イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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カテゴリ:・ローマとラツィオ州( 29 )


2016年 07月 28日

   ・・・ ポンツァ島 海からの眺めと ・ 暑中お見舞い ・・・

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       皆様、暑中お見舞い申し上げます!

       梅雨明けのそちら、如何お過ごしでしょうか?
       蒸し暑い日本の夏を思い出しております。
       ついでに冷たい素麺、冷奴、鰻、生ビール、枝豆、冷やし中華・・、

       ああ、何があったっけと忘れかけているのにも気が付き・・!

       皆さん、しっかり美味しい日本の夏の味を楽しまれ、・・くやち、
       夏バテなどなさいませんように!
       
       今日は少しでも暑気払いにと、
       ラツィオ州のポンツァ島島の様子は既に見て頂きましたので
       今日はボートで回った海からの眺めをご覧下さいね

       蒼い海と断崖絶壁の島でした!

       上は、港から出発し、湾の北側の眺め
       一番左端の手前に見える黄色い建物、ここは今さなホテルになって
       いる様子ですが、

       1928年ファッシスト政権はこの島を政治的対立者達の流刑地とし、
       何人もこの島に拘留したのでしたが、
       ムッソリーニ自身も、1943年の7月27日から8月7日までの2週間、
       アブルッツォ州の標高2200mにあるカンポ・インペラトーレ・
       Campo Imperatore のホテルに移される前に、島のこの家に監禁。

       ですが、9月12日にはドイツ軍によるカンポ・インペラトーレからの
       救出作戦がほぼ無傷で成功。
       ムッソリーニはドイツの傀儡政権として、ガルダ湖のサロに
       イタリア社会共和国として終戦まで政権を、
       という混乱期の歴史の一こま。
       
       アブルッツォ州のカンポ・インペラトーレの平原、ならびに
       ホテルの様子は、クリスさんのブログにご案内が。




       ポンツァ島の地図をどうぞ
       海の周遊コースとしてはあれこれあるようですが、
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       我々は細長い島の真ん中右側、赤点を打ったポンツァの港から出発、
       島の南側を行き、ちょうど反対側のくびれ部分、キアイア・ディ・ルーナ
       の手前で引き返して戻った様子です。

       島内周遊で上から見たキアイア・ディ・ルーナの絶壁は素晴らしかったですし、
       幾らガイドさんの説明をちゃんと聞いていなかったにせよ、へへ、
       見逃す事はなく、ちょっと残念でした。




       こちらが島半分、南側の地図で、
       Grotta・グロッタというのは洞窟で、有名なのが港を出て
       南に曲がった辺りに2つ、Grotta di Pilato・海賊の洞窟、
       Grotta di Ulisse・ユリシーズの洞窟。
       Faro・ファーロは灯台で、港の先に1つ、南の先っちょに1つ、
       Faraglione di Calzone Muto・カルツォーネ・ムートの離れ岩。
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       湾内の桟橋で、ゴムボートで出かける支度中の人々
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       崖上に見えるパステル・カラーの四角い建物
       なんとなしに玩具箱を積んだようですね。
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       港を振り返り
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       湾内の北側に見える、モーナコ・僧侶と呼ばれる岩
       僧侶がお花を手にしている様だと、ガイドさんは言いましたが・・。
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       湾の南側の先っちょ、上り坂にあった教会も見え
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       上に白い灯台、となるとこのあたりが海賊の洞窟なのかな?
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       も少し先に進むと、別の趣の洞窟が続き、
       こちらはユリシーズの洞窟?
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       絶壁の下、岩のうねりは海に続き
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       離れ岩のくぐり穴
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       岩と岩の間から覗く、遠くの離れ岩
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       絶壁と
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       しがみつく木
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       白い断崖
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       離れ岩と観光周遊船
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       襲い掛かるかのような白い絶壁
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       絶壁の上に建つ家、窓に遊び心が見え・・。
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       たゆたうヨット
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       白い岩に、掘り込みの後。 住むつもり?!
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       青い空、青い海に白い岩が映え
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       かと思うと、こんなにゴロゴロした岩山
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       そして、蒼い蒼い透明の海
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       岩礁にいるカモメ君
       すぐ傍を我々の船が通っても、我関せずの顔。
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       白い絶壁の眺め
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       もこもこと背の低い植物がしがみつき、黄色い花も見え
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       白い岩に口をあけたかのような赤い岩の層
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       ダイヴィングに人気のある島なのが良く分かりますね
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       カモメ君が飛んで行き
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       島のこの部分にだけ見えたヤギの群れ
       かなり前に誰かがヤギを連れて来たものの、今は野生の群れに。
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       ダイヴィング・スクールの船
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       ゴツゴツの岩山が迫り
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       上に見える灯台は
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       ほら、島の南端に突き出している灯台!
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       煌く水平線
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       引き返す時に見る灯台のある岩の岬
       こんな凄い岩山の先っちょに灯台を造っている!
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       海に迫るこの大岩!
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       港近くまで引き返して来て見る、離れ岩
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       最初の灯台が見え、もうこの先を回ると港
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       ほら、岩の穴から港の町が見える!
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       湾の中に入り
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       船が上げる飛沫にかかる小さな虹
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       蒼く蒼く透き通る海、野性味溢れる自然が厳しい姿を見せる
       ポンツァ島
       島の南側の周遊にお付き合い下さり、有難うございましたぁ!


       カプリ島一周のご案内、 その1と2




       最後は、サイトで見つけた、夕暮れの色を。
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ヴェネツィア描き始めと、 友人との夕食 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

   
       


    


by italiashiho2 | 2016-07-28 23:29 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(6)
2016年 07月 09日

   ・・・ ポンツァ島 ・ 青い蒼い海、野性に満ちた風景 ・・・

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       今回のご案内は南ラツィオはテッラチーナから船で1時間15分の
       ポンツァ島・Isola di Ponzaを。

       朝8時40分出発の船(往復38エウロ)で、港に着いた時は
       煌く海に突き出す突堤での釣りの姿が見え、




       目指す船に乗り込みますが
       なんとまぁ、どんどんどんどん乗り込んで来て、1階と地下は超満員!
       上のデッキは開けておらずで、座席に座れぬ人たちは船尾に・・。
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       ポンツァ島の名前は今回の旅行前に初めて知りましたが、
       位置は、ここ
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       ポンツァ島が一番大きく、この周辺の島パルマローラ・Palmarola、
       ザンノーネ・Zannone、ガーヴィ・Gavi、
       そしてヴェントテーネ・Ventotene、サント・ステーファノ・Santo Stefano
       一帯がポンツァ島のコムーネに。




       ポンツァ島の地図をどうぞ。
       南の東側、Ponzaと見える所に港があり、本土からはアンツィオ、
       サン・フェリーチェ・チルチェーオ、(我らの)テッラチーナ、
       フォルミア、そしてナポリから連絡があります。
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       ご覧のように入り組んだ海岸線で、海抜は最高で280mの山、
       細長く少し右にくねって伸びた、殆どが丘陵地帯の、
       素晴らしい青色と透明度の高い海に囲まれた島

       入り江の奥まった場所に狭い砂浜があり、背後は切り立った崖、
       という立地で、この島はまたダイヴィングの宝庫なんだそう。
       島の西にも東にも何ヶ所もダイヴィング・ポイントがあり、
       30mから所によっては80mも潜れるのだそう!

       我々はポンツァからミニ・バス2台に分かれて乗り、
       島の真ん中をうねうねと進む道を行き、
       左の赤線で囲ったルチーア・ローザの離れ岩・i Faraglione di Lucia Rosa
       レ・フォルナ・Le Fornaの大きな集落と入り江
       赤点を打った辺り(と思う)亀の岩

       そして北端に近い道の分かれに赤点を打った場所、
       ここでお昼を食べたのですが、少し歩いてもう1つ海辺の赤点
       カーレ・フォンテ・Cale Fonteを見て、戻り道。

       最後にポンツァの港の裏側キアイア・ディ・ルーナ・Chiaia di luna
       を見て港に戻り、
       その後船で島の南側を周遊という様子でした。

       が、今回のご案内はバスで回った場所のみで、
       船での周遊はまた次回チャンスを見て、という事に致しますね。




       船の中は超満員で、75分間ずっと曇っている窓からぼんやり見える
       海の水平線で、島が近づいて来ると見えるのは切り立った岩礁のみ!

       漸くに船からおりてやれやれ! 
       ごった返す船着場周辺から見えるのは、こんな建物類
       白とパステル・カラーの四角い、屋根の無い建物類で、
       南イタリアに多い、雨の少ない地方の特徴なのですね。
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       この島は、ここからも近いカプリ島に似ている
       全体に少し、こちらの方が庶民的な印象だと思いましたが、
       きっと若者達に好かれる島だろうと思います。

       カプリ島のご案内 その1と2

       そして、朝と夕




       港から一段高い通りに上り
       ガイドさんから集合時間を知らされ、じきに放し飼いに。
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       見下ろす、我らの乗ってきた船
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       一段高い通り、と言った意味がお分かりでしょう?
       漁船が舫っている下の通りと、その上の町の通り
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       こちらの端から港を見晴らし・・
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       少し上に上ると教会があり
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       脇の通りを見下ろして、
       エンツォ君のバイクとお揃いの色のヘルメット
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       教会脇を少し上って見つけた、素晴らしいピンク色! はは。
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       港の北側の建物群
       島の人口は3360人で、殆どが観光業、そして漁業なんだそう。
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       見下ろす海の色!
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       島周遊ツァーも勿論ですが、貸しボートも多い様
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       下の道におりて歩いてみると、店は少なく、倉庫や事務所で、
       多分時化の日は、ぴっちりと締め切るのでしょうね。

       こちらは漁船
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       思わず笑った、これは何かのおまじない?!
       吊るされた犬のプルートの縫ぐるみと、カモシカの頭骨?
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       港の底の浅い部分を覗くと、鎖の近くに小魚がいっぱい!
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       揺れる波紋と色
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       集合場所に近い港の北側にあった、レンタ・カーとバイクの店
       いかにもヴァカンス中!!という気分を表す様な、
       派手な可愛い色と形、ははは。
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       テントに書かれている名前に気がつき、笑いました。
       Giulio il Pescatore・ジューリオ・イル・ペスカトーレ!
       店主の名はジューリオで、イルが付いているので
       ペスカトーレはニックネーム、漁師の意。
       つまりジューリオという名はたくさんあるので、良く分かるように
       ちゃんとニックネームまで書いてあるのですけど、
       こんなの、観光客に関係ないすよね、ははは。

       それに「漁師」とわざわざ名乗るなら、
       ピエトロという名前ならもっと迫力があるのにね、ははは。
       漁師ピエトロ=ヴァティカンのサン・ピエトロですもん!




       5月下旬、浅瀬では既に男達がボール遊びをしていて
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       浜には日光浴のカップルと、遊ぶ子どもと
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       ポンツァ島は元々は火山島だったようなのですが、
       新石器時代からの住人達がいたとされ、フェニキア人たちは交易の
       中継地点としていたとか。
       そしてギリシャ人。 ポンツァという名も、ギリシャ語のPontia、
       つまり「海」なんですと。

       紀元前4世紀にローマ人がやってきて、長い間流刑の地とされ、
       また勿論別荘地でもあった様子。
       そして入れ替わり立ち代り領有者が変わりながら存続してきた
       これらの島々が経済的に変わりかけたのは18世紀末の事。

       その後もshinkaiなんぞがちょっと読んだ位では飲み込めぬほどの
       変遷があり、
       現在は大勢の観光客、海水浴・ダイヴィング客が押しかける
       夏の一大ヴァカンス地なのですね。

       
       

       さて、ミニバスに乗って出かけます
       港からすぐのこのトンネルが出来て、とても交通の便が良くなったと。
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       それにしても道が狭く曲りくねっているので、
       大型バスは通れず、我らもミニ・バスに分乗ですが、
       それもレストランに客を運ぶ、と言う口実なのだそう!
       多分公共のバスは走っていないのでしょうね。




       港から少し離れて見えた岩が見える位置に出て。
       この岩は「僧侶・モーナコ」と呼ばれるもので、
       そうぉ、そう見えます?
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       高い位置から見下ろす港の出口
       ほら、モーナコがまた見えています。
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       青い海、ヨット、波紋の広がり
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       坂道を上りきった位置から見えた、西隣の島パルマローラ
       この島は夏場だけいくらかの住人があるそうで、
       多分観光客用の施設があるのでしょうね。
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       こちらポンツァもその様子ですが、問題は水なんだそう。
       つまり飲み水確保が出来ず、昔からそれで住人がなかったと。




       地図で島の西側下から2つ目に囲った位置、
       ルチーア・ローザの離れ岩
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       ルチーア・ローザと言う19歳の若い女性の名が伝わるのは、
       19世紀に起こった悲劇から。
       貧しい農民に恋をした彼女ですが、家族に反対され、
       この岩から身を投げたのだそう!
       それで村人達が彼女を哀れみ偲んで、この岩の名につけたと。




       所々に見える集落、というよりは夏のヴァカンス用の貸し部屋、
       小ホテルなのかも。
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       そして島の西側中央上のレ・フォルナのカーラ・フェオーラ・Cala Feola.
       奥に突き出して見える岬の内側と、こちらとで2つの入り江となり、
       手前側にはかなりのボートが舫い、右半分は天然のプールと。
       入り江周辺はかなりの建物が立ち並び、有名人の名も何人か!
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       こちらが奥の入り江の方で、ここもかなり有名な海水浴場の様子で、
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       手前隅の、これが「亀」と呼ばれる岩。 
       うん、そういえばそうね、ははは。  
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       道脇に家の集落が始まり、ほら、屋根の上に丸い形が見えるでしょう?
       アマルフィ海岸に行った時も目に付き、何かなと思ったのでしたが、
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       かっては水の問題があり、雨の少ない事から、
       この丸さで効果的に天水を集め地下に貯蔵するのだと


       ナポリ、アマルフィ海岸全体のご案内は、こちらから。
       http://italiashio.exblog.jp/i38/ 




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       この近くでバスをおり、歩いて岩場に向いますが、
       新しい民家もかなりあり、

       とにかく植物の大きさに驚くばかり!!
       カプリ島に行った時も、見上げるほどに延びたサボテン類に
       驚いた物ですが、ここのも凄かったぁ!
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       2枚目のは、このままでも画面いっぱいに描いたら、
       ジョージア・オキーフ風になりそうでしょう?! ははは。




       最後のこれは、イタリア語で「姑の椅子」と呼ぶのですけど、
       姑が嫁に勧める椅子なのか、姑に座らせたい椅子なのか、ははは。
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       カーレ・フォンテの岩場に下りて行きますが
       打ち寄せる波と、水の色に魅せられます!!
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       ここでは仲間の大勢が記念撮影をしたがって、
       にわかカメラマンのshinkaiは大もて!




       ここがカーレ・フォンテ。 岩で囲まれた小さな溜まりに
       なっているのですが、水の透明度をご覧下さい!!
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       下った所に人々が集まり、日光浴中で
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       むひひ! 
       ごついスニーカーとリュック、金髪、北国の女性かな?
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       お昼ご飯を美味しく食べた後、再びミニバスに乗り戻りますが、

       山越に見える煌く海!
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       空と海に挟まれた道を自転車で行く若者達。 
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       ポンツァの町が一望に見張らせる場所まで戻り
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       見下ろした入り江の奥に、小さな浜と崖の上にホテル群
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       ほら、入り江の奥に洞穴が見え、手前に階段があるので、
       上のホテルから、トンネル式でこの浜に出れるのでしょうね。

       場所が特定できなかったのですが、多分ポンツァの港の入り江の
       も1つ上の大きな入り江フロントーネ・Frontoneの一部だと。



       ロバ君が2頭いて
       そうね、昔は島の中の交通はロバ君が主役だったのでしょうね。
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       ここは地図で西側の一番下に見えたキアイア・ディ・ルーナ
       港からも近いですし、この迫力ある美しさで人気があるのだそう。
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       突き出す岬の先っちょと、
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       絶壁と浜
       今回見た中で一番凄い!と思ったshinkai。
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       朝出発した港の浜に戻って来ると、
       引き潮になっておりましたぁ
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       最後はサイトで見つけた、キアイア・ディ・ルーナの夕陽を。
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       いやぁ、南国の香りのする、素晴らしい海の島
       今頃はきっとヴァカンス・シーズン真っ最中で、
       さぞ賑わっている事でしょう!



     *****

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by italiashiho2 | 2016-07-09 00:20 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(16)
2016年 06月 29日

   ・・・ ティベリウス帝の別荘跡と博物館 ・ スペルロンガ ・・・

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       先回のスペルロンガの町のご案内に引き続き、
       今日のご案内は町の東、浜続きにある
       第2代ローマ皇帝ティベリウスの別荘跡、洞窟と
       洞窟内から発掘された大彫像などを展示している博物館のご案内を。

       上の写真は、海辺に面している別荘跡の写真をサイトから拝借し、
       右下に見える建物が博物館。



       私はローマ史に弱く、ギリシャ神話にもまるで疎いので、
       最初に博物館内を見学した時、ギリシャの大古典である
       ホメロスのオドュッセイに関連した大彫像群を見ていささか困惑。
       ガイドさんの説明も殆ど聞かなかった事を白状いたしますが、へへ、

       一人で館内を歩きつつ見ているうちに、
       船が難破しかけ、なにやら海獣たちに喰いつかれる人間達
       その迫真の彫像を見て、これは凄い!!と感じ、

       今回これらが何を現しているのかをあれこれ読み、写真も集め、
       ああ、そうなのか!と納得しましたので、

       shinkai同様、こういうのがいささか苦手、という方にも分かりやすく、
       私めがそうか!と納得した方法でご説明いたしますので、
       お付き合い頂ける様、お願いいたしますです、はい。




       博物館前、 国立考古学博物館 ティベーリオ(ティベリウス)の洞窟
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       入り口入ってすぐの左側、ガラス張りの天井から射し込む光の下、
       シッラ・Scilla(セイレーン、スキュラ)・海の怪獣たちに襲われる
       オドュッセイ達の船
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       かなり破損し失われている部分が多く、
       残っている像から元の姿を想像するのは困難なのですが、
       援けになったのは、横にあったこの写真
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       ですがセイレーン(スキュラ)という怪物がオドュッセイの船を
       襲っているらしいのは分かりますが、
       写真上に見える女性と、男達を襲う動物との関連が
       良く分かりません。




       で、見つけたのがこれ。
       そうなんです、このスキュラの下半身が6つもの海獣(犬)に
       分かれ、男達に喰らいついている凄まじい場面!
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       こうして見ると、オドュッセイの第12話に詠われた、
       オドュッセイは船にしがみつき何とか無事にやり過ごせそうなものの、
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       頭はスキュラの手に捕らえられ、危ない状態で!!
       ははは、持って行かれず助かって良かった!
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       ライオンにも似たこの凄まじい犬達に、むさぼり喰われる男達!!
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       ホメロスのオドュッセイ物語は、同じくイーリアスと並んでの
       ギリシャの大古典といわれ、shinkaiも名前のみは知っておりますが、
       荒筋を読んだ程度の無知でして・・!

       このオドュッセイを詠った英雄叙事詩の大筋は、
       トロイア戦争での勝利から故郷に戻ろうとしつつ
       ギリシャ神話の神ポセイドンの怒りを買い、10年に及ぶ漂泊の身となり
       その間様々な冒険というか、危険な目に遭いつつ遂に家に戻ると、
       亭主が既に死亡したものと思い、妻に言い寄る男達を発見、
       それらを殺害、復讐する、という物語で、なかなかに凄まじい物!
       
       で、このオドュッセイの逸話の中から、
       大きな彫像群としては2話、上のスキュラが船を襲う場面と、


       第9話の、一つ目の大怪物ポリフェーモ・Polifemo(ポリュペーモス)
       の目をオドュッセイと仲間達が突き潰すというもので、


       それがこちら。 博物館の一番奥にあったのですが、
       建物の大きさと比較して、その大きさをご想像くださいね!
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       こちらも、全体の想像図を見つけましたが
       こんな様子で、これだと分かりやすいでしょう?!
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       一つ目の大怪物群像とはいえ、こういう肉体美の像でして・・!!
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       発掘された実物の方も展示されていて、
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       まさに考古学者たちの細心にして忍耐の賜物である
       復元像に、驚き感嘆するばかり!!




       これは一つ目の目を狙うオドュッセイの顔
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       所でこれらの彫像群は、1957年、西のテッラチーナから
       東のガエータに至る道を建設中に偶然発掘された物で、

       建設技師の方が考古学に大変詳しい方で、発見されすぐに
       大変な物らしいと分かり、私費で工事人たちに発掘させたといい、

       当初から、あれに良く似ている、とされた彫像がこちら
       1506年にローマのトラヤヌス浴場付近で発掘されたもので、
       見学に来たミケランジェロに大きな感銘を与えと言われる、
       現在ヴァティカン美術館に所蔵されている、ラオコーン像
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       トロイアの神官ラオコーンが、ポセイドンが送った海蛇の怪物
       2匹に、息子もろとも喰われたというもの。

       確かに後に確かめられたのは、このラオコーンの彫像の作者名3人
       と同じ、Agesandro、Atanodoro、 Polidoroの名が見つかったとの事。

       そして発掘された像の幾つかは、ギリシャのヘレニズム期・
       紀元前180年のオリジナルの物である事も確かめられたと。




       これらの大彫像群を含めた素晴らしい大理石像が
       どのようにティベリウス帝の別荘に隣接の洞窟内にあったかですが、

       博物館にあったこの図をどうぞ
       洞窟内の円形プールの真ん中に、最初にご覧頂いたセイレーンに
       襲われるオドュッセイたちの船の像、B、
       洞窟の奥、右の小洞穴に一つ目のポリュペーモス像群が、C、
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       現在は欠けている円形プールの突き出した部分に
       A アキレスを救い出すオドュッセイ
       D パラス神殿の強奪
       と洞窟入り口上に、E 鷲に拉致されたガニメーデ像
       という具合に配置されていた様子。
    



       こちらが博物館にあった、
       鷲に拉致されたガニメーデ像と、顔の部分
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       と、洞窟上部にあるコピー像
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       なんとも凄い趣向のガニメーデ像を、ヴェネツィアの館で
       見たことがあります。

       なぜガニメーデが登場するのかは
       オリンポスの神々へのお給仕の為に鷲に拉致されたというので、
       成る程、夏の食卓、横臥宴会場のあるこの洞窟に相応しいという
       皇帝の思し召しだった訳でしょうね。
       




       博物館内には発掘品の幾つか、壷や、彫像、モザイクも
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       そして外に出て、ヴィッラ発掘場所に向いますが、
       
       庭に見えた、これは浴槽でしょうか?
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       サボテンにたくさんの実がつき、熟れていて・・!
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       草むらに咲く花
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       最初に見て頂いた上からの眺望写真に見える、
       博物館と遺跡との間の木々は刈り取られ、見晴らしが良くなっていて、
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       こちらが全景。 海のすぐ傍にある大きな別荘で、
       一番手前は兵舎や馬小屋だったそう。
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       その向こうに、広い中庭を取り囲む形で住居や召使達の住まい
       台所、フォルノ、パン焼き釜部分などが広がります。




       壁の造りがとても厚く、見事なサイコロ型の石の斜め積み
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       そして床はレンガの杉綾模様
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       山に沿った東側に洞窟が見え、屋根の掛けられた部分には
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       こんな風に、フレスコ画装飾された部屋がある様子ですが、
       ここは見ておりません。
       きっとこの奥まった部分に、皇帝の居室、寝室があったものと。
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       これはヴィッラ跡の一番の南西角にあったもので、
       水洗トイレ跡なんですと!
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       どう使ったのか良く分からず隣にいたエレオノーラに訊ねると、
       ローマのオスティアにも有った同じ形と言い、
       見ていないshinkaiが再度訊ねるのにガイドさんが気がつき、ははは、
       詳しく説明してくれたのですが、

       この周囲に水が流れていて、今は無くなっているものの、
       石とか木製の突き出した椅子式おまるがあり、
       それに腰掛て用を足し、拭き取るには、スプーン状の物でぬぐったのだと!
       
       もうちょっと詳細にお尻にお知りになりたい方は、こちらを。
       ガイドさんの話では、水洗とはいえ、やはりかなり匂ったと!
       ふむ、さもありなん!!


       この別荘は元々ティベリウスの母方の祖父、つまり初代ローマ皇帝
       アウグストゥスの妻にもなったリディア(リウィア)の父
       が持っていた物と見られ、
       紀元後1世紀の始めに拡張し、自然の洞窟にも手を加えたものと。




       さて洞窟の正面からですが、上部にガニメーデの像が見え、
       手前に広がるのは生簀、魚の養殖をしていたプール!
       でその中、洞窟の正面に四角くもう1つプールが見えますね。
       その真ん中に草の生えた四角い部分が見えるのは、夏用の食堂!
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       図をどうぞ
       白く点々の付いた道が見学用に歩ける道で、上に遺跡群があり、
       中庭を囲み住居部が広がる様子、北に離れて兵舎、厩舎があり、

       洞窟の中に丸いプールがあり、これは直径12mで、
       真ん中に島が見えるのは、ここにスキュラと船の像があった場所で、
       手前に方形プール、その中心部色の濃い部分に夏用食堂
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       魚の養殖をしていた外側の広い四角いプールは海水ですが、
       淡水魚も山からの水を引いて養殖していたとの事ですので、
       円形とその手前の小さい方形プールは淡水か、もしくは
       海水とが混じるようにされていたのかも、ですね。

       洞窟の奥に、左右に奥まる小洞窟があり
       右は奥にポリュペーモス像群がおかれていた部分で、
       この手前には小さな滝があり、水の遊びが出来た様子で、
       左には横臥食堂があったそう。




       外側の大きなプールには、今も悠々と大きな魚が泳ぎ
       狭い道を列を作って歩く我らは、
       うっかり落ちると魚に食べられそう、と笑う位の大きさ! ははは。
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       洞窟内はご覧のようにかなり広く、手前に円形プールがあり、
       奥に見える小洞窟は、手前に小さな滝があったり噴水があったり、
       この奥に一つ目の怪人の目を潰すオドュッセイ達の群像があった場所。
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       これは滝から流れ出す水を、円形プールに導く溝
       で、多分円形プールでは淡水魚も飼っていた、と想像する水の流れ。
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       洞窟内から見渡す現在のスペルロンガの町
       夏の暑い日、海風の吹き込むこの涼しい洞窟内から海を眺め、
       あの正面に見える夏用の食卓で、美女をはべらせ、
       養殖している新鮮な魚を食べ、音楽を聞き・・!!
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       こちらは左にある小洞窟の方で、奥に横臥食堂があったと言いますが、
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       この一部に最近修復が済んだという、皇帝の寝室もあったそうで、
       覗きこむと、床に黒い線のモザイク跡。
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       壁脇にある穴、これは何かとガイドさんに訊ねましたら、
       花を生けていたのだそう! なんと優雅な!!
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       いやぁ、紀元1世紀に生き、栄華を尽くしたローマ皇帝の
       夏の別荘なのでしたぁ。




       洞窟のすぐ傍まで迫る海、見える石積みは防波堤。
       位置から見て、かっては船の停泊も出来たのだろうと。
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       近くの砂浜に出来た波の紋
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       スペルロンガの町を望み
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       夏の夕暮れにはこんな風に!! 
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       そして、頂く海の幸
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       う~ん、ローマ皇帝の権力栄華には及ばずとも、
       我らもきっと彼と同じ位の幸せは味わえているのですよね
       そう思われません、皆さん?! ははは。
      


     *****

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by italiashiho2 | 2016-06-29 00:05 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(2)
2016年 06月 24日

   ・・・ スペルロンガ ・ イタリアの一番美しい村々の1つ ・・・

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       ラツィオ南の旅のご案内、今日はスペルロンガ・Sperlongaを。
       「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている1つで、

       上の写真は、町の東にあるローマ皇帝ティベーリオ(ティベリウス)
       の別荘跡から眺めたもので、
       町の旧中心部は、こんな風に突き出した山の崖上に。

       
       ローマ皇帝ティベーリオ・Tiberioというのは、ローマ帝国第2代皇帝。
       初代皇帝アウグストゥスの養子だったそうで、
       ティベーリオの別荘というとカプリ島にあるのが有名ですが、
       ここの別荘跡もかなりの大きさ。

       傍らにある洞窟内から発掘された、素晴らしい大きなギリシャの
       大理石彫刻群が、現在隣接の国立考古学博物館に収容展示されており、
       次回にでもご案内したいと思っておりますが、
       今回はまず町のご案内で、浜辺から見えた町の姿を。




       スペルロンガの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
       ローマの南、車で約2時間程で行ける位置で、
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       上記のティベーリオの別荘跡、洞窟内の発掘などは、
       テッラチーナ・Terracina からガエータ・Gaetaに至る道を建設中の
       1957年に、偶然に発掘されたのだそう。




       これはトップの写真に、町から海に突き出した岩場の上に見える物で、
       かっての海賊船相手の物見の塔トゥルーリア・Torre di Truglia、16世紀、
       元のローマ期の塔の後に建設されたものと。
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       現在は一帯が自然博物公園となり、博物館として使用されているそう。
       それにしても、ペンキ塗り立て、みたいな凄い色ですねぇ、ははは。




       町のある高さは55mで、人口は3300人ほどですが、
       この位置からは隠れる向こう側の浜辺に、現在は新しい町が広がり、
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       右端に見える木々のある場所、ここに海を見渡せる展望台が。




       さてティベーリオの別荘、洞窟跡見学から町に移動し、
       バスを降りて見える風景は、こんな新しいそっけない広場で
       えっ、大丈夫かいなといささか心配に・・!
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       広場にある古いオリーヴの根元で、ぐっすり眠る黒猫ちゃん
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       展望台から見渡す東側の海、浜辺
       ほら、洞穴みたいなのがポコッと見えますね、
       あれがローマ皇帝ティベーリオの別荘跡と、彫像群の見付かった洞窟。
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       こちらが西側、崖の上にそそり立つ町の古い部分
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       展望台でかなり長いガイドさんの説明があったのですが、
       こちらは早く町の中に行きたい一心で気もそぞろ、ははは。
       やっと集合時間を告げられ、町の広場に向いますが、

       こんなに高い家が見え・・!
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       先ほどの海の岩場の上の見張り塔の他に、町の中にも
       3箇所ほど見張り塔があったというのですが、
       この建物の右半分、ここが案外その1つだったかも、ですね。




       中心広場に出て来て、ブーゲンビリアの花がもうこんなに!!
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       この辺りは夏はきっと大変な人出でしょうね!
       ローマから2時間で来れるのですものね。




       広場のカフェの椅子の下
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       広場から西に延びる小路
       そう、どこもかしこもこんな小路があっちにこっちに。
       緑の十字のネオンは、薬屋さん。
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       小路突き当りの建物の、入り口の脇柱の足元
       なにやら由緒ありげと見ましたら、
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       内部は12世紀の元教会の建物で
       カフェを兼ねた催し物とか集会場とかに変貌。
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       前を横切る小路の天井部は青く塗られ
       右に見えるアーチをくぐると、
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       奥に小さな広場と井戸が見え、
       一番手前の左側の壁と、奥の建物に残るフレスコ画
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       こちらは古いフレスコ画で、どうやらトルコの海賊船!
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       そしてこちらは建物の2階の壁に描かれた騎士物語りのロマンス
       海賊船にもかかわりがあったと思うのですが、
       ガイドさんから聞いた話はきれいに忘れまして・・! へへ。
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       旧石器時代に既に住人が居たらしいこの町は、
       あの東に残るローマ皇帝ティベーリオの別荘にも見られるように、
       ローマ期にはかなりの数のローマ貴族の別荘があった様子。
       きっと風光明媚で、暖かい土地なのでしょうね。
       が7世紀ごろには、あの洞窟も海賊から避難する為に使われたと。

       町の名のスペルロンガというのは、この一帯にあるたくさんの
       天然の洞窟、くぼみ、穴を意味するスペルンカエ・speluncae
       から来ているのだそうで、

       町の名が記録に登場するのは10世紀。
       今は無いものの町の城壁が11世紀に造られ、
       今も残る町の門に残る紋はカエターニ家の物と。       
       
       最初に見て頂いた町から突き出す岩場の物見塔、
       そして町の中にも3つほどあったといわれる物見塔、
       そして城壁と、様々な防御にも拘らず、
       この町は2度トルコの海賊に破壊されており、
       最初は1534年、そして1622年、
       海賊の名はバルバロッサ・Barbarossa・赤ヒゲ(1475-1546)と呼ばれる
       Khair ad Din・ハイレッディン、オスマントルコの提督で、
       16世紀イタリアの海岸沿いは、軒並み彼にやられたのでした。

       こんな小さな漁村を襲って取る物があるのか、と思われるかもですが、
       人間を略奪し、奴隷に使った、売り払ったのですね。


       そして町はずっと小さな貧しい漁村、として近年まで来て、
       ティベーリオ帝の別荘跡が偶然に発見されたという道路の建設で、
       一挙に状況が変わり、それ以降観光の町に変わったのだと。
       



       細い小路の両脇に高い建物が迫りますが、
       一番上の窓も綺麗にされ、住んでいる事が分かり、
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       こんな色違いの扉、これは多分倉庫の扉、の並び
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       狭い土地にかなりの人々が住んでいた、
       いるのだろうと想像できる建物の高さ!
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       この手前の建物は、




       こんな感じ、この高さ!! 
       途中で拡張され、嵩上げされたのも分かりますね。 
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       玄関脇の狭い土からも、木々が頑張り! 
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       上の玄関から顔を覗かせる、暇そうなワン君! 
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       脇に延びる下り坂の先に見える、ちょっと興味を引いた形の建物。
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       小路の名は、元の病院通りとあったので、
       案外貧者や病人の救護所だったのかも・・。 時間があったらねぇ。




       なんとなし、髪の毛を細い細い三つ編みに何本もたらし、
       ビーズなどを編みこんだ髪型を思い出した扉、ははは。
       扉の開け閉めのたびに、ちゃらちゃらと鳴りそう!
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       郵便受けの上の青い陶板には、4人家族の名前が書かれ、
       その上左で飼い猫ちゃんが居るのも分かり、ただし名はなし、ははは。




       一方こちらは頑丈一式の扉、ただし、救命ボート風の飾りあり!
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       大概のお家の中はかなり狭いのではないかと想像したのですが、
       この入り口部をご覧くださいね。

       番地が打ってある札を見ると、51、53、55とここに3軒分あり、
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       同じ建物の2階には、左から43、45、47、49と4軒分!
       まぁ2階のお家は、中が2階建てになっているのだと思いますが、
       やはりかなり狭い居住環境なんだろうなと。
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       ここがずっと辿ってきた道の下り坂、つまり旧中心地の終わり
       下り坂で、上って来た仲間からもそう聞き、
       上り坂は避けたいshinkaiは、引き返します、へへ。
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       ご覧頂いているように、建物の色は殆ど白で、
       入り組んだ小路と階段という特徴がありますが、
       扉の色、玄関周りの小さい飾りで、そっけなさが消えていますし、
       何よりも路地が綺麗、人々が住み、掃除が行き届いている感じを受けました。




       夏のこの辺りの海の色を思わせるような青い扉!
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       今度は家の前の石段に、腰を下ろしているワン君
       う~ん、狭い1段には、お尻と前脚が入りきらないんだね、君は!
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       隙間から見えた港、青い海
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       来る時通った時は何もなかったこの階段に
       そろそろ店開きをする手前のワイン・バーがクッションと明かりを。
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       細い路地を覗きながら、ゆっくりと戻ります
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       ティベーリオ帝の別荘跡横の洞窟が真っ直ぐに見え
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       午前中に傍で見た時は、なんとなしに自然洞窟と思い込んでいたのが、
       この写真を見て、手を加えて入り口を掘ったんだと気が付き、
       調べましたら、やはりそうなのを知りました。
       かなりの厚みを掘り込んでいます!




       小路が狭すぎて、扉の前からはレンズに入りきらないのが殆ど!
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       入り組む小路と階段が至る所に!!
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       中心広場まで戻り
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       テラスの椅子席を占領している猫ちゃん2人!
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       猫ちゃんの詳細は、水彩+色鉛筆ブログに載せますね。




       町の新しい広場の角の展望台から見る、薄い夕焼けの色
       一箇所にうっすらと光線が射しこみ・・!
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       あの岬の向こうの町、テッラチーナまで戻ります。




       正面に見えるポンツァ島
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       この日の最後は、海に射し込む一筋の光
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       我らが行った5月下旬は、漸くに浜辺の準備が整いだした頃で、
       少し曇り空の日でもあり、小路に射し込む陽も弱かったですが、

       今頃はきっと暑い夏の陽射しの下、町はヴァカンス客が
       あふれ出している事でしょう!
       あの狭い路地に余り人が溢れるのはちょっとね、と思いますが、
       夏はまた別の表情を見せるのであろうスペルロンガの町。

       狭い路地奥のレストランで、美味しい魚料理を食べるのも
       きっと美味しく楽しい事でしょう!!
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、描き初めと、お終いと、 スペルロンガの猫たち を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       


    



by italiashiho2 | 2016-06-24 00:08 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(7)
2016年 06月 19日

   ・・・ カエターニの城 ・ セルモネータ ・・・

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       先々回に、ラツィオ州にあるセルモネータ・Sermoneta の町
       ご案内いたしましたが、    
       今回はこの町にほぼ完璧な姿で残るカエターニの城・Casello Caetani
       と呼ばれる中世からの城塞見学のご案内です。

       上の写真はサイトから拝借の、城の形が良く分かる物で、
       主塔・マスキオ・Maschioと呼ばれる塔が見え、
       その左に張り出したテラスが見えるのにご留意を。

       で、左下に見える低い張り出し部が、城への入り口部




       町の中心にあるコムーネ広場から上り道を辿り、
       このアンニバルディ門をくぐり、さらに小路を上って行くと、
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       右手に城が現れ、この部分は主塔の手前の館部分で、
       一番上に主塔のてっぺん部分が。
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       ここが城の入り口、切符売り場
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       木曜が定休日で、毎日公開されていますが、
       内部はガイド付きの案内で、10時から1時間毎、午後は3時から。
       詳しくはこちらを。http://www.fondazionecaetani.org/visita_castello.php 




       入り口を入ると草地の小広場・オルミ広場があり、 
       そこから折り返す感じで、城内部への入り口にかかりますが、

       これは切符売り場の先から見上げる、最初の跳ね橋。 
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       最初の広場から見る城への入り口ですが、
       下から見上げた最初の跳ね橋はこの門の手前で、鎖が見えますか?
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       跳ね橋の上から見る平野の眺め
       写真では分かり難いのですが、遥かに海が!
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       そして左に折れ、2つ目の跳ね橋があり、
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       それを渡ると、城の中庭に出ますが、
       分かりやすい様に上から撮った写真で、ご説明を。

       2つ目の跳ね橋を渡ると、内庭の手前左隅に出て来て、
       正面に見えるのが、枢機卿の家・Casa dei Cardinaleと呼ばれる建物。
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       カエターニ城と呼ばれるこの城は、
       13世紀、当時の教皇からこの一帯を領土に預かった
       アンニバルディ一族が建設した物で、
       現在も残る主塔マスキオ、高さ42mと、それに付随している小さい塔・
       マスキエットを主とした完全に中世の軍事的要塞

       それを1297年、当時経済的危機に陥っていたアンニバルディ家から、
       教皇になったボニファーチョ8世の甥ピエトロ2世カエターニが、
       セルモネータと近接の土地を14万フィオリーニ金貨で、
       既に庭園をご案内したニンファの土地を20万フィオリーニで買い取ります。
            
       建物も増設、この地をカエターニ家の本拠とし、着々と勢力を伸ばしますが、
       
       1492年ボルジャー家のアレッサンドロ6世が教皇に選出されると、
       1499年カエターニ家は破門措置を受け、財産も特権も没収され、

       この城はボルジャー家の手に渡り、以前にも増し軍事色の濃い配備がなされ、
       城壁を完璧にし、主塔の上部にあった教会を潰し、
       1400年代からそこに埋葬されていたカエターニ家の領主の墓も潰し、
       後世1536年に神聖ローマ皇帝カルロ5世が、騎馬千頭、歩兵4千を
       持っても落とす事ができなかったという要塞城に。

       きっと城の軍事的改造にはチェーザレ・ボルジャーも来て、
       あれこれ実際の指揮を取ったに違いなく・・、
       と、あれこれ想像が広がります、はい。
       
 
       で、上の写真のご説明に戻りますが、
       この正面に見える「枢機卿の家」というのが、ボルジャー家が
       ここに居た短期間・約5年間、アレッサンドロ6世の死1503年まで、
       彼らが唯一建設した住居で、
       ここにはかのルクレツィア・ボルジャーも住んだ事があったと。




       そして1504年、教皇ジューリオ2世によりカエターニ家に戻され、

       内庭の南側はこんな感じで、左に、枢機卿の家の斜めの位置に、
       2棟の建物があり、
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       14世紀にカエターニ家がここに住み始めて建設、拡張した物で、
       この左側の建物にフレスコ画の描かれた部屋があり、




       内庭の西を占める形でこの建物があり、そして塔への入り口階段
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       広場の真ん中にある大きな井戸は、高所にあるのを配慮した
       天水利用の井戸なんだそう。




       主塔マスキオと小塔マスキエット、そして右下に第2の跳ね橋から
       この内庭に続くアーチの入り口が見え、
       塔の左に、主塔への階段上り口が。
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       塔の上部と
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       塔への階段上り口
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       見物は、内庭の東側に見えた「枢機卿の家」からで、
       これは壁にあった、カエターニ家の紋。
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       内部はとにかく広い広い部屋が3つ、だったっけ?あり、
       余りにも整備されすぎていて、写真の撮りようもなく・・!
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       壁にはかってこの城を訪れた客人たちの落書き、
       作曲家であったカエターニ家の一人の五線譜の音符などもありましたが・・。




       建物を出て、城郭の東南角に当たる部分
       ここの角部分が崩壊した廃墟部となっているのですが、
       その幾何学的ともいえる形態に、光が射し込む様子に魅せられました!
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       石畳の下り阪を行き、左に折れると
       先頭は今回の旅のガイドさん、元気印で美人のリンダさん。
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       内庭からの下り道を振り返るとこんな様子で
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       城の東南角の崩壊部分
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       ここには小麦を挽く、碾き臼の部屋があったそうで、
       挽石なども地面に見られましたが、
       上階は多分居室だったのでしょう、暖炉の名残も見えます。


       17世紀になり、平野を通るアッピア街道も再開発されると、
       カエターニ家も平野部に一族の本拠を移し、この城は放置され、
       18世紀、スペイン軍、フランス軍の略奪破壊にも遭い、
       19世紀には軍や農作物の倉庫代わりに貸し出されたりもし、
       漸くに19世紀の末になり、カエターニ家が修復を始めたのだそう。
       



       で、先ほどの石段の下りの先には、

       これは入り口部分を逆に見ていますが、
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       ここに厩舎があり
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       この小さなアーチ部、これは古いのが残されたのと思いますが、
       ここに秣を置いたものと見られ、
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       片側に20、つまり20頭、全部で40頭の厩舎だそう!

       ここにずらっと駿馬40頭が並んでいる姿をご想像あれ!
       かっての栄光時は、きっと煌びやかなものだったでしょうね。

       この厩舎は映画の撮影にも使われ、10年ほど前までは
       ここで室内楽のコンサートも行われたのだと。




       細長い厩舎の突き当りを出ると、この左の壁は周囲を囲む城壁で、
       この広場で、馬の毛をすいたりしたのだと。
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       石段道を戻り、奥に見える建物の奥側の扉から入りますが、
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       建物の壁の装飾が単純にフレスコ画と思っていたのが、
       少し削っているのにも気が付き・・。
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       建物の端には台所がありましたが、
       そっけないほど台所仕事を想像させる何物もなく、
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       単に大きな大きな吹き抜けの煙突!
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       ここでは城内の兵士すべての食事を賄うのではなく、
       貴人達のみの食事を作っていたのかも、と。




       隣の建物の入り口から入ると、ここは大広間で、
       「狩の部屋、または男爵の部屋」という部分と思いますが、
       大宴会なども開かれた部屋と。
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       仲間が一緒で部屋の写真が撮れず、上のはサイトから拝借し、
       右奥に見える扉から入ると




       客人用の寝室が2部屋あり、ピンタの部屋と呼ばれる
       15世紀後半のフレスコ画装飾された部屋で、
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       主題は伝説的、神話的なもので、画家はピントリッキオ派の 
       無名画家だそうですが、絵として余り上等とは思えませんで・・!
       これでピントリッキオ派なんて言ったら、師匠が泣くのではないかと、ははは。




       古いまま残った窓際の席と
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       出窓の天井にあったカエターニ家の紋
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       1つの出窓から町の姿が見え!
       飛び出している鐘楼は、サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂のもの。
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       これは南西に見えた教会で、コムーネのサイトで分かったのは、
       サン・フランチェスコ教会と元修道院。
       13世紀頃からの古いものだそうですが、今見えるのは15世紀の物と。
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       建物を出て、主塔に上るべく移動しますが
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       内庭越しに見る、北の城壁
       最初に内庭に入ってきた時も、この城壁の威圧感が凄かったですが、
       壁の厚さは3mもあるのだそう。
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       上部のメルレット・レース飾りと呼ばれる凸凹も、
       ボルジャー時代の改造だそうで、この上の歩哨の見張り道を
       後ほど歩きましたぁ!




       右が塔で、左が建物に沿った外階段で、
       今見える渡り橋は、かっては跳ね橋だったのだそう!
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       で、塔との間の隙間部分は、こんな感じの深さ!で、
       足の悪い方、高所に弱い方は下で待つように、と言われまして・・。
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       多分、かってはここにも床が在ったのだろうと想像しますが、

       窓越しの遥か向こうに、海が見えましたぁ!
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       一旦小塔の部屋に入ると、書斎があり、
       主塔の中に、代々の領主達の寝室がそのまま残されており
       この天蓋つきベッドも、オリジナルなんですと!
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       つまりこの領主の部屋に至るには、3つの跳ね橋を通る訳で、
       この部屋から外のテラスに出るにも、跳ね橋が在るのだと。
       ・・テラスに出ましたが、跳ね橋には気がつかずで・・!

       小塔の方にある書斎は、20世紀の始め、この城の修復に
       取り掛かったジェラージオ・カエターニ・Gelasio Caetaniが使っていたと。




       これは部屋の隅にあった暖炉で、如何にも古い作りでしょう?
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       ちょっと脱線しますが、あれこれ写真を調べたりしていて、
       このセルモネータのカエターニ家の最後の人々の写真も見付かり、

       おまけになんと、母親のアーダと一緒にニンファの庭園作りに取り掛かった
       ロッフレード、彼の名が現在の財団の名に残りますが、
       その兄である15代セルモネータ公爵レオーネの妻
       ヴィットーリア・コロンナ、ローマ貴族コロンナ家の名を引く様ですが、

       彼女と当時の未来派画家ウンベルト・ボッチョーニとの
       2ヶ月間に渡る秘密の、いや、秘密ではないですね、
       ばれて別居になったようで・・! 情事なども知りましたぁ。
       なぜ2ヶ月だったか、彼が落馬して亡くなったのだそうで・・。 

       「カエターニ」で検索していて素晴らしく美しい婦人の写真が見付かり、
       それからずるずると芋蔓式にたどり着いたのでしたが、
       あれこれ詳細記事が見付かったものの、ははは、
       いまだしっかり読んでおらずで、暫くひっそり楽しめそうです、うひひ。
       



       さて本題に戻りまして、ここが領主の寝室から跳ね橋で出る
       主塔から張り出したテラス
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       つまりこのテラスまでは敵が上って来れても、跳ね橋があるので
       領主の寝所には入れない事になりますが、
       味方の謀反程度ならいざ知らず、本当に大群の敵に取り囲まれた場合、
       塔の中に引きこもり無事であっても、兵糧攻めになったらどうするんだろ?




       これが城壁の上の見張りのパトロール道、広いでしょう?!
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       一番東端まで行き、間から見晴らす北の眺め
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       そして狭い階段で潜り込んだ、城壁の壁の厚みの間をくり貫いた
       トンネルのパトロール道。  ここを逆行きに戻り、
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       階段を下り、2つ目の跳ね橋の脇、つまり内庭に出るアーチの横に
       出て来て、7世紀間を生き残ってきた城塞見学がお終いに!
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       我々見学者に公開されている部分はこんな感じですが、




       この方角からの城の写真に見える、周囲を取り囲む城壁の上、
       またこの南面に見える建物上階に続くテラスなど、
       きっとずっと兵士の見回りがあり、今も上れるのだろうと思います。
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       いやぁ、如何にも堅固な中世の城という感じで、
       華麗さは無かったですが、興味深かった。

       ニンファの庭園に行かれる方、お近くにお出かけの方、
       可愛い小さな町の散策と共に、お城見物も是非どうぞ!!




       ◆ おまけ ◆

       町のご案内の時に、「ロカンダ・ボニファーチョ8世」という
       宿とレストランの表を見て、中はどんなのかと思ってましたら、
       写真を1枚見つけましたので、どうぞ。
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       階段の段差が少し複雑に入り込んでますが、
       如何にも中世風な趣でしょう?!




       町のサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂に付いては
       水彩・色鉛筆画ブログの方でご案内をしておりますので、
       下のリンクからどうぞ!


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、もうちょっとの2枚と、 S.M.アッスンタ聖堂・セルモネータ を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



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by italiashiho2 | 2016-06-19 00:12 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(4)
2016年 06月 09日

・・・ セルモネータ ・ グーグルStreet Viewで、美しい6村の1つ  追記 ・・・

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       今日のご案内は再度ラツィオ州南の旅に戻りまして、
       セルモネータ・Sermonetaという、中世がそのまま残ったような
       小さな素敵な町のご案内です。

       トップの写真は、平地から山の上に町が見えて来た所で、


       こんな風!
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       セルモネータの町はどこにあるか、地図をどうぞ
       ローマの南にあるラティーナ・Latinaから東に入り、山を上ります。
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       この日は午前中にセルモネータの町を訪問、昼食の後
       先回ご案内したニンファの庭園に行き、最後ちょうど中間に見える
       ヴァルヴィショーロの修道院に寄った、という日程でした。




       セルモネータの町は海抜237mに位置しますので、
       平地からぐんぐん坂道を上り始め、そして見えてくるのがこれ、

       突き出す岩山の上の塔、モンティッキオの塔・Torre di Monticchio.
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       中世のセルモネータの領主によって、ちょうど良い丘の上に建設され、
       近辺一帯平地の見張り基地とされたものだそうで、
       兵士や家族達が住んでおり、
       もしも敵の接近が見られたならば、即座にリレー式に町に知らされ、
       防御なり攻撃なりの態勢がとられたのだと。
   
       この近辺は近くを通る街道や鉄道施設に使う砂利採取が行われたというので、
       今見るこの姿は特殊ですが、建設当初はもっと緩やかな丘の姿で、
       砂利採取で周りが削られたのではないかと、想像しますが・・。




       曲がりくねりながら続く町への道。 漸くに見えて来た所!
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       町からかなり離れた場所に駐車場があり、そこから歩きますが、

       谷の向こうに見える山の斜面は、一面のオリーヴ畑
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       北の人間は働き者だけど、南の人間は・・、なんていうのは嘘だね、と
       思うほどにぴっちりとオリーヴが栽培されていて、
       



       こちらの道の脇に見えるオリーヴのこの幹!
       きっと何千年も経ているのでしょう!!
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       道の左手には、町から張り出したと思われる要塞が続き
       先方に町が見えてきて、
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       さて、町の門。 ここから中心に
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       町の地図をどうぞ
       右の2の位置の門から入り、ガリバルディ通り・Cosrso Garibaldiを行き、
       中央上に見える赤い大きなのが、カエターノの城・Castello Caetano
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       1. サン・ジュゼッペ教会
       2.ビアージョ・マルキオーニの階段  見逃しましたが美しい階段の様子
       4.18. カエターノ宮・陶器博物館
       8.コムーネ広場
       9.10.ロッジャ・デイ・メルカンティ・商人達のロッジャ
       13.見晴らし台 横に市役所
       14.15.16.サン・ミケーレ教会
       19.20. サンタ・マリーア・アッスンタ教会




       ガリバルディ通りを行きますが、奥に聳える城の塔。
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       右手前に見える大きなテラスの建物は、




       これ、番号4.18のカエターノ宮、現在陶器博物館の様子
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       町の中心コムーネ広場に到着
       見えるアーチが9.10の、ロッジャ・デイ・メルカンティ
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       かってはここで商取引が行われたのでしょうね。


       セルモネータの町がこの高所にあるのは
       かって下の平野は湿地帯でマラリアが蔓延していた事や、
       サラセン人の襲撃などを逃れる為だったといい、

       当時はローマへの通商道がこの山側を通っていた為、
       通行税の取立てや商交易の繁栄もあったのだそうですが、
 
       16世紀に入り平地の干拓が始まり、アッピア街道も再開発されると、
       この町は次第に衰退し、      
       13世紀の末からこの町を拠点にしていたカエターノ家も、平地の、
       セルモネータからは北西にあるチステルナ・Cisternaに本拠を移したと。


       グーグルのストリート・ヴューによる美しい村の人気度は
       6つの内の1つ、とありましたが、(後の5つはどこか不明!)

     ◆ 追記です ◆
       グーグルのストリート・ヴューによる美しい村の人気6村
       早速にクリスさんが調べて下さいました。
       それによると、

       アオスタのエトロブレス(Etroubles) エミリア・ロマーニャのサン・レオ(San Leo)
       カンパニアのカステッラバーテ(Castellabate) カラブリアのボーヴァ(Bova)
       シチリアのガンジ(Gangi) そしてこのセルモネータ だそうです。

       クリスさん、有難うございました!


       古い歴史を刻み込んで残ったこのセルモネータの町の趣は
       やはり単なる田舎町ではないのを感じます。
       そして、この高さのこの辺鄙な位置にある町なのに、
       訪れる人が多いのも分かり、寂れていない事が心地良いです。
       
       


       コムーネ広場から見えるこの道を辿ると、地図19.20の教会
       サンタ・マリーア・アッスンタがあり、ベノッツォ・ゴッツォーリの
       素晴らしい可愛い聖母の絵もあったのですが、教会ご案内は次回に。
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       コムーネ広場は3角形をしていて、ロッジャ・デイ・メルカンティの
       上から眺めるとこんな様子で、
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       我らはカエターノの城、サンタ・マリーア・アッスンタ教会の
       見学が済んでの昼食は、この広場の奥に見える白いテントの下で。




       ロッジャ・デイ・メルカンテの横にかっての城への門があり・
       アンニバルディ門・Porta Annibardi、道は細く上り坂に城に続きますが、
      
       脇道の様子がどこも素晴らしく、皆が覗いて撮りながら、
       ぼちぼちと上っていきます。
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       門の脇辺りにはかってユダヤ人のゲットーがあり、
       シナゴーガも(普通の家)あったそうなのですが、
       午後に一人で少し歩いた時は、見逃しました。

       カエターノ家の城要塞は素晴らしい威容でほぼ完璧に残っていて
       見張りの兵士達の歩いた城壁の上の道も通れ満足でしたが、
       ここのご案内も次回にさせて頂きますね。



       コムーネ広場の点景と、広場の敷石
       如何にも硬そうで古そうで、つるつる滑ります。
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       さて城から戻り、教会の見学も済ませ昼食も済ませると、
       集合までの時間を、ガイドさんが教えてくれた小路歩きに出かけますが、

       両脇から高い建物が押し迫り、古い石造りの威圧を。
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       狭い小路を抜けていくと、どことなく生活の匂いも感じられ
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       この家は一体いつからの物だろうと感嘆した家!
       道が狭く後ろに下がれずで、下と上に分け、
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       これが上の住居部への階段。 凄いでしょう?!
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       かと思うと、レモンが実る大きな木もあり
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       小路を上に上に辿っていくと、城の下に出て・・
       凄い高さ!! まさに中世の要塞城なのですね。
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       土台には自然の岩も組み込んでいるのですが、
       脇にあるお家の方が植えたのでしょう、ピンクの薔薇が
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       3輪車が2台。 そう、こんな車でないと辿れませんね、小路は。
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       城の脇から中の道を辿り下りますが、
       
       半分だけ木の扉にして修復されていると、しかも濃い色でね、
       なんとなしにモダンな感じも受け、
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       坂道に見えたお家ですが、扉の上にある年号は、1560年!
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       古い壁に残る、古い丸窓
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       保護色みたいになって見え難いですが、ははは、
       コムーネ広場の所で書いたアンニバルディ門の裏側に至り、
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       ロマネスク寺院めぐりの旅を続けられているクリスさんが、
       昨年10月にセルモネータに行かれており、
       違う駐車場から町歩きをされているので、どうぞ。
       トップの写真が、このアンニバルディ門です。




       門を出ての右側の眺め、陶器店の看板
       陶器博物館もありましたから、陶器製造が盛んだったのかも。
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       門の脇から横道に入り、すぐにあった店
       ここも陶器で作った家などの模型店の様子でしたが、
       如何にも古い趣でよい感じでしょう?!
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       少し入り込み、見上げる建物の壁と
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       建物の壁の角が作り出す、小さな一廓
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       この場所にはまさに中世の趣を感じ、暫く佇みましたっけ。
       ベンチやバイクを除けたら、そのまま時代が遡る感じでしょう?!




       そろそろ集合時間に近くなり、コムーネ広場に出て来ましたら、
       我々がお昼を食べたバールのテラス席には、中学校の生徒達が
       お昼を食べ終わってわんわんと騒いでおり・・!
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       なぜか窓の外に置かれているパン籠!
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       昼食後のひとときの時間、観光客の姿もなく
       来る時には見えなかった物が見え、仲間の姿もなしで、
       時計を見ながら、歩きながら、パシャパシャとやり、
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       ロカンダ(宿)ボニファーチョ8世の看板の出た扉。
       代々のカエターノ家の、一番の著名人物の名が付いていると、
       中はどんなのか興味がわくではないですかぁ?!
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       昼下がりの町の通りを振り返り
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       朝、町の門から入ってすぐの所にあった半円の塔の内部
       今はぞろぞろ歩く仲間もおらず、しっかり見え。
       時間があったら、あの銃眼から覗いたのに、残念!
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       町中から駐車場まで15分はかかるから、そのつもりで集合を
       と言われていたのを、門を出たら駐車場がすぐだった様に
       勘違いしており、必死にはぁはぁ言いながら歩き、ははは、
       途中でまだのんびり歩いている連中を追い越し、一安心!

       という様子で、セルモネータの町を後にしたのでしたが、
       次回にお城と教会のご案内を。
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       町の散策にお付き合い下さり、お疲れ様でしたぁ!
       有難うございました!



     *****

       ブログ「セレナ日和」のabiさんが、
       shinkaiが描かせて頂いた愛猫セレナ君の絵を、
       お家に掛けて下さった様子を載せて下さいました。
       猫ちゃん好きな方、見てやって下さいね!
       
   

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、芽生え 途中経過 と、 カルページカの丘の上から を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     




       


by italiashiho2 | 2016-06-09 00:07 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(18)
2016年 06月 04日

   ・・・ イタリア共和国 建国70周年記念パレード ・ ローマ ・・・

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       イタリアは第2次大戦後の国民投票により、
       それまでの王政から共和国となり、今年で70周年
       その意味ではとても若い国なのですが、

       毎年6月2日を共和国記念日として祝う祭日となり、
       ローマの中心フォーリ・インペリアーリ通りで
       軍事パレードが行われる様になったのも、
       先々代のチャンピ大統領の時、2000年からの事。

       以前はよくTV中継を見ていたのですが、久し振りに今回
       中継を見て写真を撮り、皆さんにも様子をと張り切ったのでしたがぁぁ、
       情けない事に、コンデジ・オートで撮ったら良い写真が撮れず・・!
       ご容赦願います!!
       
       が、イタリアの建国記念日祭日の軍パレードのTV中継、
       どんな様子かお楽しみ下さい!

       上はフォロ・ロマーノの近くのお家にかかる、大きな三色旗




       フォーリ・インペリアーリ通り・Via dei Fori Imperialiは、
       かのコロッセーオから北西のヴェネツィア広場を結ぶ850mの通りで、

       ヴェネツィア広場の西角にあるヴィットリアーレ、無名戦士の廟
       番組の最初に流れ、 
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       3色の煙を吐きながら、上空をアクロバット飛行隊が通った様子も。
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       どちらの写真にも見える煌びやかな甲冑姿は、
       コラッツィエーレ・Corazziereと呼ぶ、大統領の儀式で護衛を勤めるもので、
       乗馬が出来ること、背が高い事を条件にカラビニエーレ・Carabiniere・
       元々国王の護衛から派生した警察、の中から選ばれるのだそう。
       



       正面にコロッセオの見える風景
       左に見える通りがパレードの行われるフォーリ・インペリアーリ通りで、
       右側にフォロ・ロマーノの遺跡跡が広がります。
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       フォーリ・インペリアーリ通りの左側、既に観客がいっぱいですが、
       後ろにも遺跡群が。    
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       正面にコロッセオの見えるフォーリ・インペリアーリ通り
       右に半分切れて見えるのがヴィットリアーレ・Vittoriale、      
       無名戦士の廟はここに。 

       パレードは、コロッセオの方からこちらに向って進みます。
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       この中継を見る時いつも思うのですが、 
       本当に舞台装置が良いなぁと!! 思われません?!
       

       コロッセオの修復は済んだのでしょうが、
       今回、手前にまだ少し覆いが見え、これが残念・・。

       それにしても、少し修復が綺麗過ぎるのではないかと思いますが、
       ローマ期の人々は、こんなコロッセオを見ていたのでしょうか?!
       



       音楽隊がコロッセオに向って進み
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       大統領の乗られた車を護衛するコラツィエーリを迎える形。
       後部座席奥に大統領の姿。
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       こうして中央の貴賓席前に到着され、 
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       お迎えの上院下院議長と首相にご挨拶され、
       貴賓席中央にお着きのセルジョ・マッタレッラ大統領・Sergio Mattarella,
       第12代イタリア国大統領、現在74歳。
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       はい、イタリアに大統領が居られるのは余りご存知無いかもですね。
       大統領はイタリア国を代表する方ですが、国政には直接関与せず、
       首相に助言を与える、というお立場なんだそう。

       先々代のチャンピ大統領の時よりイタリアは大統領に恵まれており、
       とshinkaiは勝手に思うのですが、
       チャンピさんは国民に初めて大いに愛された大統領であり、
       先代のナポリターノ大統領はご自分で任期を延ばしても、
       あの恥知らずなベルルスコーニ首相と戦われた大統領でした。
       
       現在のマッタレッラ大統領は、イタリア憲法の判事だった方で、
       彼の弟は1980年にシチーリア州の知事を務めていた時にマフィアに
       暗殺され、それが政治界に入るきっかけとなったと聞きました。



       コラッツィエーリの団長(言葉が浮かばず・・!)が音頭を取り
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       ファンファーレが流れ、ついでイタリア国歌の演奏
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       今年建国70周年のパレードの先頭を切ったのは、
       イタリア国中から集まった400人の市長たちの行進で、
       8000市の参加があったそう。
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       先頭の真ん中にいるのは、(写真前列左から2人目)レオルーカ・オルランド・
       Leoluca Orlandoパレルモ市長で、その右も顔は知ってますが名が・・。


       今年は共和国建設70周年記念でもありますが、
       婦人の投票権獲得70周年でもあるのだそう。



       貴賓席前列中央に並ぶ、左から首相のマッテオ・レンツィ・Matteo Renzi、
       上院議長ピエトロ・グラッソ・Pietro Grasso、
       マッタレッラ大統領、下院議長ラウラ・ボルドゥリーニ・Laura Boldrini、
       一番右は・・、知りません。
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       貴賓席前を護衛するコラツィエーレ
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       そしてその脇にしゃがみこむのは、招待された子供達
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       さて、カラビニエーリの軍楽隊の行進が始まり
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       中央貴賓席前で、礼を捧げて行く姿。(ピッタリの言葉がありましたっけ?)
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       このパレードは軍隊の行進が主で、
       右から、陸軍、海軍、空軍、カラビニエーリ、財務省の軍
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       日本では大蔵省が軍を持つ、というのは考えられませんが、
       イタリアには財務省の軍があり、大いに働いています。
       



       そしてイタリア20州の旗の行進
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       この方は軍に在籍の、パラリンピックに出場される方だそうで、
       車椅子に乗っての行進参加、
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       その後ろには、各軍からのオリンピック参加の選手たち
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       陸軍の先頭を切って登場は、有名な歌う部隊、
       サルデーニャはサッサリ・Sassari旅団
       第一次大戦の時は「赤い悪魔」との勇名を馳せたそう。
       歌はこちらで。 
       歌詞は勿論サルデーニャ語! まるで分からずですが、
       「お前がもしイタリア人なら、サルデーニャ語で話せ」と!
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       貴賓席で拍手するレンツィ首相と、その左の女性は、
       マッタレッラ大統領と一緒に車で登場した、初の女性防衛大臣
       ロベルタ・ピノッティ・Roberta Pinotti、52歳だそう。
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       寄り道ヴィデオ。朝会場に上院議長グラッソと歩いて到着のレンツィ首相。
       市民達から、頑張れ、投げ出すなよ!と声がかかります。
       政治オンチのshinkaiですが、今までのイタリアの政治家とは一味違う
       彼に、どこまでやるれか、密かに声援して見ています。




       これは赤十字のヴォランティアの皆さんと。
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       アルピーニ・イタリア山岳兵部隊、オーストリアからのイタリア独立では
       大いに戦ったアルプス兵、帽子に黒い羽1本が目印で、
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       今回はスキーを担いだ姿も登場
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       普通の行進速度は、1分間に130歩だそうですが、
       アルピーニの速度は遅く1分に100歩。
       逆にパレード最後に登場のベルサリエーリは、180歩!




       たくさんの部隊、士官学校の生徒達、様々な伝統衣装で登場なのですが、
       とてもすべてご案内できず残念!

       海軍の登場、まずは軍楽隊から
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       士官兵たちが、サン・マルコ!と(連隊名)叫んだ所
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       海兵の中に、肌の色の違う兵もいるのを見つけました。
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       イタリアは既に軍は皆職業軍人ですので、かっては国籍が違っても、
       イタリアで生まれ育った人達が軍に入っているのでしょうね。




       空軍
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       驚きましたぁ! モデルが扮装したのかという様な女性が、
       ヘルメットにカメラを付けたパイロット姿! 立派!!
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       カラビニエーリ。 元は国王護衛の憲兵から派生した、
       警察でもあり、軍組織もあるカラビニエーリ。
       ミラノのスカラ座前辺りで白馬に跨っているのもカラビニエーリですが、
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       軍であり、アフガニスタンにも中近東の紛争にも派兵
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       こちらはカラビニエーリ所属のワン君たち
       綺麗に撮れずにごめんよ!
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       そして財務省軍、フィナンツァ・Finanzaといいますが、
       どの軍も最初に軍楽隊が行進し、
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       ほらね、軍隊であるのが分かるでしょう?
       マフィア相手の財産差し押さえとか、襲撃とか
       やはり軍である必要がいろいろあるんだろうなと想像・・。
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       そして赤十字の皆さん
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       国の警察、ポリツィーア・Polizia関係、刑務所警察、地方警察などなど
       たくさん登場してきたのですが、この方達だけは外せず、
       
       プロテツィオーネ・チヴィーレ・Protezione Civileの皆さん。
       様々な自然災害の時に働いてくれる方々です。
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       そして最後を〆るのは、ベルサリエーリ・Bersaglieri
       黒い羽根つきの帽子を被り、走って行進する歩兵隊。
       とても人気があるんですよ!

       まず整列し、演奏しながら走り出し
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       あっという間に通り過ぎて行きます!
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       こんな感じで~す



       マッタレッラ大統領が近くの皆さんにご挨拶されはじめ、
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       もうそろそろと、テレビ・カメラが捉えたフィレッチェ・トゥリ・コローリ・ 
       Frecce Tricolore・3色の矢
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       ああ、やっと一枚綺麗なのが撮れましたぁ! そう止まっていてくれたらね。
       いつも思うのですが、それにしてもRAIのカメラマンは良い目をしています!!
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       大統領お迎えのカラビニエーリの軍楽隊と、コラツィエーリが近づき
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       貴賓席前に整列
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       再度、国家演奏が始まると、上空をアクロバット飛行隊
       「3色の矢」が飛びます。 綺麗! いつもわぁお~!と見とれます。
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       フレッチェ・トゥリコローリの演習風景は、


       今年のパレードの様子、短いですが、最初に用意したのよりも
       良く見えます。 イタリア警察のヴィデオですと。
       
       こちらは前夜の夜間リハーサル、全部の軍楽隊
       




       貴賓席前にいた子供達が、自分達で描いた5mもの、
       この記念日の印象の絵を差し上げ、記念撮影を。
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       ローマの空を去っていく、フィレッチェ・トゥリ・コローリ
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       パレードの間は何とか保った曇り空が、遂に小雨となりましたが、
       車のホロをそのままに、コラツィエーリに護られ会場を去る大統領
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       お帰りになる大統領官邸、クゥリナーレ宮・Palazzo Quirinaleに翻る旗
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       という、イタリア建国70周年の軍パレード
       毎年同じではなく、今年は装甲車類の参加もなく、
       一度見て恐ろしくも感じた騎馬の槍部隊の参加もありませんでした。

       私は単純に煌びやかなイタリア軍の男達を眺め、
       空を飛ぶ美しい「三色の矢」の軌跡に憧れ、パレードを見つめます。

       イタリアの一面を楽しんでご覧頂けると、嬉しいです!



     *****

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by italiashiho2 | 2016-06-04 03:40 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(9)
2016年 05月 30日

   ・・・ ニンファの庭園 ・ 中世のポンペイ + イギリス式庭園 ・・・

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       今回のご案内は、ニンファの庭園・Giardino di Ninfaと呼ばれる、
       イタリアの自然記念物指定も受けている、世界的に有名な庭園を。

       中世に町が放棄され埋もれていたのを、19世紀の末から
       持ち主が情熱を込めイギリス式庭園に蘇らせたもので、
       現在は年間5万人もの人々が訪れるという、人気のある庭園。

       写真がいつもよりもずっと多くなりましたが、
       庭園内を散策されるおつもりで、ごゆっくりどうぞ!

       上の写真は、ニンファの庭園に向って上る道から見えた、
       宿のある海辺の町テッラチーナの西に延びる岬の形
       顔を上に向け日に当る姿の様だとも。




       地図をどうぞ。
       ニンファの庭園・Giardino di Ninfaは中央上に。
       右下に見えるセルモネータ・Sermonetaの町の城塞と共に
       かってのカエターノ家の持ち物だったのが、現在はカエターノ財団と。
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       ニンファの庭園から九十九折りの道の上に見えるのが
       ノルマ・Normaという町で、後ほどご覧に。

       中ほど下に真っ直ぐ伸びるSS7の道、
       右下にStrada Statale 7 Via Appiaというのが見えますが、




       バスが庭園に近づき、チラッと見えた湖
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       入り口脇のショップにあった鉢植えの花々
       黄色や濃いピンクのカラーの花が鮮やか!
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       公園の専門ガイドに連れられ、庭園内に入り込むと、
       うっそうとした緑の小道が奥に続き
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       上でお話したノルマの町がこんな風に!
       岩山の上に細く繋がり、この部分が多分旧い町部分と。
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       まず教会の入り口扉から入り脇に抜け、ここで一通り庭園に付いての
       説明を受けますが、勝手にあちこち入り込まないよう注意をされ!
       
       元教会(確か、サン・ピエトロ教会)で、建物の屋根の右上に
       高く教会入り口部分の壁が見えるのが分りますか?
       この建物はそれを改装してあり、
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       こちら背後にあるのが、かっての後陣部分の半円の名残と
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       その左手には、うっそうとした糸杉の並木が続くのですが、
       こちらは入れず・・。
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       横にある、鐘楼の残り、足元部分
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       「ニンファの庭園」、ニンファはニンフ・妖精の意味ですが、
       元々この廃墟になった町の名がニンファといい、
       ローマ期にこの近くにあった湧き水の神を称える礼拝堂に因むと。

       元々の町は住人も少なかったのが、中世当時アッピア街道は
       湿地帯に埋もれており、この近くを通る道が唯一ローマへの接続道で、
       商業交易の繁栄もあり、町は次第に豊かに。

       所が教皇選出に関しての争いから、1171年フェデリコ・バルバロッサに
       略奪焼き討ちにあったり、領主も次々替わりますが、

       1294年カエターノ家のボニファーチョ8世が教皇となると、
       1298年に甥のピエトロ2世カエターノが20万フィオリーニ金貨で
       ニンファとこの近隣一帯を買うのを援け、
       カエターノ家がこの一帯に、以後7世紀間に渡って勢力を持つ始まりに

       ピエトロ2世カエターノは元からあった城を拡張し、城壁に囲まれた内庭、
       以前からの塔も高くし、城に城館も付け加えます。

       が1382年東西教会分裂の抗争の際、ニンファの町は再び略奪され
       これ以降再建される事なく、平地でのマラリア汚染にも影響され、
       生き残った町の人々も町を捨て、カエターノ家もローマや他の地に。
       
       こうしてニンファの町は廃墟となったのですね。


       
       
       流れの脇、 水は本当に澄みきっていて
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       奥に日を浴び鮮やかな、日本の楓
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       果樹もあり
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       緩やかに曲がりながら奥に続く道
       遺跡の石が転がり、バラが花咲き・・。
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       そしてまた先ほどの流れ、堰があり
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       少し低い部分には、あやめ科の花
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       木々に高低のアクセントをつける糸杉の姿
       そして葉の色の違う植物の取り合わせ
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       かっての住宅だったと思われる遺跡に絡まる植物、咲く花
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       「庭園」と聞いてのみやって来て、花の咲き乱れる姿もなく、
       刈り込まれた幾何学模様の生垣もなく、最初はいささか?だったのですが、
       この辺りになって段々飲み込め、
       なるほどなぁ、遺跡を利用してロマンチックな庭園にしたのだ、
       ぺんぺん草がはびこるのではなく、そういうのは一切排除し、
       廃墟に絡まるのは薔薇の花という風情なんだ、と。

       イギリス式庭園なる物を他では見た事がなく、
       このイタリアの強い太陽光線の下でも、全体にうっそうとした暗さで、
       かなりブレて写ったのも何枚もあって戸惑いましたし、
       花も咲き終り、萎んだのもたくさんそのまま、という手入れの仕方も、
       ちょっと他では見た覚えがなく、

       廃墟の美を如何にも自然風に、しかも美しくロマンチックに見せる
       という庭園のつくりなんだ、と納得した次第です。

     
       コモ湖で見たヴィッラ・カルロッタの花盛りの庭園は



       この辺りはぐるっと廃墟を回りこんで見る道取りになっていて、
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       この教会サンタ・マリーア・マッジョーレがかっての一番大きな
       教会だったそうで、フレスコ画が残っているのも見えますが、
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       幾つかの作品は剥がされ、セルモネータの城のほうに移されていると。
       ?!見たっけ?!




       こちらは鐘楼跡
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       小さな遺跡の壁跡を覆う薔薇の茂み
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       清楚な薔薇の花、ぽわぽわの塊、大きな紫のテッセン
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       遺跡の壁と大振りな葉を持つ植物の取り合わせ
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       この中世の町の廃墟を、16世紀にはカエターノ家出身の枢機卿
       植物学を愛するニコロ3世がお気に入りの庭園とすべく、
       小範囲で取り掛かった様子ですが、枢機卿の死と共に計画は消え、
       鱒の養殖、貴重な果樹もあったそうですが、
       
       次の挑戦は17世紀のフランチェスコ4世公爵カエターノで、
       情熱を注いだ物の、彼もまたマラリアに退散せざるを得ずで、
       ただし彼の取り掛かった水脈と泉は残ったと。

       こうして19世紀にはこの庭園の魅力を伝え聞き、
       「中世のポンペイ」として訪れる人々がたくさんいたのだそう。

       19世紀末遂に、オノラーロ・カエターノ・Onoraro Caetaniの妻
       イギリス人のアーダ・ボットゥル・ウィルブラハム・Ada Bootle Wilbraham
       が、彼らの6人の子供のうちの2人の息子ジェラージオ・Gelasio
       ロッフレード・Roffredoと共に、
       
       遺跡にはびこる大部分の沼地の植物を根絶し、最初の一連の糸杉、
       トキワガシ、樅、多種の薔薇などを植え、幾つかの遺跡も修復し、
       ロマンチックなイギリス式庭園に変えるべく奮闘したのだそう!

       現在財団の名となっている「ロッフレード・カエターノ財団」は、
       この時の一人の息子の仕事を記念している訳ですね。

       庭作りの仕事は、ロッフレードの妻マルゲリーテ・シャピン?・
       Marguerite Chapinに引き継がれ、潅木やバラが植えられ、
       1930年代には著名人や芸術家達に門が開かれますが、
       第2次大戦となり一族はセルモネータの城塞に避難し、
       1944年になってニンファに戻ります。

       最後のカエターノ家の当主は、1977年に亡くなったレーリア・Lelia
       ロッフレードの娘。
       大変敏感で繊細な女性で、汚染物質を一切使わず、
       大きな絵を描くように色の配置を考えつつ、たくさんの泰山木、
       イバラやツル性の薔薇を植えたのだそう。

       彼女は子孫を残さず、ここに7世紀に及ぶカエターノ家は絶えましたが、
       亡くなる前に前述した財団を設立、  
       この庭園とセルモネータの城塞を護る事に

       庭園のサイト http://www.fondazionecaetani.org/visita_ninfa.php 

       この庭園訪問には、予約、日と午前午後の時間指定が必要で、
       このサイトから予約できますし、
       月に何日間かしか開かずですが、それも調べられます。
       チャンスがありましたら、是非一度ご訪問を!

       セルモネータの城も大変な威容で驚きましたので、
       またご案内いたしますね。

       ポンペイ遺跡のご案内は、こちらに1~6
       http://italiashio.exblog.jp/15055303/  劇場2つ
       http://italiashio.exblog.jp/15072892/  野外闘技場、店あれこれ
       http://italiashio.exblog.jp/15086528/  パン屋、ルパナーレ、フォーロ
       http://italiashio.exblog.jp/15115959/  アポロ神殿、テルメ、牧神の家
       http://italiashio.exblog.jp/15125930/  秘儀荘 1
       http://italiashio.exblog.jp/15128707/  秘儀荘 2




       1ヶ所、様々な色の花が咲き乱れる場所があり
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       手入れ中の男性の姿。 
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       ラヴェンダーはまだ蕾が固く
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       遺跡をすっぽり覆う、花のある植物
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       如何にも、英国絵画に出てきそうな廃墟の姿、でしょう?!  
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       艶やかな百合の花
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       ニンファ川の流れが広い場所、陽が射していたのに、
       この後突然にぱらぱらとぱらつき始め・・。    
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       川を渡る3つの橋の1つ、マチェッロ・Macello橋
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       橋の名マチェッロというのは、屠殺場とか殺戮を指しますが、
       名の由来は2つあり、1つはこの橋での戦闘で大激戦があった事、
       も1つは、このすぐ近くに畜殺場があったからと・・!




       一番小さな古いローマ期の橋。 本当に大人が渡れた?! 
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       木製の橋。 どの橋も渡れず!
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       川の向こう側
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       竹林。 筍の煮物を思い出し、つばが溜まるshinkai!
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       8ヘクタールの広さにわたるという庭園ですが、
       世界様々から集めたであろう植物が根付き、
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       やっと普通に美しく咲いていた、はは、ピンクの薔薇。 
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       かっての城跡、塔の高さ32m。      
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       建て増しの城館跡と思われる壁の窓
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       塔の壁
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       右側には修復され、一時は住まいとされていた屋敷があり、
       現在は財団の事務所もあるという部分。
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       振り返って見る、奥に誘う小道のローマの松
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       さて帰り道には、湖の風景を見逃さぬよう用心し、はは、
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       こんな感じで、ニンファの庭園に別れを告げ

       長いお付き合い、有難うございました!!




     *****

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by italiashiho2 | 2016-05-30 00:34 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(14)
2016年 05月 25日

   ・・・ テッラチーナの海辺 朝と夕 ・ ラツィオ州 ・・・


       皆さん、こんにちは!
       一昨日夜、無事に南ラツィオ州の旅から戻りました。
       今回の旅は初めて行く土地でもあり、知らない物をたくさん見、
       美味しい魚料理も何度か食べれた、大変満足の旅でした!

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       最初の地図でご覧頂く様に、
       北イタリアのコネリアーノ・Coneglianoの町を朝6時に出発の、
       総勢48人のバス旅行でして、一路南下。
       休憩を挟みながらウンブリアのナルニ・Narniまで行き、昼食、
       そして19世紀まで異端審問所のあった地下教会を見学。
       
       これがまた大変興味深い見学、ガイドさんの熱のこもった説明で、
       是非このブログでもご案内をと思っておりますが、
       ナルニを午後5時半に出発、またまた南下し、
       今回の旅行の基地となるテッラチーナ・Terracina の宿には
       8時半頃に到着だったと!




       夕陽が傾く頃に最後の行程を行き
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       テッラチーナの、これが今回4泊した宿
       すぐ向こうが浜辺で、shinkaiの部屋は7階の非常階段の左隣。
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       地図をどうぞ
       今回回った町は、翌日にガエータ・Gaetaスペルロンガ・Sperlomga
       旅行3日目に赤点を打ったセルモネータ・Sermonetaの町、城要塞と、
       午後にニンファの庭園・Giardino di Ninfa
       4日目は船でポンツァの島・Isola di Ponzaに。
       最後の5日目の午前中は、テッラチーナの旧市街を回り、帰路に。
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       左上にちょっと引っかかるのがローマの街で、
       右下に見えるNは、ナポリのN。



       という事で、今回の旅行ご案内の最初に見て頂くのは、
       ホテルの窓や浜辺からの、ティレーニアの海と空の色

       4日目に渡ったポンツァの島では、本当に蒼い海の色、エメラルド色を
       見たのでしたが、それはまたのご案内とし、
       ここでは、海辺の朝の空気を感じて下さいね!
       
       まず2日目の朝、部屋のテラスから
       shinkaiの部屋は海に面しておらず、これで精一杯!
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       非常階段が部屋の横にあり、
       あっ、あそこからだったら西側の海が見える!と出まして、
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       これは少し陸側を。
       こんな風に松林に埋まる感じで、貸しマンションや家があり、
       多分殆ど夏のヴァカンス用なのでしょう、窓は大概閉まっておりました。
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       で、非常階段に出たのは良いのですがぁぁ、
       うっかり閉めてしまって入れず、ははは、
       1階までポツポツと下りましたぁ!!


       浜に出ると東のほうは雲が厚く早く動き、
       海の色もグレイで少し陰鬱な色!
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       東に続く浜の様子
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       波もそんなに大きくなく
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       西の方には青空
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       3日目の朝。
       少し賢くなり、ははは、非常扉に締め出されずに済み、
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       テラスから見る北の山と
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       手前に広がる平野のオリーブ畑
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       ホテルから浜に向ってこんなテラス席もあり
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       この日は少し波も大きく、海の色もブルー!
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       打ち寄せる波、ひく波、そして浜の小石、貝殻
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       前夜に大きな雷の音が何度も聞こえ、雨も降ったらしく、
       浜の砂もしっとり。
      
       朝食の時に連続雷の話が出ると、えっ、ホント?!という
       豪傑が結構いるのですよねぇ、これが、ははは。




       何に使う車なのか、こんなのも通り過ぎ
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       タイヤの跡くっきり!
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       遠く遥かに見えるポンツァの島。 
       翌日船で1時間15分の距離でした。
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       この日は良いお天気、暑いほどの日となりました。
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       浜を引き上げようとして見た蝶!
       羽を広げて止まったのが、残念閉じてしまいましたぁ。
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       連日見学が長くなり、ホテルに戻るのは7時過ぎ!
       で即夕食となり、その後部屋に引き上げて見る夕陽の名残
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       4日目の朝、浜の写真は今日は無し!と決めていたのが、
       朝食後のぞくと、
       あれっ、ボートがいるじゃん!!
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       この日は終日ポンツァ島で過ごし、暑い陽射しに焼けましたぁ!




       ポンツァ島での昼食の量が多く、美味しく満足超満腹!
       で、ホテルでの夕食は辞退し、ビール1本とポテト・チップスを部屋に
       持ち帰り、TVニュースを見ながらちびちびと。 
       
       テラスから見る落日、と夕陽
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       最終日。北の空、朝の薄いピンク色
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       西の空、非常階段越しの月
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       バスに旅行鞄を積んだ後、ホテルのテラスを見ると、
       椅子が並び、傘を広げている最中!
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       浜もごみ掃除が済み、綺麗になっています。
       そうなんだ、この日曜から夏の浜開きなんだね!




       テッラチーナから西に延びる岬の先端
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       海が煌き、今日は暑くなりそう!
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       チャ~オ! また来れるかな?



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、健在! アッピア街道 を
       アップしています。   
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     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     





   


by italiashiho2 | 2016-05-25 00:07 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(10)
2016年 02月 10日

・・・ ヴィテルボ 3 コンクラーヴェ(教皇選出)の言葉の初まり、聖堂 ・・・

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       ヴィテルボの街のご案内も今回が最後!
       中世が盛りだくさんに残っているヴィテルボの街ですが、
       その中でも大変興味深くもあり、はたまたご案内が面倒な、はは、失礼、
       歴史に残る長~い教皇選出が行われた街でもあり、
       現在も使われるコンクラーヴェ・conclaveという言葉が生まれた街。

       教科書的、無味乾燥な歴史の記述はshinkai本人が苦手ですので、
       何とか分りやすくご説明を、でもなるべく正確詳細に、をモットーに、ははは、
       取り組んでみますので、宜しくお願いいたしま~す!

       まずトップの写真はサイトから拝借の、
       上から見たサン・ロレンツォ広場の様子

       左側に鐘楼と共に見えるのが、街のドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂で、
       右奥に長く続くのが、パラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi
       13世紀に教皇庁が30年ほど、ローマからこちらに移っていた本拠地。

       教皇様の事をイタリア語でパーパ・Papaと呼びますが、
       (父親を呼ぶパパ・papàの場合は終わりのaにアクセントが)
       約30年間の間に、9人の教皇がこのヴィテルボに居られましたので、
       複数形でパーピ・Papi となる訳ですね。




       まず上の写真の左下にちょっと見える、ドゥオーモの左手前の
       ヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタの家・Casa di Valentino della Pagnotta
       これは13世紀建設の、典型的な中世の邸宅なのだそう。
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       名を残すヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタという人物は、
       1458年に町の執政官に選ばれたと記録に残る、農業の財産家だったのだそう。

       大きなアーチを持つ美しくエレガントな家ですが、何度か改装されたり、
       第2次大戦の爆撃の後も、元々の姿に再建されたものなんだそう。




       さて、サン・ロレンツォ聖堂の美しい鐘楼
       これは12世紀のオリジナルで、2つ並んだ窓と、白と青灰色の縞模様。
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       聖堂は、この場所に7世紀に遡る小さな教会があった後に建設された物で、
       現在、聖堂の内部は建設時12世紀のロマネスク様式なのですが、 
       正面はご覧のように16世紀に改装された姿
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       聖堂内部は、天井も側廊アーチも床も全部見えるのをサイトから拝借し、
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       柱頭飾りもなかなか興味深いのがあり
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       天井の梁装飾が興味深く、なんと書いてあるのか読めると良いのですが・・。
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       床模様がコズマ式! 綺麗に残っているでしょう? 好きなのです、これが。
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       右下の平面図をどうぞ、と言いますのも、
       16世紀に教会の正面を改装したのと同じに、内部左右の側廊の壁を開け、
       10の礼拝堂を造ったのですね。 これで壁の以前のフレスコ画が失われ、
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       17世紀には内陣を深くする改装が行われ、図に見える突出した部分
       ですが、この聖堂も第2次大戦の爆撃でやられた部分の修復時に、
       出来るだけ元のロマネスクの形に復元され、

       現在は聖堂内からは突出した内陣部も見えませんが、
       隣のパラッツォ・デイ・パーピ内部の見学と共に、聖堂横の博物館受付に
       申し出ると見学できるとの事。




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       これは聖堂内に残っていた数少ない壁画の一つ




       そしてパイプ・オルガン。 ただし20世紀後半の物と。
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       16世紀に教会の正面をルネッサンス様式に変えた人物の名が、
       正面に彫り込まれており、
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       IO FRANC CAR DE GAMBARA、つまり、Io Francesco Cardinale Gambra
       我フランチェスコ枢機卿ガンバラ でして、

       バニャイアのヴィッラ・ランテを造ったと同じ人物、あのヴィッラの
       東屋にも同じ彫りが残されていましたが、

       こういう場所には、教会の名とか神に捧げる献辞とかがあるものと思い込んで
       おりましたので、これを知った時には少し驚き! この顕示欲!!
       
       ガンバラ(1533-1587)は1568年から80年までヴィテルボの司教を務めており、
       教皇ピオ5世の下に、異端審問にも確固たる信念を持って働いたという、
       ちょっと怖い人物であったのも知りますと・・、
       まぁ、俗世間から離れ、ゆったり寛げるお庭も欲しくなりますわな・・。




       これは聖堂の脇壁だったと思うのですが、
       ここにも見つけたガンバラ枢機卿の紋章!
       上につばの広い枢機卿の帽子が見え、下に鷲と海老の彼の紋章です。
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       ここヴィテルボには、カンタベリーからローマに至る中世巡礼の道、
       ヴィア・フランチージナ・Via Francigenaが通っていた、
       と言う小さな標識が右に見えます。
       


       
       聖堂正面、張り出した脇壁にあった小さな薔薇窓
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       サイトから拝借の写真で、
       聖堂とパラッツォ・デイ・パーピの間の様子
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       右手前に見える階段は、パラッツォ・デイ・パーピの入り口階段で、
       奥が司教座、教皇庁の本部でもあり、住居でもあった建物類




       聖堂、そしてパラッツォ・デイ・パーピの間に広がる広場の石畳
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       広場の奥に広がるパラッツォ・デイ・パーピと、正面部
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       写真は2度の訪問で撮ったものの良い方を使っておりますので、
       陽射しの様子が違うのはご勘弁を。




       階段上部と扉、そしてテラスへの入り口部、そして扉上のライオン像
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       正面階段の下は、こんな風になっておりまして、
       奥に見えるアーチの下を通って、ここまで道が着いています。
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       階段の上にある円柱の下に見える横縞の紋章にご注目を。




       そして建物に続いてあるテラス、ロッジャ・開廊と呼ばれる部分、
       その上部のアップ。
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       アップにもしっかり見える横縞の紋章。これは街のご案内にも出てきた
       ガッティ家のもので、
 
       そうなんですね、このガッティ家の当時の当主、ラニエーロ・ガッティ・
       Raniero Gatti、街のカピターノ・デル・ポーポロ・行政官でもあった
       彼が、このパラッツォ・デイ・パーピを造り、
       教皇庁をローマからヴィテルボに迎えるために働いたのですね。

       つまり1254年に教皇即位のアレッサンドロ4世からの内意を受け、
       以前からあった司教庁を拡張したりの設備が整うと同時に
       1257年、教皇と教皇庁がこの街に移転してきた、という訳で、

       なぜヴィテルボにと言うと、当時のローマでも教皇派と
       皇帝派の軋轢があり、それに耐えられずにアレッサンドロ教皇は
       既に司教庁の大きなのがあったこの街に移転を決めた様子。
       
       それにしても教皇と教皇庁が移転する、というのは、
       当時にあってもやはり大問題、遷都に匹敵するような出来事では
       なかったかと想像するのですが・・。

       ロッジャは少し遅れて1267年、やはりラニエーロ・ガッティにより
       建設された物と。

       ガッティ家は当時のイタリアを揺るがせていた教皇派(グエルフィ)と
       皇帝派(ギベッリーニ)の対立の中で、ヴィテルボの教皇派の大物。
       穀物の取引と金融業からの莫大な富を持ち、
       「ヴィテルボの最初の銀行」と定義付けされているほどだそう。




       正式には「祝福の為のロッジャ」という、教皇様がここにお出ましになり、
       広場の庶民に祝福を与える為のロッジャですが、
       内部から見るサン・ロレンツォ広場はこんな感じ
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       現在残っているのは広場に向いた側だけで、天井屋根部分もありませんが、
       建設当時は奥の谷に面した壁、そして天井部分もあったのが、
       1325年に崩れ落ち、それ以降この姿なのだと。

       まぁ、この美しい2重になった円柱の並びと、
       三つ葉飾りのアーチだけでも、よくぞ残ってくれた、と思えますですね。




       そしてこのロッジャ内にも泉
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       左上の平面図をご覧下さいね
       階段に続いての右のロッジャ部分と、左の大きな細長い部屋
       ここは教皇がお出ましの、いわゆる応接議会室だったのが、
       現在歴史に残る長~い教皇選出、33ヶ月!!が行われた舞台とされ
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       見学できていたのですが、
       細長く大きな明るい部屋、両側に6つの窓、と言うだけで何も無い部屋
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       歴史に語られる長~い教皇選出というのが始まったのは
       1268年11月の末の事で、1271年9月までの1006日!もかかったのですね。

       前の教皇クレメンテ4世が、寝室の(書斎という説も)
       天井穹窿部が落ちて亡くなった後の事で、
       こんなにも長くかかったのは、ひとえに選出選挙の為に集まった
       19名(一人はフランス王に従いチュニジアに行っており、欠席のち死亡)の
       枢機卿たちが、いわば教皇派、皇帝派と二分し
       当時は教皇選出には枢機卿の3分の2の投票が必要だったので、
       妥結点を見出せなかった事によります。

       枢機卿達が街中に滞在し、一日に一度サン・ロレンツォ聖堂に集まり
       投票がくり返されるのみで、1年近くたっても結果が出ないのに
       怒ったのはヴィテルボ市民達。 
       もてなし費用は当時は市民が持っていましたので、ははは、勿論怒りますよね。
      
       ここにラニエーロ・ガッティが乗り出し、枢機卿達を心地よい滞在住居から
       引き離し、パラッツォ・デイ・パーピに閉じ込め
       食料の差し入れもパンと水だけ!にし、
       遂には屋根を引っ剥がし、風雨も流れ込む状態にした、と言う!

       鍵で部屋に閉じ込めたので、clausi cum=con clave・コンクラーヴェ
       ここに初めて、教皇選出に今も使われる言葉の登場、となります。
       枢機卿同士の根競べではありませぬぞえ、ははは。

       現在の研究者によると、この屋根も引っ剥がした部屋に監禁、というのは、
       約3週間続き、その後はパラッツォ・デイ・パーピ内の部屋に
       住まう事が許されたと言いますが、やはり建物内監禁で、
       選挙中に19名のうち2名の枢機卿が亡くなり、17名になっても
       それでもまだ枢機卿たちは頑張ったのですねぇ! ははは。

       屋根を引っ剥がすと言う思い切った行動に出たのも、
       枢機卿の一人が機知で、こういう部屋には神の意思も届きにくいね、
       と言ったのが、通り易くする為のインスピレーションを与えたのだと、ははは。
       



       所で、今までコンクラーヴェの行われたのは、上でご覧頂いた大部屋
       いう事になっていたのですが、

       2014年末から公開されている、このサーラ・グワルティエーロ・Sala Gualtiero
       美しくフレスコ画で装飾された部屋で、上でご覧の大部屋に続いてあるのだそうで、
       ここが実際に13世紀のコンクラーヴェが行われた部屋ではないかと
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       広さは約200平米、20名弱の枢機卿達が集まって協議する、投票するには
       ちょうど良い大きさ。 何よりも早急な修理が望まれるこの部屋は、
       天井からの雨漏りの為に破壊されているのだそう! 成る程ぉ!!


       こうして約33ヶ月もを費やし、選出された教皇はグレゴーリオ10世
       俗世の名をテダルド・ヴィスコンティ・Tedaldo Visconti、
       ピアチェンツァの貴族出身ですが、かのミラノ大公ヴィスコンティ家の
       支流であるともないともの方で、
       ただ彼の精神の正しさと正直さが大変に評価されていた
       聖職者の位置としては最下の、司祭でもなかった方!

       選出選の間にも、指名され驚いて逃げ出した候補者、
       辞退した候補者もいた様子ですが、
       彼は遂に呆然としながらも受託し、1272年3月27日に即位。
       後にこの方は教皇選出に付いての新しい法則に付いても、発布されたと。

       
       所でヴィテルボに教皇庁が置かれていたのは約30年間と短く
       が、その間の教皇は9人と多く、まぁ、年を取って教皇になられる事が
       多いので必然そうなるのかもですが、

       以下にヴィテルボでの教皇様の一覧を
       ・アレッサンドロ4世 1254年から61まで在位 ヴィテルボには1257年から。 選出時55才 没62才
       ・ウルバーノ4世 1261-1264 ヴィテルボとオルヴィエートを行ったり来たり。 選出66才 没69才
       ・クレメンテ4世 1265-1268 殆どヴィテルボに。 選出70歳 没73才
       ・グレゴーリオ10世 1271-1276 実際には約1ヶ月間ヴィテルボに居たのみ。 選出61才 没66才
       ・インノチェンツォ5世 1276年1月選出 6月没! 約半月間ヴィテルボに。 選出、没51才  
       ・アドリアーノ5世 1276年7月選出 8月没! 殆どヴィテルボの修道院に。 選出、没71才
       ・ジョヴァンニ21世 1276年9月選出 1277年5月没 殆どヴィテルボ。 選出61才 没62才
       ・ニッコロ3世 1277-1280 ヴィテルボとローマ、そしてソリアーノ・ネル・チミーノ。 選出61才 没64才 
       ・マルティーノ4世 1281年2月選出後、すぐにヴィテルボから教皇庁を撤退。 選出71才 没75才
       
       なんとまぁ、3人の教皇様が数ヶ月で亡くなっていますねぇ!

  ◆ 追記 教皇選出時と亡くなった年齢を調べ、追記しました。 はは、物好き・・。
       それにしてもどの教皇様は余りヴィテルボに長滞在は無かった様で。
       
       所で長期間かかったグレゴーリオ10世選出の際の枢機卿17名ですが、
       その中の4名が後に教皇になられていて、このリストの中の
       アドリアーノ5世、マルティーニ4世も長い教皇選出に加わった方。
       

       枢機卿というのは、司教叙階の方の中から教皇が選ばれる方々で、
       教皇についでの位階というか、現在は新しい教皇は枢機卿の中からが自然で、
       その数も現在は過去最高の230名くらい居られるとか!

       教皇選挙は現在も完全秘密必須のコンクラーヴェではありますが、
       80歳以上の枢機卿は、教皇非選出との事。

       
       現在では、世界10億人を超えると言うカトリック信者の頂点に立つ
       教皇様として、政治的にはともかく、厳然と大きな影響力をお持ちと思うのですが、
       中世のこの時代、政治的にも権力を持っていたいわば領主の立場でもあり、
       勢力権力争いの真っ只中で、大変だったろうな、との率直な感想も。

       この後ヴィテルボの街に教皇庁が戻る事は無く
       当時の繁栄は廃れ、ラツィオ州内でも常に2流の立場に甘んじたと。




       ロッジャからは背後の眺めが大変素晴らしく
       北に広がる街並みや、旧市街を囲む城壁も。
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       これはパラッツォ・デイ・パーピの背後からの眺めで、
       間の谷をファウルの谷・valle FAULと言い、まさに要塞の趣きも。
       素晴らしい威容でしょう?!
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       ファウルの谷のこちらには大駐車場があり、
       緑地で若者達が遊ぶ姿も
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       あれこれどこかまだ書くべき事が不足している気もするのですが・・、
       ご説明が上手く出来ましたでしょうか?
       これで一応今回のヴィテルボのご案内をお終いとし
       皆様、長いお付き合い有難うございました!!



       最後は、サイトから拝借の写真で、
       サン・ロレンツォ聖堂の夕景と
       パラッツォ・デイ・パーピの夜のイルミネーションをどうぞ!
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by italiashiho2 | 2016-02-10 00:02 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(6)