2017年 02月 24日

   ・・・ ある傭兵隊長のお話と、 名画に描かれた、または名画の謎 ・・・

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       今回は、15~16世紀の画家ジョルジョーネ・Giorgioneの名画
       「テンペスタ・Tempesta・嵐の中に描かれた人物について、と、

       そして別の作品、作者と描かれた人物ともがいささか不明な
       通常ジョルジョーネ作と言われている作品、

       そしてもう一枚、ジョヴァンニ・ベッリーニ作とされる人物像

       そして、これら3点の作品から浮かび上がる一人の人物
       15~16世紀の傭兵隊長についてのお話を。

       まず最初にこの傭兵隊長の名を申し上げておきますと、
       バルトロメーオ・ダルヴィアーノ・Bartolomeo d’Alviano(1455-1515)

       ウンブリア州のトーディ・Todiの生まれと言われますが、
       姓にあるように、ウンブリアのアルヴィアーノの領主の子として生まれています。


       どのようにお話をと思いつつ、
       まずは最初に挙げたジョルジョーネの「テンペスタ・Tempesta」をご覧ください。
       
       ヴェネツィアのアカデミア美術館収蔵の名品、キャンバス地に油彩 82x73cm
       1502-1503年に掛けて描かれたとされる作品ですが、

       不思議な雰囲気を持ち、登場人物などの不思議さはすぐ目に付きますが、
       それ以上にこの作品は大変謎の多い作品とされていて、
       それについての本も出版されているようですが、こちらの写真が多いサイトで
       大体の感じは窺えると思いますので、ご参考にどうぞ。


       学者さん達の難しい推理などは、単純shinkaiには余り向きではありませんが、
       絵を見ていて単純に、ここはどうなっているのだろうと思う一つは、
       右で授乳中の母子像です。
       子供は女性の右脚の外に座っているので、お母さんの右の乳房だとは思うのですが、
       左腕の付け根の左肩の問題なのか、左の肘が見える辺りの位置なのか、
       はたまた肩に掛かる白い布の、腕の線を示す襞と、乳房を隠す線のせいなのか・・、

       彼女の左の乳房はどうなっているの?!と、この絵を見るたびにshinkaiは思うのです・・。




       まぁ、こんな詮索はさておき、

       この左下に見える男性像、これは絵の主題とどんな関係かと思うのですけど・・、
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       この男性は「バルトロメオ・ダルヴィアーノ」とされている、という事でして、

       その理由は?と聞かないでくだしゃんせぇ!
       shinkaiにも分かりませんが、そのように説明されておりまして、
       まだ理由を書いた記事が見つかりませんで・・。

      
       ジョルジョーネ(1478頃-1510)はヴェネトのカステルフランコ出身で、
       ヴェネツィア共和国の元でも働いていましたから、

       バルトロメーオ・ダルヴィアーノがやはりヴェネツィア共和国の為に働いていた
       後年には出会った事があるのかも知れませんが、
       その時にはバルトロメーオは既に50歳を過ぎている事になり、
       勿論画家が人物を若く描く事はできるでしょうが、この辺りもshinkaiには分かりませんです。

       ジョルジョーネの生地カステル・フランコで開催されたジョルジョーネ展




       こちらはジョルジョーネの自画像と言われているもので、
       甲冑をつけ、ダヴィデ像に見立てたもので、1509年作、
       彼独特の少し憂愁に満ちた瞳を投げかけているもの。
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       そしてこちらは「従者と一緒の、戦士の肖像」 1502-1510年頃の作、
       キャンバスに油彩  90x73cm   ウフィッツィ収蔵
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       こちらを見ている縮れ髪の若い戦士、少し放心したような目でこちらを見つめ、
       後ろには少し口を開けた少年の従者が従い、 という画面ですが、

       ジョルジョーネの作品、そして描かれた人物は、やはりヴェネツィア共和国の下で
       傭兵隊長として働いていた通称ガッタメラータ・Gattamerata
       ウンブリアはナルニ出身のエラーズモ・ダ・ナルニ、と言われていたのが、
       最近は、これはバルトロメーオ・ダルヴィアーノであると言われているそう。

       実はこの絵をパドヴァで開催されたピエトロ・ベンボ展で見ており、
       他にもジョルジョーネの作品が来ておりましたので、こちらを。

       ナルニの町のご案内は




       こちらがドナテッロ作で有名な、ガッタメラータ将軍騎馬像
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       傭兵隊長、という名の響きにはどこか惹きつけられるものを感じるのですが、
       中世・ルネッサンス期にはたくさんの有名な傭兵隊長が存在していて、

       マルケ州ウルビーノフェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロも勿論、
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       彼とは宿敵の関係にあったリミニシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタも、
       上下2点は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品。
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       フィレンツェのサンタ・マリーア大聖堂の壁画にあるジョン・ホークウッドも、
       パオロ・ウッチェロ作
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       同じくフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂前の、ジョヴァンニ・デ・メディチ、
       (ジョヴァンニ・ダッレ・バンデ・ネーレ)ジュゼッペ・デル・ロッソ作

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       ヴェネツィアのサンティッシミ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂前の
       バルトロメーオ・コッレオーニも、 ヴェロッキオ作
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       たちまちに名が挙がる有名な傭兵隊長で、それぞれ国に尽くした功績により、
       こうして有名画家、彫刻家による作品が今に残っているわけですが、

       今回ちょっと気がついた興味深い事なのですが、
       傭兵隊長と言うのは、悪くいうと「金で動く」
       つまり報酬によってどちら側で働くかを決めて戦争をするわけですが、

       ヴェネツィア共和国は、いつもきちんと支払い、その額も高かった、というのですね。
       で、働いた傭兵隊長、ここではガッタメラータも、バルトロメーオ・コッレオーニも、
       そして今回の主人公バルトロメーオ・ダルヴィアーノも、終生忠実であったと!

       まぁ、それこそ自分の命をかけて働く、戦うわけですから、
       支払いを渋られたり、ケチったりされると、嫌気が指すのも当然よね、と、ははは。




       こちら今回の我が主人公、バルトロメーロ・ダルヴィアーノの肖像とされるもので、
       1495-1500年作 ジョヴァンニ・ベッリーニ作 ワシントン・ナショナル・ギャラリー収蔵
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       アルヴィアーノ公爵でもあり、ヴェネツィア共和国の下でオーストリアの
       ハプスブルグ家のマキシミリアン1世との戦いに勝ち、フリウリのポルデノーネの領主にも。


       一族全員が戦いを仕事にする中で、若くから彼も従事するとともに、
       人文学者を師に学問をし、文学を愛し、とともに武器や要塞、城の建設
       関心を持ち、大変に優秀で、後にパドヴァの城壁も彼が築いたのだそう。

       従兄弟であったピティリアーノ公爵ヴィルジーニオ・オルシーニの従姉妹バルトロメーア、
       彼女の姉妹クラリーチェはロレンツォ・デ・メディチの妻、と最初の結婚をし、
       彼女の死後ペルージャのジャンパオロ・バリオーニ(傭兵隊長)の妹ペンテシレーアと
       2度めの結婚を。

       彼について書いてあるのを読んでいて、とても興味深かったのは、

       バルトロメーオは体格が細身で、多分背も低かったのだろうと思われますが、
       鍛錬された体を持ち、どのような活動も出来、気短ですぐに怒る性格を持っていたものの、
       直に自分で正す事ができ、品行方正、自尊心高く、純粋に思った事を口に態度にも出し、
       女が好きで、が特に溺れることはなく、宗教心は特別に強くはなく、
       芸に優れた者を高く評価し、自身も洗練された才人であり、
       頭脳的にも技術的にも優れており、とりわけ文学と武器を愛していた、と。
       
       傭兵隊長としてあちこちで戦い働いたのちにヴェネツィア共和国の下で働き、
       最後はブレーシャでの戦闘中に病気、ヘルニア(閉塞の悪化?)で亡くなりますが、
       多分人柄、業績によるものと思われますが、大変にヴェネツィア人にも愛されており、
       遺骸はヴェネツィアに運ばれ、荘重な葬儀の下、今もサント・ステーファノ教会に埋葬と。
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       ベッリーニの描いたバルトロメーオの肖像では、大変に厳しい顔をした
       中年後期の男性の顔ですが、
       性格などの記述に「女が好き、でも溺れることなく・・」とあるのに、
       それもイタリア語ではかなり強い表現の言葉で「女が好き」とあったのが、
       あれこれ調べたくなった原因の一つでもあるのですが、ははは、
       友人のジュリアーノにも原稿を送り、言葉の意味を取り違え無いよう読みましたです。

       


       彼の本拠地であったアルヴィアーノはどこにあるかですが、
       ウンブリアのテルニ県に含まれ、海抜251mの高所に1500人程の住民。
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       ヴィテルボ・Viterbo、 トーディ・Todi、 スポレート・Sporeto などなど。





       そしてこの小さな町、というより、村に近い大きさですが、
       バルトロメーオが1495年以降に築いた素晴らしい要塞があり、
       彼の学んだ建築技術や経験、また当時の万能の才人でもあった
       レオン・バティスタ・アルベルティからアイディアを受けた事が実践されたものと。
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       短い休暇期間をバルトロメーオはこの城に戻り休息していた様子で、
       多分この部屋もと思うのですが、フリウリから呼んで装飾させたという
       通称ポルデノーネ・Pordenoneの壁画の残る部屋も幾つかと。
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       ポルデノーネの作品は、こちらフリウリ、ヴェネトの各地に広がっていますが、
       彼はポルデノーネの領主であったので、ポルデノーネを知り、
       自分の領地の城に壁画を描かせたのでしょうね。
 
       現在であれば、車で半日で行ける距離ではありますが、
       当時の画家や彫刻家、工事職人たちは本当に遠くまで仕事に出かけたのですね!


       彼の没後、跡を継いだ息子が22年後に没し、男子の後継者が無くなると、
       この城、土地は教皇パオロ3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ)がいわば没収した形になり、
       ファルネーゼ家のものとなり、のち持ち主が変遷していきますが、
       バルトロメーオの2番めの妻との間に生まれた娘達もそれぞれに結婚させられ、
       5世紀間ほど続いたアルヴィアーノ家も姓をリヴィアーニ・Livianiと変えたと。


       ですが、城要塞自体は現在も見事に存在し、内部も改装されたのでしょう、
       バルトロメーオ・ダルヴィアーノで検索を掛けると、
       上に見て頂いた様に素晴らしい威容の城が見れ、
 
       現在城内には、傭兵隊長・カピターニ・ディ・ヴェントゥーラ達の当時の歴史、様子を
       知るための最新技術を駆使した博物館が設けられており、
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       なんと一番驚いたのは、バルトロメーロ・ダルヴィアーノの没後500年を記念した
       記念行事のあれこれが、2015年に催された様子!で、
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       遅れて参上のshinkaiも驚くやら喜ぶやらの、ははは、
       しっかりと彼の業績、生き様が地元に定着している様子なのでした。



       今回はひょんなことから名前を知った傭兵隊長が、次々と絵画世界に
       姿を表した事から人物の追跡が始まったのでしたが、
       
       実は今回最後に知ったことも、追加しておかないといけません。
       というのも、
       ジョルジョーネ作として知られている「若い戦士とその従者」の絵の作者は、
       実はジョルジョーネではなく、パオロ・モラルド・Paolo Moraldo
       通称カヴァッツォーラ・Cavazzola (1486-1522)と呼ばれる作家のものである、
       というウフィッツィ美術館の記事を見つけました。
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       ルネッサンス期のヴェローナの画家で、彼のスタイルはどちらかと言うと
       ヴェネツィア派のベッリーニやジョルジョーネと似ており、
       マンテーニャやラッファエッロからの影響も見られる、との事。

       ウフィッツィ美術館では、ベッリーニとジョルジョーネの部屋に彼の作品が置かれており、
       彼自身の作品は残っているのが大変に少ないそうですが、
       一時ジョルジョーネの後期の作品とされていた事、またガッタメラータを描いたものと
       考えられていたが、現在はそうでない、という記事でした。
       (バルトロメーオ・ダルヴィアーノである、とは無しでしたが)

       そう言われると、ジョルジョーネにしては細部が強い印象も受けますが、
       まぁ、そのあたりは専門家の評価におまかせです。


       2年前にアッシジに行った時、アルヴィアーノにちょっと寄れるかなと
       地図を調べたのでしたが、
       アッシジからだとやはりかなり遠くなるので断念。
       が、またいつかチャンスを見つけることに致します。
       と、ヴェネツィアのサント・ステーファノ教会にも!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-24 01:35 | ・映画絵画文学 Film Arte Le | Comments(2)
Commented by シニョレッリ at 2017-03-04 10:19 x
shinkaiさん、こんにちわ!

傭兵隊長の話は面白かったです。
以前、興味があったので色々と読み漁ったことがありました。
自分や旗下の兵士たちが死んでは終わりですから、雇い主を如何に満足させるか、その辺に腐心したようです。

ジョルジョーネの「嵐」に描かれた男性は聖ロッコかも知れないと思ってます。聖母子の乳房も何時も変に思ってます。
ヴェネツィアのアッカデミア美術館は、展示室と展示作品の改変中の様で、「嵐」は違った場所で展示されていました。

ウフィツィ美術館も行く度に展示が大幅に変わっているので戸惑います。
ジョルジョーネ作品とされていた作品ですが、2015年6月にはジョルジョーネ作品と明示されていましたが、2016年の2月と6月は作品そのものが展示されていませんでした。

カステルフランコ・ヴェネトのジョルジョーネの家の展示には驚いてます。殆どがジョルジョーネと無関係のものなので、呆れます。
Commented by italiashiho2 at 2017-03-05 04:25
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、傭兵隊長というのは、自分の領地を守る領主とはまた違い、そこから出かけていく傭兵隊長もいるわけですが、完全にあちこちフリーで働きまわった隊長もいるわけで、とても興味深い存在ですよね。

そうですか、シニョレッリさんも、あの「テンペスタ」の母子は聖母子の延長と考えられているのですね。
それから、左下の男性は「聖ロッコかも」となるのでしょうが、そうお考えの理由は何でしょう?!
お教えいただけると嬉しいです。

ウフィッツィでは、あの「ガッタメラータ像」とされていた作品はジョルジョーネの部屋に展示、とあったのですが、そうですか、昨年には展示がなかったのですね。
私が見つけたあの記事には、アップした日付が見当たらず、いつから「ジョルジョーネではない」となったのかは、明確でないのです。

はい、あのカステルフランコのジョルジョーネ展は、会場も狭く薄暗く、絵画作品も見づらかったのを覚えています。
そしてそれ以外に、直接関係のない歴史的な資料も多かったですね。
あれよりは、パドヴァの「ピエトロ・ベンボ展」がずっと見ごたえが有りましたっけ。


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