イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

italiashio.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:・ヴェネト Veneto( 102 )


2017年 05月 09日

   ・・・ ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王 ・・・

d0097427_20270692.jpg
       先々回に見て頂いたヴェネト州のリビエーラ・ブレンタ・ブレンタ川沿いの
       大小さまざまなヴィッラ・邸宅の内でも、

       とりわけ素晴らしく美しく、そして壮大なヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisani.
       ヴェネト州に点在する数多くのヴィッラの内でも
       「ヴィッラの女王」と呼ばれ、現在は国立博物館、のご案内を。

       ピサーニ家はヴェネツィア貴族の内でも大変に裕福な家柄で、
       分枝もいくつかですので、ヴィッラ・ピサーニというのはいくつもあり、
       ですからここのは、ヴィッラ・ピサーニ・ストラ・Straと呼ばれます。


       上は、上空からの素晴らしい写真を見つけましたが、

       前を流れるブレンタ川が、余りにも綺麗に半円を作っているのを見て、
       これはきっとヴィッラを造る際に川の流れ、河岸も整備した物と・・。





       駐車場は屋敷の敷地東側にあり、
       ず~~っと続く塀沿いを、所々の切れ目から中を覗きつつ歩き、
d0097427_20272032.jpg




       屋敷脇の門、東側
d0097427_20273085.jpg




       ヴィッラ・ピサーニ前の、敷地の芝生の切れ目を走る道路と
       ガード・レールの向こうはブレンタ川が流れ、そして向こう岸に庶民の家並、ははは。
d0097427_20273981.jpg




       ブレンタ川をやって来ての到着は、こんな具合にね。
d0097427_20274810.jpg




       正面からの横に長い姿を撮ろうと、精いっぱい道まで下がったのですが、
       望遠の18㎜でも全部が入らず・・!
d0097427_20275607.jpg




       正面部、ズーム・アップと、屋根の頂上の彫像
       壮麗にして華麗!
d0097427_20280534.jpg
d0097427_20281392.jpg




       横に広がる翼部分の屋根の上。  
       余りにもたくさん像がありすぎて、撮る意欲が無くなります・・。
d0097427_20282117.jpg




       入口、そして脇の大彫像4体
d0097427_20283008.jpg
d0097427_20284076.jpg
d0097427_20284941.jpg




       入口の彫像の脇、左右にある装飾。 これは向かって左のもの。
d0097427_20285991.jpg




       正面入り口から入って突き抜けると、中央部の通りを挟み、
       左右に内庭が広がり、
d0097427_20290954.jpg




       通路にずらっと並ぶ様々な彫像。
d0097427_20291769.jpg
d0097427_20292642.jpg




       こちらが、このヴィッラを造ったアルヴィーゼ・ピサーニ・Alvise Pisani(1664-1741)
       第114代のヴェネツィア共和国のドージェ(総督)1735年1月17日より。
d0097427_20293586.jpg

       ドージェの選出選挙にはアルヴィーゼはすでに2度立候補しており、
       3回目のこの時は巨額金を立候補しそうな41名に配ったそうで、
       立候補は彼1名、めでたく満場一致の選出だったそう!

       ドージェ時代には、すでに退廃色の濃い当時のドージェ達に習い、
       祭りの際の華やかさにより手配を配るタイプの務めぶりだったようですが、
       幸いに外交的にも大事がなく、つつがなく。
       1741年5月疲れを癒すための別荘行きにゴンドラに乗り込んだ所で気分が悪くなり、
       ドージェのアパートに運び込まれ、6月17日に他界。

       ピサーニ家は、確かな事は分からないのだそうですが、トスカーナはピサの
       長官であったバッシ伯爵家・Conti Bassiの子孫といい、
       ヴェネツィアにやって来たのが804年とも905年とも、で、
       ピサーニという出身地を表す姓を名乗ったと。

       商人、銀行家であり、そして傭兵隊長として、のちには宗教面においても
       外交官としてもヴェネツィア共和国内の中枢を占める位置で働き、
       大変に裕福で著名な貴族になったと。

       時代を経ていくつかの分枝になりますが、その中でも一番が
       ヴェネツィアのサント・ステーファノにある家系で、
       ドージェになり、このヴィッラを造ったのは、この家系のアルヴィーゼ。





       内庭を囲む建物の2階部分の壁のフレスコ画は様々な人物像ですが、
       画家はジャンバッティスタ・ティエポロ・Gianbattista Tiepolo.
d0097427_20294485.jpg
d0097427_20295313.jpg
d0097427_20300212.jpg
       この、なんとも勇壮で、達者な筆使い!





       全体の様子はこんな感じで、本館が1、それに向き合う形の奥15は厩舎、
       有名な植え込みで作られた迷路は3、右奥にはカフェも、11。
d0097427_20301177.jpg

       現在国の博物館になっているこのヴィッラは、1721年に建設が始まったもので、
       設計建築がジェローラモ・フリジメーリカ・Gerolamo Frigimelica、
       総面積は15平米、

       部屋数は建設当初114室、というのもヴェネツィア共和国の114代ドージェ
       を祝ったものだったそうですが、現在は168室と。

       最初の設計家フリジメーリカが1732年に亡くなり、当初はパドヴァ一帯の
       農地の管理と住居というイメージが主体だったのが、
       この後アルヴィーゼの夢はより壮大なものとなり、建築家も変わり、
       すべての建設終了は1756年、彼の没後。


       ガイド付きでも、個人でも見学できますが、いずれも2階の貴族住居部で、
       2度訪問していて写真禁止なのを、2枚だけ内緒で撮っていまして、




       奥が舞踏室、を撮っており
d0097427_20302068.jpg




       有名な、建物の中央にある豪華絢爛の舞踏室。
d0097427_20303034.jpg




       天井画はティエポロ作の、「ピサーニ家の栄光」
d0097427_20303983.jpg




       他にもたくさんの美しい部屋があり、装飾はティエポロの他にも数名の名が挙がり、
       単なる美しい住居以上に、常に王のスタイルを模すのに拘ったアルヴィーゼで、

       余りにも壮大になり建築費がかかりすぎ、一家の経済に深刻な問題を及ぼした、
       というのがちょっと可笑しくもありですが、


       1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊したのち、

       このヴィッラは1807年7月にナポレオンに、1,901,000ヴェネト・リーレで買い取られ、
       暫くここに居住を。
       う~ん、ヴェネト・リーラというのはどの程度の価値でしょうか? 


       という事で、これがナポレオンの寝室とベッド
d0097427_20304936.jpg
       立派な天蓋付きではありますが、今と比して小さめのベッドですし、
       マットレスも今の方が格段に寝心地が良いであろうと思われるもので・・!





       そしてナポレオンの後、彼の妻ジョセフィーヌの連れ子であったウジェーヌ・ボアルネ
       イタリア王国の副王であったそうで、とその妻の住居となり、
       ヴィッラのかなりの部分が、新しい皇帝趣味に替えられたそう。

       1814年ヴィッラの持ち主はオーストリアのハプスブルグ家に代わり、
       王室の別荘でもあり、またヨーロッパ各国の王侯貴族を迎える場所となり、
       スペインのカルロ4世、ロシア皇帝アレッサンドロ1世、両シチーリア王フェルディナンド2世
       などが訪問しているそう。

       後に漸く、はは、1866年ヴェネトがイタリア国に併合され、
       ヴィッラ・ピサーニは国有となり、1884年に博物館になりますが、

       1934年には最初の公的なヒットラーとムッソリーニの会合の場にも。

       という事で、以下のサイトで見つけた写真は、当初のヴィッラとはいささか
       趣も設えも変わっていることをご承知の上、ご覧下さいね。
d0097427_20305814.jpg
d0097427_20310669.jpg
d0097427_20311519.jpg




       イタリアであちこちかっての大きな邸宅、城、王宮などを見ていて気が付くのですが、
       廊下は必ず、大概、部屋の外側に一直線に通っており
       部屋の端を通り抜けながら隣の部屋に、という様子なのですね。
d0097427_20312339.jpg
       
       余りプライヴァシーはなかったのではないかと気になりますが、
       そういう感じの廊下を一枚撮っておりまして、見える脚は管理の方。


       ヴェネトのヴィッラのいくつかを
 
       ラ・ロトンダ訪問

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ

       ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
       http://italiashio.exblog.jp/9337470/ 

       ヴィッラ・エモ
       http://italiashio.exblog.jp/18796424/  
      
       ヴィッラ・コルデッリーナ
       http://italiashio.exblog.jp/20373976/  





       庭園の眺めは上から撮れまして、庭越しの厩舎の眺め
d0097427_20313360.jpg

       この庭園は、フランスのヴェルサイユ宮殿を模したフランス式をヴェネト風にしたものだそうで、
       向かって左にみえるこんもりした林は、ナポレオン時代にイギリス式庭園風に増やされたものと。

       細長く続く池は、20世紀初めにパドヴァ大学が水の研究で掘ったものだそうで、
       でもちょうど良い眺めになっていませんか? はは。

       手前側の楕円部分には、水連が花を咲かせます。





       それにしても、これが厩舎とはねぇ! 
       まぁ、高級車のガレージと運転手の住まいだった、と考えると納得ですが・・。
d0097427_20314259.jpg
d0097427_20315153.jpg
d0097427_20320006.jpg




       庭園側からの建物の眺め。 屋根の上の像以外はすっきりのデザイン。
d0097427_20320903.jpg
d0097427_20321839.jpg




       この庭園は2008年に、イタリアで一番美しい公園に選ばれたこともあるそうで、
       西側のこんもりとした林に対し、東側にはハプスグルグ家の当時に植物園式が取り入れられ、
       ゆったりとした散策が楽しめるように。
d0097427_20323063.jpg
d0097427_20324058.jpg
d0097427_20325026.jpg

       植木による迷宮・ラビリントは、こちらでご案内を。




       黒歌鳥メルロ。 どこにでもいて、本当に良い声で歌います。
d0097427_20330318.jpg




       これはバラのトンネルだったかな、他には藤のトンネルもあったと。
d0097427_20335146.jpg




       庭園のあちらこちらに彫像がおかれ、隠れ
d0097427_20340599.jpg
d0097427_20342090.jpg




       右奥のカフェ・ハウス近くには、あれこれの設備もあり
d0097427_20342930.jpg




       こちらは氷室。 夏は涼しい空気が下から吹き上げたそうで、優雅!
d0097427_20344688.jpg




       大木がうっそうと茂る部分もあり、根元は苔むすほど
d0097427_20350191.jpg
d0097427_20351426.jpg




       今回の写真は5月の初めの暑い日だったのですが、
       木漏れ日のこんな光、広い庭はとても心地よい、素晴らしいものでした!
d0097427_20352421.jpg




       軒下のこんな顔や、灯に送られ、ヴィッラに別れを告げ、
d0097427_20353352.jpg
d0097427_20354212.jpg




       駐車場に着いたところで、結婚式のカップルに
d0097427_20355160.jpg
       花婿は2度目の結婚で、すでに小学校高年の息子がおり、
       若く美人の花嫁は東欧女性の様で、既にお腹が少し大きく!
       撮った写真を後日送りましたら、お礼のメールが届きましたっけ。
       今も、今後も、どうぞお幸せに!!




     *****

       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

         


          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   




by italiashiho2 | 2017-05-09 21:07 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 05月 04日

   ・・・ トゥレヴィーゾ行き ・ 日本展と、パラッツォ・デイ・トゥレチェント ・・・

d0097427_21514520.jpg
       5月1日メーデーの日、日本のゴールデン・ウィークに比べるとささやかですが、
       ははは、こちらは30日日曜に続いての連休となり、
       仲間とトゥレヴィーゾに出かけてきました。

       トゥレヴィーゾには3月に印象派絵画展を見に出かけたばかりですが、
       「花咲く日本展」というのが開かれていて、浮世絵が見れるらしいから行こう、
       という仲間のお誘いで。

       浮世絵もかなりの数の展示で、着物や帯、履物の展示もあり、
       その都度の仲間の質問に答える形で、皆満足の展覧会見学で、
       shinkaiも一応の責任を果たせて、ほっと。

       がそれよりも今回は、展覧会の後偶然に開いているのを初めてみた、はい、本当に!
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリにあるパラッツォ・デイ・トゥレチェントの扉、
       そして内部も初めて見ることが出来ましたので、その様子をご案内いたしますね。

       
       上は、中心街の細い小路を彩る三色旗





       先回のトゥレヴィーゾ行きは曇り空で残念だったのですが、

       今回は駅前から少し行って出会うシーレ河・Sile
        -先日はオアジ・チェルヴァーラで見て頂いたシーレ河が街中を流れます、
       にも綺麗に映りこむ風景。
d0097427_21515488.jpg




       朝まだ9時頃の到着でしたので、朝日が斜めに射し込み
       人通りが殆どない道を中心に向かい、
d0097427_21520399.jpg
d0097427_21521256.jpg




       途中の広場で出会う銅像のこの方は、マリーオ・デル・モナコ・Mario del Monaco.
       (1519-1982) 「アイーダ」のラダメスの衣装でしょう。
d0097427_21522154.jpg
       若い方はともかく、オペラ好きな方ならご存知ですよね?!
       輝かしく重くドラマチックな素晴らしい声量の持ち主で、容姿も素晴らしく
       戦後のイタリア50年代60年代を代表するテノール歌手でした。

       彼は晩年をトゥレヴィーゾの北、ヴィッロルバ・Villorbaの彼の別荘で過ごしており、
       亡くなったのはメストレですので、その関係で彼の像がここに、と。

       生まれはガエータとか、フィレンツェとかいろいろ説があるのですが、
       ヴィッロルバというのもあり、晩年住んでいた事から考えると、
       両親がここの生まれで、住んでおられたのではないかと・・。

       第3回目のイタリア・オペラ日本公演1961年で来日し、
       その時に聞いた「道化師」の彼の声は素晴らしく、驚き、
       またプッチーニの「西部の娘」などshinkaiにとってはまさにオペラの洗礼でしたし、
       ・・「西部の娘」は後に見て、別の感想を持ちましたが、
       まぁ、当時は純真な高校生でして、ははは。
        
       こちらに来て後、サン・レモ音楽祭で彼が歌った「こんなにも大きな愛・Un amore così grande
       もTVで見て感激したことをよく覚えております。

       Youtubeで見つけましたので、どうぞ





       街の中心、印象派絵画展を見たサンタ・カテリーナ博物館へ行くよりも
       少し手前で左に曲がり
d0097427_21523025.jpg




       斜めに入り込むと、右手の奥に見えるのが今回の展覧会場
       カ・デイ・カッラレージ・Ca' dei Carraresi.
d0097427_21524000.jpg

       カ・デイ・カッラレージというのは、カッラーラ家の家という意味で、
       パドヴァの領主であったカッラーラ家がトゥレヴィーゾを領有した1384~88年代にも
       関係しているのでしょうが、

       博物館のサイトによると、それ以前の1354年当時の記録によると、
       ここは街中でもかなり有名なオステリーア・アッラ・クローチェ・Osteria alla Croce
       という食堂、宿であったそうで、

       北からの旅人や商人、ドイツやオーストリア、そしてフリウリを通ってハンガリアからの
       旅人がここで食べ休みしていたのだそうで、
       初代からの持ち主が変わって後の1396年まで大変繁盛していたのだそう。

       カッラーラ家の紋章、4つの輪が繋がった荷車を上から見た様子、は
       正面の壁にあったのが、上から塗られて消された形になっていたそうですが、
       内部に残るフレスコ画には、いくらか面影をしのべるものがあるそうで、

       という事で、ここは一時カッラーラ家の私的な住居でもあった様子。





       隣の、今はカフェになっている建物、これは元々教会ではなかったと言う様な・・。
d0097427_21524912.jpg




       これは美術館北側の運河沿いの眺め。 
       右に切れて見えるポスターは今ちょうどフランシス・ベーコン展もしており、     
d0097427_21525877.jpg




       この日は5月1日の祭日、月曜にあたり、月曜休館か特別開館か、
       はたまた9時開館か、それとも10時か、
       どのサイトを見ても皆好き勝手なことを書いており、イタリア式、はい、
       電話をして開館は確実、と確かめて出かけたのでしたが、

       9時頃に到着したものの、やはり10時開館で、
       運河沿いのカフェで時間を稼ぐ間に、
       お天気が良く、新緑が見事だったので、shinkaiはちょっと近所を。

       すぐそばの水車はゆっくりと回っており
d0097427_21530704.jpg




       運河にしだれる柳の新緑、朝の陽に浮き出る橋
d0097427_21531883.jpg
d0097427_21532800.jpg




       という事で展覧会はゆっくりしっかり楽しみまして、

       北斎の「波越しの富士」は再び、「下界は雨、稲妻光る富士」は今回初めて、
       先回もいくつか見た広重の東海道の宿場の何枚か、
       
       ですが、今回の出品作の方が格段に作品の保存が良く、
       浮世絵の摺師の手腕も良く分かり、感嘆しましたし、

       日本語が何とか読めるshinkaiは、ははは、描き込んである場所や名所の説明も出来、
       仲間たちも大いに楽しんだ様子で良かったです。


       
       という事で、どこかで軽いお昼にしよう前に行ったあそこは?という事で、

       古い建物の見える細い小路を抜け
d0097427_21533608.jpg




       パラッツォ・デイ・トゥレチェントの北側に出てきて、       
d0097427_21534681.jpg
       
       手前の家並の並びを入った所の小さなオステリーアで、あれこれお任せのパニーノを
       お昼の様子は、絵のブログの方に。





       さて、このパラッツォ・デイ・トゥレチェント・13世紀の館ですが、
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリに位置し、右に見えるのがそれで、
d0097427_21535754.jpg




       これが東側からの眺めと、上の広間への階段
       ご覧の様に、壁に筋が見え、煉瓦の色も違う事にご留意を。
d0097427_21540803.jpg




       お昼を済ませ、どこかでカフェを、と裏側の広場に出てきましたら、
       階段上の扉が開いているのが見え
d0097427_21541749.jpg
       あっ、あ、開いているよ! というと、行っておいで、とエレオノーラが言うので、
       まだ出てこない仲間を残し先に階段を上りまして、ははは、
       まぁ、後からは仲間が全部上ってきましたが・・。

       何せ、来伊以来26年めにして、初めて扉が開いているのを見たのです!!
       こんなチャンスを逃す手はありませんよね?! もちろん!





       入口から見た様子
d0097427_21542684.jpg




       正面部。  ここは市議会場でもありますので、北側半分がその会場に、
       そしてこの部分にフレスコ画がしっかり残っております。
d0097427_21543686.jpg




       こちらが東側、階段からの入り口
d0097427_21544612.jpg




       中央には、大きな書見台
d0097427_21545551.jpg




       ちょうど南半分の真ん中で、こんな作品の展覧会が開催中で
       5月1日の祭日だったので、ここも開いていたという事で、幸運でした!
d0097427_21550437.jpg




       壁にこのようなパネルが3枚あり、このパラッツォの歴史変遷を説明しておりましたが、
d0097427_21551476.jpg
       肝心の真ん中の写真が、なんとPCの不手際で開けなくなり・・! くそめぇ。
       まぁ、資料は他にも見つけましたので、何とか大丈夫。





       最初の東側からの写真で見えた、建物の傷の線ですが、

       こちらがウィキから拝借の、1944年4月7日の爆撃でやられたパラッツォの様子
       はい、ちょうど屋根からズドンとやられたそう。
d0097427_21552193.jpg
       ここは12世紀の終わりに建設され初め、様々な組織の集会所であり、
       近くに監獄も備えたのが完成したのが1268年。

       市民の政治行政の中心であったこの建物の周囲にはたくさんの店も集まり、
       1546年には建物の下、ロッジャの部分だけでも44軒の店があり、
       これらは5年毎に市から賃貸の形で、どんどん増えていったのだそう。

       確かにトゥレヴィーゾの街は12~13世紀に大変な繁栄を遂げたのだそうで、
       13世紀にはグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ(皇帝派)の争いもあり、
       近隣領主エッツェリーニ、コッラルト、ダ・カミーノ、スカリージェリ、の領有もありましたが、

       1339年に自らヴェネツィア共和国の元に下り
       その後一時的にオーストリア、そしてダ・カッラーラの下にあったものの、
      
       1388年以降は1797年まで400年間の平和と繁栄を享受、という街。

       現在も地元経済が大変に元気なのを感じる街の空気です。


       
       で、このパラッツォは16世紀半ばに改装された様子ですが、
       19世紀から20世紀にかけ大きな改修が行われ、

       現在見る東側の大階段も、最初は建物西にあったのが東に移され、
       それも両側から連絡していたのが北側からだけに減らされ、
       建物の西側に残っていた急傾斜の階段も取り外され、
       今見る形に近い形だったそう。

       で爆撃の後、全部を建て直さなければいけないかと心配されたのが、
       なんとか修復できるという見極めで、修復不全の壁は取り壊し、
       幸運にも以前の古い北側部分が残っているのだそう。

       ただ現在見る南と北面の尖がった形は、この時に決められたもので、
       周囲のレース飾り、煉瓦の小さな一連の尖がりも、この時のものと。





       という事で、フレスコ画の様子をどうぞ

       ぐるっと周囲を囲む紋章と、その下の名、年は、14~15世紀にかけての
       ポデスタ・執政長官の名と家紋で、
       一番上の部分にも、様々な物語の主題が描かれているのが見えます。
d0097427_21553130.jpg
d0097427_21554157.jpg




       北正面のフレスコ画装飾、まず左脇から
d0097427_21555186.jpg




       正面左
d0097427_21560180.jpg




       正面中央、聖母子の脇にいるのは、左にサン・ピエトロ、
       右の旗を持ったのがサン・リベラーレと。
d0097427_21561011.jpg
       聖母の顔が、ねぇ、残念・・。





       正面右側。  
d0097427_21562152.jpg
       フレスコ画は16世紀後半のものとみられ、
       左側共に円柱の間に描かれた4女性は4つの主要な徳を表しており、
       知恵、勇気、節度、正義なんですって。  ご存知でした?  

       騙し絵的な影が背後に付けられており、くっきり浮き出す形。





       右の壁にあった、これは楽しいラクダの絵!
       壁画を描いた画家の内に、見た者はいなかったのでしょうね、ははは。
d0097427_21563027.jpg




       議会場側から見た南側
       周囲に大きな3連窓がずらっと並んでいるので、大広間も明るい空間。
d0097427_21564093.jpg




       壁と屋根の高さ
d0097427_21565038.jpg

       この広間、議会場と展示場は、
       今年2017年1月から土曜、日曜の14時半から18時まで公開されていて、
       入場料は、通常5エウロ、割引3エウロ、18歳未満とトゥレヴィーゾ市民は無料と。

       我らは祭日、労働者の日に当たり、無料でしたぁ!

       ちょっと及びませんが、
       今年からの公開で、やはりかなりの大広間ですので、
       トゥレヴィーゾに行かれ、お時間が合う方はどうぞご訪問を!





       広間を出て来ての階段の上からの眺め、かなりの高さで、
d0097427_21565966.jpg




       下の広場の女性像が、こんな風に見えます。
d0097427_21570992.jpg
       shinkaiはずっとこの像を、どこかから吹き込まれたまま、へへへ、
       「イタリア像」と思い込んでおりましたが、
      
       今回これは独立広場・ピアッツァ・インディペンデンテにある、
       正式名は「独立の記念塔」なんだそうで! ご容赦を。

       1866年のオーストリアからの独立で戦い亡くなった、
       トゥレヴィーゾの愛国者達に捧げられたものだそうで、
       アスブルグ家の支配の鎖を踏みつけ、右手に槍を、左手に月桂樹の冠を持ち、
       像の高さは槍の先まで3,83mで、全体で7,13mの高さ。
       
       説明にはご丁寧に、イタリア像とよく間違えられるが・・、とありましたぁ。
       へへ、それは私で~す。
       




       階段を下りてきた所で、綺麗な真っ白のワン君と出会い、
       撮らせてもらったのですが、肝心のワンは横向きで、ははは。
       でもこの若者、可愛いでしょう?!
d0097427_21571872.jpg




       シニョーリア広場を囲む商店街
       ここも古い街並みによくある、中世の細高く、奥に長い建物群。
d0097427_21572850.jpg




       駅に向かって歩きながら見つけた、可愛いカフェのモカ
       可愛い新作が出たようで・・!!
d0097427_21573743.jpg
       左のアルピーノのも可愛いですが、緑と赤のはお土産にも良さそうですねぇ!





       ショウ・ウインドウはすでに夏!
d0097427_21574795.jpg




       途中のカフェ・テラスで、一休み
d0097427_21580156.jpg




       こちらは今回トップで見て頂いたシーレ河の、橋の反対側
       白く見えるのは汚れではなく、花びらで~す。
d0097427_21581115.jpg




       駅正面を来た所にある小広場、新緑がとても鮮やか!
d0097427_21582645.jpg
d0097427_21583999.jpg
       下の写真の左、彫刻のある後ろがコンティネンタル・ホテル。



       爽やかな日の、楽しく思いがけない事のあったトゥレヴィーゾ行きでした





     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルムーツィオ そろそろと、 トゥレヴィーゾ行きのお昼ご飯 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

        


          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   





by italiashiho2 | 2017-05-04 22:39 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 29日

   ・・・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し ・・・

d0097427_23010591.jpg
d0097427_23011227.jpg
       先日ヴェネトのブレンタ川・Brenta沿いの写真の欲しいのを思い出し、
       探していて、そういえばこれはまだご案内していなかったっけ、という事で、はい。

       ブレンタ川というのは、アルトアディジェ州のトレント辺りから流れ下り、
       バッサーノ・デル・グラッパからヴェネト州に、
       このヴェネトの平野を流れる頃にはゆっくりと、そしてヴェネツィア湾に注ぎます。

       かってはヴェネツィアからパドヴァ間の連絡船が通っていたというのですが、
       現在は観光客用の船が夏の間運行しており、

       というのも、平野の眺めも美しいのですが、その中に点在する
       ヴェネツィア貴族の館・別荘が色を添え、長閑で大変美しい趣なのです。

       
       今回ご覧頂くのは7年前の、へへ、ちょうど5月のもので、
       あれこれご案内して来たものの落穂ひろいとでも言えますが、ははは、
       美しい川の流れ、周辺のヴィッラの様子をごゆっくりどうぞ!

       トップは釣り人、そしてイタ鴨の家族





       今回の写真は、ほとんどドーロ・Dolo周辺ブレンタ川沿いですが、地図をどうぞ。
       ドーロは赤く囲った位置にあり、西に見えるストゥラ・Straから続く細い水色の線が
       ブレンタ川で、ミーラ・Miraオリアーゴ・Oriagoマルコンテンタ・Malcontentaを通り、
       矢印を付けた先、フジーナ・Fusinaでヴェネツィア湾に注ぎます。
d0097427_23012196.jpg




       パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、
       途中こんな風にレストランで昼食をする場合もあり、船での昼食もあり。
d0097427_23013113.jpg
       ヴェネツィアからのブレンタ川遊覧船の様子はこちらに。 その1と2

       ドーロの骨董市
       http://italiashio.exblog.jp/11176143/  





       川の幅はそう広くはなく、とても穏やか
d0097427_23014137.jpg




       ちょうど長男の家に遊びに行き、一緒にお昼ご飯を食べに出た時に、
       この辺りにはたくさんヴィッラがあるから、とぐるっと一回りしてくれたのですね。
       で、その時に見た4つか5つほどの内から3つご案内を。

       ヴェネト各地に点在するヴィッラの数は一致幾つあるのか! ですが、
       有名なパッラーディオのヴィッラ、またその壮大さで群を抜くと思われるのも
       いくつかあるのですが、

       今回ご覧いただくのは、そんなに有名なものではありませんが、
       
       最初のは、ヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・Villa Ferretti Angeli.
       我々は背後から近づきましたので、こんなトウモロコシ畑も見え、ははは、
d0097427_23015010.jpg




       正面はこういう感じで
d0097427_23020027.jpg
d0097427_23021043.jpg




       上部、タンパンの装飾
d0097427_23021917.jpg




       こちらは横に続く倉庫・納屋部で、
d0097427_23022955.jpg




       正面とはこういう感じでつながっており
d0097427_23023943.jpg




       横には、こんな広い庭園が広がります
d0097427_23024934.jpg
       このヴィッラを造ったのは、ヴェネツィア貴族の分枝でヴィチェンツァのフェッレッティ家で、
       その後リゴーニ・Rigoni、アンジェリ・Angeli家を経て、
       19世紀にはモチェニーゴ・Mocenigo家のものに。   
       という事で、正式のヴィッラの名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!
       はい、歴代の持ち主の大きな名前がずらっと並びます。
       
       20世紀初めに戦争の影響で衰退があったものの、その後修復され、
       現在の持ち主はヴェネツィア県なんだそうで、
       どうやらENAIP Venetoという事務所が使っている様子ですが、
       何の関係なのか、はぁ、読んでもさっぱりわかりませんでしたぁ、ははは。
       ・・と笑いでごまかす。





       ぐるっと横から回り込むと、こんな風に先程の倉庫・納屋の壁が見え母屋に続き
d0097427_23030432.jpg
d0097427_23031379.jpg




       きちんと正面から撮ると、こんな感じで
d0097427_23032291.jpg

       今回これを書くのに調べていて、なんとこれはヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
       Vincenzo Scamozzi 1596年作 と知りました!

       スカモッツィはヴィチェンツァ生まれ、パッラーディオが手掛け、彼の死で中途になった
       テアトロ・オリンピコ・Teatro Olinpicoなども彼が仕上げたことで有名ですし、

       パッラーディオより40歳若かった彼は、パッラーディオの弟子の様にみなされ、
       偉大な名を遺した先輩パッラーディオの陰に半ば隠れているのですが、
       実際は大変博識な勉強家であり、真のルネッサンスの建築家であったと言われます。
       
       ヴィッラの最初の建築依頼がヴィチェンツァの貴族ですので、
       同じヴィチェンツァ同志という関係もあったのかもですが、
       当時のヴェネト第一級の建築家の彼に依頼というのは、
       やはり裕福な貴族であったのでしょう。





       shinkaiが撮ったのでは、前庭がかなり広いでしょう?
       それがサイトで、ブレンタ川からこんな風に見える写真を見つけ、
d0097427_23033018.jpg
       ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探したほど!
       が、どうやら望遠で撮ったらしい、と気が付き、ほっとした事でしたぁ。





       そして2番目のヴィッラは、やや小ぶりですが、こちら。
d0097427_23034110.jpg
       これを撮るのに、目いっぱいに下がっておりまして、





       屋敷の門はこんな風にブレンタ川に面していて、係留所も。
       ですから、今は門の前を通っている道も、当時は無かったのだろうと・・。
d0097427_23035096.jpg




       門の両脇柱上の立像
d0097427_23040084.jpg




       そして、こちらが脇にあった門の彫像と、ヴィッラの名前。
       はい、ここはヴィッラ・バドエル・ファットレット・Baroer Fattoretto.
d0097427_23040977.jpg




       隙間から覗くお屋敷。 一見手前は小さそうですが、奥は建て増しが見え広そう。
d0097427_23041926.jpg

       このヴィッラは名前にも見えるように、著名なヴェネツィア貴族バドエル家
       14世紀の初めごろからこの一帯に土地を持っており、その管理のための
       田舎風館があったのだろうと考えられますが、
       現在の形になったのは18世紀になってからの事と。

       左に見えるのが多分バルケッセ・barchesseと呼ばれる倉庫・納屋部分で、
       他に管理人の住居もあるそうで、
       1846年バドエル家はここを売り払い、その後数回持ち主が変わり、
      
       第2次大戦中にはドイツ軍の軍病院となり、その後英軍の倉庫となり、
       かなりの変革があった様子で、

       現在の持ち主、1945年にここを買い取ったのが門柱に名前の見えた
       ファットレット・Fattoretto、ワイン醸造業という事で、
       確かにサイトを http://www.fattoretto.com/index.html 見つけました。

       サイトの最初のページに2つ項目が見え、左がワイン醸造、右がヴィッラのページに。
       ワインは特別高級ワインというのではなく、一般向け赤の大衆ワインの様ですが、

       右のヴィッラのページからMUSEO・博物館に行くと、
       このヴィッラにあるこの土地とかっての農民文化、職人道具の大コレクションの
       Villano博物館の様子も見れます。

       
       奥は広大な庭園になっている様で、
       そうそう、持ち主があれこれ変わった内に、1903年に買い取った
       男爵シャンタール・Chantalが掘った池があるそうで、
       というのも、何世紀も前に僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!
       見つかったのかどうかは・・、書いてありませんでしたぁ、ははは。


       サイトによると、ヴィッラとお庭、博物館の見学はガイド付きで
       4月、5月、6月、9月、10月の祭日、15時、16時半、18時に。

       グループ10人以上は、予約すると年間を通してOK、
       そして予約すると、ここのワインとおつまみのサーヴィスも、という事で~す。





       前から見る庭園の奥、 木陰にはあれこれ隠れた像も見え
d0097427_23042937.jpg
d0097427_23044374.jpg

       という、ヴィッラ・バドエル・ファットレットでした。





       長閑なブレンタの流れを愉しみ
d0097427_23045291.jpg




       次はこちら、母屋らしき建物と、右にかなり壮大な門があり
       左奥にもあれこれ細々と続いているヴィッラ・ヴェッツィ・Vezzi.
d0097427_23050181.jpg




       こちらが母屋右手前の門と、
d0097427_23051427.jpg




       母屋の入り口部。 
       斜め前からなのは、正面の道からだと木が邪魔でして・・。
d0097427_23052404.jpg

       ですがこれは、上に書きましたヴィッラ・ヴェッツィとはまるで名前、持ち主が違い、
       パラツェット・モリン・ティート・Palazetto Molin Titoと分かりました。

       パラツェットというのは、邸宅をパラッツォと言いますが、
       それよりも小さなという意味で、この辺りは大きなのが並びますので・・!

       1797年にパドヴァの記録にマルコ・モリン・Marco Molinの名で載っており、
       母屋と納屋、教会、建設は1780年から1797年だろうと。
       ここにヴェネツィアのアッカデミアで学んだ画家エットーレ・ティート・Ettore Tito
       借家775リーレで住んだのだそう。
       
              



       長く次々とあるので、shinkaiは別のヴィッラが並んでいるとは思わず
       こちらではどうやら細部を撮るのに興味を持ったようで・・。

       次にあった母屋上部の像と鐘
d0097427_23053390.jpg




       扉と、その上の飾り像
d0097427_23054212.jpg
d0097427_23055123.jpg




       煙突もちょっと変わって繊細で、はは、
d0097427_23060049.jpg




       これは礼拝堂上部の飾り、天使像
d0097427_23060996.jpg




       そして、牡丹、かな。
d0097427_23061758.jpg




       で、最初に上のヴィッラの名を間違えてヴェッツィと書きましたが、
       これは礼拝堂の前の説明文にあった名前の中の最初の名を、
       自分の写真のフォルダ名に勝手につけていたのでしたが、
       それをすっかり忘れ、はは、今回サイトでヴィッラの説明を探すのに往生しまして、

       漸く探し当てた正式の名は、ヴィッラ・バッフォ・ヴェッツィ・アヴォガドゥロ・ヴェッルーティ・
       Villa Baffo Vezzi Avogadro Velluti.

       一見、長~く続いていると思った上のパラツェット・モリン・ティートとは
       別物と分かったのが、
       今までご説明してきたヴィッラの殆どが、ドーロのコムーネ内のサンブルソン・Sambruson
       という所にあり、そのサイトからなのでした。

       サンブルソンにある他のたくさんの大小のヴィッラの写真も見れますので、どうぞ

      
       という事で、このヴィッラの名にあるヴェネツィア貴族バッフォが建設したのが1661年、
       そしてやはりヴェネツィア貴族のヴェッツィに1704年に。
       そして1797年にアヴォガドゥロに渡り、最後が現在の持ち主でもあるヴェッルーティに。

       サイトで見つけたヴィッラ全体の写真がこれです
       真ん中に母屋部分があり、左右にバルケッセ・納屋部が広がる形。
d0097427_23062660.jpg


       この一帯のヴィッラをヴェネツィア貴族が持っていたのは、長らく地中海貿易、
       中近東一帯の貿易で栄えたヴェネツィアが、内陸部に土地を持ちはじめ、
       それの管理ももちろんですが、日曜とか夏に出かける別荘でもあったのですね。
       とりわけこのブレンタ一帯はヴェネツィアから近く船で来れますし、便利だったのでしょう。

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ のご案内
       




       所で、このヴィッラの事を調べていて見つかった意外な人物!
       はい、最後の所有者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティ・Giovanni Battista Velluti.
d0097427_23063342.jpg
       1780年マルケ州の現在コッリドーニア・Corridonia生まれ、
       1861年このヴィッラで亡くなった、
       最後の偉大なカストラート・去勢ソプラノ歌手、の一人と見なされる人物
   
       本当の姓はStracciavellutiと長く、後半部分を芸名としたもので、
       去勢手術を受けたというよりは、多分医者の間違いの結果だったようで、
       本来は軍人になる筈だったのだそう!

       フォルリで1800年にデヴュー、ローマでも長く活躍し、作曲家のお気に入りにもなり、
       また大変に優れた歌手であったようで、聞きに来る貴族階層やファンへの対応も見事、
       ナポレオンやロッシーニなども通ってきたそうで・・!

       そして、彼の身体条件にも関わらず、たくさんのエロチックな冒険談もあり、ははは、
       1809年にはミラノの貴族階級の女性とのスキャンダルも。
       ええ、この目つき!!

       ババーリア、ウィーン、そしてサン・ピエトロブルゴにも公演に赴き、
       ここではロマノフ家の大公爵夫人の愛人となったと、きゃはぁ、凄い!
       ・・ブログアップした後に、年代から誰だったのかを調べてみよう。

       まるで映画「カストラート」を地で行ったような方ですが、ははは、

       1825年になり、24年ぶりにイギリスに行きロンドンで公演。
       最初はすでに趣向が変わっている聴衆に対立するものの、最後は喝采を。

       登場人物の歴史考察にのっとった衣装にも留意する最初の公演もしますが、
       やはり年齢からくる声量の衰えがあり、観客からの罵声も出るようになり、
       1829年ロンドンから去り、その後はごくまれに歌うようになり、遂には引退。

       そして既に1822年に購入してあったこのヴィッラに引きこもり、
       一緒に購入していた土地で、新しい農業のやり方に興味を持ち、
       少数の友人達やロッシーニとは文通をしていたものの、世間からは引きこもりで、

       1861年に80歳で亡くなった時、知らせを聞いた人々はまだ生きていたのかと驚いたそうで、
       まさに既に遠い過去となった、音楽史上のカストラート歌手存在のシンボルだったのだと。

       カストラート歌手が17~18世紀に持て囃された背後には、
       彼らの声がボーイ・ソプラノのままで、それに男性の胸郭による声量の大きさが加わり、
       女性ソプラノとは違う素晴らしさと、当時の教会内では女性は歌う事が出来なかった
       という理由もあったと言われます。
      
       ちなみに、この場面の中で失神する紳士はヘンデルです。


       いやぁ、こんな人物が出て来るとは思いもかけず、
       ブログをしているお陰でshinkaiは、様々な探検冒険を味わっているようなものでして・・、
       お陰様で、有難うございます! です。





       ブレンタ川は町脇を通り抜け、船の通行には橋が回る場所が何か所かあり
d0097427_23064278.jpg
d0097427_23065157.jpg




       いくつもの名も知らないヴィッラが点在しますが、
d0097427_23070118.jpg
d0097427_23071038.jpg
d0097427_23075805.jpg





       この写真の奥のヴィッラ
d0097427_23073053.jpg




       こちらヴィッラ・フランチェスキ・Francheschiは、現在ホテルになっていて、
d0097427_23073904.jpg
       
       レストランもあり、結婚式なども出来るという、サイトはこちらに。





       川は何度もあちこちでゆっくりと蛇行しつつ、       
d0097427_23074910.jpg
d0097427_23072134.jpg





       これはドーロの東、ミーラ・Miraの市役所だったと思いますが、
       これもかってのヴィッラでしょうね。
d0097427_23080899.jpg




       翌日もブレンタ川に沿って行ききし、ヴィッラの写真を撮っていまして、
d0097427_23081991.jpg
d0097427_23082947.jpg
d0097427_23083975.jpg
d0097427_23084898.jpg




       今回の最後の一枚、ヴェネトのヴィッラの女王と呼ばれ、現在国の博物館
       ブレンタ川の西の端ストラにあるヴィッラ・ピサーニ・Pissani.
d0097427_23085742.jpg
       まさに素晴らしく壮大なヴィッラで、初めてブレンタ川沿いに見た時には本当に、
       わぁ~~お!!という驚きの美しさでした。
       
       2度訪問しているのですが、内部は写真禁止でしたしご案内しておりませんが、
       あれこれ調べ、写真も集められましたら次回にでも、と意欲が湧いてきておりますです。
       はぁい、うまく行きますように!




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、アーゾロの聖母子、そろそろと、 CM の可愛いワンとニャン を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

        


          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   






by italiashiho2 | 2017-04-29 23:56 | ・ヴェネト Veneto | Comments(7)
2017年 04月 22日

   ・・・ 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 ・・・

d0097427_18314316.jpg
       1週間前の快晴の午後のひと時、近くのカッペッラ・マッジョーレ・Cappella Maggiore
       の町外れにある「ロンゴバルド教会」の見学会があり、出かけてきました。

       この教会があるのは既に20年ほど前から知っていましたが、
       殆ど放置された状態で閉まっていて内部が見れずで、
       今回参加しているグループの見学があるというので喜んで!

       ロンゴバルド時代の教会というと、この近くではフリウリ州の
       チヴィダーレの教会がとても美しくて有名ですし、期待したのでした。
       




       カッペッラ・マッジョーレの町の中心はこんな感じですが、位置が少し高く、
       ここから更に奥の高台の田舎に至る上り口、という感じの小さな町で、
d0097427_18315129.jpg
       訪問した教会は、左下に伸びる道を行き、坂を下った平野部にあり、





       車で動くようになってからは余り通らない道なので、
       すっかり整備修復されていたのも初めて知り!
d0097427_18320116.jpg




       これはトップで見て頂いた道端の標識を入ってきての、南側からの眺めで、
       教会周囲もきちんと整備され、洗われた壁の白さがとても美しく。
d0097427_18321663.jpg
       扉は正面と脇に2か所、窓も正面扉上に一つ、南側壁に2つ、
       張り出した小さな聖具室部に一つ、そしてこの写真では見えないのですが、
       内陣部の南側に一つありますが、
       建物の東側、北側には一つもありません。





       脇扉の上に TRINO ET UNI と彫り込みが見えますが、三位一体の事で、
       この教会が奉納された正式名「サンティッシマ・トゥリニタ・Santissima Trinità
       を示します。
d0097427_18322490.jpg
       最初に出た「ロンゴバルド教会」の名が一般に知られている名前だと思うのですが、
       その他にも「マッタレッラ教会・Mattarella」とも呼ばれているようで、
       マッタレッラというのは、この土地の古い持ち主の名前から来ているのだそう。





       教会前にあった掲示板の写真で、一番上の平面図に見える
       白い線が現在の教会の形で、緑の線がロンゴバルドの時代にあった小さな教会
d0097427_18323052.jpg
   
       つまり8世紀から9世紀建設とみられる古い小さな教会を内に含み、
       14~15世紀に大きく拡張されたのが現在の教会、という訳。

       ピンクの線は壁画のある部分で、南に張り出している聖具室部分は17世紀のもので、
       教会上に見える小さな鐘楼もどうやらその時のものの様子。





       皆がぼちぼちと車に分乗して集まって来、神父さんが来られ扉を開けて下さり、
       最初に扉の中に頭を突っ込み覗いたshinkaiが見たのがこれ!
d0097427_18323879.jpg
       もちろん神父さんに「写真を撮っても良いですか?」と尋ね、OKを頂いておりますです。

       正面の「最後の晩餐図」の左脇、上、そして右にも少し見える石の跡
       これがロンゴバルド時代の小さな教会跡の壁なのです。
       きっと高さも低かった事でしょう!





       この壁画は蛮族-ビザンティン様式11世紀のもので、6x3mの大きさというので、
       最初の教会の大きさがそれで分かりますね。
d0097427_18324600.jpg
       銀貨の入った袋を握ったユダはテーブルのこちら側に小さく光輪なしで、
       キリストにべったりと寄りかかる使徒ヨハネ、その肩越しにユダにパンを与えるキリスト。
      
       長いテーブルの上にはワインもパンも、木の実のような小さい丸いもの、
       果物なのかな、細長いものも見えますね。
 
      
       上に「蛮族-ビザンティン様式・barbarico-bizantino」と書きましたが、
       ここで蛮族というのは北から来た民であるロンゴバルド族を指します。
       
       イタリア語では北からの侵入民族をバールバロ・barbaroと言いますが、
       その語源はというと、何をバルバルしゃべっているのか分からない、から来ているという説明が、
       昔大いに勉強になった小学生向け図鑑に書いてあったのを思い出しましたぁ!
       ほら、日本語で、ベラベラしゃべりやがって、というのと同じでしょう、ははは。





       皆が入り込まないうちにと、大急ぎで撮っていきますが、
       上の「最後の晩餐図」以外は、時代が下り15世紀のもので、
       画家の名も判明、というのは、殆ど絵の下に書き入れがあるのです。
       
       隣の「ザクロの聖母子像」 アントネッロ・ダ・セッラヴァッレ作
       近くのヴィットリオ・ヴェネトの画家で、左の聖母子の足元に膝まづくのが寄進者と。
d0097427_18325308.jpg
       




       いつもこういう訪問の際のガイド役、ソリゴン・Soligonというグループの講師・元学校の先生が到着し、
       皆も席に着き説明が始まると、入り口の扉を閉めたため暗くなり、
       それもあって、今回の写真はイマイチよく見えないのをご容赦願います。       
       フレスコ画自体が損傷したり、傍で見ても細部がはっきり見えないのも多いのですが・・。

       全体の様子と、内陣後陣の全体像
d0097427_18330178.jpg
d0097427_18331304.jpg
       「磔刑図」はベルガモ出身のアントニオ・ザーゴ・Antonio Zagoの作で、
       他にもう一人アントニオ・グネール?・Gnerという画家の名も。





       正面脇左下には聖母子像と、上に受胎告知の天使像
d0097427_18332508.jpg




       この聖母子像の顔細部が教会のパンフレットに載っていて、これです。
       達者な筆さばきでしょう?
d0097427_18333209.jpg




       同画面の下部にはこんな風な、右に眠る女性の顔半分と、
       白い犬がいて・・、ちょっと判じ物風。
       講師ソリゴンの説明によると、白い犬は彼女の処女性を示す、というのですが・・。
d0097427_18333911.jpg




       上部「受胎告知」の天使。 横割れの衣装から脚を大胆に見せた天使が
       口に百合の花を咥えて、というちょっと変わった構図でして、はは、
d0097427_18334644.jpg




       左脇、下の絵はかなり薄れていますが、上部の「受胎告知」のマリア側
d0097427_18335442.jpg
d0097427_18340361.jpg

       聖母は謙虚に描かれているのですが、ここでも左上の天使の目つきとか、
       聖母の右奥の天使の顔もちょっと変わっており、
       聖母の左の戸棚の中も、いかにも家庭の中の戸棚の静物画の様で、ははは。
       画家の名がはっきりしませんが、面白いセンスを持っていると・・。





       後陣の「磔刑図」上部、キリストの顔ははっきりしませんが、
d0097427_18341081.jpg




       右の男はこんな風に描かれているのを、サイトで見つけました。
d0097427_18342427.jpg
       背景が壁になっている構図も初めて見ましたし、壁の上の三角風の飾り、
       これはヴェネツィアの大運河、リアルト橋横の新装なった元のドイツ商館の屋根飾りと同じ。 





       左下には心痛で気を失いかける聖母が抱えられており、  
d0097427_18343275.jpg
d0097427_18344101.jpg




       右下のこの人物たち、これが良く分かりません。
       お分かりの方、お教えください! 
d0097427_18344943.jpg


       「磔刑図」を見ていて、中央のキリストは槍で心臓を突かれ、手足も釘付けですが、
       左右の二人は腕を横木に縛られ、脚も縛られた状態で、脚に傷を受けています。

       今までこんな風に描き分けられたのを見た記憶がなく、
       この違いは何を意味するのかと、改めて「磔刑」についてちょっと読んでみました。   
       知ったのは、

       磔刑はバビロニア期から行われていた極刑で、
       ローマ期においてローマ市民に適用されたことはなく、
       奴隷や破壊活動者、外国人に対してのみ適用され、
       磔刑の前に行われる鞭打ち、これがまさに酷い拷問であった様子。

       常に十字の形でなく、一本の木でも、逆さまVでも行われたようで、
       十字の場合、縦の木はすでに建てられており、横木を受刑者が運ばされたのだそう。

       脚に見える傷については、いつも、こん棒か槌で折られたのだそうで、
       つまり磔刑の目的は、長いゆっくりの死の苦しみの後に、貧血、肋骨の圧縮による窒息、
       または心臓の血液循環の滞り、虚脱による死、なのだそう。 恐ろしい事!!

       キケロは磔刑について、一番残酷な体刑であり、一番陰鬱なもの、と。
       




       内陣の天井図
d0097427_18345626.jpg




       内陣、北側の壁、上部。 これはアントニオ・ザーゴ作。
d0097427_18350356.jpg
       




       アーチ部の飾り画
d0097427_18351176.jpg

       というような、ロンゴバルド教会の、どこかちょっと違った教会なのかと出かけたのですが、
       教会自体は後の時代に改装されたもので、内部のフレスコ画も後世のものでした。
   
       が、一風変わったフレスコ画で、修復されて見やすくなっており、
       色も鮮やかで素朴で、なかなか良いと満足でした。

       1936年にこの一帯に地震があり、今残っているフレスコ画はこの地震で
       助かったものだそうで、案外教会全部がフレスコ画で埋まっていたのかも、ですね。

       神父さんが仰ったのは、ここは博物館ではなく、毎週金曜日には
       ミサが行われる教会ですので、お出かけください、との事でした。



       
       所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
       そうです、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、
       解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


       この一帯の地図をどうぞ
       薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
       見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、
d0097427_18351899.jpg
       北東にサルメデ・Sarmede 毎年国際絵本原画の展覧会のある場所 
       北西にヴィットリオ・ヴェネト  http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
       南に我が村スコミーゴ 星のついている所に我が家   http://italiashio.exblog.jp/i12/
       そしてオリアーノ・Ogliano  http://italiashio.exblog.jp/23811624/
       一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ   http://italiashio.exblog.jp/9036585/






       オリアーノの教会前から撮ったカステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼
       小高い丘の上に、こんなぐうに張り出した形であり、       
       ここからだと、例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。
d0097427_18352688.jpg




       カステッロ・ローガンツゥオーロの教会前の庭から見る、
       こちらがオリアーノの教会と丘
d0097427_18353244.jpg
       午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





       高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
       新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります
d0097427_18354092.jpg
d0097427_18355058.jpg




       で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
       ティツィアーノの家が見当たらず・・!

       で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
       おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

       北向きの、この風景の、右の大きな一群の建物
d0097427_18360009.jpg



       
       これですね、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが
d0097427_18360816.jpg




       その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
       ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!

       つまり、手前の長い屋根の奥に見える茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのが
       ティツィアーノの家なんだそう!
d0097427_18361646.jpg
       いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係の組合とかなんとかの
       建物なんだそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





       たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場で見かけましたが、
       それの片づけでまだ教会が開いており、
       我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

       幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
       例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
d0097427_18362676.jpg
       
       左に見える礼拝堂の絵が見える部分にティツィアーノの祭壇画が。





       これです。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある修復画ではなく
       この近くの画家が描いた修復画を基にしたコピーで、
       額はこれがオリジナルなんだそう。
d0097427_18363451.jpg




       サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元
       肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。
d0097427_18364151.jpg




       右のサン・パオロ像の方は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
       写真では見えたのですが、こうしてみると、
       ティツィアーノが男を描くときの鋭さは見えず・・!
d0097427_18364966.jpg
      
       丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
       聖パオロが剣を持った姿で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭い方で、
       言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





       こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
       これもティツィアーノの作とは見えませんが、質問するのを忘れまして・・、
d0097427_18365696.jpg




       これが上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
       復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。
d0097427_18370332.jpg
       この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで読んでおりましたので、
       ああ、これの事かと納得でした。


       ティツィアーノに払ったのは、リンクした記事に書いた契約の物品だけでなく、
       ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

       ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、巻いて天井裏に隠した
       当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、イタリアにある、とだけを答え、
       オーストリアの軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、ないのでまた戻り、
       司祭さんは監獄に入れられたとか、


       そんなにまでして描いてもらった、守った絵が修復しても元に戻らずの状態で、
 
       その間に祭壇のフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も綺麗に
       修復されたりで、

       結局、このフレスコ画の方が良い、という事になって、
       ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
       ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっているのだそう、
       という始末記でしたぁ!





       こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子
       右下に教会があり、左上にティツィアーノの家のヴィッラ・ファブリスがあり、
d0097427_18371829.jpg
       
       そうですね、確かに教会からだと前をふさぐ形に、大きな建物があることに!

       シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで勝手に近寄れず、
       shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

       リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、何十年も前のもの!
       という事になります、という始末記でした。





       教会前からの長閑で美しい風景をもう一度
d0097427_18372694.jpg
       ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ
       残された絵も今はこんな状態で、
       家も奥に見える大屋根の上に半分だけ見える、
       という・・、歴史の変遷のお話でした

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今週はパスさせて頂きま~す!

       復活祭関連で、お出かけ2回、食事会2回、車の検査と続き、
       本当に久しぶりに絵を描く時間が取れませんでした。
       
       まぁ、たまの息抜き、という事で、明日からまた頑張りま~す。

       絵のブログはこちら



     ◆ お詫びを ◆

       19日にアップしました記事のスタイルが、文字がずっと横長になるという
       見にくい形となり、一旦削除しアップしなおしましたが、
       それでも文字もいつもと形も大きさも違い、
       編集しなおしたものの、てんでんばらばらの見っともない面となりました。

       それまでにも2度エキサイトにヘルプ・メールを入れましたが、
       返事がなく、昨夜再度メールを送りましたが、まだ何も・・!

       気になり今朝方早く起き出して来まして、
       ひょっとしてと気が付いた事を実行し、
       前の記事を削除し、再度アップし直しました。

       何とかうまく行きそうですが、この方法だと頂いたコメントと、
       「いいね」が消えてしまいますが、
       どうぞ、ご了承下さるよう、お願いいたします!!
       



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

        

          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          








by italiashiho2 | 2017-04-22 12:31 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 09日

   ・・・ 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 (写真追加)・・・

d0097427_23080282.jpg
       ヘミングウェイの「武器よさらば」は皆さんよくご存じと思います。
       あの簡潔なヘミングウェイの文体も素晴らしいですし、
       映画にもなっていますので、そちらからもご存知かと。

       第一次大戦のイタリアの戦場で脚を負傷し、ミラノの病院で手術。
       その病院で知り合った看護婦と恋に落ち、脱走し、
       マッジョーレ湖をボートを漕いでスイスに逃れ、
       そこで彼女は出産するも子供共に亡くなる、という粗筋。

       これはヘミングウェイのイタリアでの戦争体験が元に、というのも有名ですが、

       4年前の春、「ヘミングウェイのヴェネトでの足跡」を巡るツァーがあり参加。
       漸くにその時の写真を整理しましたので、へへ、ご覧ください。

       上はイタリア軍の軍服を着たヘミングウェイ、19歳(18歳)




       
       当日最初に行きましたのが、トゥレヴィーゾ南にあるカジエール・Casierという
       コムーネに付属のドッソン・Dossonという町。
       そこにあるヴィッラ・デ・レアーリ・Villa de Reali、17世紀。
d0097427_23081121.jpg
       おっちょこちょいのshinkaiはバスから降り標識を見て、えっ、レアーレ?!
       (王室の?!)かと驚いたのですが、

       いいえの、デ・レアーリ・de Realiという姓のジュゼッペ・マリーア、著名な政治家が、
       もともとはベネデッティーノ派の修道院だったのを改装してあったこのヴィッラを購入。
       その後、その息子のアントーニオ、上院議員、が大きく再建築し、
       13平米の庭を整備したものなんだそう。





       母屋の主体はこんな感じで
d0097427_23082117.jpg




       庭の奥隅に礼拝堂も見えます
d0097427_23083398.jpg




       ウィキペディアから拝借の写真で、礼拝堂の正面と建物の様子を。
d0097427_23084056.jpg




       翼側の建物
d0097427_23084908.jpg




       広大な庭園。 
d0097427_23085671.jpg
d0097427_23090593.jpg
       
       ですが、どうも良く分からないまま、何となしに奥の方に行きそびれ、





       ちょっとした考古学博物館式になっているロッジャの下なぞや、
d0097427_23091362.jpg




       開いている窓から部屋の中を覗いたり・・!
d0097427_23092183.jpg
       
       この日ガイドしてくださった方は、地方歴史家というのか、
       第一次大戦におけるヴェネトの激戦地についてや、
       今回のヘミングウェイの足跡についての研究家の様子で、

       つまりこのヴィッラは特別ヘミングウェイに関係があるというのではなく、
       戦時中にこのヴィッラは兵隊の駐屯地にもなっていた様子で、
       その時に、彼もここに来て野営した、という関係だった様子・・!

       はぁ、まぁ、ヘミングウェイついでにヴィッラ拝見、とでも。





       漸くにヴィッラの中に入れ、お部屋を見れました
d0097427_23092942.jpg
d0097427_23093822.jpg
   




       古い貴族のお屋敷を拝見に上がると、大抵懐かしい趣の写真があり
       そんなのを見るのが好きですが、今回も美人さんがおられ、
       懐かしいジョヴァンニ・パオロ2世教皇のお顔も!
d0097427_23094670.jpg
d0097427_23095407.jpg
      ★ 写真追加 ◆  
       美人さんの写真、と書きながら、へへへ、肝心なのをアップし損なっておりました!

d0097427_23100359.jpg



       で、この女性なのかどうか・・、たぶん写真の撮り方から違うとは思うのですが、
d0097427_23101197.jpg

       デ・レアーリ家の最後の後継者テレーザが、1900年に侯爵ジュゼッペ・ディ・カノッサ・
       Giuseppe di Canossaと結婚し、
       1937年からこのお屋敷はカノッサ家の財産になっているのだそうで、
       現在の所有者は
       グアリエンティーナ・グアリエンティ・ディ・カノッサ・Guarientina Guarienti di Canossa.

       カノッサって、あのカノッサ?! と思われた方、
       はい、左様でございます。 
       あのカノッサ、10世紀からの貴族の家系、トスカーナ辺境伯、マティルデ女伯の下で
       「カノッサの屈辱」事件もあった、あのカノッサ家ですが、
       現在の上の麗々しいお名前の方はどの分枝の方か、存じませんです。


       「モンテクリスト伯」に、カヴァルカンティ・ディ・カヴァルカンティという
       イタリア貴族の騙りが登場しましたっけ、ぷっぷ。
        




       これは美しいお部屋でしょう?
d0097427_23101936.jpg






       でも、この小部屋の感じの方が好きだなぁ・・!
d0097427_23102618.jpg




       これは門扉の所にあった標識で、
       ほらね、「グアリエンティ・ディ・カノッサ」が見えるでしょ?!
d0097427_23103718.jpg




       見送って下さる管理人の方で、掌に入るほどのチビわんこを抱いて、
       やれやれ、野蛮人どもが帰るわい、という所、ははは。
d0097427_23104500.jpg




       我らはそれからバスで少し走り、地図で見ると多分シーレ河・Sileと思うのですが、
       その川岸を歩きながら、ガイドさんの説明を。
d0097427_23105354.jpg
d0097427_23110345.jpg
d0097427_23111201.jpg
       ですが、川岸の細い道でグループ全体が細い列になっていますから、
       ガイドさんの声はまるで通らず、後ろから付いていく我ら不良どもは、ははは、
       好きなように写真を撮って、時間の過ぎるのを待つばかり。
d0097427_23112038.jpg
d0097427_23112991.jpg
       多分、このあたりにも若きヘミングウェイが出没したのでしょうが・・!


       そう、「若きヘミングウェイ」、本当に若かったのです!
       
       1899年7月21日、現在のシカゴ生まれ。 父親は医者、母親は元オペラ歌手志望。
       小学校へはあまり熱意なく通ったものの、ハイスクールで彼が文学に向いていることを
       発見した良き教師2人に出会い、彼らに励まされ、初めて学校新聞に発表。

       1917年卒業後大学には行かず、カンサス・シティでモダンで斬新、公平な記事を
       特徴とした地方紙「カンサス・シティ・スター」で働き始めるものの、
       
       この年4月6日にアメリカは第一次大戦に参戦、ヘミングウェイも仕事を捨て
       ヨーロッパでの戦いに志願するものの、視力の問題から、赤十字の救急車の運転手として
       イタリアへの派遣が決まり、
       2週間の教練と10日間のニューヨーク滞在の後、1918年5月23日ボルドー行きに乗船、
       5月29日上陸、ヘミングウェイ18歳!

       当時アメリカ側から参戦志願した若者たち、大学生の中には、
       ウィリアム・フォークナーやフランシス・スコット・フィッジェラルドなどもいたそうで。

       5月31日パリに。 ドイツの大砲により被害を受けた街並みを見た後、汽車でミラノに。
       何日かを緊急隊で働き、この時に近郊で、空爆を受けたくさんの女性工員が
       死んだ工場を見、彼にはこれが最初に直接に見た戦争での死者だったそう。

       そこからヴィチェンツァに、国際赤十字アメリカ部門のスキーオに配置されたものの、
       もっと戦争貢献と自分の記述のためを考え、短期間ながらもゴリーツィア、
       トリエステ近くのまさに最前線にも。

       が彼の所属していた部門はかなり平穏だったため、もっと実際の戦場に近い場所への
       配置転換を願い、こうしてピアーヴェ河の下流にある、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ・
       Fossalta di Piaveの近く、塹壕の補助員として配置に。



       地図をどうぞ
       左下に見えるカジエール・Casierの上に小さな赤点がついているのが、
       最初に見て頂いたヴィッラで、その次の川沿いの風景はその東を流れるシーレ河と。
d0097427_23114192.jpg
       東側を流れるのがピアーヴェ河で、この河を挟んで北から南、ずっと大激戦地で、
       上に見えるファガレ・Fagaréには、第一次大戦の戦死者の廟があり、

       地図には見えませんが、ピアーヴェ河を北に遡ったネルヴェーザ・デッラ・バッターリア・
       Nervesa della Battglia、我が町コネリアーノの西に位置するここには、
       もっと大きな戦没者の慰霊廟が。
       
       で、ヘミングウェイが負傷したのがフォッサルタ・ディ・ピアーヴェ
       右下に囲った、ピアーヴェ河が蛇行している所。





       バスに乗り、こんな菜の花畑を見ながら進み
d0097427_23115003.jpg
d0097427_23115814.jpg




       ファガレの戦没者慰霊廟に
d0097427_23120673.jpg




       ここに葬られているのは、イタリア兵5191名、これは姓名が分かっている方で、
       身元不明の死者5350名、アメリカ兵1名、オーストリア兵1名と。
d0097427_23121443.jpg




       この部屋は下段に遺留品の展示もありますが、同じ形の部屋内全面に
       四角い廟という部屋が殆ど。
d0097427_23122338.jpg
     
       管理の方から、なんとも物凄い話もお聞きしたのですが、これはパス。





       そして、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ。 この一帯が大激戦地だったのですね。
d0097427_23123131.jpg




       途中で戦時中に破壊された教会、現在はきちんと修復されておりますが、
       その前にあったヘミングウェイの写真
d0097427_23124003.jpg
       下に見える説明には、
       一般にはヴォランティアには軍服とか火器は許されないが、
       ここではベルサリエーレの自転車に乗り、銃も付けているし、ポケットに手りゅう弾も。
       だから、たぶんフォッサルタでは小さな戦闘にも参加したのであろうと。
       こういうのは、どこでも行われていたと。





       金属板の碑にあったこの一帯の地図
       ちょうど真ん中、ピアーヴェが湾曲している部分が彼が負傷した場所で、
       その下に橋が架かり、教会も見えますが、
d0097427_23124899.jpg




       橋はこれ。 多分私設の橋なのでしょう、渡り賃を取る料金所が真ん中に。
d0097427_23125666.jpg

       ポー河の下流で一度船を繋いだ橋を渡ったことがあり、やはり料金所があったのですが、
       知らずでそのまます~っと渡ってしまった経験が! ははは。






       土手にこんな鋼鉄の碑
         この土手で、アーネスト・ヘミングウェイ、アメリカ赤十字のヴォランティアが、
         1918年7月8日の夜負傷した。
d0097427_23130486.jpg




       土手から見るピアーヴェ河の湾曲部
d0097427_23131375.jpg




       皆土手を下りて岸辺に近づきますが、上から見つめる18歳のヘミングウェイ
       La guerra di Hemingway・ヘミングウェイの戦争
d0097427_23132243.jpg
d0097427_23133089.jpg




       ピアーヴェ河、湾曲部の地図。 濃い赤色の線が塹壕で、
       16の番号のある位置が、彼が負傷した場所。
d0097427_23134132.jpg




       ちょうどあの砂場が見えるあたりでしょうか
d0097427_23134960.jpg

       1915年5月24日から始まったイタリアの第一次大戦。
       1917年の10月頃までは外部にあったこの一帯が、
       イタリア軍が現在のスロヴェニアのコバリード、カポレットの戦い(10月24日から11月9日)で
       惨敗し退却した事から、ピアーヴェ河を挟んでオーストリア軍と対戦することになり、
       一転して最前線となったというのですね。

       「武器よさらば」にも描かれているカポレットの惨敗、退却は大変酷かったようで、
       shinkaiも現在のコバリードに行き、博物館も見学しましたが、なんとも・・!!
       負けが込んでいたオーストリア軍がドイツ軍に応援を求め、ついにドイツ軍が参加、
       毒ガスを用いたのも勝利につながったというのですが、
       博物館で見た写真には、ものすごいのもありました・・。

      
       そして1918年の夏、6月15日から23日にかけ、必死の反撃を掛けたオーストリア軍が
       ピアーヴェ河を渡ることに成功し、フォッサルタの村は全破壊の状態にされたと。
       家から家、1mそして1m、という記述があったことからご想像を!

       そして1918年7月8日の真夜中を過ぎた頃、ブーゾ・ブラート・Buso Burato
       呼ばれたこの湾曲部で、
       オーストリア軍の手りゅう弾がヘミングウェイの近くで爆発、
       または迫撃砲が着弾し、それで手りゅう弾が爆発とも、
       
       近くのイタリア兵一人が死亡、ヘミングウェイも負傷するものの、
       もう一人の負傷したイタリア兵を敵弾の届かない場所まで背負って救助し、
       その後敵の機関銃弾が右足に当たり膝もやられますが、這いずりながら自分も助かり、

       ミラノの軍病院に運ばれ、12回にわたる手術を受け、227に及ぶ破片が取り出されたと!





       これはヘミングウェイが被っていた帽子と身分証? ウィキペディアから拝借。
d0097427_23135715.jpg
       昔読んだ本の解説などでは、第一次大戦に従軍記者として参加、なんぞと
       書かれていたと記憶しますが、
       アメリカ赤十字に所属する救急隊員の補助で、毎日のように塹壕をめぐり、
       兵士達にタバコとかチョコレートとかの援助物資を配る、という事だった様子。

       彼は、自分が負傷しながらもイタリア兵を救助した、という事で、
       イタリア国から軍の銀メダルを、自国アメリカからも戦争十字を授かったと。





       「武器よさらば」に登場するイギリス人看護婦キャサリンとのロマンスですが、

       こちら、ドイツ系アメリカ人アグネス・フォン・クロウスキー・Agnes von Kurowsky
       ミラノのアメリカ軍病院入院中のロマンスの相手だったようで、彼より8歳年上の女性。
d0097427_23140423.jpg
     
       彼にとってはかなり真剣な恋だったようですが、何せまだ若い19歳。
       儚い3か月間のロマンスと入院が過ぎ、

       彼は一旦バッサーノ・デル・グラッパの戦場に戻りますが、部隊が動員解除となり、 
       近い将来の結婚約束を語りながら、翌年1919年1月21日にアメリカに戻りますが、
       3月、アグネスからイタリア人将校と婚約したことを告げる手紙が。





       アメリカに戻った彼は新聞記者をしながら書き始め、1926年「日はまた昇る」を。

       そして1929年にイタリア戦線での経験を盛り込んだ「武器よさらば」
       現在のモンダドーリ版の表紙には、入院中のヘミングウェイの笑顔が。
d0097427_23141252.jpg
       カポレットのイタリア軍の惨敗、退却、そして脱走が描かれている内容から、
       第一次大戦後のファッシスト党ムッソリーニ政権下のイタリアでは
       出版が1945年まで禁止されていたそうで、

       ヘミングウェイの翻訳で有名なフェルナンダ・ピヴァーノ・Fernanda Pivanoにより、
       すでに1943年に秘密のうちに翻訳されていたものの、彼女はその為に逮捕も。

       
       その後ヘミングウェイはスペインの人民戦争にも参加し、「誰がために鐘はなる」
       そして「老人と海」も。 1954年にはノーベル文学賞受賞


       重傷を負ったフォッサルタ・ディ・ピアーヴェを後年ヘミングウェイは再訪し、
       1950年に「川を渡って木立の中に」に当時の様子を描いているそうですが、
       これは読んでおりません。

       
       切れの良い簡潔な文章で語るストーリーは、アメリカの古典と称えられるそうですが、
       私は若い頃に熱中した上記の作品よりも、「海流の中の島々」が好き。
       自分が年を取ってから読んだことにも因るのかもしれませんが、
       なんとも心に染み入る優しさにあふれた作品と。       
       べたつかない、乾いた人間の感情、優しさが心地良いです。





       ガイドをして下さった歴史家は、フォッサルタの後まだ案内したい場所があったようですが、
       我らは内容の重さに少々疲れ、日も暮れかけるので早く家に帰りたく、
       バスの中で採決しましたら、まだ行きたい挙手は2~3名で、ははは、

       夕暮れ近い川を渡り
d0097427_23141990.jpg




       落日近い平野を走り
d0097427_23142645.jpg

       
       すでに暗くなったコネリアーノに戻った、「ヘミングウェイの古戦場巡り」でした




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、トゥスカーニアの古寺 描き始め と、 今朝の葡萄畑 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

        


          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   


  


by italiashiho2 | 2017-04-09 23:47 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 04月 04日

   ・・・ ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 (追記)・・・

d0097427_22263438.jpg
d0097427_22264932.jpg
       ここの所春めいた陽射しの日が続いているこちら北イタリア、ヴェネトです。

       日曜にヴェネツィア・メストレに出かけるので、家に戻る前ついでに
       以前から気にかかっていた「ティツィアーノの家」、
       近くのコッレ・ウンベルト辺りにあるらしい家を探してみようと思いつき、
       土曜の夜調べましたら、何と近い! では!! と寄り道し見つけました。

       今回はそのご報告と、ヴェネトの春の野ののどけさを!

   
       上は日曜の朝歩いた時に見た満開の八重桜と、藤の咲きかけ
       陽が昇った後じきの色です。





       さて、「ティツィアーノの家」と呼ばれるものですが、ウィキのイタリア版で
       見る写真はこれで、赤い矢印がついている家。
       背後の山並みから見て、これは南側から撮ったもの。
d0097427_22265941.jpg

       「ティツィアーノ・Tiziano」という名前だけで通じる16世紀のイタリアの大画家、

       学び、工房と家を持っていたヴェネツィアが彼の本拠地だったわけですが、
       ここ、ちょうどヴェネツィアとカドーレの中間に当たるカステッロ・ローガンツゥオーロ
       Castello Roganzuoloにも家を持ち
       旅の行き戻りに寄り、気候温暖なこの地で保養していた、というのですね。

       がその後に知った事は、この家はカステッロ・ローガンツゥオーロの教会の祭壇画を描き
       その支払の一部として受け取った、というので、
       支払いの一部?! 家を?!と驚き、尚の事、どこにあるのか興味を持っていたのでした。





       家は、現在の持ち主から「ヴィッラ・ファブリス・Villa Fabris」と呼ばれており、
       グーグル地図で検索しましたら、何の事はない、簡単に即見つかりまして、       
       我が家(Casa)から車で8分! 歩いても行ける位置!
d0097427_22270639.jpg
       地図の右下、カステッロ・ローガンツゥオーロと赤線で囲った上に打った赤点
       ここにティツィアーノが祭壇画を描いたという教会


       コッレ・ウンベルトへの道を途中で曲がって、それから・・、と頭に入れ、
       木々や丘で隠れていないと良いけれど・・と願いつつ、出かけました。





       心配することは何もなく、田舎道をゆるゆると進むうち
       進行方向右の丘の上に、あっ、あれだ!と見つかり、
d0097427_22271449.jpg
d0097427_22272241.jpg
       間の木々が邪魔ですが、今はまだ殆ど枯れ木ですので、良く見えます。





       同じ丘の上に並ぶ大きな農家もこんなふうに見え、
d0097427_22273054.jpg




       周囲は春爛漫という感じで、花が咲き乱れ
d0097427_22274306.jpg




       道を挟んでの向こう側の葡萄畑の畝の間は、タンポポが満開!
       まさに春は黄色から!  
d0097427_22275680.jpg




       立木の上に見える泥棒カササギの巣。 
d0097427_22280449.jpg




       立木越しの姿以外には近寄る方法は無さそう、また出直してもよいかと
       車に戻り、ほんの100~150m程行った所にちょうどこのスペースが有り、
       そこから奥、畑の脇を通れそうな感じ・・! 
d0097427_22281706.jpg




       立っていた表示によると、この辺りはハイキングコースとしても利用され、
       11km~12kmのコースでの水車があるとか、有名なヴィッラがあるとかが
       示されていて、   
d0097427_22282601.jpg




       立木の隙間から見る、辿ってきた道。 のどかな風景でしょう?!
       右奥の大きな農家も、窓の作りなどから見て、古いかなりの農家。
d0097427_22283469.jpg
       ちょうど道のカーヴの所に白い標識が見えますね。
       あそこまでがコッレ・ウンベルトになり、今このshinkaiのいる場所はカステッロ・ローガンツゥオーロ。
       そして車を止めた道脇のすぐ先10mほどには、サン・フィオール・San Fiorと
       お隣のコムーネの標識が見えましたから、
       
       このティツィアーノの家のある丘 コル・ディ・マンツァ・Col di Manzaは、
       コッレ・ウンベルトとサン・フィオールの隙間に細長く飛び出している位置なのですね。





       道の左側にも、古い農家が細長く続くのが見え、
d0097427_22284370.jpg
d0097427_22285365.jpg




       しめしめ、ここからだとよく見える、と目指すヴィッラを目指し進みます。
d0097427_22290185.jpg




       同じ丘の並びの大きな農家もこの位置で見え
       傾斜地には葡萄畑と、手前は麦畑。  
d0097427_22291495.jpg




       かなり歩いて、建物全部が見える奥まで入り込み
d0097427_22292256.jpg
d0097427_22293239.jpg

       左の大きなのが、きっと最初に建てられたティツィアーノの家・ヴィッラで、
       右に続くのは後からの建て増し部分かも。
       一番右に離れて見えるのが、家の礼拝堂部分だそう。
       持ち主が変わり、内部も少し改装されているそう。 

       どの窓も皆閉じられていて、右に見える入り口の張り出し屋根の上に一つだけ
       明り取りに細く開けられた鎧戸が見えるのみで、

       こういう感じではいくら厚かましくとも、丘を上る気にはなれませんね。
       まして、公開されているヴィッラではありませんので・・。    
    
       まぁ、長年気にかかっていたティツィアーノの家が見つかった、というので納得



       上記した教会の祭壇画の支払いの一部としてこの家を、という事については、
       近年研究が進んで分った事だそうで、詳細が見つかりましたので、ご説明を。

       ティツィアーノの画料は大変高かった、というのはあちこちから知っておりましたが、
       このカステッロ・ローガンツゥオーロの教会から依頼された
       祭壇画の画料は200ドゥカート

       これが現在においてどの程度の価値になるのか、ご存知の方ぜひお教えくださいませ!!
       あれこれ探しては見ましたが分らずで、
       他の絵の画料についてでも宜しいので、教えていただけると有難いです!

     ◆ 追記 ◆

       シニョレッリさんがコメントで教えて下さいました。
       1ドゥカートは約10万円と考えてよかろう、との事ですので、
       200ドゥカートだと、約2千万円ほどですか。      
       なるほど、これだと「ヴィッラと土地」+アルファ、が成り立ちますね。
       シニョレッリさん、有難うございました!

     *****

       祭壇画は1543年に注文され、6年後の1549年に納入されたのですが、
       これはティツィアーノが64歳の時で、数々の名作ですでにイタリアのみならず
       国際的にも名を成した画家が、
       ちょうどこの1543年に、この一帯から2枚の注文を受けていまして、


       カステッロ・ローガンツゥオーロよりも遅く1552,3年に納入された、
       ヴィットリオ・ヴェネトの北側セッラヴァッレ・Serravalleのドゥオーモの大祭壇画 
       456x270cm、こちらです。
d0097427_22294262.jpg


       ティツィアーノがこれら2件の絵画注文を受けた理由として、3点考えられるそうで、

       セッラヴァッレのサルチネッリ家、コネリアーノにもサルチネッリ家の邸宅があり、
       現在は市の絵画展の催しに使われている邸宅で、お金持ちの一族。
       
       で、このセッラヴァッレのサルチネッリ家・Sarcinelliに、
       ティツィアーノの愛娘ラヴィーニア・Laviniaが嫁いでおり、
       ここカステッロ・ローガンツゥオーロからだとほんの数キロの距離で、
       会いに行けるという理由、

       そしてヴェネツィアと生地カドーレとのちょうど中間地点、気候温暖
       風光明媚のこの地に家を持ち、ここを基地にしようとした、という理由。

       基地というのは、画家ティツィアーノはここで保養しながら、

       その片割れの実業家ティツィアーノ、また彼の一族ヴェチェッリオの事業の
       中心管理事務所としての基地なのですね。

       すでに生地ピエーヴェ・ディ・カドーレから南に下ってきた所に一族が持つ製材所が2軒
       ここでの木材をヴェネツィアに運び販売するための管理。

       そしてこのカステル・ローガンツォーロの農製品、穀類、ワインの自家消費以外を
       ヴェネツィアで販売する事、などなど。



       どうやら最初の契約では祭壇画の画料として、土地と家を、という事の様だったのですが、
       かなり大雑把だったのを、ティツィアーノにうまくやられたのではないかと・・!

       1554年8月に祭壇画が納入された後、9月にも分割金を受け取っておらず、
       1556年になって教会の管理者との支払いについての話し合いが漸くにつき、
       今後8年間に渡って支払う事、という物品明細があり、

       ・1スターロ・staro値8リーレの、穀物を5スターロ    =416,585リットル
       ・1コンツゥオーリ.conzuoli値55リーレの、ワインを16コンツゥオーリ   =1248リットル
       ・建築のための資材をフレゴーナ・近くの石材のある場所から運ぶのに
        工人一日の賃金を4ソルドとして、各人に支払う事
       
       とあり、最後にティツィアーノへの支払額が26リーレ不足となり、支払われたと・・!!


       上記したスターロ、コンツゥオーロというのはいずれも計量の分量基準で、
       ローマ期からのものだそうですが、
       スターロは町によって基準がどんどん変わり、ヴェネツィアでは83,317リットル、
       コンツゥオーロは約78リットルだそうで、 

       shinkaiめが計算機をたたいて出た数字が、上の=で、これを8年分です!!

       8年間というのは、ヴィッラ建設を8年間で、という事からの様ですが、

       それにしても、本当に、計算に強い!という気がしません?!
       まさに偉大な画家でもありますが、頭の働きは実業家なのですね。

       こうして彼はこの後24年間を安楽に生き、86歳で亡くなります。
       
       



       丘の上のに広がる林、そして空と雲
d0097427_22294917.jpg
       大快晴の日のちょうどお昼時、逆光でコンパクト・カメラのディスプレイでは 
       何がどれくらい写っているのかも確認できないほど・・!

       う~ん、この雲はティツィアーノというよりは、ゴッホだなぁと、ははは。





       畑の右向こう、葡萄畑越しに遥かに見えるオリアーノ村の教会と鐘楼
d0097427_22295786.jpg




       その右の奥には、はるかフォルメニーガの教会も。
d0097427_22300552.jpg




       さて戻ろうかと振り返る畑の脇道、と言っても麦が植わっていない、という事でして・・!
       立木にも新緑の芽吹きの色が見え。
d0097427_22301747.jpg




       来る時は殆どヴィッラばかりを眺めて入り込んで来たのですが、
       戻りは足元も見つつで、

       たくさん土筆もあるのに気が付き! 日本のよりもずっと大きいのですよ
d0097427_22302963.jpg
       後ろに濃いめの色で見えるのは、立木の向こうの溝で、湧き水が流れているのですね。
d0097427_22304295.jpg
d0097427_22305532.jpg




       これはなんという花でしたっけ?
d0097427_22310412.jpg




       葡萄畑の畝の先頭に、勢い良く新芽が伸びる薔薇の株
d0097427_22311801.jpg
       葡萄畑の薔薇の木は、何も美的要素のためではありませんで、
       葡萄の木とよく性質が似ているので、葡萄の病気の早期発見に役立つのだそう。





       可愛い新芽が出てきていて
d0097427_22312574.jpg
d0097427_22314462.jpg
d0097427_22315243.jpg
       葡萄の新芽を見ると、こちらも何となしに微笑みそうな可愛さ!





       辿ってきた道をもう一度
d0097427_22320031.jpg




       そして、タンポポの黄色、木々の新芽の色
d0097427_22321289.jpg
d0097427_22322456.jpg




       道がどこに出るのか分かっているのでそのまま進み、

       道幅が広くなった所で見つけたこの古い家
       奥には大きな新しい家が2棟あるのですが、これは前庭に。
d0097427_22323324.jpg
d0097427_22324640.jpg

       下の写真が入口側で、
       




       脇には、藤が咲きかけ
d0097427_22330052.jpg




       そしてこの道の名は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ通り
d0097427_22331016.jpg




       気候温暖なこの一帯、道脇にはオリーヴの畑
d0097427_22332370.jpg




       スコミーゴ村の上り坂の前まで戻ってきて、
       満開の白い花と、広がる葡萄畑
d0097427_22333604.jpg
d0097427_22335038.jpg




       家に戻ってきて後、ヴィッラ・ファブリスへの接近方法を再検討、はは。
d0097427_22335883.jpg
       グーグルの衛星写真で、shinkaiが近づいた北東側は、ここでは家の裏側、
       やはり表側、南側には車寄せの前庭もあり、
       左に伸びる並木道が、一般道からヴィッラへの長い並木道で、
       他にはヴィッラへの接続道はないので、やはり近寄るのはちょっとなぁ、との結論。





       所で、肝心のティツィアーノが描いた祭壇画ですが、これです。
d0097427_22340678.jpg
       最初見た時、えっ、何、これ?! と驚いたのですが、
       理由を知り、納得もいきましたので、ご説明を。

       聖母子と、左にサン・ピエトロ、右にサン・パオロ
       画布の大きさは、両聖人が190x57,190x70cm、聖母子が240x80cm。

       祭壇画は注文を受けた6年後の1543年に納められた後ずっと教会にあった訳ですが、

       サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会と知り、教会は知っているけど絵は見てないよね、と
       少し泡を喰って以前の教会内のブログ記事を見直したほどですが、ははは。

       第一次大戦の勃発で、当時の教会の司祭殿がオーストリア軍に奪われては大変と、
       画布を教会の天井の下に隠したのだそう。

       司祭は尋問を受け逮捕もされたのだそうですが、隠し場所は発見されず、無事!

       そして戦争が終わり、無事だった絵も天井下から運び出されたのですが、
       なんと湿気のため、絵の具も剥げ落ちた酷い状態になっており、
       修復しても取り戻せないほどの落剝ぶり!!

       で現在は教会にはなく、ヴィットリオ・ヴェネトのディオチェザーノ聖美術博物館に

       何とかオーストリア軍の没収を逃れようと隠したものの、
       こういう結末になるとは!!

       本当に残念ながら、ティツィアーノらしい切れ味がまるで見られず、
       ぬるっとした肌合いの、そこらの地方画家の絵の出来具合の様で、本当に残念!
       最初はヴィットリオ・ヴェネト(チェーネダ)に見に行こうと思ったのでしたが、
       これでは見に行くほどの魅力を感じませんで・・、失礼。
       
       あれほどの高価な祭壇画でしたのに、勿体無いというか、逆に可笑しくもあり・・!
       兵どもが夢のあと、という言葉も思い出されたりして・・。




       ということで気分を変え、
       最後はお口直しに、イタリアの白い桜をどうぞ!
d0097427_22341520.jpg
d0097427_22342542.jpg
d0097427_22343382.jpg



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルムーツィオ 途中経過と、  夜明けの空、雲のきらめき を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

        


          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   


   


by italiashiho2 | 2017-04-04 23:22 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)
2017年 03月 30日

   ・・・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ ・・・

d0097427_18295369.jpg
       先回に続き、「印象派絵画展」を見に出かけたトゥレヴィーゾ・チェントロの、
       運河沿いに見かけた春の様子を見てやって下さいね。

       
       上の写真は、博物館から出てきてすぐの、わき道に見えた建物の壁画

       我が町コネリアーノも古い中心部はそうなのですが、トゥレヴィーゾもこの一帯の
       古い建物には大概壁画、フレスコ画装飾が残っており
       見てあれこれ想像するのが楽しいのです。





       そろそろお昼時に差し掛かる時間ですので、どこからともなく美味しい匂いが漂い、
       気持ちがそぞろになりますが、ははは、

       運河沿いに見えたお店の中の電球
d0097427_18300486.jpg



     
       運河沿いに沿って角を曲がり、見えるかっての水車
       ここのはかなり古い様ですが、今は動いていなかったと・・。
d0097427_18301334.jpg
d0097427_18302605.jpg
       同じカニャン・Cagnan運河の奥には、まだせっせと動く水車あり





       水車の脇を抜けると中の島があり、運河はその両脇を
       かなりの水量で流れていますが、鴨たちがたくさん
d0097427_18303695.jpg




       中ノ島には常設屋台市があり、
d0097427_18304707.jpg




       もと元は魚売り場だったのですけど
d0097427_18305692.jpg




       今回見たチーズ売り場、2軒! 
       かなり強い匂いのする、美味しそうなのがありましたっけ・・。
d0097427_18310508.jpg




       ふと屋台の後ろを見ましたら、鴨たちがたむろしていて、
       しかもメス1羽に、オス5羽!! ははは。 
       こういうのも、ハーレムというのだろうか?!
d0097427_18311954.jpg




       運河沿いの向こう岸、ここもフレスコ画が残る建物ですが、
       新しくバールが店開きしたみたいで、良い感じの眺め。
d0097427_18313248.jpg

       中ノ島一帯に、明らかに観光客団体と思われるグループが何組もおり、
       印象派絵画展を見つつのトゥレヴィーゾ観光なんでしょうね。

       ええ、我々もフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見にボローニャに、
       「メッシーナ展」を見にロベレートに行ったりするのですものね。
       トゥレヴィーゾの中心も、見どころの多い場所なんで~す!

       以前の街のご案内はこちらから

       ちょっと興味深い、こちらもどうぞ

       




       野菜市もたつ狭い通りを横切り、も一度運河沿いに
d0097427_18314510.jpg
       初めてこの辺りに来た大昔、ははは、当時はこの右側の古い建物にも住人がおり
       窓辺や運河に張り出すテラスにも鉢植えの植物が見られましたが、
       ついに閉じられたようで・・。





       薄日が差し、淡い新緑の柳が揺れ・・
d0097427_18315982.jpg




       運河を渡る橋と
d0097427_18320892.jpg




       運河脇の建物に残るフレスコ画。 
       かってはきっと華やかな眺めの街だったでしょうねぇ!
d0097427_18321761.jpg




       橋の上を行きかう人々。 
       土曜日とあって家族連れ、そして買い物帰りの人々。
d0097427_18322918.jpg




       運河脇のインテリア店、ショウ・ウインドウの中
d0097427_18323900.jpg




       建物の間をぬい、道を抜け、もう一本流れる
       ボッテニーガ・Botteniga運河沿いに
       ここも柳の新緑が目に沁みます。
d0097427_18324992.jpg




       ほのかなピンク色が満開!
d0097427_18330235.jpg




       こちらの河岸にも鴨たち
d0097427_18331609.jpg




       オオバンがひょいっとお尻を持ち上げ、飛び込むのを撮ろうと思うのですがぁ、
       う~ん、コンパクト・カメラはシャッターが切れるのが遅くてねぇ・・。
d0097427_18332594.jpg




       この眺めを見るたび、いつか描くぞぉ!と思いつつ、ははは。
d0097427_18333808.jpg




       細い運河越しのこのお家、かって詩人が住んでいた、との事。
       そう、如何にもそんな感じを受けるお家なのです。
d0097427_18334875.jpg
d0097427_18335631.jpg





       途中に架かる橋の上からの、逆向きの眺め
d0097427_18340572.jpg




       運河沿いの家の、上階のバルコニー
d0097427_18341527.jpg
d0097427_18342422.jpg




       通りに出てきて、この建物も古いのですよねぇ。
d0097427_18343456.jpg




       建物の下をくぐり、流れていく運河
d0097427_18344354.jpg




       道はサン・ヴィトー広場に出て、何軒かの店が出ており、

       花屋さんの鮮やかな春の色!
d0097427_18345733.jpg
d0097427_18350825.jpg




       斜めに横切り、トゥレヴィーゾの街の中心シニョーリ広場に。
       
       街の中心部は一般車は進入禁止ですし、ましてや土曜のお昼とあって、
       ゆっくりと行きかう人々で溢れていましたが、
       
       ここにはすでにお昼のテーブルが準備万端!
d0097427_18352286.jpg




       我らは、いやshinkaiはそれを睨みつつ、駅に戻ります。
       振り返るシニョーリ広場の建物と塔
d0097427_18353109.jpg
       
       う~ん、友人のジュリアーナと出かけるのは良い、楽しいのですが、
       彼女は写真を撮るのにも、食べるのにも余り関心がなく、・・それがどうもねぇ!
       という事で、結局この日のお昼はコネリアーノまで戻り、
       いつも行く彼女の家の近くのピッツェリーアでの、ピッツァでしたぁ!

       今年のパスクワも、4月16日、どうやら彼女とお出かけになりそうですが、
       う~ん、どこに行こうか、お昼をどうしようか・・・と、
       それがshinkaiの現在の悩みで~す。



     *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       この日曜の朝から「夏時間」となったこちらイタリアですが、
       
       土曜のお昼頃には、あ、今夜寝る前に時計を直さないと、と思いつつ
       コロッと忘れ、何せTV番組を見ませんので、お知らせも目に入らずで・・、

       日曜の朝、歩こうと起きて窓を開けびっくり、まだ暗い!!
       やっと、そうだ、夏時間になったのだと気が付いたものの、
        ・・自動的に時間変更に対応する目覚ましはイギリス製で、
         目覚ましはいつもの通り5時半(実質4時半)に鳴ったということで、

       目につく時計も、PCの時計も遅れたまま、頭の中も寝たまま!
       で、6時に出かける筈の歩き時間の計算ができず、いささかパニック、ははは。     


       と同様、今朝エキサイト・ブログのマイページをつけようと思いましたら
       レイアウトが変わっており、どうやったら即マイページに行けるのかと・・!


       う~ん、だんだん対応が遅くなっているなぁ・・!

       でもぉ、エキサイトの変更のは、shinkai一人ではなかろうなぁ、へへへ。
       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルッチョ 仕上げに向けて と、 スコミーゴ村、林の奥の春 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!


        
       

          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   





by italiashiho2 | 2017-03-30 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 01月 25日

   ・・・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ ・・・ (旅行 お出かけ)

d0097427_22372481.jpg
       すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
       プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。
       
       このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
       11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
       内部装飾などでは有名画家の収蔵作品などはないものの、

       国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
       そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、化粧品、ワインなど
       その活動で大変有名な修道院です。
        
       プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を受けた事も
       あったのですが、ヘっヘっへ、忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
       改めて資料を読み、今回ご案内を!

       上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所




       近くには大きなヴィッラも見える、気候温暖な事でも知られるパドヴァの南西部
d0097427_22373278.jpg



       道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所
d0097427_22374297.jpg
       それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 高い城壁を兼ねているような建物群が
       ぐるりと周囲をめぐります。




       プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ
       パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下ってエステ・Esteに至る、
       県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置します。
d0097427_22375194.jpg
       少し南東に行くと、有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Termeがあり、
       南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者であるペトラルカ・Petrarca
       古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。




       さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
d0097427_22375959.jpg
d0097427_22381066.jpg



       入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でしたね。
       内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、この時はかなり待ちました。
d0097427_22381812.jpg



       待合室から内部の回廊が見えましたが、
       奥の建物の壁にかってはフレスコ画装飾があった様子ですね。
d0097427_22382691.jpg



       壁にあった聖母子と聖ヨハネのフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、
d0097427_22383395.jpg



       部屋の隅にあった修道院特産品のウィンドウなども覗き!
       左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、
d0097427_22384181.jpg



       様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。
d0097427_22384952.jpg
       勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
       サイトはこちら



       待ち時間が長く、一旦表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
       城のような背の高い壁に圧倒されます!
d0097427_22390044.jpg
d0097427_22391048.jpg



       とにかくきちんと整美されており、ゴミなども勿論落ちておらず! はは。
d0097427_22391852.jpg



       軒下に見えた陶板の飾り
d0097427_22392718.jpg



       1箇所、こんな風に壁の開いている場所があったのですが、
       手前に柵があり、近くまで寄れず・・。
d0097427_22393504.jpg



       山側には、養蜂の箱
d0097427_22394470.jpg



       待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真
       サイトで見つけた平面図と見比べましたので、大体の位置をご説明いたしますね。
d0097427_22395343.jpg
       写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
       その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、火のある普段の部屋(台所、食堂?)
       そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ・回廊部分が2重になっているのだそう。

       その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
       左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
       左側の、屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ・食堂・会議室

       右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培をしていた回廊と。
       一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ、かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
       にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。

    
       所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
       マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polironeに従属する形だったのが、  
       14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
       15世紀中頃にはパドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会のもとに入り、19世紀まで。

       1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、僧侶たちは追放されますが、
       4年後にオーストリア軍の下で再び修道院は活動を再開。
       が、1867年にイタリア国となって後、再びすべての修道院の廃止となり、
       当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
       他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
       イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
       1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
       同年の10月には再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
       カンティーナも持つほどのワイン製造をしているので、
       多分この写真にも見える周囲の葡萄畑はすべてこの修道院のものと!


       サンタンティモ修道院
       
       サン・ガルガーノ修道院

       プロヴァンス  セナンク修道院 1と2




       さて漸くに見学の時間が来て、
       待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り
d0097427_22400486.jpg



       聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。
d0097427_22401254.jpg



       見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
       こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
       適度に剥落し、とても良い色合いに。
d0097427_22402043.jpg



       ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという回廊部分ですが、
       現在はきれいな植え込みの風景に。
d0097427_22402882.jpg



       廊下に見えた「聖母子と天使像」
d0097427_22403708.jpg



       そして、キオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊
       周囲の屋根からの雨水はすべて濾過されて井戸水として使用される方式。
d0097427_22404510.jpg
d0097427_22405368.jpg


       

       この回廊周辺がすべての僧侶たちにとって一番使われている部分なのだそうで、

       脇にあったこの部屋はロープが張ってあるので、現在使われていないものと思いますが、
       真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
       この部屋に僧侶たちが集まり、会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。
d0097427_22410016.jpg



       廊下にあった16世紀の手洗いの泉、大変美しい大理石の嵌め込み柄。
d0097427_22410891.jpg
d0097427_22411664.jpg



       細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、直訳すると食堂なのですが、
       この素晴らしい作りと飾り付けから見て、会議室でもあったでしょうか。
d0097427_22412499.jpg
d0097427_22413385.jpg



       廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
       奥は葡萄畑のようですが、手前は現在の薬草畑と?
d0097427_22414269.jpg



       そして、手前の植え込み部分
d0097427_22415679.jpg
d0097427_22420621.jpg



       回廊の見学を終え、廊下を行く、左がガイドをして下さった僧侶。
d0097427_22421438.jpg



       廊下の上から見下ろす、修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。
d0097427_22422289.jpg



       傍らに、ちょうど花を開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
       ちょっと蕾の形がちがうような気もするなぁ・・。
d0097427_22423587.jpg



       この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

       こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館
d0097427_22424667.jpg

       そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。




       有名な古書の修復ですが、
d0097427_22425574.jpg
       1951年の秋から始められていて、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、版画、写本、
       手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の手紙類、と全てに及び、
       正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数であろうと。

       1966年のフィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
       すべてでは約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

       インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの被害などから
       価値ある古書を救い、できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

       Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
       E mail: restauro.libro@praglia.it
       と連絡先も。




       葡萄畑での収穫の写真
d0097427_22430499.jpg



       さて、最後の見学は聖堂内を。
       我々は横の入口から入ったのですが、まずは正面入口側からの様子を。
d0097427_22431212.jpg
d0097427_22432080.jpg



       祭壇前の大理石の床模様羅針盤ですね。
        済みません、うっかり羅針盤と書きましたが、
        これは「風の薔薇」と呼ばれる風見、風の方向を示す柄と思います。
d0097427_22432772.jpg



       外に出て聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。
d0097427_22433598.jpg



       聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭の
       塀の中と、咲き乱れる薔薇の花
d0097427_22434327.jpg
d0097427_22435110.jpg

       近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、それでも千年近い歴史を生き抜き
       この長閑で温暖な地で営々と農業を営み続け、今に至る修道院

       元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院などは、
       ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
       この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
       僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし過ごして来たのでしょう。

       ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

       修道院のサイトの、このページの下にヴィデオが2つあり、
       上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     



     *****

       ヴェローナのサンタナスターシャ教会でご案内したピサネッロのフレスコ画、
       「サン・ジョルジョと姫」に見える騎士2人、姫の左と右のどちらがサン・ジョルジョか?

       コメントで疑問を頂き、再度調べてみた様子を「再追記」しました。


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、丘の上 途中経過と、 ピサネッロの素晴らしいデッサン を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!


        
       

          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       
   




by italiashiho2 | 2017-01-25 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2016年 05月 10日

   ・・・ 湖畔の春色を撮りに ・ ラーゴ・ディ・レヴィーネ ・・・

d0097427_00360017.jpg
       この5日、久し振りに写真仲間と撮りに出かけました。

       天気予報ではまん丸の太陽さんだったのですが、・・嘘つきめぇ! 
       前夜は雨で、朝は雲の厚い薄ら寒い日となり、
       それでも朝の7時半に集合、6人が車2台に分乗し出かけました。

       上の写真はコネリアーノから北に向かう所で、
       前の車にジョヴァンニ達。
       ちょっとした遠足気分で、車中ではお喋りが弾み、ははは。




       出かけた場所はラーゴ・ディ・レヴィーネ・Lago di Revine.
       何度も出かけている場所ですが、四季折々の色があり、
       周囲の村落もとても良いのですね。

       コネリアーノからだと20kほど、30分足らずですが、
       途中のタルツォ・Tarzoでカフェをし、

       到着した湖はこんな色
d0097427_00361679.jpg



       湖の対岸には、ヴィットリオ・ヴェーネトから西に連絡する道に
       点在する村落が見え、これはラーゴ・Lagoの村。
d0097427_00363128.jpg
       この道、これより西に、この春復活祭の日に出かけたムーラ・Mura があり、
       カステルブランドの城のあるチゾン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarino
       元修道院のあるフォッリーナ・Forrina
       西のヴァルドッビアーデネ・Valdobbiadeneまで続きます。
      



       地図をどうぞ
       SP35・県道35号線が通り、東にヴィットリオ・ヴェーネトで、
       湖は2つに分かれ、この湖を見下ろしながら通る事も多いのですが、
       写真を撮るには逆光になるので、
       今回はさすがジョヴァンニ、良く状況を知っており、湖の南岸に。
d0097427_00364009.jpg
       南のタルツォから来ての突き当りを右に下り、湖近くの赤点を
       打った場所に小さな駐車場があるのに車を止め、
       このすぐ近くにピクニック用のテーブルや椅子、
       子供の遊技場なども整えられているのですが、

       我らは左の大きな湖の周囲を、まず東側の岸沿いに行き、
       東端の角辺りで引き返し、西の湖岸辺りまで。
       
       最後はラーゴ・Lago のパン屋により、
       それから少し西にあるソットクローダ・Sottocrodaの村に。
       この村はまるで知らずだったのですが、
       石造りの古い村でとても良かったので、またご案内いたしますね。




       地図の右上に見えるレヴィーネ・ラーゴの村の上にある、
       聖所とされる教会が見えます。
d0097427_00365359.jpg




       この日は雲が厚く、肌寒いほどでしたが、
       やはり、東に見える山、カンシーリオの上には雪が見え、
d0097427_00370692.jpg
d0097427_00371957.jpg
       望遠で覗きましたら、大きな山小屋のあるのも見え!
       見えますか?

       ジョヴァンニに聞いたうろ覚えを頼りに、確か P で始まったと、ははは、
       調べましたら、モンテ・ピツォック・Monte Pizzocと。
       
       夏に出かけたカンシーリオの森から、ジグザグに山の中の道が
       すぐ近くまで続いているのも確かめました。
       ジョヴァンニに行ける場所かどうか、誘いをかけて見よう!
       勿論、彼の車か誰か仲間と一緒にね、ははは。
       



       一瞬雲の間から射す陽に、山の新緑が浮かび上がり
d0097427_00373330.jpg
       いやぁ、湖面を渡る風がかなり強く寒く、shinkaiはこの日
       コートのポケットに入れていた指なし手袋をはめて正解で、
       仲間達は手が冷たい、と言っておりました。




       この湖には河骨が咲くのですが、既に準備中のも。
       ね、水も綺麗でしょう?!
d0097427_00374630.jpg



       かなりの幅で湖岸が広がり、葦が茂っていますが
       今枯れた良い色。
d0097427_00375995.jpg
       



       道脇にびっしりのスギナ、ちょっと土筆の名残も!
d0097427_00381377.jpg
       ジョヴァンニの奥さん、マリーザに聞きましたら、
       食べないけど、何かの薬草になると聞いた、
       が、何に効くのかは覚えていない、との事。




       道脇の木にびっしりとつく苔類
d0097427_00382786.jpg



       切り株の緑の苔、綺麗でしょう?!
       右下に見える丸いのは茸。
d0097427_00384168.jpg



       切り株がまるで廃墟式に見える齧られ跡
       何箇所かにキツツキが突いた丸い穴も見え・・。
d0097427_00385768.jpg



       野生の小さな花々
d0097427_00391152.jpg
d0097427_00392473.jpg



       芽吹く草の穂
d0097427_00393863.jpg



       あやめ科の小さな蕾
d0097427_00395171.jpg
       
       蛇はおらんよね?となんども訊ねつつ、ははは、
       草地の中に踏み込むshinkai。




       ジョヴァンニの、今回初お目見えの新兵器
       分りますか、三脚の上に乗せカメラを据えるもので、
       水平や角度が、脇に突き出す3つのつまみで簡単に
       調整できると言うもの。
d0097427_00400954.jpg
       ManfrottoのMHXpro3WGというのだそうで、
       200エウロだったんですって!
       値段を聞き、わぉ~!と言うと、
       隣からマリーザが笑いながら、家の財布を別にしたいと。
       うん、ついでに銀行もね、とshinkai、ははは。




       岸に沿って道がゆるく曲がり、右の新緑は桑の木
d0097427_00402238.jpg
       イタリアもかっては養蚕国でしたので、桑の木が今もあちこちに残り、
       大木になっているのも多く見かけますが、
       こういう場所にある、というのは貧しい農家で桑の木を持たずとも、
       ここの桑の葉は取っても良いという場所だったのでしょうね。
       教会の脇にあるのも、そういう意味だと聞きましたが。




       道はつかずはなれず、湖岸に沿って続き
d0097427_00403739.jpg
d0097427_00405014.jpg



       太陽が雲から出たり入ったりで、山の色、緑の色が変化
d0097427_00410445.jpg



       ちょうど対岸の新緑が見える位置になった時
       陽が射し、柔らかい緑色が。
d0097427_00411931.jpg
d0097427_00413202.jpg



       奥に続く道の脇、かなり広く草原が広がり
d0097427_00414624.jpg



       その奥に、道脇の建物が見え
d0097427_00420088.jpg



       ラーゴの村も角度が違って見えます
d0097427_00421341.jpg



       岸辺近く、河骨の繁殖が大きな場所もあり
d0097427_00422723.jpg



       風で騒ぐ波紋の色も様々に変わり
d0097427_00424134.jpg



       オオバンが一羽通過。
d0097427_00425551.jpg



       少し高い位置に上ると、
       平野の新緑が、光って鮮やかに煌き
d0097427_00430961.jpg



       下からカメラを向ける仲間にサーヴィスで少し踊りまして、ははは。
       左からミレーナ、マリーザ、サンドラ、ジャンナ。
d0097427_00432259.jpg



       彼らは本当にしょっちゅうのお喋りで
       カメラの事、写真の設定、友人の事、旅行の事 ecc,ecc.
d0097427_00433668.jpg



       少し湖の西を行きますが、こちらはこんな感じの細い道が続き、
d0097427_00435040.jpg



       隙間から見える、レヴィーネ・ディ・ラーゴの村
d0097427_00440381.jpg



       湖岸に近く、寄せる波
       雨量の多い時は、並木道の辺りまで水に浸かるのだそう。
d0097427_00441803.jpg



       今回は途中で引き返したのですが、
       こちらをも少し奥、北のラーゴの村に近い辺りに行くと、
       考古学公園・Parco Archiologicotoというのがあります。
d0097427_00443256.jpg
       新石器時代の終りから青銅時代の初期にかけて、
       この一帯に人々が定住していたと見られる歴史を振り返り、
       湖に張り出しての杭の上の住居を含め、3軒復元されていて、
       子供達も勿論、見学できるようになっている様子です。

       写真奥に1軒、杭の上のが見えますが、分るかな?

       サイトは http://www.parcolivelet.it/ 

       shinkaiは一度見学のチャンスがあったのを逃しており、
       見学の日を一日間違えまして、へへへ、
       いつかまたのチャンスを待っております。




       さて戻ろうか、という事になり、
       最後にもう一度、ラーゴの村を
d0097427_00444595.jpg



       桑の並木が続いていた辺り、今、陽が射しこみ!
d0097427_00445978.jpg



       駐車場近くにあったハイキング用の椅子とテーブル
       子供達の遊具類も備えられ、小さな舞台もありました!
d0097427_00451309.jpg



       さて、こちらが道に上がって来てのラーゴの村で、
       何度も写した教会の鐘楼。
d0097427_00452763.jpg
       



       そしてここに、ジョヴァンニご推薦のパン屋さんがあり、
       ほらね、葡萄棚の葉に隠れそうな「Forno・フォルノ」が見えるでしょう?
d0097427_00454186.jpg



       中はこんな風に小さな店で、棚にあるのが本日のパンで、
       無くなると店を閉めるのだそう!
d0097427_00455797.jpg
       シニョーラの顔の奥に見える干し葡萄とアーモンドの入った
       塊の半分と、ピッツァを1つ買い5エウロで、ちょっと高めかな。
       でもカボチャの粉も入っている様子で甘い、美味しいパンでした。

       ジョヴァンニの言うには、粉も石臼で挽いた粉を使っているそうで、
       それでちょっとお高いのだそうですが、
       この辺りではかなり有名なパン屋さんなんだと。

       この後行った小さな村では、本当に小さなお菓子屋さんも
       ジョヴァンニの案内で、彼は本当に良く知っているのでしたぁ!

       こういう案内人兼撮影テクの手引きみたいな友がいるというのは、
       おまけに本当に優しい男ですし、有難いことです!!



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、修道院の回廊 そろそろ と、 草原の花たち を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

         
   
       
          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
   
       





by italiashiho2 | 2016-05-10 00:54 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2016年 03月 31日

   ・・・ ムーラ ・ 少し遅い春を待つ村 ・ ヴェネト ・・・

d0097427_23453086.jpg
       この27日はパスクワ・復活祭でしたが、
       寒くは無いものの、生憎この日は曇り日。
       ですが友人のジュリアーナと2人で、我が家からだと車で
       約30分ほどの北西にある村、ムーラ・Mura に出かけて来ました。

       はは、お気づきになりましたか? ムーラという村、なんです。
       ムーロ・muro・壁、城壁の複数形がmuraなので、村の名に
       何か謂れがあるのかと調べてみましたが、特に見つからず、でした。

       昨年末グループで夜のプレゼーピオ、明かりの灯った
       キリストの降誕を人形などで現すもの、を見に行ったジュリアーナが、
       なかなか良い村だったよ、というので、
       では春になったら出かけようと言ってたのでした。

       トップの写真はこの村の教会、ちょうど到着時間を示していますね。      
       
       生憎の曇り空で、今回の写真は余り明るくないですが、ご勘弁を。



       ムーラの村はどこにあるか、地図をどうぞ
       我が家は右下Casaと囲った赤点辺りで、その下のOgliano・オリアーノは
       いつも見て頂く隣村。
d0097427_23454152.jpg
       坂下の道に出て、北のヴィットリオ・ヴェネトまで出て西に、
       という行程のほうが早いのでしょうが、
       家から好きな田舎道を辿る、赤線を引いた村々のカルページカ・Carpesica、
       コッツゥオーロ・Cozzuolo、西にコルバネーゼ・Corbanese、そして北に
       タルツォ・Tarzo、ラーゴ・Lagoと進み、Mura・ムーラです。
       こちらの方が断然四季折々の眺めが良いのです。

       ムーラは行政的には西のチゾン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarino
       の下に入り、北に見えるサン・ボルド・San Boldoは、 
       先日見て頂いた羊達が峠を越して北の故郷に戻る峠道。




       さて、村に入ると細く曲がりくねった道が続き
       両脇に建つ家はすべて古い頑丈な石造り!
d0097427_23455405.jpg



       今は住まう人も居ない放置された家や納屋もあちこちに見られ、

       手前四角の大きな家、この辺りこういう木のベランダ柵が特徴なのですが、
       2軒分に別れた手前側は売り家の札が付いていて、奥半分は
d0097427_23460866.jpg



       きちんと整備修復され住んでおられますが、売り家の札。
       売り家札を見た人が、このお家に訊ねるのかも、ですね。
d0097427_23462183.jpg



       近くの修復された納屋と母屋
       母屋の濃い茶色、そしてこの低い軒から、なんとなしに
       日本の民家を思い起こしたshinkai!
d0097427_23463331.jpg



       こちらも修復されたばかりの家と出窓。
       なんとも頑丈でしょう?! これでまた何世紀も大丈夫なのでしょうね。
d0097427_23465173.jpg



       かっての納屋の入り口かな、右上に見える黒い丸は木の梁で、
       壁に見える / とか X の鉄は、梁を〆る鉄の要。
d0097427_23470581.jpg
d0097427_23471920.jpg
       下の写真のガレージになっている扉口、ちょっとモダンで素敵でしょう?!




       ここも住居の入り口は上にあり、外階段が続きます。
       が、現在このお家も空き家。
d0097427_23473289.jpg



       お隣の広い庭の奥にワンがいて、ジュリアーナが何度も呼ぶと
       やっと立ち上がり、ワン!と一声吠え、またペチャっと腹ばい!
d0097427_23474648.jpg
       普通であれば、大急ぎで門柵まで駆け寄り大声で吠え、走り回るべきなのに、
       この子は全部省略! まぁ、このお腹を見ればね、ははは。




       村の中を行ったり来たり、細い道を辿りますが、
       まさに村の中の家々、すべてこんな風に石を積んだ造り!!
d0097427_23475902.jpg
     



       かろうじて見える門脇の花壇もこんな風!  
d0097427_23481257.jpg



       ここもやはり2階には外階段のお家ですが、なかなか良い雰囲気でしょう? 
d0097427_23482523.jpg
d0097427_23483854.jpg



       村外れまで来ると、葡萄畑の中でお仕事中
       復活祭祭日も春の仕事があるのですねぇ。
d0097427_23485199.jpg



       大きな赤い建物に白い線、そう、お隣のチゾンの領主、
       ブランドリーノ家の持ち物の印が残りますが、
d0097427_23490536.jpg



       奥の低い方の窓が開き、中から家畜小屋の匂いが流れ、むぉ~の声
       覗いてみると、やはり牛達が。
d0097427_23492407.jpg
  




       村外れの道を南に行くと、透明な川が流れ、ソリーゴ川と。
d0097427_23493803.jpg



       村外れの南の道から見るムーラのほぼ全体
       そうなんです、村のすぐ北に山が迫り、いわば屏風の役を。
d0097427_23495796.jpg
d0097427_23501033.jpg



d0097427_23502487.jpg



       村の南外れは平地が広がり、子供の遊び道具のある公園もあり、
       道はこんな風に東に続き、村の東側を囲みますが
d0097427_23503777.jpg



       こちらは南に延びる道
d0097427_23505142.jpg



       村の東に近づくと、花が既に盛りを過ぎ
d0097427_23510541.jpg



       川辺に小さな礼拝所、フレスコ画装飾されたのが。
d0097427_23512189.jpg
       ここに至り、初めて、あれっ、この場所には来た事あるよ!





       岸辺にある柳の芽吹き
d0097427_23513608.jpg




       そう、この眺め、覚えているなぁ!
       あの小さなのは礼拝所かも。 修復されたようですね。
d0097427_23515637.jpg



       垣根の隙間からレンズを突っ込み、動くなよ!と言いつつ、
       ははは、来年の干支用を撮り貯めしておかないと・・。
d0097427_23520993.jpg



       お家の広い庭端には、要りそうで要らない物があれこれ、ははは。
d0097427_23522271.jpg



       刈り取ったばかりの木の始末も
d0097427_23523609.jpg



       やはり花を見ると、春だなぁ、と嬉しく! 
d0097427_23525033.jpg
d0097427_23530347.jpg



       これも見覚えのある水槽
       ですが、上の古い写真風の絵は新しく追加された物ですね。 
d0097427_23531756.jpg



       古いアーチの中、家が見え、中庭が見え
d0097427_23533122.jpg

       ジュリアーナは子供時代をフリウリの北で過ごしているのですが、
       過ごした家は、こんな風に大きなアーチの門があり、
       中に入ると広い中庭で、女達が編み物をしたり、フェルト布の
       靴を作ったり、トウモロコシの実をこそげたりの農作業をしたりで、
       中庭の周囲を家がぐるっと囲み、他の家族が住み・・。
       つまり、アーチの中は門を閉めると小さな村と同じだった
       という想い出話を。 

       きっとこの村も、そんな古い時代を何世紀も重ねて来たのでしょうね。

       村の中には1軒のバールも、タバッキも、食料品店も見かけず、
       まぁ今は、隣のチゾンまで行けばレストランもホテルもあるほどの町ですが、
       かっての村人達の生活は大変だったでしょうね。
       きっと自給自足の助け合い、不足を補っての暮らしだった事でしょう。

       ジュリアーナ達がプレゼーピオを見に来た夜は、
       村でお茶とクッキーのサーヴィスがあったそうで、
       やはり一種の村興しというか、自分達の村を何とか、という
       皆さんの意思なのでしょうね。
       良く保存されていると思いましたもの。



       中庭の向こう、綺麗に改装された可愛いお家
d0097427_23534566.jpg



       ふと気がつくと、柵の向こうにワン君がいて
       吠えもせず動きもせずに、尻尾を立てたままポーズ!
d0097427_23535843.jpg
       おお、いい子じゃねぇ!と広島弁で褒めてあげ、ははは、
       我らは道を辿ると、




       なんと庭続きにずっ~と一番端まで移動して来て、もう1枚! 
       長い黒い耳が目立つ、好奇心の強い、暇なワン君、ははは。
d0097427_23541298.jpg



       後ろから、ボクもぉ!と吠え騒ぐ、羊みたいな耳の子!
d0097427_23542546.jpg



       こうして村の中の道を行ったり来たり、奥まで入り込み、はは、

       村の入り口まで戻り、最初の教会前に
d0097427_23544008.jpg
       この教会は村の守護聖人サン・ゴッタルド・S.Gottardoに捧げられ、
       この聖人は家畜たちの守り神だそうで、農民達から長年にわたり、
       家畜を病気から護るように祈りを捧げられたという、
       いかにも農村に相応しい守護聖人の教会なのでした。

       前を通る道が、ヴィットリオ・ヴェネトから西のヴァルドッビアーデネ・
       Valdobbiadeneまで続く、この先は白ワインの道、


       村は教会横の道を上った上にも少し続くので、行って見ようとなり、




       お家に裏庭に見えるムスカリの花
d0097427_23545450.jpg



       如何にもの半円の橋が架かっているのが見えますが、
       水路も掘られているのに今は空で、何の為の橋だったんだろ?!
d0097427_23551325.jpg



       山に近いせいか、ここの花はちらほらの咲きかけ
d0097427_23552619.jpg



       村を見下ろす位置に出て
d0097427_23554095.jpg
d0097427_23555567.jpg
d0097427_23564707.jpg



       山からの風が遮られ南からの陽が当る位置の木は、正直に花を咲かせ
d0097427_23570505.jpg



       なんの芽かな、こういうのを見ると嬉しい!
d0097427_23571979.jpg



       土手の南面に咲く花。 
d0097427_23573371.jpg
d0097427_23574704.jpg



       村の南向こう遥かに、雑木を焼く煙がたなびき
d0097427_23580266.jpg



       教会の後ろに戻ってきて、小さい教会なのにちゃんと後陣が張り出し、
       横にもポコッと礼拝堂があるのに感心!はは。
d0097427_23581752.jpg

       時計を見ると12時40分。
       2時間ほどのムーラの村散歩でした。



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 修道院回廊の途中経過 と、 春の道 を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       励まし応援クリックも、どうぞよろしくお願いいたしま~~す!!

         
   
       
          にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へ


          
  
    






by italiashiho2 | 2016-03-31 00:08 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)