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カテゴリ:・アッシジ Assisi( 12 )


2015年 06月 21日

   ・・・ とりとめなく、アッシジの聖堂周辺あれこれを ・・・

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       先回2度にわたりアッシジの聖堂とジョットの壁画について
       見て頂きましたが、文字制限に引っかかるのを恐れ、
       どちらも最後が尻切れトンボになってしまいました。

       あれこれネットで探し出した写真もたくさんあり、
       ちょっと勿体ない気もしますので、はい、断捨離は無理なshinkai!で、
       「落穂ひろい」と称し、あれこれとりとめ無く
       聖堂周辺の話題をご覧頂こうと思います。 ごゆっくりどうぞ!

       上は、聖堂下広場での新婚カップル
       写真はいつものとおり、ブログ名の入っているのがshinkaiので、
       あとはサイトから拝借の物。



       今の聖堂は、アッシジの町もそうですが、1997年のウンブリア一帯の
       地震の後修復され、綺麗に洗われた白さなのですが、
       
       これは1991年の夏、イタリアに2ヶ月半ほど滞在した際
       アッシジにも1週間いた、その時の物。
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       そうなんです、こんな感じに茶色に汚れ、広場の草地もしょぼしょぼ、
       ははは、現在の様に囲む生垣も無く、出入り自由でしたね。
       はい、町全体も古く茶色にくすんでおりました。
       



       これは下の聖堂広場の両脇のポルティチ、北側
       壁も石積みのままで、広場もアスファルト舗装でした。
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       もっと古い写真が見つかりました!
       1930年10月25日、ブルガリアの国王ボリス3世・re Boris IIIと
       サヴォイア家のジョヴァンナ姫・principessa Giovanna di Savoia
       の結婚式が、この上の聖堂で。
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       当時はサヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエレ3世・Vittorio Emanuele III
       がイタリア国王でしたから、国王の5人兄弟の内の第4子、3番目の姫。
       当時の難しい政治状況下の政略結婚で、ムッソリーニも列席したとの事。

       ですが後に夫の国王は、1943年ドイツのヒットラー訪問の後帰国して
       3日目に死亡、明らかに毒殺されたものと見られ、
       彼女の結婚生活は僅か13年で、後の人生は険しかった様子です。



       上の聖堂での結婚式を終え、下の聖堂に向うお二人
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       階段を下りずに、上の聖堂から広場の先まで行き、戻られた様子ですね。
       お目が留まりましたか? まだ地道だったんですね。




       こちらは要塞から見た聖堂のイルミネーション
       正面全体と、張り出した小さな塔、そして鐘楼の上にも
       灯りがともってバランスの取れた明るさですよね。
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       所がこのイルミネーションを見て即、我が絵の師である二木さんから
       メールが届き、この鐘楼と小さな塔(火の見櫓と彼は表現!)の
       明かりは以前は無かった!とのご注進。




       えっ、そうだったけ?と気がつかずにいた鈍いshinkai、
       以前の2008年の写真を探しましたら、やはり!!
       鐘楼と「火の見櫓」の明かりは、最近なのでしたぁ
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       あの小さい塔は何かなと、あれこれ考えたのですが、
       かっては広場の民衆に向っての、説教壇というか、
       演説壇ではなかったのかな、という推測ですが・・。
       どなたかご存知でしたら、お教え願いま~す。




       さて1997年9月26日、11時40分に起こったウンブリアと
       マルケ一帯の地震は、マグニチュード6,1、震度10km、
       11人の死者、100人の負傷者、8万軒の家の被害でしたが、

       アッシジの上の聖堂の天井部が2ヶ所落下したのでした。
       落下瞬間の、まさに激写がありました!
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       椅子の向き、窓からの明かりの入り様から考え、
       これは聖堂入り口部分の落下と思われます。
       この部分での死者が4名居られましたが、確か外国からの
       観光客と僧侶のみで、アッシジの町の人は無傷!
       本当にサン・フランチェスコ様のお陰で! と言う町の人々の
       インタヴューが印象的でしたっけ。

       いやぁ、この2ヶ所の落下でよくも済んでくれた物!!
       築後700年の聖堂が、本当によく頑張ったです!!




       図も見つかりました。
       上の図の濃いグレー部分が落ちた部分で、左が入り口扉部。
       下の写真は右が入り口部、左が奥の祭壇上部分。
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       これは奥の祭壇上部、チマーブエの絵画は永久に失われました
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       こんな落下の瓦礫の中から
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       色の付いた欠片を拾い出し
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       どの部分かを割り出し、整理し
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       こんな風に、その部分の拡大写真に合わせての位置決め
       という大変な修復作業が行われ、
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       遅い遅いと悪口を言われ続けるイタリアの修復工事ですが、
       この時はなんと僅か2年で、まさに国の守護聖人フランチェスコ様の
       名誉を掛けたかの様な修復作業でした!

       修復についてのヴィデオを見つけましたので、イタリア語ですが・・




       下の広場にも、こんな風に亀裂が入っていたのですね。
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       これは知りませんでしたので、多分この機会に
       広場の敷石が敷かれたのだろうと、思った事でした。



       地震の後いち早く修復に取り掛かったのでしたが、当時の記憶に
       TVニュースで見た大クレーン車の到着があります。

       つまり下の聖堂入り口横の小さな門を、工事用のクレーン車が通らず、
       そのクレーンを吊り上げて中に下ろす、大クレーン車が来たのですね。
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       狭いアッシジのあの坂道を、大きなクレーン車が道幅いっぱいに
       ゴトゴトとゆっくり上り、両脇の建物がカタカタ揺れる、
       あの映像が忘れられなかったのですが、
       はい、見つけましたです、ははは。




       そして多分これは聖堂の修復が済んでじきの事、
       まだ町の建物の覆いも見えますが、下広場の石敷きも新しい
       鐘楼の上からの眺め! 
       う~ん、あの鐘楼は登れませんものね、一般人は。
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       下の広場は様々な催しに使われ、椅子席がいっぱいの事も、
       こうして毎年秋の、ペルージャからアッシジまでの平和の行進の皆さんも、
       はたまた先日は偶然にTVで、この広場のコンサート中継も見ましたっけ!
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       今日は話題があちこちに飛びますが、ははは、
       
       先回上の聖堂の壁画はジョット作ではなさそう、とご案内しましたが、
       こちらが下の聖堂にある、正真のジョットの「磔刑図」1310年作。
       ご覧頂くように、明らかに作風が違うでしょう?!
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       そして上の聖堂の壁画のご説明で、当時は絵の具の白に
       鉛白を使っていたので、湿度等による化学変化で、色がちょうど
       写真の陰画の様な化学変化を起こしている、と書きましたが、図66、

       これは下の聖堂にあるチマーブエの「磔刑図」
       まさに!の作品。
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       一度見て頂いたピエトロ・ロレンツェッティ・Pietro Lorenzetti の
       「夕陽の聖母子像」
       これはちょうど夕陽がここに当たり光り輝くので、
       その様に呼ばれているという事ですが、
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       聖母子を囲み、右に福音者ヨハネ、左に聖フランチェスコ。
       幼いキリストが聖母に「どちらを先に祝福したら良いですか?」
       聖母はくいっと親指をフランチェスコの方に!

       はい、イタリアでは人差し指では指しませんで、こういう場合、
       親指でクィッとやるのでありま~す。
       この所作を聖母様もやる、と言う表現がなんとも・・、ははは。




       この聖母子の部分のみが、町角のタイル壁画にもなっていて
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       はい、この角は町下のジョヴァンニ・パオロ駐車場から、
       カーヴした坂道を上り、町のサン・フランチェスコ門を入った
       向かい正面にあり、
       左手前のフラーテ・エーリア通りを上ると聖堂の下広場の位置。




       もう一度下の聖堂に戻って頂きまして、

       この部分のシモーネ・マルティーニ・Simone Martiniの壁画を。
       左にサン・フランチェスコ、そしてサン・ルドヴィーコ・ダ・トローザ・
       San Ludovico da Tolosa (南仏トゥールーズ)3人目が
       サン・ルイージ・ディ・フランチャ・San Luigi di Francia(フランスの)
       そしてサンタ・キアーラ・Santa Chiara.
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       フランチェスコの初期からの弟子、同士であったキアーラについて、
       先回説明を省きましたので、ここに少し。

       朝日が射し込み始めた、サンタ・キアーラ聖堂
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       フランチェスコの時代13世紀後半、この位置にあったのは
       サン・グレゴーリオ教会で、フランチェスコは亡くなった後
       フランチェスコ聖堂が建設され下の聖堂に葬られるまで、
       この教会に埋葬されていたのでした。
       現在この聖堂の地下クリプタには、サンタ・キアーラが埋葬。

       キアーラ・Chiara(1193頃ー1253)は、アッシジの裕福な貴族の
       生まれで、早くから独立の精神に富み、親の決めた結婚を拒否、
       とはいえ、彼女の当時の情報が残っているのは少ないものの、
       当時としては家庭内できちんとした教育を受けて育った模様。

       フランチェスコのお説教に魅せられ、18歳頃家から逃げだし、
       現在はアッシジの下の町、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの
       聖堂内に包括されているポルツィウンコラ・Porziuncolaの小教会に、
       最初の宗教活動の弟子、仲間達といたフランチェスコの下に。

       ここでフランチェスコはキアーラの髪を切り、サイオ・saio・法衣を
       与え出家させ、近くのベネデッティーノ派の修道院に連れて行き、
       後からやってきた彼女の妹アニェーゼ・Agneseもともに出家。
       
       その後フランチェスコがかって修復したサン・ダミアーノ教会に  
       隣接した小さな住まいに、後からやってきたもう一人の妹ベアトリーチェ、
       そして母親のオルトラーナ・Ortolana、他の女性達も含め早くに
       50人を越える集団に。
       キアーラは長年病気がちだった様子ですが、サン・ダミアーノに42年間住み、
       清貧のうちに祈りに身を捧げる修道院生活、フランチェスコ派女子修道院
       クラリッセ・クララ会の創設者となったのでした。

       サン・ダミアーノ教会




       今回アッシジの町中で見たミュージカルの公演ポスター、
       キアーラ・ディ・ディオ・Chiara di Dio・神のキアーラ
       サン・フランチェスコの傍らでのサンタ・キアーラの生涯
       という副題。
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       町のメタスタージオ劇場・Teatro Metastasioで、
       毎週土曜夜9時半から。
       サイトは http://www.teatrometastasioassisi.it/




       町の灯が灯り始めた、要塞から見るサンタ・キアーラ聖堂
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       さてもう一度聖堂の上の広場に戻っていただきまして、はい、

       植え込みで作った十字架と、下にPAX・平和の文字が見えますが、
       この十字架はいつも見る十の字ではなく、T なのですね。
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       今回町の土産物店でもたくさん見かけたので気がついたのですが、
 


       Tの字、TAU・タウと言い
 
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       元々はヘブライ語の最後のアルファベットで、旧約聖書の古い時代から
       用いられた、「人々のための神の援けと愛」を示すのだそうで、
      
       十字架に良く似たこの形を愛し、フランチェスコが使い出したと。
       つまりローマのカタコンベにも見られると言うこのT字を、
       新しい時代風に意味づけし、再度使い出したのだそう。




       そしてアッシジの町の土産物店と言うと、どこの町とも同じ様なのが
       ある一方、やはり参拝の町、如何にもアッシジと言うのがあり、
       こんな感じ!
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       そして今回とても目に付いたのが、これ、
       現教皇フランチェスコ様の絵柄! Tシャツに絵皿に
       カレンダー12か月分、全部教皇様というのも!!
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       フランチェスコ教皇様は、そのお人柄で選出当初から
       大変な人気があり、壁のグラフィックも即ローマに現れた程の
       スーパー・マリオ・フランチェスコ!!
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       アルゼンチンに移民したイタリア人両親からの、1936年生まれ、
       ホルヘ・マリオ・ベルゴーリオ・Jorge Mario Bergoglioが本名。
       教皇は彼で266代だそうですが、
       フランチェスコを名乗ったのは、なんと彼が初代なのですね。
       貧しい人々への想いを忘れずに、と仰っておいででした。

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       アッシジにも2013年10月4日にお出でになられ、

       この日はサン・フランチェスコのカトリックでの祭日で、
       イタリアの守護聖人である事から、一年間の灯火の為の
       オリーヴ油の贈呈が、確か各州ごとの回り持ちであったと。




       下の聖堂の地下にあるサン・フランチェスコのお墓の前の
       教皇様の写真が見つかりました。
       上段の、鉄の棒で閉められた石棺がお墓。
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       アッシジの聖堂は
       上の聖堂が8時半から18時 オープン
       下の聖堂は6時から18時まで。

       聖堂のサイトは 
       修道院の長いアーチが見れ、聖堂の鐘の音が聞こえます。




       あちこちふらふらの、ははは、落穂拾い的な今回も
       終りに近づきまして、
       
       美しい夜景のアッシジの町と、
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       アッシジのクリスマス、下の広場の様子と、
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       上の広場のプレゼーペ・降誕祭再現を。
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       で最後にもう一枚!
       新婚のカップルで今回始めましたので、最後もね!
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       夕方上の広場で見かけ、大急ぎで近寄りましたが、
       お祭りの期間日の休憩時間みたいな時で、周囲に誰もおらず、
       車に2人が乗り込み走り出した時は、
       盛大におめでとう!を言い、拍手しましたっけ!
       少し下の方から皆の拍手が聞こえ、何かホッとしましたが、ははは。


       長い蛇行、寄り道にお付き合い頂き、有難うございました!

       さて次回からまたお祭りに戻り、賑やかに!
       お楽しみに願いま~す!!


    

     ◆ グループ展のお知らせです ◆

       我が絵の師 二木一郎さんが講師をされておられる
       諏訪の絵画教室の「洲羽の会絵画展」が、
       諏訪市のギャラリー橋田さんで、22日から30日まで
       開催されます。
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       詳しいご案内、二木さんの新作についてはこちらの彼のブログに


       どうぞお出かけ御覧くださる様、ご案内申し上げます



     *****

       水彩ブログには、 詰めた3点と途中経過1点、そして色鉛筆 を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!    
     
    
     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!

       今夕はちょっと驚いた事、喜ばしい事が続き、いつもならば
       とっくに寝ている時間なのですが、ははは、これを書いています。

       昨日友人のジュリアーナ・ミランからの電話で、
       明日コーラスのコンサートがあって、日本のグループも出るよ、来る?
       いや、夜は出ないの、と断り、
       今夜はブログもアップし、ゆっくりのんびりの晩御飯+白ワインをね。

       食べ終り、見ていたTVの映画も終わる9時頃、参加している会の
       アンナマリーアから、日本人のコーラスがあるから、
       あんたは絶対来ないとダメよ!との電話。

       彼女からだと、既に飲んでいても、夜は通常出なくとも、
       行かなくてはなりません! 彼女はそんな人。

       でもこれが、出かけて行って本当に良かったのでした!

       我がコネリアーノから、そしてパドヴァからのグループがあり、
       最後が日本の西宮市からのコーラス、鳴音・なるおんの皆さん。

       これが素晴らしかった!
       日本の唱歌メドレーと最後「落葉松」で、声がはっきり大きく、
       こちらのコーラスを圧倒する出来で、それも嬉しかったのですが、ははは、
       日本の唱歌を自分が全部覚えていたのに、歌詞は全部ではありませんが、
       我ながら驚き!

       とても素晴らしく嬉しかったので、コーラスが済んだ後
       舞台の下にのこのこ出て行き、
       良くお出でになりました、素晴らしかったです! 
       有難うございました!と。

       そしたら、男声部の方から一人出てお出になり、
       いつもブログを拝見しています!と。  きゃ! 何で?!

       後で名刺を下さったのを見ると
       岡崎さんと仰り、エキサイトでコーラスのブログをされており、
       今回のこのコンサートの事は
       http://utanaka.exblog.jp/20728022/ に。

       私のブログを見ていて下さって、コネリアーノだから
       ひょっとして来てくれるかも、と期待して下さってたのだそう!

       まったく世の中は狭く、不思議な事も多いですねぇ!
       それにしても、アンナマリーアの「絶対来なくちゃ!」が無かったら、
       こういう経験、出会いはありませんでした。

       仲間達も大勢来ていて、私がのこのこ舞台下に出て行ったのを見て、
       大喜びで大笑い、良かったねぇと言ってくれ、
       でもまだ続けて夜遊びするのを断り、日付変更線の少し前に
       家に戻ってきたという、今夜の様子でした。 

       さて、もう一杯飲んで、おやすみなさい!    
            

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

         
   
       
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by italiashiho2 | 2015-06-21 01:50 | ・アッシジ Assisi | Comments(15)
2015年 06月 16日

   ・・・ その2 サン・フランチェスコ聖堂 ・ アッシジ ・・・

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       アッシジのサン・フランチェスコ聖堂のご案内2回目、
       今日は上の聖堂内、身廊の中段両脇を囲む28面の壁画、
       ジョット作といわれている「サン・フランチェスコの生涯
       Le Storie di San Francesco」のご案内を。



       上の聖堂内に限っても、内陣奥と両翼部分、そして今日ご案内の
       壁画の上部にもたくさんの画家による壁画があるのですが、
       到底全部は無理ですので、一番有名な壁画に絞る、という事で
       よろしくお願いいたします。
       
       写真は、上の聖堂の入り口部分から.
       床の美しい大理石模様が良く見えるのが見つかりましたので、どうぞ。
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       今日ご案内の壁画は、下から2段目に描かれている物で、
       一番下は壁に布が掛けられた様子の柄。




       「サン・フランチェスコの生涯」の28面の画面ですが、
       この位置図をどうぞ。
       下が入り口部分、奥のピンクが内陣で、周囲を囲むブルーの色、
       右奥の65から始まり手前の77、そして入り口扉の両脇に78、79、
       左に移り手前の80から92までの28面を指しますが、
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       今回この図を拝借したのはウィキぺディアのイタリア版からで、
       左奥の90~92番の色が紫になっていますね。

       下の色分け凡例によると、ブルーは「ジョット?とその工房」
       紫は「マエストロ・デッラ・サンタ・チェチーリア(ローマの」と、
       既に「ジョット?」という疑問形が用いられ、
       最後の3枚は別の作家としている事が分ります。

       実はこの上の聖堂の「ジョット作」と長年言われてきた作品に、
       随分前から色々と疑問が呈されていたのは知っておりました。
       が近年とみに議論が活発になり、別の画家の名が挙がっている事などなど、
       シニョレッリさんがコメントに書いて下さった事がきっかけで
       改めてあれこれ読み、知る事が出来ましたので、
       それらもご案内いたしますね。



       が、まずはどんな画面で何を現しているのか
       ・・聖堂内で見るのとはまるで趣が違いますが、現地ではなかなか
       詳細まで見る事が難しいのも事実ですので、
       サン・フランチェスコの生涯の逸話の理解も含めて、ご覧下さいね。

       頭の数字は、上の図の番号にしたがいますが、
       作品シリーズとしては1番から、となります。
       画面の大きさは230x270cm 入り口両脇のが270x200cm。

       65.質朴な男からの献呈
          いまだ宗教生活に入る前のフランチェスコが歩む前に、
          彼の将来を見抜いた一見質朴な男が布を広げたというもの。
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       66.フランチェスコが自分のマントを貧者に与える
          騎士(貴族)に出会ったとき、落ちぶれて衣服も貧しいのを見て、
          哀れみを覚え自分のマントを差し出す。
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       馬と端の円柱が黒く見えるのは、当時使っていた白の粉絵具が
       鉛白であった為、長年の湿気に対し化学変化を起こし黒くなったものと。
       下の聖堂のチマーブエの磔刑図でも、まるで写真の陰画のように
       黒く変化を起こしているのもあり、それがまた素晴らしい効果に見えるのも・・。




       67.武器の夢
          夢の中で、素晴らしい邸宅に男達が甲冑や十字のついた紋章を
          運びこむのを見たフランチェスコに天からの声。
          誰に仕えたいのか、仕える男達にか、それとも主にか?
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       68.サン・ダミアーノ教会での祈り
          サン・ダミアーノ教会の十字架の前で祈っていたフランチェスコに、
          十字架から繰り返し3度の声。
          フランチェスコ、廃墟になりつつある私の家を修復しなさい。
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       69.フランチェスコ、地上での富を放棄
          公衆の見守る中で、すべての衣服を脱ぎ父親に戻し、
          我が父は天にいる我らの父、と決別を告げ、清貧の生活に。
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       画面はに2分割され左は俗世、右はこれより後のフランチェスコが
       属する世界で、彼は天の神の手に応え。




       70.インノチェンツォ3世の夢
          夢の中で教皇インノチェンツォ3世は、貧しく身分の卑しい
          フランチェスコが、ラテラーノ聖堂(当時教皇庁のあった)を
          自分の肩で支える夢を。
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       71.インノチェンツォ3世、フランチェスコ派の会則を認める
          自分の元に集った仲間とローマに赴き、教皇から宗派の会則を承認され、
          神の言葉を広める宗教活動のため、
          剃髪(頭の頂上の剃髪)をする事も認められる。
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       72.火の馬車に乗ったフランチェスコ 
          アッシジの町の郊外(リヴォトルト・Rivotorto)の納屋で、
          仲間と一緒に過ごしていた夜、フランチェスコ一人が火の馬車に乗り
          野原を駆け回っている姿を見て、驚き恐怖に駆られる仲間達。 
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       73.玉座の幻
          空色の幻を見た修道士。それにはたくさんの天国の椅子があり、
          一つは素晴らしいもので、聞こえた声によると、
          この椅子は慎ましいフランチェスコの為に用意されていると。
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       74.アレッツォの街から悪魔を追い払う
          アレッツォの街の上で羽目を外して暴れまわる悪魔を見たフランチェスコは、
          弟子の一人に「行って悪魔を追い払いなさい、主ご自身に命令された様に」
          こうして街の門から大声で叫ぶと、悪魔達は即座に逃げだし街に平和が。
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       75.エジプトのスルタン、アル=カーミル・al-Malik al-Kāmil前での火の試練 
          スルタンからの高価な贈り物を断り、燃え盛る火の中を無事で通りすぎ、
          神の保護を受けた身である事を示そうとするも、会見の場に現れた
          スルタン側の大勢が驚愕に陥ったと。
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       で結果、本当に火の試練を受けたのか否や、書いてあるのが見付かりませんで。
       フランチェスコはオリエントにまで神の教えを説きに!
       エジプトのスルタンではありますが、会見の場はバビロニアだった様子。    




       76.フランチェスコの法悦
          熱狂的に祈るフランチェスコの姿は、弟子達から見ると、
          光り輝く雲に取り囲まれ、腕を差し伸べ全身が地面から浮き・・。
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       77.グレッチョでのプレゼーペ
          グレッチョ・Greccioで、キリストの生誕を人形で表現する
          現在のプレゼーペ・Presereを、初めてフランチェスコが行った。
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       貧しい文盲の人々に聖書が語る物語を如何に知らせるかが問題で、
       教会の壁画は「絵解き」になっているわけですが、
       キリスト降誕のお話をフランチェスコは、藁を敷き、牛やロバも
       つれて来て祈り、兵士の一人は本当に子供のキリストを見たと。

       グレッチョでという事になっていますが、画面の中では
       アッシジの下の聖堂を想わせる環境になっている様子。




       78.湧き水の奇跡
          フランチェスコが病み、貧しい男のロバの背に乗り山道を
          上っていた時、この男が喉の渇きに飢えているのを見て祈ると、
          岩の隙間から湧き水が迸り出た。
          その前にも後にもこの湧き水は無かった。
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       79.小鳥達への説教
          フランチェスコがべヴァーニャ・Bevagnaに行く道筋で
          たくさんの小鳥達にお説教をしたが、
          小鳥達は皆嬉しそうに首を伸ばし、はばたき、嘴を開き、
          中にはフランチェスコの衣服をついばむものまで。
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       80.騎士チェラーノ・Celanoの死
          フランチェスコが魂の救済を得た頃、騎士チェラーノが
          ささやかな献呈の為、昼食にフランチェスコ達を招いた。 
          騎士は懺悔をし身の回りの整理をした後、
          皆が食べ始めた時に突然亡くなった。
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       この項の意味づけが不信人者のshinkaiには良く分らないのですが、
       フランチェスコから魂の救済を得て、騎士は安堵して亡くなった、
       という事で良いのでしょうか?




       81.教皇オノーリオ3世の前での説教
          枢機卿達、そして教皇オノーリオ3世の前で行った
          フランチェスコの説教は、まさに密度の高い効果的なもので、
          その言葉も単なる人間の賢さからではなく、
          神から直接にインスピレーションを受けたと思われる物であった。
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       82.フランチェスコ、アルル(南仏)のアントーニオの前に
          (聖)アントーニオがアルルの会議室で説教をしていた時、
          そこにいない筈のフランチェスコが腕を広げて現れ、
          皆に祝福を与えたので、修道士達は皆喜び、大いなる慰安を得た。
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       後の聖アントーニオ・ディ・パドヴァ・Sant'Antonio di Padovaと
       呼ばれる方は、ポルトガルのリスボン生まれ、アゴスティーノ会派の
       僧でしたが後にフランチェスコ会派に入られた方、1220年。
       この逸話はフランチェスコのかなり晩年の物と。




       83.フランチェスコ、聖痕を受ける
          ヴェルナ山の麓で祈っていたフランチェスコは、
          キリストが十字架上の熾天使の姿で現れた幻を見る。
          そしてキリストが処刑の際受けたと同じ場所、
          両手、両足、そして右肋骨に聖痕・stigumate・スティグマーテを受ける。
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       これに付いて学者達は、フランチェスコが亡くなる2年前の
       1224年9月14日の事であったろうとしています。
       40日間の断食の後の事で、手と足の傷は釘などでの負傷の後起こる様に
       肉の隆起が見られ、右脇の傷は槍の一撃による傷の様で、しばしば出血。
       いずれにしてもフランチェスコは死に至るまで、
       これらの傷を隠そうとしていたと。
              
                    
          
                 
       84.フランチェスコの死
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       フランチェスコはとりわけ晩年様々な病に、視力の他に肝臓障害にも
       苦しみ、時に医者にも頼ったようですが良くならず、
       1226年6月コルトーナ・Cortonaで一夜苦しんだ後「遺言」を。
       この中で、会派が最初の精神から遠ざからぬ事を勧告していると。

       そしてノチェーラ・ウンブラ・Nocera Umbra近くの湧き水から、
       「聖なる場所、ポルツィウンコラ・Porzuincola」に戻って死にたいと
       希望し果たし、10月3日の夜、死が訪れます。 
       44歳の短くも長い生涯、父親と俗世との決別は24歳の時でしたから、
       20年間に渡る厳しく激しい宗教生活だったわけです。




       85.修道士アゴスティーノとアッシジの司教の死
          フランチェスコが亡くなったと同時に、修道士アゴスティーノは
          「待って下さい、一緒に行きます」と叫び、瞬時に亡くなり、
          一方アッシジの司教グイド・Guidoはフランチェスコの幻を見て、
          「私は天に行きます」と、まさに同じ時間に死を迎えたと。
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       アッシジの司教グイドという方は、そう、フランチェスコが父親に
       着ていたすべての衣類を渡し決別した時、彼をかばった司教でした。




       86.貴族のジローラモ、フランチェスコの聖痕を確認する
          ポルツィウンコラで亡くなったフランチェスコの遺骸を、
          著名な医者文学者でもある貴族のジローラモ・Girolamoが、
          自分の手で、フランチェスコの手と足と脇の聖痕を検める。
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       近年列聖されたイタリアで有名なピオ・Pio神父という方がおられます。
       この方も両手に聖痕を受けたとされ、様々な医学的な検証もあったのですが、
       亡くなられた後には、傷は消えていたと言います。
  



       87.フランチェスコにキアーラ・Chiaraが最後の挨拶を
          フランチェスコの遺骸は、大勢の人と多くの木の枝、そして
          たくさんの灯された蝋燭に囲まれアッシジの町に向かい、
          キアーラとその修道女たちの最後の挨拶を受ける。
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       この画面を見た時、葬列はどの道筋を通ったのだろうと考えましたが、
       初期の宗教生活では一緒の仲間で、後に別々に活動していたキアーラに
       最後のフランチェスコを会わせる為、キアーラのいた現在の
       サン・ダミアーノ修道院まで遺骸を運んだのだそう。

       そして現在のサンタ・キアーラ聖堂、当時はサン・グレゴーリオ教会だった、
       に、フランチェスコは葬られます。
       



       88.教皇グレゴーリオ9世によるフランチェスコの列聖
          1228年没後2年、サン・グレゴーリオ教会の前において
          教皇自身の出席のもと、様々な奇跡について念入りな討議の後、
          列聖される。
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       教会カレンダーによるフランチェスコの日は、10月4日。          
       



       89.グレゴーリオ9世の夢に現れるフランチェスコ
          フランチェスコの脇の傷についていささか疑いを持っていた
          教皇グレゴーリオの夢に現れたフランチェスコ。
          「空のガラス瓶を」と受け取り、右脇から溢れる血で満たします。
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       いささか不謹慎かもですが、この場面の説明には思わず笑いました。
       教皇の疑いの念に対し、夢枕でガラス瓶を血で満たしてみせるフランチェスコ!
       ほらね、ですから聖痕だったと言うのは本当なんですってば! とでも? うぷっ。




       これからの3場面は、最初の位置図で既にローマの作家の作品と
       見なされており、図も小さいのが掲載されていて、
       逸話もフランチェスコの死後もあちこちで奇跡を起こした、という事ですので、
       ここでも簡単に。

       90.スペインのジョヴァンニ・ディ・イェルダ・Giovanni di Ylerda
          のもとに現れ、ジョヴァンニは回復する。
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       91.亡くなった女を生き返らせ、懺悔させるフランチェスコ
          唯一の罪、懺悔をせずに亡くなった女は、懺悔を済ませ再び死ぬ。
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       92.フランチェスコが現れ、異端の罪に問われていた
          ピエトロ・ダリーフェ・Pietro d'Alifeを自由の身に。
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       という一連のサン・フランチェスコの生涯の逸話の画面でしたが、
       さて、これらは今までずっと、というよりも現在も、
       1295年から1299年にかけてのジョットの作品というのが通説

       ジョット・ディ・ボンドーネ・Giotto di Bondone
       1267年頃の生まれー1337年没の画家、建築家であり、
       ビザンチン美術の硬さから抜け、空間表現の自然さ、人物の自然さ、
       感情を描き「イタリア絵画の父」と呼ばれる画家。

       でいつからこの上の聖堂のこの一連の作品がジョットの物であると
       なり、誰が言い出したのかですが、

       ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari
       「ルネッサンスの著名な画家彫刻家列伝」の初刊1550年には
       ジョットが下の聖堂の殆どを描いた、とあるのが、
         確かにジョットは1309年にはアッシジに滞在し、
         下の聖堂の2つの礼拝堂の壁画、天井、右翼を描いています。

       が同著の1568年刊には、「上の聖堂の、通廊の窓を越しての教会の両脇、
       サン・フランチェスコの生涯の32場面、つまりファッチャータの
       16場面、を描き、素晴らしい名声を得た」
       (・・正直言いまして、どなたかの通訳説明が欲しい程で・・!)

       つまりこれ以降、ジョットが描いた、というのが公式になったのだそう。
       
      
       ですが20世紀の初頭からとりわけドイツやイギリスの研究者たちの
       間から、ジョットの作品ではない、という声が上がり始めたと。
       がそれ以前の1796年、すでにイタリア自国のデッラ・ヴァッレ神父が、
       ジョット作に疑いを表明していたのだそうです。

       この疑問についての議論が最近活発になったのは
       1997年修復家のブルーノ・ザナルディ・Bruno Zanardiが
       「アッシジの作業場で・Il cantierre di Assisi」という本を出版、
       長年フレスコ画の修復に当ってきた立場から
       反ジョットを明確に打ち出したもので、
       今までの学者達の「ジョットのスタイル論」ではなく、
       画家の技術や色使いなどからの反論なんだそう。

       この本の前書きをされているのがフェデリコ・ゼーリ・Federico Zeriで、
       彼は最大の反ジョットの評論家なのだそう。


       こちらは、上の聖堂にあるジョットの描いた物
       上の位置図の緑色の部分の中の物と思われます。
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       そしてこちらは、上の聖堂の86の中の顔と、
       ローマのサンタ・チェチーリア・イン・トラステーヴェレに
       ある壁画の画家ピエトロ・カヴァッリーニ・Pietro Cavalliniの顔
       よく似ているというよりも、まさに同一画家の作品ですね。
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       このピエトロ・カヴァッリーニという13世紀後半の画家の作品は、
       今まで余り知られていなかった、というのも残存する絵が
       少なかったからなのですが、 

       ちょっと見難いですが、ローマの地図をどうぞ
       1のSancta Santorumの修復が1995年に、
       そして2のS.Maria in Aracoeliでは、2000年に「バイロンの礼拝堂」
       と呼ばれる壁画の一部が見つかり、
       これは大変アッシジの壁画に良く似ているのだそうで、
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       2のサンタ・マリーア・イン・アラコエリ教会の建設は1285年、
       設計はアルノルフォ・ディ・カンビオ・Alnorfi di Cambioで、
       内部装飾はピエトロ・カヴァッリーニ。

       近年新しく見つかったこれらの壁画から
       カヴァッリーニの作品が改めて見直され、
       つまりアッシジのジョットの壁画についても見直しが


       ローマの1250年から1300年にかけては、たくさんの建設がされており、
       ボニファーチョ8世が音頭を取った最初の聖年1300年の影響もあり、
       ローマの4つの聖堂のすべて、そして最も重要な教会のすべての装飾が
       新しくされたりで、
       トスカーナからの画家建築家もたくさんやって来て、
       ローマ派の有名な画家達と一緒に働いていただろう事は易く想像できますが、
       当時のフレスコ画はその後の世代毎の再装飾で、殆ど残らず。

       ただ古代よりの新しい流れをローマ流にこなし、
       その名残が明確に残っているローマ。
       そしてそれを吸収しては新しい物を生み出し、
       生み出させたローマですから、
       新しい「イタリア風」を生み出したのも、やはりローマ派の画家であったろう

       そしてアッシジのカヴァッリーノの作品を見たジョットが
       もっと大きく発展させ、後のパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂壁画に、
       遺憾なく彼の傑作を結実させたのであろう、

       というのが自然に読み取れる流れ、という事で、
       現時点での不足は記録なんだそう。
       
       パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂

       今回アッシジの壁画をこうしてじっくり眺めたのち、
       改めてスクロヴェーニの作品を見直し、驚きました。
       いくらこちらが後年の作とはいえ、聖堂のとは
       作風の違いが明らかなのがよくお分かりと思います。
           
   

       用意していた写真は他にもあるのですが、今回も説明が多くなり、
       省略せざるを得ず・・、

       下の聖堂の祭壇部分と、
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       下聖堂にあるshinkaiが大好きな、
       ピエトロ・ロレンツェッティの「夕陽の聖母子」
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       で閉めさせて頂きます。
       お付き合いくださり、有難うございました!!



     *****

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by italiashiho2 | 2015-06-16 08:00 | ・アッシジ Assisi | Comments(15)
2015年 06月 11日

   ・・・ サン・フランチェスコ聖堂 その1 ・ アッシジ ・・・

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       アッシジの春のお祭りカレンディマッジョをご覧頂いていますが、
       ちょっと休憩、
       サン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francescoと、
       有名なジョット・Giottoの壁画作品について、纏めてご案内を。

       何度も聖堂・バジリカの写真を見て頂きながら、
       中のご案内はしていなかった事にも気がつき、
       ジョットのかの有名な壁画についても最近あれこれ知りましたので、
       そんなこんなを纏め、2回に分けてご案内を致します。

       トップは、まず聖堂を
       坂道を上って来て、最初に目に入る姿。

       正式には、ここは下の聖堂広場・Piazza Inferiore di San Francesco.
       今正面に見えるのが下の聖堂・Basilica Inferiore・インフェリオーレの入り口で、
       右上に見えるのが上の聖堂・Basilica Superiore・スーペリオーレ.
       つまり2層に聖堂が重なっているのですね。
       
       30年前頃、この広場はまだ敷石がされていなかった記憶。



       広場を囲むポルティチに射し込む陽、これは南側
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       町の地図をどうぞ
       町の西端に、サン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francesco
       その右下に、サン・ピエトロ修道院・Abazia di San Pietro
       町の真ん中に、コムーネ広場・Piazza del Comune
       右下町の東端に、サンタ・キアーラ聖堂・Baslica di Santa Chiare
       町から1.5kmほど離れて、サン・ダミアーノ教会・San Damiano
       右上に、サン・ルフィーノ聖堂・Cattedrale di San Rufino
       町の上に、ロッカ・マッジョーレ・大要塞・Rocca Maggiore
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       町を西と東から挟む形で、サン・フランチェスコ聖堂と
       サンタ・キアーラ聖堂が向かい合っている、という形でしょうか。

       サン・ダミアーノ教会



       まず、聖堂に朝日が当る前と、徐々に陽が射しこむ様子をどうぞ。
       5時55分から、6時半頃。
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       いつ見ても、どの時間帯でも、どっしりと美しく典雅な姿!!


       今回は聖堂の建設について、上の聖堂の外部装飾、大好きな薔薇窓、はは、
       そしてちょっぴり聖フランチェスコと、聖女キアーラについてご案内し、
       次回はジョットの壁画についてと考えておりますので、
       よろしくお願いいたします。


       下と上の聖堂が2層になっていると書きましたが、
       高低の差はこんな感じで、上下どちらからでも中に入れ、
       聖堂奥に連絡の階段があります。
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       下の聖堂の、入り口全体の写真を昼間撮っておらず、へへ、
       なにせいつも入り口部分が混んでおりまして、
       様子だけでもと、ちょっと切り取ってみましたが・・、
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       下聖堂の入り口上部
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       聖堂建設は1228年に下の聖堂から始まりましたが、
       これはフランチェスコが亡くなって僅か2年後の事。
       この年7月16日に教皇グレゴーリオ9世により列聖され、
       翌日17日に最初の基石が修道士エーリア・Elia da Cortonaによって
       置かれたそうですが、これらはすべてその1年前に
       協定済みだったとの事。

       この聖堂の位置については、フランチェスコ自身がここに埋葬を、
       そして貧しい者達の為の教会をと希望したという事ですが、
       かって町の西外れのここは、町の下の丘、
       無法者や処刑された者たちの埋葬地だったそう。
       

       エーリア(1180頃-1253)という方は、法学の勉強を修めた後に
       フランチェスコの元に集った最初からの一人で、対外的に重要な
       任務を授けられては果たした重要人物で、それがフランチェスコや
       他の仲間とも対立をもたらした事もあった程と。
       いわゆる大変な切れ者だったのでしょう。

       修道会の副長を務めている時に、後の教皇グレゴーリオ9世の
       好感を得たといい、
       フランチェスコの列聖の速さ、聖堂建設の速やかさも納得ですね。

       サン・フランチェスコ聖堂の下の広場に至る坂道の名が、
       フラーテ・エーリア通りというので、何をした人なんだろうと
       思っていたのでしたが、図らずも知る事が出来たという訳です。




       聖堂内部は昔2、3度入った事があるものの長らくご無沙汰。
       いつも大変な人々の姿でパスしていたのですが、
       今回はやはり拝観して置かないとという気持ちになり、
       朝早く出かけました。

       陽射しが目に痛いほど煌く朝で、
       上の聖堂前に広がる芝の緑が目にしみます。
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       もっと早い時間、朝日が当るのを撮りに来た時は、
       シュッシュッと5つか6つのスプリンクラーが回り、
       なるほど芝が綺麗な訳だと納得しましたが、
        
       昔は生垣も無く、この芝の中に入り込んでペチャッと座り込み、
       聖堂のスケッチをした想い出があり、懐かしい場所。




       広場の上にある「フランチェスコの帰還」像
       裕福な布商人の息子であった彼が、ペルージャとの戦争に参加、
       捕虜生活ののち意気消沈し、アッシジに戻って来た姿。
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       広場の上から見る、上の聖堂入り口
       あっという間に参拝客が増えていき、
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       入り口前で、入って行ったマンマを必死に待つワン君。
       彼の名を聞いたんだけどなぁ・・。 
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       大きくて典雅で、大好きなこの薔薇窓! 
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       薔薇窓を囲む形で四隅にいるのは、4人の福音者のシンボル像で、
       左上が天使像の、マッテオ・Matteo
       左下、有翼のライオン像 マルコ・Marco
       右上、鷲 ジョヴァンニ・Giovanni
       右下、雄牛 ルーカ・Luca 



       煌く朝日の下で見つめ、今回気が付いた事は、
       なんとなしにずっと大理石の彫刻と思い込んでいた
       この薔薇窓が、実は黄金のモザイクで装飾されていた事!
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       入り口前から見上げていて、キラキラ光るのですね、
       それで気が付いたのですが、こんな様子。

       円形の中心部には、内側から見ると、
       黄色のガラスが入っており、それがとても印象的でした。




       周囲を囲む小円柱のひねり部分にも!
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       上部の円形には緑色の詰め物跡も見え、
       そうですね、ちょうどオルヴィエート大聖堂の
       あのキラキラに似た感じがこの薔薇窓にもあったのですね。

       オルヴィエートの大聖堂



       薔薇窓を描きつつ、ん?と思っていた左上のマッテオ像
       やはり首が据え替えられていた、というのか、
       元々から顔部分の石は別の色の石だったのか、も改めて・・。
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       左下のサン・マルコ像のライオン君の尻尾が
       両脚の間を潜り、お腹から背中に回っている事も、ははは、

       そして薔薇窓の下のこのラインの下の小さな彫像群!
       何かくねくねした形が、花かな何かな、と思いつつ描きましたが・・、     
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       なんとこの一列に、中世的動物像、人間の顔を持つのもが
       ひしめいているのを見て、嬉しくなって笑いました!
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       向って右端の鳥の下、一番端には雄牛まで!
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       アッシジのこの聖堂には、中世的イメージの像が無いと
       思っていたのですが、やはり在った! 潜んでいました!

       そうなんです、今回のアッシジ訪問の目的は、
       こんなあちこちの細部確認が、自分に欲しかったのでした。




       上の聖堂内部に入ったのは8時50分位だったか、
       まだ内部には2人ほどの人と、警備の人が行ったり来たりだけ。

       なんとも清々しく、細長く高い荘厳な空気に、ああ、来て良かった!
       青色の印象がやはり強く目にしみましたが、
       外とは打って変わった静かな薄暗い中に、フレスコ画がひっそりと。
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       内部は写真禁止ですのでサイトから拝借ですが、
       この向きが、どちらの写真も上の入り口から入った時の物

       ジョットの壁画と呼ばれる「フランチェスコの生涯」で
       描かれたものは、両壁面に全部で28面、
       壁に埋め込まれた支え柱で区切られた空間に、それぞれ3面ずつ。
       それぞれの画面については、次回にご案内を。
      


 
       上の聖堂のみの図をどうぞ
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       左下の図は、1997年の地震により被害を受け落ちた天井部分
       を示しますが、入り口と奥の祭壇部分が落ちたのでした。 

       修復についてのヴィデオを見つけましたので、イタリア語ですが・・。



       一番奥に連絡階段があり、降りていくと中間のテラス部分に。
       下の回廊が見え、テラスの右手にショップがあります。
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       テラスから見上げる、上の聖堂の後陣部分はこの高さ!
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       上の聖堂は一廊式の細長い高い身廊に両翼が付いた形のみですが、
       一般人は入れないものの実際の建物全体は大変大きな物。
       こちら、上の要塞からの朝の写真と
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       下から見上げる威容。      
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       聖堂建設は、フランチェスコが聖人に列席された没後2年の
       1228年に始まったと上記しましたが、
       下の聖堂の完成は多分1230年、聖フランチェスコの遺骸が
       荘厳に運ばれ埋葬されますが、盗まれるのを恐れ隠されます。

       現在下の聖堂の地下にお墓、石棺がありますが、
       これは1818年に見つかったのを埋葬しなおしたものと。

       聖堂建設についての建築師の名は記録に無く、
       ヴァザーリがヤコポ・テデスコ・Jacopo Tedescoという名を
       挙げているそうですが、憶測であろうと。

       下の聖堂の大きさは、最初の予定では現在のよりも小さく
       フランチェスコ派教会式の長方形の素朴なものだったのが
       早い時期に変更され、大きなものになります。

       修道士エリーアが宗派の総長となった1232年には、
       聖堂をもっと大きく2層のものとし、宗派の創始である
       聖フランチェスコの栄光を称えるものとする事を決定。

       というのも、フランチェスコの没後2年間の間に、
       彼の人間像、業績がキリスト教の歴史において
       最も重要で意義深いものとみなされるようになり
       民間信仰、巡礼の大きな広がり増加もあり、
       これを踏まえての教皇とフランチェスコ会派との強い結びつき等など、
       最初のためらいを越え、ここに威容を誇る聖堂が出来上がります。

       ゴシック様式への変更は、1241年に総長となったイギリス人の
       アイモーネ・Aimone da Faversham(イタリア語読みで)の影響が
       大きかったろうと見られるのも、彼がアルプス以北の親方衆を
       呼んだのだそう。

       これで上の聖堂の正面壁にロマネスク様式が残り、
       内部の骨組みは違うのも納得ですね。

       聖堂の完成は1253年、聖別式も執り行われていますが
       やはり資金不足は続いており、内部の様々な完成は後々にまで。

       とはいえ、下の聖堂のフレスコ画装飾のいくつかは13世紀後半に、
       そして上の聖堂の装飾も済んでいたであろうという事ですが、
       この詳細については、次回に。




       では現在イタリア国の守護聖人とされるサン・フランチェスコは、
       どんな人となりで、どんな生涯をおくったのかをちょっぴり。

       こちらが下の聖堂に残るチマブーエ・Cimabueが描く姿
       色々な聖人像があるのですが、これが一番良く似ている、といわれるもので、
       余り背も高くない方だった様子。
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       聖人賛美風は苦手ですので、簡単シンプルに。
       カトリック教会が認めているのは、1182年9月26日生まれ
       亡くなったのは1226年10月3日 44歳の生涯でした。 
       父親はピエトロ・ディ・ベルナルドーネ・Pietro di Bernardone
       母親はフランス人のジョヴァンナ・ピカGiovanna Pica

       洗礼を受けた時の名はジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ベルナルドーネ・
       Giovanniだったのですが、当時としては例外的に、父親は彼の名を
       フランチェスコ・Francescoと変えます。

       布商人として彼に幸運をもたらしたフランスに対してか、
       はたまた妻のピカがフランス女性だったからか・・。

       一応の教育を終えたフランチェスコは、14歳から父親の仕事を
       継ぐべく働き始めますが、彼の青春は裕福な家柄や貴族の息子達との
       享楽的なものだった様子。

       それに変化を齎したのがペルージャとの戦争で、
       1202年の戦争には彼も参加し捕虜となり、1年後に父親が
       身代金を払い、アッシジに戻ったものの重病に。

       どうやらこの辺りで、彼の心の中に変化が起こり始め、
       自然の中に孤立して過ごしたり、貧しい者達への哀れみの心が
       湧き上がって来た様子。
       
       それでもまだ1204年頃、南イタリアのレッチェ・Lecce の
       十字軍に参加すべく出発を。
       当時のヨーロッパにあって、騎士として十字軍に参加するのは
       最高の名誉とみなされていましたし、彼も騎士になりたかったのですね。

       所がスポレート・Spoletoに到着した所でまたもや病となり、
       初めて深く回心したといわれ、アッシジに戻ります。

       一番大きな逸話として語られるのが、1205年サン・ダミアーノ教会で
       祈っていた時に十字架が3度彼に語ります。
       フランチェスコ、見るとおり崩壊している私の家を修理しなさい、と。

       この後父親の店から盗んだ布や馬をフォリーニョ・Forignoの町で
       売り払い、その金を司祭に渡したりし、
       激怒した父親は、罰を受けた息子の対応の変化を願いつつ、
       司法官に訴えます。が、
       
       1206年の1月、アッシジ全部が見守る司教館において、
       父親が話し終わるや否や、
       何のためらいも躊躇も無く、すべての衣類を脱ぎ父親に渡し、
       「今までこの世においては父親と呼びましたが、これ以降は
       絶対の確信を持って、天にいる父が我らの父。
       なぜなら彼にすべての私を渡し、私の信頼と希望のすべてを
       預けているからです」と決別。 
       フランチェスコ24歳のとき。

       こうして極清貧の生活を集った仲間と送りながら、
       布教に努め、貧しい人々の救済に当ったわけですね。



       これらが、現在残されているフランチェスコの修道服
       下のは、最後の物と。
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       これはアッシジの下の町、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・
       Santa Maria degli Angeliの聖堂内にある
       フランチェスコが亡くなった小教会ポルツィウンクラ・Porziuncola.
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       彼の生涯における様々な宗教的逸話は、上の聖堂の壁画に
       描かれておりますので、次回にご覧頂きますね。

       今回、聖堂の北の林の中の道、散策に適した道が
       「フランチェスコの森・Bosco di San Francesco」として、
       解放されているのを知り、ヴィデオも見つけましたので、どうぞ。




       今回は説明文が長くなりましたので、すみません、以降簡単に。

       最後はフランチェスコの元に宗教生活に入り、
       後に女子修道会クララを設立した聖女キアーラ・Santa Chiara
       下の聖堂にあるシモーネ・マルティーニ・Simone Martiniの作品で。
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       町の東にあるサンタ・キアーラ聖堂。
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       ここにも大変清楚で可憐な、美しい薔薇窓
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       次回もよろしくお願いいたしま~す!
     

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       水彩ブログには、 サン・ジミニャーノ 雲海の朝 を詰めています を
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by italiashiho2 | 2015-06-11 01:55 | ・アッシジ Assisi | Comments(14)
2015年 05月 18日

   ・・・ アッシジに再会の日 ・ ウンブリアの春 n.3 (追記)・・・

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       今回の、「ウンブリア旅行」と言うより「アッシジ再訪」は
       かなり唐突に、1ヶ月ちょっと前に決めたのでしたが、
       いざ決めると、じわじわと心の底から嬉しさが湧いてきて、
       車の免許を取ってすぐに、初めて一人で運転して出かけた
       アッシジを想いだし、くしゃくしゃになっていた車のクッションも洗い、
       古くなって糸の綻びていた気に入りの財布もつくろい、ははは。
 
       そして、7年ぶり6度目のアッシジ訪問は
       あの道を通って!と決めたのでした。
       
       7年ぶり6度目の訪問なのですが、日本からの旅行で初めての訪問は
       1984年ですから、なんと31年まえの事で、3度訪れていて、
       その後の2度がイタリアに住むようになっての事。
       やはりなんとも静謐な町の良さに惹かれているのですね。
       
       上は、そうして土地の道を通って行き、
       初めてアッシジの姿、サン・フランチェスコ聖堂が見えた時!
       やはりこの町の姿は美しい!!



       レンズの向こう、町の東端のサンタ・キアーラ教会も!
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       緩やかな坂道を下り、アッシジに向う県道との合流点に出ると、
       同じサン・フランチェスコ聖堂がこんな威容を見せます!
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       8年前に初めて車の窓から見上げたアッシジの町は、
       このサン・フランチェスコ聖堂のこの威容。
       そうなのですね、鉄道駅からの道だとこの姿ではないので、
       要塞とも見まがう程の姿にただ驚いたのでしたが、
       今回はちょっと道が違っていたのもあって、これより先に、
       山腹の緑の中にゆったりと広がる町の姿を見れたのでした。




       旗の立っているのが見えるのはサン・フランチェスコ門
       門の脇に信号があって、今、赤になっているのが見えますか?
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       この写真の右下広場に地下駐車場があり、一般車は町の中には
       入れませんが、ホテルへの鞄の乗せ下ろしはOKで、
       この理由で後ほどshinkaiめも、あの信号の門を通り、
       すぐ左に折れての坂道を行き、
       サン・フランチェスコ聖堂前広場に出て、ジャ~ン
       そこから右に坂道を上りサン・フランチェスコ通りのホテルにね。

       狭い道の多いアッシジの町は殆どが一方通行で、
       サン・フランチェスコ通りも東行きのみ。
       ですからホテルへ荷を降ろした後は、町の中心のコムーネ広場
       まで行き、この広場は通り抜けできず、西からも東からも
       ここで筋違いの一方通行の道で折り返す事に。

       で、西からの道はコムーネ広場から山の手の細い道をず~っと行き、
       サン・ジャコモ門の前から曲がって下り、
       再びサン・フランチェスコ聖堂前広場に出て、ジャ~ン!
       ゆるゆると下って下の駐車場に、という事に。

       ですから、この度もshinkaiは、サン・フランチェスコ聖堂前広場を
       2往復、4回も車で通っちゃったんでありますぅ、うひひ。




       てなことで、まずはホテルに鞄を下ろしチェック・インし、
       駐車場に戻り5日間のカードを作ってもらいましたが、
       7年前より一日に付き確か2エウロの値上げ、一日12エウロに!
       
       こうしてゆるゆると再度、今度は歩いて坂道を辿り
       見えてくるサン・フランチェスコ聖堂の正面側
       この道の曲がりの奥に、下から見えたサン・フランチェスコ門。
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       最初に目に入るポスター
       右、アッシジのカレンディマッジョ 2015年5月 6.7.8.9
       左、カレンディマッジョの期間限定タヴェルナ・簡易食堂オープン
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       そうなんです、この春アッシジに行こうかと考えた時、
       即、ではもう一度カレンディマッジョのお祭りを見よう!と。
       あんなにも楽しんだお祭りの切符を今回も予約し、
       いそいそと出かけてきた、という訳です。

       カレンディマッジョのお祭り、2008年
       その前夜
       http://italiashio.exblog.jp/7910201/  
       その1~4




       サン・フランチェスコ聖堂前広場
       青空、聖堂の変わらぬ簡素で典雅な美しさ、集まる参拝の人々。 
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       ここに来る団体の多くは、僧侶、尼僧に導かれていたり
       広場でも出会う僧侶達に説明を受けていたり。
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       まずはコムーネ広場の観光案内所で、予約した切符を受け取り、
       席を確かめておこうと行きますが、
       これがまたコムーネ広場直前のヴィア・ポルティカが凄い坂道で!
       おまけに春の修学旅行の子供学生達で溢れかえっているのです。
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       コムーネ広場の西の端にある、市の観光局、インフォメーション
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       1ヶ月前に予約し、写真を撮りたいので一番上の列の一番端の席を、
       と頼んでいたのが思う様に取ってくれておらず、それを言うと、
       もう売り切れなので、ダメなら返金します、という強気の姿勢。
       上のほうの席ですよ、と自分で上がって座って見せたりで、
       よし、通路の一番上の席に座れば良いのだ、と了解。

       翌日からのお祭り開催で、はは~ん、と分ったのは、
       中央の良い席はまず全部町の人々が占め、圏外、観光客の
       飛び入り用に、脇の区画が取ってあるんだという事。
       
       まぁ、町の人々が主催し参加し楽しむお祭りではあるので、
       分からない事ではないですが、せめて4日間通しの切符を
       買った者には配慮しても良さそうなもの、と思ったのは確か。




       コムーネ広場の塔とミネルバ教会
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       塔にはお祭りの主役の旗、下の区域の赤と、
       上の区域の青の旗が下がり、
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       桟敷席も既にこんな風に準備万端ですが
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       ミネルバ教会前の舞台ごしらえの方は、トントンカンカン
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       コムーネ広場の東側にあるこの泉、周囲のバールやカフェにも
       たくさんの人々が群がり、お祭り前日のなんともざわついた雰囲気。
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       町の東の端にあるサンタ・キアーラ教会に向いつつ
       あちこちの小路を覗きながら、変わっていないのを確かめて・・。
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       サンタ・キアーラ教会前。 ここも変わらず清楚で可憐な正面
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       ちょうど小学生達が記念撮影中で
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       教会前広場からの眺めも変わらずに
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       いや、この下にやはり大きな地下の駐車場が出来ていて、
       そこからのエスカレーターがこの広場に連絡している、
       その屋根が右端に見えるので、写らないように気をつけて。




       そうそう広場の端には、こんなメリーゴーランドもね。
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       余り変わっていないと、広場から見晴らす平野の眺め
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       コムーネ広場からまたまたこんな急坂の道を上り
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       サン・ルフィーノ聖堂前に
       こちらがアッシジの町のドゥオーモで、
       サン・フランチェスコ聖堂は町の教会、という位付け。
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◆ 追記です ◆                           
       上記しましたサン・フランチェスコ聖堂のローマ・カトリック教会内での
       格付けの事ですが、
       私はサン・ルフィーノが町のドゥオーモなので、と単純に考えておりましたが、
       コメント欄でシニョレッリさんにご指摘頂き、ちょっと調べてみました。
       やはりご指摘どおり、

       バジリケ・パパーリ・Basiliche papaliと呼ばれる6つの聖堂、そのうち4つが
       ローマにあり、この内の一つにサン・ピエトロ聖堂も含まれるほどの、
       ローマ・カトリック教会での最上の格付けで、
       ローマ以外にふたつ、この内にサン・フランチェスコ聖堂と、
       アッシジの下の町サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの聖堂が、
       前法王ベネデット16世の時より加わった事を知りました。

       シニョレッリさん、有難うございました!




       正面扉の前で何か作業中なので、寄ってみると
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       そう、こんなお祭り用の輪を製作中
       使われている枝は、ローリエ、月桂樹の枝。
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       聖堂前の店先、黒い子犬が籠の中に入っていたのを、
       観光の子供が大喜びで撫で回し、草臥れて外に出て来たワンちゃん。
       見ましたら、この上地区のスカーフを首に巻いており、ははは。
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       山の上の要塞にはさすが上りませんでしたが、
       一応西から東までの町の偵察観察をし、ははは、
       再度町の西の端下サン・ピエトロ教会前まで戻ってくると
       太鼓の音がするので、もしやと・・!
       そう、やはり下の地区の太鼓隊のメンバー達。
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       ですが、盛んに太鼓を叩いているのは、こちらのチビ君2人!
       結構ちゃんとリズムを取リ、小さい方も負けていないのですね。
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       後ろに見えるのが、この2人のお父さんでしょう。
       ほら、お兄ちゃんの眉と目と鼻がそっくりでしょう?
       お父さんも太鼓を下げる皮具をつけているので、
       きっと彼らも揃って、太鼓隊のメンバーに育っていくのでしょう。




       夕暮れ迫るサン・フランチェスコ聖堂前に再度
       平野の手前、大きな糸杉の足元の祠が見え、
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       暮れかけた聖堂のライト・アップが始まります
       右手前の銅像は、フランチェスコの帰還。
       若き日、ペルージャとの戦争に出かけ負傷し、
       意気消沈しアッシジに戻ってきた姿。
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       この後ライト・アップされ、変化してゆく聖堂の姿を
       追ったのでしたが、

       上の道では、下の地区のお祭りの準備が進み
       今夜は大予行演習と。
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       が、長い一日に疲れ果てたshinkaiは、漸く宿に戻る事に。
       はい、7年ぶりのアッシジ再会の日は
       こんな風に暮れたのでした


     *****
       
       さてなんとかウンブリアの前座が済みましたので、ははは、
       次回22日からはまた5日ごとにブログ更新、という事で、
       よろしくお願いいたしま~~す!




     *****

       水彩ブログは、今回パスを
       よろしくお願いいたしま~す。    
     
    
     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2015-05-18 04:03 | ・アッシジ Assisi | Comments(13)
2011年 04月 17日

   ・・・ アッシジの春 ・ 想い出の中でいつも静謐、端正な ・・・

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       来週はちょっと出かけ、またお休みを頂くので、
       義理がたい私めは、はは、週末も働きまして(仕事じゃないだろがぁ?!)

       先日アッシジの写真を眺めていて、
       まだご覧に入れていないのがたくさんあるのを拾い出し・・、
       皆さんは既に良くご存じであろう有名な場所から少し外れて、
       ちょっと一味違うアッシジの春を感じて頂こうと。
       ごゆっくりお楽しみ下さい!

       写真はどれも3、4年前の、春4、5月の物、
       上はよくご存じの、サン・フランチェスコ教会・
       Basilica di San Francesco.
       なんとも素晴らしい、ウンブリアの五月晴れで、
       アッシジはいつ眺めても、静謐で端正

       大好きなこの町の写真は、右カテゴリの項目 アッシジ に
       纏めていますので、宜しかったらどうぞ!


       正面の大薔薇窓
       どこの薔薇窓よりも素晴らしい!  ・・と思っています。
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       1997年秋にウンブリア一帯を襲った大地震で、
       サン・フランチェスコ教会の天井の一部が崩れ落ちましたが、
       即修復にかかり、2年という短期間で蘇りました。
       その際に、年月の汚れが見えていた正面壁も綺麗に洗われ、
       現在はほらご覧の通り、白く輝いています。

       考えてみれば、13世紀に建設されたというこの聖堂を、
       ほぼ完成当時の姿で、700年後の我々も眺めている訳で、
       イタリアの中世が残る町や村で感じる心の落ち着きを、
       とりわけこのアッシジで感じるのも、
       考えてみれば当然なのかも知れません。



       こちらは、フランチェスコが隠棲したカルチェリ・Carceri
       スバシオ山の中腹にある小さな教会、修道院。
       白い鳩が数羽飛び交い・・。
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       アッシジの町の背後の山上に聳えるロッカ・Rocca・要塞
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       昔訪れた時は廃墟同様だったのが、ここも見事に修復され
       見物出来るようになっていて、
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       内部もこんな感じに
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       昔、薄暗い廃墟の中を恐る恐る覗き込んで見たこの床、
       杉綾織り柄の記憶が一瞬にして蘇りました。


       要塞前庭から見下ろす、町と平野の緑
       かなりの高さでしょう?
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       こちらは町の東にある、サンタ・キアーラ教会・S.Chiara
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       細長く東西に延びるアッシジの町の、
       西端にサンフランチェスコ教会、
       そして東にサンタ・キアーラ教会と、町を抱き挟む形に。

       こちらはアッシジ特有の、白とピンクの石で縞柄になった、
       優雅で清楚な形。



       昔スケッチした家のある坂道、サンタ・クローチェ
       家が綺麗に整備され、鉢植えの花がたくさんに。
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       サント・ステーファノ教会・S.Stefano
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       この小さな屋根の上に作られる鐘楼は、a vela・ 船の帆式
       建築用語ではアーケード式鐘楼と言うそうですが、
       取り付けられた小さな鐘を引き綱で鳴らす、素朴なもの。

       ロマネスクからゴシック様式の時代に、小さな教会に取り入れられた
       そうですが、とりわけフランチェスコ会派の教会に、
       飾らないその素朴さが理由で、建設されたのだそう。

       ですが後の時代になると、大きな建物などにも作られるようになり、
       ローマの現在下院議事堂となっているモンテチトーリオ・Montecitorio
       元は16世紀の枢機卿のお屋敷、の正面上にも見かけられます。
             
       この12~13世紀建設のサント・ステーファノ教会について
       読んでいましたら、興味深い事を。
       聖フランチェスコが亡くなったのは1226年10月3日ですが、
       フランシスコ会派の伝統として、始祖の終焉の日には
       一日中途切れる事無く、この小さな鐘が鳴らされるのだそう。
       小さな教会で、まだ中も拝見した事はありませんが、
       次回のチャンスには必ず。

       昔スケッチをした時、背後の木をどうにも持て余したものですが、
       先日リンクさせて頂いている日本画家の二木さんのブログ「風色明媚」
       見事に作品に仕上がっているのを拝見。
       懐かしくなって、3年前にはこんな風に木が育っていましたよ、と
       写真をお送りするのをチャンスに、
       久し振りにアッシジの春を見直して楽しんだのでした。

       二木さんの作品はこちらに
       http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/a893d7ef749392f8cd1dab23fbb1bf4f



       野に咲く清楚な花
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       アッシジの町は山腹に広がりますから、建物の隙間や
       ちょっと開けた所からは、常に長閑で美しい平野の景色が。
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       奥に見えるドゥオーモのある町は、
       サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・A.M.degli Angeli
       大きなドゥオーモの中に、聖フランチェスコが亡くなった場所と言われる
       ポルツィンコラ・Porzincola があります。
       と書きつつ、・・まだこの聖堂内に入った事は・・。 反省。

       手前に見える鐘楼はサン・ピエトロ教会・S.Pietro のもので、


       こちらがサン・ピエトロ教会正面
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       サン・フランチェスコ聖堂から坂を下って来ると見えてくる姿で、
       ちょっとドキッとする程の素晴らしいアプローチ。

       鐘楼は本堂の後ろについている、珍しい形です。



       アッシジの坂道を上って下って町中を行くと、
       こんな素晴らしい窓枠飾りの建物が、ジェラート屋になっていたり、
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       下の道に接続する階段の奥に見える建物。
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       壁に見える1477年の年号。
       上には動物の姿らしきものが見え、下に3つ玉。
       当時の名のある家系なのでしょうが・・。 
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       町の中心に位置するコムーネ広場・Piazza del Comune
       南面に、アーチになった通り抜け道がありますが、
       その天井のフレスコ画。
       なかなか面白い楽しい図柄でしょう?
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       パウルス4世 という名と紋章が真ん中にあるので、どなたかな?と。
       知らない、という事は全くに強いものでして、はは、
       あれこれヅルヅルと分かった事に、我ながら!
  
       1555~1559年在位の第223代の法皇様
       御年79歳にして法皇に選出、
       頑固頑迷にして非妥協的、教皇庁の権力強化に努め、
       イタリアにおける異端審問を強化、反対の枢機卿までをも投獄、
       強烈な反ユダヤ主義者でローマにゲットーを、
       システィーナ礼拝堂のミケランジェロ制作の
       「最後の審判」に描かれた裸体に、腰布・braghe をつけさせた、

       ・・ははは、そうか、この方でしたか。 
       で、上塗りした画家は、ミケランジェロの助手の一人だったようですが、
       パンツ野郎・Braghettone とあだ名されたと・・!

       なぜこの法皇の紋と名前がアッシジのここにあるか、ですが、
       コムーネ広場に面しての、ローマ期のミネルヴァ神殿が教会になっていますが、
       法皇様はこの教会に葬られている、という由来の様です。



       コムーネ広場に面した建物の2階
       窓際でシニョーラが一服中。
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       最後は、春の夕暮れ でお終いに。
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       700年前から既に巡礼者の集まる都市であり、
       穏やかなウンブリアの景色の中にあって、
       常に変わらず、訪れる者をやさしく抱擁してくれる町、アッシジ。
       
       いつも春の訪問ですが、次回のチャンスがありましたら、
       秋にも訪れてみたいものです。


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       若い頃は大好きで食べたチョコレートなのですが、
       もう何年も前から殆ど食べなくなり、買う事もなく。
       所が最近、パソコン指南に、はは、私めが教えれる人もいるのですぞ!
       行ったタータの家で、彼女がお土産にくれた唐辛子入りチョコレート、
       これが、彼女のお勧め通りとても美味しく、
       長い間口にしなかったのを、ちょぴリ割っては、しみじみと味わう事に。
       う~ん、大人の味ですなぁ。

       もう一枚はオレンジ入りですが、これはまだ未開封。
       そう、長年の禁断の味はちびちびと、ね。

       と、先日リモンチェッロのレシピを書きましたが、
       それが縁で、イタリア語の先生アンナリーザのご主人お手製の
       リモンチェッロが届きました。
       色は少し薄めですが、こちらも美味しい!
       そのうちにレシピを頂く予定ですから、そしたらまたご紹介を。

       あのお家では、彼トーマスがあれこれ手作り酒を並べたり、
       お客様には彼の手料理が出るのだそう。
       ふ~む、いつもの感想ながら、世の中の男性も色々ですねぇ!

       復活祭もそろそろ近づく時期、
       少しはのんびりの気持ちも、良いですよね?!


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by italiashiho2 | 2011-04-17 00:20 | ・アッシジ Assisi | Comments(10)
2008年 05月 16日

  ・・・ アッシジ 春のお祭り、カレンディマッジョ ・ その前夜 ・・・

      1年ぶりに、また、アッシジに出かけて来ました。
      アッシジの最大のお祭り、カレンディマッジョを堪能し、
      春を迎える喜び、楽しさ、そしてお祭りの美しさに感嘆し
      酔い、浸りきった3日間でした。
      今日はそのお祭りの前夜の5月7日、準備真っ最中の
      アッシジの町の夜の様子をご覧下さい。

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      ◆5月7日 夕暮れ  1

       この日、ペルージャで開催中の「ピントリッキオ展」を
       楽しみ、久し振りのペルージャでお昼も食べ、
       午後アッシジに着きました。
       町を散策したのち、晩御飯を食べて通りに出ると、
       ワッ! 道の向こうに沈みかけの赤い太陽
       見えるではないですか?!
       思わず石畳の道を走りましたが、残念、
       サン・フォランチェスコ教会前に来た時は、ご覧の通り。



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      ◆5月7日 夕暮れ  2

       ウンブリア旅行2日目のトーディ・Todiの町で、
       半日小雨になりましたが、他は快晴の日々。
       が、平野の方はいつも少し霞み加減で、
       灯の点りかけた様子も少しぼやっと。
       
       あの、真っ直ぐにアッシジに向かってくる道
       あの道から、昨年の春はやって来たのでした。



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      ◆5月7日 夕暮れ  3

       サンタ・マリア・デッリ・アンジェリの町の
       聖堂も、照明に浮かび上がります。
       この聖堂の横の道を、今回もまた、
       何度も通り過ぎながら遂に訪問せずに。
       どうも、バロック様式が苦手です。

       右手の上、山の上に灯の点った町が見えますが、
       ベットーナ・Bettona という、
       エトルスクからの古い歴史を持つ町。
       今回訪れましたので、またご紹介いたしますね。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  1

       教会前の道を上り、いつもの場所に。
       照明がつき、空の色も変わり始め。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  2

       この日は雲がなくなんとも良い色に。
       そして、ほそ~い三日月が。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  3

       教会の下院前広場の回楼にも灯が点り、
       すっかり暮れきらない空の下、
       まだ赤みがかって見えます。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  4

       空の色が少しずつ濃くなり、
       三日月が次第にはっきりと。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  5

       この教会のこの薔薇窓
       何にもまして大好きな、この薔薇窓



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      ◆要塞を望み

       教会前から振り向くと、
       灯の灯った通りの向こう
       サン・ジャコモの門が浮かびあがり、
       そして山の上に要塞が見えます。



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      ◆下院前広場  1

       そろそろと教会の下の広場に向かいます。
       広場の回楼の灯の向こう、
       平野の村々の灯も煌き。



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      ◆下院前広場  2

       下り坂の、回楼に点る灯。



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      ◆下院前広場  3

       広場の端から振り返り。
       空の色がまた一段と濃く。



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      ◆商店街のウインドウ  1

       ぶらぶらと道を下りながら、
       如何にもアッシジらしい、
       店のウインドウを覗いて行きます。



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      ◆商店街のウインドウ  2

       小さな人形が並んでいますが、
       何か分りますか?
       真ん中辺りのは、フランチェスコ会派の
       修道僧達が豚と遊んだり、食べたり飲んだり!
       
       と、なにやら下の方から太鼓の音。
       あ、これは! とピンと来て、
       大急ぎで道を下り音のする方に。



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      ◆太鼓部隊の練習  1

       やはり、これ!
       今大修復中で閉じられている駐車場の脇、
       太鼓部隊が明日に備えて
       練習の総仕上げ中なのです。



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      ◆太鼓部隊の練習  2

       大体が若い人達ですが、少し年配も混じり、
       何度か練習を重ねます。
       太鼓の音が、周囲の建物に強く響き渡り
       単調な音だけに、こちらにもなお強く響きます

       イギリス人らしい観光客も見物に加わり、
       とりわけ女性達はきゃあきゃあと大喜び。
       ひとくぎり終わるたびに、
       大きく拍手し「ブラーボー!」と叫びます。
       彼らの反応?  
       慣れたもので何の反応もなし!



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      ◆太鼓部隊の練習  3

       時にこうして向きを変え、
       一歩づつ移動して位置を変えたりと、
       変化をつけながらの演奏です。

       彼らの後姿を見て、
       腰が据わっているなぁと
       背中が厚いからなのか、
       脚が伸びているからなのか、
       自分たちの演奏に自信があるからか。



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      ◆太鼓部隊の練習  4

       後ろ向きの水色の人がこの太鼓隊のリーダー。
       皆、一言も文句を言わずに従います。
       その左、皆より一歩前にいる少年、
       青年というより少年ですが、
       この子が、なかなかの者と言う印象。
 
       赤い色が多く見えるのは、
       これはお祭り自体が、
       上の地区と、下の地区とに分かれての
       競争形式で行われ、
       赤い色が、この下町地区のカラーなのですね。
       こういった事も、
       実際にお祭りが始まって知った事なのでした。



d0097427_142754.jpg

      ◆下院前広場  4

       この度は、宿を町中に取っていたので、
       また教会前の広場に戻ります。
       すっかり暮れて、
       聖堂が白く浮かび上がり。



d0097427_15964.jpg

      ◆下院前広場  5

       なんと今度は、教会前で
       コーラスの練習が始まっています。
       時間ですか?
       そう、このとき既に10時近かったと。



d0097427_155023.jpg

      ◆下院前広場  6

       写真には余り写っていませんが、
       こちらにも結構な数の見物人が集まり、
       静かな中にも、お祭り前夜の興奮が
       修道僧の姿も見えます。


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      ◆下院前広場  7

       教会前の草原の横で、
       若者達が荷車を引き上げるのに騒いでいて、
       また引っ張るかと待ちましたが・・。



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      ◆コムーネ広場  1

       ならばコムーネ広場の様子は? と、
       再び宿の前を通り過ぎ、
       最後の急坂を、はぇ、はぇと。
       ああ、やっと塔が見えました。



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      ◆コムーネ広場  2

       ミネルヴァ神殿に赤々と灯が点り
       大変に美しく暖かく
       
       お祭りの準備はまだ全部済んでいない様ですが、
       まぁ、始まるのは午後の3時からなので、と納得。



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      ◆コムーネ広場  4

       広場のカフェにはまだ音楽が流れ、
       たむろする観光客が見えます。



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      ◆コムーネ広場  5

       広場の泉の周りにもまだ人々が。
       こちらは、町の人びとの印象。

       それにしても、もう10時過ぎだよ。
       田舎者の私にはもうオネムの時間だぁ!



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      ◆コムーネ広場  6

       時計塔にもお祭りの旗が飾られ、
       明日を待ちます。



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      ◆コムーネ広場  7

       広場に設えられた桟敷席の隙間から、
       アーチの天井のフレスコ画が見えました。
       いつも暗い位置なので、
       気がついた事も無かったような・・!
       
       翌日改めて見に行きましたら、
       大変繊細な柄で、動物が多く描かれ
       興味深い物でした。



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      ◆コムーネ広場  8

       明日からのお祭りの舞台となる、コムーネ広場
       この様に、ミネルヴァ神殿に向かって
       桟敷席が作られ、明日を待ちます。
       私も自分の席を確認。
       ほぼ中央に近い最上段の良い席で、
       期待が高まります。

       どのようなお祭りが、3日間にわたり、行われるのか
       どうぞ、お祭りの様子をお楽しみに!!

       お祭りの様子は、カテゴリ「イタリアのお祭り」に入れていますが
       その1から4まで、リンクでどうぞ!
       http://italiashio.exblog.jp/8000377/
       http://italiashio.exblog.jp/8033222/
       http://italiashio.exblog.jp/8063650/
       http://italiashio.exblog.jp/8093974/

     ***

       月一ゲストをお願いしている、グロリオーザさんが、
       ご自分のブログを始められました。
       こちらです。
       イタリアの誘惑  http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/

       どうぞ、覗いてあげてくださいね。


      
       

by italiashiho2 | 2008-05-16 01:17 | ・アッシジ Assisi | Comments(10)
2007年 06月 29日

   ・・・ アッシジ点描 ・ 朝の風景 ・・・

     アッシジの朝の印象。 
     それは、町の高台から見下ろす緑に霞む野と、
     その中を蛇行しながら町に向かってくる道、
     そして、古い石の小路に斜めに差し込む朝の陽。
     今日は、そんな朝のアッシジをご覧ください。

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      ◆緑の野

       暖冬のせいで、この春は一際緑が鮮やかでした。
       既に耕された畑と、したたる緑の野と。



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      ◆小路に差し込む朝の陽

       古い中世からの壁が修復され、
       新しく優しい色を貰い、
       古い石積みのままの壁にならびます。       

       アーチの形も、壁に残された石碑も、
       鋳鉄の飾りもそのままに。
       こうしてまた、年を経ていきます。



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      ◆コムーネ広場  1

       山の手の道を辿り下っていくと、
       小路の隙間に、コムーネ広場の噴水が
       細く見えてきましたが、まだ影の中。
       噴水の一番上の部分にだけ、朝陽が届き。



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      ◆コムーネ広場  2

       昼間は観光客でいっぱいの噴水の回りも、
       まだ人待ち顔の男性が1人だけ。



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      ◆コムーネ広場  3

       広場の南に建つ、パラッツォ・プリオーリの
       壁の紋章も、街灯も、
       斜めの陽射しに浮かびます。



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      ◆ミネルヴァ神殿

       ローマ期の、大円柱を正面に持つ、
       ミネルヴァ神殿の教会でも、朝のお掃除。
     
       テブレの写真、ご勘弁!
       


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      ◆サン・フランチェスコ教会

       町の西の端にある、サン・フランチェスコ教会も
       朝日に輝きます。
       すでに参拝客がぞくぞくと。



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      ◆広場の窓から

       教会前の下の広場、ポルティコの窓から。
       曲がりくねった道の向こう、
       車がやってくるのが見えます。

       それにしても、なんと美しい道!



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      ◆サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ

       坂下の町、デッリ・アンジェリのドゥオモが
       緑の中に霞んで見えます。

       こちらの広場はまだ影の中。



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      ◆小路にさす陽

       中世そのままの面影を残す古い石の壁。
       無骨でもあり、また逆に、
       心に沁みいる懐かしさも感じさせる壁。



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      ◆家並み

       重なる家並み。
       屋根瓦も苔むし、色も様々、
       そして時に、瓦の列も蛇行して・・!



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      ◆サンタ・キアーラ広場から

       町の東端、サンタ・キアーラ教会前から
       町の上のロッカ・要塞を。

       朝日を受け、まさに町に君臨。



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      ◆サンタ・キアーラ教会

       ロッカ・要塞に上る坂道から。

       清楚な、白とピンクの縞のサンタ・キアーラ教会が、
       やはり朝の陽を受け。



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      ◆エーレモ・デッレ・カルチェリ  1

       聖フランチェスコがこもったと言う
       スバシオ山中のカルチェリに。

       前庭、閉じられた井戸の上の花鉢。



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      ◆エーレモ・デッレ・カルチェリ  2

       どこもかしこも薄暗く、
       時には真っ暗な建物の中、
       この礼拝堂に、今漸く
       朝の陽が差し込んで。



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      ◆スバシオ山から

       エーレモ・デッレ・カルチェリの手前に、
       展望が開けた場所がありました。

       そこからのアッシジの平野。
       町よりもかなり東に当たる部分です。


    ・*・*・*・

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    ***

       

by italiashiho2 | 2007-06-29 01:00 | ・アッシジ Assisi | Comments(10)
2007年 05月 23日

   ・・・ サン・ダミアーノ への道 ・ アッシジ ・・・

     アッシジの町の中心から東南に2キロほどの所、
     サン・ダミアーノの修道院があります。
     かって聖フランチェスコが、最初の仲間達と
     荒れ果てたこの修道院を自分達の手で修復した、
     という言い伝えのある修道院です。
     のんびりゆっくり、歩いて訪れました。

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      ◆野に咲く、パパーヴェリ  1

       行きましたのは、4月8日今年の復活祭の日。
       大変なお天気で、野には真っ赤な芥子の花、
       パパーヴェリが咲き始めていました。

       今この時期、こちら北イタリアでは道端に畑に
       咲き乱れていますが、まだこの時は少し早かったですね。




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      ◆サン・フランチェスコ教会

       この眺めも、また威容!
       鐘楼がなければちょっとした要塞の様子。
     
       この道は、サン・ピエトロ広場から真っ直ぐ下に下る道で、
       たくさんの人々が行くのに釣られ一緒に。
       サン・ダミアーノに行くにはこの道ではなくて、と、
       途中で尋ねた婦警さんが、地図を広げ教えてくれました。
       
       彼女にとっては大変忙しい日だったようで、
       汗をかきつつ大変な早口で。
       そして大急ぎでまた坂道を登って行きました。
       お勤め、ご苦労様です!




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      ◆パパーヴェリ  2

       この赤い芥子の花を見ると、
       何時もサンタ・キアーラに想いが行きます。
       F.ゼッフィレッリの映画「ブラザーサン・シスタームーン」  
       の影響なのでしょうが。




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      ◆冬越しの蝶

       傍らの花に止まった蝶を見ると、羽が痛んでいました。

       冬を何とか無事に越し、今春の復活祭を迎えた蝶君。
       愛おしいですねぇ!




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      ◆親子

       真ん中のチビ君を、お父さんがどんな風に支えているか
       よぉく、ご覧下さいね。
       
       ちょうど彼らの連れが写真を撮るのに止まったので、
       私もOKを貰って写しました。
       すると、彼らの連れが言うのです。
       「2エウロ」とドスの聞いた声で! 

       大笑いしながら
       「まけて下さい! 今日は復活祭ではないですかぁ!」
       「じゃぁ、まぁ、いいか」

       3人の笑顔、特にチビ君の嬉しそうな顔!

       舗装してある煉瓦には一枚ずつ、献金した人の
       名前が彫られた道なのでした。
    



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      ◆これはなんという花?

       水芭蕉のような形をした花、
       ランさんが見つけました。
       これは少し大きめで15cmほど。
       もっと小さめもたくさんありましたよ。




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      ◆オリーヴ畑の間を

       婦警さんに教えてもらった道に入ると、
       途端に、長閑な道になりました。

       オリーヴ畑がなだらかな坂道の両側に。




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      ◆お馬さんも

       畑の中にお馬君がいて、
       声を聞きつけ我々の方に。




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      ◆サン・ダミアーノ修道院 入口

       この写真は、別の曇り日の夕方の写真で、
       少し色が沈んで見えます。

       建物正面に薔薇窓があり、その上に
       最初の教会の大きさと見れる跡があります。
       サン・フランチェスコが修復したのは、
       この最初の部分だったのでしょうか? 
       左側の建物にも、そんな跡が見えます。





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      ◆サン・ダミアーノ修道院 内部 1

       この修道院には、後にサンタ・キアーラが引きこもり、
       最初の修道女達と生活を共にし、活動した場所と。

       内部には小さな礼拝堂がいくつかと、
       質素な部屋が。




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      ◆サン・ダミアーノ修道院 内部 2

       上部に位置する質素な部屋。
       天井、屋根部分は修復されたようですが、
       何もないこんな部屋に、
       逆に、精神的な豊かさを見る思いです。




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      ◆小さな中庭

       真ん中に井戸のある、
       小さな中庭を見下ろして。




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      ◆古い屋根瓦

       苔むして様々な色に変化した瓦。
       この調和が大変美しいと。




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      ◆食堂  1

       サンタ・キアーラの食堂。
       大変古い虫食い板の、長いテーブルが
       向かい合って並んでいて、

       壁画に描かれたテーブルには
       ご馳走らしき物が見えますが、
       こんなテーブルで頂くには、
       何が相応しいでしょう?




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      ◆食堂  2

       上の写真の右側。
       
       壁の柱の手前に置かれた、壷一つ。
       静物画的、と思い写しましたが、
       何に使うのでしょうか?

       それにしても、 ・・静謐!



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      ◆かっての泉には

       修道院の横、泉の跡には、
       花の鉢。





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      ◆帰り道

       ゆっくりと想いを味わいながら
       オリーヴ畑の中の坂道を戻りました。
       途中、畑の中で休んだりしながら。

       新緑が、目に沁みるよう


     ***

       サン・フランチェスコの足跡で有名な場所に、
       もう一つ、エレモ・ディ・カルチェリがあります。
       彼が引きこもり瞑想した場所で、
       聖痕を受けた場所としても有名です。

       今回訪れました。
       確かに、静寂に満ちた場所でした。

       ですが、余りにも暗い小さな部屋や、
       穴倉のような場所を覗きつつ、少し辟易しました。
       
       彼の事を少し読み、かなり偏執的であった事をも知ると、
       そう単純に感心できない部分が残ったのです。
       勿論、彼の業績を否定する物ではありませんし、
       私の年にも関係あるかもしれません。

       そうした後訪れたサン・ダミアーノでは
       素直に心に響く、静謐さを感じました
       
       たくさんの観光客が訪れていましたが、
       その騒音を越えて尚、感じる物がありました。

       キアーラはここに籠もった後、
       一度もフランチェスコに会う事無く、亡くなったそう。
       
       長い年月の間、どの様に彼の事を考えていたでしょうか。
       ふと、そんな事をも考えました。


    ・◆・
       
       ブログご訪問、有難うございます!  
       留守中の、コメントの書き込みも有難うございました。     
       お陰さまで、無事ガルダ湖より戻りました!
       
       大変に、素晴らしい風景でした!!
       シルミオーネ、トルボレ、 北端のリーヴァ・デル・ガルダ
       
       そして、ガルダ湖からマントヴァに続くミンチョ河沿いの
       ボルゲット
       ここがまた大変な素晴らしさでした!

       勿論ヴェローナの、ランベルティの塔にも登って!

       ガルダ湖の水の色が余りにも素晴らしかったので、
       今週末には、皆さんにもご覧頂こうと思います。

       どうぞ、お楽しみに!
        
    ***

                    

by italiashiho2 | 2007-05-23 01:12 | ・アッシジ Assisi | Comments(14)
2007年 05月 08日

   ・・・ アッシジ点描 その2 ・ 黄昏から夜に ・・・

     旅行中は、、夕ご飯を早めにし宿に引き上げ、
     いつも良い子で早寝の私ですが、
     今回は、アッシジの夕暮れの写真を撮ろうという
     もくろみがありました。
     以前、真っ赤な大きな太陽が沈むのを見て以来の
     願望だったのですが、  
     さて、どうなりましたか、  ・・ ご覧下さい。   
     
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      ◆夕暮れ近く

       そろそろ、陽が傾き、
       サン・フランチェスコ教会の扉も閉まり、
       観光客も殆ど引き上げる時間です。




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      ◆サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会

       山の麓、アッシジ駅の西にある、
       この荘厳な教会の丸天井も、暮れなずむ陽の中に。




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      ◆アッシジに向かう道

       平野の向こうから真っ直ぐに、
       アッシジを目指してくる一本の道。

       今回は私も、この道からアッシジに。




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      ◆落日  1




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      ◆落日  2




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      ◆落日  3

       予想していなかった事。 
       それは、季節により落日の位置がずれる事です。

       最初、鐘楼から離れていて大丈夫かに見えた太陽が、
       段々近寄ってきて・・、 あれま、ぎりぎりでした!




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      ◆夕暮れの空に

       陽が沈んだ空に、気持ち良さそうに、
       ヒューッと音が聴こえるほどの近くを
       飛んで行きました。




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      ◆灯に浮かぶ  1

       落日と共に、サン・フランチェスコ教会の
       ライティングが始まりました。
       
       これも予想外でしたが、実況でどうぞ。



      
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      ◆灯に浮かぶ  2

       少し、ライティングが強くなり、
       下の教会の屋根にも灯が点り、
       平野の向こうにも少し灯が見え始めました。




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      ◆灯に浮かぶ  3

       遠くの町の明かりがはっきりと、
       下の教会の回楼にも明かりが灯りました。
       鐘楼も灯に浮かびます。




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      ◆灯に浮かぶ  4

       下の広場に移動する途中。
       まだ空は暮れきっていませんが、
       すべての灯が点されました。




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      ◆灯に浮かぶ  5

       夜の、サン・フランチェスコ教会。
      
       日が暮れると共に寒くなり始め、
       内心、早く終りたい、と思う私。
       そして、「グロリオーザさんは、ようやるよ!」と    
       改めて感心!!

       それにしても、初めての夜景は難しかった。
       実際の技術的な事、どうするのか、
       グロリオーザさん、教えてくださ~~い!!




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      ◆サン・ルフィーノ聖堂の薔薇窓

       これからの写真は、
       復活祭の前の金曜日の夜の様子、
       ヴェネルディ・サントと呼ばれる夜の行事を。

       これは、アッシジのドゥオモ、サン・ルフィーノの
       薔薇窓が内部からの灯で輝いている様子。
       いつも夜は閉じていますので、これが唯一の写真で、
       テブレご容赦願います。




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      ◆ヴィア・クルティス  1

       ヴィア・クルティスという行事は、
       キリストの処刑前のゴルゴダの丘を模したもので、
       生きた人間による再現が各地で行われますが、
       アッシジでその行事に出会えました。

       サン・ルフィーノから出発して、
       サン・フランチェスコまでの往復。
       これはマリア様の胸に何本もの剣が突き刺さった、凄いもの!




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      ◆ヴィア・クルティス  2

       サン・ルフィーノ聖堂前で、
       ちょうど出発する行列を見送り、我ら不信人者達は食事に。
       で、食べ終わって出てきましたら、なんと 
       お戻りの所に出会えたのです。

       行列の通る道筋の店は、すべて明かりを消し
       壁に点された、小さなカンテラのみ
       これが、現代の明かりに慣れた目には、異様に暗く、
       また、大変厳粛な感じをも受けました。

       写真はフラッシュをたきましたので、
       結構明るく見えますが、実際はもっと暗く、
       カンテラの揺れる灯に、ぼうっと浮かぶ
       中世の様子をもご想像下さい。

       この十字架を運ぶ人々は、白い衣装白い頭巾ですが、
       黒一色の人もたくさんいて、かなり異様でした。
       あの坂道、この重い十字架、
       両脇に並ぶ人々は、沈黙の内に見守ります。




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      ◆ヴィア・クルティス  3

       この真ん中の方は、多分アッシジの司教様。
       行列の中程、マイクを通してお祈りの言葉を
       唱えていく司祭がおリ、
       その声に合わせて、人々が一斉に唱和します。

       カトリックが、活きて存在していると感じる一瞬。




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      ◆ヴィア・クルティス  4

       こちらはカラビニエーリの2人。
       行列の一番先頭でも、先達を勤めておりました。
     



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      ◆ヴィア・クルティス  5  

       この後、異様にぎしぎしと軋む音が近づき、
       この、輿の上に横たわる、キリスト像なのでした。
       
       あの軋む音、暗く浮かぶ輿に横たわる像
       忘れられない、大変衝撃的なシーン。




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      ◆サン・ルフィーノ広場

       宿に戻るのにサン・ルフィーノまで来ましたら、
       広場全体にカンテラが点され、
       いつもとは違う世界がありました。

       教会の扉も大きく開かれ、明るく灯が点され、
       大勢の人々が中でお祈りをしていて、
       厳粛な賑やかさです。
       赤い布が天幕の様に吊るされた中に、
       マリア像が見えました。

       いつもはひっそりとした市壁外の道も、
       家に戻る人々で賑やかで、
       復活祭を迎える人々の、喜びの前兆を感じました。

by italiashiho2 | 2007-05-08 01:09 | ・アッシジ Assisi | Comments(18)
2007年 04月 20日

   ・・・ アッシジ点描 その1 ・・・

     私にとっては18年ぶりのアッシジ再訪でしたが、
     少しも変わらないアッシジのあれこれを。 今日はその1です。

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      ◆サン・フランチェスコ教会  1   
       
       これは、ロッカ・要塞からの眺め。
       緑の中に、美しくそして力強く。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  2

       上の教会前。 拝観をすませた人々が、
       下の広場や遥かに広がる穏やかな風景を愛で、
       アッシジにいる事を実感し、愉しむひと時

       パスクワ・復活祭用に飾られた白い鳩が
       広場に浮かんでいます。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  3

       上と同じ場所の朝の風景。
       お父さんが一人で、子守を。
       お母さんは川に洗濯に・・・、もとえ、
       一人心静かに、ミサに参加しているのでしょう。
       イタリアのお父さんに、幸せあれ!



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      ◆サン・フランチェスコ教会  4

       アッシジでは、たくさんの神父さんを見かけます。
       例外なく、彼らは実に嬉しく幸せそう!
       若さが法衣から溢れ、笑いがはじけます。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  5

       下の教会前でも、楽しそうな会話が弾んで。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  6

       尼僧さんたちもたくさん。
       そしてやはり、教会前で記念撮影を。
       彼ら彼女たちにとっても、やはりアッシジは特別な地。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  7

       上の教会、扉。 
       待つ人、休む人、薔薇窓に見とれる人、
       記念撮影する人、・・。
       PAX・パーチェ・平和 の文字の前。



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      ◆町点描  1

       道が交差する、角の家の壁にこんな陶板が。
       P・ロレンツエッティの聖母子像ですが、
       実物のある下の教会は、復活祭の祭壇が組まれて奥に入れず、
       今年は見る事ができませんでした。



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      ◆町点描  2

       町の中心通り、ヴィア・サン・フランチェスコにある
       13世紀の古い建物。
       一つも違和感無く、周囲に溶け込んで存在し続けて。

       横の細い急な坂道を登っていくと、
       私の大好きな、サンタンドレア小路付近に。



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      ◆町点描  3

       これは、コムーネ広場を見下ろしたもので、
       ホテルの、塔の窓からの眺め。

       復活祭用の白鳩の飾りがこの広場にも。
       アッシジの平野は、春霞の中。



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      ◆町点描  4

       サンタンドレア小路近くのこれも古い建物。
       アッシジ特有の、白とピンクの石にも、
       夕陽が差し込んでくる時間。



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      ◆町点描  5

       サンタンドレア小路のアーチの下、
       少しも変わらない、小さな水飲み場。
       今ここにも夕陽が差し込む時間。



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      ◆町点描  6

       古い細い裏の坂道を辿っていき、
       ふと目の前に現れる小さな窓。
       古い古い壁に、緑色のよろい窓。
       鮮やか。



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      ◆サン・フランチェスコ教会  8

       今回のアッシジの訪問は、車でこの道から。
       威圧されそうな程のこの威容に、     
       教会の別の顔を、垣間見た想いでした。


 
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      ◆野の花

       ロッカ・要塞への登り道、
       春の野の、小さな花がたくさんに。


    ***

       

by italiashiho2 | 2007-04-20 04:51 | ・アッシジ Assisi | Comments(18)