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カテゴリ:・フィレンツェ Firenze( 22 )


2015年 09月 14日

   ・・・ フィレンツェの眺め ・ クーポラの上から ・・・

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       今回はフィレンツェは花の大聖堂の最後
       クーポラの上からの街の眺めをお楽しみ下さいね。
       写真が多くなりましたが、ごゆっくりどうぞ!

       朝早めに上った時は、上の様に肌寒い曇り日で、
       すぐ北に見えるサン・ロレンツォ聖堂のクーポラもこんな眺めで、




       東南にあるサンタ・クローチェ聖堂もこんな感じ。 
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       ジョットの鐘楼のてっぺん部ですが、
       はるか西の方の街は明るく陽が射しているでしょう?
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       クーポラの頂上は、こんな感じになっていて
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       飛び出し部と
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       ランテルナ・灯台中央部。 聖堂内への明り取り兼王冠部分でも
       あるわけですが、明り取りの部分が高さ8mだそう。
       そしてこの部分に下からも見えるステンド・グラスがあり、 
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       こんな風に外から見えます。
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       このランテルナ部分の内側に、ちょっと仕掛けがあるのを      
       今回知りましたので、後ほど。

       フィレンツェのご案内全般は
       http://italiashio.exblog.jp/i27



       上がった時は曇っていたのが、上に暫くいる内に
       太陽が顔を出し!
       
       そう、そうなるとまるで街の見えようが違うのです。
       最初のメディチ家礼拝堂の丸屋根もこんなにくっきりと
       手前側にサン・ロレンツォ聖堂の正面そして回廊部も見えます。
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       東側、太陽光線で街が、家々が起き上がったみたいでしょう?!
       右側真っ直ぐ通る道がヴィア・デイ・セルヴィ・Via dei Servi
       左に延びるのがヴィア・リカソーリ・Via Ricasoliで、
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       ヴィア・リカソーリの奥に見えるのが、サン・マルコ教会
       美しく静謐なフラ・アンジェリコの壁画がありますが、
       15世紀のフィレンツェの街に一大宗教改革を起こし、最後は
       シニョリーア広場で火刑にされたサヴォナローラがいた教会でもあり・・。
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       この通りの斜め向かい辺りに、ミケランジェロの作品で有名な
       アッカデミア美術館があったはず。




       ドゥオーモのすぐ足元。 大きな建物も見えますが、
       小さな家々の並びが陽の射しこみで、なんともくっきりと面白く、
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       街を取り囲む北側の山々、雲が湧き、流れます
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       聖堂の正面側と鐘楼。 
       修復中で覆われた洗礼堂の天辺だけが飛び出して見えます。
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       鐘楼にも今しっかり陽が当り
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       鐘楼の足元
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       そして、南側の家並み
       なんとまぁ、思い思いに自由な出っ張りのある屋根、屋根で、
       中世の名残の小さな塔の家がたくさん見えるのも楽しい!
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       ルネッサンスの都に、中世を探して その1と2




       そんな屋根の上で、お仕事中
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       南西に見える共和国広場・Piazza della Repubblica.
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       街に落ちるクーポラの影
       白いクレーンが見えますが、鐘楼の壁の修理でした。
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       西に見える大きなサンタ・マリーア・ノベッラ聖堂・S.M.Novella
       と、右にちょっぴり見えるフィレンツェの中央駅
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       南の、ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchioと塔、そしてロッジャ
       狭い奥にウフィッツィ美術館もちょっぴり見え、
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       ヴェッキオ宮のご案内




       南の奥に大きく広がるピッティ宮・Palazzo Pitti.
       背後に大きな公園もあるのですが、まだ見た事なしで、
       そして写真左下に見える通りが、ヴェッキオ橋の上。
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       ほらね、橋の中央の開いた所に陽が射し込んでいます。
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       橋の真ん中辺りから、確かにクーポラの頂上部が見えるのを
       確かめていますから間違いありません。
       手前の大きな高い建物は、オルサンミケーレ教会・Orsanmichele.

       オルサンミケーレ教会、というには教会らしからぬ建物ですが、
       周囲には著名な彫像類、内部にも素晴らしい祭壇がありますので、
       またご案内いたしますね。

       ヴェッキオ橋のご案内



       そんなこんなで1時間半ほども上で粘って楽しみ
       クーポラを下ります。

       道中略で、はい、クーポラ内側の壁画が見える位置に。
       全体が見える写真はウィキぺーディアから拝借したもので、
       この壁画に取り掛かったのは、クーポラが閉じられランテルナも出来、
       頂上の球と十字架も据えられた1461年から100年以上経った1572年
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       当初は偉大なクーポラには素晴らしい内部装飾を、という事で
       モザイク画が検討されたのだそう。
       ですがクーポラ自体の重みが25000トンもあり!
       モザイク画となるとそれに大変な重さが加わる事、
       経費も莫大になる事、そして既にモザイク画装飾が主流を過ぎていた事
       などなどで、フレスコ画装飾となり、
   
       ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511-1574)に仕事が
       依頼され開始されたものの、その2年後にヴァザーリは亡くなり、
       後継はフェデリコ・ズッカリ・Federico Zuccari(1539-1609)に。
       
       ズッカリは殆ど助手も使わず5年ほどの短い期間で、
       世界で最大の面積の一つとなるクーポラ内部、マニエリズモ絵画の
       代表作の一つでもある作品を1579年に仕上げます。

       ウィキのイタリア版説明にズッカリはテンペラで仕上げたとあり、
       これがちょっと気になりますので、アンテナを立て調べて見るつもりです。

       ズッカリの長兄のタッデオ・Taddeoも歴史に名の残る画家で、
       彼が手がけた一連のフレスコ画は、カプラローラのファルネーゼ邸にも




       この壁画のテーマは「最後の審判」で、
       正面に審判を行うキリストがいて、絵の中で彼の周囲を取り巻く
       人々は、良き行いにより永遠の生を授けられた人々で、
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       その下一周部には、地獄に落とされ苦しむ人々の姿が描かれ
       そう、通廊を歩く我らのすぐ頭の上に、めちゃめちゃ悪魔達に
       やられる人々の姿、それも巨大に描かれた苦しむ人々の姿!! 
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       所々に見える穴は、壁画を描く為の足場の梁を通す穴で、
       後々の修理の為にもそのままにされている物で、
       両方から小鬼やら天使が支える姿を描きこんでいて、
       どこかユーモラスというか、芸が細かいというか、ははは。



       こんな三つ頭の怪物も、骸骨もすぐ傍に!
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       ちょうど悪魔の股間にいるような構図も一枚あったのですが、
       良質美的を目的とする我がブログには相応しくないので、ひひひ、
       泣く泣く省略を。
   
       透明プラスティックの板が通路を囲んでいて、
       先回肩位の高さと書きましたが、こうして再度写真を見ながら考えると、
       どうも軽く頭を越す高さまでだったっけ、と思い出しました。
       そうですよね、真下の内陣部分に上からひょっこり覗いたりするのが
       いては、失敬ですよね。




       こちらが上のランテルナ部分を見上げた所
       上で見た、羊と十字架の付いた杖、洗礼者ヨハネのシンボル、が
       左に見えます。
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       所でランテルナの内側に、こんな青銅の穴の開いたのが付いていて
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       この説明図のように、穴を通った光が内陣の定められた位置に
       届くのだそう!
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       6月の6,13,21,25日の12時半から13時半
       内陣部分左にあるクローチェ礼拝堂内
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       この小穴の名はニョモーネ・gnomone・日時計の指示針と
       いうのだそうで、90mの高さから届く世界で一番大きな物で、
       フィレンツェ人の数学者トスカネッリ・Toscanelli氏が
       1475年に付けた物なんだそう。

       当日は無料で、カノーニチの扉・Porta dei Canonici から
       入場できるそうですが、予約した方が良いそうです。
       Telは055-2302885、ご興味のある方どうぞ!




       ロジェッタ・通廊部分にある丸窓のステンドグラス
       キリスト誕生と、十字架降下。
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       さてまた下りますと、クーポラの建設に使ったという工具類
       当時の物のままと、その後の修復に当って再現した、
       という道具類が展示されていましたが、大変暗い場所でして・・。
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       という事で降りて参りました聖堂内部
       片道463段の往復分を頑張ったわけです!
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       上り口は北側でしたが、降りて来て出るのは聖堂参観の
       人々と同じ南側の出口で、

       考えて見ますと、上り下りの道で逆行きの人には
       出会っておりませんので、内と外の壁の中の道は少なくとも
       2方向から続いている訳ですね。
       ちょうどオルヴィエートのサン・パトリーツィオの井戸の様に、
       上り下りが別々の螺旋状の道みたいなものかな、と考えつつ、

       ブルネレッスキは凄かったんだねぇ!と改めて感嘆、
       偉大な物を残してくれたルネッサンス人に感謝!!




       最後は、出口から近いバールに座り、ご苦労様のジェラートを!
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       こちらにお尻を向けて彼女を撮っているカップル、
       どうやら中国人らしく、可笑しく厚かましい事をあれこれ
       見せてくれ、暫し楽しませて頂きましたっけ、ははは。
       

       3度にわたる「フィレンツェの花の大聖堂」にお付き合い頂き
       有難うございました!!
       楽しんでいただけましたように!

       


     ◆ お知らせ ◆

       10月10日から18日の、諏訪のギャッリー橋田さんでの
       個展が迫りました。

       DMが出来上がりましたら、またご案内させて頂きますが、
       ご住所をお知らせいただけると、画廊にお知らせし、
       直接ご案内状をお送りできると思います。

       新しくご希望の方は、ご住所とお名前を
       コメント欄の「管理者にのみ閲覧」にチェックを入れ
       お知らせ下さいませ。

       頂いたご住所、お名前は他には出しませんので、
       宜しくお願いいたします。 



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       水彩ブログには、 描き始めの、ソラーノの古い民家 を
       アップしています。
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by italiashiho2 | 2015-09-14 00:54 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(2)
2015年 09月 09日

・・・ クーポラ登頂と、建設のあれこれ ・フィレンツェのドゥオーモ ・・・

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       さていよいよ、フィレンツェは花のサンタ・マリーア聖堂の
       大クーポラ・丸屋根の上に上ります!

       そしてかねてから知りたかった建設法について
       shinkaiの頭の程度でも分るように書いてあるサイトをあれこれ探し、
       私めが読んで分る程度、はぁ、これがなかなかで、ははは、
       漸く私なりに納得できた泥縄の知識を皆さんにも!

       あのクーポラは内と外と2重の構造になっている、と言うのは
       よく言われるので知ってますけど、
       では内と外とを別々に造ったのか?なんて考えられた事ありません?
       ああた、正直に仰いませ、shinkai同様そう考えた事もあったと。ははは。
       なので、実際にどう造ったのかを具体的に、知りたかったのでした。

       調べながら探しながら面白い事も分りましたので、
       そんなあれこれも含めての登頂記、どうぞごゆっくり!

       上は上空からの写真で、そうなんですよね、
       フィレンツェの街中のこんな狭い空間に
       偉大な美しい聖堂があり、赤いクーポラが街を睥睨!

       例によりブログ名のない写真は、サイトからの拝借です。

       フィレンツェのご案内全般は
       http://italiashio.exblog.jp/i27



       前日午後には長打の列だったクーポラ上り口ですが、
       朝8時半開いたすぐ後でしたので、すんなりと入場。
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       この上りの入り口は、聖堂の北側からだった事をご記憶に。
       で、こんな階段が続き
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       厚い壁の高い場所に小さな窓
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       そしてまた上り、今聖堂の庇が見える位置
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       内側の壁にこんな窓が開いている場所もあり、
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       ひょっと開けたかなりの空間、美術品の修復場所でもある様子
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       街がこんな風に見える高さまで来て
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       クーポラ内側の、フレスコ画の一番下の高さ
       この位置にクーポラ内を一巡できる通路があるのですが、
       上りの行程では全部回れないようになっています。
       で、写真の下に見える黒い線の位置まで、透明のプラスティック板があり、
       高さはほぼ肩位までで、下からは見えないようになっています。
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       このフレスコ画をほぼ同等の高さで見た様子は、
       また戻りの行程の時にご覧頂きますね。




       爪先立って覗く、聖堂内陣部
       右の流れが聖堂身廊部で、
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       これが正面扉方向
       正面のウッチェッロ作の時計も見えますが、
       こうして見ると、高さの関係で余り広く感じませんね。
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       当時にあって世界最大の丸屋根、現在も壁造りのクーポラとしては
       世界最大、の建設の流れですが、
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       1419 クーポラ建設のアイディア募集のコンクールが行われ、
          ブルネレッスキ・Brunelleschiが、型枠なしで造る事を提案。

       1420 正式なコンクール勝者の発表はなかったものの、
          ギベルティ・先回見て頂いた洗礼堂の扉の作者と、
          ブルネッレスキの2人が大頭・大師匠として任命され、
          8月7日から建設に取り掛かります。

       1425 建設に関しては不慣れなギベルティが失策をし、
          左官屋の反乱もあり、ギベルティは追放され、
          ブルネッレスキ一人の手に、仕事がゆだねられます。
 
          洗礼堂の扉のコンクールでも最後まで残ったブルネッレスキで、
          この2人は大変なライヴァルであった様で、
          ブルネッレスキはわざと不慣れな仕事をギベルティにさせた、とも!

       1436 クーポラの屋根部分が完成。
       1446 頂上の灯台部分の仕事が始まり、
       1461 一番上の円球と十字架が置かれ、建設完了。      




       クーポラの建設は、聖堂の建設が始まった当初から
       関係者の間で様々な検討がされた難問だったと言いますが、

       こちらは聖堂の大きさを比較する図
       の古くからあったサンタ・レパラータ・Santa Reparata教会を取り壊し、
       オレンジが、最初に建設を請け負ったアルノルフォ・ディ・カンビオ・
       Arnolfo di Cambioの考えた聖堂の大きさ、
       薄いオレンジ色が最終案、現在のドゥオーモ、クーポラのかかる大きさ!
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       なぜどんどんこんな大きさになったのか?!
       当時ヨーロッパ第一の財力を握るまでに成長したフィレンツェの街は、
       何が何でも大きな素晴らしい聖堂を造る力を持っているのを示したかったと!

       それにしてもちょっと笑えません?
       負けん気を起こしてどんどん大きなのを造り始めたのは良いものの、
       途中で、あ、クーポラはどうする?!と気づいて
       皆が深刻に相談を始めた、と言うのは、ははは。




       で、ここに登場したのが我らがフィリッポ・ブルネレッスキ
       Filippo Brunelleschi(1377-1446)
       公証人の息子として生まれたものの、金細工師、彫刻家となり、
       ギベルティと争った洗礼堂の扉の後、ローマに行き古代建築物を勉強、
       建築家となった人物。
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       ユーモアにも富む人物だった様子ですが、かなりのつむじ曲がりと言うか、
       性格の悪さでも知られた人だった様子、はは。




       ドゥオーモは1294-1295年から工事を初め、
       クーポラの基礎となるタンブーロ・ドラム部分の工事は
       1314-15年には既に完了していたと見られます。
       ただし、当時このドラム部の下に見える窓のある層の、
       窓は無かったそう。
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       ご想像を!
       こんなぽっかり天井の開いた聖堂があり、
       クーポラの建設はこんな所から始まったのを!!
       
       八角形のドラム部、内部直径は45m、外径が54m。
       従来の建設方法でドーム・丸屋根をかけるには、
       内側に木材で仮の支えのアーチ型を造っての方法だったので、
       それだとこの聖堂の大きさでは、到底重量を支えきれず無理なのですね。

       写真の下に見える図は、17世紀後半に再現された
       ブルネレッスキがドゥオーモ工事のために発明した
       内部で使用した足場。




       これは現在のクーポラ見学の行程でもあり、図の矢印のように
       時計回りに工事も進んだものと
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       上の図と同じ物ですが、
       ご説明のために番号を打ちましたので、それでご覧下さいね。
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       1.Calotta・半球、屋根のドーム
         内側はある部分では約2mの厚さ、これは他の部分も殆ど同じで、
         外側はもっと薄く、基礎部分は1,3m、頂点部は90cm。

       聖堂のクーポラは2重構造になっている、という図で、
       内と外の厚さの比、そして内側が外を支える関係になっている、
       というのも、この仕切りの壁の様子で良く分ると思います。

       縦と横の仕切り壁の数の関係も、右側でお分かりかと。
       
       
       2.Scalo・寄航地、引き上げ斜面
         建設中の工事労働者達の仕事や補填をしやすくする為に、
         2つの壁の間を石段が通っている。 
         窓から明かりを取った3段階の歩道で、
         最後の段階は直接に急傾斜を内側から外に出るようになっている。

       はい、これが現在クーポラ見物の我々も通っている道で、
       壁と壁の隙間、幅は約1,2m。

       3.Mattoni・煉瓦
         ブルネレッスキはレンガを「ヘリンボーン・杉綾織」に
         並べる方法を上部に、下部には技術ミックスを使った。
         そしてヘリンボーン式の場合、クーポラの傾斜に合わせ
         軽く内側に傾けるように、そして別のレンガとの間が少し開くように
         角を回して置き、隙間をモルタルで埋めた。
         これは衝動や振動を和らげ、ずれを防ぐ為の工夫である。
       
       4.Costoloni esterni・外側のリブ、白い肋骨
         クーポラ基礎のドラムの角部分から延びる付け柱。

       5.Embrici・瓦
         クーポラの外を覆う瓦。

       6.Buche pontaie・組足場用の穴
         足場を組む為の梁を通した穴。 
         何世紀にも渡って残されているのは、修復用の足場に使うので。       
       
       7.Lanterna・灯台
         クーポラの頂上にある冠、小礼拝堂を模した大理石製で、
         美的な意味づけの他に、2つの層の壁が合い閉じられた場所。              
       
       8. Volta interno・ヴォールト内部
         ジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ズッカーリによって、
         フレスコ画が描かれた。

       9.Loggetta・外のバルコニー、通廊
         多分ブルネレッスキによって既に予見されていたと見られ、
         1512年にバッチョ・ダンジェロ・Baccio d'Angeloにより
         建設され始めた物の、ミケランジェロの「コオロギの巣みたいだ」
         という酷評により取りやめになった。

        クーポラの南東側に一部分のみ残っている、あれです。

       10.Tribune morte・(使われない)観覧席
         クーポラからの重量を外側に逃す為の張り出しの扶壁。

       11.Oculi・丸窓




       以上なのですが、部分的に補充する事にし、
       ははは、shinkaiは一度読んだだけでは分らず、あれこれその説明を
       納得行くまで求めましたので、皆さんにも復習を兼ねまして、

       左上が内の壁と(実際は内側がもっと厚いのですが)外の壁
       そして間の支え壁の様子
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       壁の厚みですが、これには内部が2,1m~1,5m
       外側が75cm~38cm。
       この数字は上での数字とは少し違いますが、大体これ位だとご了承を。
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       で、問題は右の図で説明している事なのですが、
       数学に弱いshinkaiには数字を使ってのご説明が出来ませんで、ご容赦、
       
       つまりクーポラの上部に進むにつれ、壁の厚みすべてが
       内部へ傾斜し、その断面が切り立っていく訳で、

       これが最大の建築問題点だった様子で、如何にそれを解決したか、
       これについては、クーポラ内の中心点に立てた軸棒を基点に、
       「コルダ・ブランダ・緩やかなロープ」というのを使って
       断面の傾斜を決めていった様子です。

       これの説明(イタリア語!)とヴィデオがありますので
       それで様子を推察して下さいませませ。
       教授が手にされている傾斜棒、これがコルダ・ブランダの働きです。



       こちらがクーポラの壁の傾斜度数!
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       上にも足場の復元図の小さなのが出ましたが、
       
       これもブルネレッスキが発明したといわれる起重機
       下には馬が1頭ですが、私が見たヴィデオでは牛が2頭回り歩き、
       単に荷を吊り上げるだけでなく、(確か)歯車の向きを変えることで
       荷を下ろす事もできたのだと。
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       所でドゥオーモの5分の一サイズのミニが造られ、見る事が
       できるそう。 場所はフィレンツェのアルノ河を渡って東に、
       アンコネッラ公園・Parco dell’Anconella内。
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       クーポラの傾斜部分に使ったといわれるヘリンボーン式の
       レンガの並べ具合も見えますが、
       前におられるのが設計家のマッシモ・リッチ氏・Massimo Ricci。
       近年のドゥオーモの研究者で、彼の指導を受けて実際に作ったのは、
       フィレンツェの建築高校の学生達だそう。

       5分の一サイズで、煉瓦も同じにし、当時の手法を使い造ったそうで、
       向こう半分は口を開け、中からの様子も見れるようになっていると。




       こちらはクーポラの壁建設の進み具合
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       煉瓦の繋ぎのモルタルの乾き具合を見ながらのゆっくりの仕事。
       工事人は一列を1週間かかって並べたそうで、
       カタツムリの歩みのようにゆっくりと、30cmの高さに1ヶ月かかったと。

       上記したコルダ・ブランダ、ドラム部の円の中央の基礎点に
       結び付けられたロープを使い、
       各煉瓦をどこに置くべきかを指示したそう。

       そうそう、ブルネッレスキは働き手を88のグループに分け、
       一つのチームに何人かは分りませんが、少なくとも88人は居た計算で、
       各人がそれぞれの箇所を請け負っていたと。
       
       これで賃金などが分るともっと興味深いのでしょうが、
       それには本を買って読まないといけませんですね。

       ナショナル・ジェオグラフィックのヴィデオもどうぞ。




       所で使用した煉瓦について読んでいて、インプルネータのコット
       cotto dell'Imprunetaという言葉に出会いました。

       コットというのはテラコッタの事で、インプルネータはフィレンツェの
       南に位置する町の名、古くからテラコッタの生産で知られた町で、
       ブルネレッスキは厳しい冬の寒さにも強いここの煉瓦を
       クーポラの建設資材に選んだのですね。

       あの大きなクーポラの重量を支えるにも、大理石に比しての
       焼き煉瓦の軽さが必要だったのですが、
       粘土に含まれる鉄酸化物があの赤さを生み出すのだそうで、
       クーポラの外側に張られた瓦の色がまさにそれですね。

       修復に即使える様に、瓦は当時の色を保つ為に
       ずっとそのまま日に晒されつつ、現在も保存されているそう!

       ブルネレッスキの建設煉瓦への要求は厳しく、
       形がきちんとしている事、良く焼いている事だったと。


       で、このインプルネータの窯元で働く人々の間から生まれた
       有名な土地の料理が「ペポーゾ・デル・インプルネータ
       Peposo dell’Impruneta」これです。
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       この写真にはトウモロコシの粉で作るポレンタが添えられていますが、
       フィレンツェでもポレンタを食べるのかな?

       テラコッタの窯元で働く人たちが、窯の隅にテラコッタの鍋を吊るし、
       材料の牛の筋肉とワインを入れそのままほって置くと、
       5時間後には美味しく柔らかく煮込まれた筋肉が食べられるという、

       ブルネレッスキはこの料理を建設現場にも持ち込み
       工事人たちが昼時にいちいち下に下りずに済む様に、
       食事場所を建設現場の上に作り、勿論トイレもね、
       飲んでも酔っ払わないように、水で薄めた赤ワインを添えたと! ははは。

       ペポーゾの簡単リチェッタは
       ・1kgのキアニーナ牛の筋肉
       ・1Lのキアンティ・ワイン
       ・20粒の黒胡椒  胃の弱い方は少し控えめに。
       ・5片のニンニク、薄皮のまま
       ・サルビアとローズマリーノ、塩
       ・トスカーナのパン

       筋肉は小さ過ぎない角切り、他の材料も鍋に入れ
       ワインを注ぎ、火は弱火、筋肉が余り柔らかくなり過ぎない程度に
       煮込みます。
       最後にパンを切りトーストし、ペポーゾの上に乗せ、即サーヴィスを。

       ミラノのトスカーナ料理店でも食べれるそうで、サイトは
       www.tavernetta.it




       さてでは、再度登攀にかかりましょう!
 
       天井部が少し傾いていますが、狭いながらまだ普通の階段で、
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       わぁ、サンタ・クローチェ教会が見える! 
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       徐々に暗く、急坂となり
       目に故障がある私めは暗いと鳥目で、足元を確かめつつ、
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       ほら、この高さに大きな窓があり
       真ん中がバディア・フィオレンティーノ修道院の塔、
       左がバルジェッロ宮の塔。
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       いよいよ急坂! でもまだ撮ってる、ははは。
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       この時点で初めて煉瓦の壁に出会い、通路が角ばり、
       煉瓦が斜めに走っているのに驚いたのだと。
       ほら、ヘリンボーン式に縦に挟まる煉瓦も見えますね。
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       左手からの壁の傾き、中の通路も右に曲がりつつ上り、
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       左手前、中側の壁の煉瓦の並びの傾斜具合!
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       本当は壁ももっと傾いていたのかも。




       暗くて見えにくいですが、穴倉を通り抜けて行く様な
       頭の上からのも、石段の横も傾いていて、
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       これは過ぎてきた方を振り返っていますが、外の壁、中の壁共に、
       傾斜している煉瓦の並びをご覧下さい!
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       最後の天上部に上る部分!
       女性の皆さん、ミニははいて行かないで下さいね!!
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       463段の石段の末漸く辿り着いた天井の穴、
       小さい灯台部への出口、これは聖堂の正面側にあったと。
       入り口の石のすり減り具合!!
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       クーポラが建設されたドラム部分の高さは、地表から55m、
       クーポラの高さは34m。
       聖堂全体の高さは、ランテルナの上の十字架の高さまで入れ、
       116,5m!!

       クーポラが出来て後、再度ランテルナのコンクールが行われ、
       当然ブルネッレスキの案が選ばれますが、彼は最後の仕上がりを見ず
       1446年に世を去り、
       ランテルナが建設され、1461年、上の金色の球、十字架も据えられて、
       全部の完成を見たのは1468年の事。
       
       



       ばんざ~い! フィレンツェの街だよぉ!
       ドゥオーモのクーポラに上ったぞぉ!! 
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       街に落ちるクーポラの影!
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       クーポラの建設については私の長い宿題でしたので、
       今何とか書き終えて、ホッとしています。
       上手くご説明できています様に!




     ◆ お知らせ ◆

       10月10日から18日の、諏訪のギャラリー橋田さんでの
       個展が迫りました。

       DMが出来上がりましたら、またご案内させて頂きますが、
       ご住所をお知らせいただけると、画廊にお知らせし、
       直接ご案内状をお送りできると思います

       新しくご希望の方は、ご住所とお名前を
       コメント欄の「管理者にのみ閲覧」にチェックを入れ
       お知らせ下さいませ。

       頂いたご住所、お名前は他には出しませんので、
       宜しくお願いいたします。 



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       水彩ブログには、 ヴェネツィアのピンク2枚  描き初めと途中経過 を
       アップしています。
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by italiashiho2 | 2015-09-09 01:26 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(12)
2015年 09月 04日

   ・・・ フィレンツェのドゥオーモ ・ 朝の眺めと内部 ・・・

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       日中はまだ陽射しが強く暑いものの、朝夕はすっきりと涼しく、
       秋めいて参りました。
       と、少しは写真の整理に励まないとと思い出し、
       昨年9月の末に行った、ははは、フィレンツェを眺めています。が、

       なにせ撮る時は狩と同じで、下手な鉄砲数撃ちゃ当る式に
       撮っているので、いざ開くとその枚数だけにも恐れをなし、ははは、
       漸くにドゥオーモの朝の様子と内部を纏めました。

       宿がドゥオーモから2,3分の所にあり、
       時間はちょうど7時頃、街中も閑散とし、まだ観光客はおらず、
       ドゥオーモの足元もすっきりと見える様子をどうぞ!



       空がここでも既に秋の空っぽいでしょう?
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       サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂、正面
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       9年前に出かけた時の写真を眺めながら、自分なりにあれこれ
       頭の中に構成していた地理と、再会して見た時の聖堂周辺の広さが、
       随分違うのに我ながら驚きました。

       つまり、実際にこのドゥオーモのある周辺がとても狭いのに、
       聖堂が大きいので尚の事感じたのかも知れませんが、
       狭い地に、びっしりと詰まっている美の濃密さに驚いたのでした。

       聖堂の正面の詳細は



       聖堂前の階段上も、綺麗に水で洗われ掃除がすみ
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       向かい正面にある洗礼堂にぴったり付いて撮っても、
       これでいっぱい!
       まさにサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・
       花のサンタ・マリーア聖堂の名に相応しい美しさ!
       尼僧さん達が何度か通り過ぎて行き・・、
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       正面扉。 漸くに観光客2人登場
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       そして上部
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       向かい側にある洗礼堂は、昨年秋は修復ですっぽり覆われていて、
       これが大いに目算を外れたのでしたが、

       ちょうど8年前の9月末の朝に撮ったのがありますので、
       それをどうぞ。 北側斜め前から
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       正面。 そうですね、本当に壁が汚れていたのですね。
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       洗礼堂の東の門ですが、「天国への扉」とも呼ばれるのは、
       この扉に嵌めこまれた中央10枚+他の化粧版の美しさからで、
       1401年のコンクールで選ばれたロレンツォ・ギベルティ
       Lorenzo Ghibertiの作品によります。
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       今回撮ったものの内から、
       下から2段目の右、ジェリコの壁の陥落
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       左、十戒を受けるモゼ
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       扉の真ん中に並ぶ2人の頭部、左が作者のギベルティで、
       右が息子でもあり協力者でもあったヴィットーリオ・Vittorio.
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       ですが、ここにあるのはコピー作で、
       ギベルティが1424年から28年間精根傾けて作った本物は、
       ドゥオーモ博物館に。

       洗礼堂の北側の扉の化粧版も彼の作というのですが、
       チラッと見ただけで記憶に残らず、次回またのチャンスに。

       洗礼堂についてはこちらに




       少しずつ明るくなって来ていますが
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       聖堂の北側には、まだ暗さが
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       7時半前か右の扉が開き、警備員が現れ掲示板を出しますが、
       観光客の入場は向って左の扉なので、また閉まり、
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       ふと気づくと、鐘楼の角に朝日があたるのが見え
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       カルツァイウオーリ通り・Calzaiuoliの角の建物にも
       手前角は、ロッジャ・デル・ビガッロ・Loggia del Bigallo.
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       朝日を浴びる鐘楼
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       ジョットーの鐘楼については




       聖堂南側から見るクーポラと
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       朝日に輝く、頂上にある十字架
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       南側の壁、余りにも広く大きいので、
       どう撮っても傾斜がつき・・。
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       朝日を浴び浮かび立つ、なんとも美しい鐘楼!
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       この撮っている位置の後ろに救急病院があり、
       救急車の係りの女性も一緒に眺めていて、
       本当に美しいね!と言い合った事でした。
       



       ではちょっとサンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂に
       付いての基本を、モンダドーリのガイドブックから。
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       番号順に、
       1.中央入り口  常の観光客は左の扉から。
       2. ネオ・ゴシック式の大理石のファッチャータ・正面。
         ジョットーの鐘楼風模様ですが、装飾建築は1871~1887年に。
       3.鐘楼 ジョットーにより設計された85mの高さで、
         ドゥオーモより6m低い。
       4-1.ブルネレスキ設計建築の丸天井。
         当時に於いてかってなかった大クーポラを、伝統の木製足場なしで建設。
         頂上まで463段の階段で上る、別の一回り小さな内側のクーポラを
         造り、それが外側を支える仕組み。
       4-2.クーポラの頂上。  素晴らしい街の景観が見られる。
       5.様々なサイズの煉瓦
         曲面煉瓦とヘリンボーン(杉綾模様)を組み合わせた方法で、
         ブルネレスキはローマのパンテオンを見て発見した。
       6.内部の「最後の審判」のフレスコ画、ヴァザーリ作。
       7.大理石の床。 クーポラに上りながら16世紀制作の床の模様を
         見ると、迷路風になっているのが分ります。
       8.クーポラへの入り口、 となっていますが、
         現在入り口は反対側の北にあり、ここは出口。
       9.クーポラの真下の聖所、八角形。
       10.クリプタ・地下への入り口があり、ここには現在の聖堂以前の、
          4世紀に遡るサンタ・レパラータ教会の遺構が残ります。


       聖堂の起工式が行われたのは、1296年9月8日
       その時にサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーアと命名、
       なんとも素晴らしい名前ですねぇ!
       
       以前この場所にあったサンタ・レパラータ教会・S.Reparata
       の遺構は、現在地下の博物館として見学できますが、
       その何倍もの大きさ、しかも2度に渡る計画変更で拡大され、
       途中の中断も経ながら1380年に身廊が完成、
       1418年にはクーポラを残すのみにまでに進行します。

       で、この当時はこの大クーポラを如何に架けるかが
       問題だった訳ですが、ブルネレスキ・Filippo Brunelleschi
       が解決、1434年8月30日に頭頂部が閉じられます
       その後の頭頂部の上の明かり取り部分の完成は1461年、
       そして天頂の球、金色ブロンズ製が取り付けられたのは
       1468年、レオナルドの師ヴェロッキオ・Verrocchio に依ります。

       つまり170年程の年月が掛かった訳ですが
       まさに今も残るルネッサンスの素晴らしい聖堂、我々もお陰さまで!




       午後、ドゥオーモの内部に
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       以前は左の扉から入ると、中は自由に行き来出来たのですが、
       今回は、正面扉から奥にいわば3角形に入れない空間が作られ、
       その分、逆に聖堂内が広く感じられました。




       脇の床の模様
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       奥に進むにつれ、クーポラ内部の壁画が見えて来ます
       そう、ヴァザーリの「最後の審判」。
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       クーポラ真下の聖所、いわば内陣部分
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       脇の壁に見えたダンテ像、「神曲」を手に持ち、
       背景は「神曲」の図解とフィレンツェの街。
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       真下から見上げるクーポラ内部のフレスコ画
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       今回はクーポラの上まで上がりましたので、写真整理が出来次第、
       頂上からの街の眺め、近くからのこの壁画もご覧戴きますね。




       内陣付近から見る、天井部と入り口扉周辺、そして床
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       正面上のこの24時間時計がずっと好きだったのですが、
       今回これはパオロ・ウッチェッロ・Paolo Uccelloの作品と知って、
       嬉しくなりました、単純、ははは。
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       フレスコ画で出来ていて、4,7m四方で、1443年の作。
       記録された支払額は、1443年の2月22日に、時計周囲の頭部に
       10リレ、4月2日に時計全体の装飾に、これの金額が分りません。




       左の扉入り口付近にある、右の騎馬図もパオロ・ウッチェッロ作の、
       フィレンツェの為に働いた傭兵隊長ジョン・ホークウッド・John Hawkwood            
       の記念騎馬図、1436年の作、8,2x5,15m.
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       当時大売れっ子で忙しかったウッチェッロは、3ヶ月で仕上げたのだそう!
       最初はブロンズの騎馬像にするつもりだったのが予算不足となり、
       ウッチェッロに依頼し、ブロンズ像らしい効果を狙ったと読んだ記憶あり。

       で、現在見える周囲のグロテスク模様のエレガンテな額縁は、
       1524年に修復したロレンツォ・クレーディ・Lorenzo Crediがつけたものと。

       左は、アンドレア・デル・カスターニョ・Andrea del Castagno描く、
       ニッコロ・ダ・トレンティーノ・Niccolò da Tolentinoの記念騎馬図、
       1456年作。
       
       このニッコロ・ダ・トレンティーノという傭兵隊長は、
       ウッフィッツィ美術館にある有名なウッチェッロが描いている
       「サン・ロマーノの戦い」のフィレンツェ側の隊長だったそう。

       で、この「サン・ロマーノの戦い」について、大変興味深い話の
       TV番組を見ましたので、また纏めてみたいと思っていま~す。




       こちらもガイドブックの写真から、

       上はドゥオーモの裏側というか、クーポラのある東の外側の様子。
       3つの飛び出した後陣が、内部にはそれぞれ5つの礼拝堂を持ちますが、
       15世紀のステンドグラスは、ギベルティを初めとする他の作家の作と。
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       下の写真は、ドゥオーモ内部の床模様




       午後半ばの、ドゥオーモの北側
d0097427_01365129.jpg

       身廊から後陣部分がちょっと飛び出す手前に、



       この扉があり、ここが現在クーポラへの上り口
d0097427_01370872.jpg
       
       午後の半ばに行きましたら長蛇の列で、
       翌朝8時半過ぎに行き、すんなり入りました。 が、
       階段部分は何とかかんとかOKでしたが、へへへ、
       薄暗いのが、目に故障を持つ身にはきつかったです!




       入り口前の掲示板
       聖堂の図の赤点が現在位置で、切符売り場は洗礼堂の向かいに、  
       オープンは、月~金は8時半から午後6時20分
       土曜は8時半から午後5時、 日曜祭日は上れません。
d0097427_01372532.jpg



       最後は、聖堂前にいたライオンみたいなワンちゃん!
       一体何種だろ?! お母ちゃんが浮気したとか・・、ははは。
d0097427_01374430.jpg

       楽しんで頂けましたように!




     *****

       水彩ブログには、 冬の運河 途中経過と、最近のお気に入りCD を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    

 

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by italiashiho2 | 2015-09-04 02:10 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(6)
2011年 05月 19日

   ・・・ サン・ジョヴァンニ洗礼堂 ・ フィレンツェ ・・・

d0097427_6134530.jpg

       フィレンツェの国鉄駅サンタ・マリーア・ノヴェッラから
       斜めに中央に延びるパンツァーニ通り・via del Panzani を
       進むと、やがて見えてくる花のサンタ・マリーア大聖堂
       いつもちょっと戦慄が走る様な素晴らしい眺めですが、

       既にご覧頂いているジョットーの鐘楼
       そして先回ご案内の花の大聖堂、と2つ済むと、
       最後はやはり3点セットの一つ
       サン・ジョヴァンニ洗礼堂を取り上げませんと、ね。
       ご存知のように手前に見えるのが、
       今日ご覧頂こうと思う洗礼堂です。

       ジョットーの鐘楼 については、こちらをどうぞ。
       http://italiashio.exblog.jp/12472245


       こちらは4年前の早朝の写真で、足元も良く見え、
d0097427_614715.jpg

       右端に先回の聖堂ご案内トップの写真、上部が切れた原因の
       道を塞いでいた修復の覆いも、

       聖堂に向かいあう東の扉、天国の門として名高い扉も、
       広場の向こうに、ビガッロのロッジャも見えますね。

       ご覧の様に洗礼堂は、八角形をしたロマネスク様式
       起源は~5世紀に溯るそうですが、
       この建物は11世紀に建設された物だそう。

       ですから当時はまだ、現在の花の大聖堂はまだ存在せず、
       向かい合って小さなレパラータ教会があり、
       多分こちらの礼拝堂の方が立派、という理由で、
       礼拝もこちらが使われていたのだそう。

       後に大聖堂が造られると、
       こちらも改修され、洗礼堂として使われる事になり、
       かのダンテもここで洗礼を受けたのだそう。



       こちらが東の扉、天国の門とも呼ばれる扉
d0097427_6143163.jpg

       昼間はいつもこの様に大勢の観光客で、
       傍に寄るのもなかなか大変な程。

       上部の「キリストと洗礼者、天使」の像は、
       アンドレア・サンソヴィーノ・Andrea Sansovino 作で、
       扉と共に彫像の原作は、大聖堂の東にあるドゥオーモ博物館にあり、
       どちらもコピーなのだそう。


       と言う事で、扉全体の様子を、ガイドブックから、
       やはり細部が良く見えず、申し訳ないです。
d0097427_6145356.jpg

       1425~52年、なんと27年の歳月をかけて
       ロレンツォ・ギベルティ・Lorenzo Ghiberti によって
       制作された青銅金塗りの扉で、

       大きな10の場面の逸話は、旧約聖書のお話から取られ、
       左上から「アダムとイヴ」 その右「カインとアベル」
       等などと続き、最後の右下は「ソロモンとシバの女王」。

       「ルネッサンスの画家彫刻家建築家偉人伝」を現わした
       ヴァザーリ・Giorgio Vasari によると、
       ミケランジェロがその美しさを讃えて「天国の門だ」と言った
       という逸話が伝わっておりますが、それについては後ほど。


       これは扉の右脇から写したもので、上から4段目
       左が「モゼ」でこちらが「ヨシュア」の話だそうですが、
       ぽこっと上に男性2人の頭が突き出していますね。
       偶々の位置から興味を持って写したのですが、
d0097427_6151091.jpg
   
       向こう側の年配者が、この扉の制作者のギベルティの自彫像
       (この言葉は正しい?)で、
       こちらの若い方が、息子のヴィットリオ・Vittorio
       一番弟子であり、協力者だったのでしょう。       


       所で、ミケランジェロが「天国の扉・門」と言ったというお話ですが、
       彼の作風から考えて、ふっと疑問を持ったshinkai、
       改めてミケランジェロの生年月日と、
       ジョルジョ・ヴァザーリの名著の現わされた年を調べました。

       ミケランジェロ・ブオナロッティ・Michelangelo Buonarotti
       1475年生~1564年没 ですから、
       彼が生まれた時には、既にこの扉は出来上がっていた訳。
       12歳で当時一番の評判を取っていたギルランダイオ・
       Domenico Ghirlandaio の工房に弟子入り、
       最初の作品とされる「階段の聖母」は、1491年16歳、
       現在ヴァティカンにあるあの美しい「ピエタ像」は22歳!

       ヴァザーリの「偉人伝」は1550年著ですから、
       ミケランジェロ25歳。
       と言う訳で、初期の彼の美しい作品群から考え、
       まぁ、評判の良い大先輩の作品を、その様に褒めたかも、と。
       後年になっての彼なら、別と思いますが。
       
       細かい事に拘ると思われます?
       でもね、とりわけ年代、数字に弱い私は、その都度調べないと
       時に?と言う事が大いにありますし、
       昔教えて貰った事柄が、大いに違う面を持っている、と
       だんだん知恵がついて来ておりまして、・・ははは、遅い遅い!



       では、内部に
d0097427_6155177.jpg

       こちらはガイドブックからで、建物の西側、礼拝堂部分
       アーチの部分が、少し外側に張り出しており、
       右に見える墓所は、ドナテッロ等が制作の法皇ヨハネ23世の墓碑

       内部は直径が25.6mで、この広さは聖堂のクーポラの
       約半分の長さだそう。
       それにしても大きな洗礼堂なのですが、
       当時は年に2回と定められていた洗礼日に、
       大勢の洗礼者を受け入れるために必要だったと。

       この右に切れている北の扉から入り、
       この北の扉、そして現在出口になっている南の扉も
       其々由緒ある有名な物の様ですが、まるで記憶になく・・!
       床も一面のモザイク柄、ですって、あれま。
       それどころか、中央にあった筈の洗礼盤も覚えが無く・・、あ~あ。


       実際は写真よりももっと暗い内部の席に座り、
       見上げ見惚れるのは、天井部の13世紀黄金モザイク画
d0097427_6162385.jpg


       余りにも密な凄さに、どこから見たら良いのかいささか茫然、
       この大変難しいモザイクの仕事は高価にも付き、
       多分1270年頃に始まり、3~40年かかったろうと。

       頂上部は天使像が並び、
       その下に、聖書からの各場面

       そしてキリスト像があり、
d0097427_6173253.jpg


       最後の審判 の場面。
d0097427_6174675.jpg


       ご覧の様に図柄が大変密で出来が良く、
       ヴェネツィアからの職人や、下図制作にも名のある画家が
       関わっているだろうとの事。



       内部壁面には幾何学模様が描かれますが、
       大理石の部分と、フレスコ画で描かれた部分と。
d0097427_618835.jpg



       この窓は、向かい合った聖堂方面に開いている窓で、
       ここだけ天井部分と同じモザイク画の装飾。
d0097427_6213558.jpg
 

       
       窓の向こうに聖堂の正面壁が見えるのに気がつき、
d0097427_622195.jpg

       ピントを合わせますが、
       はい、鳩の進入除けに金網が在り、
       上は玉座の聖母子像の左隣の像で、

       こちらは右隣。
d0097427_6222124.jpg

       洗礼堂内には、たくさんの人が椅子に座ったまま動かず、
       聖母子像を上手く見れる位置には、届きませんでした!



       遠い天井部のモザイク画もカメラのレンズを通して見るうちに、
       あ、洗礼図が見える
       誰か牢に入れられている
d0097427_6223951.jpg



       あれ? あれはサロメが踊っている場面ではないか?
       上には、キリストの磔刑図も見える、
d0097427_6225177.jpg



       そうだ、やはり洗礼者ヨハネの首切り場面だ、
       上は、十字架降下と昇天場面だ、
       なんぞと見えて来て楽しみましたが・・、
d0097427_623758.jpg


       階層により、創世紀の話、ヨハネ、聖母とキリスト、
       洗礼者ヨハネの話が語られているそう。
       ・・次のチャンスには、もっと上手く撮れますように。



       夜景写真ですが、洗礼堂の後ろからというか、
       後陣部分の張り出した様子を。
d0097427_6233120.jpg



       張り出した角の上部には、こんな顔とライオン君
d0097427_6234730.jpg

d0097427_624376.jpg
       
       上は北側角で、下は南側角。
       13世紀初頭の改装部分ですから、中世風が楽しい。



       本日トップの写真と同じ角度から見る
       ほぼ満月ですが、
d0097427_6243071.jpg

       月を撮るには少し時間が遅く、周囲がぼやけましたので、


       本日の最後は、この夕暮れ迫る薔薇色で
d0097427_624474.jpg

       ああ、また行きたいなぁ!!


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       はへ、今日もいささか息切れ気味です。
       と言うのも、
       朝のプール体操の教師が若~い男性に変わり、
       肌が白くほっぺの赤い! まるで可愛い子なので
       おばさま連中には人気が出ていますが・・、

       これが結構きつい体操をやらせてくれるのですよ。
       良いよ、良いよ、OK! と言いつつ、
       次々に筋肉に良い体操をね、ははは。
       で、45分後に水から出ると、はへぇ、という次第。

       でも頑張らないとね。
       しっかり遊ぶ為にも、体力が必要!

       てな事で、
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by italiashiho2 | 2011-05-19 00:13 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(8)
2011年 05月 17日

   ・・・ 花のサンタ・マリーア大聖堂 ・ フィレンツェ (写真追加を) ・・・

d0097427_71643.jpg

       何回かジェノヴァのご案内をしているうちに、
       何となくもぞもぞと帰りたくなり・・、どこへ?! 
       ジェノヴァに対抗してヴェネツィアに? なんぞと考えつつ、
       まだ見て頂いていない写真をひっくり返しながら
       漸くに、気分にぴったり来たのが上の写真。
       
       お分かりですね、ご存知、泣く子も黙る
       ルネッサンスの花の都はフィレンツェの、
       サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂
       Cattedrale di S.M.del Fioreです。
       
       ジェノヴァの建物類の素晴らしさに見とれつつも
       どこか豪奢過ぎる、如何にも西洋風デコレーションに
       少しばかり馴染めなさを感じたのかも。

       と言う事で本日は、豪華絢爛なれども豪壮ではない、
       花のサンタ・マリーア大聖堂のファッチャータ(ファサード)を、
       はい、内部やクーポラはまたの機会にして、
       正面壁だけに絞り、ご覧下さいね。

       上の写真は4年前の秋にちょっと寄ったフィレンツェで、
       こちら手前に修復の為の覆いが(洗礼堂の修復?)
       掛かっていて切れたのですが、
       いつもと違った眺めになりました。



       こちらも4年前ですが、朝7時前の聖堂
d0097427_7162531.jpg

       いつもは建物の足元が見えない程の観光客ですが、
       ほらね、こんなにすっきり見える時もあるのです。



       ドゥオーモの正面壁の話題の前に、ちょっと寄り道を
       聖堂の正面に向き合って洗礼堂があり、
       その脇の広場には、観光客用の馬車が客待ちをしていますが、
d0097427_7164327.jpg



       広場の南側のこんな古い建物の下にあるのが、
       ロッジャ・デル・ビガッロ・Loggia del Bigallo.
d0097427_7165894.jpg



       少しアップを。
       ビガッロ博物館・Museo del Bigallo と読めますね。
d0097427_7171682.jpg

       アーチの彫りの素晴らしさ、扉の上の聖母子像、
       そして、フレスコ画もまだ鮮やか。


       馬が見えますが、1445~8にかけて描かれた
       「荒れ狂った馬の奇跡」と言うのだそう。
       成程なるほど、・・とはいえ、肝心の話がまるで・・!
d0097427_7173425.jpg



       東側からの写真を撮っていないのがボケというか、残念。
       と思っていましたら、1枚見つけましたので追加を! やれやれ。
d0097427_7184725.jpg
       


       初めてのイタリア旅行でフィレンツェを訪れた時に、
       この建物に大変魅かれ、写真を撮りつつ眺めたものでしたが、
       2年前の秋の再訪の後、興味深い事も分かりました。

       古い歴史はさて置き、ロッジャは1352年に今の場所に
       アルベルト・アルノルディ・Alberto Arnoldi の設計により建設、
       彫りの部分も彼が担当したのだそうで、

       元々がスペダーレ・Spedale、巡礼や旅人の宿、老人ホーム、
       孤児院、病院、貧者への食物と衣類の供給の働きをする為の
       施設の組織の運営でしたので、
       この新設のロッジャの1階には公開の祈祷所、
       そして上階は捨て子の収容所に当てられたのだそう。

       で15世紀当時、ロッジャに3日間、収容された捨て子が披露され、
       その間に家族が名乗り出ない場合は、養子に出されたと。


       期間の限られた旅行中はつい大きな見物に急ぎ、
       戻って後、あれも、これも忘れた、と気がつくのですが、
       またフィレンツェに行くチャンスがあったら、
       見たいもの、そして宿題は山ほど!!



       では本題に戻りまして
       花のサンタ・マリーア大聖堂の正面壁に。
d0097427_7191874.jpg

       
       正面壁につきましても、知らない事だらけでして、
       ルネッサンスの時代に聖堂が建設された時に、
       この正面も整えられたのだとばかり思い込んでおりました。
       所が何と、最終的にこの正面壁が出来ましたのは19世紀!

       聖堂の起工式が行われたのは、1296年9月8日。
       その時にサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーアと命名、
       なんとも素晴らしい名前ですねぇ!
       
       以前この場所にあったサンタ・レパラータ教会・S.Reparata
       の遺構は、現在地下の博物館として見学できますが、
       その何倍もの大きさ、しかも2度に渡る計画変更で拡大され、
       途中の中断も経ながら1380年に身廊が完成、
       1418年にはクーポラを残すのみにまでに進行します。

       で、この当時はこの大クーポラを如何に架けるかが
       問題だった訳ですが、ブルネレスキ・Filippo Brunelleschi
       が解決、1434年8月30日に頭頂部が閉じられます。
       その後の頭頂部の上の明かり取り部分の完成は1461年、
       そして天頂の球、金色ブロンズ製が取り付けられたのは
       1468年、レオナルドの師ヴェロッキオ・Verrocchio に依ります。

       つまり170年程の年月が掛かった訳ですが、建物はすべて完成、
       外側の大理石壁のデコレーションも、鐘楼も全て整いながら、
       正面壁だけ石と煉瓦壁のまま残された訳です。
       サイトからの証拠写真をどうぞ
d0097427_7193532.jpg


       勿論聖堂建設と同時に正面の壁も最初の設計者である
       アルノルフォ・ディ・カンビオ・Arnolfo di Cambio
       デザインで進められた訳ですが、
       堅固でないという報告があり、1587年にトスカーナ大公
       フランチェスコ1世の命により撤去され、  
       その後様々に討議されつつ、未完のまま19世紀まで!

       絵が描かれたり、何かの大きな祭時には飾りつけられたりしつつ、
       そのまま残っていたのが、遂に1864年のコンクールで
       エミーリオ・デ・ファブリス・Emilio De Fabris の案が採用、
       1876年から建設が始まり1887年に完成、という訳。

       白大理石を基に、緑とピンクの素晴らしいゴシック様式風装飾
       明るく晴れやかで、イタリアの青空に良く映えます

       と言う訳で、これより
       ごゆっくりじっくり細部を眺めて下さいませ、ませ。
       
       まずは、正面下部の銅製の巨大な扉
       これは1903年に作られたものと。
d0097427_7195864.jpg


       で、扉の前には、余りの見るべきものの多さに疲れた
       善男善女がいつもへたり込んでおりまして・・、
d0097427_720105.jpg



       扉の一番下にある手近な、浮彫の聖人聖女像は、
       ご覧の様に撫でられてピカピカに、という次第。
d0097427_7203197.jpg



       こちらは扉の左側の聖女
       全ての聖人聖女がどなたか、何をされた方か分かるには・・!
d0097427_720439.jpg



       正面扉の上の部分は、こうなっておりまして、
d0097427_7205876.jpg



       半円形のキリストと諸聖人の絵の上の、三角部分のアップ
d0097427_721135.jpg



       そしてその上、身廊上部、中央の高い部分
d0097427_7212739.jpg
  
     

       玉座の聖母子像の左右に並ぶのは、どなたでしょうか、
       確かめ得ませんでした、ご容赦を。
d0097427_7214397.jpg



       なんとも素晴らしく美しい薔薇窓!
d0097427_7215631.jpg

       アッシジの大聖堂の典雅な薔薇窓が大好きですが、
       こちらにはまるで違った華麗さで魅かれます。 


       そして最上部
       下に並ぶ左から、どうやらペトラルカ、ダンテ、
       その次はどなた? そしてレオナルドかな、
d0097427_7221227.jpg

       青空をバックに、本当に美しい!


       こちらは正面壁に3つ並ぶ扉の、左側の扉上部
       正面中央よりも小振りです。
d0097427_7223172.jpg



       南側側面壁の装飾
d0097427_7234390.jpg

       たくさん写した様な記憶があったのに、一枚だけ!
       到底かなわない思いで、尻尾を巻いて退散したのかも。       



       2年前の秋に行きました時、南側面は既に洗われて
       ご覧頂いた様に明るさを取り戻していましたが、
       北側の壁はご覧の様子。
d0097427_7242940.jpg

       それでも周囲から集まって来るどの道の奥にも
       こんな風に聳えて視界を塞ぎ、
       それがまたいかにもフィレンツェ、というイメージを与え・・。



       では夜景で、クーポラと南側面の壁と、
d0097427_7245465.jpg



       最後に、もう一度正面を
d0097427_725724.jpg


       そうですね、次回再訪する時には、
       またもう少し落ち着いて対面できることを期待して・・、

       お付き合い有難うございました!


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       今回はなかなか的が定まりませんで、
       文章に書き上げるのが遅くなりました。

       で、その続きで、今まだ頭がいっぱいですが、
       お見せしたい雪景色がありますので、
       晩御飯の後にでも、また追加アップいたしますね。

       追記です

       昨日日曜の朝からかなりの雨降りでしたが、
       午後半ばには少し小雨になり、予定通り、
       写真展示や舞台での仲間の発表を見に出かけ、
       写真を褒めて貰ったり、うふうふ、仲間のベリーダンスに
       大笑いしたりで、夕方戻って来ましたら、

       なんと、北の山が白くなっているのに気がつき!
       道脇に車を止め2枚ほど撮りました。
       ご覧下さい、5月15日に見る雪を!!
d0097427_7253372.jpg

       今朝からは良いお天気で、プールの戻りに見る山は
       少しとけていましたが、
       昨夕は曇って見えなかった奥の山の峰が、
       真っ白になって覗いておりました。

       ニュースでも、南は泳ぎ、北は積雪、と。
       この夏は少し雨が多く涼しい、との予報ですが、
       さて、どうなりますか。

       ではまた励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~す!

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by italiashiho2 | 2011-05-17 01:10 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(12)
2011年 02月 24日

   ・・・ フィレンツェの歴史的カフェのご案内 ・ その2 ・・・

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       先回に引き続き、フィレンツェ市お墨付きとでもいう
       市が少なくとも創業50年以上の店から選んだという、
       街の歴史を語る一部としての老舗店
       衣類・皮製品・装飾品部門、家庭用品・室内装飾部門、
       ホテル部門、本・文房具部門、レストラン・バール部門がある中から

       まずは歴史を誇るバールからご紹介しておりますが、
       今日はその2回目の5軒のご案内、
       店の説明と写真は全てサイトからです。

       サイトはこちら、英語の記載、ヴィデオもあります。
       http://esercizistorici.it

       上は、ミケランジェロ広場から眺める花の都。
      
d0097427_2356585.jpg

       地図をどうぞ
       今日のご案内は、地図の5~9です。

       5.ジッリ・Gilli
         Piazza d'Repubblica 36-39/r レプッブリカ広場
         tel 055-213896
d0097427_2357237.jpg

         サイトから拝借のレプッブリカ広場の様子です。
         西に大きなアーチがあり、広場の北と南の面に
         バールやレストランが並びます。
         右側(北)の手前側、切れているテント群が
         ジッリの筈。
d0097427_23573025.jpg
         
         1733年にスイスのジッリ一家がカルツァイウォーリ通り・
         Calzaiuoli・ドゥオーモ前からシニョリーア広場に続く目抜き通り、
         に、お菓子とパンの店・La Bottega Dei Pani Dolciを開業。
         1860年以降にスペツィアーリ通り・via degli Speziali・
         レプッブリカ広場から東に抜ける通り、の著名な歌手のいるカフェ、
         トリアノン・Trianon の前に引っ越ししますが、

         1890年に店はやはりスイス人のフリッツォーニ・Frizzoni の
         手に渡り、
         1920年代になり店は現在の場所に引っ越し、
         文学者達が当時の俳優たちと出会うカフェの一つとなったと。

         店の雰囲気と調度は、かってのフィレンツェのベル・エポック時代
         のままに保存された、街で唯一のカフェなのだそう。
         中でも特別なのは大カウンターで、有名な工房デイ・コッペデ・
         dei Coppedè で作られた、
         ネオクラシック調の青銅で装飾されたものとの事。
        

         このジッリはサイトがあります。
         http://www.gilli.it/

         そうですね、店特製の美味しいお菓子もあり、
         カプッチーノも街一番のクリーミーなものだと、サイトに。
         ふむふむ、次のチャンスにはね。
 



       6.パスティッチェリーア・バール・ルッジーニ
         Pasticceria Bar Ruggini
         via dei Neri 76/r デイ・ネーリ通り
         tel 055-214521
d0097427_2358479.jpg

         場所の検索をかけましたら、この広場、
         左手前にウッフィッツィ美術館の出口があり、
         正面右の高い建物がヴェッキオ宮東端ですが、
         そこの広場の角からから東に右折する通りが、
         デイ・ネーリ通りだそう。

         パスティッチェリーアというのはお菓子屋さんの事で、
         このルッジーニの店は奥にバールがあるようですね。
d0097427_23582774.jpg

         1914年にジュゼッペ・ルッジーニ・Giuseppe Ruggini氏が、
         街でも特異な通りの一つであるデイ・ネーリ通りで
         ビスコットとお菓子を作り始めたのが始まりで、
         じきに多くの客の通う場所となったそう。

         創業者の仕事とその知恵は父から息子に、そして
         3代目のルッジーニであるリッカルド氏・Riccardo にも伝えられ、
         店の顧客たちに、毎日作る新鮮で、自家製のチョコレートを
         かけた上品なお菓子を提供していると。

         1989年に店は拡張され、歴史的な建物にあり、
         煉瓦のアーチ型天井で覆われているそうで、
         
         60年代からの窯は未だ順調に、毎日その美味しい製品を
         焼き続けていると。


         イタリアのパスティッチェリーアはお持ち帰りだけでなく
         バールも一緒の店が多いので、
         美味しそうなお菓子をつまみながらお茶を、というのが
         出かけた先での楽しみです。

         ここは中心街に近いので、次回には是非。

         


       7.リヴォアール・Rivoire
         piazza della Signoria 5/r デッラ・シニョリーア広場
         tel 055-214412
d0097427_23585454.jpg

         ご存知、デッラ・シニョリーア広場東に聳えるヴェッキオ宮
         このカフェ・リヴォアールは広場の西側、
         ヴェッキオ宮に向かい合う位置にあります。
d0097427_23592425.jpg

         1872年にエンリーコ・リヴォアール氏・Enrico Rivoire、
         トリノ人で王室のチョコレート師が、
         この場所にチョコレート製造所を開き、

         フィレンツェ人たちはここに於いてチョコレートの味を知り、   
         王室サボイア家伝統として有名な「カップのチョコレート」
         つまりホット・ココアも味わう事を学び、
         こうしてこの場所は、素晴らしい位置を占めている事もあり、
         急速に有名になります。

         1977年に店はバルデッリ・Bardelli兄弟の手に渡りますが、
         チョコレート作りの独特の製法は、豆の焙煎から包装に至るまで、
         店独特のたくさんの商品のレシピ、カカオ豆の高い含有率など、
         全てそのまま引き継がれます。
         
         店の雰囲気は20世紀初頭の心地よいものですが、とはいえ、
         前に見えるヴェッキオ宮が夕陽に輝くのを眺めつつの、
         テラス席のココアに勝るものではない、とあります。ははは。

         
         そうなのですよね、ここのテラス席に座って、ぽーっと
         ヴェッキオ宮を、広場を行きかう人々を眺めるのんびりの時間、
         これはまさに、今フィレンツェに居る、という醍醐味。

         ヴェッキオ宮のご案内はこちらに。
         http://italiashio.exblog.jp/10363693



       8.ロビーリオ・Robiglio
         via dei Servi 112/r  デイ・セルヴィ通り
         tel 055-212784
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         デイ・セルヴィ通りというのは、ドゥオーモの左側内陣の
         膨らみの奥辺りから東に延びる通りで、
         捨児養育院前の広場に行きつきますが、その手前に店がある様子。
         写真は広場の北側、養育院に向かい合う建物です。
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         ピエモンテ人のピエトロ・ロビーリオ氏・Pietro Robiglio・
         カヴァリエーレ勲章佩勲者が、ミラノとヴェローナでパン作り
         お菓子作りを経験した後に、1928年フィレンツェに於いて
         彼の最初の店を開いた物で、僅かな間に上等な根強い顧客を獲得。
         
         息子のピエール・ルイージ氏・Pier Luigi は企業的センスを
         加えながらも、店の品の手作りの良さを保持、
         その息子のエドアルド氏・Edoardo も店の伝統を保っている。

         現在のロビーリオは一見モダンなパスティッチェリーアであるが、
         にも拘らず、かっての時代の味、Torta Campagnola・田舎風トルタ、
         Fruttodoro・黄金のフルーツ、Gallette al latte・良く分かりませんが、
         細長い粒の葡萄と牛乳を使ったお菓子かな?
         なども賞味できる、と。

         店の調度は、1966年のアルノ河の洪水で損傷した部分を
         再建したもので、他にもヴィア・トジンギ・via Tosinghiと
         ヴィアーレ・サン・ラヴァニーニ・viale S.Lavagnini に 
         店があるそうです。

        
         お菓子好きな方、ちょっと覗いてみたくなりません?




       9.ヴィーヴォり・ピエーロ・イル・ジェラート
         Vivoli Piero Il Gelato
         via Isola delle Stinche 7/r イーゾラ・デッレ・スティンケ通り
         tel 055-292334
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         行き届いた説明で定評のある当ブログ、と自分で、ははは、
         このジェラート店に行く分かりやすい道をご説明。

         写真はサンタ・クローチェ教会前の広場ですが、
         正面に建物群が3つ並ぶ、その一番右のトルタ通り・via Tortaを
         入り、交差した通りを右折して進み、次の交差点を過ぎた辺りの
         左側に位置する様で、
         この通りを先に進むと次のギベッリーナ通り・via Ghibellina との
         交差の右側にテアトロ・ヴェルディ・Teatro Verdi があります。
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         1929年にセラフィーノ・ヴィヴォリ氏・Serafino Vivoli が
         乳製品の店を開店し、じきにカフェや、日曜日には泡立てた生クリーム、
         この意味する所がちょっと不明です、を買える場所となったのだそう。

         そして1932年、兄弟のラファエッロ氏・Raffaeloと共に、
         思い切ってジェラートの製造を始める事を決意。
         氷は自然の氷、ヴァッロンブローザ・Vallombrozaの上、サルティーノ・
         Saltino の物を冬の間に氷室に夏まで保存したものを使い、
         街に運ぶのは溶けないよう夜に運んだのだそう。

         こうしてラファエッロ氏の息子、故ピエロ氏・Piero が60年代から
         70年代にかけて店の名声を最高にし、
         ガイドブックにも記念碑の様に書かれるまでになったのだそう。

         こうしたジェラート店の営業を続けながら、現在では隣に
         手作りのお菓子店も併設しているとの事。

 
         行きにくい場所にあると思いつつ店の由来を知ると、
         やはり味わってみたいジェラートではありますね。
         サンタ・クローチェ教会に行かれた折にどうぞ。

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       ご案内して来た店だけでなく、他にも老舗はこんなに、と
       店の名前と住所、電話番号が載っておりますのでこれもご紹介。

       ・バール・ランベルテスカ・Bar Lambertesca
        via Lambertesca 6/r ランベルテスカ通り
        tel 055-219162

       ・バール・タバッキ・ラ・ポスタ・Bar Tabcchi la Posta
        via Pellicceria 24/r ペッリチェリーア通り
        tel 055-214773

       ・カッフェ・ドンニーニ・パスティッチェリーア・
        Caffè Donnini Pasticceria
        piazza della Repubblica 15/r レプッブリカ広場
        tel 055-213694

       ・カッフェ・サバティーノ・Caffè Sabatino
        via Faenza 66-68/r ファエンツァ通り
        tel 055-217913

       ・ジェラテリーア・アルピーナ・Gelateria Alpina
        viale Filippo Strozzi 12r フィリッポ・ストロッツィ通り
        tel 055-496677

       ・ジェラテリーア・バロンチーニ・Gelateria Baroncini
        via Celso 3/r  チェルソ通り
        tel 055-489185

       ・パスティッチェリーア・クロチャーニ・Pasticceria Crociani
        piazza Dalmazia 37/r  ダルマツィーア広場
        tel 055-4360886

       ・パスティッチェリーア・ネンチョーニ・ファライ・
        Pasticceria Nencioni Falai
        via Pietrapiana 24/r  ピエトラピアーナ通り
        tel 055-241012

       ・ジェラテリーア・ヴェネタ・Gelateria Veneta
        piazza Beccaria 7/r  ベッカリーア広場
        tel 055-2343370

       ・ぺルケ・ノ!・Perché No!
        via dei Tavolini 19/r デイ・タヴォリーニ通り
        tel 055-2398969

       グーグルの地図検索で位置をお調べになり、
       観光、散策の折のご休憩にどうぞ!


     ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       1月下旬でしたか、ファブリアーノの紙の博物館の記事に
       http://italiashio.exblog.jp/9391469
       三五館 という出版社の方からコメントが入り、
       載せていた羽ペンの写真を使いたいとのお申し出があり、
       勿論喜んで写真を送りました。

       で、出版された本を送って下さり、昨日届いたのがこれです。
d0097427_024323.jpg

       今2011年が国産万年筆メーカーの、セーラーが創業100年、
       日本一古い万年筆メーカーとの事で、
       つまりは国産万年筆の歴史も100年という事で
       出版された本なのですね。

       昔は私も万年筆を使い、インキの色もあれこれ替えたり、
       大人になったらあの万年筆が欲しい、と夢見たり・・。
       それがいつの間にかまるで縁のない筆記用具になり、
       今頃はPCが主で、手書きする事も殆ど無い日常です。

       ですが、この読みやすく分かりやすく書かれた本の中には
       びっしりと、万年筆作りに懸ける情熱の歴史が詰まっており、
       昨夜はつい夜ふかしをして読みふけりました。
       
       活字印刷博物館もご紹介したばかりですが、
       いわば文化をも担う字を表記する、
       筆記道具を作る技術の奥の深さに魅せられました。

       万年筆に関心をお持ちの方も、そうでない方も、
       決して一つの会社の宣伝に留まった本ではありませんので、
       一読をお勧めします。
       今週25日頃より、店頭に並ぶとの事。

       万年筆国産化100年  桐山勝著  三五館 1600円

       この桐山勝さんという著者は存じ上げませんが、
       江戸しぐさ に関する本が何冊かおありの方、というと
       ご存知の方も多いかも。
       

       という事で、ではまた
       愛の励まし、応援クリックを、よろしくお願いいたしま~す!

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by italiashiho2 | 2011-02-24 00:04 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(4)
2011年 02月 22日

   ・・・ フィレンツェの歴史的カフェのご案内 ・ その1 ・・・

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       フィレンツェのサンタ・マリーア・ノヴェッラ国鉄駅から、
       駅前広場の混雑を避ける為に地下道があります。
       とはいえ短い地下道で、駅前広場の南に出て来るだけですが、
       その地下道の壁に、上の写真の様に
       フィレンツェの古い店、中には何百年も続いている
       老舗店の広告が貼られているのですね。

       面白いので何枚も撮っていたのを先頃やっと整理しましたが、
       店の写真と共に説明、地図もあり、
       おまけにサイトのアドレスもあり、英語でも記載。
       http://esercizistorici.it

       サイトを訪問して分かったのは、これは単なる店の広告と違い、
       フィレンツェ市が街の歴史の一部を語る物として
       少なくとも創業50年以上の物の中から選んだ物と分かりました。
       載っている老舗の店の種類として、衣類・皮製品・装飾品部門、
       家庭用品・室内装飾部門、ホテル部門、本・文房具部門、
       レストラン・バール部門に分類されています。

       日本のガイドブックにもあれこれお店の紹介は載っていますし、
       様々なブログでも紹介されていますが、
       これはいわばフィレンツェ市のお墨付きの老舗、という事で、
       旅行の際の指針にも、はたまたshinkaiのネタ繋ぎにもと、
       ははは、ぼちぼち紹介させて頂きますね。

       サイトの方にはヴィデオもありますので、ご訪問下さい。

       最初はまず観光疲れの休憩用にもと、バール部門から
       ご紹介しますが、以下の説明と店の写真は全てサイトからです。
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       地図をどうぞ
       今日のご案内は、地図の番号の1~4までを。


       1・カフェ・ビアンキ・Caffè Bianchi
         piazza San Felice 5/r・ サン・フェリーチェ広場
         tel 055-224406
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         アルノ河を渡り、ヴェッキオ橋から真っ直ぐ南に、
         ピッティ宮殿が左手にあり、その南端の向かい側、
         3差路に道が交差する広場、確か円柱があったような、
         そこがサン・フェリーチェ広場です。
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         1920年にパスクァーレ・ビアンキ・Pasquale Bianchi氏が
         同じ広場のn.8rに開いた店で、当時は国の専売品店、
         煙草や薬草、植民地の食品、コーヒーなどを扱っていた様ですが、

         1929年に息子のブルーノ氏・Bruno が現在の場所に店を移し、
         お菓子やワインなども並べるようになったのが、
         ほぼ同様に今も続いているとの事。
         当時、店内ではコーヒー豆の焙煎も行われており、その香りは
         辺り一帯に広がっていたと。

         60年代に至り、ブルーノ氏の息子ルチャーノ氏・Luciano が
         後を継ぎ、現在もその息子ヤコポ氏・Jacopo と共に経営。

         1996年にカフェ・ビアンキとなり、同時に店の改装も
         行われましたが、以前からの調度、スタイルを取りいれていて、
         カウンターのバラ色の大理石、鉄の打ちだし扉と看板、
         背後のサロン調の家具が目を引く、という店。

       
         いかにも昔のままの店の雰囲気で、なんでも揃っていそうですね。
         カフェを飲んで、お菓子を買って、という感じかな。




       2.カッフェ・コンチェルト・パズコフスキー・
         Caffè Concerto Paszkowski
         piazza d.Repubblica 31-35/r レプッブリカ広場
         tel 055-210236
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         メリー・ゴーランドの回るレプッブリカ広場の北面、
         カッフェ・ジッリ(次回に)に並んでいる店です。
d0097427_0103364.jpg

         1846年にカッフェ・チェントラーレとして開店したのが、
         1904年にビアホールを経営していたポーランド人
         パズコフスキー家(パスコヴスキーかな?)に経営が移り、
         1910年代には当時の雑誌La Voce、Lacerba、Il Servaggio
         などに関連した文学者や俳優たちの出会いの場所だったそう。

         戦後の1947年、現代風に改装され、再びエルメティズモ・
         L'ermetismo・イタリアの現代詩派で、語の意味よりも音感を重視、
         難解な言葉遣いに走った一派なのだそう、の詩人たちなどの
         インテリ層の出会いの場所となった、と。

         このカフェ・パズコフスキーは、現在のフィレンツェに於いて、
         一番エレガントで古典的なカフェの一つであり、
         その音楽の夕べの催しでも世界に知られており、
         美しい20世紀初頭のスタイルの部屋では、講演会や
         ファッション・ショーも催されるとの事。
         1991年には、国の記念建造物に指定されたそう。


         ちょっと気取ったお洒落をして、お出かけになりますか?
         
         


       3.カッフェ・ラッテリーア・カッフェラッテ・
         Caffè Latteria Caffellatte
         via degli Alfani 39/r デッリ・アルファーニ通り
         tel 055-2478878
d0097427_0105918.jpg

         このヴィア・デッリ・アルファーニという通りは知りませんでしたが、
         ドゥオーモの左の内陣の膨らみ辺りからvia dei Servi を行き、
         交差する道がデッリ・アルファーニ通りで、右折した先辺りの様子。
         写真は、サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場の南面にある
         捨児養育院で、位置としてはこの建物の南後ろに当たります。
d0097427_0113436.jpg

         1920年に「牛乳とカフェを混ぜる」許可を得た牛乳・乳製品店。
         ですが1840年より肉屋として開店していた店なのだそうで、
         棚、フック、カウンター、大理石の上張りなどにその名残があるそう。

         1984年から新しくヴァンナ・カザーティ・Vanna Casati が
         主人となり、古いスタイルのままの朝食、つまり丼鉢式のカフェラッテ、
         パン、バター、ジャム、そして店の奥で作られたお菓子、で
         新しくサーヴィスを始めたのだそう。

         現在もこの地区の乳製品販売店としての役割も果たしながら、
         店が作る品の価値の高さ、和らぎの雰囲気にファンが多く、
         近くにあるフィレンツェ大の文学部の学生や教授たちが
         通ってくる場所、との事。


         写真を見ても、如何にもその雰囲気がありますね。
         サン・マルコ教会、捨児養育院、またアッカデミア美術館に
         行かれた時などに、レトロの雰囲気を味わいにどうぞ。
         
         
         
         
       4.カッフェ・レ・ジュッべ・ロッセ・
         Caffè Le Giubbe Rosse Restaurant
         piazza della Repubblica 13/r  レプッブリカ広場
         tel 055-212280
d0097427_0115863.jpg

         再びレプッブリカ広場ですが、このカフェは広場の南面にある様子。

         1897年に、ビール酒場 Reininghaus兄弟 として創業し、
         すぐに各種ドイツ人集団にその名を知られるようになったものの、
         フィレンツェ人たちはウェイター達の奇妙な上着から
         レ・ジュッベ・ロッセ・赤ジャンバーと勝手に命名。

         国際的雰囲気、そして各種会議開催にも協力的な事から、すぐに
         若いフィレンツェのインテリ層が集まるようになり、  
         文学雑誌や芸術催しの場ともなったそうで、その中には、と
         Papini、Soffici、Palazzaschi、Gadda、Gatto、Pratolini、Vittorini、
         Montale などの名が挙げられております。

         戦後の1947年に再開されたものの、街の文化の衰退に従い、
         店も流行らなくなったようです。
         
         が、1991年より Smalzi 兄弟が経営をするようになり、
         かっての文化交流の場と同様、再びその任を果たすようになっているとか。


         レプッブリカ広場では、以前2度ほど食事をした事がありますが、
         まだこの店も知りません。 レストラン、と店の名に入っているので
         食事も出来るのでしょうし、街の中心ですので休憩にも良いですね。


         という様な事で、まだバールが他に5つありますので、
         次にまたご案内致しますね。

     ◆ おことわり ◆
         私の頭の中には、レプッブリカ広場の北面角に
         カフェ・ジッリがあり、そしてカフェ・パズコフスキーがあり、
         サイトの地図にもあるように、レ・ジュッべ・ロッセが南側、と
         思ってその様に書きましたが、
         グーグルの地図をあれこれ検索しても、確認できませんで、
         逆に北面角にレ・ジュッべ・ロッセがあるように出ます。
         
         どうぞ、ご存知の皆さん
         一つのカッフェの位置でもよろしいですから
         正確な位置をお教え願います!!

       ◆*◆

         ブログご訪問、有難うございます!

         今日は天気予報では曇り空、所により雨の筈でしたが、
         有難い事に、この辺りは予報よりも
         ちょっと良いお天気になるのがいつもの事で、
         はい、薄曇りでやや暖かい気温です。

         と書きだしたものの、後が続きません。
         ガス暖房の燃焼機の点検掃除に来るという
         その連絡電話待ち状態でもあるのですが、
         頭の中空っぽ、体調は順調、です。

         てな事で、ではまた次回に。
         愛の励まし、応援クリックを、よろしくお願いいたしま~す!

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by italiashiho2 | 2011-02-22 00:15 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(4)
2011年 02月 18日

   ・・・ アルノ河の、ミズスマシたち ・・・

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       今日ご覧頂くのは、フィレンツェのアルノ河
       そして、そこに生息するミズスマシたち、いや違った、
       アルノ河でボートやカヌーの練習をする人々、です。
       そう、ヴェッキオ橋から見ていると、
       まるでミズスマシみたいに軽やかに、行ったり来たり。
       
       日曜祭日は朝から、平日は仕事の済んだ夕暮れ時に、
       アルノ河の煌めく水の色、刻々変わる夕暮れの空と水の色の中
       無心にトレーニングに励む姿に、
       心を遊ばせて下さいね。

       フィレンツェの街のほぼ中心部にかかる橋は4本
       東・上流から、アッレ・グラツィエ、ヴェッキオ、
       サンタ・トリーニタ、カッライアで、
       この区間の先には、上・下流とも堰がありますから、
       彼らミズスマシ族は、この間を行ったり来たりして
       練習する訳です。

       という訳で、上の写真は上流側アッレ・グラツィエ橋の
       東にあるアルノ河の堰
       見える塔はサン・ニコロで、
       山上に広がるのがミケランジェロ広場。
       堰の右の、水の流れが淀む辺りに
       白い水鳥が幾つかいるのが、見えますか?



       こちらは、アルノの南から見るウッフィツィ美術館
       下に3つの大きなアーチを持つ建物で、
       真ん中がコの字型建物の中庭兼通り抜け道。
d0097427_002150.jpg

       左下の河畔に、緑の垂れ下がりがありますが、
       後ほどご覧に入れますね。

       2年前の秋晴れの空



       お馴染のヴェッキオ橋
d0097427_01859.jpg

       あの真ん中のアーチ部、東西に開けた場所から
       ミズスマシ群を待ちうけます。

       ヴェッキオ橋のご案内はこちらに。
       http://italiashio.exblog.jp/12544434


       どこで写した物か、正確に覚えていないのですが、
       ダンテの神曲地獄篇の一節。
d0097427_044559.jpg

       フィレンツェの街中、いやイタリア中の町村の一郭に、
       ダンテが自作に読みこんだ、その場に関連する一節の碑が
       掲示されています。

       良く意味が分からないのは元々なのですが、何に関連する言葉かを
       今回はつきとめましてございます、はい。
       地獄篇13曲146 を頼りに検索をかけ、見つけましたのが、
       sempre con l’arte sua la farà trista;
       e se non fosse che ’n sul passo d’Arno
       rimane ancor di lui alcuna vista, 147

       山川丙三郎氏の訳によると、
       その術(わざ)をもて常にこの邑を憂へしむ、
       もしその名殘のいまなほアルノの渡りにとゞまるあらずば 一四五―一四七

       という部分と思われますが、
       ちょっと読んだだけでは分からない部分が多すぎ、以下略。

       ですが、3つほど全出、全訳のサイトを見つけて喜んでいます。
       というのも、まるで手掛かりが無いのも詰まらないですし、
       時にダンテが、自分の尺度に合わない人間は全部地獄行きにしたのでは?!
       と思う事も多々あるのですもの。
       ぼちぼち取りかかる教科書類だけでも整えて置きませんと。



       こちらが先ほど遠望頂いた河岸の緑の幕の下
d0097427_051630.jpg

       上の通りには、アルノ河を、ヴェッキオ橋を見る観光客がうようよ。
       ですがその下、蔦の緑のカーテンの下には、
       フィレンツェ市民の、多分ミズスマシ族関係の憩いの場が。
    


       で、上のうようよの群れの一人となって下を見ましたら、
       日曜の朝だったか、練習に取り掛かる前の整備中で
d0097427_05402.jpg


       あ、若い女性がいる
d0097427_055946.jpg

       あはは、パンツ丸見えじゃん!


       屈強な男どもに伍して、背番号も1ですぞ。
d0097427_063510.jpg



       ヴェッキオ橋の上から見ていると、
       こんな2人漕ぎも
d0097427_071542.jpg


       まさにミズスマシみたいに、波紋を引いてやって来て
d0097427_081414.jpg

       水を煌めかせて通りすぎ
d0097427_08324.jpg

       下流の堰で折り返して、また通りすぎて行きます。
d0097427_084912.jpg



       向こう岸に白くぽつんと見える水鳥、
       詐欺かな、もとえ、かな?
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       夕暮れに、また戻って来たヴェッキオ橋から。
       下流側のサンタ・トリーニタ橋
d0097427_0101017.jpg



       背番号1、はい、あの女性は舵とりで、
       多分ピッチも数える係だと。
       この夕暮れの写真は別の日ですから、毎日練習なのですね。
d0097427_0102917.jpg



       幾つものミズスマシ
d0097427_011399.jpg



       奥の方で、方向転換をしているのが見えますね。
d0097427_0112912.jpg



       どんどん夕暮れの空が暗くなり、街の明かりも点き、
       風も冷たくなっていくのに、
       まだまだ粘って練習するミズスマシたち
d0097427_0115032.jpg

d0097427_0121038.jpg

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       じゃぁ、夕御飯を食べに行くのでね、
       頑張ってね、チャ~オ!

      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       先月血液検査をしたとお話しましたが、
       蕁麻疹の経過やら、コレステロールの検査の物で、
       コレステロールの数字はぐっと下がっており、
       痒みもまるでなくなり、
       これで無罪放免まちがい無し、と意気込んで皮膚科に。

       が、女医先生が驚くほどの、素晴らしく高いアレルギーの数値がでて、
       何が原因かと、もう一度血液検査に追いやられ。
       豚肉は食べるか、リンゴは、などなどリストがずらっと並び、
       その結果も先日判明しました。

       結果を持って行く前にそっと覗きましたら、
       物凄く高い数値の一つに、コーダ・ディ・トーポ・ネズミの尻尾
       というのがあり、何これ??!!
       いくらなんでも、そんなもの食べまへんよぉ!!
       もひとつ高い数値のは、辞書で、ニガヨモギと知りました。

       女医さんのお話によると、私は野草類にずらっとアレルギー持ちで、
       その上に、トマト、リンゴ、桃、小麦粉、犬・猫のフケ、埃、ナッツ類、
       大豆、海老、ecc ecc
       なんとまぁ、今迄生きて来れたのが不思議なくらい並びました!

       ホントかなぁ、この数値?!
       ネズミの尻尾というのは、野草の名前だそうでやれやれですが、
       とにかくこの結果を壁に貼って、注意しなさい!との
       先生のお話で、それでも一応の決着を見ましてやれやれです。

       春先に目が乾いた感じで、時にムズムズする位、
       桃はアレルギーがあるのを感じていますから、食べず、
       リンゴも少ししか食べない、で長年大過なく過ごしてきましたから、
       まぁ、これからもアレルギー体質である、と自覚し、
       その辺りは少し食べるのを控える、位で大丈夫だろうと。
       ワインは関係ない、としっかり確認しましたし・・!
       大好きな魚介類も海老に少し気をつけるとOKのようで、
       早速にお寿司が食べたくなっています。

       という様な、これからの健康指針でした。

       ではまた
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by italiashiho2 | 2011-02-18 00:16 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(8)
2010年 12月 21日

   ・・・ ヴェッキオ橋 ・ フィレンツェ ・・・

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       連日の厳しい冷え込みで、少しでも暖かい空気の景色が欲しく、
       何にしようかな・・、という事で
       フィレンツェのヴェッキオ橋・ポンテ・ヴェッキオ・
       Ponte Vecchio を探し出しましたのでご覧下さいね。

       昨年9月末のフィレンツェの、まだまだ暑かった日の
       ミケランジェロ広場からですが、
       今こうして寒い日に見ると、・・ああ、懐かしい!
       そして、やはり本当に美しい眺めですね。
       そう、ルネッサンスの花の都のシンボルの一つであり
       世界にも有名な橋のうちの1本ですものね。

       ヴェッキオ橋は現在、立ち並ぶ金細工や宝石店で有名ですが、
       あの有名なヴァザーリの回廊・Corridoio Vasariano
       橋の店の上を通っているのです。
       
       写真に見えるヴェッキオ橋の2階部分等間隔に続く窓がそれで、
       アルノ河畔の右(北側)を手前に曲がり、
       ウッフィツィ美術館のアーチの手前で建物に入り込んでいますね、
       見物を望みながらもまだ未訪問なのですが、
       あれこれ読んだ事も含めましてのご案内を。 ごゆっくり!

       というのも、古い橋という名に恥じず、
       なかなか興味深い事があれこれ出てきましたのです。



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       ヴェッキオ橋は既にご存知の通り、
       ヴェッキオ・vecchio・古い、という言葉通り、
       フィレンツェの街のほぼ真ん中、アルノ河にかかる4本の橋の内
       東から2本目の、一番古い橋なのですね。

       このヴェッキオ橋のかかる位置は、古代には人々が徒歩で
       渡っていた場所、つまりアルノ河が一番細く浅瀬の位置なのだそう。

       古くにはローマ期に既に木の橋が架けられた様ですが、
       何度も洪水で流され、1170年頃には5つのアーチを持つ石橋が。
       これもほぼ100年ごとの洪水で打撃を受け、
       1333年の大洪水では、遂に壊滅。

       アルノ河沿いの道の整備が済んだ後再度着工、
       1345年に、現在の3つのアーチの橋が完成という訳です。
       タッデオ・ガッディ・Taddeo Gaddi の作とも、
       ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ・Neri di Fioravante とも
       言われますが、

       この低い3つのアーチというのが、建築史上でも重要なのだそうで、
       ローマ期からの半円アーチのモデルだと、この長さの橋には
       幾つものアーチが必要、または傾斜した橋、そして幅の狭い橋となる訳で、

       この高さと橋上の広さの関係が1:6というのは、
       西洋において、ローマ期のモデルを越えた最初の橋なのだそう。

       橋からたくさんの小部屋が木の杭をつっかえにして
       張り出していて、これもこの橋の特徴ある眺めですが、
       こちらにも歴史があるのを知りましたので、後ほど。



d0097427_126103.jpg

       こちらはアルノ河から街中にちょっと戻りまして、

       左がヴェッキオ宮で、右がウッフィツィ美術館、
       間のニンナ通り・Ninna を渡る廊下、
       これがヴェッキオ宮からアルノ河の南にあるピッティ宮を繋ぐ
       ヴァザーリの回廊の始まり部分なのです。

       ご存知の様に、ヴェッキオ宮は13世紀末から14世紀初頭に建設され
       フィレンツェの街の政治中枢部として使われ、
       最初は先日ご紹介した、現在のメディチ・リッカルディ宮に住んでいた
       メディチ家が後にここを改装拡張して住居としたのですね。
       そして、1550年頃にはピッティ宮に住まいを移しますが、

       居住のピッティ宮からアルノ河を渡り、
       政治の場のヴェッキオ宮に人目に触れる事なく、
       しかも安全に移動できるように考えられて作られたのが、
       このジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari 考案の廊下なのです。
       
       既にフィレンツェ共和国の政治体制はほぼ1世紀前に終結を迎えた、
       とはいえ、
       まだメディチ家が君主として民衆に圧倒的に支持されていたわけではないらしい、
       という事が憶測できます。  

       で、1565年、僅か5ヶ月で建設されたというもので、
       発注者はトスカーナ大公コジモ1世
       ちょうど息子のフランチェスコがオーストリアのジョヴァンナと
       結婚するのを機に建設されたのだそう。

       という事で、このヴェッキオ宮からウッフィツィ美術館に渡り・・、

       ヴェッキオ宮のご案内は、
       http://italiashio.exblog.jp/10363693


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       最上階を通り抜け、U 字型になったウッフィツィ宮の右翼から
       最初の写真で見えた角の廊下部に出ます。
       蛇足ながら、イタリア語のウッフィツィはオフィス、
       事務所の複数形です、つまりかってメディチ家の事務所だった訳。
       
       この辺り皆さんも想像力を働かせて、メディチ大公家の一員となり、
       実際にヴァザーリの回廊を通るおつもりで、お楽しみ下さいね!

       上の写真は、ウッフィツィ美術館がアルノ河に接するアーチの部分で、
       手前のベージュ色、右側の柱廊の上を回廊が通っている事になりますが、

       下がその柱廊部分で、つまりこの幅で上に回廊があるという訳。

d0097427_1271543.jpg

       橋にかかる部分、貴金属店の脇に、
       かっての馬やロバの駐場跡の輪が残っておりました。

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       ではいよいよヴェッキオ橋を渡りましょうか、
       振り向くとあのドゥオーモの丸天井がドーンと。

       右の店の2階部分が、橋の角を曲がった回廊です。

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       橋のちょうど中央部分は左右共に店が途切れ、
       見晴らしの良い場所に。

       上が東の上流部分、下が西の下流方面で、
       西側には、フィレンツェの金銀細工で歴史に残る
       ベンヴェヌート・チェッリーニ・Benvenuto Cellini (1500ー71)の像。

d0097427_1283121.jpg

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       橋の上に立ち並ぶ店の建物群にも、やはり歴史が刻まれます。

       橋が出来たのは、上記の通り1345年ですが、
       1442年にこの橋上に屠殺業者の店が集められます。
       というのも、屠殺のくずや汚れ、荷車での運搬など各種衛生上の
       問題もあったのを、橋の上だと即流せる、という理由からで、

       こうして橋の上に屠殺業者が建物を作り所有する、
       少しでも広くするために橋からつっかえを出して張り出す、
       といった状態が、約150年間続きます。

       ええ、現在のあの優雅な金銀細工の店々の元は、
       ああた、肉屋さんだったのでございますよ。
       でも今は、観光客がひき肉にされている訳で、
       まぁ似たような物だと言えない事もありませんが、ははは。

       で、この場所の悪臭と、あまり上品でない業種が遂に
       1593年、フェルディナンド1世により立ち退きを命じられ、
       代わりに現在の貴金属店となったという訳です。


d0097427_1291441.jpg

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       こちらが西に見える1本下流のサンタ・トリーニタ橋・S.Trinita
       とても美しいエレガントな橋。

       ヴェッキオ橋から眺めた美しい夕暮れの様子は、
       今も目に残ります。
       アルノ河の様子をまた見て頂きたいと思います。

       フィレンツェ ・ 黄昏から夜に          
       http://italiashio.exblog.jp/10463434

d0097427_1295166.jpg

       逆にサンタ・トリーニタ橋から眺めたヴェッキオ橋

       橋の真ん中の3連アーチの上、
       ヴァザーリの回廊に開けられた3つの大きな窓、お分かりですね。
       これは当然、ルネッサンス期の小さな丸窓ではなく、

       1939年、アドルフ・ヒットラーがムッソリーニとの連盟の為に
       イタリアに来た際フィレンツェを訪れ、
       彼ら一行の眺望の為にムッソリーニが作らせたのだそう。

       この回廊からのアルノの眺めは、いたく彼らのお気に召し、
       これが、ドイツ軍がフィレンツェからの引き上げの際に
       街の他の橋は皆例の如く破壊されたものの
       ヴェッキオ橋だけが橋の南部分に損傷を受けただけで
       無事に残った遠因かも知れないとの事。
       つまり、軍内部からの通報があったのだそうで。



d0097427_130974.jpg

       再度橋上に戻りまして、南に向かいます。

       こんな風に塔がにょきっと見え、回廊部分が張り出し
       膨らんでいますが・・、

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       南から見るとこんな有様!

       これが有名なマンネッリの塔・Torre di Mannelli で、
       かっては橋の両側両脇にひとつづつあった、4つの監視の塔の
       現在唯一残る塔でもあるのですが、

       マンネッリ塔の持ち主、マンネッリ家は古い家柄で、
       代々武器を持つ仕事に携わり、どうやら大変気も強かった様子で、
       ヴァザーリの回廊が当初この塔を打ち壊し、真っ直ぐ進む計画が
       当時の当主マッテオが素っ気なく断り訴訟となり、
       遂にコジモ1世が折れ、こうして塔をぐるっと回る次第に!

       ですが、これは事情を知ると大変に可笑しい回り道ですよね。

       そして右に切れる大きなアーチは、バルディ通り・via de'Bardi
       を飛び越えるアーチで、


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       バルディ通りの野菜、果物店を一枚。

       そしてバルディ通りを飛び越した回廊は、
       工事中で写真が無いのが残念なのですが・・、
       別のもう一つの塔を、今度は突き抜けるのですね。

       この塔の名は、オブリアーキの塔・Torre degli Obriachi
       銀行業でぼろ儲け、ダンテにも神曲の中に悪口を書かれ、
       のちヴェネツィアに逃れ象牙細工で有名なエンブリアーキ家(オブリアーキ・ウブリアーキ)が
       持ち主だったのですが、ここはすんなり通りぬけに同意。

       オブリアーキ家(エンブリアーキ)については、cucciolaさんがこちらに。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765054.html


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       オブリアーキの塔を突き抜け、
       サンタ・フェリーチタ教会・Chiesa di Santa Felicita 前に
       出てきた所です。

       回廊はこの教会の真前、というか教会内部に接して通り、
       2階部分のテラス席には厳重な格子戸で仕切られた部分があり、
       ここからミサに参列する事も出来たという・・。

       で、この後回廊は通りの裏道を抜け、
       ボーボリ庭園のグロッタの辺りに出て、
       こうしてピッティ宮に無事到着という次第です。

       長いお散歩、ご苦労様でした!!

       そうそう、肝心な事を書き忘れる所でした。
       このヴァザーリの回廊は、現在ウッフィツィ美術館収蔵作品の
       肖像画、そして17~18世紀のデッサンの展示がされていて、
       グループでの予約のみ、ガイド付きで見学できます
       案内は、ウッフィツィ美術館のサイトでどうぞ!



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       で、我々は夕闇せまるヴェッキオ橋に再度戻りましょうか、

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       優雅な品が揃う金銀細工の店を覗き・・、

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       黄昏迫る上流を眺め・・、

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       最後はやはり、
       サンタ・トリーニタ橋からのヴェッキオ橋の夜の眺めをどうぞ!

       
       いつも橋を眺めてばかりなのですが、
       ちょっと読んで見ると大変興味深い面白い事が色々分かり、
       かいつまんでご説明をと思ったのですが、
       歴史の長い街の、古い橋の由来、
       楽しんで頂けたように願います。


     ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       連日寒く、先日の雪はまだ殆ど残り、
       心までかじかみそう!

       今朝はプール日で、いつも水に入る時に一瞬の決心が必要なのですが、
       来週はクリスマスの後のお休みと分かり、
       一人がいみじくも、「ああ、休暇が嬉しい!」と言い、
       相槌を打ちながら大笑いとなりました。

       で戻ってから、必死のパッチでブログ書き!
         

       どうぞお忘れなく、励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~す!

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by italiashiho2 | 2010-12-21 01:23 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(6)
2010年 12月 13日

   ・・・ メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ ・・・

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       フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮・Palazzo Medici Riccardi
       に、今日はご案内です。
       フィレンツェに君臨し、ルネッサンスの花の都と呼ばれるまでに
       街を造り上げたメディチ家の約100年間に渡る住居だった建物で、
       内部のベノッツォ・ゴッツオーリ・Benozzo Gozzoli の描いた
       華麗なフレスコ画の礼拝堂で有名ですから、訪問された方も多い事でしょう。

       上の写真は市内周遊観光バスからの眺めで、足元が見えずすみません。
       1階部分は堅固なイメージを与える切り石積みで、
       手前のアーチ内部に三角形の屋根が見えますが(右の通りに面しての側も)
       ここは以前通り抜けになっていたのをミケランジェロが窓にしたのだそう。
       
       建物角にメディチ家の6つ玉の有名な紋章が見えますが、
       メディチ・リッカルディ宮という名が示すように、
       メディチ家は政変により何度か街からの追放があり戻り、
       建物自体も何度もの略奪の変遷を経ており、
       1532年にアレッサンドロがフィレンツェ公となったのち暗殺されますが、
       その後は黒旗のジョヴァンニの息子に、という具合に遂に世襲の君主に。
       後のトスカーナ大公フェルディナンド2世・Ferdinando IIの時代になり、
       彼の忠臣でもあり大銀行家でもあったガブリエッロ・リッカルディ・
       Gabriello Riccardi が1659年に買ったという由来に寄ります。


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       2階3階と上部に行くにつれ、石組みの様子がすべらかになり、
       窓も大きくなっていて、貴族の住居のイメージも十分に。

       道が狭いのと建物が大きいので、到底1枚の写真には収まりません。



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       地図をどうぞ

       メディチ家礼拝堂、そしてサン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzo
        の前の広場、この辺りたくさんの屋台店が並びますが、
       その角からすぐに屋敷があり、
       入り口は一筋東に行って曲がったヴィア・カヴール・Via Cavour に。

       ちょっと分かり難いかもですが、
       表側の建物が2つの中庭に分かれて繋がっていますね。
       手前側の大きめの四角の方と奥庭部分が、
       1444年から1452年にかけ
       コジモ・ディ・メディチ・Cosimo de'Medici
       ミケロッツォ・Micherozzo に建設させた部分で、

       奥の中庭を抱えた部分は、リッカルディ家が買い取った後の
       建て増し部分という事になります。
       
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       これはサン・ロレンツォ広場の南東角にある
       ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ・Giovanni delle Bande Nere
       黒旗のジョヴァンニ、トスカーナ大公コジモ1世の父親の像ですが、
       後ろに見える角のいかつい石組みと緑、
       ここがメディチ・リッカルディ宮の裏庭と建物で、
       あの間の通りを抜けると、最初にご覧頂いた表側の角に出ます。

       サン・ロレンツォ聖堂とカヴール通りの先にあるサン・マルコ教会は
       共にメディチ家の菩提寺扱いであり、この一郭はメディチ区域とでも。

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       サン・ロレンツォ広場から抜ける道に続く
       1階部分の重厚な壁

       右端に座っている人物が見えますが、
       壁に沿って石のベンチが続いているのですね。

       と、それぞれの石に小穴が掘り込まれているのが分かりますか?
       これは設計建設のミケロッツォ自身が石の適性を見分け、
       OKの物に印をつけた名残だそう。

       この館は、コジモ・デ・メディチが政敵から専横という事で
       フィレンツェを追放されヴェネツィアに逃れ、
       10年後民衆の歓呼に迎えられて街に戻り建設をしたもの。

       最初は、ドゥオーモのあのクーポラと内部、そして街のあちこちに
       作品が残る残るブルネレスキ・Brunelleschi に依頼したものの
       余りにも壮麗華美である事から、民衆の妬みを考慮し、
       一般的で地味なミケロッツォに依頼したという逸話があり、
       確かに、厳しく地味ながらお金はかかっている、という感じですね。



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       現在の建物は県庁が使っており、入り口には警官がいて
       入り口は?と聞く前に、向こうから先に英語で教えてくれました。

       これは、入り口の階段を上ってすぐにある
       メディチ家の私的礼拝堂・Cappella dei Magi に1459年に描かれた、
       華麗なべノッツォ・ゴッツォーリのフレスコ画の一部。
       3壁面全体にびっしりと描きこまれた素晴らしい物ですが、
       写真が禁止ですので、これはサイトから。       

       真ん中の白馬の美男貴公子が一応ロレンツォ・イル・マニーフィコ・
       偉大なロレンツォという事になっていますが、
       他の肖像画で見るひしゃげた鼻のロレンツォも左2列目に描かれ、
   
       左側白馬、赤い帽子がロレンツォの父のピエロ・痛風病みのピエロで、
       その左の茶色のロバの、白髪がロレンツォの祖父コジモという・・。

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       後先逆になりますが、1階部分にハイテク利用の部屋があり、
       ここで描かれた人物が誰であるかが分かるようになっていて、
       下段の中央の赤い帽子が、画家本人と言う事。
       


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       礼拝堂の後は、建物内の見物が出来ます。

       ロレンツォ・イル・マニーフィコの時代には
       既に家業の銀行業が傾き始めてはいたもののルネッサンスの最盛期
       この家にはプラトン派の学者や芸術家たちが集い、
       メディチ家がパトロンとなって集めた芸術品をめぐり、
       ヨーロッパ初の芸術アカデミーの様相を呈していた様子。

       が、上に書きましたように、
       1492年のロレンツォの死後サボナローラの扇動により、
       またロレンツォの子のピエロのフランス王に対する失態により、
       怒った民衆より略奪を受け、街からの追放、そして財産没収も。

       ロレンツォの次男で、枢機卿から法皇レオーネ10世となった
       ジョヴァンニが盛り返すものの、
       それに続く従兄の、クレメンテ7世となったジューリオの
       引き起こしたローマ略奪の惨事により、
       メディチ家一族はまたもや街から追放され、屋敷の略奪、

       と言う訳で、後のリッカルディ家による大きな改装で
       現在残るのは、当初とはまるで別物と言いますが、
       こういった部屋が見れます。

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       こちらは、鏡の間・Galleria degli Specchi と呼ばれる
       1685年のロココ様式で、
       天井画はナポリ出身のルーカ・ジョルダーノ・Luca Giordano

       鏡の中にも絵が描かれていて、これはちょっと面白い趣向でした。



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       フィリッポ・リッピ・Filippo Lippi
       素晴らしく美しい聖母子像。

       あの色の美しさは、到底写真では!
       確か写真禁止で、大急ぎで隙を狙って写したり・・。

       ゴッツォーリのフレスコ画と、この聖母子を見るだけでも
       このメディチ・リッカルディ宮訪問の意味があろうというもの! 



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       時々の催しが変わるようですが、
       この時は、メディチ家の劇場というタイトルで、
       木製モデルが幾つか展示。

       当時の劇場の仕掛けが彷彿とされ、興味深かったです。


  
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       これはリッカルディ家の新築部分の中庭。
       簡素ですっきり。

       窓の下に装飾が描かれて。



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       下に降り、メディチ家部分の中庭。 
       この写真は、サイトからです。

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       中央の像を横から見ましたら、犬が双頭になっていて・・、

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       そこを通りすぎると、奥庭。

       鉢植えがあり緑もあるのですが、広さの割に周囲の壁が高く、
       私には少し落ち着けない場所でした。     

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       美人の像がある、と思ってファインダーを覗きましたら、
       なんと、向こうもこちらを見ていて・・、
       石像と目が合うとは思いませんでした。


       メディチ家がフィレンツェに及ぼしたその影響の大きさは
       まるで計り知れないものがあり、
       この屋敷にしても、その歴史にまるで触れずには通れず、
       かといって詳細を知っている訳でもありませんで、
       こんな理由から、フィレンツェのご案内は本当に難しいです!
       不足部分はご容赦願います。


     ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       これを書いています12日は、私の誕生日ですが、
       何回目かは余り言いたくありませ~ん。
       なぜなら、今朝から何度も息子たちや親戚関係が電話をくれ、
       お祝を言いながら、何歳になったかとからかうのでありますよ。

       いつもは聞かれると素直に答えますが、
       今日は言いたくな~い!!

       どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします

       てな事で、今回は特別に念を入れて、はは、
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by italiashiho2 | 2010-12-13 00:45 | ・フィレンツェ Firenze | Comments(13)