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2009年 11月 27日

   ・・・ ルネッサンスの都に、中世を探して その2 ・・・

      今日は先回に続き ルネッサンスの都に、中世を探して を
      ご紹介したいと思いますが、まずお断りを。
      というのも、このテーマを最初は考えておらず、写真も撮らずで。
      が、調べているうちに
      中世当時のフィレンツェの町がいかにカオスに満ち
      喧騒と乱闘騒ぎに明け暮れ、塔の家に満ちていたかを知り
      大変興味深く面白く、それをご紹介したくなったのです。
      という事で、写真は余り面白くありませんが、よろしくお付き合い願います!

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      ◆ジャンフィリアッツィ邸 地図番号- 1

       これは ジャンフィリアッツィ邸・Gianfigliazzi といい、
       サンタ・トリニタ橋を北に渡ってすぐ、トルナブオーニ通り・
       Tornabuoni にあり、塔の造りではありますが豪華なもの。

       最初ここには教皇派・グエルファの一族ルッジェリーニ・Ruggerini
       の建物があったものの、1260年の両派の戦いの後追放、
       建物はほぼ完全に破壊されたのを、14世紀の終わりに再建、
       ジャンフィリアッツィ家が買取り、18世紀の一族の消滅まで所有。
       で、現在は高級ホテル。

       このジャンフィリアッツィ家は、最初は単なる平民であったのが、
       13世紀から14世紀にかけて、貸付銀行と商売で急速に成長繁栄
       それも、フィエゾレの大浪費の司教に貸付、破産した膨大な富を吸収、
       それを南フランスで上手く投資活用。
       貸付利子が平常であったフィレンツェに比し、南フランスでは
       当時266,66%まで行ったのだとか!

       こういった厚顔無比な強欲ぶりは、当然ダンテの神曲の中でも批判され、
       地獄の灼熱に焼かれる様で登場しているとの事。

      ◆ 追記です 

       これを書いた時には、なぜ南仏でそんな高利の投資が出来たのか、
       疑問でしたが、アヴィニョンへの教皇庁移転造営工事について知り、
       漸くに、そうか、そういう事だったか! と納得しました。
       大学生相手の金貸し、という言葉もあったのですが、
       既にあった大学に新しく法学部も設立されたというので、
       ヨーロッパ中から優秀な学生も集まっていたのでしょう。
       
       アヴィニョンの教皇庁宮殿については
       http://italiashio.exblog.jp/11627847
       
       cucciolaさんが、こちらに大学生相手の金貸しについて詳細に。
       http://d.hatena.ne.jp/cucciola/20100403



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      ◆アミデイの塔  1 地図- 2

       シニョリーア広場から西に、すぐ出会う道を左折すると
       ヴェッキオ橋に向かいますが、この道がポル・サンタ・マリーア通り・
       via Por S.Maria で、中ほどにこの塔があります。

       アミデイの塔・Torre dei Amidei と言い、
       素晴らしい2つのライオンの顔に魅かれて写しましたが、
       顔の一つ(左?)は、エトルスク時代の物との説もあるそうで、
       ライオンの塔・Torre dei Leoni と呼ばれるとも。



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      ◆アミデイの塔  2  サイトから

       全体の写真を撮っていませんので、これを。

       塔の家の高さは、平均60mほどもあったそうで!
       この塔も実際はもっと高かったのが、13世紀の終わりに
       50ブラッチャ・約29m以上にしてはならない
       という規制ができ、上辺を刈り取られたのだそう!

     

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      ◆アミデイの塔  3
       
       ライオンの写真と共にこの石碑も写しました。
       で、ここに見える紋章の AMIDEI という名から、
       今回の興味の追跡に、少し大袈裟!            

       アミデイ家(貸付業)はギベッリーニ・Ghibellini・皇帝派に属し、
       フィレンツェのみならずイタリア全体を、何世紀にも渡っての
       血にまみれた騒乱の渦に巻き込んだ、
       グエルフィ・教皇派と ギベッリーニ・皇帝派の闘争の
       最初のきっかけの殺人事件の主人公なのでした。

       ギベッリーニ・皇帝派というのは、神聖ローマ帝国皇帝派、
       グエルフィ・教皇派は、ローマ教皇派 を現しますが、
       元々は、司教や修道院長の収益問題が絡む叙任権争いから始まり、
       どちらを支持するかで、都市間、町中の争いに発展した様子。
       
       事件の経緯の詳細は略しますが、ある宴会の喧嘩に始まり
       その収拾のため、アミデイの娘とボンデルモンティ・Bondelmonti・
       グエルフィ・Guerfi・教皇派 の婚姻約束が交わされ、
       反故になった場合は高額の賠償金を、という契約。

       所がここに、ドナーティ家・Donati・教皇派の奥方
       グアルドゥローバ・Gualdroba が乗り出し、
       違反金を払って上げるから自分の娘と結婚を、の申し出!
       アミデイの娘は美人でないのに比べ、
       ドナーティの娘は評判の美人、おまけに賠償金もとの事で、
       ボンデルモンティは結婚式を放棄

       収まらないのはアミデイ家とその党派で、復讐計画を練り
       棒で殴る、顔に傷をつける、など言いあう席で
       モスカ・デイ・ランベルティ・Mosca dei Lamberti
       激烈な方が後を引かない、と発言し決定。

       ボンデルモンティはドナーティの娘との結婚式に向かう
       1216年復活祭の日に、このアミデイの塔の前で
       棒で殴られ落馬した所をナイフで殺害、
       これが町中を巻き込む大騒ぎに発展、教皇派と皇帝派に
       分かれての争いが始まる元となった、と言うのでした。

       読んでいて、まさに火事と喧嘩は大きいほど・・!! 
       で笑えましたが、歴史の大事件もホンの些細な事が発端ですねぇ。

       家の紋章の下に見えるダンテの神曲は、
       この事件に触れているのでした。



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      ◆ダンテの家  1 ガイドブック 地図- 3

       という所で、ダンテの家博物館に。

       が、ダンテ・アリギエーリ・Dante Alighieri の実の生家ではなく、
       20世紀初頭に、中世の面影の強く残るこの地域、
       そして唯一の記録から、近くに生家があったと認められるこの地に
       再建されたものなのですね。

       19世紀末にたったの5年間でしたが、フィレンツェに
       新生イタリアの首都が置かれた事があり、
       当時ダンテの生誕600年に当る事からの着想だったそう。

       実の生家はダンテが町を追放された後破壊されており、
       右に見える塔も、近くにあったジュオッキ家・Giuochi
       1300年前後に消滅した家の2つの塔の一つを移した物。
       ダンテの生家は貴族ではあっても小貴族で、
       塔を所有した事はなかったそう。

       とはいえ、なかなか雰囲気のある中世の家なので
       覗きに行ったという次第。



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      ◆ダンテの家  2

       向かいの壁にあった石碑で、ダンテの詩
       ・・私は、美しいアルノ河の傍の素晴らしい家で生まれ育った。 



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      ◆ダンテの家  3

       現在の家の前。 広場があり、井戸も。



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      ◆ダンテの家  4

       塔部分、博物館入り口もこちらに。

       月曜休館 開館時間は10時~17時



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      ◆ダンテの家  5

       博物館内部。
       中世や、ダンテの神曲について様々な説明展示。
       


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      ◆ダンテの家  6

       当時の貴族階級の花嫁衣装の再現で、
       大変豪華な物ですが、当時衣類は財産でもあり、
       遺産相続にも含まれました。

       公証人の毛皮付きの衣類もあリましたが、ピンボケで。 



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      ◆ダンテの肖像  1 地図- 4

       ヴェッキオ宮の東の道・via del Proconsolo
       ドゥオーモに向かって辿る途中、見つけた垂れ幕
       「ダンテの実の顔・一番古い実証的な肖像

       まだ若く、厳しい面影はありませんね。



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      ◆ダンテの肖像  2

       プロコンソロ通りの「判事と公証人の組合の館」で、
       ここ内部にフレスコ画が残っている様子。
       
       判事と公証人の職業組合 というのは、
       13世紀初頭に既に記録に登場、
       フィレンツェにあった7つの大組合
       16の小組合の筆頭に位置する、力と威信を持つ組合で、
       他の展示もあり興味深そうです。



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      ◆ダンテの家  7 ガイドブック

       ダンテが生きた時代のフィレンツェの町

       市壁に囲まれ、ドゥオーモの丸屋根もなく、
       見える大きな家は、すべて塔の家。
       塔の家・Le Case-Torri という言葉に、
       この博物館で始めて出会いました。



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      ◆塔の家  1 ガイドブック

       塔の家 の内部図。
       この手の絵が大好きで、大いに興味を持ちまたあれこれと。

       町の歴史はローマ期からですが、千年前後になると
       市壁に囲まれた内側に土地の余裕がなくなり、
       どんどん上に延びる様になったのだとか。

       最初は防御の目的、つまり町中の勢力争いに備え、
       塔の1階には出入り口もなく、2階部分に取り外し出来る梯子を
       かけたり、近所の同じ党派を組む家から出入りしたり!

       張り出したバルコニーや持ち出し部分
       勿論上からの攻撃用で、傍らには石やら用意、
       階毎に一部屋で、縄梯子や引き上げ梯子で上階に。
       この時期の塔の高さは、時に130ブラッチャ、約75mにも

       大いに住居の必要性が増した12世紀半ばには
       町中に林立する塔の家は、150~170もあったと!

       内部の1階部分は、中庭(土間)窯 薪置き場 家畜小屋など。
       そして順次上に、集会用、寝室、火事用心に台所は一番上に。

       窓の部分は少し大きくなるものの、防御を兼ねて木か、
       または蝋塗りの布で覆われ、光を余り通さず薄暗かったと。
       女性達は一日働き詰めで出かける事も殆どなく、大変な生活状態。

       道はいまだ石畳ではなく、真ん中に溝が掘られ雨水のみならず
       家にはトイレ設備がない事とて、汚水もごみも垂れ流し!
       塔の家から張り出しのバルコニーで陽も射し込み難く、ぬかるみで、
       門閥徒党間の争いからも 人々は中庭に集まり過ごす事が多く、
       井戸に毒を投げ込まれる事も恐れ、鯉を飼っていたとか!

       う~~ん、やはり凄い時代だったんだ!



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      ◆塔の家  2 ガイドブック 地図 5

       これは、栗の塔・Torre della Castagna
       ダンテの家のすぐ近くに。

       塔の歴史は大変古く既に1028年に建設、
       1282年にフィレンツェでの最初の行政官の集会が
       持たれたのだそう。

       栗・カスターニャの塔 の名の由来は、
       当時、投票に栗を使い、栗をフィレンツェでは バッロッテ・ballotte
       と言うので、現在使われているバッロタッジョ・ballotaggio・
       決選投票、優勝決定戦の言葉の元ともなったのだそう。
       
       先日ヴェネツィアのギリシャ教会で、イコンの展示を見ましたが、
       その際、Si`, No と書かれた木製の筒があり、
       投票用の白い玉、何かを丸めた様な形を見つけ訊ねましたら、
       皮 との事でしたから、土地風習により色々ですね。

       現在この塔の下部分は、国家統一運動博物館・Risorgimento 
       として見学可能だそうで、イタリアの広場には必ずおられる
       ガリバルディ将軍の、座ったクッションなどが見られるそう!



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      ◆塔の家  3

       こちらはジオットの鐘楼の中程からの眺め
       後側高い塔は、右からヴェッキオ宮の塔
       尖ったのがバディア・フィオレンティーナの鐘楼・Badia Fiorentina
       左がバルジェッロ宮の塔。

       一番手前に見えるのが、ヴィズドミーニの塔・Torre dei Visdomini
       この斜め奥、バディア・フィオレンティーナの鐘楼の右に見えるのが
       上でご紹介した栗の塔かと。



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      ◆塔の家  4 ガイドブック 地図 6

       ヴィズドミーニの塔

       ヴィズドミーニ家は、ドゥオーモのすぐ傍に元の家があったのが
       ドゥオーモの拡張でここに移った様子で、
       空席の司教の代理権を持ち、大いに稼いだとか・・、
       それもダンテの神曲に書かれているのだそう!



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      ◆塔の家  5 地図 7

       ジオットの鐘楼から。

       半円形の塔が見えますね、
       これがパリアッツァの塔・Torre della Paliazza

       隣に見える高い塔は身元不明、
       新しいのかもしれません。



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      ◆塔の家  6 ガイドブック

       パリアッツァの塔
       この珍しい半円の塔は、基礎がローマ期の張り出しテラス・
       エセードラ・esedra を利用したビザンティン様式の塔で、
       フィレンツェでも唯一なのだそう。

       しかも最近の発掘で、これが温泉・テルメを取り囲む形の物と
       分かったそうで、公衆浴場または私的な物にしろ、町では2番目。
       最初のは、先回ご紹介したテルメ通り、ボンデルモンテの塔のある
       通りに遺跡があるそうで、それでテルメ通りなのでした。

       パリアッツァ・藁の寝袋 の名の由来は、
       13世紀以降監獄、女囚用に使われ、
       男の囚人は床に直接寝たのに対し、女囚には藁の袋が
       与えられた事に由来するそう。

       現在はホテルだそうですが、発掘品の陶器の博物館があり、
       希望すると見れるとの事。



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      ◆塔の家  7 ガイドブック 地図 8

       このドナーティの塔・Torre dei Donati も古く
       写真では分かりませんが、中庭を囲む形とか。

       ドナーティ家は近くに別の塔も持っていますが、
       同じ地区に、ライヴァルのチェルキ家の塔・Torri dei Cerchi
       があり、これは同じグエルフィ・皇帝派内の争い、
       富裕市民層の白派と 貴族階級の黒派の血みどろの争いに繋がり、
       遂に中立地域の小路が設けられ、これは現在も
       スキャンダル小路・vicolo dello Scancalo として残っているそう。

       ダンテは小貴族で白派に属し要職にも就いたものの、黒派が勝つと
       1301年に追放処分となり、長い20年間の放浪の果て
       フィレンツェに戻る事無く、ラヴェンナで亡くなったのでした。



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      ◆塔の家  8 地図 9

       こちらは同じドナーティ家の塔ですが、2つあり、
       コルソ・ドナーティ家の塔・Torri di Corso Donati
       と呼ばれます。

       ドナーティ家というのは大貴族で、それに繋がる
       ジェンマ・ドナーティ・Gemma Donati がダンテの奥方。

       ダンテの神曲も読んだ事がなく、彼への知識もありませんが
       イタリアの誇る大詩人、哲学者政治家である位は知っており、
       今回改めて、ダンテの奥方の名前や、彼が神曲の中で崇める       
       ベアトリーチェとの経緯も知りました。
       で、あれほどベアトリーチェに詩を捧げ崇めている彼が
       長年の放浪生活を一緒にしたであろう妻のジェンマには
       詩の一行も与えていない事をも知り、憤慨!

       大概の事は、それはそれよね、と思う私ですが、
       許婚であリ、心染まない相手であったとはしても
       苦しい放浪生活を共にした妻、4人の子をもうけ、
       700年後の今もダンテ家は残っているのですね。
       それを、人妻を恋い焦がれ崇め続けて作品に公表。
       女房を踏みにじリ、顧みもしないこの男の勝手さ。

       ジェンマとの生活の断片も、亡くなった年も定かでない、
       読んでいて、哀れを覚えました。
       ダンテ・アリギエーリ、彼の残した作品が如何に偉大でも
       男としては、偉大な K S 野郎! です。



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      ◆塔の家  9 ガイドブック 地図 10

       こちらは少し離れて、サンタ・クローチェ教会近くの
       特徴ある塔なので、ご存知の方も多いと。

       アルベルティの塔・Torre degli Alberti と言い、
       大一族のアルベルティ家はグエルファ・教皇派ではあるものの、
       立ち回りが上手いと言うのか追放されても戻り、
       また政治の中枢に食い込むを繰り返し、18世紀まで継続。



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      ◆サンタ・クローチェ教会

       最後は、サンタ・クローチェ教会の青空を。
       
       ダンテ・アリギエーリに憤慨し疲れましたが、
       この教会の左手にも、彼の像があるのでした!



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      ◆地図をどうぞ

       文字制限に引っかかりそう、
       地図に番号を打ちますので、以下略でご勘弁を!


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       すっかり冬模様の霧の朝が多くなりました。
       先日はベッドのマットレスをひっくり返し、冬用の羊毛の側に。
       
       皆さんも、体調にご注意を!

by italiashiho2 | 2009-11-27 06:04 | ・フィレンツェ | Comments(2)
2009年 11月 22日

   ・・・ ルネッサンスの都に、中世を探して  その1 ・・・

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      フィレンツェが、イタリアのみならず世界中に 
      ルネッサンスの都 として鳴り響いている事はご存知の通り!
      ですが、いまだあちこちに中世がしっかりと残り
      中世大好き人間も、うふうふと満足感に浸れます。

      こうして見つけた中世を、2回に分けてご覧頂きますが、
      今回は、ダヴァンツァーティ邸・palazzo Davanzati・     
      フィレンツェ中世邸宅博物館 とその近辺をどうぞ!


       ダヴァンツァーティ邸
       ポルタ・ロッサ通り・Porta Rossa に面する大きな邸宅で、
       簡単に行けますし、

       国鉄駅から、南東方面ドゥオーモに行く道を来ると、
       このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggiore
       右手の角にあり、ほら奥にドゥオーモが見えますね。
       ここを右折すると・・
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       道の突き当たりに、どーんと見えるのがそうです
       写真は日曜の朝ですが、まさに楽勝気分!
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       後ほど地図も。



       ダヴァンツァーティ邸の前は広場で
       その脇にもこんな中世の建物。
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       フォレージの塔・Torre dei Foresi といい、       
       左側の塔に、右側に少し低い建物がくっついた形。

       同じ造りなのですが、もしもの塔の崩壊に備え
       間隙が作られているそうで、
       建物内に、当時の富の象徴である家の専用井戸と、
       地下には倉庫があるそう。
       
       フォレージ家というのは、13~14世紀に栄えた
       グエルファ・Gelfa・教皇派の一族で、16世紀に消滅。

       グエルファ・教皇派、ギベッリーノ・皇帝派については、
       次回ご紹介予定の ダンテの家 の際にご説明を。



       現在の広場の位置にあったいくつかの建物が
       19世紀に取り壊され、
       この壁面が良く見えるようになったのだとか。
       フィレンツェに残るいくつかの 中世の塔の家 でも
       よく保存されている物の一つだそう。
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       1階部分にレストランかバールがあるようで、
       中世の壁面に取り付けられたこの灯り
       デザインは確かに中世風なのですが、
       中の電球は省エネタイプの蛍光灯で、
       なんなく可笑しく、でも努力は評価です。
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       広場から見るダヴァンツァーティ邸
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       14世紀の住宅建築と言いますが、
       かくも健在、威容を誇ります!

       正面壁真ん中には・・


       ダヴァンツァーティ家の紋章が。     ガイドブックより
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       後足立ちのライオン・青地に金の紋章で、   
       紋章学的には、軍指揮官・condottiero を現すそう。
       
       建物は14世紀半ばに裕福な商人のダヴィッツィ家・Davizzi により建設、
       後16世紀後半にダヴァンツァーティ家・Davanzati に

       買い取ったベルナルドは、裕福な銀行家であると共に文学者であり、
       彼がこの紋章をつけ、中世の塔の家の典型である最上階の凹凸の
       レース飾りを取り去り、ロッジャ式のテラスを作ったのだそう。


       上の写真2でご覧のように、
       隣の建物との間に隙間がありますが、こんな感じ
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       広場のフォレージ家の塔にも、
       建物の並びに間隙があったといいますが、
       いかにも中世風の支えです。



       これが、現在の邸宅博物館入り口
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       19世紀前半までダヴァンツァーティ家の住居として、
       内部調度も整えられ、大変美しかったと言いますが、
       一族の最後が自殺して後住居は区分けされ
       内部もあれこれ変更されたと。

       20世紀に入り骨董商が買い、調度を中世風に整え、
       私的な邸宅博物館として公開、大いに人気を得たそうですが、
       この骨董商自身がその後ニューヨークで、ここの家具を競売、
       アメリカでの新ルネッサンス様式調度の口火となったと。

       再度の変遷の後、戦後最終的に国が買取り
       他の博物館から調度を買い寄付を受けたりで、
       博物館として開館したものの修復の為に長い閉館があり、
       今年6月に再開されたばかりと言う、訪問チャンスでした。



       上の入り口を入ると、ロビーの空間があり、
       アーチを潜るとこの中庭
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       吹き抜けの中庭の素晴らしさに驚き!
       この見上げる高さに、居住空間が広がります。
       これは、中庭奥から入り口側を。
       左側の壁沿いに、家専用の井戸

       実はこの邸宅には2度行きました。
       最初は、サンタ・トリーニタ橋からシニョリーア広場に
       抜ける途中に通り、あ、ここだ!と見学。

       その時に、今からでも上階を見る予約が出来ます、と
       親切に教えて貰い、予約して出直したという訳。



       これは、入り口側から中庭の奥に向かい
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       建物は真四角ではなく、正面側は広く、奥(南部分)が斜め。
       それが、部屋にも面白い不思議な印象を与えます。



       写真はやはり禁止でしたが、
       写さずにはおれない素晴らしいもので・・!!

       中庭1階部分のフレスコ画
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       中庭から上階に上がる階段
       奥に、地階への階段も見えます。
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       本来の中庭は屋根がなく、雨も降り込んだでしょうが、
       現在は電動で開閉の覆いが。



       1階中庭部分と2階が無料で見学でき
       開館 毎日朝8:15 ~ 13:50
       閉館 第2 第4の日曜、 第1 第3 第5の月曜と
           元旦、5月1日、クリスマス

       2階への階段から
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       右側の壁の扉が開いている部分、
       あの壁の厚みの中に滑車があり、下の井戸に通じています。
       
       井戸の水がどの階でも、という贅沢。          
       中世の一般庶民は、公共の井戸を利用していたのを考えると、
       大変な富を持っていた事が分かりますね。



       こんな感じに、中庭を囲み各部屋に続きますが
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       この部屋の外側の壁に、かなりの落書きが見えるのですね。
       はや、もう既に?! と思いましたら、
       これは由緒ある落書き、との説明。

       かって部屋が事務所として使われていた時、
       外で待っている人たちが、計算用紙代わりに、はたまた詩を書いたり
       の落書きで、消さずにあるのだそう。



       2階の右側の大きな部屋。    写真、サイトより
       ここが1階の入り口ロビー上に当る部屋です。
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       高い窓の鎧戸をご覧下さいね。
       幾つにも分かれ、その用途に従い開閉できる仕掛け。
       


       2階のパッパガッリ(オウム)の広間・Sala dei Pappagalli.  ガイドブックから
       食事用の部屋だそうで、名前の由来は
       綴れ織りで部屋が覆われた様子のフレスコ画装飾の柄で、
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       見えますか?
       四角い柄の白い縁取り部分のオウムが。
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       各部屋に監視カメラがついているので、
       カメラに写らぬ位置から・・、はは、まるで泥棒猫!
       おまけに、監視の女性がちょいちょい回って来るのですぅ!!
       
       サイトで写真を探しましたが、皆さん私同様
       内緒で大急ぎとあって、殆どピンボケ!



       こちらは奥の素晴らしい寝室
       孔雀の間・Sala dei Pavoni とも呼ばれ、
       上側の装飾、三角のアーチ部分に紋章と孔雀が。
       紋章は、縁組みをしたフィレンツェの各名家のもので
       80にも及ぶそう。
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       部屋の右側はまだ広いのですが、
       テレビカメラがねぇ。


       少しピン甘ですが、同じ部屋の天井部分を。
       格子天井の装飾が大変美しく、感じだけでも。
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       全体に装飾のフレスコ画には赤色が多く
       大変豪奢で密な印象



       これは狭い通路状の部屋で、
       布を織るための道具類とか、
       素晴らしいレース類の展示とかあり、
       写真が撮れずに大変残念。
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       11月にはガイドブックが、との話でした。
       ウッフィーツィ美術館のブックショップに
       関連本が1冊あると聞き、訊ねては見たものの
       修復関連の記事が多く、重たくお高く断念。



       はい、例によりトイレ関連を!
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       2階部分の部屋の片隅に。
       おマルを入れる位置がないのが・・、むむ!

       建物の床は、すべてこれに見える焼き煉瓦。


      
       この薄い盥は、水浴用でしょうね。  ピンボケご容赦。
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       感心したのは、14世紀の建物というのに
       各部屋の隅を利用して、きちんと設えられていた事
       裕福な商人の邸宅とは言え、当時にあって大変な贅沢ですね?!
       あのヴェッキオ宮にもトイレなるものは、私には
       3つしか見つからなかったのですもの!
       http://italiashio.exblog.jp/10363547



       これは、3階部分のトイレ兼お風呂。   サイトより
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       3階は予約しての見学で、10人程も一緒で
       写真がまったく撮れず心残りでしたぁ!!



       3階にこの大きな台所。   ガイドブックより
       家の上階に台所があるのは、家中に煙や湯気が回らぬよう、
       また火事を考慮してとの事。
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       奥中ほどの扉の手前に、ハンドルのついた物が
       取り付けられていますが、穀物挽きだそう。
       粉挽きというと即水車を思いますが、
       そうですよね、家庭でも手軽に挽いたのでしょう。

       他にもふいごや天秤ばかり、そして糸の整形機とか
       手仕事の道具類が展示されており、
       当時の日常生活を髣髴とさせるこの台所を見ると、
       時の隔たりを一挙に越え、親近感を覚えます。



       3階のいとも豪華なる寝室。  ガイドブックより
       天井部分の愛の物語のフレスコ画に、
       唯一オリジナルが残っているのだそう。
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       フレスコ画が語るお話は中世フランスの伝承物語で・・


       城主夫人が、夫の騎士が戦いに出かけた留守に   ガイドブックより
       逗留した若い騎士に横恋慕、迫りますが断られ、
       夫に逆恨みの嘘の告げ口を。
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       若い騎士には別に愛する女性がおるものの内緒なので、
       名を出して自分の正当性を主張できず・・。

       部屋をぐるりと一回りして続く、愛の物語。
       最後は皆死ぬのですと!

       画面に見えるチェス盤ですが、cucciolaさんがこちらに
       チェスの由来について書いておられます。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3728172.html

       

       地図をどうぞ
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       ダヴァンツァーティ邸は、予約しての3階見学も
       2階までの一般公開も無料です

       4階部分はまだ修復が済んでおらず、非公開ですが、
       大変素晴らしい! との予告。
       はい、お待ちいたします。

       14世紀の中世の塔の家から、
       ルネッサンス期の邸宅建築への移行期に当る、
       とにかく素晴らしい、一見の価値ある博物館
       中心部にも近く、大いにお勧めです!

       ではこれより、ダヴァンツァーティ邸の南西域に


       テルメ通り         
       ダヴァンツァーティ邸から東に向かい次の角、
       南に、こんな広場が。
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       入って行くと何やら不思議な中世の空間

       建物前の標識で
       左が 元のサンタ・マリーア・ソプラ・ポルタ教会・S.M.sopra Porta
       右が カナッチ・ジャンドナーティ邸・Canacci-Giandonati
       突き当たりに見えるのが、グエルファ側(隊長)の館
       パラージョ・デイ(・カピターニ・ディ)・パルテ・グエルファ・
       Palagio dei Capitani di Parte Guelfa
       と知り、??!!
       
       一瞬にして、中世の真っ只中に迷い込んだ印象

       調べて分かったのは、
       ソプラ・ポルタ教会は11世紀に遡り、門の上教会という名は
       古い市壁の南門の傍らにあった由来からで、
       最初はこの教会でグエルフィ(教皇派)が会合を持ち
       13世紀に隣に集会所として館ができ、
       この周辺一帯が教皇派の中心であった様子です。

       カナッチ・ジャンドナーティ邸は、裕福な商人のカナッチ家が
       15世紀後半に建設、写真に見える手前側のジャンドナーティ邸と
       併合した事などなど。

       グエルファ側の館と、カナッチ・ジャンドナーティ邸の間に
       薄暗い狭い小路があり、そこを辿ります。



       と、狭いテルメ小路の向こうに細い塔の家
       地面から最上階まで、フレームに入りません!
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       ボンデルモンティの塔・Buondelmonti という13世紀の塔で、
       同名の一族は、この近辺にたくさんの塔を持っていたと。

       13世紀のフィレンツェに於ける他の塔と同様、上辺が真っ直ぐ
       1階部分中程までは切り石積みが見えますね。
       切石積みがフィレンツェで最初に見られる例の一つだそう。
       


       ご覧の通り、ちゃんと1階部分はお店になっていて、
       少人数のグループが、ガイドの説明を拝聴。
       ここが、テルメ通り・via delle Terme.
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       もう1本細い小路を南に抜けると、
       ボルゴ・サンティ・アポストリ通り・Borgo Santi Apostli.
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       塔上部が光り、見難くご容赦ですが、
       この古い塔も、ボンデルモンティの塔・Buondelmonti
       で隣に建物が続き・・



       アッチャイウォーリ邸・Acciaiuoli といい、
       隣接の塔も、ボンデルモンティの塔と呼ばれ、
       フィレンツェの大名門アッチャイウォーリ家の持ち物だったそう。
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       アッチャイウォーリ家というのは、ナポリ王国の執事を
       務めていたそうで、塔は13世紀末の、館は14世紀と
       フィレンツェでも最も古い建物のうちに入るそう。

       現在ここはホテルになっていますから、
       皆さん、お泊り可能で~す。
   

       この辺り一帯いまだ中世の雰囲気ですが
       可愛い野菜果物店も。
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       で道を辿ると、すぐにアルノ河沿いに
       狭い薄暗い中世の小路を抜け、ホッと深呼吸。
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       快晴の日曜、フィレンツェ滞在最後の日
       ヴェッキオ橋も撮り収めです。
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     ◆*◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       フィレンツェについては一通りの知識のみで、
       今回も歩きながら見て感じ、驚き、戻って調べる
       という経過でしたが、
       中世好きには発見の地区でした。

       知るとまた知らない事が増え、でも大いに楽しんでいます
       上手くお伝えできていると良いのですが!

       ではまた次回、よろしくお願いいたしま~す!

           

by italiashiho2 | 2009-11-22 02:11 | ・フィレンツェ | Comments(17)
2009年 11月 17日

   ・・・ フィレンツェ ・ 黄昏から夜に ・・・

      今日は フィレンツェ・黄昏から夜に と題して、
      暮ゆくアルノ河の眺めと、灯りの点いた街の
      ほんの中心をご覧頂きますね。
      少し甘く感じる、夕暮れの空気をどうぞ!

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      ◆アルノ河  1

       アルノ河・Arno にかかる橋の内、一番有名なのが
       やはりこのヴェッキオ橋・Ponte Vecchio.
       ヴェッキオ・古い という名の示す通り、
       街で一番古い中世からの橋で、
       貴金属品店が並んでいるのはご存知の通り。

       中空に月が見えますが、少し欠けているでしょう?
       夕暮れから夜にかけての写真は2回試み、
       これは最初の夕暮れ。



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      ◆アルノ河  2

       こちらはヴェッキオ橋から、ひとつ上流の橋
       アッレ・グラーツィエ橋・alle Grazie.
       
       左中ほどに張り出し、灯りが点いているのが
       ウッフィーツィ美術館・Galleria degli Uffizi.

       街にもボチボチと灯が点り、人恋しくなる時間。
       ちょうどお腹も減って来るしね。

       ホラ、月が上の写真よりも丸いでしょう?



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      ◆ドゥオーモ広場  1

       写真の位置が少し飛びますが、
       夕暮れの時間に合わせ、
       洗礼堂、ドゥオーモ、鐘楼を。

       白い大理石も、黄昏の陽にほんのりピンクに。



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      ◆共和国広場  1

       レプッブリカ(共和国)広場・Piazza della Repubblica
       にはメリーゴーランドが回り、今灯がついて。

       今年10月初旬のフィレンツェは、日中暑いほどで、
       夕暮れ時もまだ、皆さんご覧の通りの軽装。



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      ◆アルノ河  3

       観光客でいっぱいのヴェッキオ橋の中ほど、
       店が途切れた部分からの眺め。
    
       下流には、サンタ・トリーニタ橋・Santa Trinita.
       少し空が染まって来ましたね。



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      ◆アルノ河  4

       たくさんのカヌー、ボートが練習を。

       ヴェッキオ橋の上流アッレ・グラツィエ橋の先、
       そして、サンタ・トリーニタ橋の一つ下の
       カッライア橋・alla Carraia の先には堰があるので、
       この4つの橋の間を往復しての練習風景。

       街を流れる河には、風情がありますね



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      ◆アルノ河  5

       2階建ての周遊観光バスが、
       トリニタ橋を渡って行きます。
       多分これが、私も乗った最終バス。

       フィレンツェの周遊バス観光については
       http://italiashio.exblog.jp/10344414



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      ◆アルノ河  6

       写真ではかなり明るく見えますが、
       既に暗くなった水面をミズスマシみたいに



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      ◆アルノ河  7

       女性が艫の舵取りで、
       両手にロープを引き、大の男4人を従え・・!
       カッコいいなぁ。

       水面に出来る波紋



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      ◆アルノ河  8

       こちらは、カッライア橋。

       最後の照り返し



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      ◆アルノ河  9

       ヴェッキオ橋から上流を。

       街燈も明るさを増し、
       右奥の丘の中腹の明かりは
       ミケランジェロ広場



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      ◆アルノ河  10

       サンタ・トリーニタ橋。

       いい色になりました。



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      ◆アルノ河  11

       ヴェッキオ橋に並ぶ貴金属店の店先。

       ショウウインドウの覆いは、
       下に見える木の上げ蓋式で、
       いまだ中世が残ります。



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      ◆アルノ河  12

       ヴェッキオ橋の上も人で溢れていますが、
       橋の向こうも、こんなに混雑。



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      ◆アルノ河  13

       サンタ・トリーニタ橋に移動して。
 
       一つ下流のカッライア橋、
       既に夜の帳が降りはじめ。



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      ◆アルノ河  14

       サンタ・トリーニタ橋は幅も広く、
       車の交通量が多く、
       橋の上の移動にも注意が必要。

       ヴェッキオ橋を望んで。

       肉眼にはこんなに明るくないのです。
       ヴァザーリの回廊がいやに白く見えますね。



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      ◆アルノ河  15

       サンタ・トリーニタ橋の入り口の彫像。
 
       橋の上もアルノ河沿いも、
       交通量が激しく、お気の毒なような・・!



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      ◆アルノ河  16

       もう一度、ヴェッキオ橋。
   
       空の色が一段と濃くなり、月が冴えます。



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      ◆アルノ河  17

       ライトアップされた、ヴェッキオ宮の塔。



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      ◆シニョリーア広場  1

       ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchio
       ロッジャ・loggia 等のある
       シニョリーア広場・Piazza della Signoria
       まで戻ってきた所。

       広場の周囲をレストランやカフェが取り囲み、
       ヴェッキオ宮もロッジャもライトアップされていますから
       そう暗くはないとはいえ、
       自分のこの写真の明るさに驚き!

       ヴェッキオ宮のご案内、その1 と 2は
       http://italiashio.exblog.jp/10363693
       http://italiashio.exblog.jp/10363547



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      ◆シニョリーア広場  2

       広場の端から、街の一番の目抜き通り
       カルツァイウォーリ通り・via dei Calzaiuoli を。

       まだまだ人通りは多いものの、
       夕食時間にかかり、少しずつ減って行きます。



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      ◆街中  1

       カルツァイウォーリ通り中程にある
       オルサンミケーレ教会・Orsammichele.

       かっては穀物倉庫だったと言うこの教会、
       周囲にはたくさんの壁がんがあり、
       守護聖人像やら、マリア様。
       面白い建物なので、また改めてご紹介を。

       この手前角の道を東に入っていくと、
       ダンテの家(偽の)博物館があります。

       街の地図は最後にご覧頂きますね。



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      ◆街中  2

       この凄い石壁は、レプッブリカ広場の西にある
       ストロッツィ邸・Palazzo Strozzi.

       メディチ・リッカルディ宮の石壁にも似て
       頑丈そのもの!
       15世紀末の建設で、
       ストロッツィ家は銀行家だったそうですから、
       メディチ家の建物と似ているのも、無理ないかな。

       それにしても、いわゆる馬つなぎの金具
       余りにも大きくて、馬どころか戦車も繋げそう!
       一体、何を繋いだんだろ?
 


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      ◆共和国広場  2

       レプッブリカ広場まで戻って。
     
       広場の西側には、19世紀に造られた
       凱旋門がありますが、
       これはそのアーチの下。(いささか曖昧)

       日本の明るさとは違います。



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      ◆共和国広場  3

       メリーゴーランドの灯りが一段と華やかになり、
       人出も賑やかに。

       と言うのも・・



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      ◆共和国広場  4

       諸国物産展が開かれていました。

       この手の催しは本当に多く、
       たくさんの人が集まります。
       やはり、イタリアは食の国!



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      ◆共和国広場  5

       なかなか上手く写せません。
       人が集まると屋台が見えなくなるし・・。



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      ◆ドゥオーモ広場  2

       ドゥオーモ広場まで戻って。

       サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂
       Santa Maria del Fiore が
       夜空に浮かびます。
 
       昼の美しさとはまた違い、少し荘厳なイメージ



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      ◆ドゥオーモ広場  3

       まだ明るい灯の点るカルツァイウォーリ通りから
       この広場に入ると、一瞬その薄暗さに驚くほど。
       そう、
       確かにライトアップはされているのですが、
       ほんのりと、なのですね。
       このセンスが大変心地よく。



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      ◆ドゥオーモ広場  4

       洗礼堂、ドゥオーモ、鐘楼
       目一杯に欲張って!





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      ◆ドゥオーモ広場  5

       晩御飯を食べに行こう、 
       と広場北側の道に出て振り返えるとこの月。

       おお、ほぼ満月!
       


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      ◆3点セット

       最後は、特等席からの眺めを

       フィレンツェ滞在中は、宿近くの中華料理に日参。
       いえ、お昼は出かけた場所で食べましたが、
       夜はずっと同じ中華料理店に。 ははは。

       この夜、日本人ご夫妻と同じテーブルになり、
       ハイネッケン大瓶1本の私をご覧になったお二人が
       もう少し飲みましょうか? と
       近くのご自宅に誘って下さり、ご馳走になりました!

       それが何とも素晴らしい、古いお家を修復されたご自宅で、
       しかも最上階の窓からは、お二人が仰る
       メディチ家礼拝堂、ドゥオーモ、ジオットの鐘楼 と
       豪華3点セット が見えるのです!

       という事で、
       お許しを頂き、皆さんにもご覧頂きますね。
       
       ご馳走は、白ワイン、千枚漬け、海苔のおかき、
       そして、長いイタリア経験からの話題と素晴らしい眺め。
       楽しい良き思い出に、感謝です!



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      ◆地図をどうぞ

       街の地図は、あちこちでご覧になれるので
       大体の位置が分かる程度に。

       さて、次はどこに参りましょうかぁ?!


     ◆*◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       友人達も無事日本に戻ったとのメールが届き、
       私も日常生活に戻り、プールにもきちんと通い、
       英会話教室(!)も始まり・・、
       晩秋の素晴らしい色の道を行き来しています。
       
       先日の朝は、既に低い畑に霜が降り、
       たっぷり野菜のスープが一際美味しい毎日。

       今日プールの予約延長をしましたら、なんと
       クリスマス休暇をはさみ、来年1月初旬までの日付!
       いよいよ、カレンダーを準備する時期になりました。

       皆さんも、体調にお気をつけて
       風邪など引かれませぬよう!

       

by italiashiho2 | 2009-11-17 01:15 | ・フィレンツェ | Comments(6)
2009年 11月 12日

   ・・・ ヴェネツィア ・ サン・トマ広場周辺 ・・・

      今日は、ヴェネツィアのサン・トマ・S.Toma`広場近くにある
      カルロ・ゴルドーニ・Carlo Goldoni の家博物館 と、
      広場にある 中世からの靴職人学校・Scoletta dei Calegheri
      についてのご案内を。

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      ◆地図をどうぞ

       サン・トマ と呼び習わしていますが、
       聖トンマーゾ(S.Tommaso)の事ですね。
       
       カンポ・サン・トマはリアルト橋の北詰を西に、
       カンポ・サン・ポーロ・S.Polo を抜け
       橋を2つ渡り、突き当たりを右折すると出る広場で、

       2つ目の橋の手前、地図の41番
       カルロ・ゴルドーニの家博物館

       ちなみに、ヴェネツィアでは広場をカンポ・campo
       またはコルテ・corte と呼び、
       ピアッツァ・piazza を名乗るのは、サン・マルコ広場のみ



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      ◆ゴルドーニの家  1

       昔一度閉館時間に訪れた事があり、
       中庭の印象をしっかり覚えていましたから、
       簡単に辿り着く筈が、サン・トマ広場まで行き、あれ?!

       近くで訊ねましたらやはり行き過ぎで、橋まで戻ります。
       ちゃんと緑の幕も出ているのですが、
       逆行きだと分かりませんよね。



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      ◆ゴルドーニの家  2

       これが通りから見える中庭で、かっては
       ここから直接上に上がるようになっていたのが、
       現在ここは鉄柵で閉じられ、
       少し先にあるガラス扉が入り口。
       おまけに閉館日で見過ごしたのでした。

       閉館 (日曜と?)水曜
       開館時間 10時~16時



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      ◆サン・トマの渡し  1

       で、近くの渡しを見に。
       
       ご存知の通り、大運河に架かる橋は現在4本
       その間を埋める大型ゴンドラの渡しが7ヶ所あります。

       大運河への狭い小路脇に、こんな立派な建物。



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      ◆サン・トマの渡し  2

       折りしも渡しが着いた所。
       待ち構えていた人々が乗り込み、
       すぐに折り返して行きます。



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      ◆サン・トマの渡し  3

       大運河の向こうサン・タンジェロから
       戻って来る所。

       渡しは、まさに地元の人々ご用達の様子で、
       男性は皆立ったまま。



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      ◆サン・トマの渡し  4

       渡し場の横の建物の壁。
       入り口を挟み両脇にあり、お護りの意かも。



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      ◆サン・トマの渡し  5

       振り返る位置に、見える小さな橋。
       橋の向こうに見えるのが・・、



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      ◆サン・トマの渡し  3

       カルロ・ゴルドーニの家博物館



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      ◆ゴルドーニの家  3

       翌日出直して、これは中庭。

       右のガラス扉内が、博物館の切符売り場で、
       鉤の手形の中庭に一旦出て、
       最初にご覧頂いた階段を上ります。

       この中庭が大変美しい雰囲気
       運河側からも見えた家の舟着場があり、
       上に中2階式というか、納屋があり、
       いわば現代の車庫でしょうか。



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      ◆ゴルドーニの家  4

       上の切符売り場から中庭に出る
       正面の壁にこの写真。

       私の生涯は、まさに喜劇でして・・
          -カルロ・ゴルドーニ

       
       18世紀のヴェネツィアに生まれ、イタリア喜劇の大作家
       である彼について、私の知識はほんの少々。
       リアルト橋南詰めのバルトロメオ広場にある
       彼の銅像はこちらでご覧頂きましたが、
       http://italiashio.exblog.jp/10232700

       彼の詳しい生涯、作品については、
       リンクしておりますペッシェクルードさんの記事をどうぞ。  
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-113.html
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-114.html
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-115.html
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-116.html



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      ◆ゴルドーニの家  5

       中庭の舟着場の上に張り出した天井部分。

       こういう細かい装飾が大好き。



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      ◆ゴルドーニの家  6

       鉤の手になった中庭を、舟着き場の位置から。

       美しいでしょう?!



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      ◆ゴルドーニの家  7

       中庭の井戸。
       
       この家で、ゴルドーニが1707年2月25日に生まれた事を
       彼自身が記しているそうですが、
       この家は借家で、大家はリッツォ家・Rizzo といい、
       井戸にriccio と彫られているそう。
       建物は16世紀の半ば迄 ツェンターニ家・Zentani
       が借り受けており、そこからツェンターニ(チェンターニ)邸
       と呼ばれていると。



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      ◆ゴルドーニの家  8

       鉤の手に中庭が曲がり、ここに入り口に続く階段。

       水の都であるヴェネツィアでは、
       運河からの入り口が正面玄関で美しく、
       こちら小路からは、少し狭い感じですね。



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      ◆ゴルドーニの家  9

       階段手すりのライオン君。
       小さいながらもきっちり彫られ、手の込んだ作り。
       借家というのが驚きです



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      ◆ゴルドーニの家  10

       見上げると、建物の入り口。

       14世紀から15世紀初頭にかけての、
       ヴェネツィア・ゴシック様式の典型的な建物で、
       そう大きくはない、というものの
       土地の狭いヴェネツィアにあっては、
       かなりな上等住宅ではなかったでしょうか。

       ゴルドーニ家はモーデナ出身の中産階級で、
       父方の祖父母からヴェネツィアに移住し、
       17世紀の終わり頃から一家はこの家に。
       が、祖父カルロの浪費で経済状態がおかしくなり、
       父親のジューリオ・Giulioは、妻と息子を残しローマに。

       医者として働きながら息子を呼び寄せ、
       彼は哲学の勉強をリーミニで始めるものの、
       母親恋しさか、はたまたキオッジャの喜劇に刺激を受けたか
       勉強を放棄、父親についてあちこち移りながら、
       次第に喜劇作家としてのキャリアを積んでいきます。



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      ◆ゴルドーニの家  11

       建物の2階入り口から入ったサロンでは、
       ヴィデオで彼の生涯の紹介が見られ、

       そしてその横に2部屋あり、一つがこの部屋。
       ご覧の通り、マリオネットが展示され、
       小さな舞台も設えられています。

       どの部屋も大変明るく、
       修復されたとはいえ美しい作りの建物、部屋。



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      ◆ゴルドーニの家  12

       可愛いマリオネットの人形。
       衣装も、女性の胸の膨らみもなかなか!

       マリオネットは、父親が息子の愉しみに実現させた様で、
       彼自身がその思い出を懐かしみ、
       思い出に繋がるこの家についても書いているとか。



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      ◆ゴルドーニの家  13

       マリオネット人形があれこれ展示されていましたが、
       この背景の絵の写真に少しドキッ。

       絵は、ヴェネツィア・アッカデミアにある(まだ見てません)
       ピエトゥロ・ロンギ・Pietro Longhi の
       小演奏会・Concertino ですが、

       この絵については、一度ご紹介した事がありますが、
       描かれているのは、アントニオ・ヴィヴァルディと。
       http://italiashio.exblog.jp/5061443

       ヴィヴァルディについてあれこれ読み、
       この絵には少し違う感想を持ち始めていたのですが、
       ゴルドーニとヴィヴァルディは
       ヴェネツィアで同時期に生き、
       オペラ上演での交渉もあった様ですから、
       この絵がこの博物館で使われているのは、
       やはりこの人物がヴィヴァルディと見なされている
       という事でしょうか。

       この家博物館の切符売り場横にブックショップがあり、

       ヴェネツィアのヴィヴァルディ・VIVALDI A VENEZIA
       Virgilio Boccardi著 CANOVA出版
       を見つけて購入、現在読んでいます。
       
       小説仕立てで読みやすいものの、
       人物、出来事、年代など等、すべて事実に即しているとの事。
       一度彼のちゃんとした伝記を読みたいと思っていたので、
       毎晩白ワインをお供に、ゆっくり読んでいます。



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      ◆ゴルドーニの家  14

       マリオネット人形の仕組み の展示。

       まさに、文楽の人形と同じだなぁ、と。



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      ◆ゴルドーニの家  15

       人形を撮った所で管理の女性がお出まし。
       シニョーラ、部屋の全体は良いですが細部は駄目です
       との仰せで、有難く!まだ写していなかった全体を写し・・。
       
       写真の表示にXが付いてはいたのですが、
       フラッシュが駄目? という感じでして。

       もう一つの部屋には、彼の作品の
       本の展示がありましたが、
       私の興味は部屋の真ん中の模型に。

       当時のヴェネツィアの劇場と、ゴルドーニの住んだ家
       を示す大きな木の模型で、
       一つずつ駒をはめて場所を確認出来る仕掛けでしたが、
       これは小冊子から。

       劇場の位置 (緑に白地)
       1. トロン・ア・サン・カッサン・Tron a San Cassan
       2. ヴェンドゥラミン・ア・サン・ルーカ・Vendramin a San Luca
       3. グリマーニ・ア・サン・サムエレ・Grimani a San Samuele
       4. サンタンジェロ・Sant'Angelo
       5. グリマーニ・ア・サン・ジョヴァンニ・グリゾーストモ・
          Grimani a San Giovanni Grisostomo
       6. サン・モイゼ・San Moise`
       7. サン・ベネット・San Benet

       ゴルドーニは、ヴェネツィアだけでも9ヶ所
       移り住んだそうで、赤い印がその位置を示し、
       薄緑で囲ったのが、現在の生家博物館。
       最初に見たヴィデオでも、彼の移り住みが映りましたが、
       目まぐるしい程あちこちに!
       最後はパリで、1793年2月6日に没しています。

       模型には、確か11箇所ほども劇場があり、
       この地図の北にもあった様子。

       当時のヴェネツィアはローマと並び一番劇場の数が多く
       イタリアのみならず、ヨーロッパでも群を抜いて
       オペラ、コンメーディアが上演され、活気に満ち
       繁栄していた事が良く分かります。

       ゲーテの「イタリア紀行」にも
       ヴェネツィアでの劇場通いを楽しんでいる様が
       よく描かれていますね。
       


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      ◆ゴルドーニの家  16  カタログより

       サン・ベネット劇場のディナー舞踏会
       フランチェスコ・グアルディ、1782年頃

       当時の華やかな劇場の様子をどうぞ!

       17,8世紀のイタリアの劇場の様子、
       一世を風靡したカストラート歌手については、

       カストラートの歴史 パトリック・バルビエ 
              野村正人訳 ちくま学芸文庫 に詳細に。



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      ◆サン・トマ広場  1

       こちらは、渡しと別の位置から大運河を。

       ヴェネツィアの大目抜き通りとでも言う大運河には
       右にも左にも素晴らしい邸宅が目白押しですが、
       往復して写しましたので、またご紹介を。



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      ◆サン・トマ広場  2

       近くの塀から覗く木々に秋の色が。
       庭の少ないヴェネツィアでは珍しい光景。



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      ◆サン・トマ広場  3

       ゴルドーニの生家の先の橋を渡り、暫く行くと
       突き当たりの壁で、こんな風にマリア像。

       そこを右に折れ広場に。



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      ◆サン・トマ広場  4

       井戸があり、広場の北端にこの美しい建物。
       右奥に見える鐘楼は、デイ・フラーリ教会・S.M.dei Frari
       のものですが、
       この正面がサン・トマ教会 と
       私は長~~い年月思い込んで来たのです! 

       ゴルドーニの家博物館が閉館だった日のお昼を
       広場のレストランで食べながら、
       (ニース風サラダ、アンコウの尻尾のグリル。旨かったぁ!)

       予てより美しいと思っていた正面壁のマリア像を見つつ、
       レストランのカメリエーレに質問。
       サン・トマは、靴職人の守護聖人ですか? と。



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      ◆サン・トマ広場  5

       というのも、正面壁のマリア像の下
       入り口上の半円に聖人らしき人物と、蹲る人が見えますね?
       その部分をアップすると・・



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      ◆サン・トマ広場  6

       こうですが、人物像の下に靴の形が3つ
       真ん中の一つは女物のサンダルらしき形ですが、
       これに見覚えがあったのです。
       昔 ヴェネツィアの靴職人のギルド として
       紹介されていた写真を見ていたのですね。
       で、サン・トマが守護聖人かと尋ねたのです。

       こうして、靴職人の守護聖人は聖アニアーノ・Aniano で、
       これは教会ではなく、広場の南にある大きなバロック式、
       突き当たった高い壁がサン・トマ教会、と知ったという訳!  きゃいん。
 
       名を控えた紙が紛れ、もう一度家で調べ直し!
       ですが結果として、大変興味深い事も知りました。

       半円の人物、立っている方は聖マルコで、
       靴職人アニアーノを治した場面 との事で・・



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      ◆サン・トマ広場  7

       入り口の扉にこんな表示。
       Scoletta dei Calegheri・スコレッタ・デイ・カレゲーリ

       カレゲーリとは、ヴェネツィア訛りで靴職人の事で
       その学校だというのです。 ??!!
       お昼を食べている間に、学校、図書館が閉館。

       が、サイトで調べ疑問が解けました。



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      ◆サン・トマ広場  8  サイトより

       ヴェネツィアに於ける靴職人の仕事は古く、
       13世紀 靴職人とスリッパ職人の職業組合
       出来ると共に、職人学校も作られたのですね。
       この仕事は、長い下積み修行がいるのだそうで、
       最初はサン・サムエレ・San Samuele に。

       面白いのは、靴職人・calegheri は使い古しの皮で
       靴やブーツを作る事は許されず
       一方スリッパ職人・zavateri・ツァヴァテーリは
       スリッパやツッカケに新しい皮を使ってはならない、と
       決められていたそうで、
       なめし皮の供給は、行政官の仕事だった様子。
       
       14世紀には近くに 靴職人の信者会も出来、
       現在もその紋章が見られ、皮の広場・certe della pelle
       と呼ばれる なめし皮の倉庫のあった広場もあるとか。

       現在のサン・トマ広場に移ったのは15世紀半ば
       この職業は大変に繁栄し、18世紀の終わりには
       ヴェネツィアに340の工房、1172人もが働いていたと

       残念ながら、現在は手作りの靴工房は殆ど無くなり、
       サン・トマの学校の近くに1軒、サン・マルコ区にもう1軒
       残るのみだそう。

       偶然に知った興味深い、職業の歴史でした。


     ◆*◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       明日、先日撮り残しの写真を写しにヴェネツィアに行き、
       戻ってすぐアップ出来るように、と記事を纏めていましたら
       何とかできましたので、急遽アップ。
 
       で、最後の締めくくりの言葉が思い浮かばず・・!

       という事で、これで失礼をば!
       
       行ってまいりま~す!!
       
       よ~く、遊ぶねぇ!  
       うるさいぞぉ、外野!!
       

by italiashiho2 | 2009-11-12 03:30 | ・ヴェネツィア | Comments(10)
2009年 11月 07日

   ・・・ ヴェネツィア ・ ムラーノ島、サン・ミケーレ島 ・・・

      今日は、ヴェネツィアのムラーノ島とサン・ミケーレ島のご案内を。
      既に良くご存知のように、ムラーノ島・Murano はガラス製品製造
      の島、サン・ミケーレ島・S.Michele はヴェネツィア市民の墓地
      の島として有名ですが、ここには明治の日本人も眠っています。
      
      ムラーノ島、サン・ミケーレ島の位置を、地図でどうぞ
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       この島々、そしてレース編みのブラーノ島には、
       赤い印をつけたフォンダメンタ・ヌオーヴェ迄行き
       水上バスに乗るか、または乗り換えますが、
       今回サン・マルコ広場の東にある
       サン・ザッカリーア・S.Zaccaria から、ムラーノ島直行便
       ある事を知りそれに乗りました。

       この便だと、魚の尻尾のようなヴェネツィア本島の
       東の先をぐるっと回り、ムラーノの運河に入り込んだ
       停留所ナヴァジェーロ・Navagero まで一挙に。
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       フォンダメンタからブラーノ行きの便に乗ると、
       ムラーノには島の取っ付きのコロンナ・Colonna 
       またはファーロ・Faro に停まるので、
       暑い時など島の奥まで行って戻るのが大変で、
       挫折しっぱなしの私は、奥の美しい教会にまで
       辿り着いた事がありませんでした、はぁ。

       が今回は、奥から順番に見ながら片道の行程でOK
       という事で、皆さんにもお勧めです!


       サン・ザッカリーアから出発、ヴィエンナーレ会場前を
       通り抜け、本島の先っちょをぐるり、
       かってのヴェネツィアのドゥオーモであった
       サン・ピエトロ教会の鐘楼などを眺め、ぐんぐんと。
       なにせ直行便なので、大運河のヴァポレットとは
       段違いのスピード。
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       まだヴィエンナーレが開催中の事とて、
       途中のラグーナには、こんな象さんの姿も。



       ムラーノ島に近づいて。
       見える鐘楼は、マリア・エ・ドナート聖堂
       Basilica dei Santi Maria e Donato で、
       ここが見たかった教会。
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       ムラーノ島は、ガラス製品製造の島とのみ思い込み、
       その歴史を読む事もなかったのですが、
       今回いろいろ興味深い事も知りました。
       
       ヴェネツィア同様に小さな7つの島から成り立ち、
       橋で繋がっている事、
       (ヴェネツィアは177の島、400にも及ぶ橋から成り立ちます)

       ヴェネツィアの前身アルティーノから、トルチェッロ島と
       同様に、蛮族の侵入でここに移住して来た事、
       ヴェネツィアに編入される12世紀までは自治権をもち
       独自の貨幣鋳造も行っていた事、
       13世紀に本島から、ガラス製造工場が
       この島に移された事など、など。

       現在の島の人口は、5500人程で、
       大小多数のガラス製品の工場、店が軒並みです!
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       運河沿いに並ぶ家、建物はご覧のように
       ヴェネツィアそのものですが、
       なんとなくのんびり田舎風、と感じるのは気のせい?



       島の中を抜ける幅広い運河沿いの道を、
       のんびりと行きます。

       こんな水飲み場もあり、
       快晴の空の下、ゆったり感を満喫。
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       ヴェネツィアと少し違う感じを受けるのは、
       この島のポルティコ
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       道の上に建物が張り出し、
       ポルティコが出来ているのですが、
       この形は、本島では殆ど見かけませんね。



       大きな建物の、大きな木の扉
       きっちりと小さな格子に組み、鉄の鋲が打たれ、
       かっては緑色だった様子。
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       興味深く見たのですが、
       上の地図のトゥレヴィザン邸・Trevisan だろうと。
       どんな屋敷か調べましたが、・・。


       島内には、大小のガラス工場直営の店が軒並みで、
       実際に作っているのも見る事ができます。

       以前2度ほど見ましたが、
       炉の中から鉄の棒の先についた塊を取り出し、
       吹いたり、くるくる回しながら、チョイチョイと
       引っ張ったり切ったり、あっという間に出来上がり!
       まさに見事な職人芸。        写真はガイドブックより
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       1295年にヴェネツィアのガラス工場は
       法令によりムラーノ島に移されましたが、
       これは当時の建物は木造が多く、
       度重なる大火事の原因になったのと、
       島に集める事により、当時のガラス職人の技術が
       外に漏れない様、管理しやすかったからと言います。

       マストゥロ・mastro と呼ばれた師匠クラスは、
       特別な許可がないと島外に出かける事も出来ず、
       逆に、様々な特権も受け、
       平民階級のうち、このマストゥロのみが
       貴族の娘と結婚できたのだとか。
       とはいえ、厳しい監視の目を潜り、
       たくさんの腕自慢のマストゥロ達が、
       外国に逃げ出していったそう。



       橋の向こうに、ず~っと見たかった教会が!
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       デイ・サンティ・マリーア・エ・ドナート聖堂
       オリジナルは多分7世紀に建設され、
       次第に修復拡張されたビザンティン様式。
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       といった言葉よりも、
       この美しい後陣部分をご覧下さい
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       後陣部分は、12世紀に再建された物だそうですが、
       何とも美しい!

       煉瓦の色が大変複雑で、組み方も面白く。
       上の三角形の部分には、
       それぞれに浮き彫りの大理石がはめ込まれ。

       逆光になりますが、後陣全体はこんな感じ。
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       勿論、上の回廊部分には上がれませんが、
       この優雅さが何とも。

       教会正面は後陣に比べ変哲がありませんが、
       内部にはラベンナ様式の黄金モザイクのマリア像があり、
       床には12世紀の、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂と
       同時期と思われるモザイク柄も。


       周囲はかなり広い広場になっていて
       アコーディオン弾きの年配のシニョーレが
       シャンソンを弾き、
       後陣の下に休む人、パニーノを食べる親子、
       まさに鄙びたヴェネツィア!
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       ムラーノには、素晴らしいガラスの博物館
       あるのですが、今回もパス、次回のチャンスに。

       このカモメ君は、お昼を食べたレストランのすぐ横の
       運河の杭に停まり、まるで猫ちゃんみたいに
       ニャァ、ニャァと大声で催促!
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       小路の奥に見える水飲み場
       もったいない感じが、無きにしも非ず。
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       運河の向こうに、サン・ピエトロ・マールティレ教会
       S.Pietro Martire の鐘楼が見えます。
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       今回はこの教会のジョヴァンニ・ベッリーニの絵
       を見る事も目的の一つで、
       写真右端に見える鉄の橋を渡りますが、


       この辺り迄来ると、ムラーノ島もかなりの
       賑やかさとなり、建物も大きく晴れやかに。

       これは上の写真の右側にあり、
       ヴェネツィア・ゴシックそのもの。
       ダ・ムーラ邸・Da Mula という名の様。
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       この運河の幅がかなりあり、
       奥に、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ
       S.Maria degli Angeli教会が見えます。
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       12世紀に創設の由緒ある教会のようですが、
       20世紀初頭には病院になったりの歴史も持ちます。
  
       この辺りの野菜売りの舟でサクランボを買い、
       ぷっ、ぷっと種を運河に吹き散しながら
       歩いた思い出が。
       紙包みがすぐに赤紫色に染まるほどに
       良く熟れた、美味しい初夏でした。



       橋の上から
       ドイツ女性のような。
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       サン・ピエトロ・マールティレ教会内部
       14世紀に創設のものは火事で全焼、
       現在残るものは16世紀に再建された物と。
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       お目当てのベッリーニの絵はこの右側の壁に。


       ジョヴァンニ・ベッリーニ・Giovanni Bellini
       「聖母子、聖マルコ、A.バルバリーゴ元首、聖アゴスティーノ
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       なのですが、
       教会内が薄暗く、大きな絵がかなり高い位置にあり、
       光も反射して・・!

       美しい図版でご覧になりたい方、cucciolaさんが解説も
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764969.html       

       絵の中の、ヴェネツィア共和国元首アゴスティーノ・バルバリーゴ・
       Agostino Barbarigo について少し調べました。

       1486年から1501年までの74代元首(生年は1419年)で、
       ミラノ、マントヴァと組み、フランスのシャルル8世の追い出しに成功
       対トルコとの戦闘に苦しみながらも、
       アドリア海沿岸の拠点も確保、最終的にキプロス島も併合
       国内的には、サン・マルコ広場の整備を始め、
       時計塔も彼の時代に出来たという、頑張りの元首。

       ちなみに千年を越すヴェネツィア共和国の元首が
       何代まで続いたのかは、
       120代のルドヴィーコ・マニン(1797年共和国崩壊)が最後。
       彼はかの有名な、アーゾロ近くの美しい別荘
       ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼールの持ち主でした。

       ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼールのご案内は
       http://italiashio.exblog.jp/9337470



       で、この教会のもう一つの名物は、
       この美しい、たくさんのシャンデリアなのですね。
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       こうして見ますと、少し細身で華奢に見えますが、
       大変大きな立派なもの。
       
       ムラーノのガラス製造が危機におちたのは15世紀、
       多分ムラーノのガラス技術を受け
       ボヘミアン・グラスが製造され始めた時といいます。

       が、シャンデリアがムラーノで作り出され危機を脱出、
       以来手作りのガラス製品で世界に名を知られ、健在です。



       内陣にあった、これまた大作の「カナの婚礼
       B.Letterini(ヴェネツィア1669-1745)作。
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       私は単純に、あ、ワンちゃんがいる! と写し、
       部分を仔細に眺めていましたら・・、



       ワンちゃんが2匹、猫ちゃん1匹見つかり、
       おまけにあちこちが誰やら風という絵で・・!
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       細部に大いに拘り、全体はこれでもかぁと纏めました
       とも言えそうなこの絵!  ははは。

       宝物美術館も併設の教会ですが、
       裏の美しい井戸の内庭が閉められておりました。



       この教会を出ると、ムラーノの中央通リとでも言う
       運河が、まっすぐ水上バスの停留所まで。
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       ここにも、古い美しいムラーノ風ポルティコ
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       逆向きに、運河の奥を望んで
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       橋の袂に、可愛い聖マルコのワンちゃん
       いやライオン君。
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       これは気に入りましたぁ。
       危うい場所にまたがる姿といい、
       珍しく上手いライオンの描写! 
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       これも立派なヴェネツィア風建物
       と思い眺めていましたら、
       私の横のシニョーレが大声で、
       運河の向こうの建物の友を呼びます。
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       そしてホラこの通り、顔が覗き、
       運河越しのお喋りが始まりました!
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       も一つ、美しいムラーノ風ポルティコ
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       という事で、水上バスに乗り
       すぐお隣の墓地の島サン・ミケーレに。
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       今ミズゴケを掃除している場所に
       以前は水上バスの停留所がありましたが、
       現在は少しヴェネツィア側に移動。

       教会の正面は、
       サン・ザッカリーア教会と同じデザイン。



       実はこの墓地に、明治時代に政府派遣の
       米欧州視察に同行し、そのままヴェネツィアに残留、
       現ヴェネツィア大学前身の高等商業学校で日本語を教え、
       ヴェネツィア女性と結婚しながらも、若くして亡くなった
       緒方惟直のお墓があるのです。
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       ずっと昔に知り、気にかかりつつ
       訪問のチャンスがありませんでしたが、
       リンクしております「イタリア、とりわけヴェネツィア」の
       ペッシェクルードさんが、ご親切にも写真と
       お墓の地図を送って下さり、今回遂に。
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       緒方惟直は、幕末の蘭学医で、幕府の西洋医学所頭取
       でもあった緒方洪庵の第十子との事。
       遥か130年前のヴェネツィアで、日本語教育の先駆けをし、
       余りにも若くして亡くなったのでした。

       惟直を維直、生年月日の1853年を1855年と
       間違えているとの事ですが、
       この美しい日本字は、次の日本語教師の長沼守敬(彫刻家)が
       彫った物だそうです。 
       多分、横顔もでしょうね。

       彼についての記事は、ペッシェクルードさんがこちらに
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-11.html
       http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-70.html
 
       ヴァポレットは、赤い印の辺りに到着
       墓地の真ん中を広い道が通っていますし、
       区画ごとの名が表記されていますから、
       この地図で簡単に辿り着けます。

       中央の道を真っ直ぐ奥まで、
       そして壁に囲まれた第2チェレーザの区画
       赤い印の位置にお墓が。

       壁が古く危険なのか、鉄柵で遮ってはおりましたが、
       持っていった白薔薇を墓の下に置き、
       長い間の念願が叶い何やらホッと。

       地図の左下のストラヴィンスキー
       ディアギレフのお墓の位置もどうぞ。
       どちらも行きましたが、今回は写真省略で。


       ヴェネツィア本島に戻り、フォンダメンタ・ヌオーヴォ
       より望むサン・ミケーレ島
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       そう、本当に近いのですよ。


     ◆*◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       友人達の来伊、そして一緒の旅行も済み、
       あっという間に11月も半ば近く!

       我が家から望む北の山は、上の方が白く
       黄葉の色も、濃い目の茶が多くなりました。
       
       近所のシニョーラがくれた茹で栗は驚くほど甘く、
       スプーンですくって食べながらこの記事を。
       馬力を上げて写真の整理をし、資料も読まねば!

       皆さんも、インフルエンザにはご注意を!!
                  

by italiashiho2 | 2009-11-07 18:55 | ・ヴェネツィア | Comments(8)
2009年 11月 02日

   ・・・ 旧き良きフィレンツェの面影 ・・・

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      今日はフィレンツェで求めて来た白黒写真の
      絵葉書をご覧頂きますね。
      旧き良きフィレンツェの面影 といっても
      ルネッサンスの時代からでも既に500年を経た都
      ですし、写真は殆どが戦後のものです。
      が、まぁ、今とは一味違うフィレンツェをどうぞ!

      上の写真は今回の中で一番新しい1989年のものですが、
      泰西名画式構図なので入れました。


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      ◆バルジェッロ宮  1890年頃

       今回の中で一番古い時代のもの。

       バルジェッロ宮の建物は一つも変わりませんが、
       今この広場は、カフェのテラス席、
       車線の区切りなど等で狭く狭くなっておりました。



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      ◆ザッカリーア  1910年頃

       ザッカリーアのフィアスコ・ワイン店
       パッレ・ドーロ・金のタマ(!)。。

       金のタマは複数形になっていて・・、ウ、ウーム。

       絵葉書の住所は、Zaccaria となっているのですが、
       この名では見つからず、
       Zuccari通り、Zuccari広場は街の南西部に
       見つかりました。
       その他の絵葉書の住所位置は、皆健在です。



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      ◆シニョーリア広場  1950年

       人々の服装が少し違うだけで、まったく変わらず!
       ロッジャの中の彫刻が少し汚れで黒いかな?

       手前の男性は、レーガン大統領みたいですね。

       それにしてもウム、手前の彫像のお尻、肉感的だなぁ!



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      ◆中央市場  1952年

       中央市場は、今の位置とは違っていたかも。



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      ◆サン・ジョヴァンニ広場  1958年

       洗礼堂前広場ですね。
       この男性達の目つき!! 目線!!

       うん、今もイタリア男はこうですよ。
       でも綺麗な後姿ですねぇ。



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      ◆ミケランジェロ広場  1959年

       変わったのは、カメラの形だけ!



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      ◆クローチェ・アル・トゥレッビオ通り  1959年

       クローチェ・アル・トゥレッビオ通り・via della Croce al Trebbio
       は、検索で意外と駅に近い場所にあるのを知りました。
     


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      ◆窓から  1959年

       眺めの良い部屋



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      ◆窓から  1962年

       こちらも、
       眺めのええ部屋(広島弁)



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      ◆ヴェッキオ橋  1968年

       街燈の足の部分は、
       今、3本のライオンの足ですよね?



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      ◆ダヴィデ  1968年

       ミケランジェロ広場のダヴィデ像

       ええ、やはりダヴィデには快晴の空が。



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      ◆サン・ドメニコ ・フィエーゾレ  1969年

       こういう場所は、カラーが欲しい。



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      ◆フィエーゾレ  1970年

       石の手すりの回りこみ加減。

       フィエーゾレには、イタリアには、青空がよく似合う



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      ◆カリマーラ通り・フェッラゴスト  1974年

       フェッラゴスト・Ferragosto は8月15日で、
       一番の酷暑の日とも見なされ、
       聖母被昇天の祭日

       道理で人通りが少ない、
       昔は皆ヴァカンスに出かけ、街は空になった様子。
       今は、観光客がどっと押しかけ、
       夏も街に人が残ります。



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      ◆アルファーニ通り  1975年

       アルファーニ通り・via degli Alfani のワイン店

       あの小樽瓶にワインを詰めたら、重たいでしょうねぇ!
       自転車の前に積んで、大丈夫なのかしらん?!



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      ◆アルノ河沿い コルシーニ通り  1975年

       サンタ・トゥリーニタ橋から西への通り
       今は2車線に並んでは走りませんが、
       混雑振りは、相変わらずですねぇ。



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      ◆フレスコバルディ広場  1975年

       フレスコバルディ広場・Frescobaldi の 
       レ・チアーネ・Le ciane が写真のタイトルで、
    
       言葉を知らずに調べましたら、なんと
       トスカーナ地方の お喋り女 の意なんですと。
       でもこれは、イタリアの日常風景で~す。



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      ◆アルコ・ディ・サン・ピエリーノ  1975年

       サン・ピエリーノ・S.Pierino の礼拝堂が
       見つかりましたから、
       近所のアーチの下にあるバールでしょう。

       小さな古い、昔ながらのバール
       常連客だけが通うような雰囲気ですが、
       でもこれは、今もたくさん存在します。



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      ◆アーリエント通り  1976年

       アーリエント通り・via dell'Ariento の
       トゥリッパ屋・Trippaio とあります。
       
       トゥリッパ、ご存知ですか?
       臓物ですね。
       フィレンツェのビフテキは有名ですが、
       トゥリッパも名物料理です。



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      ◆藁ヅトワイン  1952年

       写真のタイトルがありませんので、私めが勝手に。

       冬の寒い夜には、猫肌にお燗したワインをどうぞ!
       心の底から温まります、はい
  
       
     ◆*◆*◆

       ブログご訪問有難うございます!

       友人達のヴェネツィア行きに同行し、
       別の3人も合流、賑やかなヴェネツィアの宿で、
       ファエンツァまで同行、昨夜家に戻りました。

       ヴェネツィア行きはいつも日帰りなので、宿泊はXX年ぶり!
       ゴルドーニの家の博物館
       サン・ミケーレ島の緒方維直のお墓
       ヴィヴァルディの住んだ家など、
       ゆっくり楽しんで来ました
       
       ファエンツァ行きは、長年の希望でしたが、
       街のイメージが想像していたのと少し違い、イマイチの感。
       が、南に15K程のブリジゲッラ・Brisighella が
       大変に素晴らしく美しく、食事も美味しく
       大満足で戻って参りました。
       
       明日から別の友人ご夫婦が我が家に来られ、
       また数日、この周辺をあちこちする予定です!
       
       頑張って写真の整理にも励み、
       ぼちぼちあれこれ見て頂くつもりです。
       よろしくお願いいたしま~す!

       

by italiashiho2 | 2009-11-02 01:09 | ・フィレンツェ | Comments(6)