデオも見てきました。有難うございます。 懐かしいプーですけど、今見ると少し・・ですね、失礼。

まさに仰るとおり、あの廃墟の形で残ったからこそ、しかもあの荘厳さを感じさせる高い壁が見事に残ったからこそ、様々な想像をかき立てるのでしょうね。
あの形には見事に中世を想わせる何かがあると思います。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-21 14:42
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

有難うございます! 案外雨よりも霧だともっと良かったのではないかと、雨嫌いの私は思ったのですが・・。

はい、2エウロ位だったと思うのですが、下には切符売り場がありましたが、上のロトンダの方は無料でした。
上には老夫婦が管理人風で居られたので、冬場などは閉まっているのかもですね。

我々が行った時も工事の人らしいのが何人か居られたので、やはりあちこちの手入れは常にされているのだろうと思った事でした。
翼から続く建物に入れなかったのが残念でした。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-21 14:46
★開田のポッポ屋さん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、すみません、これは昨秋に行った時の写真です。

そうなんですよ、今年は雪が余り無く、温度も高いらしいのですが、2日ほど前にやっと雪が来たとニュースになりました。
ですがそうなると、今度は雪崩の問題があり、そちらのニュースもいくつかです。
Commented by hairpriori at 2015-01-21 15:22
こういう歴史的な
建造物が残ってるのがすごいですね
Commented at 2015-01-21 22:27
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by la_mia_coccolina at 2015-01-21 22:38
shinkaiさん、こんにちは^^
すっかりとご挨拶が遅くなってしまいましたが、新しい年もどうぞよろしくお願い致します。
今年は個展が開催されるとのこと、お会い出来るのを今から楽しみにしております!
サン・ガルガーノはトスカーナでいつか必ず訪れたい場所です!
こちらは完全なる廃墟ではなく、一部分は残っていたのですね!遠くからの写真しか見たことがなかったので、このようになっていたのか!と新たなる発見がいっぱいでますますわくわくしてしまいました^^
モンタルチーノに行くよりも距離としては近いのですね。
そしてここまで行くからにはやはり「剣」は見なくてはなりませんものね!私もきっと土砂降りでも大雪でも行くだろうな。。。と一人想像しておりました^^
shinkaiさんのお陰でいつも妄想の旅が出来てとても嬉しいです!
どうもありがとうございます*^^*
Commented by 小父さん  1 at 2015-01-21 23:08 x
こんばんは、
ご無沙汰です。
インフルエンザ菌と闘っておりました(笑)

『ノスタルジア』?ということでWikiで壁の「1+1=1」やら第九のことなどを読んでまいりました。
ほんと、この修道院は映画の背景にぴったりですね。
というか、ロケ現場のセットみたいにも見えてきます(笑)

地図の下の写真の道を進むと糸杉並木に通じて修道院にぶつかるのですか?
これはセットでは作れませんね!
正面の壁、扉に聖堂を見晴らす感じのアングルからは威厳なり歴史を感じます。

>この部屋に毎日修道士達が集まって修道院の会則の一章を読み

なんだか歴史の舞台いるような錯覚すら覚えます。
面会所はこぢんまりとして格調が高そうです。

>右横に見える1の部分が上のカピートロの間

いやー、これは大きな建物ですね!
平面図とその説明に驚きました。

>そうだった、ここの天井は抜けているんだったっけ・・!

はっはっは、とても臨場感があります。

>左に見える鉄柵部分が入り口で、左の側廊側を入り口に向き、

上の記述では感じませんでしたが、この写真を見ると、本当に「一体全盛期には何人程の修道士達が居たものでしょうか?」と考えますね~。


Commented by 小父さん  2 at 2015-01-21 23:11 x
>建設に取り架かったのは1218年、聖別されたのが1288年

それが今でもこうして残っているとは、今でも保守に費用を使っているんでしょうね。
とても切符売り上げくらいのお金では足りないでしょう。

>1227年にはすぐ傍らの山の上の教会と、これは後ほどご覧に、下の教会も出来、・・・       一大修道院の発足でした

いやー、宗教の力の大きさをここでも感じますね~。

廃墟に相応しい雨の風景、祭壇部分かな?この高さ、この荘厳さなどなど、かえって想像が駆り立てられますね。

>川の流れを利用した水車を持ち、毛織物の縮絨機も、製鉄所も修道院内に。

凄すぎです。

>飢饉、ペストの蔓延、略奪、ジョン・ホークウッドなどの2度の侵入、引越し、放棄に所有権抗争

修道院を作りあげていくのには大変なお金と労力を要したと思うのに潰すのはいとも簡単ですね。

えっ!僧が鉛を引っぺがし売り払う?どこにでも悪い奴はいるものですね。

>失礼な言い方なれど、あがきは長かったものの、これだけの聖堂が活動したのは、僅か2世紀間なのでした

この文言から下の写真にすすむとさみしくなりますね。
Commented by 小父さん  3 at 2015-01-21 23:12 x
>建設はせず残った部分を保存、という修復が始まり、現在に至っているとの事。

やっと命が注ぎ込まれてはじめたわけですね。
      
>バウムクーヘン式の天井に 岩に突き刺したという剣 

こちらは趣が変わりましたね。
ああ、この剣は頂上の岩からの移設なんですね。
しかも、聖ガルガーノが。

>と!  ・・ワシャ知らん。

わっはっはっは!

いやー、畑の向こうの聖堂を見つつ、道脇の畑に穂を持つ作物の間を抜け、煙る聖堂をもう一度、さらに月夜の聖堂までが登場!
よかったですね~。

有難うございました。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-22 00:56
★hairprioriさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうですね、イタリアは修復し使う、残す、という方法を取りますので、それはやはり立派だと思います。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-22 01:01
★Pさん、こんにちは! 嬉しいお知らせ有難うございます!

はい、今これを拝見してちょっとアイディアが来ましたので、相談してみますね。
多分上手く行くと思いますので、お待ちください。

有難うございます! はい、こちらも始まる前にきっとお邪魔する様になると思います。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-22 01:15
★coccolinaさん、こんにちは! わっ、ご挨拶しておりませんでしたね、すみません。
こちらこそ、どうぞ今年もよろしくお願いいたします!!

そうなんです、屋根天井は落ちているのですが、外側の壁とか、中の柱は残っているので、中世の崩れたお城とか要塞よりはもっと迫力を感じますね。
新しい情報を提供できた様で嬉しいです。 是非チャンスを見つけて行ってみて下さいね。
シエナからだと、そうです、オルチャの谷に行くよりも距離は近いです。
そして、そうそう、やはり岩に刺さった剣もね。

我々は修道院に行く前にキュズディーノの町を通り抜けただけでしたが、後で知るとこの小さな町もなかなか良いようです。
お時間があったら、どうぞ。 町からの眺めも良さそうですし・・。
Commented by italiashiho2 at 2015-01-22 01:34
★小父さん、こんにちは! 無事に復帰おめでとうございます。 そして早速のコメント有難うございます!

私もあの映画を見たことは見たのですが、ははは、あの手の難しい理屈はまるで頭に残りませんで、映像だけ覚えていて、「1+1=1」なんてあったっけ?とウィキを読んでまいりました、きゃはは。

ええと地図の下の写真の道は、主道路から曲がって入ってきて、また曲がった部分で、あの糸杉の道にはもう一度角を曲がります。 
広い畑の間の長い道、きっと昔は修道院の持ち物の畑だったのだと思います。

そうです、「薔薇の名前」という映画、ショーン・コネリーが出ていた映画ですが、あの中の中世の修道院の舞台にもなりそうな雰囲気です、まさに。

シトー派修道院に修道士として入るには、全財産を寄付して入る、というのをどこかで読んだのですね。
他の修道院はどうなのかその辺りも無勉強ですが、救いを求める為の寄付も多く、そんなこと全部を含め、修道院の力、財産と言うのは物凄いものだったようです。
そして修道士達の働きと言うのか仕事ぶりは、知もあり、技もあり、力もありで、その集団ですものね、現代の大企業に匹敵するものだったんだろうと想像するのですが。

Commented by italiashiho2 at 2015-01-22 01:50
★小父さん、続けます。

はい、切符は一人2エウロ位だったと思うので、少々観光客が来たとしてもとても保存修復の元にはなりませんよね。
イタリアの国はこんな風に保存するものが多すぎて、いつも資金不足で泣いていますし、時にポンペイやローマの遺跡のように手当てが不足で崩れたりして、世界中から白い目で見られて・・! 考えてみると、この不景気な小さな国が本当に良くやっているよ、と思います。

いやぁ、あれだけの凄い聖堂が、何で、いつからこんな姿に、とそれが疑問でしたが、読んでいて面白いというと不謹慎かもしれませんが、色々不幸な出来事の次々で、悪辣な奴らも次々で、現在のこの姿がこの聖堂の定められた運命だったんだなぁ、と思えました。

あの岩に突き刺さった剣というのは、いわば伝説がらみだと思うのですが、それでもやはりあそこまで行くと見ておきたいですよね、ははは。
あ、あの上の教会が山の頂上に当るので、あの辺りにあった岩なのだと思います。

雨だ、びしょ濡れだと内心ぶつぶつだったのですが、でもこうして今見ると、もっとゆっくり落ち着いて見ればよかった、とも。
こちらこそ、有難うございました!
Commented by クリス at 2015-01-22 22:57 x
こんばんはsinkaiさん!
雨が残念だったと良くわかる写真ですね。
サンタンティモ修道院もそうですが、負け組というかシエナ側にあったので(地理的にそうならざるを得ない)どちらも零落している。サン・ガルガーノはロマネスク好きとして見どころのある修道院です。
ガルガノ半島とは関係ないんだね。

ジョバンニ・アクート(ジョン・ホークウッド)もフィレンツェではフレスコ画にもなった英雄ですが、悪評も高かった人物ですね。裏切りを重ねているから、それも仕方のない事でしょう。
ははぁ、エクスカリバーの剣はイミテーションばかりと思ってました。ほんとうかよ~~!
Commented by italiashiho2 at 2015-01-23 04:46
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、有難うございます! 足元が濡れるだけでなく、カメラに雨が降りかかるので、やはり雨の日は写真を撮るのには最悪ですね。

そうです、そうです、地理的にシエナに近いのが最初は良くても結局は命取りになったのでしょうね。 シエナもフィレンツェの元に下ったのですから。
ジョン・ホークウッドもその辺りの事情もあって、シエナ近辺を荒らしまわったのかも、ですね。

はい、ガルガーノ半島ではなかったです、ははは。

あの剣の写真、岩の割れ目に沿って入り込んでいるように見えませんか? ですからぁ・・、ですね。 
こんな事を書いて天罰が当りませんように!!


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