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カテゴリ:・エミーリア・R州 Emilia( 35 )


2016年 04月 25日

   ・・・ モデナの大聖堂 グランデ広場 市の塔 ・ 世界遺産 ・・・

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       1997年に世界遺産に指定された、モデナ・Modena
       大聖堂・サンタ・マリーア・アッスンタ・イン・チエーロ・エ・サン・ジェミニアーノ・
       Santa Maria Assunta in Cielo e San Geminiano、という長~い名前を持つ聖堂と、
       グランデ広場・ピアッツァ・グランデ・Piazza Grande 大聖堂南面の広場、
       市の塔・トッレ・チーヴィカ・Torre Civica

       今回は、このモデナの街の中心にあるこの3つ、
       中世からモデナ市民の生活の要であった、のご案内を。

       トップの写真は西上空からの眺めで、どの位置に、どんな大きさか、
       よくお分かり頂けると思いますが、

       真ん中に見える白い大きな高い塔、これが大聖堂の鐘楼で、
       ギルランディーナ・Ghirlandinaの愛称を持ち、
       その右に大聖堂で、左脇すぐに見える建物群に聖堂博物館があり、
       大きな広場がグランデ広場
       広場の北西を囲む形であるのが市庁舎で、見える塔が市の塔

       ついでにご説明しますと、
       グランデ広場の南面を閉める四角い建物は、元裁判所のあった場所に、
       1963年ある銀行の本拠事務所の建物が建設された物で、
       大聖堂正面前広場の右に見えるのが、大司教の住居
       
       写真左上に見える細長い公園の奥、円形の屋根が飛び出しているのが、




       グランデ広場から見る、左に大聖堂、
       正面鉤の手に市庁舎と市の塔。
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       市の塔の上部。 下に切れて見えるアーチの中に美しい像があるのですが・・。
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       1671年地震の後に崩壊した、と言う説明がありましたが、
       こうして見ると最上階の部分のみの瓦解だった様子ですね。


       モデナには今年3月と4年前の夏、それ以前22年前に訪問で、
       今回、4年前の夏の青空の写真でOKなのは使っております。
       でないと、曇り空ばかりの写真では余りにも寂しいですものね、
       で、ブログ名のある写真はshinkaiの撮った物で、他はサイトから拝借の物。




       グランデ広場の北東の隅、写真奥に見える階段が市庁舎への階段ですが、
       その前にこんな大きな石舞台があり、
       リンガドーラの石・Pietra Ringadoraと。
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       13世紀の記録に既に残っており、その後何度か場所を移されもしたものの、
       1936年より元々あったこの場所に。

       ヴェローナの赤い大理石、長方形の大きなもので、
       リンガドーラの石、つまりアッリンガトーリア・arringatoriaの石、
       この上に立ち、市民に演説をするのに用いられたというもの。

       ですが、この石は他にもいろいろ用いられておりまして、
       泥棒や負債者への懲らしめ、溺死者の身元確認、そしてまた
       殺人の疑いがある場合などにも、ここに展示されたのだと。

       面白いというか凄いのが返済しない負債者への懲罰でして、
       広場で市の立つ日、頭を丸刈りにされ冠を被らされ、
       太鼓の知らせを先頭に広場を一周し、ははは、
       たっぷり松脂を塗ったこの石の上に、お尻を丸出しにして座らされ、
       3度、チェード・ボニス・財産をすべて放棄します、と言わされたと。
       その言葉を言わされたというよりも、そのように判決され、
       多分お尻を叩かれながら自ら宣言した、という事なのでしょう。

       中世の判決は大変厳しく、書きながらそういえばと思い出したのは
       パドヴァのパラッツォ・ラジョーネに関係しての記事で、
       黒い斑石ヴィトゥペーリオの石 


       チェード・ボニス・cedo bonisの意味が最初正確につかめず、
       友人のジュリアーナに援けを求め、その内にパドヴァの件を思い出し
       彼女にも知らせましたら、早速に興味深い!との返事。

       ただパドヴァの方は、ちゃんと下着、パンツをつけていた、
       という点が違い、その辺りで大いに笑った事でしたぁ、ははは。
       



       と言うような市民生活に直結した広場なのですが、

       その広~い広場の南東の隅から撮って
       漸くに鐘楼と聖堂が入る大きさ、高さ!
       鐘楼の高さは86,12m、この塔には上がれる様子。
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       リンガドーラの石のある辺りから見る、
       聖堂の後陣部分で、一番上に立っているのは大天使ミケーレ。
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       鐘楼、ギルランディーナの頂上部分
       ギルランダ・ghirlandaは花飾り、花冠を意味しますから、
       如何にモデナ市民に愛されてきた鐘楼か、よく分りますね。
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       ラ・ギルランディーナをこちらで。

       脱線ですが、
       上のラ・ギルランディーナを探していて偶然見つけた、
       初めて聞いた彼の歌、「歌・IL Canto
       ・・君が行ってしまった日から、夜はもうここには来ない
         時間も思い出も失くし、死なない愛の歌だけが残る
       普通の人々の歌う姿も写り、しっとりと歌うパヴァロッティの
       今は亡き声と姿に、思わず涙したshinkai・・。




       聖堂の脇からの姿、半分
       1099年6月9日、記念すべきこの日、
       現在に残る新しいモデナの聖堂の最初の石が置かれ
       内部の装飾もすべて済んで完成したのが、300年後!
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       こちらに大きな屋根の形が見える内陣の張り出し部分、
       中側左のは15世紀に設置された説教壇で、
       左に張り出す大きな入り口は、ポルタ・レジーア・Porta Regia.


       この聖堂の位置には5世紀からの2つの教会があり、
       聖堂のクリプタ・地下祭室には6世紀から保管されてきた
       街の守護聖人サン・ジェミニアーノ・San Geminianoの遺骸があり、
       教会側のみでなく市民からの強い要請があっての建設で、
       古いこの2つの教会を壊しながら、新しい聖堂が造られたと。

       1099年5月23日付の後陣外の石碑には、
       主任建築家ランフランコ・Lanfranco(11~12世紀)の名が見え、
       このモデナの聖堂が唯一彼の作として確かな物なのだそう。

       ランフランコはマエストリ・コマチーニ・Maestri Comaciniと呼ばれる、
       コマチーニというのはコモ湖周辺出身という意で、
       今も各地の建築物に名の残る、左官や石工の職人集団も連れて来た様子で、
       彼らはすぐに仕事に取り掛かりますが、

       ランフランコはじきに彫刻家のWilgelmo(11~12世紀)発音がぁ・・、
       多分ラテン語のWillelmusからの名で、イタリア語ではグリエルモ、
       (ウィルエルモと書いておりましたが、クリスさんのコメントにより) 
       グリエルモと標記させていただきますね
       
       このグリエルモは、イタリアで初めて作品に名前を記せた作家の一人。
       教会の装飾関係のみだけでなく建築もで、
       彼が正面壁の仕事を手がけ始め、
       ランフランコ達は後陣の仕事を、という進捗具合だった様子。


       でこういう両面からの仕事の進み具合の結果
       計算違いがあったのが良く分る、真ん中の繋がりなんだそう!

       一連の3つの窓を持つアーチの連続が、ほら、
       ポルタ・レジーアの右横で半分になっているでしょう?!
       まぁ、ポルタ・レジーアは後年開けられたからとはいえ、
       実際にアーチの広さや、窓の高さがかなり違うのだとか、ははは。

       こういう寸法の間違いは、ロマネスク建築の前半では頻繁にあった様で
       壁が膨らんだり、アーチの大きさの違い、帯状装飾が踊ったりなど等、ははは
       ゴシックになっていくらか緩和されたのだそうですが、

       当時にあっては、対称であるとか比率とか均衡性などは、
       特別な重さを与えられていなかった事もありで、
       はぁ、こう聞くとゆったりとして、長閑で良いですねぇ、ははは。





       これがグランデ広場に面したポルタ・レジーア
       最初の建設には無かった入り口、1209~1231年の建設で、
       円柱を背に乗せた獲物を抱え込む2頭のライオン像。
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       レジーア・Regiaというここでの言葉は、レ・Re・王には関係なく、
       中世においてのラテン語 regeは、建物の中心的扉を意味するのだといい、
       確かにグランデ広場に向いての、聖堂第2の正面入り口ですね。




       この写真は4年前の夏、工事中の覆いの隙間から撮った物で、
       ローマ期のライオン像と見られる背に、円柱が乗っている様子
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       そして、入り口脇の柱並びの装飾の様子
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       ライオン像の背中の円柱は、上のプローティロ・protiroと呼ばれる
       柱廊式玄関を支え、多分中に見える聖人はサン・ジェミニアーノと。
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       サン・ジェミニアーノ・San Geminiano(312~397)モデナの司教であり、
       この街で亡くなり、悪魔祓いの力を持っているとの評判だったようで、

       ジェミニアーノも、ジミニャーノも同じなんですと。
       で、彼を守護聖人に戴く町は他に幾つも。




       で、このプローティロの屋根の上には、十字を持つライオン君がいますが、
       その斜め上の屋根の仕切り壁脇に見える像にご注目を!
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       聖堂屋根の上の仕切り壁の脇全8面に見られる、
       このいささか複雑怪奇な半人半獣像はメートぺ・metopeと呼ばれ、


       現在この屋根の上にあるものはコピーで、年月による損耗が大きく、
       1950年よりお隣の聖堂博物館に本物が保管されており、

       私も見に行きましたが、現在の屋根の上のものはかなり実物と
       印象が違うので、博物館のサイトからの写真をどうぞ
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       グリエルモの弟子と見られるマエストロ・デッレ・メートペ(1130年頃)
       の作品で、その意匠の奇抜さのみならず、彫の技術も大変優れていると。
       



       これはも一つ西に続いてある扉で、ポルタ・デイ・プリンチーピ
       Porta dei Principiで、半円の下、梁にある彫り物は、
       サン・ジェミニアーノの生涯の逸話にちなむ物と。
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       正面側・ファッチャータに向う前に一枚、見つけた写真をどうぞ。
       1942年の写真だそうで、グランデ広場
       背後に見える聖堂は、ちょっと趣が違いますね。
       年代から考えて、対爆撃予防の防護壁でしょうか?
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       それにしても、この大泣きの女の子!
       私より大分、へへ、言わせてぇ、年上の年代ですが、
       力いっぱいの大きな泣き声まで聞こえそうで、ははは。




       さて、漸くに大聖堂の正面に。 やはり青空が良いですねぇ!
       写真正面を横切るのは、トロリー・バスの電線でして、
       おまけに広場がそう広くないので、こちら側の小路からしか狙えず・・!
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       ゴシック式の薔薇窓と、正面頂上に立つ大天使ガブリエル像
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       聖堂上部の、キリスト像の周囲を4福音者のシンボル像が囲み
       左上人物・マッテオ・Matteo  左下有翼のライオン・マルコ・Marco
       右上鷲・ジョヴァンニ・Giovanni  右下有翼の雄牛ルーカ・Luca
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       こうして見ると、大体左上には人物のマッテオがいつも居るみたいですが、
       後は並ぶ順番に決まりは無いのでしょうか? どなたかぁ~・・。

       そして石の色もいろいろ違うでしょう?
       色の違いは脇の壁でも顕著でしたが、これは石材確保の為に
       近隣のかっての建築物の残りや廃墟の石を運んで来て使ったり、
       それにも不足すると、ローマ期の墳墓の石を掘りに行ったのだそうで、ははは、

       入り口脇の円柱を背中で支えるライオン像なども
       そういう訳でローマ期のものなのだそう!

       同じ様な顔をしたライオン君は、我がヴェネトはトゥレヴィーゾの
       ドゥオーモ前にも座っていますし、フェッラーラでも見かけたような・・!
       そうか、そうだったのかぁ!!




       という事で、ははは、
       モデナの大聖堂正面入り口と、円柱を支えるライオン君
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       背後の壁、両脇に見える浮き彫りの石版と
       入り口脇柱の彫はグリエルモ




       ライオンがこうして柱を支えるというのは、
       ギリシャ神殿の柱に人物が彫られているのがありますね、
       あれの発想から来ているのだそう。
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       グリエルモの彫りがかなり深めのしっかりした物であるのも
       良く見えます。




       支えるプローティロの一番上はこんな感じで、
       ここは司教様が顔を出される場所(だった)のだそう。
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       グリエルモの彫り、聖書の絵解きの浮き彫りは4面あり、
       これは正面左側の脇扉の上のもの。
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       人類創造、アダモからエヴァが生まれ、禁断のリンゴを食べ・・。
       アダモがぱくっと大口を開け、リンゴを食べているのが楽しいぃ!




       正面右扉の上の場面は、カインの殺害、ノアの箱舟、右は何かな?
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       そしてあちこちに浮き彫りが散らばりますが、
       如何にもの中世風な、怪奇で楽しい動物達がいて
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       柱の上の柱頭飾りにも、動物達や人間達がひしめきます
       光りの当っている物は4年前の夏の物で、
       聖堂の脇だったかもしれませんが・・。
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       では、内部に入って頂きましょうか
       先回の夏は修復中で、内部もクリプタ辺りのみの公開で、
       今回は暗く人出も多く、グループ行動で自由に動けず、
       思うような写真が撮れておらず、サイトから拝借を。

       大きな街の、また小さな田舎の町でも、教会はよく改装されており、
       オリジナルは古くとも、内部は新しく明るく豪華絢爛というのが
       良くありますが、
       このモデナの聖堂は大きな修復が15世紀に一度
       それまでの木製の桁組み天井だったのが、日本語で言う
       「交差ヴォールト」に変えられたものと、
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       18世紀にクリプタの内部にある、守護聖人サン・ジェミニアーノの
       お墓の周囲を高価な大理石に変えたり、窓の材質を変えたり、と言う程度で、
       
       お陰で、現在も建設当時のロマネスク様式を保ったままの
       外部と内部が立派に存在している訳ですね。

       内部は3廊式になっていて、翼部分はなしで、
       左側の列柱の中ほどに見えるのが説教壇。




       脇から天井部分
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       内陣部分、下がクリプタで、上部が祭礼用内陣
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       上部の後陣部分に見える絵がモザイクかと思ったのですが、
       これは18世紀末から9世紀にかけて行われた改修の一つで、
       モデナのいわば無名の画家が、ビザンティン式のモザイク画に
       見せる絵を描いたのだそう!

       これは良いアイディアと。
       小さな町の主教会に行き、現代風な絵でも素晴らしければ良いのですが、
       時に無い方がと、失礼! 思うようなのもありますので・・。
       



       クリプタと上の祭壇の間には、このようなポンティーレ・pontile
       直訳すると桟橋、があり、木製と思うのですが、
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       左の円形の説教壇・読経壇の周囲には4人の福音者たちのシンボルが、
       手前直線部には最後の晩餐、ジュダの接吻などの彫り物が。
       
       これらはランフランコ、グリエルモたちに続く12~13世紀の
       建築家や彫刻家達によって小さな変更や装飾が施されたもので、
       マエストリ・カンピオネージと呼ばれる、やはりコモ湖周辺出身の
       集団の名が残ります。       




       こちらは半地下のクリプタで、
       全面にはやはり動物やうずくまる人間達の背中が円柱を背負い、
       上部のポンティーレを支えます。
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       聖堂内の列柱の根元
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       4年前の修復中の聖堂内の様子も窺える写真を1枚
       これは説教壇に登る階段の様子が見えますが、
       絵が描かれているのが見えます。
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       当時この一帯、春の地震のあった後で、どうやら天井ヴォールトにも
       ひび割れがあったり、薔薇窓にも破損部分があった様子。




       この聖堂内には絵画が少ないのですが、
       右側廊部にあったフレスコ画と、
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       左側廊部の、テラッコッタ像の祭壇
       大変手の込んだ繊細な物!
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       正面入り口上の薔薇窓、簡素な美しさ。
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       聖堂から出ますと
       聖堂前広場の南側を占める大司教館
       今は店舗が入っていて、上階はどうなのかな・・。
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       聖堂前から西に抜ける小路の建物壁
       聖堂同様、古いイメージがしっかり残る部分がたくさん見え。
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       聖堂脇すぐの小路から見える、ギルランディーナの美しい姿
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       この小路の左横に聖堂博物館がありますが、
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       今右側にライオン像が見える所、ここにも聖堂入り口があり、




       ポルタ・デッラ・ペスケリーア・Porta della Pescheria・
       魚市場、魚屋の門と呼ばれますが、美しい彫りでしょう?!
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       1110年~20年の作だそうで、動物の形や逸話、12ヶ月の寓意が
       モチーフで、
       なぜ魚屋の門と呼ばれたかと言うと、すぐ近くに魚屋の屋台があり、
       この入り口からは庶民達が出入りしたのだと。
       



       最後は、博物館の庭のベンチと
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       小路が抜けるグランデ広場の、ポルティチの下のカフェの席を。
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       モデナの大聖堂、建設された1000年当時のロマネスク様式を
       今も伝える数少ない聖堂のご案内、
       不足ばかりでしょうが、何とか宿題を済ませホッとしています。

       歴史の教科書式記述ではなく、自分が見て感じた様子を
       自分の言葉でと思い、不足は不足のままでと思っておりますが、
       ・・お付き合い頂き、いつも有難うございます!
      
 
       これを書いている今日は朝は小雨、午後は薄曇なのですが、
       こうしてお天気の良い写真を最後に見ているだけでも、
       気分が救われます!

       皆さま方にも、良いお天気が!
       被災者の方々にも、一日も早いお天気の日が届きますように!!


     *****

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       アップしています。   
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by italiashiho2 | 2016-04-25 01:11 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(11)
2016年 04月 10日

・・・ モデナの街歩きちょっぴり シナゴーガ、市役所、軍士官学校 ・・・

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       先月中旬のモデナ行きの際、グループが2つに別れて回り、
       私方はモデナの街中見学が午後になりました。

       トップは、朝高速を降りて街中に行く途中に見た花々
       コネリアーノよりも早い咲き具合でしたが、       




       街の中心に向う時に、なんとまぁ、こんなに大きな街だったっけ?!
       という感嘆。 なにせ日頃田舎住まいですので、大きな街は怖い、ははは。
       人口は昨年末で18万5千人程。

       突き当りに見えるのが、モデナ駅と
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       建物に見かける色が、黄色とサーモン・ピンクが多い気がし
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       ヴィットリオ・エマヌエレ大通りのロータリー
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       正面にこの街の聖堂の鐘楼、ギルランディーナ・Ghirlandina
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       街の中心部の地図をどうぞ
       我らは北側から来て、コルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレの端で
       バスからおり、歩いて中心に向います。
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       この日中心で見たものは、アッカデーミア・ミリターレ・Accademia Militale
       軍士官学校シナゴーガ・Sinagoga・ユダヤ教徒の礼拝集会所
       市役所・Palazzo Comunale聖堂・Duomo di Modena、そして
       一番左に切れたエステンセ博物館・Museo Estense.
       ・・と書くと、どの様に歩いたかがお分かりですね。

       モデナ駅はコルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレのこちらの端から
       突き当りまで行きそこから北西に、7~800mほどの位置と。




       アッカデミア・ミリターレ前のローマ広場の端を通り、
       街中の細い小路の角で。
       パン屋サン・ジョルジョとありますが、カフェみたいな洒落たお店
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       皆がわぁ~お、と驚いた立派な大きなシナゴーガ
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       シナゴーガというのは、ユダヤ人の礼拝の為の集会所で、
       余りにも凄いので、ならばきっとモデナにはたくさんのユダヤ人が
       いたのだろうと調べましたら、

       確かにモデナには13世紀以来ユダヤ人が多く住み
       15世紀にスペインでユダヤ人排斥が起こった後移って来た人々も多く、
       1638年この辺り一帯がゲットーになった後、1000人ほどが住んでいた様子。

       有数の金貸し業、貴金属業を除き、多くは厳しく報われる事の少ない
       仕事に付かざるを得ず、大きな迫害などはこの街では起こらなかったとはいえ、
       2回の大戦への出兵、その後の変化などなどで、
       現在モデナに住むユダヤ人は100人ほどと。

       この素晴らしいシナゴーガは1873年に建設された、
       イタリアでも有数の、ユダヤ人文化の歴史が残るこの街の記念碑的な物と。
       
       かってのゲットーの道は道幅拡張などで取り壊されたそうですが、
       このシナゴーガのあるピアッツァ・マッツィーニ・Piazza Mazzini
       1、2本東の通り、ヴィア・スクアッローレ・Via Squalloreは、
       陽が射しこむのを妨げる程狭く、背の高い建物が立ち並び、
       かってのゲットーの面影を今に伝えていると。
       
       ヴェネツィアのゲットーは、




       このシナゴーガからすぐ近くにモデナの聖堂、グランデ広場があり、
       
       今グランデ広場の北東の端に出て来て
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       サイトから拝借の写真で、グランデ広場
       左に聖堂、正面が市役所、時計塔のある建物。
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       建物下のポルティチ、アーケード。
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       先回ご案内したモデナの伝統バルサミコ酢の醸造元で、
       試食をさせてもらい、ワインも1杯飲んでいましたから、
       特別お腹が減ってもいませんでしたが、ここで昼食休憩となり、

       5人で、すぐ隣の大きなカフェ・ビュッフェに入り
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       向こう側にはセルフ・サーヴィスのビュッフェがあるのですが、
       我らはこちらのカフェ部分で
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       皆が各自こんなクッキーに、これはカフェに生クリーム、などを取り
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       shinkaiには、そのつもり無く注文したら、薄焼きパンに野菜グリルの
       挟んだのが届き、パンをちょっぴりと野菜だけつまみ出し、ははは。

       今回は時々カフェやレストランでお目にかかる、さすがプロ!という
       ウェイトレスさんで、皆がなんだかんだと質問しながら
       細かく注文するのをメモもせず聞き取り、後の支払いもテーブルで、
       誰がなにを注文したかしっかり記憶しているという・・!
       
       この頃まさにところてん式記憶力のshinkaiには、
       驚異のシニョリーナでしたぁ。
       



       昼食後、元気が良すぎるほどのしっかりお喋りのガイドさんと
       再度待ち合わせ、まず市役所内の見学に。

       グランデ広場の東北の角から、こんな風に階段を上り
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       現在は一見唯一の建物に見える市役所ですが、11世紀頃からの
       次々との建て増しを17~18世紀に改装した物だそうで、
       グランデ広場の写真で見えた時計塔は17世紀に、
       地震の後に崩壊したそうですから、再建された物と。

       コンフィルマーティの間・Camerino dei Confirmati・どういう意味だろ、
       という家族(画家だったと)や、他の肖像画が並んだ部屋。
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       こちらは木の嵌めこみ細工のテーブル
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       部屋の名を覚えておらず、説明を撮ってもおらずで・・、
       これは天井ですが、すっごい部屋だなぁと、ははは。
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       壁が絹の布張りなんですぅ!
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       天井の真ん中にモデナ市の紋章があり、
       正面の絵は16世紀のものですが、ローマ風の衣装で、
       背後に左にボローニャ、右にモデナの街が見え、
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       この部屋は(上の写真も)火の部屋・Sala deo Fuocoと呼ばれ、
       常にこの暖炉に火が燃やされ、市民が暖を取れ、
       また家庭で使う火付けに燃え炭を持って帰る事が出来たという、
       市民サーヴィスの一端で、大変に市民に喜ばれていたと。
       施政者側が本当に豊かだったのでしょうね。
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       廊下の様子
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       グランデ広場側から上った階段の、反対側
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       聖堂脇、南側に広がるグランデ広場。 まさにグランデ・大きい!
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       4年前の夏にモデナに来た事があったのですが、
       来る前はモデナは初めて!と思い込んでいたのですね。
       所がこの広場に来て聖堂を見た途端、いや、ここは来ている!
       と思い出し、ははは、実際その22年前に来ておりましたぁ。

       4年前の春、ちょうどエミーリア・ロマーニャ地方に地震があり、
       その後だったのですが、この聖堂は世界遺産であり、
       即修復が始まっており、内部も半分しか見ることが出来ませんでした。

       今回は内も外も綺麗に修復されており、綺麗過ぎるほどで、ははは、
       別にご案内しようと思いますので、
       今回はこの脇からと




       正面からの1枚ずつのみのご紹介です。
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       聖堂から西に細い小路をずっと抜けていくと、
       古い小さなカフェに人々が集まっている姿があり
       古い街の、昔からの佇まいが偲ばれ、良い感じ。
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       細い道を辿り、エステンセ博物館に行き見学。
       ここもなんとも凄いエステ家のコレクションの博物館で、
       絵画作品よりも、所蔵品類とか、併設の考古学博物館が凄そうでしたが、
       ここのご案内も今回はパス。

       そろそろ夕暮れが近い街中の賑やかな通りを、
       バスの待ち場所に戻りますが、
       
       春色のショウウインドウや
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       ウェディング・ドレスの女性のお供はワン君で
       口の悪い我らは、夫は犬かいな?! ははは。
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       再度ドゥオーモ正面前の広場が見える通りを過ぎ、
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       聖堂鐘楼ギルランディーナも横目に見て
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       ヴィア・エミーリア・via Emiliaの店の明かりを撮っていると、
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       後ろから、マントを着た一団が来るではないですかぁ!
       前の真ん中に見えるのは司祭さんで、
       モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナの
       学生達で、カッコいいぃ!!
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       我々が聖堂見学に行った時、復活祭前の一連の宗教行事として、
       彼らは一人ずつ名前を呼ばれ、「告解」の最中だったのですが、
       ちょうど全員済んで帰る途中だったのですね。

       追っかけするつもりはなく、ははは、でも同じ道を行くもので、
       ついつい揺れるマント姿のかっこよさに惹かれまして・・、へへへ。
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       歩いていく道の突き当たりに見えて来る凄い建物、あれ何?!
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       MODENA-ASOLO と見える垂れ幕は、今年5月18日の
       自転車競技ジーロ・ディターリアの行程案内。 蛇足、へへ。

       隣のオリアーノ村を、ジーロ・ディターリアが通過




       彼らは真っ直ぐ入り口に向かい・・。
       でここは、かってのエステ家のドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
       現在はモデナ軍士官学校となっている事を知りましたぁ!
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       入り口のアーチ前で彼らは記念撮影し、勿論shinkaiも、ははは。
       司祭左の君ぃ、歯を出してにっこりし過ぎだよぉ!
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       モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナは、
       第2次大戦後の1947年、かっての砲兵、技師?、歩兵、騎兵の士官学校が
       統合されて出来た、現在唯一のイタリア軍の士官学校。

       男女共に応募でき、学業は2年間、ここで将来イタリア軍と
       軍警察(カラビニエーリ)の仕官になる基礎教育を受け、
       技師、医師、獣医などになるには、各教育期間の延長が。
       
       載っていた彼らの日課は、朝7時の起床に始まりまさに分刻みで、
       食事時間もイタリア人らしからぬ朝20分、昼夕食30分!
       一日3回に分けての学業と、夜23時30分就寝までびっしりで、
       ガイドさんの話でも、大変に厳しいのだと。




       これは毎年6月2日のイタリア共和国記念日に、
       ローマのコロッセーオからピアッツァ・ヴェネツィアまでの
       フォーリ・インペリアーリ通りのパレードで、行進する姿。
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       この制服は昔からの伝統の制服姿との事。
       最前列に女性の姿も見えますが、カッコ良いですよねぇ。
       ここ何年かパレード中継を見ていませんが、今年は見ようっと。

       古いパレードのご案内ですが、宜しかったら・・、
       なんと同じ制服の女性が映っておりましたぁ。




       記念撮影していたアーチの中は、大きな内庭になっていて
       こんな舞踏会も開かれる様子。 多分女性18才の成人デヴュー舞踏会。
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       アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナのサイトは




       元エステ家のドゥカーレ宮、現在軍士官学校の前に立つこの像は、
       イタリア統一運動時の英雄、チーロ・モネッティ・Ciro Monetti(1798-1831)
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       オーストリアに屈する立場のモデナ公国の独立を願い、
       モデナでの民衆蜂起を企て逮捕され、有罪判決で絞首刑にされたそう。
       詳しい事情はまるで知らないshinkaiですが、
       最初はモデナ公国のフランチェスコ4世との知り合いもあったのが、
       最後は裏切って、処刑判決に署名したフランチェスコ4世の部屋を
       睨む様にも見えるこの像、という説明もありましたです。
       



       最後は、ドゥカーレ宮全体が見えるサイトからの写真を。
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       建物は1634年から建設され、それ以前にあったエステ家の
       古い城跡に建てられたのだそう。
       当時は街の外れだったのが、街の拡張につれ、現在はほぼ中心地に。

       バロック様式の荘厳でエレガントなスタイル。
       
       エステ家のドゥカーレ宮(公爵の、総督の宮殿)と書いておりますが、
       元々ヴェネトはパドヴァ南にあるエステの地から隆盛し、
       フェッラーラの君主(1208-1598)、侯爵となり、
       文化の香り豊かなフェッラーラの宮廷を開いたエステ家・Este。

       教皇領の管轄によりその領土を増やし、1288年にモデナを
       続いてレッジョ・エミーリアも。
       そして14世紀から1859年に至るまで次々と領土の範囲は広がり、
       1471年には公爵位を得、公国領となり、
       モデナはエステ家の本拠地となったのですね。
       街の繁栄振りが分かるような気がします。

       エステ家の最初の本拠地フェッラーラのお城に付いて、1と2を


       フェッラーラの地は継承者が一時不在の際に教皇から召し上げられ失い
       男子の継承が途絶えたりではあるものの、ヨーロッパ中に広がり、
       オーストリアのハプスブルグ家やベルギー王家との繋がりもあり、
       現在もドイツのハノーヴァ家エルネスト・アウグスト公が(1954年生まれ)
       直系の御子孫にあたるのだそう!
       いやぁ、凄いものですねぇ!!


       というような、モデナの街歩きちょっぴりでしたぁ。



     *****

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by italiashiho2 | 2016-04-10 00:53 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(5)
2016年 04月 05日

   ・・・ モデナの 伝統バルサミコ酢 ・ 醸造元見学 ・・・

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       先月モデナに出かけた時、イタリアの伝統食品を代表する一つである
       モデナの「伝統バルサミコ酢」の醸造元を見学しました。

       いつも我が家で使っている大量生産のスーパーで買う品とは違い、
       風味といい、味といい、お値段といい、ははは、
       さすがに違う物だと大いに認識を新たにしましたので、

       モデナの伝統バルサミコ酢というのは、
       どういう過程を経て作られるのかをご覧頂きますね。

      
       上の写真は、訪れた醸造元のボンパーナ・Bompanaの品
       左がモデナ伝統バルサミコ酢のDOP 12年以上の熟成
       右がエクストラ・ヴェッキオといわれる 25年以上の品
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       ちょっと横道にそれますが、これは
       イタリアの大幹線道路、太陽の高速道路・アウトストラーダ・デル・ソーレ
       と呼ばれる、ミラノ~ローマを結ぶ高速A1線
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       片側4車線、これでミラノからフィレンツェまで行った事がありますが、
       片側2車線になります!

       この日高速の上を往復し、先回のパヴァロッティの家博物館、
       モデナ伝統バルサミコ酢見学と回りましたので、
       どちらも田畑の広がる農村地帯にあった、という事を言いたくて、ははは。
       パヴァロッティの家博物館からは東に少しの位置にありました。




       この日の見学は、見学先が狭いのでと、朝バスの中で
       右側席30名、左側30名と半分ずつに分けられ回ったのでしたが、
       
       ここバルサミコ酢醸造元ではそれでも多い位で、
       中の様子が分かりやすいよう、サイトからの写真も拝借しまして。

       ここは2階にある熟成室の様子で、既に階段を上がる時から、
       ぷ~んとあのバルサミコ酢の匂いが満ち満ちており、
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       この部屋で、ここボンパーナの跡継ぎである女性2人が説明を
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       モデナの伝統バルサミコ酢・Aceto Balsamico Tradizionale di Modena
       アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ・ディ・モデナ、
       これはモデナとレッジョ・エミーリアのみで製造される、というか、
       ここ2ヶ所でしか出来ない、ワインから作る醸造酢

       ローマ期からの歴史があるそうで、折々の記述からその珍重された様子が窺えますが、
       とりわけルネッサンス期にフェッラーラからこの一帯に領土を持つエステ家で
       事あるごとに重用され、これで王侯貴族間に評判となった、という歴史を持ちます。

       なぜモデナとレッジョ・エミーリアの一帯のみなのかですが、
       この一帯の特殊な気候的要素による物と見られ、
       冬の寒さ厳しく、夏は暑く風通しがよい、という古い建物の屋根裏に寝かされ
       夏は40度にもなる気温の中で、酵素が勢いよく働き蒸発し、
       冬は不純物が樽の底に鎮まり溜まる、という繰り返しの熟成を重ねるのだと。

       かっては各農家のそれぞれの伝統、不出の口伝えの醸造法により作られ、
       量も少なく、それゆえ高価であり、報酬とか税の品払いにも使われた程だそうで、

       それが1977年にDOCの表示を得て、市況に出回る夜明けとなり、
       1983年にモデナの伝統バルサミコ酢・ABTMの名を得て、
       2000年にはヨーロッパ議会での承認も得たという事になります。

       説明の後、12年醸造、40年醸造、そして中間品の味見をさせて貰いましたぁ。




       上と同じ部屋の反対側の眺めですが、奥の小部屋にも熟成樽が見えます
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       これは説明を聞きつつ撮った、shinkaiの後ろに並んでいた樽で、
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       1971年と記された札が下がる棚で、
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       並ぶ樽に付けられた標識には、樽番号、醸造が始まった年1971年、
       樽の材質Rovere・樫、35L 満杯具合83% と。
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       反対側の列には、1987~1990年からの樽が並び
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       窓は開け放たれているのですが、それでも匂いが充満!
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       お気づきですか、樽の上に白い布がかかっていますね。
       この下は樽に長方形の穴が開けられ、空気が通り、中の液体が
       蒸発出来るようになっているのですね。




       こちらは奥の部屋に並んでいた樽で、
       右横には一番小さな樽が並んでいるのも見えます。
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       バルサミコ酢、のバルサモ・Balsamoとは芳香の事で、
       鎮痛剤とか、シャンプーのリンスの事もバルサムと呼ばれます。

       どの様に醸造され熟成されるか、という事ですが、
       こちらイタリアで酢というとワイン酢で、白と赤がありますが、
       それとの違いは芳香材を加え熟成させたものが、バルサミコ酢とでもいえましょうか。

       使われる葡萄の種類は、モデナとレッジョ・エミーリアの地域内で
       栽培されたトゥレッビアーニ・trebbiani、ランブルスキ・lambruschi、
       アンチェロッタ・ancelotta、サウヴィニョン・sauvignonなど。

       まず搾った葡萄の汁・モストを熱します。
       この段階もモデナとレッジョ・エミーリアでの基準が違うそうで、
       モデナの方でいいますと、
       75度から90度Cの温度で14時間以上、28~30%の濃縮度に、
       そして酵母菌を加えます。

       たくさんたくさん科学的な説明があるのですが、こういうのはまるでダメな
       shinkaiですので、結論のみ要約して、へへ、書いておりますが、

       この段階は、後に続く一連の樽を移し変えての熟成期間とは別で、
    


       樽の図をどうぞ。 これはボンパーナで貰った説明書にあったもので、
       大体似た図が各醸造元の説明にあり、
       この一連の樽はバッテリーア・batteriaと呼ばれ、7つ並ぶ醸造元もありますが、
       ここのは5連で、要はなぜか必ず奇数なのだそう!
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       右から順に、葡萄汁・モストが熱せられ酵母が加えられたものが、
       一番大きな樫の樽60Lに移され、
       次に50Lの栗の木の樽に、
       40Lの桜の木の樽、30Lのトネリコの木の樽、20Lの桑の木の樽、と
       次々と移され熟成を重ね、最後に瓶詰めに。

       樽に使われる木は現在では75%が樫で、
       木が変わることにより加わる芳香も違うそうで、
       それが各醸造元が求める味の違いとなるのでしょうね。


     
       これは熟成期間中の様々な検査なのでしょうか、
       樽の上の穴からの様子を見る写真もサイトで見つかりました。
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       寝かせている間に蒸発する分に付いては、次の小樽に移した時に、
       新しいモストを注ぐのだそうで、
       こういう方法はスペインやポルトガルのシェリーやマデイラ酒、
       イタリアのマルサーラ酒とも同じやり方なのだそうですが、

       こうすると熟成何年、というのがあやふやになるという問題もあり、
       熟成12年のDOPというのは、あくまでも本体の液が熟成を始めた
       年から計算するという事の様子。


       とにもかくにもDOP・原産地名称保護を名乗れるには12年
       熟成期間が要るわけで、これはもう高価な品になるわけですね。

       ここボンパーナで聞いた説明では、彼らの曽祖父から始め今4代目、
       バルサミコ酢の醸造と共にレストランを開き、そこでつかえる物をと始めたのが、
       レストランの仕事は大変なので今はバルサミコ酢の製造のみなのだと。




       樽の列にあったパンフレット、パリオ・デッラ・ギルランディーナ
       Palio della Ghirlandina.
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       ギルランディーナというのはモデナのドゥオーモの鐘楼の名ですが、
       聖堂のあるグランデ広場で毎年開かれる、
       伝統バルサミコ酒の競技会
       味見をしてその年の出来の良いバルサミコ酢にパリオが、
       優勝旗が渡される競技がある事も知りました。
       2016年の今年が第11回目、4月の末から5月にかけて開催される様子。


       伝統バルサミコ酢に付いての説明が済んだ後、
       プラスティックのスプーンが各自に渡され、3種の味見を次々に
       12年もの、確か40年もの、そしてもう一種、名前を覚えていませんが、へへ、
       使いやすい品、として味見をさせてくれ・・。

       確かに12年物は美味しく、やはりスーパーでの品とは違うと思ったのでしたが、
       40年の物はもう一段と円やかで、なるほどなぁと!




       その後大きな倉庫風の建物に案内され
       そこにもこんな様々な大きさの樽が寝かされておりましたが、
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       中央のテーブルには試食用の食べ物が用意されており
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       それぞれに違うタイプの伝統バルサミコ酢をかけて頂き
       なにせねっとりとしているので、なかなか瓶から出てくれませんで、ははは、
       shinkaiのお皿はこんな感じに。
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       左上の白いのがパンナコッタ、その右がパルミッジャーノ・レッジャーノ、
       下の四角いのはパンで、左下は卵焼き。
       3種の各食べ物に違う種のバルサミコ酢をかけて下さったのですが、
       どれがどうなのか、とは聞かないでやって下さいませませ、ははは。

       右のワインは、この一帯の美味しいランブルスコ・ワインで、
       これでお腹もかなりくちくなり、ワインでほこほこに! 美味しかったぁ!!




       この後醸造元としては一番の目的である、ははは、
       販売部門に皆を案内してくれたのですが、

       例えば上の段に見える、このインク瓶位の大きさのこの品
       1971年からの熟成品という事ですが、50mmlで19,5エウロ!!
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       この左の1L瓶、お勧め品なのでしょうが、170エウロ!!
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       チョコレートの真ん中にバルサミコ酢がちょうどブランデーの様に
       入っているもの、店で味見させてもらいましたが、美味しかったです、
       確かに美味しかったですがぁぁぁ、一箱15エウロ!
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       グループの皆さんは、あれこれ買い込まれておりましたが、
       う~ん、shinkaiは正直言って、ちょっと買う気になれませんでした。
       確かに年期をこめて作られた美味しい品であるというのは、
       味見をさせて頂いてよ~く分りましたが、それで十分です、という感じ。
       自分の家で自分が料理する皿には相応しい品では無いなぁと、はい。

       日頃スーパーで見かける大量製品のバルサミコ酢は
       熟成されていないワイン酢に、着色料やカラメル、香料を加えた物  
       だそうですが、
       う~ん、それでも結構野菜料理には美味しく頂いているもんね、ははは。




       というような竜頭蛇尾式見学記になりましたが、きゃはは、
       サイトで検索すると、様々なバルサミコ酢を使った料理が見つかりましたので、
       それらをちょっとご案内いたしますね。

       これからの季節にピッタリの、アスパラガスに。 付け合わせにも良さそう。
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       茄子のグリルに
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       カボチャのクリーム・スープに
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       ズッキーニの入ったパスタに
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       これは美味しそう、サーモンに! 海老に!
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       そして雄牛肉に、ビフテキに!
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       これはもう定番の、イチゴと、パンナコッタ!!
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       バルサミコ酢の美味しさを引き出すには、余り熱を加えない事だそうで、
       料理の最後にさっと加えるのがコツだそうです。

       うん、家で作る野菜料理にも、今後は仕上げにかける事にしよう!!


     *****

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by italiashiho2 | 2016-04-05 00:35 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(10)
2016年 03月 26日

・・・ ルチャーノ・パヴァロッティの家博物館訪問 ・ モデナ ・・・

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       先週水曜にモデナ・Modenaをグループで、市内の聖堂、エステンセ美術館、
       そして郊外にあるルチャーノ・パヴァロッティの家博物館、
       モデナ名物のバルサミコ酢醸造元、等を訪問して来ました。

       当日は生憎と小雨が時にぱらつく日でしたが、
       天気予報の終日雨よりはまし!
       たっぷりぎっしりの日程をこなして楽しんで来ましたが、
    
       今日はまず、イタリアが誇る世紀のテノール歌手
       ルチャーノ・パヴァロッティ・Luciano Pavarotti(1935-2007)
       の家博物館の様子をご覧くださいね。

       shinkaiめはまだ日本にいる頃から彼の歌声の大ファンでして、
       あの明るく豊かな声量の歌声を聴いていると
       まさにイタリアの煌く青空が私の中にいっぱいに広がる様な・・。
       そんな印象で、憧れと共に惚れ惚れと聞き惚れていたのでした。

       なので今回、グループ旅行で嬉しく行く事ができ、
       皆さんにもモデナ訪問の最初にご案内、という、ははは、
       様子です。 彼の歌声も最後に聞いて頂きますね。
       
     

       家の前、明るい彩の家、門扉が目に付き
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       一番左に見えるこれ、これは彼が歌い終わってのいつものご挨拶姿
       手に大きなハンカチを持ち、両手をいっぱいに広げる姿。
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       この家博物館はどこにあるか、
       モデナ市の郊外、Stradello Nava 6 に。
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       蛇足ながら、パヴァロッティ博物館のすぐ北に、高速A1を挟んで
       見えるB&B Contrada という民宿
       ここに2年前の秋、トスカーナに向う前に1泊しており、
       とてもお安く、猫や犬が居たのを良く覚えている、懐かしいB&Bが出て!




       さて入り口の門扉から見る家、左手の黄色い部分はブックショップで、
       母屋は右手のサーモン・カラーの部分
       広い庭の木々に花が咲き始めておりました。
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       母屋の入り口
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       ガイドさんに連れられて入り口を入ると、右手奥にピアノが見え
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       話を聞くと、彼は自分の幸運だった人生を振り返り、
       パン屋の息子に生まれ、特別の財産があったわけでもない彼が、
       その折々に人々から受けた支援で今があると考えていて、
       この家にやって来る歌手志望者には、
       このピアノで無料レッスンを与えていたそう。

       左に切れて、彼の着ていたモーニングが見えますが、
       さすが、大きい!!




       ピアノの右手の壁には、大きな書棚
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       この家は古い農家が売りに出されたのを買取リ、取り壊し、
       彼の長年のアイディアをすべて込めて
       古い田舎家風に新築された物なのだそう。

       80年代に買取リ、設計が始まり、実際に工事に掛かったのは
       90年代。 彼はすべてを自分の思うようにしたい、が
       しょっちゅう海外にも公演で出かけるので、しばしば工事中断も。
       
       実際に家が完成し、ここに住んだのは約3年間!
       で、このお家で亡くなったと。 




       入り口側の壁はこんな感じで、
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       ここにはプッチーニの手紙のコレクションが。
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       そうですよね、ジャコモ・プッチーニのオペラ作品、
       トスカ、トゥーランドット、ラ・ボエーム、蝶々さん、などなど、
       パヴァロッティの当たり役がたくさんありました!

       プッチーニの家博物館のご案内
       



       家の中の家具類などは、すべて使っていたものがそのままにされており、
       それに博物館としての資料を加えている、という事で、

       この陳列ケースには、左上にメモ帳、その右下に折れ釘
       舞台で手に持っていたハンカチ類(右上光って見え難く・・!)
       蝶ネクタイなど。
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       折れ釘、というのは最初の舞台だったか、
       舞台で見つけた折れ釘をポケットに入れていたのが上手く歌えたので、
       それ以来彼のおまじないのようになったのだそう。




       左上にあったメモ帳、かなりのメモ魔だったようで、
       左側のには、各公演日に *TOSCA OK one などと。
       oneは、benoneの略で、bene良い、の上級形、
       つまり公演の出来具合を記していて、
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       右側の開かれているページには、あれこれ料理のレシピ!

       ガイドさんによると、パン屋の隣に大統領の電話番号があったりで、
       彼にとっては皆同じだったんだろうと、ははは。




       入り口扉の正面にはエレベーターが備えられていて
       そりゃまぁ、あの体格で階段を上がるのは大変でしたでしょうしね、はは、

       そのガラスに書かれていたのを見て、あれ?!
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       Buongirono a questo giorno che si sveglia oggi con me,
       buongiorno al latte ed al caffè,
       buongirono a chi non c'è...
       今朝一緒に目覚める君にお早う、
       カフェラッテにお早う、
       ここに居ない君にお早う・・

       この歌詞はしばらく前にTVで流れたヌテッラ・半液体チョコレートの
       懐かしく彼の声を聞きましたっけ!  多分彼の最後の曲なのかも・・。
    
   


      1階の反対側の部屋には、彼の写真とシャツがあり、 
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       部屋にかかっている油絵は、皆彼が描いたものだそうで、
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       部屋の壁の色も明るいでしょう?!
       明るい色が好みだったそうで、絵もその通り明るい色調。
       そして、やはり美味しい物が大好きだったと!




       この部屋の半分の天井はこんな風に古い格子天井が使われていて、
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       こじんまりとした居間風で、クッションでいっぱいのソファー
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       カード遊びが大好きで、公演旅行にもカード仲間が一緒だったと!
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       彼のお父さんは、やはり美声のアマチュアで歌っていたそうで、
       まさにステージ・パパとして、世界中の公演に付いてまわっていたと、
       これはイタリアに来てからの彼のインターヴューで聞きました。

     


       間の細い廊下、脇の棚には食器類、を抜けると
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       広い黄色い台所!
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       流し台と6口のガス台の間が遠いのが、ちょっと気になりましたが、
       はは、すぐテラスに続くドアがあり、
       夏など気持ちの良い昼、夕食だったでしょうね!




       さて我らは、明るいサーモン・ピンク色の階段を上り
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       2階と3階の中央は吹き抜けになっており
       天井が開き明るい広い空間に。
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       左に行くと、クローゼットがあり
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       その奥は、キングサイズのベッドがある寝室!
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       部屋にかかる自作の油絵、2度目の結婚で生まれたチビちゃんと
       彼の愛情が溢れていますね。
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       彼は2度結婚しており、shinkaiがイタリアに住むようになって後に、
       TVニュースで彼と秘書のニコレッタとのゴシップが流れるようになり、
       遂に前の奥さんと離婚、若いニコレッタと結婚、女の子誕生、
       という様ないきさつがありました。

       日本で単純に彼の歌声を聞いて惚れ惚れしていたのと違い、
       イタリアでのジャーナリストのインタヴューの肌合いの違いにも
       驚いた物でしたが、
       例えばインタヴューで、貴方はお金に細かいそうですが、本当ですか?
       なんぞとは、日本では大物歌手には訊ねないですよね?
       そんな違いもあったのですが、

       ニコレッタと一緒になってから始めた公演、
       パヴァロッティとフレンズ、という音楽ジャンルを問わずの、
       若いミュージシャン達との公演中継も最初の何回かはTVで見たものの、
       やはりちょっと違うな、という感じとなり、

       ニコレッタが冷たい、と言ったという様なゴシップも聞くと、
       次第に単にCDを聴くのみとなり、そして訃報、という様子でした。




       寝室の隣にバス・ルームがあったのですが、
       こちらは普通サイズのバスやトイレで!  皆がちょっと驚き、
       ただし体重計は大型でしたぁ!
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       寝室の反対側には、こんな風にすっきりの白い部屋もあり
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       屋根裏っぽい部屋には、大型スクリーンを寝転んで見れる設えがあり、
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       暫く眺めていましたら、この懐かしい、歌い終わっての姿が出て!!
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       出合ったたくさんの人々との写真!!
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       左上はダライ・ラマ、ポール・マッカートニー、コロンボ警部、ははは、
       アナン国連総長ですよね、左下は誰かな、そしてカラヤンとミレッラ・フレーニ、
       彼女は同じモデナの、しかも家も近い子供の頃からの知り合いだったそうで、
       ボエームの舞台も一緒だった時のCDも持っていますが、
       ヨハネ・パオロ2世とも!

       家のあちこちに大きな彼の写真があり、舞台で使った衣装も
       様々展示されていましたが・・。
       



       反対側の隅には、彼の肖像画
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       上から見下ろす吹き抜け部分
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       上からエレベーターで地下1階まで降りると、
       世界各地から届いたファンレターや、写真、プレゼントの展示があり、
      
       彼は馬が好きで、ここモデナに厩舎も持っていたそうですが、
       馬との写真もたくさんあり、
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       パヴァロッティとフレンズ、の公演仲間との夥しい写真! 
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       お家の庭の隅に、子供用の遊び道具があり
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       彼の理想の家とすべく、長い年月をかけて造った家に僅か3年、
       というのを聞き、ちょっと哀しくなりました。
       現在2度目の妻(と子)は、ボローニャに住んでいるそう。
  
       享年71歳、まだまだ歌える年だったと思うと、ちょっとね。
       冥福を祈ります!!


       彼の一番有名な曲というと、やはり「トゥーランドット」の
       ネッスン・ドルマ・Nessun Dorma・誰も寝てはならぬ、でしょうか?
       こちらでどうぞ。


       shinkaiの大好きな、情緒てんめんたる、はは、カルーゾ・Carusoを。


       最後は皆さんに、イタリアの青空の広がりを!
       懐かしい、ホセ・カレーラス、プラチド・ドミンゴと一緒の楽しいのを。
       

       こうして聞き直すと、やはり本当に素晴らしい偉大なテノールだったと!!
       同時代に生き、折々に近しい感じで聞ける事が出来たのを嬉しく思います




       パヴァロッティの家博物館は
       月曜休館 毎日10時から18時までオープン、
       住所は Stradello Nava 6 Modena 
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       公式サイトはこちらに
       ニコレッタが語るパヴァロッティ、のヴィデオもあります。



     *****

     ◆ 展覧会のお知らせ ◆

       ブログリンクをさせて頂いていますフレスコさん、永見隆義さん
       陶芸の内山正義さんの2人展が
       3月31日から4月5日まで、大阪心斎橋ギャラリー永井にて開催されます
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       どうぞご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます


     *****

       さて、この27日はパスクワ・復活祭!
       いよいよ春の盛りを迎えますね。

       皆様、ブオーナ・パスクワ!! 
       良い復活祭をお迎えくださ~い!


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 描き始め2枚と、 花盛りの木々 を
       アップしています。
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by italiashiho2 | 2016-03-26 00:16 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(15)
2015年 03月 17日

   ・・・ ソラーニャ、 トッレキアーラの城 ・ パルマの城その2 ・・・

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       先回に続きましてパルマの城その2をご覧頂きますが、
       城の内部は写真禁止でおまけに寒い曇天の日とあり、
       町の内も余り見ずに皆とバールに引き篭もり!だった、
       ・・という訳で、はは、

       パルマ周辺でshinkaiが一番見たいと思っている城でもあり、
       美しくもまた素敵な愛の逸話もあるトッレキアーラの城
       ご案内も一緒にご覧下さいね。
     
 
       当サイト名が無い写真はすべてネットから拝借のもので、

       トップは最初にご案内のソラーニャ・Soragnaにある
       メーリ・ルーピの要塞・Rocca Meli Lupi の上空からのもの。

       こうしてご覧になると良くお分かりと思うのですが、
       まさに城のお膝もとの小さな町、という感じですよね。
 
       先々回にご案内したパルミジャーノ・チーズの博物館は、
       写真の左上にあり、鍵の手に曲がって来て、
       町の入り口は城からまっすぐの正面突き当たりにあります。

       城の背後、そして右手上に見える広大な庭は、
       依然現在の城の持ち主の物の様子です。



       こちらが町の入り口突き当たりに城の入り口が見え、
       写真手前の道を左に曲がっていくと、パルミジャーノの博物館。
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       町の中心の通りと、城の入り口で、
       城前両脇にライオン像が見えますね。
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       これがその左側のライオン君で、ははは、
       あちこちで色々なライオンを見ていますが、
       こんなに鼻を上に向け顔が見えない、というのは初めて!
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       あ、右側のは多少上を向いていますが、まぁ、顔が見えます、はい。       




       上から見るとこんな風に四角い城館であるのが良く分かり、
       正式に呼ばれるソラーニャのメーリ・ルーピの要塞
       という名に相応しい塔も何もありません。
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       正面から堀にかかる石橋を渡って中に入りますが、
       かっては水が湛えられていたのでしょう。




       こちらが正面右横の堀の部分で、奥の庭園に繋がるものと・・。
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       正面入り口から、中の内庭部分
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       素敵な雰囲気でしょう?!




       内庭に立つ彫像、これは美の女神ですね。
       季節が良くなり蔦が緑になる頃、そして秋の紅葉時には
       さぞ見事な事でしょう!
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       入り口から見る、天井の装飾
       そうなんだ、これも蔦の葉ですね!
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       内部の階段を上り
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       こんな風に、上階の見学が始まったのでしたが、
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       ちょっぴりこの城・要塞についてですが、
       1385年一帯の領主だった侯爵ルーピ家が要塞を建設、
       後17世紀の末に、貴族の居城として改修されたのだそう。

       名にあるメーリ家というのは16世紀初めに、
       ルーピ家の当主の跡継ぎが無く、曾孫に当るクレモーナの著名家、
       ヴェネツィアの貴族でもあったメーリ家のジャンパオロ1世を
       跡継ぎに指名したのだそうで、
       現在もこの一族がこの城の持ち主で、奥の一廓にお住まいと。
       
       
       城はかってやはり堀に囲まれていた様子で、
       四角い城館の四隅に塔もあったのだそうですが、

       現在見る内部装飾は完全に豪奢なロココ調でして、
       かなり広く明るく、・・ご覧下さいませませ。

       ヘラクレスの間(Sala d'Ercole、または黄色の間)
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       上は説明から部屋の名が分ったのですが、へへへ、
       この部屋の名は分りませんで・・。
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       こちらは舞踏室
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       写真に見える上隅の像を見て、私はなぜか
       五月人形の鍾馗様を思い出し・・、ははは。
       



       名の付いた廊下があれこれある様子で、
       我々が見たのはこれよりも幅の広い廊下だったですが・・、
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       究極は、このきんきらきんきんの玉座の間・Sala del trono.
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       つまりこのメーリ・ルーピの当主は侯爵だったのですが、
       同時に神聖ローマ帝国皇帝から「プリンス・公、君主」のタイトルも
       受けておりまして、それでこういう玉座も設けていたのでしょう。

       ですが、各地で見た玉座の間でもこういうきんきらきんは珍しく、
       正直に言いまして、成金趣味的センスを思いましたです、はい。

       他にもたくさんのコレクションの部屋、多くの陶器の壷やお皿もあり、
       ガイドさんは日本と中国の陶器と説明されたのですが、
       どう見ても中国製、年代から考えても中国製と思えるものとか、
       家の礼拝堂など等、さまざまがありましたです。




       やれやれと見学を終え階下に下って来た時に脇に見えた
       これもコレクションの部屋なのでしょう。
       こんな年代ものの自転車が見え、こんな方が素敵ですよねぇ! 
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       城から出ての町の通り道、まだ新しい自転車が止まっており、
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       これはついでに。 先に見たフォンタネッラートの城前の
       眼鏡屋さんのショウ・ウインドウにいた豚ちゃん
       パルマは生ハムでも有名ですから良いのかもですが、
       眼鏡屋さんのウインドウに、化粧ばっちりの豚ちゃんというのが、ははは。
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       寒い日で、足のつま先が凍えると皆こぼしましたが、
       お昼の後も一目散にバールに行き、今またお城からすぐ前の
       バールに皆が溜まりまして、ははは、
       「プンチ」とこちらでは呼ぶ、オレンジ風味のラム酒に熱湯を注ぐ
       寒さよけの熱い飲み物をすすりつつ、お菓子も食べ・・。

       そのバールにあったモカ・家庭用カフェ沸かしのコレクション
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       上から2段目右側に見える、注ぎ口が下を向いているのはナポリ式
       緑色のは新しく出ているものでアルプス兵の羽根の付いた帽子の形で、


       その右の方に蓋の青いのが見えるのが、これ。
       中がプレゼーピオの、キリスト誕生場面になっていて、
       蓋の内側には星空で、ちゃんとレースの飾りも付いた可愛らしさ!
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       このバールで、ルイーザが半分以上残っていたプンチを、
       shinkai、全部飲んでいいよ、お菓子も食べて、というので、
       はぁ、残すのは勿体ないのでしっかり片付け、
       体もホカホカとなり、帰りのバスの中でぐっすりとなりましたぁ。




       所で、バールの横にあったのがこれ、
       Oltre...・オルトゥレ と見えますね。 向こうに~ の意味で、
       下にOnoranze Funebri・つまり葬儀社でして、
       24時間営業とあり、皆で大笑い! 
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       普通葬儀社の場合、XX葬儀社という名が一般ですが、
       初めて別の名をつけた店を見たのでした。




       という所で皆さんにも、はるか向こうに想いを馳せて頂きましょう。

       もう一度、パルマ一帯の城・要塞の地図をどうぞ
       四角く囲ったソラーニャとフォンタネッラートはご案内した分で、
       下の線を引いたトッレキアーラ・Torrechiaraがいつかみたい城!
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       別に線を引いたもう2つ、ロッカビアンカ・Roccabianca
       サン・セコンド・San Secondoの地名もご記憶に。
      
       と言うのも、今回憧れのトッレキアーラの城に関する
       ロマンチックな、男の純情みたいなお話を、ははは、
       ゴシップ大好きshinkaiがサイトを読み写真も集め、
       ここで薀蓄を傾けて、ははは、ご紹介しようと言う訳で、
       よろしくお付き合い願いま~す。




       トッレキアーラの城について知ったのは、米映画「レディー・ホーク
       が先で、あの映画には3つの城が登場、使われておりました。
       映画の出来は一流とは言えませんが、ははは、
       中世好きなshinkaiには、日本から見る憧れの中世の城でして、
       こちらに来て後、偶然に旅行雑誌の写真から、
       あれは「トッレキアーラの城と言うのだ」と知った訳です。
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       映画に登場するもう一つの城はソンチーノ・Soncinoにあり、
       こちらでご案内を。 
       その1と2で、2にはトッレキアーラの城についても。

       そしてもう一つはアブルッツォの山中にある、半ば廃墟の城です。




       今回初めてこの写真、上空からの姿も見つけたのですが、
       実戦的な城でありながら、素晴らしく美しいでしょう?!
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       中心になる右側の四角い城郭から左に飛び出すテラス2つ!
       15世紀に建造された実戦用の城に、誰がこんな物をつけたのか?!




       この「金の寝室」と呼ばれるのが、中でも有名な部屋なのですが、
       壁を埋めるのが陶板、真ん中に2つハートを重ねたデザインで、はぁ、
       かっては金色に塗られていたのだそう。
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       上の壁には、それぞれ貴婦人の前に跪く騎士が描かれており、



       この今両側に立つお二人がこの城の主人公で、
       何世紀後のshinkaiにもブログの話題を提供してくれる、ははは、
       左の騎士がピエール・マリーア2世・デ・ロッシ・Pier Maria II de' Rossi
       (1413-1482) 普通ピエール・マリーア・ロッシとも呼ばれ、
       右側が彼の純愛を受けた愛人ビアンカ・ペッレグリーニ・Bianca Pellegrini
       (1417-1480頃)
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       ピエール・マリーア・ロッシは、マニーフィコ・Magnifico・見事な、素晴らしい
       というニックネームを持つほどの男。
       ミラノのヴィスコンティ家との繋がりが深い事から、文武の教育に送り込まれ、
       文学、音楽、数学、天文学、そしてフランス語、スペイン語、ラテン語、
       ギリシャ語、果てはアラブ語、ヘブライ語まで学び、
       武術に関しては言うまでもなく優秀で、ヴィスコンティ家の傭兵隊長を勤める程に。
       
       14世紀からサン・セコンドの地に頭角を現したデ・ロッシ家ですが、
       このピエール・マリーア・ロッシの働きで、領地が広がり、

       15歳で結婚した隣接する家柄のアントーニア・トレッリ・Antonia Torelli
       との間に10人の子を儲け!ますが、(男児7人、女児3人)
       1440年頃ミラノの宮廷で、多分ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ、
       ヴィスコンティ家の最後の血筋でフランチェスコ・スフォルツァの妻、
       のお付をしていたビアンカ・ペッレグリーニと知り合い、
       我を忘れ熱狂的に愛するように!  はい、そう来ませんとね。

       ビアンカは既に既婚女性だったようですが、
       ピエール・マリーア27歳、ビアンカ23歳!
       パルマの地に帰る彼に彼女は従い・・。
       当時のミラノの宮廷でも、大変な騒ぎだったでしょうねぇ!

       所でピエール・マリーアの妻アントーニアは、出来すぎた妻と言うか、
       夫が愛人を連れ帰り、彼女の為に夢中になってロッカビアンカ
       ・Roccabianca の城建設を始めると、自分は修道院に身を引き、
       本当だったんだろうか?! これは少し可哀相・・。
       1468年に亡くなりますが、愛人達は結婚せずに終わります。

       ロッカビアンカの要塞のある地名ですが、元々は別の名だったのが、
       ビアンカに捧げる城を造った事から、土地の名もロッカビアンカと
       呼ばれる事になったのだそうでして・・!


       さてお話はトッレキアーラの城に戻りまして、
       ロッカビアンカの次に、ピエール・マリーアは少し離れた地に、
       1448年から1460年の間にトッレキアーラの城建設を


       2人の愛の巣に相応しい、実戦用の要塞でありながら、
       大きなテラスを2つも持った、なんとも美しい城の姿でして、
       
       上で見て頂いた金の寝室の天井は、こんなフレスコ画装飾で、
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       ピエール・マリーアは27もの城・要塞を持っていたそうで、
       それをビアンカが巡礼して回る、
       彼女の姓のペッレグリーニは巡礼者の意味ですよってね、はい、
       という図柄になっているのだそう。  あ~あ、甘いなぁ!




       城の中は後の時代の、グロテスク模様の素晴らしい部屋
       いくつかあるようですが、それの一つを。
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       これは古い時代のもの、彼らの時の物かも知れないと思える
       小鳥達が飛び交うテラスの図柄。
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       このお2人は、ビアンカが1480年に63歳で、
       ピエール・マリーアは1482年に69歳で共にこの城で亡くなり、
       城の礼拝堂に埋葬されているという事で、
       中世の世に起こった、お互いの愛を全うしたとも言える
       お話なのでした。

       思うのは、イタリア男の純真さというのか、まっすぐさというのか、
       自分が惚れた女に対する愛情を隠しませんね。
       それどころか誇示する所もあるようで、

       シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ、リミニの狼と呼ばれ、
       極悪人の様に言われた男でも、自分が愛したイゾッタとの
       2人のイニシャルを重ねた印を至る所に残したり・・。


       サン・セコンドのデ・ロッシ家は、その後一時の衰退も
       ありながら約5世紀間継続し、19世紀に後継者無く消滅。

       このトッレキアーラの城はその後所有者が変わりながらも健在で、
       イタリアの城塞建造物の中でも大変よく保存されているものだそうで、
       1911年から国の記念建造物となり、一般公開中。

       見学時間 
       11月から2月 火曜ー金曜 9時から16時半
               土曜、日曜、祭日 10時から17時
       3月から10月 火曜、日曜、祭日 10時半から19時半
               水曜ー土曜 8時半から19時半
               月曜休館



       白く雪化粧した美しい城と
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       霧に浮かぶ城に、中世の愛人達を想い・・・。
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       お付き合い、有難うございました!
       
 

     *****

       水彩ブログには、 仕上げにしたい3枚 を
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by italiashiho2 | 2015-03-17 05:59 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(17)
2015年 03月 12日

   ・・・ パルマの城 その1 ・ フォンタネッラートとパルミジャニーノ ・・・

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       今日は、先日出かけたパルマで見た2つの城・要塞の内の一つ、
       フォンタネッラート・Fontanellatoの要塞と、
       中にありました若きパルミジャニーノの壁画をご案内しますね。

       お天気が良くなく写真の発色も悪く、おまけに要塞の中も写真禁止、
       というのでどうしようか、と思っていたのですが、
       ちょうど良いサイトを見つけましたので写真を拝借し、
       必死のパッチで纏めましたので、へい、ご覧下さい。

       まずトップは、フォンタネッラートの要塞
       素敵でしょう?! これを見て行きたくなったのでした。



       元のパルマ公国にある23の城・要塞、このうちの22が協会
       Associazione dei Castelli del Ducato di Parma e Piacenza
       を作っており、こんな地図も見つかりました。
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       今回行ったのは四角で囲った、今日ご案内のFontanellatoとも一つ、
       先回パルミジャーノの博物館をご案内したSoragna・ソラーニャ

       いつか行って見たいと思っているのは、下に見える
       トッレキアーラ・Torrechiaraの城なのですが・・、



       
       協会のサイトにはこんなうずうずさせる様な写真もあり、ははは、
       親切shinkaiですので、下に城・要塞の名を書き出しますね。
       左から右への順で、地図とあわせて場所確認をどうぞ。
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       1. Antica Corte Pallavicina・アンティーカ・コルテ・パッラヴィチーナ
       2. Castello di Compiano・コンピアーノ
       3. Castello di Gropparello・グロッパレッロ
       4. Castello di Roccabianca・ロッカビアンカ
       5. Castello di San Pietro in Cerro・サン・ピエトロ・イン・チェッロ
       6. Castello di Sarmato・サルマート
       7. Castello Malaspina dal Verme di Bobbio・マラスピーナ・ダル・ヴェルメ・ディ・ボッビオ
       8. Fortezza di Bardi・バルディの要塞
       9. Mastio e Borgo di Vigoleno・ヴィゴレーノの大塔と集落
       10. Rocca d'Olgisio・オルジシーオ(オルジーシオ?)の要塞
       11. Rocca e Castello di Agazzano・アゴッツァーノ
       12. Rocca Meli Lupi di Soragna 次回ご案内・ソラーニャのメーリ・ルーピ

       一般にCastello・カステッロは城(居城)、Rocca・ロッカは要塞を
       示すのですが、最初は要塞建設でも後に居城として改修される事もあり、
       大きさには余り関係ないのが普通です。



       
       その2
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       1. Castello di Montechiarugolo・モンテキアルーゴロ
       2. Castello di Paderna・パデルナ
       3. Castello di Rivalta・リヴァルタ
       4. Castello di Scipione dei Marchesi Pallavicino・シピオーネ・デイ・マルケージ・パッラヴィチーノ
       5. Castello di Torrechiara・トッレキアーラ
       6. Castello di Varano De'Melegari・ヴァラーノ・デメレガーリ
       7. Reggia di Colorno・コロルノの王宮
       8. Rocca dei Rossi di San Secondo・ロッシ・ディ・サン・セコンド
       9. Rocca di Sala Baganza・サーラ・バガンツァ
       10. Rocca Sanvitale di Fontanellato・今日ご案内サン・ヴィターレ・ディ・フォンタネッラート
       11. Rocca Viscontea di Castell'Arquato・ヴィスコンティの要塞カステルアルクワート

       サイトは http://www.castellidelducato.it/castellidelducato/
       写真をクリックしますとその城・要塞に飛び、写真が見れますので、
       どうぞお楽しみくださいね!

       お陰さまで、ははは、行ってみたい場所が増えちゃったぁ!!




       という様な前置きが長くなりましたが、さて今日ご案内の
       サン・ヴィターレ・ディ・フォンタネッラート・Rocca Sanvitale di Fontanellato,
       正式名称は要塞となっておりますが、

       買って戻りました20世紀初頭のデッサンの絵葉書を。
       歴史的にこうであったろう、という想像も加味している様子で、
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       現在は城の周りの堀には水が湛えられていますが、
       この図では集落の周りをもう一回り、水堀が囲んでいますね。
       現在は外の堀は空堀で草地になり、
       周囲もたくさん住宅が立て込んでおりました。


       左端中程に見える橋を渡り、


       門をくぐり、商店の並びを進みますと
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       城の前広場、左側は絵葉書と変わりない家並みが続き、
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       城の正面
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       城の左側、堀の水は湧き水利用なのだそうで、
       今見える端に突き出した丸いでっばりの塔をご記憶に!
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       そして右側
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       正面の主塔、上部の時計、・・止まっています。
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       主塔の下を潜る石橋を渡り、かっては木の巻上げ橋だったそう、
       城の内庭に。 シンプルな半円アーチが3層に囲みます。
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       壁にあるランプ、かなり大きかったのですが・・。
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       2階への外階段を上り
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       ガイドさんに連れられて中の見学を。
       25人程づつ2つのグループに別れたのですが、
       一旦内部に入ると、扉の鍵を閉めるほどの厳重さでして・・!

       ちょっぴりこの城について、ですが、
       最初に軍事的役割の主塔が、パッラヴィチーノ家・Pallavicinoにより
       建設されたのが1124年と見られ、1386年にサンヴィターレ家に
       取って代わられ、1404年に伯爵領に。
     
       この時代に要塞だったのが一族の居城となり改修され
       なんと1948年まで約7世紀間、この城に代々一族が住まわれ、
       最後は市に城を売ったのだそう。
       ガイドさんに何故と聞きましたら、やはり維持が大変なのだそうで・・!



       サイトからの写真で、

       ビリヤードの部屋。 普通の台よりもずっと長く大きく、
       脇には長~いスティックもあり、
       ほら、普通は台布は緑色ですよね? でもこういうお部屋には、
       ちゃんと部屋に合わせての色なんですと、へっへっへ。
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       天井の梁に見える様々な紋章は、城を訪れた方々の紋章でして、
       架かっている絵には必ず猫が登場しており、どんな故事か忘れましたぁ!
       それがですねぇ、全然可愛い猫ちゃんではなく、
       shinkaiに描かせろ!と言いたくなり、ははは、冗談で~す。

       食事の部屋もありましたが、周囲の壁にずらっと並ぶお皿は
       サンヴィターレ家の紋章入り、大きな30cm以上もある大きなお皿!
       真ん中が窪んでいてスープをいれ、その周囲の幅広の縁の部分に
       あれこれ料理を乗せて食べたのだそうで、つまりワンプレート!
       貴族様方とはいえ、優雅なのか、がっついて一度にあれもこれもなのか、
       ははは、皿洗いの手間を省く為なのか・・、どう思われます?!




       寝室でしたが、ベッドが異様に短いでしょう?
       なぜかというと、当時の貴族様はたくさん食べるので、
       消化に良い様、クッションを当てベッドに半身を起こして寝たのだそう!
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       ふ~む、でもね、枕がふたつ並んでいるから、
       ご夫婦ご一緒だったという事? ・・狭くなかったんだろうか?
       それに、貴族の方々は寝室がご夫婦別室だったのではないかしらん?

       それにしても、保存の為なのかどの部屋も薄暗く、
       暖炉も小さく、実際あの日は寒く、住みたいお城では・・、ははは。
       たくさんのコレクションもありましたがぁぁ・・。




       上から見た内庭、見える塔が主塔。
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       窓と円柱
       柱頭に見える「盾に斜め線」が、サンヴィターレ家の紋章。
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       内庭から東側のテラス庭に。 
       ここは地表からは2階部分になる、いわば植物園的な場所で、
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       塀の内側の奥右に、城正面から見た左の丸い塔があり、
       現在イタリアに残る唯一という、暗室・カメラ・オブスクーラが

       1グループづつ入って実際に見たのですが、
       真っ暗な丸い塔の中に2箇所席が設けられていて座ると、
       その頭上の天井部分に小さな穴があり、
       そこに四角なクリスタルが嵌め込まれていて、
       それを通して堀の外の景色がかなり鮮明に、
       手元に置かれた少しカーブをつけた画面に映るのですね。

       現在なら何のことは無い、塀の上から覗くとか、
       切込みから覗けばもっと鮮明な実際風景が見れるものを、
       やんごとなき貴族様の優雅なお楽しみだったのかどうか・・!




       屋敷の壁の角、縁戚になった家の紋章でしょうか。
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       城の入り口部分の橋と堀、そして東角の塔方面
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       病める太陽、と文学的表現で、ははは。
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       もう一度内庭に戻り
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       南西角の一廓を見学しますが、
       ここにこの城一番の宝、16世紀の画家パルミジャニーノ
       Parmigianinoのフレスコ画があります。

       パルミジャニーノ、本名はジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ
       ・Girolamo Francesco Maria Mazzola
       イタリア・マニエリズモの代名詞的画家ですが、ここパルマの生まれ、   
       (1503-1540)僅か37歳で亡くなっていて、

       フィレンツェ・ウッフィツィ美術館所蔵の
       この「長い首の聖母」と呼ばれる代表作(33才頃)は、良くご存知と。
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       画家であった父親を幼くして亡くし、やはり画家の叔父のもとで
       最初の基礎を習い、その他はもっぱら当時の画家の作品を見る事で学んだ様子。

       若くから助手として出発し、認められる作品も描き、



       1524年21歳のパルミジャニーノが描いたフレスコ画
       当時の領主ガレアッツォ・サンヴィターレ・Galeazzo
       の妻パオラ・ゴンザーガ・Paola Gonzagaの個人浴室・ストゥフェッタ・
       stufettaに描いた「ディアーナとアクタイオン」のギリシャ神話のお話

       ディアーナの水浴画面を覗いた猟師アクタイオンが鹿に変身させられ・・、
       という逸話は、ティツィアーノの画でも有名ですが、

       ここではお話に関係なく、まず東側、そして中心のアップ
       既に後のパルミジャニーノの画風が見られ、驚きました!
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       北側と、中央上場面のアップ
       このアップの部分は城の入場券にも使われていましたが、
       なんとも凄い子供、というか、女の顔ですよね?!
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       西側、水浴場面と鹿も見え
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       南側
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       天井部には12人の天使と子供達、その上には薔薇の生垣と
       空が広がり、中心には鏡、という趣向。
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       確かこの部屋に窓は無かったか、テラス越しの窓だったか、
       現在は電灯がありますがかなりの暗さで、
       ガイドさんが電気を消して当時の様子を窺わせてくれました。
       アーチの切れ込みなどの陰が一層暗く、逆に主題がはっきり見え
       なんとも素晴らしい作品でした!!

       昔はマニエリズモなんて!と好きではありませんでしたが、
       今回こうして改めて見ると、やはり凄い画家だったのですねぇ!
       若くしてマラリアで亡くなったのが、残念でした。

       パルミジャニーノの壁画の写真は、ウィキペディーアから拝借です。




       城内部の写真は禁止だったのですが、唯一内緒撮り出来たのが
       この子供の為の小さな芝居小屋、とはいえ大変豪華なもので、
       他の暗い冷たい部屋を見た後では、ホッとしましたっけ。
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       最後は、城の内庭から入り口、橋に向いて
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       この城の見学時間ですが
       4月から10月 平日9:30-11:30 15-18 祭日9.30-12 14:30-17
       11月から2月 平日10-11:30 14.30-16.30 祭日10-12 14:30-17
       3月 月曜休館 平日9:30-11:30 15-17 祭日9.30-12 14:30-18
       とかなり細かいので、行かれる方お時間にご注意を。


       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました!       
       

       
 
     *****

       水彩ブログは、仕上げたい「モンテプルチャーノの緑」と
       「ヴォルテッラの朝」に手を入れ、写真も撮ったのですが、
       写真の中で見ると仕上がりが良くないのに気がつき・・、クスン、
       久し振りにパスを!
       次回までに、もう一度がんばりま~す!!   
     
    
     *****        
       

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by italiashiho2 | 2015-03-12 02:35 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(15)
2015年 03月 07日

   ・・・ パルミジャーノ・レッジャーノ ・ イタリア・チーズの王 ・・・

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       今日はイタリアの数あるチーズの中でも「チーズの王」と呼ばれる
       パルミジャーノ・レッジャーノ・Parmigiano Reggianoのお話を。

       手近な所では、削ってスパゲッティやミネストローネに振り掛けたり、
       詰め物パスタの中身に混ぜたり、薄く削ってサラダやカルパッチョの上に、
       またはそのまま割っておつまみにしたりと、
       皆さんも良くご存知の、
       イタリア料理には欠かせない芳醇な香りと濃厚な味
       まさにチーズの王の名に恥じない美味しいチーズですが、



       先日出かけたパルマ・Parmaはこのチーズの生産地。
       城を見に行ったソラーニャ・Soragnaにちょうど
       パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズの博物館があり、
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       こんな風に町の脇道を入っていった奥に
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       かってのこの町の城主メーリ・ルーピ・Meli-lupiの
       所有していた一廓、農家の横に
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       チーズ製造所・カゼイフィーチョ・caseificioがあり、
       1848年に建設された円形の建物で、1977年まで実際に使われていたのを、
       現在博物館としているのだそう。
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       ちょうどお昼にお腹を空かせて訪問した我々を迎えてくれたのが、
       この博物館のこちら手前にある建物、お味見所で、

       こんな生ハムとパルミジャーノ・チーズ、パンとワイン
       供されたのですが・・、
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       生ハムもパルマ産は美味しいので有名ですが
       私は生ハムは食べず、皆がお腹を空かせたハイエナみたいに、ははは、
       パルミジャーノを割ってくれるのを待ちきれずに一斉に手を出し、
       写真を到底撮れず!  

       おまけに、生ハムもチーズもワインも、皆冷たい食べ物ですよね?!
       チーズをかじり、パンをかじり、寒いのでワインをたっぷり!
       とどうなるか、へへへ、お腹の調子がね・・!

       まったくねぇ、旅行代理店と博物館のご好意ではあったのですが、
       寒いあの日には、暖かな一皿のスープの方が有難かったですねぇ!




       お腹が落ち着き、少し頬っぺがポッとなった所で、
       漸く博物館見学に
       
       まずは絞った牛乳を運んでくる容器、いずれも20世紀になっての物。
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       これが牛乳をいれ、暖め、チーズを作る銅の鍋
       後の時代の物のようで、ハンドルが付いているのが見えますが、
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       こちらが古い方の、鐘を逆さにした形の鍋で、
       下から火を焚きつけたのですね。
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       当時の働いている様子の絵。
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       後ほどヴィデオで、現在のチーズ製造を見ていただく事にし、
       まずは一連の道具類などをどうぞ。

    

       鍋の中をかき回す道具類。 温度計に木製と金属の器具。
       後ほど見ていただくヴィデオの中に、一番右の形が登場します。
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       出来上がったチーズを形作る型と重石
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       となりの地下にあった水槽。 ここで塩水に浸け、
       その後長い熟成期間を置く事になります。
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       こちらは牛乳の表面に溜まる脂肪分から
       バターを作る、ザンゴラ・zangolaと呼ぶ攪拌器
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       バターの形作りの容器
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       大きな秤もあり、
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       かってのパルミジャーノ・チーズの販売人
       今と同じような形で売られていたのですねぇ!
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       という様に、ざっとパルミジャーノ・レッジャーノの博物館を
       ご紹介しましたが、

       12世紀頃からの長い歴史を持ち、チーズの王とも呼ばれる
       パルミジャーノ・レッジャーノはDOP・denominazione di origine protetta・
       原産地呼称保護指定を受けており、
       エミーリア・ロマーニャ州の特定地域生産のみが、この名を使えます
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       つまり、パルマ県、レッジョ・エミーリア県、モデナ県、
       そしてボローニャのレーノ河左地域(北)から
       マントヴァのポー河の右地域(南)の範囲。

       指定されているこの土地というのは、肥沃な牧草地があり
       湧き水が豊富、そして上等な塩・塩田がある事
       パルマの西に現在はテルメ・温泉地で有名なサルソマッジョーレ・テールメ
       Salsomaggiore Termeがありますが、ここに塩田があったのだそう。
       


       さてこの名高いパルミジャーノ・チーズの製造法ですが、
       ここでは公式サイトからの説明を拝借し。 

       乳牛は朝と夕方の2回の搾乳がありますが、
       夕方運ばれてきた牛乳は大きな容器で一晩寝かされ
       朝方表面に浮かんだ脂肪分を取り除け、これはバター製造に、
       そして朝の搾乳で運び込まれた乳と一緒に
       あの独特の形の銅の鍋に一緒に入れられます。

       そしてここに凝乳酵素(子牛の第4胃から抽出されたレンニン)、
       乳清、前日の仕事から得られる発酵乳が加えられると、
       10分ほどの内に凝結が始まり、
       ここで古くから使われている「茨・とげ」と呼ばれる道具により、
       小さな粒状の凝結物になります。

       こうなって釜に火が入れられ、55度を保ちながら混ぜ合わせ
       最後に鍋の底に大きな一塊のチーズ質の物が出来るのだそうで、
       
       約50分ほどの後この塊が取り上げられ、布の中に収められ
       2つに分けられ、それぞれの型に入れられます。

       この時に一つの型ごとに、身分証明と同じ様に、製造年月日と
       製造所の固有番号が打たれた帯が巻かれ、

       そして数日後に塩水の水槽に沈められ、これは約1ヶ月間、
       この後長い熟成期間を置かれるという訳ですね。
       
       という事で、製造法のヴィデオをどうぞ
       長年の経験から来る熟練職人の手さばきが見事!
       ヴィデオは、一旦途切れてもすぐに次が始まりますので、そのままで。

     ◆ 追記です。
       Come si fa il Parmigiano reggiano・どうやって作るかというこのヴィデオは、
        語りがイタリア語で自動的に項目が変わりますので、どの部分か分かるよう、
        タイトルの横に日本語訳を付けますので、ご参考に。
       IL RE DEI FORMAGGI・チーズの王様の由来
       TERRITORIO・生産地
       LAVORAZIONE・製造法
       STAGIONATURA ED ESPERTIZZAZIONE・熟成期間と熟練者の検査
       MARCHIATURA・検印
       BOLLINI DI STAGIONATURA・熟成期間の色印
       BUONO E SANO・美味と健康食
       AMATO E TUTELATO・愛され保護され


       
       こうして出来上がったパルミッジャーノ・レッジャーノ
       丸い太鼓型というのか、側面一面にPARMIGIANO-REGGIANOと
       文字が見え、様々な身分証明の番号があり、焼印が打たれていますが、
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       番号はこんな風に
       1.製造所の登録番号
       2.ヨーロッパ議会の登録番号
       3.選別は1年後に行われ、OKとなった焼印
       4.製造年と月
       5.最初に付けられるチーズの名
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       熟成される年月により、付けられる印の色が違いまして、
       海老の赤色、18ヶ月以上
       銀色 22ヶ月以上
       金色 30ヶ月以上 なんだそうで、

       単に美味しいだけでなく、高タンパク質、ビタミン、カルシウム
       鉱物性塩分を含み、溶けやすく砕けやすく消化性も良く
       どの年代にも適したエネルギー源なのだと。




       こんな風な丸い太鼓型をまず横半分に割り
       それから3角形に切り分けて売られています。
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       この一つを作るために約600Lの牛乳が必要で、
       これ一つの重さは平均して38,5kgなんだそう。

       外側は自然に乾燥してできる硬い皮ですが、
       写真に見える小型のナイフで、かち割って食べるか、
       またはおろし金で削ります。


       お値段ですが、サイトで大体見た所では、
       15~18ヶ月の物で、Kに付き14エウロ
       24ヶ月以上 K-15エウロ
       30ヶ月以上 K-16エウロ と。


       肝心の乳牛は、大体は白黒ブチのホルスタイン種ですが、
       この地域は伝統的に赤茶色の乳牛、乳だけでなく、畑仕事もし、
       肉牛にもなる赤茶色の牛の乳を使っていたのだそうで、

       乳の量はホルスタインの半分少しなのだそうですが、
       質としてはずっと良いのだそうで、こちらを使っていると
       表示の品があり、やはり少しお高めの様子です。

       こちらのサイトは、その赤茶牛の乳を使っているという       
       製造所で、添加するのは塩と凝固剤のみと。
       
       生存が3000頭という赤茶牛、最近その乳の質が改めて
       見直されているそうで、お乳の出を良くする為なのか、
       歩かされているシーンあり、ははは。




       料理の上からかける、中に混ぜると様々ですが、
       どの様に使っても必ず一味引き立てる優れもの!
       何があるかと並べてみますと、

       リゾット、これはサフランのリゾット
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       スパゲッティのアマトゥリチャーナ風
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       トルテッリーニのスープも美味しいし、
       詰め物の中にもパルミジャーノが入り、上からもかけ、
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       トマト・ソースでも美味しいですよねぇ!
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       そうそう、カルパッチョの上にも欠かせませんねぇ。
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       こんな風に割って、ワインのお供にも、果物と一緒にも!
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       いつも当たり前みたいに食べているパルミジャーノですが、
       今回改めて調べてみるとその奥深い事。
       如何に有益に、美味しく食べれるようにという
       古代からの人類の知恵と自然の不思議がしっかりと詰まった食品!!
       
       パルマで文句を言いつつ味わった、ははは、でもとても美味しかった
       パルミジャーノ・レッジャーノ、
       次回からはも少し感謝を込めて頂く事に致しま~す!


       
 
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by italiashiho2 | 2015-03-07 01:43 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(16)
2015年 03月 02日

   ・・・ 波と帆 ・ レッジョ・エミーリアの新鮮で鮮烈な白 ・・・


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       先週の水曜日、久し振りに仲間達とのバス旅行で
       エミーリア・ロマーニャ州のパルマ・Parmaに出かけて来ました。
       パルマといってもパルマの街ではなく、も少し西にある
       城を2つ見に行ったのです。

       生憎の曇天で寒く、肝心の城の中は写真禁止、
       おまけに期待していたほどの素晴らしさはなく・・!
       往復8時間近くのバスで少し草臥れて戻りました。

       が、バスの窓から思いがけずに素晴らしい
       目に新鮮で鮮烈でダイナミックな物を見ましたので、
       サイトから探してきた写真でご覧頂きますね。

       上の写真が、バスの中から見た印象に近い構造物
       皆で、おー!!と歓声を上げながら見た角度の物。
       分りますか、白い鋼鉄が波打つように並んでいるのです!

       左の奥に、放射線が見えますが、これは後ほど。



       この白い鋼鉄の板が、寄せる波を思わせる形で、
       長さ483m、高さ約20mで続きます。
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       美しいでしょう?!
       抜ける様な青空の下だと、一層素晴らしいでしょうねぇ!!


     
       左に見える道路が、太陽の高速道路A1
       ミラノ・ローマを結ぶイタリアの一番の幹線道路で、
       我らのバスはこの向きで、高速の右車線を走っていたのですね。
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       この構造物に出会う少し前、イータロ・.Italoという赤い車両、
       2年ほど前から営業を開始した民間企業による高速鉄道車両が
       走っているのが見えたので、ああ、駅なんだよ! 
       と納得したのですが、

       次に、写真の上に見える真ん中の放射線の橋の下を通り、
       左右の一対の橋が見えた時、
       一人が、レッジョ・エミーリアのカラトゥラーバの橋
       検索しろと言い、これらの正体が、ははは、分ったのでした。




       地図をどうぞ
       コネリアーノ・Coneglianoを出発一路南下し、
       ボローニャでA1に入り北西に向いますが、
       レッジョ・エミーリア・Reggio Emiliaにこの構造があり、
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       青い線が高速のA1で、すぐ北側を高速鉄道が並んで走り、
       右に赤線で囲った位置に駅、左のA1で囲った所が橋の位置。
       レッジョ・エミーリアの街はかなり南に位置します。
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       この街にはまだ行った事がありませんが、
       長い歴史を持ち、農業経済の大変豊かな大きな街の様子。




       という事で、駅の細部を少し。
       在来線接続と、高速鉄道・従来のイタリア国鉄グループと、
       イータロ(NTV・新旅客輸送)の2種を統合した駅で、
       レッジョ・エミーリア・AV・メーディオパダーナという名。

       北側にある地上入り口部分
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       構造美
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       入り口の円形透明エレベーターと、駅の名
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       実はこの真ん中に挟まる「AV」に最初何だろ?と悩みまして・・、
       ・・アダルト・ヴィデオ?! まぁさか! きゃはは、
       漸くにアルタ・ヴェロチタ・Alta Velocità・高速の略と!

       へっへっへ、shinkaiのイタリア語力なんてこの程度でありまして、
       最近とみに低下傾向にある、と友人達に非難されており、へへ、まさに。 




       ホームへの連絡と
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       ホームの様子。 光線が射し込む美しさですが、
       これはどうやら出来上がり想像図のようで、
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       実際はこんな風に、線路間の仕切り柵があり、
       4車線ある様子で、この赤いのがイータロの車両
       フェッラーリの赤と同じ赤!
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       こちらもやはり想像図のようですが、
       駅を覆うこの幅は25,4m
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       2013年6月にオープンのこのメーディオパダーナの駅
       そしてこれからご覧頂く一対の橋も、設計はスペインの設計家
       カラトゥラーヴァ・Calatravaである事を知りましたが、

       この駅の建設費用は7900万エウロ、
       橋の方は3500万エウロなんだそうで、・・計算間違ってませんように!
       この位日常金額とかけ離れると、高いのか安いのか訳が分りませんが、はは、

       レッジョ・エミーリアの街北部の再開発と、新架設の高速鉄道TAV用の駅
       そしてすぐ傍にある高速A1道路レッジョ・エミーリアのインターチェンジ
       為の橋と、一大プロジェクトだった様子。

       カラトゥラーヴァ設計のもう一つの駅である、
       ポルトガルはリスボンの元万博会場のオリエンテ駅は見ており、
       http://italiashio.exblog.jp/14607828/
       http://italiashio.exblog.jp/14614288/




       さて、2007年に完成した橋の方に参りましょうか。
       まず3つの橋がすべて見れる写真で、様子をどうぞ。
       真ん中の半円の下を、高速鉄道と高速道路が通り抜けており
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       真ん中の橋がこんな形で、長さ220m、アーチの高さが約50m、
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       左右の細長い楕円形、高さは70m、橋の長さは179m。
       色が変わる、おまけにイタリアの3色にねぇ! ははは。
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       大河に架かる大きな吊り橋は、惚れ惚れする近代美だと
       いつも思うのですが、こうして陸に存在してもやはり美しい!




       こちらが設計のサンティアーゴ・カラトゥラーヴァ・Santiago Calatrava
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       1951年生、スペインのヴァレンシア生まれというのが如何にもと
       納得できる、青空の下に映える白い力強い建築物の設計
       今回のも一連の橋は「帆」を表し、駅は「波」と言いますが、
       最初に見た時の印象はまさに強烈で美しく、目に飛び込みました。




       こちらはやはり彼の設計の、ヴェネツィアの大運河に架かる
       第4の橋・ポンテ・デッラ・コスティトゥツィオーネ・Costituzione.
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       こちらは美のみでなく、日常使いの人々が歩いて渡る橋ですので、
       使った材質が滑りやすい、橋の段差が違って歩きづらい等など、
       様々な問題点があり、渡る度に皆が文句を言っている橋!!

       この橋については、こちらの最初に
       埋もれた島の蘇みがえり・ヴェネツィア、チェルトーザ島 1
       http://italiashio.exblog.jp/11898891 




       とはいえ、やはり今回見た駅のうねるラインは本当に美しく
       もう一度どうぞ!
d0097427_2234570.jpg




       そして最後は、夕暮れの橋を
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       今回は偶然思いがけずに出会った、このブログでは珍しい、ははは、
       近代的な建築美をご紹介しましたが、
       お気に入って頂けましたように!


     ◆ 昨夕からエキサイト・ブログに繋がりにくくなり、やっと繋がっても
       投稿ページに入れず、記事アップが1日遅れました。
       
       今漸くに古い投稿スタイルからアップできましたが、
       あ~あ、もう既にどうするのか忘れており・・!
       でも本人は元気で居りますので、ご安心を! ははは。

     ◆ 追記を。
       おまけにどうやら、人気ブログランキングへのリンクが出来ておらず、
       ・・コタツ猫ちゃんは見えていたのですが、
       せっかく応援のクリックをして下さった方、済みません。
       3月2日は0ポイントの記録を作ってしまいましたぁ、ぐすん。
       以後気をつけますので、お許しを!

       
 
     *****

       水彩ブログには、 ヴェネツィア 運河を渡る陽 ・ まだもう少し を
       アップしております。
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by italiashiho2 | 2015-03-02 22:40 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(12)
2014年 03月 30日

   ・・・ サント・ステーファノ聖堂 ・ ボローニャ ・・・

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       ボローニャのご案内が続いておりますが、
       今日は街の中心からほんの少し離れた所にある古い聖堂、
       「七つの教会・セッテ・キエーゼ」とも呼ばれる
       サント・ステーファノ聖堂
       ボローニャでも最古の教会群、のご案内です。

       とはいえ、抹香くさくはありませんで、ははは、
       中世独特の面白い柱頭、美しいモザイクの壁なども登場しますので、
       お気軽にお楽しみ頂けますように!

       細長い三角形に広がる聖堂前の広場は、こんなにも
       大都市の真ん中に近いのに長閑で、鄙びたイメージが漂い
       暖かい陽射しを楽しむ人々がたくさん。
       上の写真もその中の一カップルで、
       ・・この次のシーンは、残念ながらブレまして、ははは、素人!

       カップルの後ろの立て札に矢印が見えますね、


       こちらが同じポルティコで休んでいる人々なのですが、
       大きな美しい建物なので、何かある筈と調べましたら、
       イゾラーニ邸・2つが一緒になっているPalazzi Isolani と言い、
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       コルテ・イゾラーニ・Corte Isolani と呼ばれるずっと続く内庭、
       建物からもう一つ北の道にまで続く内庭・アーケードで有名なのだそう。
       店やバール、オフィスなどがずっと続く、
       古くてモダンなアーケードの様子。



       丸石舗装され、車が入ってこないこの広場は
       人間だけでなく、ワンちゃんもフリスビーで楽しんでおり・・。
d0097427_043417.jpg



       中心部の地図をどうぞ
       左に固まるピアッツァ・マッジョーレのドゥオーモ、
       パラッツォ・コムナーレなど、
       そして右下14がサント・ステーファノ・聖ステーファノ聖堂
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       所でサント・ステーファノという聖人はどんな方?
       今更ですが、はは、遅くとも無いよりまし、というイタリアの諺あり、

       祭事を手助けし、他の言語を話す信者との融和を図るための
       助祭・執事として最初に選ばれた7人の一人。
       美しく才識溢れた方で、妬まれ訴えられ、
       逆にユダヤ教の非を論したために、西暦35,6年頃
       石打刑で、キリスト教徒として最初に殉教された方と。



       こちらは広場の右手、
       15世紀のボローニャの豊かな商人達の館が並び、
       広場に張り出すテラス席で、のんびりと楽しむ人々。
d0097427_0434466.jpg

d0097427_044125.jpg



       今回のボローニャの写真は、カメラのどこかを触ったらしく、
       途中から、室内の電灯下光線設定になっていた様で、・・ドジ!
       戻って必死で調整したのですが青っぽさが残り、空の色も緑に、
       という情けない事で、うぇ~ん、その辺りご容赦下さいませ。

       ということで、
       サント・ステーファノ聖堂正面の写真は、サイトから拝借。
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       ご覧のように、正面の大きな建物と左側にふたつ
       別の教会が見え、七つの教会と呼ばれると書きましたが、
       かっては実際に7つの教会があったとの事。
       が1880年、20世紀初頭の修復により、過度の増改築を
       取り除き、現在は4つの教会が纏まった建物群に。

       例により、写真のブログ名入りはshinkaiが撮った物、
       サインなしはサイトからの拝借です。



       こちらが正面左手に二つ並ぶ教会で、
d0097427_0443577.jpg

       右側が、サント・セポルクロ教会・Santo Sepolcro 
       5世紀建設。

       左側が、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会
       Santi Vitale e Agricola 4世紀のもの。



       正面の大きな教会クローチフィッソ・Crocifisso から入ります。
       内陣はご覧のように高くなっていて、
d0097427_0445183.jpg



       その下にはクリプタ・Cripta.
d0097427_045433.jpg

       クリプタ・地下祭室、には一般に聖人の遺骨とか遺品が
       収められているのですが、
       フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂で
       クリプタで司祭さん達がグレゴーリオ聖歌を歌っている時に
       居合わせた事があり、これは音響効果もあり素晴らしかった記憶!

       サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/10764828/



       聖堂総体の中で一番大きなこの教会クローチフィッソ
       オリジナルは8世紀建設ですが、その後何度か改装されたと。

       内陣手前、左側の壁の上部で、
       この右下から、内庭に抜けます。
d0097427_045414.jpg



       内部の様子が複雑なので、絵図と平面図をどうぞ
       Mondadori社出版のなかなか良いガイドブックなのですが、
       今回何度か読んでも見ても飲み込めず・・、
       漸くに、絵図の教会説明が2つ逆になっている事に気が付き!
       にゃろめぇ、訂正しました。
d0097427_046371.jpg

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       平面図の下側の1,2,3,が広場から見える正面で、
       1のクローチフィッソから入り、2のサント・セポルクロ
       行くのですが、この図では見えない狭い空間があり、
       一旦4のピラートの内庭・Cortile di Pilato に出て、

       再度2に入り直し、横に繋がる3の
       サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラに。

       そして4の内庭に抜け、6のベネデッティーノの回廊
       Chiostro benedettinoに、という見学。



       という行程に従い、はは、最初にshinkaiはチラッと、
       真面目な皆さんはガイドさんの説明をきちんと聞いていた、
       ピラートの内庭
d0097427_0464515.jpg

       ピラートというのは、ポンツィオ・ピラート・Ponzio Pilato,
       そうです、キリストに死刑を宣告したピラートで、
       ここの大きな教会の名がクローチフィッソ・十字架上のキリスト、
       十字架刑にされた、という意味ですので、それでお分かりかと。

       で、中庭に見える水盤はカティーノ・ディ・ピラート
       ピラートの水盤と呼ばれ、
       キリストに死刑判決を下した後に手を洗った、という故事にちなむ物!

       我々日本人は、ピラートの名前など
       ハリウッド映画の歴史物でしか接しませんが、ははは、
       イタリアでは、こんな風にごく日常感覚でね・・!



       元々この教会群は、ボローニャの初代司教でもあり街の守護聖人
       ドゥオーモにその名を冠されるサン・ペトローニオ・S.Petronio
       (生年は定かでなく、431-450司教在位)が、
       聖地ジェルサレムの聖墓地を模したものを此処に創りたく・・、
       と伝承されていると。。

       
       狭く暗く、全体はこのサイトからの写真で、
       2のサント・セポルクロ教会内部をどうぞ。
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       外側は隣と接した変形の8角形で、
       周囲と離れて真ん中に、レンガの円柱12本による
       12角形のクーポラを造り、その中央に説教壇。


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       説教壇の下に、明かりの付いた窓が見えますね。
       あの下にサン・ペトローニオの石棺が安置されていたのが
       1141年に発見されたのだそう。
       ですが2000年にドゥオーモの方に移され、ちょっと凄いのは、
       それまでドゥオーモには聖人の頭部のみがあったのだとか!
       諸聖人の聖遺物については、あれこれ信じられない様な物、
       逸話があるのですが、それはさておき・・、

       このサント・セポルクロ教会の中は中世の面影を濃く宿し
       素朴で静謐な空気が溢れておりました。

       周囲から離れた形で中央の説教壇があるのは、
       かって巡礼者たちが周囲を回りながら祈った名残の形ですが、

       古くには、這いながら埋葬所の中に入り祈ったり、
       古い伝統では、ボローニャの妊娠中の女性達は、
       この周囲を33回、1回毎に埋葬所の中に入り祈ると、
       良い出産を迎えると言い伝えられていた、などとも。

       
       古い歴史を持つトスカーナの、サンタンティモ修道院のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/9940755/



       これは外側に1本離れて立っていた円柱なのですが、
       ガイドさんの説明を聞いておりませんで・・!
       ただ円柱の石がアフリカ産であるとか。
d0097427_0482895.jpg

       キリストが鞭打ちされた際の円柱の象徴とされ、
       ここに参拝する度に200年の贖宥を保障されたと!
       これも往時の信仰を物語ますね。

       

       ちょっと一息入れて、中庭の様子をどうぞ。

       今回まさに、おお!!と嘆息がもれたピラートの中庭
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       レンガの赤い壁に、小さい石をはめ込んだモザイク、
       白~グレイ、時に少し濃い色もあり、
       そのチマチマと細かい模様にしびれました!

       こういう素朴で繊細豪華というのは中世装飾のみが持ち、
       後世の豪華絢爛さとはまるで違い、心休まる趣を感じます。
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       以前この教会には来た事があったのに
       この中庭の美しさはまるで頭に残っておりませんで、
       漸くに、あれこれ落ち着いて見れる眼が付いてきたのか、と
       それも嬉しく思ったことでした。

       真ん中に見えるピラートの水盤は、石灰岩で8世紀の
       もので、ロンゴバルドの碑文が刻まれているそう。
       
   
       脇の入り口から、隣3の
       サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会に
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       ここはこの教会群の中でも一番古い4世紀のもの。
       隣のサント・セポルクロ同様に、元のイシス神信仰の崇拝跡
       の上に建てられた物だそう。
       イシス・Isisって、エジプトで見たあのイシスかと驚いたのですが、
       そうなのです、あのエジプト神話の女神イシスなのですね。

       イシス信仰はローマ期にイタリアにも、ローマ帝国全域に広がり、
       処女のままホルス神を身ごもったとされる事から、
       キリスト教の普及とともにマリア信仰に変わった、と。


       教会の名に冠される、ボローニャの最初の殉教者とされる2人ですが、
       ヴィターレが召使で、アグリーコラがその主人(男性)、
       305年頃の迫害により、ヴィターレが主人の目の前で見せしめに、
       次々に痛め付けの刑で処刑され、それにもアグリーコラが屈せず
       十字架刑にされたのだと・・!


       3廊式の翼廊なしで、いかにも古いレンガ積みですが、
       小さい窓に嵌めこまれているのは、大理石アラバスターの薄板。
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       主祭壇の両脇、左にヴィターレの石棺、ライオンと孔雀の浮き彫り、
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       右側にアグリーコラの石棺、鹿とライオン、がありますが、
       これはどちらも空っぽ!
       というのも、393年にミラノ司教アンブロージョが、
       ミラノに持ち去っているからでして、はい。

       そして大変興味深い逸話も残ります

       15世紀の初め、初期キリスト教徒の石棺「Symon」と刻まれた
       のが発見され、大騒ぎになったのだと。
       と言うのも、Symon・サイモンという名は、よくある名ではあっても
       ヴァティカンに眠るサン・ピエトロの元の名と同じで
       ひょっとして彼のお墓ではないかと、ローマ巡礼の半分が
       こちらボローニャに押しかける騒ぎとなり、ははは、

       時の教皇エウジェニオ4世・Eugenio IV 在位1431-1447
       が激怒し、教会を露出させた後、屋根を剥がしたのかな、
       土をかけて埋め、そのまま70年ほども!
       後にジュリアーノ・デッレ・ローヴェレ大司教のとりなしで、
       漸くに蘇ったのだそう。



       ここに残る柱頭にはいろいろな形があり
       手前も知りませんが、奥に見える形がここにはたくさんあり、
       なんというものか、どなたかご教授願います!
d0097427_052872.jpg



       こちらはイオニア式?
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       そしてピラートの内庭の奥に位置する、平面図5にある
       世界最古のプレゼーピオと言われる木彫像「マギの礼拝」
       イチイと楡の木だそうで、13世紀末の作品と。
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       最初は木地のままだったのが、1370年に彩色されたのだそう。



       さて6のベネデッティーノの回廊に

       この教会群は、8世紀にロンゴバルド族がやって来た時、
       彼らの宗教の中心地となったようですが、
       その後放置されていたのを、10世紀の末に
       ベネデット派が修復改修したのだそう。
d0097427_0531675.jpg

       上は中庭側から見るクロチフィッソ教会と鐘楼で、
       この鐘楼も10世紀のもので、
       回廊の1階部分は10~11世紀のもので、
       2階部分は13世紀のもの。



       回廊の真ん中に井戸があり、
d0097427_0533490.jpg



       2階の円柱、柱頭飾りを写していて、あれ?!!
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       そう、これ!! ははは。
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       shinkaiはてっきり女だと思ったのですが、
       男なんだそうで、背中に顔が回り、お尻のanaもね、ははは。



       他にも、こんな面白い様々があり、
       こういうのが中世美術の楽しいところ!
d0097427_054439.jpg

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       中庭の鉢植えの水やりに、如雨露を持った修道僧と共に
       この猫ちゃんもやって来て、
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       ジュリアーナが、なんと言う名かと訊ねると、


       ははは、クレオパトラちゃん!!
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       男だけの修道院、しかもこんな柱頭飾りに囲まれた修道院に
       唯一の女性クレオパトラ、命名の妙に笑えます! ははは。



       という所で、今回の最後を〆まして、
       サイトから拝借の写真で、夜の広場と教会を
d0097427_0562251.jpg



       上のがピンぼけですよって、ははは、借り物に文句を言う、
       ファンタスティックな夜のボローニャを!
d0097427_0564017.jpg
  


  
     *****

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by italiashiho2 | 2014-03-30 00:58 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(18)
2014年 03月 21日

   ・・・ ボローニャ・チェントロ ご案内 ・ その1 ・・・

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       快晴の水曜、ボローニャにグループで出かけて来ました。
       ちょうど開催中のフェルメール展と、街の中心部訪問だったのですが、
       大急ぎで写真を整理し、
       いずれにしても1回では到底無理ということで、ははは、
       街の中心部のご案内ちょっぴり、その1 という事で纏めました。

       ご一緒に散歩のおつもりで、
       この古くからの歴史を持つ、重厚な大都市の様子をどうぞ!

       上の写真は高速から降り、街に差しかかり、
       高層アパートに、わぁお~!という所、ははは。


       鉄道駅のすぐ近くの高架を渡り
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       駅前も通ったのですが、写真撮りそびれ・・!


       街の中心部の西にある、サン・フランチェスコ教会の後ろ
       バスが止まり、ガイドさんが乗り込み、
       と同時に若いお兄ちゃん2人が皆にイヤホーンを配って回る、
       という手際のよさ!

       そしてお昼過ぎにドゥオーモ見学を終え出てきましたら、
       この2人がちゃんと待っていて回収するという、
       大都会だなぁ! こういうレンタルがあるんだなぁ!と
       大いに感心した田舎者でしたぁ。



       ガイドさんが、もう30分早く到着したら、
       サン・フランチェスコ教会の中を見て貰うつもりだったけど、
       ミサが始まってしまって、と、街の説明をあれこれと。
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       我らのバスは高速を降り街に入るところで停滞し、
       待ち合わせに遅れたのでしたが、
       


       そんな説明を聞いている間にも、後ろに到着したバスから
       小学生の遠足グループも次々降りて来ます。
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       同じ我が町からも、同日に他のグループのボローニャ見物があり、
       はは、帰りのバス待ちでかち合ったりもし!



       ボローニャ・Bologna はイタリアの南北東西を結ぶ
       重要な交通要所に位置し
       北のパドヴァから、ボローニャ、フィレンツェを通りローマに、
       東のリミニからは、ボローニャ、パルマ、ピアチェンツァを
       通りミラノにという位置。
d0097427_17304122.jpg

       我が町コネリアーノからは199k、1時間56分と出ましたが、
       行きは途中休憩もあり、まぁ3時間、
       が戻りはあっという間の2時間少々で。

       フィレンツェ方面には、ここボローニャからアッペンニン山脈越えで、
       今年は5月と9月、2度の予定・・、うむぅ!

       アッペンニン越え
       http://italiashio.exblog.jp/15665678/
       


       街のほんの中心部の地図をどうぞ
       12.サン・フランチェスコ教会前から東に、
          ポルタ・ノーヴァをくぐり、まっすぐ進むと
       街の中心広場ピアッツァ・マッジョーレ・Piazza Maggiore
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       西側を占める大きな建物がパラッツォ・コムナーレ・Palazzo Comunale
       1.ドゥオーモ・サン・ペトローニオ・San Petronio
       2.パラッツォ・デイ・ノタイ・Palazzo dei Notai・公証人の建物
       3.ネプチューンの泉・Fontana del Nettuno
       4.エンツォ王の館・Palazzo di Re Enzo
       5.ポデスタ宮・Palazzo del Podestà
       
       6.サン・ピエトロ教会・Chiesa di San Pietro
       7.2つの塔、高い方が、アジネッリの塔・Torre degli Asinelli
       
       14.この先に、サント・ステーファノ・Santo Stefano
          古い教会2つが重なる素晴らしいもの、別にご案内を。
       13.この図では分かりませんが、広場の東を占める長い建物、
          8の婦人像の図の下に、サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ教会

       15.今回のフェルメール展の会場パラッツォ・ファーヴァ

       ボローニャのご案内は以前に2度。そちらもどうぞ。
       http://italiashio.exblog.jp/4275811/
       http://italiashio.exblog.jp/5383444/


       さて街の中心に向かい、12のサン・フランチェスコ教会前から
       道を渡り、この威圧感あるポルタ・ノーヴァをくぐります。
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       上の地図ではヌオーヴァと書いてありますが、ノーヴァ・Novaの様で、
       なに意味は同じ、新しい門、です。
       新しいとはいえ、ボローニャの街を囲む城壁が、それ以前の古いのを
       取り壊して造られたのが10世紀頃。
       それ以後も街が大きくなり、12世紀~16世紀にかけても
       新しい城壁が造られていった様で、これはその新しい門。



       高い門をくぐった所で遊んでいたのは、この白いワンちゃん、
       門のすぐ内にあるお店の子で、名前はガイア。
       が、可愛い美人のお姉さんの方にピントが行ってますねぇ、
       ははは。
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       門の内側から
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       ボローニャの街は、37kにも及ぶポルティチ・Portici・アーケードの複、
       でも有名なのですが、狭いながらもこの道にもちゃんと続き、
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       足元はこんな嵌め込みの石模様
       ずっと以前はきっと道は地道だった筈ですから、ポルティチが続くと
       雨の日にも心配ないという、昔からの都会生活だったのですねぇ。
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       今回は久しぶりに男性のガイドさんでありまして、
       歯切れよく、説明の巧い優秀な方でした。
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       ですが、脚が長いからか歩くのが早く、我々写真を撮り撮りの
       数人は何時も後から必死で追いかける有様で・・!
       イヤホーンをつけているので、それを聞きつつどの方向かと追いかけ、
       ははは、おかげで今回はかなり疲れましたぁ!



       途中から左手に見えるコムナーレ宮の建物ですが、
       ね、まるで要塞でしょう?
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       13~16世紀の3つの建物が一緒になっているのだそうで、
       かっての権力の象徴。



       左手にずっとコムナーレ宮の壁が続き、行く手に見えてくる塔、
       コムナーレ宮のマッジョーレ広場に面しての角にある
       アックルシの塔・Torre degli Accursi.
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       前方を睨みながら、せっせと歩きます!
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       漸くに右手に小さな広場が開け、彫像とベンチがあちこちに置かれ、
       ちょっとした市民の憩いの場。
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       そして抜けて出るピアッツァ・マッジョーレ
       写真は様子が分かりやすいかと、反対側からのもので、
       正面の長い建物コムナーレ宮は、右手にもっと続く長さ。
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       現在はボローニャ市役所が入り、その他に市の美術館、
       白い静謐な静物画で有名なジョルジョ・モランディ・Giorgio Morandi
       の博物館もあり、彼はボローニャ生まれなのですね、
       3階には一連のフレスコ画で装飾されたファルネーゼの広間・
       Sala Farneseの部屋もあるそうで、
       ・・やはりもう一度しっかり出直さないと見切れません!!



       では順繰りに時計回りで、ははは、広場を囲む建物のご案内を

       コムナーレ宮の角の塔の最上部
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       そしてその下部、この塔は1444年、公共の時計を設置する為
       高くされた部分なのだと。
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       こんな感じでコムナーレ宮の正面が続き
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       1478年に設置された聖母子像、テラコッタ製だそう。
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       16世紀の中央入り口の上に居られるのは、
       第226代教皇グレゴーリオ13世・Gregorio XIII
       (1502-在位1572-1585)ボローニャのブオンコンパーニ家出身。
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       グレゴリウス暦の採用でよく知られる教皇ですが、
       天正の4少年使節がこの教皇の最晩年に謁見を賜った事でも
       日本人には記憶に残ります。

       それにしてもその下の紋かな、半ば崩れかけ、
       それを2色のテープで結わえているのですけど、
       いっそのこと、赤白緑の3色にすれば良いのにね、ははは。



       コムナーレ宮の東に、サーラ・ボルサ・Sala Borsa という
       建物があり、元の証券取引所だと思いますが、
       2001年から情報収集交換図書館とでもいうのか、
       Biblioteca-Mediateca として改装発足したのだそう。
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       床にはガラスが張られ、下のローマ期、中世、ルネッサンス期と
       層をなす考古学発掘が見え、
       100台を越すPCが備えられたイタリアで一番大きな部屋の一つ、
       そして大きな特徴は、子供と身体障害者へのサーヴィス提供なのだと。

       38万人を超す市民の街、ヨーロッパ最古の大学が開かれた街
       美食でも有名、そして都市生活を楽しめるイタリア一の街としても
       時に名が挙がるこの大都市は、確かに一歩先を行く姿勢を示していますね。

       建物の前に掲げられるたくさんの顔写真の碑は
       第2次大戦でのレジスタンスに身を投じ亡くなった若者達に
       捧げられたもの。



       さてコムナーレ宮と、奥の広場の間にあるのがネプチューンの泉で、
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       サーラ・ボルサの前に向き合って、右手奥に
       13世紀のエンツォ王の館、上に飾りがついている建物ですが、
       館というよりは王の牢だったのですね。
       重なって見える塔は奥の教会のもの、ややこしくすみません。

       サルデーニャ王エンツォ(1220-1272)は、
       神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の息子。
       グエルフとギベリンのモデナ近くで戦いの際、ボローニャの捕虜となり、
       この建物内で23年間を、亡くなるまで過ごしたのだと!

       勿論父王は身代金の支払いを申し込むもののボローニャ側は応じず、
       昼はかなりの自由が認められたものの夜は吊るされた籠の中とか、
       23年間の間に3人の子をもうけたとか、
       上に名が出たボローニャの名家ブオンコンパーニの祖は、彼の子とか・・、
       何か中世のお伽噺のような、伝説のようなお話があれこれ・・!
       そんなこんなも追々お話いたしますね。

       中庭を挟んで、手前角が見えるのがポデスタ宮



       というところで、ネプチューンの泉のアップを。
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       今回見ましたら、下の四隅を囲む女性像の乳房からは
       水が出ておりませんで、あちこちからささやかに泉が流れ・・。

       ちょっとした待ち合わせ場所というのか、
       泉の周囲はいつも人で賑わい、全体の姿を撮るのは難しく! 



       こちらは手前角にあった泉。 
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       ポデスタ宮の全景を。
       塔は、13世紀建設のアレンゴの塔・Torre dell'Arengo.
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       ポデスタ宮の建設は13世紀、街でも一番古い時代のものですが、
       

       正面はルネッサンス期に改装されたのだそうで、優雅。
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       が、そばで見るとかなり磨り減っているというのか、
       使っている石が少し脆そうな石にも見えましたが、   
       現在修復中でした。

       エンツォ王の館と呼ばれているのも、ポデスタ宮が手狭になり、
       増築をした所で王の捕虜問題が出来、結局建物完成3年後から
       いわばエンツォ王の金の牢となった、と読みました。



       こちらは広場の南側を占めるバンキ邸・Palazzo dei Banchi
       と呼ばれるもの。
       バンキ(バンコ・銀行の複)から想像できるように、
       かってこのアーチの下に両替商が店を持っていたのだそう。
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       現在はこういう風に一体の長い建物に見えますが、
       これは16世紀半ばに、個々の建物の正面を揃えたのだそうで、
       確かに街の写真を見ていて、後ろ側は別々な建物なのを
       不思議に思っていたのでした。

       見える後ろの塔は、


       左奥の細いのが、街の中心部に2本残る細い塔の一本、
       アジネッリの塔で、ここには昔上った事があり!
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       右側の大きな丸屋根は、すぐ近くの教会
       サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ・S.M della Vitaの物。



       ということで広場の西を占めるドゥオーモ
       サン・ペトローニオ・San Petronioなのですがぁぁ、
       はい、ご覧のように正面下部殆どが修復で覆われており・・!
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       入り口もこんな感じ!
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       ローマ、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂よりも大きなのを!
       という、かってのボローニャ市民の意気を示すこの大聖堂なのですが、
       現在は内部は写真禁止。
       ですが、大変素晴らしい日時計なども見ましたので、
       あちこちから写真をかき集めてでも、ははは、ご案内いたしますね。



       ドゥオーモの横、マッジョーレ広場の北西の角を占める
       ノタイオ宮・Palazzo dei Notai・公証人の建物、
       一人の公証人ではなく、公証人達の組合使用と。
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       元の8世紀からのを14世紀に建替えたものの様で、
       1908年に修復されたと、建物の真ん中に見える紋に。
       インキ壷に差し込まれた羽ペン、公証人を現します。
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       朝のうちは見学の小学生の団体が目についた広場も
       徐々に人が集まり始め、
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       これはネプチューンの噴水前のパフォーマンスなのですが、
       ・・嬉しそうに見るのは、はは、一人だけ。
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       修復中のポデスタ宮のポルティコの下
       柱の飾りが優雅でしょう?
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       サン・ペトローニオ聖堂の正面を。
       左角は既に洗われて見えていますが、
       この様子ではまだまだ数年かかりそうですねぇ!
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       正面を修復中の足場の二人、どうやら女性の様子。
       外の高い現場でのお仕事、大変です!
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       南側のポルティコの下を抜け
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       南に抜ける細い小路、古い魚市場通りを。
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       この小路に素晴らしい食料品店が並び・・!!
       ほらね、
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       という所で出し惜しみをして、ははは、
       次回のお楽しみに!!



     *****

     ◆ 展覧会のお知らせ ◆

       リンクさせて頂いてる andante-desse の frescoさん
       永見隆義さんが大阪心斎橋のギャラリーで
       陶器のお友達と二人展を開かれます。
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       諏訪での私の個展に奥様ともどもお出かけ下さり、
       その洒脱で暖かいお人柄にも接しましたが、
       まさにその感じそのものの、
       ほんわりと暖かく軽やかな作品が展示される事と思います。

       お近くの方、どうぞお出かけ下さいますよう
       ご案内申し上げます。 

  
     *****

       水彩ブログには、アッシジの夕暮れ ・ 進み具合
       アップしております。
       見てやってくださ~い!       
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


     *****        
       

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by italiashiho2 | 2014-03-21 17:01 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(9)