イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2017年 04月 29日

   ・・・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し ・・・

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       先日ヴェネトのブレンタ川・Brenta沿いの写真の欲しいのを思い出し、
       探していて、そういえばこれはまだご案内していなかったっけ、という事で、はい。

       ブレンタ川というのは、アルトアディジェ州のトレント辺りから流れ下り、
       バッサーノ・デル・グラッパからヴェネト州に、
       このヴェネトの平野を流れる頃にはゆっくりと、そしてヴェネツィア湾に注ぎます。

       かってはヴェネツィアからパドヴァ間の連絡船が通っていたというのですが、
       現在は観光客用の船が夏の間運行しており、

       というのも、平野の眺めも美しいのですが、その中に点在する
       ヴェネツィア貴族の館・別荘が色を添え、長閑で大変美しい趣なのです。

       
       今回ご覧頂くのは7年前の、へへ、ちょうど5月のもので、
       あれこれご案内して来たものの落穂ひろいとでも言えますが、ははは、
       美しい川の流れ、周辺のヴィッラの様子をごゆっくりどうぞ!

       トップは釣り人、そしてイタ鴨の家族





       今回の写真は、ほとんどドーロ・Dolo周辺ブレンタ川沿いですが、地図をどうぞ。
       ドーロは赤く囲った位置にあり、西に見えるストゥラ・Straから続く細い水色の線が
       ブレンタ川で、ミーラ・Miraオリアーゴ・Oriagoマルコンテンタ・Malcontentaを通り、
       矢印を付けた先、フジーナ・Fusinaでヴェネツィア湾に注ぎます。
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       パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、
       途中こんな風にレストランで昼食をする場合もあり、船での昼食もあり。
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       ヴェネツィアからのブレンタ川遊覧船の様子はこちらに。 その1と2

       ドーロの骨董市
       http://italiashio.exblog.jp/11176143/  





       川の幅はそう広くはなく、とても穏やか
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       ちょうど長男の家に遊びに行き、一緒にお昼ご飯を食べに出た時に、
       この辺りにはたくさんヴィッラがあるから、とぐるっと一回りしてくれたのですね。
       で、その時に見た4つか5つほどの内から3つご案内を。

       ヴェネト各地に点在するヴィッラの数は一致幾つあるのか! ですが、
       有名なパッラーディオのヴィッラ、またその壮大さで群を抜くと思われるのも
       いくつかあるのですが、

       今回ご覧いただくのは、そんなに有名なものではありませんが、
       
       最初のは、ヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・Villa Ferretti Angeli.
       我々は背後から近づきましたので、こんなトウモロコシ畑も見え、ははは、
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       正面はこういう感じで
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       上部、タンパンの装飾
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       こちらは横に続く倉庫・納屋部で、
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       正面とはこういう感じでつながっており
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       横には、こんな広い庭園が広がります
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       このヴィッラを造ったのは、ヴェネツィア貴族の分枝でヴィチェンツァのフェッレッティ家で、
       その後リゴーニ・Rigoni、アンジェリ・Angeli家を経て、
       19世紀にはモチェニーゴ・Mocenigo家のものに。   
       という事で、正式のヴィッラの名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!
       はい、歴代の持ち主の大きな名前がずらっと並びます。
       
       20世紀初めに戦争の影響で衰退があったものの、その後修復され、
       現在の持ち主はヴェネツィア県なんだそうで、
       どうやらENAIP Venetoという事務所が使っている様子ですが、
       何の関係なのか、はぁ、読んでもさっぱりわかりませんでしたぁ、ははは。
       ・・と笑いでごまかす。





       ぐるっと横から回り込むと、こんな風に先程の倉庫・納屋の壁が見え母屋に続き
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       きちんと正面から撮ると、こんな感じで
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       今回これを書くのに調べていて、なんとこれはヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
       Vincenzo Scamozzi 1596年作 と知りました!

       スカモッツィはヴィチェンツァ生まれ、パッラーディオが手掛け、彼の死で中途になった
       テアトロ・オリンピコ・Teatro Olinpicoなども彼が仕上げたことで有名ですし、

       パッラーディオより40歳若かった彼は、パッラーディオの弟子の様にみなされ、
       偉大な名を遺した先輩パッラーディオの陰に半ば隠れているのですが、
       実際は大変博識な勉強家であり、真のルネッサンスの建築家であったと言われます。
       
       ヴィッラの最初の建築依頼がヴィチェンツァの貴族ですので、
       同じヴィチェンツァ同志という関係もあったのかもですが、
       当時のヴェネト第一級の建築家の彼に依頼というのは、
       やはり裕福な貴族であったのでしょう。





       shinkaiが撮ったのでは、前庭がかなり広いでしょう?
       それがサイトで、ブレンタ川からこんな風に見える写真を見つけ、
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       ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探したほど!
       が、どうやら望遠で撮ったらしい、と気が付き、ほっとした事でしたぁ。





       そして2番目のヴィッラは、やや小ぶりですが、こちら。
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       これを撮るのに、目いっぱいに下がっておりまして、





       屋敷の門はこんな風にブレンタ川に面していて、係留所も。
       ですから、今は門の前を通っている道も、当時は無かったのだろうと・・。
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       門の両脇柱上の立像
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       そして、こちらが脇にあった門の彫像と、ヴィッラの名前。
       はい、ここはヴィッラ・バドエル・ファットレット・Baroer Fattoretto.
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       隙間から覗くお屋敷。 一見手前は小さそうですが、奥は建て増しが見え広そう。
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       このヴィッラは名前にも見えるように、著名なヴェネツィア貴族バドエル家
       14世紀の初めごろからこの一帯に土地を持っており、その管理のための
       田舎風館があったのだろうと考えられますが、
       現在の形になったのは18世紀になってからの事と。

       左に見えるのが多分バルケッセ・barchesseと呼ばれる倉庫・納屋部分で、
       他に管理人の住居もあるそうで、
       1846年バドエル家はここを売り払い、その後数回持ち主が変わり、
      
       第2次大戦中にはドイツ軍の軍病院となり、その後英軍の倉庫となり、
       かなりの変革があった様子で、

       現在の持ち主、1945年にここを買い取ったのが門柱に名前の見えた
       ファットレット・Fattoretto、ワイン醸造業という事で、
       確かにサイトを http://www.fattoretto.com/index.html 見つけました。

       サイトの最初のページに2つ項目が見え、左がワイン醸造、右がヴィッラのページに。
       ワインは特別高級ワインというのではなく、一般向け赤の大衆ワインの様ですが、

       右のヴィッラのページからMUSEO・博物館に行くと、
       このヴィッラにあるこの土地とかっての農民文化、職人道具の大コレクションの
       Villano博物館の様子も見れます。

       
       奥は広大な庭園になっている様で、
       そうそう、持ち主があれこれ変わった内に、1903年に買い取った
       男爵シャンタール・Chantalが掘った池があるそうで、
       というのも、何世紀も前に僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!
       見つかったのかどうかは・・、書いてありませんでしたぁ、ははは。


       サイトによると、ヴィッラとお庭、博物館の見学はガイド付きで
       4月、5月、6月、9月、10月の祭日、15時、16時半、18時に。

       グループ10人以上は、予約すると年間を通してOK、
       そして予約すると、ここのワインとおつまみのサーヴィスも、という事で~す。





       前から見る庭園の奥、 木陰にはあれこれ隠れた像も見え
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       という、ヴィッラ・バドエル・ファットレットでした。





       長閑なブレンタの流れを愉しみ
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       次はこちら、母屋らしき建物と、右にかなり壮大な門があり
       左奥にもあれこれ細々と続いているヴィッラ・ヴェッツィ・Vezzi.
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       こちらが母屋右手前の門と、
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       母屋の入り口部。 
       斜め前からなのは、正面の道からだと木が邪魔でして・・。
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       ですがこれは、上に書きましたヴィッラ・ヴェッツィとはまるで名前、持ち主が違い、
       パラツェット・モリン・ティート・Palazetto Molin Titoと分かりました。

       パラツェットというのは、邸宅をパラッツォと言いますが、
       それよりも小さなという意味で、この辺りは大きなのが並びますので・・!

       1797年にパドヴァの記録にマルコ・モリン・Marco Molinの名で載っており、
       母屋と納屋、教会、建設は1780年から1797年だろうと。
       ここにヴェネツィアのアッカデミアで学んだ画家エットーレ・ティート・Ettore Tito
       借家775リーレで住んだのだそう。
       
              



       長く次々とあるので、shinkaiは別のヴィッラが並んでいるとは思わず
       こちらではどうやら細部を撮るのに興味を持ったようで・・。

       次にあった母屋上部の像と鐘
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       扉と、その上の飾り像
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       煙突もちょっと変わって繊細で、はは、
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       これは礼拝堂上部の飾り、天使像
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       そして、牡丹、かな。
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       で、最初に上のヴィッラの名を間違えてヴェッツィと書きましたが、
       これは礼拝堂の前の説明文にあった名前の中の最初の名を、
       自分の写真のフォルダ名に勝手につけていたのでしたが、
       それをすっかり忘れ、はは、今回サイトでヴィッラの説明を探すのに往生しまして、

       漸く探し当てた正式の名は、ヴィッラ・バッフォ・ヴェッツィ・アヴォガドゥロ・ヴェッルーティ・
       Villa Baffo Vezzi Avogadro Velluti.

       一見、長~く続いていると思った上のパラツェット・モリン・ティートとは
       別物と分かったのが、
       今までご説明してきたヴィッラの殆どが、ドーロのコムーネ内のサンブルソン・Sambruson
       という所にあり、そのサイトからなのでした。

       サンブルソンにある他のたくさんの大小のヴィッラの写真も見れますので、どうぞ

      
       という事で、このヴィッラの名にあるヴェネツィア貴族バッフォが建設したのが1661年、
       そしてやはりヴェネツィア貴族のヴェッツィに1704年に。
       そして1797年にアヴォガドゥロに渡り、最後が現在の持ち主でもあるヴェッルーティに。

       サイトで見つけたヴィッラ全体の写真がこれです
       真ん中に母屋部分があり、左右にバルケッセ・納屋部が広がる形。
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       この一帯のヴィッラをヴェネツィア貴族が持っていたのは、長らく地中海貿易、
       中近東一帯の貿易で栄えたヴェネツィアが、内陸部に土地を持ちはじめ、
       それの管理ももちろんですが、日曜とか夏に出かける別荘でもあったのですね。
       とりわけこのブレンタ一帯はヴェネツィアから近く船で来れますし、便利だったのでしょう。

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ のご案内
       




       所で、このヴィッラの事を調べていて見つかった意外な人物!
       はい、最後の所有者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティ・Giovanni Battista Velluti.
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       1780年マルケ州の現在コッリドーニア・Corridonia生まれ、
       1861年このヴィッラで亡くなった、
       最後の偉大なカストラート・去勢ソプラノ歌手、の一人と見なされる人物
   
       本当の姓はStracciavellutiと長く、後半部分を芸名としたもので、
       去勢手術を受けたというよりは、多分医者の間違いの結果だったようで、
       本来は軍人になる筈だったのだそう!

       フォルリで1800年にデヴュー、ローマでも長く活躍し、作曲家のお気に入りにもなり、
       また大変に優れた歌手であったようで、聞きに来る貴族階層やファンへの対応も見事、
       ナポレオンやロッシーニなども通ってきたそうで・・!

       そして、彼の身体条件にも関わらず、たくさんのエロチックな冒険談もあり、ははは、
       1809年にはミラノの貴族階級の女性とのスキャンダルも。
       ええ、この目つき!!

       ババーリア、ウィーン、そしてサン・ピエトロブルゴにも公演に赴き、
       ここではロマノフ家の大公爵夫人の愛人となったと、きゃはぁ、凄い!
       ・・ブログアップした後に、年代から誰だったのかを調べてみよう。

       まるで映画「カストラート」を地で行ったような方ですが、ははは、

       1825年になり、24年ぶりにイギリスに行きロンドンで公演。
       最初はすでに趣向が変わっている聴衆に対立するものの、最後は喝采を。

       登場人物の歴史考察にのっとった衣装にも留意する最初の公演もしますが、
       やはり年齢からくる声量の衰えがあり、観客からの罵声も出るようになり、
       1829年ロンドンから去り、その後はごくまれに歌うようになり、遂には引退。

       そして既に1822年に購入してあったこのヴィッラに引きこもり、
       一緒に購入していた土地で、新しい農業のやり方に興味を持ち、
       少数の友人達やロッシーニとは文通をしていたものの、世間からは引きこもりで、

       1861年に80歳で亡くなった時、知らせを聞いた人々はまだ生きていたのかと驚いたそうで、
       まさに既に遠い過去となった、音楽史上のカストラート歌手存在のシンボルだったのだと。

       カストラート歌手が17~18世紀に持て囃された背後には、
       彼らの声がボーイ・ソプラノのままで、それに男性の胸郭による声量の大きさが加わり、
       女性ソプラノとは違う素晴らしさと、当時の教会内では女性は歌う事が出来なかった
       という理由もあったと言われます。
      
       ちなみに、この場面の中で失神する紳士はヘンデルです。


       いやぁ、こんな人物が出て来るとは思いもかけず、
       ブログをしているお陰でshinkaiは、様々な探検冒険を味わっているようなものでして・・、
       お陰様で、有難うございます! です。





       ブレンタ川は町脇を通り抜け、船の通行には橋が回る場所が何か所かあり
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       いくつもの名も知らないヴィッラが点在しますが、
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       この写真の奥のヴィッラ
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       こちらヴィッラ・フランチェスキ・Francheschiは、現在ホテルになっていて、
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       レストランもあり、結婚式なども出来るという、サイトはこちらに。





       川は何度もあちこちでゆっくりと蛇行しつつ、       
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       これはドーロの東、ミーラ・Miraの市役所だったと思いますが、
       これもかってのヴィッラでしょうね。
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       翌日もブレンタ川に沿って行ききし、ヴィッラの写真を撮っていまして、
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       今回の最後の一枚、ヴェネトのヴィッラの女王と呼ばれ、現在国の博物館
       ブレンタ川の西の端ストラにあるヴィッラ・ピサーニ・Pissani.
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       まさに素晴らしく壮大なヴィッラで、初めてブレンタ川沿いに見た時には本当に、
       わぁ~~お!!という驚きの美しさでした。
       
       2度訪問しているのですが、内部は写真禁止でしたしご案内しておりませんが、
       あれこれ調べ、写真も集められましたら次回にでも、と意欲が湧いてきておりますです。
       はぁい、うまく行きますように!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-29 23:56 | ・ヴェネト Veneto | Comments(7)
Commented by 3740s at 2017-04-30 08:29
おはようございます。
shinkaiさん

ゆったりした豊かな空間ですね。
緩やかなに流れる小川・・・・・

いつもありがとうございます。(感)
Commented by mitsu at 2017-04-30 09:41 x
釣り人ひとりの画像からカストラータの人生まで、ブレンダ河のヴィッラを巡りながらの
shinkaiさんのご説明、とても興味深く愉しませていただきました。
いつもありがとうございます!
イタリアの子供向けの本にいつも登場するヴィッラは、実際いまも身近に存在しているからなのですね。
鉄柵扉、前庭、建物の形、絵本をみるようでした。
河を使って出入りできるのですから、さぞかしヴェネツィア貴族には垂涎の場所だったことでしょう。
Commented by italiashiho2 at 2017-04-30 18:50
★パテオナベさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、この辺りは本当に長閑で美しいので有名なのです。
川も平野でゆっくりと、水門もありますので、それで尚の事ゆっくり流れるのでしょうが、見ているこちらもゆっくりの気持ちになりますね。

こちらこそ、いつも見て頂いて有難うございます!
Commented by italiashiho2 at 2017-04-30 18:59
★mitsuさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、今回のは意外な人物が引っ掛かり、こちらも楽しみましたが、面白がって頂けて良かったです。
いやぁ、本当にあれこれ不思議なこともありますねぇ、世の中には!

はい、やはり西洋なんですね、スタイルが。 そして石造りで、パッラーディオのヴィッラなどは煉瓦を使い、石に見せかけているのですけど、
それでもやはり伝統の石造りのスタイルで、それにだんだん壮麗さが加わったのが、今も残っていて、こういうのが財産ですねぇ。

そうなんですよね、ヴェネツィアの家も船着き場があり、そこから船に乗ってそのまま来れるのですものね、
それにこの辺りだと街の狭さもなく風景もよく、お金持ちの貴族にとっては自分ちの広い庭みたいなものだったでしょうね。


Commented by 小父さん at 2017-05-01 00:06 x
こんばんは

「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア 」という展覧会に行ってきましてこちらで拝見するいろんな街
いろんな人たちに接して興味深かったです。
尚、また無断でリンクさせてもらいました。

【・・・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し ・・・ 】

うわ、カモの群れ、この角度からはいいですね!

へへへ「イタ鴨」とは何だろう?と検索してしまいました。

>パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、

とても綺麗ですね。
船の赤、白、黒色が回りの緑にアクセントをつけているようです。

リンク先
>この時はイタリア語でのガイドしたが、フランス人観光客とはフランス語で、アメリカ人とは英語で喋っておりました。

素晴らしいです。
ん?映画『旅情』( Summertime)はキャサリン・ヘプバーンとロッサノ・ブラッツィは何語で会話してましたっけ?

>うっすらのお髭と巻き毛と、「可愛いトレーナー!」

鋭い観察眼ですね。
Commented by 小父さん at 2017-05-01 00:47 x
リンク先
>修復で追加した新しい瓦の赤色で、模様が描かれているのです。

素敵な遊び心だと思います。

>上部、タンパンの装飾。

可愛いです!

>正式のヴィッラの名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!

歴史に敬意を記しているのでしょうか?

>・・と笑いでごまかす。

楽しいです。
そう言えば、今日の「ルネサンスからマニエリスムへ」講演をされた京都大学大学院教授は、「ミケランジェロ・ダヴィンチ」と3回くらい繰り返して「ああ間違えました、そんな名があってもいいですね(笑)」と誤魔化していましたよ。

>きちんと正面から撮ると、こんな感じで、

やはり、りっぱですね~。

あっ、テアトロ・オリンピコ、今日の講演で長く説明がありました!
確か、天正遣欧少年使節もそこに連れて行ったような・・・?

>ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探したほど!

shinkaiさんはとことん調べられますね~。

門の両脇柱上の立像にしろ、脇にあった門の彫像にしろ展覧会での写真や動画を見て
ごく普通に建てられいるんだということを感じました。

>倉庫・納屋部分で、他に管理人の住居もあるそうで、

これ先ほどもオードリー・ヘプバーンの『麗しのサブリナ』( Sabrina)に出てくる車庫の上の住居をイメージしてました(笑)

MUSEO・博物館は興味深いです。
日本の酒蔵に該当するものでしょう。

>何世紀も前に僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!

ははは、楽しいです。

>長閑なブレンタの流れを愉しみ

何も考えないで寝ころんでおく場所にいいです!

・・・すみません、また来ます。
Commented by italiashiho2 at 2017-05-01 13:41
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

「天正遣欧少年使節xx」のサイト、拝見してきました。
伊藤マンショや、ビアンカ・カペッロの肖像画が来ていたのですね。
ご覧になられましたか? ビアンカはヴェネツィアから駆け落ちしてフィレンツェに行き、そこで見初められて大公国夫人にまでなるのですけど、最後は夫と共に毒殺された人で、
大変胸の大きな人だったというのですが、伊藤マンショは彼女と踊った時どんな気持ちだったかと思うと、楽しくなります、ははは。

映画「旅情」の中では二人とも英語ですけど、はは、ロッサーノ・ブラッツィの英語はイタリア語訛りなんです、もともとが。 
なので、逆にとても雰囲気が良いですよ。

京大の大学院教授ともなられるとうろ覚えという事はないでしょうから、ははは、やはりうっかりなんでしょうが、
私が分からなかったのとは意味がダンチですよぉ。

はい、そうです、テアトロ・オリンピコが出来上がった後暫くしての時で、
彼らが行った時の様子のフレスコ画が残っていますよ。

あの博物館は、各種職業の諸道具をまとめているみたいで、なかなか興味深いもののようですね。
いや、蔵というよりは、現在のヴィッラの部屋自体も利用しているみたいですね。

はい、ブレンタ沿いは本当に長閑で美しい場所ですね。

有難うございました。


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