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2014年 03月 30日

   ・・・ サント・ステーファノ聖堂 ・ ボローニャ ・・・

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       ボローニャのご案内が続いておりますが、
       今日は街の中心からほんの少し離れた所にある古い聖堂、
       「七つの教会・セッテ・キエーゼ」とも呼ばれる
       サント・ステーファノ聖堂
       ボローニャでも最古の教会群、のご案内です。

       とはいえ、抹香くさくはありませんで、ははは、
       中世独特の面白い柱頭、美しいモザイクの壁なども登場しますので、
       お気軽にお楽しみ頂けますように!

       細長い三角形に広がる聖堂前の広場は、こんなにも
       大都市の真ん中に近いのに長閑で、鄙びたイメージが漂い
       暖かい陽射しを楽しむ人々がたくさん。
       上の写真もその中の一カップルで、
       ・・この次のシーンは、残念ながらブレまして、ははは、素人!

       カップルの後ろの立て札に矢印が見えますね、


       こちらが同じポルティコで休んでいる人々なのですが、
       大きな美しい建物なので、何かある筈と調べましたら、
       イゾラーニ邸・2つが一緒になっているPalazzi Isolani と言い、
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       コルテ・イゾラーニ・Corte Isolani と呼ばれるずっと続く内庭、
       建物からもう一つ北の道にまで続く内庭・アーケードで有名なのだそう。
       店やバール、オフィスなどがずっと続く、
       古くてモダンなアーケードの様子。



       丸石舗装され、車が入ってこないこの広場は
       人間だけでなく、ワンちゃんもフリスビーで楽しんでおり・・。
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       中心部の地図をどうぞ
       左に固まるピアッツァ・マッジョーレのドゥオーモ、
       パラッツォ・コムナーレなど、
       そして右下14がサント・ステーファノ・聖ステーファノ聖堂
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       所でサント・ステーファノという聖人はどんな方?
       今更ですが、はは、遅くとも無いよりまし、というイタリアの諺あり、

       祭事を手助けし、他の言語を話す信者との融和を図るための
       助祭・執事として最初に選ばれた7人の一人。
       美しく才識溢れた方で、妬まれ訴えられ、
       逆にユダヤ教の非を論したために、西暦35,6年頃
       石打刑で、キリスト教徒として最初に殉教された方と。



       こちらは広場の右手、
       15世紀のボローニャの豊かな商人達の館が並び、
       広場に張り出すテラス席で、のんびりと楽しむ人々。
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       今回のボローニャの写真は、カメラのどこかを触ったらしく、
       途中から、室内の電灯下光線設定になっていた様で、・・ドジ!
       戻って必死で調整したのですが青っぽさが残り、空の色も緑に、
       という情けない事で、うぇ~ん、その辺りご容赦下さいませ。

       ということで、
       サント・ステーファノ聖堂正面の写真は、サイトから拝借。
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       ご覧のように、正面の大きな建物と左側にふたつ
       別の教会が見え、七つの教会と呼ばれると書きましたが、
       かっては実際に7つの教会があったとの事。
       が1880年、20世紀初頭の修復により、過度の増改築を
       取り除き、現在は4つの教会が纏まった建物群に。

       例により、写真のブログ名入りはshinkaiが撮った物、
       サインなしはサイトからの拝借です。



       こちらが正面左手に二つ並ぶ教会で、
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       右側が、サント・セポルクロ教会・Santo Sepolcro 
       5世紀建設。

       左側が、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会
       Santi Vitale e Agricola 4世紀のもの。



       正面の大きな教会クローチフィッソ・Crocifisso から入ります。
       内陣はご覧のように高くなっていて、
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       その下にはクリプタ・Cripta.
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       クリプタ・地下祭室、には一般に聖人の遺骨とか遺品が
       収められているのですが、
       フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂で
       クリプタで司祭さん達がグレゴーリオ聖歌を歌っている時に
       居合わせた事があり、これは音響効果もあり素晴らしかった記憶!

       サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/10764828/



       聖堂総体の中で一番大きなこの教会クローチフィッソ
       オリジナルは8世紀建設ですが、その後何度か改装されたと。

       内陣手前、左側の壁の上部で、
       この右下から、内庭に抜けます。
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       内部の様子が複雑なので、絵図と平面図をどうぞ
       Mondadori社出版のなかなか良いガイドブックなのですが、
       今回何度か読んでも見ても飲み込めず・・、
       漸くに、絵図の教会説明が2つ逆になっている事に気が付き!
       にゃろめぇ、訂正しました。
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       平面図の下側の1,2,3,が広場から見える正面で、
       1のクローチフィッソから入り、2のサント・セポルクロ
       行くのですが、この図では見えない狭い空間があり、
       一旦4のピラートの内庭・Cortile di Pilato に出て、

       再度2に入り直し、横に繋がる3の
       サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラに。

       そして4の内庭に抜け、6のベネデッティーノの回廊
       Chiostro benedettinoに、という見学。



       という行程に従い、はは、最初にshinkaiはチラッと、
       真面目な皆さんはガイドさんの説明をきちんと聞いていた、
       ピラートの内庭
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       ピラートというのは、ポンツィオ・ピラート・Ponzio Pilato,
       そうです、キリストに死刑を宣告したピラートで、
       ここの大きな教会の名がクローチフィッソ・十字架上のキリスト、
       十字架刑にされた、という意味ですので、それでお分かりかと。

       で、中庭に見える水盤はカティーノ・ディ・ピラート
       ピラートの水盤と呼ばれ、
       キリストに死刑判決を下した後に手を洗った、という故事にちなむ物!

       我々日本人は、ピラートの名前など
       ハリウッド映画の歴史物でしか接しませんが、ははは、
       イタリアでは、こんな風にごく日常感覚でね・・!



       元々この教会群は、ボローニャの初代司教でもあり街の守護聖人
       ドゥオーモにその名を冠されるサン・ペトローニオ・S.Petronio
       (生年は定かでなく、431-450司教在位)が、
       聖地ジェルサレムの聖墓地を模したものを此処に創りたく・・、
       と伝承されていると。。

       
       狭く暗く、全体はこのサイトからの写真で、
       2のサント・セポルクロ教会内部をどうぞ。
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       外側は隣と接した変形の8角形で、
       周囲と離れて真ん中に、レンガの円柱12本による
       12角形のクーポラを造り、その中央に説教壇。


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       説教壇の下に、明かりの付いた窓が見えますね。
       あの下にサン・ペトローニオの石棺が安置されていたのが
       1141年に発見されたのだそう。
       ですが2000年にドゥオーモの方に移され、ちょっと凄いのは、
       それまでドゥオーモには聖人の頭部のみがあったのだとか!
       諸聖人の聖遺物については、あれこれ信じられない様な物、
       逸話があるのですが、それはさておき・・、

       このサント・セポルクロ教会の中は中世の面影を濃く宿し
       素朴で静謐な空気が溢れておりました。

       周囲から離れた形で中央の説教壇があるのは、
       かって巡礼者たちが周囲を回りながら祈った名残の形ですが、

       古くには、這いながら埋葬所の中に入り祈ったり、
       古い伝統では、ボローニャの妊娠中の女性達は、
       この周囲を33回、1回毎に埋葬所の中に入り祈ると、
       良い出産を迎えると言い伝えられていた、などとも。

       
       古い歴史を持つトスカーナの、サンタンティモ修道院のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/9940755/



       これは外側に1本離れて立っていた円柱なのですが、
       ガイドさんの説明を聞いておりませんで・・!
       ただ円柱の石がアフリカ産であるとか。
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       キリストが鞭打ちされた際の円柱の象徴とされ、
       ここに参拝する度に200年の贖宥を保障されたと!
       これも往時の信仰を物語ますね。

       

       ちょっと一息入れて、中庭の様子をどうぞ。

       今回まさに、おお!!と嘆息がもれたピラートの中庭
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       レンガの赤い壁に、小さい石をはめ込んだモザイク、
       白~グレイ、時に少し濃い色もあり、
       そのチマチマと細かい模様にしびれました!

       こういう素朴で繊細豪華というのは中世装飾のみが持ち、
       後世の豪華絢爛さとはまるで違い、心休まる趣を感じます。
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       以前この教会には来た事があったのに
       この中庭の美しさはまるで頭に残っておりませんで、
       漸くに、あれこれ落ち着いて見れる眼が付いてきたのか、と
       それも嬉しく思ったことでした。

       真ん中に見えるピラートの水盤は、石灰岩で8世紀の
       もので、ロンゴバルドの碑文が刻まれているそう。
       
   
       脇の入り口から、隣3の
       サンティ・ヴィターレ・エ・アグリーコラ教会に
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       ここはこの教会群の中でも一番古い4世紀のもの。
       隣のサント・セポルクロ同様に、元のイシス神信仰の崇拝跡
       の上に建てられた物だそう。
       イシス・Isisって、エジプトで見たあのイシスかと驚いたのですが、
       そうなのです、あのエジプト神話の女神イシスなのですね。

       イシス信仰はローマ期にイタリアにも、ローマ帝国全域に広がり、
       処女のままホルス神を身ごもったとされる事から、
       キリスト教の普及とともにマリア信仰に変わった、と。


       教会の名に冠される、ボローニャの最初の殉教者とされる2人ですが、
       ヴィターレが召使で、アグリーコラがその主人(男性)、
       305年頃の迫害により、ヴィターレが主人の目の前で見せしめに、
       次々に痛め付けの刑で処刑され、それにもアグリーコラが屈せず
       十字架刑にされたのだと・・!


       3廊式の翼廊なしで、いかにも古いレンガ積みですが、
       小さい窓に嵌めこまれているのは、大理石アラバスターの薄板。
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       主祭壇の両脇、左にヴィターレの石棺、ライオンと孔雀の浮き彫り、
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       右側にアグリーコラの石棺、鹿とライオン、がありますが、
       これはどちらも空っぽ!
       というのも、393年にミラノ司教アンブロージョが、
       ミラノに持ち去っているからでして、はい。

       そして大変興味深い逸話も残ります

       15世紀の初め、初期キリスト教徒の石棺「Symon」と刻まれた
       のが発見され、大騒ぎになったのだと。
       と言うのも、Symon・サイモンという名は、よくある名ではあっても
       ヴァティカンに眠るサン・ピエトロの元の名と同じで
       ひょっとして彼のお墓ではないかと、ローマ巡礼の半分が
       こちらボローニャに押しかける騒ぎとなり、ははは、

       時の教皇エウジェニオ4世・Eugenio IV 在位1431-1447
       が激怒し、教会を露出させた後、屋根を剥がしたのかな、
       土をかけて埋め、そのまま70年ほども!
       後にジュリアーノ・デッレ・ローヴェレ大司教のとりなしで、
       漸くに蘇ったのだそう。



       ここに残る柱頭にはいろいろな形があり
       手前も知りませんが、奥に見える形がここにはたくさんあり、
       なんというものか、どなたかご教授願います!
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       こちらはイオニア式?
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       そしてピラートの内庭の奥に位置する、平面図5にある
       世界最古のプレゼーピオと言われる木彫像「マギの礼拝」
       イチイと楡の木だそうで、13世紀末の作品と。
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       最初は木地のままだったのが、1370年に彩色されたのだそう。



       さて6のベネデッティーノの回廊に

       この教会群は、8世紀にロンゴバルド族がやって来た時、
       彼らの宗教の中心地となったようですが、
       その後放置されていたのを、10世紀の末に
       ベネデット派が修復改修したのだそう。
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       上は中庭側から見るクロチフィッソ教会と鐘楼で、
       この鐘楼も10世紀のもので、
       回廊の1階部分は10~11世紀のもので、
       2階部分は13世紀のもの。



       回廊の真ん中に井戸があり、
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       2階の円柱、柱頭飾りを写していて、あれ?!!
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       そう、これ!! ははは。
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       shinkaiはてっきり女だと思ったのですが、
       男なんだそうで、背中に顔が回り、お尻のanaもね、ははは。



       他にも、こんな面白い様々があり、
       こういうのが中世美術の楽しいところ!
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       中庭の鉢植えの水やりに、如雨露を持った修道僧と共に
       この猫ちゃんもやって来て、
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       ジュリアーナが、なんと言う名かと訊ねると、


       ははは、クレオパトラちゃん!!
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       男だけの修道院、しかもこんな柱頭飾りに囲まれた修道院に
       唯一の女性クレオパトラ、命名の妙に笑えます! ははは。



       という所で、今回の最後を〆まして、
       サイトから拝借の写真で、夜の広場と教会を
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       上のがピンぼけですよって、ははは、借り物に文句を言う、
       ファンタスティックな夜のボローニャを!
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     *****

       水彩ブログには、忘れられた自転車・アーゾロ ・ 描き始め
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by italiashiho2 | 2014-03-30 00:58 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(18)
2014年 03月 25日

   ・・・ 美食の街 ボローニャ ・ 旨い物探訪 ・・・

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       今日は暫くぶりに食物の写真をどっさり!!
       という事でお楽しみくださいね。

       先回の最後にちょっと出た、「古い魚市場通り」に並ぶ
       いかにも新鮮で美味しそうな食品店を見て頂こうと思いますが、
       上はまず綺麗に始めようと、ははは、お花屋さんを。


       そして、モダンで大きな本屋さんも
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       店先にちょこっと出ていた売り出し品、
       2014年度の煎じ茶・ティザーネ
       目が止まったのは手前右端の、生姜の砂糖煮、これ美味しいの!
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       煎じ薬、とまではいかず、スーパーにもティーバッグ式に色々
       消化に効く、よく眠れる、脂肪分を取る、などなどありますが、
       最近私のお気に入りは、ヴェントゥレ・ピアット・Ventre Piatto・
       お腹ぺったこ、なんですけどぉ、・・効かないなぁ・・!



       パルミッジャーノ・チーズと、ボローニャ名物トルテッリーニ!
       手前真ん中には、出来合いのラザーニャが見えますね。
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       そして冷凍ケースの上に見えるのは、


       ほらね、ベーコン・パンチェッタとラルド(白い塊)
       そして天井から盛大に下がる生ハム類
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       カルチョッフィ・アーティチョーク類とグリーン・ピース
       後ろに見える赤いのは、美味しい冬野菜ラディッキオ
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       この美しい赤紫色したタマネギ、我が町では見ないので、
       ちょっと興奮して、お、美味しそう!!と。
       カラーブリア産、と書いてあったので、やはり南からですね。
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       さて魚屋さん。 ここの店はそう大きくなかったのですが、
       手前左の貝、これはアサリにしたら大きい気がしますが、
       イタリアでは貝類はこんな緑の網に入って
       売られているのを、見て頂こうと。
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       小鰯もありますです。
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       こちらはかなり種類豊富なお店で、
       ね、知っている魚がいるでしょう?
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       魚のフライに、紙包み焼きのオラータ・チヌ
       鶏のグリルも一緒に、ね、ははは。
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       冷凍ケースには生肉類、そしてチーズ、ハム類
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       パルミッジャーノの大きな塊
       小さな塊に割り、白ワインのお供にもいけます!
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       後ろに並ぶボローニャ名物モルタデッラ・Mortadella
       ハムの中にほら白い豚の脂が散っているのが見えるでしょう?
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       そして仲間も思わず笑った、
       フェルメールの「真珠の耳飾の少女」が、
       「真珠のトルテッリーニの少女」に変身!



       手前にはハム類にベーコン、チーズ
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       ボローニャ名物トルテッリーニ・Tortellini 各種
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       トルテッリーニは中に詰め物をしたパスタで、
       一番良く食べられる方法は汁に浮かす方法で、
       他にも色々、どう料理しても美味しいのですって!

       上に見える Un anticipo di primavera! は、
       春の先取り!とでも。



       さて、食後のケーキ類
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       今回右に見えるTorta di riso・お米のトルタは、
       見たのも初めてなのですが、ボローニャのスペシャルとあり、
       どんなのか調べてみないと・・。



       いかが、可愛いでしょう?! 
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       さて今回の我らの昼食は、漸くに午前の見学から開放され、
       次のフェルメール展の予約時間までが差し迫って、
       たったの1時間!という事になり、

       街の中心部にはたくさん食べれる場所があるとはいえ、
       さっと簡単に、仲間が一緒、となるとこれがなかなか難しく、
       遂に後45分だけだよ、と見つけたスナック店で・・、

       簡単に、と仲間が頼んだブルスケッタ・パンを焼いた上にトマトや
       色々並べたものなのですが、

       なんと出てきたのがこれ! おやつにもならないよね!!
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       一人はピッツァを頼み、後で一切れ貰ったら、美味しかった! 
       余りにもありふれていて、ピッツァぁ?!と馬鹿にするのですけど、
       ですがいつ食べても、美味しいのですよねぇ、ははは。
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       こちらはニョッキ・ジャガイモのお団子、これはトマトソース。
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       そしてshinkaiのはこれ!
       ショート・パスタのソースは、モッツァレッラ・チーズとジャガイモ入り!
       お腹いっぱいになり、ははは、・・飢えたshinnkai用でしたぁ!!
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       ブルスケッタを頼んだ連中は、やはり不足でデザートも、ははは。
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       しっかり食べるルイーザは、ジェラートも!
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       という様な、食の都にはあるまじきお昼ご飯でしたので、
       サイトから探してきた写真で、
       美食の街ボローニャの、有名な品々をご覧頂きますね。

       まずはモルタデッラ、白い脂身が見えるでしょう?
       驚くほど太い、30cmほどのもあるのですよ!
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       で、ボローニャのシンプルなサンドウィッチとなると・・!
       ははは。
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       スパゲッティ・アル・ラグー・ミート・ソースのスパゲッティは、
       スパゲッティ・ボロニェーゼ・ボローニャ風スパゲッティとも
       呼ばれますが、

       この大盛りは如何?! ははは。
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       ミート・ソースはショート・パスタにもいけるし
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       そう、ラザーニャにも美味しい!
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       そして、トルテッリーニ!
       普通はこんな風にスープに浮かし、
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       このトルテッリーニは、中に生ハムが入っているそうで、
       春らしくグリーン・ピースのソースで。
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       一般にトルテッリーニと呼ぶのは、中に牛肉、豚ロース、
       モルタデッラ、パルミッジャーノなどを一緒にミキサーしたのが
       入っているそうですが、
       鶏肉を入れたり、生ハムを入れたり、様々なバリエーションが出来、
       時にカボチャが入ったりで、これは甘くてとても美味しく、
       マントヴァの名物でもあります。



       今回見つけた内で、shinkaiが食べたいぃぃぃ!のはこれ、
       オマール入りのスパゲッティ!!
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       死ぬまでに一度喰えるかな?! ぎゃはは。




     *****

       水彩ブログは、アッシジの夕暮れ と 新しいのを描き始め中で、
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by italiashiho2 | 2014-03-25 02:29 | ・旨いもの! | Comments(9)
2014年 03月 21日

   ・・・ ボローニャ・チェントロ ご案内 ・ その1 ・・・

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       快晴の水曜、ボローニャにグループで出かけて来ました。
       ちょうど開催中のフェルメール展と、街の中心部訪問だったのですが、
       大急ぎで写真を整理し、
       いずれにしても1回では到底無理ということで、ははは、
       街の中心部のご案内ちょっぴり、その1 という事で纏めました。

       ご一緒に散歩のおつもりで、
       この古くからの歴史を持つ、重厚な大都市の様子をどうぞ!

       上の写真は高速から降り、街に差しかかり、
       高層アパートに、わぁお~!という所、ははは。


       鉄道駅のすぐ近くの高架を渡り
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       駅前も通ったのですが、写真撮りそびれ・・!


       街の中心部の西にある、サン・フランチェスコ教会の後ろ
       バスが止まり、ガイドさんが乗り込み、
       と同時に若いお兄ちゃん2人が皆にイヤホーンを配って回る、
       という手際のよさ!

       そしてお昼過ぎにドゥオーモ見学を終え出てきましたら、
       この2人がちゃんと待っていて回収するという、
       大都会だなぁ! こういうレンタルがあるんだなぁ!と
       大いに感心した田舎者でしたぁ。



       ガイドさんが、もう30分早く到着したら、
       サン・フランチェスコ教会の中を見て貰うつもりだったけど、
       ミサが始まってしまって、と、街の説明をあれこれと。
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       我らのバスは高速を降り街に入るところで停滞し、
       待ち合わせに遅れたのでしたが、
       


       そんな説明を聞いている間にも、後ろに到着したバスから
       小学生の遠足グループも次々降りて来ます。
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       同じ我が町からも、同日に他のグループのボローニャ見物があり、
       はは、帰りのバス待ちでかち合ったりもし!



       ボローニャ・Bologna はイタリアの南北東西を結ぶ
       重要な交通要所に位置し
       北のパドヴァから、ボローニャ、フィレンツェを通りローマに、
       東のリミニからは、ボローニャ、パルマ、ピアチェンツァを
       通りミラノにという位置。
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       我が町コネリアーノからは199k、1時間56分と出ましたが、
       行きは途中休憩もあり、まぁ3時間、
       が戻りはあっという間の2時間少々で。

       フィレンツェ方面には、ここボローニャからアッペンニン山脈越えで、
       今年は5月と9月、2度の予定・・、うむぅ!

       アッペンニン越え
       http://italiashio.exblog.jp/15665678/
       


       街のほんの中心部の地図をどうぞ
       12.サン・フランチェスコ教会前から東に、
          ポルタ・ノーヴァをくぐり、まっすぐ進むと
       街の中心広場ピアッツァ・マッジョーレ・Piazza Maggiore
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       西側を占める大きな建物がパラッツォ・コムナーレ・Palazzo Comunale
       1.ドゥオーモ・サン・ペトローニオ・San Petronio
       2.パラッツォ・デイ・ノタイ・Palazzo dei Notai・公証人の建物
       3.ネプチューンの泉・Fontana del Nettuno
       4.エンツォ王の館・Palazzo di Re Enzo
       5.ポデスタ宮・Palazzo del Podestà
       
       6.サン・ピエトロ教会・Chiesa di San Pietro
       7.2つの塔、高い方が、アジネッリの塔・Torre degli Asinelli
       
       14.この先に、サント・ステーファノ・Santo Stefano
          古い教会2つが重なる素晴らしいもの、別にご案内を。
       13.この図では分かりませんが、広場の東を占める長い建物、
          8の婦人像の図の下に、サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ教会

       15.今回のフェルメール展の会場パラッツォ・ファーヴァ

       ボローニャのご案内は以前に2度。そちらもどうぞ。
       http://italiashio.exblog.jp/4275811/
       http://italiashio.exblog.jp/5383444/


       さて街の中心に向かい、12のサン・フランチェスコ教会前から
       道を渡り、この威圧感あるポルタ・ノーヴァをくぐります。
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       上の地図ではヌオーヴァと書いてありますが、ノーヴァ・Novaの様で、
       なに意味は同じ、新しい門、です。
       新しいとはいえ、ボローニャの街を囲む城壁が、それ以前の古いのを
       取り壊して造られたのが10世紀頃。
       それ以後も街が大きくなり、12世紀~16世紀にかけても
       新しい城壁が造られていった様で、これはその新しい門。



       高い門をくぐった所で遊んでいたのは、この白いワンちゃん、
       門のすぐ内にあるお店の子で、名前はガイア。
       が、可愛い美人のお姉さんの方にピントが行ってますねぇ、
       ははは。
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       門の内側から
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       ボローニャの街は、37kにも及ぶポルティチ・Portici・アーケードの複、
       でも有名なのですが、狭いながらもこの道にもちゃんと続き、
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       足元はこんな嵌め込みの石模様
       ずっと以前はきっと道は地道だった筈ですから、ポルティチが続くと
       雨の日にも心配ないという、昔からの都会生活だったのですねぇ。
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       今回は久しぶりに男性のガイドさんでありまして、
       歯切れよく、説明の巧い優秀な方でした。
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       ですが、脚が長いからか歩くのが早く、我々写真を撮り撮りの
       数人は何時も後から必死で追いかける有様で・・!
       イヤホーンをつけているので、それを聞きつつどの方向かと追いかけ、
       ははは、おかげで今回はかなり疲れましたぁ!



       途中から左手に見えるコムナーレ宮の建物ですが、
       ね、まるで要塞でしょう?
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       13~16世紀の3つの建物が一緒になっているのだそうで、
       かっての権力の象徴。



       左手にずっとコムナーレ宮の壁が続き、行く手に見えてくる塔、
       コムナーレ宮のマッジョーレ広場に面しての角にある
       アックルシの塔・Torre degli Accursi.
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       前方を睨みながら、せっせと歩きます!
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       漸くに右手に小さな広場が開け、彫像とベンチがあちこちに置かれ、
       ちょっとした市民の憩いの場。
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       そして抜けて出るピアッツァ・マッジョーレ
       写真は様子が分かりやすいかと、反対側からのもので、
       正面の長い建物コムナーレ宮は、右手にもっと続く長さ。
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       現在はボローニャ市役所が入り、その他に市の美術館、
       白い静謐な静物画で有名なジョルジョ・モランディ・Giorgio Morandi
       の博物館もあり、彼はボローニャ生まれなのですね、
       3階には一連のフレスコ画で装飾されたファルネーゼの広間・
       Sala Farneseの部屋もあるそうで、
       ・・やはりもう一度しっかり出直さないと見切れません!!



       では順繰りに時計回りで、ははは、広場を囲む建物のご案内を

       コムナーレ宮の角の塔の最上部
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       そしてその下部、この塔は1444年、公共の時計を設置する為
       高くされた部分なのだと。
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       こんな感じでコムナーレ宮の正面が続き
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       1478年に設置された聖母子像、テラコッタ製だそう。
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       16世紀の中央入り口の上に居られるのは、
       第226代教皇グレゴーリオ13世・Gregorio XIII
       (1502-在位1572-1585)ボローニャのブオンコンパーニ家出身。
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       グレゴリウス暦の採用でよく知られる教皇ですが、
       天正の4少年使節がこの教皇の最晩年に謁見を賜った事でも
       日本人には記憶に残ります。

       それにしてもその下の紋かな、半ば崩れかけ、
       それを2色のテープで結わえているのですけど、
       いっそのこと、赤白緑の3色にすれば良いのにね、ははは。



       コムナーレ宮の東に、サーラ・ボルサ・Sala Borsa という
       建物があり、元の証券取引所だと思いますが、
       2001年から情報収集交換図書館とでもいうのか、
       Biblioteca-Mediateca として改装発足したのだそう。
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       床にはガラスが張られ、下のローマ期、中世、ルネッサンス期と
       層をなす考古学発掘が見え、
       100台を越すPCが備えられたイタリアで一番大きな部屋の一つ、
       そして大きな特徴は、子供と身体障害者へのサーヴィス提供なのだと。

       38万人を超す市民の街、ヨーロッパ最古の大学が開かれた街
       美食でも有名、そして都市生活を楽しめるイタリア一の街としても
       時に名が挙がるこの大都市は、確かに一歩先を行く姿勢を示していますね。

       建物の前に掲げられるたくさんの顔写真の碑は
       第2次大戦でのレジスタンスに身を投じ亡くなった若者達に
       捧げられたもの。



       さてコムナーレ宮と、奥の広場の間にあるのがネプチューンの泉で、
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       サーラ・ボルサの前に向き合って、右手奥に
       13世紀のエンツォ王の館、上に飾りがついている建物ですが、
       館というよりは王の牢だったのですね。
       重なって見える塔は奥の教会のもの、ややこしくすみません。

       サルデーニャ王エンツォ(1220-1272)は、
       神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の息子。
       グエルフとギベリンのモデナ近くで戦いの際、ボローニャの捕虜となり、
       この建物内で23年間を、亡くなるまで過ごしたのだと!

       勿論父王は身代金の支払いを申し込むもののボローニャ側は応じず、
       昼はかなりの自由が認められたものの夜は吊るされた籠の中とか、
       23年間の間に3人の子をもうけたとか、
       上に名が出たボローニャの名家ブオンコンパーニの祖は、彼の子とか・・、
       何か中世のお伽噺のような、伝説のようなお話があれこれ・・!
       そんなこんなも追々お話いたしますね。

       中庭を挟んで、手前角が見えるのがポデスタ宮



       というところで、ネプチューンの泉のアップを。
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       今回見ましたら、下の四隅を囲む女性像の乳房からは
       水が出ておりませんで、あちこちからささやかに泉が流れ・・。

       ちょっとした待ち合わせ場所というのか、
       泉の周囲はいつも人で賑わい、全体の姿を撮るのは難しく! 



       こちらは手前角にあった泉。 
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       ポデスタ宮の全景を。
       塔は、13世紀建設のアレンゴの塔・Torre dell'Arengo.
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       ポデスタ宮の建設は13世紀、街でも一番古い時代のものですが、
       

       正面はルネッサンス期に改装されたのだそうで、優雅。
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       が、そばで見るとかなり磨り減っているというのか、
       使っている石が少し脆そうな石にも見えましたが、   
       現在修復中でした。

       エンツォ王の館と呼ばれているのも、ポデスタ宮が手狭になり、
       増築をした所で王の捕虜問題が出来、結局建物完成3年後から
       いわばエンツォ王の金の牢となった、と読みました。



       こちらは広場の南側を占めるバンキ邸・Palazzo dei Banchi
       と呼ばれるもの。
       バンキ(バンコ・銀行の複)から想像できるように、
       かってこのアーチの下に両替商が店を持っていたのだそう。
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       現在はこういう風に一体の長い建物に見えますが、
       これは16世紀半ばに、個々の建物の正面を揃えたのだそうで、
       確かに街の写真を見ていて、後ろ側は別々な建物なのを
       不思議に思っていたのでした。

       見える後ろの塔は、


       左奥の細いのが、街の中心部に2本残る細い塔の一本、
       アジネッリの塔で、ここには昔上った事があり!
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       右側の大きな丸屋根は、すぐ近くの教会
       サンタ・マリーア・デッラ・ヴィータ・S.M della Vitaの物。



       ということで広場の西を占めるドゥオーモ
       サン・ペトローニオ・San Petronioなのですがぁぁ、
       はい、ご覧のように正面下部殆どが修復で覆われており・・!
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       入り口もこんな感じ!
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       ローマ、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂よりも大きなのを!
       という、かってのボローニャ市民の意気を示すこの大聖堂なのですが、
       現在は内部は写真禁止。
       ですが、大変素晴らしい日時計なども見ましたので、
       あちこちから写真をかき集めてでも、ははは、ご案内いたしますね。



       ドゥオーモの横、マッジョーレ広場の北西の角を占める
       ノタイオ宮・Palazzo dei Notai・公証人の建物、
       一人の公証人ではなく、公証人達の組合使用と。
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       元の8世紀からのを14世紀に建替えたものの様で、
       1908年に修復されたと、建物の真ん中に見える紋に。
       インキ壷に差し込まれた羽ペン、公証人を現します。
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       朝のうちは見学の小学生の団体が目についた広場も
       徐々に人が集まり始め、
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       これはネプチューンの噴水前のパフォーマンスなのですが、
       ・・嬉しそうに見るのは、はは、一人だけ。
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       修復中のポデスタ宮のポルティコの下
       柱の飾りが優雅でしょう?
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       サン・ペトローニオ聖堂の正面を。
       左角は既に洗われて見えていますが、
       この様子ではまだまだ数年かかりそうですねぇ!
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       正面を修復中の足場の二人、どうやら女性の様子。
       外の高い現場でのお仕事、大変です!
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       南側のポルティコの下を抜け
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       南に抜ける細い小路、古い魚市場通りを。
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       この小路に素晴らしい食料品店が並び・・!!
       ほらね、
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       という所で出し惜しみをして、ははは、
       次回のお楽しみに!!



     *****

     ◆ 展覧会のお知らせ ◆

       リンクさせて頂いてる andante-desse の frescoさん
       永見隆義さんが大阪心斎橋のギャラリーで
       陶器のお友達と二人展を開かれます。
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       諏訪での私の個展に奥様ともどもお出かけ下さり、
       その洒脱で暖かいお人柄にも接しましたが、
       まさにその感じそのものの、
       ほんわりと暖かく軽やかな作品が展示される事と思います。

       お近くの方、どうぞお出かけ下さいますよう
       ご案内申し上げます。 

  
     *****

       水彩ブログには、アッシジの夕暮れ ・ 進み具合
       アップしております。
       見てやってくださ~い!       
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by italiashiho2 | 2014-03-21 17:01 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(9)
2014年 03月 16日

   ・・・ ベネットン ・ ファブリカ・Fabrica 見学 その1 ・・・

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       この水曜の午後、仲間と一緒にベネットンのファブリカ
       コムニケーション・リサーチ・センターの見学に行ってきました。

       このチャンスは、先回のアーゾロ、ポッサーニョ行きでご案内したお二人、
       現在このファブリカで働き学んでいる若者達の内の一人の日本人、
       山本龍さんとのご縁によるものでした。

       正直言いまして、その内容が良く掴めないままで出かけまして、
        建物はかの有名な設計家安藤忠雄氏の手によるもので、
        世界中から若者を集め、働きながら学ばせている・・
       言葉では分かるものの、実態が飲み込めないままに
       出かけたと言うのが正直な所だったのですが、

       報道係りの方から説明を受けつつ内部を見て歩き、
       光溢れる素晴らしい建物の中で、若者に提供されているもの
       ベネットンが持つ財力と、その大きな影響力を惜しみなく使っての
       ファブリカの活動。
       それらを徐々に感じ取りつつ、私の内に浮かび上がってきた言葉は、

       日本の若者達よ、大志を抱け!
       今ここで提供されているものを、しっかり受け掴み取り
       日本で、世界で、活躍できる下地にせよ!

       でした。
       
       こんなに幅広く大きく提供される1年間は、他に類を見ない
       でしょうと思います。

       で案内してくれた報道のバルバラさんにも、
       安藤さんの建築の素晴らしさもさることながら、
       私はこういう見地でブログに書きます、とお伝えしました。

       これを上手く、ここでお伝えできますように!!

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       上の2枚の写真は、上がまず敷地内に入った所からの眺めで、
       見えるのはこれだけなのですね。
       正面に2つの建物と、左の奥に何か平べったいものがちらと。

       広い空が、土地が広がる、この開放感!



       まず、ファブリカと呼ばれる建物、施設、ベネットン・グループの
       一会社はどこにあるか、地図をどうぞ
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       トゥレヴィーゾから北に電車だと1駅間の距離、
       カテーナ・ディ・ヴィッロルバ・Catena di Villorbaという所。
    
       左の黄色い線が県道、まっすぐ伸びるグレーの線がヴェネツィアに
       行く鉄道線、右のオレンジ色が高速。
       ですから、電車でヴェネツィアに行く時戻る時、すぐ横を通るので
       何時も生垣の隙間から見える円柱の並びと、プールを見ていたのですが、
       漸くに内部見学を、という事でした。

       F A B R I C A
       Via Ferrarezza
       31020 Catena di Villorba TV, Italy
       +39 324 6922774
       http://www.fabrica.it




       当日は我ら総勢7名、車2台に分乗し出かけましたが、

       バルバラさんに案内され、正面の建物の間を抜け
       見えたこの眺めに、いっせいに皆の口から歓声が漏れました!
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       素晴らしいお天気、青空の下に広がるこの見事さ!
       水に映る光と影の鮮やかさ!

       そして、何時も電車から眺めてプールかと思っていたのは、
       10cm程の深さの水で、その下には荒めの砂が敷き詰められ、
       しかも石庭の様に、筋目が付けられているのですね。



       敷地の入り口から見えた右の小さい方の建物が、
       ヴィッラ・パステーガ・Villa Pastegaと呼ばれる、
       かっての貴族の住居で、

       こちら正面の1階部分がかっての厩舎、2階は使用人達の住居
       右下に見える開口部が、こちら側からの入り口。
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       左側の大きなのがバルケッサと呼ばれる納屋で、
       一階部分には、運河を通りここまでやって来た船が
       停泊出来るようになっていたのだそう。

       ファブリカの設立は1994年、当初はこちらの2つの建物を
       使っていたのが、徐々に人数も増え手狭になり、
       97年頃から安藤氏に依頼し増改築を始め
       2000年に新しくオープン。

       「ファブリカ」という言葉自体が固有名詞なのですね。
       普通ファッブリカ・Fabbrica というと工場を指しますが、
       bを一つのファブリカ、になっています。

       ファブリカ・コムニケーションのリサーチ・センター
       何をどういう形で伝えるか、という事かと、
       私なりに考えたのですが、これで良いのかな・・?



       円柱に沿って歩き、入り口から振り返っての眺め
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       落ち葉の季節もあるでしょうし、これだけ見事に水場を保つのは
       大変だろうね、と言うのが我ら主婦経験者の感想でしたが、ははは、
       たまに何かのチャンスがあったりすると、
       学生達が入り込んだりもするんだそう!



       入り口を入った所
       木の床が広がり、見える作品はトルコの女性作家による「運命」
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       横長に、右下から左上に赤ちゃんの浮遊が流れ
       次第に抽象化した形になって行きます。
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       戦争で亡くなった母親と赤ちゃんを見てインスピレーションを
       受けた作家の語りは、こんな世の中から逃げ出し、
       母親の胎内に戻る赤ちゃん、なのだそう。

       ヴェネツィアのビエンナーレでこの作品を見た
       ルチャーノ・ベネットンが強い印象を受け、ここに、と。



       入り口から、池の方を振り返り・・
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       写真でご覧頂いた池と、円柱の列を挟んでも一つ池がありますが、
       へへへ、まるで気づかずに通りましたshinkai!



       こちらがベネットンを起業した前社長であり、ファブリカを起こした
       ルチャーノ・ベネットン・Luciano Benetton.
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       そして、日本の建築家(設計家では無く、建築家と自称されているとの事)
       というよりも、既に世界で名高い安藤忠雄氏
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       皆さんの方が、私なんぞよりずっとお詳しいでしょうから、
       ただこの写真1枚を。



       上の玄関部の右奥に、下に下る階段が見えましたが、
       そこを下ってくると、この開けた楕円形の広場を囲む建物となり、
       確かに地下1~2階なのですけど、
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       この明るさと開放感から、地下の重い印象がまるで無い事に
       まず皆が驚きました!



       天井部のカーヴ
       素材はコンクリート、白とグレーの2色、
       そして窓の金属とガラス。
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       確かにコンクリートの打ちっぱなしで、
       入り口前の水場の設定にも、
       カルロ・スカルパの設計に通じる物を感じはするのですが、

       水場の下に筋をつけた砂が入っている事は既に書きましたが、
       安藤氏のこのセメントの打ちっぱなしは、
       スカルパのセメントよりはもっとキメが細かいすべらかさを持ち
       ローマ期のフォーラムみたいな広場を作る構築美の大きさと
       神経が行き届いた繊細さが、上手く溶け合っている感じを受けます。

       何ぞと、素人の単純な感想をとお見逃し頂きたいのですが、
       スカルパは色を使っていても、凝った部分的意匠にしても、
       どこかに日本への趣味的感覚、といった物を感じるのですけど、

       ここでは色が無くとも、無機質な色に光と影が加わり、幅を持ち
       そしてそしてこの開放感!!
       きっとその日その日のお天気の変わり具合い
       季節の空の色もすぐ傍らに感じる事でしょうね。



       建物の防火設備の図ですが、建物の様子をどうぞ
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       左下部分に水場があり、真ん中に楕円の広場、
       その右の円形は図書館。



       広場を囲む形の、南側の通路兼小会議場とでも
       奥のディスプレイの写真は、ずっと一人でスライド・ショーを。
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       左壁上が開口部となっていますが、


       こんな感じの仕事場
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       ね、こういうのをみると、私はそわそわして来ます、
       羨ましさで・・。



       近くにあった映画「ノー・マンズ・ランド」のポスター
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       ボスニア戦争を描いたものだそうで、
       2001年にカンヌ映画祭で、最優秀脚本賞、
       そしてアカデミーの最優秀外国映画賞をとった作品。

       で、なぜこれがここに、と思いましたら、
       このファブリカで、ここの若者達が、編集をしたのだそう!

       他にも中国映画のポスターがありましたが、
       話を聞きながら、なんと贅沢な学びの環境よ!!と。



       こちらはデザイン部門の仕事場
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       たまたま全体ミーティングがあったそうで、空っぽですが、
       雑然としたこの雰囲気が良いでしょう?!



       ベネットン・カラーと呼ばれる色を使い、
       各自がそれぞれ自分のプロジェクトに従いデザインし
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       製品化するのは、それ専用の工場でとの事。
       ですから、そのままプロト・タイプと言うか、
       一点物ですむ物もあると・・。



       勿論各自がやりたい事に取り組むわけですが、
       地元との結びつきも大変重要に考えているので、
       こういったガラス製品も多くデザインする、との事。
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       お皿も勿論見かけましたが、
       今、ダイキン・イタリアからの要請があり
       無機質なエアコンでも、美しい存在になり得る、に
       取り組んでいるのだそう。



       壁にかかるデザイン作品のポスター
       若者達のセンスが並びます。
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       このデザイン部門で働いている山本龍さんも言ってましたが、
       今は4月のミラノの会場出品で大忙し中なのだそう。


       これは山本龍さんのデザインした
       大理石と金属で成形した一輪挿しの花瓶。
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       http://store.fabrica.it/collections/frontpage/products/chloris

       龍さん個人のサイトは
       http://ryu-yamamoto.com/


       彼らがデザインした作品の製品販売は
       ボローニャに店があるそうですが、
       こちらのウェブ・サイトで購入も出来るそう。
       http://store.fabrica.it/collections/all



       こちらが円形の図書館で、こういう本が並んだ眺めは、
       どこで見ても涎が垂れそうになりませんか?!
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       向こうから2人目に横顔の見える方が、
       ご案内して下さったバルバラさん、そして我が仲間。

       図書館で、ファブリカが発行している雑誌
       「COLORS」なども見ましたが、
       興味深い本も教えてもらいました。

       「イランの居間・Iranian Living Room」という本で、
       イランの家庭内、居間に入り込んだ写真集。
       外ではスカーフで髪を覆う女性達が、ヘアダイの方法を見たり、
       犬と一緒に外に散歩には行けない法律があるそうで、
       イランの犬はずっと居間にいるのだそう・・、などなど。
       http://store.fabrica.it/collections/frontpage/products/iranian-living-room


       広くて美しい図書館の眺めをどうぞ
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       サイトから全体が良く分かる写真を拝借。
       天井からは、地上の明かりが。
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       図書館の中でのこの方は、現ベネットンの社長
       アレッサンドロ・Alessandro、今50歳くらいと。
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       彼の奥さんはデーボラ・コンパニョーニ・Deborah Compagnoni
       と言い、スキー大回転の選手だった方で、
       オリンピックで金メダルを3つも取っておられる美人!



       図書館から出てきた部分、楕円の広場の北側に当たり
       ここは地下2階部分になります。
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       上の階の奥にあったヴィデオ関係が、今この奥に引越しの
       最中なのだそうで、手押し車を引いて行ったり来たり・・!

       手前の円柱に立てかかっているポスターは、
       ロベルト・サヴィアーノ・Roberto Savianoの新刊
       ゼロ・ゼロ・ゼロ
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       ナポリのマフィア、カモッラの内実を暴いた作品、映画にもなった
       「ゴモッラ」の作者の7年ぶりの新作なのだそうで、
       南米からのコカインの話を扱っているのだと。

       彼は「ゴモッラ」以降、ボディ・ガード付きの生活ですが、
       ファブリカに話をしに寄ったのだと。
       他にも、著名人があれこれ寄っている、と名を聞きましたが、

       そんなチャンスに近しく接する事が出来るのも、
       ベネットンの力だなぁ、と思いましたし、
       若い柔軟な頭に、どんなに深くしみ込んで行くでしょうか!



       壁際に並ぶ、作品の数々
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       広場に出てくると、日向ぼっこをしている若者の姿
       真ん中の彼女はすぐに中国から、と分かりますし、
       向こうの若者は、どこからかな?
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       ファブリカでは、世界中からの若者を迎え入れている、と
       書きましたが、申し込みは年間を通しいつでも出来
       条件は申し込み時点で25歳以下である事

       応募できる部門は
       デザイン、グラフィック、写真、音楽、出版編集、雑誌カラース出版、
       映像&シネマ

       日本語での応募説明は
       http://www.benetton.jp/company/fabrica/

       英語版だと、申し込み
       http://www.fabrica.it/apply.html

       各部署の説明と応募職種
       http://www.fabrica.it/areas.html

       審査を受け、一応OKが出ると、こちらに来て2週間の試用期間
       飛行機の切符代はファブリカ持ちで、
       OKとなると、1年間の契約を結ぶのだそう。

       審査をしたその道のプロフェッショナル達が、各部門で指導し、

       奨励金が月々支払われ、アパートはトゥレヴィーゾのあちこちに
       会社側が用意し、お昼はベネットンの社員食堂で。

       言語は英語の他に、イタリア語やフランス語ですが、
       英語が必ずしもしっかり話せなくとも、こちらでサポートします、と。
       世界中からの若者が来るので、誰しもが最初から話せるわけではないと。

       自分が取り組みたいプロジェクトを持ち、
       それが1年間で済まない時は、往々にしてもう暫くの
       契約延長もありうるとの事。

       こうして年間をならすと、常時35~40人ほどの若者が
       いるのだそう。


       部門については、日本語ページと英語版では説明がちょっと違い、
       私が聞いたのもちょっと違う部分がありますが、
       
       要は、宣伝デザイン、編集部門で活躍したい若者への
       実戦に携わる場の提供ですので、

       これだけの場所と提供条件を見逃すのは、本当に勿体無い!
       若者達よ、しっかり掴んで、大いに吸収利用すべし!!


     *****

       文字数制限に引っかかりましたので
       急遽2回分に分ける事に致します。

       お手数ですが、こちらをクリックしその2にお進み願います。
       http://italiashio.exblog.jp/20467554/



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by italiashiho2 | 2014-03-16 04:52 | ・ヴェネト州 | Comments(21)
2014年 03月 16日

   ・・・ ベネットン ・ ファブリカ・Fabrica 見学 その2 ・・・

       引き続き、有難うございます!

       ベネットンの、コムニケーション・リサーチ・センターのご案内
       その2を続けます。


       広場から、中の壁のポスターを覗きつつ、

       右のは、2011年の宣伝キャンペーン「反憎しみ」
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       これはローマ教皇とイスラム教指導者ですが、
       他にオバマ大統領と中国の国家主席、などなどバージョンがあり、
       ローマ教皇庁からは強い抗議が起こったそう。



       右は、カトリック教会内での幼児への性的虐待のキャンペーン
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       かってベネットンの専属カメラマン、オリヴィエロ・トスカーニ
       Oliviero Toscani が繰り広げた様々な宣伝キャンペーン、
       中には目を剥きぎょっとする程のインパクトの強いのが
       ベネットンの特徴でしたが、
       彼は既に2000年にベネットンから去っているにも関わらず、
       やはりその線でのキャンペーンを繰り広げている事が良く分かります。
       まぁ、少し大人しくなっては来ていますけど・・!



       さて我々は、その新鮮さ、まさに贅沢な環境、開放感などに
       好奇心も満たされ、満足して引き上げます。
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       階段を上に上がってくると、そこは草原となり、
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       隣には仕切りも何も無く、ブドウ畑が広がります。
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       最後は、見学を一緒にした仲間達
       右から、ルイーザ、マリチッラ、ジュリアーナ・ミラン、
       ジュリアーナ、ロレダーナ、そしてヘルガ。
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       引き上げる途中で、大きな大きなアイスクリームを
       各自2つ玉~4つ玉ほども平らげたのは、
       写真が無くて残念! ははは。

       長いお付き合い有難うございました!!

     *****

       若者たちよ、大志を抱け!
       ここにある大きな提供を掴み、飛躍されよ!
       まずトライする事から、何事も始まります。


       中高年熟年たちよ、体調維持を心がけ、元気で、
       自分の好奇心に正直に、大いに遊ぼうねぇ~!!


     *****

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by italiashiho2 | 2014-03-16 04:24 | ・ヴェネト州 | Comments(0)
2014年 03月 11日

   ・・・ アーゾロ、 そしてポッサーニョ ・ 春の日 ・・・

       漸くに春らしい日が続いている、こちら北イタリアです。

       3年前のこの日友人のmkちゃんと旅行中のカプリ島で、
       たまたま出会った日本人カップルから聞いた大地震、津波のニュース、
       それに引き続いての原子力発電所の大災害。

       TVニュースを追いかけても、混雑と分からない事だらけだった
       あのもどかしさを今も良く覚えていますが、
       それは今もどこかずっと続いている気がします。

       遠くで想う我が国日本と、そして
       災害に遭われた方々の、より良い復興を願うばかりです!!


     *****

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       先週土曜日アーゾロ周辺を、正確にはポッサーニョ・Possagno
       アーゾロ・Asoloに、お昼ご飯の後マゼール・Maserに寄り道し、
       最後はサン・ヴィトー・ダルティーヴォレ・San Vito d'Altivole
       出かけて来ました。

       ポッサーニョには、18~19世紀に活躍したアントーニオ・カノーヴァ・
       Antonio Canova の生家跡と塑像博物館、彼の眠るテンピオがあり、
       マゼールにはパッラーディオ設計のヴィッラ・バールバロ・Villa Barbaro、
       サン・ヴィトーにはカルロ・スカルパ・Carlo Scarpaが設計した
       トンバ・ブリオン・Tomba Brionがあり、
       それらを見に、若い友人2人をご案内したのでした。

       どんな友人なのかは追々とご説明する事とし、
       今日はヴェネト平野、美術博物館のご案内というよりは、
       漸くの春の陽射しを受ける、山の町アーゾロ周辺の散策
       ご一緒にどうぞ!

       まず上の写真、ポッサーニョの塑像博物館隣の
       バールの猫ちゃん
       奥から鳴きながらお迎えに出て来て、お客様の前の席に、ね。



       アントーニオ・カノーヴァの塑像博物館とテンピオについては、
       2度ご案内をしておりますので、そちらをご覧頂く事にし、
       写真が重ならぬように見て頂きますね。
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       漸くにお天気が続いていると書きましたが、
       この日は本当に暖かで麗らかな陽気となり、
       生家を利用した塑像博物館の庭にも、春の花が咲き出し・・。
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       実はこの日ご一緒した若い方おふたりは、
       トゥレヴィーゾに本拠があるベネットン・Benetton のプロジェクト
       ファブリカ・Fabricaで働いている日本人の山本龍さんと、
       課は違うそうですが、やはりファブリカの中国人、
       香港からの石(シェク)さん。 

       山本さんがブログのコメント欄に書き込んで下さり、
       ポッサーニョに行きたいけどどのように、
       ファブリカを見学したかったらご案内しますよ、との事で、
       では一日足を務めますので、友人たちとのファブリカの見学をと
       一計を案じたshinkaiで、ははは、お出かけの一日に。

       
       ポッサーニョの博物館の新館の設計はカルロ・スカルパがしており、
       それを見たいお二人でしたので、まずはここをゆっくり見学。
       ブックショップでスカルパ設計の本を眺めていて、
       建物の後ろが見れるかな、と山本さんが呟き、
       確かめてみるとすんなり、どうぞ、と鉄柵の鍵を開け裏側に。

       ただし、裏側を回って庭の方までには出れませんで、
       角の長い窓を通しての向こう側の窓や、
       地下室の外側が見れました。 
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       カノーヴァの家は大きく、博物館のみだけでなく、
       裏の方もきちんと整備されて清々しく、

       奥の納屋かな、の屋根の下に白い鳩がくつろぎつつ
       薄目を開けて我々を眺め・・。
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       使われなくなった井戸の覆いも、なにやらデザイン的でしょ?
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       博物館前を横切る道の向こう遥か、
       緩やかな坂道の上に見えるテンピオ・Tempio.
       奥の山に残る白い雪が鮮やかでしょう?
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       上り坂両脇には、いかにも裕福そうなお家が続き
       こんな風にちょっと芸術している感じの前庭も!
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       ゆるゆると坂道を登りテンピオの前に到着すると、
       その広場の広さ、テンピオの雄大さに、いつも感嘆します
       とにかく、舞台装置満点!
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       観光バスでやって来ている見物人、学生もですが、
       この日は、はい、年配者がいっぱいで、その賑やかなこと!
       ええ、日本のみならずイタリアも年配者が大元気ですからね、ははは。



       今回、上部の三角タンパンの下に並ぶ浮き彫りが
       旧約聖書のお話の場面である事に気が付きました。
       ほら右から、神がアダムを祝福し、カインの弟殺し、
       イザクの息子の犠牲、でしょう?
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       きっとこれらも、テンピオ用のカノーヴァの作品なのでしょうね。

       
       そうそう、テンピオの内部から、天辺の明り取りドーム
       というのか、ガラスの三角に見える部分の周囲の展望台に上れるのを
       今回先客たちがいたのを見て知りました。
       我らもと行きましたら、ちょうどお昼で閉める所で残念ながら・・!



       という事で、テンピオ前でのこの日のお二人
       左が山本龍さん、右が石さん、お二人のコムニケーションは英語。
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       ふと気が付くと、裏山の上にいっぱいのパラグライダー!
       写真略で、あっち側のもお見せできないのが残念で~す。
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       高い位置にテンピオがあるので、平野の風景ものんびりと。
       この日は少し靄がかかっており、あれなんだろ?と撮ったのですが、
       工場の煙突みたいですね、石灰採取用かも・・。
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       ポッサーニョ関連のご案内はこちらに
       http://italiashio.exblog.jp/12742447/
       http://italiashio.exblog.jp/10254941/



       ゆっくりと博物館とテンピオを見て、アーゾロまで出てお昼を

       山本さん、というより、可愛く撮れた龍さん、という感じの、
       ははは、一枚をどうぞ!
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       彼の前にあるお皿は、ポレンタの上に猪肉のラグーがかかり
       その上にラルドの薄切りが乗っているもので、



       石さんとshinkaiが食べたのは、ナスのパルミッジャーノ
       茄子の薄切りの間にトマトソースとチーズが挟まり、グラタンしたもので、
       これは本当にどこで食べても美味しい!
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       お昼をのんびりと済ませ、アーゾロの町の散歩を。

       この町は田舎の丘の上にありながら、どことなく典雅な雰囲気が漂い、
       並ぶ店も高級品店が多いのですが、
       先年行った時はやはり不況の影響か、何軒も店じまいをしており、
       がっかりしたものでしたが、

       今回は前に閉めていたのを見たレストランやバールも、
       店主が変わって店が新しく開いており、なにやらほっとする思い!
       こういう素敵な小さな町が寂れてはいけませんよね。

       骨董店というよりも古物店の店先の自転車も健在!
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       なぜか、いつもあそこには自転車があるのです。
       自転車自体が代替わりする事もあるのですが、ははは。



       お城に続く広場の一廓
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       今回の写真整理で、いつもは影の中も明るめにするのを
       ちょっと変えてみましたら、いやに影が濃く見えますね。
       ドラマチックではありますが、う~ん、何があるのか見えないなぁ・・!



       要塞前の見晴らし、城壁の隙間に、ちゃんとコインを入れる
       オウディオ・ガイドまで据えてあるのですが、ははは、
       そこからのお馴染みのアーゾロの景観
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       ただし、左手前の木の枝が茂りすぎて、以前は見えたドゥオーモの
       鐘楼の足元が見えなくなってまっせぇ、観光局の方ぁ!



       町外れの山頂にある要塞の姿
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       今も残るカテリーナ・コルナーロのお城の塔
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       この城は、15世紀ヴェネツィア共和国の養女として
       キプロス王の下に嫁いだカテリーナ・コルナーロの城なのですが、
       現在建物の一部もほんの少し残るものの昔の面影はなく、
       バールがテラス席を設け、内部は展示会場に。



       庭の奥のほうに「パノラミコ・眺めが良い」と書いた
       狭いテラスがあり、

       はい、ご覧の通り!
       細く西に続く通りのお屋敷の裏側が、こんな風にね。
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       こちらはもっと先のほうで、手前に屋上式庭園が見えますが
       ここも整備されているのを見て参りました。
       いつか一般公開されるようになると良いのですが!
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       アーゾロの町の中心広場
       夏には今見える大樹がうっそうと茂り、良い日陰を作ります。
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       広場から南に続く、ロバート・ブラウニング通り
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       いつもはこの通りの先にある町の門をくぐり、
       少し下った所にある駐車場から逆に町にやって来るのですが、
       この通りはいつも「アーゾロに来た!」の喜びを感じさせる通りなのです。



       門の手前にある、小さな「ゼンの泉」もすっかり修復が済み
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       お隣の建物の壁にあるデッラ・ロッビアの聖母子像も安泰!
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       中心広場に戻り、手前のバールの柱頭にも始めて目が行き・・。
       そう、アーゾロの町にもローマ遺跡がたくさん残っているので、
       きっとどこかからのリサイクル品なんでしょうねぇ!ははは。
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       広場の北端で、まだ暖かい赤ワイン・ブルレを飲ませていて
       土地の物産も並び、・・う~ん、誘惑の一隅!
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       車を止めた場所に戻りつつ、
       ホテル・ヴィッラ・チプリアーニの前
       う~ん、まるでご縁は無さそうですねぇ、ははは。
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       アーゾロの一連のご案内は、カテゴリ欄のヴェネトから、
       http://italiashio.exblog.jp/i8 
     
       または、ここからあれこれリンクしております。
       http://italiashio.exblog.jp/10138560/



       さてアーゾロを出発、サン・ヴィトーに行く前に、
       ちょっとマゼールのヴィッラ・バールバロを覗こうかと、
       カー・ナヴィに打ち込み、坂道を下り、指示された道の分岐点に
       Maserと見えるので入り込みました。

       アーゾロからだと普通は南に坂を下り、左に折れ、
       平地の道を東に行けば簡単に行き着けるマゼール。
       ところが今回は町の北端に駐車したので、北の裏道から入りこんだ道は、
       おっとどっこい、物凄い曲がりくねりの狭い坂道!
       途中でターンして引き返すのも嫌な程で、ははは、
       有望な将来を持つ若いお二人を乗せ、責任重大なshinkai!!
       はぁ、でも何とか無事に峠を越え、マゼールのヴィッラ前に。

       ということで、ヴィッラ・バールバロ・Villa Barbaroの眺め
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       サン・ヴィトーのトンバ・ブリオンをゆっくり見たい、というので、
       ここは表からのみ、パッラーディオの建築を眺めることに。



       何と、表の庭にお馬ちゃんが3頭のんびり草を食み・・。
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       陰になった一番奥の馬は、その前のもかな、脚が太くないですか?
       案外荷車用の力の強いお馬の種なのかも。



       ヴィッラの前を通る道は車がびゅんびゅん通るのですが、
       その脇にある、こちらもパッラーディオ設計のテンピエット
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       かってはきっとお屋敷前の道も、馬車や荷車がパカパカと
       通る位だったのでしょうが、

       お屋敷前にまっすぐ続いてくるこの並木道も、
       今は柵が閉まり、ただ過ぎ去った時を偲ばせます。
       そう、再びめぐり来る春!!
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       ヴィッラ・バールバロのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/9337470/

       サン・ヴィトーのトンバ・ブリオンのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/10093931/
       今回はカルロ・スカルパのお墓も見つけ、
       新しい写真もあるのですが、またのチャンスという事に。


       ベネットンの見学は今週水曜の予定で、
       またご案内をいたしますので、お楽しみに!

  

     *****

       水彩ブログには、サン・レオの教会、アッシジの家並み、・・そろそろ?
       アップしております。
       見てやってくださ~い!       
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


     *****        
       

       いつも有難うございます!  
     
       励まし応援クリックも、よろしくお願いいたしま~~す!

          

        

          
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by italiashiho2 | 2014-03-11 04:02 | ・ヴェネト州 | Comments(20)
2014年 03月 06日

   ・・・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ ・ リミニ 3-1 ・・・

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       リミニのご案内3回目、いよいよ最後の大詰めとなりまして、はは、
       うまく纏まりますかどうか、・・頑張ってまいりたいと思います。

       タイトルにしました様に、今回のご案内の主たるものは
       「リミニの狼・ルーポ・ディ・リミニ」と呼ばれ恐れられた、
       15世紀ロマーニャ周辺一帯の領主シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ・
       Sigismondo・Pandolfo・Malatestaで、
       彼の事をもっとよく知りたい、の好奇心はもう何年来もの宿題でした。

       ですが何せ相手が大物で、当時の情勢も知らぬままあれこれ読んでも
       笊で水をすくうようなもの! ははは。
       それでもあちこちで彼の名に出会うたびに少しずつにじり寄り、
       少し前のグラダーラのお城のご案内の時に遂に覚悟を決め、・・大げさなぁ!
       
       彼の墓所として知られるテンピオ・マラテスティアーノ・Tempio Malatestino
       のご案内をしつつ、ご紹介したいと思います。

       彼についてはサイトでの日本語情報が余り無く、それも一方的なもので、
       武人としては優秀でも残忍冷酷で妻殺し、などという事ばかりですが、
       だんだんに分かってきた事は、詩も書き、芸術家たちのパトロンでもあり、
       妻を、しかも2人!殺したようなのですが、ははは、と笑うと不謹慎ながら、
       見初めた3番目の妻にはぞっこんで、当時の武人としては珍しく
       政治的条件抜きで結婚し連れ添う、という、
       大変に純情で直情な、可愛い男でもある様な・・!

       彼をご贔屓のshinkaiと致しましては、
       時代の波にもまれ消えていった、15世紀の一領主
       そんなこんなをご披露したく存じますので、
       よろしくお付き合いのほどを! 

       上の写真は、テンピオ・マラテスティアーノの正面で、
       左奥に鐘楼が見えるのをご覧頂こうと。

       今回掲載の写真も例により、ブログのサイト名が入っていないものは
       サイトから拝借したものです。


       が、テンピオ・マラテスティアーノに行く前に、
       やはりリミニに残るシジスモンドの城、要塞であり居城でもある
       カステル・シスモンド・Casrel Sismondoをどうぞ。

       この写真は城の裏側のもので、
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       正面側はこんな感じ
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       行った時は、ちょうど印象派絵画の展覧会開催中で、
       威圧感ある要塞の壁に大きな印象派の絵のポスターが、
       しかも女性像なんかが下がり、何となしがっくり来て、ははは、
       おまけに周囲はご覧のように大駐車場となっていて足元も見えず・・!

       チャンスを見て出直し、内部も見たいと思っておりますので、
       ・・本来はこれらの周囲を城壁が取り囲む、大規模な物だったようで、
       お城のご案内はまたいつかの事に。



       街の中心の地図をもう一度どうぞ
       左下の位置に城があり、先回ご案内の博物絵画館は真ん中上に。
       そこからまっすぐ東南に辿ると、テンピオ・マラテスティアーノ。
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       この道はそう広くもなく、街外れの感じのある道
       今見えるアーチは15世紀のお屋敷があったのが、
       第2次大戦で爆撃されたのだそうで、
       内部は何もなしの草地でした。
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       道の先にテンピオが見えてきた時
       道はまっすぐ行き、テンピオは脇にあるので、
       こんな風に半分が先に見えます。
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       テンピオ・マラテスティアーノの正面
       通称テンピオ・XXと呼ばれておりますが、地元ではドゥオーモで通り、
       正式にはバジリカ・カッテドラーレ・サンタ・コロンバ・Santa Colomba.
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       うっかり検索をかけましたら、教会のサイトが出て
       にっこり司教様の写真やミサの時間等で泡を食いましたが、ははは、
       まさに現在も教会で博物館ではないのでした。



       正面扉の上部と円柱の柱頭、 
       マラテスタ・パンドルフォの名も見えます。
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       元々は9世紀建設の教会があったのを、12世紀にゴシック様式の
       サン・フランチェスコ教会となります。
       が建物も小さく、14世紀初頭からマラテスタ家の墓所となっていたのを、

       15世紀半ばにシジスモンド・パンドルフォが壮大な霊廟とすべく、
       当時の著名な設計建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ
       Leon Battista Albertiに設計改築し、
       内部の装飾にも当時の一流芸術家を招いたというもの。



       内部、入り口から内陣に向かって
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       祭壇奥部分にかけられた、ジオット・Giotto作
       言われる十字架。
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       内部はご覧のように一廊式で、両側に4つずつの礼拝堂。
       こちらは左側
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       そして右側
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       右側一番奥に
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       はい、こんな形で、シジスモンド・パンドルフォの姿。
       フレスコ画はピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francesca
       の作、1451年のものと。
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       聖シジスモンドの前に跪く、シジスモンド・パンドルフォ
       というタイトル。
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       こちらでは毎日のカレンダーに、その日の守護聖人の名が書かれていて、
       それとは別の日に生まれてもその聖人と同じ名を持つと、
       オノマスティコ・onomasticoといって、その聖人の日に
       おめでとうを言ったりしますので、
       同名の聖人に守護を願う、という姿でしょうか。

       聖シジスモンドとはどんな人かと調べましたら、
       ブルグンド族!・・フランスの東南部に行ったゲルマン民族、
       の6世紀の王で、斬首され殉教した、蛮族として
       聖人となった最初の王らしい、というのだけ何とか分かったのですが・・!
       どういう経過なのかも読んでも何も分からず、ははは、と力なく・・、

       左手に持っている球も何を現すのか、まるで分からず・・、
       どなたかの、クリスさんあたりかな、ご教授をお待ちいたします!

   * 追記 * 
       クリスさんより、聖シジスモンドが手にしているのは、
       王の象徴である杖と宝珠 と教えて頂きました。
       他については、コメント欄をどうぞ。
       


       ルーヴル美術館所蔵の有名なシジスモンド・パンドルフォの肖像画と、
       あちらはテンペラ画で後ほどご覧頂きますが、
       まぁ同じ画家の手とはいえ、そっくり!
       ですが今回、
       後頭部の膨らみが直されているのに気が付きました!
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       全体図を見ると、当初の背景は濃い色、黒かそれに近い色で
       埋められていたのが分かりますから、
       となると、この手直しは一体誰がぁ?! というミステリー!!
       まぁ、白い背景の中、白い衣装となると、この頭の大きさで
       ちょうどバランスが取れそう、とは思いますがぁ・・。



       背景の丸窓の中に見えるカステル・シスモンド
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       そしてその手前に交互の向きで座るワン君2頭
       手前の白いワンちゃんの、本当に美しい姿!
       これだけしか描いていないのに、しっかり肉が詰まっている!!
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       フレスコ画の下描きに、ピエロ・デッラ・フランチェスカは
       原寸大下図を作り、線に沿って小穴を開け、タンポンで叩いて
       下塗りに印をつけた、というのですが、

       白い方のワンちゃんの延ばした首から肩、手前の前足、肘、
       背中の流れ辺りにもしっかりポツポツが見え、
       なんとなし、こういうのはちょっと嬉しい発見!



       実はこのテンピオには、お昼休みで閉まる直前に飛び込み、
       ピエロの絵はしみじみと眺めたのですが、
       他は写真を殆ど撮る暇が無く、おまけに管理人が話しかけて来て、
       コネリアーノ?! あそこはプロセッコが旨いよね、とか・・!
   
       という事で、サイトで見つけた写真で細部をご覧ください。

       象の姿が見えるのは、マラテスタ家に所縁があるのだそうで、
       白い大理石に金と青の、手の込んだ素晴らしい装飾。
       写真の諸所に散らばって見える、SとIを組み合わせた紋にご注目を。
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       建物の設計はルネッサンス期の著名な建築家のレオン・バッティスタ・アルベルティ
       によるもので、大変に荘厳ですっきりした正面壁をご覧に入れましたが、
       結局このテンピオは未完のままに・・。

       アルベルティは美術にも古典にも法学にも数学にも秀でた人文主義者。
       レオナルド・ダ・ヴィンチよりも半世紀ほど前に生まれ、
       その多方面への才能の発揮で「万能の人」と呼ばれた最初の人で、
       建築以外の実作品が残っていないのが残念。

       内部の装飾には、マッテオ・デ・パスティ・Matteo de' Pasti
       の設計や、大理石の浮き彫りなどはアゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ・
       Agostino di Duccioの手になるものと。
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       このテンピオは1447年にシジスモンド・パンドルフォが改築を決め、
       当時シジスモンド・Pは(以下この様に省略・1417-1468)30歳、
       2度目の妻ポリッセーナ・スフォルツァ・Polissena Sforza
       1449年に死亡した後、その2年前から関係のあった
       イゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Attiとの事実を公にし、
       ここを2人の墓所とすべく・・。

       上の写真に見えたS・シジスモンドと、I・イゾッタの頭文字を組んだ紋
       至る所に、はぁ、至る所に見え、・・この一途さ!


       教会はその後も増改築を重ね、これが古い当時の様子
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       第2次大戦の爆撃でこの内陣部分は破壊され、
       現在の内後陣はジオットの十字架のみのシンプルな形。

       マラテスタ家代々の墓所教会といいますが、
       買って戻ったガイドブックと検索して読んだものとちょっと違い、
       私もしっかり現場で見ておりませんで、
       どの礼拝堂が誰のとご説明できませんで、ご容赦を。



       さてこちらが、ピエロ・デッラ・フランチェスカ描く所の
       ルーヴル蔵の、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ像
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       1451年頃の作といいますから、フレスコ画製作と同時期ですね。      

       酷薄そうな鋭い目と薄い唇が特徴の顔ですが、
       1417年先回見て頂いた濃い赤の胴着・ファルセットの主
       パンドルフォ3世の次男として
       父親の愛人アントーニア・ダ・バリニャーノ・Antonia da Barignano
       との間に生まれます。 

       時に父親47歳で、シジスモンド・Pより6歳上の兄と、
       これはまた別の愛人との子とも言われますが、はぁ、
       一つ下の弟との3人兄弟で、
       1427年シジスモンドが10歳の時父親が亡くなります。

       こうしてリミニの伯父カルロの元で育ち、伯父は何とか教皇に
       3人の実子認可を貰い、1429年の伯父の死後
       シジスモンド・Pの兄ガレオット・ロベルト・マラテスタ・Galeotto Roberto
       が後を継ぎますが、1432年僅か20歳の若さで亡くなり、
       こうして15歳でシジスモンド・Pがリミニの領主に。

       早くから軍事に才能を発揮し認められ、1435年には
       教皇軍の隊長としても名が載り、槍騎兵の隊長としてデヴュウを。



       彼の肖像は、上でご覧頂いたピエロの横顔が有名なのですが、
       フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮の有名な礼拝堂にある
       ベノッツォ・ゴッツォーリ・Benozzo Gozzoliの壁画にも
       登場しているのを知りましたので、どうぞ。

       有名な「マギの礼拝」のフレスコ画のこの場面の
       左隅の最前列、
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       一番左がシジスモンド・Pで、その右の白馬のがミラノ公
       ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・Galeazzo Maria Sforza.
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       壁画が描かれたのが1459年、
       シジスモンド・Pが42歳 ガレアッツォ・M.Sが14歳の時となり、
       それ以前に画家が見た記憶で描いているのでしょうが、
       皆さんどなたもが可愛いお顔で・・!
       とりわけ真ん中のにっこり美男貴公子がロレンツォ・イル・マニーフィコ
       と言うのですから、まぁ、物凄いヨイショというか、ははは。
     
       ガレアッツォ・マリーアは、スフォルツァ家に変わって2代目のミラノ公で、
       最後のヴィスコンティ家のフィリッポ・マリーアの庶出の娘
       ビアンカ・マリーアとフランチェスコ・スフォルツァとの子。
       大変残忍な性格だったそうで、結局暗殺され・・。

       ミラノのスフォルツァ城のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/19679446/

       フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮
       http://italiashio.exblog.jp/12492295/



       さてこちらも有名なピエロ・デッラ・フランチェスカ描く所の
       フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro.
       フェデリーコ・M(1422-1482)はすぐ南隣マルケ州ウルビーノの領主で、
       シジスモンド・Pとは積年の宿敵
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       フェデリーコ・Mはほぼ一貫して教皇側であったものが、
       シジスモンド・Pは国を治め敵のフェデリーコ・Mと戦う為にも、
       自領を整備、美化する為にも大資金が必要。
       傭兵隊長としてはより多く払ってくれる側と契約し戦い、
       鮮やかに勝ちを収める、
       それがまた逆に憎しみを買った部分もありそう。



       今日はご説明しようと思う事が大きすぎ・・、
       単なる人物伝となっても詰まりませんよね。
       でなぜ彼の評判が悪くなったかをご説明したく・・、

       こちらはなんとも優雅なピサネッロ描く所の、ルーヴル所蔵
       ジネーヴラ・デステ・Ginevra d'Este (1419-1440)の肖像
       と言われる物で、シジスモンド・Pの最初の妻
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       デステの姓が示すように、フェッラーラのエステ家ニコロ3世の娘、
       1434年15歳でお輿入れ。
       子供はおらず、6年後に夫に毒殺されたと。

       彼女の生まれ育ちも幸薄く
       母親は義理の息子との姦通により斬首刑になっておりまして・・。
       http://italiashio.exblog.jp/10865096/



       シジスモンド・Pの2番目の妻ポリッセーナ・スフォルツァ
       Polissena Sforza(1428-1449)の肖像が無いので、
       父親のフランチェスコの顔を、ははは。

       ポリッセーナは父親の愛人ジョヴァンナ・アックワペンデンテとの子で、
       ポリッセーナという名は、1420年に亡くなった
       フランチェスコの最初の妻の名なんだそう! この神経!
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       シジスモンド・Pの最初の妻が亡くなった2年後、1442年に
       14歳で嫁いで来ますが、1449年没。
       タオルで窒息させられたらしいと。

       子が2人生まれますが、長子のガレオットは何ヶ月かで亡くなり、
       娘ジョヴァンナは成長し嫁いで行きます。

       夫シジスモンド・Pは、既にそれ以前からイゾッタ・デッリ・アッティ
       と関係を持っておりまして、何と彼女が12.3歳の時に見初めたのだと!

       そしてそれ以外にヴァンネッタ・デイ・トスキ・Vannetta dei Toschi
       という愛人がポリッセーナとの結婚生活中におりまして、
       彼女との間に生まれたロベルト、イル・マニーフィコ・偉大な、
       というニックネームを持つ息子が、シジスモンド・Pの跡を継ぎます。



       こちらがシジスモンド・Pがイチコロとなり、
       深い真実の愛を注ぎ、政情無視の愛情のみの結婚をし添い遂げた
       イゾッタ・デッリ・アッティ(1432頃-1474)の横顔が刻まれたメダル。
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       彼女は裕福な商人、両替商の娘だったそうですが、
       シジスモンド・Pに見初められ愛人となり、15歳の時に最初の彼らの子
       ジョヴァンニを生みますが、何ヶ月かで死亡。

       2人が結婚したのは1456年、彼らの10周年記念だったと・・!

       私が彼ら2人の話を読みながら救われる想いを受けたのは、
       当時の政略結婚が当然の時代にあり、シジスモンド・Pも
       最初の2度の結婚において領土も増やし、引き立ても受けるわけですが、
       幸せな結婚生活ではなかったと。
  
       何人もの愛人を持ち、婚姻外の子も産まれるわけですが、
       そういう彼が29歳にして心から愛する女を見つけ
       ずっと年下の彼女も彼を愛し支え、おまけに大変に賢く、
       後年彼が苦境に落ちた際も励まし支え、彼が国を留守にしている間も
       しっかりと国を守り、自分の宝石も売ってまでも支え続ける、
       賢明で、彼の愛にしっかり応えた女であった事に、こちらもホッと。
       
     *****

       今フッと思いつき文字数を計りましたら、もう制限いっぱい!
       がもう少し読んで頂きたく、知って頂きたいので、
       2回に分ける事にいたします。

       こちらをクリックし、お読み継ぎお願いいたします
       http://italiashio.exblog.jp/20430911/
       よろしくどうぞ!


     *****        
       

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by italiashiho2 | 2014-03-06 08:12 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(20)
2014年 03月 06日

   ・・・ シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ ・ リミニ 3-2 ・・・

       引き続き有難うございます!
       リミニの狼、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ
       その2を続けます。

       3人目の妻イゾッタ・デッリ・アッティ・Isotta degli Atti(1432-1474)が、
       彼の深い愛を受けとめ、賢明でよき妻であった、
       読んでこちらもほっとする、と書きましたが、

       じわじわと彼の運が傾きかけた頃、追い討ちをかける様に
       彼を追い詰めた権力者は、こちら時の教皇ピオ2世・Pio II(1405-1464)。
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       ピオ2世は、本名をエネア・シルヴィオ・ピッコローミニ・Enea Silvio Piccolomini
       現在のトスカーナはオルチャの谷に位置するピエンツァ・Pienza
       彼の生まれ故郷でもあり、現在は世界遺産に登録されてもいますが、

       教皇在位たった6年の間に、この田舎町をルネッサンス風にすべく奮闘、
       はたまた時代錯誤的なトルコ相手の十字軍派遣をぶち上げ、
       遠征艦隊の船待ちのアンコーナの街で、力尽き逝去という方。

       
       あ、その前にシジスモンド・Pの街リミニの繁栄について少し。
       1450年前後ヴェネツィア共和国に雇われ、ここは支払い報酬が
       他の雇主と違い毎月きちんとしていたそうで、はは、
       自軍の整備も整え、国の整備もし、カステル・シスモンドの建設、
       自領内の道路の整備、田舎と都会の経済流通の改善、職人達の組合の整備、
       などなどと順調だった様子。

       こうして順調にマルケ州においての力を蓄えていく様子を見、
       疑念を抱き始める教皇側ですが、
       1454年に起こったのがローディの和と呼ばれるもの。

       これはコスタンティノープル(現在のイスタンブル)がオスマン・トルコの
       手に落ち、東ローマ帝国の崩壊となった事で、
       トルコの脅威の前にいつまでも国内の戦争のみに関わっておれない、
       と、漸くにイタリア国内領土の確認を権力者達がしたもの。

       でその時にナポリ王でもあるアルフォンソ5世アラゴン国王が、
       それ以前にトスカーナ侵略に乗り出した際にシジスモンド・Pに
       思いがけない手酷い敗北を喰らったのを深く根に持ち、
       ・・息子への遺言にもマラテスタ打倒を託したほどなのだそう、
       この会議へのシジスモンド・Pの出席を、
       彼が出席する会議には一切出ないとの強硬姿勢で拒みます。

       ナポリ王国はローマの南に位置するカトリック王国で、
       北を警戒する教皇側は常に寄り添っているわけですが、
       そんなこんなで、主要会議からはじき出されるマラテスタ家。
       
       おまけにシエナ近郷出身、シエナ大学で学んだピオ2世にとっては、
       かってのシエナの敗北に一役買ったと誹謗の的ともなった
       シジスモンド・pは許しがたい相手なのですね。

       1458年に教皇となった後、3度にわたる召還にも応じない彼を
       1460年クリスマスの日、破門に処します。
       雄弁家として鳴らしたピオ2世の弾劾書はまさに火を噴く激しさで、

       殺人、強姦、姦通、近親相姦(3人兄弟だったはず・・?)
       冒涜、偽証 eccecc。 卑劣で残忍冷酷の大罪人、と決めつけ、
       彼の肖像か人形を火刑に処すという・・、


       傭兵隊長として戦地で戦う、作戦を練り、奇襲もかけ
       待ち伏せ戦もする、これは戦が仕事の事。
       これ以外に読んでいて、シジスモンド・Pが住民や家臣相手に
       残虐な性格を見せた、というのは見当たりませんし、
       徹頭徹尾に大悪党に仕立て上げているのが分かります。

       まさに頭に血の上りきった有様で、こういう権力者が相手では
       どうあがいても勝てませんね。
       教皇の目を気にし、傭兵隊長に雇う側も少なくなり、
       ここぞとばかりモンテフェルトゥロは領域に攻め込み、苦しめます。



       この当時のイタリアの勢力範囲図をどうぞ
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       黄土色のStato di Pontificioが教皇領で、この中をそれぞれに
       委任を受け治める形で、マラテスタ家があり、モンテフェルトゥロ家が
       存在するわけで、破門を受ける事は半ば追放に近く、
       自領土も遂にリミニの街のみに。

       こうしてシジスモンド・Pは、きつい事が分かっていて
       誰も引き受けないヴェネツィア共和国の仕事、
       ギリシャに出かけてのトルコとの対戦の仕事を請け、出かけ、
       結局消耗し疲れきって戻ります。

       漸くに、失礼! 1464年にピオ2世が逝去し、
       1466年新教皇パオロ2世の元、ローマに出かけ、
       トルコとの対戦での褒章に、元の領土を戻して貰うよう願いますが、
       こちらも狐の教皇で、出来るだけ長くローマに引き止める間に、
       秘密に兵を動かしリミニまでをも乗っ取りに出るほど!

       気が付いて怒り狂うシジスモンド・Pに、1500ドゥカーティの
       褒章が渡され、漸くに和平が整うものの、
       1468年春、教皇側の軍として出かけたノルチャで病を得、
       同年10月遂に帰らぬ人に

       彼のロマーニャ地方一帯をしっかり自領にする夢も、
       テンピオ・マラテスティアーノの建設も、
       すべて未完のままに終わります。

       そして先回絵画館の絵でご案内したように、
       彼の孫の代パンドルフォ4世で、マラテスタ家も絶えます。

       彼が愛した妻イゾッタは、その後修道院に引きこもり亡くなったとも、
       シジスモンド・Pの跡を継いだロベルトに毒を盛られたとも・・。
       
       SとI、シジスモンド・Pとイゾッタの飾り文字の入ったマラテスタ家の門、
       これがテンピオのどこにあったのか思い出せないのですが、
       こうして今に残る2人の印。
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       シジスモンド・pの生涯の敵であったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも、
       彼の死後は息子に跡継ぎが生まれず、家が途絶えていますし、

       当時の小領主として、いずれは絶えてゆく運命の家柄だったのでしょうが、
       大変鮮やかに生きた男、という感銘をも受けますし、
       冷酷非情と評判の男の隠された内面心情が、なかなか良いではありませんか?!

       一方的な権力者側の非難のみでなく、最近の研究によってあれこれ
       明らかになっているシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタのお話、
       長々と書きましたが、
       どうぞお楽しみ頂けました様、願います。
       お付き合い、有難うございました!



       最後はサイトから拝借の写真で、リミニの空気を。

       暮れ行くテンピオ・マラテスティアーノ
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       夕暮れのリミニの海
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       2千年を生きるティベーリオ橋
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       そして、アウグスト門
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       夏の夜の賑わい、リミニの浜、ディスコテーカ
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       年越しの夜の花火、 ・・・ああ、もう3月だよぉ!!
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     *****

       水彩ブログは、1回お見逃しを!
       今回は消耗しきった感じでございますぅ。      
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


     *****        
       

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by italiashiho2 | 2014-03-06 07:25 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(8)
2014年 03月 01日

   ・・・ 絵画館、マラテスタ家のあれこれちょっぴり ・ リミニ n.2 ・・・

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       リミニのご案内2回目は、先回に続き絵画館の内部を少し。
       絵画館と言いましても、博物館と併設されておりまして、
       収蔵品はたくさんあるのですが・・!
       例により独断と偏見でほんの少し、私めの好きなものだけ、ははは、
       ご覧頂きますが、それに付随しての寄り道も少し。

       と言いますのも、ミーハー的にご贔屓の、ははは、
       リミニの狼、シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタについて
       自分ももっと知りたい、そして書きたい想いから、
       じりじりと搦め手からにじり寄っている最中でありまして・・!

       てな事で、ご了承の上、ごゆっくりお願いいたします。

       トップの写真は、絵画館の広い壁いっぱいに移された
       1916年発見のフレスコ画。
       10年後にこの様に保存されたと言う説明は撮っているのですが、
       どこの教会のかの説明は写しておりませんで・・!
       14、5世紀の物と思うのですが、大変に鮮やか。
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       ジュリアーノ・ダ・リミニ・Giuliano da Rimini(1320年頃)
       の祭壇画 「聖母の被戴冠
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       修復された様子で、美しかった。
       ・・イタリアに最初に来た頃は、この様な黄金背景の祭壇画全てに
       夢中になった物でしたが・・、う~ん、今頃は・・、ははは。



       ジョヴァンニ・ベッリーニの「ピエタ」・Giovanni Bellini [Pietà]
       1470年頃の作品だそう。
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       4人の小天使が、哀れみを込めて見つめながら抱き起こす、
       写真では少し色が暖かく出ましたが、もっともっと透明感の漂う
       色も凛と涼しい、素晴らしい作品で・・。
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       この作品はシジスモンド・パンドルフォがその晩年に注文したものだそうで、
       ですが作品の年号から見て、1468年の没後に届いた様子。
       彼は美しい物を愛したそうですから、もし実物を見ることができたら、
       どんなに喜んだことでしょうか・・。



       ジョヴァンニ・ベッリーニは(1433頃–1516)ヴェネツィアの画家、
       ルネッサンス期の著名画家の一人でもありますが、
       その83歳の生涯において、途切れることなく70年程を
       描く事に注ぎ、しかも駄作がない、と言われる絵描きの鑑!

       で、その作品中に「ピエタ」の作品が数多くありますので
       幾つかを拾い出してご覧頂きますね。

       大変有名な、ミラノのブレラ絵画館のもの、1465年頃  
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       「メティネンゴ・Metinengoのピエタ」ヴェネツィアのアッカデミア蔵・油彩
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       ベルリンにあると言う「ピエタ像」 リミニのイメージに似ていますね。
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       ヴェネツィアのコッレール博物館蔵
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       「ペーザロ・Pesaroの祭壇画」と呼ばれる油彩画 ヴァティカン蔵
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       ね、こうしてあれこれピエタ像をご覧頂くのも、
       リミニにあるのが、いかに美しい作品かを分かって頂こうという、
       ・・shinkaiの謀略なのであります、ははは。



       という所で、少し他の収蔵品のご案内も。

       これはテラコッタ製と思いますが、たぶん聖母子像
       右腕の部分が欠けていて残念ですが、和やかなお顔でしょう?
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       木製彩色の聖母子像。 少し北方のイメージもありますが、
       幼いキリストの鼻がお母さんそっくりなのが可愛いというか、ははは。
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       陶器の破片を幾つか
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       彫り込みのある木箱、中央下にマラテスタ家の紋。
       1450年頃、モンテグリドルフォ・Montegridolfoから、とありますが、
       この町はリミニの領域とはいえ、マルケ州に近い山中に位置し、
       モンテフェルトゥロ公との抗争により要塞化され、現在に残るそう。
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       さて、もうひとつご紹介したい絵を。
       ドメニコ・ギルランダイオ・Domenico Ghirlandaio(1449-1494)
       とその工房による祭壇画、現在はないサン・ドメニコ聖堂の礼拝堂に在ったものと。
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       大きな板にテンペラ画で、光が反射し、正面から撮れませんで。
  
       中段の真ん中にドメニコ会派のヴィンチェンツォ・フェッレール・Vincenzo Ferrer
       この方は、いわゆる病人等に奇跡の回復をさせると評判が高い方なのだそうで、
       左にサン・セヴァスティアーノ、右にサン・ロッコと三聖人が並び、


       下段に中央右手、赤い衣装の男性が、リミニのマラテスタ家最後の領主である
       パンドルフォ4世・PandolfoIV とその横にいるのは弟のカルロ・Carlo.
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       左の女性2人は、外の黒い衣装がパンドルフォ4世の母親
       エリザベッタ・アルドブランディーニ・Elisabetta Aldobrandini
       中央がパンドルフォの妻ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ・Violante Bentivoglio.
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       最初は単純に絵がとても美しいと眺め、それから、この4人は誰?と探し、
       ・・聖人と一緒に絵に登場するのは絵の依頼主、と決まっていますので、
       するとなんと、大変に興味深い事が次々、つまりです、ゴシップね、ははは、
       分かりましたので、ここにお裾分けを、はい。

       この絵はもともとが今はない聖堂にあった、と書きましたが、
       当時は下部の人物像が塗り隠されていたのだそうで、
       1924年の修復で、これら4人が明らかになったのだと。
       ご想像あれ、隠されていた人物を突き止めた時の、修復師の驚き喜びを!

       で分かった事は多分、1492年の町を襲ったペストの終焉と、
       一族内の陰謀謀反から助かった事を感謝しての絵の奉納であったろうと。
       妻のヴィオランテが感謝と祈りの手を合わせるポーズで、
       希望を表す緑の衣装を着けているのですが、
       パンドルフォは、私です、と意思表示に掌を広げつつ母親を見つめ、
       弟は単純に彼です、と指差し、母親は息子を見ている、と。

       結局この絵は、本人達に似ていない、と言う事で
       了解していた値の半分にも満たない支払いを受け、
       依頼した時の感謝の念の奉納宣伝をも取りやめ、塗り隠されたままに。

       上記しました様に、1492年のペストの終焉後、そして
       ギルランダイオ自身の没年1497年を考えると、
       彼の最晩年の作品であることが分かり、工房の助手の手もかなりかと。
       それにしても、やはり鮮やかな素晴らしい作品と思います。
       

       リミニのマラテスタ家最後の領主と書きましたが、
       パンドルフォ4世(1475-1538/39)は、
       シジスモンド・パンドルフォの孫にあたり、
       父親は偉大なるロベルト・Roberto il Magnifico.
       その愛人エリザベッタ・アルドブランディーニとの間に生まれ、
       たった7歳の時に父親を亡くします。

       でそれからが大変!
       母親が大変な陰謀好きというかなんと言うか、
       一族内の権力抗争が絶えず、
       おまけに何が何でも息子を自分の思い通りにさせたがる、
       息子の結婚も代理人結婚とはいえ、わずか10歳のとき!
       花嫁のリミニへのお輿入れは数年後だったようですが・・。

       で、政治的センスに欠け、戦略的にも余り優れない彼は、
       何度も戻る試みをしながらもリミニの町から追い出され、
       終にはフェッラーラ大公のアルフォンソ・デステにすがり極貧の内に暫く過ごし、
       最後はローマで亡くなるという、・・哀れな生涯

       母親と妻についても調べましたが、いまだ生没年も分からず、
       妻の方は夫よりも先に、フェッラーラでかも、亡くなった様子。

       それにしても、この女性像は美しい!
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       こちらはシジスモンド・パンドルフォのメダル
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       説明文を写した写真の順序が間違っていないなら、
       最初のメダルは、カステル・シズモンドの塔の中、
       3m以上の高さの天井に注意深く3箇所に穴を開けて詰め、
       塞いであったものだそう。

       下の写真のは、シジスモンドの礼拝堂の円柱を支える
       象の背中から発見されたものだそうで、
       1450年10月の事であろうと。

       まだ何かどこかに埋まっているかも、の気がしません?! ははは。



       こちらは多分シジスモンド・パンドルフォの衣装の色柄の復元と。
       昔の衣装によく見るアザミ柄ではないかと・・。
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       上の柄の写真を見て思い出し、探し出しましたのがこれ!
       何年か前に雑誌で見た覚えがあったのですが、
       意外に簡単に見つかりまして・・、

       ファーノ・Fanoの領主パンドルフォ3世のファルセット・Farsetto.
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       美しいでしょう?!
       ファルセットと言うのは、当時の男性が甲冑の下に着用した胴着。
       パンドルフォ3世(1370-1427)はこれを着用した姿で
       埋葬されていたのだそうで、1995年に発掘され復元されたものと。
       パンドルフォ3世というのは、シジスモンド・パンドルフォの父親にあたります。

       ファルセットの再生というか復元は、
       長毛の絹のビロード、色は深紅色
       胴の部分は前後4つの部分から成り立ち、
       2枚の麻布の間に詰め物をし全体にキルティングを施され、
       その糸は絹糸!
       前部には直径1cmのボタンが2cmの間隔で付けられていると。

       深紅色と金、そしてこの胸の厚さ! 素敵ですねぇ!

       多分世界に一つ、というこの再現された胴着は2009年に、
       ファーノの博物館で公開されたのだそう。



       とまぁ、次回に予定していますシジスモンドの墓所見学に
       ちょこっとにじり寄った所で今回のご案内はお終いですが、


       最後はお付き合い下さった皆さんの気晴らしに何か、
       美味しそうな物を、サイトからあれこれ探しまして、
       リミニはやはり海の幸かなぁ・・?!
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       そうそうロマーニャ名物に、ピアディーネ・Piadineがあった!
       ピアディーネというのは、こんな風に薄焼きした物に
       何でも好きなものを挟んで食べる奴で、こういうのは世界共通ですがぁ・・、
       注文すると熱くしてくれ、チーズがとろっとね。
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       ここリミニのは、ピアーダ・Piada といい、どうやら大判のようで、ははは、
       生ハムにパルミッジャーノのうす削り、ルーコラ
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       野菜のグリルをはさみ
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       何でも好きな物を入れて、ぐるっと巻いて、かぶりついても良し!
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       小鰯のから揚げ?! おお、おお、これはシー、シー、Sììììì!!!
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       ははは、つい食べ物に取り乱し、はしたない所を・・、


       また次回もよろしくお願いいたしますぅ!!


     *****

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by italiashiho2 | 2014-03-01 02:38 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(15)