イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2016年 07月 24日

   ・・・ 修道院、地下教会、異端審問所、輪の競走 ・ ナルニ ・・・

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       先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
       今回はちょっと特殊異質な場所へお連れ致しますね。
       
       上の写真は地下教会のものですが、
       この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループで、
       現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
       地下室の新しい発掘にも働いておられる「UTEC」から送って頂いたもの。

       サイトは http://www.narnisotterranea.it/

       内部写真は禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら
       送ります、というので大いに期待してお願いしましたら、
       上の写真を含めたったの3枚!が届き、
       それも雰囲気を盛り上げたキャバクラかと思うような照明のもの!!
       
       がっかりで、ここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しましたが、
       お陰で結構見つけ、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものを
       ここで使わせて頂き、
       サイト名の入っていないのが、拝借した写真です。
       



       先回ご案内した元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場などに
       用いられている、その地下に
       12世紀の地下教会と異端審問所があったのですが、

       現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、
       町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
       こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのに曲がります。
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       一番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、




       広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
       そこで以前の訪問でも見た覚えの、この塔を撮っていましたら
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       一人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せましたら、
       すぐ仲間を連れて戻って来て、ははは、全員でポーズ!
       こうして見ても、性格や将来の顔立ちも分かるようで面白いでしょう?!
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       右上角で笑ってみているのはアンジェラで、
       以前ちょっと書きました、50年前日本からの養蚕指導に訪れた
       松本からの日本人達と、暫く働いたという彼女です。




       広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が
       事務所、切符売り場。
       上の広場からはかなりの高低差
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       事務所から外に出れるようになっていて、その庭からの眺めがこれ
       つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、
       奥の山腹に見えるのは、サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano
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       アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、
       ナルニに向って谷底の道を来る途中で見上げる高さに見えましたが、
       10世紀に建設されたベネデッティーノ派の修道院
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       サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真
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       14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、
       16世紀頃から僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、
       建物の衰退も著しく進み、1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
       
       内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、
       時代が混乱するような部分もあり、
       さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか・・。




       遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、
       修道院の領地だったという事ですが、

       こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて
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       私はこの花びらの形が柱頭の飾りの形になったと思っていたのですが、



       この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が
       装飾文様に使われたのだそうで、
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       コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り
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       いやぁ、やはり花びらの形も装飾文様になっていたと・・。




       さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
       入り口の様子を一連でご覧頂きますと
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       最後の写真の軒下に見える左側の鉄柵の付いた扉口
       これが発見された地下教会の入り口で、
       上のさし掛け屋根はかって発見された時はなく、
       手前の前庭、この一帯は当時住み着いていた老人の
       家庭菜園だったのだそう。



       つまりです、1979年の5月、青年ともいえない少年の年頃の
       6人が洞窟探検と称し、新しく手に入れたロープの装備を使い、
       左側の高い壁を伝って、この庭に下りたのだそう。
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       第二次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
       きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。

       所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていた
       エルナーニ・Ernani の上に舞い下り、畑を荒らした少年達に
       老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
       エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っている!と。

       上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、
       今でこそ張り出しの屋根も付き、鉄柵も装備されておりますが、
       当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し開いていたのだそうで、
       エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、自分は潜りこむ気もなく、
       少年達に教えたわけですね。




       これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループ
       UTECの創立者でもある、ロベルト・ニーニ・Roberto Nini
       が一番の年長で20歳だったそう。
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       このロベルト・ニーニは、リンクしますあれこれの
       Youtubeに登場して、地下教会や異端審問所に付いての
       説明をしておられる方で、
       彼はこの後大学に進み、考古学を修められたのだそう。
       ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする
       歴史の謎が、彼の一生を決めたという事ですね。




       潜り込んだ少年達が見つけたのはこの地下教会!
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       たっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が上から浸み込み、滴り、
       発見された当時は、上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、
       それでもフレスコ画に描かれた左右の天使の目が射る様に見えたと。

       左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、
       発見されて後12世紀建設のこの教会は改めて聖別を受け、
       サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと呼ばれますが、
       元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
       分かったのだそう。




       少年たちは周囲の壁を叩き音響の変化を探り、
       ある部分の壁の奥が空白であるのを知り、崩したく焦りますが、
       隣に住んでいる住人のシニョーラが、自分の家にも被害が
       及ぶのを恐れ許しません。

       で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行。
       するとその奥に、長い細い通路が口を開け!!
       

       その通路の先には広い地下室があり、
       それがかっての異端審問所であった事が分かったのですね。
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       異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを
       審問する所、その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
       恐ろしい事は、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も
       拷問を受けたこと!

       ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった
       地図で分かったと言いますが、

       ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
       右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、は、
       ここに残っていたものではない、という事でしたが・・。

       に、拷問の図も出てきます。
       



       そして審問兼拷問所の横にある、そう広くも無い独房がこれ
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       壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
       
       これの殆どを掘り込んだ人物は、
       Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・アンドレーア・ロンバルディーニ、   
       と彼自身が刻んでおり、
       彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
       意訳して、カトリック教会での最高権威を持つ(事務所)とでも?
       に勤める伍長で、
       逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
       



       一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
       その左右に IL PARA   TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
       にも見えるように、わざと D の字が省かれ、T で置き換えられています。
 
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       これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
       自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
       D を意識し、憎み、省いたものだろうと。

       R が我々には V かとも見えますが・・。
       引っかき削り込んでいて、赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。

       中には、シンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた
       観光客の一人が、あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたり、
       とにかく全部の壁一面に広がっておりますが、未だに書かれた意味が
       判読できないものもあるそう。

       4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、
       彼がこの独房で過ごし、取調べを受けたのは
       約3ヶ月間だったろうといい、その後特赦を願い3年後に許しが出て、
       その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。

       彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが、
       10年ほど前に分かったそうで、
       独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、
       の名前が見えるそう。

       
       そして彼の他にも一人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・
       Domenico Ciabocchiで、1726年の4月重婚罪で逮捕され、
       この独房に入れられたのが、看守を絞殺して逃げます。

       逃げた後どうなったかを、ガイドさんが話してくれましたが、
       逃げたものの2人目の妻が恋しく便りを出し、ははは、
       勿論ちゃんと見張りがついていて、会う約束を教皇領との境の町にして
       返事を出し、やって来たのを再逮捕した、という事。

      
       この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり
       1860年にイタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し
       修道院を略奪したので、ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡
       老人達の言い伝えで、町に地下があると言われていたものの、
       誰も見た事がなかったのを6人の少年達が見つけ出した訳です。

       つまり新しいイタリア国が出来る直前まで、19世紀まで!
       我らが中世からの歴史の1つと思い込んでいた
       あのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!

       という事は、
       きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
       ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。

       
       そして重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが
       見つかったのだそうですが、
       全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
       トリニティー・カレッジの図書館から!

       これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては
       ちょっとした鳥肌物の因縁話の様にも感じられたろうと思うほど
       興味深い話なので、ここにご披露しますね。

       つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、
       しっかりパリに持って帰っていたのを、
       ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
       大したものではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
       一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
       
       それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていた、というのも、
       一学生がここの見学に来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると

       ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか
       稼いでは保存費用、新しい発掘に使っているのだそうで、
       到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
       ヴァティカン古文書館でコピーを頼むと、1枚80エウロなんだそうで!
       半ば諦めていたのが、
       ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!
       それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、

       漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に
       地下の異端審問所の働きが明らかにされた事になります。

       Youtubeはイタリア語のみで、説明も重複しますが、
       2つ目のには、町のご案内もありで、

       町のみのご案内は




       長々とお話しましたが、
       他の地下室を利用しての展示もされており、
       その中のひとつ、
       ちょっとこれは見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を
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       真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、     
       その建設などに使ったものがこれ。
       上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり
       これを支柱の後ろから眺め、真っ直ぐの位置を決め、
       先行する杭打ちに指示したというもの。

       そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな
       美しい道が出来たのですね。




       こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、
       中央にしゃがんでおられるのが、ロベルト・ニーニ氏
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       地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間
        6月15日から9月15日まで
         月曜~金曜12時と16時  土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
       
        4月1日から6月14日  9月16日から10月312日
         土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半

        11月1日から3月31日
         土曜 15時
         日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分

         クリスマスは休館

        ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイドですが、

        日本語は・・?


        予約は 333.1041645 または 0744-722292

        info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事



     ★ 追記です ◆


       シニョレッリさんが2017年6月に行かれた際に、

       見学人が少ないため事前予約のみ受け付けている、との事で

       閉まっており、見学できなかったそうです。


       ので、サイトを確かめましたが時間は上記の通り、

       グループ以外の予約は必要ないとの事ですが、


       ご希望の方は予約をされた方が良いかと思います。






       地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見
       写真なし、うろつきなしで、こういう柱の壁画などは見られず・・。
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       今回は少し重いお話が続きましたので、
       最後は、毎年5月に行われるナルニの町を挙げてのお祭り
       「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧頂きますね。

       これは中心通りで繰り広げられる「中世の市」
       様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?
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       「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、
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       これは2015年のものですが、余り手振れが無いので、




       美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。
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       競技の模様を2枚
       吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、
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       競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
       競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。
       済みません、詳しく読む余裕がなく・・。




       勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、
       ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!
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       最後は落穂ひろいを、ははは。
       先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
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       1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたのを見つけました。
       ルーヴルに収蔵されているようですが、

       なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
       私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。
       今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
       現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?

       それにしても遥かフランスから、ウンブリアの南のナルニまで、
       あの当時どの位かかって辿り着いたのでしょうか?!
       その画家魂に、敬意を表しますです。


       という、ナルニのご案内その2でした。
       お楽しみ頂けました様に!



     ◆ 嬉しいご案内を ◆

       皆さんは「ルネサンスのセレブたち」というブログをご存知でしょうか?

       ルネッサンスのみでなく、ローマ期の歴史も含め、様々な人物や
       絵画、歴史上の事柄に付いて詳細に書かれているブログで、
       書き手はCuccila・クッチョラ・子犬さんと仰います。
       この名はイタリア人のご主人が、小柄な奥さんに付けられたとか。

       ブログの最初からファンになったのですが、
       しっかりした文章、内容、そしてローマ大学に留学され
       勉強された事なども知るにつけ、
       いつか必ず何かを成し遂げられる方、と思い、
       遠くから、頑張って下さい!とエールを送って参りました。

       彼女とは未だお会いした事なく、メールで時々のやり取りなのですが、
       それでもお付き合いはもうかなり古く、
       暫くしてお生まれのお嬢ちゃんが、この秋から小学校に!
       というお付き合いです。

       その彼女がどうやらウェブ・マガジンの書き手となったらしい、
       というニュースを知り、メールをしましたら、
       暫く前にお返事を頂き、
       
       講談社の Courrier  クーリエ・ジャポン
       というウェブ・マガジンに記事が既に記事が2つ掲載された事、

       「薔薇の名前」のウンベルト・エーコの遺言に付いて
 
       イタリアの「観光できない楽園」をめぐって

       偽イタリア産食品に気をつけろ
       
       これ以外の新しい記事は、署名が出ないので探しようがなかったのですが、
       新しい記事も既に載っているのかもしれません。

     
       そして別のウェブ・マガジン CIRCUS には

       ダ・ヴィンチの食堂 第1回 天才達の食事情   
       雑誌は月刊のようで、アドレスで出なくとも、
       右のカテゴリ欄「最近の記事」から読めます。
       
       第2回 美食の国イタリアの給食あれこれ
       と載っているのを拝見できました。

       こちらは署名入りですし、「ダ・ヴィンチの食堂」で
       調べられますね。

       Cucciolaさんのファンの方、またそうで無い方も、
       どうぞ彼女のブログ以外の記事にも、ご訪問お願いいたします


       cucciolaさん、遂にご自分のされたかったお仕事を始められ、
       本当におめでとうございます!!

       現在されているお仕事、お家の事、そして子供さんの事、
       様々にお忙しい日常の中で、別に調べて書く仕事が増えるのは
       大変だろうと思いますが、
       幸いご主人が協力されて下さっていると知るのも、心強く、

       ご自分の念願に向って、次なる飛躍に向けて
       体調にお気をつけ、大いに頑張って下さい、と応援いたします!!

       フレー、フレー、クッチョラ!!
       


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、お終いと、描き始めと、 カルページカ村の日の出 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       


    
     


by italiashiho2 | 2016-07-24 00:43 | ・ウンブリア州 | Comments(10)
Commented by シニョレッリ at 2016-07-24 13:48 x
shinkaiさん、こんにちわ!

今回のお話にはビックリ、目から鱗です。異端審問所が19世紀まで続いていたとは!
有難うございます。これでナルニに再訪したくなりました。

ドメニコ会は、他の会派と違って少し狂気さえ感じる会士ばかり輩出させた気がします。異端審問を主宰し、判決を下した殆どがドメニコ会士だったと読んだことがあります。スペインで8千人を異端で焚刑したのもドメニコ会士だったと思います。

cucciolaさんの近況は、shinkaiさんに教えて頂くまで知りませんでした。ブログは休止中と思っていたので、近頃ではアクセスしたことがありませんでした。
教えて頂いて有難うございます。
Commented by italiashiho2 at 2016-07-24 21:08
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうなんです、本当に驚いたのは、15,6世紀のものと思っていた異端審問が19世紀まで続いていた、という事なのでした。
イタリア統一運動がナルニにも及び、ドメニコ会派の修道院の存続が危うくなるまで続いていたというのが、怖ろしいですね。
入り口を石積みで隠蔽して逃げた、というのは、まるで占領軍の逃げ方、ナチもやった逃げ方ですものね!

そうなんですよね、ドメニコ会派のそういう話は良く出ますよね。 狂信的というのか、半端でない宗教盲信というのか、こういうのは現代のISISと同じで怖いです。

はい、是非ナルニを再訪され、ギルランダイオの美しい祭壇画と、この地下にもお出かけください。
時刻表を追記しました。

cucciolaさんは本当にお忙しいようですが、新しい記事の更新があるのを昨夜見ましたので、後ほどお邪魔しようと思っています。
Commented by クリス at 2016-07-25 17:52 x
地下教会の美的価値と、異端審問所については切り離して考えなければならないならないでしょうけれどなかなか興味深い話でした。イタリアには地下教会や洞窟教会等の発見が1950年代以降にいくつもありましたが、これもその一つになるのですね。サン・カッシアーノ修道院とアカンサスの話も面白かったですよ。現在は見学できるなでになっているのしょうか、興味がわきますね。
Commented by italiashiho2 at 2016-07-26 00:22
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、後で見た異端審問所の方がインパクトが強く、あれこれの逸話も興味深くて、ついもっと知りたい、ここにも出来る限り詳しい事を書きたいと思いましたが、

そうなんです、あの地下教会は考えてみると、元のサンタ・マッジョーレ教会に最初は属していた筈ですね。
で内部にローマ期の物と見られる井戸もあったですし、あの審問所や牢の他にも幾つか部屋があったのです。 後から増えたにせよ、もともとの歴史が分かったら面白いだろうと思います。

地下教会や洞窟の発掘、考古学的発見はやはり世の中が平和にならないと無理なのでしょうね!

サン・カッシアーノ修道院も写真を見ると窓が開いているので、住んでいるのかもしれませんし、調べてみますね。

クリスさん、あのアカンサスの花びらの形、柱頭飾りにはありませんか?
Commented by クリス at 2016-07-27 06:06 x
完全に断言は出来ませんが、知り限りにおいてロマネスクの柱頭彫刻としてアカンサスの花形を模った物はありませんね。ただ花形の彫刻といのはどこかで見た記憶がありますが、情けないかな思い出せないし、確かロマネスクの物では無かったと思います。
葉の文様は、元々ギリシア・ローマの柱頭を模した物ですし、古代のオリジナルを流用したり、模して作ったりした物が流行った経緯はあります。人頭彫刻などはむしろロマネスクのオリジナルになりますから、個人的にはそちらに、より興味がいきますね。
Commented by italiashiho2 at 2016-07-27 13:55
★クリスさん、再度有難うございます!

ええと、花形というよりは、花びらの横並べといういう感じで、
トゥレヴィーゾのサン・ニコラ教会の見学の時に、花びらが上向きか下向きで、xxが分かる、という説明を聞いたような記憶が残っているのですが・・。

はい、確かにあの文様はギリシャの影響なのでしょうね。
そうそう、あの人間の顔があるとか、動物がうごめくとかの方が断然楽しいですよね。

有難うございました!
 
Commented by MUSICA at 2016-07-27 16:29 x
暑い毎日です。今回もすばらしいレポートで興味深く拝見しました。!
ご無沙汰のようでも毎回ずーと欠かさず拝見しています。私の中に湧いてくる興味に添ってまるで心を読んでいるように話しを展開してくださるので。
ぼんやり通り過ぎて見物に終わった過去の旅も色々思い出させてくれます。
旅だけでなく、過去に経験したことも書いておかなくてはと言う気持も出てます。
特に”ここであの方がこう話された”とかは消えては勿体ないと。
もっと確かに物事を見よう。と思えるのはSHIHOさんのおかげ。
さてイタリアだけでなく、どこを見学してもこういう悲しい不の遺産があって、でも根本的には人間の性(さが)はいつやむのでしょうかと、後味にのこりますね。。
Commented by 小父さん at 2016-07-27 19:14 x
こんばんは

しんかいさ~ん!たくさんのYouTubeとリンク先を拝見してちょっとエネルギーを使い果たした感ありです(泣)

ただ、6人の少年たち(たまたまなのか幼児も6人ですね)の冒険で、
ハリウッド映画の Stand By Me  → https://www.youtube.com/watch?v=pHa4pvspCqc
を思い出しました。

異端審問所の拷問は残虐ですが、豊臣秀吉の厳しいバテレン追放でも酷いことやっていましたね!

>会う約束を教皇領との境の町にして返事を出し、やって来たのを再逮捕した、という事。

小話の落ちみたいです(笑)

>上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり、

現在の日本の建設現場でも使っている「下げ振り」→ http://www2u.biglobe.ne.jp/~tyouken/dougu/d-15.htm
に共通するところがありますね。

お祭りのドラムはシンプルでいいです。

「ルネサンスのセレブたち」またゆっくり見せていただきます。

有難うございました。
Commented by italiashiho2 at 2016-07-28 00:40
★Musicaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はぁい、いつも見ていただいて有難うございます!
説明の仕方を褒めて頂いて嬉しいです!! 私は難しい言葉を使いこなせませんので、ははは、自分が読んだものを自分自身が納得出来るようにご説明、ご案内しようと思っています。
ですので、そう言って下さるのが、私にとっての一番のご褒美なんです、有難うございます!

それにしても、年と共に好奇心が薄れるのかと思っていたら、そうでもないのにも気が付き、ははは、厚かましくなるのもあって、どんどん知りたくなります。
我ながら可笑しいです。

時々「拷問博物館」というのがあって、シエナにもあって一度覗きに行ったのですが、いやぁ、途中で気分が悪くなって即退散しましたっけ。
ああいう、被虐性のあるものは、精神的に良くありませんね。 する側もやはりどこか歪んでいるでしょうと思います。
Commented by italiashiho2 at 2016-07-28 00:53
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

ははは、今回のリンクは時間が長いのが並びましたから、それに内容もで、お疲れでしたでしょう、有難うございます!

あ、小父さん、Stando by me は少年4人でしたよ、ははは。 はい、あれは良い映画でしたねぇ~!

拷問というのは、いつの時代にも消える事が無いのでしょうけど、政治、宗教、そして戦時の物と、一際悲惨になるような気がします。

教えて下さった「下げ振り」ですか、見て来ました。 これは垂直線を見る為なんだそうですが、
この下げる錘を前後に少し離して垂らし、それが1本に見える位置を、先行の杭打ちに知らせ、距離的に真っ直ぐな線を決める、というので、
ほら、よく測量で使っているレンズと同じような働きをしていたのだと思います。
今時は真っ直ぐの線は簡単に出せるのでしょうね。

お疲れの所を有難うございました!!


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