イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2017年 05月 30日

   ・・・ グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ ・・・

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       先回ご紹介したメラーノから西に続くヴァル・ヴェノスタ・ヴェノスタ渓谷
       西の端にある小さな町グロレンツァ・Glorenza.

       駆け足で見て回ったのでしたが、
       常に見る「イタリアで一番美しい村々」とはやはりまるで雰囲気が違い、
       南ティロルにおける6世紀間の歴史を滲ませた小さな町でした。
       
       そんな様子をご覧頂けますように!

       
       トップは、町の門。 正式名かどうかはっきりしませんが、
       トゥーブレ門・Porta di Tubreというのが町への門とありますので、多分これと。
       メラーノ方面から来ての町の門に当たります。

       車もバスも通り、人間は門脇の通路から通り抜けも出来、
       通った所にインフォメーションがあり、我らが行った時はすでに閉まっていましたが、
       どうやら門の塔の上にも上がれる様で、かっては住居にもなっていた様子。





       今回は町の中心部を
       1.2.3.に町の門があり、上の門は1の門で、
       まっすぐ行ったに中心の広場、は小教会、はず~っと続く古いアーケードの道。
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       町の南を通る水色の線は、アディジェ川で、
       は町の教区教会サン・パンクラツィオ・S.Pancrazio





       さて町の門1から入り、まっすぐの道を中心に向かって進みますが、

       見えるすぐの家、煉瓦で窓を開けている様子からどうやら納屋の様ですが、
       その壁にGLORENZA と書かれたのが剥げかけて見え、
       並んでドイツ語名表記のGLURNS・グルルンスはほぼ消えて・・。
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       ちなみに町の標高は907mで、人口は900人足らず、
       ドイツ語を話す人の割合が96%を越す比率なんですと!
       この町からスイス国境までは約10kmほど。





       せっせと歩きながら道の左右を見回し、脇道ものぞき込みながら、撮りつつ
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       今回知り合ったグループの一人が話しかけてきて、
       自分の従弟はカトリックの神父で日本にすでに50年も行っている。
       日本が気に入ってる?
       とても!! 3年に一度ちょっと戻ってくるけど、日本をとても愛していて、
       きっと日本で満足して死ぬだろう、と。
       日本のどこにいるの? 
       最初は大阪で、そのあとはあちこちと転勤で・・。

       そんな嬉しい話を聞きながらも、せっせと撮って行きます、ははは。





       これは地図5の教会。 全体の様子は通り過ぎてからのものですが、
       16世紀の再建だそう。
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       オスペダーレ教会・Ospedaleという名の様で、
       元々は徒歩旅行者達の救済も兼ねた教会だったのかもですね。





       入口と内部
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       教会の横、東並びに見えた長い通り、ポルティチ・アーケードの通り
       建物の前側下を低くくり抜いた道で、頑丈そのものの太いアーチの柱!
       冬の積雪の深さが想像されますね。
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       道はちょっとカーヴして、奥の中心広場に続きますが、

       この建物の看板文字に、Gasthof Steinbock とあるのは、
       ホテル・カモシカ、絵解きでもあるのでOKですが、はは、
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       出窓にリストランテ、マチェレッリーア・肉屋とあるのに一瞬ギョ!
       ・・まぁさか、「肉の生き作りスペシャル」なんぞは無いすよね?! とひ弱な日本人・・。 





       横の壁に見た、にっこりティロル衣装の僕
       お祭りの時には大人もこんな衣装なんでしょうね。
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       道の向かい角の建物。 どうやらこれが町で一番派手な装飾だったと
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       グロッレンツァの町は記録に最初に登場するのが1163年。
       すでにオーストリア、スイス、そしてロンバルディーア(ミラノ)との通商交易の
       街道の要所として栄えており、1304年(1309年とも)「町」に昇格。

       現在でもヨーロッパで一番小さな町のひとつなんだそうで、
       上に人口900人足らずと書きましたが、町の城壁内に住んでいるのは400人程と。

       で、スイスの独立を掛けたシュヴァーヴェン戦争
       かのウィリアム・テルのお話なんぞもこの戦争中のものですが、
       スイス連合側と、対オーストリアはハプスブルグ家との戦争のいくつかの戦闘のうち、
       1499年のカルヴァ・Calvaの戦いの際、
       敗北したこのグロレンツァの町は完全に破壊されつくし

       「私の宝石」と呼び、この町を愛していたオーストリ皇帝マッシミリアーノ1世
       破壊された町を再建し、その際に城壁をめぐらし、スイス側との国境近いこの町を
       ハプスブルグ家の橋頭保とした、という事で、

       現在残る町をめぐる城壁は当時のままの姿を保つもので、
       最初にご案内の様に3つの門を持ち、城壁の上は見回りの兵士通路があり、
       350の銃眼、7つの角に塔、といった具合。

       上記した通りこの町は東西南北の通商道の要所として栄えてきた町で、
       とりわけインスブルック近郊のハル・イン・ティロル・Hall in Tiroloからの
       岩塩の取引の町として長い世紀を栄えてきたのだそう。





       町の中心広場から、東の門と、その左に橋が見え
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       門の入口上に見える町の紋章
       やはりこの門の塔の上にも上れるようす。
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       橋の向こうに見えるのが町の教区教会サン・パンクラーツィオ、15世紀。
       鐘楼の玉ねぎ型の頂上は17世紀に加えられたものですが、
       鐘楼自体はロマネスクのもの。
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       鐘楼の北の壁には、15世紀末の大きな「最後の審判」のフレスコ画があるそうで、残念!

       屋根がチカチカと見えるのは、ボルツァーノやウィーンでも見ていますが、
       様々な色の丸い(うろこ型)の小さな瓦を張り付けたもの。

       
       町の人々の言葉には、
       町が小さすぎるので、我々は教会のミサに行くのに城壁の外に行かなくてはならない
       というのがあるそう






       通常の橋の横に、こんな木製の屋根付き橋があり、
       これもきっと冬の積雪の際の通り道なんでしょうね。
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       ここを流れる、この慎ましいのがアディジェ川!
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       外側から見る町の門。 堂々としているでしょう?!
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       城壁への渡り廊下に見えるPaul Flora・ポール・フローラというのは、
       この町生まれの画家、イラストレーターで、この塔の中にも展示会場があるのだそう。





       町の中心広場に戻り、仲間達はバールのテラス席で一服中。
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       奥に北側の門が見えますが、
       後にこの横の城壁の上に上り、この門の所に出てきた様子を。
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       shinkaiは広場からも一つ南の道を西に入り込み、
       この角は靴屋さん、と言ってもバッグなども売っておりました。
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       今回気が付いたのは店の看板は張り出した鉄製の飾り看板もありますが、
       大概は壁に書かれた文字である、というイタリアとの、ははは、ここもイタリアですが、
       違いに気が付きました。

       そういう意味では、イタリアの方が派手というか、ドイツ語圏の方がやはり質実剛健!ですねぇ。

       と、どこか違うな、と思ったのが、5月中旬というのに窓辺の花が殆どなしで、少し寂しく、
       店の前に木や枝の鉢植えは見ても、花鉢を見かけたのが本当に少なく、
       それもあって猶の事「質実剛健」という言葉が頭に浮かんだのと、

       イタリアで見かける「一番美しい村々」の町村の壁は石積みが見えたりで、
       趣、味わいを感じるのが常ですが、
       ここ南ティロルとなると、頑丈一式、イタリア式趣とは違う、
       というイメージを大いに受けたのでした。

       が、今回これを書くのにグーグルのサイト・ヴューを見ましたら、
       10月の撮影でしたが、窓辺にたくさんの花々が見え、・・?!
       5月半ばだとまだ花鉢には遠い季節なのでしょうか? 
       夏は本当に短いのかも!





       道を入っていくと、突き当りに見えた納屋の壁と、右に住居。
       そしてすぐ左は城壁内の道が通ります。
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       で、今回あちこちで見かけた扉に書かれた、チョークの文字をここでも見かけ、
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       ちょうど家の扉前を掃除中のシニョーラに、イタリア語が話せますか?と声をかけ、
       あちこちで見かけるこの扉の文字は何の意味かと尋ねました。

       シニョーラのイタリア語は訛っていましたが、お互いになんとか通じ、ははは、
       中のK+M+B は、この一帯は毎年1月6日に東方の三博士に扮した人物が
       家々を祝福に回り、扉にこの文字、キリストが祝福を与える、という意味を書きつけ、
       頭の20と、最後の消して上書きしているのが、今年の分(2017年なんだそう。

       町中のレストランの扉の上にも見えたこの文字の意味、
       なるほどなぁ、と納得し、シニョーラにお礼を言った事でした。





       城壁と間の細い道。 塔も備えている場所。
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       この辺りで仲間のエレオノーラやレオナルダとも出会い、一緒に行きますが、

       小さな家の隅から葡萄の枝が壁を這い、飾ったようになっていて、
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       あんな小さな角の土からこんなに?!と、ちょっと可哀そうでもあり・・!

       上の写真から見える城壁沿いの枝も、ほんの隙間の小さな土地からなんですよ!
       こういうのも、葡萄が質実剛健なのかな?! ははは。





       ちょうど城壁の上に上れそうな階段を見つけ、レオナルダが最初に上り始め、
       狭く少し傾いた、そしてかなり高い急な階段をはぁはぁと上り、
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       見えた景色がこれ! 左から右に
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       そして南の奥。 一番奥の白い3つ並びのは何だろ? 
       左のには小さな鐘楼風のが見えるのですが、教会と住居かな?
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       これはすぐ前の建物の屋根瓦で、他も大概この形の瓦で、
       細い筋が入った平板な瓦なんですね。
       この方が積雪に強いのかな?
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       銃眼から覗く外
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       城壁の上のパトロール道。  
       そんなに長い距離は開いておらず、途中で柵があり、夜間には閉まるのでしょう。
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       でも、満足して下に降り、





       中心広場に向かいますが、

       これは薄い浮彫を施した美しい扉。 勿体ないですねぇ、これは!
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       泉があり、小さな花鉢と、反射する影と光
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       一旦広場に戻り
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       教会横の、低いアーチの続く道を戻りつつ、

       如何にも古い、厚い頑丈な壁に落ちる影に見とれ
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       道角にあった小さな鄙びたカフェかな、トラットリーアかな?
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       ちょっと寂しいのは、もひとつ町の人の姿を見かけない事で、
       2,3人の男性がたむろしているのを見かけたのみ。


       所であれこれ読んでいて、大変可笑しな逸話を
       このグロレンツァの町に1510年民事裁判所が置かれたというのですが、
       1519年10月21日にSimon Fliessというステルヴィオ・Stelvio、
       グロレンツァより南の山村の住人が訴訟を起こします。

       一帯のネズミ(普通のよりも体の大きな種)が畑や草原に大きな損害を出している、と。

       これにはグロレンツア側からネズミの弁護人も付き、論戦が行われ、
       判決が出たのは翌年1520年5月2日の事で、
       
       それによると、ステルヴィオの住人に有利な判決となり、
       ネズミたちはその一帯を立ち退かねばならない事。

       ただし、弁護人の異議申し立ても通り、ネズミたちが立ち退くのに際し
       嫌がらせや被害を受けないよう、犬や猫は家に閉じ込めること。
       そしてネズミたちが立ち退きやすいように、川や流れには橋をつける事、という判決だったそう!

       ははは、なんともユーモアのある判決ですが、
       さて、ネズミたちに立ち退きを申し聞かせるには、実際にどうやったのでしょうか?!
       ネズミの皆さん、無事に立ち退いたのでしょうかぁ?! ははは。

       



       乳母車を押したマンマと年上の女性、大きな黒いワン君が戻って来て
       扉を開けると、最初にワン君がすっと入っていく姿が見え・・。
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       古い重厚な壁の前、自作の額に入った絵と写真、なんだろ、これ?
       単純な装飾かな? 扉の上には、ここにも祝福の印。 
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       最初の町の門に戻って来て、今度は内側を通り抜けてみると、
       こんな感じで、かなり広く。
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       外に出てバスの駐車場に戻るとき、お家の庭に咲いていたアイリス
       やっとお花を見た感じで、目に鮮やか、美しかった!
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       そして町の外にある工場越しに見えた、コイラの城
       グロレンツァに来る前に見学したのでしたが、興味深い城でした。
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       グロレンツァにはメラーノから鉄道が連絡しており、
       小さな可愛い客車が走っているのも見ました。

       夏のシーズンにはなかなか賑やかで華やかな可愛い町の姿を見せる様子ですし、
       また11月2日にはかって商業交易で栄えた町の姿を偲ぶSealamorkt・
       魂のメルカートというお祭りがあるそうですし、クリスマス市も賑やかな様子。

       入口の門脇の広場も整備中でしたし、夏にもきっと様々な催しがある事と。

       南ティロルの小さな歴史ある古い町を見物方々、
       チャンスがあったらお出かけ下さいね!
      



     *****

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by italiashiho2 | 2017-05-30 00:44 | ・北イタリア Italia nord | Comments(10)
Commented by mitsu at 2017-05-30 21:47 x
南チロルの町々、イタリアであってイタリアでない風景は驚きだったり、淋しかったりでした。地続きで国境を挟む所の現実なのですね。住民はイタリア語もたどたどしいとか、イタリア国民と思っているのでしょうか?それとも・・・
いつもながら沢山の写真でご紹介していただくので、町の雰囲気がよくわかりました。青空にアルプスが綺麗だこと。カメラと腕がいいのでしょう、ひんやりとした空気も伝わります。壁に映る美しい影を流石見逃されませんですね!どうも有難うございました。
Commented by italiashiho2 at 2017-05-31 00:15
★mitsuさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、実はこのドイツ語圏である南ティロルの問題は、とても複雑でして、メラーノの街のご案内の時にでもと思っておりました。
というのも、この南ティロルは第一次大戦後にイタリアが戦勝国としてオーストリアから獲得しイタリアになったもので、イタリアにすべく様々な方法も取られたり、酷い事もしたりで、らしいのです、そのしこりが今も残る部分もあり、の様子で、
行政的にもボルツァーノ自治県という事になっていて、
単純に国境を挟んでの地、という訳ではないのですね。
またちゃんと調べて書きますね。

はい、カメラが良いので~す、当り、ははは。

ええ、ちょうど午後遅めの光の時で、斜め光線が壁の凸凹をしっかり出してくれて、その意味ではとても面白かったのでした。
こちらこそ、有難うございます。
Commented by mame-623 at 2017-05-31 10:33
はじめまして
キョロキョロしながら
ついて歩いてる気分です。
寝る前のひと時に
ゆっくり遊びにきます。
ステキーー
Commented by シニョレッリ at 2017-05-31 15:15 x
shinkaiさん、こんにちわ!

イタリアのドイツ語圏は、随分昔に行って以来、近寄り難い気がして、その後、一度も行ったことがありません。
サン・ジェルマン条約を含めてベルサイユ体制の失敗が先の大戦の原因となった訳で、ドイツ語圏のイタリアに行くと重苦しい感じがします。
反イタリアを掲げて住民が蜂起することは多分ないでしょうが、この付近の住民は基本的にオーストリアに戻りたいのでしょうね。

昨年、「未回収のイタリア」のうち、旧ヴェネツィア共和国領だった都市を回りましたが、あれらはイタリア領にすべきと思いました。
Commented by ミ~タ at 2017-05-31 21:12 x
私はドイツ語の方がちょっぴり分かるので、南チロルは馴染みやすいのですが、
イタリアが好きな人には今一つ評判が良くない様な・・・。

同じ南チロルでもブレッサノーネのホテルでは、ご主人がドイツ語で、奥様はイタリア語で話しかけてくれました。
グロレンツアはかなり奥まったところだし、オーストリア国境にも25㎞程なので、よりドイツ語が主流になるのかしら。
ドイツ語圏でも日本人が訪れるような観光地は、鉄細工の飾り看板を多く見かけます。
こういう辺鄙なところだから(交通の要衝として古い歴史があるにしても)、質実剛健な感じなのでは?

ここまで来ればスイスのミュスタイアは本当に目と鼻の先ですね。

Commented by italiashiho2 at 2017-05-31 22:22
★mame-623 さん、こんにちは! ブログご訪問、コメント有難うございます。

暫く前から素敵なお仕事を拝見しておりますが、あまりにも猫ちゃんが可愛いくて、イイネを押させて頂いたのでした。

お暇な時の息抜きにまた見てやって下さい!
Commented by italiashiho2 at 2017-05-31 22:29
★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

ティロル地方をつまり3分割して、一番南はトレント辺り、そしてこの南ティロルが中間という形のようなのですが、
第一次大戦後にイタリア化が始まったものの、なかなかうまく行かず、そのうちに第2次大戦、ムッソリーニとヒットラーが組んでいたのが戦後潰れ、今もずっと完全に自治県になるかどうかというあたりの問題が残っている様子ですね。

元々がオーストリアに大変忠誠な地区だったんだそうで、断然戻りたいんだろうと思います。

それと反対に、スロヴェニア側には逆の元イタリアがあるわけでして・・。 
戦争というのはやはりそういった悲劇を作り出しますね。
Commented by italiashiho2 at 2017-05-31 22:36
★ミ~タさん、こんにちは! コメント有難うございます。

いや、多分本当にティロル地方という感じのみでしたら大丈夫なんでしょうが、どうも中途半端な感じがするような・・。
もっと北に行ってだと純粋にティロル気分を楽しめるのでしょうと思います。

元々がオーストリアの元にあった所ですので、ドイツ語が主だというのも当たり前だと思いますし、
私などは隣の外国に行った、ような気持ちで過ごしました。

そうですね、スイスに10kの位置だそうですし、かなり田舎なので、なおの事質実剛健なイメージなんだと思います。
メラーノとはまるで違いましたね。
Commented by クリス at 2017-06-01 07:17 x
おはようございます。
ここはやはりチロルですね。最初の印象ではスイスのエンガディン谷の村々と似た雰囲気がありましたが、風習は南西ドイツの文化圏の特徴、オーストリア的(チロル)の色合いがやはり濃いです。

K+M+Bというのは、三博士の頭文字をとったものですね。この風習は南西ドイツのカトリック圏で、エピファニーの1月6日に行われている(家の扉に書いて回る)風習です。カトリック圏といってもイタリアでは一般的でないのですね。

「チロルはひとつ」というスローガンがチロル人の間にはあります。これはイタリアでもオーストリアでもなく旧公国としてのチロルこそが彼らのアイデンティティになっているのですね。ですからどちらかへの帰属ではなく本来なら独立なのでしょうが、これはバスクやアルザス、カタロニアも同じなんだなと感じています。
Commented by italiashiho2 at 2017-06-01 15:39
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

そうなんですね、やはりオーストリアの元に長く、というのが残っているのだと思います。

ああ、あの3文字は三博士の頭文字ですか。 私はまたキリスト、ベネディツィオーネ、真ん中は何かな?と考えていたのでした、へへへ。

はい、イタリアのエピファニーアではこれは無いですね。昔は今のクリスマス同様に子供たちにプレゼントが届く、という事だったのですが、この風習の変化なのでしょうね。

「ティロルは一つ」、これは今も強い、というのはイタリア化についての記事を読んでいて、書いている方はティロルの方でしたが、それはとても感じました。
イタリアが第一次大戦後に取った土地に対して何をしたか、がとても強烈に書かれていて、読んでいてちょっと苦しくなったほどでした。


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