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2011年 10月 30日

   ・・・ 大西洋 ・ カナリア諸島 のヴァカンス ・・・

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       今日ご覧頂くのは、大西洋のアフリカ大陸近くに位置する
       カナリア諸島・Islas Canariasでのヴァカンスの様子、
       勿論私めが出かけた訳ではなく、今月初旬に1週間行って来た
       ジャンナとロドルフォご夫妻・Gianna e Rodolfo の写真を拝借です。

       メール受信に見かけないロドルフォという名を見つけ、
       一瞬、誰これ?! トナカイに知人はいないよね?!と思いつつ、
       次いではっとジャンナのご主人だったと思いだし、きゃはは、
        i photo migliori・最高の写真、と題され何枚か届くのを見ては、
       他の写真は? 町中の写真は無いの?等とジャンナに返信すると、
       2日程してまたトナカイ君から、いやジャンナのご主人から
       i photo migliori が数枚届くという面白い経過で・・、
       家庭内事情が偲ばれるようでしょ?! ははは、
       あんた専用のテクニコによろしくね!と。
       
       皆さんにご覧頂く分をと選び、さてカナリア諸島の事情も少し読み、
       島が7つもあっての諸島と知ると、さて実際にどの島に行ったのか・・、
       これは何? どこにあるの?と訊ねると、あっさり、知らない。
       ・・う~んもぉう!という感じなのですが、はは、
       頭もどっぷりとヴァカンス中だったのだという事で、はい。
       アップまでに返事が届かない場合は、
       カナリア諸島のどこか、見慣れぬ風景写真、という事で、お楽しみを!

       ははは、 大至急!と送りましたメールの返事が届き、
       彼らの行った場所の確認、質問の答えも得まして、
       何やらホッと、下の地図にも書き込みましてございます。

       トップは、大西洋の水平線!
       ポルトガル旅行で見たロカ岬、
       ここに地終わり、海始まる、を思いだしますねぇ!

       実際このカナリア諸島の島は、コロンブスの航海時には
       中継基地に使われた島なのだそう。

       ロカ岬 ・ ここに地が果て、海が始まる
       http://italiashio.exblog.jp/13939361



       地図をどうぞ
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       15世紀からのスペインの自治州だそうですが、
       アフリカから僅か100k弱に位置し、気候温暖な土地と。
       で、ヴェネツィアからは4時間半の飛行だそう!

       ええ、日本からお出かけとなると、かなり遠いですねぇ。
       一旦マドリッドに到着後乗り換えでしょうしね。
       shinkai 同様、ジャンナの写真でお楽しみ下さいね!

       スペイン ・ マドリッド空港は
       http://italiashio.exblog.jp/13919966       


       こんな風に7つの島からなり、真ん中のテネリーフェ島・
       Tenerifeがやはり一番の中心地の様子。
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       彼らの行きましたのは、一番東端のランツァローテ・Lanzarote島の
       Playa Blanca・白いビーチの意 だそう。



       この山の色、素晴らしいでしょう?!
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       カナリア諸島には、スペインで一番高い山3718m があるとか、
       日本の領事館も遠洋漁業の基地もある、
       全島の人口は190万人、1年間に訪れる観光客は約1000万人、
       等などと読むと、驚くばかり。

       小鳥のカナリアもこの島が原産だそうですが、
       犬の島・ラテン語でInsula Canariaからの由来で、
       州の紋章にも一対の犬が描かれているのですね。
       これは海の犬と呼ばれるアザラシから来たとか、
       ローマ期の記録に、野良犬がたくさんいる、
       と書かれている事からとか・・。




       大陸から離れた島々なので、ハワイやガラパゴス島同様
       固有の生物種が多く残っていて

       これもどうやらその一種、竜血樹という大木の様。
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       左側の緑のサボテン種の大きな物、屋根の高さほどの大きなのを
       カプリ島で見ていますので、これには驚きませんが、
       右に見えるベージュの四角い物
       これもサボテンと聞き、これには驚き!
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       テラスどころか家の屋根を覆い尽くすブーゲンビリア!
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       常の牡丹色だけでなく、この色も素敵ですよね。
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       火山島というのが良く分かる、
       島の山の形と色、そして水平線。
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       ラクダがエジプトで見たのよりは背が低く小さく
       それに2人乗り、というのはちょっと気の毒なようですが、
       こんな観光がある様子。
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       赤色の岩から見下ろす海
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       後ろの山は、まさに溶岩の重なりで
       下のこの小さな湖は、硫黄湖でしょうね、この色。
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       信州長野の生まれ育ちの私は、白根山に上った事があり、
       あの火山で見た、こんな色の湖は良く覚えています。
       きっと強い硫黄の匂いもある筈。



       きちんと並べた様な、面白い小岩が海に向かっていて、
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       小さな入り江には漁船が並び
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       ですが、これがプラヤ・ブランカ・白い浜とはねぇ!
       他の浜はもっと黒いのかいな?!



       これは何か分からずに質問したのですが、
       1km程も続くヴィルダス洞窟の内部。
       火山の噴火、続く地震によって起こったものだそうで、
       赤い色は、奥につけた灯りの色と思います。
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       遥かに白い町並みが見え、そのまた遥か向こうに水平線
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       青い蒼い大西洋、ナザレの浜 ・ ポルトガル
       http://italiashio.exblog.jp/14106114



       魚売り
       隣の溶岩の上で、鱗を取ってくれるのですねぇ。
       で、お腹の中の掃除もね、後ろにカモメ達が控えてますもの。
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       ピッツェリーア!
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       Hoy con tus pizzas pan ajo gratis
       翻訳ソフトによりますと、
       下に英語もありますが、Hoy が分らなかったのですよぉ、ああた。

       本日、ピッツァに、ガーリック・パン無料

       ええまぁ、お国違えば習慣も違うので文句は言いませんがぁ、
       ・・ピッツァと一緒にパンも喰うの?!
       それともガーリック・パンというのは、ブルスケッタ・bruschetta
       パンにニンニクをすりこみ、オリーブ油をかけて焼いた物を指すのかな?
       イタリアだと片方づつ注文するけどなぁ。
       う~ん、どこの大食漢の国の観光客が多いのか、見当がつきそう!



       このレストラン、雰囲気満点ですねぇ!
       大西洋を眺めながら、二人の世界。
       手前の井戸も良いですねぇ、深いのでしょうけど。
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       美味しそうなシーフードのアンティパスト
       タコに、小さな蟹かな、貝に、コロッケ、ジャガイモ、トマト。
       これだけでお腹いっぱいになりそうな量ですねぇ!
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       こちらは、ちょっとしたお屋敷の扉だとか
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       元々はアフリカの民族が住んでいたこのカナリア諸島が、
       スペイン領となったのが15世紀、
       当時建てられた宮殿や教会、ヨーロッパ風の館が残っているそうで、
       扉も美しいですが、壁の赤が良いですねぇ!
       どうやら様々の文化が混ざった独特の雰囲気の島、の様子。
       


       時を経た、小さな鐘
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       最後は、素晴らしい海の色に映える鮮やかな花をどうぞ!
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      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       朝夕めっきりと冷え込むようになり、
       今がちょうどいい美しい秋の色ですが、
       これを書いています日曜は、生憎の曇り空。
       
       昨夜からというよりも、今朝未明の3時が2時に戻り
       いわゆる冬時間となり、日本との時差は8時間、
       来春3月末まで続きます。
       と書きつつ、・・冬が来るのを実感しています!

       昨夜は、我がイタリア語の先生アンナリーザの所属する
       劇団公演があり、出かけて来ましたが、
       ついでに楽屋裏で化粧する所なども少し撮らせて貰い。

       アマチュア劇団なのですが、昨年同様かなりの稽古を積んだ、
       テンポの速いドタバタ劇で、
       満員の客席も大笑いの大成功。

       写真アップの許可を貰っていますので、
       整理が済み次第、またご覧頂きますね。

       という事で、早くも11月!
       お風邪など召されぬよう、お元気でどうぞ!


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by italiashiho2 | 2011-10-30 23:49 | ・スペイン・ポルトガルSpain Po | Comments(2)
2011年 10月 28日

   ・・・ 大の仲良し 犬と猫、そして、レヴィーネ村の古い家並 ・・・

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       この日曜日、誕生会にお邪魔したルイーザ・Luisa の家で、
       彼女の従妹のマーラ・Mara に会いました。

       メルのリンゴ祭りからの戻りに、レヴィーネ・Revine にある共同洗濯場
       県道から少し入りこんだ場所にあり、まるで知らなかったのですが、
       ルイーザの夫レナート・Renato が連れて行ってくれ、見る事ができ、
       ついでに従妹のマーラが住んでいるから、とちょっと挨拶に寄ったので
       彼女と知り合い、その際大きなシェパード、オルソ・Orso にも会い写真を。

       それをルイーザ経由で送ったのですが、この日曜に出会った時、
       オルソと一緒の猫の写真を送るね、と言っていたのが届き、
       とても可愛いのでブログ掲載許可を貰い、皆さんにも。

       まずトップは、まだまだ子猫のザック・Zac
       オルソがお母さん代わりに舐めてやっている所。



       こんな風に2人で遊ぶというか、まるで子猫の母親代わり!
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       こちらイタリアにはゴミ捨ての大きな箱があり、
       今はかなりのコムーネが分別収集に移行中で
       少なくなって来ていますが、これは今から何年か前のお話。

       で、そのゴミ箱の中に子猫が捨てられていたのをオルソが見つけ、
       援け出し、自分が母親代わりに面倒を見てやったのだそう。
       オルソ・熊という名を持つ大きな彼、
       彼のお母ぁはんが他の種に恋をして、はは、
       それで普通のシェパードよりも大きめなのだそう!
       
       今は既にザックも大きくなっているのを私も見ましたが、
       捨てた人間の残酷さに比べ、オルソの愛情は本物ですね。



       こちらはマーラのお家の玄関前で、
       オルソとザックが遊び、チビちゃんは1人遊び! ははは。
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       ルイーザの家であった時に出たマーラの可笑しな話に、
       いつもはお家で皆が土地の訛りで話しているのが、
       子供さんを叱る時は、知らずに標準語になっているのだそう!
       


       マーラのご主人(名を知らず、まだお目にかかってもおらず)の
       肩の上で眠るザック
       ご主人も居眠り中で、はは、温めあい、ですね。
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       お家の窓から見下ろすザック。
       私が見たよりは少し若いですが、ほぼ現在のザック
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       中はまだ拝見していませんが、このお家がまた素晴らしい石造り!
       このレヴィーネの村はずっと以前に一度見て頂いた事があるのですが、
       石造りの古い家が並ぶ美しい村で、
       マーラの家も見知っており、これもちょっとしたご縁ですね。



       リンゴ祭りで見て頂いたメルとこの辺りの地図をどうぞ。
       我がスコミーゴ村・Scomigo  ほぼ北のレヴィーネ・Revine
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       で、ここからは私の写真で、レヴィーネの村の様子をどうぞ。

       こちらがレナートの教えてくれた、かっての共同洗濯場
       横に大きな水槽もある本格的なもので、
       夏に山の村で見たのも加え、また共同洗濯場の特集をご覧頂こうと、
       今回はこの写真のみで、はい、予告編です!
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       洗濯場の南にあったこの建物、塀から覗くと家ではなく、
       かっての教会とも違い、きちんと整備されていますが倉庫かな?
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       で、屋根の下に小さな家型の箱と、その上に白い横線。
       白い石の横線には、BATTISTA GIOVANNI XX・
       洗礼者ヨハネ の次の言葉が読めませんでしたが、


       下の巣箱みたいな小さな箱の中には、この木製の像があり、
       素朴な壁龕とでも。
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       この箱の背後には、かっては陶板画か何かあったのでしょうね、
       上の数字に、1808と読めます。



       レヴィーネの村は山裾の傾斜地に広がり、
       村はずれの低地の洗濯場から見る、山腹の聖所、教会
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       村の道は緩やかな上り坂で、これは上から逆に見た所ですが、
       この中にも写っている石組みの家々
       そして左に見えるアーチにお目を。
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       こんな感じで、道に面して石のアーチがあり、
       中に入ると内庭、それを囲んで家、という形。
       アーチに1776と見えますね、凄いですよね、
       こんな何でもない様な、至って素朴な田舎なのに・・!
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       中にある家は、1階が家畜小屋、物置きで、
       上の階が住居だったと思われますが、
       木組みが残り、テラス部分も木製
       ただこの真ん中と向こうのお家は空き家で、残念な事。
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       こちらのお家はアーチを修復し扉を付けていて
       垣間見えるテラスの屋根も、新しい木組み。
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       立派なアーチで、扉のはげ色具合が、なんとも素敵!
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       倉庫かな、この扉と石段もなかなか良いでしょう?
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       もひとつ、入り口のアーチをどうぞ。
       これは少し危険な感じも受ける程に、古いまま放置されていて、
       住んでいる気配があるものの、寂れた印象を。
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       道の突き当たりにあった、大きな石組の家
       素っ気ないけど、頑丈そう!
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       この前を西に曲がると、こんな風に立派な鐘楼が見え、
       向こう側になかなか立派な教会も。
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       山の傾斜地に広がる村なので、下の家が途切れる部分は
       こんな風に段差のある事が良く分かります。
       逆光に光るイタリアのススキ
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       道の端まで来ると、山上の聖所・サン・フランチェスコ・ディ・パオラ・
       Santuario di San Francesco di Paola が良く見え、
       この道があの教会まで続くいわば巡礼道。
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       聖フランチェスコ・ディ・パオラという15世紀の聖人は、
       南イタリア、カラーブリアのパオラ出身で、両親が年を取って
       子供が授かるようにアッシジのサン・フランチェスコに願っての子だそうで、
       目が病気になった時にも、再度聖フランチェスコに回復を願い叶った
       という、既に宗教活動に入る為に生れて来たような方でして、
       後にミニミ・Minimi教団を創ったと。

       この山の上の教会は、ご覧の様に山から迫り出す基礎部分ががっしりで、
       鐘楼の窓についている顔の様子からもっと古いのかと思っていましたが、
       17世紀から建設が始まったという、バロック様式なのだそう!
       という割には地味ですが・・。
       
       こちらに聖所の近くからの様子、山の上からの村の眺めが。
       レヴィーネ・ラーゴの聖所
       http://italiashio.exblog.jp/4967893



       ここのお家も素晴らしいでしょう?!
       アーチをくぐっての左手が、マーラの家の南側になり、
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       そのベランダの上にいたザック。 手振れご容赦。
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       ほら、目の色が違うでしょう?
       小さい時のあの不幸で、多分見えないのだろう、とマーラの話。
       鼻の横にも何か付いているのか、怪我の跡なのか・・。
       でも、彼ザックは幸運でした。
       オルソに救って貰い、今はお家の皆に愛され
       のびのびと暮らしているのですものね。



       お家の玄関前で、オルソの記念撮影を。
       すぐに近寄りたがり、マーラが押さえてくれていますが・・、
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       きちんと座り、じっとこちらを見ているのを、アップに!
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       今この写真は私のPCの壁紙ですが、
       このブログの写真よりもずっと大きいですから、
       顔を合わす度に、笑えます、ははは。
       ご希望の方、お送りしますよぉ!!



       最後は、も一度マーラの写真で、
       お家の窓からの、素晴らしかったという、夕陽をどうぞ!
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       下にこの辺りの記事リンクを入れておきますので、
       宜しかったら古い記事ですがどうぞ。

       この村の南に2つ続く細長い湖の湖畔には
       新石器の7000年ほど前からの定住者の遺跡があり、
       この見物のチャンスの時、馬鹿が曜日を間違えて・・、残念、
       ケルト民族の侵入と続き、前2世紀にはローマ人がやって来ます。
       そしてゴート人、フランク族、ロンゴバルドと続き・・、
       つまり北に聳える山が雪や寒さを防いでくれる湖畔で、
       住みやすい土地だったのでしょうね。

       そんな長~い歴史を知ると、古い家ががっしりと美しい事も
       何となく納得できるような気がした事でした。
  
       枯れ色の風景、そして蒼 ・ 冬の湖
       http://italiashio.exblog.jp/5541655

       山村の猫 ・ 平野の猫 
       http://italiashio.exblog.jp/4289098

       山里 レーゼラの春 ・ Resela
       http://italiashio.exblog.jp/5544677

       チソンの村に、春をさがしに
       http://italiashio.exblog.jp/9417768


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by italiashiho2 | 2011-10-28 23:53 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)
2011年 10月 26日

   ・・・ パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア その4 ・・・

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       先回は字数制限に引っ掛かり途中で切れました
       セレニッシマ・いとも高貴な、ヴェネツィア共和国政府の中枢、
       ドゥカーレ宮の最後のご案内
       どうぞ、よろしくお付き合い下さいませ!

       上は、ドゥカーレ宮の南西の角部分ですが、
       1階部分にはアダムとイヴの像があり、
       2階の角には裁きの女神がいて、

       この2階のロッジャを内側からという事で続きを・・、
       先回の最後、途中で切れました話の後半ですが、
       ヴェネツィア65代ドージェ、
       34年に渡る最長在任のフランチェスコ・フォスカリ、
       今回はその一人息子の話をどうぞ。

       こちら、やはりアイエスの絵で。
       息子ヤーコポが、父に別れを告げる場面で、
       ドージェは既に80歳を超える老齢、息子は遠島投獄に。
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       ヤーコポ・フォスカリ・Jacopo は、
       父親が再婚しての息子で1416年頃、父親43歳の時の生まれ。
       6歳の時に父はドージェの位に、22歳の時に兄がペストで死亡、
       となるとまさに一人息子で、他人には大変厳しい事で有名なドージェは、
       逆にその息子には溢れるほどの愛情を注ぎ、立派な教育も。

       1441年のヤーコポの結婚式には、私的な事に関わらず
       ドージェのお召し船ブチントーロを花嫁の迎えに出したり、
       2週間以上に渡るサン・マルコ広場の祝いのお祭り騒ぎは、
       ヴェネツィアの市民に強い印象を。

       ヤーコポの名は22から28歳にかけ議員名簿に載るものの、
       いつも取り消しの線付きで、つまり長続きしなかったのですね。
       頭が良く快活で豪奢な生活を愛し、ただ政治的センスと
       自分の立場を認知する意識が欠けた、慎重さが不足の若者とでも

       こうして1445年、外国の君子との共謀の疑いで10人委員会は
       彼の投獄を決議、その気配を察するやトリエステに逃亡。
       どうやらこれには一家が噛んでいたようで、
       ここまではまぁ息子の不祥事程であったのが、
       ドージェ選出時の対抗者であったピエトロ・ロレダン
       彼は選挙に敗れた後、毒を盛られて死亡しているのですが、
       その甥のフランチェスコが、政敵を蹴落とす良きチャンス
       とばかりに乗りだして来ます。

       この辺りの成り行きは、「ふたりのフォスカリ」として
       バイロンが描き、後にヴェルディがオペラにしており
       後の研究者の見方も、ロレダン家のフランチェスコ、
       そしてロレダン一家の政敵に対する冷たい計算
       働いていたもの、という事で一致する様子。

       但し、まるでない物をでっち上げた訳ではなく
       つけ込まれる軽率さを持っていたヤーコポの悲劇とでも
       言えましょうか。

       こうして始まったフォスカリ家の苦痛、ヤーコポの追放劇は、
       終わると思うとまた別件が起こり逮捕遠島と、
       10年以上に渡って都合3回も起こったのですね。
       最後は拷問にかけられつつも無実を主張、決定的な証拠がないと、
       1456年7月にクレタ島への遠島収監の判決に。

       アイエスの絵は、最後の父子の別れでしょうか。
       こうして、ヤコポはクレタ島で1457年1月に死亡、
       その知らせが遅れてヴェネツィアに届きますが、
       84歳になる父親には、さぞや残酷な知らせだったでしょう。
    
       既に晩年はドージェとしての公務にも関心が薄れ、
       会議にも欠席する事が多くなっており、
       遂に、高齢により公務に支障をきたすを理由に、1457年10月19日
       10人委員会は彼の罷免を決定し、通達。

       それまでに何度か彼自身が辞職願を出し、
       その都度却下されていたにも関わらず、この時彼は拒否します。
       大評議会の認可が欠けているという理由ですが、
       尚も10人委員会はごり押しを。
       この時の通達者には、かってドージェ選抜選挙で争い、
       負けて後毒殺されたピエトロ・ロレダンの息子ヤーコポが。

       10月22日に再度罷免通告、8日以内に官邸を退去する事、
       財産は没収する旨を告げられますが、

       翌朝まだ寝ている所を起こされ、ドージェの角型の冠コルノを取り上げられ、
       ドージェの指輪もへし折られ、なすすべもなく、
       自分の家の修復が済む間、ドゥカーレ宮に居残るのみ、
       こうして遂に24日、立ち去ります。

       6日後の10月30日 ヴェネツィアは新しいドージェ、
       パスクワーレ・マリピエーロ・Pasquale Malipiero を選出
       そしてフランチェスコ・フォスカリ84歳が
       息を引き取ったのは11月1日の明け方。 
       この知らせは新総督を議員をも困惑させますが、
       国葬で送る事が決定、未亡人が遺骸の引き渡しを拒むという場面も
       ありましたが、結局ドージェの衣服を纏った国葬に

       1人息子であったヤーコポには2人の息子、
       そして2人の娘がいたそうですから、
       以前ご案内したブレンタ川沿いのあの美しいヴィッラ、
       ラ・マルコンテンタを造ったフォスカリ家の兄弟は
       彼の子孫という事になりますね。
       
       フォスカリ家のこの2人の悲劇的な逸話の後、
       政治的に一線に出る事は無かった、といいますが、
       財政的には大変裕福なヴェネツィアの貴族で継続した様子。

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ
       http://italiashio.exblog.jp/14731966



       では「ドゥカーレ宮秘密の行程」にご案内を
       ですが写真厳禁、しかも7.8人の少人数でして隠れ様もなく、
       写真はガイド・ブックとサイトからでどうぞ。
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       中庭から「金の階段」を上った3階の四角いロビー、
       ご案内のその1で見て頂いた扉ですが、
       あの扉から「秘密の行程」が始まります。
       では、いざ!

       扉の内には狭い通路があり、これまた狭くて大変急な階段を上ると、
       中庭から見える4階の窓の内に、薄い木の壁の小部屋、
       小さな机の置かれた本当に質素な部屋が幾つかあり、
       これらの部屋にドージェの公証人、司法官たちの助手、
       そして膨大な記録庫の管理人達が働いていたのですね。

       少し脱線しますが、ヴェネツィア共和国の記録庫の量の凄さというのは、
       確かヴァティカンの記録庫、ウィーンのハプスブルグ宮廷に次いで
       3番目を誇る膨大な記録量で、これを齧るネズミ達が最大の敵。
       で、その為に猫達を増やしたのだとか。
       ヴェネツィアで今もたくさん見かける猫ちゃん達は、
       単に港町特有の猫の存在ではなく、かってはお国の機密保持に貢献した、
       エゲレスとかいう国の首相官邸の猫の様に、働かずにただ飯を喰らうのとは違う、
       ははは、お偉い猫ちゃん達の末裔なのですぞ。

       つまり、ドゥカーレ宮のこの隠れた部分に、
       ヴェネツィア共和国の行政管理人たちが控えていたのですね。
       彼らは貴族ではなく、市民・チッタディーノと呼ばれる階級出身者、
       任官されると終身で、お給料も大変良く、貴族と同じ特権にあずかり、
       但し評議会での投票権は持たず、その死去に際しては国葬、
       またはドージェと大司教出席で送られたのだそう。

       ここは最高書記官・Cancelleria superiore の部屋、
       ちょっと船室を思わせる部屋でしたが、
       この手前の一段高い所に長テーブルが置かれ、
       こちらで助手たちが仕事をしていたのだと。
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       両脇にずらっと並ぶ箪笥様の物に、それぞれ紋が見えますが、
       代々の書記官の物だそう。
       ガイドの説明通り、彼らは元々市民階級の出で、
       ここに至って初めて紋を持つ訳で、
       その図柄は至って単純、姓名からの直訳的な柄が多く・・、はは。

       ご覧の通り天井が大変低く、
       既にドゥカーレ宮の屋根、鉛の天井の下とあり、
       夏は暑く冬は寒く、仕事環境は良くなかった様ですね。
              


       この写真はサイトからの拝借で、
       4階ではなく、その半分下の階の部屋だったと思いますが、
       ・・上がって下がって記憶も揺れ、済みまへん、
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       つまり部屋の内部の人間には、箪笥、壁と見せかけた隠し部屋というか、
       隠された出入り口というか、
       写真では結構広く明るく見えますが、狭く暗い物。



       これ以降の写真3枚はガイドブックから。

       4階の行程のここは監獄部分
       カザノヴァが最初に入れられた、という部屋内部も見ましたが、
       頭を打ちつける程の天井の低い狭い細長い部屋だったと。
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       ちょっと見え難いですが、写真左端に見える扉のカンヌキ
       このL字型にご注目願っておきまして・・、



       お待たせいたしました、こちらが拷問室
       はい、これだけ!
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       ヴェネツィア共和国政府は代々、緩やかな穏やかな拷問、
       そう言う言葉が通るのであれば、柔らかい拷問を使い、
       映画で見る様な凄惨流血はありませんで、
       3階からの写真で見て頂いた、
       屋根に飛び出た天窓から吊るされた長~~いロープに、
       後ろ手に縛った容疑者を吊るし上げたのですね。

       まぁ殆どは、このロープを見た時点で容疑を認める、
       白状する、という有様だったそうですが、
       それでも上記した様に、フォスカリの息子ヤコポもこの拷問に。
       そして使用も徐々に減り、16世紀以降は無くなったとの事。



       こちらは、屋根に飛び出している天窓を中から。
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       17世紀になってドゥカーレ宮の東に、
       運河を挟んで新しい監獄の建物が造られ、
       その内部の様子は、その2で見て頂きましたが、
       ドゥカーレ宮内部にも、牢獄が2種類ありました。
       一つはポッツォ・井戸と呼ばれる地下の湿った牢、これは最悪!

       も一つは鉛の天井下のピオンビ、まさに鉛と呼ばれる部分で、
       ここには6つか7つの部屋があり、異端審議会、または
       10人委員会の審議を待つ者が入れられたのだそう。
       ドゥカーレ宮の鉛の板で葺かれた大屋根、
       それにカラマツの板の層を釘で打ち付けた屋根裏の下の牢、
       脱獄不可能と言われたこの牢は、夏の暑さは耐えられない程で、
       実際この秘密の行程も、夏季のお昼には無いのだそう!


       1755年7月26日夜一人の男が逮捕され、このピオンビ・Piombiに。
       はい、稀代の女誑しとして名が残るジャコモ・カザノーヴァ
       Giacomo Casanova 30歳の時。
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       ですが彼はパドヴァ大学で勉学した、単なる女誑しではない
       深い教養を持ち、哲学科学にも通じ作家としても優秀な男。
       彼については、ウィキぺディア・イタリア版に模範とされる
       記事もあるのですが、ここでは大いに絞りまして、
       このピオンビからの脱獄の逸話についてのみ記しますね。

       ピオンビに収監され脱獄した模様を、彼は簡潔な文体、
       深い観察に満ちた記述で残しており、
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       Fondazione Musei Civici Venezia というサイト
       http://www.museiciviciveneziani.it/frame.asp?pid=329&z=2&tit=Percorsi%20e%20collezioni       
       からの図版、資料も含めて簡略にご案内を。

       
       図をどうぞ。ドゥカーレ宮の5階部分で、
       数字10の部屋に彼は初めに収監されます。
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       スパイ容疑と幾人かの貴族を籠絡したという容疑で、
       最初はピオンビと知って仰天した彼もすぐに自分を取り戻し、
       脱獄計画を練り始めます。
       自分の監房を出て、11の部分で散歩する許可を貰い、そこで
       上でご注目を願った鉄のカンヌキ、大きさはあれほど大きく無かったと
       思いますが、を見つけ、内緒で自分の牢に。

       翌年8月の末、床に穴を開け、翌日脱獄実行という所で
       突然に部屋替えが行われ12の部屋に。

       穴は発見されますが、多分獄吏に金銭も使い、
       上部に通告されるのは免れるものの監視は厳しくなり、
       再び同じ手は使えない事に。

       ここで運が良いというのか、同じ監獄仲間の司祭と
       知り合い、彼の部屋は13、
       9月29日獄吏を通してカンヌキを彼に渡す事に成功、
       司祭は8日間で天井に穴を開け、
       昼間はそこに聖画を貼りごま化したとか、
       2重になっていた天井によじ登り天井裏を歩き、
       10月16日カザノヴァの牢との境の壁を破ります。
       そして10月31日カザノヴァの部屋の天井に
       穴を開ける事に成功、カザノヴァも天井裏に。

       こうして2人でドゥカーレ宮の鉛の屋根覆いを破り数字15
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       屋根を伝い、今度は天窓を破り中に入り込み16、
       狭い階段を下り17、 もひとつ階段を下り、
       18の上で写真を見て頂いた最高書記官の部屋にまで。
       部屋に鍵は掛かっていた物の、またもやカンヌキを活用して
       なんとか穴を開け、階段を2つ下り19、
       20の秘密の行程入り口のロビーに。

       ここからは、どこに行くにもたくさんの扉、
       しかも鍵で閉められているのですね。
       明け方になり、カザノヴァは窓から顔を出し警護人に見せ、
       警護の男は、昨夜知らせないままに閉じ込められた人間と思い込み、
       次々に鍵を開けてやって来ます。

       待ち構えていた2人は物も言わず大急ぎで金の階段を下り21、
       右に曲がりロッジャに22、次いで左に巨人の階段に23。
       こうして24のカルタ門から逃げ出し、ゴンドラに乗り逃亡に成功したのが
       1756年10月31日から11月1日にかけての夜の事。

       彼以外にこのピオンビから脱獄に成功した者はおらず、
       脱獄記に、大きな幸運があったとはいえ、出来ると思って取り組んだ
       自分の勇気に誇りを持つ、と書いているそう。
       確かに!



       天井裏の部屋から僅かに外を覗いて写せた2枚、どうぞ!
       この眺めも収監者は見れなかったでしょうが。
d0097427_23182063.jpg

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       最後に、夜のドゥカーレ宮の眺めを
       お楽しみくださいね。
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       千年を超えるセレニッシマが最後を迎えたのが
       1797年5月12日。

       ヴェニス共和国の滅亡によせて

       かつて華やかな東方を領有し、   
       西方の砦たりしヴェニスの価値は   
       その生まれを辱めることなかりき、   
       ヴェニス、自由の長子よ。   
  
       いかなる奸計にも誘惑されず、   
       いかなる力にも犯されることなき   
       輝かしく自由なる処女の都市。   
  
       その夫を選ぶとき、   
       永遠の海原をめとるべきかりき。   
       栄光が薄れ、称号が消え、   
       その力衰え行くを見る時、如何にせん。   
  
       されど、その永き命の終わる日、   
       愛惜の貢物が捧げられるべし。   
       我ら人の子、かつて偉大なりしものの影   
       消え去らんとする時、悲しむべきなり。    

           ・・ウイリアム・ワーズワース


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       という所で、長らくのお付き合い、
       本当に有難うございました!  感謝です!!

       ヴェネツィア関係は、こちらから。
       http://italiashio.exblog.jp/i5/

       今日もまた文字数制限すれすれであちこち言葉尻を省略、
       パスしたものの素っ気なく、ごめんなさい!

       いつも有難うございます、お世話様です。
       励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~~す!

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by italiashiho2 | 2011-10-26 23:43 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(8)
2011年 10月 24日

   ・・・ パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア その3 ・・・

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       3回に分けてご覧頂きましたパラッツォ・ドゥカーレですが、
       これが最終回。 (予定変更となりました。最後にご説明を)
       イタリアでドゥカーレ宮と呼ばれる有名な建物はヴェネツィアの他に、
       かのウルビーノのフェデリコ・ダ・モンテフェルトゥレ公のが
       即頭に浮かびますし、グッビオにも素晴らしいのがありますね。
       北イタリアではマントヴァのゴンザーガ家のドゥカーレ宮、
       そしてジェノヴァにもと、各地にありますが、

       このヴェネツィアのドゥカーレ宮は、えへん、
       かっての総督官邸、行政庁というには
       外観の色からして、白とピンクの石という優雅な趣の上に、
       下の階はロッジャが囲んだ如何にも風通しの良い建物。
       海からの襲撃などは有り得ない、との確固たる自信も垣間見えます。
       
       セレニッシマ、いとも高貴な、と呼ばれた1000年に渡って続いた
       ヴェネツィア共和国の、こうした美しいドゥカーレ宮のご案内、
       最後になる今回は、裏に隠されたちょっと暗い部分なども
       ご覧頂く予定で、説明が少し長くなるかもですが、
       どうぞごゆっくり、お付き合い下さいませ!


       トップの写真は、最初に中庭からも見て頂いた「巨人の階段」で、
       上に据えられた2体の彫像は右がネプチューン・海神、
       左がマルス・軍神で、ヴェネツィア共和国の海と陸の統治を意味すると。



       現在階段は通行禁止ですので、2階のロッジャからの様子を。
       こちらはマルスの方で、左下に中庭の最初でご覧頂いた
       アルコ・フォスカリが見えます。
d0097427_231668.jpg


       単にフォスカリのアーチ、というよりは凱旋門とも言うべき物で、
       見える通路・フォスカリのロビー、通路と呼ばれるのが、
       現在は出口になっているカルタ門に続きます。

       右上隅に見える煉瓦色の部分は、お隣のサン・マルコ聖堂で、
       フォスカリのアーチもサン・マルコ聖堂の壁に寄り掛かった形。

       この2体の巨大な像はサンソヴィーノ・Jacopo Sansovino の作で、
       彼はこれを12年かけて作り上げたのだそうで、
       ここに据えられたのは1567年、
       階段は1483年から91年にかけて造られたものだそう。

       マルス像のお尻だけご覧頂いたのにはちょっと訳がありまして、
       ・・つまりです、ネプチューン像は腰に布を巻いているのですが、
       後ろからだとちょうどお相撲さんのまわしの格好になっていまして、
       撮るのに少し抵抗があり・・、いや、大相撲は大好きでしたが・・、はは。
       


       上部はこんな様子で、彫像は福音者たち
       横からの眺めだと、サン・マルコ聖堂との関係も良く分かりますね。
d0097427_2314519.jpg



       階段の上から見下ろすフォスカリのアルコと通路部分
d0097427_2315938.jpg



       こちらが下から見上げる様子。
       階段の上に有翼のライオン、聖マルコのシンボルであると共に
       ヴェネツィア共和国のシンボルのライオンが見えますが、
d0097427_2321718.jpg


       新しいドージェが誕生した時は、このライオン像の下でドージェの
       シンボルである角型の冠き、宣誓する儀式が繰り広げられたのだと。

       このライオン像は1797年にナポレオン軍が破壊し、
       後に復刻されたものだそうで、
       横に見える紋は81代のフランチェスコ・ヴェニエーロ
       Francesco Veniero の物で、読むのには面白いドージェでしたが・・。

       大変背の低いよぼよぼで、65歳ながら、歩くのに両脇から抱えられる程、
       その癖大喰らいで、もう食べられないという程に食べ、金持ちをひけらかし、
       民衆からは好かれず、飢饉に見舞われた時にあいつのせいだと言われても
       本人は屁とも思わず、自分の奥方が結婚指輪をはずした時になって
       初めて、それは大変だ、と思ったとか・・! ははは。



       所でちょっとこの階段に関して問題提起を。
       こちらの絵をどうぞ。       
d0097427_233958.jpg

       1355年に国家転覆を企て斬首刑になった55代ドージェ、
       マリーノ・ファリエーロの処刑前を描いた場面です。
       18世紀末のヴェネツィア生まれの画家アイエス・Hayezの作品で、
       浪漫的な有名な絵をたくさん残しておりますが、
       これはヴェネツィアの歴史主題を取り上げた、そのうちの1枚。

       ご覧の様に、後ろに巨人像は見えない物の立派な石段が見えますね。
       が、上記しました様に、2体の巨人像は1567年
       階段は1483~91年の作で、
       ファリエーロの処刑は1355年。
       ね、少し絵画背景の時代公証があやふやでしょ?

       多分石段になる前は、「金の階段」がそうであった様に
       木造階段だったろうと思うのですが、処刑場面の描写については
       参考にしている本 Claudio Rendina の I DOGI にも
       ・・黄昏時に石の階段の平坦な部分の上で・・とあり、
       一方塩野七生さんの記述には、
       ・・内庭から二階の柱廊に通ずる広い階段の上で・・。

       この処刑場面は、ドラクロアがもっと劇的に、まさに斬首場面を
       描いたのもありますが、それにも石の階段。
       ・・愚考しますに、この劇的な場面背景には、
       堅固な石の階段が似合う筈と画家のイメージを刺激し、
       そしてその上に、アイエスは実際の欄干とは違う柵の形を描く、
       という技も見せておりまして、両方を見比べて下さいね、
       そんなこんなで、これらの絵画の印象が定着しているのかもですね。
       
       ドラクロアの絵の方は大勢の登場人物の賑やかさに負けぬよう、
       柵の無い、もっと重い石段となっています。
       絵をクリックすると大きく見れますので、見比べをどうぞ。
       http://www.executedtoday.com/2009/04/17/1355-marino-faliero-doge-of-venice/
       
       バイロンが戯曲「マリーノ・ファリエーロ」を書き、それを題材に
       ドニゼッティが同名のオペラを作曲しているとの事。



       こうして一国の象徴とでもいう建物の出口、
       カルタ門に向かいますが、まだ未練がましく写し、ははは、
d0097427_2335468.jpg



       悔しい事に、まるで気がつかなかった階段の細部を
       ガイド・ブックの写真でどうぞ。
d0097427_234896.jpg

       そうなのですね、この石段の一段ごとにこの様な細やかな
       青銅の象嵌だそうですが、嵌め込まれているのですね。
       段の面と横の手すりにも少し濃い色で見えるのが細かい細工部分です。
       ならばまぁ、この階段を一般観光客に使わせないというのも、納得!

       ですが、この階段の写真を見た時には、一瞬本気で、
       撮り直しに行こうかしら、と思ったほどでしたよ、正直な所、はは。
       ・・ええねん、次の時にはアップにするもん!



       こちらがドゥカーレ宮の正面玄関であるカルタ門・Porta della Carta
d0097427_2343171.jpg

       この門、そして今通り抜けて来た、中庭で見て頂いたアルコ・フォスカリ、
       はたまたヴェネツィア有数の美しく優雅な館カ・ドーロの
       内庭の井戸の赤い大理石の井桁、
       マドンナ・デル・オルト教会の正面扉の周囲の飾り、
       これらすべてが当時15世紀の設計彫刻家のバルトゥローメオ・ボン
       Bartolomeo Bon の作品と。

       両脇に見える壁龕の並びの赤い大理石部分
       ここはかっては金色に塗られていたのだそう。

       カ ・ ドーロ  その1 ・ ヴェネツィアの館
       http://italiashio.exblog.jp/13670932
       
        
 
       中段にある有翼のライオン像とその前に膝まづくドージェは、
d0097427_2345529.jpg

       この写真はサイトから拝借で、
       ドージェは34年間という最長不倒の在位期間をもった
       フランチェスコ・フォスカリ・Francesco Foscari        
       この像もナポレオン軍に破壊されたのを、
       19世紀に摸刻、据えられたものだそう。



       こちらが、フランチェスコ・フォスカリの肖像画ですが、
d0097427_2351210.jpg

       これは現在日本で開催中の「世界遺産ヴェネツィア展」に
       参加して日本に出張中だそうですから、
       実際にご覧になられる方も多い事でしょう。
       展覧会のサイトは、  
       http://www.go-venezia.com/
       東京の後は、名古屋、仙台、愛媛、京都、広島と約1年間かけて
       巡回する予定。
       日本初公開というカルパッチョの「二人の貴婦人」も展示との事で、
       皆さん、ヴェネツィアの空気を吸いにどうぞお出かけ下さいね。


       ヴェネツィア政府の1000年に及ぶ長い歴史の中
       697年と記録される初代のパオロ・ルーチョ・アナフェスト・
       Paolo Lucio Anafesto の選出から、
       1797年のヴェネツィア共和国崩壊時の最後のドージェ、
       ルドヴィーコ・マニン・Ludovico Manin まで、
       120人のドージェが在任しました。

       記録に残る英雄的な働きをしたドージェから、
       上に書きました様に、くたばり損ないの様な惨めなドージェ迄様々。
       1100年間に120代というと、計算では平均9年の在となりますが、
       ちょっと計算して見た所、20年以上在というのが僅か8人。
       選出がかなりの年になってという事もあるのでしょうが、
       3年未満というのがかなりの数に上ります。

       65代のこのフランチェスコ・フォスカリ・Francesco Foscari
       ドージェ在任34年(1423-1457)の最長記録を誇るだけでなく、
       その生涯の最後が悲劇的というか哀れで
       全盛期が華やかだっただけに、少し心に残りますので、
       暫くお付き合い下さいませませ。

       彼はヴェネツィア貴族の古い裕福な家柄の生まれで、
       元々の家業は商取引と、エーゲ海方面に持つ領土の上りでしたが、
       1373年生まれの彼は政治の世界に27歳の時に飛び込み、
       めきめき頭角を現し、1423年若干49歳にしてドージェに選出
       人の話も良く聴き、雄弁、説得力にたけ、
       体格も良く見栄えもするという人物。

       34年間に渡る彼の在任中、ヴェネツィアの領土は
       かってない程の広範囲に及びましたが、つかの間の平和以外は
       対外的に戦争に明け暮れる年月で、フェッラーラ、
       ミラノのヴィスコンティ、ついでトルコと絶え間なく。
       ますます勢いを増すトルコの前に、1453年5月、
       遂に東ローマ帝国の崩壊もありました。
         
       その上に大貴族間の確執、干ばつ、大潮、干潟の凍結、地震、
       そしてペストと引きも切らず、このペストでは彼の11人の子供の内、
       (2度の結婚)4人が死亡、男子は1人ヤコポが生き残ります。
       長い戦争に続くこうした災害により国の財布も薄くなり、
       ナイフで切りつけられそうになった事もある程。

       ですが一方、この時期に一応のドゥカーレ宮の完成も見、
       1434年には当時ヴェネツィアに逃亡中のコジモ・デ・メディチ
       のお陰で、サン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の図書館の充実、
       ドナテッロ、フィリッポ・リッピ、マンテーニャ、そして
       ベッリーニ一家が競って素晴らしい作品を生み出す
       パドヴァと並んで2大文化の繁栄地と。

       その間、1428年にはポルトガル王の弟ペードロ公
       フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂に眠る
       ポルトガル枢機卿と呼ばれるジャイメ王子の父親、
       フィレンツェ・ルネッサンスの天才彫刻家、
       デジデーリオ・ダ・セッティニャーノの実の父親と見られる
       コインブラ公ペードロのヴェネツィア訪問、

       1442年、フランチェスコ・スフォルツァとその妻
       ヴィアンカ・マリーア・ヴィスコンティの訪問、
       1452年には、15歳のポルトガル王妃エレオノーラの訪問
       
       その際の豪華な歓迎式典には
       金の衣装を付けた120人と、130人の深紅色の衣装、
       勿論宝石を輝かせた貴族女性の出席とか、
       200人の金色の衣装の貴族の行列とか、
       250人の金色衣装、宝石の貴族の子女の列席とか・・、
       ・・なぜか宴会の御馳走の記述がないのが、まことに残念!!

       サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ
       http://italiashio.exblog.jp/10764828

       デジデーリオ・ダ・セッティニャーノをご存知ですか?
       http://italiashio.exblog.jp/10782262 

       オビドス その1 ・ ポルトガル 
       http://italiashio.exblog.jp/14574212

       古い記事ですが、よろしかったらこちらも。
       ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale
       http://italiashio.exblog.jp/5351189

       ヴェネツィア関係は、こちらに
       http://italiashio.exblog.jp/i5/
       
       という、少々長いお話になりましたが、
       お楽しみ頂けました様に!

       本当はこの後ドージェ・フランチェスコと息子ヤコポを襲った悲劇と
       「秘密の行程」を続ける予定でしたが
       いまアップした所で、大幅に字数を減らせと出まして・・!

       すみません、
       今回はフォスカリ家の中途のここで一旦終了し、
       次回に最終回を、という事でよろしくお願いいたします!

    
       最後お口直しに、この1枚を!
d0097427_22594712.jpg

      
       いつも有難うございます、お世話様です。
       励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~~す!

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by italiashiho2 | 2011-10-24 23:45 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(6)
2011年 10月 22日

   ・・・ パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア その2 ・・・

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       ヴェネツィア観光で欠くべからざる見所の一つ、
       そしてまたかってのヴェネツィア共和国の、行政司法の
       最高権力が集まっていたパラッツォ・ドゥカーレ
       その素晴らしく大きく美しい建物内部のご案内を
       よちよちながらも続けさせていただきますので、
       今回もどうぞよろしくお願いいたします。

       上は3階の、大評議会室からの眺めだったと思うのですが・・。
       手前はご存知サン・ジョルジョ島で、
       奥に一直線をひくのがリド島・Lido です。

       この高さだと、打たれた杭が、ラグーナ・干潟の中の航路
       示しているのも良く見えますね。
       

       という様に、時に開いた窓から外の明るい陽光を眺め、
       海風を吸いたくなるのですが、

       そうなのです、平面図では何階の何の部屋、と見えますが、
       大きな階段以外の、内部の連絡通路はこんな感じでして
       まるで暗い迷路的。
d0097427_22285690.jpg

       つまり大きな広間の天井の高い部屋は、その階の高さなのですが、
       それ以外には、いわゆる中の階が結構あるのですね。
       古いお城などにもよくあるのですが、
       今回もそんなこんなで、同じガイド・ブックでも平面図と説明に
       違いがあるのですが、それも漸くになんとか克服して、
       ・・いるとは思うのですがぁ、ははは。



       この辺りもどこの部分か、・・記憶にございません。はは。
d0097427_22291178.jpg



       ふっと気がつくと、窓の外で修復作業の女性がお仕事中
       コツコツと窓ガラスをたたいて、写真OKの許可を貰い、
d0097427_22292486.jpg


       ガラス窓の古い接着パテの様な物、石の間の汚れの堆積、
       そんな汚れを清掃中の様子でしたが、
       暑い日に覆いの中、しかもこの高さでご苦労さまです。
d0097427_22293858.jpg



       ここで一応の平面図をどうぞ
       下に書いてあるPrimo Piano (2階) Second Piano (3階)は
       大嘘でして、これは3階と4階の平面図になります。
d0097427_22295063.jpg

       3階の南棟にあるのが、大評議会室・Sala del Maggior Consiglio
       パラッツォ・ドゥカーレの中でも一番有名な大広間ですね。
       東棟の先にドージェの住居・Stanza del Doge、いわば元首官邸、

       で、右に東棟だけがありますがこれが4階部分、
       ここの真ん中に、泣く子も黙る10人委員会・Consiglio dei X
       の部屋が見えます。       

       秘密の行程で見物しました書記官の部屋とか、拷問室とかは
       ここには出ておりませんで、勿論、
       3階のロビーの横の扉から入り、一挙に狭い階段を上り、
       3階と4階の中間にあたる階(と思うのですが)と、
       例のピオンビ・鉛と呼ばれる屋根裏の牢屋、カザノーヴァで有名ですが、
       これは通常の平面図には出ない屋根裏ですね、
       などを見ましたので、またこれも最後にご案内を。



       これは3階の窓からの中庭の眺め
d0097427_2230931.jpg

       白い線が見えますが、この右の直線が、
       司法官たちの儀式の際の、ええと、定めの線とでも。
       言葉と意味が曖昧ですんまへんです、本人も良く分からず、はは、
       ですが今こうして見ていると、
       どうやら身分階級の領域を示した様にも納得でき・・。



       東棟の素晴らしい眺めをどうぞ!
d0097427_22302536.jpg

d0097427_22304438.jpg

       ですが、あの、真ん中に3つ飛び出た窓がありますね、
       実はですね、あの下に拷問室があるのですぞ。
       最後の回の「秘密の行程」をお楽しみに!



       ガイド・ブックからの写真でご覧頂く、3階にある
       パラッツォ・ドゥカーレの中でも一番有名な大広間、
       そしてヨーロッパでも有数の広さを誇る、
       大評議会室・Sala del Maggior Consiglio
       評議会と呼んでおりますが、実質的にヴェネツィア国国会に当たる物。
d0097427_2231177.jpg

       ご覧の様に柱が中に1本もありませんが、
       長さ53m、幅25m、高さは12mという素晴らしい広さで、
       天井の各絵画は、屋根の桁組みによって上から吊られているのですね。
       フィレンツェのヴェッキオ宮の、あの広い500人広間の天井も
       このヴェネツィアの屋根裏を見て研究したヴァザーリの作と言います。

       この大広間は平面図をご覧頂くと分かるように、
       採光に南面に5つ、西面に2つの大きな窓を持っていて、

       ここに、ヴェネツィア共和国の最盛期には、国政参事の
       貴族からなる1200名から2000名にも及ぶ議員が集い
       国政に関する討議を行ったのですね。

       大評議会の様子を描いた絵画をご覧になった方もおいでかもですが、
       この議員たちの座り方がちょっと変わっていまして、
       2人が座れるベンチ式の椅子が、正面のドージェ達の座る壇から縦に、
       我々日本人の意識では、正面の壇に向かって水平に座ると思うのですが、
       部屋の長さに従ってか、縦列に座っていた様です。
       どういう風に議事が進行したのか、ちょっと興味深いですね。
       隣とお向かいと、大いにお喋り出来る環境ではありませんか?! ははは。

       またこの部屋は、外国からの賓客を迎えての煌びやかな歓迎儀式の場
       そして大宴会場となった場所でもあります。

       ドージェの在位期間の一番長いフランチェスコ・フォスカリ、
       彼の在任中の素晴らしく豪奢な大宴会の様子の記述もありましたので、
       また最後の回にご紹介しましょう。

       天井の下の部分に横長の枠が見えますが、
       ここにヴェネツィアの代々のドージェの肖像が2人づつ描かれており、
       唯一黒幕で覆われた一人は、55代マリーノ・ファリエール・Marino Farlier
       1355年に国家転覆を企て、中庭で斬首刑になった男です。
     
              
       
       現在のここの装飾は1577年の大火の後のもので、
       正面には、布に描かれた絵画では世界一の大きさを誇る
       ティントレット・Tintoretto、本名ヤコポ・ロブスティ
       ・Jacopo Robustiの描く「天国」、7.45mx24,65m
       と、絵の大きさから書き出すと、
       なにやら香具師の売り込みみたいですが、はは、

       彼の絵は、ミケランジェロのデッサン(師の)ティツィアーノの色、
       と評されるそうですが、絵の暗さがイマイチ好みではありませんで、
       すんません、余りまともに鑑賞した事もなく・・、
       今回読みました事をここに受け売りで。

       現在のこの部屋は1577年の大火の後の装飾と書きましたが、
       この下にはパドヴァで活躍していたグアリエント・Guariento
       フレスコ画があったそうで、他にはジェンティーレ・ファブリアーノ、
       ピサネッロなどもあったのが消失で残念ですね。

       でその後の作品について決めるのに1580年にコンクールが行われ、
       ヴェロネーゼと、ヤコポ・バッサーノの息子のフランチェスコに
       決まったものの、1588年にヴェロネーゼの死亡により、
       ティントレットが受けたのだそう。
       現在ではこの作品にティントレットの名前しか出ませんが、
       天国は1588年から92年にかけての制作と言いますから、
       改めて一人で注文を受けたのかもですね。

       なにせこの大きさですから、彼の工房で弟子たちも総動員、
       どうやら各部分に分けて、実際に各片にして描きあげ
       彼の息子ドメニコが現場での接続にも大活躍したそう。

       各片にして、という部分を最初読んだ時はえ?!と思ったのですが、
       例えば大作の中に肖像画を入れ込む場合など、
       仮枠に張りつけたキャンバスに描き、
       つまりこの部分はマエストロ自身が腕をふるい、
       それを大作の中に直接に縫い付けさせるのが常だった
       というので、納得しましたが、
       売れっ子作家の工房の仕事模様、またキャンバスに油を使って
       描く様になった技法の自由さを大いに感じた事でした。

       バッサーノ・デル・グラッパ ・ ヤコポ展を見かたがた
       http://italiashio.exblog.jp/11279319

       

       この大評議会室にある絵画は勿論ティントレットだけではありませんで、
       全部で53枚の絵画があるそうですが、
       こちらは天井画の一枚、ヴェロネーゼ・Paolo Veronese のもの。
d0097427_2232147.jpg
    
     
       グアリエントについては、
       黄金の世紀 ・ パドヴァ その2 
       http://italiashio.exblog.jp/14182400
       
       吊り天井の様子はこちらでどうぞ。
       フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮 その1
       http://italiashio.exblog.jp/10363693       



       こちらは大評議会室の正面に向かって左にある、細い通路
       平面図にも見えるのでどうぞ。
d0097427_22321547.jpg

       ちょうど人一人が通れるくらいの幅で、
       ドージェたち要人は、大勢の議員と一緒に
       同じドアからは出入りしなかったのでしょうね。
       一同待つ議場に、すっと横から姿を現す、と舞台効果も満点ですね。       
       


       有名な部屋のご案内を続けますが、ここからは4階です。

       四扉の間・Sala delle Quattro Porte
       ここもティントレット、ティエポロ、ティツィアーノの絵画のある
       部屋ですが、奥に続くサーラ・デル・セナート・元老員の間や、
       サーラ・デル・コッレージョ・各省とでも、の聴聞会に出席する
       議員たちの待合室だった様子。
d0097427_22324695.jpg



       この部屋にある絵画の内、ティエポロ・G.Tiepolo をどうぞ。
d0097427_2233168.jpg

       この絵には思い出がありまして、
       ドゥカーレ宮の修復が始まった最初の頃は、
       覆い幕が現在の様にあの破廉恥きわまる広告ではありませんで、
       覆われる部分のドゥカーレ宮の写真でした。
       その時の覆い幕の角がちょっとめくられた形になって、
       中にこの絵が見える、というアイディアの仕掛けがあったのですね。
       どこかにあの時の写真があった筈、
       また見つかったらご覧にいれましょう。



       そして、こちらが泣く子も黙る10人委員会の部屋
       Sale del Consiglio dei Dieci
       つまり、国家の安全に対する危機、謀反等に迅速に対処する為の
       特別委員会とでも言いますか、
       独自の強い権力を握っていた議員たちの部屋です。
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       塩野七生さんの「海の都の物語」に、
       ヴェネツィア政府の「政治の技術」という記述があり、
       権力が唯一の人物に集まらないようにとの、
       複雑で重複する仕組みが描かれておりますが、
       それでもなお長い世紀の間には様々な問題が起こっています。


       こちらはその10人委員会の部屋の天井画、ヴェロネーゼ作。
       上の四扉の部屋のティエポロの絵共々、
       主題はそれぞれに貢物を受け取るヴェネツィアの寓意画で、
       ・・幸あれと願うより、こんなに儲かっている、という意味?!ははは。
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       さて、ヴェネツィアの豪華絢爛な部屋はまだまだたくさんあるのですが、
       下の階に下って頂きまして、
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       こちらは2階の武器庫にあるという、・・見ておりません、
       ガッタメラータ・Gattamelata 傭兵隊長の
       鎧かぶとをガイド・ブックから。
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       ガッタメラータというニックネームの由来については、
       その狡猾さが隠された彼の優しいやり方、からとか、
       彼の母親の姓のガッテッリ・Gattelli からだとか、
       はたまた最近明らかにされた研究では、
       彼が戦いの時に被った兜の頂きにある飾りが、
       蜜色の猫の形をしていたからとか。
       いずれにしても、ガッタが雌猫ちゃん、
       メラータは蜜とか蜜の甘さを言いますから、
       昔聞かされた「化け猫」ではなさそうですね。

       ウンブリアのナルニ・Narni 出身、エラーズモ・ダ・ナルニ
       Erasmo da Narni が本名、フィレンツェ、法皇の元で働き、
       そしてヴェネツィアに。
       対ミラノのヴィスコンティ家との戦いで目覚ましい働きを見せ、
       ヴェネツィアの総司令官にまで。
       パードヴァのサンタントニオ聖堂前にあるドナテッロ作の
       ガッタメラータ将軍騎馬像は、皆さんも良くご存じと。

       ナルニの町も大変素敵なウンブリアの町で、
       あそこのパラッツォ・コムーネにあるギルランダイオの祭壇画
       あの素晴らしく美しく見事な祭壇画は忘れられない物ですが、
       ・・町のご紹介もまだ残っておりました。



       という訳で、お待たせいたしました、
       4階の素晴らしい天国の部屋をご覧頂いた後は、
       牢獄にご案内いたします、はは。
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       初期のドゥカーレ宮1階にも牢獄があったのが、収監者が増えたか、
       17世紀になって運河の向こう側に新しい牢獄の建物が出来、
       有名な溜息橋で繋がるようになります。
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       今回見た牢獄は、如何にも小綺麗に修復済みで
       ひんやりした空気、薄暗い石牢、分厚い頑丈そうな扉はともかくも、
       大部屋などはちょっとした寄宿舎並み、とでも。
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d0097427_2236934.jpg

       一番最初、昔に見た牢獄はこんなちょろい物ではなく、
       暗い暗い怖気立つ石の穴倉だったです。
       今頃は様々な思惑を恐れ、見物の子供たちへの影響も考え、
       適当な所を見せているのでしょうね、きっと。



       これは、あの溜息橋の上の窓
       ガラスが嵌っていて、手を振るなんぞは、はは、出来ませんぞ。
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       小さな隙間から覗く世間、花のヴェネツィア
       この窓を見る為の、今日もまたいっぱいの観光客様さま。
d0097427_2237080.jpg


       という所で、ドゥカーレ宮のその2をお終いにして、
       また次回のその3、最終回をよろしくお願いいたします!
     
       あれこれ書きながら確かめ、読み、どうしても時間が要りますので、
       次回は明後日、という事でお願い申しあげます。

       ですが、このドゥカーレ宮を始める前は、
       長い説明ばかりで見て下さる人も少ないかも、と心配しましたが、
       変わらずの訪問者数で本当に励まされています。
       有難うございます!
       よたよたながらも、頑張りますです。 

       
       お陰さまで、先回書きました体調不調は戻りました。
       何か食べ物が当たったのか、・・拾い食いはしていませんが、
       めまいが続いたのが、今はもう大丈夫。
       食べれなかった間の分もしっかり取り戻し、はは、
       明日の夕方は、ルイーザの誕生祝いに出かけて来ます。

       そうそう、彼女の巴里だよりその2も予約済み、
       前の写真よりも彼女の視線が感じられ、気に入っています、と
       ジャンナがご主人とカナリア諸島のどこかに、はは、行ったのを
       見せびらかしますので、拝借を申し出ています。
       という事で、そちらもお楽しみに!
      

       いつも有難うございます、お世話様です。
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by italiashiho2 | 2011-10-22 23:45 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(2)
2011年 10月 20日

   ・・・ パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア その1 ・・・

d0097427_22423175.jpg

       皆さま、ヴェネツィアにようこそ!

       空からこうして眺めて頂くと、
       ヴェネツィア本島の中心にサン・マルコ聖堂の鐘楼が聳え、
       その右にドゥカーレ宮が大きく少しピンク色にどっしりと、
       左少し手前にはサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会があり、
       ジュウデッカ運河を挟んで、レデントーレ教会が茶色に大きく、
       右に目を移すと、サン・マルコ広場の向かい側になる、
       サン・ジョルジョ島の教会と鐘楼が見えますね。

       サン・マルコの小広場からだとすぐ向かい側に見える
       サン・ジョルジョ島ですが、
       こうして見ると、意外に間の運河が広い事も良く分かります。

       ヴェネツィア本島の上には、お墓の島サン・ミケーレが四角く、
       そのすぐ向こうに、ガラスで有名なムラーノ島、
       そしてラグーナ・干潟があちこちにあるのも良く見えます。

       ヴェネツィアにようこそ! ・ 空からのヴェネツィア
       http://italiashio.exblog.jp/12137384



       という事で、今日から3回に渡って、
       ヴェネツィアのシンボルであるドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
       はたまたかってのヴェネツィア共和国、1000年に渡って続いた
       セレニッシマ・Serenissima と呼ばれた国の、
       行政司法の中心であった建物内部をご覧頂こうと思います。
d0097427_22431192.jpg

       とはいえ、内部のご案内に付随するこの国の政治形態については、
       塩野七生さんの「海の都の物語」に素晴らしく詳細に書かれておりますし、
       私が言及するには到底力不足なので、パスです。
       
       内部は、殆どの有名な広間などは写真禁止で、
       それに、余りの広さと見事さ、建物の大きさで見疲れた挙句に
       軽~く方向感覚も失い、写真を撮る気力も失う程なのです、正直。
       という事で、ガイド・ブックからの写真も少々お借りする事に。

       が、修復が進み、建物は大変美しくなっていますし、
       博物館としての整備も進み、徐々に見物できる部分も増えています。
       が、また逆に観光客の多さからでしょう、
       見れる部分が昔よりも限定される部分もあります。
       なにせ、2010年度の訪問者は136万人程というのですから、
       ・・入場料 X ・・と試算したくなりませんか?! ははは。

       イタリア全体の観光についての一般向けガイドブックの中で
       ヴェネツィアに割かれた部分が何ページかで、
       またその中のパラッツォ・ドゥカーレとなると、半ページ程。
       ですからそれよりは少し詳しく、写真も多く見れる、   
       という事にしたい、と願っております。
       
       ・・では、よろしくお付き合いの程をお願い申し上げ
       ごゆっくりお楽しみ下さいますように!


       写真の殆どは昨年秋9月の物ですが、
       最初の様に何枚かは以前のものもあります。

       で、こちらがドゥカーレ宮見物の入り口
       建物南側、スキアヴォーニ河岸に向いている場所。
d0097427_22434895.jpg



       まず中庭の素晴らしい眺めをどうぞ!
       現在の入り口から入って来た向きでの中庭の眺めです。
       とお断りするのは、
       今正面に見えるアルコ・フォスカリ・Arco Foscari と呼ばれる
       白い一連の突き出した部分、
       この下のアーチの通路を通って現在は出口となっているのですが、
       これが建物の正面玄関でもある(あった)カルタ門
       ・Porta della Carta に繋がっています。
d0097427_2244585.jpg

       カルタ門のカルタというのは、紙の事なので、
       多分かっては布告を張り出したりした事からの名と思いますが、
       すぐ近くに記録書館があったから、という説もあるそう。
       カルタ門は、一連のご案内の最後にご覧頂きますね。

       では、現在の訪問者用の門はなんと言うかと思われたでしょう?
       はい、shinkai めも探しまして、
       ポルタ・デル・フルメント・Porta del Frumento・穀物門
       というらしい、と分かりました。
       言うらしい、というのは、現在の門はフルメント門、と書いたのが
       見つからず、でもあれこれ突き合わせまして・・。
       スキアヴォーニ河岸に向かい、かっては建物内部に
       大切な兵糧、穀類倉庫もあったでしょうから、納得です。

       写真右に見える階段は、この写真では少し見え難いですが、
       階段上部に2体の大きな彫像があり、
       巨人の階段・Scala dei Giganti と呼ばれます。


       アップでどうぞ
d0097427_22443420.jpg

       で、皆さん写真をご覧になって、アルコ・フォスカリの
       上に丸屋根がある、と思いになるかもしれませんが、
       これは私めの責任で、この丸屋根はすぐ向こう側お隣にある
       サン・マルコ聖堂の一部なので~す、すんまへん。



       時計部分のアップですが、文字盤をどうぞ
       始めて気が付きましたが、数字が5、10、15と進み、
       60で最後なのですが、この表現は初めて見ました。
       まさか、1時間で一回りとも考えられませんし、
       何か意味があるのかな? また調べてみましょう。
d0097427_22445893.jpg

       時計の一番上に見える2人の天使に挟まれた紋章ですが、
       アルコ・フォスカリの一部ならば、
       フォスカリという名のドージェ・総督、
       フランチェスコ・フォスカリ・Francesco Foscari
       ヴェネツィアの最盛期に、最長不倒の総督期間を過ごした
       彼の物と思ったのですが違いました。

       という事からまたあれこれ探し物にかかりまして、
       この紋を持つドージェが、120代迄続いた内に誰もいない事、
       この突き出した全部が65代フランチェスコ・フォスカリの
       在任中(1423-1457)に建設されたものではなく、
       後の67代クリストフォロ・モーロ・Cristoforo Moro(1462-1471在)と
       72代ジョヴァンニ・モチェニーゴ・Giovanni Mocenigo
       (1478-1486在)にも持ちこされ完成された事が分かりました。

       上部に据えられている時計も、1615年に、
       という記述がありましたから、後の時代に設置されたのかも。

      ◆追記です
       上の天使に挟まれた紋ですが、ドージェの冠が上に見えますので
       あれこれ探しまして、92代のジョヴァンニ・ベンボ・Giovanni Bembo
       (1615-1618任)の物ではないかと思います。
       ただベンボの紋は、花が山形の下に1つ、上に2つなのが違いますが、
       年代もちょうどですので、彼の寄贈かもしれません。



       という所で、こちらをどうぞ。
       ヴェネツィアのドージェについての記述が詳しく、
       参考にしている本 Claudio Rendina著 I DOGI にありました図版、
       見えやすいように空と右側部分を切っておりますが、
d0097427_22452745.jpg

       アルコ・フォスカリも全部が完成していない時の様子で、
       その手前に屋根のある下り階段、多分木製が見え、
       徐々に徐々に様子が整えられていったのが分かります。
       この図版の年代はありませんが・・、

       皆さん良くご存じの様に、
       ヴェネツィアはラグーナ・干潟に杭を打ち、地盤を固めて造り上げた街
       蛮族に追われて本土から逃げ、干潟のこの地に新天地を求め、
       営々と造りあげた街で、小さな破片の様な土地を400以上もの
       橋で繋ぎ合せている訳ですね。

       ですからパラッツォ・ドゥカーレが最初に造られたのは、
       完全に要塞の形であったという9世紀に溯りますが、
       今我々が見る形は、14~15世紀に整えられ
       美しく再建され始めた以降の物と言えますね。
       何度もの大火による大波壊も乗り越え、その後も留まる事無く、
       4世紀に渡り次々と改装美化され続けた、
       まさに一国を象徴する建物なのですね。
       
       アルコに名を残すドージェ、フランチェスコ・フォスカリについても
       かなり今回あれこれと分かりましたので、
       最後のカルタ門の時に一緒にご案内致しますね。



       巨人の階段部分
       ここも最後に参りますので、ここでは中庭からの素晴らしい雰囲気を。
d0097427_22454741.jpg

       昔々イタリアに初めて来た時、見物にもカルタ門から入り、
       この階段も上がれたものでしたが・・! 昔話。 

       上のテラスにちらっと緑が見えますが、
       あの右手奥がドージェの住まいとなっていて、
       テラスではドージェ夫人が植物を育てたのだと



       中庭から見上げる東の棟、ルネッサンス風部分と呼ばれる
       細やかな優美な装飾が施された壁面ですが、
d0097427_2246699.jpg

       右端にほんの少し見える南の棟と西側の棟の
       中庭に面した壁面は
       ゴシック様式の古いレンガ積みのままの壁で、 



       こんな感じ。
       この壁は西棟のサン・マルコ小広場に面した方で、
       写真も上階からの物。   
d0097427_22462866.jpg



       中庭には美しくて大きな青銅鋳物の井戸が2つありまして、
       こちらは手前、南側にある物ですが、
       いずれも1554、59年に作られた(井桁が)物と。
d0097427_22464395.jpg



       西棟のポルティチにある大きな客室付きのゴンドラ
d0097427_22465998.jpg

       ドージェのお召しであったのかどうか、
       何も説明がありませんでしたが、
       彫りの見事さをどうぞ。
d0097427_22481594.jpg


       かってのゴンドラはこんな風に覆いの小部屋付きで、
       は~い、4畳半程広くはないと思うのですが、うふ、ははは、
       色も黒ではなく、様々に塗られていたのだとか。
       で余りにも放埓すぎると、16世紀になって禁止されたのだそうで、
d0097427_22475860.jpg

       一説にある、ペストに因る多数の死者への追悼の為である、
       というのは当てはまらないそう。
       なぜなら、ヴェネツィア共和国時代の追悼の色は
       赤だったのだそう。 
       これも知りませんでしたので、また調べてみましょう。



       中庭から、では上階の見物に。
       東棟の中程にある金の階段・Scala d'Oroからどうぞ!
d0097427_22483389.jpg


       ご覧の様に重厚華麗、化粧漆喰に本物の金を貼った物だそうで、
       82代ドージェ、ロレンツォ・プリウリ・Lorenzo Priuli(1556-59任)
       の時に作られた物だそう。
d0097427_22485022.jpg

d0097427_2249946.jpg



       この階段を上まで上がって来ると3階のロビーにでます
       中央に見える扉、ここがドゥカーレ宮「秘密の行程」の始まる扉
d0097427_22492524.jpg

       「秘密の行程」は一切写真が撮れず、ガイド・ブックからの
       数枚になりますが、またこちらも最後にご案内いたしますね。

       今回の見物は、この秘密の行程に参加して後、一般の見学同様
       自由に行ったり来たりしたので、頭の中の地図がわやくちゃとなり、
       おまけに良い平面図が見つからず、まぁ階層の複雑さもあるのでしょうが、
       再構築に大変時間がかかったのでしたぁ。
       

       この3階の四角いロビーの天井ですが、
       ティントレットの描く物で、右端に見えるドージェは、
       金の階段を作ったロレンツォの兄ジローラモ・Girolamo、
       珍しい事に兄弟続けてドージェになった、弟が先、という例。
d0097427_22494526.jpg

       この時のドージェの選挙に対抗馬として出ていた者が背中に大きな瘤を持ち、猫背、
       民衆が嫌って、もしグリマーニがドージェになるなら
       犬に喰わせてやる!と何度か叫んだのだそうで、・・凄いなぁ!
       本人はかなり粘ったものの、遂に辞退したのだそう。

       厳格さで鳴る、いや、そう言われているヴェネツィア共和国政府ですが、
       代々の選挙の様子などを読んでいると、結構ハチャメチャで、ははは、
       民衆の感情、ドージェの生活態度でも、人間の面白さが
       にじみ出て来るのが丸見えで、時に大いに笑えます。



       これが有名な、ボッカ・ディ・レオーネ・Bocca di Leone
       呼ばれる秘密の告訴の投書口
d0097427_2250294.jpg

       これは人間の顔をしていますが、まるでライオンの顔の物もあり、
       ドゥカーレ宮内に関わらず、各地区に一つはあったようで、
       現在でも時にあちこちで見かけますが、下に高利貸しに関する事、
       衛生問題等などと書かれていた記憶があります。

       秘密の告訴と言っても、決して無記名ではならず、  
       必ず自分の名と連名者が(2名?)必要で、
       告訴によって呼び出しを受けると、司法官の前で
       説明する事になり、後に10人評議会にまで届いたのだそう。



       東棟3階の奥にドージェの居住部分・アッパルタメントがあり、
       その部分の様子を、これはガイド・ブックの写真で。
d0097427_22504956.jpg



       こちらは中庭から見上げた時の、奥に緑のテラスが見えた、
       あのテラスへの出口部分で、入れませんでしたがこんな様子。
       テラスが見える筈の窓にはヨシズが張られておりまして・・。
d0097427_22511258.jpg


       このテラスを愛用したドージェ夫人についてcucciolaさんがこちらに。
       ガーデニングを愛したヴェネツィア元首夫人
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765095.html



       では、ちょっと気分を変えまして、2階部分の柱廊をどうぞ
       どっしりとした柱が続く奥にちらっと見えるのが、
d0097427_22513878.jpg


       サン・マルコ小広場なのですが、
       残念ながらテラスには出れません!
       まぁ、妥当な処置ですよね、でないと、
       あのテラスが観光客で溢れかえるでしょうしねぇ、ははは。
d0097427_22515549.jpg



       柱頭部分、かなり修復された様子が見えますが、
       ヴェネツィア共和国を倒したかのナポレオン君の軍は、
       結構この地でも乱暴狼藉を働いているのでございますぞ。
d0097427_22521338.jpg


       ならば負けずに、べぇ~!とでも、ね。
d0097427_22522883.jpg



       こちらは南側に開ける部分ですが、こちら側もここまでで、
       お馴染のサン・ジョルジョ島を今日の最後に。
d0097427_22524049.jpg


       古い記事ですが、よろしかったらこちらも。
       ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale
       http://italiashio.exblog.jp/5351189

       ヴェネツィア関係は、こちらからどうぞ!
       http://italiashio.exblog.jp/i5/
      
       という所で、今日のドゥカーレ宮その1を終えますが、
       昨日から少し体調を崩しておりまして、鬼のかく乱、
       その2が明後日に、という事になるかも知れませんが、
       どうぞ、よろしくお願いいたします。


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by italiashiho2 | 2011-10-20 23:53 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(8)
2011年 10月 19日

   ・・・ コネリアーノの町で ・ この1枚! ・・・

       昨日からとても寒くなったこちら北イタリア。
       今日は曇り空でかなり冷え込んでおり、室内温度で19度、
       遂に足元に小さな電気ストーブを。
       
       今日はともあれ、この1枚!をどうぞ。
d0097427_2347405.jpg

       我がコネリアーノの町の古い中心通り
       生きた駒によるダーマ・カステッラーナの催しが行われる
       チーマ広場を囲む一郭、
       ポルティチの続く、古い店並びにあるこのバール。

       夕暮れ時、少し暗い通りの奥に見える彩り鮮やかな飾りの色、
       煌めくカップ類の奥に控える可愛いバリスタ。

       なぜかちょっと、心がホッとしません?



       我が町コネリアーノ ・ 美しき夕暮れ 
       http://italiashio.exblog.jp/12847183

       我が町 コネリアーノ ・ ダーマ・カステッラーナ 
       http://italiashio.exblog.jp/9981410

       チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町 1
       http://italiashio.exblog.jp/11025847

       チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町 2
       http://italiashio.exblog.jp/11025704


       少々へたばったshinkai、後1日の執行猶予を求めておりま~す。


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by italiashiho2 | 2011-10-19 23:49 | ・この1枚!This one! | Comments(12)
2011年 10月 17日

   ・・・ ヴェネツィア ・ 土砂降りのサン・マルコ広場 ・・・

d0097427_23233597.jpg

       今日は、土砂降りのヴェネツィアの、
       サン・マルコ広場をご覧下さいね。

       写真は、この初夏に行った時のものですが、
       この日は朝から降ったりやんだりのお天気。
       ザッテレ方面からの帰り道、S.M.デル・ジーリオの対岸から
       大型ゴンドラで渡って来て、サン・マルコ方面に戻る途中、
       サン・モイゼ教会辺りで急に大降りとなり、一旦軒先で雨宿り。
       で、少し小降りになったのでサン・マルコの西回廊まで、
       コッレール博物館の下まではなんとか来たものの、   
       またまた土砂降りとなり、広場の端で雨宿りを。

       その時に、いつもはいっぱいの人で広場の端が見えない程の
       サン・マルコ広場が、がらんどうなのを
       初めて見ました!

       ヴェネツィアで雨に会われた方も勿論おいででしょうが、
       なかなかこれ程空っぽのサン・マルコ広場も珍しいと思い、ははは、
       ちょっとご覧下さいね。



       で、芸術の秋をちょっと気どりまして、はは、冗談で~す、
       モノクロにもしてみました。
       
       こちらはヴェネツィアのみならず、イタリアで最初のカフェ、
       カフェ・フロリアーンの席
       強い雨足が見えるでしょう?!
d0097427_2324359.jpg



       向かい側のカフェ・クワードリと時計塔の並び
       そして、見事に空っぽのサン・マルコ広場
       こうして見ると、広いですねぇ!
d0097427_2324187.jpg




       鐘楼
d0097427_23242952.jpg




       雨宿りをしている上から、
       ダダダダッと滝の様に落ちる雨水!
d0097427_23244368.jpg



       店の明かりだけが輝き
d0097427_23245847.jpg



       ほんのちょっと、ほんの気分だけ小降りになるや、
       歩き始める親子連れ
       あんな小さい子が3人もいるのにねぇ!
       ・・ドイツ人の親子かな?
d0097427_2325148.jpg



       漸くに、仕方なく諦めて宿に向かいます。
       先程の、カフェ・フロリアーンの広場の席
d0097427_23253589.jpg

       横を通りましたら、なんと広場に張り出しのテント内では、
       カルテットが演奏を続けておりまして、
       それを聞きに立ち止まる厚かましい観光客で通路は満杯。
       店の前の席に座っているお客さま方は、お気の毒に、はは、
       隙間のない雑踏に埋まっておりました。



       スキアヴォーニ河岸から見るサン・ジョルジョ島。
       今、ほんのちょっぴり覗く青空
d0097427_23255426.jpg
       

       ヴェネツィア、 朝のサン・マルコ広場 
       http://italiashio.exblog.jp/14381889

       ヴェネツィア関係は、こちらからどうぞ!
       http://italiashio.exblog.jp/i5/

      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!
       
       パラッツォ・ドゥカーレについてあれこれ読む物が多すぎ、
       予定していたのが、ちょっとダッシュせんと間に合わない
       と思う所に、
       ・・あの、ちょうどそこでですね、
       他の方のブログで見たのが「オグリキャップ」のお墓の写真。
       懐かしい名前と記憶が蘇り、Youtube に飛んで行き、
       最後の有馬記念の、劇的な走りを繰り返し見ては落涙。
       ・・ついでにあれも見、これも見で大幅遅れ、時間不足。
       で今朝遂に、パラッツォ・ドゥカーレは延期決定に! はは。

       競馬狂ではなくとも、馬が走る美しい姿には魅せられますし、
       オグリキャップは、やはり凄い馬でしたものね。
       真っ白になった晩年の姿も見て、感慨にふけりました。

       オグリキャップ、最後の走りはこちらに
       http://www.youtube.com/watch?v=X9boXtOMfZ8

       お急ぎの方は、こちらを。
       http://www.youtube.com/watch?v=7mkfsRGW4sk&feature=related 
    
  
       てな事で、
       次回もまた気合を入れて、はは、頑張りますです!

       
       いつも有難うございます、お世話様です。
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by italiashiho2 | 2011-10-17 23:43 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(6)
2011年 10月 15日

   ・・・ メルの、 リンゴ祭り と 手仕事展 その2 ・・・

       昨日に引き続き、ヴェネト平野の北の端、ドロミーティーの
       麓に繋がる小さな町メル・Mel の10月恒例のお祭り、
       リンゴ祭りと昔ながらの手仕事展の様子をどうぞ!
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       昨日最後に見て頂いた、老夫婦の中睦まじい素朴な人形の
       横の石段を下ると、緑の中庭が広がり、
       ここに様々な手作業が繰り広げられていました。



       くぐって来た建物の下の通路の壁には、
       かって使われていたらしい照明器具の片割れ?や、
       何かの鎖が片づけられていたのですが、
       壁のごつい素材感と相まって、素敵なオブジェ風。
d0097427_23323644.jpg



       中庭の展示は、まずリンゴを使った各種おやつ
       焼きリンゴにチョコレートや蜂蜜をかけたもの、
       そして各種のリンゴのトルタ類、一皿1,5エウロですって。
d0097427_23325693.jpg



       このパン、本当に美味しそうでしょう?!
       いい色艶に焼きあがっています。
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       そしてこの暖かそうな室内履き!
       色も可愛いのですが、柄の入り方がとても良いでしょう?
       この種の室内履きは以前も手仕事展で見た事がありますが、
       こういう柄の入り方は初めて。
d0097427_23335876.jpg

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       ここでのお値段は見ませんでしたが、
       以前見たのは、室内履きが70エウロ程で、
       ・・う~ん、ちょっと手が出ませんでした。



       中庭の真ん中に屋根付きの立派な井戸があり、
       そう、この辺りの積雪はかなりでしょうからね、
       その前には毛糸鉤針編のお元気なシニョーラ達。
d0097427_23344484.jpg

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       この町には、様々な手仕事のグループがある様子で、
       参加呼びかけのポスターもありましたから、
       冬にはきっと、皆が暖かい部屋でお喋りしながら
       手を動かすのでしょう。



       こちらのシニョーレは椅子の座作りで、
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       こんな風に交互に細縄をかけて編んで行きますが、
       この手の椅子はこちらでは良く見かけます。
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       どこから来た?という例の質問の後名刺をくれましたが、
       このシニョーレはこの仕事のプロでした。



       納屋の奥では、シニョーラ達が仕事の手順を見せていて
       右のシニョーラは羊毛から糸を紡いでいますが、
d0097427_23362364.jpg



       こちらが縮絨と言うのか、フェルト作りの様子を。
       羊の毛を刈って梳いたのを、だったと思いますが、
       薄く延ばして縦横に交互に重ね、
       石鹸を溶かしたお湯をかけてフェルトにするのだそう。
d0097427_23364277.jpg



       こういった室内履きのフェルトの厚みは1cm程もあり、
       帽子にするには、もっと薄いものですよね。
d0097427_2337795.jpg

       色柄はどうするのかと訊ねましたら、途中で乗せる
       との事でしたが、こういう型はどうするのでしょうか、
       何かに被せて形を作るのでしょうね。

       日本のサイトで手作りフェルトを検索しましたら、
       石鹸とお湯で作るフェルトではなく、
       それ用の特殊な針をチクチク刺して作るタイプで、
       可愛い小物類やその作り方の説明もたくさんあり、
       日本には何でもあるなぁ!と改めて感心した次第。

       上の2人のシニョーラの写真の背後にキルトが写っていますが、
       これも実演を見せており、布を張る古い立ち枠で
       キルティングをしておりましたが、
       糸は2本取りで、間には、このフェルト同様に
       羊毛を挟んでおり、これなら北国の冬も暖かい事だろうと
       思った事でした。
       
       表布には花柄の布を使っていたせいか、
       キルティングのラインそのものは素朴なもので、
       如何にも実用向け、という感じでした。

       チゾン村、夏のサーグラ ・ 手作り職人市 
       http://italiashio.exblog.jp/10278420

       イタ猫 イタ犬 あちこち ・ そして、祭日の
       http://italiashio.exblog.jp/10185558



       チーズ製品も勿論かなり店が出ておりましたが、
       賑やかな店を撮り損ない、ここは少し品数の少ない屋台ですが、
       山の小屋での自家製のチーズかもですね。
d0097427_23373363.jpg


       こちらの右に見える茶色い小さな塊のチーズ、
       これはリコッタ・チーズの燻製で、
       元のままのリコッタはお豆腐みたいなサッパリ味なのが、
       燻製にするとコクが出て、パスタにかけても美味しいです。
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       中心広場の脇からの道を入り込むとこの中庭で、
       脇の建物も正面も、何やら曰くありそうですが、
       グーグルで検索しても分からず、カメラも入り込めず・・、
       きっとここも普段は閉められているのでしょうが、
       屋台店が立ち並び、野菜果物、土地の品の販売で大賑わい!
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       これは店の横にあったポスターを写したのですが、
       蜜蜂がこんなにアップになっているのは初めて見ましたので・・!
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       先日のルイーザの巴里写真にあった、
       野生の蜂用のチャーム・ホテルにはやや劣りますが・・、はは、
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       ルイーザの巴里だより
       http://italiashio.exblog.jp/14640177



       せっせとお仕事中で、
d0097427_23392035.jpg



       素晴らしいお仕事の成果も、ここに!
       実際に見たのは、これも初めてでした。
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       ここにもリンゴ満載の荷車があり、
d0097427_2340119.jpg



       粉の各種
       ルイーザはポレンタの粉をあれこれ買い込みましたが、
       トウモロコシ(ポレンタ)は勿論、栗の粉などもあります。
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       ポレンタの作りたては本当に美味しいのですが、
       ただお水を入れて火にかけ、かき混ぜるだけとはいうものの、
       時間と腕力勝負の、かなりきつい仕事と聞きます。
       shinkai、ポレンタは好き? と聞いてくれたので、
       しっかり、シー!と答えておきましたが、
       ・・食べるのには呼んでくれないだろうなぁ?!



       この細長い小さめのジャガイモ、コルネッタ・小さい角
       いう種類も初めて。
d0097427_23411269.jpg



       内庭の片側にレナートがバルケッサ・Barchessa と呼んだ棟があり、
       こんな風にリンゴをはじめとする果物や野菜
       豆類、蜂蜜、粉類、とにかく農作物に関連するもの各種販売中
d0097427_23413319.jpg

       バルケッサというのは、もともとヴェネツィア貴族が船遊びの
       船・バルコを収納した呼び名に由来するそうですが、
       主人たちの居住区から延びる翼の部分、または南側に建てられた
       農機具の格納とか農産物の収納、はたまた厩舎等に使用された
       棟の事だそう。
       ヴェネツィア貴族の別荘に見える、列柱半円アーチの
       ロッジャの部分ですね。
       きっとこのお屋敷も名のある由緒深いものなのでしょう。

       ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
       http://italiashio.exblog.jp/9337470



       こちらは栗ですが、フェルトゥレの栗と書いてあります。
       そう言えば、あの辺りの栗は粒が大きかったと。
d0097427_23415670.jpg

       栗祭りの村 ・ コンバイ ・ 山村の秋
       http://italiashio.exblog.jp/5406077


       次の約束のあるズメッレのお城に行く時間が迫り、
       急いで道を戻りますが、
       あ、生ビールだ! と横目でにらみつつ・・。
d0097427_23422037.jpg
       
       お昼にはまだ少し早い時間でしたが、
       手ぐすね引いてお客を待ちかまえ、という印象ですねぇ、ははは。

       VINO CALDO・熱いワインというのも見えますね。
       香料を入れた熱い冬用の赤ワインも、もうすぐ出番。

       ひとり、心にしみる夜は ・ 熱いワインと、DVD!
       http://italiashio.exblog.jp/4570699



       坂道を下って来ると、この辺りは見晴らしが良く太陽がさんさん。
       この道脇では、ワイン瓶を中に、既に始まっておりました。
d0097427_23425159.jpg



       向かいの谷の斜面を見るのに、まぶしい程の太陽、
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       山の上の電波塔は、我が家の方からは、ちょうどあの山の向こう、
       反対側からの眺めになる位置なのですね。
       で、この山がちょうど屏風代わりで、
       冬の降雪も温度低下も防いでくれている様子です。
d0097427_23434669.jpg

       スコミーゴ村周辺・冬だより第1弾
       http://italiashio.exblog.jp/12450727



       最後はこの眺めをどうぞ。
       メルの町の防衛の要でもあったズメッレの城からの眺めで
       町よりもかなり高く、少し離れているのですが、
       この一帯に連なる北の山々の眺め
d0097427_234484.jpg


       2回に渡ってのリンゴ祭りと手仕事展の様子、
       そして秋の煌めく陽射し、お楽しみ頂けましたように!
       お疲れ様でしたぁ。


      ◆*◆
  
       ブログご訪問、有難うございます!

       既にもう1ヶ月程にもなるでしょうか?
       我が家のテレビのデコーダー、地上デジタル放送対応の為の
       デコーダーのリモコンがストライキを始め、
       スイッチが入らないので修理に持って行きましたら、
       なんと悔しい事に、あちらではちゃんと反応するのですよ!
       で、持って帰りましたら、何日か後に動き始めたものの、
       数日後にまたまたストライキ突入。

       ご飯の時にニュースをお伴に見る位で、いつも余り見ないので
       特別に困る訳でもなく、まだスト中かや? と時に試しつつ、
       だんだんに見ないのが当たり前となり、電源も切り、
       現在は完全にテレビ離れ、世間離れ!

       昔も一時、テレビなしで2年ほど過ごした事がありますが、
       あんたとこ電気通ってないの?と聞かれましたっけ。はは。

       ニュースはインターネットに接続した時にタイトルが見れるので、
       読みたいニュースだけそこに飛べますし、
       不便な事は何もないよ、と浦島たろ子は考えますが、ははは、
       他にしたい事が一杯あるので、詰まらない事も一切なく。
       ・・ですがやはり、少々偏屈になりつつあるのかなぁ??!!

       秋の長~い夜長を、皆さんはどの様にお過ごしですか?
       季節の変わり目、お風邪など召されませぬように!       


       いつも有難うございます、お世話様です。
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by italiashiho2 | 2011-10-15 23:49 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2011年 10月 14日

   ・・・ メルの、 リンゴ祭り と 手仕事展 ・・・

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       この9日の日曜日、大快晴の日でしたが、
       ルイーザとレナート夫妻・Luisa e Renato と一緒に、
       メル・Mel というヴェネト平野の奥、べッルーノ県の町の
       リンゴ祭りに出かけて来ました。

       上がそのお祭りのポスターで、
       Mele a Mel とゴロ合わせになっていますが、
       Mele はリンゴ・mela・メーラの複数形なのですね。

       毎年10月の第一週末に催され、毎年出かけているという彼らと、
       レナートの大きな素晴らしい車に乗せて貰って楽チンに。


       地図をどうぞ
       我が村スコミーゴ・Scomigo から4kほどで高速に入り、
       A27を北に、この高速はこの地図の上辺りまでしか通っておらず、
       ピアーヴェ河の南側を一路南西に。
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       ついでに距離を調べましたら54,5kmで、
       54分と見積もりが出ましたが、
       ・・いやぁ、あのレナートの走りでは
       絶対に、40分かそこらで到着しただろうと・・!
       ルイーザは既に慣れているんでしょうけど、
       まったくの所、あの追い越しはちと凄かった! ははは。

       メルにはこの行程か、またはサン・ボルド峠を抜けるしかなく、
       実はこの日、ズメッレの城・Castello di Zumelle
       見学も出来るというので、行こうとは決めたものの、
       一人だとちょっと面倒だなぁと内心恐れていたのですが、
       ・・という事で、安心して出かけたという次第です。

       戻りには、私がまだサン・ボルドを通った事がない、
       と知ると通ってくれ、まさにもの凄い九十九折りのトンネル
       体験しましたです! 感激!
       信号がついていて、片側づつの通行なので途中止まれず、
       写真は対面の山しか撮れませんでしたが、ははは、
       またお目にかけますぅ。

       サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
       http://italiashio.exblog.jp/12800329

       べッルーノ再訪 ・ アルプス兵と、古いボルゴと
       http://italiashio.exblog.jp/9831542

       山の小さなヴェネツィア ・ ベッルーノ・Belluno
       http://italiashio.exblog.jp/5352436



       という様子で、メルに到着
       私はこの町は初めてで、尚のこと訪問が嬉しかったのですが、
       快晴のお天気の下、ヴェネト州の北の端、ドロミーティーに近い
       この山の町の空気は澄み明るく、お祭り気分に溢れておりました。

       どうぞ皆さんもご一緒に、秋の美しい日のお祭り、
       今のこの時期の、豊穣の秋の気分をお楽しみ下さいね!
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       これは、町の下の臨時の駐車場から見上げる町の家並ですが、
       写真では余り高く見えませんね。
       下には既に車がずらっと駐車していて、それらを切り除けると
       こんな感じで、実際は見上げる高さにこの家並があります。

       今一番右端に見える大きな屋敷が、



       これですが、こんな田舎の山の中に?!という感じの町に
       この様な立派なお屋敷があれこれありまして・・、
       お祭りの為に中庭や屋敷の一部が解放され、
       各展示や販売が行われているのですね。
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       広い中庭の隅では、これから肉を焼くのでしょう、
       盛大に火が燃やされ、上の鉄格子の掃除が始まっていて、
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       この日が3日間のお祭りの最終日でお天気に恵まれ、
       さぁ!、という意気込みが感じられますが、
       こちらには、こんな大きなオーブンが据えられ、
d0097427_23335263.jpg



       せっせとリンゴの皮をむき、小さく切って
       リンゴのトルタの準備に余念がなく。
       参加の皆さんは、如何にもかっての山の女性らしい服装で。
d0097427_23341567.jpg



       あれこれ何種も見本のトルタが並んでいたのですけど、
       セロファンが光ってしまい、これ1枚ですが、
       奥の茶色っぽいのが、とても美味しそうでした!
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       こちらでは、男性方がせっせとキャベツを刻み・・、
       煮込みでも出来るのかな?
       気がつくと、ルイーザがパンにハムを乗せたのを食べており、
       はは、その辺のシニョーレがくれたのですって!
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       こちらはまた隣のお屋敷の中庭で
       手作り品の展示販売、食品、各種何でも!
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       真ん中に写っている中年シニョーレ、
       別の場所でも見かけたのですが、ほら、
       短めのズボンに赤い毛糸ソックス、首に鮮やかな緑のスカーフ、
       ええ、かなり目立つ顔立ちではありましたね、ははは。



       両方一緒にと欲張り、籠の大きさが良く分からない結果に・・。
       何か物を運ぶのに使ったのか、大きな楕円の籠と
       奥もまた直径1m以上ある大きな丸籠。
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       メルの町は東西に細長く、東から来る県道が
       町の手前で左に分かれる形で町の下側を通り抜け、
       県道の延長の真っ直ぐな道が、町の中心まで上って行き、

       この上り坂が、最初に見て頂いた写真の、町の南端を通る道。
       それに並ぶ古い大きなお屋敷が幾つも中庭を公開して
       上の写真の様に展示会場に充てられているので、
       入ったり出たりで楽しみます。

       どのリンゴも、一般に店で売られているよりも小粒ですが、
       如何にも実りの秋という感じがして、嬉しくなりますねぇ!
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       右の草の束の上にポルチーニが見えるでしょう?
       あれがですねぇ、
       


       ほら、これ!
       素晴らしく大きく、左手前の傘が直径10cm以上ありましたよ、
       奥のはもひとつ大きくて!
       ステーキにして食べたら、さぞや旨かろうと・・。
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       脇に置かれた大きなカボチャ!
       如何にも秋の到来を感じさせるのが、カボチャですねぇ。
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       悔しいから、秋の味覚はサンマの塩焼きよぉ、なんて
       口が裂けても言わない事にするのだ!



       ここのお家のお庭も公開で、奥に紅葉の赤い色
       が、ここはひとまず通り過ぎ、帰り道にね。
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       道草を食い喰い、漸くに到着した
       こちらが中心広場で、正面が市役所
d0097427_23391070.jpg




       市役所の並び側の建物ですが、煙突の形が面白いでしょう?
d0097427_23393931.jpg

       今迄通って来た道にも、他の建物にも、町の小路にも
       大変興味深い場所がたくさんあったのですが、
       今回は、リンゴ祭りと手仕事の様子に絞ってご覧頂きますね。

       ぼちぼちと人出も多く、賑やかになり始めていますが、



       広場の正面に大きな教会があり、奥にも細長い広場が続いていて、
       ご覧の様にお天気は最高でしたが、
       空気はキンと張って冷たく、山の町である事を感じさせます。
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       こちらが市役所の建物で、
d0097427_23403416.jpg



       1階のロッジャに、リンゴと梨の各品種が並びます。
       凄い数でしょう? これが2列あり、
d0097427_2340546.jpg



       何枚か撮りましたが切りがない程の多種様々で、
       こんな風に其々の名前が記され・・、
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       この形から見ると一見梨の様に見えますね、ですが、
       上にPom・ポム・リンゴとあり、コトーニョ種と、
       これはジャムに最適の種ですね。
       ヴェネトではリンゴをポムと普通に言いますが、
       辞書には見つかりませんから、ヴェネト訛りなのかも。



       こちらが奥の列
d0097427_23413853.jpg

       今回販売している各種品々を見ると、その土地固有の種類
       それらを保護し伝え残す為の努力も払われているのが
       感じられました。
       祭りに集まる人々も、そんな独特の品々が目当てで
       ルイーザ達もそれが目的で毎年来るようで、
       蜂蜜やポレンタの粉やリンゴも、ここで売っているのが
       とても美味しいのだとあれこれ買い込んでおりました。



       建物の3連の窓を見ておりましたら、
       下の緑のテントの女性が、こちらを見ているのに気がつき・・、
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       レナートが、ほら、サンタ・べッルネーゼのカボチャだよ
       と言うので近寄りましたら、私めが何も言わない内に、
       ほらほら来たよ、とずらっと並んでくれまして・・!
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       という事で、
       サンタ・べッルネーゼのカボチャ類でございます、はい。
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       興味を持ちましてちょっと調べましたら、
       この種は古くからの伝統種で皮がとても固く、リゾットに良し、
       お菓子ではなく食事に食べるトルタ、パンに向いているとか。

       カボチャの入った黄色いパンは甘みがあって美味しく、
       詰め物パスタも大変美味しく頂けます。

       面白い記述もありまして
       かって農家ではカボチャ類を農園ではなく畑の脇に
       植えていたのだそうで、これは農園にはもっと上等であると
       みなされていた作物栽培にスペースをさく為であり・・、
       つまりカボチャはかって、豚ちゃん達の食べ物だったのだそう!
       ははは。 南イタリアの方では、
       イチジクを豚ちゃんに、と聞いた事がありますが・・。

       所でヴェネトの農業関係の伝統種
       この中には家畜類や酒類もチーズや肉製品も含まれるのですが、
       農業省に伝統種であると認められたという物が、
       なんと365種もあり、そのうち農作物が110種!
       凄い数ですねぇ。
       この中に、勿論サンタ・べッルネーゼ・Santa Bellunese のカボチャ、
       通称サンタも含まれておりました。



       こちらは別の広場で見た大きなカボチャなのですが、
       余りに見事に大きく・・!
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       隣に見える札に3エウロとあり、え?!と思ってよく見ましたら、
       ははは、巨大カボチャの種が3エウロという事でありましたぁ!
       まぁさか、一粒入っている、という事は無いでしょうねぇ。



       農作物の展示に混じり、こういった手仕事の屋台もたくさんあり、
       これはちょっと珍しいので。
       手前に見えるCAMERA D'ARIA・カメラ・ダーリアというのは、
       タイヤのチューブの事。
       大小のチューブを利用して、ネックレスのお花や、通し紐に、
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       ベルトの飾りに、ベルトは車の安全ベルトを利用、とか、
       はたまたこんなバッグとか、面白いアイディア商品があり、
       ルイーザはお花のついたベルトを購入、20エウロでした。

       貰った名刺によると、サイトは
       http://www.mirifa.it

       HPにライトの傘が出ますが、これは会場にもあり、
       チーズを作る時のプラスティックのケースに、
       ポリ袋の底の角を三角に切って張り付けた物で、
       柔らかい光を放ち、受賞作品でもあるそう。

       チゾン村、夏のサーグラ ・ 手作り職人市 
       http://italiashio.exblog.jp/10278420



       これ、可愛いお二人でしょう?!
       そしてどこか懐かしく、心にジンと来るものを感じません?
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       後ろに、左下石段の奥庭を指さす立看板があり、
       お兄ちゃんがにこやかに、奥にどうぞ!と
       誘っておりますが、
       写真満載の今回もまた、その1をここでお終いとして、
       明日また続きのその2をご覧頂きますね。
       
       お天気は明日もきっと良い筈!
       どうぞ皆さま、お揃いでお出かけ下さ~い!!
       

       いつも有難うございます、お世話様です。
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by italiashiho2 | 2011-10-14 23:51 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)