イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2017年 04月 04日

   ・・・ ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 (追記)・・・

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       ここの所春めいた陽射しの日が続いているこちら北イタリア、ヴェネトです。

       日曜にヴェネツィア・メストレに出かけるので、家に戻る前ついでに
       以前から気にかかっていた「ティツィアーノの家」、
       近くのコッレ・ウンベルト辺りにあるらしい家を探してみようと思いつき、
       土曜の夜調べましたら、何と近い! では!! と寄り道し見つけました。

       今回はそのご報告と、ヴェネトの春の野ののどけさを!

   
       上は日曜の朝歩いた時に見た満開の八重桜と、藤の咲きかけ
       陽が昇った後じきの色です。





       さて、「ティツィアーノの家」と呼ばれるものですが、ウィキのイタリア版で
       見る写真はこれで、赤い矢印がついている家。
       背後の山並みから見て、これは南側から撮ったもの。
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       「ティツィアーノ・Tiziano」という名前だけで通じる16世紀のイタリアの大画家、

       学び、工房と家を持っていたヴェネツィアが彼の本拠地だったわけですが、
       ここ、ちょうどヴェネツィアとカドーレの中間に当たるカステッロ・ローガンツゥオーロ
       Castello Roganzuoloにも家を持ち
       旅の行き戻りに寄り、気候温暖なこの地で保養していた、というのですね。

       がその後に知った事は、この家はカステッロ・ローガンツゥオーロの教会の祭壇画を描き
       その支払の一部として受け取った、というので、
       支払いの一部?! 家を?!と驚き、尚の事、どこにあるのか興味を持っていたのでした。





       家は、現在の持ち主から「ヴィッラ・ファブリス・Villa Fabris」と呼ばれており、
       グーグル地図で検索しましたら、何の事はない、簡単に即見つかりまして、       
       我が家(Casa)から車で8分! 歩いても行ける位置!
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       地図の右下、カステッロ・ローガンツゥオーロと赤線で囲った上に打った赤点
       ここにティツィアーノが祭壇画を描いたという教会


       コッレ・ウンベルトへの道を途中で曲がって、それから・・、と頭に入れ、
       木々や丘で隠れていないと良いけれど・・と願いつつ、出かけました。





       心配することは何もなく、田舎道をゆるゆると進むうち
       進行方向右の丘の上に、あっ、あれだ!と見つかり、
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       間の木々が邪魔ですが、今はまだ殆ど枯れ木ですので、良く見えます。





       同じ丘の上に並ぶ大きな農家もこんなふうに見え、
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       周囲は春爛漫という感じで、花が咲き乱れ
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       道を挟んでの向こう側の葡萄畑の畝の間は、タンポポが満開!
       まさに春は黄色から!  
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       立木の上に見える泥棒カササギの巣。 
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       立木越しの姿以外には近寄る方法は無さそう、また出直してもよいかと
       車に戻り、ほんの100~150m程行った所にちょうどこのスペースが有り、
       そこから奥、畑の脇を通れそうな感じ・・! 
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       立っていた表示によると、この辺りはハイキングコースとしても利用され、
       11km~12kmのコースでの水車があるとか、有名なヴィッラがあるとかが
       示されていて、   
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       立木の隙間から見る、辿ってきた道。 のどかな風景でしょう?!
       右奥の大きな農家も、窓の作りなどから見て、古いかなりの農家。
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       ちょうど道のカーヴの所に白い標識が見えますね。
       あそこまでがコッレ・ウンベルトになり、今このshinkaiのいる場所はカステッロ・ローガンツゥオーロ。
       そして車を止めた道脇のすぐ先10mほどには、サン・フィオール・San Fiorと
       お隣のコムーネの標識が見えましたから、
       
       このティツィアーノの家のある丘 コル・ディ・マンツァ・Col di Manzaは、
       コッレ・ウンベルトとサン・フィオールの隙間に細長く飛び出している位置なのですね。





       道の左側にも、古い農家が細長く続くのが見え、
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       しめしめ、ここからだとよく見える、と目指すヴィッラを目指し進みます。
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       同じ丘の並びの大きな農家もこの位置で見え
       傾斜地には葡萄畑と、手前は麦畑。  
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       かなり歩いて、建物全部が見える奥まで入り込み
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       左の大きなのが、きっと最初に建てられたティツィアーノの家・ヴィッラで、
       右に続くのは後からの建て増し部分かも。
       一番右に離れて見えるのが、家の礼拝堂部分だそう。
       持ち主が変わり、内部も少し改装されているそう。 

       どの窓も皆閉じられていて、右に見える入り口の張り出し屋根の上に一つだけ
       明り取りに細く開けられた鎧戸が見えるのみで、

       こういう感じではいくら厚かましくとも、丘を上る気にはなれませんね。
       まして、公開されているヴィッラではありませんので・・。    
    
       まぁ、長年気にかかっていたティツィアーノの家が見つかった、というので納得



       上記した教会の祭壇画の支払いの一部としてこの家を、という事については、
       近年研究が進んで分った事だそうで、詳細が見つかりましたので、ご説明を。

       ティツィアーノの画料は大変高かった、というのはあちこちから知っておりましたが、
       このカステッロ・ローガンツゥオーロの教会から依頼された
       祭壇画の画料は200ドゥカート

       これが現在においてどの程度の価値になるのか、ご存知の方ぜひお教えくださいませ!!
       あれこれ探しては見ましたが分らずで、
       他の絵の画料についてでも宜しいので、教えていただけると有難いです!

     ◆ 追記 ◆

       シニョレッリさんがコメントで教えて下さいました。
       1ドゥカートは約10万円と考えてよかろう、との事ですので、
       200ドゥカートだと、約2千万円ほどですか。      
       なるほど、これだと「ヴィッラと土地」+アルファ、が成り立ちますね。
       シニョレッリさん、有難うございました!

     *****

       祭壇画は1543年に注文され、6年後の1549年に納入されたのですが、
       これはティツィアーノが64歳の時で、数々の名作ですでにイタリアのみならず
       国際的にも名を成した画家が、
       ちょうどこの1543年に、この一帯から2枚の注文を受けていまして、


       カステッロ・ローガンツゥオーロよりも遅く1552,3年に納入された、
       ヴィットリオ・ヴェネトの北側セッラヴァッレ・Serravalleのドゥオーモの大祭壇画 
       456x270cm、こちらです。
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       ティツィアーノがこれら2件の絵画注文を受けた理由として、3点考えられるそうで、

       セッラヴァッレのサルチネッリ家、コネリアーノにもサルチネッリ家の邸宅があり、
       現在は市の絵画展の催しに使われている邸宅で、お金持ちの一族。
       
       で、このセッラヴァッレのサルチネッリ家・Sarcinelliに、
       ティツィアーノの愛娘ラヴィーニア・Laviniaが嫁いでおり、
       ここカステッロ・ローガンツゥオーロからだとほんの数キロの距離で、
       会いに行けるという理由、

       そしてヴェネツィアと生地カドーレとのちょうど中間地点、気候温暖
       風光明媚のこの地に家を持ち、ここを基地にしようとした、という理由。

       基地というのは、画家ティツィアーノはここで保養しながら、

       その片割れの実業家ティツィアーノ、また彼の一族ヴェチェッリオの事業の
       中心管理事務所としての基地なのですね。

       すでに生地ピエーヴェ・ディ・カドーレから南に下ってきた所に一族が持つ製材所が2軒
       ここでの木材をヴェネツィアに運び販売するための管理。

       そしてこのカステル・ローガンツォーロの農製品、穀類、ワインの自家消費以外を
       ヴェネツィアで販売する事、などなど。



       どうやら最初の契約では祭壇画の画料として、土地と家を、という事の様だったのですが、
       かなり大雑把だったのを、ティツィアーノにうまくやられたのではないかと・・!

       1554年8月に祭壇画が納入された後、9月にも分割金を受け取っておらず、
       1556年になって教会の管理者との支払いについての話し合いが漸くにつき、
       今後8年間に渡って支払う事、という物品明細があり、

       ・1スターロ・staro値8リーレの、穀物を5スターロ    =416,585リットル
       ・1コンツゥオーリ.conzuoli値55リーレの、ワインを16コンツゥオーリ   =1248リットル
       ・建築のための資材をフレゴーナ・近くの石材のある場所から運ぶのに
        工人一日の賃金を4ソルドとして、各人に支払う事
       
       とあり、最後にティツィアーノへの支払額が26リーレ不足となり、支払われたと・・!!


       上記したスターロ、コンツゥオーロというのはいずれも計量の分量基準で、
       ローマ期からのものだそうですが、
       スターロは町によって基準がどんどん変わり、ヴェネツィアでは83,317リットル、
       コンツゥオーロは約78リットルだそうで、 

       shinkaiめが計算機をたたいて出た数字が、上の=で、これを8年分です!!

       8年間というのは、ヴィッラ建設を8年間で、という事からの様ですが、

       それにしても、本当に、計算に強い!という気がしません?!
       まさに偉大な画家でもありますが、頭の働きは実業家なのですね。

       こうして彼はこの後24年間を安楽に生き、86歳で亡くなります。
       
       



       丘の上のに広がる林、そして空と雲
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       大快晴の日のちょうどお昼時、逆光でコンパクト・カメラのディスプレイでは 
       何がどれくらい写っているのかも確認できないほど・・!

       う~ん、この雲はティツィアーノというよりは、ゴッホだなぁと、ははは。





       畑の右向こう、葡萄畑越しに遥かに見えるオリアーノ村の教会と鐘楼
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       その右の奥には、はるかフォルメニーガの教会も。
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       さて戻ろうかと振り返る畑の脇道、と言っても麦が植わっていない、という事でして・・!
       立木にも新緑の芽吹きの色が見え。
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       来る時は殆どヴィッラばかりを眺めて入り込んで来たのですが、
       戻りは足元も見つつで、

       たくさん土筆もあるのに気が付き! 日本のよりもずっと大きいのですよ
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       後ろに濃いめの色で見えるのは、立木の向こうの溝で、湧き水が流れているのですね。
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       これはなんという花でしたっけ?
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       葡萄畑の畝の先頭に、勢い良く新芽が伸びる薔薇の株
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       葡萄畑の薔薇の木は、何も美的要素のためではありませんで、
       葡萄の木とよく性質が似ているので、葡萄の病気の早期発見に役立つのだそう。





       可愛い新芽が出てきていて
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       葡萄の新芽を見ると、こちらも何となしに微笑みそうな可愛さ!





       辿ってきた道をもう一度
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       そして、タンポポの黄色、木々の新芽の色
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       道がどこに出るのか分かっているのでそのまま進み、

       道幅が広くなった所で見つけたこの古い家
       奥には大きな新しい家が2棟あるのですが、これは前庭に。
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       下の写真が入口側で、
       




       脇には、藤が咲きかけ
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       そしてこの道の名は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ通り
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       気候温暖なこの一帯、道脇にはオリーヴの畑
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       スコミーゴ村の上り坂の前まで戻ってきて、
       満開の白い花と、広がる葡萄畑
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       家に戻ってきて後、ヴィッラ・ファブリスへの接近方法を再検討、はは。
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       グーグルの衛星写真で、shinkaiが近づいた北東側は、ここでは家の裏側、
       やはり表側、南側には車寄せの前庭もあり、
       左に伸びる並木道が、一般道からヴィッラへの長い並木道で、
       他にはヴィッラへの接続道はないので、やはり近寄るのはちょっとなぁ、との結論。





       所で、肝心のティツィアーノが描いた祭壇画ですが、これです。
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       最初見た時、えっ、何、これ?! と驚いたのですが、
       理由を知り、納得もいきましたので、ご説明を。

       聖母子と、左にサン・ピエトロ、右にサン・パオロ
       画布の大きさは、両聖人が190x57,190x70cm、聖母子が240x80cm。

       祭壇画は注文を受けた6年後の1543年に納められた後ずっと教会にあった訳ですが、

       サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会と知り、教会は知っているけど絵は見てないよね、と
       少し泡を喰って以前の教会内のブログ記事を見直したほどですが、ははは。

       第一次大戦の勃発で、当時の教会の司祭殿がオーストリア軍に奪われては大変と、
       画布を教会の天井の下に隠したのだそう。

       司祭は尋問を受け逮捕もされたのだそうですが、隠し場所は発見されず、無事!

       そして戦争が終わり、無事だった絵も天井下から運び出されたのですが、
       なんと湿気のため、絵の具も剥げ落ちた酷い状態になっており、
       修復しても取り戻せないほどの落剝ぶり!!

       で現在は教会にはなく、ヴィットリオ・ヴェネトのディオチェザーノ聖美術博物館に

       何とかオーストリア軍の没収を逃れようと隠したものの、
       こういう結末になるとは!!

       本当に残念ながら、ティツィアーノらしい切れ味がまるで見られず、
       ぬるっとした肌合いの、そこらの地方画家の絵の出来具合の様で、本当に残念!
       最初はヴィットリオ・ヴェネト(チェーネダ)に見に行こうと思ったのでしたが、
       これでは見に行くほどの魅力を感じませんで・・、失礼。
       
       あれほどの高価な祭壇画でしたのに、勿体無いというか、逆に可笑しくもあり・・!
       兵どもが夢のあと、という言葉も思い出されたりして・・。




       ということで気分を変え、
       最後はお口直しに、イタリアの白い桜をどうぞ!
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-04 23:22 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)
Commented by シニョレッリ at 2017-04-05 06:58 x
shinkaiさん、こんにちわ!

ティツィアーノの家、大変面白く拝見させて頂きました。
ヴェネツィア金貨の価値ですが、手っ取り早い所では早稲田大学の林要一先生の「ルネサンス期の傭兵隊長」の論文が良いと思います。「林要一『ルネサンス期の傭兵隊長』」で検索するば、そのpdfがダウンロードできます。
その中で6万円と記述されていますが、日伊の物価差を考えないといけないと書かれていたかと思います。
私の友人の検討に拠れば、10万円と考えておけば間違いはないと言ってます。
ティツィアーノの画料ですが、ヴェネツィア共和国から依頼された仕事の一部に付いては契約書が残っているそうで、肖像画で300ドゥカートだったとの記録があるそうですが、原資料に当たる術がないので、お聞き流し願います。

ティツィアーノのトリッティコは、確かにノッペリとして切れがありませんね。修復後の作品は、原画の制作者の作品というよりも修復師の作品と言うべき場合がありますが、この場合は原画のイタミが激しくて、結果として凡庸な修復が精一杯だったと思います。
Commented by mitsu at 2017-04-05 11:34 x
のどかなヴェネトの春をたっぷりと味わうことができました。ありがとうございます!またティツアーノの家はShinkaiさんの所の近くで、嬉しい驚きでしたね。地図がわかりやすかったです。
ティツィアーノの家に纏わるあれこれを詳しくお調べになられていて、とてもおもしろく読ませていただきました。、具体的なお話で見聞がひろがりました。それにしても大画家ともなると、たいした画料ですね。親戚,同郷割引なし?祭壇画の豪華な枠は画家持ちですよね。
やはりイタリアに、日本とは比較にならない芸術への評価の重みが歴史的にあると感じます。
Commented by italiashiho2 at 2017-04-05 14:40
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

教えて頂いた「ルネッサンス期の傭兵隊長」のファイル、早速ダウンロードしました。
まださらっと目を通したところですが、大変良い資料を教えて頂き感謝です!! 
ドゥカートの価値についてもそうですが、傭兵隊長についても関心を持って読んでいますので、これはとてもうれしい資料です、有難うございました!

ドゥカートが約10万円と考え、200ドゥカート、300ドゥカートの代替の目安が付きますね。
これだと3階建てのヴィッラと土地、+アルファ、というのも納得です!
肖像画で300ドゥカート、というのも納得できます。彼の場合貴族の肖像が多いですし、その位は受け取った事でしょう。

この祭壇画については、原画の絵の具の剥落もあり、修復師の手の問題もでしょうが、もともとの絵自体も、私の感じでは、少し相手を見て手抜きしている感じがします。
というのも、彼の絵は往々にして貴人の肖像画はピリッとしているのに対し、どこかの教会に収まっているというような絵は、手抜きしているなぁ、と感じることがあるのですね。

昔は今のように写真の出回りもなかったですし、遠くの絵を見に行くような事もなかったでしょうから、そのあたりも見越して、注文主の絵を見極める程度、受け取る金額によって適当にさばいていた、という印象を、今回の祭壇画を見て尚の事感じたことでした。
Commented by italiashiho2 at 2017-04-05 15:00
★mitsuさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうなんです、この一帯はまだまだ畑が広がり、緩やかの丘の起伏がいくつも続き、四季それぞれの趣が味わえて、とても気に入っている田舎なんです。

はい、かなり以前からこの家については、どこにあるんだろ?と思いつつ、そのつもりで探したことがなかったのですが、なんと、本当に近くて、次はカメラを持って歩いてみようと思っています。

今頃はネットの恩恵が大きく、Youtubeもそうですが、探す気でいるとかなりの事が調べられますね。 

ティツィアーノの画料が高い、というのは知っていたのですが、やはり!ですね。
シニョレッリさんのおかげで、見当がつき、大いに納得しました事でした!

祭壇画の額などは、たぶん肖像画もそうなんでしょうが、額は絵と別だと思います。
というのも祭壇画などの場合、額は誰それ、と名前が出る場合が多いのです、と、ここのは絵を収めた周囲をフレスコ画で囲ったようです。
で、今の金ぴかの額は、たぶんチェーネダの博物館に収まるときに付けられた額だろうと思います。 聖遺物の博物館でもありますから、ね、ははは。

日本の軸物、襖絵など紙の上の絵と違って、こちらのは壁のフレスコ画、板にテンペラ画、キャンバスに油絵ですから、持ちも良い、というのも感覚的に財産の一部なんでしょうか?
Commented by MUSICA at 2017-04-07 19:46 x
ティチアーノのおはなし、興味深く、読みました。ちょうど「日本の芸術作品は後世に伝わりにくいのはなぜだろう。」と思っていました。

建物があっけなく消失してきたし、美術品を愛で伝える一族も脈々とつながっていかないだろうし。絵は紙だし。支える宗教の力とかが違うし。と。

ティチアーノ。新開さんのおかげでかなり関心を持っています。先日姫路市立美術館で実物にあってきました。メディチ家の子供を描いた1537、の作品

ヨハネパウロ2世美術館、からの特別展。

話変わります。つくし、大きいですね。バサバサして美味しくは頂けない。と感じました。

その下の野草。いまわたしの散歩の山道はこれと仏の座で埋まってます。これヒメオドリコソウだと思います。
Commented by italiashiho2 at 2017-04-08 01:39
★Musicaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうですよねぇ、まったく材質が違いますものねぇ。 まぁ日本人はその辺りにもものの哀れを感じるのかもしれませんが・・。

そう、それに宗教は日本人にとってはあまり行き過ぎるのも好きではないですよね、その辺りも違いますね。

ご覧になったティツィアーノ、どんな絵かちょっと見当がつきませんが、如何でしたか?
お気にいりましたか?


はい、この土筆は少し日本のより大きいという感じですが、見るからに美味しそうではないでしょう? ははは。
如何にも日本の、というようなのもあり、またもっともっと大きな、30㎝位のもあるんですよ。

いえ、ヒメオドリコソウ、というのは習ったばかりですが、これではないですよ。nこちらをどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho/e/42834eed44e49efa81a3c67b3d1efc28


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