イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2013年 09月 25日

   ・・・ その3 スフォルツェスコ城 ・ ミラノ  (DM写真追加) ・・・

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       漸くにミラノのスフォルツェスコ城のご案内も、これで最後。
       やれやれ!という声が聞こえそうですが、はい、私めもやれやれ!
       ははは、これで心おきなく日本行きの心準備を始められそうです。

       では、スフォルツェスコ城!
       上の写真は、武器展示室の外から覗き込んでいる女の子。
       1月4日でしたから、窓が吐く息で曇っていますね。


       13、またはコロンビーナ・Colombinaの部屋
       この部屋には15世紀半ばの優れた彫像類を集めており、
       部屋自体もミラノ公の私的住居の一部をなしていた部分だそう。
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       部屋の名のコロンビーナ・小鳩の由来は、天井に描かれた
       輝く太陽の上に表現されている、というのですが見つからず・・。
       とは言え、この美しい天井の装飾も記憶にしっかり残っており、
       再び確認できるのは、本当に嬉しい事!



       同じ部屋にあった素晴らしい天使像
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       背景に見えるのは、天井部と同じ柄なのですが、
       下部の剥げ落ちた色の名残が、大胆な抽象画的でしょう?!



       もう一度部屋の図をどうぞ
       この図の番号と、ご説明している部屋の番号が違いまして、
       ちょっと分かり難いかもしれず、申し訳ないですが、
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       上の13のコロンビーナの部屋というのは、
       この図では16のアッセの間・レオナルドが描いた樹木の部屋
       の西隣、この図では番号の無い部屋。

       図で13は、先先回その1のご説明で象のポルティコ
       象のフレスコ画のあるポルティコ、とご説明しましたが、
       ポルティコはその下に見える、細長い部分ですね。
       お詫びと訂正を。



       で、上の図で13の部屋がこれ、公爵の礼拝堂
       ここでミラノ公というのは、スフォルツァ家に移っての2代目、
       ガレアッツォ・マリーアを指し、彼が1473年に建設した物。
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       傲慢尊大な性格を持ち、後に暗殺された彼ですが、
       大変に洗練された趣味の持ち主だった様で、
       この礼拝堂を建設するのに、ヨーロッパじゅうの宮廷の様子を探らせ
       金ぴかでありながらも洗練され、おまけに22人の合唱隊からなる
       音楽付き礼拝堂を造り上げたのだそう!



       そして礼拝堂の一郭にあったこの聖母子の絵
       どう見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に見えますよね。
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       ですが、横にあった説明書きによると、
       レオナルド・ダ・ヴィンチが1515年に描いた木板から、
       1758年に王に雇われた絵描きピカール・Picaultが
       このキャンヴァスに移した、と。

       フレスコ画だと下塗り共に剥がし、他に移す事は可能ですが、
       板に描いたものをキャンヴァスに移したぁ?!
       ・・まぁつまり、模写したという事なのでしょうねぇ。

       ええまぁ、その気で見れば、幼子の顔も少し・・だし、
       聖母の手がゴツイですねぇ!
       それにしても、凄い額だぁ!!



       この像はどの部屋にあったものか、覚えてないのですが、
       なかなかきりっとした顔の美しい彫像でした。
       が、無残にも左腕が失われており、アップでお見せするのは・・。
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       そしてこの棟の最後の部屋、図で14.15に当たる部分ですが、
       
       まずこれ、壁のジグザグの鮮やかな装飾を良く覚えておりまして、
       いつか自分の絵の中に入れたいなんぞと思っていたものでした、ははは。
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       この博物館の目玉と言うべき部屋は、先回ご案内の
       レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたアッセの間、そしてコロンビーナの間、
       上のガレアッツォ・マリーアの礼拝堂など、幾つかありますが、

       彫刻作品での目玉の一つがこれ、
       ガストン・ド・フォア・Gaston de Foixの記念墓碑
       作者はアゴスティーノ・ブスティ・Agostino Busti、通称ボンバジャ(ヤ?)の
       繊細で優美、最高傑作と言われている様子。
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       ヌムール公ガストン・ド・フォア(1489-1512)というのは、
       母方から言うとフランス王ルイ12世の甥にあたり、
       1511年ミラノ総督に任命。
       ヴェネツィア共和国がフランス、ドイツ、教皇側を相手に戦った
       カンブレ―同盟戦争に於いて、1512年若干22歳にして
       フランス側の総司令官となり、「イタリアの雷」と呼ばれる程の活躍を。
       が、同年ラヴェンナの戦いで死亡したという方。

       私がちょっとこの方に興味を持っている、というよりその名前になのですが、
       ・・それにしても、なんとも素敵な響きの名前でしょう?!
       ジョルジョーネの作品の黒い鎧の若い騎士を描いた作品は
       このガストン・ド・フォアがモデルだ、と読んだ事があり、
       一方ジョルジョーネのかの「嵐」に描かれた兵士のモデルについても
       興味深い人物を知りましたので、
       少し落ち着いたら、もう一度しっかり読み、纏めてみたいと思っています。



       でこの部屋の端の階段を少し下り、回りを囲んだ形の場所にあるのが、
       ミケランジェロのロンダニーニのピエタ像・Pietà Rondanini.
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       88歳で亡くなったミケランジェロ・Michelangeloが亡くなる3日前まで
       手を入れていた最後の作品、という事でも有名ですが、
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       ヴァティカンにある清楚で大変美しい聖母のピエタ像から始まり、
       最後がこの何もかも余分は一切そぎ落とした様なピエタ像
       最初は別の構図から始まっていたのが途中で変更され、
       聖母が後ろから息子を支える、というよりも2人が一体になりかける様な・・。

       力強い彼の数々の作品を思い浮かべると、
       彼が到達した像のたたずまいに、ちょっと粛然とした想いも受けます。

      
       20年ほどの差はあるものの、同じルネッサンス期のもう一人の大天才
       レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452–1519)は、様々な方面の研究発明を試み、
       このスフォルツェスコ城にはアッセの間の樹木を残していますが、
       その一方ルドヴィーコ・イル・モーロの大宴会の催しの指揮をとったり、
       小話を聞かせたとか言う逸話も残り、
       晩年はフランスのフランソワ1世の庇護の下に67歳で亡くなり、
       一方のミケランジェロ(1475-1564)は88歳の最後の最後まで制作を。     
              
       このピエタ像は、そんな事をも振り返らす何かを持って迫ります。

       そうそう、ロンダニーニのピエタ像のロンダニーニというのはどこから?
       と思っておりましたが、
       ミケランジェロのアトリエに残されていたこの像は、
       後にローマのロンダニーニ侯爵に買われ、その屋敷にあった事からこの名で
       呼ばれているのだそうで、1952年にミラノ市が購入しここに。
        


       この部屋を出ると一旦外の通路になり、城の一郭が見えます。
       小さな中庭の泉、厚い煉瓦の壁・・。
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       そして階段を上がって2階の展示室に。
       ボーナ・デ・サヴォイア塔の後ろからの眺めと城壁
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       この階段ではないと思うのですが、
       宮廷部の階段が緩やかなのは、公が馬で上がれる様にしていた為、と
       読みましたので、
       カプラローラで見たあのファルネーゼ家の豪奢な螺旋階段程ではないにしろ、
       やはり宮廷がある程の城は、そういう造りになっていたのかもですね。

       ファルネーゼ宮の1~3
       http://italiashio.exblog.jp/15838695/
       http://italiashio.exblog.jp/15854002/
       http://italiashio.exblog.jp/15867540/



       上の階の展示は模様替えがあったのでしょう、
       まるで見た記憶の無いものばかりで、ここにも素敵な物がありました。
       まずはこれ。

       14世紀後半に作られた物、という金襴豪華な細工の施された個室で、
       生ハムで有名なパルマ市の南にあるトッレキアーラの城・Torrechiare
       城内にある教会にあったもので、
       人に見られぬように宗教行事に参加する為の物と。
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       内部は外の様子に比べると、特別の事もないのですが、
       内側から扉と窓が開閉できるようになっています。
        
       ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・ミラノ公、
       上の礼拝堂でも名が出ましたが、が任命式で使ったのだと。
       この辺り、何の任命なのか私には判断できませんが、
       パルマはミラノ公国領土内にありましたので、その関係でしょう。
       
       それよりも私が一瞬あれっ?!と驚いたのは、
       トッレキアーラの城という文字で、やはり説明にもそれが書いてありました。

       つまりこの城は、パルマのサン・セコンド・San Secondoに本拠を持つ
       ロッシ家のピエール・マリーア2世・Pier Maria II
       愛人のビアンカ・ペッレグリーニ・Bianca Pellegriniと共に
       引きこもった城として有名なのですね。

       偶然にこの城について知って以前書きましたので、
       興味のお有りの方、こちらの写真を。
       http://italiashio.exblog.jp/7479431/



       そしてフレスコ画を剥がして持ち寄り、一郭を再現した形の
       大変興味深い場所がありました。

       説明も何も読まず写さず、写真だけご覧頂きますが、
       薄い緑の背景に白と黒、ほんのちょっぴりの赤を使った図柄で、
       大変モダンに見えました。
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       なんとなしにマントヴァのお城にある、マンテーニャが描いた
       婚礼の間の壁画の人物を思わせる姿で、でも腕はマンテーニャに及ばず、
       ははは、ですが大変新鮮な印象で見ました。



       上の、部屋の隙間から見えるマリーア像の祭壇がこれ。
       なんとも清楚で素晴らしい顔の、木製彩色。
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       他にもたくさんあれこれあったのですが、
       もう満腹でしょう、皆さんも?! ははは。 

       という事で、もう一度センピオーネ公園の先の凱旋門を見に行き
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       前の広い中庭を通り、城の正面入り口に向かいます。
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       城壁の外側の穴は、大概鳩さん達のアパートになっていて、
       首をかしげて見送ってくれ、
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       堀の猫ちゃんも、それぞれに忙しそう、
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       と、我らは夕暮れ近い城を後にしたのでした。


       3回、実質4回に渡るスフォルツェスコ城のご案内
       お付き合い頂き、有難うございました!!
       
       到底全部はご案内出来ませんが、それでも多少の糸口には
       と思いますし、私にとっては纏めの作業でしたので、
       上手くご説明出来ていると良いが、と願っております。



     *****

     ◆ 個展のお知らせ 2つ ◆

       私の絵の師である二木(ふたつぎ)さんの個展が、
       10月3日から8日伊那市のベルシャイン伊那店にて開催されます。
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       どうぞお出かけご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます


       新作のご披露はこちら、ご自分のブログに。
       http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/a870deea25d546f9b6c2b6d03fc1f021




       続きまして、私めの上諏訪での初個展のお知らせを。
       DMのデザインは二木さんがして下さり、ご案内の言葉も。
       私にはもったいない様な美しく素敵なのが出来上がり、
       今は嬉しいばかりです!

       諏訪市城南1-2550 ギャラリー橋田さまにて
       10月12日から20日に、開催させて頂きます。
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       橋田さんの画廊に近いバス路線は無いのだそうですが、
       上諏訪の駅から約1700~800mの距離。

       日本では少し遠いと思われるかもですが、イタリアの我が家からだと
       坂下のバス停までの距離でして、ははは、すみません、
       どうぞ散歩のおつもりで、お出かけ下さいませませ!

       下に地図を
       赤いAの印が画廊の位置で、目印になる部分に印を付けました。
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       私は会期中ずっと画廊に居りますので
       どうぞ秋の諏訪観光方々お出かけ下さり、絵を見て頂け、
       またイタリアについてのお喋りが出来ましたら嬉しい事です。
       
       どうぞ、よろしくお願い致します!!
      


     *****     

       水彩ブログには、初夏のヴェネトの葡萄畑 ・ もう少し
       アップしております。
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


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by italiashiho2 | 2013-09-25 18:43 | ・ミラノとロンバルディア州 | Comments(12)
2013年 09月 19日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その2の2 ・ ミラノ  (追記しました) ・・・

       ミラノのスフォルチェスコ城のご案内その2、をアップしようとしましたら、
       文字数制限に引っ掛かりまして、少々削ってもまるで駄目。
    
       思い切って、イル・モーロの部分から切り取り、その2の2として
       こちらにアップいたしました。
       考えていませんでしたので後先逆になりましたが、
       次の記事の その2の1 から見てやって下さいませ。
       よろしくお願い致します。

     *****

       まずはスフォルツァ家の系図を再度載せまして、  
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       4.ルドヴィーコ・イル・モーロ (1452–1508) ミラノ公7代目
         イル・モーロ、ムーア人というニックネームは、肌の色が浅黒く黒髪だった、と
         言う説が一般的ですが、
         代々のスフォルツァ家の中で彼が一番有名なのではないでしょうか?!

       摂政から入り込み、政治に関心のない甥を追い出し徐々に大権力を握る、
       野心満々、そして芸術、文学、科学を愛する男だった様ですが、
       ここではちょっと別の興味を。

       ルドヴィーコ・イル・モーロとベアトリーチェ・デステ・Beatrice d'Este
       (1475–1497)の結婚式1491年の様子をまず。
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       イル・モーロ39歳、ベアトリーチェ16歳、
       かのイザベッラ・デステの妹ですが、このヨーロッパで最高に洗練された
       当時のミラノの宮廷にあって、どこかまだ少女の下膨れの顔にも見え、
       垢ぬけない感じを受けませんか? と意地悪shinkai。



       正面の顔はやはり下膨れで、失礼、美人とは言い難いのですが、
       この素晴らしい織の意匠、髪飾りをご覧下さいね。
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       彼女は嫁いで僅か6年、二人の後継者を授けた後22歳の若さで
       産後の死を迎えます。



       一方こちら、イル・モーロの素晴らしい衣装の写真。
       なんとも手の込んだ小紋柄の様な衣装で、平安貴族をも想像しましたが、
       帽子の飾りのM、真珠のついたお洒落なもので・・!
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       イル・モーロはレオナルド・ダ・ヴィンチやブラマンテも迎え
       豪奢なミラノの宮廷を愉しみますが、
       妻にベアトリーチェを迎える以前からの有名な愛人チェチ―リア・ガッレラーニ
       Cecilia Galleraniを描いたレオナルドの作品がこれ。
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       こんな美人の愛人が同じ城にいたのでは、ベアトリーチェもさぞや・・!
         

       最盛期を極めたイル・モーロでしたが、晩年はフランス王ルイ12世の
       イタリア侵攻で捕えられ、8年間のフランスでの獄中生活の後1508年に死亡。

       こうしてフランスの下に下ったミラノは、それ以降スペイン
       オーストリアの占領下に360年間を過ごす事になります。

       
       イル・モーロとベアトリーチェの二人の息子の
       5.エルコレ・マッシミリアーノ・スフォルツァ・Ercole Massimiliano  
         (1493-1530)ミラノ公8代目ですが、僅か3年間で
         フランスのフランソワ1世の侵入により退去、パリで死亡。

       6.フランチェスコ・マリーア2世・スフォルツァ・Francesco Maria II
         (1495–1535)
         僅か3歳の時に父親と一緒に捕えられ、21年間の亡命生活。
         漸くに1521年ミラノに戻り9代目のミラノ公となりますが、
         フランス勢に常に脅かされ心配の絶えない政治状況。

         1535年病み殆ど盲人となり、若くして後継者なく亡くなり、
         遂にミラノ公は9代目にして
         ヴィスコンティ家のオットーネの台頭から約250年程続いた
         時代が終わります。


     ◆ ここから追記です ◆

       さて、スフォルツェスコ城内博物館の見学を続けますね

       この部屋がなんという部屋なのかを調べられませんでしたが、
       天井のこの装飾は「キリストの復活図」
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       暗い部屋の天井が明るい水色で、下にキリストの復活を見て驚き慌てる兵士たち、
       その動きと、キリストの表情もにっこりと手を挙げている感じに見え、ははは、
       なんとなしにユーモラスな感じをね。



       窓の外に見える青空と、高い城壁。
       こうして見るとちょうど角の部屋で、北に曲がる位置ですね。
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       4の部屋、トスカーナの影響を受けたロンバルディア彫刻
       で見た天使像の一つ。
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       狭い通路の壁にあった、碑の中の若者の顔
       きりっとして、なかなか素敵でしょう?!
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       6の部屋、ミラノ中世の歴史記念の部屋とでも。
       ここで見たちょっと可笑しな凄いもの!
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       アンナリーザが説明札を見てぷっと吹き出しまして・・、
       12世紀終わりの作「みだら、ふしだらなな女」ははは。
       ほらね、昔も今も変わらないでしょう?!



       7.つづれ織りの部屋
       素晴らしい、大きなつづれ織りがたくさんあったのですが、
       私はそれよりもその前にあった、
       この如何にも貴族的容貌の像に魅かれました。
       衣装から見てそう古い像ではないと思うのですが、どなたかな?
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       さて北東の角の塔の1階部分にあるアッセの間・sala delle Asse.
       ルドヴィーコ・イル・モーロの注文により、1498年に
       レオナルド・ダ・ヴィンチが天井と壁に描いた樹木の部屋

       こちらが入り口から見た北東部角。
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       天井部へのアーチの出っ張り部分を上手く利用し、木の幹に見立て、
       天井、部屋の壁にびっしりと絡み合った枝葉を、そして要所に金色の紐
       赤紫色の果物も描かれているそうですが、
       ちょっと見えませんね。

       

       少しアップに
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       この部屋はその後世に於き、上から漆喰が厚く塗られており、
       レオナルドの絵が発見されたのは19世紀の末なのだそう。
       その後東側の壁にあった木製の壁の下から、
       大きな岩に入り込んだ太い植物の根と幹の白黒の下描きも発見されたと。

       植物の根は巨大な桑の木で、イル・モーロと・注文主の通称でもありますが、
       桑の木は古代より賢明さと慎重さのシンボルであるそうで、
       このモチーフを選んだ、というのがレオナルドのほのめかしであろうと。

       と、私にとって大変興味深かったのは、
       なんとなしにフレスコ画と思い込んでいたのですが、
       漆喰の上にテンペラで描いているのだそうで、

       大話題を提供したフィレンツェはヴェッキオ宮の幻の絵
       「アンギアーリの戦い」と言い、
       同じミラノのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の
       「最後の晩餐」も、フレスコ画法を使わずに後に問題が出ている訳で、
       如何にレオナルドがフレスコ画描法を嫌っていたかが分かりますね。

       一日に描く範囲を下塗りし、一気に描き上げるフレスコ画法よりも、
       じわじわじっくりと描き込めるテンペラ画法、そして油絵を好む、
       こんな所にもレオナルドの性格が見えますね。

       修復されたとはいえ、緑色もくすんだ暗い色でして、
       これが彼の意図した様に、明るい戸外へ広がる緑のテラス様に
       残っていたら、どんなに素敵でしょう!
       それがちょっと残念ですね。
       


       11.ゴシックからルネッサンスにかけてのロンバルディアの彫像
       のある部屋の、彫像類と、
d0097427_150217.jpg



       天井装飾
d0097427_1501786.jpg



       この辺りは北側の部屋に当たるので、
       こんな感じにセンピオーネ公園が掘り越しに見えます。
d0097427_1503219.jpg


       
       という所で、今回はちょっとバタバタしたご案内になりましたが、
       来週、もう一度のお付き合いをお願い致して置きます、です。
       よろしくどうぞ!!



     *****

       ブログご訪問、いつも有難うございます!

       10月の上諏訪での個展が徐々に近づき、
       今週末にはDMが出来上がり、画像を送って頂く事になっておりますので、
       来週のブログ更新の時にご案内をさせて頂くつもりです。

       ですが、私よりも10日ほど早く伊那での個展を控えている
       師の二木さんは既に作品を仕上げ、ご自分のブログでお披露目と
       個展のご案内をされております。

       それに私のも一緒にご丁寧にご案内をして下さり、恐縮しております。
     
       二木さんの新作品とご案内2つを、ご覧下さいませ!



     *****     

       水彩ブログの作品ページに手を入れましたので
       見てやって下さ~い!
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho/c/745eeaa68cdfea532108ed0bf98f8a48


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by italiashiho2 | 2013-09-19 08:36 | ・ミラノとロンバルディア州 | Comments(8)
2013年 09月 19日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その2の1 ・ ミラノ ・・・

       台風通過による大雨の被害が大きかった様子ですが、
       皆さまには大事ございませんでしたでしょうか?
       夏の猛暑と言い豪雨と言い、今迄とはどこか違った天候が続きますが、
       被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。


     *****
       
       さて先回に引き続いての、ミラノのスフォルツェスコ城のご案内ですが、
       内部に設置の市博物館の様子の内、無料で見学できる部分のみを、
       それでも膨大な展示でして、それを2回に分けご覧頂こうと思います。
d0097427_740437.jpg

       この写真は展示物がどの部屋にあるかを示しておりますが、
       今回は下側入り口から辿り、最初のちょっぴりを。

       と、ミラノの領主からミラノ公爵に成り上がったヴィスコンティ家
       そしてそれを受け継いだスフォルツァ家についても
       ざっと纏めてみましたので、と言う割には長くなりましたが、はは、
       それらをごゆっくりどうぞ。


       
       最初の部屋には、既に今は無くなっているミラノ各地の教会からの、
       初期キリスト教の様々な遺物が集まっており、
       あれこれ写真は撮っているのですが、ご説明できる程の教養もなく、
       ・・で、ブログで見て頂くとなると、
       つい、こういう物を取りだしてくるshinkaiです、ははは。
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       こちらは2.の部屋にある素晴らしい巨大な記念墓碑
       ロンバルディアのロマネスク・ゴシック彫刻群のこの部屋の中でも
       一際目を引く、作者はボニーノ・ダ・カンピオーネ・Bonino da Campione.
       制作年が1360-63年というので、騎馬像が先に作られ、
       後に石棺の上に乗せられた形ですね。
d0097427_7413753.jpg

       騎馬像の主はベルナボ・ヴィスコンティ・Bernabò Visconti 1323-1385
       ベルナボのボにアクセントが来る名を持つ、ヴィスコンティ家9代目。



       部屋がかなり暗く高い位置の騎馬像で、下から撮ったのが良く見えず・・、
d0097427_742536.jpg



       で、こちらはサイトから拝借の正面からの姿
       鎧の胸にしっかりヴィスコンティ家の紋、大蛇が人を飲み込む姿も、
       鎖の編みもどっしりと、迫力ある武人の彫像。
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       実は写真を探していて、騎馬像の下の部分、石棺を支えている円柱に
       百合の花が彫られているのを見つけ、しまった!と思ったのですが、
       これからお出かけになる方、是非お見逃しなく!

       歴史家の書き残した様子は、見栄えのするインテリで、政治的にも優れた男
       がその半面信じられない程の残虐さを持つ極悪非道の圧政をした暴君で、

       最後は自分の娘と結婚させた甥のジャン・ガレアッツォに捕えられ、
       毒を盛られての最後ですが、

       妻となったヴェローナの領主スカラ家のマスティーノ2世の娘
       ベアトゥリーチェ・レジーナ・Beatrice Reginaとの、こんな睦まじい姿も。
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       34年連れ添ったこの妻との間に子供が15人! 彼女が亡くなった時は、
       家臣たちにも1年間の喪を強制したのだそうで・・。

       本妻との間に子供が15人で驚かれた方、まだまだ早いですぞ!
       他に愛人との間にも3人、も一人の愛人にも1人と、
       戦いに明け暮れながらも、なんともはやお元気な暴君でございました!


       所で、何が分かり難いかと言ってです、このヴィスコンティ家、
       それに続くスフォルツァ家の家系に何度も登場するガレアッツォ・Galeazzo
       またはそれに何かがつく形の名でして・・!

       ずっと昔、塩野七生さんの「ルネッサンスの女達」で最初にお目にかかった時は、
       ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ!
       おまけに名が縦書きでして、一字づつ拾い読みした記憶が!! ははは。
       
       はい、このガレアッツォ関連の名が両家に6名おりますが、
       まずはヴィスコンティ家の系図をどうぞ。
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       当主順に番号も振りましたので、少しは分かり易いかと思うのですが、
       1.オットーネ・Ottone (1207-1295)
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       宗教界に入り活躍、教皇ウルバーノ4世のお気に入りとなり、
       1262年ミラノの大司教に任命を受けます。
       当時ヴィスコンティ家よりも勢力を持っていた
       デッラ・トッレ・Della Torre家との熾烈な争いの末打ち破り、
       1277年遂にヴィスコンティ家がミラノの僭主・領主となる、       
       オットーネがいわばヴィスコンティ家繁栄の始まり

       彼は外交的に上手く立ち回り、弟の孫に当たる
       マッテーオ1世・MatteoI (1250-1322)を後継者とし、これが2代目。 

       マッテーオ1世は賢明で、5万フィオリーニ金貨と引き換えに
       神聖ローマ帝国皇帝エンリコ7世(イタリア語読み)から、
       終生副王の任命を受け、ヴィスコンティ家支配の正当化に成功。

       そして元々の大貴族では無かったのをエステ家との婚姻縁結び、
       つまり次男のガレアッツォ1世にベアトリーチェ・デステ・Beatrice d'Este
       を迎え、重きをつける事に。

       ですが終生ライバルのデッラ・トッレ一族との争闘が続き、
       ミラノから追放されたり教皇とも上手く行かず、
       戦いに明け暮れた生涯だった様子。


       で上記の、エステ家のベアトリーチェと結婚したマッテオ1世の次男
       ガレアッツォ1世(1277–1328)が3代目
       彼は大した政治手腕も発揮せずに済み、
       
       その息子アッツォーネ・Azzone(1302-1339)が4代目
       彼は平和と芸術、文化を愛しつつもミラノ領主として勢力、領土も増やし、
       ですが若くして後継者なしに亡くなり、


       叔父のルキーノ・Luchino 5代目(1287頃–1349) と
       ジョヴァンニ・Giovanni 6代目(1290頃–1354)に後継が戻ります。

       2人は一緒に領主としてコムーネから認定を得たのですが、
       ルキーノは残虐な性格を持ち憎まれていた様子で、
       多分その為にも、ミラノの大司教であったジョヴァンニと一緒に、
       という事だったろうと想像しますが、実際に殆ど行政はルキーノが行った様。

       約20年間に渡り教皇から、一族はミラノの街と共に破門を受け悩まされながらも、
       彼の時代にヴィスコンティ家は大一族にのし上がり、大領土を持つように
       ルキーノは武人でもありましたが、商業の繁栄につながる馬の飼育や、
       織、武器の職人にも熱心な男だったと。

       ルキーノの2度目の妻イザベッラ・フィエスキ・Isabella Fieschi
       ジェノヴァの名家出身、類い稀なる美女、教皇アドリアーノ5世の姪、
       その取り留めのない挙動からフォスカ・霧というニックネームがつき、
       愛人の数は限りなし、・・に毒を盛られたというのですがぁ・・。

       ええ、あれこれ読む内にこういう逸話にぶつかるのが妙味でして、ははは、
       だからブログはやめられないという、好奇心と無知ムチのshinkai、はぁ。


       もう一人の領主の大司教でもあるジョヴァンニも外交術にたけ、
       ルキーノの死後3人の甥、ルキーノに謀反を企て追放されていた3人を呼び戻し、
       1354年ジョヴァンニが亡くなると、統治が兄弟に移ります。

       マッテーオ2世・MatteoII 7代目(1319頃–1355) 南部を統治
       ガレアッツォ2世 GaleazzoII 8代目(1320–1378) 北西部 
       そして既に上記したベルナボ 9代目(1323-1385) 東部担当を。

       便宜上何代目と書きましたが、この3人が領土を分割し統治を。
       そして長兄のマッテーオ2世は弟2人に、実際に手をくだしたのは兄弟3人の
       実の母ヴァレンティーナ・ドーリア・Valentina Doriaらしいのですが、
       毒殺され、領土は2人の兄弟で分割統治に。

       毒殺の原因は彼の性格が放埓自堕落で、このままでは領土が危ないと
       2人の兄弟は恐れたらしいのですが、とりわけ彼の統治に含まれていた
       ボローニャについての意見の違い、マッテーオは教皇との争いを好まず、
       街の独立を認める形だったとか。

       3人兄弟の内でベルナボが最後まで残り、
       短気な暴君、政治的に機敏賢明な男が広大な領土を1人で握った訳で、
       甥であるガレアッツォ2世の息子ジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzoには
       自分の娘カテリーナ・Catelinaと結婚させ、取り込みを図りますが、
       逆に囚われ2人の息子ともどもに毒殺に。



       さてヴィスコンティ家の最大の繁栄を築いた10代目
       ジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzo(1347–1402)
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       こちらが良く見る肖像なのですが、



       こんなのも見つけましたが、素敵でしょう?!
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       若い頃から大変な賢明さで、武道にも特別に優れていたそうで、
       叔父のベルナボには心からの愛情で接し、心の内を悟られぬよう、
       そして最後には、巡礼を口実に息子2人とミラノから出るように仕向け、
       いともた易く捕えた、という謀反の形で権力を握ります。

       従妹のカテリーナ以前の、最初の結婚がフランスのジャン2世善良王の娘
       イザベッラ・ディ・ヴァロア・Isabella di Valoisで、
       婚資として持参したシャンパーニュの領土と公爵位も。



       1402年のジャン・ガレアッツォの領土図をどうぞ。
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       鮮やかな緑色の部分が、ローマを囲む黄色の教皇領に迫る勢いで、
       アドリア海沿岸を除くと、ジェノヴァ共和国、マントヴァのゴンザーガ家、
       フェッラーラのエステ家、フィレンツェ共和国が挟まるだけで、
       シエナからペルージャ、アッシジまで!

       1395年神聖ローマ皇帝ヴェンツェルより10万フィオリーニにて
       ミラノ公爵位を受け、ミラノ公国となりますが、
       彼の野望はミラノを首都としたイタリアの統一
       大工事が大好きで、大金をはたいてのパヴィアの修道院、
       ミラノの大聖堂の建設、はたまたミンチョ河、ブレンタ河の流れを替える喜び。

       ですが55歳の若さでペストで命を落とし、亡くなる前に
       2人の嫡出の息子と1人の庶子に領土を分け与えます。
        
       ジョヴァンニ・マリーア・Giovanni Maria(1388-1412) 11代目     
       フィリッポ・マリーア・Filippo Maria(1392-1447) 12代目

       この2人は2度目の結婚、従妹のカテリーナとの子で、
       最初のイザベッラ・ディ・ヴァロアとの間に生まれたヴァレンティーナ
       Valentinaが、オルレアン公爵のルイ・ディ・ヴァロアと結婚しており、
       後年その息子が継承権があるとミラノに乗り込んでくる事件も起こります。


       ジョヴァンニ・マリーアはミラノ公としては2代目に当たり、
       父親のジャン・ガレアッツォが亡くなった時はまだ13歳。
       母親の摂政の下に領土を継ぎますが、

       直に治め切れず綻びが出始め、傭兵隊長のそそのかしに乗り、
       母親を捕え閉じ込め、毒殺かペストかで間もなく死亡。
       大変残虐なというよりも、血に飢えたサディストという性格で、
       これは今まで書いて来たどの暴君よりも残虐な所業の数々で、
       読むのが嫌になる程のものでしたが、遂には暗殺されます。

       こちらがヴィスコンティ家最後、ミラノ公3代目のフィリッポ・マリーア
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       フィリッポ・マリーアは2度結婚したものの子に恵まれず、
       父親の庶子である弟、または甥を後継ぎにというのにも信頼度が不足。
       という所に愛人アニェーゼ・デル・マイアーノ・Agnese del Maianoに
       生まれた娘ビアンカ・マリーア・Bianca Maria(1425–1468)
       幼い頃から聡く過剰な奢侈には目もくれず、頑固であるのを見て、
       きちんとした教育を施し育て、娘の夫を後継ぎにともくろみます。

       傭兵隊長を務めていたフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza
       (1401–1466)との婚約が整ったのは彼女がまだ5歳の時で、彼は25歳年長!
       
       その後もあれこれの変遷があり、実際に結婚したのは1441年、
       この相対図では中年っぽいですが、失礼、ビアンカ・マリーア17歳の時。
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       2人の結婚生活はと言うと、ビアンカにとって結婚は絶対的なもの
       であるのに対し、フランチェスコは無頓着、まぁね。
       結婚後最初の愛人の存在がばれた時、彼女は子供に会いに行くのを阻止し、
       愛人も不可思議な誘拐、そして殺害という事件があったとか。

       父親であるミラノ公フィリッポ・マリーアはかなり気まぐれな性格、
       その上に疑い深く、最後まで婿を信頼しきれなかった様子ですが、
       フィリッポ・マリーアが1447年に亡くなり、ミラノでも政治混乱に
       見舞われ、ヴェネツィア軍の侵攻などもあった後、

       1450年、遂にフランチェスコとビアンカはミラノに戻り
       ここにスフォルツァ家によるミラノ公国継承となります。


       お疲れ様でした!
       ちょっと一息ね。

       ベルナボの騎馬像のあった部屋の天井、フレスコ装飾をどうぞ
       素晴らしく優雅で繊細で・・、しばし感嘆致し眺めました。
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       ヴィスコンティと言うと、我らには映画監督のルキーノ・ヴィスコンティ
       Luchino Viscontiが即思い浮かびますね。
       リアリズムではあるものの、その美的感覚が一種独特で、
       とりわけ貴族社会を描いた物には重みがありましたよね。
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       「山猫」 「ヴェニスに死す」 「地獄に堕ちた勇者ども」 「若者のすべて」
       「夏の嵐」「ルードヴィッヒ」 「イノセント」等など。
       写真を探していて、美しき主演女優達の姿をあれこれ見つけ、
       とても懐かしかった。
       皆さまもしばしのお楽しみを!
       

       彼はミラノ大公の血筋ではありませんで、ご興味お有りの方は
       もう一度系図をご覧下さいね。

       1.オットーネ・Ottone の弟に、アンドレオット・Andreottoがいて、
       その息子にテバルド・Tebaldo.
       ミラノ領主はテバルドの息子マッテーオ1世に移っていくのですが、
       
       系図には載っていないマッテーオ1世の弟にウヴェルト・Uveruto(1280-1315)
       そしてその息子ヴェルチェッリーノ・Vercellino
       公爵ヴィスコンティ・ディ・モルドーネ・Mordone家の流れ、最初は侯爵だった様子、
       で、彼はこの直系にあたり、公爵ロナート・ディ・ポッツォ―ロ・
       Conte di Lonato Pozzolo、他にも爵位と肩書があれこれの方なのでした。



       さてもう一踏ん張り、ははは、
       スフォルツァ家もやっつけてしまいましょう!

       系図をどうぞ
d0097427_7503751.jpg
       
       1.ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティと結婚し、ミラノ公国を
         受け継いだフフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza.
         ミラノ公4代目

       2.長男のガレアッツォ・マリーア・Galeazzo Maria(1444–1476)
         ミラノ公5代目
         22歳で後継となりますが、その傲慢尊大で放埓な性格から母親と
         すぐに衝突、10年後謀反により暗殺されます。

       3.その息子ジャン・ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・
         Gian Galeazzo Maria(1469–1494) ミラノ公6代目
         
         父親が暗殺された後、1478年彼はたった9歳で母親ボーナ・ディ・サヴォイア
         の摂政の下に公爵位を継ぎ、1489年にイザベッラ・ダラゴーナ・
         Isabelle d'Aragona、ナポリ王アルフォンソ2世の娘と結婚。
         その後徐々に政治の職務から離れ娯楽、気晴らしに身をやつすようになり、
         
         叔父であるルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ・Ludovico Mariaというより、
         イル・モーロ・Il Moroの通称が有名な叔父に追い出され、
         最後は多分毒殺と・・。


      ◆ 途中ですが ◆
         文字数制限に引っ掛かり、それもかなりの数なので、
         思い切ってイル・モーロの部分で切りまして、
         その2の2として、アップいたします。

         その心算で無かったので、あと先が別になり、申し訳ありません!

      
     *****     

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by italiashiho2 | 2013-09-19 08:22 | ・ミラノとロンバルディア州 | Comments(0)
2013年 09月 12日

   ・・・ スフォルツェスコ城 その1 ・ ミラノ ・・・

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       皆さまこんにちは!
       秋晴れの良いお天気が続いている、北イタリアですが、
       皆さまもそれぞれの秋を、お楽しみの事と思います。

       さて今回から2回に渡り、ミラノのスフォルツェスコ城・Il castello Sforzescoのご案内
       と言いましても、私も確か3,4度訪問はしているのですが、
       即ご案内できるほどには知りませんで、宿題提出が滞っておりました。

       で、年明け早々に行った写真と首っ引きで突き合わせ、
       ヴィスコンティ家の事、城の名に残るスフォルツァ家の事も
       あれこれ必死に読み、図も集めました。

       という事で、現在はミラノ市の博物館となっているスフォルツァ城、
       ドゥオーモと並びミラノのシンボルとも言える
       あの壮大威容な城の一端をお楽しみ頂ける様に頑張りますので、
       よろしくお願い致しま~す!

       上はまず、雑誌から拝借の素晴らしい写真を。



       こちらはサイトから拝借の、上空からの写真で、
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       これもサイトから拝借なのですが、
       城を囲む建物群の様子を見て頂きたく。
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       城の後ろに広がるのは広大なセンピオーネ公園・Sempioneで、
       入り口正面から続く道は、真っ直ぐにドゥオーモ前に。

       年明けのミラノの街散歩、街中心の地図もここに。
       http://italiashio.exblog.jp/17570619

       ミラノのドゥオーモ
       http://italiashio.exblog.jp/17601733



       さて私の写真で、正面向かって左側
       手前に大きな噴水がありまして、
d0097427_1336890.jpg



       こちらが正面入り口のフィラレーテの塔・Firarete.
       そうなのです、ちょうど修復で全面覆われていまして残念!
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       私めの初のイタリア旅行、既に30年程前になりますが、きゃぁぁ!
       初の海外旅行、初のイタリアのそのまた初訪問がこの城だったのですが、
       その時のこの門、城の威容さに物凄いカルチャー・ショックを
       受けた事は、よお~く記憶しております。

       壁のあの厚み、高さは、まさに歴史の経緯とともに無言の迫力で迫り
       それと共に、内部の部屋のフレスコ画の装飾の素晴らしさ、
       教会の黄金背景の祭壇画ともどもに魅せられ、
       自分もテンペラ画を描くようになった、最初の対面でした。

       今も変わらずに存在する同じ壁を眺めながら、本当に懐かしかった!
       そんなこんなで時に感傷的な言葉が出ても、ご容赦願います。

       今回一緒に行きましたアンナリーザは、この城は始めてだそうで、
       こんなに覆われていても、その素晴らしさに感嘆しておりましたです、はい。
      
       因みにフィラレーテというのは、1452年の建築設計者の名で、
       この塔は一度1521年、当時駐屯していたフランス兵のドジで、
       武器庫に充てられていたここで爆発があったのだそう。
       1905年に修復され、現在見る姿にと。



       こちらは正面右手
       手前の草地はかっての堀の名残で、現在は野良猫ちゃんたちがたくさん!
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       最初の簡単な図をどうぞ
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       1.フィラレーテ門、城正面入り口 1452年建設
       2.5.トッリオーニ・Tprrioni 正面両脇の円柱形の塔
       6.ピアッツァ・デッレ・アルミ・Piazza delle Armi・武器、部隊広場
       7.ボーナ・ディ・サヴォイア塔・Torre Bona di Savoia
         これはガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・Galeazzo Maria Sforza
         の妻の名に由来するそう。
         夫ガレアッツォ・マリーアは、ヴィスコンティ家から
         ミラノ公位がスフォルツァ家に移った初代フランチェスコの息子で、
         彼女は大変な美人だったそうですが、1476年僅か8年の結婚生活で夫が暗殺され、
         その時彼女はまず円柱形のトッリオーネに逃れ、そこから続く
         城の中心に位置するこの塔に入った、のだと。
       8.奥のこの部分が、古くからの城の中心部、居住区だったと。
       9.こちら側が、ミラノ公宮廷部分

       
       所でこの城がスフォルツェスコ城・スフォルツァ家の城と呼ばれているのは、
       それ以前のミラノの領主、そしてミラノ公となったヴィスコンティ家・Visconti
       が、一旦1447年フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ・Filippo Mariaの死
       により途絶えます。

       強力な圧政独裁のヴィスコンティに反撥した地元の貴族などのグループが
       アウレーア・レプッブリカ・アンブロジアーナ・Aurea Repubblica Ambrosiana
       名乗り、城の一部を破壊。
       石は切り出されて借金の支払いに充てられたり市壁の修理用に使われたと。

       そしてヴィスコンティ家最後のフィリッポ・マリーアの庶出の娘、
       唯一の相続者であるビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria
       ミラノ公連隊の指揮官を務めていた傭兵隊長、ヴェネツィアに付きミラノに
       対抗した事もあったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza
       結婚し、共にミラノ公の称号をも受け継ぎ、

       14世期に建設されていた要塞、城を補強し、1450年大要塞を建築したのが
       現在見る姿、スフォルツェスコ城と呼ばれる所以というのですが、
       その後次々と増築され強力な要塞となり、当時のヨーロッパでも最高だったと。

       そしてスフォルツァ家が1535年に滅びた後は、スペイン、オーストリア、
       フランス等などの次々と大軍事要塞駐屯地となり、
       その後は半ば放置状態であったのを
       19世紀末から20世紀初頭に大改装し現在の姿に。
       ミラノ市の博物館、文化的行事の催事場という事で、
       当初の大要塞の姿の何分の一かの大きさなのだとか。

       
       今回私はこのブログの為にあれこれ読みましたが、
       正直最初はまるで頭に入りませんでした、はぁまぁ、これはいつもの事で!
       というのも、現在の博物館、無料で見れる部分だけでも大変な広さ、
       おまけにヴィスコンティ家と言い、スフォルツァ家と言い、
       その変遷を良く知らない上に、なんとまぁ、同じ様な名前が次々と出て来まして・・!

       そんなこんなを読み返しながらそろそろと整理し、漸くに纏まったので、
       多分これを読まれる皆さんも同じだろうと思い、ははは、
       そうで無い方も大勢おられるのは勿論承知しておりますですが、はい!
       という事で、
       全部を一度にざっと書かずその折々に、写真をご覧頂く順に連れ、
       読んで興味を持った事などを書かせて頂きますね。



       さて正面のフィラレーテ門を入ると、広大なピアツァ・デッレ・アルミ
       正面左手に見えるのが、ボーナ・ディ・サヴォイア塔で、
       中央が古くから残るジョーヴィア門・Porta Giovia
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       このジョーヴィア門を通り抜けて行くと、裏手に広がる広大な公園に
       抜ける城の裏門バルコ門・Porta del Barcoに行きます。

       ヴィスコンティ家が14世紀に元の要塞、城館を建設していた訳ですが、
       1360~70年にこのジョーヴィア門から繋がる街の城壁
       馬で走れる城壁、というのをご想像下さいね、を建設した、とあります。

       その後ヴィスコンティ家の最絶頂期を迎えたジャン・ガレアッツォ・Gian Galeazzo
       そしてその息子達ジョヴァンニ・マリーア、フィリッポ・マリーアの時代に
       城はもっと拡張されたと言います。

       現在見る様子の四角形で一辺の長さが200m、四隅に角の塔があり、
       街に向かった湾曲部の塔はとりわけ壮大な物で、
       周辺の壁は厚さ7m!


       ボーナ・ディ・サヴォイア塔のアップ
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       ボーナ・ディ・サヴォイア塔に続く壁、この威圧感!
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       高さもそうですが、この壁には窓が一つもありません
       この壁の向こうに内庭ロッケッタ・Rocchettaと呼ばれる中庭を
       囲んだ古くからの居住部分があり、勿論防御の為なのですね。
       
       

       こちらは西側を向いた所で、右に見える門はサント・スピリト門
       Porta di Santo Spirito.
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       正面入り口側に当たるこの棟部分は、現在図書館や学校部分に
       充てられているのですが、
       壁に見えるのはヴィスコンティ家の紋というよりも
       ミラノ市のシンボル、そして私にはアルファ・ロメーオで~す。
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       西のサント・スピリト門を出た所、見えるのはリヴェッリーノ・Rivellino
       と呼ばれる半月堡で、堀に突き出した形。
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       右の壁の奥に塔が見えますね。
       内側からだと高さが違わず余り塔には見えないのですが、
       これだと良く見えますね。

       カステッラーノ塔・Torre del Castellanoと言い、
       この1階部分は宝物の間・Sala del Tesoroと呼ばれ、
       ルドヴィーコ・イル・モーロが宝を納めていたのだそう!



       こんな図も見つけました。
       これだと良く、かっての様子を想像できますね。
       今は浅い草原になっている堀の外に、かってはもう一回り城壁が。
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       で、このかっての堀には、正面側もそうでしたが、
       こんな風に野良猫ちゃんがいっぱいいて
       折からの冬の西陽の温かさを満喫中!
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       サント・スピリト門の天井にあった、ヴィスコンティ家の紋
       イル・ビショーネ・大蛇・il Biscione
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       王冠を戴く大蛇が、肌の浅黒い男を飲み込んでいる姿ですが、
       ヴィスコンティ家は元々の大貴族ではありませんで、
       政治的な才覚を持ち合わせ、どしどし伸し上って来るとともに、
       当時一種の流行りであった神話的な源のお話と紋章が出来たと。



       さてアルミ広場に戻っての、東側の眺め
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       威圧的また機能的なとも言える素晴らしさ、を感じる壁
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       内庭ロッケッタに抜ける小さな門
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       所で左に見える青いポスター、ぺテルツァーノ・Peterzano
       読めますね。 実はまるで知らずに通り過ぎましたが、
       このぺテルツァーノというのは、かのカラヴァッジョの師匠なのだそうで、
  
       昨年一時カラヴァッジョのデッサンが数多く発見された、という
       ニュースが流れた事がありましたが、
       実はこの師匠のデッサンだったのだという、展覧会だったのだそう。

       詳細は「ヴェネツィア ときどき イタリア」のfumieveさんがこちらに。
       http://fumiemve.exblog.jp/17354356/


       小さな門を潜った内側から見上げる威圧の壁
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       こちらは北のバルコ門に
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       門から見るセンピオーネ公園の向こうの凱旋門
       まだクリスマス、お正月の休暇中で、大勢の人で賑わい・・。
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       ミラノ公宮廷の建物に囲まれた内庭、これは西向きの眺め。
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       素敵な柱頭がぽつんと。
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       という所で、おさらいを兼ねまして、ははは、
       各部分の名称と位置をもう一度
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       1.正面入り口フィラレーテ門
       2.西側にあるリヴェッリーノ・半月堡
       6.ピアッツァ・デッレ・アルミ、またはコルテ・マッジョーレ・大広場
       7.ボーナ・ディ・サヴォイア塔
       8.内庭ロッケッタ、ここにはCortile della Raccoltaとあります
      10.カステッラーノ塔、宝物の間
      11.ジョーヴィア門
      12.ミラノ公宮廷内庭
      13.象のポルティコ・ポーチ
      15.ガレアッツォ・マリーアのロッジャ
      16.アッセの間 レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたフレスコ画の間
         ファルコニエーラの塔・Falconiera
      17.ルドヴィーコ・イル・モーロの渡り廊下



       さて上の図にある13.象のポルティコがこれ、
       はい、動物たちと人物が描かれたポルティコの一郭。
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       ここは公的行事に使われていた場所だそうで、
       様々な動物たちが描かれていた様子なのですが、
       現在残るのはこの象と、


       ライオンの後ろ脚部分のみ、と
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       このポルティコの下にある、このちょっと不思議な雰囲気の像
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       このポルティコ部分は2度目の城訪問の時に見て大変気に入り記憶に残るもので、
       今回再会し、とても懐かしく嬉しかったのです。

       傍らにあった説明文を写したのを読みましたら、
       この部分は上から漆喰が掛けられていたのを20世紀初頭に
       発見されたのだそうで、
       ルドヴィーコ・イル・モーロの時代の記録に書かれているのが見つかったと。
       
       そして大変興味を引かれた一節は、
       最近の研究により、この作品にはバルダッサーレ・デステ・Baldassarre d'Este
       1461~1469年にかけ、このミラノの宮廷で働いていた、
       の手が入っている様子と。



       バルダッサーレ・デステという画家は暫く前に偶然知ったのですが
       こちらが彼を知るきっかけとなったその作品。
       可愛い少年像ですが、誰あらん、マントヴァ侯爵フランチェスコ2世
       8~14歳の間の肖像です。
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       マントヴァ侯爵フランチェスコ2世ゴンザーガ・Gonzaga(1466-1519)は、
       武勇に優れ、そう、妻はかのイザベッラ・デステ・Isabella d'Este.

       ちょっと横道にそれますが、バルダッサーレ・デステ、またはエステンセ・
       エステ家のバルダッサーレ(1441頃-1504)という名を持つ画家についてちょっぴり。

       生まれはレッジョ・Reggio・エミーリア・ロマーニャ州ですが、
       つまりフェッラーラ、エステ家のニコロ3世・Niccolò IIIの庶子であろうと。
       そうでないと特異的にフェッラーラのエステ家の宮廷画家となり、
       報酬を受けていた理由が見つからないと。

       絵の師はコスメ・トゥーラ・Cosimo Turaですが、並ぶ腕を持ち、
       肖像画を得意としていた様子で、
       エステ家のボルソ・Borsoのそっくりと言われる肖像画も残ります。

       横道にそれついでに、もう一つね。
       父親だろうと言われるニコロ3世は、まだエステ家初期の侯爵位、
       あちこちに女をつくって歩いた事でも有名なのですが、800人以上だって!ははは、
       それ以外に有名なのは、
       2度目の妻として迎えた若いパリジーナ・マラテスタ・Parisina Malatesta
       が、彼が最も愛した女という愛人との子、後継と決めていたウーゴ・Ugoと不義密通に。
       年の離れた夫よりもずっと年も近く、繊細な若い男ですものね、ははは。
       それが発覚し、二人とも斬首刑に、というお話。

       フェッラーラ・エステ家の城 その1と2
       http://italiashio.exblog.jp/10865175/
       http://italiashio.exblog.jp/10865096/



       という所で、現在スフォルツァ城に置かれたミラノ市博物館の内部に
       たくさんの部門に分かれ、絵画館、楽器、エジプト博物館等などは有料ですが、
       無料でもたくさんの展示物が見れ、
       その中にはレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたアッセの間や、
       ミケランジェロの最後の作品、ロンダニーニのピエタも含まれます。
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       博物館入り口はジョーヴィア門を潜った脇にあり、
       こんな感じに、収蔵品に溢れ・・。



     ***** 
       実はこの後も幾らかのご案内を、ちょうどヴィスコンティ家の変遷に
       ついても切りの良い所まで、と思って始めたのですが・・、
       いささか横道にそれたせいか、少し疲れました。

       という所で、今回のご案内は市博物館入り口まで、とし、
       2回分が3回になるかもしれませんが、ははは、
       ご寛容の心を持って、次回をまた楽しみにしてやって下さいませませ!



     *****     

       水彩ブログには、ベリー公のいとも豪華なる時梼書 模写 ・ もうちょっと
       アップいたしました。
       見てやって下さ~い!
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


       いつも有難うございます!  
     
       励まし応援クリックも、よろしくお願いいたしま~~す!

          

          

          
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by italiashiho2 | 2013-09-12 13:51 | ・ミラノとロンバルディア州 | Comments(2)
2013年 09月 05日

   ・・・ ピッコロ・サン・ベルナルド峠越え ・ ルイーザの写真で  追記 ・・・

       皆さま、こんにちは!
       漸くに日本語版PCのインターネット接続が復活し、
       やっとブログ更新が出来るようになりました。

       ご心配下さったり、ひひひ、またぁ?!という方、ははは、
       はい、今日午後睫毛の長~いハンサムなテクニコが来てくれ、
       まるで日本語が分かるかのように一人であれこれと試しながら、
       はぁまぁ、聞かれてもちゃんと答えられないイタリア語の領分ですので、
       優秀なテクニコに来て頂く様、店も選んでいる訳でして・・。

       まずは一件落着。
       ああ、日本語でブログ更新出来るというのは素晴らしい!

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       という事で、ブログ再開の最初は、
       ルイーザ・Luisaの写真で「アルプス越え」の、ピッコロ・サン・べルナルド峠越え、
       「小さなサン・ベルナール峠越え・Passo Piccolo San Bernardo 」を。

       ルイーザの娘さん夫婦がアルプスの向こう、フランスのブール・サン・モーリス
       ・Burg-Saint-Mauriceに住んでいる様子は既にご覧頂いていますが、
       この夏愛しの孫に会うために7月の末から2週間ほど出かけました。

       ブログ用にしっかりあれこれ撮って来るように!と念を押した写真の、
       整理して預かっている分から、興味をそそられた峠越えの様子です。

       雪のブール・サン・モーリスの様子
       http://italiashio.exblog.jp/18195794/


       
       まずは地図をどうぞ
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       イタリアから北ヨーロッパに向かう時に越えるアルプスの道は、
       一番有名なのが北西イタリア、ピエモンテ州のアオスタ・Aostaから
       スイスに抜けるサン・ベルナール峠
       地図にE27と赤で描きこんだ所で、モンブランの下の
       モンブラン・トンネルを抜けます。

       そしてもっと南のフレジュー・トンネル・Frejusを抜けアルプスを越え、
       いつもはルイーザ達はアルベールヴィル・Albertville経由で
       ブール・サン・モーリスに行く訳ですが、
       これだとかなり遠回りになるのだそう。

       で、今回ご覧頂く「プチ・サン・ベルナール峠」は、
       アオスタからE25を辿りMorgex・なんと発音?まで行き、
       La Thuileを目指し、ここはイタリア側最後の村でスキー場で有名なのだと。
   
       で、印をつけたイタリア・フランス国境が頂上にあり、峠越えで、
       そこから下り坂でブール・サン・モーリスに到着という訳。

       問題はこの峠が標高2188mの高さの為、
       6月15日から10月15日までのみ開通している、
       つまり冬季は積雪の為閉鎖されるのだそう。

       上り降りに約1時間程の行程で、峠から眺めるモンブラン・
       イタリア語ではモンテ・ビアンコの素晴らしい眺め
       楽しめるそう!
     


       プチ・サン・ベルナール峠の名に相応しく、
       山頂にはその聖人像がある様子。
       奥に小さく見える建物は、かってのオスピーツィ・Ospizi・宿泊、救護所
       それにしても、なんとまぁ、この青空!!
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       大サン・ベルナール峠にしろ、こちらのピッコロにしろ
       その名を謳われる聖ベルナルドという方は?と
       初めて調べてみました。

       サン・ベルナルド・ディ・メントーネ・di Mentone・メントーネ村
       またはアオスタの聖ベルナルド、と呼ばれる方の様子で、
       923-1008年という事ですが、
       生地、生没年も余り確かではないとの事。

       どちらの峠にもこの方の名が冠されているのは、
       2つのアルプス越えの一番の高所難所に、962年オスピーツィ・宿泊救護所を
       設けた事に由来する様子。

       峠を往き来する旅人や巡礼達が利用する場所、
       そして体調を崩したり、雪の中で迷った人々を救護の目的で、

       その為に山に適したサン・ベルナルド犬・セント・バーナード犬
       訓練され、遭難者の捜索救助にも当たったという、
       これはもう有名なお話ですよね。

       そして聖ベルナルドは山の民、アルピニストの守護聖人だと。



       という事で、最初の写真に続き、
       峠越えの山頂周辺のこの夏の様子
       野草の花が咲き乱れ、そして雪解け水の溜まった小さな池も見え、
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       こちらがそのサン・ベルナルドが開いたというオスピーツィ
       当初は勿論この大きさではなかったでしょうし、
       現在は一部にインフォメーションも入っている様子。
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       これは今夏、ルイーザ達が越えた時の山の様子ですが、
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       上の写真のちょっと手前側、これは昨年の6月に
       漸くに峠越えがオープンした後に通過した時の写真だそう。
       2188mの標識の向こうに見えるのがレナート・Renato、ルイーザの夫。
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       レナートは大きな白い車、シトロエンだったかな、での
       飛ばし屋なのですが、峠越しに縁があるのか、ははは、
       以前のレナートとサン・ボルド峠のお話は
       http://italiashio.exblog.jp/12800329/



       昨年の雪景色の峠の様子をどうぞ

       はい、看板犬を務めるサン・ベルナルド犬と、
       そして、6月の半ばというのに、如何にも寒そうな雪景色
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     ◆ お笑いの追記を ◆
       人命救助に携わるサン・ベルナルド犬は、首に気付け薬代わりの
       ブランデーの入った小樽を付けていますよね。
       で、この写真を見て思い出したお笑いの一コマ漫画。

       首に小樽をつけたサン・ベルナルド犬が向きあって心配そうに、
         XXが首になったんだって?
         うん、勤務中に飲んでいたのがばれたんだって・・。



       こちらはロープウェイで、雪で峠が閉ざされている間は、
       これを使って山に上れるのだそう。
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       道脇に残る雪、雪、雪!
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       こちらは昨年の写真にあった、雪解けの原に咲きだした高山植物
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       緑の見える、とはいえ、やはりアルプスの高山には雪が見えますが、
       今夏の峠越えの青空の見える写真でお終いに。
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     *****

       お休みが多くなっている当ブログですが、
       相変わらずのご愛顧ご訪問、本当に有難うございます!

       今回のインターネット普通の原因は、1週間前の大雨の時の雷が原因らしく、
       ちょうどの時にPCは消していたと思うのですが、
       ルーターのインターネットのスパイ・ランプが一時赤くなりました。

       で、その後アンティヴィールスの警告で、データーベースが破損した、と
       2日ほど不調でしたが一応の回復を。
       ですが、やはりそれが原因だったのか、同じルーターを使っている
       イタリア語版PCは接続ができ、日本語版の方はダメで、
       今回ワイアレス接続用のUSBを使用するようになりました。

       インターネットの接続OKは、やっと世間様に顔向けが出来る感じで、
       ははは、日本語でブログ更新いうのは、島流し状態からの脱出気分!


       
       所でお盆明けに送りだした、秋の個展用の絵と額が、
       なんと1週間から10日ほどで無事日本に到着致しました!
       凄い凄い、早いのに驚きました!!

       お盆明け、ヴァカンスで郵便局員まだ半休、滞りの荷物が山積みだろう、
       なんぞとかなり気にかかり早めに送り出したのですが、
       ははは、その気になれば出来るんやんかぁ!

       そしてそしてです、有難く嬉しい事に、
       届いた絵を見て下さった師の二木さん、画廊の橋田さんも
       絵を気に入って下さった様子で、
       それを聞いて本当に安心いたしました!!
       
       あと残るは2枚、頑張って詰めています。

       という事で、ではまた次回に。


     *****     

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by italiashiho2 | 2013-09-05 05:51 | ・トゥレンティーノ・アルトアディジェ州 | Comments(6)