イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2015年 06月 11日

   ・・・ サン・フランチェスコ聖堂 その1 ・ アッシジ ・・・

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       アッシジの春のお祭りカレンディマッジョをご覧頂いていますが、
       ちょっと休憩、
       サン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francescoと、
       有名なジョット・Giottoの壁画作品について、纏めてご案内を。

       何度も聖堂・バジリカの写真を見て頂きながら、
       中のご案内はしていなかった事にも気がつき、
       ジョットのかの有名な壁画についても最近あれこれ知りましたので、
       そんなこんなを纏め、2回に分けてご案内を致します。

       トップは、まず聖堂を
       坂道を上って来て、最初に目に入る姿。

       正式には、ここは下の聖堂広場・Piazza Inferiore di San Francesco.
       今正面に見えるのが下の聖堂・Basilica Inferiore・インフェリオーレの入り口で、
       右上に見えるのが上の聖堂・Basilica Superiore・スーペリオーレ.
       つまり2層に聖堂が重なっているのですね。
       
       30年前頃、この広場はまだ敷石がされていなかった記憶。



       広場を囲むポルティチに射し込む陽、これは南側
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       町の地図をどうぞ
       町の西端に、サン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francesco
       その右下に、サン・ピエトロ修道院・Abazia di San Pietro
       町の真ん中に、コムーネ広場・Piazza del Comune
       右下町の東端に、サンタ・キアーラ聖堂・Baslica di Santa Chiare
       町から1.5kmほど離れて、サン・ダミアーノ教会・San Damiano
       右上に、サン・ルフィーノ聖堂・Cattedrale di San Rufino
       町の上に、ロッカ・マッジョーレ・大要塞・Rocca Maggiore
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       町を西と東から挟む形で、サン・フランチェスコ聖堂と
       サンタ・キアーラ聖堂が向かい合っている、という形でしょうか。

       サン・ダミアーノ教会



       まず、聖堂に朝日が当る前と、徐々に陽が射しこむ様子をどうぞ。
       5時55分から、6時半頃。
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       いつ見ても、どの時間帯でも、どっしりと美しく典雅な姿!!


       今回は聖堂の建設について、上の聖堂の外部装飾、大好きな薔薇窓、はは、
       そしてちょっぴり聖フランチェスコと、聖女キアーラについてご案内し、
       次回はジョットの壁画についてと考えておりますので、
       よろしくお願いいたします。


       下と上の聖堂が2層になっていると書きましたが、
       高低の差はこんな感じで、上下どちらからでも中に入れ、
       聖堂奥に連絡の階段があります。
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       下の聖堂の、入り口全体の写真を昼間撮っておらず、へへ、
       なにせいつも入り口部分が混んでおりまして、
       様子だけでもと、ちょっと切り取ってみましたが・・、
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       下聖堂の入り口上部
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       聖堂建設は1228年に下の聖堂から始まりましたが、
       これはフランチェスコが亡くなって僅か2年後の事。
       この年7月16日に教皇グレゴーリオ9世により列聖され、
       翌日17日に最初の基石が修道士エーリア・Elia da Cortonaによって
       置かれたそうですが、これらはすべてその1年前に
       協定済みだったとの事。

       この聖堂の位置については、フランチェスコ自身がここに埋葬を、
       そして貧しい者達の為の教会をと希望したという事ですが、
       かって町の西外れのここは、町の下の丘、
       無法者や処刑された者たちの埋葬地だったそう。
       

       エーリア(1180頃-1253)という方は、法学の勉強を修めた後に
       フランチェスコの元に集った最初からの一人で、対外的に重要な
       任務を授けられては果たした重要人物で、それがフランチェスコや
       他の仲間とも対立をもたらした事もあった程と。
       いわゆる大変な切れ者だったのでしょう。

       修道会の副長を務めている時に、後の教皇グレゴーリオ9世の
       好感を得たといい、
       フランチェスコの列聖の速さ、聖堂建設の速やかさも納得ですね。

       サン・フランチェスコ聖堂の下の広場に至る坂道の名が、
       フラーテ・エーリア通りというので、何をした人なんだろうと
       思っていたのでしたが、図らずも知る事が出来たという訳です。




       聖堂内部は昔2、3度入った事があるものの長らくご無沙汰。
       いつも大変な人々の姿でパスしていたのですが、
       今回はやはり拝観して置かないとという気持ちになり、
       朝早く出かけました。

       陽射しが目に痛いほど煌く朝で、
       上の聖堂前に広がる芝の緑が目にしみます。
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       もっと早い時間、朝日が当るのを撮りに来た時は、
       シュッシュッと5つか6つのスプリンクラーが回り、
       なるほど芝が綺麗な訳だと納得しましたが、
        
       昔は生垣も無く、この芝の中に入り込んでペチャッと座り込み、
       聖堂のスケッチをした想い出があり、懐かしい場所。




       広場の上にある「フランチェスコの帰還」像
       裕福な布商人の息子であった彼が、ペルージャとの戦争に参加、
       捕虜生活ののち意気消沈し、アッシジに戻って来た姿。
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       広場の上から見る、上の聖堂入り口
       あっという間に参拝客が増えていき、
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       入り口前で、入って行ったマンマを必死に待つワン君。
       彼の名を聞いたんだけどなぁ・・。 
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       大きくて典雅で、大好きなこの薔薇窓! 
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       薔薇窓を囲む形で四隅にいるのは、4人の福音者のシンボル像で、
       左上が天使像の、マッテオ・Matteo
       左下、有翼のライオン像 マルコ・Marco
       右上、鷲 ジョヴァンニ・Giovanni
       右下、雄牛 ルーカ・Luca 



       煌く朝日の下で見つめ、今回気が付いた事は、
       なんとなしにずっと大理石の彫刻と思い込んでいた
       この薔薇窓が、実は黄金のモザイクで装飾されていた事!
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       入り口前から見上げていて、キラキラ光るのですね、
       それで気が付いたのですが、こんな様子。

       円形の中心部には、内側から見ると、
       黄色のガラスが入っており、それがとても印象的でした。




       周囲を囲む小円柱のひねり部分にも!
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       上部の円形には緑色の詰め物跡も見え、
       そうですね、ちょうどオルヴィエート大聖堂の
       あのキラキラに似た感じがこの薔薇窓にもあったのですね。

       オルヴィエートの大聖堂



       薔薇窓を描きつつ、ん?と思っていた左上のマッテオ像
       やはり首が据え替えられていた、というのか、
       元々から顔部分の石は別の色の石だったのか、も改めて・・。
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       左下のサン・マルコ像のライオン君の尻尾が
       両脚の間を潜り、お腹から背中に回っている事も、ははは、

       そして薔薇窓の下のこのラインの下の小さな彫像群!
       何かくねくねした形が、花かな何かな、と思いつつ描きましたが・・、     
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       なんとこの一列に、中世的動物像、人間の顔を持つのもが
       ひしめいているのを見て、嬉しくなって笑いました!
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       向って右端の鳥の下、一番端には雄牛まで!
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       アッシジのこの聖堂には、中世的イメージの像が無いと
       思っていたのですが、やはり在った! 潜んでいました!

       そうなんです、今回のアッシジ訪問の目的は、
       こんなあちこちの細部確認が、自分に欲しかったのでした。




       上の聖堂内部に入ったのは8時50分位だったか、
       まだ内部には2人ほどの人と、警備の人が行ったり来たりだけ。

       なんとも清々しく、細長く高い荘厳な空気に、ああ、来て良かった!
       青色の印象がやはり強く目にしみましたが、
       外とは打って変わった静かな薄暗い中に、フレスコ画がひっそりと。
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       内部は写真禁止ですのでサイトから拝借ですが、
       この向きが、どちらの写真も上の入り口から入った時の物

       ジョットの壁画と呼ばれる「フランチェスコの生涯」で
       描かれたものは、両壁面に全部で28面、
       壁に埋め込まれた支え柱で区切られた空間に、それぞれ3面ずつ。
       それぞれの画面については、次回にご案内を。
      


 
       上の聖堂のみの図をどうぞ
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       左下の図は、1997年の地震により被害を受け落ちた天井部分
       を示しますが、入り口と奥の祭壇部分が落ちたのでした。 

       修復についてのヴィデオを見つけましたので、イタリア語ですが・・。



       一番奥に連絡階段があり、降りていくと中間のテラス部分に。
       下の回廊が見え、テラスの右手にショップがあります。
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       テラスから見上げる、上の聖堂の後陣部分はこの高さ!
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       上の聖堂は一廊式の細長い高い身廊に両翼が付いた形のみですが、
       一般人は入れないものの実際の建物全体は大変大きな物。
       こちら、上の要塞からの朝の写真と
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       下から見上げる威容。      
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       聖堂建設は、フランチェスコが聖人に列席された没後2年の
       1228年に始まったと上記しましたが、
       下の聖堂の完成は多分1230年、聖フランチェスコの遺骸が
       荘厳に運ばれ埋葬されますが、盗まれるのを恐れ隠されます。

       現在下の聖堂の地下にお墓、石棺がありますが、
       これは1818年に見つかったのを埋葬しなおしたものと。

       聖堂建設についての建築師の名は記録に無く、
       ヴァザーリがヤコポ・テデスコ・Jacopo Tedescoという名を
       挙げているそうですが、憶測であろうと。

       下の聖堂の大きさは、最初の予定では現在のよりも小さく
       フランチェスコ派教会式の長方形の素朴なものだったのが
       早い時期に変更され、大きなものになります。

       修道士エリーアが宗派の総長となった1232年には、
       聖堂をもっと大きく2層のものとし、宗派の創始である
       聖フランチェスコの栄光を称えるものとする事を決定。

       というのも、フランチェスコの没後2年間の間に、
       彼の人間像、業績がキリスト教の歴史において
       最も重要で意義深いものとみなされるようになり
       民間信仰、巡礼の大きな広がり増加もあり、
       これを踏まえての教皇とフランチェスコ会派との強い結びつき等など、
       最初のためらいを越え、ここに威容を誇る聖堂が出来上がります。

       ゴシック様式への変更は、1241年に総長となったイギリス人の
       アイモーネ・Aimone da Faversham(イタリア語読みで)の影響が
       大きかったろうと見られるのも、彼がアルプス以北の親方衆を
       呼んだのだそう。

       これで上の聖堂の正面壁にロマネスク様式が残り、
       内部の骨組みは違うのも納得ですね。

       聖堂の完成は1253年、聖別式も執り行われていますが
       やはり資金不足は続いており、内部の様々な完成は後々にまで。

       とはいえ、下の聖堂のフレスコ画装飾のいくつかは13世紀後半に、
       そして上の聖堂の装飾も済んでいたであろうという事ですが、
       この詳細については、次回に。




       では現在イタリア国の守護聖人とされるサン・フランチェスコは、
       どんな人となりで、どんな生涯をおくったのかをちょっぴり。

       こちらが下の聖堂に残るチマブーエ・Cimabueが描く姿
       色々な聖人像があるのですが、これが一番良く似ている、といわれるもので、
       余り背も高くない方だった様子。
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       聖人賛美風は苦手ですので、簡単シンプルに。
       カトリック教会が認めているのは、1182年9月26日生まれ
       亡くなったのは1226年10月3日 44歳の生涯でした。 
       父親はピエトロ・ディ・ベルナルドーネ・Pietro di Bernardone
       母親はフランス人のジョヴァンナ・ピカGiovanna Pica

       洗礼を受けた時の名はジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ベルナルドーネ・
       Giovanniだったのですが、当時としては例外的に、父親は彼の名を
       フランチェスコ・Francescoと変えます。

       布商人として彼に幸運をもたらしたフランスに対してか、
       はたまた妻のピカがフランス女性だったからか・・。

       一応の教育を終えたフランチェスコは、14歳から父親の仕事を
       継ぐべく働き始めますが、彼の青春は裕福な家柄や貴族の息子達との
       享楽的なものだった様子。

       それに変化を齎したのがペルージャとの戦争で、
       1202年の戦争には彼も参加し捕虜となり、1年後に父親が
       身代金を払い、アッシジに戻ったものの重病に。

       どうやらこの辺りで、彼の心の中に変化が起こり始め、
       自然の中に孤立して過ごしたり、貧しい者達への哀れみの心が
       湧き上がって来た様子。
       
       それでもまだ1204年頃、南イタリアのレッチェ・Lecce の
       十字軍に参加すべく出発を。
       当時のヨーロッパにあって、騎士として十字軍に参加するのは
       最高の名誉とみなされていましたし、彼も騎士になりたかったのですね。

       所がスポレート・Spoletoに到着した所でまたもや病となり、
       初めて深く回心したといわれ、アッシジに戻ります。

       一番大きな逸話として語られるのが、1205年サン・ダミアーノ教会で
       祈っていた時に十字架が3度彼に語ります。
       フランチェスコ、見るとおり崩壊している私の家を修理しなさい、と。

       この後父親の店から盗んだ布や馬をフォリーニョ・Forignoの町で
       売り払い、その金を司祭に渡したりし、
       激怒した父親は、罰を受けた息子の対応の変化を願いつつ、
       司法官に訴えます。が、
       
       1206年の1月、アッシジ全部が見守る司教館において、
       父親が話し終わるや否や、
       何のためらいも躊躇も無く、すべての衣類を脱ぎ父親に渡し、
       「今までこの世においては父親と呼びましたが、これ以降は
       絶対の確信を持って、天にいる父が我らの父。
       なぜなら彼にすべての私を渡し、私の信頼と希望のすべてを
       預けているからです」と決別。 
       フランチェスコ24歳のとき。

       こうして極清貧の生活を集った仲間と送りながら、
       布教に努め、貧しい人々の救済に当ったわけですね。



       これらが、現在残されているフランチェスコの修道服
       下のは、最後の物と。
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       これはアッシジの下の町、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・
       Santa Maria degli Angeliの聖堂内にある
       フランチェスコが亡くなった小教会ポルツィウンクラ・Porziuncola.
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       彼の生涯における様々な宗教的逸話は、上の聖堂の壁画に
       描かれておりますので、次回にご覧頂きますね。

       今回、聖堂の北の林の中の道、散策に適した道が
       「フランチェスコの森・Bosco di San Francesco」として、
       解放されているのを知り、ヴィデオも見つけましたので、どうぞ。




       今回は説明文が長くなりましたので、すみません、以降簡単に。

       最後はフランチェスコの元に宗教生活に入り、
       後に女子修道会クララを設立した聖女キアーラ・Santa Chiara
       下の聖堂にあるシモーネ・マルティーニ・Simone Martiniの作品で。
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       町の東にあるサンタ・キアーラ聖堂。
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       ここにも大変清楚で可憐な、美しい薔薇窓
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       次回もよろしくお願いいたしま~す!
     

     *****

       水彩ブログには、 サン・ジミニャーノ 雲海の朝 を詰めています を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!    
     
    
     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       


   


by italiashiho2 | 2015-06-11 01:55 | ・アッシジ | Comments(14)
Commented by hairpriori at 2015-06-11 10:17
建物の
細かい装飾が
素敵ですね
Commented by italiashiho2 at 2015-06-11 20:37
★hairprioriさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、私も大好きです。
Commented by 小父さん at 2015-06-13 02:05 x
こんばんは
最初の聖堂を見て「様子だけでもと、ちょっと切り取ってみましたが」の下の写真にいくと
その規模の大きさに驚きますね。

>ポルティチに射し込む陽、これは南側

ここが素敵です。
通路だけに使っているとしたら贅沢ですね。
ちなみに大丸神戸店だとこんな所にカフェテラスを置いています(笑)

聖堂や教会が建て込んでいる地図を見ると、京都の寺院と比較してしまいます。
そうか、石建築もさることながらその財力を感じますね。

サン・フランチェスコ教会のまた大きいこと、ここにそれだけの人も集まったということでしょう。

サン・フランチェスコ聖堂への光と影、素晴らしいですね。
えっ、これ35分間での移り変わりなんですか!
いつか真似しなくては!
でも5時か5時半起きくらいなんですね。
やはり、一番下が好きです。

>様子だけでもと、ちょっと切り取ってみましたが・・、

下にもこんなりっぱな入口が!
これは豪華です。
というよりきっと上からも下からも大勢の信者が詰めかけたんでしょうね。

>聖堂建設は1228年に下の聖堂から始まりましたが、

順次建設されたんですか!
Commented by 小父さん 2 at 2015-06-13 02:07 x
>町の下の丘、無法者や処刑された者たちの埋葬地だったそう

驚きですね。

>フラーテ・エーリア通りというので、何をした人なんだろうと

エーリア(1180頃-1253)を検索しましたが、shinkaiさんのこのページしか出てきませんでした(笑)

>陽射しが目に痛いほど煌く朝で、

芝生の鮮やかなこと、手入れも念入りなんでしょう。

>捕虜生活ののち意気消沈し、アッシジに戻って来た姿

このような銅像って珍しくないですか!?
(すみません、下まで読んでこの値打ちの一端がわかりました)

>大好きなこの薔薇窓

これ強烈ですね。
圧倒されます。
一体何人の職人がどれだけの時間をかけたのか。
お金に換算したら想像もつきません。

うわー、日光東照宮の「見猿聞か猿言わ猿」を思い出しました(笑)
規模の大きさですよね!

>こんなあちこちの細部確認が、自分に欲しかったのでした。

これを知っている日本人ってごく僅かでしょうね。
Commented by 小父さん  3 at 2015-06-13 02:08 x
>青色の印象がやはり強く目にしみましたが、

数多くの聖堂内部をご覧になっていても、それぞれの感動ってあるんでしょうね。

修復についてのヴィデオに見とれていましたよ。
日本だったら解体して新しく作り直しそうな気がしてきました。
これだけの文化を守る人たちと予算をかけるのですね。

まあ日本の城や寺院の修復などもよく似たことはしますが、そこに絵画、フレスコ画ですか?あるのが大きな違いの気がします。

>テラスから見上げる、上の聖堂の後陣部分はこの高さ!

これを見上げるだけでも修復の足場を架けてと考えると気が遠くなりそうです。

>荘厳に運ばれ埋葬されますが、盗まれるのを恐れ隠されます

盗難もありですか!
大変ですね。

>早い時期に変更され、大きなものになります。

これを変更するだけでも大工事だと思います。

>彼の人間像、業績がキリスト教の歴史において最も重要で意義深いものとみなされるようになり

いやいや宗教の力の大きさですね。

>上の聖堂の正面壁にロマネスク様式が残り、内部の骨組みは違うのも納得ですね。

いやいや、私が体験した建築物なんて言わば「見猿聞か猿言わ猿」みたいなものだと感じます。
Commented by 小父さん  4 at 2015-06-13 02:09 x
>フランチェスコ24歳のとき。

守護聖人とされるサン・フランチェスコを上から読んできてえーってもんです。

フランチェスコの森・Bosco di San Francesco」を拝見してイメージしたのは
比叡山や高野山です。
やはり、宗教や修業には大自然というバックグラウンドが似合うのでしょうね。

いやいや、下の記事もありますが、これだけの記述、資料、歴史をまとめられることを尊敬しますが、中身が濃いし量が多いだけにもったいない気もします。
そうですね3分の1くらいずつのシリーズでもいいのではないかとちょっと思いました。
ほっといてくれと叱られそうですが!(笑)

有難うございました。
Commented by italiashiho2 at 2015-06-13 04:22
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

ポルティチ、大丸神戸店だとこんな所にカフェテラスを、で吹き出し、笑いが止りませんでした、ははは。
いやぁ、本当にあのポルティチは雨の日とか、暑い陽射しを避けるために座る位で、いつも空いているのですね。 こんなアイディアがありますが、と教えて上げたいくらいですね、ははは。

そうなんです、宗派始祖のフランチェスコは厳しい清貧生活を続け亡くなったのですが、その没後2年にして即この大聖堂が建設され、以後700年以上、小さな声で言いますと、はは、その始祖のお名前と業績で稼ぎまくっているわけで、その辺がこの世の矛盾ですねぇ!
ですが、そのお陰で我々も素晴らしい聖堂を眺め、素晴らしい装飾に感嘆できるわけでして・・!

朝日、夕陽を狙うのでしたら、冬の方が楽です! 寒さが厳しいですが、その分時間が朝は遅く、黄昏は早いですから。 ただちょっと色味が違いますけど。

薔薇窓、素敵でしょう?! 遠くから見ると単なる平面的な形だけのイメージなんですけど、近くから見ると、あの石の厚み! 圧倒されます。

何度か行って、写真もたくさん撮っているアッシジなのですけど、いざ描き始めると、そのつもりで見ていなかった事に気が付くのです。
私は知っている事しか描けないタイプなので、しっかり自覚して描きたいのですね、知っている事を全部描く訳ではないのですが、知っていて描かないのと、知らずに描くのとでは、私には大きな違いなのです。

Commented by italiashiho2 at 2015-06-13 04:39
★小父さん、続けます。

ああ、修復のヴィデオを見てくださいましたか、有難うございます!
あの地震で天井部分が落ち、その欠片を拾い集めて修復したのですよね。
イタリアの守護聖人のみならず、世界各地からの信者が集まるあの大聖堂を復活させる為に、まさにイタリアは国の威力を掛けたと思います。 僅か2年で修復したのです!
国庫からのお金がドンと出たと聞きました。
「あった場所に、あった様に」、これが修復の根本理念のようです。

フランチェスコの森、もなかなか素敵でしょう?! 
そうですねぇ、比叡山も高野山も素晴らしいですものね。 やはり町中の日常生活ではなかなか瞑想生活は出来ませんよね。


小父さん、有難うございます! 相手が超大物ですから、これだけの説明では到底不足なのですが、それでもなんとか順序だってありふれた聖人伝らしくなく、自分が出来る範囲で、したい範囲でと、ははは。
そしていつも重くなり、敬遠されるのでしょうが、ははは。

有難うございました!!


Commented by クリス at 2015-06-13 08:26 x
おはようございますsinkaiさん!
カレンディマッジョのお祭り風景から興味深く拝見させていただいております。
フランチェスコや、大聖堂の説明など私は面倒くさくなってしまうのですが詳細に解説され、お疲れ様ですと、つい言ってみたくなってしまうのですが、そんな怠惰な事ではいけませんよね。
アッシジは元々は皇帝派の力の強い町だったので、貴族階級の多いソプラ地区は元々皇帝派、新興ブルジョア階層のソット地区が教皇派(厳密には教皇というより貴族階級への反抗)という色分けになるのでしょう。
フランチェスコも内乱時に、ソットの一員として加担した可能性(まだ幼い少年だった)があるのですね。
エーリア・デ・コルトーナは、神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世の幕閣の一人となった人物です。教皇との調停役も務めたそうですが、皇帝ともども破門宣告も受けていますね。
皇帝の死後、許されて破門は取り消されていますが、なかなか有能な官僚タイプの修道士のようです。
修道会の発展は彼の力による所が多いようですが、このような人物はフランチェスコ本人にはあまり好かれなかったようです。
ちなみにフェデリコ2世は、アッシジの大聖堂で幼児洗礼を受けているのですよ。
Commented by italiashiho2 at 2015-06-13 12:56
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

いや実は真っ正直に聖堂についても読んだことがありませんで、ははは、なんとなしに分っていた気でいたのですが、あの位置とか、エーリアの事などが出て来て面白くなったのでした。

エーリアについては、フェデリコ2世の相談役になったというのを読み、あ、これはクリスさんご存知だぞ、と思っておりましたが、やはり!
彼のような切れる人物は、やはり活躍できる大きな舞台が必要だったのでしょうが、破門処分というのは大きな代償でしたね。
フランチェスコは一筋に清貧生活を良しとし貫きましたが、そういう宗派も認められ大きくなっていくには有能な対外交渉役、駆け引きが必要でしょうし、その辺りの性質の違いなのでしょうね。
そうですか、フェデリコ2世があそこで洗礼を?! それは知りませんでした。 

いまや歌と踊り、綱引きやソリ競争で平和的に争っていますが、あの対抗意識振りは半端ではないです。
やはり長年争ってきた深層心理が垣間見える、という感じですよ。 だから尚盛り上がって面白いのですが、ははは。
Commented by kaida-poppoya at 2015-06-13 14:36
お久しぶりです! とても行けそうもないエリアを、いつも覗かせて頂いて、有難うございます。 10月も、迫ってまいりましたね!  ダックスのワンちゃんに注目!(笑)
我が家の「福ちゃん」も、大きくなると、
キットこのように。。。フフフ、、、 マンマと、駅長さんのストーリーに乗せられまして!(汗)
Commented by italiashiho2 at 2015-06-13 20:50
★開田のポッポ屋さん、こんにちは! コメント有難うございます。

ははは、早速にワンちゃんにお目が留まりましたね。
はい、拝見していますよ、可愛い福ちゃん!!
福ちゃんは長毛ですよね、同じダックスの種なのですか?
毎日子育てが大変でしょうけど、でも可愛さに大変さを忘れられている事でしょう!

ははは、ダメですよ、駅長さんのせいにしては! 乗せられたのは、乗りたい下心があったからですものね。

はぁい、10月に抱っこさせて貰えると嬉しいですねぇ!

Commented by kaida-poppoya at 2015-06-15 21:06
ウフフふ、、、私の心の奥底も、覗かれつぃまいましたね! (汗)  ところで、アッシジから戻った姿の銅像ですが、馬も人もうな垂れて、、、どんな銅像も、凛々しく胸を張る姿と思いますが、これはまた、、、??? 開田高原に来られたら、好きなだけ「木曽馬」のデッサンを! 10月の中は、里も紅葉真っ盛り!
Commented by italiashiho2 at 2015-06-16 06:18
★開田のポッポ屋さん、再度有難うございます!

ははは、福ちゃんとお孫さんとで、お忙しい毎日ですね!!

はい、あのうなだれたフランチェスコの銅像ですが、戦争に行き捕虜になり、父親が身代金を払い、病んで戻ってきた姿なのですが、
あの消沈して戻った事がそれまでの享楽の生活を省み、新しく宗教生活に入るきっかけとも言えるわけで、
その結果の、大聖堂前にあるという事だと思います。


はい、有難うございます! お邪魔するにしても1時半過ぎに致しますし、それ以前にご連絡いたしますね。


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