イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2006年 09月 19日

   ・・・ ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町 ・・・

     今日は、1963年10月9日の夜、
     山崩れによるダムの出水に飲み込まれた
     ロンガローネ・Longarone という町にご案内致します。
     つい先日43回目の記念日を迎えたばかり。 
     我が町コネリアーノから、北に約50キロほどの所にあり、
     今は逆に「ヴァイヨンの悲劇」で観光客が集まる、
     というロンガローネの町なのです。 

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      ◆記念の銅板 

       1963年10月9日  時刻22時39分 
       これが悲劇の起こった、日付と時刻です。




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      ◆ロンガローネの町から、ダムを望む

       正面中央、細く山に挟まれて、
       ダムがあるのがお分かりでしょう。
       ENEL という、イタリアの電力会社
       (ほぼ国営)が造ったダムです。

       ヴァイヨン・Vaiont の渓谷を流れ下る
       ヴァイヨン河を利用しての、
       世界一高いダム、と呼ばれました。
       
       このダムを下った所に、ピァーヴェ河が流れていますが、       
       ダムの水の中に、右側の山が崩れ落ち
       その勢いで水は谷を下り、ピァーヴェ河を越え
       こちら側のロンガローネの町を と、
       ダムの左にあった村々を、飲み込んだのです




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      ◆モンテ・トック   (ガイドブックより)

       これが、ダムに崩れ落ちたモンテ・トックの、
       今も残る様子です。
       写真はガイドブックから取りましたが、
       実際に、私の写した写真も同様です。

       下に見える丘の様なのが、
       崩れ落ちてダムを埋めた、土砂なのです。
       今はこのように、土砂にはかなりの木が
       生えて育っています。




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      ◆災害前のロンガローネ   (絵葉書)

       これが災害前の、ロンガローネの村です。  
       一番右下に少し見える白い部分が、ピァーヴェ河の河原で、
       大変広く、村自体はかなりの高台にあります。  
       平和な村だった事でしょう。




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      ◆災害直後のロンガローネ   (絵葉書)

       上の写真とほぼ同じ場所からなので、
       壊滅状態が一目で分ります。
       
       高い位置にあるダムから溢れた水は、
       一気に谷を下り、ピァーヴェ河を越え、
       村を飲み込んだのです。  

       1963年10月9日、夜の10時39分、
       家々も、教会も、すべて飲み込まれ、押し流されたのです。  
       死者の数は、約2000人。  
       一家全滅した数も、少なくありません




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      ◆ピァーヴェ河の河原

       かっては、このロンガローネよりも下流にある
       ベッルーノからも、筏を組み、このピァーヴェを下り、
       ヴェネツィアにまで木材を運んだ、というのが嘘のような、
       水流が細い、河原ばかりが広いピアーヴェです。

       ロンガローネの町から、このピアーヴェを渡り、
       ダム側の村々に行きます。 




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      ◆ダム足もとの村

       これはロンガローネの対岸にある、
       コディッサーゴ・Codissago という村。 
       製材所があり、修復された綺麗な家もあるのですが、
       かっての石造りの壁も残っていて、
       この写真は3月半ばのものですが、
       少し寂れた村の感じが、お分かりでしょうか。




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      ◆ダム足もとの村  2

       コディッサーゴの村。 
       正面の家は、多分災害の後、
       家が放置されたままなのでしょう。 
       この村はまだ生きていますが、奥の村はもっと悲惨です。




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      ◆ダム足もとの村  3

       同じくコディッサーゴの村です。  
       1963年10月9日通り の標識がありますが、
       この家は放置されたままですね。

       ダムの水は、対岸のロンガローネを襲っただけでなく、
       ダムの足もとの村をも、攫って行きましたから、
       この村の死者も多かったはずです。




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      ◆ダム足もとの村  4

       村のはずれの方の家、
       屋根の上に、立派な風見鶏が。
       3月半ば、まだ山々には雪が残っています。




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      ◆ダム

       このダムは、1957年に始まり1959年に完成
       そして1960年には、既にかなりの大きさの山崩れが

       工事が始まる前から、この一帯の地盤のゆるさが
       指摘されていたにも拘らず着工、そして完成後わずか4年に、
       人災ともいえる大災害が起こりました。

       この写真は、6月頃です。  
       ピァーヴェを渡ってから、ダムのある場所まで
       8キロほどあり、かなりの急坂。  
       
       これは車で行った時の写真です。
       ダムの右側が、ピァーヴェ河、
       ロンガローネの町の方角です。
       ダムの上には金網が張られ、
       見学ができる様になっていました。




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      ◆カッソ・Casso 

       カッソ という、凄い名前の村ですが、
       ダムのすぐ北側の山腹、
       ダムからはちょうど200M の高さにあります

       左に路傍のマリア像が見えますが、
       ダムの水流が、この高さまで飛び上がったそうです。 
       如何に、山崩れによるダムの水の騒ぎが
       大きかったかが想像できます。  
       
       そしてこのカッソの村は、この災害では生き残ったものの、
       今半分ゴーストタウン化しているのです。




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      ◆カッソの村  (ガイドブックより)

       この辺り一帯の、地盤がゆるい事は指摘されていた、
       と書きましたが、この村は、その後の背後の山の地崩れで
       半分以上、村の家々が放置され、歩いていても気味が悪いほど。  
       ゴーストタウンなのです。

       家々の建物は、崩壊もしておらず残っているのですが、
       人が住んでいない村の気味悪さ。  
       窓の奥に人気のない気味悪さ。 

       この気味悪さは、ダムからの道をもう少し奥に辿った、
       エルト・Erto という村では、もっともっと、酷かった!  
       山崩れの水流を横から受け、家は残っているものの、
       人が住めない状態になったものか、放置されたまま。

       所々の家には住人もいるのですが、
       夜の薄気味悪さを想像しました。
       背後の高台に新しい村が出来、
       新しい家が並んでいるだけに、一層悲惨でした。




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      ◆ロンガローネの教会   (写真 G )

       かっての18世紀の教会があった場所に、
       今新しいモダンな教会があります。

       中には、ピァーヴェを何十キロも流されて、
       下流で見つかったマリア像や、崩れた鐘楼の鐘、等、
       亡くなった犠牲者の名が刻まれた壁 と共にあります。

       町は新しく、現代的なセンスで造りかえられ、
       観光バスが、たくさんやって来ます。




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      ◆夕陽を受けて

       帰りの汽車を待っていると、奥に見える山が
       夕陽を受けてバラ色になりました。  
       地図で確かめると、どうやらモンテ・チッタという
       2191M の山のよう。  
       重苦しい気分が、少しゆるぎました。


    ***

by italiashiho2 | 2006-09-19 04:37 | ・ヴェネト州 | Comments(4)
Commented at 2012-05-22 20:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by italiashiho2 at 2012-05-23 00:38
★Xさん、こんにちは! この記事を読んでくださって、有難うございます。

これは本当にひどい人災でした。 国の電力会社が地盤の緩い事を指摘され知っていながら、地元の人々の反対もあり、逆に貧しい村ですから勿論誘致に賛成の人もあった中での工事の着工だったのです。 そして僅か4年後の大災害です。

人間は、様々な進歩によって生活を援けられ、またそれが当たり前の感覚になってなんでもできる様な勘違い、自分の身の程知らずの贅沢さに慣れるのが怖い事ですね。
時々の大災害に出会う時、そんな事を考えます。
Commented at 2014-06-01 22:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by italiashiho2 at 2014-06-02 01:19
★t3xxxxxさま、こんにちは! 

はい、ミラノからのルートでも行けます、ちょっと調べましたら5時間半ほどかかりますが・・。 その後はヴェネツィアに出られたら、南に下れます。

現地ガイドの件なども調べる事もできると思いますが、宜しかったらそちらのメール・アドレスを非公開コメントで入れてくださると、こちらからメールを差し上げます。

どのように、どの程度お知りになりたいのかなど、もう少し手がかりがあると、お手伝いできやすいと思うのですが・・。


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