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2014年 11月 28日

   ・・・ 上諏訪の町 ちょっぴり歩き と あれこれ (追記2つ)・・・

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       昨年の秋10月、長野県は上諏訪のギャラリー橋田さんで
       個展を開かせて頂いた時
       宿は上諏訪の駅西すぐのホテルでしたが、南の城南町にある
       ギャラリーまで、朝3,4回ほど歩いて行きました。
       ちょうど30分ほどの距離でしたが、道筋も変えたりし、
       あちこち眺め、2度ほどはカメラを持ってパシャパシャと。

       諏訪というと諏訪大社の春宮、秋宮が有名ですが、
       こちらは神社の歴史にも詳しい絵の師二木さんがご案内下さり、
       はい、小学校6年の修学旅行以来でして、ははは、
       小学校の旅行の時には高島城にも。

       で歩く道筋にちょうどこのお城があり、
       それ以外にも、味噌蔵のお店とか、古い町、家の意匠とか、
       鄙びたとても良い感じの道筋だったのですね。
       ちょうど古き良き日本の町という面影で・・。

       という事で、ちょうど1年前の秋の日の、
       上諏訪の町散歩をお付き合いください

       上の写真は、ホテル8Fの自室の窓からの眺め。
       暑い暑い夏日のような10月でしたが、既にほんの少しの紅葉


       上の写真から少し視線を左にずらすと、
       こんな感じに上諏訪の駅で、
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       右にぐっと振り向くと、諏訪湖が半分
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       ただ持って行きましたカメラが古いコンパクトのデジで、
       描写もイマイチなので、ご容赦を。

       長野再訪、芹田小学校と善光寺

       昨年の、出かける前のドタバタは

       諏訪での個展の様子は


       さてカメラを持って歩いた朝は、爽やかなお天気で、
       人気のない並木道をせっせと・・。
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       この辺りはかなり南に来た位置ですが、
       温泉町のせいなのか、普通の民家以外にお店も人通りも少なく、
       鄙びた、ちょっと一昔前の町の印象を受けましたが・・。



     
       お店なのか、普通のお家なのか?
       賑やかに軒下に消火用バケツが並んでいて、屋根も赤!
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       ご丁寧に、バケツには2通りの標語がありまして、
        災害に備えて日頃の火の用心
        安心の暮らしの中の火の用心
       shinkaiは上の方が語呂が良いと思いま~す、ははは。
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       お家の横にある神社、というのか祠というのか・・。
       鳥居にある社の名は読みませんでしたが、
       小型の御柱もたっていて、本格的でしょう?!
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       水栓も凝っていて、色付きというのは始めて!
       それに消防車のは、カッコいいでしょう?!
       そしてそして、さすが温泉の町、湯栓ですって!
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       昔の火の見櫓の名残かな、 ホースが干してある、というのか、
       使わなくなったのをデザイン的に並べているのか・・。
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       そうそう、昨年見て気になったのは車のデザイン!
       前が異常に短いんですよね、短くて、おまけに鼻先を叩いた様な!
       ははは、そういう車が余りにも多く走っているので、目に付きましたが、
       今も流行っている?



       
       細い川を渡りますが、蓮田になっており
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       その向こうに、この丸高味噌・宮坂醸造の建物
       素敵でしょう?! この雰囲気。
       この部分はお昼の食事と喫茶になっているお店「千の水
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       この辺りはお城の三の丸跡になる、という説明板も。




       お店の手前角には、こんな足湯の桶も設けられ
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       素敵な佇まいでしょう?!
       中はちょっとモダンな設計も見られ、食事も美味しいと
       聞きましたが、
       こういう建物は本当に、ですねぇ!
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       お品書きが表に出ておりまして
       昨年も行きたかったのですが、どうにもお昼に出かけられず・・!
       次回にもし行けたら、何を食べようかと、ははは。
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       う~ん、肉はダメだから、となると、
        味噌だれ白焼きうなぎご飯1800円
        特製うなまぶし1800円
       
       どうもね、円の0の数が多いのが心臓に悪く、はは、
       計算機を叩いて、そうか、15エウロ弱ならOKね、と納得。
       
       あのですね、来年の秋のギャラリー橋田さんでの
       個展が決まりましたのです、はい。
       ですから、日曜のお休み以外に行けるのを楽しみに、
       お絵描きを頑張ります!! そう、目の前のニンジン、ははは。
       ひひひ、個展の日程はまた改めまして、お知らせを。
       食い意地が先に来るshinkaiより。

     ◆ 追記1
       ギャラリー橋田さんでの絵画教室に毎月お出かけの
       二木さんよりメールを頂き、

       先日来メニューの見直しがあったようで、
       豚カツ、ヒレカツが無くなり、豚汁のメニューとか。
       ウナギはまだあり、豚汁もとても美味しかったと!
       
       最近お客が増え、先日は満員で座れず、暫く後に出直し
       それでも少し待ったとか。
       お出かけの方、お早めに!   ひひ、回し者より。




       黒板壁、煌くススキ、紅いポスト、う~ん、日本の秋!
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       隙間から覗けるお家の縁側、ガラス戸
       そうよね、昔はこんなお家が多かったよね。
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       ず~っと続く黒板と白壁の蔵
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       はは、こちらは、日本の夏、キンチョウの夏! 
       真ん中には、カゴメケチャップ、・・素敵ぃ!
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       近くで見かけた、素晴らしいというか、凄いというか、
       迫力の赤茶のトタン葺き、そして壁!
       ・・大平原の荒野にこの家一軒だけ、で絵になりそう!! 
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     ◆ 追記2
       このお家は、暫く前、遂に取り壊しになり、
       駐車場になったそう。  残念!




       少し先の橋の袂にあったのは、三の丸湯跡の碑
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       もう一度川を渡り、
       懐かしい良い感じの細い川と橋でしょう?
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       脇には、こんな小さくて古い可愛い祠
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       漸くに広い道に出て、目の前に聳える高島城の天守閣
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       明治になって各藩の城は取り壊しになり、この城も。
       で後1970年に改めて造復興されたというので、
       幼いみぎりのshinkaiが修学旅行にやってきた時は、
       このお城は堀と石垣だけだったのですね。
       はい、お堀と満開の桜が記憶に残りますです。




       お堀と冠木橋
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       橋を渡って振り返る冠木門
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       説明板によると、冠木門というのは、
       左右の柱の上に一本の貫・ぬきを通しただけの簡単な門を言い、
       城の絵図に見えるのはこうした屋根付きの門・楼門なので、
       最初は冠木門だったのが後に建替えられ、名のみが残ったのだろうと。              




       門の内側は公園として整美されており、護国神社があり、
       天守閣の中には資料館があるそうですが・・。
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       なにせ画廊への通勤途中なので、ははは、
       お庭もざっと見て、橋を渡り、
       石垣の角の線の美しさに見ほれつつ
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       カモ達が遊んでいるのも横目で見つつ・・。
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       こちらは別の曇り日ですが、
       ホテルの窓から見るお城、ちょうど天守閣だけ見えますね。
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       今は町の中に埋もれてしまっているお城ですが、
       かっては「諏訪の浮城」と呼ばれ、
       松江城、大津の膳所城と共に日本の三大湖城の一つなんだそう!

       という所でこちらをどうぞ。
       かの葛飾北斎描く、富嶽三十六景の内の、信州諏訪湖
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       お城建造は1590年代、諏訪湖と沼沢地に囲まれ、何本かの川を
       堀とし、地盤が軟弱なので、大木で組んだ筏の上に石垣をと、
       当時としては最新工法だったようですが、何度かの石垣修復があるそう。
       江戸時代に入って諏訪湖の干拓が進み、現在の姿、という事ですが、
       
       まさに葛飾北斎らしい大胆な構図の、
       ど真ん中に突き出した岩山の上の祠、富士浅間社というそう、
       と、松の木はどこにあるか?
       
       これについては、大変研究熱心な方がおられ
       こちらに書いておられますので、どうぞ!




       そしてこちらは冬の凍った諏訪湖を渡る旅人たち、
       渓斎英泉(けいさい えいせん)描く 木曽街道六十九次
       のうち「 塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望
       諏訪の浮城もやはり水際に。
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       栄泉というのは、浮世絵の妖艶な美人画で良く知られていますが、
       なかなか才気ある筆も立つ人だった様子。
       



       「木曽街道六十九次」全72図のうち、栄泉が描いたのは24図、
       後は「東海道五十三次」で名高い歌川広重が描いているのだそうで、
       
       穏やかで叙情的な趣ある、歌川広重の描いた諏訪湖からの富士、をどうぞ。
     
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       浮世絵の世界に名を残すこの巨三人、
       まさに江戸末期の同世代に生きしのぎをけずっており、
       その様子を歌川広重を主に据えながら、
       藤沢周平さんが「旅の誘い」という小編に描いておられますが、
       広重から見る北斎の絵と、風景画に向う広重の気持ち、
       う~ん、私と同じだぁ!と気に入っているshinkaiです。

       「旅の誘い」藤沢周平著は、文春文庫「花のあと」に収録。




       所で、本当に諏訪湖からこんな風に富士山が見えるのか
       とお疑いの方、私は見ていませんが、見えるのですねぇ!
       サイトから拝借の証拠写真をどうぞ!
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       最後は、山の中腹にあるお蕎麦屋さんに
       友人共々連れて行って頂いた際の、大快晴の諏訪湖の眺め!
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       最後に見える手前は立石公園といい、
       諏訪湖の花火の時には絶景のポイントになるそう。

       
       いやぁ、諏訪にこんな鄙びた素敵な町並みが残っているとは
       思ってもおりませんでしたが、素敵なプレゼントでした。

       細い道を背の高いトラックやバスが通るし、まっすぐお城には
       行けない城下町のつくりで、ちょっと戸惑いもありましたが、
       はい、次回もきっと歩くつもりです!

     * * *

       改めてまたご案内させて頂きますが、
       お陰さまで、来年秋10月、同じギャラリー橋田さんで
       個展をさせて頂く事が決まりました!

       懐かしい信州の空気、秋日和、嬉しい和食尽くしだぁ!
       と、目の前に人参を下げて貰った馬同様、ははは、
       またもう1年弱、しっかり描いて行こうと思っております
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       日本で食べた美味しいもの



     *****

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by italiashiho2 | 2014-11-28 01:13 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(17)
2014年 11月 23日

   ・・・ スコミーゴ村 ・ 秋の色を見つけに一回り ・・・

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       ちょうど1週間前になりますが、朝は曇り空でぐずっていたのが
       10時頃に急にすっきりと空が広がり、久し振りの太陽が!
       1週間ほどもの雨続きでしたので、
       陽が射すのを見るともうたまりません!
       お絵描きをそのままに、カメラだけ持って出かけました。

       雨が続く前にちょうどよい黄葉となっていたので、
       この雨続きでかなり色が変わり、葉も落ちたのですが、
       それでも、イタリアの静かな秋、黄葉!
       と私が思っている様子を、スコミーゴ村便りで、
       ははは、お楽しみください!

       トップはお馴染み、隣村オリアーノの教会
       いつも逆光の位置になるのですが、
       この時は雨上がりで少し靄ってもおりました。

       昨年の秋の様子は

       オリアーノからコネリアーノへの秋の色


       写真をRAWのL版で撮ってJpegに変換、縮小、ブログ名を入れ、
       の際の手加減がいまだイマイチつかめず、今回も少し写真がチリチリと、
       見難いのがあり、申し訳ありません!



       手前は、村で今一番新しい葡萄畑で、
       ひょろっとした子供の葡萄の木が、育ちつつあり・・。
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       最近の、辛口発泡性白ワイン・プロセッコの販売大向上で
       この辺りはどんどん葡萄畑に替わって行ってますが、
       ここも2年前まではトウモロコシ畑だったのです。




       少し先の葡萄畑
       逆光に枯れた葉が煌きます。
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       こんな風に土地の起伏に従い、畝の先には小さな谷があり
       湧き水が流れ、そして向こう側の丘、オリアーノに続きます。
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       ここの葡萄畑についての詳細は




       この優しい色のハーモニー、素敵でしょう?!
       少し葡萄畑の脇道を入っての、私の一番好きな眺め。
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       道を引き返し、北の方に少し。
       この辺りは土地が低いのか、いつもすぐに水溜りが出来る場所。
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       となりの葡萄畑は既に剪定済み!
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       お家の前庭で、鴨が2羽日向ぼっこ
       まぁさか、クリスマス用では・・! はは。
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       少し離れた場所には、馬の親子
       久し振りのお天気に、蝿たちの動きも活発なのか、
       2人ともにせっせと尻尾を振っており・・。
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       丘の稜線にそって葡萄畑が広がる場所
       ほら、手前側の畑の葉はすべて落ちているのに、
       丘の方のは、まだ黄葉・・。
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       並木、そして葡萄畑の畝の並び、葉の色の違い
       この葡萄畑の畝の並びが大好き!
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       奥に続く秋の色
       遠くの山は北国との境ですが、今日は上の方、雲がかかり。
       先日の雨では、ほんの上の方ちょっぴりと白くもなり・・。
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       道を行きながら見る黄葉
       雨が多いので、緑がまだこんなに。
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       道を折れ、オリアーノに続く高い道に向いますが、
       途中で見た、せっせとお仕事中の蜂君
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       そして蝶。 この色柄のは良く見かけます。
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       裸木をカサコソと動く音、トカゲ君
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       烏瓜のオレンジ色
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       上の道に出ての、 
       丁寧に作られた段々畑の、逆光に光る葉
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       あ、ここも既に剪定が済んでいる、と見つつ
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       パチン、パチンと澄んだ鋏の音が聞こえ
       シニョーレがお仕事中。
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       左腰に下げている細枝、見えますか?
       余分な枝を剪定した後、切った先を支えの針金に結わえるのですが、
       今頃は殆どがプラスティックか金属の輪を使うのに、
       このシニョーレはまだ柔らかい小枝で結んでいるのですね。



       眺めていると振り向かれたので、ついでに1枚お願いし、
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       すぐ先では、落ち葉を掃かれているお年のシニョーレ
       家のワン君が吠えるので振り向かれ、ボンディ!と。
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       オリアーノ村のほうが高く、スコミーゴ村の教会がこんな風に
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       少し位置を移して見える、我がコンドミーニオ
       左寄り階段状の建物、上から2段目の1階に我が家で、
       右側の庭が広く、窓の外は全部緑で気に入ってます。
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       奥に見える教会は東隣のコッレウンベルト村
       望遠レンズでこうして見ると、とても近く見えますねぇ!




       ふらふら歩きながら、またスコミーゴへの下り道に入り、
       雨に打ち倒されたコスモスを見つけ、
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       お家の影にまだ咲き残る紫陽花も
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       名残の小さな薔薇一輪
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       今頃都で流行るなる、自分撮りを我もしてみむとて・・、ははは。
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       細い上り道の木々のトンネルを抜け
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       家の近くの畑脇、
       いつ、どこでも、猫じゃらしが光ると、写さずにおれず・・!
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       蜘蛛の巣も
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       静かなトーンとハーモニーの、イタリアの黄葉だけでなく、

       最後はね、そう、こんな赤いのもあるんよぉ!
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       柿の赤い実が青空に映えると
       ほらね、日本の秋と同じでしょう?! ははは。
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       スコミーゴ村の一回り、ご苦労様でしたぁ!!
       


     *****

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by italiashiho2 | 2014-11-23 01:05 | ・スコミーゴ村の四季 Scomigo | Comments(19)
2014年 11月 18日

   ・・・ 聖女フィーナと、収穫のお祭り ・ サン・ジミニャーノ ・・・ 

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       中世の塔の町、世界遺産にも指定のサン・ジミニャーノですが、
       あれこれサイトを見ていましたら、
       「サンタ・フィーナの騎士団・I Cavalieri di Santa Fina
       という協会がある事を知り、それに関連して
       中世風お祭りの写真がたくさん見つかりましたので、
       今日はそれを皆さんにお楽しみ頂こうと・・!

       まずはこの町生まれの聖女、サンタ・フィーナのご紹介を
       彼女の生家はチステルナ広場から東にじきの小路を右に。
       小路の入り口に標識も出ていますし、
       上の写真のように、建物の間を抜けるアーチの道。


       で、突き当りを左に折れるとこんな感じで、
       この家がサンタ・フィーナの生家と。
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       入り口扉の横に陶板が見えますが、



       こんな風に、 サンタ・フィーナの家
       1238年生まれ  1253年3月12日没
       そうなのです、僅か15歳の人生でした。
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       彼女の足元に、何か板のような物を抱えた天使がいるのにご留意を。



       こちらが町の北端にあるサン・タゴスティーノ教会・Sant'Agostino
       にある、サンタ・フィーナの肖像と。
       作者はベノッツォ・ゴッツォーリ・Benozzo Gozzoli.
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       聖女、サンタ・フィーナとご紹介しておりますが、
       本当は聖女に叙されておらず、福者「サン・ジミニャーノのフィーナ」
       が正しい様ですが、
       この町では町の守護聖人サン・ジミニャーノに並ぶ扱いでして・・。

       彼女の短い人生がなぜこんなに語られるかと言いますと、
       貧しい貴族の家に生まれた彼女は、10歳の時に骨髄炎かの重病にかかり、
       大変な痛みに耐える闘病生活に。
       それを彼女は粗末なベッドさえも拒否し、樫の木の硬い板に横たわり、
       腐敗した肉は木にこびりつき、鼠と蛆虫に食われる有様!

       父親もついで母親もなくなり、唯一その苦しみを和らげるのは
       神への信仰と感謝と天国に迎えられる希望のみ。

       はい、聖人、聖女のお考えは我ら凡人とは違いますよって・・!

       なぜこんな厳しい道を彼女が選んだかと言いますと、
       まだ病気にかかる前、一人の兵士に出会い、彼が愛の印に
       オレンジを贈り、彼女が受け取ったのを親が咎めたからで、
       その贖罪の為に硬い木の板に横たわったのかも、とか・・、
       この辺りはよう分りませんですね、まだほんの少女の心理は・・。



       こちらも聖フィーナの逸話を語るもので、
       苦しい闘病5年後、彼女の元に大聖グレゴーリオ・San Gregorio Magno
       が現れ、8日後の死を予言し、その通り1253年3月12日に。
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       大聖グレゴーリオという方は、第64代のローマ教皇(在位590-604)
       グレゴーリオ1世の事で、
       教会改革を進めた中世初期を代表する教皇様だそうですが、
       彼の亡くなった日も3月12日なのだそう。

       で現在の我々にも大変親しい「グレゴリオ聖歌」に
       名を残す方として知られますが、
       この歌詞を彼が書いたかどうかは確かではないと。
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       聖フィーナが亡くなった後、その遺骸を外した樫の板は
       紫の花で覆われ、部屋の中は新鮮な花の香りに満ち
       町の城壁にも紫の花が咲き・・、これは現在もで、
       町の人々は「サンタ・フィーナのヴィオラ」と呼ぶのだそう。

       そして彼女の墓や名の下に寄進されたお金や財産を使って
       彼女の名を冠した病院が運営され、貧しい人、老いた人、病める人、
       巡礼者達の救護に当たり、つい近年までずっと続いていたのだそうで、
       これは素晴らしい事ですよね。


       という様な、本日の前置きが長くなりましたが、はは、
       彼女の名に敬意を表した騎士団協会から芋ずる式に、はは、
       イタリアの中世回顧祭りともいう
       サン・ジミニャーノの収穫のお祭り・Ferie delle Messiをどうぞ!

       まずはこんなお祭りには付き物の、時代衣装の行進
       ここのは何と500人程も参加するそう!
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       白い大きな牛、シエナのパリオでもお馴染みのキアニーナ種と
       思われますが、それに引かせた牛車もね。
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       牛車には「花の女神・フローラ」が乗ったのもあるそうですが、
       ここでは可愛い少女達が乗り込み、麦わらを投げつける様子を、はは。
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       お祭りはフェーリエ・デッレ・メッシ・Ferie delle Messiといい、
       (小麦の)収穫後のお休み、という様な意味になりますが、
       毎年6月の第3週末3日間に渡り繰り広げられ、今年でどうやら20回。
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       プログラムを見ていて分ったのは、すべての行事に町の人々が
       参加してというのは、人口7600人ほどの町では無理ですし、
       他の町から、中世の様々な仕事を実演したり、広場で市を開くグループ、
       鷹狩りの実演、中世風ダンス・これはドイツの姉妹提携している町から、
       旗振り競技はラクイラ・L'Aquila、アブルッツォ州の町からの参加、
       そして多分中世音楽のグループと、夜の町で火を噴いたりする公演の
       グループが招かれており、

       町の人々が実際に参加して競技が行われるのは
       4区域に分けられての、男性の綱引き、ははは、これが面白いのですよ!
       女性達の布の三つ編み競争
       そして一番の呼び物、騎馬による棒の競技!!



       ゆるゆると様子を見ていただきますが、

       こんなロバを連れた男性の写真もあり、
       チュキーノ・ciuchinoとタイトル。
       小さなロバ、という意味の様ですが、ま、その通り受け止め・・。
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       太鼓隊の隊長は、かっこいい女性ですねぇ!
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       指を4本立てているでしょう?
       あれはですね、こちらの音楽始めの合図は1、2、3、4、で
       始まるのですね。
       日本だと、いち、にぃ~の、さん、で始まりますが・・。
       まぁ、結果同じ間隔になるとはいえ、
       初めて聞いた時は、へぇ!とささやかながら大きな驚きでしたぁ!



       兵士に扮した、若き美男もサーヴィス、ははは。
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       ドゥオーモ広場の石段前に勢ぞろいの、ダンスのメンバー
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       こんな風に踊りをご披露
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       迫力あるドラム隊が、合図の太鼓を打ち鳴らし、
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       手に唾つけて、準備万端整え
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       始まりますは、そう、昔ながらの綱引き競技!
       イタリア語では綱がフーネ・funeで、ティーロアッラ・フーネと。
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       これが大変面白いのですよ、見ていると!
       単純な競技ほど熱中しますよね、ははは。
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       熱中するとつい舌が出るのは、洋の東西変わらずかな・・。

       アッシジの坂の広場での綱引きは、
       回転する鉄の筒に綱を回し、同じ方向から引くのを見ましたっけ!

       素晴らしいアッシジのお祭り、カレンディ・マッジョ 
       その前夜 
       その1~4



       こちらは町の女子勢の競技、布の三つ編み!
       必死になって、潜っては走り回るのでしょうねぇ、ははは。
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       旗振り競技
       どの写真のがラクイラからのチームか分りませんが、
       旗振り全国大会もある様子なので、毎年参加チームが変わるのでしょう。
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       我が町コネリアーノの旗振りは

       古い写真ですが、アスコリ・ピチェーノの旗振り競技は

       ウンブリアのお祭りは
     


       この弓競技も面白そうですが、修練が必要でしょうね。
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       そして、男性陣が大好きなチャンバラごっこ!
       手前のシニョーレ、腰が引けてるよぉ!
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       ははは、やられて、死んどる!
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       。 これが重いのです! 
       ウィキで見ましたら、両手持ちの剣で平均1.5k程とかですが、
       昔お祭りに出かけて持たせて貰ったら、ずっしり・・!
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       さてお祭りの最後を締める、騎馬による棒の競技の始まり!
       ドゥオーモ前で、町の4つの区域の騎士と馬が紹介され、
       お清めがあり、
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       競技の行われる要塞に向いますが、
       町の通りをずっと行進する様子。
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       棒の競技・Giostra dei Bastoniとはどんなかと思いましたら、
       ははは、本当に棒を持っているでしょう?
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       で、真ん中に見える棒の上に乗った兜をですね、



       走ってきた勢いで、叩くのです
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       で、どうやって勝負が決まるかというと、
       あちらこちらの写真を見てのshinkaiの結論は、ははは、
       兜が乗っている棒の下が折れる様になっていますね。
       で、強く叩き、相手側に兜を落とした方が勝ち
       つまり腕力勝負ですねぇ! ははは。



       勝者の騎士とお馬ちゃんの名も、勿論勝者の地区の名も
       ドゥオーモ広場で表彰され、夜は皆での大食事会!
       たてがみが、可愛く編まれているでしょう? ははは。
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       屋台の食べ物屋の主人も、中世風に装っての、
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       楽しいお祭りの様子でしたぁ!
       食べ物の写真が見つからなかったのが残念ですが、
       また次回のお祭りの時にでも!

       画質が良くありませんが、こちらにお祭りのヴィデオ
       音が聞こえますので、お暇な方どうぞ!



       さて最後は、サン・ジミニャーノの有名なサフランを
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       中世には染料、薬、香辛料としても大変貴重なサフランで、
       この町はその栽培で大いに儲けたので有名でしたが、
       この軽い軽い雌蕊を手作業で抜きとり、乾燥させる、
       その貴重で高価な事から「赤い金」とも呼ばれたそう。

       そんなこんなの歴史あるサン・ジミニャーノのご紹介でした
       お楽しみ頂けました様に!



     ◆ 絵画小品展のお知らせ ◆

       わが絵の師二木一郎さんが講師をされている、
       長野県諏訪市の絵画教室の生徒さんの小品展が開催されます。

       私も昨年個展をさせて頂いたギャラリー橋田さんで、
       11月25日から12月5日まで
       二木さんの新作小品も展示されるとの事。
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       お時間の都合をつけ、是非お出かけご高覧下さいますよう
       ご案内いたします。

       作品展の詳細については、二木さんのブログのこちらに。



     *****

       水彩ブログには、7月のトスカーナ 麦秋 ・ 途中経過を
       アップしております。
       見てやってくださ~い!     

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by italiashiho2 | 2014-11-18 05:41 | ・トスカーナ Toscana | Comments(12)
2014年 11月 13日

・・・ 美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして ・・・


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       世界遺産指定の、中世の塔が残っているサン・ジミニャーノ
       先回は雲海の朝焼けを見て頂きましたので、
       今日は塔の上からの眺めをご覧下さいね。

       例により塔の名を確かめつつ、あれこれ興味深い事も
       知りましたので、そんなもろもろも!
       ごゆっくりどうぞ!

       上は町の外からの景観、4ヶ所程の遠方から見れたのですが、
       これはコッレ・ヴァル・デルザ行き方面からのもの。



       上に上がれる塔は唯一、ドゥオーモの横にある現市役所の
       パラッツォ・デル・ポーポロ・Palazzo del Popoloの右
       トッレ・グロッサ・Torre Grossaですが、・・写真の上がぁ!
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       塔に上がるには、写真中央に開いて見える入り口から



       中庭に入り
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       正面の上り階段を行きますが、
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       トッレ・グロッサがこんな風に!
       高さ54m、現在町で一番高い塔、1300~1311年に建設。
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       塔の下の入り口を入ったところに切符売り場があり、
       大変親切な係りが笑顔で、各国語で対応。
       塔だけで良いからまけろ!なんぞというお客にも丁寧に、ははは。
       いやぁ、一体にこの町の人は観光客に親切でしたねぇ!

       塔内の階段。 段数は書いてあるのが見つからず、
       ええ、まぁ、大丈夫、心配なく上がれますです、はは。
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       途中の窓から見える、ドゥオーモとその東の広場
       そして双子の塔と呼ばれるサルヴッチ・Salvucciの塔
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       塔の最上階を、北にある要塞から眺めると
       こんな風に登っている人が見えますが、
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       こんな感じ、かなり広いでしょう?
       真ん中に大きな鐘が二つ下がり、その下を通り抜けたり、
       あちこちから展望が楽しめます。
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       が、壁の高さが私の胸の位置で、かなり幅も広いのです。
       なので、一生懸命に爪先立って下を覗くのですが、
       ・・背の高い男性の方が、こういう場合は有利ですねぇ!



       さて、町の南側。 
       左に切れて見える塔はクニャネージの塔・Cugnanesiで、
       見える通りはサン・ジョヴァンニ・Via San GIovanni、
       突き当たりに町のサン・ジョヴァンニ門・Porta San Giovanni.
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       ついでに右のベリニャーノ通り・Via Berignanoの、
       古い家並みと瓦の感じをどうぞ。
       真ん中辺り、右に突き出す丸い形は、
       町の城壁にいくつかある見張りの塔。
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       左に戻り、右の塔が上の写真で切れて見えたクニャネージの塔で、
       13世紀建設、足元に大きなクニャネージ邸がありますが、後ほど。

       左の塔が、先回の朝の写真でベッチのアルコの横に見えていた
       ベッチの塔・Becci.
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       塔の名前、また町のどの位置にあるかなどは
       改めて後ほど地図でご説明しますので、
       まずは塔の上からの眺めをお楽しみくださいね!



       これはドゥオーモ広場のドゥオーモの向かい、
       パラッツォ・(ベッキオ)・デル・ポデスタ・Palazzo Vecchio del Podestà
       つまり古い政庁付属の塔で、1200年に建設の町で一番古い
       ロニョーザの塔・Rognosaと、左に切れてキージの塔・Chigi.
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       高さは約52mあり、トッレ・グロッサに継ぐ高さで、
       名前のロニョーザはローニェ・Rogneに由来し、なんと疥癬病の事!

       というのも、この古い政庁から新しい建物、現在の市役所に移った時、
       この古い建物が監獄として使われ、その収監者に疥癬病者がいたのですと!

       ははは、これは伝染病だそうですから、いっぱいうつったろうねぇ!!
       頃は14世紀、中世ですものねぇ、ははは、
       読んだだけで痒くなりそう!
       
       所で当時の高さ52mは町で一番高い塔だった、というのをご記憶に。



       ロニョーザの塔はドゥオーモ広場にあるのですが、
       その足元の少し南側はチステルナ広場・Piazza della Cisternaで、

       見える塔はディアーボロ・Diavolo・悪魔の塔
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       いやなに、上階にある建て増しが素晴らしく大きいでしょう?
       それも持ち主が旅行中に出来上がっていた!
       という伝説的な由来なのだそう。
       


       チステルナ広場の様子をどうぞ

       手前真ん中に見える塔が、2本あるうちの一本のアルディンゲッリの塔
       Ardinghelliで、もう一本も見え難いので、後ほど広場側から。
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       朝の雨が嘘みたいな暑い午後で、ワンちゃんものびてますねぇ!
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       遠くに望む平野の眺め
       オリーヴ畑、葡萄畑、そして雲が動いて行きます・・。
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       ドゥオーモ広場から繋がるドゥオーモの東側の広場、
       エルベ広場・Piazza delle Erbeに面する塔2本、
       双子の塔・Torri Gemelleとも、建設者の名でサルヴッチの塔とも
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       サン・ジミニャーノに到着したばかりの午後、
       雨上がりの広場に出かけて即、目の前に立ち塞がったこの2本の塔。
       素晴らしい白グレーの石の迫力で、威圧感を受けた印象がとても鮮明。

       その左斜めに見える低めですが太い塔は
       ノーミ・ペショリーニ・Palazzo Nomi Pescioliniと言い、

       その手前に見える低い赤い屋根の部分も含まれ、
       そこが現在アパート式の宿になっていて、4泊しましたので、
       旨いもの!編 の時にでもご案内いたしますね。



       ノーミ・ぺショリーニ邸の正面
       ここは確か大きなレストランだったと。
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       真ん中に石碑が見えますが、
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       こんな様子で、ラテン語は読めないものの、はは、
       LONGOBARDO REX なんぞと彫られたのを見つけ調べましたら、
       13世紀建設で、当時ロンゴバルドの王デジデーリオの宮殿だったとか、
       フェデリーコ・バルバロッサも滞在した事があるとか!

       ・・当時の政情に無知なshinkai、読んだままに記し、
       どなたかのご説明を当てにお待ちしておりま~す!

     ◆ 追記 ◆
       クリスさんがコメントを下さり、やはり、
       13世紀、ロンゴバルド王の宮殿、というのはおかしいとの事。
       コメント欄のほうもご参考に願います!
       


       さて復讐の、いや、復習のお時間で~す! ははは。
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       町の中心部にある塔の位置と名前ですが、主なものを
       1.ノーミ・ぺショリーニ、塔の家
       8.9 双子の塔、またはサルヴッチの塔
       12.キージの塔・Chigi 
       14.ドゥオーモの鐘楼
       16.トッレ・グロッサ
       17.ロニョーザの塔
       18.19 アルディンゲッリの塔
       23.ディアーヴォロの塔
       24.ベッチの塔
       36.クニャネージの塔
       


       コムーネのサイトから拝借の写真に、
       (しつこく、ははは)上と同じ番号を入れてみました。
       これで位置関係がお分かりでしょうかぁ?
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       で、今度は下からの眺めで(しつこく)どうぞ! ははは。

       ドゥオーモの前から、向かい正面の古い政庁の
       17. ロニョーザの塔  まるで切れていますが・・、はは、
       左に切れているのが、12.キージの塔
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       このロニョーザの塔が1200年建設の、町で一番古くて
       当時一番高い塔 約52mだったと書きましたが、
       1255年、この塔よりも高い塔を造るべからずというお布令が出ます。


       所で、町の歴史を簡単にご説明しますと、
       中世の塔がたくさん見事に残る町として
       世界遺産にも指定されているこの町ですが、

       イギリス・フランスからローマへの巡礼通商道路である
       ヴィア・フランチージェナ・Via Francesina南北を、
       そしてシエナからピサの東西を、結ぶ道が交差するこの町

       エトルスクの時代からの住民移植がありローマ期と徐々に栄え、
       1199年に自由都市を宣言、公平である目的から、執政官を
       「外国人・この町以外の人間」から半年毎に選ぶと言う方法で、

       法王支持派のグエルフィ・guelfi と、皇帝支持派のギベッリーニ・ghibellini
       の町内抗争が熾烈な時期も乗り越え
       農業、とりわけサフランの栽培・染料、薬用、料理にも使われる高価なもの、
       そしてワイン用葡萄、羊毛の取引、金融・高利業で栄え、
       1300年代前半には13000人の人口に。

       こうして一番の繁栄を迎えたのが14世紀だったのですが、
       1348年のペストで町の人口の3分の2を失い、
       その後フィレンツェの元に下り、遂に零落のまま、
       再繁栄することは無かったと言います。
       
       17世紀のペストの後は人口が3000人と言う、
       トスカーナ大公国内で一番貧しい町だったそうで、

       そのお陰と言うとおかしいのですが、
       町に新しい建築のブームが押し寄せることなく、   
       中世のまま殆ど無傷で、この町が今に残っている訳ですね。



       これはドゥオーモ東側のエルベ広場からの眺めで、

       一番右にロニョーザの塔、次いでキージの塔
       そして手前2本が双子のサルヴッチの塔
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       塔の形は大体四角形、ご覧のように余り窓や開口部がないのが
       古い時代の塔の特徴で、時に見える横一列の小さな穴は、
       外部にテラス、通路を造る為の支えの持ち出し材用なのですね。

       このサルヴッチ家というのは、町のギベリン派一番の大物で、
       商売と高利貸し業だったそう、その優勢を見せ付ける為、
       1255年公布の52mのロニョーザの塔を越える事なかれを無視し、
       もっと高い塔を建てたのを、後に切り取られたのだそう!



       チステルナ広場に出てきた所
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       広場の北側にあるのが、ディアーヴォロの塔
       最上階の建て増し部分がはっきり見えますが、
       この部分が所有者の旅行から戻ってきたら出来ていた!
       というのが、このディアーボロ・悪魔の名の付いた所以と・・!
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       元の塔の上部に張り出しの腕木が大きく出ていて、
       これを利用してバルコニーとか、ちょっとした部屋を造ったとか・・。

       ちょっと見え難いのですが、この塔の下は通路になっていて、 
       その名も「金の小路・vicolo dell'Oro」と言い、
       金箔師達が店を持っていたと。
       彼らはフローリン金貨を叩き薄く薄く延ばし、
       その板金は黄金背景の絵を描くのに使われたのだそう・・!
       なんとねぇ、金貨を叩き伸ばして使っていたのかぁ!



       こちらはチステルナ広場の西側、中央の建物の隙間に
       ドゥオーモ広場とを繋ぐ道が通りますが、

       左奥にトッレ・グロッサ、そして右にロニョーザの塔が見え、
       手前2つの塔が、アルディンゲッリ・Torri degli Ardinghelli.
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       右の塔はまさにドゥオーモ広場との境にありますが、
       このアルディンゲッリ家は町の有力なギベリン党派で、
       ドゥオーモ広場に双子の塔を造ったサルヴッチ家に対抗し、
       この2つの塔を造ったのだと。

       勿論13世紀に造られた塔で、お触れに従わず
       ぐんと高い塔を建てたものの、その後に当初の半分程にも削られたと!
       最初の塔が右で、2番目が左で、左右かなり形が違いますね。
       

       こうした力の優勢を見せびらかす為の塔は、当時一体幾本あったか?!
       海抜334mの丘の上の塔の町の姿は最初にご覧頂きましたが、

       現在残るのは16本!で、最盛期には多分72本あったろうと!
       町の裕福な家柄は、それを誇る為に、殆どが塔の家だったと!!

       では塔の内部の生活はどうだったか?
       普通の塔の場合、内部はとても狭く、大体が1X2m、
       ただし壁の厚さは約2m、夏は涼しく冬は暖かく・・。
       1階部分は店、2階に住居、寝室、台所は一番の上階、
       これは火を使う事からの用心ですね。

       階段に使う梯子は、上に上がった後引き上げ、
       とりわけギベリン対グエルフィ抗争時には襲撃対策で。
       
       と言うような塔の建設も12世紀後半から13世紀を境に、
       その後は造られなくなり、
       上記した様に町の経済状態が衰退に向ったからなのですが、
       こうした古い状態の塔が今も残る要因と。

       フィレンツェの街に中世を探し その1と2



       こちらはチステルナ広場からサン・ジョヴァンニ通りに出て
       振り返るべッチのアルコと、ベッチの塔
       この塔は13世紀で、ベッチ家は商人ながら町の有力者で、
       重要な政治的位置を占めていたそう。
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       このアルコ前の左手角にあるのが、
       クニャネージの塔と、その左に邸宅
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       ベッチの塔、そしてこのクニャネージの塔の位置は、
       町の最初の城壁を双方から固める位置にあるのですね。
       ベッチの塔と同じく13世紀のものと。



       脇通りの奥にトッレ・グロッサが見えますが、
       その手前に見える蔦の絡んだ建物
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       ここに小さな博物館があり
       その名も「サン・ジミニャーノ1300年
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       一番栄えた黄金時代のこの町の様子を再現し、
       往時を偲ばせて見せます。
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       博物館のサイトは
       http://www.sangimignano1300.com



       この部分は、ベッチのアルコが真ん中下部に見える
       町の中心部の様子で、塔の林立もよく想像でき
       当時の資料を集め、忠実に再現したという事からも、
       張り出しの腕木に乗っかるテラスや通路も良く分かりますね。
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       こんな塔の内部の様子もありましたが、
       狭く、プライバシーなんぞはまるで、でしたでしょうねぇ・・!
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       という塔の町のもろもろでしたが
       お楽しみ頂けました様に!


       最後は、夜空に浮かぶトッレ・グロッサ
       ではなく、ロニョーザの塔です、すみませ~ん。
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       お付き合い、有難うございました!




     *****

       水彩ブログには、ヴォルテッラの朝 ・ 描き始め 
       アップしております。
       見てやってくださ~い!     


     *****        
       

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       今夜はエキサイトの新しい管理画面から、初めてのブログ・アップを。
       というのも、このところあちこち弄いまくってくれていて、
       コメント欄の改悪もそうなのですが、
       前の管理画面に戻らなく、HTMLの編集画面で出るので
       ちんぷんかんぷんで、仕方なく新しい管理画面から。

       で、やっとアップしたと思ったら、
       ブログランキングへのバナーのリンクが出来ず、
       大いに焦りまくりましたが、最後に何とか・・。

       ですがおまけに一つ良い事を発見したのは、
       ははは、コメント欄に書き込む文字が大きくなっておりましたぁ!!

       という事で、皆さん、以前同様気楽に、
       コメントをお願いいたしま~す!!

        
       もひとつ、
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by italiashiho2 | 2014-11-13 05:59 | ・トスカーナ Toscana | Comments(18)
2014年 11月 08日

   ・・・ サン・ジミニャーノの朝 ・ 雲海の朝焼け ・・・

       9月中旬のトスカーナはサン・ジミニャーノ・
       San Gimignanoで見た朝の風景
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       街灯が灯り、まだ暗い道。 そしてうっすら朝の色
       雲海の朝焼けが始まり、徐々に町が目覚めてゆく・・

       1時間ほどの朝と町の色、
       ごゆっくりお楽しみくださいね。

       上は、ドゥオーモ前の広場からで、
       そうですね、6時半前だったと。

       ドロミーティの山の朝とティツィアーノの生家博物館
       http://italiashio.exblog.jp/21075744/

       夏のヴェネツィアの朝
       http://italiashio.exblog.jp/20905407/

       アッシジの朝風景
       http://italiashio.exblog.jp/5704096/



       少し引くと、ほら、月が見えます。
       見える塔が、この町で唯一上れるトッレ・グロッサ・太い塔
       そして一番高い塔でもあります。
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       薄暗い広場ですが、ついでに、ははは、建物のご案内を。

       左にずらすと、塔の隣がパラッツォ・デル・ポーポロ
       Palazzo del Popolo、13世紀末から14世紀の始めの建設で、
       現在は市役所。
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       広場の東側を占める、真ん中がパラッツォ・デル・ポデスタ
       Palazzo del Podesà、13世紀前半建設で、
       切れて見える塔が多分この町で一番古い塔だろうと。
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       写真の右端に見えるロッジャとの間を抜けると、
       ピアッツァ・デッラ・チステルナ・井戸の広場ですが、
       広場の写真は後で見て頂くことにし、

       チステルナ広場から町の門何という名前なのか見つからず
       を出た所
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       何という門か分らない、と上に書きましたら、早速シニョレッリさんから
       コメントで教えて頂きました。 いつも有難うございます!
       アルコ・デイ・ベッチ・Arco dei Becci と言うそうで、
       見える塔はベッチの塔。


       そこからまっすぐ南にある町のサン・ジョヴァンニ門に下る通り
       街灯が灯り、通りは薄暗く殆どまだ人通りはなく・・、
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       通りから東の空が明るんでいるのが見え・・
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       先ほどのサン・ジョヴァンニ通り・Via San Giovannniも
       少し明るくなり、人の姿もちらほらと
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       厳しいイメージの先ほどの町の門も、少し明るく見え、
       6時45分、街灯が消え
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       ではと、町の南側城壁沿いの眺めの良い通り、
       ヴィア・デッリ・インノチェンティ・Via degli Innocenti に

       わっ、雲海だ! 嬉しいぃ!!
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       少し待つうちに、空がも少しバラ色となり、
       畑の中の家や教会が見え始め
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       家並みの端の庭にいた、可哀想な位のブス猫ちゃん!
       ・・うん、まぁね、人のことは言えんけど・・、ははは。
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       7時、ご来光!!
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       本当はもっとこちら側を撮りたかったのですけど、
       家並み、おまけに中華鍋やアンテナがたくさん屋根の上で・・!



       空のピンクが美しくなり
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       町の家にも朝日があたり始め
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       太陽が強くしっかり上がり
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       そして、雲海にもピンク色が射し始め・・!
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       いやぁ、これは素晴らしかった!!
       こうなるのは、想像していませんでしたし、
       本当に美しかったです!!



       町も濃いオレンジ色に染まり
       空に青みが徐々に
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       平野の向こうにはまだ雲海が広がりますが
       近くの家はしっかり目覚め、
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       葡萄畑やオリーヴの畑にも陽が射し始め
       なんともいえない素敵な色に!
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       殆ど濃いピンク色になった所で見納めとし・・!
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       町の通りに引き返します。


       家並みの高い部分に陽が射し込みはじめ
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       門の周囲も明るい色に
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       古い塔も目覚め、鳩が飛び交い
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       でもチステルナ広場の東側はまだまだ暗く
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       清掃の車が通り、近くのホテルからアメリカ人の団体が、
       きゃぁきゃぁと井戸の周りで記念撮影をして立ち去り、
       ・・どこの国も中高年がお元気ですねぇ!



       広場の西に、細く陽が射し込み
       こちらの塔も目覚めます。
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       チステルナ広場の東から射し込む陽
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       隣のドゥオーモ広場に行くと、ドゥオーモ・Collegiata
       の半分にも陽が当り、
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       ドゥオーモ横の中庭に続くアーチの上に浮かび上がる聖人は、
       町の名の聖ジミニャーノと。
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       と言う所でお腹も空き、宿に戻ったのでしたが、
       宿の窓から見た平野の方はまだ雲海が広がっており
       実際は薄いグレーに写ったのを、少し色を変え・・、
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       今回はこれでお終いに!



     *****

       水彩ブログには、紫陽花の咲く頃 ・ 途中経過
       アップしております。
       見てやってくださ~い!     
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     *****        
       

       ブログご訪問、いつも有難うございます! 

       先日来、コメント欄の改悪で困り果てておりますが、
       漸くに画像認証を使わずに済むよう、変更する事が出来ました。

       後は蟻んこのような見え難い小さな字体!が問題なのですが、
       たくさんの抗議コメントに関わらず、一向に対処する姿勢がなく、
       あきれ果てておりますが、
       どうぞ今まで通り、コメントを下さいます様、お願いいたします!!
 
     
       と、先日から
       「人気ブログランキング」の方は「イタリア情報」部門のみに、
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       どうぞ今後とも、
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by italiashiho2 | 2014-11-08 14:32 | ・トスカーナ Toscana | Comments(18)
2014年 11月 03日

   ・・ アレッツォ生まれの著名人の家、とその周辺 (追記) ・・

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       今日はこの街生まれの著名人、それも歴史に名を留める大有名人
       アレッツォに生家または家が残る
       お一人は家もないのですが、偶然に標識を見つけまして・・、
       その4名の家や周辺、そして例によりもろもろの話題を。

       上手く纏まりますか・・、お付き合いを願います!

       上の写真はこの街のドゥオーモ
       カッテドラーレ・デイ・サンティ・ピエトロ・エ・ドナート・
       dei Santi Pietro e Donatoで、街の北東の高台にあり、

       ゴシックの素晴らしく大きな聖堂で、
       古いロマネスク教会・ラ・ピエーヴェをご案内する時にでも・・。



       街の地図をどうぞ
       ドゥオーモが右上に、緑色の線で囲った部分が今日のご案内ですが、
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       左上、XX Settembre・ヴェンティ・セッテンブレの通りに
       あるのが、ジョルジョ・ヴァザーリの家
       
       ドゥオーモの左端から下る Via Ceesalpino・ヴィア・チェザルピーノの
       番号5の家が、グイド・モナコ・ダレッツォ の生家

       同じ通りの下右側に緑点を打った場所に見つけたのが、
       ピエトロ・アレティーノの標識で、
       その斜め下に見える仮面の印の場所に、彼の名を冠したテアトロ。

       この通りをずっと下った番号14が、先回ご案内の
       ピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画のフランチェスコ教会で、
       その下の教会で見た展覧会の様子を少しご紹介

       で、ドゥオーモから左下に斜めに下って来た番号6に、
       フランチェスコ・ペトラルカの生家、と言う訳で、

       右下のグランデ広場の上側のヴァザーリのロッジェには、
       左の緑点を打った所に、彼の浮き彫り像が。



       という事で、ジョルジョ・ヴァザーリの家博物館からご案内ですが、
       今回訪問しておらず、写真もサイトから拝借し、
       こちらが彼の自画像
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       正直な感想は、えっ、こんな顔だった?!なんですが、
       どう思われますか?
       画家、建築家、そして美術史家としての活躍を思うと、
       何歳の自画像かは分りませんが、少し覇気が無い様な・・、
       ははは、失礼!

       ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511–1574)
       近年フィレンツェのヴェッキオ宮の彼の壁画の下に、
       幻のレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画が残っているや否やで
       大いに話題になった画家であり、
       ウフィッツィ宮、ヴァザーリの回廊などの建築家でもあり、



       そして何よりも我々にとって近しい存在なのは、
       1550年に出版された「画家・彫刻家・建築家列伝
       Le Vite de' più eccellenti pittori, scultori e architettori italiani
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       チマブーエから彼の時代に至る約160名を取り上げ、
       その生い立ちや逸話、時に彼の創作も含め、はは、
       様々な技術についても言及した大変に貴重な作品で、
       当時の画家の生き生きとした様子を今に。

       ヴァザーリが取り上げている逸話を
       レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから 1と2
       http://italiashio.exblog.jp/15601820/
       http://italiashio.exblog.jp/15601729/



       こちらがヴェンティ・セッテンブレ通り55番にある、
       ヴァザーリの家博物館・Museo di Casa Vasari.
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       1541年に購入し、彼自身が
       アレッツォの家の(準備が?)始まっている
       町の一番良い地区サン・ヴィートで、広い菜園が付いている
       と記している、3階建ての素晴らしい物。



       彼自身が建物の装飾をする事を考え
       芸術、芸術家、そして自分自身を称える為の正確な計画を
       広げ始めた意図が良く分かるそう。
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       彼がフィレンツェで没後、最後の子孫となった人が
       1687年に「世俗の信心会」とでも言う会に不動産を遺し、
       この会の建物がグランデ広場の西を占めるパラッツォ・デッラ・
       フラテルニタ・デイ・ライチ・Palazzo della Fraternita dei Laiciで、
       後に持ち主も変わりますが、
       1911年生誕400年を期し国が購入、現在の博物館にと。

       この博物館入場も30分毎の予約が必要で
       http://www.giorgiovasari-ticketoffice.it/

       今回の写真も、サイト名が入っているのはshinkaiの撮った物、
       他はサイトから拝借のものです。


       グランデ広場に抜ける長~い、ヴァザーリのロッジャ
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       ロッジャと書いておりますが、この上の建物全体を含め
       ヴァザーリが1573年に設計したもので、
       グランデ広場の1辺を、すっきりとルネッサンス様式で占めます。



       ロッジャの西の端の壁に、こんな彼の像が。
       自画像よりずっと良い印象!  ははは。
       左手に筆、右肘の下に本、背後に薄く見えるのはウフィッツィかな、
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       ジョルジョ・ヴァザーリに
       愛と尊厳を、  故郷  1911年 
       


       ついでにグランデ広場の逸話をひとつ。
       アレッツォ近郊出身の俳優ロベルト・ベニーニ・Roberto Benigni
       アカデミー賞を取った映画「人生は美しい」に登場の場面。
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       さてもう一度ドゥオーモ近辺の図を。
       番号2がドゥオーモで、1がプリオーリ宮・Palazzo Priori
       現在は市役所で、インフォメーションもありますが、
       この建物に続いて南側にコの字型の建物
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       朝早くの写真で、
       右の2番目の石造りの古い建物がプリオーリ宮、現市役所、
       塔のある建物も含まれ、その脇から道が下り、
       通りの名はヴィア・チェザルピーノ・Via Cesalpino.
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       道を少し下った位置から逆に見るとこんな感じで、
       左側の建物の角近くに石碑が見えます。
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       建物は位置から考えても由緒ある物と思われますが、
       建物入り口扉の木彫り
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       最初にこの木彫りに気がつき、



       次に石碑が目に入り、音符が書いてあるので写真を。
       ここにグイド・モナコが生まれ、住んだ
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       この時点では何者かまるで知らなかったのですが、
       アレッツォの予告編の時にMUSICAさんがコメントを下さり、
       ドレミの創始者と!



       そう言われてみると、アレッツォの鉄道駅から少し来た所に
       大きなロータリーがあり、グイド・モナコ広場と名が冠され、
       彫像もある事が分かり、
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       改めてお知り合いになるべく、ははは、調べました。
       石碑にはMonacoと大文字だったので、姓かと思ったのですが、
       どうやらGuido monaco、僧侶グイドで、
       アレッツォ出身のグイド、グイド・ダレッツォ・Guido d'Arezzo
        (992頃-1050)ベネデッティーノ派の僧侶。

       ヴェネトからポー河を渡ってのエミーリア・ロマーニャ州は
       ポンポーザの修道院・Abbazia di Pomposaで
       音楽を教えていたと言います。

       でミサで歌われるグレゴーリオ聖歌のリズムを
       僧侶達が覚えるのに苦労している事から、
       従来とはまったく違う教授のメソドを考え出したのだそうで、
       北イタリアで大変有名になり、敵対嫉妬心の攻撃で、
       修道院は無かったものの歌曲が盛んだったアレッツォに移り、
       この地でそれまでの研究を集大成した
       新しい音楽の標記法を纏め上げたのだそう。

       で音楽標記に関する記事を、何度も読み返し、
       こういう事ではないかと纏めますので、
       もし違っていましたら、先にご教授をお願いおきまして・・!

       初期の音楽標記は言葉の上に、斜め線やら、その横に点を打ったり、
       延ばした線で書いていたのが、
       中世になりメロディが長く、区切られるようになると
       歌う為に記憶するのが難しくなり、

       9世紀から中世全般にわたり使われたのがネウマ譜というもの。
       ■、そしてそれに棒を付け加えたりの標記で基本形が8種、
       それに特別な形の複雑なものが何種も!
       つまりネウマ譜というのは、メロディとリズムを与えた
       ひとつの記号で、これに画期的な標記を与えたのが
       グイド・ダレッツォで、4本線を加えたわけ。

       そしても一つグイドの歌手を助ける為の教授法は、
       グイドの手と呼ばれるもので、
       聖ヨハネの歌から、Ut Re Mi Fa Sol La のイニシャルを取り
       6音音階を現した事なのだそう。
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       後に Ut は Do となり Si が加わるわけですが、
       ドレミファソラシの原形は彼にと。

       という事で、お許しを! 

       ポンポーザの修道院
       http://italiashio.exblog.jp/8922205/


       さらにこんな坂道を下り
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       ふと目に留まった標記のある建物
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       ピエトロ・アレティーノ・Pietro Aretino
       Arezzo 1492-Venezia 1556
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       並外れた天才、鋭い偏見にとらわれない文学者、
       当時の君主、著名人の中において、一番の高い名声を得る。
       カルロ5世、フランスのフランソワ1世の友達であった。
       この町で生まれるが、早くにペルージャに移る・・・。


       到底shinkaiの手には負えない大人物でして、はい、
       アレッツォの町の遊女と貧しい靴職人との間に生まれたという
       この人物が、時の君主や法王と交わるだけの才気に富み、
       文筆家として世を渡り、大財産を持ち、
       画料がめちゃくちゃ高かったらしいティツィアーノに
       53歳の頃に描かせた肖像画がこれ!
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       恐ろしいほどの傲岸不遜さが、逆に小気味よくもありますが・・、
       男を描くティツィアーノの素晴らしさ!!



       ちょっと毒気を抜いて頂くため、ははは、
       ずっとチェザルピーノ通りを下ると、
       先回ご案内のサン・フランチェスコ教会
       その東の脇道に入り口のある同教会の下の教会は
       近年修復され現在は展示会場に。

       その修復資金を援助したのが、エトルリア銀行・Banca Etruriaで、
       この写真の金庫室は、はい、エトルリア銀行の。
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       ポスターの前で、これ、インゴットよね?
       本当にこんなにあるの?!と係りの女性に聞きましたら、
       にっこりと、まぁ大体これ位は、って!

       で銀行のサイトを調べましたら、ははは、
       実体の金を持っているのでは、イタリアで一番、 
       なんですってさ!



       実際に金細工師の仕事ぶりをと
       斜め向かいで、こんな拵えで、若き美人がお仕事を。
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       ランプに炎が上がっているのが見えますが、
       この炎で手に持つヘラを温め、赤い蝋をすくい、ならし
       原型を
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       とにかく細かい細かい仕事!
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       左の棚の一番下段の真ん中、ちょっと見え難いですが、
       中に原型を収めた円筒形があり、
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       この円筒形に納め、周囲に石膏を流し込み型を取るのだそう。
       後はこの型に金を流し込む訳ですね。

       

       さてもう一度街の一番高所にあるドゥオーモに戻って頂き、

       斜めに角を曲がって来ると、一番の通りコルソ・イターリアに続く道、
       素晴らしく大きなラ・ピアーヴェ教会の鐘楼も見えますが、
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       右手前に凸凹に見える壁が



       この建物で、現在は図書館になっているプレトーリオ宮
       Palazzo Pretorio、壁のたくさんの紋章が素敵で、
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       陽射しを浴びると素晴らしい威容を見せますが
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       その右横に見える塀から覗く内庭
       見える鐘楼はドゥオーモのなのですが、
       横に小さな標記があって、ペトラルカの家と。
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       サイトから拝借の写真をどうぞ。
       上でご覧頂いた内庭は、写真の一番左端に切れて見える部分で、
       どうやら現図書館に含まれ、
       右奥に大きく見える扉が、ペトラルカの生家博物館入り口
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       脱線ですが、shinkaiが勝手にミーハーしている、ははは、
       ガルダ湖畔のガブリエーレ・ダヌンツィオの家博物館、
       イル・ヴィットリアーレ・Il Vittorialeの建物正面には
       たくさんの紋章が掛けられていて、
       アレッツォのペトラルカの家を模した、と読んだ記憶。

       となると、元々はこの建物辺りは繋がっていたのか、
       単純にダヌンツィオがすぐの隣を取り違えたのか、
       なんぞと楽しく想像するshinkai、はは、長生きしそう?!

       ダヌンツィオのガルダ湖畔の家
       http://italiashio.exblog.jp/5946852/



       前の道はヴィア・デルオルト・Via dell'Ortoと言い、
       ノスタルジアを感じる古い絵葉書も見つかりまして・・。
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       現在のペトラルカの生家博物館の入り口
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       小さな中庭があり、奥に入り口なのですが、
       中は写真禁止になっておりまして・・。
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       入り口には若者達が4人ほどでお喋りに夢中!
       写真はNoと聞いて自粛したのですが、
       あんなに勝手なお喋りで盛り上がっていたのなら、
       撮っても気がつかなかったろうと、・・残念!



       中はかなり小さな部屋が並びますが、
       こんな風に蔵書たくさんの図書館風でして、
       小さな衣類や骨の破片などの展示物もちょっぴり。
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       フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarca
       アレッツォ生まれ1304年7月20日ーアルカ1374年18/19日
       ダンテと並ぶ詩人、作家、ダンテが当時俗語と見なされていた
       イタリア語で書いたのに対し、ペトラルカはラテン語で。

       彼の両親はフィレンツェ人で、ダンテの友人だったといい、
       彼同様フィレンツェを追放された身で、
       フランチェスコはアレッツォのこの家で生まれますが、
       僅か7歳の時に、父親が職を求める為にフランスは
       アヴィニョンの近くに引越しを。

       ボローニャ大学で法学を学び、父親の亡き後再びアヴィニョンに
       戻ったり、作家活動を続けながらイタリア各地を。
       そして最後はパドヴァの南、アルカ・Arquàの里に家を貰い
       晩年を過ごし亡くなった・・。

       アルカ・ペトラルカの彼の家はこちらにご案内ですが、
       http://italiashio.exblog.jp/4752528/

       今回ほんの少し複雑な彼の足跡を辿り、
       晩年をあの穏やかな里で過ごし、気に入りの家で亡くなったのを
       他人事ながら、良かった!と思ったことでした。

       彼は大変に猫ちゃんを愛したそうで、とりわけお気に入りの
       彼が書き物をしている足元にいつも居た雌猫ちゃんに、
       なんとラテン語の詩を残しているのですね!
       で及ばずながらshinkaiが、はは、拙訳を。

         私が彼の最大の情熱だったの、ラウラは2番目よ。
         なぜ笑うの? もし彼女が女王の美しさの魅力なら、
         私は賞賛に値する忠誠の愛人よ。
         もし彼女が聖なる紙にリズムとインスピレーションを
         与えたのなら、私はそれらを邪悪な鼠どもから守ったわ。
         まだ私が生きていた時は、鼠どもを神聖なる戸口から遠ざけたの、
         私の主人が書いた物を破壊する事のないようにね。
         そして今は死んでしまったけど、彼らをいまだに怖がらせるの、
         命の無い私の胸の中には、昔のままの忠誠が生き続けているのよ。

       ラウラと言うのは彼の作品に登場する、愛を捧げたと言う女性ですが・・、
       今回この詩を見つけた事で、遠かったフランチェスコが
       とても親しく感じることを、今回の最後に!

       長いお付き合い、有難うございました!


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by italiashiho2 | 2014-11-03 06:18 | ・トスカーナ Toscana | Comments(13)