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2017年 03月 16日

・・・ ヴァイオリン博物館・クレモーナと、 ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ (再追記) ・・・

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       クレモーナ訪問の時に、2013年に開館した新しいヴァイオリン博物館を見ましたが、
       余り時間が取れずで、おまけにストラディヴァリの視聴が出来る、と聞いていたのが無しで、
       いささかがっかりで戻ったのでした。
       が、その後あれこれ調べているうちに、ヴァイオリンと言うものにすっかり嵌まりました!

       実際の演奏会には行ったことは少ないのですが、弦楽器全般、そしてヴァイオリンの
       音色は昔から大好きで、今も毎日絵を描く時にはBGMに常にCDを掛けて聞いています。
       で、今までは余り考えたことがなかったヴァイオリンという楽器そのものについて
       知り始めると大変に興味深く、もっともっととあれこれいつもの芋づる式に・・!

       という事で、何とか上手く纏まるよう、お伝えできるよう頑張りますので、
       よろしくお付き合いの程を!

       

       新しい、クレモーナのヴァイオリン博物館入り口
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       上記したように、ここは2013年秋オープンで、以前のストラディヴァリ博物館があった
       パラッツォ・アッファイターティ・Palazzo Affaitatiから移された楽器や
       ストラディヴァリの遺品の展示など10室の展示室、そして新しい音学室と、
       素晴らしいもので、ゆっくり時間があれば、と思ったものでした。




       前庭にあったストラディヴァリの像
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       こちらは建物の中庭にある、五線譜を使った鋼鉄の像
       スペインのプレンサ・Plensaという人の作品とか。
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       下はサイトで見つけた写真ですが、・・こういうのは、どうも、ですねぇ・・。





       こちらは博物館の中の一室、「宝の宝庫・Lo scrigno dei tesori」と呼ばれる部屋。

       この博物館のお宝である、1715年ストラディヴァリ作のクレモネーゼ・Cremonese
       初めとして、アマーティ・Amatiや グアルネーリ・Guarneriの作品
       1556年から1734年にかけての、全10点が収められた部屋。
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       壁も床もしっとりと布張りで、一つ一つの楽器がガラスケースに入っており、
       多分湿度調節とか様々な設備が施されているのでしょう。

       たまたま我々が行った時、最初のケースが空だったのですが、
       そのうちに一人の男性が持ってきてケースに入れ、それに続いて来た小グループに
       フランス語で説明しているのが聞こえましたから、視聴もあったのかも・・!

       博物館のお宝であるクレモネーゼは、この部屋の一番奥の真ん中に、
       ケースが明るく見えるのがそれですが、
       後ほども少し詳細に。




       こちらはズッカ・カボチャと呼ばれている、ははは、ヴィデオ視聴室で、
       中は暗く、円形状にそって椅子が並び、天井に映る音楽ヴィデオを視聴出来ましたが、
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       う~ん、いくら良い試聴室でも、ヴィデオではねぇ・・!




       こちらは新設の音楽室で、464人収容、真ん中で室内楽やソリストの演奏ができ
       ここの設計実現には日本の技術者トヨタ・ヤスヒサさんという方が携わったと。
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       博物館には他に、楽器店の科学的研究や診断も出来る工房が開かれたそう。

       博物館のサイトは http://www.museodelviolino.org/
       日本語版もありますし、右にはヴァーチャル・ツァーも出ます。





       さて、ヴァイオリンという楽器の歴史ですが、
       これについてはYAMAHAのサイトに分かりやすく載っていますので、ご覧頂き、
       
       イタリアで、というよりも歴史に残るヴァイオリン製作者の最初として名が挙がるのが、
       ガルダ湖畔サロ出身のガスパーロ・ダ・サロ・Gasparo da Salò
       そしてクレモーナのアンドレア・アマーティ・Andrea Amatiですが、

       こちらが上記のYAMAHAのサイトにあった、1565年頃のアマーティの作品
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       当時のヴァイオリンは、現在のと比べて指板、左手で弦を抑える板の部分
       短いのにご留意下さいね。
       
       
       が、上のヴァイオリン博物館のお宝の部屋には、1556年のアマーティの作品も、と
       帰ってきてから知る、見てない馬鹿が感じるこのちょっぴりの無念さ!
       




       通常ヴァイオリン発明者と言われるガスパロ・ダ・サロについては、こちらに

       彼は20歳の頃に父親が亡くなり、それでサロからブレーシャ・Bresciaに移り
       当時音楽が大変盛んだったブレーシャで活躍したらしいのですが、
       彼が作ったというヴァイオリン、これはまだ彼の作とは断定出来ていない様子ですが、

       大変に美しいオレ・ブル・Ole Bullというのを見つけました。
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       指板にも装飾が入り、少し長いようですし、裏板装飾も凝っていますが・・、
       ブレーシャではガスパロの作品としての研究が進んでいるようで。





       所でヴァイオリンは15世紀に登場した時、既に、現在の形とほぼ同じ形
       現れたのだそうで、故に後に改良されたのはほぼ僅かな部分と言われますが、
      
       古いタイプをバロック・ヴァイオリン、新しいのをモダン・ヴァイオリンと呼び、
       それの違いは、これもYAMAHAのサイトにあった図がとてもわかり易いので使わせて頂き、
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       つまり、かって室内楽で使われてちょうど良い音量であったヴァイオリンが
       大会場で使われるようになり、また高音が多く出やすいように改良したのがモダン・ヴァイオリン。

       高音がもっと弾けるように指板が長くなり、駒を高くし、ネックも少し傾いていて
       これは弦の張力を増し、音量を高く、輝きを増す為なんだそう。
   
       そして、胴の厚みは減っているようですし、かっては脇からすっと丸かったのが、
       現在のは一旦少し薄くなり、それから丸みを増しているようですね。





       こちらは1628年のニコロ・アマーティの作品で、彼はストラディヴァリの師匠として知られますが、
       これも指板が長いので、現代風に改良されている様子。
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       アントニオ・ストラディヴァリの肖像。 
       300年前に彼が作ったヴァイオリンが今も比類ない物と賞賛される人物。 
       1644年~1737年と、93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
       現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!
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       これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、ストラディヴァリの制作証明の紙片で、
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       こちらの2番めに見える、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
       Faciebat Anno 1667 がそれで、
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       Antoniusu Stradivariusというのが、Antonio Stradivariのラテン語名で、
       クレモナのアントニオ・ストラディヴァリの事。
       2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。

       1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
       Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
       Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った、という意味で、
     
       この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、という唯一の証明なのだそう。


       それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させていたのか知りませんが、
       最後の6を8に変えたり、ははは、かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。

       
       と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。





       こちらがヴァイオリンの各部の名称で、
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       そして、ヴァイオリンのお腹の中! これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。
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       バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、安定させると言い、
       魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。

       この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、ヴァイオリン製作の一番最後に
       F字孔から入れるんだ、というのは、友人のご主人、やはりクレモーナでヴァイオリン製作を
       学んだ人から昔聞いており、
       今回これを思い出し、どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りましたが、

       この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違ってくるのだそう!
       その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とも言える、
       アーニマ・魂の呼び名に恥じない、6cm程の小さな円柱ながら大きな働きをする物。

       このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きます。


       そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
       膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出てきましたが、
       魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠では留めず
       とりわけ魂柱、駒は音の質の違いを聞きながら、動かすのは上記の通り。


       




       という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ
       この写真はクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットでして、へへへ。
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       1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
         この内型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
         フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
       2.緒子掛の止め穴用。
       3.4.横板  
       5.表板    モミ
       6.F字孔
       7.バス・バー(力板)  モミ
       8.魂柱    モミ
       9.裏板    カエデ
      10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
      11.縁飾り、象嵌細工
      12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き  カエデ 
      16.糸巻き
      17.上駒
      18.指板   黒檀
      19.駒
      20.緒子
      21.緒子の留め板
      22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン

       という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
       裏と横板にはカエデが多い様子。
       が、あるYoutubeでみたリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
       一般にはカエデだがこれはポプラだと、手元の一台を指しましたので、
       その辺りは製作者により、事情により様々な様子。


       ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
       日本語版 https://www.youtube.com/watch?v=x6MO32VDZ0U
       イタリア語版 https://www.youtube.com/watch?v=42nPLiwtjGQ

       これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもので、猫ちゃんも登場です。





       モミの木は、北イタリアのトレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ・Val del Fiamme
       のもの、というのをYouitubeで見つけましたので、こちらを。

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       このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、ヴァイオリンに挿し込む場面がでます。 
       音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?と疑問ですが、ははは。

       後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの森が映り、この森は「響く森」と呼ばれており、
       モミを掌で叩くと見事に反響する場面があります。
       説明しているのはイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウティ・Ugo Utiで、
       ヴィヴァルディもここに来て、木を選んだのだと云います。
   
       彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っているのですが、
       その音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
       一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックだと言うような説明を。


     ◆ 再追記 ◆

       このモミの木は伐採後、5年から10年自然乾燥させたものを使い
       5年以下の木材を使うことは無いと。

           ***

       トレンティーノの山中に暮らしたマーリオ・リゴーニ・ステルンの本
       「野生の樹木園」みすず書房、この本も友人から戴いた物ですが、
       ふと思いついてモミの木の記述を探しました。
       少し長くなりますが、抜粋してみます。

       ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも言うべき樹木で、
       いつも私のそばにあった。   中略
       子供のころ、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、必ずアカモミ
       の苗木だった。   中略
       種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、そこはアルプスじゅうで
       もっとも美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも優良な種子を産出するとのことだった。
             中略
       独特の性質をもった、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類があって(樹皮を剥くと、
       幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついているのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、
       細心の注意を払って伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
       満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、より丈夫にする知恵である)。
       こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴を作る
             中略
       マツ科に属するアカモミは、都会の人にかぎらず多くの人から、誤ってマツと呼ばれる。
       マツと云うのは、また別ものである。
      
                ***



       ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働いていたようですが、
       1680年36歳の時家を買い、工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで続けます。

       師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・Girolamoが跡を継ぎ、
       彼は父親の最後の20年ほど仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
       それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
       重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
       
       同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが活躍し始めますが、
       息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ・Bartolomeo Giuseppe Antonio
       通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。


       デル・ジェズという通称を、「神の如き」と書いてあるのも見ますが、文字ではそうですが、
       これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の制作証明の丸印に
       彼は IHS と記したことからなのだそうで、
       これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
       まぁ、本人がどうしてこの3文字を選んだのかは分かりませんが・・。
       
      
       と、イタリア語で弦楽器の製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
       これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器でヴァイオリンはひきますが、
       同じ弦楽器という事で、同じ製作者がつくったのでしょうね。


       ストラディヴァリは約70年間ほどを弦楽器の制作に打ち込み
       最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると翌年再婚、
       この妻との間にも5人の子を持ち、はは、お元気ですねぇ!

       息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、もう1人のオモーボノは部分的に。
       ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子には全部の仕事を任せることはほんの時々で、
       それも安い仕事を一般に任せたのだそう、ははは。

       こうして1700年から1720年代に掛け、彼が56歳から76歳の時に当たりますが、
       いわゆる彼の黄金期で、仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。

       師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの形となり
       ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶-オレンジ色に
       楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。




       当時の作品で有名なのは、1704年のBetts, 1715年のAlard,

       そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
       これは現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。
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       そしてこれは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
       メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、
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       そしてこちらが、クレモナの博物館のお宝、1715年作クレモネーゼ・Cremonese.
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       これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、現代的に少し変えられている様子。





       実はshinkaiは、この「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持っておりまして、はい。
       10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで買っていて、
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       今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
       実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
       漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!


       これはあるヴァイオリニストの持ち物になっていたのが知れたのが1877年、
       その後も何度か持ち主が変わり、最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのだそう。
       それを1961年にクレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。


       1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されている様で、
       Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode などの名が上がるそうですが、
 
       元の名をヨアヒム・Joachim、クレモナ市に寄贈され名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
       と変えたこの楽器は、ニスはオレンジ-金色のオリジナル。
       音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の均一性優秀、などなど。       
       shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!

       
       写真でもよくご覧頂けると思いますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている
       使い込まれているのが分かりますね。

       これは当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた為なんだそうで、
       顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
       これで随分奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、当時は弾きにくかった部分も
       楽になり、ヴィブラートも簡単になったんだと。




       収納されている曲はご覧の通りですが、
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       博物館の音楽室で、このクレモネーゼを弾いているYoutubeが見つかりましたので、こちらを。 




       そして、もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
       アマティ、ストラディヴァリ、グァルネーリの音なんですね。
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       どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接ほどの音ではなくとも、
       一段の有り難さを心がけ、聴くように致しますです、はい。





       こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、
       ニコロ・パガニーニ・Niccolò Paganiniが弾いていた
       彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
       確か現在はジェノヴァにあるはず。
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       パガニーニはヨーロッパ各地を演奏して回り、その素晴らしく技巧的な曲と演奏で魅了し、
       共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、




       プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真をおまけに。
       ニースの市場から近くだったと記憶していますが、
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       碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
       彼の力倆ある魔法の音を讃えています。
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       これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で監獄に入った事も
       あったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。




       お邪魔するブログ「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」で、たまたま 
       取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、などなどの他に、
       デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた映画の話題もあり、

       彼についてはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
       いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、
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       映画の予告編はこちらに。 https://www.youtube.com/watch?v=q_IeJtWZpc0
       
       はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
       当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは興味深かった。

       彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは、



       「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
       千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのは、こちらから逆にお進み下さい。


       千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作の「デュランティ」を、
       2002年に思いもかけない経緯で購入されたのは有名なお話の様ですが、・・知らずでした。

       お話しにある「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、

       顎当ての無い方、向かって右側の下が楕円に少しニスの色が薄いような感じを受けましたし、
       裏板のニスも下のほうが少し薄くなっているような・・。

       それに最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
       が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間の事で、
       それ以前は1759年から枢機卿ですが、その前は1740年からローマの
       サン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。 
       彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと云うことで、
       音楽が好きで、それで購入したのかもしれませんが、
       そのあたりは少し曖昧に感じます。

       いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
       教皇様の在位期間は一般にとても短いので、それでちょっと気になって調べたのでした。

       と、また教皇様になったりすると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
       それほどのヴァイオリンをお持ちならば、お使いになるチャンスは数あったと思いますし、

       その後のフランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
       やはり同様では無かったでしょうか?

       ヴァイオリンは誰にも弾かれることがないと、ダメになると聞きますし、
       その為に現在の博物館のヴァイオリンは毎日、その為の係が弾いていると聞きます。

       まぁ、それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
       今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、新しく一から出直す覚悟で弾いている
       と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、
       楽器にしても、自分の真価を発揮してくれる本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
       千住さんのこれからのますますのご活躍を祈ります!




       と、少し横にそれましたが、

       上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、博物館の音楽室で
       ストラディヴァリの幾つかを試し弾きするYoutubeがありましたので、ご覧ください。
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       彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様子で、3度も弾いてみています。
       その間にグァリネーリも弾くのですが、これは余り好みではなかった様で、はは、
       勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違うのですが、
       これは興味深いヴィデオです。

       
       制作されて後300年近くを経て、元の木材での存在よりも、
       楽器そのものとして長く生き、乾燥し、本当に軽くなる様なのですね。
       クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を他の演奏家がしていましたが、
       近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、というその不思議さ!
   

       ストラディヴァリのニスについても、複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
       逆に単純に松のニスに油だけ、という結論を出した方もおられるようで、
       こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、

       まぁ、そんな事を知った所で、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、

       300年前の楽器製作者が自分の命を込めて作った楽器が今も生き
       同時代の鍵盤楽器などは残っていても、使える状態のものは一台もないといいますし、
       今も素晴らしい音色を響かせてくれる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
      
       今回は博物館を訪問して後の収穫が、自分にとってはとても大きく、楽しみました

       皆さんにも、少しはお伝えできましたよう、願います


     ◆ おまけ ◆

       ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんもよくご存知でしょう?!
       習い初めのヴァイオリンの音は、まさに他人にとっては拷問の如きものでして、ははは、
       大人が習い始めての2年間の進捗具合のYoutubeも見つけましたので、
       ご本人はとても可愛い美人さんなので、お暇な方、どうぞ!


     ◆ 追記 ◆

       肝心なことを書き忘れておりました。
       この何から何まで手作りの「クレモナ伝統の弦楽器作り」は、
       2012年からユネスコの文化遺産のリストに載っているそう。

       木材選びから、削り、接着し、ニスを塗り、このニスもスプレーは禁止、手作り、
       すべてが製作者の手を通して作られる、他に類を見ない伝統の弦楽器、技術

       職人技が奥まり、極まった所から生まれてくる弦楽器、とりわけヴァイオリンと言うもの、
       その不思議さに触れた思いがした、今回なのでした。
       


     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-16 05:20 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)
2017年 02月 03日

・・・ 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 ・・・ (旅行 お出かけ) 

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       先日ピサネッロの絵デッサンをサイトで調べていた時、思いがけず、
       30年以上前にもなりますか、雑誌で見て忘れられずにいた絵に出会いました。

       「ミラノの古い貴族のお屋敷にあるピサネッロの壁画」と説明にあり、
       当時初めてのイタリア旅行で見た古い壁画や祭壇画の虜になっていた私には、
       それはもう、「遥か遠い国、魅せられたイタリア」以外の何物でもなく、ははは、
       ましてピサネッロ、という名にも魔法をかけられ、焦がれて見つめつつ、
       大切に写真を取っていたのでした。

       という、その一連の絵に、長い年月の後再会できたのでしたが、

       今は有難い事にPCでその写真の出処にも行き着き、あれこれ調べる事も出来るので、
       これらの壁画はミラノのボッロメーオ邸・Palazzo Borromeoに在ることも分かり、
       知らずにいた他の画面も知ることが出来ました。

       という事で、今日はこの壁画を通じて、
       15世紀のミラノの貴族の子弟たちのお遊びの姿をご覧くださいね。
       そして最後には、現在の貴族のご子孫達の様子もちょっぴりと。

 
       上の写真は、私の記憶に残っている写真の色に近い、壁画の部分




       ミラノのボッローメオ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
       まさにミラノの中心、ミラノのドゥオーモから歩いて10分ほど、
       1kmにも満たない位置に。
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       ボッローメオ広場に面した入り口。  13世紀末の建設で、四角い窓と、
       白と赤の大理石を使った入り口扉のある大きなアーチ。
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       入り口アーチの上部にいる駱駝像と、植物柄
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       その後の改装で建物も大きくなったそうで、上空から見る建物の現在で、
       内庭を囲む建物が2つある形で、奥の内庭が広く、
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       5角形の角柱に支えられたアーチに囲まれた、奥の内庭
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       奥の内庭は3面がアーチの回廊になっていて、残る一面に建物の壁があり、
       それには一面の壁画と、陶板飾りの装飾のある窓があり、
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       こちらが建物の壁画の柄で、王冠とボッローメオ家のモットーである
       Humilitas・ウミリタス・敬虔、謙遜、の文字。
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       で、この建物内の1階の広間に、今回ご案内する壁画があるのですね。

       これです!!
       窓側になる手前部分には無く、もしくは失われたかで、3方の壁にこの様子で。
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       左側が「タロッキ・tarocchi・カード遊び
       中央が「パルマータ・palmata・名前当て、とでも」
       右が「パッラ・palla・ボール遊び




       まずは左側の壁画から、背後にザクロの木が3本ある庭で、
       男女5人がカード遊びをしている様子で、右背後には湖の風景も見え、
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       写真によってかなり色の出方が違いますが、
       15世紀半ばの壁画内の、貴族の子弟たちの服装、髪型も詳細
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       カード遊びというのは、現在も大変盛んな遊びですが、
       どこか秘密めき、瞑想的でもあるこの遊びの雰囲気がよく出ていると思われませんか?!



       実はこの壁画は長い歴史の中で塗りつぶされていた様子で、
       第2次大戦の際に爆撃により被害を受け、戦後に行われた改修の際に
       見つかったのだそう。

       そしてこの赤っぽく見える色合いは実際の色ではなく
       この上から画家はかなりオークル・黄土色系の色をセッコ・乾いた状態で掛けているのが
       剥落し、湿度の問題もあり損傷が激しく、
       残念ながら、到底描かれていた当時の状態ではない、との事!
       それでも、これだけ素晴らしい雰囲気がわかるだけでも、有難いことですよね?!




       中央の、パルマータ
       やはりここにも5人の男女が見え、手を上げて遊んでいて、
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       パルマータと言うのは現在の遊び「スキアッフォ・デル・ソルダート・schiaffo del soldato
       に似ている、というので友人のジュリアーナにも尋ね、教えて貰いました。

       グループでの遊びで、一人が壁に向い(目をつむり)、片手を背中に回し
       手のひらを上に向けて立つのに、皆が順に指で触リ、済んだ所で皆が一斉に
       自分の指を上に上げて見せ、それで誰が触ったのかを当てるのだそう。

       元の名のスキアッフォ・デル・ソルダートと言うのは、兵士の平手打ち、の意ですから、
       元々は兵士がもっと乱暴に遊んでいたのから来たのかもしれませんが、      
       この画面の中でも、手の平を打ち付けている様子が見えます。

       パルマータとか、次のパッラ・ボール遊びなどは、中世でも伝統的に長く楽しまれ
       素朴で仲間と楽しく遊べる、こういう遊びはいつの時代も変わりませんね。




       この中央に立つ女性の衣装も見事ですが、
       衣装とか髪型には金色の線が描かれていた様子がわかるそうで、
       如何にも裕福なボッローメオ一族の子弟たちなのでしょう。
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       パッラ・ボール遊び。 
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       左の女性が棒を持ち、ボールを打つ所でしょうか?
       右奥背景の景色は、ラーゴ・マッジョーレ・マッジョーレ湖のアローナ・Aronaであろうと言い、 
       ここ一帯はボッローメオ家の領地であり、ボッローメオ国と呼ばれるほどのものだったと!
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       そして右側に並ぶ女性4人、これは当時の豪華な衣装、髪型で装った
       まさに貴族女性のお披露目みたいな様子で、
       色の損失、画面の損傷がとても残念。
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       これら一連のフレスコ画に登場する女性たちのスタイルは、まさにピサネッロの絵に
       登場する女性たちを彷彿とさせ、私が昔見た雑誌でも当時はピサネッロの壁画、と
       説明されていたのでしたが、

       今回改めて再会し、いや、これはピサネッロではない、とすぐ思いましたし、
       勿論調べてもピサネッロという名は出てきませんで・・。
       shinkaiの思うピサネッロが描く人物は、女性は、こういう目つきはしませんし、はは、
       雰囲気は似ているものの、ピサネッロは段違いに巧緻ですね。
       

       このボッローメオ邸の壁画はガイド付きで見学することが出来ますが、
       所有者の関係で月曜から金曜日までのみで、写真も禁止。
       見学は約1時間半ほどで、予約が必要、料金は13エウロ。
       サイトは 




       で、壁画の作者として研究者達から名が上がっているのが、
       ミケリーノ・ダ・ベソッツォ・Michelino da Besozzoという事ですが、
       彼の描いた教会のヴォールトの絵はこんな様子で、
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       彼は細密画も描いていますが、やはり同じような可愛い人物像で、
       彼がボッロメーオ邸の壁画の作者とは思えませんです。

       
       このボッローメオ邸は現在もボッローメオ家の持ち物ですが、
       オフィスに投資信託会社が使っているようで、住居にもなっているそう。




       所でボッローメオ家についてあれこれ読んでいて行き着いた一つが、
       
       ラーゴ・マッジョーレの東岸にあるアンジェーラの要塞・Rocca di Angera.
       200mの崖状にあリ、元はロンゴバルドの10世紀の要塞だったのを、
       14世紀にヴィスコンティ家が現在の要塞の形にし、ボッローメオ家が
       増改築したものだそうで、現在もボッローメオ家の所有。
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       一連のフレスコ画の「ボール遊び」の中央に見えた湖は、この要塞の対岸
       西にあるアローナという事でしたが、ここにもかって同様のボッローメオ家の要塞があり
       マッジョーレ湖の船の往き来を見張り、税を取り、アルプス側からの敵の侵入にも備えていたと。

       マッジョーレ湖はかってミラノの街の建設資材、大理石類などを調達し運ぶ一大輸送地で、
       ここでの税を免れた唯一は、ミラノのドゥオーモ建設の資材運搬船だったそうで、
       おまけに石材発掘も無料、運搬費も無料だったと!!
       どこかの国に「坊主丸儲け」という言葉がありましたっけね、ははは。

       残念ながら、こちらのアローナの要塞はナポレオン軍が打ち壊したそうですが、

       アンジェーラの要塞は、大変良い保存状態で残っており、




       ここには、イタリアで唯一という、「世界の人形」コレクションがあり、
       写真左に日本の武者人形も見えますが、お雛様のセットも見つけました。
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       お城の見学、人形博物館などは大体3月中頃から10月中頃まで、
       朝9時から17時半迄、休館無く開いている様子。
       アンジェーラの観光事務所の電話は、(+39) 0331 960 207




       そしてこのお城では結婚式、披露宴も行われる様子
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       所でご案内が後先になりましたが、ボッローメオ家・Borromeoと言うのは、
       出身がローマでトスカーナに移住、13世紀ミラノに移ってきた裕福な商人、貴族で、
       ミラノでヴィスコンティ家と縁戚となり、マッジョーレ湖一帯の領有、そして伯爵家となり、
       現在でも有数の子孫があり、繁栄存続している一族

       ボッローメオ家で検索を掛け最初に出た写真で、ああそうか、と思い出したのが、
       暫く前にTVニュースでも大々的に出た結婚式の模様でした。

       2015年の夏に行われた結婚式で、
       こちらはモナコで最初に行われた7月末の公的役所での結婚式の、
       左が花嫁のベアトリーチェ・Beatrice・ボッローメオ
       隣が証人のアンドレーア・カシラギ・Andrea Casiraghi、花婿の兄
       同じく証人のご夫婦ジョン・エルカン・John Elkann と、
       ラヴィーニア・ボッロメオ・Lavinia Borromeo
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       お分かりでしょうか、これらの人間関係から見える上流階級の模様が?!
       花婿はモナコのカロリーナ王女の2男(3番目の子)、ピエール・カシラギ・Pierre Cassiraghiで、
       花嫁の姉ラヴィーニアが、フィアット・クライスラーの会長ジョン・エルカンの妻、というわけ。

       花嫁はこの最初の結婚式では、ヴァレンティーノの衣装をお召だったそう。
     



       8月1日ロッカ・ディ・アンジェーラでカトリックによる式典が行われ、
       要塞の下にお着きのお二人がボートから上がる所
       右側ではお迎えの市長が、写真を撮っているもんね、ははは。
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       こちらがエレガントなアルマーニの衣装をお召しの花嫁、花婿
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       はぁ、そうなんですねぇ、イタリアでは戦後共和国になり、貴族の称号は公的には
       無くなったのですが、報道される時はちゃんと称号付きですし、
       こういう様子を垣間見ると、上流階級、現在も延々と続く貴族階級が伺えますですね。
       ・・やはりパルマータとかボール遊びをされる事もあるんでしょうかぁ? ははは。




       マッジョーレ湖、アンジェーラの要塞の夕日を最後に。
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     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-02-03 19:47 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(7)
2016年 03月 11日

   ・・・ モンザの中心ちょっぴり ・ 聖堂 鉄の王冠 王宮 ・・・


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       ロンバルディアの州都ミラノの中心から北東に約19キロ、
       街同士の境のみで言うと約8キロの近くに位置するモンザ・Monzaの街。

       日本ではモンザのサーキット場で有名だと思うのですが、
       古のロンゴバルト族の首都でもあるモンザのご案内、と言っても
       ほんのちょっぴりの中心、
       美しい聖堂と、そのお宝である鉄の王冠に付いてご覧ください。

       ずっと”モンツァ”と思い込んでいたのですが、改めて友人にも尋ね、
       発音を聞いてみると"モンザ”ですので、そのように書く事に。
       
       
       さてバスを降りた所から見える、奥に続く並木道
       昨年の春4月半ば新緑の候、なんとも清々しい公園の道でしたが、
       後で分ったのは、奥に見える白い壁は王宮の建物の壁。




       地図をどうぞ
       モンザの街の中心は、下に囲った中に見える菱形あたりで、
       四角い点を打った所に聖堂があり、北に広がる広大な公園の中に
       サーキット場があり、赤丸点を打った場所が最初の写真の位置、
       そしてVilla Realeとあるのが王宮
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       ですから今回歩いたのは、公園の南の端から中心の聖堂辺りまでの往復、
       そしてほんのちょっぴり聖堂の脇から川の辺りまで、という事になります。




       公園の端でバスを降りた辺りは既に中心街の外れで、
       なかなかに雰囲気の良いお屋敷街という感じ
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       街中に入り、この道を中心に向って行きますが、
       美しく整備された家並みが続き、やはり中世からの建物の
       保存である事が分かります。
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       今回は街中の写真を殆ど省略しておりますが、
       これはサン・ピエトロ・マルティレ教会前広場にあった
       モンザ出身の画家モゼ・ビアンキ・Mosè Bianchi(1840-1904)の像。
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       実は旅行の少し前に、このモゼ・ビアンキと言う画家の作品を
       サイトで見て大変に達者な画家で驚いておりましたので、
       あれ、彼はここ出身なんだ、とすぐ分った次第。

       という事で今回分家の水彩+色鉛筆ブログに
       彼の作品を少し集めましたので、ご覧くださいね。




       春らしい花が咲く横の小路も眺めつつ
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       これはサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会
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       散歩中のすべすべ毛並みのお高いワンちゃんにも挨拶し、ははは、
       ねぇ、よだれが垂れてるよ!
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       歩いて行く先に中心の塔が見えて来て
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       塔の先と時計、そして建物の西側なんですがぁ、
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       肝心の全体像を撮っておりませんでしたので、サイトより拝借、へへ。
       はい、こんな風に建物の下がロッジャになっている、
       ラレンガーリオ・L'Arengarioという13世紀の市庁舎。
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       我々は写真の向こう側から近づいてきた訳で、
       2階に見えるテラス、かってはここから施政者が市民に話したテラスと、
       塔は後の時代に建設された物と。

       建物はご覧の通り長方形で、30,3x12,4m、
       現在は展示会場に使われているとのことで、
       ローマ広場と呼ばれるこの広場から道が放射線状に走り出すと。




       上のラレンガーリオから小路を辿るとすぐにドゥオーモ広場で、
       車が入らないここは市民の憩いの場でもあり、
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       広場の南面にこの素晴らしいドゥオーモ、
       サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂・San Giovanni Battista.
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       オリジナルの聖堂は6世紀末の物という事ですが、
       現在のは14世紀から建設が始まり17世紀に完成した、
       白と薄いブルーの石の縞模様に、細かい細工が施された美しい物!!
       



       正面扉の上の張り出した部分に、聖堂が捧げられた
       サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・洗礼者ヨハネ像があり、
       左手の上には羊、右手の人差し指で天を指します。
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       扉上部の半円、ルネッタ部の彫像群
       下段の中央左にサン・ジョヴァンニ・バッティスタと、
       右に洗礼を受けるキリストですが、
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       ・・作者は水の表現に苦労したのでしょうねぇ、
       大変にユニークで、気がついて笑いましたぁ、失礼、ははは。




       扉上の張り出し部分の横に突き出す動物の飾りと
       上部の細かい細工、でも大変に彫りが深いしっかりした美しさ!
       まだ中世風を感じる部分も残り、新しい時代の彫像も加わっていますね。
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       聖堂内の様子、豪華でしょう?!
       わぁお~と見蕩れましたっけ。
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       天井画と入り口上のステンド・グラス
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       実は上の聖堂内写真はお昼解散前にさっと撮った物で、
       またじっくり中が見れる撮れると思っていましたら、そのままになり、
       内部の写真はこれだけで、残念・・!




       この聖堂には大きなお宝、聖遺物とされる物がありまして、
       それがこれ、鉄の王冠・Corona Ferrea・コローナ・フェッレーアと呼ばれる物。
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       内側真ん中に輪が見えますね、これがキリストの磔刑の時に使用された
       鉄の釘という事で、それを叩き延ばし、

       その周囲に
       
       

       金と宝石の飾りの金属板を6つ取り付けたもの
       現在は直径15cm 高さが5,5cm 重さが535gで、
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       聖堂の左側の礼拝堂で実物を拝む事が出来ましたぁ!
       
       礼拝堂内に我々が入りますと、入り口の扉は鍵で閉められ、
       小さな金庫の扉が鍵で開けられ、中から引き出した箱の鍵を開け、
       そしてその中にガラスの箱に入っていたと・・。
       つまり2重の鍵+入り口扉鍵、という厳重さでありまして、
       少人数づつが台の上に上がり、覗き込んで見れた、という・・。

       現在は飾りの金属版が6枚と書きましたが、実際は8枚あったそうで、
       この王冠は過去にあちこちに持ち運ばれているのですが、
       1324-45年にはフランスのアヴィニョンにまで行っておりまして、
       その際に盗まれ、2枚の金属板が盗まれ損傷を受けたのだそう。

       その後修復されたものの、2枚の装飾板が無い為に
       円周が小さくなり、現在の直径になっているのだと・・!


       この王冠が聖遺物というだけでなく、なぜ大事なのかですが、
       かってはこの王冠がイタリア国王の戴冠式に用いられたのですね。
       
       ジェルサレムでキリスト磔刑の際の十字架を発見したのは、
       皇帝コスタンティーノ1世の母であるエーレナであるとされ、
       その際に十字架に付いていた釘も発見と。

       其のうちの1本が帯状の飾りとなりコスタンティーノ大帝の
       兜の上に付けられていたのを、ロンゴバルド王であるテオドージオ1世・
       Teodosio I がミラノに持ち帰り、その後コスタンティノーポリに
       (現イスタンブル)、またイタリア・モンザにと変遷し、
       兜の半球として保持されていた様子。

       6世紀、時の教皇グレゴーリオ1世がロンゴバルドの王妃
       テオドリンダ・Teodolindaに釘の1本を贈り、それに対し
       夏の住まいをモンザに持っていた彼女は、595年隣に聖堂を建設したといい、
       これが現在の聖堂の前身となりますが、
             
       テオドリンダは贈られた釘を入れた王冠を打ち直し、
       装飾の金属板を付け加えた、円の形(王冠)に作ったのだと。

       皆さん、お読みになっていて分りますか?
       なにせ書いているshinkai自身がどこまでがどうなのか良く分らずで、
       ははは、多分こうなのだろうと推察も交えて読み書きしておりまして・・!
       ・・気を取り直し、
       
       こうしてロンゴバルドの王たちがこの王冠を用い
       カルロ・マーニョが775年に受け継ぎ、
       以後19世紀までイタリア王の戴冠に用いられた、というもの。

       王冠が小さくなった後は頭にかぶる事が出来ませんので、
       いわゆる形として頭にのせ手で支えた様子で、
       この形で有名なのが1805年ミラノで行われた
       ナポレオン・ボナパルトの戴冠式!

       ですがイタリア統一後に国王となったサボイア家は、
       この王冠を用いていないとのこと。


       1993年にこの王冠は科学的検査をされ、釘は
       多分1345年に破損箇所が修復された折に使われたと思われる金属で、
       鉄ではなく銀であると・・!
       
       というような、ちょっと神話伝説まがいの謂れにも聞きとれる
       鉄の王冠のお話でしたぁ、お疲れ様!




       ドゥオーモの背後にはドゥオーモ博物館も整備されてあり、
       なかなか素晴らしかったのですが、なにせここも写真禁止でして・・。
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       これはドゥオーモの脇にある回廊部分
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       こうして外に出ますと、すぐ脇の道がいかにも中世の雰囲気で
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       振り返ってみるドゥオーモの鐘楼、1592年建設
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       通りの横に見える、かっての街の門と塔
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       モンザの中心を通り抜けるランブロ川・Lambro.
       サイトで見た写真には、満々と水をたたえた写真が何枚もありましたが、
       なんとこの時は、まるで干上がっておりまして・・!
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       川を渡った所で曲がって引き返すヴィットリオ・エマヌエレ通り
       奥の突き当たりに見えるのが、ローマ広場のラレンガーリオ。
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       通りに並ぶちょっと高級品店のウィンドウに見つけたのがこれ、
       ドッグ・フィーバーとあってネックレスや指輪、人間様用も見えますが、
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       このお値段の高いこれ、これはなんでしょうかぁ?!
       上の写真の右下には、陶器製と見えるもっとお高いのも見えるのですが・・。
       指輪? ナプキン・リング? 
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       という事で朝到着した広場に再び戻ってきまして
       正面左に、奥に続く並木道、
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       我らは再びバスに乗り、レッコのホテルに向ったのでしたが、
       道を走っていて見えたこの藤の花盛り、右側にもっと長く続き、
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       角を曲がって見えたのがこの建物
       あれあれ、と思う間なく、
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       こんな広大な建物が見え、王宮と知りました。
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       上からの眺めをどうぞ。 広大でしょう、建物も庭園も!
       王宮と書きましたが、実は王家のヴィッラ・Villa realeなんですね。
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       1777年当時北イタリアを統治していたオーストリアの皇妃マリーア・テレーザが、
       ミラノに滞在していた4男フェルディナンドの、
       夏の滞在と狩の為に建設した豪儀な物なんですって!!

       庭園のほうは徒歩で入れ、建物中央も修復が済むと見物できる様子。
       
       
       という、典雅なモンザのちょっぴりご案内でしたぁ




     *****

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by italiashiho2 | 2016-03-11 01:36 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(12)
2016年 03月 01日

   ・・・ ベッラージョ ・ コモ湖の要所にある観光名所 ・・・

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       あっという間に3月になりましたが、お天気がまだまだ不安定で、
       暖かく晴れた日が待ち遠しい今日この頃ですね。

       今回は、昨年4月半ばに出かけたコモ湖周辺の旅から、
       コモ湖の中に突き出す半島の先っちょに位置する
       ベッラージョ・Bellagio のご案内です。
       
       上の写真は、コモ湖周遊の船着場、ちょっと洒落ているでしょう?



 
       コモ湖の形、ベッラージョの位置など、地図をどうぞ
       左に見えるグレイの太線がスイスとの国境線で、
       そう、この辺りこんな風にスイスが入り込んでいるのですね。
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       コモ湖は細長く、ちょうど人の字型に南側で分枝していますが、
       その突き出した半島の先っちょにベッラージョがあり、
       歴史の中では戦略的に大変重要であったようですが、
       現在は風光明媚な観光要所として有名です。

       湖の左側に位置するコモからは24K、ミラノからは57Kほどと。




       サイトから拝借の美しい写真で、突き出す半島の様子を。
       ベッラージョの町は、頭のようにぽっこりと膨らむ山の向こう側、
       首の付け根の位置といいましょうか、
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       対岸から見ると、こんな風に広がります。
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       コモから出発した遊覧船が、ゆるゆるとあちこちに停りながら
       ベッラージョに着いたのはまだお昼前。
       本当に残念な事に曇り日で、写真の色もイマイチですがご容赦を。
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       港から見上げる山の上の大きな建物
       これは後でご説明致しますが、
       ニューヨークのロックフェラー財団の持ち物なんだそう。
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       一旦グループから解放され、お昼ご飯用とその後の自由時間があり、
       見ると観光電車が止まっているので時間を訊ねると、
       すぐに出発するのがあり、戻って来てお昼ご飯にちょうど良さそう!
       というので、仲間3人と乗って一回りする事に。
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       港を眺めながら観光電車は走り出し
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       こんな尖がった家の前を過ぎ
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       オリーヴの小さな畑もあり
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       大きな建物、なんだろ? 
       なにせ今回の観光バスは、一切説明なし、音楽もなし! ははは。
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       細い道を結構な早さで進みながら、上り坂、下り坂、かなり揺れます!
       それでも、春らしい新緑の長閑さも見え
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       曲がりくねる坂道を上り、段々に眺めが良くなり
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       半島に突き出す頭の先っちょを後ろから、の位置
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       上の写真にも見えますが、山の中腹に見える大きな建物、
       あれが港から見上げた、現在はロックフェラー財団の持ち物となっている
       ヴィッラ・セルベッローニ・Villa Serbelloni.

       15世紀に城の跡地に立てられたヴィッラだそうで、
       18世紀にアレッサンドロ・セルベッローニが所有し、貴重な芸術作品で
       素晴らしいヴィッラとなっていたのが、その後所有者が変わり、
 
       1959年、当時所有していたアメリカ出身の妃が遺言で、
       ロックフェラー財団に遺贈したのだそう。

       現在建物は国際会議で使われたり、また財団から選ばれた若きアメリカの
       芸術家達が1年間ここに派遣され滞在する、というもので、
       名前は忘れましたが、著名な芸術家達の名が挙がるのだそう。

       ガイドさんの話では、コモ湖の他の事は知らなくても
       ベッラージョがアメリカ人にとても有名なのはそのせいですと。
       で、以前アメリカ在の友人がご主人と訪伊された時、
       コモ湖、ベッラージョ滞在だったので、なぜ?と疑問だったのが、
       そうだったのか、と今納得!

       そうそう、ラスヴェガスの写真に見える、大噴水のあるホテル
       べッラージョは、このベッラージョに由来するのですって。
       これもロックフェラー財団効果なのかしらん?




       こちらは東側のコモ湖
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       派手な赤い観光電車が行くのを、ワン君も見送ってくれ、ははは。
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       坂道、新緑の木々、花の色
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       狭い道脇に駐車している間をすり抜けて
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       客待ちのレストランも覗き
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       小さな船溜まり、こちらは西側の湖。       
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       古い小さな教会が奥に見え
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       大きなお屋敷の立派な門扉と彫像! ちょっと嬉しげね、ははは。
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       がたがた揺られながら、また湖が見える位置にまで下り
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       こんなアーチをくぐり
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       ベッラージョの中心にまで戻ります
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      さて、お昼を食べてのち町探訪に
       湖岸に沿っての道は平坦ですが、そこからはすべて細い上り坂!!
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       如何にもの土産物店!
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       手彩色陶器の、聖水入れ式飾り物、モザイクの十字架
       アップして値札を見ましたら、高い!と思った値段でしたよ。
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       子供用の靴って、何でこんなに可愛いのでしょうね?!
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       芸術的作品を扱う店もあり
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       坂道を一番上まで辿ると、今度は横切る道に出るのが分り、
       引き返します。
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       狭い道脇の、小さな2人用のテーブル
       見られつつ食べるか、食べながら通行人を眺めるか、
       あ、まるで関係ない2人の世界というのもありね、ははは。
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       上から眺める船着場
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       若い子供連れのカップルと、長~い金髪の女の子
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       漸くに少し陽が射し始め、嬉しいぃ!
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       港のすぐ脇に、藤の花満開!!
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       さて船に乗り湖の対岸にあるヴィッラ・カルロッタに向います。

       山の中腹、右に見えるロックフェラー財団の建物
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       遠くに、雪を被ったアルプスの山が見え
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       湖岸に立ち並ぶ、美しいヴィッラと庭園のあれこれ!
       午前中の遊覧で、こんな風に見えていたらねぇ!!
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by italiashiho2 | 2016-03-01 00:29 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(7)
2015年 05月 01日

   ・・・ ヴィッラ・カルロッタ ・ コモ湖の別荘、庭園を ・・・

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       日本はゴールデン・ウィークが始まっていますね
       爽やかな新緑の候、あちこちお出かけの計画がおありの事と思い、
       こちらも負けずに、ははは、
       先日のコモ湖旅行で訪問したヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlottaの
       素晴らしい庭園をご覧頂こうと思います。

       上は、午後素晴らしく晴れ上がった中、ベッラージョから
       対岸に渡るおり、見えてきたヴィッラ・カルロッタ



       ヴィッラ・カルロッタはどこにあるか、地図をどうぞ
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       コモ・Comoから遊覧船に乗り、途中右、左と各停留所に停まりつつ、
       べッラージョ・Belaggioまで2時間。
       ここで船をおりてお昼解散となり、午後再度集合し乗船、
       対岸のVilla Carlotta(Tremezzo・トゥレメッゾと同じ停留所)に渡り
       船着場のすぐ横に、このヴィッラ・カルロッタがあります。



       上の写真の左に見えるお屋敷がそれですが、

       見えてくる庭園の様々な色!
       傾斜地に沿っての様々な新緑、花の色が目を引きます。
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       お屋敷の正面を通りすぎ
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       停留所から入口に。 見上げる像とお屋敷
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       さて、ヴィッラ・カルロッタにその名を残す
       カルロッタ・Carlottaなる方ですが、プロイセン貴族の美しい方。
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       やはりちょっとは、どんな方だったか知りたくなりません?
       正式の名は、Friederike Luise Wilhelmine Marianne Charlotte von Preußen
       はい、読める方はどうぞ、ははは、
       1831-1855年、1850年にゲオルグ2世公爵と結婚したものの
       24歳の短い生涯、音楽の才があり、幾つかの作品も残しているそうですが、
       恋仲で結婚した夫との間に4人の子を出産後に亡くなりましたが、 
       この別荘は、彼女の母親からの結婚の贈り物だったのだそう。

       ところでこのカルロッタの母なる方、オランダの王族出身で
       マリアンネ・フォン・オラニエ=ナッサウと言い、
       プロイセン王の第4王子と1830年に結婚、カルロッタを長女として
       1男3女が生まれますが、
       1845年に浮気者の夫から逃げ、元御者の愛人と暮らし始め、
       やったぁ! ははは、歴史ゴシップ大好きshinkai!
       1849年には正式に離婚が成立したと言うのですが、
       先進的夢想的な女性だったとはいえ、不義はお家のご法度、
       その後宮廷生活からは完全に閉め出され、イタリアとドイツで
       暮らしたそうで、それでこの別荘との関係が分りますね。 
       



       さて広い広い庭園と言っても、植木を刈り込み幾何学模様を
       描き出した庭園ではなく、世界各国の植物を集めた庭園でして、

       こんなオレンジとシトロンのトンネルもあり
       下を通り抜けつつ、オレンジの爽やかな良い香りを吸い込み、
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       木立ちの隙間から、コモ湖の美しい湖面が見え
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       後にしてきたべッラージョの町も!
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       ちょうどツツジの花が咲き始めた所!!
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       傾斜地に広がる庭園の間を小道が縫い
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       小花たちが、それぞれ色を競います
       これらの花は毎週一番良い状態のものに取り替えられるのだそう!
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       きっと南の国から来たのであろう植物も見え
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       こちらはシダの谷と呼ばれる、自然の地形を生かし、
       何十種類ものシダが生息しているそうで、
       湿気を保つ為、定められた時間ごとに各所から噴霧されるのだと。
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       庭園全体だと思うのですが、12人だったかな、の庭師が
       常に働いているのだそうで、やはりそれだけの手間をかけて
       これだけの植物庭園が保たれているのですね。




       これはメタセコイアの樹、初めて見ましたが、
       顔が見えているのが、コモでのガイドさん。
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       メタセコイアの樹の葉は樟脳と同じで、拾った枯葉を揉むと
       ツンと樟脳の匂いがし、箪笥にいれると虫除けになるそう。




       足元、小路に出ているポコポコゴツゴツの木の根
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       もともとのこのヴィッラは、17世紀の終りに
       侯爵ジョルジョ・クラリーチ・Giorgio Clariciが建設したもので、
       大きいけれども他のこの地の別荘に比べ地味なものだったのだそう。

       それを次の持ち主ジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ・
       Gian Battista Sommariva、彼は企業家で政治家、ナポレオンの友人、
       美術の収集家だったそうで、19世紀の初めにここを買取り、
       庭園の改修をし、屋敷内にコレクションを。

       そして結婚の贈り物としてカルロッタの母親が買ったわけですが、
       カルロッタの夫であるサッソーニア・マイニンゲン公爵が
       植物学に大変情熱を持った方で、現在の形に仕上げたのだそうで、
       7万平米を越す敷地に、ツツジや石楠花だけでも150種を越す種がある
       素晴らしい植物庭園なのですね。




       庭園の小路を辿りながら高い位置に行くと、こんな感じ。
       長い年月を経て、様々な樹が大きく育っているのが良く分かります。
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       こんな可愛い細工も、まぁ、許せますね。
       中に見える青い小花は忘れな草
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       忘れな草が上手く撮れませんでしたので、これはつい先日撮った、
       我がコンドミニオの庭に咲くものを。
       お隣のシニョーラ、ヴェネリタはお花育てがとても上手で・・。
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       忘れな草のイタリア語名はNontiscordardimé・ノンティスコルダルディメ
       同じ題名の有名なカンツォーネがありますので、
       古き良きイタリアを偲び、同名の映画に使われた場面をどうぞ!

       リフレインで歌われる歌詞は
       non ti scordar di me   私を忘れないで
       la vita mia legata di te   私の人生は君に結ばれている
       c'è sempre un nido nel mio cuore per te 私の心にはずっと君の為の巣がある
       non ti scordar di me    私を忘れないで

       ああ、イタ男!




       所々に置かれたベンチに座り
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       コモ湖の素晴らしい風景を
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       赤い椿の長い生垣もあったのですが、まだ蕾が多かったので、
       ひっそりと咲いていた椿2種を。
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       庭園地図を見ても、庭全体は我らが歩いた何倍もの広さがあり、
       植物好き、お花が好きな方には見飽きないと思いますが、
       我らはお屋敷内の見物に

       これは優雅で上品な1階の部屋の天井
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       こちらは居住区間だったと言う2階の、素晴らしい天井画で、
       吊るされたランプも素晴らしかった!
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       と、ひとまずお部屋のイメージをご覧頂きまして、はは、


       ここのコレクションに、アントーニオ・カノーヴァの作品がありまして、
       この男性像は全身の大きなものでしたが、
       バランスが少し危ういかもと、この部屋に運び込まれたままなのだと。
       
       いかが、素敵なお尻でしょ?! 
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       マグダラのマリーア。 暗い部屋、後ろに鏡という舞台装置・・。 
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       プシケの愛。 プラトニック・ラヴなので、近寄るだけで
       接吻できないのだとかなんとか、ガイドさんが熱を込め説明を・・。
       本物(第一作?)の他に、3つほどコピーがあるとか。
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       これは可愛い作品
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       アントニオ・カノーヴァの塑像博物館、テンピオのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/10254941/   

       他にもアイエツ・Hayezの「最後の接吻・ロミオとジュリエッタ」
       等もありましたが、あのアイエツの描く女性の横顔、
       のぺーっとした横顔がどうも好きでなく・・、済みません、省略。




       屋敷の上から見る、正面入り口
       あの可愛い噴水のある小池には、オタマジャクシがうようよ!
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       礼拝堂の向こう、プラタナスの樹が2本見えますね。
       あれはスタンダールの「パルムの僧院」に登場するプラタナスの並木、
       本をちゃんと読んだのかどうかも記憶にあやふやですが、へへ、
       それの現在残っている2本なのだそう。
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       「パルムの僧院」に、パドヴァのカフェ・ペドロッキが登場するのは
       覚えておりまして、きっとどこかに指摘があったので読んだのでしょうが、
       確かザバイオーネをご馳走になったとかなんとか・・。
       うん? 誰がご馳走になったん? ・・ちゃんと読んでない事判明!




       ヴィッラ・カルロッタの見物を終え、屋敷前から見る
       ベッラージョのパラッツォ・メルツィ・Merzi.
       ここもお庭が公開されておりましたっけ。
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       背後に聳える高山は、あれはコモ湖のレッコ側の背後に辺り、
       ドロミーティに含まれる山々、雪が見えます。




       屋敷前の細い道を行く、真っ赤なアルファロメーオ!
       そう、ガルダ湖と同じで、湖畔沿いの道は細くカーヴ続き。
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       さて、コモ湖訪問を終えた我らは、レッコの宿に向かい・・
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       素晴らしい景色もあれこれ見れ、もう一度と思う場所も
       たくさんありましたが、
       う~む、あの細い道と車の多さを考えると、さて・・!



     *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       ええとです、日本はゴールデン・ウィークですよね?!
       という訳でもないのですが、
       3日から10日まで、ウンブリアに出かけて来ます。

       ちょうどアッシジで「カレンディマッジョ」のお祭りもあるので、
       それを見かてがらアッシジに5泊しますが、
       往きにカプレーゼ・ミケランジェロでミケランジェロの生家により、
       まだ行った事のないチッタ・ディ・カステッロに2泊。

       アッシジからは、近くのスペッロとペルージャに半日ずつ、
       とにかく今回は7年ぶりの春のアッシジに浸るつもりで、
       戻りにグッビオに寄ろうかな、という程度の計画です。

       という事で、ブログは16日までお休みを頂きます!

       これが済みましたら、もう秋の日本行きまでお休みしませんので、
       はい、良い収穫があるよう、願ってやって下さいませませ!

       では、行ってまいりま~す!

       皆さんにも、良い春の休暇でありますように!!



     *****

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       アップしております。
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by italiashiho2 | 2015-05-01 00:44 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(11)
2015年 04月 25日

   ・・・ コモ湖周辺旅行 ・ 総集編ちょっぴりと、食べたもの ・・・

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       皆さん、こんにちは!
       お休みを頂きましたので張り切って、ははは、
       今日はたっぷりの写真で、コモ湖周辺3日間旅行の総集編
       ちょっぴりと、恒例の食べ物を見てやって下さい。

       心配していたお天気は何とか大丈夫でしたが、
       楽しみにしていたコモ湖の遊覧船の時が生憎の曇り空!

       まぁ、それでも思いもかけなかった素晴らしいものも
       たくさん見る事が出来、楽しんで戻りました。

       まず上は、モンザ・Monzaのドゥオーモ
       モンザはいつもF1のサーキット場の話題しか出ませんが、
       大変落ち着いた穏やかで美しい旧市街で、
       こんな美しいドゥオーモもあることも知りました!

       ドゥオーモの中では「鉄の王冠」なるもの、
       キリストの磔刑に使われた釘を使ったという有難いもので!はい、
       イタリア国王やナポレオンも戴冠式に使ったという王冠を、
       拝んで参りましたぞよ。
       勿論写真は禁止でしたが、色々面白い話も聞きましたので、
       またの機会に。



       地図をどうぞ
       初日は朝5時半集合出発で、バス旅行で、まずミラノの北にある
       モンザに行き、午後レッコ・Leccoに、2泊した宿はレッコ。
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       2日目はコモ・Comoから遊覧船に乗りベッラージョ・Bellagioまで。
       午後は対岸にあるヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlotta
       素晴らしい庭園を楽しみバスで宿に。

       3日目はコモに出かけ街の見学、午後半ばに帰路に、
       という旅程で、今回はかなりゆったりした旅でした。




       道中では少し雨が降ったものの、モンザに着くと天気予報とは
       打って変わったお天気となり、ドゥオーモと街見物の後は
       自由解散となり、お昼を街の通りのバールの席で。

       まずは生ビールで乾杯し
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       ジュリアーナは野菜のグリルを挟んだトースト
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       フェリチアーナはリゾット、 ね、量が多いでしょう?
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       shinkaiはペンネ・アッラビアータ・ピリ辛のトマト・ソース。
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       さてレッコに到着、少しうす曇りになりましたが、
       まずは街中をぐるっとバスで回ってくれ、土地のガイドさんを拾い、
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       これはアレッサンドロ・マンゾーニ・Alessandro Manzoniの像
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       イタリア人にとって大古典の「いいなずけ・イ・プロメッシ・スポージ
       の作者で、19世紀、この街には彼の父方の屋敷があり現在博物館、
       我々はそれを見学に行ったのですね。

       私は子供向けダイジェスト版を読んだ程度なのですが、
       一行の皆は本当に良く知っており、ガイドさんがまたあれこれと
       マンゾーニの家庭事情やらなにやらを微に入り細をうがつ説明で、
       ははは、それは大変興味深く可笑しく、皆が大いに楽しみましたです。




       屋敷の傍らの、大きな八重桜が満開
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       さて2泊したホテルにチェックインし、ホテルの名も
       ははは、「プロメッシ・スポージ」で、
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       夕食のメニュー、肉喰らいには、
       まずポルチーニのリゾットとミート・ソースのペンネ
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       菜食者には、菜食者がいる事など想定外だったようで
       急遽ポルチーニのリゾットだけが供され・・!

       うむぅ、この辺りで次の展開が予想されましたが・・!




       セコンドは、豚のあばら肉ステーキと野菜の付け合せ
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       となると、菜食者にはこの野菜類のみで・・!!
       いくら美味しい、大盛りとは言え、ちょっとぶうたれるshinkai。




       デザートは、イチゴに生クリーム
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       ですが、思いがけずに部屋からの眺めが最高でして、              

       細い湖を挟んでの対岸が、レッコの街の中心部
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       大方は友人とのツイン部屋ですが、希望するといくらかの
       割増料金で一人部屋にしてくれるのですね。
       で、今回はダブルベットの一人使用という事で、
       3階のこんな眺めの部屋が当たったという訳、やったぁ!




       翌朝散歩に出ましたら、近くにこんな大きなマロニエの樹
       これも満開でした。
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       翌日のお昼は、2時間の遊覧を終えべッラージョで降り、
       ちょうど発車間際の町周遊の観光バスも体験し、湖岸のバールの席で
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       ほらね、Birra Bellagio・べッラージョ・ビールと書いてあるでしょう?

       で仲間は野菜とチーズのトーストを、shinkaiはスパゲッティを、写真略。
       パニーノとかトーストなどのパン類は余程でないと食べませんで、
       ・・だって、朝食以外のパンは「代用食」なんですよぉ、shinkaiには!ははは。




       船着場すぐ横の、満開の藤の花!
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       午後は大変なお天気になり、ホテルに戻って見る
       夕焼けのレッコの街と山
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       さてこの日の夕食は如何に?!
       肉食者には、ラザーニャ。  ピン甘ご容赦。
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       菜食には、お昼に食べたと同じスパゲッティ! 素晴らしい!!
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       セコンドは、ロースト・ビーフと、ジャガイモの付け合せ
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       あ、サラダが出た、嬉しい!
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       という事で、shinkaiのお皿はこんな感じ、むひひ!
       手前右の厚いチーズは、この辺りの美味しいタレッジョ・チーズ
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       デザートは、オレンジ・チョコレートの乗ったケーキ
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       皆が美味しいと言い、料理は本当に悪くは無かったのですが、
       なにせ今回は読みが浅く、同じものがかち合い過ぎたのが
       shinkaiには不幸でしたぁ、ははは。




       部屋の窓から眺める、美しい夕暮れと、街の灯
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       翌朝6時過ぎ、ドゥオーモの下だけ明かりが灯っていて
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       街の背後の山から射し込む、朝の陽
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       爽やかな朝!
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       最終日はコモの街に。
       この美しく典雅なドゥオーモも、古い中世が残る一廓も見物し、
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       ちょっと入った小さなマッツィーニ広場のバールでお昼を
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       ジュリアーナとフェリチアーナは、トスカーナの野菜スープを、
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       shinkaiは、茄子のパルミッジャーノを。
       形が崩れ、何か正体不明な食べ物に見えますが、ははは、
       茄子とチーズ、トマト・ソースの重ね焼きですもの、美味しかった!
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       のんびりテントの下でお昼をしていると、この猫ちゃん・・。
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       今回食べ物の写真とホテルの窓からの写真は、
       新しいコンパクト・カメラを試したのですが、
       ほら、コンパクトは即ピントが合いませんよね。
       なので一眼に慣れた者には、猫の顔を撮ろうとしても無理!
       皆さん、ようやる!
       
       でも人物、とりわけ女性のポートレートには良いみたい。
       というのも、ニコンのようにピチッ~~と、
       顔のしXを写しきらないのが分ったの・・、ひひ。
       しっかり撮り慣れる事にしませんと!




       バールの素敵なシニョーラ!
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       デザートは、チョコレートのケーキ
       間に見える薄黄色のクリームは生姜味、美味しかったぁ!
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       お昼の後、ゆっくり古い一廓を歩きながら壁画を撮っていると、
       中年シニョーレが話しかけてきて、古い建物の中庭を見せてくれ、
       ついでにその一帯の歴史を纏めた本を、shinkaiのみ、うひひ、
       プレゼントに頂いてしまったのでしたぁ!
       



       素晴らしく晴れ上がり、もう一日ゆっくり出来たら、
       と思うような最終日のコモ湖畔!
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     *****

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by italiashiho2 | 2015-04-25 23:54 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(19)
2013年 09月 25日

   ・・・ その3 スフォルツェスコ城 ・ ミラノ  (DM写真追加) ・・・

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       漸くにミラノのスフォルツェスコ城のご案内も、これで最後。
       やれやれ!という声が聞こえそうですが、はい、私めもやれやれ!
       ははは、これで心おきなく日本行きの心準備を始められそうです。

       では、スフォルツェスコ城!
       上の写真は、武器展示室の外から覗き込んでいる女の子。
       1月4日でしたから、窓が吐く息で曇っていますね。


       13、またはコロンビーナ・Colombinaの部屋
       この部屋には15世紀半ばの優れた彫像類を集めており、
       部屋自体もミラノ公の私的住居の一部をなしていた部分だそう。
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       部屋の名のコロンビーナ・小鳩の由来は、天井に描かれた
       輝く太陽の上に表現されている、というのですが見つからず・・。
       とは言え、この美しい天井の装飾も記憶にしっかり残っており、
       再び確認できるのは、本当に嬉しい事!



       同じ部屋にあった素晴らしい天使像
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       背景に見えるのは、天井部と同じ柄なのですが、
       下部の剥げ落ちた色の名残が、大胆な抽象画的でしょう?!



       もう一度部屋の図をどうぞ
       この図の番号と、ご説明している部屋の番号が違いまして、
       ちょっと分かり難いかもしれず、申し訳ないですが、
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       上の13のコロンビーナの部屋というのは、
       この図では16のアッセの間・レオナルドが描いた樹木の部屋
       の西隣、この図では番号の無い部屋。

       図で13は、先先回その1のご説明で象のポルティコ
       象のフレスコ画のあるポルティコ、とご説明しましたが、
       ポルティコはその下に見える、細長い部分ですね。
       お詫びと訂正を。



       で、上の図で13の部屋がこれ、公爵の礼拝堂
       ここでミラノ公というのは、スフォルツァ家に移っての2代目、
       ガレアッツォ・マリーアを指し、彼が1473年に建設した物。
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       傲慢尊大な性格を持ち、後に暗殺された彼ですが、
       大変に洗練された趣味の持ち主だった様で、
       この礼拝堂を建設するのに、ヨーロッパじゅうの宮廷の様子を探らせ
       金ぴかでありながらも洗練され、おまけに22人の合唱隊からなる
       音楽付き礼拝堂を造り上げたのだそう!



       そして礼拝堂の一郭にあったこの聖母子の絵
       どう見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に見えますよね。
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       ですが、横にあった説明書きによると、
       レオナルド・ダ・ヴィンチが1515年に描いた木板から、
       1758年に王に雇われた絵描きピカール・Picaultが
       このキャンヴァスに移した、と。

       フレスコ画だと下塗り共に剥がし、他に移す事は可能ですが、
       板に描いたものをキャンヴァスに移したぁ?!
       ・・まぁつまり、模写したという事なのでしょうねぇ。

       ええまぁ、その気で見れば、幼子の顔も少し・・だし、
       聖母の手がゴツイですねぇ!
       それにしても、凄い額だぁ!!



       この像はどの部屋にあったものか、覚えてないのですが、
       なかなかきりっとした顔の美しい彫像でした。
       が、無残にも左腕が失われており、アップでお見せするのは・・。
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       そしてこの棟の最後の部屋、図で14.15に当たる部分ですが、
       
       まずこれ、壁のジグザグの鮮やかな装飾を良く覚えておりまして、
       いつか自分の絵の中に入れたいなんぞと思っていたものでした、ははは。
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       この博物館の目玉と言うべき部屋は、先回ご案内の
       レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたアッセの間、そしてコロンビーナの間、
       上のガレアッツォ・マリーアの礼拝堂など、幾つかありますが、

       彫刻作品での目玉の一つがこれ、
       ガストン・ド・フォア・Gaston de Foixの記念墓碑
       作者はアゴスティーノ・ブスティ・Agostino Busti、通称ボンバジャ(ヤ?)の
       繊細で優美、最高傑作と言われている様子。
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       ヌムール公ガストン・ド・フォア(1489-1512)というのは、
       母方から言うとフランス王ルイ12世の甥にあたり、
       1511年ミラノ総督に任命。
       ヴェネツィア共和国がフランス、ドイツ、教皇側を相手に戦った
       カンブレ―同盟戦争に於いて、1512年若干22歳にして
       フランス側の総司令官となり、「イタリアの雷」と呼ばれる程の活躍を。
       が、同年ラヴェンナの戦いで死亡したという方。

       私がちょっとこの方に興味を持っている、というよりその名前になのですが、
       ・・それにしても、なんとも素敵な響きの名前でしょう?!
       ジョルジョーネの作品の黒い鎧の若い騎士を描いた作品は
       このガストン・ド・フォアがモデルだ、と読んだ事があり、
       一方ジョルジョーネのかの「嵐」に描かれた兵士のモデルについても
       興味深い人物を知りましたので、
       少し落ち着いたら、もう一度しっかり読み、纏めてみたいと思っています。



       でこの部屋の端の階段を少し下り、回りを囲んだ形の場所にあるのが、
       ミケランジェロのロンダニーニのピエタ像・Pietà Rondanini.
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       88歳で亡くなったミケランジェロ・Michelangeloが亡くなる3日前まで
       手を入れていた最後の作品、という事でも有名ですが、
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       ヴァティカンにある清楚で大変美しい聖母のピエタ像から始まり、
       最後がこの何もかも余分は一切そぎ落とした様なピエタ像
       最初は別の構図から始まっていたのが途中で変更され、
       聖母が後ろから息子を支える、というよりも2人が一体になりかける様な・・。

       力強い彼の数々の作品を思い浮かべると、
       彼が到達した像のたたずまいに、ちょっと粛然とした想いも受けます。

      
       20年ほどの差はあるものの、同じルネッサンス期のもう一人の大天才
       レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452–1519)は、様々な方面の研究発明を試み、
       このスフォルツェスコ城にはアッセの間の樹木を残していますが、
       その一方ルドヴィーコ・イル・モーロの大宴会の催しの指揮をとったり、
       小話を聞かせたとか言う逸話も残り、
       晩年はフランスのフランソワ1世の庇護の下に67歳で亡くなり、
       一方のミケランジェロ(1475-1564)は88歳の最後の最後まで制作を。     
              
       このピエタ像は、そんな事をも振り返らす何かを持って迫ります。

       そうそう、ロンダニーニのピエタ像のロンダニーニというのはどこから?
       と思っておりましたが、
       ミケランジェロのアトリエに残されていたこの像は、
       後にローマのロンダニーニ侯爵に買われ、その屋敷にあった事からこの名で
       呼ばれているのだそうで、1952年にミラノ市が購入しここに。
        


       この部屋を出ると一旦外の通路になり、城の一郭が見えます。
       小さな中庭の泉、厚い煉瓦の壁・・。
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       そして階段を上がって2階の展示室に。
       ボーナ・デ・サヴォイア塔の後ろからの眺めと城壁
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       この階段ではないと思うのですが、
       宮廷部の階段が緩やかなのは、公が馬で上がれる様にしていた為、と
       読みましたので、
       カプラローラで見たあのファルネーゼ家の豪奢な螺旋階段程ではないにしろ、
       やはり宮廷がある程の城は、そういう造りになっていたのかもですね。

       ファルネーゼ宮の1~3
       http://italiashio.exblog.jp/15838695/
       http://italiashio.exblog.jp/15854002/
       http://italiashio.exblog.jp/15867540/



       上の階の展示は模様替えがあったのでしょう、
       まるで見た記憶の無いものばかりで、ここにも素敵な物がありました。
       まずはこれ。

       14世紀後半に作られた物、という金襴豪華な細工の施された個室で、
       生ハムで有名なパルマ市の南にあるトッレキアーラの城・Torrechiare
       城内にある教会にあったもので、
       人に見られぬように宗教行事に参加する為の物と。
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       内部は外の様子に比べると、特別の事もないのですが、
       内側から扉と窓が開閉できるようになっています。
        
       ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・ミラノ公、
       上の礼拝堂でも名が出ましたが、が任命式で使ったのだと。
       この辺り、何の任命なのか私には判断できませんが、
       パルマはミラノ公国領土内にありましたので、その関係でしょう。
       
       それよりも私が一瞬あれっ?!と驚いたのは、
       トッレキアーラの城という文字で、やはり説明にもそれが書いてありました。

       つまりこの城は、パルマのサン・セコンド・San Secondoに本拠を持つ
       ロッシ家のピエール・マリーア2世・Pier Maria II
       愛人のビアンカ・ペッレグリーニ・Bianca Pellegriniと共に
       引きこもった城として有名なのですね。

       偶然にこの城について知って以前書きましたので、
       興味のお有りの方、こちらの写真を。
       http://italiashio.exblog.jp/7479431/



       そしてフレスコ画を剥がして持ち寄り、一郭を再現した形の
       大変興味深い場所がありました。

       説明も何も読まず写さず、写真だけご覧頂きますが、
       薄い緑の背景に白と黒、ほんのちょっぴりの赤を使った図柄で、
       大変モダンに見えました。
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       なんとなしにマントヴァのお城にある、マンテーニャが描いた
       婚礼の間の壁画の人物を思わせる姿で、でも腕はマンテーニャに及ばず、
       ははは、ですが大変新鮮な印象で見ました。



       上の、部屋の隙間から見えるマリーア像の祭壇がこれ。
       なんとも清楚で素晴らしい顔の、木製彩色。
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       他にもたくさんあれこれあったのですが、
       もう満腹でしょう、皆さんも?! ははは。 

       という事で、もう一度センピオーネ公園の先の凱旋門を見に行き
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       前の広い中庭を通り、城の正面入り口に向かいます。
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       城壁の外側の穴は、大概鳩さん達のアパートになっていて、
       首をかしげて見送ってくれ、
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       堀の猫ちゃんも、それぞれに忙しそう、
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       と、我らは夕暮れ近い城を後にしたのでした。


       3回、実質4回に渡るスフォルツェスコ城のご案内
       お付き合い頂き、有難うございました!!
       
       到底全部はご案内出来ませんが、それでも多少の糸口には
       と思いますし、私にとっては纏めの作業でしたので、
       上手くご説明出来ていると良いが、と願っております。



     *****

     ◆ 個展のお知らせ 2つ ◆

       私の絵の師である二木(ふたつぎ)さんの個展が、
       10月3日から8日伊那市のベルシャイン伊那店にて開催されます。
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       どうぞお出かけご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます


       新作のご披露はこちら、ご自分のブログに。
       http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/a870deea25d546f9b6c2b6d03fc1f021




       続きまして、私めの上諏訪での初個展のお知らせを。
       DMのデザインは二木さんがして下さり、ご案内の言葉も。
       私にはもったいない様な美しく素敵なのが出来上がり、
       今は嬉しいばかりです!

       諏訪市城南1-2550 ギャラリー橋田さまにて
       10月12日から20日に、開催させて頂きます。
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       橋田さんの画廊に近いバス路線は無いのだそうですが、
       上諏訪の駅から約1700~800mの距離。

       日本では少し遠いと思われるかもですが、イタリアの我が家からだと
       坂下のバス停までの距離でして、ははは、すみません、
       どうぞ散歩のおつもりで、お出かけ下さいませませ!

       下に地図を
       赤いAの印が画廊の位置で、目印になる部分に印を付けました。
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       私は会期中ずっと画廊に居りますので
       どうぞ秋の諏訪観光方々お出かけ下さり、絵を見て頂け、
       またイタリアについてのお喋りが出来ましたら嬉しい事です。
       
       どうぞ、よろしくお願い致します!!
      


     *****     

       水彩ブログには、初夏のヴェネトの葡萄畑 ・ もう少し
       アップしております。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


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by italiashiho2 | 2013-09-25 18:43 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(12)
2013年 09月 19日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その2の2 ・ ミラノ  (追記しました) ・・・

       ミラノのスフォルチェスコ城のご案内その2、をアップしようとしましたら、
       文字数制限に引っ掛かりまして、少々削ってもまるで駄目。
    
       思い切って、イル・モーロの部分から切り取り、その2の2として
       こちらにアップいたしました。
       考えていませんでしたので後先逆になりましたが、
       次の記事の その2の1 から見てやって下さいませ。
       よろしくお願い致します。

     *****

       まずはスフォルツァ家の系図を再度載せまして、  
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       4.ルドヴィーコ・イル・モーロ (1452–1508) ミラノ公7代目
         イル・モーロ、ムーア人というニックネームは、肌の色が浅黒く黒髪だった、と
         言う説が一般的ですが、
         代々のスフォルツァ家の中で彼が一番有名なのではないでしょうか?!

       摂政から入り込み、政治に関心のない甥を追い出し徐々に大権力を握る、
       野心満々、そして芸術、文学、科学を愛する男だった様ですが、
       ここではちょっと別の興味を。

       ルドヴィーコ・イル・モーロとベアトリーチェ・デステ・Beatrice d'Este
       (1475–1497)の結婚式1491年の様子をまず。
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       イル・モーロ39歳、ベアトリーチェ16歳、
       かのイザベッラ・デステの妹ですが、このヨーロッパで最高に洗練された
       当時のミラノの宮廷にあって、どこかまだ少女の下膨れの顔にも見え、
       垢ぬけない感じを受けませんか? と意地悪shinkai。



       正面の顔はやはり下膨れで、失礼、美人とは言い難いのですが、
       この素晴らしい織の意匠、髪飾りをご覧下さいね。
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       彼女は嫁いで僅か6年、二人の後継者を授けた後22歳の若さで
       産後の死を迎えます。



       一方こちら、イル・モーロの素晴らしい衣装の写真。
       なんとも手の込んだ小紋柄の様な衣装で、平安貴族をも想像しましたが、
       帽子の飾りのM、真珠のついたお洒落なもので・・!
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       イル・モーロはレオナルド・ダ・ヴィンチやブラマンテも迎え
       豪奢なミラノの宮廷を愉しみますが、
       妻にベアトリーチェを迎える以前からの有名な愛人チェチ―リア・ガッレラーニ
       Cecilia Galleraniを描いたレオナルドの作品がこれ。
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       こんな美人の愛人が同じ城にいたのでは、ベアトリーチェもさぞや・・!
         

       最盛期を極めたイル・モーロでしたが、晩年はフランス王ルイ12世の
       イタリア侵攻で捕えられ、8年間のフランスでの獄中生活の後1508年に死亡。

       こうしてフランスの下に下ったミラノは、それ以降スペイン
       オーストリアの占領下に360年間を過ごす事になります。

       
       イル・モーロとベアトリーチェの二人の息子の
       5.エルコレ・マッシミリアーノ・スフォルツァ・Ercole Massimiliano  
         (1493-1530)ミラノ公8代目ですが、僅か3年間で
         フランスのフランソワ1世の侵入により退去、パリで死亡。

       6.フランチェスコ・マリーア2世・スフォルツァ・Francesco Maria II
         (1495–1535)
         僅か3歳の時に父親と一緒に捕えられ、21年間の亡命生活。
         漸くに1521年ミラノに戻り9代目のミラノ公となりますが、
         フランス勢に常に脅かされ心配の絶えない政治状況。

         1535年病み殆ど盲人となり、若くして後継者なく亡くなり、
         遂にミラノ公は9代目にして
         ヴィスコンティ家のオットーネの台頭から約250年程続いた
         時代が終わります。


     ◆ ここから追記です ◆

       さて、スフォルツェスコ城内博物館の見学を続けますね

       この部屋がなんという部屋なのかを調べられませんでしたが、
       天井のこの装飾は「キリストの復活図」
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       暗い部屋の天井が明るい水色で、下にキリストの復活を見て驚き慌てる兵士たち、
       その動きと、キリストの表情もにっこりと手を挙げている感じに見え、ははは、
       なんとなしにユーモラスな感じをね。



       窓の外に見える青空と、高い城壁。
       こうして見るとちょうど角の部屋で、北に曲がる位置ですね。
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       4の部屋、トスカーナの影響を受けたロンバルディア彫刻
       で見た天使像の一つ。
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       狭い通路の壁にあった、碑の中の若者の顔
       きりっとして、なかなか素敵でしょう?!
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       6の部屋、ミラノ中世の歴史記念の部屋とでも。
       ここで見たちょっと可笑しな凄いもの!
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       アンナリーザが説明札を見てぷっと吹き出しまして・・、
       12世紀終わりの作「みだら、ふしだらなな女」ははは。
       ほらね、昔も今も変わらないでしょう?!



       7.つづれ織りの部屋
       素晴らしい、大きなつづれ織りがたくさんあったのですが、
       私はそれよりもその前にあった、
       この如何にも貴族的容貌の像に魅かれました。
       衣装から見てそう古い像ではないと思うのですが、どなたかな?
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       さて北東の角の塔の1階部分にあるアッセの間・sala delle Asse.
       ルドヴィーコ・イル・モーロの注文により、1498年に
       レオナルド・ダ・ヴィンチが天井と壁に描いた樹木の部屋

       こちらが入り口から見た北東部角。
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       天井部へのアーチの出っ張り部分を上手く利用し、木の幹に見立て、
       天井、部屋の壁にびっしりと絡み合った枝葉を、そして要所に金色の紐
       赤紫色の果物も描かれているそうですが、
       ちょっと見えませんね。

       

       少しアップに
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       この部屋はその後世に於き、上から漆喰が厚く塗られており、
       レオナルドの絵が発見されたのは19世紀の末なのだそう。
       その後東側の壁にあった木製の壁の下から、
       大きな岩に入り込んだ太い植物の根と幹の白黒の下描きも発見されたと。

       植物の根は巨大な桑の木で、イル・モーロと・注文主の通称でもありますが、
       桑の木は古代より賢明さと慎重さのシンボルであるそうで、
       このモチーフを選んだ、というのがレオナルドのほのめかしであろうと。

       と、私にとって大変興味深かったのは、
       なんとなしにフレスコ画と思い込んでいたのですが、
       漆喰の上にテンペラで描いているのだそうで、

       大話題を提供したフィレンツェはヴェッキオ宮の幻の絵
       「アンギアーリの戦い」と言い、
       同じミラノのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の
       「最後の晩餐」も、フレスコ画法を使わずに後に問題が出ている訳で、
       如何にレオナルドがフレスコ画描法を嫌っていたかが分かりますね。

       一日に描く範囲を下塗りし、一気に描き上げるフレスコ画法よりも、
       じわじわじっくりと描き込めるテンペラ画法、そして油絵を好む、
       こんな所にもレオナルドの性格が見えますね。

       修復されたとはいえ、緑色もくすんだ暗い色でして、
       これが彼の意図した様に、明るい戸外へ広がる緑のテラス様に
       残っていたら、どんなに素敵でしょう!
       それがちょっと残念ですね。
       


       11.ゴシックからルネッサンスにかけてのロンバルディアの彫像
       のある部屋の、彫像類と、
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       天井装飾
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       この辺りは北側の部屋に当たるので、
       こんな感じにセンピオーネ公園が掘り越しに見えます。
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       という所で、今回はちょっとバタバタしたご案内になりましたが、
       来週、もう一度のお付き合いをお願い致して置きます、です。
       よろしくどうぞ!!



     *****

       ブログご訪問、いつも有難うございます!

       10月の上諏訪での個展が徐々に近づき、
       今週末にはDMが出来上がり、画像を送って頂く事になっておりますので、
       来週のブログ更新の時にご案内をさせて頂くつもりです。

       ですが、私よりも10日ほど早く伊那での個展を控えている
       師の二木さんは既に作品を仕上げ、ご自分のブログでお披露目と
       個展のご案内をされております。

       それに私のも一緒にご丁寧にご案内をして下さり、恐縮しております。
     
       二木さんの新作品とご案内2つを、ご覧下さいませ!



     *****     

       水彩ブログの作品ページに手を入れましたので
       見てやって下さ~い!
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho/c/745eeaa68cdfea532108ed0bf98f8a48


       いつも有難うございます!  
     
       励まし応援クリックも、よろしくお願いいたしま~~す!

          

          

          
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by italiashiho2 | 2013-09-19 08:36 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(8)