カテゴリ:・ウンブリア Umbria( 37 )


2016年 11月 04日

   ・・・ 再度の復興の願いを込め、 地震被災地への追悼を ・・・

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       8月24日に起こったイタリア中部アマトゥリーチェ一帯での
       大地震に続き、10月26日にはウンブリアのノルチャ一帯で、
       そして30日には止めを刺すかのような、
       1980年以降で最大といわれる8月のを上回る大きな地震が起こり、
       今なお余震が続き各地で被害が起きています

       先日友人のジュリアーナと話していた時、彼女が言った言葉、
        レンツィ(首相)は元の通りに復興すると言ったけど
        復興するには何年かかる?
        私はもうあの美しい一帯を見れないよ!

       そう、重要な場所から町村から、復興に取り掛かり、
       小さな末端の村々に至るまでに、一体何年かかるでしょう?!

       1997年のウンブリアの地震の後、イタリア国の守護聖人でもある
       アッシジのサン・フランチェスコ教会の修復は2年で済みましたが、
       ウンブリアの小さな村が、10年後の再訪ではいまだ手付かずの
       状態だったのを見ています。
       そしてその4年後の秋にはほぼ復興なった姿を実際に見ましたので、

       元通り復興する、と言う言葉を今では信じていますが、
       一体何年かかるでしょうか?!

       あのジュリアーノの言葉を聞いて後、
       本当にね、まだ元気で生きていても、あのウンブリアの奥まで
       旅行するだけの気力があるだろうか? という思いを押さえ込み、

       今日は、一日も早く復興して欲しい! の願いを込め、
       かっての美しかった町村への追悼も込め
       今回の地震被害の様子を纏めましたので、どうぞご覧下さい!


       トップは、10月26日の地震のシンボル的な写真
       ノルチャのサン・ベネデット聖堂が正面壁を残して崩壊した姿で、
       左は現市役所の建物と時計塔。




       こちらはかっての広場の様子で、右はノルチャで生誕の
       サン・ベネデット(480頃-547)の像。
       彼は後の修道院生活の基礎となる戒律を定め、
       現在のヨーロッパの守護聖人でもあり、
       聖堂の地下には、サン・ベネデットと双子の妹聖女スコラスティカ
       の生家といわれる跡があります。
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       この聖堂は12世紀に遡る物だそうですが、
       今回のニュースを見ていて、今迄に3度再建されたと知りましたし、

       26日の朝崩壊する前日夕方、内部に報道班が入った映像も
       見ましたが、8月末地震の被害修復の為の、内部に足場も築かれたまま、
       大きな亀裂も見えましたが、翌朝遂に・・。
       町の人々は、「4回目の再建」を口にしておりました。
       



       ノルチャは盆地にある、豚肉加工品で全国に名が通る町
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       世に評判の、ノルチャの旨いもの店は




       聖堂の横にある市役所の時計塔も、遠方からみると何とか
       大丈夫そうなのですが、大きな亀裂が入っており・・。
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       30日朝、聖堂が遂に崩壊し、町の建物にも大きな被害で
       人々への避難勧告が出て、クラウズーラ・生涯引きこもりの
       女子修道院の尼僧たちも町の広場に避難。
       ベネデット会の僧と共に、人々が跪いて祈る姿がありました。
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       一帯の地図をどうぞ
       真ん中を通る薄いグレイの点線の、左がウンブリア州、
       右がマルケ州、真ん中下がラツィオ州。
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       8月下旬の地震は、下に見えるアマトゥリーチェ・Amatrice
       中心とした一帯で、右上に囲った辺りの小さな村に大きな被害で、
       北のノルチャ・Norciaや、カステルッチョ・Castelliccio
       被害があったものの、そう大きくなかったのでしたが、

       10月末のでは、ノルチャからカステルッチョ、
       そしてプレーチ・Preciヴィッソ・Visso
       その右に見えるウッシタ・Ussitaの被害が甚大で、

       その後の余震で被害が出ているのは、マルケ州のトレンティーノから
       マチェラータとなっている様子。

       この他にも、たくさんたくさんの小さな村が山間に点在していますし
       到底地図に出ないほどの村がどんな被害を受けているか、
       想像するのも怖いほどです・・。
       



       8月の地震で300人近い死者もでたアマトゥリーチェ一帯ですが、

       アマトゥリーチェの町は、こんな美しい町並みだったよう。
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       それが町の中心地はほぼ壊滅状態となり、
       それでも赤い建物と、その左上に市の塔が残っているのが見えますね。
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       こんな風に、亀裂が入りながらも、町のシンボルみたいに
       頑張って立っていた塔なのですが、
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       26日、30日の相次いでの揺れに、遂に赤い建物も
       市の塔の上部も崩壊!
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       町の再建に向け、「微笑みながら再開しよう!」という
       催しが週末に行われる予定だった矢先だそうで、
       今まで何とか残っていた建物、家も崩壊する姿に、
       残っていた町の人々も遂に町を後にする姿が多いとか・・。




       これはノルチャの東南にあるサン・ペッレグリーノ・San Pellegrino
       という町にある13世紀の教会の鐘楼ですが、

       度重なる地震の度に亀裂が入り、遂に崩壊したという・・。
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       26日からの地震でよく耳にする町の名に、ウッシタという
       初めて聞く地名があり、地図で確かめるとヴィッソの北東に位置し、

       モンテ・シビッリーニ山一帯へのトレッキングとかスキーとか、
       町には大きな立派なスケート・リンクもあり、
       ちょっとした山間リゾートの基地の町でもあるらしい雰囲気で、
       古い町も素晴らしい眺めですが、
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       今回の地震ではこんな様子で、残っている家も住めない状態で
       最初は町に残って!と言っていた市長も、遂に立ち退きを勧告に。
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       そしてヴィッソ。 流れの早い清流が町脇を流れ、
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       「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている
       古くからの趣きある町でしたが、
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       今は町の入り口ですべて通行止め、町の人々も立ち退いていて
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       上でご覧の中心部は、こんな様子に
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       ヴィッソのご案内




       ヴィッソから山越えでカステルッチョに行く途中の、
       見事な城壁を持つカステルサンタンジェロ・スル・ネーラの町も、
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       これ位しか写真が見つかりません
       というのも、町の人々はすべて立ち退き、数名しか残っておらず、
       町は立ち入り禁止になっているので、写真がサイトに上がらないのです。
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       昨日のニュースで、町の下、街道筋のガソリン・スタンドの主人が登場。
       彼は7年前に街の生活に疲れこの地に移って来た人で、
       ここでの静かな生活が気に入っていたのが、今回の地震。
       今は町の人もおらず、道も通行止めになっているので車も通らずで、
       ガソリン・スタンドも開けているけど・・、と話しつつ
       じわっと涙する映像を見ながら、こちらも涙ぐみそうになりました。

       ニュースのインタヴューに応える人々は皆同じ。
       一見淡々と様子を語りますが、話が深くなると涙ぐみ、辛いです。




       ヴィッソとプレーチを繋ぐ道は、ネーラ川の渓谷を通る道ですが、
       そこで大きな山崩れがあり、道も川も埋まったという事ですが、
       多分、まだ塞き止められたままなのだろうと・・。
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       山間の高所に位置するプレーチの町
       中世以降の民間の外科学校があり、ヨーロッパ各地の王室の
       侍医をも輩出した事で有名な町ですが、
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       ここも町の人々は立ち退いているとの事で、写真が見つかりません。
       一見無事に見える建物ですが、亀裂が深く住めない状態なのだろうと。
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       左の建物は、プレーチをあの一帯の旅の基地として、2度にわたり
       滞在したホテル・アッリ・スカッキの見覚えがある壁
       やはり亀裂が無数に入っていますね。
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       プレーチの内部の写真は見つかりませんが、
       消防署が上空から撮ったプレーチの被害のヴィデオ




       プレーチからノルチャに向う道、プレーチの近くピエディヴァッレ・
       Piedivalleにある、中世外科学校の発生地として有名な
       サンテウティツィオ修道院教会
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       5世紀にシリアからの僧がこの地に住みつき、という長い歴史を持ち、
       ベネデット会派の修道院となり、彼らの持つ薬草や外科手術の知識を
       近隣の住民達に伝え、これが外科学校の基礎となったと言いますが、

       素晴らしい岩山の上の鐘楼や、再建された美しい薔薇窓を持つ教会は
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       26日の朝、教会上部の倒壊のみでしたが
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       その後の写真では、教会前部のみならず、岩場の鐘楼も、
       奥の建物もすべて崩壊した様子
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       手前の無事に見える建物の地下には、外科学校の様々な器材や
       書物の博物館があり、見学し写真も撮っているのですが、
       そのままになっています。

       プレーチの市役所の隣の部屋にも、小さな博物館が出来ていて、
       そこも整理しておりませんで、
       今回のこの地震被害の様子を見て、きちんと整理しなくては、と
       思ったことでした。 

       プレーチと、サンテウティツィオ教会のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/5661411   




       プレーチからピエディヴァッレを過ぎて進むと、カンピの村があり、
       右奥に見える山腹の村がそれですが、

       村外れに、このサン・サルヴァトーレの古い教会。 
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       26日の朝一番のニュースで知ったのは、この教会の崩壊で
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       山腹の村の事が気にかかりましたが、なかなか写真が見付からず。
       が、やはり無事では済まなかったのを、見つけました。
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       カンピ・ヴェッキオのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/14673663/   




       そして、カステルッチョの村
       ヴィッソからカステルサンタンジェロを通り、北から
       カステルッチョに向うと、峠を越し、こんな風に見えて来ます。
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       こちらは村の南に広がる大平原からの眺めで、
       赤く見えるのはポピーの花。
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       村の入り口に駐車場があり、その前に何軒かのバールと、
       特産の豚肉加工製品の店がありました。
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       ところが今回の地震で、カステルッチョはほぼ全壊
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       取材班のニュースも見ましたが、とても村の中には入れない様子で、
       勿論立ち入り禁止になっていて、ほぼ全員が退避したと。
       電気も水もなく残っているのは数名で、
       家畜がいるので土地を離れられない人々のみ

       これはどの土地、町でも同じで、牧畜業をされている方、
       店や企業をされていて、何とか継続できそうな方は
       その土地を離れる事が出来ないのと、また離れたくないのです。

       カステルッチョの大平原で羊を放牧されている方は、
       冬になるのでアドリア海のほうに、3千頭の羊と馬20頭を連れ
       移動するのは良いけれど、そうなるとこちらの家の問題があるし・・と。

       カステルッチョ、大平原のお花畑 その1と2
       http://italiashio.exblog.jp/8554377/  

       雨と霧のカステルッチョ 




       8月の地震の時に発見された、カステルッチョの東に位置する
       ベットーレ山での地震断層が一段と深く、引き攣られたように
       長く延びているのが確認されています。
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       断層は70cmも片側が沈下しており、長さは100k以上と
       いったか、今回ほどの断層の亀裂の違いは過去にもあまり例がないものと。
       
       ノルチャはなんと30cmも沈下したそうですし、
       衛星から見た地震での地殻変動の大きさは100平方キロにも及ぶそうで、
       暫くは、ひょっとして数年にわたり、今回のような地震が続くかも
       という発表もあるようで、恐ろしい事!!




       被災された皆さんは、体育館のような受け入れ施設で一時を過ごされたり、
       テント村に入られたり、はたまたアドリア海沿岸の各町のホテル
       仮設木製住宅に各町村ごとに移られたり、です。
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       レンツィ首相は、クリスマスまでにテントから木製住宅に
       そして、元通りにすべて再建する、との事。
       レンツィ、頑張れ!!




       今回の引き続いての地震災害の様子を見て、私が一番ショックを
       受けたのは、やはりカステルッチョの様子でした。

       ちょうどこの写真と同じ様な位置から見た村の様子が気に入っていて、
       次に描こう!と思っていたので、尚更なのかもしれませんが、
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       あのウンブリアの大好きな小さな古い村々が消えてしまったのは、
       住んでいた方々と同じ様に、私にもトラウマで残りそう。

       美しい大草原の花が咲くのは同じでも、ポピーの前に咲く
       レンズ豆・レンティッキの栽培はどうなるのか、
       あの美しい自然に引かれてやって来る人々の宿はどうなるのか・・、
 
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       こんなに美しい風景に位置する村が無残な姿で長く残るのは、
       とても哀しい事!! 
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       何世紀にも渡っての何度もの大地震を切り抜けて来られた方々が、    
       どうぞ、再び立ち上がり、再建して下さるよう
       心から願って止みません!!!




     *****

     ◆ ご案内 ◆

       11月22日から27日まで、広島三越7階三越画廊での
       個展がせまり、DMが出来てまいりました。
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       どうぞ、秋の良い日を、広島、宮島観光と兼ねてお出かけ下さり、
       ご覧頂けます様、ご案内いたします



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ジョットの鐘楼 詰めと、 カルページカ村の黄、紅葉 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2016-11-04 23:56 | ・ウンブリア Umbria | Comments(16)
2016年 09月 01日

   ・・・ 大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて ・・・

       皆さま、こんにちは! 
       8月最後に地震速報のアップをしましたが、
       約1ヶ月間のブログ休載のお休みを頂き、再度ここに。

       休載中もブログご訪問、そして応援クリック、
       本当に有難うございました!!!

       ブログ復帰の最初に何を、住んでいる村の緑? 葡萄畑?
       なんぞと考えておりましたが、

       つい先日歴史文化遺産、地震で崩壊した町村の修復に付いて
       レンツィ首相の「元の通りに、元の場所に・com'era, dov'era・
       コメ・エーラ、ドヴェ・エーラ」に、
       年月はかかっても修復する、という基本方針が明かされたのを受け、
       TV画面に一連の町と文化財の修復保存の様子が出ました。
       
       元の通り、元の場所に、というのはよく言われる言葉なのですが、
       今回この言葉がより大きく聞こえたのは、
       7年前のラクイラの大地震のその後が皆の頭にあるからなのですね。

       ラクイラ・L'Aquilaは隣のアブルッツォ州ですが、
       今度の地震被害の大きかったアマトゥリーチェ・Amatriceから、
       51kmほど、車で1時間半ほどの距離にあり、
       7年前の大地震の後、町の修復がいまだ捗々しくない様子。
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       人々は「ニュータウン」と呼ばれる、町の郊外に新しく建設された
       四角いコンクリート長屋みたいな!場所で生活するのを
       余儀なくされています。

       この「ニュータウン」の建設は、かのベルルスコーニ首相が
       強く望んでの建設だったそうですが、
       その後すぐにテラスが落ちたりの欠陥建設でもあり、
       町の人々の意識から大きく外れたものだったのですね。
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       それで尚の事、この度の「元の通りに、元の場所に」が
       大きな響きを持ったという様子です。

       前置きが長くなりましたが、
       それで出たニュース画面で見た写真にとても驚いたのがあり、
       歴史遺産や町の修復保存に付いて考えるきっかけとなり
       今回はそれをご覧頂きたいと思います。

       まず過去の大きな地震、写真が残っているものでは、

       1908年2月28日に起こったマグニチュード7,2の大地震、
       引き続く津波とで10万人もの死者が出たという、
       シチーリア島の本土側に一番近いメッシーナ・Messinaと、
       対岸のレッジョ・カラーブリアの被害

       これは地震後のメッシーナの聖堂前ですが、
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       現在はこの姿。 崩壊していた美しい鐘楼も元の姿に。
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       古い写真を探していて、こんなのも見つかりました。
       
       これは1968年のシチーリアの西、ベリーチェ・Beliceの地震後
       最初の食料救助隊が到着した時の模様。
       食料受け取りの容器を持った子供を、先に通そうとする救助隊。       
       ちょっと涙が出そうな写真です。
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       いつの物、どこでかも分かりませんが、こちらも
       クリスさんから、フリウリ地震の時のもの、と教えて頂きました。
       いつも有難うございます!
     
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       1980年11月23日のカンパーニア州のイルピーニア・Ilpiniaでの
       マグニチュード6,5 死者2914名の大地震後、
       救出された犬に喜ぶ人々
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       同じイルピーニアで50年前の1930年7月23日にも、マグニチュード6,7の
       大地震が起きていて、死者が1425名という記録がありました。 




       今回TVニュースで写真を見て驚いたのがこれ!
       1971年のトゥスカーニア・Tuscaniaでの地震で、と聞きつつピンと来ず、
       後陣の上部が崩壊した写真で、あっ、サン・ピエトロ聖堂の後陣!!
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       内部からはこんな様子
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       現在はこの姿で、そういえば確かに、レンガの色が違うなぁ、と
       感じた記憶はあったのですが・・。
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       後陣にあったフレスコ画の破片の写真も見つかりました。
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       サン・ピエトロ聖堂の正面には
       こんな美しい薔薇窓とその周囲の装飾があるのですが、
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       TVニュースでは、この薔薇窓がポコッと落下して残った
       丸い穴の開いた正面壁の写真も見たのですね!!
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       その写真をサイトで探し回りましたが、遂に見つけられずで、
       ひょっとして自分の思い違いか何かかと心配したのですが、
       薔薇窓と後陣の崩壊があった、という記事を見つけました。


       いやぁ、こんなに驚いたのは最近になく
       勿論地震に見舞われたというのは知っておりましたが、
       後陣崩壊、薔薇窓落下、なんぞとは考えもせず、
       正面の扉も鉄柵の扉になっていたのを、色気が無いね、なんぞと・・!

       自分が本当に、素晴らしい聖堂だ! なんと美しい!!
       と惚れ惚れと眺めたのが、
       今回、これは長年の修復師の皆さんのお陰なんだと改めて認識し
       あ、その前に政府の方針による財政補充があるわけで、

       今までは「修復された」というのをイマイチ不足に感じていたのですが、
       今後こんな不敬な事は考えまい!
       今も以前の姿を見れるのを感謝しなくてはいけないのだ!!
       と大いに反省、気持ちを改めるきっかけになったでした、はい。

       サン・ピエトロ聖堂ご案内




       その近くにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の方は、
       鐘楼の上部が崩れていたのは、多分地震かな、と考えており、
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       聖堂の方はどうだったか、と写真を探しましたが、
       上部の薔薇窓などは大丈夫だった様子ですが、
       正面左側が落ちていた様子
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       サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の様子は




       町のほうにも被害があったのでしょうが、その名残もなく、
       サン・ピエトロ教会から見える丘の並びに、
       崩壊したという城の名残の廃墟があります。
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       そして町の修復保存に付いて、今回も何度も言及されるのが、
       フリウリ・ヴェネツィアージューリア州のジェモーナの町。

       1976年5月6日の夜9時、マグニチュード6,1の地震が
       フリウリ一帯を襲い、1000名の死者が出ましたが、
       とりわけ中世の面影を残す美しい町のひとつである
       ジェモーナ・Gemonaの被害が大きかったのですね。
       
       聖堂正面の上部、側壁、そして鐘楼が崩壊し、
       高台にあったお城も崩壊、町の被害も大きかったのですが、
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       しかもこの時の地震は、皆さんが漸くに気持ちの整理も付き、
       なんとか復興に取り掛かった9月になり、
       11日、15日と再度襲ったのでした。

       写真でも、2度目の地震により被害が大きくなったのが分かります。



       現在はこの姿で、町も見事に復興し、美しい古い町の面影を
       伝えてくれています。
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       崩壊した石に番号を打ち、元の様に使えるものは使った、といい、
       ジェモーナの市長から今回の被災地の皆さんに
       我々が出来たのだから、頑張って!というエールも。

       ジェモーナの町の様子



       最後は、今回大丈夫だったアッシジの聖堂の上院の天井部の崩壊。
       1997年9月26日のウンブリアからマルケ州にかけての地震でしたが、
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       2年後に見事に復興となり、現在はこの美しい姿!
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       聖堂の修復の様子なども、こちらでご覧頂けます。


       イタリアも地震国で、今回記載したもの以外にも長~いリストがあり
       ウンブリアの地震後も、2002年には南部モリーゼ州とプーリア州に、
       2009年の、お話したラクイラの大地震があり、
       2012年には、エミーリア・ロマーニャ州でのモデナ一帯での地震
       と続きます。


       今回のイタリア中部の地震の様子をTVで見ると、
       崩壊した建物の中でもしっかり頑張っている建物が明らかで、
       やはり耐震設備は大事なんだ、との思いを強くしましたし、

       カステルッチョやノルチャでも、以前の地震災害の後
       耐震設備を施した家屋がしっかり残っているのが、良く分かる状態。

       今回の山岳部の古い家々は耐震装置が無いものですから、
       大きな地震の前に脆くも崩れており、とても無残!
       再建する時には必ず耐震で、と願います!
       

       今回の地震のあった一帯で、訪れている町、地域の
       以前の美しい様子を、shinkaiの愛しの風景をどうぞ!

       プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など
       今回プレーチの教会、サンテウティツィオ教会共に
       かなりのひび割れが起こった様子。
       http://italiashio.exblog.jp/5661411/        


       ウンブリア一帯の地震で被害を受け、10年後に訪ねても
       まだまるで復興しておらずショックだったのですが、
       その後再度の訪問では復興していた村、
       ロッカノルフィの様子を。 復興には年数がかかります!!       


       こちらも復興に長い年月のかかったカンピの村

 
       ノルチャとカステルッチョを

       カステルッチョの美しさ 1と2

       今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の
       美しい風景を、ジョヴァンニの写真で。


       これを書いている31日お昼のニュースによると、
       アマトゥリーチェのホテル・ローマから、また一人遺骸が
       救出されたそうで、依然として発掘が続いている様子です。


       どうぞ、被災地の皆さんが再び立ち上がり
       何年か後には、崩壊した町や村が元通り、美しく蘇りますように!!



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 夏休みの宿題提出と、 藤沢周平記念館など
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2016-09-01 02:06 | ・ウンブリア Umbria | Comments(6)
2016年 07月 24日

   ・・・ 修道院、地下教会、異端審問所、輪の競走 ・ ナルニ ・・・

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       先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
       今回はちょっと特殊異質な場所へお連れ致しますね。
       
       上の写真は地下教会のものですが、
       この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループで、
       現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
       地下室の新しい発掘にも働いておられる「UTEC」から送って頂いたもの。

       サイトは http://www.narnisotterranea.it/

       内部写真は禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら
       送ります、というので大いに期待してお願いしましたら、
       上の写真を含めたったの3枚!が届き、
       それも雰囲気を盛り上げたキャバクラかと思うような照明のもの!!
       
       がっかりで、ここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しましたが、
       お陰で結構見つけ、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものを
       ここで使わせて頂き、
       サイト名の入っていないのが、拝借した写真です。
       



       先回ご案内した元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場などに
       用いられている、その地下に
       12世紀の地下教会と異端審問所があったのですが、

       現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、
       町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
       こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのに曲がります。
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       一番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、




       広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
       そこで以前の訪問でも見た覚えの、この塔を撮っていましたら
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       一人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せましたら、
       すぐ仲間を連れて戻って来て、ははは、全員でポーズ!
       こうして見ても、性格や将来の顔立ちも分かるようで面白いでしょう?!
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       右上角で笑ってみているのはアンジェラで、
       以前ちょっと書きました、50年前日本からの養蚕指導に訪れた
       松本からの日本人達と、暫く働いたという彼女です。




       広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が
       事務所、切符売り場。
       上の広場からはかなりの高低差
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       事務所から外に出れるようになっていて、その庭からの眺めがこれ
       つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、
       奥の山腹に見えるのは、サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano
d0097427_00164458.jpg
       



       アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、
       ナルニに向って谷底の道を来る途中で見上げる高さに見えましたが、
       10世紀に建設されたベネデッティーノ派の修道院
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       サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真
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       14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、
       16世紀頃から僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、
       建物の衰退も著しく進み、1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
       
       内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、
       時代が混乱するような部分もあり、
       さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか・・。




       遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、
       修道院の領地だったという事ですが、

       こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて
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       私はこの花びらの形が柱頭の飾りの形になったと思っていたのですが、



       この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が
       装飾文様に使われたのだそうで、
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       コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り
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       いやぁ、やはり花びらの形も装飾文様になっていたと・・。




       さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
       入り口の様子を一連でご覧頂きますと
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       最後の写真の軒下に見える左側の鉄柵の付いた扉口
       これが発見された地下教会の入り口で、
       上のさし掛け屋根はかって発見された時はなく、
       手前の前庭、この一帯は当時住み着いていた老人の
       家庭菜園だったのだそう。



       つまりです、1979年の5月、青年ともいえない少年の年頃の
       6人が洞窟探検と称し、新しく手に入れたロープの装備を使い、
       左側の高い壁を伝って、この庭に下りたのだそう。
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       第二次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
       きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。

       所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていた
       エルナーニ・Ernani の上に舞い下り、畑を荒らした少年達に
       老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
       エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っている!と。

       上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、
       今でこそ張り出しの屋根も付き、鉄柵も装備されておりますが、
       当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し開いていたのだそうで、
       エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、自分は潜りこむ気もなく、
       少年達に教えたわけですね。




       これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループ
       UTECの創立者でもある、ロベルト・ニーニ・Roberto Nini
       が一番の年長で20歳だったそう。
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       このロベルト・ニーニは、リンクしますあれこれの
       Youtubeに登場して、地下教会や異端審問所に付いての
       説明をしておられる方で、
       彼はこの後大学に進み、考古学を修められたのだそう。
       ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする
       歴史の謎が、彼の一生を決めたという事ですね。




       潜り込んだ少年達が見つけたのはこの地下教会!
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       たっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が上から浸み込み、滴り、
       発見された当時は、上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、
       それでもフレスコ画に描かれた左右の天使の目が射る様に見えたと。

       左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、
       発見されて後12世紀建設のこの教会は改めて聖別を受け、
       サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと呼ばれますが、
       元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
       分かったのだそう。




       少年たちは周囲の壁を叩き音響の変化を探り、
       ある部分の壁の奥が空白であるのを知り、崩したく焦りますが、
       隣に住んでいる住人のシニョーラが、自分の家にも被害が
       及ぶのを恐れ許しません。

       で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行。
       するとその奥に、長い細い通路が口を開け!!
       

       その通路の先には広い地下室があり、
       それがかっての異端審問所であった事が分かったのですね。
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       異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを
       審問する所、その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
       恐ろしい事は、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も
       拷問を受けたこと!

       ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった
       地図で分かったと言いますが、

       ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
       右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、は、
       ここに残っていたものではない、という事でしたが・・。

       に、拷問の図も出てきます。
       



       そして審問兼拷問所の横にある、そう広くも無い独房がこれ
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       壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
       
       これの殆どを掘り込んだ人物は、
       Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・アンドレーア・ロンバルディーニ、   
       と彼自身が刻んでおり、
       彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
       意訳して、カトリック教会での最高権威を持つ(事務所)とでも?
       に勤める伍長で、
       逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
       



       一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
       その左右に IL PARA   TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
       にも見えるように、わざと D の字が省かれ、T で置き換えられています。
 
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       これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
       自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
       D を意識し、憎み、省いたものだろうと。

       R が我々には V かとも見えますが・・。
       引っかき削り込んでいて、赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。

       中には、シンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた
       観光客の一人が、あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたり、
       とにかく全部の壁一面に広がっておりますが、未だに書かれた意味が
       判読できないものもあるそう。

       4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、
       彼がこの独房で過ごし、取調べを受けたのは
       約3ヶ月間だったろうといい、その後特赦を願い3年後に許しが出て、
       その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。

       彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが、
       10年ほど前に分かったそうで、
       独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、
       の名前が見えるそう。

       
       そして彼の他にも一人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・
       Domenico Ciabocchiで、1726年の4月重婚罪で逮捕され、
       この独房に入れられたのが、看守を絞殺して逃げます。

       逃げた後どうなったかを、ガイドさんが話してくれましたが、
       逃げたものの2人目の妻が恋しく便りを出し、ははは、
       勿論ちゃんと見張りがついていて、会う約束を教皇領との境の町にして
       返事を出し、やって来たのを再逮捕した、という事。

      
       この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり
       1860年にイタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し
       修道院を略奪したので、ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡
       老人達の言い伝えで、町に地下があると言われていたものの、
       誰も見た事がなかったのを6人の少年達が見つけ出した訳です。

       つまり新しいイタリア国が出来る直前まで、19世紀まで!
       我らが中世の歴史の1つと思い込んでいた
       あのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!

       という事は、
       きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
       ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。

       
       そして重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが
       見つかったのだそうですが、
       全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
       トリニティー・カレッジの図書館から!

       これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては
       ちょっとした鳥肌物の因縁話の様にも感じられたろうと思うほど
       興味深い話なので、ここにご披露しますね。

       つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、
       しっかりパリに持って帰っていたのを、
       ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
       大したものではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
       一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
       
       それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていた、というのも、
       一学生がここの見学に来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると

       ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか
       稼いでは保存費用、新しい発掘に使っているのだそうで、
       到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
       ヴァティカン古文書館でコピーを頼むと、1枚80エウロなんだそうで!
       半ば諦めていたのが、
       ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!
       それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、

       漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に
       地下の異端審問所の働きが明らかにされた事になります。

       Youtubeはイタリア語のみで、説明も重複しますが、
       2つ目のには、町のご案内もありで、

       町のみのご案内は




       長々とお話しましたが、
       他の地下室を利用しての展示もされており、
       その中のひとつ、
       ちょっとこれは見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を
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       真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、     
       その建設などに使ったものがこれ。
       上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり
       これを支柱の後ろから眺め、真っ直ぐの位置を決め、
       先行する杭打ちに指示したというもの。

       そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな
       美しい道が出来たのですね。




       こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、
       中央にしゃがんでおられるのが、ロベルト・ニーニ氏
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       地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間
        6月15日から9月15日まで
         月曜~金曜12時と16時  土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
       
        4月1日から6月14日  9月16日から10月312日
         土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半

        11月1日から3月31日
         土曜 15時
         日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分

         クリスマスは休館

        ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイドですが、

        日本語は・・?


        予約は 333.1041645 または 0744-722292

        info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事





       地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見
       写真なし、うろつきなしで、こういう柱の壁画などは見られず・・。
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       今回は少し重いお話が続きましたので、
       最後は、毎年5月に行われるナルニの町を挙げてのお祭り
       「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧頂きますね。

       これは中心通りで繰り広げられる「中世の市」
       様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?
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       「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、
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       これは2015年のものですが、余り手振れが無いので、




       美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。
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       競技の模様を2枚
       吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、
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       競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
       競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。
       済みません、詳しく読む余裕がなく・・。




       勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、
       ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!
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       最後は落穂ひろいを、ははは。
       先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
d0097427_00281317.jpg
 
       1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたのを見つけました。
       ルーヴルに収蔵されているようですが、

       なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
       私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。
       今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
       現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?

       それにしても遥かフランスから、ウンブリアの南のナルニまで、
       あの当時どの位かかって辿り着いたのでしょうか?!
       その画家魂に、敬意を表しますです。


       という、ナルニのご案内その2でした。
       お楽しみ頂けました様に!



     ◆ 嬉しいご案内を ◆

       皆さんは「ルネサンスのセレブたち」というブログをご存知でしょうか?

       ルネッサンスのみでなく、ローマ期の歴史も含め、様々な人物や
       絵画、歴史上の事柄に付いて詳細に書かれているブログで、
       書き手はCuccila・クッチョラ・子犬さんと仰います。
       この名はイタリア人のご主人が、小柄な奥さんに付けられたとか。

       ブログの最初からファンになったのですが、
       しっかりした文章、内容、そしてローマ大学に留学され
       勉強された事なども知るにつけ、
       いつか必ず何かを成し遂げられる方、と思い、
       遠くから、頑張って下さい!とエールを送って参りました。

       彼女とは未だお会いした事なく、メールで時々のやり取りなのですが、
       それでもお付き合いはもうかなり古く、
       暫くしてお生まれのお嬢ちゃんが、この秋から小学校に!
       というお付き合いです。

       その彼女がどうやらウェブ・マガジンの書き手となったらしい、
       というニュースを知り、メールをしましたら、
       暫く前にお返事を頂き、
       
       講談社の Courrier  クーリエ・ジャポン
       というウェブ・マガジンに記事が既に記事が2つ掲載された事、

       「薔薇の名前」のウンベルト・エーコの遺言に付いて
 
       イタリアの「観光できない楽園」をめぐって

       偽イタリア産食品に気をつけろ
       
       これ以外の新しい記事は、署名が出ないので探しようがなかったのですが、
       新しい記事も既に載っているのかもしれません。

     
       そして別のウェブ・マガジン CIRCUS には

       ダ・ヴィンチの食堂 第1回 天才達の食事情   
       雑誌は月刊のようで、アドレスで出なくとも、
       右のカテゴリ欄「最近の記事」から読めます。
       
       第2回 美食の国イタリアの給食あれこれ
       と載っているのを拝見できました。

       こちらは署名入りですし、「ダ・ヴィンチの食堂」で
       調べられますね。

       Cucciolaさんのファンの方、またそうで無い方も、
       どうぞ彼女のブログ以外の記事にも、ご訪問お願いいたします


       cucciolaさん、遂にご自分のされたかったお仕事を始められ、
       本当におめでとうございます!!

       現在されているお仕事、お家の事、そして子供さんの事、
       様々にお忙しい日常の中で、別に調べて書く仕事が増えるのは
       大変だろうと思いますが、
       幸いご主人が協力されて下さっていると知るのも、心強く、

       ご自分の念願に向って、次なる飛躍に向けて
       体調にお気をつけ、大いに頑張って下さい、と応援いたします!!

       フレー、フレー、クッチョラ!!
       


     *****

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by italiashiho2 | 2016-07-24 00:43 | ・ウンブリア Umbria | Comments(10)
2015年 08月 10日

   ・・・ ノルチャと、モンテ・シビッリーニ国立公園周辺あれこれ ・・・

       先回に引き続きジョヴァンニ・Giovanni の写真で、
       ウンブリアはノルチャの町のご案内をちょっぴりと、
       ジョヴァンニ達が泊まった大平原近くの山小屋周辺の風景
       高原の花や蝶の写真、 Grazie Giovanni!!
       そしてちょっと珍しい話題、と思う、もののご紹介です。
     
d0097427_00550443.jpg
       先回のジョヴァンニの写真を、いつも私めのを載せている
       大きさと画質で最初アップしましたら、
       何でこんなに小さくしたの? 質が落ちた感じがするけど・・、
       と言って参りましたので、途中で大きめに、画質も上げてアップ!

       という訳で今回も、大きめ画質もアップで参ります。
       先回のを最初のうちに見てくださった方、
       前のも見直してあげて下さいませませ!


       上のトップ写真は、ノルチャ・Norciaの町の中心にある
       広いサン・ベネデット広場
       左がパラッツォ・コムナーレ・Palazzo Comunale
       元は14世紀のものだそうですが、残っているのはポルティチ部分で、
       19世紀の地震の後に再建されたものだそう。

       右がサン・ベネデット聖堂・Cattedrale di San Benedetto.

       写真左端に切れている像は、広場の中心にあるサン・ベネデット像で、



       こういう感じ。
d0097427_00552194.jpg
       聖ベネデットは480年にこのノルチャの町の生まれ、
       双子で、妹はサンタ・スコラスティカ・Santa Scolastica、
       初めて修道院の規律を作り上げた方で、ノルチャの町のみならず、
       ヨーロッパの守護聖人されている方。




       サン・ベネデット聖堂の正面
       扉の両脇の2つの像が、サン・ベネデットとサンタ・スコラースティカ。
d0097427_00553883.jpg
       この聖堂は元は中世で、14世紀に大改造されているそうですが、
       伝承として、この両聖人の生家の上に建てられた物とされており、
       地下のクリプタで生家跡が見られます

       この地下の生家跡も、聖堂脇にある穀物売り場のロッジャで見た
       当時の秤も、いつかと思いつつご案内してないのに今回気がつき・・。
       



       これはジョヴァンニが、サンタ・マリーア教会の聖水盤、として
       送ってくれた写真なのですがぁぁぁ、
d0097427_00560831.jpg
       ヴィッソのサンタ・マリーア教会の入り口や、中のフレスコ画の
       写真をノルチャとして送ってくれたもので、はぁ、
       私はざっと見たのみで気がつかないまま先回のヴィッソにも含めずで・・。

       このノルチャにもサンタ・マリーア・アルジェンテア教会があるので、
       そちらのかと思っていたのですが、
       間違いが分って後、2つの町の聖堂、教会の写真を探し回りましたが、
       この聖水盤がどこのか分りません!
       ですが、大変美しい素晴らしい物だと思いますので、ここに!




       ノルチャの町はサン・ベネデットの生まれた町としても有名なのですが、
       それ以上に有名なのが豚肉加工品なのです。
       町の通りにはこういう店がずらっと立ち並んでおりまして、
d0097427_00562490.jpg
d0097427_00564191.jpg



       こんな風に、palle de nonno・お爺ちゃんのたまたま、とか、
       cojone de lu mulu(ノルチャ訛り)・ラバのキXタマ・・!!
d0097427_00565687.jpg
       

       ノルチャの旨い物として、こちらに詳しく、ははは。




       銅製品の店が広場の一角にありまして、
       shinkaiめも同じこの鍋の並びを撮った事が、ははは。
d0097427_00571338.jpg



       ジョヴァンニ達はノルチャには半日行っただけだそうで、
       写真の数も少なかったので、

       次に、大平原に近い山小屋周辺の写真をご覧下さいね

       まず地図をどうぞ
       左上にカステルッチョ・Castelluccioとノルチャ・Norcia、
       緑枠で囲ったのがピアン・グランデ・大平原。
       赤点2つの下が、彼らの泊まったというアルプス兵の山小屋
       上の赤点が、この山小屋から2時間かそこら歩いて辿り着く
       ピラートの湖・Lago di Pilato.
d0097427_00572560.jpg
       ピラートというのは、キリストに死刑判決を下した
       ポンツィオ・ピラート・Ponzio Pilatoの事で、

       以前この大平原に行った時に彼の名前を読んで以来気になっていた
       この湖と、彼の生家について今回好奇心からちょっぴり調べました。

       で、地図の右下に見えるアブルッツォ州テーラモ県の
       ビゼンティ・Bisenti に彼の生家と言われるのが・・。




       ではまずサイトからの写真で、雪に埋もれた山小屋
       Rifugio degli Alpini・標高1560mを。
d0097427_00574092.jpg
       サイトはこちらに

       ジョヴァンニの話を聞きましたら、
       今頃はアルプス兵の山小屋といっても、普通の山小屋と変わらず
       ちゃんと個室になっているのも多いのが、
       ここは大部屋10人で、2段ベッドだったそう!

       それも2段ベッドの上がり下がりに必要な梯子がなく、ははは、
       よじ登り、下りにも時間がかかり、
       ベッドの上のが寝返りを打つと、下のベッドも揺れるという・・!




       ただし食事は大変美味しかったそうで、 この写真はサイトから、
       ハム類、チーズ、そしてレンズ豆のスープや付け合せ、
       肉の焼いたのやら色々で、
       1泊2食付40エウロだったそう。
d0097427_00581337.jpg



       サイトで山小屋の写真をあれこれ探していましたら、
       こんな狐君のが何枚か。
       これは夏の写真のようですが、雪の山小屋の入り口か、
       灯りがもれる中に座っている、多分食料依頼、がありました。
d0097427_00582726.jpg



       さて、ジョヴァンニの写真による、山小屋からの夜明け。 
d0097427_00583923.jpg



       山小屋のある場所は、フォルカ・ディ・プレスタ・Forca di Presta
       と言い、フォルカと言うのはフォーク、
       つまりUの字型に山がえぐれる場所を指し、
       こんな風に大平原が見えたのだそう。
d0097427_00585454.jpg



       道の奥右に見えるのが山小屋、だそう。
       大平原から上ってきた山道で、
       shinkaiも通ったアスコリ・ピチェーノへの道から少し分岐した場所と。
       奥に見える山肌が凄いですよねぇ!
d0097427_00591257.jpg



       山小屋からのパノラマ
d0097427_00592905.jpg



       こちらが奥にあるピラートの湖に向う方面と。
d0097427_00594527.jpg
d0097427_01000298.jpg



       上のような山の道を2時間か2時間半歩いて見れるという、
       ジャ~ン、これがピラートの湖! 標高1.941 m.
d0097427_01001834.jpg
d0097427_01003492.jpg
       上の写真はまだ雪が残り湖も繋がっていて、
       下のは、なんとタイトルが「ピラートの目」!! ははは。
       右上の盛り上がりが、モンテ・ベットーレ。
       手前側のもう一つの山の峰との間に挟まれており、
       長さが約900m、幅が130mほど、水深は8~9mと。

       場所の神秘さといい、この水の色といい、なんとも凄い湖ですが、

       なぜローマ帝国第5代ユダヤ属州総督ポンツィオ・ピラートの名が
       この湖についているのかですが、
       最終的に住民達から直訴され罷免されたピラートは、死刑判決を受け、
       その遺骸が水牛に引かれるままにここに来て、湖に落ちた、
       という伝説があるのだそう。




       それにしても1世紀に生きた人物の名がこうして残っている、
       というのに、最初はひどく驚いたのでした。
       ハリウッド映画の中で、キリストに判決を下したのち手を洗う、
       そんな人物の名にこのウンブリアの大平原で出会う、なんて、ね。

       そしてずっと昔、子供向けの雑誌でピラートの生家は、
       というのを読んだのが肝心の場所を忘れてしまっていたので、
       湖があるなら、この辺りだったのだろうか、と調べてみたのです。

       最近の研究で、多分、ここで生まれたと言うのが確からしい、
       という記事も見つかり、

       はい、こちらがアブルツッオ州テーラモ県ビセンティにある
       ピラートの生家と呼ばれているもの。
d0097427_01005181.jpg
       その後の何世紀間において改装されてはいるものの、
       それでもローマ期の住居の特徴を良く残しているのだそうで、
       無くなっているのは中央の入り口と玄関ホールで、
       部屋に明かりを与える中庭は完璧に残り、地下に雨水をためる井戸も。

       ずっとピラートの家と呼び習わされてきた物の確証が無かったのが、
       近年の研究者によって、土地の教会との間に交わされた文書から、
       多分ビゼンティ・Bisentiが生まれた町であろうと、
       半ば確認されつつある、という事でありました。




       では、最後は山小屋周辺で撮ったというジョヴァンニの写真で、

       アザミと、てんとう虫
d0097427_01010820.jpg
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       そして、蝶のあれこれ、美しい!
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       この百合は、こちらではサン・ジョヴァンニの百合と呼びます。
d0097427_01032240.jpg



       ヒヨス・Giusquiamo というのですって。
d0097427_01033958.jpg



       最後は、夜の星空
       月が明るく出ていて、星空が上手く写らなかった、と言いましたが、
       星が皆さんにもよぉ~く見えますように!!
d0097427_01035424.jpg
       でないと、また彼からクレームが来ますので・・、はは、

       美しい!と言うコメントをお寄せ下さいませませぇ!




     *****

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by italiashiho2 | 2015-08-10 01:09 | ・ウンブリア Umbria | Comments(22)
2015年 08月 05日

   ・・・ ウンブリアの大平原のお花畑 と ヴィッソの町 ・・・

       皆様、酷暑お見舞い申し上げます!

       こちらも今週月曜から、天気予報どおりに、はい、
       暑さが戻ってきています。
       先回、申し訳ないくらい涼しい、と書きましたら、
       風邪引かないでね! というお優しいメールが届きましたので、
       暑いです!! ご安心を! ははは。

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       今日はウンブリアの奥の大平原
       ピアン・グランデ・Pian Grandeに咲き乱れる花の写真を
       ジョヴァンニ・Giovanniが送ってくれましたので、
       せめてもの酷暑お見舞いにご覧下さいね。
       Grazie Giovanni!!
       
       まず上は平野の中程、東側から見た平原の様子と
       平野の北側に半ば突き出す形の山の上にある、
       標高1452mに位置するカステルッチョ・Castelluccioの町.



       ジョヴァンニ達は7月3~5日に行ったのだそうで、
       ちょうどこの時期、6月から7月にこの平原に花が咲き乱れるのですね。
       
       上の写真、そしてここにも見える黄色い花畑は、
       名高いカステルッチョのレンティッキエ・レンズ豆の畑
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       カステルッチョの村はこんな風に
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       平野の東側に悠然と広がるヴェットーレ山・Monte Vettore
       標高2478m. 
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       大平原という名に相応しい平原の広さで、15平方km
       細長い畑がかなりの高さにまで広がり、
       放牧の羊や牛、馬達の群れも幾つもが平野のあちこちに。
d0097427_04114803.jpg




       さて、お待たせいたしましたぁ!
       ここから花畑の写真が続きますが、
       赤色はポピー、白はデイジー、青紫は矢車草で~す
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       この平原は、太古には湖だったのが干上がったのだそう!
       標高約1350mに位置するので冬の寒さは厳しく、
       マイナス30度前後にも達するのだと!
       その分、春の訪れる5月の末から7月にかけて一斉に咲き出す花は 
       見事で、世界各国からのカメラマン達も集まるのですね。

       追記です。 ジョヴァンニが書いてくれたのですが、
       これらの花々は、土地の所有者達の話し合いにより、
       化学肥料などは一切使わず、自然のままに任せているのだそう。
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       もう一度カステルッチョの村の眺めをどうぞ
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       優しいジョヴァンニは、shinkaiにも良く分るようにと、ははは、
       レンズ豆の袋の写真まで送ってくれましたので、はい、皆さんにも!
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       shinkaiのカステルッチョのご案内、その1と2
       
       そしてこちらにも。




       地図をどうぞ。
       カステルッチョはウンブリアの南東の端に位置し、行き方は
       スポレートから東にノルチャ・Norciaにでて山を越すか、
       真っ直ぐ地図の北に見えるヴィッソ・Vissoまで行き山を越えるか
       の二通り、
       アドリア海岸からだとマルケ州のアスコリ・ピチェーノ経由です。
d0097427_00282756.jpg
       今回ジョヴァンニ達は、アルプス兵の為の山小屋・Rifugio degli Alpini
       に2泊したのだそうで、
       緑で囲った大平原から、と言うより、カステルッチョから約7kmの位置。

       山小屋周辺で見かけた花や蝶の写真、そしてノルチャの写真も
       送ってくれましたので、これは次回にご覧いただきますね。
       ・・と、shinkaiも夏休みが出来るという事になりますし、うふうふ。




       で、今日は「イタリアで一番美しい村々」にも選ばれている
       ヴィッソの町の写真も送ってくれましたので、
       ちょっぴりご覧下さいね。

       町の中心にある教会の鐘楼、尖がりの屋根が珍しく石造りなのと、
       山上に見える要塞の塔
d0097427_04165365.jpg




       町には中世の面影を残す古い石造りが多く残っていて
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       写真を見つつ、5年前に訪れて歩き回った時の記憶が蘇り、
       ああ、あそこだ、ここだと、とても懐かしかった!
       イタリアの町の、街の良さは
       何十年経っての再訪でも変わらない姿を見せてくれる事!!




       細い、でもかなりの水量の川が町の脇を流れ
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       この泉の写真が唯一、場所が分らなかったのですが、
       またジョヴァンニに聞いてみましょう。
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       古い建物の横を細い小路が通り、曲がりくねり
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       この細い真っ直ぐの小路も懐かしい!
       小路の真ん中が低くなっているのは、雨水が流れる工夫です。
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       今回の彼の写真は、かなり光と影を意識した様子
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       ここも懐かしいですが、花鉢が減ったような・・!
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       今回のヴィッソの写真で一番気に入ったのを最後に
       素敵でしょう?!
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       如何でしたか?
       写真に対してのご伝言をいただけると彼が喜びますので
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       作品集 目次ページ の new! とでている項目分けからでも、
       右のカテゴリー欄の 作品集の各項目 からもご覧頂けます。
     
    

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by italiashiho2 | 2015-08-05 00:38 | ・ウンブリア Umbria | Comments(20)
2015年 07月 16日

・・・ ヴィア・アックエドット・水道橋通りと、エトルスコ門 ペルージャ ・・・

       毎日暑いですねぇ!!  いかがお過ごしでしょうか?!
       梅雨明けも間近と思いますので、
       皆さん、体調にお気をつけてお過ごし下さいね!

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       今日は5月に再訪したペルージャの中世の、といっても
       この歴史の長い街にはローマ期以前の遺跡がたくさんあるので、
       中世くらい何さ、という様子ですが、はは、

       中世の水道橋・アックエドット・Acquedottoが現在もそのまま
       通り道として残っている場所、
       初代ローマ皇帝アウグストの名も冠されているエトルスコ門
       そしてちょっぴりパオリーナ要塞の中を、
       という具合のご案内です。

       まず上は、街の中心広場クワットロ・ノヴェンブレに面した
       ドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzo




       ドゥオーモ入り口部分とその右側
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       入り口脇にある説教壇
       今回初めてここの装飾コジマ式のモザイクに気がつき!
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       聖堂上部は装飾が未完ですが、下部の白にピンクの色が
       とても優雅で、ピンクの石はアッシジ産と。
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       内部にも入りましたが暗くて、祭壇部のみ撮り
       左下にカメラ禁止マークが出ているのも、
       暗いので見えなかった事に、ははは。
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       ご案内した美しい壁部分は実は聖堂脇部分でして、
       右に回ったダンテ広場・Piazza Danteに面している、
       こちらが聖堂正面
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       聖堂は、ここに以前あった969年建設の古い聖堂跡に造られた物で、
       1345年に最初の石が置かれますが、
       実際の建設が始まったのは1437年と。

       上の写真に見える美しいゴシック様式の扉は16世紀、
       脇の説教壇は15世紀初めの物、
       最初の写真に見える左端のロッジャは1423年に、
       モントーネ・Montoneの名高い傭兵隊長ブラッチョ・フォルテブラッチョ・
       Braccio Fortebraccioが寄進した物なのだそう。

       街の他の建物、そして聖堂前にある美しい泉・
       フォンターナ・マッジョーレ・Fontana Maggioreについて、
       も少し詳しくこちらに。     




       聖堂前から見るプリオーリ宮・Palazzo Priori と
       フォンターナ・マッジョーレ
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       で、今回は水道橋を見るのが目的でしたので、
       聖堂前を西に行き、この素晴らしく高く威圧的な門を抜け
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       門脇にあった泉
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       地図をどうぞ。 
       真ん中下にドゥオーモ・Cattedrale di San Lorenzo があり、
       そこから北西にバス停のある4つ角に。
       そして、広い道を真っ直ぐではなく、右の小路Via dei Baldeschi
       ヴィア・デイ・バルデスキを行き、
       赤点を付けた建物の下を潜るアーチを下ると、
       水道橋の道・ヴィア・デッラクエドット・Via dell'Acquedotto.
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       もう一つの目的のアルコ・エトルスコには、元のバルデスキ通りに戻り、
       そのまま下ると行き着きます。




       ここがヴィア・デイ・バルデスキから下る道の入り口で、 
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       アーチの上はこんな高い建物!
       5~6階建てのこんなのがペルージャには多く、
       田舎暮らしにすっかり慣れた身には、いつもかなりの威圧感を、ははは。
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       ぼちぼちと低い石段道を下り、中程に見えて来るのが水道橋通り
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       目の前を横切るアーチ上の道が、
       地図に見えるチェーザレ・バッティスティ通り・Via Cesare Battisti
       この道を右に行くと、やはりアルコ・エトルスコ前に。 

       見ている前をちょうど真っ赤な観光客用バスが通り、
       説明の為に暫し止っておりまして・・、はよう、いかんかぁ。




       そうなんです、昔々雑誌で、はたまた近年はサイトで、
       この水道橋の写真を見て、ずっと一度実際に見たいと思っていた風景!
       そして奥の古い背の低い建物群
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       今下って来た道は、ヴィア・アッピア・Via Appiaといい、
       こんな風に接続し、
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       ほら、意外に横幅が広いでしょう?
       そして、こんな風に奥に続き、人々が普通に通って行きます!
       現在残っているのは、あの奥辺りまで。
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       真ん中部分の橋に接した建物の壁に、この標識
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       実はshinkaiめは、この水道橋がローマ期の物であると
       思い込んでおりまして、昔々雑誌でそう刷り込まれたもので、はぁ、
       所がおっとどっこい、今回最初に書きましたように、
       これは中世13世紀の物と、今回このブログ書き用で知ったという訳です!
       
       1254年に街の議会は北のモンテ・パチャーノから、ドゥオーモ前の
       グランデ広場(現在のクワットロ・ノヴェンブレ広場)まで
       水道橋を通し、広場に泉・フォンターナ・マッジョーレを作る事を決定。

       1255年から工事にかかりますが遅延し、工事終了は1280年、
       ちょうどこちらも建設が終わったフォンターナ・マッジョーレから
       水がほとばしったのは1280年2月13日の事だったと。

       つまりこの水道橋は、あの美しい泉に水を供給する為に建設された訳で、
       全長は5Km弱、建設工事も長引いたのですが、
       出来てからも水泥棒、破壊工作とその保全問題が絶えずで、
       最後は1799年、これがどうやら大きかったらしく、

       ついに別の水確保をし、19世紀になってからこの最後の部分を
       歩道として残したのだそう!

       私は「水道橋」という言葉に、街の人々に水を運ぶというロマンも感じ、
       南仏で見たあの美しいローマ人の造った水道橋ポン・デュ・ガール
       思い重ねていたのですが・・。

       とはいえ今回あれこれサイトの記事を探しながら読み、
       少しずつ分って来たのが例によりとても興味深く、
       現在もモンテ・パチャーノの一帯には、湧き水を貯めるための
       幾つかの地下の水槽、一番大きなのは長さが500mもあり、
       現在は博物館になっている事なども知り、面白かった。

       それにしても、街の中心に大きな美しい泉を作り、
       その水確保の為に水道橋を作り水を運ぶ、う~む、
       13世紀当時のペルージャの繁栄振りが分るような逸話ですね!


       南仏の水道橋ポン・デュ・ガール

       フランス全体のご案内はこちらから
       http://italiashio.exblog.jp/i30




       橋の上から振り返り
       水道橋のまっすぐ行きつく先に扉が見えますね、
       あそこは鉄柵の扉になっていましたので、
       あの奥には貯水槽があったのかも!
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       橋の上、チェーザレ・バッティスティ通りから見下ろす観光客
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       日陰まで戻って来て眺めていると、植木鉢を抱えた若者達が
       坂道をゆっくり上ってくるのが見え、
       近づくにつれ、一人の半パンがひどく下がっているのに気が付き、
       ははは、待つshinkai!
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       ほらね、ははは、せめて黒パンを穿くべきだよぉ、きみぃ!
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       という事で、最後にもう一度眺め
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       アルコ・エトルスコに向います

       坂道の脇には、こんな古い建物類が続き、
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       貼ってあったポスターが可笑しく、
       33年度 全部豚肉 祭り サンテネアの町 4月24日と5月3日
       いかにも肉喰らい人種用ポスター、と思われません?! ははは。
       あ、サンテネアという町はペルージャの南14kほどに。
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       アルコ・エトルスコ・エトルリア人の造ったアーチ・門、
       またはアウグストのアルコと呼ばれるこの素晴らしい街の門を、
       まだ見た事がなく出かけたのでしたが、

       裏側から近づいて見る素敵な石組み、大きな丸みを帯びた石組みが
       なんとも素晴らしい迫力と美しさでまず驚き!!
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       門の外からの全体の眺め
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       ペルージャの街には7つのエトルスクの門があるのだそうで、
       これはその内のひとつで、建設は紀元前3世紀の半ば
       それを紀元前40年に、この街との戦争に勝ったアウグスト・Augusto
       初代ローマ皇帝が改修したもので、それで名を2つ持つわけですね。
       



       アーチの上に、AVGVSTA PERVSIA・アウグスタ ペルージャと見えますが、
       これは昔は Uの字にもVを使っていたからで、
       その上に COLONIA VIBIA・コローニア ヴィビア と見えるのは、
       後の皇帝ヴィビオ・ガッロ・Vibio Teodoriano Galloが
       紀元後251~253頃に付け加えた物と。
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       門の左上に見えるこの台形の塔とロッジャは、ルネッサンス期に
       加えられた物だそう。
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       門の右に回ると、やはり下側はエトルリア人の石組みらしいのが、
       しっかり見て取れ、
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       ぐるっと右回りにチェーザレ・バッティスタ通りが行き、
       街の眺めはこんな風
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       また中心部に戻りお昼を食べ、中心のコルソ・ヴァンヌッチを南に
       この写真は、北向きにドゥオーモの方を見ています。
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       バス停のあるイタリア広場・Piazza Italiaの先に、
       お高そうなホテルがあるのですが、その前にこのおベンツ!
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       先に覗いた若者2人がおお!と喜ぶので何かとshinkaiも、勿論!



       お天気が良すぎて反射であまりよく見えませんがぁ、
       なんとダッシュボードが木製だったのでありましたぁ!!
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       高台にある街の南端にあるのが、パオリーナ要塞・Rocca Paolina.
       16世紀に教皇領となったペルージャの街に1543年に建設の要塞、
       教皇の権力を示す大きな要塞だったのですが、1860年に破壊され、

       現在はこの中にエスカレーターが何層にも付き、
       下の町への連絡道となっていて、

       これはもうエスカレーターを降りてからだったと思いますが、
       こんな感じの細い通路や、広い街中のような場所もあり
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       いま前を行くカップルは、鉄柵の向こうに彼が牢獄に収監、式に
       ははは、写真を撮って喜んでおりましたぁ。
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       という、ペルージャのちょっぴり訪問でした




     *****

       水彩ブログには、 描き初め1点 と 詰めている7月のトスカーナ を
       アップしております。
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by italiashiho2 | 2015-07-16 01:06 | ・ウンブリア Umbria | Comments(11)
2015年 05月 27日

   ・・・ 総集編 ならびに食べた物 その2 ・ ウンブリアの春2015 ・・・

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       先回に続き今日は、ウンブリア旅行の総集編と食べた物の2回目
       アッシジと午前中出かけた近くの町の事など、
       少し長くなりましたが、ごゆっくりご覧くださいませませ!

       まず上は、アッシジに到着の日、コムーネ広場の近くで食べたお昼
       広場のインフォメーションに行く時に、すぐ手前の急な坂道
       ヴィア・ポルティカにセルフ・サーヴィスの店が出来ているのを見つけ、
       急ぐ時にはちょうど良いと、インフォメーションのあと引き返したのですね。

       かなり広い明るい店で、一番奥がほら、窓際の明るい席で、
       左のお皿が、カンネッローニ・cannelloniという筒状のパスタに
       リコッタ・チーズとホウレンソウの詰め物が入ったもの。

       右は茄子にタマネギ、ズッキーニ、ペペローニなどの野菜に
       パン粉をかけてオーブンで焼いたもの
       ゆで卵の一切れに、インゲン豆なども見えますね。
       で、ビールは生を1杯!

       このお店はなかなか味もよく、お値段もそれなりで、
       旅先で待たずに食べれるのには良いと思ったですが、
       ただ昼間だけの営業。



       
       夕暮れ前からサン・フランチェス聖堂前で日暮れを待ち
       ライト・アップの変化を追います。
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       聖堂前の坂道を行ったり来たり、お腹も空いて来るし、
       空の色、明かりの色の変化も逃したくなし、

       ついに広場の前角のカフェに入り、
       オレンジ・ジュースとトルタをね。
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       すぐ横の窓からは聖堂と空が見えるし、夕暮れの空を
       追いたい時は、いつも夕ご飯とのジレンマ!

       店にはレストラン部分もあるのですが、この季節まだ開いておらず、
       その後もう一度店に行きビールを頼み、ついでにカウンターに
       あったオリーヴを少し貰いましたっけ、ははは。

       ホテルに戻ってから、持参していたクラッカーと干し果物を
       かじりつつ、これも持参していた赤ワインをちびちび。
       そう、備えあれば憂いなし、ははは。




       この日の最後、とっぷりくれた夜空に浮かぶ聖堂
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       翌日午前中は、アッシジの町の坂下にあるサンタ・マリーア・
       デッリ・アンジェリ・Santa Maria degli Angeliの聖堂に。

       何度も横を通りつつ、この如何にもの大聖堂を敬遠していたのですが、
       行って見ない事には話にならないと改心し、はい。
       
       聖堂の横からの眺めと正面
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       中は想像していた様に写真禁止で、サイトから拝借で、

       内部にはポルツィウンコラ・Porziuncolaと呼ばれる小教会、
       聖フランチェスコによって修復された3番目の教会といわれ、
       ここで彼は1226年に亡くなります。
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       勿論当時はこの様にフレスコ画で装飾されてもいなかったのが、
       16世紀教皇ピオ5世により、保存保護する為に現在の大聖堂が、
       ポルツィウンコラを内蔵する形で建設されたと。




       (サンタ)キアーラも俗世を捨て、家から逃げてフランチェスコの
       下に来たのがこのポルツィウンコラだったと言われ、
       アッシジの聖堂に次ぐ一大巡礼地で、

       聖堂前の広い広場の脇には、ずらっとスーヴェニール店
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       暑い暑い日でして、レストランに行く気にもなれず、
       横道を入った所のバールにメニューが出ていたので、
       野菜スープと、小ピッツァを。
       車で行ったので、自粛してお水のみ。
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       アッシジ2日目の6日午後から、
       いよいよお祭りの公演が始まりまして・・、1枚だけね、ははは。
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       公演は午後3時か3時半に始まり、その後の夜の公演も
       今回は2回ありましたし、
       朝、近くの町に出かけるのにはちょうど良いのですが、
       時間には戻ってこないといけずの制限つき。




       この日の夕食は、鱈のサラダとビール
       鱈の小さな切り身にトマト、カッペリ、アッチューゲ、
       黒オリーヴ、サラダ菜とルーコラだったと思うのですが、
       これがさっぱりでとても美味しかった! 
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       翌日午前は、アッシジの町から30分もかからない
       スペッロ・Spelloの町に。

       町のコンソラーレ門・Porta Consolare、ローマ期からの主要門
       ですが、現在門の下のローマ期の遺跡の修復で通れず、
       脇のちょっと先から町の中に。
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       以前来た時はちょうどお昼で閉まっていて見れなかった
       サンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggiore内の、
       礼拝堂のピントゥリッキオ・Pinturicchioの美しい壁画もしげしげと。
       
       優美で美しいピントゥリッキオの絵は好きでして、
       余り画家本人の好みの美人の癖がなく、ただただいとも美しい、
       というのが好きなのかもですが、はい、
       傍に目を寄せじっくり見ると、やはり素晴らしく上手いのですよねぇ・・!
       と、当たり前の事を改めて発見、楽しみました、ははは。


       爽やかな緑の並木道の下のカフェで
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       ファッロ麦のサラダを。
       ほら、ナイフが緑を映しているでしょう?!
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       ファッロ・farroはスペルト小麦と出ましたが、言葉はわかってもね・・、
       むちっとした歯ごたえの大き目の麦で、夏のサラダによく使われ、
       トマトにルーコラ、オリーヴなどが入り、
       上からパルミッジャーノ・チーズの削ったのと、バルサミコ酢。
       美味しかったですが、量が少し多めかな、shinkaiには。




       この頃はカフェを飲まなくなったので、
       最後はオルゾ・大麦の代用カフェをね、ははは。
       勧め上手に乗せられお菓子を一つ取り、
       外はさっくりの、中にクリームだったと。 
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       お客にはとても愛想がよかった若いカップルの店主たち。
       でも店の主導権争いでの何度もの些細な口げんかを眺めつつ、
       あれこれ勝手に想像しながらのお昼も楽しかった! ははは。




       町は山に沿っての高所に広がり、
       上から眺める古いサン・クラウディオ教会・San Claudio.
       帰りに寄りましたが、やはり閉じていて。 
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       戻りにもう一度、コンソラーレ門を。
       朝は陰の中だったので、帰る頃には光の当り具合が
       ちょうど良いだろうと思っていた通り。 
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       このスペッロの町はインフィオラーテ・Le infiorateと呼ばれる
       花祭りで有名な町で、今年6月6・7日のポスターも見え。
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       お祭りは、広場とか道に花弁の色を使って図柄を描くもので、
       実際に見た事はないのですが、写真で見ただけでも、
       そのデザインの細かさ、中間色の繊細さなどに驚きましたっけ。

       ウンブリアのお祭り、皆広場へ

       スペッロの以前のご案内は




       この日は午後の公演の後、町の一番の高所にある要塞に行き、
       夕陽から町の灯がともるまで粘り、薄暗くなった石段、坂道を
       降りて来て、遅めにレストランに。

       一人で、はたまた遅めにレストランに行くと
       どの席に座らせられるか、ええ、大体真ん中の空いた席で、
       壁際の席から埋められて行きますから。
       余り落ち着かなくとも、照れるほど若くもなし、ははは。

       この日食べたのは、初めて出会ったパスタで、それも初めての味!
       パスタの名はストロッパプレーティ・stroppapreti
       直訳すると、坊主の首絞め、とでも、ははは。
       そうそう、見えているのは黒ビール
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       ピーチと呼ぶトスカーナやウンブリアの太いウドンの様な
       パスタがありますが、これは美味しくて大好き、
       それを2本合わせた様な感じで、5-6cmほどの長さ。

       つまり食べにくいので、大喰らいの僧侶などが急いで食べると
       喉に詰まるさ、という悪口から来ているのだそうで、
       このパスタがあるのは中部イターリア、つまり教皇領のあった土地!

       で初めての味と書いたのは、今まで食べた事のない味でして、
       ご覧の様に上にタルトゥーフォ・トリフがかかっていて、
       ぷ~んと良い香り! うひひ。

       ですが、一口食べた時、甘い!と思ったのですね。
       甘い味のパスタなんて想像できます?
       白くぶつぶつ見えるのは、リコッタ・チーズでして・・。
       喉には詰まりませんでしたが、ははは、
       初体験の不思議な味のパスタでしたぁ!

       ・・もう一度食べたいパスタか?
       ええ、トマト味のパスタなら、美味しかろうと思いますです。
       



       一緒に頼んだ野菜のグリルも、上からチーズがヴェールみたいに
       薄くかかり、余計な事をと、ははは、除けて食べましたが・・。
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       てな事でこの日の最後は、グラッパ酒でお口直しを、ははは。
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       翌朝は、サン・フランチェスコ聖堂から下って来た所の駐車場、
       私めも5日間停めていたサン・ジョヴァンニ・パオロ2世駐車場の
       すぐ横から階段を下りての道、上でご紹介した
       サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ聖堂に続く煉瓦敷きの
       道を行き、この参拝道に敷かれたレンガには、
       寄付した人々の名が刻まれており、聖堂まで4kだそう、

       その道脇のこんな泉を見に
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       現在は飲み水には使われていませんが、かっては参拝客用だったのか、
       由緒正しい泉の姿で、木々の背後には無人の農家が見え、
       道を往き来する人も余り見ない現在、3つに区切られた水槽の
       かっての使い方をあれこれ想像し・・。

       山腹に広がるアッシジの町は、きっと湧き水が豊かだったのでしょう、
       ヴェネツィアで見る様な町の広場の井戸は見かけません。
       コムーネ広場のすぐ下とかその先にも、大きな水槽の様な泉や、
       噴水式の泉、そして小さな水飲み場とかで、
       この町の泉についても、ちょっと知りたい気持ちです。




       こんもりと茂った木々からの木漏れ日に、
       ちょろちょろ落ちる水の反射が煌き、 
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       上にはこんなイコンの写真も。 これは新しく置かれた物。 
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       町の中心に戻り、この日のお昼は先日と同じ
       セルフ・サーヴィスの店で、食べました物は
       右、カルチョッフィと、野菜のグリル各種
       左、メルルッツォのパン粉焼き、付け合せにホウレンソウ
       そして、生ビール
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       魚が大きかったし、ホウレンソウもあっという間にどかっと
       お皿に載せてくれ、このお昼は食べ過ぎぃ~!

       という事もあったのですが、なぜかこの日の夕食にはお醤油に酢味とか、
       おにぎり、野菜の素朴な煮物等ばかりが頭に浮かび・・。
       これは到底無理ですし、お腹も減らず。
       暑いので日頃は食べないジェラートも食べていますしね、
       で夕ご飯は抜きで、ホテルでカリカリと持参品をちょっぴり・・。




       翌日はアッシジ最後の日で、この日も抜けるような青空の暑い日、
       午前中は車をアッシジの駅前に置き、電車でペルージャ・Perugiaに
       ペルージャの街は大きく、大学もあるので駐車場探しの大問題があり、
       以前も往生したので今回は電車で、30分足らずの距離。

       で駅前からバスに乗るのに、はぁ、アルファベットは依然苦手で、ははは、
       それより単なるドジのせいか、バスを間違え、どんどん田舎の道に!
       それでもぐるっと回って戻るのかと、待っていてもどうも違う・・。
       隣の席の女性に尋ねましたら、いや、このバスは行ったままで戻らない。
       気の毒だけど、少し歩いて戻って別のバスを待つしかないと!

       すぐ停車のベルを押してくれ、降りたのですが、さてどうするか・・。
       いつ来るか分らないバスを待っていると、アッシジにお昼過ぎに戻れない。
       で、亀の甲よりも年の功、はは、
       ちょうど携帯電話の店があり入ると若い男性の客がいたので、
       用が済むのを待って、
       バスを間違えペルージャに戻りたいので、タクシーをして下さい!と。

       快く彼が街のほぼ中心に近い所まで送ってくれ、
       大体の距離は見当が付いたので20エウロ渡し、彼も満足、私も救出!

       という事で、ははは、無事辿り着きましたペルージャの中心、
       プリオーリ宮・Palazzo dei Prioriと、
       フォンターナ・マッジョーレ・Fontana Maggiore.
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       ドゥオーモの中も拝見しましたが、
       今回見ようと狙って行ったのは2つありまして、

       一つはこれ、ローマ期の水道橋が現在も残っている道で、
       中程から左に延びる細いのがそれ。
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       この辺りは以前も見ているのですが、水道橋に降りる道、
       この写真の風景がどこから見えるのかグーグルで探し、
       行ったと言う訳。
       
       あの水道橋の細い道も歩いてみましたので、またご案内を。




       もう一つ確かめたかったのは、エトルスコの門・Arco Etrusco
       またはアウグスト門・Arco di Augustoと呼ばれるこれ。
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       ペルージャの街の門はどれもこれも高く頑丈そうで、はは、
       それだけでも威圧感を覚えますです、田舎者には、はい。
       
       この門の内側の古い石組み、つまりエトルスク期のが
       見事で素晴らしい存在感で、見に行って良かった!

       この前の道を右にぐるっと回っていくと、先ほどの水道橋の
       上の道に出まして、私が居た時もど真ん中に観光バスが停まり・・!




       お昼は、街の目抜き通りのテントの下で、茸のパスタを。
       暑い日、爽やかな風の通る場所で、道行く人やワンちゃんを眺めつつ
       頂くビールと美味しいパスタ、最高!
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       中には厚切りのポルチーニが幾つも入っていて、私には
       タルトゥーフォよりも美味しい茸で~す。




       中心のヴァンヌッチ通り・Corso Vannucciの様子、
       突き当りがドゥオーモ。
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       ペルージャ行きの田舎者には、もひとつおまけのドジがありまして、
       駅までバスで戻り電光時刻表(別の言葉があったっけ?)を見ると、
       予定していた戻りの電車がない! なんでやねん?!
       落ち着いてよくよく見ましたならば、土曜日は運行なし、ははは。
       仕方なく1時間待ちましたが、ペルージャはshinkaiには鬼門なのかも!

       以前のペルージャのご案内



       アッシジ最後の夕食は、パスタのノルチャ風を頼みましたら、
       またまたタルトゥーフォがかかった奴で、ははは。
       香りは良いものの、味がねぇ・・。
       そしてサラダの小とビールを。
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       タルトゥーフォは本当に美味しいと知ったのは、この1度のみ!



       アッシジを去る朝、9時前のサン・フランチェスコ聖堂前
       まだ観光客も参拝客も少なく、空気も少しひんやり。
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       聖堂前広場の兵士、この広場に2人、上の広場の横にも2人、
       重装備で防弾チョッキも付け、さぞ暑く重たかろうと!
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       ですが時々カフェを飲みに角の店に入って来たり、
       お菓子類を箱に入れてもらって持ち帰る姿も見たりで、
       やはりイタリアの兵士はイタ男だと可笑しかったり・・。       

       はい、車に乗ってもう一度この道を通り、ホテルの鞄を引き上げ、
       アッシジに別れを告げたのでした。
       また来れると良いなぁ・・!
       次は晩秋とか、雪の舞う聖堂とか・・ね。

       アッシジ全体のご案内はこちらから




       アッシジから最後に寄ったのがグッビオ・Gubbio.
       一層整備された姿ですが、この眺めは変わる事無く。
       真ん中に一際聳えるのが、コンソリ宮・Palazzo dei Consoli.
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       お昼を食べた時、見上げる町の北側の山が、
       かなりの強風に雲が動くたびに表情を変え
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       以前のグッビオのご案内は



       8日間の今回の旅では、宿も長い泊まりで見た町も多くなく、
       それでも朝早くから夜遅くまで歩き回ったり、公演を見たり、
       何よりもあの坂道石段の連続に疲れていたのか、
       家に帰るとなると、戻ってのゆっくりのお風呂も恋しく・・、

       何かさっと食べて帰りたい一心で、ははは、道脇のカフェのテラスで、
       モッツァレッラ・チーズとトマト、黒オリーヴ、茸のサラダを。
       勿論茸はマッシュルームだよね、ははは、・・考えの至らぬshinkai!
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       という事で、今回のウンブリアの旅総集編の最後は
       抜けるような青空の下のコンソリ宮を!
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       長いお付き合い、お疲れ様、そして有難うございましたぁ!!


     *****

       カテゴリ欄の「ブログ総目次 n.10」に、漸く、はは、
       昨年8月以降の目次を追加いたしましたぁ!

       関連記事にはリンクするようにしていますが、
       宜しかったら、こちらからも探してやって下さいませませ。


     *****

       水彩ブログには、 サン・ジミニャーノの雲海、 途中経過 を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!    
     
    
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by italiashiho2 | 2015-05-27 01:39 | ・ウンブリア Umbria | Comments(20)
2015年 05月 22日

   ・・・ ウンブリアの春 2015 総集編 並びに食べた物 その1 ・・・

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       出かけた後の恒例により、はは、食べた物、旨いものを見て頂くのに、
       お皿の写真だけ並べてもと考え、周辺をも少し加えましたら
       結構な枚数になりました。
       ならばと総集編を兼ねる事とし、その日の各部を再度選び加えて
       2回に分ける事に。 で今日はその1を。

       タイトルに即、旨いもの、と書かなかったのには訳がありまして、
       はい、見て頂くとお分かりと思いますが、
       肉を食べない上に、今回はもひとつ貧乏旅行となりまして・・、
       まぁ、これもイタリアの素顔であると、きゃはは、ご了解を!

       
       上は、今回の旅行で最初に撮った1枚
       場所はトスカーナの南、カプレーゼ・ミケランジェロの村に行くべく
       E45の酷いガタゴト自動車道をサント・ステーファノで降り、
       上り坂に、はい、かなりの上り坂にかかった辺り。
       少し曇天でしたが、のんびりの田舎の春風景が広がり・・。
       


       さてカプレーゼ・ミケランジェロ・Caprese Michelangeloですが、
       この村にはミケランジェロ・ブオナロッティ・Buonarrotiの
       生まれた家といわれる館があり、こちら。
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       が、実際にはこれはパラッツォ・ポデスタ・Palazzo Podestà、
       執政長官の館と呼ばれるもので、
       ミケランジェロ・ブオナロッティ・Buonarrotiの父親ルドヴィーコ・
       Ludovicoが、1384年からフィレンツェの支配下に在ったこの村の、
       長官として居住していた時に彼が生まれたというもので、1475年、
       彼の家ではなかったのを今回知りました。




       現在はミケランジェロ博物館として、内部もこのように整備され、
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       建物前面にある階段を上った2階の部屋
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       そして奥に2部屋在る内の南側のこの小部屋
       ここでミケランジェロが1475年3月6日に生まれたであろうと。
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       村の歴史は古く、この区域はロッカ・カステッロ、要塞・城と呼ばれ、
       村の一番北側の高い位置にあり、他に大きな建物が2つ、
       周囲は城壁に囲まれたかなり広い区画で、
       現在はミケランジェロ博物館の一環として、彼の作品のコピーや、
       他の作家達の作品展示などもされておりました。


       彼の父親の執政官としての半年の任務期間はちょうど3月で終り、
       当時大変厳しい経済状態であったらしい一家は、
       フィレンツェ郊外のセッティニャーノの村に戻ります。
       この村は石を産し石工の多く居た村で、石工の娘であり妻であった
       乳母の家に預けられたミケランジェロ。
       多分この村で自分の生きる道を選んだのでしょうね。

       セッティニャーノ村の探訪は




       城の前の道を村に下り、そこから少し東に、
       このサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会・San Giovanni Battista
       1475年3月8日、ミケランジェロは洗礼を受けたと。
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       お昼前に村に到着、我が家から365km 約4時間、
       博物館が終日開いているのを良いことに、
       ゆっくりのんびり見ている内に、お昼をとっくに過ぎ2時半頃。
       博物館すぐ下にあるトラットリーアからは、
       お肉グリルの良い匂いが周囲に充満! 
       いや、これは食べられないしと、通りがかりのシニョーレが
       教えてくれた村外れのレストラン前に。
       ここも賑やかな声が聞こえ、お肉の匂い!

       こういう田舎でこういう店に一旦入ると、長く待たされるだけなのを
       経験済みですから、まぁ、そう遠くないからと、40k40分ほど、
       今夜の宿であるチッタ・ディ・カステッロの町に向かう事に。

       途中で道脇にサーヴィス・エリアのあるのを見つけ、
       食べれるかと聞くと、3時で閉めたとのこと。
       
       てな事でありついた、旅初日のささやかなお昼は、ははは、
       リンゴのタルトと、パイナップル!!
       嬉しくて、写真までブレてる!
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       今回行った範囲の、ウンブリアの地図をどうぞ。
       旅の初めに2泊したチッタ・ディ・カステッロ・Città di Castello
       この町はウンブリア州に入ってすぐの町で、
       翌日行ったモントーネ・Montone
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       ペルージャ・Perugiaアッシジ・Assisi、アッシジから出かけた
       スペッロ・Spello、そして最後に寄ったグッビオ・Gubbio.




       チッタ・ディ・カステッロのホテルに荷を置き、
       まずは町の中心、ピアッツァ・マッテオッティ・Matteotti広場に
       日曜の午後、しかも5月1日からの連休の最後の日とあって、
       町の人とともに、かなりの観光客の姿。
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       長方形に広い広場の西側を占めるこの建物は、
       パラッツォ・ポデスタ・執政長官の館で、
       正面はこんな17世紀のバロック様式。
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       所が横のコルソ・カヴール・Corso Cavourに入った途端に
       驚いた、この元の姿を物語る壁の威圧!
       14世紀後半の建物だというのが素直に頷けます。
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       で、続く市役所・Municipio.
       扉が開いていたので入ってもOKなのだろうとは思いつつ、
       とにかく真っ暗! 
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       先に入った人々が喋りながら階段を上っていくので、
       まぁ、牢屋ではないのだろう、ははは、と思いつつshinkaiも。
       古い古い煉瓦敷きの階段を上り、上の会議室も見て参りましたぁ。
  



       そしてその先に、こちらが町のドゥオーモ
       傾斜地を利用しているせいか、入り口階段も高く、
       どこもかしこも、とにかく重厚な印象の町
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       町2日目の夕方もまた出かけてあちこちうろうろしたのですが、
       お天気が回復しての、ドゥオーモの裏に在る円筒式鐘楼
       上れる、とは書いてありましたが、扉は閉まっていて・・。
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       現在市の絵画館パラッツォ・ヴィテッリ・アッラ・カンノニエーラ・
       Palazzo Vitelli alla Cannoniera.
       町の有力一族ヴィテッリ家の建物の一つという事ですが、
       美しい壁画で装飾。
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       所蔵品にも心を惹かれたのですが、日曜日は既に閉め、月曜休館、
       火曜は朝10時からというので、待ちきれず今回はパス。

       この道を跨ぐ姿ですが、左に見えるこの城壁が町を取り囲み




       こんな形で良く保存されていて、外側は散歩道に。
       奥に見える壁内の建物辺りが、今回の宿。
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       チェック・インした時、ホテルのレストランでは
       3種の中から選べる式の夕食が16エウロです、
       というので予約し、7時半に。
       南に行くほど、夕食の時間が遅くなる気がするのですがぁ・・!

       プリモに、ペペローニの入ったちょっとピリ辛のペンネを
       美味しかったですが、量が多かったぁ!
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       白ワインを半L頼んだのですけど、待ち時間にちびちびとやって
       足らなくなり、もう半分! これも飲みすぎぃ!




       セコンドには、鱸のグリルと、付け合せにタマネギのフライ
       うん、この鱸も美味しかった! 
       久し振りのおちゃかな、にゃぉ~ん。 
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       部屋の窓から見る旅初日の夕暮れ
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       この町も駐車場に苦しみ、どの道も満杯!      
       道の突き当たりに上記の、美しい絵画館があるのですが。
       右に見える広場というか工事現場で、
       ローマ期の遺跡にぶつかり、工事は遠慮がちに向こうの端で。
       保存問題が解決するまで、まだ何年もかかる事でしょう。




       翌日はチッタ・ディ・カステッロの町からだと30分ほどで行ける
       モントーネ・Montoneの町に。 「イタリアの一番美しい村々」にも
       選ばれており、一度行ってみたかったのですね。

       自動車道から外れ坂道に差し掛かると、みずみずしい緑!
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       が、この後が物凄いカーヴと坂道の連続でして、ははは、
       まぁナヴィの教えてくれる通りに行き、駐車もできましたが、
       どうやら町の南端に着いた様子。

       この眺めは、町の北端の要塞跡から
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       上の写真、手前右に見える町の門にある、
       モントーネ・雄羊の紋章、1487年の年号が見えます。
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       モントーネで一番古い教会という、ロマネスク・ビザンティンの
       サン・グレゴーリオ教会・San Gregorio.
       町の外、こうして見える位置にあるので、今回はパス。
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       古い石組みの家、細い上り下りする小路、光と影が美しい陰影を
       見せてくれる小さな町の中を何度も行ったり来たり・・。
       町の中心の広場には、町の人が休んでいたり話し込んだり、
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       トラットリーアやレストランはいくつかあったものの、
       どこかにのんびり座ってお昼を、という気持ちから今回は少し遠く、
       ついに今日も広場の角のバールに。

       生ハムなど挟んだパニーノはダメだし、
       この日も、オレンジの生ジュースと、トルタと小ピッツァ!
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       古い建物の中を改造したバールは、天井はレンガのアーチが重なり、
       面白いなぁときょろきょろ眺め、
       天井近い小窓から、外を歩く人の足が見えたり・・、
       こちらは、上手くあしらってくれたバールのシニョーレ
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       この小さな歴史ある古い町はとても気に入りましたので、
       また改めてご案内いたしますね。




       モントーネから戻って来て、チッタ・ディ・カステッロの町に
       入るところで、これを!
       そう、アルベルト・ブッリ・Alberto Burriの作品。
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       戦後のイタリア美術において、現代抽象美術の先駆けとなった
       絵画・彫刻作家ブッリ(1915-1995)の作品なのですが、
       私は単に名前とこの作品の写真を何度か見ているだけでして。

       それがたまたま見えたので、そうだったっけと撮りましたが、
       このチッタ・ディ・カステッロは彼の生地で、
       町中と、この写真の背後に見える黒い建物、元タバコの乾燥工場に
       彼のコレクションが収蔵されていると。

       こうして撮ると赤く見え、今まで私も赤と思っていたのですが、
       実際は錆茶色で、いつもながらの色の見え方の不思議さ、
       取り合わせによる色違いにも頷いたことでした。

       ブッリのサイトはこちらに。
       http://www.fondazioneburri.org/




       この日の夕食は、ホテルの近くにたまたま見つけたインド料理店、
       物凄く分り難い開店日と時間表を睨みつつ、
       なんとか今夕7時には開いていそう、わぁ、イタリアに来て初めて
       インド料理が食べられそう、何十年ぶりだろうと大喜び、ははは。
       町の散歩も時間をみて切り上げ戻ってきましたら、

       何の事はない、休日! 前日は表に出ていた看板もシャッターの中!
       もう一度町中に戻って店を探す元気も失せ、
       再度ホテルのレストランで食べる事に、ああ・・。

       ビールを頼み、待つうちに
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       プリモの、魚介と野菜のリゾット
       はい、これも美味しかったけど、やはり今日も量が多いなぁ・・。
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       セコンドのオムレツ、というより、かき混ぜ卵焼きじゃん!
       付け合せにジャガイモ
       選んだ私がバカだったぁ、と思う一瞬。 あ~ん、インド料理ぃ。
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       翌朝アッシジに向う途中、ペルージャの街の北端にある
       テンピオ・ディ・サンタンジェロ・Tempio di Sant'Angelo
       寄りました。

       円形の、古く良さそうな面影の教会に惹かれたのでしたが
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       中に入ってみると、素朴な形はともかく、
       床材も新しく、天井部のアーチ部分も、そして天井の覆いも、
       どうやら修復されたのが近年らしく
       明るすぎるほど光が入るのも、ちょっと意外な感じで・・。
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       ちょっと調べてみましたら、
       やはりオリジナルは5世紀に遡るものの、10世紀頃にかなり改装、
       その後15世紀にペルージャの有力者バリオーニ家・Baglioniにより、
       軍事目的に使われたりで傷めつけられた様子。

       戦後になって修復工事がされ、床も天井も新しく、
       窓も再度開けられ、という事は以前にもあったのですね、
       古いフレスコ画なども見つかった、という事。

       ボローニャで見た、やはり古い円形の礼拝堂
       素晴らしいものを見ていると、つい比較してしまいます・・。




       見つかった、という古いフレスコ画
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       一番左に見えるのは多分聖女XXで、どなたかな、
       胸が赤くなっているのは、昔女性を処刑する時には、
       無残にも両乳房を切り取ったという事なので、多分それですね。
       



       入り口脇にあった、古い石碑
       逆向きなのですけど、光の入り具合が良いと思うので、このまま。
d0097427_23545403.jpg

       という事で、ウンブリア総集編と食べた物その1、でした。

       少し長くなりましたが、楽しんで頂けましたように!



     *****

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by italiashiho2 | 2015-05-22 00:00 | ・ウンブリア Umbria | Comments(13)
2015年 05月 14日

   ・・・ 要塞化された小さな村とワン君 ・ ウンブリアの春 n.2 ・・・

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       ウンブリアから戻って以来、ずっと気持ちに小さな引っ掛かりが
       残っているので、今日はそれを含めてみてやって下さいね。

       旅行最終日、アッシジから家に戻るのに、久し振りのグッビオにも
       寄って帰ろうと思い、それも自動車道ではない土地の道を辿りました

       で、突然出合ったこんな要塞化された小さな村!
       ずっと丘や山道を行く道中、パッと目の前に現れたので
       驚いて車を止め、偵察を、ははは、する事に。




       上の写真だけではちょっと印象が伝わりにくいかと
       サイトから拝借してきた写真がこちら。
d0097427_18511981.jpg
       お分かりでしょう? 単なる廃墟ではないのは車がたくさん、
       といっても城壁の前に10台もあったかですが、並んでいますし、
       私のすぐ後からやってきた車も止まったのですね。

       写真右手前に見えるのは、第一次、第2次大戦でのこの村の
       戦没者慰霊碑だそう。




       サン・グレゴーリオ・San Gregorioという村であるのは、
       門の前に書いてあったのですぐ分りましたから、
       家に戻ってから検索をかけました。
       アッシジから14kほど、車で20分の距離に。
d0097427_18513075.jpg



       村の入り口の門、跳ね橋があった事が分る切れ込みと
       塔の上からは矢や石を投げた事が分る造り!
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       この塔に続く左の壁、家の扉が2つ3つあったその一つの
       扉の前にワンチャンが座っていたので、
       いつものように、チャオチャオ!と挨拶し・・。




       後から来たシニョーレが門の中に入っていくのを見
       その後もう一人のシニョーラも入って行きましたし、
       門の右奥からは、賑やかな子供達の声も聞こえるので、shinkaiも。
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       細い上り道の小路が奥に続くのが見え、ゆっくりと辿ります。
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       ふと振り返ると、さっきのワンちゃんが門の所から
       私を見ているのが見えるのですね。
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       写真はすぐ傍からではなく、かなり遠くから撮り
       切り取ったのでピン甘ですが、
       警戒監視中ではなく、なんとも寂しそうな顔に見えません?

       今までの人生で、いや、犬生で、一度も楽しい事がなかった様な、
       一度も笑った事がないと言うような顔、雰囲気を
       最初から受け、気にかかったのです。




       住んでいる人のいることが分るかなりのお家とか
d0097427_18524185.jpg



       横の小路を覗くと、奥に城壁らしきもの!
       左手前の家の扉上部、庇代わりに布が掛けられていて・・!  
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       小路を辿ると 、こんな感じの壁が2方に。 
d0097427_18531283.jpg
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       きっとかっては単なる壁ではなく、家並みが連なる窓で、
       現在は内庭みたいに見える場所も狭く塞がっていたのでしょう。


       どんな村だったのか調べましたら、
       海抜279mにあり、アッシジとペルージャ・Perugiaとの
       境界線に近く、現在の住人は10人程!

       村の最初の記録は、1114年にアッシジのサン・ルフィーノ教会
       (現在のアッシジのドゥオーモ)のレトゥオーネ・Letoneという
       多分教会の長に、この村が贈られた、と言うもので、
       きっと村が教会に保護を求めたものだったのでしょう。

       1232年には約150名がこの村に住んでいたそうで、
       村は要塞化されます。
       ペルージャとの国境近く、常に抗争が絶えず、かのアッシジの
       若き(聖)フランチェスコ(1182頃-1226)もペルージャとの戦争で
       負傷し戻っている時代。
       村の周囲を壁で囲み堀を巡らし、入り口の門には跳ね橋ですね。

       それでも1320年、1382年にはペルージャの支配下に落ち、
       とはいえずっとアッシジ側であったそうで、
       1479年には更に厳重に要塞化されたそうで、
       現在もよく残っていると。 まさに!
       



       元の真ん中の小路に戻って振り返ってみると、
       あのワンちゃんが真ん中に座ってこちらを見ていて
       この写真では、ちょっと首筋を掻いていますが・・、
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       この後シニョーラが通りかかると、パッと飛び退くのですね。
       何もされず、言われもしないのに、です。
       こんな仕草を遠くから見て、ちょっと哀しくなったshinkai。




       小路の突き当たりまで行って見ると、奥にも壁が見え
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       まさに中世がそのまま残っている小さな村!
       奥の小路からゆっくりと町の門に戻ります。
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       サイトによると、この村では村の人々による、参加者もあるのか、
       プレゼーピオ・presepio・キリスト降誕のシーンを人形等で現す、
       のを生きた人間で表現する、のが行われているそうで、
       さぞ雰囲気が良いだろうなと思った事でした。
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       門の所まで戻ると、最初の扉の脇にあのワンちゃんが座っているので、
       旅行中のクラッカーや干し果物があったのを思い出し、
       隣のお家の扉前にそっと置きました。
       それだけでも逃げ腰になるワンちゃん!
       私が戻るのを見て傍により、匂いを嗅ぎましたが食べず・・。
       お腹が減っていないとか、菜食はしないぜ、というのなら結構、
       と思い出発しましたが・・。

       家に戻っても、ずっとあのワンちゃんの事が、
       あの目、あの顔が思い浮かびます。 幸あれかし!




       最後は、村からもっと先の行程になりますが、
       グッビオへの山越えでの、ウンブリアの緑の山々
       目に眩しいほどの緑、緑でした!
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by italiashiho2 | 2015-05-14 19:00 | ・ウンブリア Umbria | Comments(8)
2015年 05月 11日

   ・・・ テーヴェレ河上流の風景 ・ ウンブリアの春 n.1 ・・・

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       皆さん、こんにちは!
       お天気に恵まれたウンブリア旅行から
       真っ黒に日焼けし、昨夕無事戻って参りました。

       ウンブリアの山の上にある小さな町、とりわけ
       アッシジの坂道や石段を8日間行ったり来たり!
       さもありなんと持参したサロンパスのお陰で筋肉痛は
       残っていませんが、・・追加も買いまして、ははは。
       所で、サロンパスを貼って汗をかくとどうなるか、ご存知ですか?
       後がかゆくてつい引っかき腫れ上がる、はは、
       ・・あちこち腫れあがっているshinkaiです。


       ブログ全力再開の気力にはまだ欠けておりますが、
       撮ってきた写真の程度を見るためにも整理に取り掛かりませんと、で、
       ウンブリア最初の訪問地チッタ・ディ・カステッロ・Città di Castello
       を流れるテーヴェレ河・Tevere.
       
       エミーリア・ロマーニャ州の南に水源を持ち、悠々405K
       トスカーナを流れ、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの背景にも
       描かれ、ウンブリア州を通り抜け、
       最後はローマの街中を滔々と流れティレーニア海に

       ウンブリアの一番北に位置するこのチッタ・ディ・カステッロでは、
       まだ大河ではありませんが、
       なかなかの水量でゆったりと流れておりました。

       ウンブリアの旅の始まりとして、
       新緑を映して流れるテーヴェレ河と河畔をご覧下さいね
 
       上は、町に入る橋の上から見る上流側


       チッタ・ディ・カステッロの町の中心には初めて行ったのですが、
       繁栄を窺わせる重厚な町の様子はまたご案内を、
       8年前一人で運転しての初のウンブリア旅行では、
       町郊外の民衆伝統博物館に寄っていたのを、今回横を通って思い出し・・!



       ちょうど夕陽になりかかる一時で眩しく
       あ、鴨がいる、と大体の見当で撮りましたら、・・なんとか!
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       一度橋を渡って見たのですが、川岸に降りれない事が分り・・。
       対岸に見えるカヌーは、どうやら教室・クラブがある様子。
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       橋を渡って戻り、川岸に。
       こんな風にベンチもあり、散歩道もあり
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       これが橋ですが、アレティーナ通りの橋、とだけで名が分らず・・。
       ちょうど橋のこちら側の手すり工事中の、赤い覆いで、
       水面に一面に浮かんでいるのは、今盛んに飛んでいるポプラの綿毛。
       水が汚れているのではありません。
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       河畔の小路はこんな風にずっと続いている様子で、
       散歩やジョギングの人々が次々に通り過ぎて
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       チッタ・ディ・カステッロの町を過ぎると、次第に大河となり、
       こちら向きが、やがてはローマに至る流れ
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       こんな風に少しずつ整理して、
       簡単に見て頂ける様なのも良いですね。
       ・・と言いつつ、もう一度出来るかな?




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by italiashiho2 | 2015-05-11 23:47 | ・ウンブリア Umbria | Comments(13)