カテゴリ:・マルケ Marche( 11 )


2015年 02月 15日

   ・・・ マルケの町をちょっぴり ・ ジョヴァンニの写真で (追記)・・・

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       今日は予定を変更し、ちょうど届きましたジョヴァンニの写真で
       マルケ州の町をいくつかちょっぴり、ご覧頂きますね

       彼の奥さんは昨年9月に仕事を引退、めでたく年金生活者となり
       2人でマルケに出かけてくる、との事で写真を頼んでいたのです。
       が、なかなか届かず、ヴェネツィアに出かけた時も念を押し、はは、
       彼としては普通の町案内風景は苦手の様子で少し渋ったのですが、
       shinkai得意の押し技で半ば無理やり、ははは、
       やっと届いたマルケの幾つかの町のご案内です。

       彼が苦手とはいえ美しい写真で、それも私の知らない町ばかり!
       で、ざっと書いてくれた説明以外にあれこれ読み、
       それなりに面白い話も見つかりましたので、そのあれこれも。
       ごゆっくりどうぞ!

       
       トップの写真は、懐かしいグラダーラ・Gradaraの町!
       マルケ州に入ってすぐの町ですが、行きがけに寄った様子で、
       町の門の上、兵士の見回りの道から撮ったと。


       小さな町をぐるりと取り囲む町の城壁があり
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       城見物に入ってくる道と、右側にマラテスタ家の城
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       既に一度ご案内済みですので、ここでは簡単に。

       素晴らしい城、要塞であり、またダンテが「神曲」に
       書いたことから多くの芸術家達のインスピレーションを煽り、
       数々の作品が書かれ、描かれた「パオロとフランチェスカ」の
       お話の舞台となったお城です。

       こちらから詳細をどうぞ

   
       私が行った2010年には城の中は写真禁止で、
       しかも「違反者は厳しく罰せられます」と言う可愛い張り紙で!
       残念ながら撮れなかったのですが、管理者が見張っているし・・、
       ところが今回ジョヴァンニが撮っているではないですかぁ!!
       で訊ねましたら、全然問題なかったと! 
       写真OKになった様で、うんもう、く・や・ち!

       という事で、ジョヴァンニの写真で、
       フランチェスカの寝室
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       この衣装は、19~20世紀にかけてのイタリアの大女優
       エレオノーラ・ドゥーゼ・Eleonora Duse
       「フランチェスコ・ダ・リミニ」を演じた時の衣装なのだそう。
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       エレオノーラ・ドゥーゼについては



       城の礼拝堂にある、素晴らしいテラコッタの祭壇浮き彫り
       アンドレア・デッラ・ロッビア・Andrea della Robbia作。
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       マルケの地図をどうぞ
       エミーリア・ロマーニャ州からマルケ州に入ってすぐ、
       カットーリカ・Cattoricaの南にグラダーラがあり、
       今回ジョヴァンニ達が行ったのは、アンコーナ・Anconaの南
       ロレート・Loreto,  レカナーティ・Recanati方面
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       地図に見える各町のご案内
       ウルビーノ・Urbinoのドゥカーレ宮

       ファブリアーノ・Fabriano

       トスカーナ州のアンギアーリ・Anghiari その1と2

       ウンブリアのグッビオ・Gubbio

       ペルージャ ・Perugia



       上の地図のアップを
       彼らが宿泊したのは海岸沿いに見えるマルチェッリ・Marcelliで、
       ヌマーナ・Numana, シローロ・Sirolo辺りはバカンス地で、
       その北になるコネーロ・Conero山辺りは自然公園。
       参拝地として有名なロレート・Loreto、 
       19世紀イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi
       の生家のあるレカナーティ・Recanati
       少し北に離れたオッファーニャ・Offagnaは古くからの村落。
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       という感じですが、
       我がコネリアーノからどの位の距離かと見ましたら、
       ずっと高速で行け、コネリアーノ~ボローニャから
       アドリア海側に向けて下り、441km 4時間20分と。
       



       こちらがコネーロ山の麓にある海岸、エミーリア・ロマーニャの
       リミニ辺りに比べると狭く小さめですが、
       夏はやはりかなりの海水浴客が押し寄せるのだそう!
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       これら2つはどちらも、彼らが宿にしたB&Bからの眺めだそうで、
       宿の名はヴェント・デル・マーレ・Vento del Mare・海の風
       サイトは

       お値段はシングルが60エウロまで、ダブルで95エウロまで、
       朝食付きで、そうお高くないですね。

       上のコネーロ山の麓の海水浴場の写真ですが、
       shinkaiが持っているMondadori社のマルケのガイドブックの
       表紙写真でお馴染みのもので、そうか、ここだったのか!

       トスカーナやウンブリアに比べ、マルケはまだまだ観光後発組。
       余り有名地のアピールも無く、その分お安く済む様子です。



       コネーロ山に向っての眺め
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       ヌマーナの町
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       そしてシローロ
       この2つの町は古くからの漁村だったのが、現在はヴァカンス地に。 
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       シローロにある、漁師の像
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       こんな海沿いですから、やはり魚料理がとても美味しく
       これは唯一写真のあった魚介のパスタ
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       食べ物の写真をもっと送って、と書きましたら、
       お腹が減っているから食べる方が先で、いつも忘れると。
       ふむ、ブログ修行が無いからなぁ、ジョヴァンニは、ははは。

       土地のワインも素晴らしいのがあるそうで、
       中でも有名なのが、ロッソ・コネーロ・Rosso Coneroと。
       これは白もあるんだろうか?




       さてカトリック教徒にとっての大参拝地の一つととして
       有名なロレート
       大クーポラが見えますが、一番手前右に見えるのが町の城壁。
       聖堂と町をぐるりと取り囲んでおり、
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       大聖堂とその前の広い広いバジリカ広場(聖母広場)
       15世紀建設のルネッサンス様式で、鐘楼は18世紀のもの。
       行事のある時は、この広場が参拝客でぎっしりと埋まる様子!
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       所で普通見かける聖堂は、なに聖人に捧げられたものと、
       その聖人の名が冠されていますね。 
       ところがこのロレートの聖堂はちょっと違っていて
       その名を「聖なる家の聖堂・Basilica della Santa Casa
       または「聖なる家の聖地・Santuario」
       
       つまりキリストの聖母・マドンナの家
       ナザレに在った、ヨセフもキリストも住んでいた家と!

       それがなぜここ、イタリアのロレートに?!
       で、ここから伝承が始まるのですが、
       1291年にパレスティーナにイスラム教徒の侵入が始まり、
       この聖なる家は天使達によって運ばれ、現在のアルバニアの
       フィウメ・Fiumeに。 その後何ヶ所か天使によって運ばれた後、 
       1294年にレカナーティに近い月桂樹の森の中に!!

       こうして神秘な「ロレートの聖なる家」となったのだそうで、

       この大聖堂の大クーポラの下に安置されているのが
       この「聖なる家」
       上を覆うのは、ブラマンテの設計による16世紀初頭の建設。
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       ですが大理石のこういう重々しいのを見せられても
       ピンと来ませんでしょう?
       で、こちらを。




       重厚荘厳な大理石の中はこんな風になっておりまして、
       3方の壁は、まさにナザレ・Nazarethに今も残る
       聖母の家の跡と呼ばれる壁に、壁の寸法、材質のレンガ、切石
       印付けがピッタリ合うのだそう!!
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       祭壇部分の聖母子像は、1922年の火災の後に再製されたもので、
       オリジナルは赤樅の木材だったのが、現在はシトロンの木、
       祭壇部分も火災の後に再製されたものだと。
       内部にあるフレスコ画は14~15世紀のもので、
       火災を免れたものと。
       

       天使によって空を運ばれ、ここロレートにやって来た、という
       有り難い伝承がずっと続いていたわけですが、
       近年の研究によって、信心深い信者達の想いを崩す様々な事が
       明らかになっておりまして・・、はい。

       多分十字軍の兵士達により解体され、ビザンチンのアンジェリ家
       Angeli=天使の援けにより、船で運ばれてきたのだろうと。
       最初はフィウメに、そして伝承と違い、次にロレートに。

       ではなぜロレートにという事ですが、
       1294年当時の教皇はチェレスティーノ5世で、大変有徳な方
       ではあったようですが、教皇職に留まるのを嫌い
       殆どローマに居られず、
       教皇職代理のレカナーティの司教サルヴォ・Salvoが多分、
       ロレートからすぐ近いレカナーティの港、
       当時の教皇領の港としては一番大きな港の一つだったのだそうで、
       彼の教区内に聖母の家が最建築されるのを望んだのだろうと。
       現在の我らにとっては、こういう筋書きの方が納得できますよね。




       聖堂内には4つの聖具室があるそうで、
       その一つ、サン・マルコの聖具室を手がけた
       メロッツォ・ダ・フォルリ・Melozzo da Forlìの天井画、15世紀末。
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       騙し絵の手法を使った最初の作品の例になるのだそうで、
       飛んでいる天使達も、丸天井の建築装飾もすべて描いたもの。
       彼はアンドレア・マンテーニャが描いたマントヴァの城の
       「婚姻の間」に強く影響されたのだそう。

       マントヴァのお城と町


       もう一つの聖具室のルーカ・シニョレッリを初め、
       聖堂内のそれぞれの装飾にはたくさんの芸術家達が参画しており、
       一大文化聖域となっている様子。




       ロレートのこの聖堂の周囲を城壁が取り囲みますが、
       どうやら上がれる様子で、
       上からの眺めの写真もあり、

       向こうに海が見えるのが分りますか?
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       これは聖堂の右側、広場の回廊との隙間の様。
       聖堂の端の鐘の上にあるのは、雄鶏ですね、珍しい!
       きっと何か謂れがあるのでしょうね。
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     ◆ シニョレッリさんのコメントで思い出しましたので、追記を
       
       ここロレートは、16世紀の画家、特異な作品で知られる
       ロレンツォ・ロットの終焉の地でもありました。
       彼の生涯については、cucciolaさんがこちらに。

       そして彼が登場する様々な項目はこちらから。




       さてこちらは、地図の北部の山中にあった、
       アンコーナから15kに位置するオッファーニャの町
       中世15世紀からの素晴らしい要塞。
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       それぞれの丘の上に小さな町、村の姿があり
       そして時に要塞も姿を見せるマルケ州。
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       そしてレカナーティの中心、レオパルディ広場
       この町に生まれ、現在も生家が残るジャコモ・レオパルディに
       因みますが、
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       泉の上に見える像は
       


       そう、ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi.
       (1798-1837)19世紀イタリアの大詩人、文学者、哲学者。
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       土地の由緒正しい貴族、伯爵家の長子として生まれるものの、
       父親の無謀な投機により経済破綻、強く、宗教心に固まる母親の
       愛情を受けずに育った、大変早熟な天才頭脳の持ち主だった様。

       青年期となり、猛烈な勉強で長時間座ったままに原因すると見られる
       脊柱側湾を発病、その影響で脊柱が曲がる、つまり2重の背中の瘤
       となり、痛みと引き続く心臓の問題に悩まされる、と言う、
       読むのも辛くなるような生い立ちの方で、
       ナポリで若くして亡くなられているものの、凄い方なのでした。
       ・・と如何にもボキャブラリー不足で、すみません。
       
       
       彼の草稿があるヴィッソ・Vissoの町




       レカナーティの夕暮れ
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       この要塞がどこにあるのか、必死で探しまして、ははは、
       レカナーティから西に行ったモンテフィオーレにある
       カステッロ・ディ・モンテフィオーレ・Castello di Montefioreと!
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       アンコーナの周囲には20ほどもの要塞があるそうで、
       これもその内の一つなのでしょうが、
       住んでいる様子もあるようで、また訊ねて見ましょう。




       最後は、ロレートを見晴らして・・
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       ジョヴァンニの写真によるマルケ州、如何でしたか?
       コメントをお伝えいたしますので、どうぞお願いいたします!
       はい、それを出汁に、また次を頼みますので、ははは。
 


 
     *****

       水彩ブログには、 待春 野生のクリスマス・ローズ ・ 1年ぶりに を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!    
     
    
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by italiashiho2 | 2015-02-15 03:44 | ・マルケ Marche | Comments(14)
2014年 02月 14日

   ・・・ グラダーラの城 n.2 と パオロとフランチェスカ ・・・

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       先回からご案内のマルケ州はグラダーラ・Gradaraの城
       この城、要塞はたくさんの歴史に遭遇しつつ生き残り、またその修復に
       情熱をかけた方がおられ、現在の姿である様子をご案内しておりますが、

       今回はその後半のあれこれとともに、
       この城の名を高めるダンテの「神曲・地獄篇第5曲」に謳われる
       「パオロとフランチェスカ」の愛のお話を、
       サン・ヴァレンタイン・デイに因みまして、へへへ、お贈りいたしますです。
       ごゆっくりどうぞ!

       上の写真は、城と町を800mに渡りぐるっと取り囲む城壁の上を
       かっての見張りの兵士の気分で歩ける、と言う見学コースのご案内。

       嬉しがりのshinkaiは即申し込むつもりになったのでしたが、
       残念、たまたま閉じられておりまして・・!


       城壁の内側はこんな様子で、すぐ間近まで家が迫っており、
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       間に多角形の塔が挟まります
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       傍らのお家の前に並ぶのは・・
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       さて、このお城・要塞を舞台に繰り広げられる夏の一大行事、お祭りは、
       城の襲撃・アッセーディオ・アル・カステッロ
       先回にもちょっと書きました、1446年に実際にあった43日間に及ぶ
       城への襲撃を偲ぶもので、
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       まぁ早い話が、中世の回顧祭り、大人のチャンバラごっこみたいなもの、
       失礼!と想像いたしますが、

       実際の襲撃は、かなり凄惨な籠城戦だった様で、
       聞いてやって下さいませ。

       事の起こりはペーザロ・Pesaro、グラダーラから15kほど南に位置しますが、
       そこの領主ガレアッツォ・マラテスタ・Galezzzo

       リミニ、そしてグラダーラの領主でもあるシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ・
       Sigismondoの従兄弟に当たるそうですが、

       そのニックネームがl'Inetto・イネット・役立たず、馬鹿 だったそうで、ははは、
       他のマラテスタ家のメンバーに似つかぬ、個性なし勇気なし。
       自分が軍を指揮せず傭兵を雇うために、その借金がかさみ、
       遂に1444年にペーザロを2万フィオリーニでフランチェスコ・スフォルツァ、後のミラノ公に、
       1445年にフォッサンブローネ・Fossambrone、ウルビーノの南西に位置します、
       をフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロに1万3千フィオリーニで売り払います。

       すぐ隣を、領土拡大野心に満ちた敵側に囲まれ、危機感が募るグラダーラ・リミニ。
       
       そして1446年の10月、シジスモンドは教皇エウジェニオ4世・EugenioIVに
       召還、これは教皇庁への税の支払いに感謝する「金の甲冑」の受け取りでしたが、
       その隙にフランチェスコ・スフォルツァの軍がグラダーラの城を包囲します。
       連盟軍はフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロを始め、グイダッチョ・ダ・ファエンツァ、
       シモネット・ディ・カステル・ディ・オイエロと名が並びます。

       近くの城は落ち、グラダーラの籠城戦が始まり、冬に向かい飼葉や食料の不足も出始め、
       急ぎローマから戻ったシジスモンドも9回に渡り外側から攻め、緊急食料を届ける急襲も。

       負傷者死者も多くなる城、要塞側で、このままでは長く持たないと判断した
       シジスモンドは若い従者・騎士を呼び、
       敵の包囲を突撃し、城内に必要な味方と糧秣を届けるだけの勇気があるかと問います。
       これに答え、パオロ・ダ・モンテストゥリドーロ・Paolo da Montestridolo
        我が殿、君にお仕えするためならば、他に従う方々同様
        一日に千回死ぬ事も厭わず、殿の赦し以外に褒賞は何も望みません。 
       こうしてこの突撃は大きな損失もあったものの、城内に味方と食料を届ける事に成功し、

       一方シジスモンドはフランチェスコ・スフォルツァの舅に当たるミラノ公である
       フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティに、彼の為に働くとも持ちかけ、
       その仲介もあり、ここに遂に43日間に渡る包囲戦が解けたと言うお話ですが、

       これだけの大軍に囲まれた長期の戦いにも、このグラダーラの城は落ちず、
       そうなんですよね、籠城戦、城壁に囲まれたこちらの町の籠城戦は、
       単に兵士だけの戦ではなく、女子供も巻き込まれての戦いになる過酷なもの。
       
       そして死を覚悟しての突撃戦に挑む若武者のお話は、
       日本の幾多の戦国時代の武士、そして神風特攻隊の若者にも通じるものを感じ、
       胸が熱くなるのを禁じえません。
       ええ、決して戦争賛美ではなく、そこに込められた人々の真情が心を打つのです。

       フランチェスコ・スフォルツァについては
       http://italiashio.exblog.jp/19679446/

       フェデリーコ・ダ・モンテフェルゥロのウルビーノのお城は
       http://italiashio.exblog.jp/17825804/
       


       もう一枚の町のポスターをどうぞ。
       中世の料理を町のレストランで食べれます、と言うもので、
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       下に記されたレストランで、10月から5月の間は、毎月の第2金曜に、
       6月から9月は、月の第2木曜日に。
       それぞれのレストラン名の下には、土地の方言でお勧めの言葉、ははは。



       こちらは、イタリア、ヨーロッパもかな、のロマネスク教会を制覇しつつあるクリスさん
       コメントで教えて下さった、グラダーラの一品
       タリオリーノ・コン・ラ・ボンバ・爆弾のタリオリーニ!
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       爆弾の?!と調べましたら、その道の権威を仰ぎ、長年の調査研究の果て、
       ははは、でも本当にそう書いてあったのですよぉ、
       これぞグラダーラの一品!と定めたのだそうで、この地方で昔から食べ継がれた、
       いわば貧しい素朴な、多人数の家庭向きパスタなのですね。
       いぇ、戦争の爆弾には何の関係もありませんで・・、

       その料理法と由来を。

       少しのオリーヴ油でタマネギとラード、または脂身のベーコンを炒めます。
       先に塩を入れた湯でタリオリーニ・細めのパスタを茹ではじめ、
       その茹で湯を多めに残し、写真に見える様にちょっとした饂飩風に入れ、
       その上からタマネギとベーコンを炒めたのを注ぎ、胡椒を。

       つまりです、お湯たっぷりのパスタに熱いベーコンとタマネギの油を注ぐ時、
       プシュプシュと音がし、素晴らしく湯気が立ち上りますよね、
       で、爆弾のタリオリーニ!!

       でも、冬の寒い夜など美味しそうでしょう?!
       お試しくださ~い!



       さてお腹も満足したところで、では後半戦を、ははは。

       お城の案内図をもう一度、
       番号2が、フランチェスカの部屋と言われておりまして、
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       これは城の各部屋の修復後に、それらしく決めたのであろうと思いますが、
       ガイドさん風に言いますと、ここが彼女の部屋で、
       ダンテが謳う所の「パオロとフランチェスカの悲劇の愛の結末」が起きた部屋と。



       先回見ていただいた部屋の写真が上ので、もう一枚もどうぞ
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       この愛の悲劇ですが、平たく言うと、兄嫁と義理の弟の姦通事件、そして
       その挙句の、夫による妻と弟殺し、という事件で、
       当事者は実在の人物ではありますが、事件そのものはまるで記録に残っておらず、
       唯一ダンテの「神曲」に謳われ、今に至るも長く人々の心を揺さぶり、
       文学者、画家、彫刻家、音楽家のインスピレーションを刺激する物のようです。

       登場人物
       パオロ・マラテスタ・Paolo Malatesta  ニックネーム・ベッロ・美男とつく
         マスティン・ヴェッキオの次男 1250か52年生まれ(大方は1246年生まれと・・)

       フランチェスカ・ダ・ポレンタ、またはフランチェスカ・ダ・リミニ・Francesca da Polenta
         リミニの領主の娘 1259年か1260年生まれ
       
       ジョヴァンニ・マラテスタ、またはジャンチョット・マラテスタ・Gianciotto Malatesta
         パオロの兄 1240年から44年の生まれ、 足が悪くおまけに性格粗暴醜男!

       ロマーニャの大家であるラヴェンナのポレンタ家と、リミニのマラテスタ家
       繋がりを強固にするため1275年頃、フランチェスカとジャンチョットは結婚を。
       フランチェスカが15歳くらい、ジャンチョットは既に40歳過ぎ。

       結婚式は代理人結婚だった様で、それに美男の誉れ高い弟パオロが出席し、
       何も知らないフランチェスカが騙され、パオロに夢中になった、と大方が書いておられますが、
       既にパオロが結婚していた事も、代理人である事も彼女が知らない筈はなく、
       要するに、一目見た彼に心を惹かれ想いを寄せた、と言う事でしょう。



       幕開け
       ダンテの「神曲・地獄篇第5曲」に謳われているフランチェスカとパオロのお話は、
       ダンテが地獄で風に吹かれ漂う2人の人物を認め尋ねると、
       フランチェスカが答えます。  
       
       格調高い文章はサイトより、「山川丙三郎訳」をお借りして、

         われら一日こゝろやりとて戀にとらはれしランチャロットの物語を讀みぬ、
         ほかに人なくまたおそるゝこともなかりき
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         書はしばしばわれらの目を唆かし色を顏よりとりされり、
         されど我等を從へしはその一節にすぎざりき
         かの憧るゝ微笑がかゝる戀人の接吻をうけしを讀むにいたれる時、
         いつにいたるも我とはなるゝことなきこの者
         うちふるひつゝわが口にくちづけしぬ、ガレオットなりけり書も作者も、
         かの日我等またその先を讀まざりき
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       と言う次第で、愛人となるわけでございます。

       これはロダンの「接吻」ですが、
       これも二人の物語からインスピレーションを受けたと・・。
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       こうした隠れた関係が長く続くわけはありませんで、
       夫ジャンチョットに知られ、2人は1283年か85年に殺害されるという・・。
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       右横に帳の影から覗く夫ジャンチョットの姿が見え、
       こういう構図は余り好きではないですが、まぁ、二人の姿が美しいので・・。

       嫁がせた娘を殺されたポレンタ家としては大変な動揺だったでしょうが、
       当時の政治情勢から見て、両家の関係を断絶するわけに行かず、
       一切を沈黙の掟の中に閉じ込めた様で、何も記録が残っていないそう。

       パオロも単に美男であると言うだけでなく、結婚もし、政治情勢にも心を配り、
       教皇マルティーノ4世に認められフィレンツェの民衆隊長を勤めていたのが、
       1283年2月にリミニに戻った、という記録が最後になります。



       ダンテの神曲によると、地獄を雲のように漂う愛欲に苦しむ二人
       そのフランチェスカに様子を聞く、と言う事になるのですが、

         いちはやく雅心をとらふる戀は、美しきわが身によりて彼を捉へき、
         かくてわれこの身を奪はる、
         そのさまおもふだにくるし 
         戀しき人に戀せしめではやまざる戀は、彼の慕はしきによりていと強く我をとらへき、
         されば見給ふ如く今猶我を棄つることなし 
         戀は我等を一の死にみちびきぬ、我等の生命を斷てる者をばカイーナ待つなり

       こんな風に、二人をじっと眺めるダンテとベルギリウスを配した絵もあり、
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       大いに同情し、二人の愛情に感じいるようなダンテの顔には見えませんがぁ・・!



       こちらは有名なギュスターヴ・ドレの版画
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       そしてこれはshinkaiの記憶に間違いが無ければ・・、
       アスコリ・ピチェーノの美術博物館にあったものと。
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       金背景の好きなもので、画家はモゼ・ビアンキ。
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       という事で、事件の起こったのはこのグラダーラの城、
       このフランチェスカの部屋、と言う事になっているのではございますが、

       こちらの、現在は廃墟となっている要塞、ずっと北のフォルリ・Forliから
       12kの距離にあるメルドーラ・Meldolaのここが、
       事件の舞台という説もある様子。
       ですがまぁ、グラダーラのが父親マスティン・ヴェッキオが建設した城、
       ジャンチョットは長男、という事ですので・・。
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       ダンテが描いた二人は、多くの芸術家たちの心を捉え
       オーギュスト・ロダンの「接吻」は上でご覧頂きましたが、
       ガブリエーレ・ダンヌンツィオが戯曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」を、
       チャイコフスキーが幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
       そしてオペラも、リッカルド・ザンドナーイの作品がある様子。

       ダヌンツィオの戯曲を演じた、エレオノーラ・ドゥーゼについては
       http://italiashio.exblog.jp/10138560/

       蛇足になりますが、フィレンツェの政変で亡命を余儀なくされたダンテは、
       後年ラヴェンナのポレンタ家に庇護され、ここで亡くなっており、
       現在のラヴェンナの街の紋、旗印にはポレンタ家の鷲が真ん中に。

       こちらは継母と義理の息子との愛情が発覚し・・、フェッラーラのお城
       http://italiashio.exblog.jp/10865175/
       http://italiashio.exblog.jp/10865096/



       さて長い物語りも済みましたので、ははは、
       町の城門を一歩出て、深呼吸でもしてくださいませ
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       夕暮れも徐々に近づき
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       城壁のイルミネーションが始まります
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       海辺の街の明かりも強くなり
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       中世そのままの雰囲気を濃く宿す町にも、明かりが点り
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       やがて町にも、町を護る城壁にも、夜の帳が・・
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       お疲れ様でしたぁ!
       長いご案内にお付き合い下さいまして、有難うございましたぁ!!



    *****

       水彩ブログは、1回パスさせて下さいませぇ!
       毎日しこしこ描いてはおりますがぁぁぁ・・・。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


     *****        
       

       いつも有難うございます!  
     
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by italiashiho2 | 2014-02-14 01:14 | ・マルケ Marche | Comments(24)
2014年 02月 10日

   ・・・ グラダーラ ・ Gradara ・ 町とお城 n.1 (追記) ・・・

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       さてさて、今回と次回の2度に分けてご案内致しまするは、ははは、
       マルケ州はアドリア海沿岸より3kmほど内に入り込みました小高い丘の上、
       海抜142mに位置するグラダーラの町とお城

       年間50万人もの観光客が訪れるという名高い町と城ですが、
       マラテスタの要塞・Rocca malatestianaと呼ばれ、
       様々な歴史の変遷に関連、とりわけダンテの「神曲・地獄篇」に謡われている
       「パオロとフランチェスカ」の舞台となったお城、というと、
       ああ、あれ!とご存知の方も多いと思います。

       ここのご案内は、町訪問以来、私めの長年の宿題になっておりまして、へへ、
       パオロとフランチェスカの愛の物語、何とかサン・ヴァレンタイン・デイに間に合わせようと、
       ははは、必死にあれこれ読み漸くに3年ぶりに、という事でございます・・!

       ですが到底、町と城のご案内を1回では無理でして、・・見せたがり、はい、
       2回に分ける事にいたします。

       まずはトップの、町の写真をじっくりとご覧くださいませ。
       東西に長く、お城は東端の丘の上にあり、この様にぐるっと周囲を城壁が囲み
       長さは800mに及び、壁の上を歩ける見学コースもあり、
       城はまた別の城壁に囲まれています。

       写真はいつもの様に、shinkaiが撮りましたものにはブログ・アドレス入りで、
       今回は城内の写真が禁止でしたので、サイトから拝借も多数ありますが、
       ごゆっくり、中世の町と城をお楽しみ下さいませ!
       はい、今日は長くなりそうで・・。



       グラダーラの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
       アドリア海沿岸、マルケ州に入ってすぐの所、グレイの点線が
       エミーリア・ロマーニャとの州境で、リミニからは約25kmの距離。
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       2010年の秋に行った時、我らはグラダーラからウルビーノ・Urbinoに、
       南西の方角に山懐を辿って抜けたのでした。

       この町のご案内は今まで、「旨い物」と「犬・猫ちゃん」
       だけなのですが、ははは、こちらに。
       http://italiashio.exblog.jp/12684386/
       http://italiashio.exblog.jp/12777322/



       宿は、町の城門から少し北に歩いた所にあり、
       裏庭に出ると、北東にこんな風にアドリア海
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       北西にはなだらかな丘が広がる素敵な環境。
       いや、これは宿の事だけでなく、グラダーラの町自体に言えますね。
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       2泊したと思いますが、これは町の北側をうろついた時の、
       ははは、オリーヴ畑
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       畑の向こうにお城、 素晴らしい眺めでしょう?!
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       写真の中の光線具合、色もあれこれ変化しますが、
       なるべく良いのをと探しましたので、ごちゃ混ぜご容赦。

       トップの写真の左下辺りに見える、町の最初の城門
       外側に剥き出しではなく左右に建物があり、少し奥まっていて、
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       内側からの様子
       町下からの傾斜がかなり厳しく、お城までの道も上り坂。
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       途中に教会もあり
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       古い建物の内部を博物館風に中世を再現しており、
       まぁ当時はこんなに小奇麗ではなかったろうと想像しますが、
       町の商人の家と・・。
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       土地の物産等のスーヴェニール店、勿論バールやレストランもたくさん!
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       こうして一番上に辿り着くと、ここにもう一つ城の門があり
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       門の内側の小広場。 
       門には見張りの小塔と兵士の見回り通路がめぐり、
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       外側から窺う、中の城の威容
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       現在この城は国有で入場料がいくらか必要ですが、
       切符売り場は確か左手にあり、直接には見えない配慮でして、はい、
       右の建物奥に格子の扉が見えますが、そこから中に。


       正面に見える濃い茶色の扉の右に見える小さな碑は・・、

       こんな顔!
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       謂れを記したものが見つからず、言葉も読めないのですが、
       口の部分が磨り減っていて、何となし投書口のような気もしますが、さて・・。



       城の門内に入る格子扉の、
       その角に取り付けられたこの忍び返し、というか・・!
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       こうして漸くに本丸前に辿り着くわけですが、
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       左奥に見える門、扉は見学者用ではなく荷物車などの通り道で、
       一般入場者は左手から上がってきます。

       ぐるっと城壁が取り囲んでいるのが分かりますが、
       こちらは城を囲む内側の城壁で、町の城壁はもうひとつ外側に。
       如何に実戦を配慮した要塞、城であるかがよく分かります



       要塞、城の本丸はこんな高さで続き
       下部にはほんの少しの明り取り程度の窓があるだけ。
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       ここが跳ね橋の付いた入り口、その上部
       跳ね橋の奥にある内庭、その手前にも格子戸が降りる仕組みが見えます。
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       跳ね橋は3ヶ所にあるそうですが、
       堀には、かって一度も水が入れられた事が無いそう
       まぁ、ここは丘の上にある要塞ですしね。
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       跳ね橋の手前から、町の城壁に伸びる部分
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       城、要塞の上からの眺めをどうぞ
       城の城壁、町の城壁と2重になっている様子がよく分かりますね。
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       見学はガイド付きもあるのですが、自由にも見れます。
       サイトからの案内図で、写真の載っているのを大きな目安に、
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       1.入り口の跳ね橋
       2.フランチェスカの寝室  パオロとフランチェスカの物語の舞台
       3.会議室
       4.礼拝堂
       5.天使たちの部屋
       6.ルクレツィア・ボルジャの部屋
       7.内庭
       という事で、一応の感触を。



       内庭の様子
       特別広くなく周囲を高く囲むので、少し威圧感を。
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       こうしたアーチの連なりから受ける洗練されたイメージは、
       そうなのです、この城が最初は実戦用の要塞から建設されたものの、
       時代が下るに付け、領主の居住としての要素も加わり、
       装飾されたいった事を物語ります。

       マラテスタ家の要塞と呼ばれていますが、この城の領主は
       マラテスタ・Malatesta、 スフォルツァ・Sforza、
       デッラ・ローヴェレ・Della Rovere、そして教皇領にと。



       内庭の片隅にある井戸
       後ろに見えるアーチの中にブック・ショップ。
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       内庭の敷き石
       磨り減ってはいますが、それでもこの装飾性・・!
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       2階の回廊に見えるライオン像と、壁のフレスコ画
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       壁に見える紋二つ
       下はマラテスタ家の紋が中にあり、PとMが見えますから、
       パンドルフォ・マラテスタ・Pandolfo Malatestaでしょうが、
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       マラテスタ家で調べますと、パンドルフォと名乗るのが5名もおりまして・・!!
       一番有名なのはシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ、リミニの狼と呼ばれ、
       この城は彼のお気に入りで、3番目の妻イゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Atti
       とも住んだ様ですが、この紋には年号が見えませんので、私には分かりませ~ん。

       上の紋は、最初パッと見に下の写真と同じかと思ったのですが、
       済みません、よく見ると違いますので、
       調べてみて、分かりましたらお知らせを。

     ◆ 追記 ◆

       紋章についての追記です。
       この城の後の領有者であるデッレ・ローヴェレの誰かかとか
       あれこれ調べたのですが分かりません。
       
       で、眺めていてふっと、「I と S」のイニシャルに気が付きました!
       なんだぁ!! そうなのです、イゾッタとシジスモンド の2人の紋!
       可愛いではないですか?!
       リミニの狼、と呼ばれた男が、こんな2人の紋を作っているなんてぇ!!


       上の写真の上とよく似た紋ですが・・、 下に刻まれた名は
       イタリア語にすると、Giovanni Sforza・ジョヴァンニ・スフォルツァ
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       グラダーラの城+この名前で、パッと誰かがお分かりの方は凄い!!
       そう、教皇アレッサンドロ6世の娘、チェーザレ・ボルジャの妹、
       ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaの最初の夫、の名です。

       彼はこの城を攻略し、迎えた最初の妻は出産で死亡、
       ここに2番目の妻として、ルクレツィアを迎えたのですが、
       教皇アレッサンドロにより、不能の夫、白い結婚であったとされ・・・!!
       ルクレツィアはこの城から去り、2年後には2度目の結婚を。
       ジョヴァンニは3番目の妻を娶り、1510年にこの城で死す、と・・。



       入り口の跳ね橋から入ってきた右側に聳え立つ主塔・mastio・マスティオは、
       30mの高さで、ここは牢としても使用されたと。
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       内庭にかかる碑
          この要塞、時の経過と人々の無関心から完全に廃墟となっていたのを、
          かっての輝かしい姿に戻すために、ウンベルト・ザンヴェットーリ技師が
          私財をつぎ込み、1923年から貴重な修復に取り掛かった。
          グラダーラの町はこれを記念し、ここに記す。
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       まさにそのようです。
       単に修復するだけでなく、かってのように、これは口で言うと易しいですが、
       当時と同じ素材を使い、当時の様式に、というわけで、
       大変な年月と財をつぎ込み、結局最後は国に売った、という様子。
       
       ヴェネツィアのカ・ドーロの修復も、かっての姿に戻すために
       フランケッティ男爵が私財をすべて注ぎ、結局は国に売ったと知りましたが、
       こういう情熱をかけて修復に尽くした方々のお陰で
       我々も今こうして中世の雰囲気を味わえる、という訳です。

       カ・ドーロのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/13670932/
       http://italiashio.exblog.jp/13683956/


       というところで、少しこの城、要塞の由来を

       マラテスタの要塞、と呼ばれると最初に書きましたが、
       もともとはペーザロの方から来たデ・グリッフォ・De Griffo家が1150年代に
       現在の主塔のあたりに塔を建設、小さな館を建て領主として住んでいた様子。

       で、デ・グリッフォが教皇領の近くでヘマをし封土を取り上げられた際、
       リミニの領主であったマスティン・ベッキオ・Mastin Vecchio
       本名マラテスタ・ダ・ヴェルッキオ・Malatesta da Verucchio(1212-1312)   
       に預け、
       彼がここに13~14世紀にかけ、2重の城壁を持つ要塞の建設を始めたということで、
       マラテスタ家としては、最初の城、要塞に当たるのだそう。

       その後新兵器の銃や砲の出現により、15世紀には城壁に
       銃眼やスカルパトゥーレ・scarpatureが導入された、と。

       このスカルパトゥーレが分かりませんで、探し回りました、はい。
       で分かったのは、従来の城壁だと高ければOKだったのが、時代が下るにつれ、
       強力重厚な城壁破壊の知恵も新兵器も誕生するわけで、
       これは城壁の足元に少し傾斜を付け補強する事なのだそう!

       当時の要塞で、このスカルパトゥーラが唯一完全な形で残っているのは、
       このグラダーラの城、ということも知りましたが、

       今も夏に時代祭りというのか、「城の襲撃」の再現行事が行われる様子ですが、
       1446年教皇軍の襲撃があった時、43日間におけるいわば籠城戦、
       フランチェスコ・スフォルツァ・後のミラノ領主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥレの
       圧倒的な大軍と戦いつつもこの要塞は落ちませんで!
       今回その様子を読みつつ、かって真田十勇士とか、源義経、木下藤吉郎
       などをお友達に育ったshinkaiは、ははは、ちょっと胸が熱くなりましたことを、
       ここに告白致しますです。

       やっぱり、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタはカッコいいなぁ!!
       いつかは彼の事をきちんと書きたいなぁ、と思っているのですが・・、はい。

       と以前からマラテスタ、日本語で言うと「頭が悪い」式な姓なので、ははは、
       可笑しな姓だと思っていたのですが、今回漸くに調べ、
       そうなんですね、やはり、頑固者とか無分別、無鉄砲という意味から呼ばれた
       ニックネームだったそう。

       マスティン・ヴェッキオというのも響きの良い名だと思われません?!
       が本名の姓ヴェルッキオは、エミーリア・ロマーニャ州の南にある地名から来ていて、
       それよりも南、州の一番南の山中にあるコムーネの名がペンナビッリ・Pennabilli。

       そこに住んでいたカルペーニャ・Carpegna家の子孫、マラテスタとあだ名されたのが、
       最初にヴェルッキオに下り、ついでリミニに、というわけで、
       こうして大マラテスタ家になっていった、という訳ですが、
       
       グラダーラにおけるマラテスタ家の支配は、1463年に終わります。
     

       長くなりまして、すみません!! 

       今日は記事自体も文字制限に引っかかりそうで、ははは、
       サイトから拝借の城の内部をさっと簡単に!

       内庭を取り囲む2階の回廊
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       会議室、 最初の図の案内番号3
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       図にはありませんが、シジスモンドと愛妻イゾッタの部屋
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       礼拝堂 4
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       天使たちの部屋
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       この部屋が分かりません・・、
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       中世の城、要塞には付き物の、牢と拷問室
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       こちらが次回にくわし~~~くご案内いたします所の、
       フランチェスカの部屋!
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       ルクレツィアの部屋。 
       1494年、14歳の花嫁としてこの城に嫁ぎ、わずか3年後に
       父親の策略により、結婚を解消して去っていった彼女。
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       この部屋の装飾、そして一つ祭壇画もあるのですが、
       画家はラファエッロの父親、ジョヴァンニ・サンツィと。


       お口直しに、町の広場の写真をどうぞ!
d0097427_411869.jpg



       と、今回はここでひとまず終え、次回に備えます、ははは。
       皆さんも体力と根性をつけ、フランチェスカのお話をお待ち下さいませませ!!

       長いお付き合い、有難うございましたぁ!
 


    *****

       水彩ブログには、待春 野生のクリスマス・ローズ ・ 少し着色を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!       
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by italiashiho2 | 2014-02-10 04:03 | ・マルケ Marche | Comments(21)
2013年 03月 05日

   ・・・ ドムス・デル・ミート ・ サンタンジェロ・イン・ヴァード ・・・

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       先回に引き続き、マルケ州の知られざる珠玉の町とでも言える
       サンタンジェロ・イン・ヴァード・Sant'Angelo in Vado.
       今日のご案内は、町外れの草原で発見された紀元後1世紀末の、
       ローマ期貴族の家の素晴らしい床モザイクです。
       そして最後にちょっぴり、
       町がこれで有名な、白タルトゥーフォの姿もね、ははは。
       では、ごゆっくりどうぞ!

       トップは、この遺跡発掘所に案内し説明してくれた
       インフォメーションの女性の笑顔を再度!
       

       先回の記事に町の小さな地図もありましたが、
       そうなのです、こんな風に町を南に出はずれた
       草原に、遺跡があるのですね。
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       東に見える教会はサン・フランチェスコ
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       発掘場所の上には、こんな風に屋根が設えられているものの、
       周囲はまだ単にナイロンで囲った、と言うだけでして・・、
d0097427_19125047.jpg
       
       この写真は友人のmkちゃんのものですが、

       今回見て頂くのは、中が写真禁止でしたので、案内所で貰った
       パンフレット、コムーネのサイト、そして他のサイトで探したものです。

       このモザイク遺跡があるのを知ったのも、本当に偶然というか、
       町を歩いていてたまたま出会った若いシニョーラが、
       今日は遺跡が見学の日で開いていますよ、
       インフォメーションで聞いてご覧なさい、と教えてくれたのですね。
       で、遺跡なる物が何か良く分からないままインフォメーションに行き、
       見学したい、と申し込んだという訳で、
       毎日ずっと開いてはいないのだけど、という運もありました。



       考古学上の発見として、最近50年の内で最大の物
       と言われるこのローマ貴族の屋敷跡のモザイクですが、
       
       この広大な草原はカンポ・デッラ・ピエーヴェ・Campo della Pieve
       教会広場とでも呼ばれるもので、
       この下に遺跡が見つかったのは偶然にも
       航空写真からなのだそう!
d0097427_19131233.jpg
     
       周囲に写っている家々の大きさから、
       この遺跡の大きさをご想像下さいね。

       写真が何年に撮られたものか書いてありませんが、
       この写真が元で1999年から調査が始まり、
       2000年から発掘が始まった、と。



       これはまだ覆いも屋根も無い時の上空からの写真で、
       各部屋に床モザイクがあるのが見えますね。
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       現在内部はこんな感じで、ぐるっと見学者用の歩道が出来、
       ガイド付きで見学が出来るようになっていますが、
       発掘の大変さ、損傷のひどい部分の修復等を考えると、
       ここまで整備されたのも、ついつい最近の事なのでしょう。
d0097427_19134768.jpg



       こちらが発掘された家全体の平面図
       下に見える赤い矢印の部分が見学用入り口ですが、
       実際にも玄関ロビーに当たる部分。
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       全体は1000平方にも及ぶ、1世紀末の広い貴族の屋敷で、
       中央に中庭と井戸があったと。
       そうですね、ポンペイ遺跡で見た家の形もこうでした。

       この一帯にはローマ期にTifernum Mataurense という町があり、
       ご覧の様にこの家の持ち主はかなりの地位、富の持ち主
       だったのが分かりますが、
       モザイクで描かれた内容が神話に基ずく物が多い事から、
       ドムス・デル・ミート・Domus del Mito・神話の家、と命名。

       
       草原の下に、こうして2000年の間眠っていた訳ですが、
       まったくよくも土地開発で破壊されなかったもの!

       サンタンジェロ・イン・ヴァードの町はローマ期の後
       川の氾濫により破壊されていたのを、
       その上にロンゴバルドの民が新しく町を造ったという
       歴史があると読みましたので、
       町外れに埋まったまま、手つかずの良い状態で残っていた訳なのでしょう。



       ではモザイクの細部を、
       最初の玄関ロビーからどうぞ。

       ネプチューンの凱旋
d0097427_19142114.jpg

       写真では図柄の端が切れていますが、下部にはイルカが泳ぎ、
       戦車に乗るネプチューンと迎える妻の、この華やかな勇壮さ!
       こういったモザイクの線の、体の表現の巧さにいつも驚嘆します。
       
       そして、その細部。 
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       玄関ロビーの奥、図でVANO16とある部分、
       中央に酒神バッカスと、
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       写真左、顔の部分
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       そして、4隅にある人物と植物柄
d0097427_19152033.jpg



       大きな部屋、約7m四方ある横臥食堂だったろうという部屋
       平面図では上側の4の部屋を、ほぼ全体が見える写真でまずどうぞ。
d0097427_19153780.jpg

     
       この部屋のモザイクは中心部が多色使いと2色使いで、
       周囲が2色で一面を覗いて幾何学模様の素晴らしいデザイン。

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       中心の四角の中はご覧の様に、多色モザイクで海の生物
       色使いが大変鮮やかで、装飾的にも優れていますね。



       中心を取り巻き円形、十字の変形とでもいうのか、
       人物、鳥、植物などが囲まれ、その周囲は幾何学模様ですが、
       多色と、白で浮き出させる柄の取り交ぜがとても素晴らしい!
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       そして1辺は、勢子と犬と鹿とイノシシの、狩りの図
       という、なんとも豪勢なモザイク柄。
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       別の角度からの様子をどうぞ。
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       所で今回コムーネのサイトを読んでいて、
       大変興味深い事を知りました。
       と言うのは、
       こういったモザイクを作るには勿論その道の職人がいる訳ですが、
       柄を、配置を、色を決めるにはどうするのか
       そういった事を疑問に思われた事がおありでしょうか?

       私はモザイクについては考えた事が無かったのですが、
       ギリシャの赤絵、黒絵の壺などに描かれている人物像、
       あれは大変にシャープで無駄な線も無く、
       そして下手な絵!というのを見た覚えが無いのですね。
       おまけにカーブしている壺に描いているのにです!

       一方古い陶器の絵付けはもう様々で、素晴らしく上手いのもいれば、
       下手なのもいる、ははは、なのですね。
       それで、きっとギリシャの壺絵は下絵作りのプロがいて、
       その型紙を使って描いていたのだろうと、想像していたのです。

       で、たまたまギリシャの壺を見た時にガイドさんがおられたので、
       型紙の事を質問しましたら、
       多分そうでしょうねぇ、どれもが上手すぎますものねぇ、との事で、
       やはりそう思われるか、と納得していたのですが、

       今回コムーネのサイトに書いてあったのは、
       当時この一帯に、こういった大規模で質の高いモザイクを注文する
       貴族がおり、それに対応するための腕の良いモザイク職人達が
       型紙を持って入りこんでいたのであろう、と。

       という事で一挙に疑問解決。
       そうですよね、注文主にすれば、良いのを作ります、と
       請け合ってくれても、どんなのが出来るのか不安でしょうし、
       もちろん好みもあるでしょうしね。

       絵描きでも昔は注文を受けるのに、あれこれ見せる下絵があったり、
       フレスコ画なら、穴をあけた型紙を持っていて、
       ピエロ・デッラ・フランチェスカなど、同じ人物の顔を
       右向き、左向きと使い分けている例があるそうで、ははは、賢い!

       モザイク、彫像、彫りの飾り、調度品、絵・・、
       何でも商品見本や型紙があって、仕事を受けていたのでしょう。
       金箔を貼ったり金を使う、又はラピスラズリなどの様な
       高価な画材を使う場合は、どれ位使うかも決めたそうですから、
       写真のない時代の、まだ芸術家という存在が無かった時代の
       そういった値段決めの駆け引きを想像すると、可笑しいですね。
       
       
       さて本題に戻りまして、こちらは9番の部屋。
       真ん中に髪が蛇になったメドゥーサの顔があり、
       周囲を様々な柄が取り囲みます。
d0097427_1918255.jpg



       写真右がそのメドゥーサの顔なのですが、
       なんとも大胆で、素晴らしい表現!
       蛇もちゃんと・・、きゃ。
d0097427_1918168.jpg



       こちらは周囲の装飾の一部
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       我々は大変幸運な事に、ちょうどガイド付きでグループが見学中
       でしたので、いわば紛れ込む形で見れたのですが、
       見学するには申し込む形です。
       +39.347.97.82.936 (Cristina) に電話するか、
       info@guidaurbino.com. にメールを。
      
       サンタンジェロ・イン・ヴァードのコムーネのサイト
       http://www.comunesantangeloinvado.it/index.php?id=8957

       ドムス・デル・ミートについては、こちらにも。
       http://www.domusdelmito.com/

       発掘の様子なども含めてのYoutube n.1~3は、こちら。
       http://www.youtube.com/watch?v=LsjsWUJ-edE
       http://www.youtube.com/watch?v=pDcAIyAvqGg
       http://www.youtube.com/watch?v=Yk9mmgP6T6w



       さて気分を変えまして、は~い、
       サンタンジェロ・イン・ヴァードの名物、白タルトゥーフォ
       まずは昨年のお祭りのポスターから。
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       毎年10月に開催の様ですね。



       という様な、こんな写真もサイトにありまして・・!
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       ここの白タルトーフォの特徴は、
       香りも味も刺激臭が少ない柔らかなものなのだそう。
       が、はぁ、まだ白いのは食べた事がありませんで・・。

       TVニュースで見たピエモンテの方の白タルトゥーフォの市、
       また今回見たこの町のヴィデオでも、出品者のいう事は同じ。
       つまり大きな、高いものはイタリアでは売れない、と。
       どこに行くか? 昨年のアルバのはマカオだったかな、
       あの辺りのお金持ちが買ったとか!
       ええ、こういうニュースは日本にお住まいのグルメの方が、
       ずっとお詳しい筈ですね、ははは。



       タリアテッレにかけた白いタルトゥーフォ! ム、ム、ム。
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       お祭り最中の夜の広場
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       タルトゥーフォをワン君と探す様子のヴィデオを探しました。
       どちらもこの町のではないと思いますが、
       最初のは短く画質も良く、
       以前1kもの大きなのを見つけた事があると言っています!!
       http://www.youtube.com/watch?v=8-1A1VqEdDE

       こちらは長く、はは、私もまだ全部見切れていませんが、
       秋の森の様子も美しいので、お暇な方どうぞ!
       http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=3xDCnpqOUlg&NR=1



       マルケ州の町のご案内の最後に、
       土地の旨いもの写真をどうぞ!
       
       マルケは東がアドリア海に接し、西はアッペニン山脈に。
       海と山の産物がある州、美味しいものがどっさりの筈で、
       ちょっぴり、涎を飲み込んで下さいね。
       肉類、チーズ、魚のスープ・・!!!
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       てな事で、こうして他の町も横目で睨みながら
       ここも良さそうですねぇ・・、
       アッペニンを越えトスカーナ入りをしたという訳でした。
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       マルケ州は、トスカーナやウンブリアに比べ
       観光売り出しもまだまだの様子で、余り有名ではありませんが、
       その分掘り出し物の町、村がたくさんある気がします。
       またのチャンスを狙いましょう!


     *****

       水彩ブログには、途中経過 メッザーノの家と、ピティリアーノの小路
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by italiashiho2 | 2013-03-05 23:32 | ・マルケ Marche | Comments(6)
2013年 03月 01日

   ・・・ サンタンジェロ・イン・ヴァード ・ マルケ州の珠玉の町 ・・・

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       先日ご覧頂きましたマルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレ
       ですが、あの館と、ウルビーノの町の代名詞とでも言う
       フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ

       彼と向き合わせの素晴らしい肖像画によって、2番目の妻である
       バッティスタ・スフォルツァは有名なのですが、
       では彼の最初の妻は?と言うと・・。
       
       リンク致しましたcucciolaさんの記事をご覧頂いた方には、
       ジェンティーレ・ブランカレオーニ・Gentile Brancaleoni
       の名がご記憶にと。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3373411.html

       ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレのご案内は
       http://italiashio.exblog.jp/17825804/

       で、今日ご案内するサンタンジェロ・イン・ヴァード・Sant'Angelo in Vado
       ウルビーノから西に26k程に位置する小さな町なのですが、
       ここがフェデリーコの最初の妻ジェンティーレの生まれた町なのですね。
       そしてこのブランカレオーニの宮廷にフェデリーコは預けられ、
       はい、彼は庶出でしたので、二人は一緒に育ったという経緯もあります。

       が、そんなこんなを知っていてこの町に寄った訳ではありませんで、
       たまたまウルビーノからアンギアーリの町に移動する途中、
       走りながら川向こうに見える町が大変良い雰囲気。 で友人と、
       良さそうよこの町、寄ろうか?! といった様子だったのです。

       良い町は魅惑的な香りを放つもの!
       まさに大掘り出しの町なのでして、
       2回に分けてご覧頂こうと、はい、その価値大です!

       上の写真は、駐車した広場の脇で見かけた銅像で、
       タルトゥーフォ採り達が、タルトゥーフォ探しと
       その歩きの、分かち難い仲間であるワンちゃんに捧げたもの。



       そうなのですね、この町は「白タルトゥーフォ」で有名な町で、
       こんな風に毎年「白タルトゥーフォのお祭り」も開催されるという・・。
d0097427_23573726.jpg
       
       これは2011年のポスターですが、
       お預けを喰らっている様なワンちゃんの顔・・! ははは。



       地図をどうぞ
d0097427_23575785.jpg

       ウルビーノからウルバーニア・Urbania、ここにはモンテフェルトゥロ家の
       後を継いだデッラ・ローヴェレ家の要塞居城があり、
       有名なミイラの残る教会もあり・・! 勿論、見てませんよぉ!!
       
       上の小さな枠内がサンタンジェロ・イン・ヴァードの町の様子で、
       町自体は小さいのですが、中世の古い趣が良く残り、
       そしてです、
       町の外にDOMUSと書かれた場所が見えますね。
       ここには最近50年の内で考古学の最大の発見、とされる
       ローマ期の紀元後1世紀の素晴らしい床モザイク、
       それも素晴らしい広さの家の、各室に残る床モザイク、
       があるのです。

       それも知らずに寄ったのですが、偶然に教えて貰えて
       発掘現場の中も見学出来た、という嬉しい番外編の町なのでした。



       我々は町の西側に駐車し、こんな風にガリバルディ通り
       抜けて東に。
       田舎町ながら結構な活気がある町でして、はい。
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       今回ご案内の為に読んでおりましたら、
       やはりタルトゥーフォのみならず、最近は工業生産も盛んで
       ローマ期モザイクの発見もあり観光業にも力が入り、という・・。
       



       町のドゥオーモのクーポラの上、
       町の名にちなんだアンジェロ、大天使ミケーレの姿
d0097427_7224376.jpg



       町の北側をメタウロ川・Metauroが流れますが、
       ここが西から来ての町の中程北にある広場で、
       突き当たりの左手に橋が。
d0097427_723067.jpg



       上の広場の左手の様子。
       建物の壁に「ガリバルディが・・」という碑が見えましたっけ。
d0097427_7232139.jpg




       橋の中程から見る町の東側
d0097427_7233875.jpg

       町の名「・・イン・ヴァード」はこの川の渡河を指すという説と、
       昔は川の浅瀬の位置を渡河点とし、そこで渡河税を取って渡らせた、
       という記録が良く出ますが・・、もう一つ
       川の岸にホソバタイセイという青い染料の採れる植物の繁殖が
       あったからだとか・・。
       どちらの説も行けそうな感じですね。

      
       右奥にアーチが見えますが、
d0097427_724336.jpg


      
       アーチの上に Ristorante Re -Tartufo という
       下手な字の看板がみえ、ははは、
 
       メニューがこちらに貼りだしてありましたので、ご参考に!
       シェフのお勧めは
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       アンティパスト クロスティーニ・ミスト カナッペの盛り合わせ
       プリモ   黒トリフのタリアテッレ と、
             ポルチーニとガレッティという茸を混ぜた
             太めの手作りパスタ
             (これはミンチを作る様に挽器を通した、ぶつ切り状パスタ
             と、ルイーザに教えて貰いました)
       セコンド  牛肉小切りにタルトゥーフォのソース
              ポテトのオーブン焼き付け合わせ
       デザート  ドルチェあれこれ  
        
       如何ですか?  ちょっとトライしたくなりません?!
       ですが、このお値段は2010年秋のというお断りを。



       町の通りを行きつつ、こんな逆光の中のワンちゃんを見つけ
       撮っていましたら、
d0097427_7243651.jpg



       そんな犬など撮らずに俺達を撮って!の声がかかり、
       はい、日伊親善に努めるshinkai。
       ・・ええと、私はです、・・美的なのが好みなのですがぁ・・、
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       先程のクーポラの見える教会の裏を通り過ぎ、
       これがドゥオーモとも知らずに写したのですが・・、
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       時計の文字と、上の大天使ミケーレの姿もなかなか良いでしょう?
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       かなり広いウンベルト1世広場にあった法皇像と、
       後ろは現在市役所になっているファニャーニ邸・Fagnani。
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       これはどなた?と言いますと18世紀249代のクレメンテ14世
       なぜここにあるのかと、ははは、像の下に彫られたラテン語は読めず・・、
       この法皇はこの地のファニャーニ家の縁続きの出身なのだそうで、
       イエズス会を潰した法皇として有名な方、なのだそう。



       壁に見えた日時計が面白くて写したのですが、
       9時半を指していますね、はい、間違いなくその時間帯だったと。
       下に見える碑は、この家で1839年8月2日に
       有名音楽家のアゴスティーノ・メルクーリが生まれた、と。
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       この名をご存知ですか?
       ナポリの音楽院で勉強し云々、と出ましたが、
       ・・まるで、皆目、全然、まったく・・。



       曲りくねる町の通りに、朝の陽が射しこみ
       おしゃべりに余念のない若い主婦、と見ましたがぁ・・。
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       山の中の田舎町にしては、
       3階建てのしっかりした家が続くでしょう?!



       ベランダの花鉢
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       細く自然なカーヴを描く道、古い町並み
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       そして、こんな一郭に
       新しい町を訪ね、歩きまわっていてこんな場所に出ると、
       shinkaiの内で「おぉ!!」と喜びの声が上がり・・、
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       美味しいのが分かっているのをじっくり味わうみたいに、
       ははは、眺めまわしながらそろそろと進み
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       ほらね、広場の中。
       広場の名はピオ2世広場、正面は13世紀建設のラジョーネ宮
       市役所が以前ここにあり、現在は観光事務所が入っている様子。
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       13世紀建設と言うと、そう、この建物は
       フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも見ている筈!

    
       で、最初に書きましたフェデリーコの最初の妻について。
       この町で生まれ育ったジェンティーレ・ブランカレオーニ
       フェデリーコも一緒にここで育った、という事ですが、

       中世に於いてサンタンジェロ・イン・ヴァードの町は、
       ラツィオからトスカーナ、マルケ、エミーリア・ロマーニャ
       に渡って広がるアペニン山中に存在した教皇領マッサ・トゥラバーリア
       Massa Trabariaの首都だったのだそうで、

       ジェンティーレの父親バルトロメーオ・Bartolomeo・ブランカレオーニは
       ここと西にあるメルカテッロ・Mercatello の行政官、領主だったと。

       8歳の時に父親が亡くなり、母親ジョヴァンナ・アリドージ
       Giovanna Alidosiがその跡を継ぎ、ただしウルビーノのフェデリーコの父
       グイダントーニオ・Guidantonio の後見の下で、
       と教皇からのお達しに因りますが、
       グイダントーニオの叔母が、ジェンティーレの父方の祖母、という
       血の繋がりもあり、
       
       後添えの継母が嫡子を生む、という難しい状況のウルビーノ宮廷から
       この地に幼いフェデリーコが預けられ、
       その時に手回し良く、将来の婚姻許可も得ていたと。

       実の母親同然に彼を育てたジョヴァンナですが、
       命の危険もある皮膚病にフェデリーコがかかった時も、
       その適切で親身な世話のお陰でいぼは残ったが命拾いをしたと!
       そしてフェデリーコが15歳の1437年に結婚しますが、
       ジェンティーレは父親の唯一の後継ぎとして、
       土地とその支配権を婚資に持参の、6歳年上の21歳

       騎馬戦が好きで無骨な性格のフェデリーコには、
       この年上の温和で忍耐強い妻が大変に援けになったようですが、
       残念ながら二人は子に恵まれず、
       夫の婚姻外の子を実子の様に育てつつも、
       新しい結婚を考え始めた夫により修道院に隠遁を強いられた、と
       いう説も出るほどに、彼女の晩年は引きこもりがちだった様で、
       41歳で肥満から来る症状の悪化で亡くなる・・。


       サンタンジェロ・イン・ヴァードの町紹介のヴィデオを見ていましたら、
       歴史家が町の経緯を語りながら、
       ウルビーノ公国を継いだフェデリーコの義弟オッダントーニオが
       もし1444年に家臣の反逆で殺害されなかったら、
       ひょっとしてフェデリーコのいたこの町がウルビーノになっていたかも!
       と熱意を込めて話しておりましたが、
       いやいやそれは幾らなんでも、おらが町の贔屓が過ぎましょうぞ!

       11歳の時には所謂人質の形で父親からヴェネツィアに預けられ、
       15ヶ月もこの地の開けた空気を吸い文化に触れ、
       その後にはマントヴァの宮廷で勉強したという彼の事。

       ウルビーノの山の中にあって、あの優雅なドゥカーレ宮の姿、
       あれはヴェネツィアで、マントヴァで得た影響の現れでしょう。

       ウルビーノ公国の領土と、ジェンティーレの持参した土地とでは
       比べ物になりませんし、フェデリーコの野望は大きく、
       その実現の為には明確で強固な意思があった筈。

       義弟の暗殺も、命は援けるからと下手人として家臣に自供させ、
       その2年後には彼らも処刑。
       彼自身庶子として生まれながら、自分の婚姻外の子には法皇の認めを
       得ながらも、バッティスタとの結婚で得る嫡子の幼子を後継者に、等など。
              
       単にルネッサンス文化の香る宮廷をあのウルビーノに開き、
       芸術家たちの大パトロンであり、傭兵隊長としては武勲を誇る、
       という様な表の姿だけでなく、
       私生活のあれこれを知ると、如何にもルネッサンス期の君子に相応しく、
       政治にも大変合理的な男だったのかも、という気がします。

       それにしても彼の2人の妻の人生についても考えさせられました。
       最初の妻は日陰でひっそりと生き、2番目の妻は26歳の若さでの死、
       信仰深かった彼女自身の希望で、普通の長衣のまま修道院の共同墓地に埋葬。
       愛された妻だったというのですが、最初の妻ともども、
       彼女達の心の中にはどんな想いがあったかと思います。

       
       ・・すみません、長くなりました。
       随分前からのんびりと読んではいたのですが、納得の為の時間も要り
       そのままになっていたのが、今回縁ある町のご案内でつい・・。
       お付き合い頂き、有難うございました!!

       
      

       建物のポルティコの下で何か作業中ですが・・、


       見に行きましたら、ドアの修復、というか、
       古いニスを落としている所で、右が親方、左が見習い中の若者
       剥げかけのニスを落とし、虫食いの穴を埋め、
       新しくニスをかけ古いドアを蘇らす、という訳ですね。
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       OKを貰って写したのですが、
       こういう仕事が続いているのを見ると、なぜか嬉しくなります。
       


       広場の東側に教会の入り口があり、
       お祭りかな、飾りを取り付けている最中で、中に入らずでしたが、
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       今回町の地図と首っ引きでどこをどう歩いたのか、
       写してきたのは何なのか調べていて、
       これが後を通り抜けたドゥオーモと分かりました、ははは。

       我々は教会訪問はしなかったのですが、幾つもの古い
       由緒ある教会も、収蔵品も立派なのがある様子で、
       はい、また次のチャンスには・・。
       


       町の西にあるアルバーニ門・Albani
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       こちらがまた趣のある建物でしょう?
       ここにインフォメーションがあり、コルソ・ガリバルディの西端近く、
       ここでローマ遺跡を見たい、と申し込みましたら、
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       この爽やかな女性が自転車を押し押し、町の外にある広い草原、
       「ドムス・デル・ミート」に連れて行ってくれ、
       あれこれ説明してくれたのでした。
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       遺跡モザイクのご案内は次回、という事にさせて頂きますが、
       一枚だけ内部の広さと様子の予告編をね
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       ね、素晴らしいでしょう?!
       神話からのモチーフが多く、多色と白黒との使い分けでしたが、
       内部は写真禁止で、これはサイトからです。

       という事で、次回のご案内をお楽しみに!!


     *****

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by italiashiho2 | 2013-03-01 00:11 | ・マルケ Marche | Comments(8)
2013年 02月 14日

   ・・・ ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino ・・・

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       ずいぶん前に買った歴史雑誌Focus Storia の特集号は
       「ルネッサンス・イタリアの天才の源泉」とでも言いましょうか、
       建築、絵画、彫刻、人物にいたる、つまりそう深くもなく全般にわたっての特集で、
       はい、私めにぴったり、好きな項目はなんとか読む事が出来るというやつでして、ははは、

       とにかくこの手の雑誌の良い所は写真が多い事!
       実際に見ても肉眼では見えない部分まで見る事知る事が出来、
       知らない資料写真まで居ながらにして見れる事、なのですね。

       という事で、この特集号で見つけた大変興味深いイラストを見て頂きつつ、
       マルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレのご案内です。

       ルネッサンスの一大文化の華開いた宮廷としても有名な
       かのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro公のお城
       現在は国立のマルケ博物館となっている
       美しい姿のあれこれをちょっぴり深く、そしてごゆっくり、ご覧下さい。

       上の写真は町の北西にある一大駐車場から見上げるドゥカーレ宮
       手前の半円に飛び出したのは市壁の塔・要塞部分で、その左奥の
       ドゥカーレ宮に並んで見える鐘楼はドゥオーモのもの。

       ウルビーノを最初に訪れたのは27年前!なのですが、
       2010年の秋に友人と再訪。 
       ぼちぼちご案内します、と言いつつ、ははは、・・今迄のご案内はこちらに。
       町中の地図も、下2つの記事の中にあります。

       友人との旅行中、町のちょっぴりのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/12013486

       ラファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ!
       http://italiashio.exblog.jp/14300199

       ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
       http://italiashio.exblog.jp/12593968



       町には何泊かして行ったり来たりで愉しみ、写しましたので、
       写真の光線の具合があれこれ違うのはご容赦願いますが、

       まずはドゥカーレ宮の特徴ある美しい2つの小塔と
       間に挟まれる白い優雅なテラス部分をどうぞ。
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       後ほどご覧頂く図でお分かりになると思うのですが、
       この小塔とテラス近くに、かのフェデリーコ公がお住まいだったのです。
       美しくて特徴あるこの小塔だけでも、このお城の価値があると思うのですが、
       フェデリーコ公が住んでいたと知って、・・もっとじっくり見とくのだったぁ!


       この向かい合ったご夫婦の肖像画は、このドゥカーレ宮の主
       フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ公
       2番目の妻バッティスタ・スフォルツァ・Battista Sforza.
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       肖像画はこの宮廷にも招かれたピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francesca
       描く所の物で、現在はフィレンツェのウッフィツィ美術館にありますので、
       ご覧になった方もたくさんおられると思います。

       肖像画が描かれたのは1465~1472年というのですが、
       2人が結婚したのは1460年2月の事、彼女は14歳!!フェデリーコは38歳。
       バッティスタにとってフェデリーコは継母の兄という関係にあり、

       ・・今回あれこれ好奇心にそそのかされて読み始めましたら、各家系の複雑な
       入れ込み関係に私めの単純な頭はこんがらかり、遂に自分で家系図を書き始めた程!
       ここではまぁ、余りややこしい事は書かない事に致しますが、

       つまりです、このお二人の結婚生活は12年間続き、7人もの子供をもうけておりますが、
       7番目が男子で跡継ぎとなるグイドバルド・Guidobaldo
       同年に彼女はグッビオで亡くなり、肺炎らしく、
       ご夫婦向かい合わせの肖像画は彼女の晩年、と言っても26歳での若き死、の物という・・。

       この頃のちょっとした楽しみ、あれこれ歴史上の人物の話を読む時の愉しみは、
       一体幾つの時の事?と計算する事で、
       すると、ははぁ、なるほどなぁ、という年寄りの納得感が大いに満足する部分が
       多々ありますです、ははは。

       ピエロ・デッラ・フランチェスカについてのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/12569796



       さて、本日の主題ドゥカーレ宮に戻りまして、
       この素晴らしい写真をどうぞ!
       ドゥカーレ宮、現在の博物館入り口は建物の向こうに見える広場側です。
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       まず地面の高さをご確認下さいね。
       左に中庭が見える部分は2階の高さにある事にご留意を。
       そして、手前側の2つの小塔がある部分の左側にお目を!
       大きなアーチが続き、茶色のかなりの傾斜の坂道が上っているのが見えますね、



       この図をどうぞ!
       上の写真で切れていた茶色の坂道、低い石段の坂道が手前側に。
       下に見えるPiano dei servizi というのは、召使たちが働く部分を指し、
       図で見る様に、この部分は建物の地下、半地下部分、
       中庭の下の階に当たります。
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       Vivere a palazzo. 宮殿に住む
       ウルビーノのドゥカーレ宮は町の中の真の要塞であり、
       ルネッサンス期の住まいの建築としては最高傑作である。

       ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの望みで宮殿建設は
       1444年に始まったが、実際は1468年にダルマチアからの建築家
       ルチャーノ・ラウラーナ・Luciano Lauranaがやって来ての事で、
       1474年頃にシエナからフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ・
       Francesco di Giorgio Martiniが来て、最終的に明確な設計図
       「町の形」が出来上がった。
       まさに宮殿は私的な住まいというだけでなく、「生活の家」 
       誰もが入る事のできる場所であった。
       完成したのは1536年。


       この宮殿が建てられた場所には以前から、つまりフェデリーコの祖父に当たる
       アントーニオ2世の時代から住まいがあったようですが、
       フェデリーコは庶子、5歳年下の嫡出子の弟オッダントーニオ・Oddantonio
       17歳で家臣たちの謀反の形で殺害され、勿論その背後にはフェデリーコの存在がある訳で、
       1444年に公国の実権を握っての、夢の実現だった事になります。

       因みにモンテフェルトゥロ家というのは、12世紀の末に名が歴史にあらわれ、
       1234年からウルビーノの領主、
       現在は単にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロで通っている彼の正式名は、
       家系の中ではフェデリーコ3世という事になります。

       22歳で新しい宮殿の建設を考え始め、1482年に60歳で亡くなっていますから、
       宮殿全体の完成にはその後半世紀も続いていた事になります。 が、
       当時の芸術家たちのパトロンとして、妻バッティスタと共に素晴らしい
       ルネッサンス文化の宮廷を作ったといわれるフェデリーコの事、
       彼らの住まい部分がまず最初に出来上がっていた事でしょう。



       では見やすいよう部分アップで、番号順にご説明を。
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       1.洗濯場と染色場
         衣類は十分な水の供給された大きな水槽で洗われ、
         他の水槽では布の染色も行われた。
       2.台所
         大きな台所の方では客人用の食事が用意され、
         小さな台所は公爵とその家族用であり、
         その隣には料理人たちの寝部屋もあった。
       3.貯蔵庫と氷室
         一連の暗い部屋、薪の貯蔵や氷室があり、
         氷室には夏でも食料が新鮮なままで保存できた。
       4.馬具置き場と蹄鉄工場
         直接に5の厩舎とつながり、馬たちはここで馬具を装丁され、
         蹄鉄をつけられた。
         そう、現代における車庫と、その隣に整備工場がある感じ、ですね。
         右奥には厩舎管理人の為のトイレ設備も。
       5.大厩舎
         25もの小屋に分かれ、広くて機能的なもので、
         床は石に穴が開けられていて、廃棄物は直接に肥え溜めに。


       ええ、既に2度もこのドゥカーレ宮を見ているにも関わらず、
       こういった使用人たちの作業場、台所と言った、生活の基本線については
       この図を見るまでまるで考えた事もなかった事に、我ながら驚き呆れましたが、

       この手前に見える茶色の坂道については朧な記憶が蘇り、
       その内側、半地下の部分にこんな台所や厩舎があったのか、と
       新鮮な驚きで改めてじっくりと眺め、写真を探しました。
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       はい、この道は宮殿下の大きな駐車場からエレベーターで上がり、
       写真左奥にある町の中心のレプッブリカ広場に繋がる道コルソ・ガリバルディで、
       右手にはこんな坂道のアーチが繋がっているのですね。



       で、一度この坂道を辿った事がありました。  この写真はサイトからの拝借ですが、
       そう、こんな具合に低い石段で煉瓦敷き
       右手下の一番奥がテアトロ・ラッファエッロ・サンツィオで、
       その角奥に下の駐車場に連絡のエレベーター、という・・。
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       で、この坂道の一番上はこんな形で折れ
       この奥はドゥオーモの後陣に当たり、
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       またもや急な狭い、低い段差の付いた煉瓦道となり
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       ほらね、こうしてお隣のドゥオーモとの間の細い隙間を通りぬけ
       ドゥカーレ宮前のフェデリーコ広場に出てくるのでした。
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       左手の一番奥の扉が、現在の博物館の入り口。

       蛇足ながら、ちょっとした疑問点を一つ。
       図の中では手前側坂道の上部分に扉があり、お馬君が出てくるように描かれていますが、
       自分の写真、サイトの写真にもこの部分には扉がなく、後に塞がれたのかもですが、
       図には扉の無い左横、つまり広場に続く狭い隠れた坂道に扉がある写真を、
       サイトで見つけた事を付け加えておきますです。



       ドゥカーレ宮南面の壁と、
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       優雅な窓
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       壁面に穴が間隔正しく開いていますね。
       多分これは将来に、全面に化粧岩の板が張り巡らされる予定だったのではないかと・・。

       ですが、フェデリーコの後を僅か10歳で継いだグイドバルドには遂に子がなく
       難しい当時の局面も切り抜ける運にも恵まれず、
       甥にあたるフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレを養子に迎え、
       彼自身ウルビーノに戻ることなく痛風で36歳の若さで亡くなり、
       モンテフェルトゥロ家はここに絶えます。



       こちらはPiano nobile・ピアーノ・ノービレ・貴人の階と呼ばれる上の階。
       まず全体図を見て頂き、
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       2枚に分け、上の部分を。
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       1.表敬の内庭・Cortire d’Onore 
         ルチャーノ・ラウラーナ設計する所の、ルネッサンス芸術の宝石。
         円柱、縁飾り、色使いは、まさに建築の素晴らしい調和の例である。
       2.大宴会場
         広場に面した広間で、儀式や重要な機会に使われ、
         2つの暖炉が客人を迎える大広間を暖めた。


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       3.公爵夫人の住居部
         5つの部屋から成り立ち、寝室から書斎に、祈りの小部屋、小さなサロンに通じ、
         大きなサロンは芸術家や文学者に会うために使われた。
       4.公爵の住居部(右上)
         5つの部屋が小塔を通じ繋がっていて、2階部分にある内庭に向かっていた。
         寝室、書斎、祈りの部屋、仕事部屋、そして著名人に会うための大きなサロン。
       5.入り口の小塔
         高さは60m、この2つの小塔から宮殿のどこにでも連絡がつき、
         秘密の行程もあり、公爵とその親密な関係者により使われていた。
       6.公爵の私的浴室
         書斎から直接に行けるようになっていて、温められ、
         脱衣室とお風呂とサウナがあった。

       楽しいでしょう?!
       今は単なる美術博物館になっていて、おまけに写真禁止、27年前は撮れたのがぁ!
       かっての生活の匂いなどまるで感じられないのですが、
       こうして見ると、フェデリーコ殿ご一家はここで生活していた、
       というイメージが湧きますものね。


       という事で、

       宮殿前のフェデリーコ広場から建物内に入る扉
       上部の優雅な飾り。
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       表敬の内庭、端正で大変美しい内庭
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       内部の写真がありませんので、サイトから少し集めました。

       煉瓦床
       いろいろな柄があるようですが、これ可愛いでしょう?
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       嵌め木細工が見事な書斎・ストゥディオーロ
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       ウルビーノはラファエッロの生地としても有名ですが、
       彼の作品が一枚この博物館に。
       ラ・ムータ・La Muta    1507頃の作品。
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       彼の好みの女性ではなかったろう、とすぐ分かる程に顔は素っ気なく描かれ、
       そのくせ重ねた指が生で、それに昔ひっくり返りそうなほど驚いたshinkai。


       ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を。
       鞭打ち
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       理想の町
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       フェデリーコ公が登場している、現在はミラノのブレラ博物館所蔵の
       ブレラの祭壇画
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       フェデリーコの家族については、cucciolaさんがこちらに詳しく。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3373411.html



       ウルビーノでの我々の宿は、まさにドゥオーモの前に位置し場所は最高!
       ただしぃ、夜食事に出かけて坂道を戻るのが大変、・・小々飲んでいますのでね。
       とは言え、この美しい夜景を見ると手振れもなんのその、ははは、写さずにはおれず、
       何度も写した中から、ウルビーノの夜景をどうぞ
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       サイトで写真を探していましたら、どか雪に町が埋もれた写真が何枚も。
       その中から、美しい雪化粧のドゥカーレ宮をどうぞ!
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       で、最後のおまけは、ははは、
       今日2月14日はヴァレンタイン・ディ。
       チョコレートならず、ウルビーノの名産カショッタ・Casciottaチーズをどうぞ!
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       熟成させないので皮が1mmほどの薄さで、新鮮なミルクの香りのする
       お口の中でとろけるチーズだそう。
       写真を見ながら、白ワインをお二人でどうぞ!!


     *****

       水彩ブログには、スコミーゴ村の雪と、 
       アップしております。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho

       本家ともどものご愛顧、ご訪問よろしくどうぞ。


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by italiashiho2 | 2013-02-14 00:56 | ・マルケ Marche | Comments(10)
2011年 08月 08日

   ・・・ ラッファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ! ・・・

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       今日のご案内は、またまたぽんとイタリアに戻り・・、
       マルケ州の山の中、文化の香り高いウルビーノ・Urbino に。

       この地で生まれたイタリア・ルネッサンス期を代表する画家建築家
       ラッファエッロ・サンツィオ・Raffaello Sanzio の生家博物館と、
       その前を通るラッファエッロ通り・via Raffaello
       なんとも物凄い傾斜の、殺人的坂道の様子をご覧下さいね!

       トップの写真は、ラッファエッロ通りを上りきった所の
       ローマ公園・Piazzale Roma にあるラッファエッロの像ですが、
       最後にまた優男振りをアップでご覧頂きますね。



       という事で、こちらが街の中心広場になるレプッブリカ広場
       Piazza della Repubblica で、
       この眺めは、かのドゥカーレ宮から下って来た所。
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       写真の、上に延びる道がこれからご案内のラッファエッロ通り、
       右に見えるアーチの隣に、以前ご紹介したトラットリーアがあり、
       左に下ると街の大駐車場に行くマッツィーニ通り・via Mazzini
       この通りも凄い坂道ですから、最後にご覧頂きますね。



       という所で、街の地図をどうぞ
       数字8が、今日ご案内のラファエッロの生家、
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       地図の3.4に見えるドゥカーレ宮・Palazzo Ducaleの
       前から左に下るサッフィ通り・via Saffi
       これまた細い物凄い傾斜道で、
       我が友のmkちゃんが、あの道は運転しないで!と。

       つまりウルビーノは、街の北側が一番高く、
       下って来た中心地のみが緩やかな傾斜の平地で、
       そこからはどちらにも下り坂という、恐ろしい街! ははは。
       住んでいる方々は足腰が鍛えられているでしょうし、
       大学生達は若いですから問題ないでしょうが、
       ツーリスト泣かせの坂の街ウルビーノなのです。
       が、写真やスケッチのモチーフには最高で、
       またぼちぼちご覧頂く事に致しますね。
       
       ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
       http://italiashio.exblog.jp/12593968

       街のちょっぴりのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/12013486
       


       さてでは、坂道を上がって頂きましょうか ははは、
       なに、ラッファエッロの家はそう遠くありませんし、
       この辺りの傾斜は、まだまだ緩やかですから・・、ひひ、
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       右に見えるアーチは、先ほどの広場のアーチとは別で、
       こちらのは、サン・フランチェスコ教会の物、



       教会横はこんな感じで広場になっていて、
       そうそう、ここでタルトゥーフォを1個買いましたっけ。
       ですが、余り香りが無く残念の想い出。
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       さて、この厚かましい黄色のポルシェの斜め奥、
       壁にイタリア国旗とEUのブルーの旗の出ている所
       あそこがラッファエッロの生家博物館です。
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       ね、坂道がきつくなって来ているでしょう?



       この辺りから振り返ると、こんな様子。
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       レプッブリカ広場の見える様子から、ご想像を!


       到着しましたぁ、
       こちらがラッファエッロの生家博物館で~す
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       開館時間は、平日9時から14時
             祭日10時から13時
       休館日   12月25日、 1月1日
       要入場料ですが、これは変化が大いにありうるので、
       でも3エウロ位、高くありません。

       サイトはこちらに
       http://www.comune.urbino.ps.it/id/417/1852.aspx



       まず井戸のある小さな中庭をどうぞ。
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       というのも、入り口に写真禁止の張り紙があり、
       素直なshinkaiは、最初中庭だけを撮ったのですね。
       入り口には、管理のシニョーレがいましたし・・。



       中庭を取り囲む壁の窪みに、誰かが林檎を置いていて、
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       この家は14世紀につくられたものだそうで、
       ラッファエッロの父親ジョヴァンニ・サンティ・Giovanni Santi
       が1460年に買い取り居住。
       1483年にラッファエッロがこの家で生まれましたが、
       父親50歳の時に生まれた一人息子。

       その月日については3月28日とヴァザーリが書いているのですが、
       他の事実から推定して4月6日であろうという事、
       そして彼はローマで1520年の4月6日に、
       奇しくも生まれた日と同日に、37歳の若さで亡くなっているのですね。

       彼については皆さんの方がよくご存知だろうと思いますが、
       盛期イタリア・ルネッサンスを代表する画家、建築家の一人であり、
       短い生涯に数多くの傑作を描き残しました。
       あまたの美しい女性像、淑やかで美し過ぎる程の聖母像など、
       ですがええと、申し訳なくも私にはイマイチぴんと来ず、
       男性を描いたのは、はい、じっくりと眺めるのですが・・、
       ですから、ここでは生家博物館の様子のみ、を。

       そうそう、彼の父親ジョヴァンニ・サンティも画家で、
       息子ほどには大きく後世に名を残しておりませんが、
       それでも近年までは、ラッファエッロの父親で最初の教師とだけ
       みなされていたのが研究も進み、
       徐々にその力量の素晴らしさも認められてきており、
       数少ない作品の写真を見ても、確かに、水準以上の画家であったと。

       ウルビーノにあの一大ルネッサンス宮廷を作り上げた
       フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro公
       の信頼も厚く、大変頭の良い人文学者という面もあった人物で、
       ウルビーノ出身の、最初の頭角を現した画家にして宮廷画家、
       27歳にしてこの家を買える程であった、という事。

       この父親の仕事環境から、幼いラッファエッロもこのウルビーノの
       宮廷に出入りし、数多くの素晴らしい作品に接した事が
       その素質を花開かせるに大いに働いた事でしょう。

       ラッファエッロの実母は彼が8歳の時に亡くなり、
       父親はじきに再婚、女の子が生まれたものの
       3年後、ラファエッロが11歳の1494年61歳で死亡。
       こうして早熟の天才画家が、急激に独り立ちを強いられて
       行ったわけですが、
       ラッファエッロは父親の残したこの女性2人と
       遺産相続で揉めたのだそう!

       ラッファエッロの作品については、cucciolaさんが
       こちらに4記事書かれていますので、どうぞ。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/cat_53074.html       


       1階の部屋には、当時の家庭用品などが置かれ
       大変良い雰囲気で、もう写したくてうずうず・・!
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       暖炉の中に見える物と、右の壁に取りつけられた、
       重しの下がった物が繋がっているのが見えますか?
   

       これは、肉を炙るのに、適当に周るよう工夫された、
       自動グリル器ですって! ははは。
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       陶器、銅器、秤、何か分からない物・・、
       もうこれだけで、静物画になりそうでしょう?!
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       こちらは金庫
       素晴らしく重そうで・・!
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       内側には、技術的で複雑な仕掛けが、美的な程に
       込み入っているのをあちこちで見ています。



       この可愛い窓への階段と腰かけ
       何となしに、子供のラッファエッロが覗く様子を想像したり・・、
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       そして、素晴らしく美しいフレスコ画が1枚
       多分彼が父親から絵画の手ほどきを受け、当然フレスコ画の
       技術も習ったろう、若き若きラッファエッロの作品
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       多分彼が生まれたであろう寝室の部屋に置かれたこの作品、
       肌が本当に柔らかく、ほんのりと色味が射し
       長い間見つめました。
       はい、これは素晴らしかった! 好きです!



       家の床、そして天井の梁
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       生家博物館には、ブラマンテのデッサンとか、
       他の作品もあった様ですが、・・はは、覚えておりません。

       写真禁止なのに、なぜ何枚かの写真があるかを白状しますと
       後から来た東欧人らしいカップルが、フラッシュ付きで写真をね。
       パシャッと光った後、誰か来るか、何か注意が来るかとじっと待ち、
       何も起こらないのを確かめて後にね、はは、
       でもTVカメラの位置に気をつけ、少し写したという訳でした。
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       2階部分の展示は、アッカデミア関係の展示との事で
       この辺りは何が何か猫に小判でまるきり分からず、関心もなく・・、
       この窓際の椅子席と、窓の半分づつ開く鎧戸が面白く、
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       上から見下ろす、小さな中庭
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       では、生家博物館を出まして、
       そのままラッファエッロ通りを上がって頂きましょう!
       既に道がカーヴして、生家博物館は見えなくなり、
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       まったく、凄い坂道でしょう?!
       雨の日雪の日は大変でしょうねぇ!

       地図を見ると、この道のあちこちに大学の学部が散らばり、
       法廷もあるので、常に多くの人々が往き来していて
       そして、この両脇に駐車している車!!
       うっかり発進したら、即ドスンとやりそう!

       いやぁまったく、ウルビーノの人々はエライ!!!



       坂の中程にある、ここは中世のオスペダーレ跡
       巡礼者を泊めたり治療したリ、貧者への救済に当たった場所。
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       ですがぁ・・、いちびりshinkaiは、
       この坂道を、ここに辿り着くまでに、生き倒れになるんではないかと心配・・。


       で、まだまだ坂は続きます。
       見えます? 坂下にあった教会の鐘楼の高さと同じ!!
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       で、やっと頂上にあるローマ広場、公園に到着、
       最初にご覧頂いたラッファエッロの像のアップを眺め、一息
       ご苦労様でしたぁ!!
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       こちらは、中心のレプッブリカ広場から西に下る
       マッツィーニ通りで、ヴァルボーナ門・Porta Valbona があり、
       これはその門の上からの眺め。
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       門の外側に大駐車場がありますが、昔訪れた時の何倍もの広さ、
       でも見覚えのバールがひとつあり、懐かしかった。



       ウルビーノにはこんなに美しいお城、ドゥカーレ宮もあり
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       ぼちぼちとご案内して参りますので、
       長~~い目で待ってやって下さいませませ!

     
      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       昨年は8月一杯をお休みした横着者が、真面目に
       ちょっと日程を詰めてアップしておりますが、
       はい、今年はちょいちょいお休みしていますし、
       今週半ばにまたちょっと出かけて来ますので・・、

       ゆんぴょさん、にゃ~こにも助けて頂き、
       何とかご覧頂けるストックを見比べながら・・、ははは。

       そう暑くなく、また雨が来て涼しいのにも助けられ、
       続けています。
  

       という事で、       
       では、今日もまた、
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by italiashiho2 | 2011-08-08 05:56 | ・マルケ Marche | Comments(14)
2010年 10月 02日

   ・・・ イタリア中部紀行 2010年秋 その3 ・・・

      ブログご訪問、有難うございます!
      お陰さまで、元気で無事に旅を続けております。
      今夜10月1日現在マルケ州はウルビーノの宿に3泊めで、
      明日の朝アペニン山脈を越えトスカーナに入り、
      アンギアーリに向かいます。

      まずは先回の続き、グラダーラ・Gradara の要塞からどうぞ。

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      ◆グラダーラ

       グラダーラの宿が城壁に囲まれた町の外、歩いてすぐの所、
       広い庭先から海が見えました。
       手前がカットーリカ・Cattolica で、
       湾の向こうに朝日に輝くリッチョーネ・Riccione、 
       そしてその先にはリミニ・Rimini と続く
       アドリア海沿岸の大海水浴地帯

       要塞内部は修復されたものですが、
       中世の雰囲気を上手く伝える調度類が備えられ、
       写真禁止がとても残念でした。
       
       リミニの狼 と呼ばれたシジスモンド・P・マラテスタも
       3番目の奥方と短い期間ではあるものの住んだそうで、
       2人の名のつけられた部屋もあり、
       またルクレツィア・ボルジャの化粧部屋には
       上げ蓋式トイレが2つありました!
       彼女とこの城の関係が良く分からないので、
       戻って後また調べま~す。

       ガイドブックの写真でご案内致しますので、
       お楽しみに!



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      ◆ウルビーノに

       ウルビーノに向かいます。
       グーグルの地図によると、行程は34K 50分。

       グラダーラからすぐ山道になり、
       遠くに海が見えるカーヴの多い道が暫く続き、
       その後は素晴らしい風景の、起伏の道の連続でした。



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      ◆ウルビーノ

       街が見え、まず駐車場を探しつつ急な坂道をあちらこちら。
       ですがまぁなんと車の多い事!
       どこもかしこも道端は縦駐車で満杯、
       やっと見つけた場所に突っ込み、宿を見つけに中心広場に。
 
       溜息が出るほどの急坂を喘ぎながら上る途中、
       大学の学部の前を通りかかると、
       折しも新博士の誕生を祝い、わいわいという騒ぎ。
       髪の長いミニ・スカートの女性がその主役で、
       パンとシャンペンの栓を飛ばし、グイッと一口。
       アウグーリ、ドットレッサ!

       25年前訪問したウルビーノの記憶は遠く、
       坂道もこんなに殺人的だったとは覚えておらず、
       街自体も大変に賑やかに、大学生たちで埋まっています

       宿が街の中心広場近くにある事は大体分かっていましたが、
       なんとドゥオーモのまん前の古い建物内で大変便利。
       が、荷を置いた後に探し当てた無料駐車場は街の裏側で、
       3度殺人的坂道を上る羽目に!

       ですがですが、やはりやはり素晴らしいウルビーノ!!

       向こうの谷に朝は雲が湧き
       丘の上から見る城の威容、2つの塔の美しさ
       ラファエッロや、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品にも再会、
       美味しくて安いトラットリーアも見つけました。

       ウルビーノ3日目の午後、17kほど西に位置する
       ウルバニーア・Urbania という古い小さな町にも足をのばし、
       川辺に立つ素晴らしいドゥカーレ宮や、鄙びた町を見に。
       
       パラパラの小雨もウルビーノに戻ると止み、
       夜はまた美味しいトラットりーアで満腹。
       今こうして起き出してこれを!

       という事で、明日の朝は
       トスカーナはアンギアーリ・Anghiari を目ざします

       お天気には恵まれていますが、
       しっかり着込む肌寒さです。
       皆さんも、お元気でどうぞ!
      


   *・*・*・*・*・*・*・*・*・*

by italiashiho2 | 2010-10-02 07:17 | ・マルケ Marche | Comments(2)
2010年 09月 28日

   ・・・ イタリア中部紀行 2010年秋 その2 ・・・

       元気で旅を続けています!
       28日現在、マルケ州のグラダーラ・Gradara という
       「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている
       小さな中世の城壁に囲まれた町に2日目ですが、
       まずは先回最後にご紹介したサン・レオ・San Leo
       断崖の上の要塞とそこからの村の景色、
       海の遠望、そして小さな広場の夜景をどうぞ。

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      ◆サン・レオ

       ご案内しましたように、この村の海抜は589m
       要塞は639mの高さにあり内部は見物できます。
 
       堅固さが必須だった要塞も勢力範囲の拡大に飲み込まれると
       その特異性が薄れ、近代には監獄として使われたとの事。
       18世紀にこの城塞監獄に、カリオスト伯爵・Conte Cagliosto
       と名乗る稀代のペテン師が収監された事で有名なのですが、
       このお話はまたのご紹介で。

       海を遠望する写真の右端、山上に広がる街が
       サン・マリーノ。

       夜になり風が強く、窓の鎧戸がギシギシと、
       高所にある村の冬の寒さを思いました!



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      ◆サン・マリーノ

       グーグルのマップではこの近道の地図が出たのですが、
       実際の車のトムトムは、一旦リミニへの広い道に出て
       そこから山道を登り、1時間弱で到着。

       街のとっつきの駐車場に入れ、歩いて中心広場に。
       結婚式の写真を撮るカップルを写していましたら、
       カメラマンが一緒に入れ、と私のカメラで記念撮影を。
       はぁ、まぁ、お目にかけない方が宜しいかと・・!

       サン・マリーノの海抜は700mを越し、
       3つある内の一番高い要塞は739mとか。
       せっせと高上がりして、素晴らしい眺望を楽しみました。



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      ◆グラダーラ

       遅い昼食の後、一旦高速に入りグラダーラ・Gradaraに。
       
       宿に荷を置き、夕暮れ近い町の中心をあちこちと。
       考えていたよりもずっと小さく、整備され過ぎている感じですが、
       今日はお城の中も見て来ました。

       修復されたとはいえ興味深い部分がたくさんあるものの、
       やはり写真禁止で、いささかがっくり。
       ガイドブックをあれこれ買いましたので、またご案内を。

       という事で、明日はいよいよウルビーノ・Urbino に!

       ではまた、御機嫌よう!!

     
   *・*・*・*・*・*・*・*・*・*

by italiashiho2 | 2010-09-28 23:15 | ・マルケ Marche | Comments(4)
2010年 06月 04日

   ・・・ ヴィッソ ・ ヴァルネリーナ渓谷の珠玉の町 ・・・

      今日のご案内は、ウンブリア州からほんの少しマルケ州に入った所、
      ヴィッソ・Visso という小さな町を。
      殆どの方がご存じないと思いますので、まずは地図をどうぞ!

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      ◆地図  1

       タイトルに書きましたヴァルネリーナ・Valnerina というのは、
       マルケ州シビッリーニ山に源を発するネーラ川・Nera が流れる渓谷で、
       ヴィッソ・Visso から左下ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Nera
       に続く道がこの渓谷を通り抜けます。
       ネーラ川はテルニ・Terni から オルテ・Orte 辺りでローマに流れる
       テーヴェレ河・Tevere に注ぎます。

       ヴィッソはローマ期以前からの歴史を持つと言い、
       ローマからアドリア海に抜ける街道、商交易の要所に位置。
       イタリアの一番美しい村々 にも選ばれ、シビッリーニの珠玉とも
       呼ばれるこの町に、シビッリーニ国立公園の事務所も。
       
       ヴァルネリーナの歴史ある小さな村をあれこれ訪ねながら、
       中世の外科学校があった事で有名なプレーチ・Preci
       サン・ベネデットの生地であり豚肉製品で有名なノルチャ・Norcia
       大平原の花畑、レンズ豆産地のカステルッチョ・Castelluccio
       行くのに2007年春、2008年夏と2度この町を訪れつつ、
       ご案内を逸しておりました。
       
       この所お天気が少し好転し、地図を眺めるようになると
       宿題提出をサボっている事に気がつき、やっと今回。
       地図上に印をつけた場所のご案内は、最後にリンクいたしますね。



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      ◆ヴィッソ  1・2

       スポレート・Spoleto からヴァルネリーナ渓谷の道に入り、
       細い曲りくねった道を上り下りし、町に入る直前は
       まさに両脇に渓谷が迫る道。 
       そして一転ぱっと開け町の入り口に。
       並木が続く美しい道を辿り、町の西門サンタ・マリーア・S.Maria に。

       上の写真は町入り口の並木ではなく、
       町横を流れるネーラ川沿いですが、大変美しい趣。

       門を通る道が細く、いいのかな?と思いつつ抜けると・・、



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      ◆ヴィッソ  3・4

       細長く繋がる2つの広場、マルティリ・ヴィッサーニ・Martiri Vissani
       が手前側、奥がピエトゥロ・カプーツィ・Pietro Capuzi.

       ご覧の様に、この山の中の小さな町に14~16世紀にかけての
       ゴシックからルネッサンス様式の建物が立ち並ぶのですね
       
       写真真ん中部分ベージュ色の出っ張っている建物は、
       ゴヴェルナトーリ邸・Palazzo Governatori で
       
       広場の反対側からは・・。
       
       ゴヴェルナトーリ・執政官邸という呼び名は、この町が自由都市から
       スポレートの教皇領の下に入った歴史を語りますが、
       1583年にはウンブリア教皇領の本拠とされたそう。
       その由来については後ほど記しますが、
       
       実際19世紀のイタリア王国建設までは、ウンブリア州に属しており、
       現在はマルケ州のマチェラータ・Macerata県で、
       海抜608mのこの町の住民は現在1200人程。

       1522年に南のノルチャ、プレーチ辺りをも巻き込んだ有名な戦争
       ピアン・ぺルドゥートの戦い・battaglia del Pian Perduto
       ヴィッソが勝ち、漸くこの周辺の力関係に決着がついたのだそうで、
       ヴァルネリーナ東部の商業、文化の中心地となったのも頷けます。

       そうそう、プレーチに3泊した時、
       15K走ってヴィッソまでガソリンを入れに来ましたし、
       それ以外だと西のチェレット・Ceretto 辺りまで無かったと!
       
       
      
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      ◆ヴィッソ  5
  
       マルティリ・ヴィッサーニ広場・ヴィッソの犠牲者に捧げる広場とでも、
       には、尖った美しい鐘楼のサンタ・マリーア教会・Collegiata di S.Maria.
       教会とはいえ、ドゥオーモに次ぐ格にあり、奥の三角の正面壁の教会は
       サンタゴスティーノ・S.Agostino で現在は市の博物館。



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      ◆ヴィッソ  6・7・8

       広場に向いているサンタ・マリーア教会の正面扉の、

       上部の半円に描かれた受胎告知、土地の画家パオロ・ダ・ヴィッソの作、
       扉両脇にいるライオン像、彫刻された木製扉、
       そして、中世の面影を宿す彫り飾り。



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      ◆ヴィッソ  9・10・11

       いずれも手振れで申し訳ないですが、内部を。

       12世紀の木製着色の聖母像、北の影響を受けたウンブリアの作品で、
       フレスコ画はいずれも14世紀のもの。
       巨大なサン・クリストフォロ像・S.Cristoforo は、高さ10.68m
       横幅が4mもある見事な物で、中世の大男伝説により常に巨大な姿で。



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      ◆地図  2

       町の地図をどうぞ。

       左半分は上でご説明の通りですが
       赤い印をつけたPorta S.Maria から中心に入りました。
       町の上部半分は山沿いに広がる坂道の家並で、
       南側に川が2本、ウッシータ川・Ussita とネーラ・Nera が流れます。

       地図左下に見える美しい薔薇窓、三角形のサンタゴスティーノ教会、
       ここには現在市の博物館が置かれ・・、



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      ◆ヴィッソ  12・13

       町のパンフレットによると200点を超す絵画作品も収納の様ですが、
       いかんせん、開館時間が土・日曜の短時間のみ。

       で、ここの目玉とも言えるのが、イタリア19世紀最大の詩人と言われる
       ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi (1798-1837)
       伯爵の家に生まれた文学者、哲学者、言語学者の手稿、
       とりわけ有名な6篇の田園詩、インフィニート・L'Infinito を含む、が
       あるのだそう。

       マルケ州海沿いの町レカナーティ・Recanati 生まれのこの詩人の
       作品で唯一知っているのは 孤独の雀・Il passero solitario.
       イタリア語を最初に習った坂本教授の本の巻頭にあり(ご存知の方も多いと)
       格調高い詩の朗読テープを何度か聞かされた遠い記憶が。



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      ◆ヴィッソ  14・15

       中心広場の南側に立ち並ぶ建物の壁に見つけた
       灯り燈し と思うのですが、
       ライオン君はともかく、この凄いのは女性ですよね?!
       もひとつは、明らかに男性なので・・。

       中程の建物に小さな本屋があり、土地の出版物なども
       揃っていて、2度の訪問で買い込んだものの、
       う~~む、まだ積読のままだぁ!



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      ◆ヴィッソ  16・17

       細長く続く広場を東に辿ると、プリオーリ宮・Palazzo Priori.
       現在は市役所で、町のカタログはここで貰いましたが、
       さて今もインフォメーションは、そのままかしらん?

       一階のロビー横に、こんな農耕具の一部らしき物があれこれ、
       これは葡萄絞りの汁受けではないかと思うのですが。



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      ◆ヴィッソ  18・19・20

       町の山側の細道を辿ります。
       教会の鐘楼が見え、
       坂道がくねって続きます。



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      ◆ヴィッソ  21・22

       この家は、地図真ん中上に
       バルコンチーノ・メディオエヴァーレ・Balconcino Medioevale
       あるもので、如何にも武骨な中世の面影を宿します。

       修復されているので、今もお住まいだろうと。



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      ◆ヴィッソ  23・24

       教会・修道院サン・ジャコモ・Chiesa del Monastero di S.Giacomo
       花で埋まったこの一角が素晴らしかったですが、

       大きな古い建物は、ボンコンパーニ邸・Palazzo Boncompagni と。

       訪れた2007-8年は、この町は大修復の真っ最中で、
       道はあちこち掘り返され、建物が修復中だったりで、
       観光用標示もなく、今回地図を睨みながら・・。

       ですが、あれこれ読むうちに面白い発見が、というのも
       グレゴリオ暦を採用した事で有名な法皇グレゴリオ13世・Gregorio XIII
       (1502-1585)の俗名がウーゴ・ボンコンパーニ・Ugo Boncompagni.

       ボローニャ生まれですが、そのご先祖がこのヴィッソの出身で、
       14世紀の初めにボローニャに移ったとの事。
       広場の写真3・4にあるゴヴェルナトーリ邸には、この町に
       ウンブリア教皇領の本拠を置いたグレゴリオ13世の紋章も掲げられていると。
       
       グレゴリオ13世という方は、ボローニャ大学で教えていたのを
       その優秀さから40歳になってローマに招かれ司祭となり、
       法王庁で働くうちにぐんぐん頭角を現し、トレント公会議で大活躍、
       外交の働きでもスペインのフェリペ2世の信頼を受けたりで、
       法皇になったのが1572年、なんと70歳の時!

       この時の法皇選出は、スペインの支援の下24時間内に決定で、
       カトリックの改革の取り組み、発禁書の見直し、グレゴリオ暦の
       採用等など、84歳で亡くなるまで大車輪の働きぶりを。

       トレント公会議に赴く途中滞在した生地ボローニャで、
       従妹の下で働いていた女性との間にジャコモ・Giacomo が生まれたり
       (46歳の時、正式に認知を)
       亡くなる直前には、日本からの天正の4少年が拝謁を賜わったり・・。
       フェリペ2世の信頼が厚いとなると、先日の理想の町造りを目指した
       サッビオネータのヴェスパジアーノ・ゴンザーガとの出会いもあったろう、
       などと想像しつつ、つい読み耽ってしまいましたが、

       グレゴリオ暦の導入日(グレゴリオ暦とは?の記事にもリンク)
       については cucciolaさんがこちらに。
       http://d.hatena.ne.jp/cucciola/20091004/1254650289

       
       
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      ◆ヴィッソ  25・26・27

       町の狭い道の両脇に古い3、4階の建物が立ち並び、
       見事に修復されています。

       一番東端に抜けた場所に広場が開け、
       背後の山上に要塞が。



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      ◆ヴィッソ  28・29

       広場の南をウッシータ川が流れ、橋の上からの眺め。

       川床が高く、こちらからだと入り口が半分しか見えない教会は
       14世紀のサン・フランチェスコ・San Francesco
       修道院もある様子。

       この正面壁の様式は、アブルッツェーゼ様式と言うそうですが、
       ペンペン草がいっぱいで、大丈夫かいな、と。
       北に住む人間にはアブルッツォ・Abruzzo 州は 地の果て
       イメージですが(失礼!)マルケ州の南、お隣なのでした。


       
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      ◆ヴィッソ  30・31

       サン・フランチェスコ教会周辺は少し鄙びたイメージが漂い、
       古い大きな建物が残り、中世の面影が残ります。

       地図に見えるオデスカルキ邸・Odescarchi は撮っていませんが、
       修復されてクリーム色に塗られた瀟洒な建物だった記憶が。



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      ◆ヴィッソ  32・33

       ヴィッソの町の門は全部で4つ、
       これはポルタ・サンタンジェロ・Porta S.Angelo だと。
       町のパンフレットには、この門にグレゴリオ13世の紋章があるといい、
       必死にサイトで確かめましたら、どうやら門の内側にあるらしい、と。
       やれやれ。 

              
   
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      ◆ヴィッソ  34・35・36 

       この門はポンテラート門・Porta Pontelato.
       前年は修復の真っ最中でごった返しの通行禁止でしたが、
       翌年にはこの美しい姿。
       飽くまでも、元の姿を保つ姿勢がやはり凄いなぁと。

       こちらはネーラ川で、川沿いも整備され、少し上流には
       小さな公園もあり、近くの家の軒下にはたくさんのツバメの巣。



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      ◆ヴィッソ  32・33

       ネーラ川沿いの緑濃い中を散歩しつつ、
       町を振りかえり。

       これは春に行った時の写真で、緑が芽吹き花が咲き、
       麗らかな、まさにイタリアの一番美しい村々の名に相応しい
       素敵な歴史ある小さな町なのでした。

       この周辺の地図をもう一度ご覧頂き、
       既にご紹介済みの土地の記事にリンクを。
       大変美しいウンブリアの小さな町・村なので、
       交通は不便でも、是非お出かけ頂きたいと思います

       アッシジ・Assisi は、カテゴリ欄の項目からどうぞ。

       スぺッロ・Spello
       http://italiashio.exblog.jp/5264129

       モンテファルコ・Montefalco は町周辺の道だけご紹介・・!
       http://italiashio.exblog.jp/5179406

       スポレート・Spoleto も行ったまま更新なし! 秋に再訪を。
       http://italiashio.exblog.jp/4810687

       ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Nera
       http://italiashio.exblog.jp/5572534

       プレーチ・Preci 再訪したまま記事更新なし! 秋に再々訪を。
       http://italiashio.exblog.jp/5661411

       ノルチャ・カステルッチョ・Norcia ・Castelluccio
       http://italiashio.exblog.jp/5405447

       カステルッチョの花畑は
       http://italiashio.exblog.jp/8554377

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      ◆おまけ

       先月末にお邪魔した友人宅のサクランボ!!
       こちらでよく見かける濃い色とは違い、少し小粒ながら
       日本のサクランボと同じ味で美味しかった。

   
     ◆*◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       陽射しが漸くに煌めいてきて、あれこれ地図を眺め
       ガイドブックを読み、サイトでも確認の今日この頃です。

       秋には日本からの友人と少し長めの旅行を楽しみ、
       トスカーナの端っこで彼女と別れた後は家に戻りつつ
       ウンブリアの町、思い残しの村を少し辿ろうか・・、
       というアイディアが来ました!
       
       この手にはまるで抵抗出来ず
       お財布と相談するのみで・・、
       
       来週から始まるサッカーのワールドカップ、
       10月からヴェネトもTVがディジタル放送になるけど、
       替えようと思っていたTVも、デコーダーのみ買おうか・・、
       は~い、どうやらこの案がすんなり通過しそうです。


       と、皆さんにお願いがあります
       ご覧の様にこのブログは、行って来ました、という
       旅行記のみでなく、見て下さる方にガイドブック同様
       その町のイメージが掴める様にと、写真も情報も多く
       アップしようと頑張っていますが、
       自分の姿はなかなか自分では気がつかないもの。
       
       こういう情報が欲しい、この場所は、と思いつかれる事は
       ご遠慮なくコメントに書いて下さると嬉しいです!

       毎月たくさんの方に見て頂き、本当に感謝です
       これからもどうぞよろしくお願いいたします!

       ではまた次回に、
       お元気でどうぞ!

       
           

by italiashiho2 | 2010-06-04 00:14 | ・マルケ Marche | Comments(23)