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2016年 01月 31日

・・・ ヴィテルボ 1 中世への誘いと、泉のご案内4つ ・・・

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       さて私めに取っては大きな宿題だったヴィテルボのご案内を。
       というのも2回の訪問で撮ってきた写真の数も多かったのですが、
       それらが意味する物を調べると奥が深く、知らない事も多く、
       纏めるのが大変と、はは、逃げていたのですが、
       さて褌を、いや、気持ちを締め、まず取り掛かりやすい所から参りますね。

       北ラツィオに位置し、ヴィテルボ県の県都、人口は約6万7千人のこの街、
       エトルスクに元を発するというこの街ですが、

       ローマ軍駐留地、ロンゴバルド族と様々な影響を受け、
       10世紀以降人口の増大があり、12世紀にフェデリコ1世バルバロッサ
       の支援を受け自由市になるものの(皇帝支配下)、
       現タルクイニアのコルネートの占領下(教皇領)に置かれたりもし、
       13世紀の初めに漸くに教皇領の元に入り
       ここにこの街一番の繁栄期を迎えます

       ヴィテルボのご案内で良く見かける言葉が、「法王に愛された町」。
       これだと歴代の法王様が避暑にでも来られた様な印象ですが、ははは、
       まぁ、「教皇のテルメ」と名づけられた温泉が今も郊外にありますので、
       温泉につかってのんびりもあったのかもですが、

       それよりも、13世紀に僅か30年ほどではあったのですが、
       ちょうど南仏のアヴィニョンの様にこの町に教皇庁が移された事があり、

       また現在の新教皇選出の際に使われるコンクラーベ・Conclaveという言葉も、
       このヴィテルボでの最後の教皇選出の時に生まれた言葉。

       ダンテが「神曲」にも詠っている、凄まじい殺人事件が教会の中で行われ、
       はたまた現在もこの街の夏の夜に行われる、サンタ・ローザの大灯明の行列
       そしてかっては「100もの泉の町」と呼ばれたというヴィテルボ、
     
       というように並べて見ると、少しとっつきやすい感じになるでしょう?!
       という事で、

       現在も残る泉を含め、今回はちょっぴり「中世への誘い」の序奏を
       助走でもありますが、はは、ご案内をしたいと思います。
       どうぞ宜しく、そしてごゆっくり!!


       トップの写真は、かっての旧市街の城壁にある13の門の一つ
       ポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentinaと、
       ぐるっと旧市街を取り囲む城壁

       他の町からやって来るとちょうどこの門の前に出て来るのですが、
       この門は一方通行で入れずなので、shinkaiも焦ってこの門前を通りすぎ、
       城壁を回って別の門から入ると、今度は宿に着かずで、
       焦ってまたこの門から出て入りなおすという、ははは。
       そんな事も思い出した、これは2度目の訪問時のバスからの眺め。

       凄い城壁でしょう?! こんな城壁が現在もほぼ完璧に
       旧市街を取り囲みますが、
       現在のヴィテルボの街はぐんと大きく、かっての旧市街は
       現在の南西部に当り、電車駅はこの門から東に行った所に。




       旧市街部の地図をどうぞ
       街が繁栄を誇った中世にあっては中心地区であったわけですが、
       ご覧のようにぐるっとほぼ4kmの城壁が取り囲み
       全部で13あるという門が各所に開きます。
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       上でご覧頂いたポルタ・フィオレンティーナは
       地図の一番上に緑の四角い点を打った所に。

       緑の線で囲った位置、まさに中心にあるピアッツァ・プレビシート・
       Piazza Plebiscito、かっての行政庁が並んだ広場で、

       並んでジェズ教会・Chiesa del Gesù、歴史に残る殺人事件!はは、

       そして赤字のパラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi
       ここが教皇庁でもあった建物で、
       その隣にこの街の聖堂サン・ロレンツォ・San Lorenzoが。

       今回のご案内は中心のピアッツア・プレビシートまで、
       後は街の様子や泉をご案内し、
      
       次回に中世の一番の中心地であったかっての教皇庁の建物や、
       ジェズ教会、サン・ロレンツォ聖堂などをご案内致しますね。
  



       初めてヴィテルボに行ったのは5年前の秋。
       宿は上の地図、緑で囲った3の左Piazza G.Verdi近くにあり、
       この辺りからCorso Italia・コルソ・イターリアを通り、中心に
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       と、こんな感じにすぐに、中心広場の時計塔が見えて来ますが、
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       もう一枚地図を、こちらは旧市街に今も残る泉の地図
       ここにあるのは全部で11、でshinkaiが見たのは7つ。
       そのつもりで探したのではなく、歩いていて自然に出合った数ですから、
       かなり優秀でしょう?! はは。 今回はこの内の4つを。
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       あ、上に書いた「100もの泉の町」の100というのは、
       実際に100もあったのではなく、たくさん!という意味とご解釈を!

       地図の一番上に見える Piazza della Rocca・ピアッツァ・デッラ・ロッカ、
       その斜め下の San Faustino・サン・ファウスティーノ、
       右端中央の Piazza Dante・ピアッツァ・ダンテ、
       一番下、実際はも少し下になりますが、del Piano・デル・ピアーノ
       の4つを知りませんで、
       で見ることが出来ますし、

       右側に出るカテゴリ欄の、建物・Palazzi 教会・Chiese 門・Porte
       などから、街のそれぞれが見られる優秀なサイトです。
       お暇がある方、どうぞ!




       コルソ・イターリアを北から中心に向って歩き、
       上の地図の中ほど真ん中、エルベ広場・Piazza delle Erbeにある泉
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       17世紀に造られた泉で、最初に見て頂いた地図には
       ライオンの泉ともあり、
       こういった少し大仰な大きな泉は、記念碑的泉の物が多く、
       ここも教皇アレッサンドロ6世の記念だった様子。
       



       時計塔も近くなり、塔の上の美しい鍛鉄の飾りと、大きな鐘
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       塔は高さ44mの細身の塔で、1487年に前身の塔の後に建てられたそうで、
       鐘は15世紀の物で、サンタ・マリーア・デッラ・ヴェリタ教会・
       S.Maria della Veritàから、城壁外にある美しい教会の様ですが、
       18世紀に移されたのだそう。




       プレビシート広場の北角の建物に出て、
       ポデスタ邸・Palazzo del Podesà に埋め込まれた形の塔が良く分り、
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       可愛く繊細な印象の陶板製の時計部分が良く見えますが、
       1424年のヴィテルボで始めての公衆への時計であり、
       こういう公衆への時計としては、ローマについでの数年遅れなんですと。
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       上にも見えましたが、このポデスタ邸・現市役所の建物の角に見える
       円柱上のライオン像、正確にはパルモ・椰子の木と一緒のライオン像は
       ヴィテルボの街のシンボルで、街のあっちにもこっちにも!
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       上に見えるのは、エステ枢機卿とアルディンゲッリ司教・Ardinghelli
       の紋章だそう。
       



       プレビシート広場全体の写真をサイトから拝借し、
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       正面に見えるのがポデスタ邸・現市役所で、建物のオリジナルは
       13世紀だったようですが、何度も再建改修で、元の姿は残っていないと。

       左側がプリオーリ宮・Palazzo Prioriで、ポデスタ邸と渡り廊下を経て
       つながっており、どちらも内部が、絵画博物館、見物できる様子。

       右奥に見えるのが、教会サンタンジェロ・イン・スパータ・S.Angelo in Spatha.
       スパータというのはこの教会を保護していた家の名で、最初に教会が記録に
       残るのは850年という、古い教会の様子。




       これがアップですが、右手前に白い石棺が見えますね。
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       現物は市の博物館にある様子ですが、市民からは
       「ベッラ・ガリアーナ・Bella Galianaの墓」と呼ばれているそうで、
      
       はい、お話はローマ期に遡りまして、美しきガリアーナに恋した
       ローマの男が結婚したがったのですが、ガリアーナはうんと言わず、
       最後は矢に射られて死んだのですと。




       こちらがプリオーリ宮。 このプレビシート広場、かってはコムーネ広場
       と呼ばれた広場の拡張に伴い1264年に建設が始まり、
       とりわけこの町に教皇庁が移ってきた時には、最重要とされた建物だったと。
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       1階部分のアーチが連なるロッジャはオリジナルだそうで、
       それ以上の階は14世紀以降のものと。




       2階の壁に残るのは、15世紀の教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレ・
       della Rovereの紋章で、
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       サイトから拝借の写真で、プリオーリ宮のレジーナ広間・Sala Regina
       のフレスコ画16世紀。
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       1階のロッジャの真ん中を通って向こう側の庭園に出れる様子で、
       この時はただ何気に噴水がある、と思って写真を撮ったのですが、
       ここにプリオーリ宮の泉
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       サイトから拝借した、美しい夕暮れの写真をどうぞ
       やはりここにも、街のシンボルであるライオン君が見えます。
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       広場の南側は現在県庁になっているようですが、
       その建物の角にも、このライオン君
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       この通りを少し先に進みますと、ジェズ広場・Piazza del Gesù
       に出るのですが、

       今回はこの辺りから脚と気分に任せて辿った道々の様子をどうぞ
       
       まるで事前調査もせず、地図も見ずに歩いたので、
       ジェズ広場から南に下った一帯がまさに中世の古い建物、道が
       入り組んだ区域だった様子で、少し残念! まぁまた次回に!!


       ですが近くを辿った様子で、こんな古い教会も垣間見たり
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       説教壇にいるらしき人の姿もこんな風に残り、
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       残る窓も、陶板装飾の素晴らしい物があったり
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       細い通りも緩やかに蛇行し、塔も残り
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       この窓、入り口も素敵でしょう?!
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       そしてこれはパラッツォ・ガッティ・Palazzo Gatti
       最初の町の地図で、右下に緑で1と打っている場所に。
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       ガッティとは、ガット・猫の複数ですが、これは姓で、
       その敏捷さと巧妙さから姓にしたといい、

       莫大な富を持ち、当時のヴィテルボの市民政治を牛耳ったというガット家で、
       後の教皇選出選挙でも一族のラニエーロ・Ranieroが活躍しておりますので、
       ははは、お楽しみに!

       現在は今残るこの塔が一つだけなのですが、当時は少なくとも7つの塔
       あり、敷地も大変広いものだったと。




       どちらの小路を見ても如何にも中世風で
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       こうして出て来たのが、フォンターナ・グランデ・Fontana Grande
       地図ではガット邸 番号1の上辺りに。
       作られたのは1212年。
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       shinkaiは、わぁお、大きいなあ!と上の方しか撮っておらず、
       如何にもの、ははは、昔の絵を見つけましたので、皆さんにも!
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       フォンターナ・グランデとは、大きな泉の意味ですが、
       まさに、大きな泉なのでしたぁ。




       塔も見え、狭い道が走る一廓があり
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       現代風に改装されていても、元の中世風姿がそのまま残り
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       こちらはポーシャ邸・Casa Poscia、13世紀。
       最初の地図ほぼ中央、Palazzo del Podestàという行の間に
       緑の点を打ち、矢印で2と書いている、そこにありまして、
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       美しい外階段があり、紋章もすり減っていますが
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       往時の素晴らしさを残す建物で、
       ポーシャ邸のポーシャという名は、この邸宅の最後の持ち主だそうで、
       
       プレビシート広場の前の教会の石棺の主ベッラ・ガリアーナは、
       ここに住んでいた、という伝説もあるそうですが、
       そんな無茶な伝説、時代がまるで合わないやんかぁ! ははは。




       再度エルバ広場のライオンの泉に出てきまして
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       こんな古い塔の上の鐘を見たりしながら、再び奥の小路に入り込み、
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       これもまた大きな古い建物!
       うっかり名前を探しておりませんが、検索して置きましょう!
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       こちらは泉の地図、右上にあるサンタ・マリーア・イン・ポッジョ・
       S.Maria in Poggioの泉で、背後の教会も同じ名。
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       13世紀のもので、この中心が膨らんだ形・紡錘形が
       街の泉としては古い形になるのだそうで、
       イタリア語でFuso・フーゾと糸をつむぐ紡錘を呼びますが、
       ヴィテルボでは泉を単純に"fuso"と呼ぶと読み、ピンと来ず、
       友人のジュリアーナにSOSのメールを送り、教えて貰ったのでしたぁ。




       一番上では男女が何かを運んでいるのか、取り合いっこかな
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       水はこんな口から出ており、
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       教会側の高い位置から見る泉と、前の家並み
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       そして石畳は、つるつるに光り・・
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       という、ヴィテルボの街歩きその1、中世への誘い でした。
       さて、これからまた必死にあれこれ読んで次回に備えますので、
       ははは、どうぞ宜しくぅ!



     ◆ 個展のお知らせ ◆

       広島の絵の友人 槇原慶喜さんが、横川のカモメのばぁばぁ にて
       2月3日から15日まで個展を開催されます。
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       どうぞお出かけ下さりご高覧頂きます様、ご案内申し上げます



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ヴェネツィアの冬の海 途中経過と、 春を待つ畑 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    


     *****        
       
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by italiashiho2 | 2016-01-31 02:37 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(6)
2016年 01月 26日

   ・・・ 有翼の馬 ・ タルクイニアの国立考古博物館 ラツィオ州 ・・・

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       ラツィオ州はタルクイニア・Tarquiniaの国立考古博物館
       ここはエトルスク美術文化の一大宝庫なのですが、その中に
       とびきり素晴らしく美しい有翼の馬」があり、それに魅せられました!

       タルクイニアの町の南東一帯に広がる発掘された古墳の数々も見学し、
       装飾画の色と線の美しさにも驚き、博物館では発掘品の数々、
       陶製、テラコッタ、青銅の薄板、レリーフなどなど、
       物凄い数の品も見たのですが、
       エトルリア人の文化については語れるほどに系統だって知らず、
       あれこれちょびちょびの齧りばかりですので、
     
       この考古博物館で一番興味を持ってみた
       「有翼の馬」周辺についてご案内を絞ろうと思いますので、
       宜しくお願いいたします。  

       トップの写真は、タルクイニアの町の城壁から中心地に入る所ですが、



       タルクイニアの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
       ラツィオ州の北、ヴィテルボ・Viterboから南西に45kmほど、
       ティレーニア海に近く、ローマへは100km足らずに位置します。
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       地図を見つつ、南にあるトルファ・Tolfaは、かっての明礬鉱で
       有名だった場所ですし、
       ブラッッチャーノ湖・Braccianoは、確かここでトム・クルーズが
       結婚したのではなかったか、何度目の結婚だったのか、
       はたまた既にもう離婚してしまったかどうか、ははは、
       ネーピ・Nepiには、かのルクレツィア・ボルジャが城を持っていたっけ・・、
       なんぞと知っている地名を探し出して楽しみました。




       最初の写真でも城壁が見えましたが、この町もかってはぐるっと
       城壁が取り囲んでいたのが現在もあちこちに残り、
       奥に見える門の手前に城壁の門、つまり2重になっていたのが分ります。
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       ちょうど横にあった町の地図で、大きな赤丸に今ここ、とあり、
       斜めの道を辿り、インフォメーションも向い側にある
       タルクイニア国立考古博物館に向います。
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       も一つ囲った赤枠は、市役所のある広場で、
       タルクイニアの町訪問は今回この2ヶ所を見たのみでしたぁ!




       考古博物館に向う道はこんな感じで、
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       中心の広場に近づくと、細い道の隙間から
       ほら、威圧的に高い建物が見え始め、
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       こんな大きな窓も持つ、ルネッサンスの香りのする建物で
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       全体写真が撮れませんでしたので、サイトから拝借し、
       
       これが全体像で、ヴィテッレスキ邸・Palazzo Vitelleschi
       現在のタルクイニア国立考古博物館・Museo archeologico nazionale tarquiniense.
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       横の道に面する壁の高さ!
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       このヴィテッレスキ邸の建設が始まったのは1436年頃、完成したのは
       1480~90年、枢機卿ジョヴァンニ・マリーア・ヴィテッレスキ
       Jovanni Maria Vitelleschi が建てた物で、
       彼はかってコルネート・Cornetoと言ったこの地の生まれなのですね。

       1435年教皇エウジェニオ4世が教皇領の安定の為、枢機卿ヴィッテレスキ
       への賞与として、この地を司教区としたのを受けての建設だったのでしょう。
       ご覧の通りの大きさ豪奢さで、当時のこの町の繁栄振りも伝わります。

       
       話が前後しますが、この町は紀元前7~6世紀頃にエトルリア人の
       移殖定住があった、古く重要な町のひとつだったのですが、
       紀元前3世紀ローマの元にくだり、ローマ領の一部となり、
       その後も次々と領有者が変わり、8世紀には教皇領に。
       が蛮族やサラセン人に荒らされ、人口も激減し経済的にも衰退。

       そして10世紀頃かっての古い町に近い丘の上に、新しい集落ができ、
       コルネート・Cornetoという名で11~12世紀にかけ大きな穀物産地ともなり、
       港を利用してのジェノヴァやピサとの交易で発展を遂げ、
       13世紀にはフェデリーコ2世の襲撃にも抵抗し、地中海と北の地域との
       重要な連絡港ともなり、という変遷だった様です。
       



       ちょうど考古博物館の前広場で道が十字に交差、西側は下り坂なのですが、
       そのずっと先に海! 
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       反対側、緩やかな上り道の先に見えるこんな建物
       この道の奥には博物館の見学の後に。      
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       さて、国立考古博物館に参りましょうか
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       建物は第2次大戦中ドイツ軍の司令官事務所が置かれていた為、
       アメリカ軍の爆撃を受けたそうで、戦後に再建設、修復されたそう。




       扉から入るとこんな中庭があり、左には先ほど見て頂いた高い石塀があり、
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       右側はこういう感じで3階建て、色違いの石のアーチが優雅でしょう?
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       中庭にはこんな石材の発掘品がゴロゴロしており
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       石棺もまたあっちにこっちに!
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       階段のレンガ模様。 段差がとても低いので、ひょっとすると
       かってはここの階段も、貴人方は騎乗での上り下りだったかもですね。
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       2階から見下ろす中庭部分
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       そして西に見える海と
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       テラス越しの眺め、上の眺めの続き方面。
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       2階のアーチ天井部、煉瓦で組んでいる、と上の窓
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       こちらは外に面している大きな窓
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       陽が射し込む窓の内側のベンチ
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       たくさんの陳列品もあったのですが、たくさんの見物人もで、はぁ、
       それらすべてを省略し、

       これが今回ご案内したかった「有翼の馬・I Cavalli Alati」!!
       テラコッタ製 高さ1,15m 幅1,25m        
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       これが紀元前4世紀の初め、今から2400年も前の作品と思えます?!

       如何にも駿馬らしい若々しい引き締まった体形
       今にも空に駆け上りそうな、出発を待ち、足踏みする姿!
       この熟錬した描写力の素晴らしさに、まさにまさに感服!!

       足元辺りに丸い黒い物が見えるのは、後ほどに。

       実はここは確か撮影禁止だったと思うのですが、はは、
       ガイドさんの説明を聞きながら、内側の誰かが内緒でパチッとやり始め、
       皆と一緒なら怖くないで、ははは、
       遂には皆がしっかり撮り始め、ガイドさんも黙認という・・!




       この馬たちはどこで発掘されたか、もう一度地図をどうぞ。
       左に赤い点を打ったのが、上の町の地図で見て頂いた、私はここ、の位置で、
       上に考古博物館と市役所の囲いがあり、
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       右下の、Necropoli di Monterozzi・モンテロッツィのネクローポリ(墳墓)
       とある道の東南一帯、こに古墳群があちこちに広がり、見学できますが、




       赤い印のある場所から東北東に3k弱の位置に、レジーナの寺院
       Ara della Reginaと呼ばれるエトルスク神殿の発掘場所があり、
       「レジーナ」というのは、現在ディアーナ・Diana(ダイアナ)と
       呼ばれる神だろうと推測されるそうで、
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       ここの発掘現場で、1938年 地下3mの深さに埋もれていたのを
       考古学者ピエトロ・ロマネッリ教授・Pietro Romanelliにより発見

       100以上もの破片になっていたのを修復したのだそうで、
       まさにエトルスク芸術の逸品と言えるのではないでしょうか?!
       この馬以外は、残念な事に何も救えなかったそう。
       
       寺院があったとされる位置は、
       写真内、長方形の敷地内の奥側でもあったでしょうか。




       で、かってはどこにこの馬達がいたかといいますと、
       この様に寺院の正面、屋根の下3角形の部分の左端に
       後ろに2輪の馬車を引いた形で、木の梁部分に打ちつけられていた、と。
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       こちらのYoutubeを是非ご覧ください!
       ロマネッリ教授が発掘し、感激しながら描いたスケッチ類
       破損した形の馬の頭の見事なスケッチなども写ります。




       斜め前からの前部の厚みはこんな様子
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       で、上のYoutubeで、
       1938年当時の修復以来、この有翼の馬の2度目の修復作業が
       2000年から行われたのも見ることが出来ます。

       これは2007年夏に、発掘以来初めてタルクイニアを離れ、
       ローマのヴィッラ・ジューリアの国立エトルスク博物館
       Museo Nazionale Etrusco di Villa Giuliaでのお目見えの前に行われた物。

       その内容に付いては、http://www.arsetfuror.com/r4Restauri05Art2.htm
       修復と・・その周辺・Restauri e Dintorni
       で知る事が出来ましたので、興味深い部分をご案内致しますね。
       
       こちらには修復中の写真も載っており、
       これも興味あるものですから、是非どうぞ!

       今回の修復に当たったのはイングリッド・レインデル女史・Ingrid Reindellで、
       テラコッタの表面を綺麗にした所で分った色は、以前は黄土色だったのが
       もう少し赤みがかかった色であった事、
       そうなんですね、この馬たちは彩色されていて、Youtubeでも  
       部分的に赤色が残ったのが見えましたし、
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       私は昔、以前の古い黄土色の馬の写真を見て以来、照明で光っていたのを、
       ずっと黄金の馬かと思い込んでいたのを告白致しますです、へっへっへ。




       馬の背後からは、テラコッタを焼く際に出るガス抜きの為の
       小穴も見えるそう。
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       馬車を曳く引き綱が後部に少し残っているのですが、
       赤と濃い色(青か紫かな)と間の明るい色との3色なのも分りますし、
       そう、尻尾の毛が結わえられているのも見え、楽しくなります。
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       見える黒い丸は、背後の梁に打ち付けられていた釘で、
       最初の修復ではボルトで留められていたのが、
       その後の発掘調査で似た釘が出てきたので、それを模したものに変えられたそう。

       破片類も新しく接着しなおされた様子で、
       以前よりも0,5mm低くなったとの事!




       これは博物館に展示されていたもので、
       多分こんな色に彩色されていたのではないか、という復元想像図で、
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       古墳内で見た色鮮やかなフレスコ画などと同じく、
       きっと、晴れやかに天を駆ける馬達の姿だったのでしょう!!


       そうそう、博物館廊下に古墳内のフレスコ画あれこれを撮った
       写真パネルの大きなのが2枚展示されており、
       Takashi Okamura タルクイニアの写真家、と日本人名が
       掲載されていたのも、嬉しくご報告を。


       また博物館内でたくさんの素晴らしい壷絵なども見ましたが、
       ギリシャの壷絵と良く似た描写で、
       古墳内のフレスコ画や像の顔などはギリシャとは違う様式が
       はっきり見えるのですが、壷絵はshinkaiには違いが良く分りませんでした。

       それにどれも大変素晴らしい線、形で、どうしてこんな風に描ける?
       イタリアの焼き物などは下手丸出しのもたくさん見るのにと、ははは、
       長年の疑問だったのですが、ガイドさんに型紙を使っていたのだろうか、
       と質問し、多分そうだったろうね、と同意を得て納得の部分もありましたぁ。
       



       そんなこんなで大いに満足し博物館を出て来ますと、
       城壁外のバスでの集合時間まで少しあり、
       ではあの奥に見える建物まで行こう!という事になり、

       ゆるゆると坂道を上ってきた広場で、
       向こう半分は修復され綺麗になっているのですが、市役所の建物
       14世紀・手前と17世紀のものの様子。
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       壁に見える大きなアーチはロッジャを兼ねている様子で
       階段を上がった上には教会があり、
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       これは広場にあった、円柱を持つ大きな噴水、
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       土地の段差を利用しての、噴水の奥にこの教会
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       市役所の建物の真ん中のアーチは、こんな風に通り抜けとなっていて
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       ここを向こう側に抜けると、町のいわば旧市街だそうで、
       時間がなく行けなかったのが残念でした。
       たくさんの教会と塔と城壁と、古い町並み
       またいつかゆっくり訪問してみたい町のひとつ。




       ロッジャの上から見通す博物館前の広場、そして遥かに海!
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       この後は、バスの集合場所に急ぎつつも写真を撮り、
       一人が集合時間お構いなしでのんびり撮るもので、
       最後はバスが見えた時点で走るという、ははは、
       
       タルクイニアの有翼の馬と、ちょっぴりの町案内でした。



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ドロミーティの花の窓 途中経過と、 冬の朝の馬場 を
       アップしています。
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by italiashiho2 | 2016-01-26 00:04 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(9)
2016年 01月 21日

   ・・・ ヴィッラ・ランテ ・ ラツィオ州バニャイア ・・・

       今回のタイトルをお読みになって即、ああ、あそこか、
       とお分かりになる方は、かなりと言うか、大変に通の方!
       と思うのですが、
       ここにはイタリアでも有数の庭園を持つヴィッラがありまして、はい。
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       首都ローマのあるラツィオ州ですが、
       北部に位置するヴィテルボ・Viterbo周辺を4年前の春に訪問、
       ヴィテルボはそれ以前にも訪問しているのですが、
       余りにも見所の多い土地、街町で、ご紹介できたのはほんの少し!で、
       ずっと私めの宿題になっておりました。

       が、この春再度ラツィオ訪問のチャンスが訪れそうで、
       前の分を消化しておかないと!とお尻に火がつきまして、ははは、
       頑張って写真整理、検索に励んでおりま~す。

       という事で、今回はヴィテルボのすぐ東にある町
       バニャイア・Bagnaiaの ヴィッラ・ランテ・Villa Lanteのご案内を

       トップの写真2枚は、バニャイアの町の広場なんと名前がない!
       というよりも、かっての町の中心は見える塔の、脇にある門をくぐった中にあり、
       この前の道をヴィテルボからのヴィア・フィウメ・via Fiumeが通り抜ける、
       という場所なのですね。

     追記です。 シニョレッリさんが役場で貰った地図に
       「9月20日広場」・ピアッツァ・ヴェンティ・セッテンブレ 
        と書いてあると教えて下さいましたので、訂正いたします。
       シニョレッリさん、いつも有難うございます!




       地図をどうぞ
       バニャイアの町はヴィテルボから東に5Kmほど、
       緩やかな坂道を上った所にあり、中世のローマへの巡礼道である
       ヴィア・フランチェージナが通っていた町。
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       南にあるカプラローラ・Caprarolaには、
       素晴らしいファルネーゼ家の城と庭園があり、ここは既にご案内済み。

       ヴィーコ湖・Lago di Vico 一帯も含め、ヴィテルボから南西に50kほどの、
       海に近いタルクイーニア・Tarquiniaにはエトルスコの一大墓地群があり、
       この町の博物館で見た有翼の馬の像も素晴らしかった!ので、
       ぼちぼちご案内できると良いなと思っています。
       
       今日は皆さんにも良く見て頂けるよう、不足の写真を
       サイトからかなり拝借しておりまして、
       shinkaiのサイト名のないのが、拝借した写真です。




       地図だけでは分り難いでしょうから、上空からの写真もどうぞ!
       これ素晴らしいでしょう?!
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       北上に、谷に突き出す形で見えるのがかっての古い町で、
       左上に見える谷を渡るアーチ型の道を左に行くとヴィテルボ、
       町に入って四角に見える広場が上の写真で見て頂いた広場。

       手前に四角く見えるのが庭園の一番下部分で、
       山腹に沿い、左側一帯にもずっと広く広がります!




       町の広場から上り坂の道の奥に見える庭園の門
d0097427_03145801.jpg



       さて、坂道を上り、庭園に入って頂きましょうか。
       この庭園の開園時間と値段ですが、月曜休園、
       夏は9時から19時半、冬は9時から16時半。
       入園料は大人2エウロ、シニアまたは学生1エウロ。
       
       エトルリア美術、ラツィオ州一帯の博物館に付いてのサイト
       http://www.artetruria.it/index.htm   



       上の写真で見えた門は中央の門で、現在の入り口はその右側にあり、

       入ってまず見えるのは、土地の段差を利用したペガサスの泉
       大きな円形の泉の真ん中にペガサス・翼を持つ天馬。
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       泉の右に見えた階段を上がるとこんな感じで、
       庭園内にある、並んだ建物2つの内の右側と、
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       右一帯に広がる林と言うか、広大な庭部分
       人々がゆっくりと散策を楽しみ、日向ぼっこをしたり・・。
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       上の写真に見えた右側の建物の脇にある門を入ると、
       奥にもう一つ、良く似た建物が。
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       これは手前建物の窓部分の装飾、フレスコ画ですが、
       上に見える四角い網の目に見えるのは、
       殉教した聖ロレンツォが炙られた格子を現しており、
       教会への忠誠を示すものなのだそう。
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       2つ並んでよく似た建物があると言いましたが、
       右はこの庭園を造った枢機卿ガンバラ・Gambaraの名を冠し、
       パラッツィーナ・ガンバロと呼び、
       30年ほど後に建てられた奥のを、パラッツィーナ・モンタルトと。




       覗きこんだガンバロ小邸の、内部装飾のフレスコ画
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       で、見れなかった、撮れなかった部分をサイトで見つけましたら、

       なんと、真ん中に描かれている風景は
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       ファルネーゼ家の城と庭園建設が改めて再開されたのは1959年。

       こちらヴィッラ・ランテの前身が建設され始めたのは1511年ですが、
       ガンバラ枢機卿が多分建設途中の物を手に入れたのでしょう、
       1566年一応の完成をさせたものの、
       亡くなった1587年までずっと続いたようですから、
       同じ枢機卿同士の行き来もあったでしょうし、近くですし、
       素晴らしい庭園や城を見て描かせたのかも、と想像します。
   
       そしてなんと、設計建設が同じジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ
       Giacomo Barozzi da Vignola である事にも、気がつきました!

       ガンバラ卿の没後はヴィテルボの聖職管理職・枢機卿でもあった
       アレッサンドロ・ペレッティ・ディ・モンタルト・Alessandro Peretti di Montalto、
       シスト5世教皇の甥、14歳で枢機卿に任命され、当時僅か17歳だった
       モンタルト枢機卿が後を継ぎ、工事を完成させ、
       2つ目の小邸にその名を残します




       こちらは小邸のロッジャ部分で、真ん中に上のフレスコ画が見えますが、
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       チラッと修復中の建物内に入らせて貰った時
       写真禁止と言われたのを、厚かましくパッシャッとやりまして、へへへ。
       時代が後のが分る繊細な装飾文様でしょう?!
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       こちら、庭園全体の様子が分かる写真を探しました
       外の広い林部分は別として、内側庭園はこんな感じ。
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       刈り込まれて模様を形作る低い植木もなのですが、
       上から水が流れ落ちながら次々と様々な噴水で遊ぶ、
       その様子が見所だと思いますので、

       今回はshinkaiが見たのとは順序を逆にし、
       水が流れ落ちる順に上から
       つまりかっての貴族達が楽しんだ様を皆さんにも!!



       という事で、こんな椿の咲く小道を一番上まで上って頂きますね。
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       上には、こんな東屋があり
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       軒下の壁に、はっきりと浮き彫りの海老の紋章が見え、
       下に、DE GAMBARA・デ・ガンバラと読めます。
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       反対側には、JO FRAN CAR、つまり左右を繋ぐと、
       IO Francesco Cardinale Gambara・我枢機卿フランチェスコ・ガンバラ
       ここの庭園造りに情熱をこめた枢機卿の名乗り!




       ロッジャというか、東屋と言うか、中の壁にもフレスコ画があり、       
       芸術の女神、多分、と鳥と植物、優雅ですねぇ!
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       さてこちらが枢機卿フランチェスコ(1533-1587)
       ジョヴァンニ・フランチェスコ・ガンバラと言い、ブレーシャの貴族出身。
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       バニャイアの土地は13世紀から教皇領で、近くのヴィテルボの司教に
       恒例的に管理が任されていたのだそうで、

       このヴィッラ・ランテの建設が始まったのは多分1511年で、
       一応の完成を見たのは、ガンバラ卿によって1566年と。

       普通ヴィッラには建設者の名がついて残るのが一般的で
       後に持ち主が変わった場合は並んで名がつくのですが、
       なぜかここはヴィッラ・ランテと、建設後100年にして持ち主となった
       ボーマルツォ公爵のイッポリート・ランテ・モンテフェルトゥロ・デッラ・ローヴェレ・
       Ippolito Lante Montefelrto della Rovere, Duca di Bomarzoの名のみが残ります。

       ボーマルツォと言うと怪物公園で有名ですが、ご案内は
   

       ウィキでも余りガンバラ枢機卿の事が分らなかったのですが、
       ひょんな事から、彼はヴィテルボのあの時代に活躍した
       異端審問裁判官であったらしいことが分かりました!

       それに、ヴィテルボのドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂の上にもやはり、
       Io Giovanni Francesco Cardinale de Gambara と彫り込んでいる事も!
       これはshinkaiも撮ってきた写真を確かめ、確認済みで、
 
       異端裁判官としては、かのミケランジェロがあがめた
       ヴィットーリア・コロンナにも矛先を向けた男だった様で。

       現在は歴史の中に埋もれた様な枢機卿ですが、そんなこんなで、
       案外に皆が記憶から消したかった名前でもあったのかと思った事でした。
       
  
       

       さていよいよ一連の水の遊び、水運びの様子ですが
   
       一番上にあるのがこれ、
       フォンターナ・デル・ディルーヴィオ・fontana del diluvio.
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       町の背後にあるチミーニ山系から、傾斜を利用して運ばれて来た水は、
       岩を装ったアーチに隠され、ここから徐々に流れ落ちます。
       手前の水槽に見える岩は、泳ぐイルカたちで、




       これはその前にある4面像!
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       そして、そのも一つ手前にある噴水
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       この海老をかたどった形から水が吐き出され
       海老の手、ハサミをかたどった細い通路を、水が流れ落ちて行きます。
       水路の写真は下から眺めているのですが、分りますか?
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       そしてフォンターナ・デイ・フィウミ・fontana dei fiumi・川の泉
       または巨人の泉とも呼ばれるように、両側に巨人像があり、
       幾筋もの水が細い滝のように流れ落ちます。
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       で、この細長いプールを挟んでのテーブル状の物は、
       メンサ・デル・カルディナーレ・Mensa del Cardinale・枢機卿のテーブル
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       夏の外での宴会の折には、この水の流れに食物や飲み物を浸し、
       水面が反射してクリスタルのようだった、という枢機卿のテーブル!




       テーブルの終りは、こんな風に口を開いた男から水が流れ、
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       最後の大きな水の遊びは、フォンターナ・デイ・ルミチーニ
       fontana dei lumicini・小さな明かりの泉、
       70ある噴水の元が蜀台の形をして、噴水が煌くという訳ですね。
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       これらの素晴らしい水の様々な遊び、細い水路の流れや噴水、
       滝のように落ちる様々な調和の水遊びは、
       全体の設計をしたヴィニョーラが、シエナから水の設計専門家である
       トンマーゾ・ギヌッチ・Tommaso Ghinucciを自分で呼んだのだそうで、
       彼の天才ぶりは今もここにこうして健在!




       この辺りからだと漸くに下の庭、刈り込まれた植え込みと
       真ん中の四角い泉が良く見え、左側から順に、
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       この植え込みは、フランスのフォンテンヌブローや、サン・ジャン・アレーの
       城と同じ、まさに最初のフランス式花壇の造り手たちの手になるものなのだそう!!

       


       植え込みは背の低いもので、中には入れませんが、
       ご覧のように、少し木が傷んでいる部分もあり、ちょっと痛々しく・・。
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       こちらの写真のように、多分建物の中からなのでしょう、
       これ位高い場所からだと、植え込みの模様もはっきりで素晴らしい!
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       ガンバラ・Gambara・海老という枢機卿の姓から、
       紋章にも海老が入っていましたが、水の流れの囲いにも、
       そしてこの植え込みにも、海老らしい形が見え楽しい!

       ヴェネトにある、迷路になった植え込みの大きな庭園は


       真ん中に見える四角い泉は、4つに仕切られ真ん中に丸い噴水
       植え込みからそれぞれに道が付き、通れる様になっているのが見えますが、

       四角く区切られた泉のそれぞれに小舟が浮かび
       中に人型もあるという芸の細かさ!
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       真ん中の丸い泉は2段になっていて、真ん中に4体の人物が
       腕を差し伸べていて、
       shinkaiが見た時はこの修復前の姿だったのですが、
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       現在は星の下に山の形の、モンタルト家のシンボルを支えた姿
       修復済みの様子。
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       この泉はフォンターナ・デイ・モーリ・Fontana dei Mori・と呼ばれ、
       1597年に教皇クレメンテ8世がお越しの時に、当時の持ち主であった
       モンタルト枢機卿が取り付けたものの様子。




       というイタリアでも有数な庭園のご案内でしたが、
       お楽しみ頂けたでしょうか?

       実は下に見える古い町の中もちょっとでしたが見に行き
       中世が残る古さの壁や建物にも魅せられました。
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       が今回はあれこれ読むのに疲れまして、ははは、
       町のご案内はまたのチャンスに!



     *****

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by italiashiho2 | 2016-01-21 03:32 | Comments(6)
2016年 01月 16日

   ・・・ ルイーザの家で、新年会 ・・・

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       10日の日曜日、ルイーザが仲間を昼食に招いてくれ
       彼女の料理の上手さを知っている我ら一同、いそいそと出かけました。

       本当は6日の祭日、主のご公現の祝日・エピファニーアにと
       ルイーザ・Luisaは考えていたらしいのですが、
       なぜならこの祭日はまたべファーナ・Befanaとも呼ばれ、
       かってはクリスマス・シーズン最後の日、5日の夜子供達に
       プレゼントをもって来た老婆・べファーナを指しますので、
       ルイーザはこの日に仲間を集めたかったらしいのですね! きゃはは。

       残念ながら既に食事の約束があった仲間もいて、
       10日に、となったわけです。




       曇り空、朝にはちょっぴり小雨も降り、歩き会は中止となったこの日、
       家の中に入りますと、既に居間のテーブルには準備が整い
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       脇の小卓にもお菓子や果物!
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       かって知ったる家でして、ははは、台所に行くと、
       ルイーザの従姉妹のマーラ・Maraも来ていて、
       ルイーザの夫レナート・Renatoと共に、せっせとカナッペの準備中!
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       既に準備の出来たお鍋の中には、左上から小玉葱の甘酢漬け
       右にレンティッキ・レンズ豆の煮物、右端と手前下はラディッキオ・トゥレヴィジャーノ・
       ラディッキオの中でも一番美味しいトゥレヴィーゾ産のグリル
       左端の黄色いのはポレンタ
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       お鍋の中にはカボチャのスープと、菜食者が多いのを考慮した料理のあれこれ。
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       台所の窓からは庭が見え、左にチラッと見えるのは、
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       レナートが作った工具小屋で、手前は菜園
       庭が玄関前からL字型に広く続いていて、様々な花壇も。
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       玄関前の大きな木に、昨年何度もフクロウがやって来て
       朝2階の寝室の窓からちょうど見える高さに止まり、
       それも1羽から2羽になり、最後には小さいのも一緒だったそうで!
       今年も葉が茂り始めたら戻ってくれるのを楽しみにする彼ら。




       shinkaiが台所口から庭に出て、クリスマス・ローズなどを撮り戻ると
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       既に皆はカナッペを食べつつ、プロセッコで乾杯の準備をしており、
       ほらね、カナッペの量が残り少ないでしょう?! ははは。
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       上に乗っているのは何だったっけ? 茄子に、トマト味に、
       ええとこれも皆野菜味でしたぁ。




       で我らが席に着くと、マーラとレナートが給仕役で、

       カボチャのスープがまず運ばれ
       胡椒をふりクルトンを入れ、パルミッジャーノ・チーズをかけ頂きます。
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       ほんのり甘く、胡椒がピリッと。 美味しかったぁ!!




       スープが済むと、
       レナートが大皿いっぱいの、各種チーズ盛り合わせを持ってきて
       各自の好みを聞きながら説明をし、取り分けてくれ、
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       その間にも、マーラがせっせと料理を各自のお皿に乗せてくれ、
       shinkaiのお皿の上は、
       左のお皿、左の赤いのは、赤カブとルバーブの煮物、リンゴなども入った
       スイスに住む叔母さんのレシピだそうで、ほんのり甘く美味しく、
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       その右はラディッキオ、このトゥレヴィジャーノの食べ方は色々ありますが、
       このグリルが一番野菜のほろ苦い甘みが出て、美味しい!
       右のお皿には、レンズ豆、小玉葱、ポレンタにチーズ。

       ワインは赤の美味しいのが出てきまして、さっぱり味なのに、
       飲む内にいつもより回りが速いのに気がつき、
       あれっとアルコール度数を見ましたら、なんと15度!!
       15度というワインを飲んだのは初めて!!




       食べるうち飲む内に、どんどん気持ちよく、にこやかになる我ら!!
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       ポレンタもいつもよりもずっと円やかな美味しさで、
       なんという種類なのか、どこで買ったのかなど訊ね、
       特別な種類ではなく、良く売れる店の新しい品で美味しいのだと知り、
       が多分、手間をかけてよく練っているのだとも思います。
    
       パルミッジャーノ・チーズなども最低2年は寝かせた物が良いのだ、
       とかあれこれ教えて貰いました。
       なぜか、という理論は聞きましたが、言葉を覚えていないので、
       皆さんのご質問にはお答えできませんです、ははは。




       デザートには、まず
       我らが手土産に持っていったセミフレッド・semifreddoのお菓子。
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       ええと、セミフレッドというのは、ジェラートを土台に上に
       クリームやムースなどをのせているお菓子で、
       ルイーザが果物よりもこれを持ってきて、との注文でして・・。




       shinkaiは余りチョコレートを食べませんで、このシロップの方を
       頂いたのでしたが、思っていた以上に大変美味しいのを発見、はは、
       ジュリアーナの家の近所の店を一つ覚えましたぁ。
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       この時レナートが新しいワインを開けてくれたのが、
       収穫した葡萄を干してから作るワイン、ヴィーノ・パッシート・vino passito.
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       この製法で作る甘く強いワイン、ヴィン・サント・Vin Santo
       色が明るめですが、今回頂いたのは濃い赤色で、
       確かに口の中でゆっくり味わうと、干し葡萄の味もほんのりと!




       頂いたワインの瓶を並べて撮ろうとすると
       レナートが最初のプロセッコの瓶も持ってきてくれまして、はは、
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       ラベルの部分をアップですが、ちょっと見難くいかな・・。
       左から、プロセッコ、サンフェレットのGASTALD  DOCG
       中、 フリウリのNORINA PEZ 赤 これもDOCG 15度
       右、 イル・コッレの、REFRONTOLO PASSITO 2010年 13度
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       葡萄を干すには、格子の上とか板の上に並べるのが一般的らしいですが、
       干し柿みたいに葡萄の房を一つずつ括って縦に干す方法もあるそうで、
       これにはヴェテランの女性の手が必要で、などとも聞きましたが、
       そう、ワインのお値段もイマイチ高くなるはずですよね。

       レナートはワインの目利き、味効きでもあるのですが、
       家庭での集まりの時には、まさに最高のホストであり、
       shinkaiんちで何かある時も、ワインを届けてくれる気前の良い男性!

       昨年彼のペース・メーカーの調子が悪く、彼とルイーザにとっては
       大変な一年だったのですが、優秀なドットーレとの出会いで良い状態を保っているので、
       彼の健康を祈り、皆で大いに乾杯した事でした!

       でもこれ、考えてみるとちょっと可笑しいですよね?!
       XXさんの健康に乾杯!と言いつつ、飲むのは自分ですものね、ははは。
       



       デザートを食べて暫くして、次に出てきたのが、はは、
       マーラが作って持って来てくれた大きなストゥルーデル!
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       お腹がいっぱいと言いつつも、皆美味しく頂くのですよね、ははは。
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       で、後ろに見えるのが、新しく頂いたデザート・ワインと言うのか、
       すっきり味の、どれが醸造元の名なのかも判断できませんが、ははは、
       Di Michelaかな、Torelliかな、 ASTI DOCG 発泡性ワインでした。




       お腹いっぱい、満足してにこにこ笑顔の我ら
       奥にエレオノーラ、ヘルガ、ルイーザ、
       そしてジュリアーナ、ロレダーナ。
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       このあと何をしたと思し召す?

       ヘルガとルイーザの前にあったゲーム、そう、トンボラで遊びましたぁ!




       トンボラ・Tombolaという、イタリアはナポリで18世紀に始まったと言う
       ゲームは、とりわけクリスマス・シーズンに家庭内で行われるゲームで、

       いや、賭け事の一種でもあるのですが、家庭内ではお金を賭けず
       様々な贈り物を賞品にしたりで、友人達の間でもよく行われます。

       まず親を決め、親は1~90までの番号の入った盤を前にし
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       参加者は、こういった欠けた番号の札を何枚か前に置き
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       我等は各自3枚ずつ札を前に置きまして、
       親は袋の中に1~90までの駒を入れ、混ぜながら一つずつ取り出し
       番号を読み上げ、自分の大きな番号表に置いて行きます。

       参加者の方は、自分の持ち札に言われた番号があれば
       その上に豆とか、ルイーザは小さなボタンを持ってきましたが、
       用意された物を置いていくのですね。

       札一枚15の番号が全部塞がったら「トンボラ」で勝ちとなる、
       単純で子供でも参加できるゲームなのです。

       町のお祭りでも、広場で皆が参加する大掛かりな物もありますし、
       ジュリアーナ達はクリスマス前にも友人20人ほどが集まって
       騒いだらしく、

       親が引いた番号を読み上げるのに、ナポリ風にその番号にあてはまる言葉、
       見た夢の、何の夢かで番号が決められており、その番号を賭け事の数字にする、
       というのは良く知られていますが、
       例えば、イタリアは1、女の子が2、雌猫が3、お祭りが20と言うように、
       1~90までの数字があらわす言葉を読み上げる時に使ったり、
       という事もあるようで・・!

       shinkaiも一度「トンボラ」を当て、金属の小さいイルカをルイーザに貰い、
       親も2度務めた、なんとも久し振りのトンボラ遊びでしたぁ。




       後の3人は、テーブルの向こうでトランプ遊びをしており、
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       普通こちらではトランプではなく絵札で遊ぶので、
       てっきりそれかと思って見もしなかったのですが、
       残念、トランプだったら参加できたのに!

       てな事で、夕方さよならを言って引き上げたのは6時半過ぎ!の
       美味しく楽しい新年会でした。

       Grazie mille Renato e Luisa!!



     ◆ 個展のお知らせ ◆

       広島の絵の師であり友人の 田谷行平さんが23日から31日まで
       広島並木通りの ギャラリーたむら にて、個展を開催されます。
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       どうぞお出かけご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます




     *****

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by italiashiho2 | 2016-01-16 01:08 | ・旨いもの!Buono! | Comments(11)
2016年 01月 11日

   ・・・ 夜の松本、街散策を ・ 縄手通り、中町通り ・・・

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       松本を訪問した夜、晩御飯の後、古い町並みを保つ縄手通りと、
       土蔵通りともいえる中町通りを歩きました。

       時間が少し遅かったので、どちらの通りも閉まっている店も
       ありましたが、それでも夜の明かりの中で雰囲気満点!
       ちょっとしたタイム・トリップのようで、
       情緒ある町並みを満喫することが出来ました。
       どうぞ皆さんにも、ご案内がお楽しみいただけます様に!

       上の写真2枚はサイトからの、縄手通りの昼の様子で、
       1階建ての家並みで、様々な小さな店が細々と並んでいるのが
       お分かりと思います。

       例により、サイトからも写真を拝借しましたので、
       ブログ名が入っているのがshinkaiが撮った物です。



       地図をどうぞ
       流れる女鳥羽川・めとばがわ に沿って、北側に縄手通り
       川筋の通りから1本南に入った通りが中町通り
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       JR松本駅から歩いて10分位の位置だそうですから、
       お城見物の寄り道にもちょうど良いかもですね。

       松本の街中を流れる一級河川の女鳥羽川
       字ずらがちょっと凄いので何か謂れがあるのかと思ったのですが、
       江戸時代初めごろは「女堂田・めとうだ川」と呼ばれていたそうで、
       やはり「女」が入るのですが、謂れは分りませんでした。

       この川は松本市を流れ、何度か合流しつつ梓川に流れ、
       犀川となり、信濃川に、そして日本海に注ぐのですね。




       女鳥羽川の川岸に並ぶ、縄手通りの店の裏側
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       川岸のこういう木の建物に明かりが付き出窓があると、
       なぜか艶かしいイメージを持つのは、shinkaiだけ?




       通りを挟んで両側に店が並びますが、全部で50店程と、
       ほらね、ちょっとレトロ気分になるでしょう?!
       道がちょっぴりカーブしているのも、良い感じですよね。
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       涼しいと言うよりは少し肌寒い程の夜だったのですが、
       表のテーブルで一杯やっているグループもおり、お元気、ははは。
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       ここは何?!と一瞬考えたんですけど、
       大きな高層マンション入り口なのでした! ちょっと良いでしょう?
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       飲み屋さんとかカフェ以外は、店は既に殆ど閉まっておりまして、
       明かりが付いているのは覗きます。

       ここは和風小物店で、若い女の子達が好きそうな物がたくさん!!
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       道の中ほどに在った「かえる神社」。
       狐の代わりに蛙ちゃんがいて、そういえば橋の袂にも蛙の像があり・・、
       調べてみましたら、ここのご本尊は蛙大明神さま!
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       というのも、かって女鳥羽川には河鹿蛙がたくさんいて鳴いていたのが、
       水が汚れ蛙が住み着かなくなり、同時にこの通りも廃れ始めたのだそう。
       それで女鳥羽川の水を再び綺麗な水にし、蛙たちも戻るようにとの
       願いも込め、
       この縄手通りの再興のシンボルとしての蛙ちゃんなんだそう。
       毎年6月にはかえる祭りも開かれる様子。




       かえる神社の向かいには四柱神社・よはしら神社という
       大きなご利益を頂けそうな神社もあり、
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       各お名前を書いても、皆さんもすらすらとはお読みになれないでしょうから、
       ははは、字ずらだけでも有難そうでしょう?!




       かなり広い境内の奥に、この神社
       周囲を高いビルで囲まれておりまして・・。
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       中町の蔵通りの方を歩き、戻りに再度縄手通りを通りましたが
       やはりこの感じが素敵ですねぇ!
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       さて、こちらは中町通り
       ね、土蔵が並び、壁もなまこ壁で、タイム・スリップした感じでしょう?
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       これは蔵シック館と名づけられた中町通りのシンボルともいえる物で、
       表側の写真がピンボケでしたので、サイトから拝借しまして、
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       元は造り酒屋だった母屋、離れ、土蔵を
       この地に移転させたのだそうで、

       中は自由に見学出来るそうですが、作家達の展示スペースとしても
       利用され、土蔵は喫茶店に。




       夜、表から覗いた時の土間の様子で、
       この天井部が、組み写真の左上の豪壮な吹き抜けの梁組
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       こちらは土間から見える板の間と座敷
       なんとも豪勢で、栄えた様子が良く分りますね。
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       昼は喫茶店になっている、脇にある土蔵部分
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       こちらは、如何にも古くからの店らしい、漆器店伊原
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       お店の中もちょっぴり覗き
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       隣にあった飲み屋さん
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       メニューを拡大して読みましたら、豚肉料理がお勧めの様でしたぁ。
       清酒「夜明け前」ですって。 島崎藤村、信州ですねぇ!




       「カレーの店デリー」と看板の出た店。
       壁の色が黒く、そういえば漆器店も隣の飲み屋さんも壁が黒かった、
       建物が大きいので、かなりの迫力!
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       一緒に歩いて案内をして下さった、我が絵の師にして友人の二木さんが
       言われたのは、このカレー店は、彼がこの中町通りを高校通学で
       毎日通る頃から在ったのだそう!
       ははは、いつも腹減り時代の記憶にあるカレー店を考えると可笑しい!!

       彼の話によると、中町通りのすべての店が最初からこんな風に
       土蔵でなまこ壁だったのではなく、改装する際には統一感を、
       という事で出来た通りの様子で、こういう意識が良いですねぇ。
       2つ並んでいる自動販売機も、なまこ壁の意匠で笑えましたが、ははは。




       というので、こちらはちょっと洋風なデザインですが、
       しっくりと溶け込んでいる洋品店。
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       駐車場の塀越しに見える、本格的な土蔵の壁の厚み!!
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       下駄屋さんのウィンドウがあり
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       手水鉢があり、ちょっと江戸時代の雰囲気を感じるでしょう?
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       ガラスの電燈の笠があり
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       赤い暖簾が目を引き
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       小布施の栗菓子のお店の支店だそう、もあり、
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       秋の暖簾各種が下がり、きっと四季様々な意匠に変わるのでしょうね。
       shinkaiの部屋の前にも掛けれると嬉しいだろうけどなぁ・・。
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       東の端近くにあったこのお店、翌日午後明るい内に覗きましたら、
       陶器の品があれこれありましたが、
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       店先のこの、鯉にまたがった猫ちゃんの像が嬉しくて!!
       昼間値段を見ましたら、ははは、到底shinkaiには買える値では!
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       そうなんです、昼間もう一度この通りを見たいねと歩きました
       縄手通りの方は下町風というのか、小物類の店が多く
       こちら中町通りの方はちゃんとした店構えの店が並ぶ様子で、
       どちらも江戸情緒の漂う商店街と言えましょうか、
       そして開いている店には様々な誘惑品がありましたぁ!
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       中町通りは車が通るのがちょっと難だとは思いましたが、
       2本の通りはどちらも、町並み保存の雰囲気が良く
       それにこの近辺の通りは、大体にレトロ感溢れる建物が多く、
       松本にお出かけの時は、お立ち寄りをお勧め致しますです!
       
       のサイトに、さまざまな街の案内コースがあり、ご参考になるかと。




       最後は、サイトから拝借の写真で
       美しい夕暮れの松本城をどうぞ
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     *****

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by italiashiho2 | 2016-01-11 04:52 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(8)
2016年 01月 06日

   ・・・ 松本城訪問 ・ 信濃の国 ・・・

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       昨年の秋日本に行った時、松本と安曇野を訪ねましたが、
       今回は、松本城訪問の様子を見てやって下さいね。

       信州長野生まれで育った私は、小学6年生の春(だったと)に
       松本から諏訪への修学旅行で一度訪問しているのですが、
       それ以降はいつも素通りでしたので、町の様子も知らずのままで・・。
       今回漸くに安曇野も含め訪問できたと言う訳でした。

       上の写真は、お城、天守への内堀を渡っての、二の門
       復元された門との事ですが、立派で控え壁には鉄砲用挟間も見られ、
       外人観光客の姿もかなり多く・・。




       案内図をどうぞ
       上でご覧頂いた二の門は、中ほど下に見える「現在地」から上、
       の数字にあり、
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       2. 本丸御殿跡、3. 二の丸御殿跡も実際には建物がありませんので、
       6.二の門の後は、11.黒門を通ると、広い庭園になります。

       6.の右に、外堀を渡っての位置になりますが、
       10.太鼓門、門の上に楼上があり、鐘と太鼓で情報を伝えていたと言い、
       ここは見なかったのですが、復元された大きな立派な門で、
       多分こちらが家臣の登城門だったのでしょうね。




       案内図11.の黒門、こちらも復元された物と言いますが、
       本丸御殿に通じる重要な門で、
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       柱にも初代城主であった石川氏の笹竜胆の紋
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       門の内側に、この城の歴代藩主の名と紋所が。
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       元々は16世紀の初めに、当時深志城と呼ばれた城が築かれたのが
       始まりのようで、城主は戦国の世の中ですので色々変遷があり、
       
       最初に名の見える石川数正が入城したのは1590年、徳川家の関東移封後で、
       彼が天主を築き、城郭、町の整備も行ったとの事。
       こうして代々城主が変わりながらも引き続き、明治2年まで。 

       明治最初の城取り壊しの際、競売に掛けられ解体される寸前に、
       街の有志が音頭を取り運動を繰り広げ、
       遂に現在まで生き残ったという城なのですね。

       松本城のサイトはこちらに

       上諏訪の町とお城については




       黒門から入ってくると、広い庭園の向こうに大天守が聳えます
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       そうなんですよね、この松本城は平城!
       もともとの築城年を考えると、ちょっと不思議な位なのですが、
       天守のある城としては唯一の平城なんだそう。

       そして、えっへん、はは、私が威張っても始まりませんが、ははは、
       そう、この松本城は日本に5つある国宝の城の一つ!なんですねぇ。
       (4つかと思っていましたが、松江城が昨年指定を受け)
       他の3つは犬山城、彦根城、そして姫路城ですね。
       
       犬山は明治村に寄った記憶がありますが、まだ城は知らずで、
       重文指定の他の7つの天守も美しく、チャンスがあれば!です。
       



       で、サイトから見つけた名と高さ入りの写真をどうぞ
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       という事で、乾小天守と大天守を繋ぐ渡り櫓の下にある
       大手口から入りますが、

       これは大天守の石垣の迫り出し具合
       角の上には石落としも見える実戦構造の城ですね。
       黒の色は漆塗りなんだそう!
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       石垣前に武者姿のこの方がおられ、皆さんとの記念撮影に
       応じられていたのですけど、shinkaiがお願いしますとカメラを構えると、
       一人撮影とわかって、あっ、あれっとちょっと照れたりして、ははは。
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       むむ、貴殿お持ちの三階菱の紋所は、2代目城主小笠原氏の物でござるな。




       ささ、大天守へいざ、いざ、お進みめされ!
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       ちゃんと靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がって下さいよ、
       そこの外人さん。 (英語でなんていうの? ははは)




       松本城天守の構造。 
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       上がる前にしっかり読んで、というのをいつもパシャッと撮って、
       ブログ書きの前に読んでなるほど、というshinkaiですが、

       戦国時代の終わりの平城でも、やはりそれなりの実戦体制を
       取っての築城だったのが、鉄砲攻撃に備えての厚い壁とかで分りますね。
       大天守の壁の中には、木の枝とか縄を真ん中に挟み塗りこめてあり、
       厚さが20~30cmもあるそうで、これだと火縄の玉も通しません。

       明治時代にこの大天守が傾き、大改修が行われた事があった様子ですが、
       この説明の2にある、天守台の石垣の中に、16本の栂材の丸太柱を埋め込み、
       千トンの重さを支える、というのが、
       この丸太柱の老朽で支えきれなくなった、という事情もある様子。
       昭和に行われた解体大修理の際に発掘された柱は、
       殆どが腐食され形を留めていなかったとの事。
       400年もの歴史を持つ城ですものね!




       大天守の北にある乾小天守ですが、「北」にある小天守が「乾」・北西を指す、
       と呼ばれるのは、「北」が意味する言葉の不吉さを嫌ったからなのだそうで、

       大天守と違って、こちらには丸太の柱も使われているのだそう。
       すり減り、磨き上げられた、床と柱の美しさに目が行きます!
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       階段の踏み板も、支えもツルツルすべすべ
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       中はやはり薄暗く、窓の外の快晴の空、緑が嬉しく
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       この柱の見事さ! 木目の美しさ!
       床が黒いのは、これもかっては漆塗りだったんだろうか?
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       大天守への渡り櫓部にあった、梁の大きく曲がった太い柱
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       こんな自然のままの柱は強度に強いのだそうですが、
       傍らの管理の小父さんが、この柱は何の材木だと思いますか、と出題。
       でも、この城の名に因んだ名前です、とヒントもね、ははは。
       というので覚えると、忘れませんよね。




       でもね、凄みのある木目でした!
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       昭和の大修理(昭和25~30年)で取り替えられた展示品もあり、
       これは鬼面鬼瓦
       余り怖くなく可愛い顔にさえ見えますね、ははは。
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       大天守の1階の大広間、鉋や手斧で仕上げられた柱が
       整然と薄暗い中に並びます。
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       この広間の周囲を、約45cm低い武者走りが取り囲みますが、
       土台は2重になっているのだそう。




       大天守の上を護っていたシャチ。 口を開けているのが雄で、
       閉じているのが雌、というのですが、これはどちらかな?
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       かなり興味をそそった火縄銃の各種の展示があり、
       長いのと、馬上筒と呼ばれる短い物。
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       説明図によると、大筒と呼ばれる口径30mm程の物が、
       大阪夏の陣では昼夜を分かたず打ち込まれ、和議を早めたという事で、
       これ位のものだと射程500mほどの命中率はなかなかのものだったとか、
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       馬上筒は加藤清正が武器として取り入れたのが初めで、
       馬上で使いやすいよう50cmほどの長さの火縄銃で、近距離用。
       勿論連続発射は出来ず。

       右上に見える抱え大筒というのは、口径25~40mm程までの火縄大筒で、
       これを抱えて撃つ日本独特のものなのだそう。
       狭い坂道でも抱えて運べるので山城攻めとか、戦国後期に威力を発揮したと。




       こちらは鉛の弾、勿論手つくりで、
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       考えた事もなかったのですが、戦国期の武士の妻や娘の仕事だったそうで!
       夫の火縄銃に合った弾作りに精を出しているかっての女達の姿を思うと、
       いじらしくもあり、少々おかしくもあり!
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       火縄つくりも大切だったようで、良い火縄だと命中度が違い、
       木綿の火縄だと火持ちも良く、灰も真っ白で軽く、
       引き金を引いて玉の出るタイミングもとても良いと!

       ですが、木綿はかって北の国では栽培できず大変に高価だったので、
       刺し子や菱刺しの起源もこの理由からでしたしね、
       古くには繊維の長い竹や麻を混ぜて火縄を作ったとも。




       甲冑ですが、後ろに「当世具足」と見えるように、
       戦国時代になって当時の鉄砲戦に相応しい形を考えだした物で、
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       かっての煌びやかな革の小片を繋いだものではなく、
       鉄を使った大量生産で、鉄砲戦に対応した強い物、玉を反らせるために
       曲線や傾斜を多用し、機能性も重視しているのが特徴と。

       背中に玉込め用の棒・カルカを背負い、腰には玉入れを下げ、
       肩から口薬・点火薬入れの水筒みたいなのを提げ、
       これで火縄を持つと約20kgの重量だったと!

       ふっと気づいたのですが、玉込め用の棒がカルカ!
       イタリア語でカーリカ・caricaは職務、積荷、充填、仕込みなどを指し、
       戦闘での「弾込め、撃つ用意!」は動詞caricareから、carica!なんですね。

       仏壇にお供えする水を「閼伽・あか」と言うそうですが、
       これはacqua・アックワから来ているのかも、と聞いた事があり、

       と同様、遠い土地からの由来の言葉みたいにも思い至りました。




       これは4階の大広間の一廓、御簾で囲った御座所
       有事の際の御座所として使われた様子。
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       窓の形は、大屋根の下に作られる千鳥派風・東西と、
       南北にある唐派風とがあり、こちらは唐派風で、
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       こっちが千鳥派風の窓
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       大天守の中には1階から6階まで階段が7箇所あるそうで、
       どの階段もかなり急な階段でしたが、
       とりわけ4階から5階への階段が傾斜が61度もあり、
       おまけに蹴上げが約40cm!
       掴まりながら上がるのですが、足元は勿論見る余裕がなく、
       ヨイショ!と足で探りながら上がる感じで、

       今奥に見える階段の上の部分がそれ!
       昔の人は体も小さく、脚も短かったでしょうに、はは、
       大変だったでしょうねぇ~、ひひ。
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       こうして上がった最上階、大屋根の下に見えた注連縄
       納得しますです!
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       見えた、国宝指定書、昭和二十七年三月二十九日
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       窓から見る松本の街
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       乾小天守の屋根
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       内堀の西側と埋橋(うずめ橋)。
       4年前の地震で埋門の石垣がずれ、現在こちらからの入城が
       停止されているとの事。
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       そして黒門方面
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       階段を降り、最後はこの月見櫓
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       大天守に続いての辰巳附櫓、そして月見櫓ですが、
       ここは徳川3代将軍家光が長野善光寺参拝の途中に松本に寄る、
       というので建てられたのだそうで、
       外側には赤い欄干を巡らした月見櫓らしい風雅さなのですが、
       結局善光寺参拝は中止になったのだそうで・・。




       大天守の最上階に上がった辺りで、カメラ電池の消耗に気づき、
       最低限の写しにしていたのですが、
     
       遂に最後の一枚!となった、内堀越しの大天守の眺め
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       という、長年の夢でもあった松本城再訪でしたぁ。




       最後はサイトから1枚拝借し、
       美しい雪化粧の松本城をどうぞ!
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ゴルドーニの家 内庭 と スコミーゴ村の初雪 を
       アップしています。
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by italiashiho2 | 2016-01-06 00:47 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(13)
2016年 01月 01日

   ・・・ 年明けのお休みには、楽しい映画をどうぞ! ・・・

       皆様、新年明けましておめでとうございます!
       本年もどうぞ宜しくお願いいたします!!

       良いお年をお迎えになられた事と思います。
       お家で新年をゆっくりお迎えの方、
       暖かい部屋での映画鑑賞は如何でしょうか?!

       懐かしくて、もう一度見たかった映画、
       映画を見たら面白かったので、DVDを買ったなどなど、
       今日ご紹介の映画の中でまだ見ていないのは1本だけという、
       そんなあれこれのご紹介です。


       まずトップは、 
       プロヴァンスの贈りもの
        2006年アメリカ
        ・監督・制作 リドリー・スコット 
        ・主演 ラッセル・クロウ
            アルバート・フィニー
            マリオン・コティヤール
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       現在はロンドンの証券取引で凄腕を発揮しているマックス。
       かっての少年時代は南仏に葡萄畑を持つ伯父の家で夏休みを過ごし、
       たくさんの懐かしい思い出を持っているのが、
       その伯父の死に伴い、遺言で遺産相続をする事に。
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       最初は屋敷ごと売り払うつもりだったのが、かって伯父に教えられた
       ワイン醸造についての思い出や、土地の女性と知り合った事などから、
       自分の生き方についても考え・・。
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       南仏ゴルド・Gordes の町が映り、彼女が働いている町中の
       レストランという設定の場所も、よく覚えていて懐かしく、
       広い葡萄畑も屋敷内も、如何にもフランスの佳き田舎というイメージで・・!!

       こういう人生の転機に出会えば、それはもう! と納得できる、ははは、
       
       原作は「南仏プロヴァンスの12か月」のピーター・メイルと知り、
       大いに納得したものでしたが、

       映画のイタリア語タイトル「ウンノッティマ・アンナータ・Un'Ottima Annata
       は、a good year・良い年 ではあるのですが、
       とりわけ葡萄(ワイン)の出来の良い年、を表すときに用いられます。
       
       ヴィデオもどうぞ




       12月にオンライン・ショップであれこれDVDを漁っていた時、はは、
       50周年記念発売、というのを2本見つけまして、 
       まずはこれ

       マイ・フェア・レディ・My Fair Lady
        1964年 アメリカ
        ・監督 ジョージ・キューカー
        ・主演 オードリー・ヘプバーン
            レックス・ハリソン
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       余りにも有名ですのでご説明も要りませんね。
       確かこのミュージカル映画は男友達が奢ってくれて見に行った筈、
       なんともう50年以上経つのかぁ!

       貧しく、きちんとした英語も話せないイライザが、
       ヒギンス教授の家で教育を受け、
       こんな娘だったのが
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       6ヵ月後にこうなる!という、ははは、
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       難しい事は言わず、主役2人の魅力と素晴らしい曲の数々、
       アカデミー賞を幾つも取った名画を楽しみましょう!
       
       ヴィデオはこちら




       そしてもう一つの50周年記念盤は

       サウンド・オブ・ミュージック・The Sound of Music
        1965年 アメリカ
        ・監督 ロバート・ワイズ
        ・主演 ジュリー・アンドリュース
            クリストファー・プラマー
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       イタリア語のタイトルは、トゥッティ・インシメーメ・アッパシオーナメンテ・
       みんな一緒に情熱をこめて、とでもいう、長いタイトルなんす!




       こちらもタイトル・ソングから、ドレミの歌、私のお気に入り、も
       すぐメロディが頭の中に浮かびますが、

       これは、父親のフォン・トラップ大佐が忘れ去っていた音楽に再会、
       子供達の前でエーデル・ワイスを歌う場面
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       タイトル・ヴィデオをどうぞ

       映画「ピンク・パンサー」のタイトル場面に、ピンク・パンサーが
       まさにこのアルプスのお花畑で踊るもじり場面があり、笑いましたっけ。
       そう、「ピンク・パンサー」の監督はブレイク・エドワーズで、
       ジュリー・アンドリュースのご主人だったのでした。      




       日本への飛行機の中で、片道3本見た映画で面白かったのも
       2本揃えましたが、まず

       ショコラ・Chocolat
        2000年 アメリカ
        ・監督 ラッセ・ハルストレム
        ・主演 ジュリエット・ビノシュ
            ジョニー・デップ
            ジュディ・デンチ
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       ちょっと謎を秘めた母子2人がフランスの田舎町にやって来て、
       チョコレートの店を開くものの、
       村はまだまだ閉鎖された伝統と因習、宗教観に捉われており、
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       チョコレートの美味に少しずつ村人の心も開け始めるものの、
       流れ着いたジプシーとの交流も歓迎されず・・、
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       ジュリエット・ビノシュがやはりとても美しく魅力的で、
       ジョニー・デップと踊る場面の前に、彼が弾く音楽も良かったなぁ。
       でも、ジョニー・デップの素顔ってどんなのかなぁ・・。
       「モルデカイ」を楽しみに買いましたが、余り面白いと思わず、
       彼の執事兼運転手の方が面白かったけどなぁ・・。

       ヴィデオはこちらに




       2、3年前にTVのCMにダスティン・ホフマンが出て、
       片言のイタリア語を喋ったり、ウンブリアの町を歩いたりで、
       映画を撮っているという事だったのですが、この映画だったのですね。

       仲間とのバス旅行の戻りの車中で半分見たものの、遠くで良く見えず、
       飛行機の中でもう一度見たのが良かったので、

       カルテット! 人生のオペラハウス・Quartet
        2012年 イギリス
        ・監督 ダスティン・ホフマン
        ・主演 マギー・スミス
            トム・コートネイ
            ビリー・コノリー
            ポーリーン・コリンズ
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       音楽家達が引退して住む「憩いの家」に、かってプリマドンナだった
       ジーンが入居して来て、資金難に悩むこの家も、
       かって一緒に歌った仲間達、短い時間結婚した元夫にも一波乱。
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       が資金難を救う為のコンサートでカルテット・四重奏を歌おう、
       という案に既に高音が歌えないと断る彼女に、
       既に皆老人なんだから、そんな事は問題ではないのだと説得し・・。

       ダスティン・ホフマンの写っている写真が見つかりましたので
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       この「カルテット」を見ながら、もう何十年も前に見たドキュメンタリー映画
       「ヴェルディの家・Casa Verdi」を思い出したのですが、
       調べてみるとやはり、やはりモデルにしていることを知りました。

       ジュゼッペ・ヴェルディが基金を出し、1899年にミラノに設立の
       カーザ・ヴェルディは、かっての音楽家、演奏家達が入れるホームで、
       
       映画の中で入居者達が様々な舞台の思い出を語りつつ、
       同じホーム内でもかっての主役と端役の差があるのを見た記憶があり、
       そんなこんなも今回の映画の中にもチラッと見え、印象深かった。

       でも、年寄り連中が元気で長生きするのを見るのは
       元気つけられますねぇ!! がんばろ!

       ヴィデオはこちらに




       
       インビクタス/負けざる者たち・Invictus
        2009年 アメリカ
        ・監督 クリント・イーストウッド
        ・主演 モーガン・フリーマン
            マット・デイモン
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       タイトルの invictus というのは、南アフリカ共和国の初の黒人大統領
       となったネルソン・マンデラの座右の銘、
       「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり
       英国詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩 Invictus からだそう。




       1990年27年間の投獄生活から釈放され、大統領となったマンデラは、
       1995年の同国開催のラグビーのワールド・カップ開催に向け、
       黒人選手がただ一人だった国のチーム「スプリングボクス」を存続させ、
       黒人と白人の融合、和解と団結の象徴にすべく、働きかけ、
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       遂にワールド・カップの決勝戦で、強豪ニュージーランドと対決、
       優勝したのですね。
       ネルソン・マンデラの人となり、大統領の様子も知る事ができ
       それも大変に興味深く、じっくりと楽しめました。




       監督イーストウッドと主演2人の写真を
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       映画のヴィデオはこちらに

       そして、強豪ニュージーランドのナショナル・チーム・
       オール・ブラックスが試合前にご披露するハカ
       ちょうど南アフリカとの対戦の時のが見つかりましたので。

       これを見るのがとても楽しみで!
       大阪弁で言うと「顔でもビビらそうとしてからに!」 ははは。




       許されざる者・Unforgiven
        1992年 アメリカ
        ・監督 クリント・イーストウッド
        ・主演 クリント・イーストウッド
            ジーン・ハックマン
            モーガン・フリーマン
            リチャード・ハリス
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       渡辺謙さんが日本語版を作ったという、イーストウッドのオリジナル版
       今回買い込んだDVDの中では唯一 shinkai未公開の映画で、
       荒筋も評判にも目を通し、むふ、お正月に楽しむつもりで~す! 

       ヴィデオはこちら
  
     ◆ 追記です ◆

       見ました! 良かった!!
       通常の西部劇らしいちょっと残酷な場面もありましたが、
       それ以上に普通の人間らしさ、弱さなど、とりわけ年をとった
       主人公のが垣間見える、後味の良い映画でした! 
       やはり、イーストウッドは凄い俳優であり、監督ですねぇ。




       映画館で見て大いに楽しんだフランス映画も2本。

       ラ・ファミーリア・ベリエール・La famiglia Bélier
        2014年 フランス
        ・監督 Éric Lartigau
        ・主演 Louane Emera
            François Damiens
            Eric Elmosnino

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       牧畜業を営む聾唖者一家の、長女ポーラ16歳1人が健常者で、
       家族全部の世間との橋渡しを勤めながら、家畜の世話をし、
       日曜には町の市に出すチーズ屋台でも働く、明るい女の子。
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       学校への通学バスが通る停留所までも、自転車で通う田舎に住む彼女
       好きな男子学生がいるコーラス部に入った事から、彼女も
       コーラス部に入り、そこで美声と声量の持ち主である事が発見され
       指導の先生から、パリでの試験を受けることを勧められ・・。
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       家の仕事、両親の事を思い、一旦は諦める彼女に、
       事情を察した父親はパリの試験を受けさせる為に試験場に。

       そしてパリの音楽学校に入る為に家を巣立っていく訳ですが、
       試験で歌う「私は飛んでいく」がとても素晴らしく、
       学校のコンサートで歌う「恋の病は7歳から70歳まで」は、
       我ら仲間内で、あと何年いける、と、ははは、笑いましたっけ。

       日本ではまだ公開されていない様子ですが、
       公開されたら是非是非ご覧になられるよう、お勧めします!!

       ヴィデオはこちら




       私達の娘と結婚しないで!・Non sposate le mie figlie!
        2014年 フランス
        ・監督 Philippe de Chauveron
        ・主演 Christian Clavier
            Chantal Lauby
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       クロードとマリー夫婦には娘が4人いて、上の3人は
       既に結婚しているのですが、いずれも移民者の息子と結婚し、
       それも中国人、アルジェリア人、ユダヤ人と、ははは、
       皆宗教も風習も異なり、婿同士の間もしっくり行かず・・。
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       せめて末娘だけはカトリックの白人と結婚して欲しい訳ですが、
       彼女が連れて来た彼は、カトリックはカトリックでも
       コートジュボアール人、つまり黒人!
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       これはこちらの夫婦のみならず、彼側の両親にもショックであり、
       あれこれ一波乱起こりますが、最後は親同士も親しみあい、
       上の婿3人も仕事を通じて親密となり・・。


       2014年度のフランス映画では、最高の収益を上げた映画だそうで、
       とにかく可笑しく、笑いながらもさもありなんという問題続出で、
      
       これも日本公開がありましたら、是非是非どうぞ!!

       ヴィデオはこちらに




       最後は、以前に一度ご案内しましたが、DVDを買ったのでもう一度、はは。

       最強のふたり・Intouchables 
        2011年 フランス
        ・監督脚本  Olivier Nakache, Éric Toledano
        ・主演 フランソワ・クリュゼ
            オマール・シー
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       脊椎損傷で車椅子生活を送る富豪のフィリップと、
       介護人の貧民街出身のドリスとの、単なる雇い人と雇われ人との
       関係を超えた、2人の友人同士のような関係。

       彼だけが自分を病人として扱わない、というフィリップの言葉通り、

       車椅子のスピードを変えて楽しむ姿や
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       フィリップの誕生日に集まる親類一同
       フィリップに言わせると、まだ生きているか見に来る、の誕生会、ははは。
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       ヴィデオは、誕生日のパーティで踊るドリスの姿を

       日本でもこの映画は大変ヒットしたようですが、
       まだご覧になっていない方、是非是非どうぞ!!!


       いやぁ、映画は楽しいですねぇ!!
       映画館の大きな画面で見るのは勿論良いのですが、
       家でのんびり、一人で好きな映画のDVDを見るのも大好き!

       今年も秋の個展を控えしっかり描いていかないといけませんが、
       新しい大きなTV画面で楽しむのを飴に、
       頑張って行きたい、生きたいと思っております。

       どうぞ、今年もまた宜しくお願いいたしま~~す
       


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by italiashiho2 | 2016-01-01 14:15 | ・映画絵画文学 Film Arte Le | Comments(13)