イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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カテゴリ:・ミラノとロンバルディア州( 20 )


2016年 03月 11日

   ・・・ モンザの中心ちょっぴり ・ 聖堂 鉄の王冠 王宮 ・・・


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       ロンバルディアの州都ミラノの中心から北東に約19キロ、
       街同士の境のみで言うと約8キロの近くに位置するモンザ・Monzaの街。

       日本ではモンザのサーキット場で有名だと思うのですが、
       古のロンゴバルト族の首都でもあるモンザのご案内、と言っても
       ほんのちょっぴりの中心、
       美しい聖堂と、そのお宝である鉄の王冠に付いてご覧ください。

       ずっと”モンツァ”と思い込んでいたのですが、改めて友人にも尋ね、
       発音を聞いてみると"モンザ”ですので、そのように書く事に。
       
       
       さてバスを降りた所から見える、奥に続く並木道
       昨年の春4月半ば新緑の候、なんとも清々しい公園の道でしたが、
       後で分ったのは、奥に見える白い壁は王宮の建物の壁。




       地図をどうぞ
       モンザの街の中心は、下に囲った中に見える菱形あたりで、
       四角い点を打った所に聖堂があり、北に広がる広大な公園の中に
       サーキット場があり、赤丸点を打った場所が最初の写真の位置、
       そしてVilla Realeとあるのが王宮
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       ですから今回歩いたのは、公園の南の端から中心の聖堂辺りまでの往復、
       そしてほんのちょっぴり聖堂の脇から川の辺りまで、という事になります。




       公園の端でバスを降りた辺りは既に中心街の外れで、
       なかなかに雰囲気の良いお屋敷街という感じ
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       街中に入り、この道を中心に向って行きますが、
       美しく整備された家並みが続き、やはり中世からの建物の
       保存である事が分かります。
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       今回は街中の写真を殆ど省略しておりますが、
       これはサン・ピエトロ・マルティレ教会前広場にあった
       モンザ出身の画家モゼ・ビアンキ・Mosè Bianchi(1840-1904)の像。
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       実は旅行の少し前に、このモゼ・ビアンキと言う画家の作品を
       サイトで見て大変に達者な画家で驚いておりましたので、
       あれ、彼はここ出身なんだ、とすぐ分った次第。

       という事で今回分家の水彩+色鉛筆ブログに
       彼の作品を少し集めましたので、ご覧くださいね。




       春らしい花が咲く横の小路も眺めつつ
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       これはサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会
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       散歩中のすべすべ毛並みのお高いワンちゃんにも挨拶し、ははは、
       ねぇ、よだれが垂れてるよ!
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       歩いて行く先に中心の塔が見えて来て
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       塔の先と時計、そして建物の西側なんですがぁ、
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       肝心の全体像を撮っておりませんでしたので、サイトより拝借、へへ。
       はい、こんな風に建物の下がロッジャになっている、
       ラレンガーリオ・L'Arengarioという13世紀の市庁舎。
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       我々は写真の向こう側から近づいてきた訳で、
       2階に見えるテラス、かってはここから施政者が市民に話したテラスと、
       塔は後の時代に建設された物と。

       建物はご覧の通り長方形で、30,3x12,4m、
       現在は展示会場に使われているとのことで、
       ローマ広場と呼ばれるこの広場から道が放射線状に走り出すと。




       上のラレンガーリオから小路を辿るとすぐにドゥオーモ広場で、
       車が入らないここは市民の憩いの場でもあり、
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       広場の南面にこの素晴らしいドゥオーモ、
       サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂・San Giovanni Battista.
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       オリジナルの聖堂は6世紀末の物という事ですが、
       現在のは14世紀から建設が始まり17世紀に完成した、
       白と薄いブルーの石の縞模様に、細かい細工が施された美しい物!!
       



       正面扉の上の張り出した部分に、聖堂が捧げられた
       サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・洗礼者ヨハネ像があり、
       左手の上には羊、右手の人差し指で天を指します。
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       扉上部の半円、ルネッタ部の彫像群
       下段の中央左にサン・ジョヴァンニ・バッティスタと、
       右に洗礼を受けるキリストですが、
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       ・・作者は水の表現に苦労したのでしょうねぇ、
       大変にユニークで、気がついて笑いましたぁ、失礼、ははは。




       扉上の張り出し部分の横に突き出す動物の飾りと
       上部の細かい細工、でも大変に彫りが深いしっかりした美しさ!
       まだ中世風を感じる部分も残り、新しい時代の彫像も加わっていますね。
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       聖堂内の様子、豪華でしょう?!
       わぁお~と見蕩れましたっけ。
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       天井画と入り口上のステンド・グラス
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       実は上の聖堂内写真はお昼解散前にさっと撮った物で、
       またじっくり中が見れる撮れると思っていましたら、そのままになり、
       内部の写真はこれだけで、残念・・!




       この聖堂には大きなお宝、聖遺物とされる物がありまして、
       それがこれ、鉄の王冠・Corona Ferrea・コローナ・フェッレーアと呼ばれる物。
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       内側真ん中に輪が見えますね、これがキリストの磔刑の時に使用された
       鉄の釘という事で、それを叩き延ばし、

       その周囲に
       
       

       金と宝石の飾りの金属板を6つ取り付けたもの
       現在は直径15cm 高さが5,5cm 重さが535gで、
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       聖堂の左側の礼拝堂で実物を拝む事が出来ましたぁ!
       
       礼拝堂内に我々が入りますと、入り口の扉は鍵で閉められ、
       小さな金庫の扉が鍵で開けられ、中から引き出した箱の鍵を開け、
       そしてその中にガラスの箱に入っていたと・・。
       つまり2重の鍵+入り口扉鍵、という厳重さでありまして、
       少人数づつが台の上に上がり、覗き込んで見れた、という・・。

       現在は飾りの金属版が6枚と書きましたが、実際は8枚あったそうで、
       この王冠は過去にあちこちに持ち運ばれているのですが、
       1324-45年にはフランスのアヴィニョンにまで行っておりまして、
       その際に盗まれ、2枚の金属板が盗まれ損傷を受けたのだそう。

       その後修復されたものの、2枚の装飾板が無い為に
       円周が小さくなり、現在の直径になっているのだと・・!


       この王冠が聖遺物というだけでなく、なぜ大事なのかですが、
       かってはこの王冠がイタリア国王の戴冠式に用いられたのですね。
       
       ジェルサレムでキリスト磔刑の際の十字架を発見したのは、
       皇帝コスタンティーノ1世の母であるエーレナであるとされ、
       その際に十字架に付いていた釘も発見と。

       其のうちの1本が帯状の飾りとなりコスタンティーノ大帝の
       兜の上に付けられていたのを、ロンゴバルド王であるテオドージオ1世・
       Teodosio I がミラノに持ち帰り、その後コスタンティノーポリに
       (現イスタンブル)、またイタリア・モンザにと変遷し、
       兜の半球として保持されていた様子。

       6世紀、時の教皇グレゴーリオ1世がロンゴバルドの王妃
       テオドリンダ・Teodolindaに釘の1本を贈り、それに対し
       夏の住まいをモンザに持っていた彼女は、595年隣に聖堂を建設したといい、
       これが現在の聖堂の前身となりますが、
             
       テオドリンダは贈られた釘を入れた王冠を打ち直し、
       装飾の金属板を付け加えた、円の形(王冠)に作ったのだと。

       皆さん、お読みになっていて分りますか?
       なにせ書いているshinkai自身がどこまでがどうなのか良く分らずで、
       ははは、多分こうなのだろうと推察も交えて読み書きしておりまして・・!
       ・・気を取り直し、
       
       こうしてロンゴバルドの王たちがこの王冠を用い
       カルロ・マーニョが775年に受け継ぎ、
       以後19世紀までイタリア王の戴冠に用いられた、というもの。

       王冠が小さくなった後は頭にかぶる事が出来ませんので、
       いわゆる形として頭にのせ手で支えた様子で、
       この形で有名なのが1805年ミラノで行われた
       ナポレオン・ボナパルトの戴冠式!

       ですがイタリア統一後に国王となったサボイア家は、
       この王冠を用いていないとのこと。


       1993年にこの王冠は科学的検査をされ、釘は
       多分1345年に破損箇所が修復された折に使われたと思われる金属で、
       鉄ではなく銀であると・・!
       
       というような、ちょっと神話伝説まがいの謂れにも聞きとれる
       鉄の王冠のお話でしたぁ、お疲れ様!




       ドゥオーモの背後にはドゥオーモ博物館も整備されてあり、
       なかなか素晴らしかったのですが、なにせここも写真禁止でして・・。
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       これはドゥオーモの脇にある回廊部分
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       こうして外に出ますと、すぐ脇の道がいかにも中世の雰囲気で
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       振り返ってみるドゥオーモの鐘楼、1592年建設
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       通りの横に見える、かっての街の門と塔
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       モンザの中心を通り抜けるランブロ川・Lambro.
       サイトで見た写真には、満々と水をたたえた写真が何枚もありましたが、
       なんとこの時は、まるで干上がっておりまして・・!
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       川を渡った所で曲がって引き返すヴィットリオ・エマヌエレ通り
       奥の突き当たりに見えるのが、ローマ広場のラレンガーリオ。
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       通りに並ぶちょっと高級品店のウィンドウに見つけたのがこれ、
       ドッグ・フィーバーとあってネックレスや指輪、人間様用も見えますが、
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       このお値段の高いこれ、これはなんでしょうかぁ?!
       上の写真の右下には、陶器製と見えるもっとお高いのも見えるのですが・・。
       指輪? ナプキン・リング? 
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       という事で朝到着した広場に再び戻ってきまして
       正面左に、奥に続く並木道、
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       我らは再びバスに乗り、レッコのホテルに向ったのでしたが、
       道を走っていて見えたこの藤の花盛り、右側にもっと長く続き、
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       角を曲がって見えたのがこの建物
       あれあれ、と思う間なく、
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       こんな広大な建物が見え、王宮と知りました。
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       上からの眺めをどうぞ。 広大でしょう、建物も庭園も!
       王宮と書きましたが、実は王家のヴィッラ・Villa realeなんですね。
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       1777年当時北イタリアを統治していたオーストリアの皇妃マリーア・テレーザが、
       ミラノに滞在していた4男フェルディナンドの、
       夏の滞在と狩の為に建設した豪儀な物なんですって!!

       庭園のほうは徒歩で入れ、建物中央も修復が済むと見物できる様子。
       
       
       という、典雅なモンザのちょっぴりご案内でしたぁ




     *****

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by italiashiho2 | 2016-03-11 01:36 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(12)
2016年 03月 01日

   ・・・ ベッラージョ ・ コモ湖の要所にある観光名所 ・・・

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       あっという間に3月になりましたが、お天気がまだまだ不安定で、
       暖かく晴れた日が待ち遠しい今日この頃ですね。

       今回は、昨年4月半ばに出かけたコモ湖周辺の旅から、
       コモ湖の中に突き出す半島の先っちょに位置する
       ベッラージョ・Bellagio のご案内です。
       
       上の写真は、コモ湖周遊の船着場、ちょっと洒落ているでしょう?



 
       コモ湖の形、ベッラージョの位置など、地図をどうぞ
       左に見えるグレイの太線がスイスとの国境線で、
       そう、この辺りこんな風にスイスが入り込んでいるのですね。
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       コモ湖は細長く、ちょうど人の字型に南側で分枝していますが、
       その突き出した半島の先っちょにベッラージョがあり、
       歴史の中では戦略的に大変重要であったようですが、
       現在は風光明媚な観光要所として有名です。

       湖の左側に位置するコモからは24K、ミラノからは57Kほどと。




       サイトから拝借の美しい写真で、突き出す半島の様子を。
       ベッラージョの町は、頭のようにぽっこりと膨らむ山の向こう側、
       首の付け根の位置といいましょうか、
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       対岸から見ると、こんな風に広がります。
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       コモから出発した遊覧船が、ゆるゆるとあちこちに停りながら
       ベッラージョに着いたのはまだお昼前。
       本当に残念な事に曇り日で、写真の色もイマイチですがご容赦を。
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       港から見上げる山の上の大きな建物
       これは後でご説明致しますが、
       ニューヨークのロックフェラー財団の持ち物なんだそう。
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       一旦グループから解放され、お昼ご飯用とその後の自由時間があり、
       見ると観光電車が止まっているので時間を訊ねると、
       すぐに出発するのがあり、戻って来てお昼ご飯にちょうど良さそう!
       というので、仲間3人と乗って一回りする事に。
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       港を眺めながら観光電車は走り出し
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       こんな尖がった家の前を過ぎ
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       オリーヴの小さな畑もあり
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       大きな建物、なんだろ? 
       なにせ今回の観光バスは、一切説明なし、音楽もなし! ははは。
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       細い道を結構な早さで進みながら、上り坂、下り坂、かなり揺れます!
       それでも、春らしい新緑の長閑さも見え
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       曲がりくねる坂道を上り、段々に眺めが良くなり
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       半島に突き出す頭の先っちょを後ろから、の位置
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       上の写真にも見えますが、山の中腹に見える大きな建物、
       あれが港から見上げた、現在はロックフェラー財団の持ち物となっている
       ヴィッラ・セルベッローニ・Villa Serbelloni.

       15世紀に城の跡地に立てられたヴィッラだそうで、
       18世紀にアレッサンドロ・セルベッローニが所有し、貴重な芸術作品で
       素晴らしいヴィッラとなっていたのが、その後所有者が変わり、
 
       1959年、当時所有していたアメリカ出身の妃が遺言で、
       ロックフェラー財団に遺贈したのだそう。

       現在建物は国際会議で使われたり、また財団から選ばれた若きアメリカの
       芸術家達が1年間ここに派遣され滞在する、というもので、
       名前は忘れましたが、著名な芸術家達の名が挙がるのだそう。

       ガイドさんの話では、コモ湖の他の事は知らなくても
       ベッラージョがアメリカ人にとても有名なのはそのせいですと。
       で、以前アメリカ在の友人がご主人と訪伊された時、
       コモ湖、ベッラージョ滞在だったので、なぜ?と疑問だったのが、
       そうだったのか、と今納得!

       そうそう、ラスヴェガスの写真に見える、大噴水のあるホテル
       べッラージョは、このベッラージョに由来するのですって。
       これもロックフェラー財団効果なのかしらん?




       こちらは東側のコモ湖
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       派手な赤い観光電車が行くのを、ワン君も見送ってくれ、ははは。
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       坂道、新緑の木々、花の色
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       狭い道脇に駐車している間をすり抜けて
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       客待ちのレストランも覗き
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       小さな船溜まり、こちらは西側の湖。       
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       古い小さな教会が奥に見え
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       大きなお屋敷の立派な門扉と彫像! ちょっと嬉しげね、ははは。
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       がたがた揺られながら、また湖が見える位置にまで下り
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       こんなアーチをくぐり
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       ベッラージョの中心にまで戻ります
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      さて、お昼を食べてのち町探訪に
       湖岸に沿っての道は平坦ですが、そこからはすべて細い上り坂!!
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       如何にもの土産物店!
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       手彩色陶器の、聖水入れ式飾り物、モザイクの十字架
       アップして値札を見ましたら、高い!と思った値段でしたよ。
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       子供用の靴って、何でこんなに可愛いのでしょうね?!
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       芸術的作品を扱う店もあり
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       坂道を一番上まで辿ると、今度は横切る道に出るのが分り、
       引き返します。
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       狭い道脇の、小さな2人用のテーブル
       見られつつ食べるか、食べながら通行人を眺めるか、
       あ、まるで関係ない2人の世界というのもありね、ははは。
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       上から眺める船着場
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       若い子供連れのカップルと、長~い金髪の女の子
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       漸くに少し陽が射し始め、嬉しいぃ!
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       港のすぐ脇に、藤の花満開!!
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       さて船に乗り湖の対岸にあるヴィッラ・カルロッタに向います。

       山の中腹、右に見えるロックフェラー財団の建物
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       遠くに、雪を被ったアルプスの山が見え
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       湖岸に立ち並ぶ、美しいヴィッラと庭園のあれこれ!
       午前中の遊覧で、こんな風に見えていたらねぇ!!
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by italiashiho2 | 2016-03-01 00:29 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(7)
2015年 05月 01日

   ・・・ ヴィッラ・カルロッタ ・ コモ湖の別荘、庭園を ・・・

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       日本はゴールデン・ウィークが始まっていますね
       爽やかな新緑の候、あちこちお出かけの計画がおありの事と思い、
       こちらも負けずに、ははは、
       先日のコモ湖旅行で訪問したヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlottaの
       素晴らしい庭園をご覧頂こうと思います。

       上は、午後素晴らしく晴れ上がった中、ベッラージョから
       対岸に渡るおり、見えてきたヴィッラ・カルロッタ



       ヴィッラ・カルロッタはどこにあるか、地図をどうぞ
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       コモ・Comoから遊覧船に乗り、途中右、左と各停留所に停まりつつ、
       べッラージョ・Belaggioまで2時間。
       ここで船をおりてお昼解散となり、午後再度集合し乗船、
       対岸のVilla Carlotta(Tremezzo・トゥレメッゾと同じ停留所)に渡り
       船着場のすぐ横に、このヴィッラ・カルロッタがあります。



       上の写真の左に見えるお屋敷がそれですが、

       見えてくる庭園の様々な色!
       傾斜地に沿っての様々な新緑、花の色が目を引きます。
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       お屋敷の正面を通りすぎ
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       停留所から入口に。 見上げる像とお屋敷
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       さて、ヴィッラ・カルロッタにその名を残す
       カルロッタ・Carlottaなる方ですが、プロイセン貴族の美しい方。
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       やはりちょっとは、どんな方だったか知りたくなりません?
       正式の名は、Friederike Luise Wilhelmine Marianne Charlotte von Preußen
       はい、読める方はどうぞ、ははは、
       1831-1855年、1850年にゲオルグ2世公爵と結婚したものの
       24歳の短い生涯、音楽の才があり、幾つかの作品も残しているそうですが、
       恋仲で結婚した夫との間に4人の子を出産後に亡くなりましたが、 
       この別荘は、彼女の母親からの結婚の贈り物だったのだそう。

       ところでこのカルロッタの母なる方、オランダの王族出身で
       マリアンネ・フォン・オラニエ=ナッサウと言い、
       プロイセン王の第4王子と1830年に結婚、カルロッタを長女として
       1男3女が生まれますが、
       1845年に浮気者の夫から逃げ、元御者の愛人と暮らし始め、
       やったぁ! ははは、歴史ゴシップ大好きshinkai!
       1849年には正式に離婚が成立したと言うのですが、
       先進的夢想的な女性だったとはいえ、不義はお家のご法度、
       その後宮廷生活からは完全に閉め出され、イタリアとドイツで
       暮らしたそうで、それでこの別荘との関係が分りますね。 
       



       さて広い広い庭園と言っても、植木を刈り込み幾何学模様を
       描き出した庭園ではなく、世界各国の植物を集めた庭園でして、

       こんなオレンジとシトロンのトンネルもあり
       下を通り抜けつつ、オレンジの爽やかな良い香りを吸い込み、
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       木立ちの隙間から、コモ湖の美しい湖面が見え
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       後にしてきたべッラージョの町も!
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       ちょうどツツジの花が咲き始めた所!!
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       傾斜地に広がる庭園の間を小道が縫い
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       小花たちが、それぞれ色を競います
       これらの花は毎週一番良い状態のものに取り替えられるのだそう!
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       きっと南の国から来たのであろう植物も見え
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       こちらはシダの谷と呼ばれる、自然の地形を生かし、
       何十種類ものシダが生息しているそうで、
       湿気を保つ為、定められた時間ごとに各所から噴霧されるのだと。
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       庭園全体だと思うのですが、12人だったかな、の庭師が
       常に働いているのだそうで、やはりそれだけの手間をかけて
       これだけの植物庭園が保たれているのですね。




       これはメタセコイアの樹、初めて見ましたが、
       顔が見えているのが、コモでのガイドさん。
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       メタセコイアの樹の葉は樟脳と同じで、拾った枯葉を揉むと
       ツンと樟脳の匂いがし、箪笥にいれると虫除けになるそう。




       足元、小路に出ているポコポコゴツゴツの木の根
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       もともとのこのヴィッラは、17世紀の終りに
       侯爵ジョルジョ・クラリーチ・Giorgio Clariciが建設したもので、
       大きいけれども他のこの地の別荘に比べ地味なものだったのだそう。

       それを次の持ち主ジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ・
       Gian Battista Sommariva、彼は企業家で政治家、ナポレオンの友人、
       美術の収集家だったそうで、19世紀の初めにここを買取り、
       庭園の改修をし、屋敷内にコレクションを。

       そして結婚の贈り物としてカルロッタの母親が買ったわけですが、
       カルロッタの夫であるサッソーニア・マイニンゲン公爵が
       植物学に大変情熱を持った方で、現在の形に仕上げたのだそうで、
       7万平米を越す敷地に、ツツジや石楠花だけでも150種を越す種がある
       素晴らしい植物庭園なのですね。




       庭園の小路を辿りながら高い位置に行くと、こんな感じ。
       長い年月を経て、様々な樹が大きく育っているのが良く分かります。
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       こんな可愛い細工も、まぁ、許せますね。
       中に見える青い小花は忘れな草
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       忘れな草が上手く撮れませんでしたので、これはつい先日撮った、
       我がコンドミニオの庭に咲くものを。
       お隣のシニョーラ、ヴェネリタはお花育てがとても上手で・・。
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       忘れな草のイタリア語名はNontiscordardimé・ノンティスコルダルディメ
       同じ題名の有名なカンツォーネがありますので、
       古き良きイタリアを偲び、同名の映画に使われた場面をどうぞ!

       リフレインで歌われる歌詞は
       non ti scordar di me   私を忘れないで
       la vita mia legata di te   私の人生は君に結ばれている
       c'è sempre un nido nel mio cuore per te 私の心にはずっと君の為の巣がある
       non ti scordar di me    私を忘れないで

       ああ、イタ男!




       所々に置かれたベンチに座り
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       コモ湖の素晴らしい風景を
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       赤い椿の長い生垣もあったのですが、まだ蕾が多かったので、
       ひっそりと咲いていた椿2種を。
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       庭園地図を見ても、庭全体は我らが歩いた何倍もの広さがあり、
       植物好き、お花が好きな方には見飽きないと思いますが、
       我らはお屋敷内の見物に

       これは優雅で上品な1階の部屋の天井
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       こちらは居住区間だったと言う2階の、素晴らしい天井画で、
       吊るされたランプも素晴らしかった!
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       と、ひとまずお部屋のイメージをご覧頂きまして、はは、


       ここのコレクションに、アントーニオ・カノーヴァの作品がありまして、
       この男性像は全身の大きなものでしたが、
       バランスが少し危ういかもと、この部屋に運び込まれたままなのだと。
       
       いかが、素敵なお尻でしょ?! 
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       マグダラのマリーア。 暗い部屋、後ろに鏡という舞台装置・・。 
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       プシケの愛。 プラトニック・ラヴなので、近寄るだけで
       接吻できないのだとかなんとか、ガイドさんが熱を込め説明を・・。
       本物(第一作?)の他に、3つほどコピーがあるとか。
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       これは可愛い作品
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       アントニオ・カノーヴァの塑像博物館、テンピオのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/10254941/   

       他にもアイエツ・Hayezの「最後の接吻・ロミオとジュリエッタ」
       等もありましたが、あのアイエツの描く女性の横顔、
       のぺーっとした横顔がどうも好きでなく・・、済みません、省略。




       屋敷の上から見る、正面入り口
       あの可愛い噴水のある小池には、オタマジャクシがうようよ!
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       礼拝堂の向こう、プラタナスの樹が2本見えますね。
       あれはスタンダールの「パルムの僧院」に登場するプラタナスの並木、
       本をちゃんと読んだのかどうかも記憶にあやふやですが、へへ、
       それの現在残っている2本なのだそう。
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       「パルムの僧院」に、パドヴァのカフェ・ペドロッキが登場するのは
       覚えておりまして、きっとどこかに指摘があったので読んだのでしょうが、
       確かザバイオーネをご馳走になったとかなんとか・・。
       うん? 誰がご馳走になったん? ・・ちゃんと読んでない事判明!




       ヴィッラ・カルロッタの見物を終え、屋敷前から見る
       ベッラージョのパラッツォ・メルツィ・Merzi.
       ここもお庭が公開されておりましたっけ。
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       背後に聳える高山は、あれはコモ湖のレッコ側の背後に辺り、
       ドロミーティに含まれる山々、雪が見えます。




       屋敷前の細い道を行く、真っ赤なアルファロメーオ!
       そう、ガルダ湖と同じで、湖畔沿いの道は細くカーヴ続き。
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       さて、コモ湖訪問を終えた我らは、レッコの宿に向かい・・
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       素晴らしい景色もあれこれ見れ、もう一度と思う場所も
       たくさんありましたが、
       う~む、あの細い道と車の多さを考えると、さて・・!



     *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       ええとです、日本はゴールデン・ウィークですよね?!
       という訳でもないのですが、
       3日から10日まで、ウンブリアに出かけて来ます。

       ちょうどアッシジで「カレンディマッジョ」のお祭りもあるので、
       それを見かてがらアッシジに5泊しますが、
       往きにカプレーゼ・ミケランジェロでミケランジェロの生家により、
       まだ行った事のないチッタ・ディ・カステッロに2泊。

       アッシジからは、近くのスペッロとペルージャに半日ずつ、
       とにかく今回は7年ぶりの春のアッシジに浸るつもりで、
       戻りにグッビオに寄ろうかな、という程度の計画です。

       という事で、ブログは16日までお休みを頂きます!

       これが済みましたら、もう秋の日本行きまでお休みしませんので、
       はい、良い収穫があるよう、願ってやって下さいませませ!

       では、行ってまいりま~す!

       皆さんにも、良い春の休暇でありますように!!



     *****

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by italiashiho2 | 2015-05-01 00:44 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(11)
2015年 04月 25日

   ・・・ コモ湖周辺旅行 ・ 総集編ちょっぴりと、食べたもの ・・・

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       皆さん、こんにちは!
       お休みを頂きましたので張り切って、ははは、
       今日はたっぷりの写真で、コモ湖周辺3日間旅行の総集編
       ちょっぴりと、恒例の食べ物を見てやって下さい。

       心配していたお天気は何とか大丈夫でしたが、
       楽しみにしていたコモ湖の遊覧船の時が生憎の曇り空!

       まぁ、それでも思いもかけなかった素晴らしいものも
       たくさん見る事が出来、楽しんで戻りました。

       まず上は、モンザ・Monzaのドゥオーモ
       モンザはいつもF1のサーキット場の話題しか出ませんが、
       大変落ち着いた穏やかで美しい旧市街で、
       こんな美しいドゥオーモもあることも知りました!

       ドゥオーモの中では「鉄の王冠」なるもの、
       キリストの磔刑に使われた釘を使ったという有難いもので!はい、
       イタリア国王やナポレオンも戴冠式に使ったという王冠を、
       拝んで参りましたぞよ。
       勿論写真は禁止でしたが、色々面白い話も聞きましたので、
       またの機会に。



       地図をどうぞ
       初日は朝5時半集合出発で、バス旅行で、まずミラノの北にある
       モンザに行き、午後レッコ・Leccoに、2泊した宿はレッコ。
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       2日目はコモ・Comoから遊覧船に乗りベッラージョ・Bellagioまで。
       午後は対岸にあるヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlotta
       素晴らしい庭園を楽しみバスで宿に。

       3日目はコモに出かけ街の見学、午後半ばに帰路に、
       という旅程で、今回はかなりゆったりした旅でした。




       道中では少し雨が降ったものの、モンザに着くと天気予報とは
       打って変わったお天気となり、ドゥオーモと街見物の後は
       自由解散となり、お昼を街の通りのバールの席で。

       まずは生ビールで乾杯し
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       ジュリアーナは野菜のグリルを挟んだトースト
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       フェリチアーナはリゾット、 ね、量が多いでしょう?
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       shinkaiはペンネ・アッラビアータ・ピリ辛のトマト・ソース。
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       さてレッコに到着、少しうす曇りになりましたが、
       まずは街中をぐるっとバスで回ってくれ、土地のガイドさんを拾い、
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       これはアレッサンドロ・マンゾーニ・Alessandro Manzoniの像
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       イタリア人にとって大古典の「いいなずけ・イ・プロメッシ・スポージ
       の作者で、19世紀、この街には彼の父方の屋敷があり現在博物館、
       我々はそれを見学に行ったのですね。

       私は子供向けダイジェスト版を読んだ程度なのですが、
       一行の皆は本当に良く知っており、ガイドさんがまたあれこれと
       マンゾーニの家庭事情やらなにやらを微に入り細をうがつ説明で、
       ははは、それは大変興味深く可笑しく、皆が大いに楽しみましたです。




       屋敷の傍らの、大きな八重桜が満開
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       さて2泊したホテルにチェックインし、ホテルの名も
       ははは、「プロメッシ・スポージ」で、
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       夕食のメニュー、肉喰らいには、
       まずポルチーニのリゾットとミート・ソースのペンネ
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       菜食者には、菜食者がいる事など想定外だったようで
       急遽ポルチーニのリゾットだけが供され・・!

       うむぅ、この辺りで次の展開が予想されましたが・・!




       セコンドは、豚のあばら肉ステーキと野菜の付け合せ
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       となると、菜食者にはこの野菜類のみで・・!!
       いくら美味しい、大盛りとは言え、ちょっとぶうたれるshinkai。




       デザートは、イチゴに生クリーム
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       ですが、思いがけずに部屋からの眺めが最高でして、              

       細い湖を挟んでの対岸が、レッコの街の中心部
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       大方は友人とのツイン部屋ですが、希望するといくらかの
       割増料金で一人部屋にしてくれるのですね。
       で、今回はダブルベットの一人使用という事で、
       3階のこんな眺めの部屋が当たったという訳、やったぁ!




       翌朝散歩に出ましたら、近くにこんな大きなマロニエの樹
       これも満開でした。
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       翌日のお昼は、2時間の遊覧を終えべッラージョで降り、
       ちょうど発車間際の町周遊の観光バスも体験し、湖岸のバールの席で
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       ほらね、Birra Bellagio・べッラージョ・ビールと書いてあるでしょう?

       で仲間は野菜とチーズのトーストを、shinkaiはスパゲッティを、写真略。
       パニーノとかトーストなどのパン類は余程でないと食べませんで、
       ・・だって、朝食以外のパンは「代用食」なんですよぉ、shinkaiには!ははは。




       船着場すぐ横の、満開の藤の花!
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       午後は大変なお天気になり、ホテルに戻って見る
       夕焼けのレッコの街と山
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       さてこの日の夕食は如何に?!
       肉食者には、ラザーニャ。  ピン甘ご容赦。
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       菜食には、お昼に食べたと同じスパゲッティ! 素晴らしい!!
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       セコンドは、ロースト・ビーフと、ジャガイモの付け合せ
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       あ、サラダが出た、嬉しい!
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       という事で、shinkaiのお皿はこんな感じ、むひひ!
       手前右の厚いチーズは、この辺りの美味しいタレッジョ・チーズ
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       デザートは、オレンジ・チョコレートの乗ったケーキ
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       皆が美味しいと言い、料理は本当に悪くは無かったのですが、
       なにせ今回は読みが浅く、同じものがかち合い過ぎたのが
       shinkaiには不幸でしたぁ、ははは。




       部屋の窓から眺める、美しい夕暮れと、街の灯
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       翌朝6時過ぎ、ドゥオーモの下だけ明かりが灯っていて
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       街の背後の山から射し込む、朝の陽
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       爽やかな朝!
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       最終日はコモの街に。
       この美しく典雅なドゥオーモも、古い中世が残る一廓も見物し、
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       ちょっと入った小さなマッツィーニ広場のバールでお昼を
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       ジュリアーナとフェリチアーナは、トスカーナの野菜スープを、
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       shinkaiは、茄子のパルミッジャーノを。
       形が崩れ、何か正体不明な食べ物に見えますが、ははは、
       茄子とチーズ、トマト・ソースの重ね焼きですもの、美味しかった!
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       のんびりテントの下でお昼をしていると、この猫ちゃん・・。
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       今回食べ物の写真とホテルの窓からの写真は、
       新しいコンパクト・カメラを試したのですが、
       ほら、コンパクトは即ピントが合いませんよね。
       なので一眼に慣れた者には、猫の顔を撮ろうとしても無理!
       皆さん、ようやる!
       
       でも人物、とりわけ女性のポートレートには良いみたい。
       というのも、ニコンのようにピチッ~~と、
       顔のしXを写しきらないのが分ったの・・、ひひ。
       しっかり撮り慣れる事にしませんと!




       バールの素敵なシニョーラ!
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       デザートは、チョコレートのケーキ
       間に見える薄黄色のクリームは生姜味、美味しかったぁ!
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       お昼の後、ゆっくり古い一廓を歩きながら壁画を撮っていると、
       中年シニョーレが話しかけてきて、古い建物の中庭を見せてくれ、
       ついでにその一帯の歴史を纏めた本を、shinkaiのみ、うひひ、
       プレゼントに頂いてしまったのでしたぁ!
       



       素晴らしく晴れ上がり、もう一日ゆっくり出来たら、
       と思うような最終日のコモ湖畔!
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by italiashiho2 | 2015-04-25 23:54 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(19)
2013年 09月 25日

   ・・・ その3 スフォルツェスコ城 ・ ミラノ  (DM写真追加) ・・・

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       漸くにミラノのスフォルツェスコ城のご案内も、これで最後。
       やれやれ!という声が聞こえそうですが、はい、私めもやれやれ!
       ははは、これで心おきなく日本行きの心準備を始められそうです。

       では、スフォルツェスコ城!
       上の写真は、武器展示室の外から覗き込んでいる女の子。
       1月4日でしたから、窓が吐く息で曇っていますね。


       13、またはコロンビーナ・Colombinaの部屋
       この部屋には15世紀半ばの優れた彫像類を集めており、
       部屋自体もミラノ公の私的住居の一部をなしていた部分だそう。
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       部屋の名のコロンビーナ・小鳩の由来は、天井に描かれた
       輝く太陽の上に表現されている、というのですが見つからず・・。
       とは言え、この美しい天井の装飾も記憶にしっかり残っており、
       再び確認できるのは、本当に嬉しい事!



       同じ部屋にあった素晴らしい天使像
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       背景に見えるのは、天井部と同じ柄なのですが、
       下部の剥げ落ちた色の名残が、大胆な抽象画的でしょう?!



       もう一度部屋の図をどうぞ
       この図の番号と、ご説明している部屋の番号が違いまして、
       ちょっと分かり難いかもしれず、申し訳ないですが、
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       上の13のコロンビーナの部屋というのは、
       この図では16のアッセの間・レオナルドが描いた樹木の部屋
       の西隣、この図では番号の無い部屋。

       図で13は、先先回その1のご説明で象のポルティコ
       象のフレスコ画のあるポルティコ、とご説明しましたが、
       ポルティコはその下に見える、細長い部分ですね。
       お詫びと訂正を。



       で、上の図で13の部屋がこれ、公爵の礼拝堂
       ここでミラノ公というのは、スフォルツァ家に移っての2代目、
       ガレアッツォ・マリーアを指し、彼が1473年に建設した物。
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       傲慢尊大な性格を持ち、後に暗殺された彼ですが、
       大変に洗練された趣味の持ち主だった様で、
       この礼拝堂を建設するのに、ヨーロッパじゅうの宮廷の様子を探らせ
       金ぴかでありながらも洗練され、おまけに22人の合唱隊からなる
       音楽付き礼拝堂を造り上げたのだそう!



       そして礼拝堂の一郭にあったこの聖母子の絵
       どう見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に見えますよね。
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       ですが、横にあった説明書きによると、
       レオナルド・ダ・ヴィンチが1515年に描いた木板から、
       1758年に王に雇われた絵描きピカール・Picaultが
       このキャンヴァスに移した、と。

       フレスコ画だと下塗り共に剥がし、他に移す事は可能ですが、
       板に描いたものをキャンヴァスに移したぁ?!
       ・・まぁつまり、模写したという事なのでしょうねぇ。

       ええまぁ、その気で見れば、幼子の顔も少し・・だし、
       聖母の手がゴツイですねぇ!
       それにしても、凄い額だぁ!!



       この像はどの部屋にあったものか、覚えてないのですが、
       なかなかきりっとした顔の美しい彫像でした。
       が、無残にも左腕が失われており、アップでお見せするのは・・。
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       そしてこの棟の最後の部屋、図で14.15に当たる部分ですが、
       
       まずこれ、壁のジグザグの鮮やかな装飾を良く覚えておりまして、
       いつか自分の絵の中に入れたいなんぞと思っていたものでした、ははは。
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       この博物館の目玉と言うべき部屋は、先回ご案内の
       レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたアッセの間、そしてコロンビーナの間、
       上のガレアッツォ・マリーアの礼拝堂など、幾つかありますが、

       彫刻作品での目玉の一つがこれ、
       ガストン・ド・フォア・Gaston de Foixの記念墓碑
       作者はアゴスティーノ・ブスティ・Agostino Busti、通称ボンバジャ(ヤ?)の
       繊細で優美、最高傑作と言われている様子。
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       ヌムール公ガストン・ド・フォア(1489-1512)というのは、
       母方から言うとフランス王ルイ12世の甥にあたり、
       1511年ミラノ総督に任命。
       ヴェネツィア共和国がフランス、ドイツ、教皇側を相手に戦った
       カンブレ―同盟戦争に於いて、1512年若干22歳にして
       フランス側の総司令官となり、「イタリアの雷」と呼ばれる程の活躍を。
       が、同年ラヴェンナの戦いで死亡したという方。

       私がちょっとこの方に興味を持っている、というよりその名前になのですが、
       ・・それにしても、なんとも素敵な響きの名前でしょう?!
       ジョルジョーネの作品の黒い鎧の若い騎士を描いた作品は
       このガストン・ド・フォアがモデルだ、と読んだ事があり、
       一方ジョルジョーネのかの「嵐」に描かれた兵士のモデルについても
       興味深い人物を知りましたので、
       少し落ち着いたら、もう一度しっかり読み、纏めてみたいと思っています。



       でこの部屋の端の階段を少し下り、回りを囲んだ形の場所にあるのが、
       ミケランジェロのロンダニーニのピエタ像・Pietà Rondanini.
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       88歳で亡くなったミケランジェロ・Michelangeloが亡くなる3日前まで
       手を入れていた最後の作品、という事でも有名ですが、
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       ヴァティカンにある清楚で大変美しい聖母のピエタ像から始まり、
       最後がこの何もかも余分は一切そぎ落とした様なピエタ像
       最初は別の構図から始まっていたのが途中で変更され、
       聖母が後ろから息子を支える、というよりも2人が一体になりかける様な・・。

       力強い彼の数々の作品を思い浮かべると、
       彼が到達した像のたたずまいに、ちょっと粛然とした想いも受けます。

      
       20年ほどの差はあるものの、同じルネッサンス期のもう一人の大天才
       レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452–1519)は、様々な方面の研究発明を試み、
       このスフォルツェスコ城にはアッセの間の樹木を残していますが、
       その一方ルドヴィーコ・イル・モーロの大宴会の催しの指揮をとったり、
       小話を聞かせたとか言う逸話も残り、
       晩年はフランスのフランソワ1世の庇護の下に67歳で亡くなり、
       一方のミケランジェロ(1475-1564)は88歳の最後の最後まで制作を。     
              
       このピエタ像は、そんな事をも振り返らす何かを持って迫ります。

       そうそう、ロンダニーニのピエタ像のロンダニーニというのはどこから?
       と思っておりましたが、
       ミケランジェロのアトリエに残されていたこの像は、
       後にローマのロンダニーニ侯爵に買われ、その屋敷にあった事からこの名で
       呼ばれているのだそうで、1952年にミラノ市が購入しここに。
        


       この部屋を出ると一旦外の通路になり、城の一郭が見えます。
       小さな中庭の泉、厚い煉瓦の壁・・。
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       そして階段を上がって2階の展示室に。
       ボーナ・デ・サヴォイア塔の後ろからの眺めと城壁
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       この階段ではないと思うのですが、
       宮廷部の階段が緩やかなのは、公が馬で上がれる様にしていた為、と
       読みましたので、
       カプラローラで見たあのファルネーゼ家の豪奢な螺旋階段程ではないにしろ、
       やはり宮廷がある程の城は、そういう造りになっていたのかもですね。

       ファルネーゼ宮の1~3
       http://italiashio.exblog.jp/15838695/
       http://italiashio.exblog.jp/15854002/
       http://italiashio.exblog.jp/15867540/



       上の階の展示は模様替えがあったのでしょう、
       まるで見た記憶の無いものばかりで、ここにも素敵な物がありました。
       まずはこれ。

       14世紀後半に作られた物、という金襴豪華な細工の施された個室で、
       生ハムで有名なパルマ市の南にあるトッレキアーラの城・Torrechiare
       城内にある教会にあったもので、
       人に見られぬように宗教行事に参加する為の物と。
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       内部は外の様子に比べると、特別の事もないのですが、
       内側から扉と窓が開閉できるようになっています。
        
       ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・ミラノ公、
       上の礼拝堂でも名が出ましたが、が任命式で使ったのだと。
       この辺り、何の任命なのか私には判断できませんが、
       パルマはミラノ公国領土内にありましたので、その関係でしょう。
       
       それよりも私が一瞬あれっ?!と驚いたのは、
       トッレキアーラの城という文字で、やはり説明にもそれが書いてありました。

       つまりこの城は、パルマのサン・セコンド・San Secondoに本拠を持つ
       ロッシ家のピエール・マリーア2世・Pier Maria II
       愛人のビアンカ・ペッレグリーニ・Bianca Pellegriniと共に
       引きこもった城として有名なのですね。

       偶然にこの城について知って以前書きましたので、
       興味のお有りの方、こちらの写真を。
       http://italiashio.exblog.jp/7479431/



       そしてフレスコ画を剥がして持ち寄り、一郭を再現した形の
       大変興味深い場所がありました。

       説明も何も読まず写さず、写真だけご覧頂きますが、
       薄い緑の背景に白と黒、ほんのちょっぴりの赤を使った図柄で、
       大変モダンに見えました。
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       なんとなしにマントヴァのお城にある、マンテーニャが描いた
       婚礼の間の壁画の人物を思わせる姿で、でも腕はマンテーニャに及ばず、
       ははは、ですが大変新鮮な印象で見ました。



       上の、部屋の隙間から見えるマリーア像の祭壇がこれ。
       なんとも清楚で素晴らしい顔の、木製彩色。
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       他にもたくさんあれこれあったのですが、
       もう満腹でしょう、皆さんも?! ははは。 

       という事で、もう一度センピオーネ公園の先の凱旋門を見に行き
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       前の広い中庭を通り、城の正面入り口に向かいます。
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       城壁の外側の穴は、大概鳩さん達のアパートになっていて、
       首をかしげて見送ってくれ、
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       堀の猫ちゃんも、それぞれに忙しそう、
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       と、我らは夕暮れ近い城を後にしたのでした。


       3回、実質4回に渡るスフォルツェスコ城のご案内
       お付き合い頂き、有難うございました!!
       
       到底全部はご案内出来ませんが、それでも多少の糸口には
       と思いますし、私にとっては纏めの作業でしたので、
       上手くご説明出来ていると良いが、と願っております。



     *****

     ◆ 個展のお知らせ 2つ ◆

       私の絵の師である二木(ふたつぎ)さんの個展が、
       10月3日から8日伊那市のベルシャイン伊那店にて開催されます。
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       どうぞお出かけご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます


       新作のご披露はこちら、ご自分のブログに。
       http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/a870deea25d546f9b6c2b6d03fc1f021




       続きまして、私めの上諏訪での初個展のお知らせを。
       DMのデザインは二木さんがして下さり、ご案内の言葉も。
       私にはもったいない様な美しく素敵なのが出来上がり、
       今は嬉しいばかりです!

       諏訪市城南1-2550 ギャラリー橋田さまにて
       10月12日から20日に、開催させて頂きます。
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       橋田さんの画廊に近いバス路線は無いのだそうですが、
       上諏訪の駅から約1700~800mの距離。

       日本では少し遠いと思われるかもですが、イタリアの我が家からだと
       坂下のバス停までの距離でして、ははは、すみません、
       どうぞ散歩のおつもりで、お出かけ下さいませませ!

       下に地図を
       赤いAの印が画廊の位置で、目印になる部分に印を付けました。
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       私は会期中ずっと画廊に居りますので
       どうぞ秋の諏訪観光方々お出かけ下さり、絵を見て頂け、
       またイタリアについてのお喋りが出来ましたら嬉しい事です。
       
       どうぞ、よろしくお願い致します!!
      


     *****     

       水彩ブログには、初夏のヴェネトの葡萄畑 ・ もう少し
       アップしております。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


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by italiashiho2 | 2013-09-25 18:43 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(12)
2013年 09月 19日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その2の2 ・ ミラノ  (追記しました) ・・・

       ミラノのスフォルチェスコ城のご案内その2、をアップしようとしましたら、
       文字数制限に引っ掛かりまして、少々削ってもまるで駄目。
    
       思い切って、イル・モーロの部分から切り取り、その2の2として
       こちらにアップいたしました。
       考えていませんでしたので後先逆になりましたが、
       次の記事の その2の1 から見てやって下さいませ。
       よろしくお願い致します。

     *****

       まずはスフォルツァ家の系図を再度載せまして、  
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       4.ルドヴィーコ・イル・モーロ (1452–1508) ミラノ公7代目
         イル・モーロ、ムーア人というニックネームは、肌の色が浅黒く黒髪だった、と
         言う説が一般的ですが、
         代々のスフォルツァ家の中で彼が一番有名なのではないでしょうか?!

       摂政から入り込み、政治に関心のない甥を追い出し徐々に大権力を握る、
       野心満々、そして芸術、文学、科学を愛する男だった様ですが、
       ここではちょっと別の興味を。

       ルドヴィーコ・イル・モーロとベアトリーチェ・デステ・Beatrice d'Este
       (1475–1497)の結婚式1491年の様子をまず。
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       イル・モーロ39歳、ベアトリーチェ16歳、
       かのイザベッラ・デステの妹ですが、このヨーロッパで最高に洗練された
       当時のミラノの宮廷にあって、どこかまだ少女の下膨れの顔にも見え、
       垢ぬけない感じを受けませんか? と意地悪shinkai。



       正面の顔はやはり下膨れで、失礼、美人とは言い難いのですが、
       この素晴らしい織の意匠、髪飾りをご覧下さいね。
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       彼女は嫁いで僅か6年、二人の後継者を授けた後22歳の若さで
       産後の死を迎えます。



       一方こちら、イル・モーロの素晴らしい衣装の写真。
       なんとも手の込んだ小紋柄の様な衣装で、平安貴族をも想像しましたが、
       帽子の飾りのM、真珠のついたお洒落なもので・・!
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       イル・モーロはレオナルド・ダ・ヴィンチやブラマンテも迎え
       豪奢なミラノの宮廷を愉しみますが、
       妻にベアトリーチェを迎える以前からの有名な愛人チェチ―リア・ガッレラーニ
       Cecilia Galleraniを描いたレオナルドの作品がこれ。
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       こんな美人の愛人が同じ城にいたのでは、ベアトリーチェもさぞや・・!
         

       最盛期を極めたイル・モーロでしたが、晩年はフランス王ルイ12世の
       イタリア侵攻で捕えられ、8年間のフランスでの獄中生活の後1508年に死亡。

       こうしてフランスの下に下ったミラノは、それ以降スペイン
       オーストリアの占領下に360年間を過ごす事になります。

       
       イル・モーロとベアトリーチェの二人の息子の
       5.エルコレ・マッシミリアーノ・スフォルツァ・Ercole Massimiliano  
         (1493-1530)ミラノ公8代目ですが、僅か3年間で
         フランスのフランソワ1世の侵入により退去、パリで死亡。

       6.フランチェスコ・マリーア2世・スフォルツァ・Francesco Maria II
         (1495–1535)
         僅か3歳の時に父親と一緒に捕えられ、21年間の亡命生活。
         漸くに1521年ミラノに戻り9代目のミラノ公となりますが、
         フランス勢に常に脅かされ心配の絶えない政治状況。

         1535年病み殆ど盲人となり、若くして後継者なく亡くなり、
         遂にミラノ公は9代目にして
         ヴィスコンティ家のオットーネの台頭から約250年程続いた
         時代が終わります。


     ◆ ここから追記です ◆

       さて、スフォルツェスコ城内博物館の見学を続けますね

       この部屋がなんという部屋なのかを調べられませんでしたが、
       天井のこの装飾は「キリストの復活図」
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       暗い部屋の天井が明るい水色で、下にキリストの復活を見て驚き慌てる兵士たち、
       その動きと、キリストの表情もにっこりと手を挙げている感じに見え、ははは、
       なんとなしにユーモラスな感じをね。



       窓の外に見える青空と、高い城壁。
       こうして見るとちょうど角の部屋で、北に曲がる位置ですね。
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       4の部屋、トスカーナの影響を受けたロンバルディア彫刻
       で見た天使像の一つ。
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       狭い通路の壁にあった、碑の中の若者の顔
       きりっとして、なかなか素敵でしょう?!
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       6の部屋、ミラノ中世の歴史記念の部屋とでも。
       ここで見たちょっと可笑しな凄いもの!
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       アンナリーザが説明札を見てぷっと吹き出しまして・・、
       12世紀終わりの作「みだら、ふしだらなな女」ははは。
       ほらね、昔も今も変わらないでしょう?!



       7.つづれ織りの部屋
       素晴らしい、大きなつづれ織りがたくさんあったのですが、
       私はそれよりもその前にあった、
       この如何にも貴族的容貌の像に魅かれました。
       衣装から見てそう古い像ではないと思うのですが、どなたかな?
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       さて北東の角の塔の1階部分にあるアッセの間・sala delle Asse.
       ルドヴィーコ・イル・モーロの注文により、1498年に
       レオナルド・ダ・ヴィンチが天井と壁に描いた樹木の部屋

       こちらが入り口から見た北東部角。
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       天井部へのアーチの出っ張り部分を上手く利用し、木の幹に見立て、
       天井、部屋の壁にびっしりと絡み合った枝葉を、そして要所に金色の紐
       赤紫色の果物も描かれているそうですが、
       ちょっと見えませんね。

       

       少しアップに
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       この部屋はその後世に於き、上から漆喰が厚く塗られており、
       レオナルドの絵が発見されたのは19世紀の末なのだそう。
       その後東側の壁にあった木製の壁の下から、
       大きな岩に入り込んだ太い植物の根と幹の白黒の下描きも発見されたと。

       植物の根は巨大な桑の木で、イル・モーロと・注文主の通称でもありますが、
       桑の木は古代より賢明さと慎重さのシンボルであるそうで、
       このモチーフを選んだ、というのがレオナルドのほのめかしであろうと。

       と、私にとって大変興味深かったのは、
       なんとなしにフレスコ画と思い込んでいたのですが、
       漆喰の上にテンペラで描いているのだそうで、

       大話題を提供したフィレンツェはヴェッキオ宮の幻の絵
       「アンギアーリの戦い」と言い、
       同じミラノのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の
       「最後の晩餐」も、フレスコ画法を使わずに後に問題が出ている訳で、
       如何にレオナルドがフレスコ画描法を嫌っていたかが分かりますね。

       一日に描く範囲を下塗りし、一気に描き上げるフレスコ画法よりも、
       じわじわじっくりと描き込めるテンペラ画法、そして油絵を好む、
       こんな所にもレオナルドの性格が見えますね。

       修復されたとはいえ、緑色もくすんだ暗い色でして、
       これが彼の意図した様に、明るい戸外へ広がる緑のテラス様に
       残っていたら、どんなに素敵でしょう!
       それがちょっと残念ですね。
       


       11.ゴシックからルネッサンスにかけてのロンバルディアの彫像
       のある部屋の、彫像類と、
d0097427_150217.jpg



       天井装飾
d0097427_1501786.jpg



       この辺りは北側の部屋に当たるので、
       こんな感じにセンピオーネ公園が掘り越しに見えます。
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       という所で、今回はちょっとバタバタしたご案内になりましたが、
       来週、もう一度のお付き合いをお願い致して置きます、です。
       よろしくどうぞ!!



     *****

       ブログご訪問、いつも有難うございます!

       10月の上諏訪での個展が徐々に近づき、
       今週末にはDMが出来上がり、画像を送って頂く事になっておりますので、
       来週のブログ更新の時にご案内をさせて頂くつもりです。

       ですが、私よりも10日ほど早く伊那での個展を控えている
       師の二木さんは既に作品を仕上げ、ご自分のブログでお披露目と
       個展のご案内をされております。

       それに私のも一緒にご丁寧にご案内をして下さり、恐縮しております。
     
       二木さんの新作品とご案内2つを、ご覧下さいませ!



     *****     

       水彩ブログの作品ページに手を入れましたので
       見てやって下さ~い!
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho/c/745eeaa68cdfea532108ed0bf98f8a48


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by italiashiho2 | 2013-09-19 08:36 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(8)
2013年 09月 19日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その2の1 ・ ミラノ ・・・

       台風通過による大雨の被害が大きかった様子ですが、
       皆さまには大事ございませんでしたでしょうか?
       夏の猛暑と言い豪雨と言い、今迄とはどこか違った天候が続きますが、
       被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。


     *****
       
       さて先回に引き続いての、ミラノのスフォルツェスコ城のご案内ですが、
       内部に設置の市博物館の様子の内、無料で見学できる部分のみを、
       それでも膨大な展示でして、それを2回に分けご覧頂こうと思います。
d0097427_740437.jpg

       この写真は展示物がどの部屋にあるかを示しておりますが、
       今回は下側入り口から辿り、最初のちょっぴりを。

       と、ミラノの領主からミラノ公爵に成り上がったヴィスコンティ家
       そしてそれを受け継いだスフォルツァ家についても
       ざっと纏めてみましたので、と言う割には長くなりましたが、はは、
       それらをごゆっくりどうぞ。


       
       最初の部屋には、既に今は無くなっているミラノ各地の教会からの、
       初期キリスト教の様々な遺物が集まっており、
       あれこれ写真は撮っているのですが、ご説明できる程の教養もなく、
       ・・で、ブログで見て頂くとなると、
       つい、こういう物を取りだしてくるshinkaiです、ははは。
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       こちらは2.の部屋にある素晴らしい巨大な記念墓碑
       ロンバルディアのロマネスク・ゴシック彫刻群のこの部屋の中でも
       一際目を引く、作者はボニーノ・ダ・カンピオーネ・Bonino da Campione.
       制作年が1360-63年というので、騎馬像が先に作られ、
       後に石棺の上に乗せられた形ですね。
d0097427_7413753.jpg

       騎馬像の主はベルナボ・ヴィスコンティ・Bernabò Visconti 1323-1385
       ベルナボのボにアクセントが来る名を持つ、ヴィスコンティ家9代目。



       部屋がかなり暗く高い位置の騎馬像で、下から撮ったのが良く見えず・・、
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       で、こちらはサイトから拝借の正面からの姿
       鎧の胸にしっかりヴィスコンティ家の紋、大蛇が人を飲み込む姿も、
       鎖の編みもどっしりと、迫力ある武人の彫像。
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       実は写真を探していて、騎馬像の下の部分、石棺を支えている円柱に
       百合の花が彫られているのを見つけ、しまった!と思ったのですが、
       これからお出かけになる方、是非お見逃しなく!

       歴史家の書き残した様子は、見栄えのするインテリで、政治的にも優れた男
       がその半面信じられない程の残虐さを持つ極悪非道の圧政をした暴君で、

       最後は自分の娘と結婚させた甥のジャン・ガレアッツォに捕えられ、
       毒を盛られての最後ですが、

       妻となったヴェローナの領主スカラ家のマスティーノ2世の娘
       ベアトゥリーチェ・レジーナ・Beatrice Reginaとの、こんな睦まじい姿も。
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       34年連れ添ったこの妻との間に子供が15人! 彼女が亡くなった時は、
       家臣たちにも1年間の喪を強制したのだそうで・・。

       本妻との間に子供が15人で驚かれた方、まだまだ早いですぞ!
       他に愛人との間にも3人、も一人の愛人にも1人と、
       戦いに明け暮れながらも、なんともはやお元気な暴君でございました!


       所で、何が分かり難いかと言ってです、このヴィスコンティ家、
       それに続くスフォルツァ家の家系に何度も登場するガレアッツォ・Galeazzo
       またはそれに何かがつく形の名でして・・!

       ずっと昔、塩野七生さんの「ルネッサンスの女達」で最初にお目にかかった時は、
       ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ!
       おまけに名が縦書きでして、一字づつ拾い読みした記憶が!! ははは。
       
       はい、このガレアッツォ関連の名が両家に6名おりますが、
       まずはヴィスコンティ家の系図をどうぞ。
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       当主順に番号も振りましたので、少しは分かり易いかと思うのですが、
       1.オットーネ・Ottone (1207-1295)
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       宗教界に入り活躍、教皇ウルバーノ4世のお気に入りとなり、
       1262年ミラノの大司教に任命を受けます。
       当時ヴィスコンティ家よりも勢力を持っていた
       デッラ・トッレ・Della Torre家との熾烈な争いの末打ち破り、
       1277年遂にヴィスコンティ家がミラノの僭主・領主となる、       
       オットーネがいわばヴィスコンティ家繁栄の始まり

       彼は外交的に上手く立ち回り、弟の孫に当たる
       マッテーオ1世・MatteoI (1250-1322)を後継者とし、これが2代目。 

       マッテーオ1世は賢明で、5万フィオリーニ金貨と引き換えに
       神聖ローマ帝国皇帝エンリコ7世(イタリア語読み)から、
       終生副王の任命を受け、ヴィスコンティ家支配の正当化に成功。

       そして元々の大貴族では無かったのをエステ家との婚姻縁結び、
       つまり次男のガレアッツォ1世にベアトリーチェ・デステ・Beatrice d'Este
       を迎え、重きをつける事に。

       ですが終生ライバルのデッラ・トッレ一族との争闘が続き、
       ミラノから追放されたり教皇とも上手く行かず、
       戦いに明け暮れた生涯だった様子。


       で上記の、エステ家のベアトリーチェと結婚したマッテオ1世の次男
       ガレアッツォ1世(1277–1328)が3代目
       彼は大した政治手腕も発揮せずに済み、
       
       その息子アッツォーネ・Azzone(1302-1339)が4代目
       彼は平和と芸術、文化を愛しつつもミラノ領主として勢力、領土も増やし、
       ですが若くして後継者なしに亡くなり、


       叔父のルキーノ・Luchino 5代目(1287頃–1349) と
       ジョヴァンニ・Giovanni 6代目(1290頃–1354)に後継が戻ります。

       2人は一緒に領主としてコムーネから認定を得たのですが、
       ルキーノは残虐な性格を持ち憎まれていた様子で、
       多分その為にも、ミラノの大司教であったジョヴァンニと一緒に、
       という事だったろうと想像しますが、実際に殆ど行政はルキーノが行った様。

       約20年間に渡り教皇から、一族はミラノの街と共に破門を受け悩まされながらも、
       彼の時代にヴィスコンティ家は大一族にのし上がり、大領土を持つように
       ルキーノは武人でもありましたが、商業の繁栄につながる馬の飼育や、
       織、武器の職人にも熱心な男だったと。

       ルキーノの2度目の妻イザベッラ・フィエスキ・Isabella Fieschi
       ジェノヴァの名家出身、類い稀なる美女、教皇アドリアーノ5世の姪、
       その取り留めのない挙動からフォスカ・霧というニックネームがつき、
       愛人の数は限りなし、・・に毒を盛られたというのですがぁ・・。

       ええ、あれこれ読む内にこういう逸話にぶつかるのが妙味でして、ははは、
       だからブログはやめられないという、好奇心と無知ムチのshinkai、はぁ。


       もう一人の領主の大司教でもあるジョヴァンニも外交術にたけ、
       ルキーノの死後3人の甥、ルキーノに謀反を企て追放されていた3人を呼び戻し、
       1354年ジョヴァンニが亡くなると、統治が兄弟に移ります。

       マッテーオ2世・MatteoII 7代目(1319頃–1355) 南部を統治
       ガレアッツォ2世 GaleazzoII 8代目(1320–1378) 北西部 
       そして既に上記したベルナボ 9代目(1323-1385) 東部担当を。

       便宜上何代目と書きましたが、この3人が領土を分割し統治を。
       そして長兄のマッテーオ2世は弟2人に、実際に手をくだしたのは兄弟3人の
       実の母ヴァレンティーナ・ドーリア・Valentina Doriaらしいのですが、
       毒殺され、領土は2人の兄弟で分割統治に。

       毒殺の原因は彼の性格が放埓自堕落で、このままでは領土が危ないと
       2人の兄弟は恐れたらしいのですが、とりわけ彼の統治に含まれていた
       ボローニャについての意見の違い、マッテーオは教皇との争いを好まず、
       街の独立を認める形だったとか。

       3人兄弟の内でベルナボが最後まで残り、
       短気な暴君、政治的に機敏賢明な男が広大な領土を1人で握った訳で、
       甥であるガレアッツォ2世の息子ジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzoには
       自分の娘カテリーナ・Catelinaと結婚させ、取り込みを図りますが、
       逆に囚われ2人の息子ともどもに毒殺に。



       さてヴィスコンティ家の最大の繁栄を築いた10代目
       ジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzo(1347–1402)
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       こちらが良く見る肖像なのですが、



       こんなのも見つけましたが、素敵でしょう?!
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       若い頃から大変な賢明さで、武道にも特別に優れていたそうで、
       叔父のベルナボには心からの愛情で接し、心の内を悟られぬよう、
       そして最後には、巡礼を口実に息子2人とミラノから出るように仕向け、
       いともた易く捕えた、という謀反の形で権力を握ります。

       従妹のカテリーナ以前の、最初の結婚がフランスのジャン2世善良王の娘
       イザベッラ・ディ・ヴァロア・Isabella di Valoisで、
       婚資として持参したシャンパーニュの領土と公爵位も。



       1402年のジャン・ガレアッツォの領土図をどうぞ。
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       鮮やかな緑色の部分が、ローマを囲む黄色の教皇領に迫る勢いで、
       アドリア海沿岸を除くと、ジェノヴァ共和国、マントヴァのゴンザーガ家、
       フェッラーラのエステ家、フィレンツェ共和国が挟まるだけで、
       シエナからペルージャ、アッシジまで!

       1395年神聖ローマ皇帝ヴェンツェルより10万フィオリーニにて
       ミラノ公爵位を受け、ミラノ公国となりますが、
       彼の野望はミラノを首都としたイタリアの統一
       大工事が大好きで、大金をはたいてのパヴィアの修道院、
       ミラノの大聖堂の建設、はたまたミンチョ河、ブレンタ河の流れを替える喜び。

       ですが55歳の若さでペストで命を落とし、亡くなる前に
       2人の嫡出の息子と1人の庶子に領土を分け与えます。
        
       ジョヴァンニ・マリーア・Giovanni Maria(1388-1412) 11代目     
       フィリッポ・マリーア・Filippo Maria(1392-1447) 12代目

       この2人は2度目の結婚、従妹のカテリーナとの子で、
       最初のイザベッラ・ディ・ヴァロアとの間に生まれたヴァレンティーナ
       Valentinaが、オルレアン公爵のルイ・ディ・ヴァロアと結婚しており、
       後年その息子が継承権があるとミラノに乗り込んでくる事件も起こります。


       ジョヴァンニ・マリーアはミラノ公としては2代目に当たり、
       父親のジャン・ガレアッツォが亡くなった時はまだ13歳。
       母親の摂政の下に領土を継ぎますが、

       直に治め切れず綻びが出始め、傭兵隊長のそそのかしに乗り、
       母親を捕え閉じ込め、毒殺かペストかで間もなく死亡。
       大変残虐なというよりも、血に飢えたサディストという性格で、
       これは今まで書いて来たどの暴君よりも残虐な所業の数々で、
       読むのが嫌になる程のものでしたが、遂には暗殺されます。

       こちらがヴィスコンティ家最後、ミラノ公3代目のフィリッポ・マリーア
d0097427_7473318.jpg



       フィリッポ・マリーアは2度結婚したものの子に恵まれず、
       父親の庶子である弟、または甥を後継ぎにというのにも信頼度が不足。
       という所に愛人アニェーゼ・デル・マイアーノ・Agnese del Maianoに
       生まれた娘ビアンカ・マリーア・Bianca Maria(1425–1468)
       幼い頃から聡く過剰な奢侈には目もくれず、頑固であるのを見て、
       きちんとした教育を施し育て、娘の夫を後継ぎにともくろみます。

       傭兵隊長を務めていたフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza
       (1401–1466)との婚約が整ったのは彼女がまだ5歳の時で、彼は25歳年長!
       
       その後もあれこれの変遷があり、実際に結婚したのは1441年、
       この相対図では中年っぽいですが、失礼、ビアンカ・マリーア17歳の時。
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       2人の結婚生活はと言うと、ビアンカにとって結婚は絶対的なもの
       であるのに対し、フランチェスコは無頓着、まぁね。
       結婚後最初の愛人の存在がばれた時、彼女は子供に会いに行くのを阻止し、
       愛人も不可思議な誘拐、そして殺害という事件があったとか。

       父親であるミラノ公フィリッポ・マリーアはかなり気まぐれな性格、
       その上に疑い深く、最後まで婿を信頼しきれなかった様子ですが、
       フィリッポ・マリーアが1447年に亡くなり、ミラノでも政治混乱に
       見舞われ、ヴェネツィア軍の侵攻などもあった後、

       1450年、遂にフランチェスコとビアンカはミラノに戻り
       ここにスフォルツァ家によるミラノ公国継承となります。


       お疲れ様でした!
       ちょっと一息ね。

       ベルナボの騎馬像のあった部屋の天井、フレスコ装飾をどうぞ
       素晴らしく優雅で繊細で・・、しばし感嘆致し眺めました。
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       ヴィスコンティと言うと、我らには映画監督のルキーノ・ヴィスコンティ
       Luchino Viscontiが即思い浮かびますね。
       リアリズムではあるものの、その美的感覚が一種独特で、
       とりわけ貴族社会を描いた物には重みがありましたよね。
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       「山猫」 「ヴェニスに死す」 「地獄に堕ちた勇者ども」 「若者のすべて」
       「夏の嵐」「ルードヴィッヒ」 「イノセント」等など。
       写真を探していて、美しき主演女優達の姿をあれこれ見つけ、
       とても懐かしかった。
       皆さまもしばしのお楽しみを!
       

       彼はミラノ大公の血筋ではありませんで、ご興味お有りの方は
       もう一度系図をご覧下さいね。

       1.オットーネ・Ottone の弟に、アンドレオット・Andreottoがいて、
       その息子にテバルド・Tebaldo.
       ミラノ領主はテバルドの息子マッテーオ1世に移っていくのですが、
       
       系図には載っていないマッテーオ1世の弟にウヴェルト・Uveruto(1280-1315)
       そしてその息子ヴェルチェッリーノ・Vercellino
       公爵ヴィスコンティ・ディ・モルドーネ・Mordone家の流れ、最初は侯爵だった様子、
       で、彼はこの直系にあたり、公爵ロナート・ディ・ポッツォ―ロ・
       Conte di Lonato Pozzolo、他にも爵位と肩書があれこれの方なのでした。



       さてもう一踏ん張り、ははは、
       スフォルツァ家もやっつけてしまいましょう!

       系図をどうぞ
d0097427_7503751.jpg
       
       1.ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティと結婚し、ミラノ公国を
         受け継いだフフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza.
         ミラノ公4代目

       2.長男のガレアッツォ・マリーア・Galeazzo Maria(1444–1476)
         ミラノ公5代目
         22歳で後継となりますが、その傲慢尊大で放埓な性格から母親と
         すぐに衝突、10年後謀反により暗殺されます。

       3.その息子ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・
         Gian Galeazzo Maria(1469–1494) ミラノ公6代目
         
         父親が暗殺された後、1478年彼はたった9歳で母親ボーナ・ディ・サヴォイア
         の摂政の下に公爵位を継ぎ、1489年にイザベッラ・ダラゴーナ・
         Isabelle d'Aragona、ナポリ王アルフォンソ2世の娘と結婚。
         その後徐々に政治の職務から離れ娯楽、気晴らしに身をやつすようになり、
         
         叔父であるルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ・Ludovico Mariaというより、
         イル・モーロ・Il Moroの通称が有名な叔父に追い出され、
         最後は多分毒殺と・・。


      ◆ 途中ですが ◆
         文字数制限に引っ掛かり、それもかなりの数なので、
         思い切ってイル・モーロの部分で切りまして、
         その2の2として、アップいたします。

         その心算で無かったので、あと先が別になり、申し訳ありません!

      
     *****     

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by italiashiho2 | 2013-09-19 08:22 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2013年 09月 12日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その1 ・ ミラノ ・・・

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       皆さまこんにちは!
       秋晴れの良いお天気が続いている、北イタリアですが、
       皆さまもそれぞれの秋を、お楽しみの事と思います。

       さて今回から2回に渡り、ミラノのスフォルツェスコ城・Il castello Sforzescoのご案内
       と言いましても、私も確か3,4度訪問はしているのですが、
       即ご案内できるほどには知りませんで、宿題提出が滞っておりました。

       で、年明け早々に行った写真と首っ引きで突き合わせ、
       ヴィスコンティ家の事、城の名に残るスフォルツァ家の事も
       あれこれ必死に読み、図も集めました。

       という事で、現在はミラノ市の博物館となっているスフォルツァ城、
       ドゥオーモと並びミラノのシンボルとも言える
       あの壮大威容な城の一端をお楽しみ頂ける様に頑張りますので、
       よろしくお願い致しま~す!

       上はまず、雑誌から拝借の素晴らしい写真を。



       こちらはサイトから拝借の、上空からの写真で、
d0097427_13351257.jpg



       これもサイトから拝借なのですが、
       城を囲む建物群の様子を見て頂きたく。
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       城の後ろに広がるのは広大なセンピオーネ公園・Sempioneで、
       入り口正面から続く道は、真っ直ぐにドゥオーモ前に。

       年明けのミラノの街散歩、街中心の地図もここに。
       http://italiashio.exblog.jp/17570619

       ミラノのドゥオーモ
       http://italiashio.exblog.jp/17601733



       さて私の写真で、正面向かって左側
       手前に大きな噴水がありまして、
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       こちらが正面入り口のフィラレーテの塔・Firarete.
       そうなのです、ちょうど修復で全面覆われていまして残念!
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       私めの初のイタリア旅行、既に30年程前になりますが、きゃぁぁ!
       初の海外旅行、初のイタリアのそのまた初訪問がこの城だったのですが、
       その時のこの門、城の威容さに物凄いカルチャー・ショックを
       受けた事は、よお~く記憶しております。

       壁のあの厚み、高さは、まさに歴史の経緯とともに無言の迫力で迫り
       それと共に、内部の部屋のフレスコ画の装飾の素晴らしさ、
       教会の黄金背景の祭壇画ともどもに魅せられ、
       自分もテンペラ画を描くようになった、最初の対面でした。

       今も変わらずに存在する同じ壁を眺めながら、本当に懐かしかった!
       そんなこんなで時に感傷的な言葉が出ても、ご容赦願います。

       今回一緒に行きましたアンナリーザは、この城は始めてだそうで、
       こんなに覆われていても、その素晴らしさに感嘆しておりましたです、はい。
      
       因みにフィラレーテというのは、1452年の建築設計者の名で、
       この塔は一度1521年、当時駐屯していたフランス兵のドジで、
       武器庫に充てられていたここで爆発があったのだそう。
       1905年に修復され、現在見る姿にと。



       こちらは正面右手
       手前の草地はかっての堀の名残で、現在は野良猫ちゃんたちがたくさん!
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       最初の簡単な図をどうぞ
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       1.フィラレーテ門、城正面入り口 1452年建設
       2.5.トッリオーニ・Tprrioni 正面両脇の円柱形の塔
       6.ピアッツァ・デッレ・アルミ・Piazza delle Armi・武器、部隊広場
       7.ボーナ・ディ・サヴォイア塔・Torre Bona di Savoia
         これはガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・Galeazzo Maria Sforza
         の妻の名に由来するそう。
         夫ガレアッツォ・マリーアは、ヴィスコンティ家から
         ミラノ公位がスフォルツァ家に移った初代フランチェスコの息子で、
         彼女は大変な美人だったそうですが、1476年僅か8年の結婚生活で夫が暗殺され、
         その時彼女はまず円柱形のトッリオーネに逃れ、そこから続く
         城の中心に位置するこの塔に入った、のだと。
       8.奥のこの部分が、古くからの城の中心部、居住区だったと。
       9.こちら側が、ミラノ公宮廷部分

       
       所でこの城がスフォルツェスコ城・スフォルツァ家の城と呼ばれているのは、
       それ以前のミラノの領主、そしてミラノ公となったヴィスコンティ家・Visconti
       が、一旦1447年フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ・Filippo Mariaの死
       により途絶えます。

       強力な圧政独裁のヴィスコンティに反撥した地元の貴族などのグループが
       アウレーア・レプッブリカ・アンブロジアーナ・Aurea Repubblica Ambrosiana
       名乗り、城の一部を破壊。
       石は切り出されて借金の支払いに充てられたり市壁の修理用に使われたと。

       そしてヴィスコンティ家最後のフィリッポ・マリーアの庶出の娘、
       唯一の相続者であるビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria
       ミラノ公連隊の指揮官を務めていた傭兵隊長、ヴェネツィアに付きミラノに
       対抗した事もあったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza
       結婚し、共にミラノ公の称号をも受け継ぎ、

       14世期に建設されていた要塞、城を補強し、1450年大要塞を建築したのが
       現在見る姿、スフォルツェスコ城と呼ばれる所以というのですが、
       その後次々と増築され強力な要塞となり、当時のヨーロッパでも最高だったと。

       そしてスフォルツァ家が1535年に滅びた後は、スペイン、オーストリア、
       フランス等などの次々と大軍事要塞駐屯地となり、
       その後は半ば放置状態であったのを
       19世紀末から20世紀初頭に大改装し現在の姿に。
       ミラノ市の博物館、文化的行事の催事場という事で、
       当初の大要塞の姿の何分の一かの大きさなのだとか。

       
       今回私はこのブログの為にあれこれ読みましたが、
       正直最初はまるで頭に入りませんでした、はぁまぁ、これはいつもの事で!
       というのも、現在の博物館、無料で見れる部分だけでも大変な広さ、
       おまけにヴィスコンティ家と言い、スフォルツァ家と言い、
       その変遷を良く知らない上に、なんとまぁ、同じ様な名前が次々と出て来まして・・!

       そんなこんなを読み返しながらそろそろと整理し、漸くに纏まったので、
       多分これを読まれる皆さんも同じだろうと思い、ははは、
       そうで無い方も大勢おられるのは勿論承知しておりますですが、はい!
       という事で、
       全部を一度にざっと書かずその折々に、写真をご覧頂く順に連れ、
       読んで興味を持った事などを書かせて頂きますね。



       さて正面のフィラレーテ門を入ると、広大なピアツァ・デッレ・アルミ
       正面左手に見えるのが、ボーナ・ディ・サヴォイア塔で、
       中央が古くから残るジョーヴィア門・Porta Giovia
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       このジョーヴィア門を通り抜けて行くと、裏手に広がる広大な公園に
       抜ける城の裏門バルコ門・Porta del Barcoに行きます。

       ヴィスコンティ家が14世紀に元の要塞、城館を建設していた訳ですが、
       1360~70年にこのジョーヴィア門から繋がる街の城壁
       馬で走れる城壁、というのをご想像下さいね、を建設した、とあります。

       その後ヴィスコンティ家の最絶頂期を迎えたジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzo
       そしてその息子達ジョヴァンニ・マリーア、フィリッポ・マリーアの時代に
       城はもっと拡張されたと言います。

       現在見る様子の四角形で一辺の長さが200m、四隅に角の塔があり、
       街に向かった湾曲部の塔はとりわけ壮大な物で、
       周辺の壁は厚さ7m!


       ボーナ・ディ・サヴォイア塔のアップ
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       ボーナ・ディ・サヴォイア塔に続く壁、この威圧感!
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       高さもそうですが、この壁には窓が一つもありません
       この壁の向こうに内庭ロッケッタ・Rocchettaと呼ばれる中庭を
       囲んだ古くからの居住部分があり、勿論防御の為なのですね。
       
       

       こちらは西側を向いた所で、右に見える門はサント・スピリト門
       Porta di Santo Spirito.
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       正面入り口側に当たるこの棟部分は、現在図書館や学校部分に
       充てられているのですが、
       壁に見えるのはヴィスコンティ家の紋というよりも
       ミラノ市のシンボル、そして私にはアルファ・ロメーオで~す。
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       西のサント・スピリト門を出た所、見えるのはリヴェッリーノ・Rivellino
       と呼ばれる半月堡で、堀に突き出した形。
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       右の壁の奥に塔が見えますね。
       内側からだと高さが違わず余り塔には見えないのですが、
       これだと良く見えますね。

       カステッラーノ塔・Torre del Castellanoと言い、
       この1階部分は宝物の間・Sala del Tesoroと呼ばれ、
       ルドヴィーコ・イル・モーロが宝を納めていたのだそう!



       こんな図も見つけました。
       これだと良く、かっての様子を想像できますね。
       今は浅い草原になっている堀の外に、かってはもう一回り城壁が。
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       で、このかっての堀には、正面側もそうでしたが、
       こんな風に野良猫ちゃんがいっぱいいて
       折からの冬の西陽の温かさを満喫中!
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       サント・スピリト門の天井にあった、ヴィスコンティ家の紋
       イル・ビショーネ・大蛇・il Biscione
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       王冠を戴く大蛇が、肌の浅黒い男を飲み込んでいる姿ですが、
       ヴィスコンティ家は元々の大貴族ではありませんで、
       政治的な才覚を持ち合わせ、どしどし伸し上って来るとともに、
       当時一種の流行りであった神話的な源のお話と紋章が出来たと。



       さてアルミ広場に戻っての、東側の眺め
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       威圧的また機能的なとも言える素晴らしさ、を感じる壁
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       内庭ロッケッタに抜ける小さな門
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       所で左に見える青いポスター、ぺテルツァーノ・Peterzano
       読めますね。 実はまるで知らずに通り過ぎましたが、
       このぺテルツァーノというのは、かのカラヴァッジョの師匠なのだそうで、
  
       昨年一時カラヴァッジョのデッサンが数多く発見された、という
       ニュースが流れた事がありましたが、
       実はこの師匠のデッサンだったのだという、展覧会だったのだそう。

       詳細は「ヴェネツィア ときどき イタリア」のfumieveさんがこちらに。
       http://fumiemve.exblog.jp/17354356/


       小さな門を潜った内側から見上げる威圧の壁
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       こちらは北のバルコ門に
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       門から見るセンピオーネ公園の向こうの凱旋門
       まだクリスマス、お正月の休暇中で、大勢の人で賑わい・・。
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       ミラノ公宮廷の建物に囲まれた内庭、これは西向きの眺め。
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       素敵な柱頭がぽつんと。
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       という所で、おさらいを兼ねまして、ははは、
       各部分の名称と位置をもう一度
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       1.正面入り口フィラレーテ門
       2.西側にあるリヴェッリーノ・半月堡
       6.ピアッツァ・デッレ・アルミ、またはコルテ・マッジョーレ・大広場
       7.ボーナ・ディ・サヴォイア塔
       8.内庭ロッケッタ、ここにはCortile della Raccoltaとあります
      10.カステッラーノ塔、宝物の間
      11.ジョーヴィア門
      12.ミラノ公宮廷内庭
      13.象のポルティコ・ポーチ
      15.ガレアッツォ・マリーアのロッジャ
      16.アッセの間 レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたフレスコ画の間
         ファルコニエーラの塔・Falconiera
      17.ルドヴィーコ・イル・モーロの渡り廊下



       さて上の図にある13.象のポルティコがこれ、
       はい、動物たちと人物が描かれたポルティコの一郭。
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       ここは公的行事に使われていた場所だそうで、
       様々な動物たちが描かれていた様子なのですが、
       現在残るのはこの象と、


       ライオンの後ろ脚部分のみ、と
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       このポルティコの下にある、このちょっと不思議な雰囲気の像
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       このポルティコ部分は2度目の城訪問の時に見て大変気に入り記憶に残るもので、
       今回再会し、とても懐かしく嬉しかったのです。

       傍らにあった説明文を写したのを読みましたら、
       この部分は上から漆喰が掛けられていたのを20世紀初頭に
       発見されたのだそうで、
       ルドヴィーコ・イル・モーロの時代の記録に書かれているのが見つかったと。
       
       そして大変興味を引かれた一節は、
       最近の研究により、この作品にはバルダッサーレ・デステ・Baldassarre d'Este
       1461~1469年にかけ、このミラノの宮廷で働いていた、
       の手が入っている様子と。



       バルダッサーレ・デステという画家は暫く前に偶然知ったのですが
       こちらが彼を知るきっかけとなったその作品。
       可愛い少年像ですが、誰あらん、マントヴァ侯爵フランチェスコ2世
       8~14歳の間の肖像です。
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       マントヴァ侯爵フランチェスコ2世ゴンザーガ・Gonzaga(1466-1519)は、
       武勇に優れ、そう、妻はかのイザベッラ・デステ・Isabella d'Este.

       ちょっと横道にそれますが、バルダッサーレ・デステ、またはエステンセ・
       エステ家のバルダッサーレ(1441頃-1504)という名を持つ画家についてちょっぴり。

       生まれはレッジョ・Reggio・エミーリア・ロマーニャ州ですが、
       つまりフェッラーラ、エステ家のニコロ3世・Niccolò IIIの庶子であろうと。
       そうでないと特異的にフェッラーラのエステ家の宮廷画家となり、
       報酬を受けていた理由が見つからないと。

       絵の師はコスメ・トゥーラ・Cosimo Turaですが、並ぶ腕を持ち、
       肖像画を得意としていた様子で、
       エステ家のボルソ・Borsoのそっくりと言われる肖像画も残ります。

       横道にそれついでに、もう一つね。
       父親だろうと言われるニコロ3世は、まだエステ家初期の侯爵位、
       あちこちに女をつくって歩いた事でも有名なのですが、800人以上だって!ははは、
       それ以外に有名なのは、
       2度目の妻として迎えた若いパリジーナ・マラテスタ・Parisina Malatesta
       が、彼が最も愛した女という愛人との子、後継と決めていたウーゴ・Ugoと不義密通に。
       年の離れた夫よりもずっと年も近く、繊細な若い男ですものね、ははは。
       それが発覚し、二人とも斬首刑に、というお話。

       フェッラーラ・エステ家の城 その1と2
       http://italiashio.exblog.jp/10865175/
       http://italiashio.exblog.jp/10865096/



       という所で、現在スフォルツァ城に置かれたミラノ市博物館の内部に
       たくさんの部門に分かれ、絵画館、楽器、エジプト博物館等などは有料ですが、
       無料でもたくさんの展示物が見れ、
       その中にはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたアッセの間や、
       ミケランジェロの最後の作品、ロンダニーニのピエタも含まれます。
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       博物館入り口はジョーヴィア門を潜った脇にあり、
       こんな感じに、収蔵品に溢れ・・。



     ***** 
       実はこの後も幾らかのご案内を、ちょうどヴィスコンティ家の変遷に
       ついても切りの良い所まで、と思って始めたのですが・・、
       いささか横道にそれたせいか、少し疲れました。

       という所で、今回のご案内は市博物館入り口まで、とし、
       2回分が3回になるかもしれませんが、ははは、
       ご寛容の心を持って、次回をまた楽しみにしてやって下さいませませ!



     *****     

       水彩ブログには、ベリー公のいとも豪華なる時梼書 模写 ・ もうちょっと
       アップいたしました。
       見てやって下さ~い!
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


       いつも有難うございます!  
     
       励まし応援クリックも、よろしくお願いいたしま~~す!

          

          

          
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by italiashiho2 | 2013-09-12 13:51 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(2)
2013年 01月 11日

   ・・・ ミラノのドゥオーモ ・ Duomo di Milano ・・・

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       年明け早々に出かけて来ましたミラノの街。
       今日は皆さんも良くご存じの、
       イタリアでは珍しい、高い尖塔が何本も聳えたつゴシック様式の大聖堂
       如何にも北の雰囲気を伝える、ミラノのドゥオーモのご案内です。

       一般にミラノのドゥオーモ・Duomo di Milanoの名で通っておりますが、
       正式の名はサンタ・マリーア・ナシェンテ・Santa Maria Nascente・生まれつつある聖母
       というのも改めて知りました。

       上の写真をご覧になられ、なんと横着な写真を撮ることよ、と思われた方も多いと・・。
       はぁ、ほんのちょこっと自分が動けば街灯がドゥオーモに重なることなく、
       画面右の〆にもなる物を・・。
       次、行こうぜ!と少し急いでいる時のずぼらshinkaiが良くやらかす事でして・・、
       これは悪い例でございます、はい。


       夕暮れ前の陽を受ける正面
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       余り数字は書くまいと思いつつもウィキを読んでおりましたら、あれこれ興味深い事も
       知りまして、はぁ、つけ刃の受け売りを少しばかり。

       ミラノのドゥオーモは、面積から言うとヨーロッパで4番目、11700平方。
       一番は勿論ヴァティカン市国のサン・ピエトロ大聖堂で、
       続いてロンドンのセント・ポール、スペイン、セヴィーリアの大聖堂となり、

       ですが、体積となると中央身廊の高さ45mでイタリアでは一番、
       イタリア半島となると、やはりサン・ピエトロが一番大きいと。

       以前この場所には2つの聖堂があり、その鐘楼が崩れ落ちたのをきっかけに
       1386年5月に建設が始まり、長い5世紀もの期間を掛けて建設終了が1892年



       1745年、建設途上のドゥオーモの様子と、
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       19世紀の写真
     多分完成直後の歴史的写真と思われる物。 いずれもウィキぺディアから拝借です。
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       天を刺すばかりに聳えたつ尖塔数 135本
       一番上に見えるマドンニーナ・Madonnina と呼ばれる金色マリア像の
       地上からの高さ108,5m
       聖堂の奥行き外側158m   内側148m
       正面壁の幅67,9m
       尖塔の上、等にも見える像は外側だけで2300、内側共だと3400になると!



       という様な事で、では聖堂内部に
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       身廊は5廊式で、こちらが中央部分。  
       最初のプランでは3廊式で、その外に礼拝堂が飛び出す形だったとか。
       見えます絵については、また後ほど。



       これは聖堂内一番右、つまり南側の壁のステンドグラスですが、
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       ふと旧約聖書のお話が描かれているのに、気が付きました。
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       床の大理石模様
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       中央右横の側廊。  
       中央の側廊は幅が広いのでそんなに高さもも感じませんが、
       側廊は狭いので尚の事天井が高く、横の円柱が聳えたつ威圧感を。
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       さて中央身廊で、この大きな絵画の展示に出会い、
       あれ、以前あったっけ? クリスマス用かな? と思ったのですが、
       はい、既に4度目位のドゥオーモ訪問ですが、ウィキに説明を見つけました。
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       毎年11月にミラノに尽くした大司教、枢機卿そして列聖されたサン・カルロ・ボッロメーオ
       San Carlo Borromeo に捧げる彼の生涯を描いた絵の展示だそうで、
       サン・カルロの絵・I Quadroni di San Carloと呼ばれる物だそう。

       この聖人は16世紀貴族ボッロメーオ家の出身で、若くして枢機卿となり、
       ミラノの大司教の時にペストに襲われたミラノの市民達の為に私財をなげうち
       大いに奔走したのだとか。


       内陣奥の様子。 手前に大きな明かりが燦然と輝いておりまして、
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       ちょうど両側のオルガンの扉が開いていましたので、
       も少し良く見えるこちらもどうぞ。
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       円柱の上の聖人たち
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       円柱と言いましても、さすがこの高さを支えるだけあって、太い太い!
       直径が3,4m   高さ24m   全部で52本あるのだそう。
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       左側廊には幾つかの礼拝堂があり、その前、信者達の捧げる蝋燭
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       今頃は普通の小さな教会などでは管理の目が届かない事もあってか、
       蝋燭の形をした電球もあったりするのですが、
       やはりこの長い蝋燭の火が揺れるのが美しいですねぇ。



       隣にいたアンナリーザがぷっと吹き出したこれ。
       キリストのウェブサイト!!
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       http://www.jesus1.it
       はい、何が出るのかと訪問して見ました、勿論。
       ジェズが君の心に直接に応えます、と。  いえ、人生相談ではなく宗教についてですが、
       英語版もありますので、お悩みの方どうぞ!

       ミラノのドゥオーモのサイト
       www.duomomilano.it/

       そうそう、ドゥオーモ内で写真は一応禁止なのですが、
       入り口から入って、左横辺りに受付がありまして、
       そこで写真許可をと2エウロ払うと、カメラに紙リボンをつけてくれ、これでOKです。



       さて、ドゥオーモの上に上がります!
       歩きとエレベーターと両方あり値段が違いまして、エレベーターが12エウロでした。
       
       どちらもドゥオーモの北側奥に入り口があり、手前が階段、エレベーターは一番奥横で、
       エレベーターの切符は、ドゥオーモの裏道を南に行くと角に
       ドゥオーモ・ポイント・Duomo Pointと出たショップがあり、そこで買います。

       下の道は既に薄暗くなっていましたが、
       上に上がった時はまだ夕暮れの雲の色が美しく!
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       ですが、上がる前から「私は高所恐怖症なの」と言っていた
       アンナリーザは本当にその近くにしゃがみ込んでしまい・・!
       高上がり大好きのshinkai一人、あちこちきゃっきゃと歩き・・、ははは。
       そう、女の友情なんて薄情なものなのよ、がはは。



       ライトアップが鮮やかになり始め
       空の色もぐんぐん変わって行きます。
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       むか~し一度上がった事があるのですが、
       あの時は昼間でしたし、夕暮れ時は初めてで嬉しいばかり!



       狭い脇道、つまり聖堂の横に当たる部分を辿りながら、
       どんどん前に進んで行くのですが、

       ガッレリーアの天井部分の紫が綺麗に見え
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       遠くのビルの角かどに、赤い電球が点いたり消えたり・・。
       アンナリーザが、多分あれはピレッリ・Pirelli・タイヤ・メーカー、のビルよと。
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       隣のピンクは上にUniCredit・ウニクレディト・銀行名と見え、
       手前の三角はスカラ座の屋根。  夜の方がとても綺麗!



       せっせと一番手前、広場側に来ましたら、こんな夕暮れの名残の色!
       ここから中央身廊の屋根の上、テラスに上る階段があるのですが、
       アンナリーザは下で待っていると言い、ほいよ、行ってくるからね!
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       細い階段の脇、広場側には金網が張ってあるのですが、
       これが可笑しい事に、所々ちょうどカメラのレンズが突き出せるように
       破ってあるのですね、ははは。

       で、そこから見下ろす広場。
       この広場に摸様が描かれているのを初めて知り、
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       明かりが灯って、本当に綺麗!
       クリスマスツリーの周囲には時計があったんだぁ!



       最後の塔の中を巡る螺旋階段は、一人がちょうどの細いぐるぐるで、
       上から子供の団体が降りてくるのにめげずに、せっせと横をすり抜ける私。
       だって、メトロで戻る時間を決めているのですもの、急がないとね!

       こうして上がったドゥオーモの屋根の上
       そう、屋根の形に傾斜が両方にあるのです。
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       我々は幸運でした。
       真ん中のマドンニーナのいる主尖塔は修復の覆いがありましたが、
       でも、青銅金塗りのマドンニーナの修復は済んでいて
       燦然と輝く姿が見れたのですもの。
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       南側のテラスの端
       大きな段差は無いのですが、階段状に傾斜になっているのが見えますか?
       もう足元はかなり暗いので、滑ったりしない様、そろそろと気をつけて移動し、
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       あの朝訪問したピカソ展会場、王宮を覗くと、   手振れご容赦、
       ひひひ、まだ列が並んでいるぅ!!
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       ええ、まだ5時半頃ですから、開いてはいるのですけど、
       皆さん辛抱強いですねぇ!



       またそろそろと脇階段を降りながら、ガッレリーアの入り口付近を覗き
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       最後にもう一度、金網の破れからレンズを突き出し、
       名残の空、そして名残の広場を
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       という事でメトロに乗り、中央駅に。
       そしてコネリアーノに夜10時頃に戻りましたら、
       なんと、駐車場に止めていた車のフロントガラスに霜がしっかり!

       本当に楽しいミラノ行きでした。
       もう一つ訪問したスフォルチェスコ城のご案内は、また暫く先に。
       お楽しみに!


     *****

       水彩ブログには、モンテリッジョーニの古い壁
       アップしております。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho

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by italiashiho2 | 2013-01-11 03:30 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(8)
2013年 01月 06日

   ・・・ 年明け早々の、ミラノの街 散歩 ・・・

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       さて本年最初のブログ更新も始まりました。
       どうぞよろしくお願いいたします!

       昨日4日、我がイタリア語の先生アンナリーザと
       ミラノに日帰りで出かけてきました。
       一番の目的は現在ミラノで開催中の「ピカソ展」だったのですが、

       せっかくならばドゥオーモとスフォルツェスコ城も見て、
       お昼は日本食レストランに行きお寿司を食べようと、ははは、
       大いに楽しみにしていた、年明けそうそうのお出かけでした。

       さいわいお天気にも恵まれ、全ての予定を順調にこなし、
       夜10時には無事、家に戻りました。

       で、まずはミラノの街の年明け風景をご覧頂こうと、
       大急ぎで整理したのをアップです。
       気楽にお楽しみ下さいね!

       上の写真は、ヴィチェンツアの駅停車中に見上げる
       モンテ・ベーリコの聖所。
       日の出のピンクに雲が染まり始めた、朝8時頃

       我が町コネリアーノからミラノに行くには
       朝晩に1本ウーディネ~ミラノ間の直通列車があり、
       トゥレヴィーゾからヴィチェンツァに出て、
       これだと約3時間20分で行けるのですね。
  
       という事で、朝のまだ真っ暗なうち6時半にコネリアーノを出発、
       漸くにヴィチェンツァ辺りで日の出を迎えた所。


       冬のミラノは霧で有名ですが、行く途中でも大変な霧の一帯を
       通り過ぎ、帯状になるのか、霧に入ったり抜けたりで、
       こんな所で止まったりもしましたが、
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       まずはほぼ定刻にミラノ中央駅に到着
       おお! ミラノだよ!! とやはり嬉しく・・、
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       ホームの先には、こんなツリーもあり
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       もう一度このなんともレトロで美しい駅のホームを振り返り
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       綺麗になっている駅構内から、地下のメトロに乗り換え
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       ドゥオーモ前広場に出てきた所
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       ガッレリーアを横に見つつ
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       ドゥオーモの東南角奥に、ピカソ展の会場を見つけ
       あ、あそこあそこ!
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       近寄った途端に、物凄い人々の列の長さに驚き・・!!
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       鍵の手に曲がりつつ、ず~~~っと列が続いているのですよ!!
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       実はこのピカソ展の切符は、アンナリーザが貰ったものでして・・。
       11月の初め頃でしたか、たまたま土曜の朝早くに我が家に来るのに
       車のラジオで「DJ」を聴いていると、
       「この土曜のこの朝、君は何をしているかい?」というので、
       運転しながら電話をし、「日本女性のレッスンに行く」と。

       我が家についた頃、係の女性から電話がかかり、
       では生番組中にインタヴューの電話をします、となり、
       かかって来たのですねぇ!

       で、この出演御礼がピカソ展の切符2枚と展覧会の本だったという訳。

       即、家でチビちゃん2人とお留守番のご主人トーマスに電話をし、
       顛末を説明しながらアンナリーザが言った言葉、
       「だから、shinkaiと一緒にミラノに行かにゃいけん!
       隣で聞いていて、きゃ!!

       家庭事情の詳細は略しますが、ははは、
       こうして即列車の予約を取り、日本レストラン事情も調べ、
       着々と準備しこの会場前に来た訳ですがぁ・・、
       この人々の長蛇の列!!

       切符売り場に行けば、ちゃんとわかるようになっています、と
       言う話で、我々は手元に切符を持っていないのですよ。
       で、恐る恐る列の先頭まで行き、
       警備の人に「DJの切符が当たった・・」と言うと、
       2階の切符売り場にどうぞ、とフリーパス!!
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       2階の切符売り場で名前と様子を告げると、
       即切符を渡して貰え、おお、おお!
       素晴らしい! 
       イタリアでもこんなにスムースに進む事もあるのねぇ!!


       ピカソ展、素晴らしかったです!
       まずその作品の数、250点以上に及ぶ、各時代の有名作から
       コラージュ、デッサンも含めた見るべき物が本当にぎっしりで、
       とりわけピカソが好きではない私も、堪能致しました。

       ず~っと昔日本でピカソ展を見た記憶がありますが、
       何も覚えていない程で、
       今回初めてピカソの実作を見た、と言える感じ。

       とりわけ感嘆したのは、色!!
       作品の形態変化については余りにも取り上げられ、
       今の時代に見ると既に古い印象を持つ作品もありますが、
       それでもなお、その色の素晴らしさに感嘆いたしました。

       とりわけ、本当にずしんと来たのがこの作品、
       いわゆる青の時代の「ラ・チェレスティーネ・La Célestine
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       友人達がピカソの青の時代の作品が好き、というのを聞いても、
       私は殆ど関心なく過ぎて来たのですが、
       始めてこうして実作品を見て、その青の色の深さに驚きました。

       背景の青ももっと明るく、マントの色の何と深い事!
       こんなに黒ではなく、もっと明るくもっと深い色。
       そのくせ、顔色はもっと白く見える・・、
       この絵だけでも、友人に見せたい、
       私一人では勿体ない、そんな事を痛切に思いました。
       ピカソは、やはりやはり凄い巨人なのでした!

       サイトはこちらに
       http://www.mostrapicasso.it/


       イタリアは6日までがクリスマスの祭日期間で、
       ドゥオーモの横から後ろ側には、こんなクリスマスの屋台が
       ぐるっと取り囲み、大変賑わっており、
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       ドゥオーモの裏近くにある日本料理店に行きましたら、
       なぜか閉店、しかも店仕舞いという感じの閉店で、
       第2候補の店に向かい・・。



       ミラノ中央の地図をどうぞ
       左上にスフォルツェスコ城があり、一番右下にピカソ展会場の
       パラッツォ・レアーレ・王宮、会場も素晴らしかった!
       そしてその北にドゥオーモ、ガッレリーアがあり、
       抜けた所にスカラ座。
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       第2候補の店はお城に向かう方角西、赤点をつけた辺りの
       コルソ・マジェンタ・Corso Magenta 14 の
       パルコ・Parco という店。

       イタリア人経営中国人板前が一人、という店でしたが、
       客は見ている限りはイタリア人でかなりの繁盛。
       お寿司の盛り合わせにちょっぴりの刺身が付き、
       それにお味噌汁、赤だしではござらぬ、
       と、天麩羅の盛り合わせを2人で一皿。
       キリンビールが出てきて、感激!

       魚の種類は少ない物の、美味しかったし、
       何よりもアンナリーザが、刺身もお寿司も気に入ったのが良かった!!


       お昼を食べ元気を盛り返した所でお城に向かい
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       アンナリーザはまだ見た事がなかったので、
       まずこうして見えてくる塔の大きさに感激していましたが、

       お城内部は今回かなりしっかり撮って来ましたので、
       またご覧頂きますね。



       お城の後は再度ドゥオーモに向かいダンテ通りを
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       ガッレリーアの中央部が見えた所で曲がり、
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       近寄った所でもう一度、今度はガッレリーアの北に向かい、
       レオナルドの像が中央にある広場に
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       彼に向き合う形で、スカラ座があり
       う~ん、いつ見ても、素っ気ない建物だなぁ・・。
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       道越しに写したプログラム
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       ふと気がつくと、ここにも長い行列!
       え、なに?! と見ると、広場の東側に当たるマリーノ宮で、
       アントーニオ・カノーヴァとフランソワ・ジェラールに捧げる
       「アモーレとプシケ」という展覧会の入場者。
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       こちらはどうやら入場無料の様で、
       サイトはこちらに。
       http://www.amoreepsicheamilano.it/

       あの広~いスフォルツェスコ城内の博物館も無料
       ミケランジェロのロンダニーニのピエタ像も見れるのですね。
       ミラノ市役所は如何にも太っ腹!
       大都市ならではの文化享受が無料で楽しめるのですねぇ。



       それにしても、またしても行列の長さを写さずにはおれぬ
       いちびりshinkai、ははは。
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       ミラノの町はひっきりなしにトラム・市電が走り抜け
       人の姿も多く、
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       では、ガッレリーアを抜けようね、と
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       足元にある、これは地下の明かり取りかな、の
       こんな美しいデザインにも初めて気が付き、
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       北入り口に近いリッツォーリ、本屋さん
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       ガッレリーアの中央部には、ミラノのシンボルの赤い十字と、
       その回りを紫、写真では青く出ましたが、の小さな明かりが取り囲み、
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       ナポリの中心にも美しいがっしりのガッレリーアがありますが、
       あそこのは重厚な印象が強いのに比べ、
       ミラノのは優雅で華やか、それに何よりも並ぶ店が明るい!



       中央部の北東角、ヴュトンの店
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       北西側の角、この下にはプラダの店
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       十字の中央にあるミラノの印のモザイク柄
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       我がイタリア語の先生でもあり、友人でもある
       今回一緒したアンナリーザ
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       とてもすっきりの楽しいお出かけが出来、
       彼女にもとても気に入ったようで、
       次はフィレンツェに行き、ラーメンを食べよう!
       ミラノの「最後の晩餐」も見に来なくては!と
       ははは、次々の予定を考慮中!


       こうして再びドゥオーモ広場に戻ってきますと4時半、
       少し夕暮れが迫ってツリーに灯が灯り
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       これはリナッシェンテ百貨店の表
       建物全面を細い光の線が垂れて覆い、
       その間を光の滴がつつ~っと流れ、とても綺麗。
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       ドゥオーモの最上部の塔の先、マドンニーナに光があたり
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       そう、我々はドゥオーモの上に上がりました!



       ほらね、こんなに美しい夕焼けの名残の空!
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       あっという間に暮れ、ドゥオーモの上は薄暗い程でしたが、
       しっかり撮りまくりましたので、
       またご覧頂きますね。 
       お楽しみに!



     *****

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by italiashiho2 | 2013-01-06 00:58 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(6)