イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2009年 04月 27日

   ・・・ イタ猫ちゃん イタ犬くん ・ X Factor 始末記 ・・・

      今日は一息入れて、イタ猫ちゃん、イタ犬君たち
      写真と、TVの新人歌手養成番組X ファクターの最終戦
      結果ご報告です。
      
      
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      ◆スコミーゴ村  1

       我が家のすぐ前の家の屋根の上、
       日向ぼっこをしていた2人。
       今年3月下旬の事。

       今のスコミーゴ村は、こんな感じです!
       http://italiashio.exblog.jp/5314599



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      ◆スコミーゴ村  2

       こちらは、坂道脇の薪小屋兼、
       作業所のガードマン君。
       吠えていても、チャオ!というと、黙ります。
       右端の影の中、もう一人の脚が見えるかな?



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      ◆チソンの村  1

       急ぎ足で行くのに、声をかけましたら、
       ちゃんと止まって、振り返ってくれました。
       一枚撮り、OK! と言うと、またそそくさと。
       だけどこの目つき、
       しっかり撮れたか! という感じだなぁ。

       つい先週チソンのお城で、G8の農業大臣の会議が
       開かれたとかで、見学した大広間がTVに出ました。
       日本の大臣の顔は見れませんでしたが、お城は・・
       http://italiashio.exblog.jp/6021939/
       



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      ◆チソンの村  2

       通りかかった時に、お爺ちゃんが
       納屋の掃除に出てきたのですが、
       その向こうから、ん?!と首を伸ばして。



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      ◆アーゾロ  

       この写真は、昨年春のアーゾロですが、
       図らずもまた、昨日行ったアーゾロで、
       場所もすぐ近くで、再会しました。

       家から出てきた小父ちゃんが、
       彼の名前を教えてくれました。
       アキーレ君(アキレス)といいます。

       今のアーゾロは、この時期よりもう少し緑が濃くなり・・、
       http://italiashio.exblog.jp/7819183/

       結婚式に出会いました!
       また、可愛い美人の花嫁さんをご紹介しますね。



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      ◆コンバイ村

       栗祭りで有名なコンバイの村
       秋田君。
       もう一人、別の秋田君もいます。

       コンバイの村は、
       http://italiashio.exblog.jp/5406077



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      ◆バッサーノ・デル・グラッパ

       通りすがりに出会っただけなのに、
       しっかり、ゴロン、ゴロンとしてくれた子。

       おなかの白が真っ白で、太めで、
       大変可愛かった!

       バッサーノ・デル・グラッパのご案内は、
       http://italiashio.exblog.jp/5063041



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      ◆ポンテ・ネッリ・アルピ

       コネリアーノから山を越え、
       北のコルティナ方面行きと、西のベッルーノ行きの
       分岐点、ポンテ・ネッリ・アルピの町。

       こんな猛犬注意札を見つけましたが、
       さて・・、怖いかな?



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      ◆バーニョ・ヴィニョーニ

       トスカーナはオルチャの谷の、
       中世からの有名な温泉地、バーニョ・ヴィニョーニ

       大きなプールみたいな浴槽脇にいた
       チャップリン君。
       少し痩せすぎで、温泉療法を薦めたくなったです!

       オルチャの谷特集No.2では、勿論この
       バーニョ・ヴィニョーニも。
       お楽しみに!



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      ◆雑誌から

       ごみの分別収集のお勧めです。

       手助けしましょう
       君が紙を集めたら、我々がリサイクルします

       我がコネリアーノ市も、今年から分別収集が徹底され、
       曜日指定で各家の前に出す事に。



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      ◆サン クイリコ・ドルチャ

       中世街道の要所、サン クイリコ・ドルチャ
       町中にいた、真っ白な猫ちゃん。
       少し薄汚れていましたが、
       求めに応じて、植木鉢にスリスリを。

       サン クイリコ・ドルチャの町は、
       http://italiashio.exblog.jp/9573061



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      ◆アシャーノ

       シエナのクレーターで有名な、アシャーノの町。
       鄙びた町の、教会前にご主人と。
       名前を聞くと、「パトラッシュ、英語の名前だよ」と
       教えてもらったのですが、・・うん?!
       ひょっとして、フランダースの犬 の名前と同じだっけ?
       しばらくして、漸く思い出しました。

       いかにも犬の良い野良君が近くを跳ね回っており、
       お前も写真撮りたいか? と尋ねると、
       近くのベンチに座っていた年寄り連中がいっせいに、
       お前は、写真の価値が無いぞぉ! とワン君に。
       しっかり、聞き耳を立てていたのでしたぁ!!

    ◆*◆*◆*◆*◆



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      ◆X Factor 最終戦  1

       この番組については、2月に一度ご紹介しましたが、
       X ファクター ・ 新人歌手発掘TV番組
       http://italiashio.exblog.jp/9365168

       4月19日に、最終決定戦が行われ、
       今年度の勝者が決定しました。
       まずは、最終決定線に残りました、コーラス1組
       バスタルド(左3人)、司会者フランチェスコ
       そして、マッテオです。



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      ◆X Factor 最終戦  2

       最初の予備選から良いと思い、好きだったのは
       このノエミ・Noemi とマッテオ・Matteoの2人ですが、
       彼女は惜しくも、最後の4人の内に残れませんでした。

       大変がっかりしたのですが、
       その週末にアブルッツォ州の大地震が起こり
       番組が延期され、2週後に
       なんと彼女がゲストで出て来ました。
 
       その2週の間に、彼女のシングルが出て
       売り出し2日目にして、トップに躍り出たそう!
       それを聞いて、大変嬉しかったです。
       彼女に大いなる幸あれ!!



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      ◆X Factor 最終戦  3

       最終戦は、なんとRAIウーノ・1の放送でした。
       1ヶ月前にそれが決定し、本番中にその知らせを
       読み上げたフランチェスコは、
       感激と嬉しさで、泣いたのですよ。 可愛い!!

       で、最終戦はもうお祭りというか、
       バスタルドの地元、アルトアディジェのヴァルスガーナ
       マッテオの地元、リヴォルノ
       先に消えましたユーリの地元、ブレーシャには
       それぞれ美人がお出ましで、大盛り上がり。

       この女性、誰か分かります?!
       2006年度のミス・イタリア
       クラウディア・アンドレアッティです。
       ちょっと、目をこすりたくなる様な変身で・・!
   
       2006年度のミス・イタリアは
       http://italiashio.exblog.jp/5413145



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      ◆X Factor 最終戦  4

       最終戦は、すべて電話投票で決定ですが、
       いわゆる下馬評では、コーラスのバスタルドの
       有利が取りざたされていました。

       こちらはリヴォルノ担当の、
       さて誰か、お分かりですか?
       2008年度のミス・イタリア、ミリアム・レオーネ
       ええ、まだ彼女は分かりますね。

       ミス・イタリア 2008年は
       http://italiashio.exblog.jp/8616744




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      ◆X Factor 最終戦  5

       こちらは、マッテオのクラス、
       25歳以上担当のモルガン
       今年の番組をじっくり見ていて、
       かなり彼に興味を持ちました。
       
       たまたま車検待ちで読んだ雑誌に彼の特集があり、
       36歳だとか、誰の彼だったのかなどを知り、
       ははぁ、と思ったり・・。
       文句たれの、誰にでも噛み付く、ええカッコシ
       でもありますが、面白い男ですねぇ。
       そして、軍師として頼もしく。



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      ◆X Factor 最終戦  6

       最後に歌うマッテオ。

       モルガンは、先週ルーチョ・ダッラ
       カルーゾを歌わせ、
       今週はフレディ・マーキュリーを歌わせ、
       ファンとしては、どうにか彼を、と思ううち・・、



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      ◆X Factor 最終戦  7

       イェーイ!!
       彼が、やりましたぁ!!
       なんと、16票の差だったとか。

       皆さん、マッテオですよぉ。
       日本でも、CDが出たら買って下さいねぇ!!

       RAIのサイトはこちらです。
       http://www.xfactor.rai.it/category/0,1067207,1067199-1083449,00.html

       このアドレスで出るページの上のほう、
       矢印をポチポチとやっていただくと、マッテオの顔が出ますから、
       (見たい顔が出たら・・)そこでクリック、お楽しみ下さい。
       サイトから音楽のダウンロードも、出来ます!!



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      ◆X Factor 最終戦  8

       最終日にもたくさんゲストが出ましたが、
       彼女、ジャンナ・ナンニーニが懐かしく、
       そして久しぶりの彼女の声、歌はやはり素晴らしく!

       シエナに行かれる方は、
       ナンニーニの店で、ジェラートをどうぞ!
       彼女の実家で~す。

       番組が終わり、少し淋しくなりました。
       今年のこの番組は、ちょっとした台風の目でしたね。
       また来年をお楽しみに!
       そしてこの夏、
       マッテオの歌がどうぞヒットしますように!

                 

by italiashiho2 | 2009-04-27 05:30 | ・イタ猫・イタ犬・動物たち   | Comments(4)
2009年 04月 21日

   ・・・ モンテプルチャーノ ・ 歴史と文化と上等なワインと ・・・

       今日は、オルチャの谷の東はずれに位置し、エトルスク期
      からの歴史をもち、ヴィーノ・ノービレD.O.C.Gでも有名な
      モンテプルチャーノ・Montepulciano をご案内します。
      昨年夏に訪れた際は余り時間がとれず、中途半端な
      訪問でしたが、今回ブログでご案内するためにガイドブック、
      サイトで調べ、この町が大変に古い歴史を持ち、
      文化的にも豊かな事を知りました。 
      
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      ◆町の眺め  1

       町の地図は一番最後に。

       モンテプルチャーノの町の中心、グランデ広場
       Piazza Grande の西を占めるパラッツオ・コムナーレ
       市役所で、夏季には上のテラスに上れます。 後ほど。

       ちょっと見に、フィレンツェのヴェッキオ宮
       イメージに良く似ているでしょう?
       15世紀に上に塔が造られた、ゴシック様式の正面。
       
       広場が、緩やかに傾斜しているのがお分かりでしょうか?
       向かって左手に、ドゥオーモがあり、
       右手には・・、



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      ◆町の眺め  2

       広場の北側に2つの建物がありますが、
       右手前側の白い建物がノービリ・タルージ邸
       Palazzo Nobili Tarugiです。
       サイトで調べると、最初はノービリ家、
       ついでタルージ家の住居として、16世紀初頭に
       建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ
       によって建設されたそうです。

       この建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ   
       は、この町の他の有名建築、そして他の地にも名を
       残していますので、後ほど。

       写真でご覧のように、私の行ったこの7月の初旬、
       お祭り準備があるようで、はいはい、あっちに行って!
       と追い払われ、傍にも近づけませんでした。
       建物の表面は修復されていますが、一般公開なしとの事。      
       


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      ◆町の眺め  3

       こちらが16世紀末から17世紀にかけて
       建設されたドゥオーモで、未完の正面壁が
       逆にインパクトを。

       以前にあった古い教会を壊して、新しく建設
       されたそうで、鐘楼のみ、古い時代のまま。
       内部の装飾などは、古い教会のものや、
       近くの教会からも、来ているそう。



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      ◆町の眺め  4

       こちらが、前の教会から移されたという
       1401年作の素晴らしい聖母被昇天の祭壇画。
     


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      ◆町の眺め  5
       
       外の未完の粗い石組みに比べ、中部はクラシック。
       薄暗い教会の中で、黄金背景の祭壇画や、
       金泥塗りの聖女像がひっそりと輝きます。



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      ◆町の眺め  6

       ドゥオーモを出て、広場左手角に
       このレストランのテント。
       小さな建物で、アーチの下の石像がなかなか良く、
       メニューを覗きに行きたくなりましたが、
       時間が早すぎますし・・、
       


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      ◆町の眺め  7

       で、隣の市役所のテラスに上りに。

       市役所は、一番最初にご覧頂いた建物で、
       これは正面入り口の左上にいた、ライオン君。
       
       

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      ◆町の眺め  8

       建物の内部、中庭です。
       広場に向かっている面も、修復されて
       大変美しくなっていましたが、
       内部も、スッキリ。

       入り口に、塔に登れます、という案内が
       あったので入っていったのですが、
       中には特に表示も無く、その辺りにいた
       制服のお巡りさんに尋ねると、
       丁寧に、エレベーターに乗せてくれました。



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      ◆町の眺め  9

       エレベーターを降りた所に、机を前にしたシニョリーナ。
       大変、安い!と思った上り料を払い、
       彼女の後脇の、木の階段を上ります。

       で、こちらが市役所テラスからの眺め。
       安い筈で、上の塔には上れないのですね。
       テラスの前側だけ、行ったり来たり出来ます!!

       それでも、眺めはやはり良いですねぇ!!
       モンテプルチャーノの町は、海抜605m
       人口1万4千人ほど。

       町は南北に細長く、くの字型に丘の上に広がり、
       このコムーネのあるグランデ広場が
       一番高い場所と、思われます。

       こちらは、北の眺めですが、
       歴史ある町だけあって、瓦が古いでしょう?



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      ◆町の眺め  10

       この角の建物が、広場の写真でご覧頂いた
       ノービリ・タルージ邸の奥に見える建物で、
       カピターノ・デル・ポポロ宮・Capitano del Popolo.
       現在は、裁判所のようす。

       でも、1階部分の一部が展示室になっていて、
       行った時、興味深い絵の個展がありました。
       この絵描きさんとは知らずに、下の駐車場で
       料金について尋ね、会場でお互いに気がついた訳ですが、
       なんと、イギリス人がウンブリアに住み着いて
       絵を描いているのですね。
       世界は広くて、狭くて・・!

       隙間の通りが、ヴィア・リッチ・via Ricci
      


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      ◆町の眺め  11

       上の写真で見えた、塔ですが、
       鐘楼のようですが、さて、どこの・・。

       ええ、モンテプルチャーノは、
       再訪の要あり! です。



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      ◆町の眺め  12

       テラスが狭く、斜め写真で、失礼を。
       右側の白い建物が、タルージ邸で、
       前に、由緒ありげな井戸が見えます。

       広場の敷石と、準備されたバールの席。



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      ◆町の眺め  13

       広場の南に見える小路ですが、
       ここから辿って、広場に来たのでしたが、
       今回町の地図を調べ、テアトロ・ポリツィアーノとか、
       ポリツィアーノの生家、とか見つけ、
       ん?! と調べて、なんとまぁ、
       ルネッサンス期の有名な詩人、古典学者、そして
       メディチ家の家庭教師でもあった、
       アンジェロ・ポリツィアーノ
       生まれた町であった事を知りました。

       モンテプルチャーノの住人、物を、
       ポリツィアーニ と呼びますが、
       (モンテプルチャネージ の方が稀な様子)
       彼の名前に由来しているとか。

       町を訪ねる前には、一応読んでいくにも拘らず、
       頭には、何も入っていない物と見えます!
       日暮れて、道遠し!!  ああ。

       写真の右端に切れているのが、ドゥオーモの鐘楼、
       そして小路の左に少し写っている建物、
       つまり、グランデ広場の東側になりますが、
       この建物は、コントゥッチ邸・Contucci といい、
       かの有名なヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノ
       D.O.C.G と表示される、ワインの有名醸造所の一つ。

       モンテプルチャーノの小さなワイン醸造所
       訪ねた事があります。
       http://italiashio.exblog.jp/6353675/
       


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      ◆町の眺め  14

       最初に、この町をオルチャの谷の東はずれ、と
       書きましたが、実際はヴァル・ドルチャ・Val d'Orcia
       ヴァル・ディ・キアーナ・Val di Chiana との境に辺り、
       オルチャの谷の地図には、含まれていない事もあります。

       ヴァル・ディ・キアーナと言うと、北にアレッツォ・Arezzo,
       コルトーナ・Cortona, 南に下りキウージ・Chiusi,
       そしてウンブリアにまで届きます。
       
       これは遠くに、麦刈りをしているのが見え、
       もっと広い写真もあるのですが、雲の動きが面白く。



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      ◆町の眺め  15

       テラスから見たドゥオーモ。
       ああ、この写真でも、鐘楼が切れてるぅ!



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      ◆町の眺め  16

       ドゥオーモの石段に、この子が。
       この金髪、ドイツの女の子かも、ですね。
       細い脚に、大きなサンダル!



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      ◆町の眺め  17

       テラスからの、塔の眺め。

       うむ、あの上まで上れるのかと思ったのに!
       そりゃ、安い筈だわ。
       階段も、短かったよなぁ。
       (と、何とかの高上がりは、ぼやく)



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      ◆町の眺め  18

       これが、下の事務所から上った階段ですが、
       狭い、狭い。
       イタリア人も、かっては本当に小さかったのだ!



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      ◆町の眺め  19

       戻りは、エレベーターに乗らずに階段を。

       建物内部が、素晴らしかったです!
       天井の梁を、明かりを、ご覧下さい。



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      ◆町の眺め  20

       タルージ邸の横にあります井戸、
       グリーフィとライオンの井戸、です。
     
       真ん中にメディチ家の紋を支えたライオン
       (フィレンツェの印)がいて、
       その両脇にグリーフィ・Grifi
       鷲の頭とライオンの胴を持つ伝説の怪獣
       (モンテプルチャーノの印)がいる素晴らしいもので、
       この井戸も、タルージ邸を建設したサンガッロの作。

       モンテプルチャーノは、エトルスクからの歴史を持ち
       記録にも8世紀には登場し、すでに大変豊かで
       文化的な、自由都市であった事が記されているとの事。

       シエナからも、フィレンツェからも狙われ、
       ペルージャや、オルヴィエートと組んだり、
       専制君主の下での戦争の時代を経て、
       14世紀の末に、フィレンツェの下に入った変遷。
       そういった町の歴史を、良く現している井戸ですね。



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      ◆町の眺め  21

       中心のグランデ広場から、リッチ通りを下ります。
       ご多分にもれず、この古い町の通りも狭く、
       びっしりと車が並び、なお一層狭く・・。

       お祭りの準備を広場でもしていましたが、
       通りの家々にも、こうして旗が出ています。
       何のお祭りだったのでしょうか?

       映画「トスカーナの太陽の下」で、アメリカ女性が
       コルトーナに家を買い、このモンテプルチャーノに
       旗振りのお祭り・ズバンディエラータを
       見に来るシーンがありましたね。
       旗振り男性のタイツ姿に、大喜びしてましたっけ。

       町のガイドでは、樽を転がす競争や(この坂の道で?!)
       ドゥオーモの前を舞台に、劇があったり、
       また歌曲の国際的なガーラも行われる様子。



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      ◆町の眺め  22

       これは、由緒正しげな建物の中庭に入り込み、
       かの有名な教会サン ビアージョが見えたので。

       この隣の建物から、盛んに歌曲の練習をしている
       歌声が聞こえました。
       実は、グランデ広場に近い裏道でも、聞こえたのですね。
       ふ~む、と思っていましたが、後になり、
       歌曲のコンクールが、夏にこの町であると知った次第。
       
       生の歌声は、CDやTVで聴く歌曲とは
       また違う趣で柔らかく、なかなか良いのですが、
       練習ですから時に同じ箇所を繰り返し、
       聞く方としては、生殺しの感じも味わいます、はい。
       昔アッシジで、まさに半殺しにされた思い出が。



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      ◆町の眺め  23

       自分の辿った道を今回地図上で確かめ、
       町の半分ほどで引き返しているのを
       改めて確認しました!
       クヤチイ! 
       まぁ、再度挑戦いたしましょう。

       これは、パラッツォ・ベニンカーザ・Benincasa
       という建物のようで、
       奥に見えるのが、サン フランチェスコ教会
       市役所のテラスから見えた鐘楼は、
       どうやら、この修道院の物のようですが、確認できず。



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      ◆町の眺め  24

       辿ってきたリッチ通りが、細長い町の上側を通り、
       町のちょうど中程から、低い側のグラッチャーノ通り
       via di Gracciano が町の北奥に続きます。
       そしてこの町の北半分に、一見に値する建物群
       いろいろある様ですが、残念ながら見ておりません。

       高い方から見下ろす、町の家並み。



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      ◆町の眺め  25

       旗の柄と同じ紋が、入り口の上にありますね。
       この地区の、いわば集会所の感じでした。
       が、それにしても、立派な建物。



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      ◆町の眺め  26

       かなり、すごい坂道でしょう?
       こうして、町の奥に続いているのを見て、
       こりゃ駄目だ、と引き返した思い出が。
       少し急いでいたのです、残念!



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      ◆町の眺め  27

       町の南外れに、メディチ家の要塞がありますが、
       その近くで見つけた通りの名前。
       ジョルダーノ・ブルーノ通り・via Giordano Bruno.

       そして、なんとも素敵な古い壁です。



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      ◆町の眺め  28

       駐車場の脇から見えた、サン ビアージョ教会
       San Biagio
       この姿から、テンピオ・神殿とも呼ばれますが、
       建築は15~16世紀に活躍した、広場のタルージ邸と同じ
       アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ
       Antonio da Sangallo il Vecchio.

       調べた彼の経歴は、大変興味深いものでした。
       父親は、コシモ・デ・メディチの建築家で、彼は兄と一緒に
       木彫の仕事からはじめ、それが大砲の発達に伴う
       要塞の近代化の仕事に手をつけ、
       ローマのカステル・サンタンジェロ、リボルノの旧要塞
       アレッツォのメディチ家の要塞、ecc と次々。
       フィレンツェの、ドゥオーモ建築の長もし、
       ローマのサンピエトロ教会建築の、ブラマンテの後任も。

       こういった経歴にもかかわらず、このブラマンテ、
       ブルネレスキの特徴も残す、サン ビアージョ教会が
       彼の名を後世に伝えます。
       


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      ◆町の地図

       少し小さくて見難いですが、
       ドゥオーモ は、お分かりですね。
       その前が、グランデ広場、左にコムーネ・市役所
       北にタルージ邸
 
       インフォメーションは、この地図では、
       リッチ通を辿っていくとあるのですが、
       別の地図では、広場のタルージ邸の位置にあります。
       建物の1階に移っているのかも、知れません。

       町の北半分、グラッチャーノ通りの見所には
       ピンク丸をつけましたので、
       大体位置がお分かりと思いますので、
       ご探訪下さい。

   ** 町への行き方ですが、
       ローマ方面から出かける場合は、
       国鉄のキウジ・キアンチャーノ・chiusi-chianciano
       で降りられ、バスで45分程。

       バスの時刻表の見方は、先々回の
       サン クイリコ・ドルチャの最後にありますので、
       そちらをご覧下さい。
       http://italiashio.exblog.jp/9573061

       モンテプルチャーノから、ピエンツァや、
       オルチャの谷のあちこちを訪ねられての後、
       シエナに抜けられるのが、楽なようです。
       オルチャの谷の地図は、
       http://italiashio.exblog.jp/9546668

       時間をゆるりと、気持ちもゆるりと
       オルチャの谷にお出かけ下さい!!

      

by italiashiho2 | 2009-04-21 01:22 | ・トスカーナ州 | Comments(12)
2009年 04月 15日

   ・・・ モンテリッジョーニ ・ 市壁と中世街道の町 ・・・

      今日は、オルチャの谷からは外れますが、
      やはり昨年7月に、シエナから訪ねました 
      モンテリッジョーニ・Monteriggioni のご案内です。
      丘の上に市壁に囲まれ、まるで王冠のように見える小さな町
      ダンテの神曲、地獄編にも登場する、中世の要塞の町、
      そして、ヴィア・フレンチージェナと呼ばれる
      ローマへの巡礼道がここを通っていました。

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      ◆モンテリッジョーニ遠望  (ガイドブックより)

       この写真は、ガイドブックからですが、
       シエナ郊外の宿に行くのに、フィレンツェからの
       国道をモンテリッジョーニで出たとたん、
       写真よりもっと近くの位置から、まさに王冠のような
       市壁に囲まれた町が丘の上に見えました。
       ガイドブックで一応読んだだけで、
       行く計画はありませんでしたが、
       姿を見たとたんにその気になり、訪れました。
       期待は裏切られませんでした!



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      ◆町の位置 

       地図でご覧のように、シエナの北西15kほどで、
       バスも1時間に1本ほど、
       コッレ・ディ・ヴァル・デルザから、サン・ジミニャーノ
       方面行きが連絡していて、25分もあれば到着する様子。

       町の地図は、まぁ、行ってご覧になれば
       お分かりでしょうが、必要ありません。
       市壁に囲まれた、小さな小さな町です。

       バスの時刻表は、先回のサン クイリコ・ドルチャ
       の最後にアドレスがありますので、ご覧下さい。
       http://italiashio.exblog.jp/9573061



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      ◆町の門へ  1

       上の写真の、丘の中ほどの位置に
       広い駐車場があり、そこから坂道です。

       ラヴェンダーの花盛りで、香りがたち、
       風景がもわんと、紫がかって。
       左に見える階段の坂を登り、左に折れて上り、
       また右に折れ上り・・、
       はい、海抜200mの町です。



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      ◆町の門へ  2

       ラヴェンダーの花に、薄緑色の蝶がひらひらと。
       トスカーナの麦秋風景でもご覧頂きましたので、
       ここでは、別の写真でどうぞ。



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      ◆町の門へ  3

       やっと、市壁が見えてきました。
       壁の高さは20m、その上に塔が6.5m
       ありますが、土地の高さにより、
       かなり変化があるものと、思われます。

       この塔が14ある塔のうちの一つで、
       15塔と書いてあるのもありますが、
       実際に現在見えるものは、11で、
       他は、壁の高さに削られているそう。

       手前に見える木は、オリーヴです。
       あちこちから、蝉の声が聞こえましたが
       姿は見つからず、蝉の抜け殻を一つだけ写真に。

       手前に少し見える道を右に辿ると・・、



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      ◆町の門へ  4

       この門が、町の2つある門のうちの一つ、
       シエナに続くフランカ・エ・ロメーア門
       Porta Franca e Romea.
       町の東端になります。

       門の左上に石碑が見えますが、
       1213年にシエナのポデスタ(執政長官)の
       命により、この地に村と壁が築かれた事が
       ラテン語で書かれているそう。

       それ以前には、この地にロンゴバルド出身の
       貴族の農園があったようですが、
       それを買い取り、フィレンツェに対する護り
       駐屯地としてが、町の起こりです。

       壁の厚みは、2m
       跳ね橋はありませんが、イザという時には、
       上から鉄の門が降りる仕掛けとか。
       実際この市壁の町は、以後300年間にわたり、
       シエナ共和国を、対フィレンツェから護ったのでした。
       落ちたのは、裏切りからだったとか・・。

       で、この門を入りますと・・、



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      ◆町の眺め  1

       細長く広がるローマ広場・Piazza Roma
       今右端にちょっと見える井戸が
       広場の真ん中にあります。

       この広場が、いわばかっての時代からの
       主要な建物が取り囲んでいるわけですが、
       この広場も、戦後に石が敷き詰められる迄は、
       ずっと土のままだったそう。
       イザという時の籠城戦に控え、野菜畑にもなるように、
       との名残だそうで、現在も壁の内側には
       庭と野菜畑が、建物を取り囲んでいます。



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      ◆町の眺め  2

       ローマ広場を囲む建物群の、南側半分。
       いかにも、歴史を経た建物の壁です。
       壁の縁の、下側が厚くなっているのを
       ご覧下さいね。
       かっての、古い建設技術と思うのですが、
       壁を支えるのに、下部分を厚くしてあるのを
       時々見かけます。

       建物の左側の小路を入っていくと・・、



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      ◆町の眺め  3

       こんな小路で、お土産物屋さんが。
       写真に見えるような、たわいも無い
       スーヴェニールとか、
       土地のワイン、オリーヴ油の店も。



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      ◆町の眺め  4

       上の2の写真の、建物の右半分。
       こちらも、みやげ物兼土地の物品店ですね。

       サイトで、面白い数字を見つけましたので、ここに。
       市壁の中の現在の住民は、42人
       建物群は、住民の住居と、バールが2軒
       1軒の食料品店、レストランが2軒、土産物店1軒
       薬草品店1軒、ホテル1軒、土地の物産品店1軒

       以上で全部ですが、ええ、土産物店数に
       ほんの少しの訂正が必要かも。
 

       
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      ◆町の眺め  5

       この教会、ゴシック・ロマネスク様式の
       サンタ・マリア・アッスンタ教会があります。
       創設は1219年とありますから、
       この要塞の村が出来てすぐ、
       教会もできた事になりますね。
       素朴で、石の色の混ざり具合が美しいですねぇ。



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      ◆町の眺め  6

       教会内の祭壇部分。
       十字架のキリスト像、並びに黄金背景の
       祭壇画は15世紀のもの。



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      ◆町の眺め  7

       涼しげな陰を作る、レストランの席。
       食欲が弾みそうです。



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      ◆町の眺め  8

       広場から、だらだらと道を下ると、
       町のもうひとつの門、北西側に位置する
       サン ジョヴァンニ門・Porta San Givanni
       こちらが、フィレンツェに向かう門です。

       こちら側は、当時のシエナ共和国の敵国
       フィレンツェに向かっているわけで、
       丘の斜面に接し、門の外側、右に少し見えるように
       跳ね橋が下りる仕掛けで、もう一つ外に門が
       ある仕掛けだったかも、といいます。

       市壁の左上に少し見えるのが・・、



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      ◆町の眺め  9

       こうして、上って見れます。

       シエナ側の門の脇にも、こうして上がれる部分があり、
       お昼を食べている間に、閉じられて、
       あれま! と思っていましたが、
       こちらは、無料で上れました!
       (いつも無料かどうかは、保障いたしません!)

       ご覧のように、市壁の上はかって歩哨が、
       常時ぐるりと警護していたわけで、
       こうして見ると、様子が想像できますね。

       町の直径は、172m
       市壁の長さは、570m 
       かって、塔の高さは15mにも達したそう。

       ダンテは、この市壁に大変強い印象を受けたようで、
       神曲の、地獄編31章 巨人の穴 に
       王冠を戴いたように、塔に囲まれたモンテリッジョーニ
       と、詠っているそうです。

       町では、毎年7月に中世のお祭りが行われるようで、
       ほんの少しの席代が要るようですが、町のサイトをどうぞ。
       http://www.monteriggionimedievale.com/index.html
       英語版も下に続いて出ます。
       la festa お祭りの部分もどうぞ。



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      ◆町の眺め  10

       市壁の上から身を乗り出し、丘の下を。
       う~ん、壁の厚みが広く、なかなか角度が上手く
       決められないのですが、上に乗る程の勇気も無く・・。

       大きな農家の向こうには、
       広々と平野が広がっていました。



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      ◆町の眺め  11

       市壁の上から、
       こちらは、広場に続く道を振り返って。
       奥に見える塔が、シエナ側の入り口門の裏側です。



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      ◆町の眺め  12

       こちらも市壁の上から、
       町の裏通りを。
       はい、厳密に言うと、町の通りは2本のみ!

       ここでも、手前の高いほうの建物の壁の
       下部分、少しせり出しているのが、見えますね。



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      ◆町の眺め  13

       サン ジョヴァンニ門から、ちょっと外に。
       こちら側は、フィレンツェに向いていますし、
       丘の下り斜面でもあり、まさに高い市壁です。

       ぐるっと、市壁の周囲を歩いて回れるようですが、
       まぁ、攻め込む作戦を練る必要はないので・・!



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      ◆町の眺め  14

       門の内側の小広場に、吸水塔と見られる小塔があり、
       その蛇口が、可愛らしく。



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      ◆町の眺め  15

       裏通りを歩きます。 この辺り、
       町の歴史においても、一番古い建物群のようで、
       広場の写真でご覧戴いた、
       建物群の裏になります。

       家並みが低いですね、
       歩いている観光客と比較を。
 
       まさに中世のまま、時が止まって・・



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      ◆町の眺め  16

       1階部分の窓の位置が少し高く、
       窓が小さく、
       天井がやはり、少し低いでしょうか。



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      ◆町の眺め  17

       石の壁が何とも味があり、いい色です。
       で、この建物の上部分が・・、



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      ◆町の眺め  18

       上の写真の建物上部です。

       ここには標識がありまして、
       マッテオッティの塔・Torre Matteotti 
       呼ばれる、この町で最も古いと見られる建物だそう。
       記録には無いそうですが、窓の枠取りとか、
       入り口が同じ石だとか、で識別できるそうです。



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      ◆ヴィア・フランチージェナ  1

       このモンテリッジョーニの町は、
       ダンテの詩と、このフランチージェナの道を
       町の看板としているのですが、
       シエナ側の門の入り口に、この標識がありました。

       イギリスはカンタベリーから
       ローマへの巡礼道がある事は、知っていましたが、
       この町で図らずも、しっかり出会ったという・・。

       借金をすべて払い
       息子たちに別れを告げ
       女房にも言い含めたら
       さぁ、出かけよう!

       こちらに来てすぐの頃、TVでこの巡礼道を
       辿る放送があったのですね。
       その時のこの言葉が、私の頭の中にしっかり定着し、
       折に触れ、浮かび上がっていたのですが、
       今回、こうして出会えて嬉しかったです。

       この地図で見ると、
       モンテリッジョーニから、カンタベリーまで1722k
       ローマへは285kで、計2007k

       ですが、もう一つの数字もあります。



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      ◆ヴィア・フランチージェナ  2

       中世においては、ジェルサレム、スペインのサンチャゴ
       デ・コンポステーラ、そしてローマ
       3大巡礼地であったわけですが、

       990年に、カンタベリーの大司教シジェーリコがローマに参拝、
       その戻り道の様子を休憩地も含め、毎日記録に残し、
       これが巡礼達にとって、当時の格好のガイドブックとなり、
       ヴィア・フレンチージェナと呼ばれたようです。
       本によっては、フランク街道と記しているのもあります。

       彼の辿った道は、1600kの行程を79泊で、
       一日の行程は、約20キロ
       カンタベリーからドーヴァー海峡を渡り、フランスを縦断
       アルプス越えはサン・ベルナルド峠で、
       イタリア内での宿泊は、48泊です。
       この行程距離はかなり短めですが、体力に応じ、
       その時代の情勢に応じ、変化したのでしょう。

       一日の行程が約20k というと、短い気もしますが
       今の道路事情と違いますし、毎日悪路を歩くわけですね。
       先回の、サン・クイリコ・ドルチャでご紹介しました
       13世紀の病院跡、巡礼宿泊所も、やはり20kおきに
       設置されていたそうです。

       オスペダーレ、スペダーレと2つあるのですが、
       スペダーレの方は、宿泊施設のみで、
       ここには3泊まで逗留でき、暖かい食事を提供された、
       という事も、モンセリチェのガイドさんが教えてくれました。

       このフランチージェナの巡礼道は、
       1994年にヨーロッパの文化行程として改めて認められ、
       有名な、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの
       巡礼道と肩を並べるようになったという訳です。
       英語版もありますから、サイト探訪をどうぞ!
       http://www.viafrancigena.eu/

       ローマの参拝を終えた巡礼たちは、ブリンディシ迄下り、
       (ここは、シルクロードの終点地でもあります)
       そこで船を待ち、ジェルサレムまで向かった巡礼もいたと。
       なんとまぁ、遥々の旅を続けた事でしょうか!

       中世の徒歩巡礼に想いを馳せるとき
       いかにも自分の存在が小さく感じられます。
       せめて風に吹かれ
       丘の向こうの地平線を眺めに
       出かけましょうか?!

by italiashiho2 | 2009-04-15 00:34 | ・トスカーナ州 | Comments(9)
2009年 04月 09日

   ・・・ サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点 ・・・

      先日のアブルッツォ州の地震に際しては
      私にもご心配を頂き、有難うございました。
      災害地には大きな被害が出ており、お気の毒ですが、
      我が家のあるヴェネト方面は何も無く、元気でおります。
      大変素早い救済もなされている様ですので、
      二次災害など起こらぬようにと、願っています。

    *****

      今日は、オルチャの谷特集2回目ですが、
      地図は、先回のピエンツァの最後にありますので、どうぞ。

      ローマからシエナに続くカッシア街道が通り、
      オルチャの谷のいわば北の要に当る、
      サン クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
      ご案内です。 エトルスクからの歴史を持ち、
      中世からの街道の要所として、有名な場所でした。
      サン クイリコの町は、有名観光地ではありませんが、
      歴史の重みを感じさせる、鄙びた良さがあります。 
      やはり昨年7月初旬の写真で、どうぞ。

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      ◆サンタ・マリア・アッスンタ教会  1

       やはりこの町も、海抜が409mで、
       南から来ると、かなりの急勾配を上ります。
       で、中心に向かっていくと、この教会に出会います。
       11世紀に遡るロマネスク様式で、
       ご覧のように、教会の内陣後分に鐘楼部分が
       そびえている、珍しい形です。
       
       アッシジの南にあるスペッロの町で、
       やはり12世紀の、ロマネスク様式の教会で
       この鐘楼の形を見ました。
       アーケード式鐘楼、というそうですが、
       あちらのは、正面壁に続いていました。

       写真の右端に小さく、白いスーツ、パナマ帽の
       シニョーレが写っているの、分かりますか?
       写真が黄ばんでいたら、いつの時代かと思うところですね。

       スペッロの町のご案内は、
       http://italiashio.exblog.jp/5264129



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      ◆サンタ・マリア・アッスンタ教会  2

       これは上の写真では、手前の張り出し壁に
       隠れていた、側面入り口の動物のモチーフ
       内部にもあるというのを、見れませんでした。

       サン クイリコから南西、直線距離で約20k、
       8世紀からの古い歴史を持つ、サンタンティーモ修道院
       ・Sant'Antimo のモチーフにも似ていますが、
       この大修道院は、たいへん興味深かったです。
       また、ご紹介を。



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      ◆中世の病院跡  1

       最初に、この町を、ローマ~シエナを結ぶ
       カッシア街道が通っている、と書きましたが、
       この町をもう一つ有名な、
       中世の巡礼道が通っていました。

       イギリスのカンタベリーから、ローマを繋ぐ
       ヴィア・フランチジェーナ が重なるのですね。
       この街道については、次回にご案内予定の
       モンテリッジョーネ・Monteriggione の時に
       少し詳しく書きますが、

       シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院
       所属する病院兼、巡礼者の宿泊所が、
       街道筋に沿って点在していた様子です。

       この上の写真の教会の斜め前に、13世紀
       この病院の建物が残っていました。
       道側のアーチから、中庭を見た様子です。



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      ◆中世の病院跡  2

       建物は、現在は個人住居になっている様子で、
       遠慮して、余り入り込みませんでしたが、
       中庭に、16世紀の年号のある井戸があります。
       上の写真の建物の2階部分は、
       アーチのある壁に、広い大部屋の様子で、
       いかにも中世の病院跡、巡礼者収容
       建物の雰囲気がありました。 

       建物にあった説明に、グランチャ・grancia と
       いう言葉がありました。
       これは、修道院付属の荘園を表すそうですから、
       教会が土地を持ち、その作物で、またその収益で、
       巡礼たちへ食物を施し、施設を維持していたのでしょう。
               


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      ◆中世の病院跡  3

       道からの建物の下をくぐり、
       中庭に入る所にあった、
       編んだ座の部分が、ほつれた椅子。
       後ろの厚いはげかけの壁とで、
       なんとなしに、座る人を想像しました。



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      ◆洗い場

       順序が逆になりますが、
       上の教会よりも、もっと坂道の下、
       いわば町のとっつきの部分、
       道角に、この洗い場があります。

       道筋にある町の案内にこれを見かけ、
       再度、見に出かけた時の写真です。

       サイトをあれこれ知らべましたが、
       詳しい説明を見つけられませんでした。
       中を覗きましたら、水槽がありましたので、
       洗い場であったろうと、想像しますが、
       この形から見て、何か由緒がありそうですね。
       今コムーネの観光課に、これ何?とファックスを送って
       尋ねていますので、返事が来ましたら。



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      ◆町の中心  1

       町の中心に向かいます。
       今回、通りの名前を知りたくて、
       町の地図を探しましたが、道路地図しか見つからず、
       逆に混乱の極みに達しました!

       ガイドブックやサイトの、教会、建物の説明
       自分の歩いた経過から推察して、
       町の中心を通り抜けるダンテ通りであろうと・・。

       それにしても、このあたり、
       のんびりした田舎の町の印象を受けました。
       奥に見える鐘楼は、サン フランチェスコ教会



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      ◆町の中心  2

       中心にある、リベルタ広場・piazza Liberta`
       サン フランチェスコ教会です。
       ゴシック様式の正面壁が見えますが、
       何度もの改修により、オリジナルは殆ど無いとの事。

       名前も、本当はマドンナ・ディ・ヴィタレータ教会といい、
       このサン クイリコの町と、ピエンツァの間にある
       小さな素敵な礼拝所の聖母像が、安置されているとの事。
       
       あのヴィタレータの礼拝所を探して、
       行きつ戻りつした事を思い出しました。
       http://italiashio.exblog.jp/8396653

       まさに、ブログに書くお陰で、より良く知る事ができ、
       再度行けたなら、ゆっくりと狙って見れるというもの。
       お蔭様です!



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      ◆町の中心  3

       これは、フランチェスコ教会の正面階段の上から、
       逆に、リベルタ広場と、ポルタ・ヌオーヴァ(町の門)
       を眺めています。

       写真左にみえるアーチ、あの奥には・・



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      ◆町の中心  4

       オルティ・レオニーニ・Horti Leonini と呼ばれる
       16世紀に作られた、イタリア式庭園があります。

       右に見える市壁に囲まれ、手前側はツゲの木を刈り込んだ
       幾何学式の柄、大きなマルタ騎士団の十字架をかたどり、
       真ん中の石像は、17世紀のもので、
       メディチ家のコジモ3世を現している、と。
       この歴史の古い町も、シエナの下に、メディチ家に、
       長い変遷を経ているのですね。

       右に見えている市壁の部分に、かっては39mの
       高さを誇る塔があり、町を睥睨していたのが、
       第2次大戦の空襲で、やられたそうです。

       奥には、トキワガシの林が広がりますが、
       大変に奥深いようで、最初にご覧頂いた小さな教会、
       サンタ・マリア・アッスンタ教会の裏手にまで続き、
       あの教会の裏には、薔薇の庭園があるようす。



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      ◆町の中心  5

       で、リベルタ広場から、ポルタ・ヌオーヴァを
       くぐった所に、こんな物が!

       歴史映画がお好きな方は、お分かりですね、
       あの下に下がっている大鍋の部分に、
       石とか、燃えている火とか入れて、
       バネの反動を利用して、敵に投げつけるという・・、
       カタプルタ・Catapulta と言います。

       それにしても、何も知らずに門をくぐり、
       これにパッと遭遇した時は、エエッ?!
       もちろん、複製との事ですが、何を考えて・・?!
       市壁の高さと見比べて、その大きさをご想像下さい。
       私めの驚きも、お分かりでしょう?
 
       ちなみに、イタリア語の楽しく可愛い所は、
       現代のミサイル発射台も、同じく、カタプルタ!! ははは。



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      ◆町の中心  6

       サン フランチェスコ教会の横道をたどり、   
       小さなアーチをくぐり、外に。



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      ◆町の中心  7

       上の写真のアーチを、外側から。
       
       次々と小さな建て増しというか、
       積み重なりが続いていて、まだまだ中世が残ります。

       サン クイリコの町は、完全に市壁に囲まれていて
       この部分も、まさに市壁の一部なのですね。
       市壁は、町の北西部分と南の一部を除き、
       まだまだ、完全に残っているとの事。



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      ◆町の中心  8

       すぐ先に、こんな塔が見えました。
       現在も市壁につながる14の塔が残るそうですが、
       これは、カップッチーニの門・Porta del Cappuccini.

       ガイドブックなどで見る同じ門は、半円筒形ですが、
       要するに、塔の下に見えるアーチをくぐって出ると、
       半円筒形、と言うわけです。
       夏の暑い日の訪問は、ズクが出ずに・・(長野弁)

       14ある塔のうち、これが一番完全な形で残っているそう。



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      ◆町の中心  9

       こちらは、町の東を通るポリツィアーノ・Poliziano通り
       小路ですが、なかなか趣のある通りで、
       立ち並ぶ建物も、ご覧の様子です。



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      ◆町の中心  10

       ひときわ目を引く、由緒正しげな、
       きちんと修復されたゴシックの建物があり、
       カピターノ宮とあり、現在は4つ半星のホテルに。

       ローマへの巡礼道、カッシア街道の要所のこの町、
       貧しい巡礼だけでなく、貴族のローマ詣でもあった訳で、
       賑やかで、そして猥雑でもあった事でしょう。

       若桑みどりの「クワトロ・ラガッツィ」の中に、
       天正の4少年がこのサン クイリコの町に到着し、
       法王グレゴリオ13世の、ローマからの使者に会った、
       と言う一節がありました。
       それを思い出し、少し感慨が。

       ヴァティカン訪問 ・ 天正4少年使節のご縁により
       http://italiashio.exblog.jp/8742349

       

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      ◆町の中心  11

       上のホテルの向かい側の建物も、同じホテルで、
       そのわき道が、やはり市壁の塔に。

       こうしてみると、この町の石の色は、   
       黄土色のかなり明るめな色ですね。



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      ◆町の中心  12

       こちらは、少し賑やかな人通りが見える
       ダンテ通りを振り返っています。

       立ち並ぶ各建物の間口が狭いでしょう?
       これは中世特有なもので、奥には結構長いのです。



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      ◆町の中心  13

       中心通りの、ダンテ通りに出てきた道角に
       このプレトーリオ宮・Pretorio
       ゴシック様式の、素敵な壁面です。
       以前は、市役所が使っていたようですが、
       今は、観光案内事務所の様子。



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      ◆町の中心  14

       道角の向こうに、素晴らしい教会が見え、
       とたんに元気になって、いそいそと。
       
       コレッジャータ・デイ・サン クイリコ・エ・ジューリッタ
       Collegiata dei san Quirico e Giulitta という長い名前ですが、
       ラ・コレッジャータと呼ばれていて、
       格式としては、ドゥオーモの下になるようです。

       写真の右端に見えるピンクと白の建物が、
       キージ邸と呼ばれる17世紀の、この町を治めた司教の館。
       現在、市役所はここにあり、この建物も完全に修復され、
       今年の春から、中が見学できるようです。
       左側が、上でご紹介のプレトーリオ宮。



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      ◆町の中心  15

       キージ邸と、教会は隣通しで、
       その真ん中に、この井戸がありました。



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      ◆町の中心  16

       ラ・コレッジャータ教会の、側壁にふたつ並ぶ入り口、
       全景写真で見える、奥の大きな方、
       ジョヴァンニ・ピサーノの作品だそうです。



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      ◆町の中心  17

       こちらは、上の写真の入り口、上部。
       植物の飾りの他に、鳥や奇怪な動物も。

       ガイドブックによりますと、中には
       1450年ドイツの貴族ナッソー伯爵が、
       ローマ詣での戻りに、この町近くでマラリアで
       亡くなり、そのお墓があるそうですが、
       民話に残るお話では、彼のワン君が
       お墓の足元にうずくまったまま、後を追ったとか。
      


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      ◆町の中心  18

       8世紀からの古い教会の跡に13世紀に建てられた、
       ゴシック~ロマネスクの様式のものだそうですが、
       あちらこちらに、奇怪な動物やら、
       しかめっ面の小人がいたりして、
       嬉しくて、そわそわしてしまいます。
       とはいえ、修復され美しくはなっているものの、
       傍で見ると、大変に侵食されていて残念です。
       もうすでに700年の時を経ているわけですから、
       仕方がありませんね。

       とはいえ、1585年に
       天正の4少年たちも見たであろう
       見事な教会を見れたわけですから、嬉しく、
       やはり感慨深いものがあります。



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      ◆町の中心  19

       こちらが、全景写真では見れなかった正面入り口の
       上部になります。

       両脇にライオンがうずくまり、円柱を支えている形で、
       この入り口上部は、7層のアーチの重なりで、
       その下に、尻尾は蛇の、2匹のワニがいます。
       噛み付いているのか、それとも、愛噛み?
       上の聖クイリコが、可愛らしい! 



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      ◆町の北の入り口より  1

       私は、町の通りを逆に辿って来ましたが、
       皆さんは、ここでかっての巡礼になったおつもりで
       北から、遥々イギリスのカンタベリーから、
       フランスを縦断し、アルプスを越え
       この町にたどり着いたと、ご想像下さい。

       シエナから南に下り、町の入り口を入ったとたん
       道の奥に、こんな風にこの教会が見えるのです。
       ひときわの感激だった事でしょう。



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      ◆町の北の入り口より  2 (ガイドブックより)

       上の写真の右の建物の壁に、 
       こう書かれているのですね。

       写そうと思いつつ、取り紛れ、
       残念なので、ガイドブックからご覧頂きます。



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      ◆サン クイリコ遠望

       現在の町の北側は、高架になった県道が通り、
       たぶん、かっての巡礼が仰いだ町とは
       雰囲気が違うと思います。

       これは、南からの眺めですが、
       麦畑の向こう、小高い丘の上の町
       想像の一味を加えて、ご覧下さいね。

    **◆**

      先回お約束のバスの接続について、調べました。
      結論から言いますと、
      バス利用で、シエナからオルチャの谷に行くのは
      かなり不便です。
      シエナ ~ サン クイリコ ~ ピエンツァ ~ 
      モンテプルチャーノ の路線がありますが、
      ピエンツァに日帰りで行こうと思うと、
      町で2時間ほどしか、時間が取れません。

      私のお勧めとしては、シエナを終えた後、サン・クイリコ、
      または、ピエンツァに宿を取り、動かれた方が良い気がします。

      モンテプルチャーノには、ローマから汽車でキゥージ迄行き、
      そこからバスで行かれた方が、楽のようですね。
      そしてシエナに抜ける、という方法も考えられます。

      シエナからの移動は、サン ジミニャーノ、モンテリッジョーニ、
      ヴォルテッラなど、北西方面が便利なようです。

      バスの時刻表ですが、
      http://www.trainspa.it/URBANO.htm
      を開かれ、そのページの真ん中右の、Extraurbano 
      をクリックすると、PDFファイルがダウンロード出来ます。
      これで、シエナ近郊行きのバス時刻表が分かります。

      同じページの上側に、Ricerca Orari というのがありますが、
      ここをクリックして開き、出発地、到着地、日にち、時間を
      打ち込むと、必要な時刻表が出ます。

      調べるのは面倒ですが、
      本当に素敵な風景がご覧になれますから
      挑戦して、ぜひ、お出かけ下さい!!

      疑問などございましたら、お知らせ下さい。
      お手伝いさせていただきます!


      

by italiashiho2 | 2009-04-09 03:48 | ・トスカーナ州 | Comments(12)
2009年 04月 03日

   ・・・ ピエンツァ ・ ピオ2世の夢の町 ・・・

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      トスカーナはシエナの南に位置し、ユネスコの世界遺産
      の町にも指定されているピエンツァ・Pienza の町。 
      同じく世界遺産のオルチャの谷・Val d'Orciaに位置し、
      この周辺一帯には、まさに素晴らしい珠玉の町・村が点在します。
      少し連続してご案内をと思い立ちました。
      まずは、理想郷とも呼ばれるピエンツァの町から、どうぞ!

       この町に行きましたのは、昨年の7月初旬。
       東に位置するモンティッキエッロ・Monticchielloという
       ピエンツァ市に含まれる小さな町に4泊し、
       オルチャの谷一帯をあちこち訪問しました。
       
       上の風景は、そのモンティッキエッロから町に
       南から近づいた位置からで、
       あちこちの町に行くのに必ずこの道を通るので、
       何度も仰ぎ見たピエンツァの町。
       ちなみにこの町の標高は491m!

       鐘楼が見える位置にドゥオーモがあり、
       その右横に少し隙間が見えますね。
       あそこから町を取り囲む市壁の道に抜けられ、
       素晴らしい眺めが楽しめます。 後ほど!


       初日は、シエナからこの町に北から入り、
       町の北側にある駐車場に止め、即、
       町外れのトラットリーアでお昼を食べました。
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       これはお皿が届くのを待ちながら、前の家を
       修復され綺麗過ぎる感はありますが、
       花鉢が見事。


       これもそのバール兼トラットリーアの椅子
       椅子の座の小穴が影に写っているのを写したのですが、
       ははは、よほどお腹が空いていたようです!!
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       町の地図も見つけましたが、必要ないです。
       小さな町で、まさに中心にドゥオーモや
       ピッコローミニ邸があり、迷う事はありません。

       大変に小路の美しい、可愛い町ですので、
       その様子をご覧下さいね。
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       あちこち覗きながら、見上げながら
       ふらふらと、ゆっくりと歩きながら、
       また小路を戻りながら、
       写真を撮るのを楽しみながら、
       少しずつ、町の中心に近づいていきます。
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       上の写真の突き当たり部分
       特別にどうという事は無いのですが、
       何となしに、居心地がよさそうな・・。
       あのベンチに座ったら、おしゃべりが弾みそうです。
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       この町の雰囲気が少し他と違うと思うのは、
       田舎の町なのですが、空気が洒落ているというか、
       かといって、大きな町でもないのですね。
       店が並んでいるのは中心の大通りのみで、
       小路に入るとすぐにこうした古い壁の家並みが続きます。
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       こういう3輪車を良く見かけます
       バタバタと音を立てのんびり走って行きますが、
       こうして見ても、風景に納まっているでしょう?!
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       戸口を囲む植物の奥のほう、   
       白い花が見えるのはジャスミンで、
       これもあちこちで見ますが生垣にも良く使われます。



       今この写真を見ながら、そういえば
       ピエンツァには余りアーチが無かったなぁ、と。
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       町の東西の門と市壁を抜ける門、
       そしてもう2つほどでしたっけ、見かけたのは。



       文字通り町の中心に、ピオ2世広場があり、
       周囲を主要な建物が取り囲んでいますが、
       これは南側を占めるドゥオーモ
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       ピエンツァの町が他所と違う大きな理由に、
       町の生い立ち、由来があります。
       学者肌の法王ピオ2世(1405-1464)が、
       以前はコルシニャーノと呼ばれていた自分の生まれた村
       理想の町に作り直すべく、取り組んだ成果なのですね。

       今、町の真ん中を抜けるコルソ・ロッセリーノに名を残す
       ベルナルド・ロッセリーニに設計建設を一任し、
       わずか3年で、古い村の中心をルネッサンス様式に
       都市再建を実行したという事になりましょうか。

       1462年にドゥオーモと周辺の完成の後、
       この法王は自分の名を冠した
       新しいピエンツァの町を楽しむ余裕もなく、
       町全体の再建をも済ます事無く、
       1464年に十字軍派遣の中途で亡くなります。
       法王在位も1458年~1464年とわずか6年。
       まさに、ピオ2世の夢の町、見果てぬ夢の町なのです。


       ドゥオーモの正面壁上部の法王の紋章。
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       普通はこの部分に薔薇窓がありますね。
       紋章のあちこちが黒く見えるのは、鳩君たちが休憩中でして・・。
       
       ルネッサンス様式に町を再建と書きましたが、
       まだまだルネッサンスの最盛期ではなく、
       建物群には少し素朴なイメージも残ります。



       広場の隅にある井戸、ポッツォ・デイ・カーニ
       犬たちの井戸
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       ロッセリーニ設計の素晴らしい井戸ですが、
       なぜ、犬たちの井戸といわれるのか、
       今回色々検索しましたが・・、収穫なし。
       
       どなたか、ご存じないでしょうか?

       映画「イギリス人患者」に、確かこの広場の
       この井戸が登場したと覚えているのですが。

       後に見える壁面が、広場の西側を占める
       ピッコローミニ邸
       ピオ2世の一族の建物の跡に建てられたそうで、
       建物全体の写真は今回ありませんが、
       まぁ、サイトで全体がご覧になれますので。

       町全体の設計を一任されたロッセリーニは、
       フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁や、
       ルチェライ宮の設計でも有名な
       レオン・バッティスタ・アルベルティの追随者であり、
       このピッコローミニ邸もルチェライ宮に良く似ています。

       井戸の後、腰板の高さに鉄製の輪が2つ、
       馬つなぎですね。
       かっての駐車場とでも?!
       
       レオン・バッティスタ・アルベルティについては、
       マントヴァの時に、少しご紹介しましたので、こちらを。
       http://italiashio.exblog.jp/8863323



       広場北側の西角、テントの見える建物が
       アンマンナーティ邸と言うそうですが、
       スッキリとしたルネッサンス様式に挟まれ、可愛らしく素朴。
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       右側に少し見えるロッジャのある建物が、
       プッブリコ宮、現市役所。

       2つの建物の間の通りには・・、



       アンマンナーティ宮の横側の張り出し窓
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       写真を撮っていましたら、横の観光客が
       何を撮っているのか、と振り返り、彼もあわてて。
       教授料払わんかい! あはは。



       広場の東側のボルジャァ宮
       ディオチェザーノ博物館になっていて、
       今調べると、かなりの収蔵品ですが見ておりません。
       (夏の暑い日には、もう動けなくなりましたぁ!)
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       右がドゥオーモ、左がプッブリコ宮。

       先月ご紹介したイタ猫の、見事に哀れな猫ちゃんは、
       このロッジャに居たのでした。
       http://italiashio.exblog.jp/9443950



       法王の館、ピッコローミニ邸の扉
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       木目の浮きでた美しさもですが、
       このノッカー、素敵でしょう?
       余り厳しくなく軽くもなく、優美。



       ピッコローミニ邸の中庭
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       内部拝観も横着してパス。
       庭園はテラスに設けられたもので、この手のものとしては
       ヨーロッパでも最古のものの一つとか。
       (これも見てないなぁ・・!)

       中庭に置かれている玉は、弾ではなく、
       たまたま展示中のどなたか作家の作品。


       上と同じ作家の作品で、これには思わず、あはは。
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       部屋の入り口に掛けられた暖簾式ですが、
       髭もじゃのムサイ顔した男が司教の衣服で。
       こういう由緒ある邸に相応しいアイディア!


       ドゥオーモの横(正面左側)を通り抜け
       アーチをくぐり市壁に沿った道に出ます。
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       この道から素晴らしい眺めが楽しめます!!
       何せ、海抜491mの町!



       この写真では少し靄がかかり残念ですが、
       見える道がモンティッキエッロからの道で、
       刈取りのすんだ麦畑が広がります
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       トスカーナの麦秋風景はこちらに。
       http://italiashio.exblog.jp/8396653



       もう少し遠くの眺めを
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       ユネスコの世界遺産にピエンツァの町が1996年、
       オルチャの谷が2004年に選ばれていますが、
       まさにその名に恥じない、
       雄大で、美しいオルチャの谷の風景



       少し先から、ドゥオーモ・鐘楼を振り返って
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       ピエンツァの町は小路の名前
       大変面白く、興味深いのでも有名です。
       最初は知らずになんとなく見ていて、
       あれ?! と気がつき笑ってしまい、
       その標識のみの栞も見つけましたっけ。

       この写真でも、ご覧になれるかな?
       奥が、ヴィーコロ・デッラ・フォルトゥーナ・幸運の小路
       手前が、ヴィア・デッルアモーレ・愛の道
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       ついでに書きますと、こちら側に引き続き
       ヴィーコロ・デッラ・バーチョ・キスの小路
       いささか出来すぎの感じですねぇ。

       ただしフォルトゥーナには、幸運の他に、
       お金・財産の意味もありますから、
       そう考えるともひとつ意味が深くなるかも!

       他にも、狐の道とか、穴の道
       突き当たり(盲小路)とかの面白い名も。


       これ何か、ご存知ですか?
       家の戸口の横にあるのですが、
       靴の泥落としです。
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       今時の新しい家の前には無いですが、
       日本家屋のように、靴を脱いで家に上がるのではないので、
       道路事情の悪い昔には必需品だったでしょう。
       ヴェネツィア・メストレの息子のアパートは
       戦後のものですが、そこにもありました。



       市壁沿いの道を突き当りまで行き、
       小さなアーチをくぐり戻ると、
       町の中心通りのコルソ・ロッセリーノ
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       道が分かれる角にレストランがあり、なかなか良い雰囲気。
       右に見えるアーチはチーリオ門・Ciglio
       といい、町の東の門。

       ちなみにコルソの西の突き当たりの門は、
       プラート門・Prato



       さすがにこの道は観光客も多く
       お店もあちこちに。
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       町の人口は現在2200人ほどで、
       最高だった1951年の半分以下。
       グラフの載っている最初の年、1861年の3100人
       よりも低いわけで、なんとなく気になりました。

       ちなみにイタリアの国税調査は10年毎で、
       次回は2011年に。



       店は土地の物産品店が多く、
       もちろん有名なワイン類、オリーブ油
       そしてチーズはペコリーノ(ヤギのチーズ)
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       この一帯どこに行っても、
       ペコリーノばかりでしたが、美味しかった!
       自家製の蜂蜜をつけて食べたのが美味しく
       その蜂蜜も買って戻りましたが、
       同じ味の蜂蜜は、家の近所では見つかりません!
       
       この看板は狐のようですが、
       何の店だったっけ?



       中心にあるピオ2世広場の近くの、
       サン・フランチェスコ教会
       13世紀の古いもので、これは入り口の上。
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       サン フランチェスコ教会内部
       一廊式で、やはり13世紀の古い素朴な
       壁画が見られました。
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       オルチャの谷の地図をどうぞ
       昨年の夏訪れ、今回引き続きご紹介しようと
       思っている町に線を引きました。
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       左上、シエナからの道がここに。
       サン クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       を基準にしての距離を書きますね。

       ・サン クイリコ・ドルチャ ~ シエナ 45k 
           約1時間半

       ・サン クイリコ・ドルチャ ~ ピエンツァ 10k 
            約15分

       ・ピエンツァ ~ モンテプルチャーノ・Montepulciano 
            14k 約18分

       ・ピエンツァ ~ モンティッキエッロ・Monticchiello
            11k 約34分

       ・サン クイリコ・ドルチャ ~ モンタルチーノ・Montalcino
            14k 約25分

       ・サン クイリコ・ドルチャ ~ カスティリオーネ・ドルチャ
            Castiglione d'Orcia 8,5k 約20分

       ・サン クイリコ・ドルチャ ~ ラディコーファニ・Radicofani  
            27k 約36分

       道の距離と、所要時間の関係がまちまちなのは、
       いわば土地の道と、主要県道を通れるかの違いです。

       ** ピエンツァ、モンテプルチャーノには、
          シエナからのバスもありますが、
       逆にローマから、汽車でキュウジ・キアンチャーノ・
       Chiusi-Chianciano迄行き、そこからのバスも便利なようです。

       私は車で行きましたが、次回のアップまでに
       バスの時間のサイトなどを調べておきましょう。







       
       

by italiashiho2 | 2009-04-03 03:05 | ・トスカーナ州 | Comments(12)