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2016年 09月 26日

   ・・・ 葡萄摘みが始まったスコミーゴ村 ・・・

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       この木曜22日の朝、隣のカルページカ村まで歩いて戻る途中、
       葡萄摘みが始まっているのを見かけ、
       一旦家に戻って朝ご飯を食べ、カメラを持って出かけました。

       葡萄畑に取り囲まれた田舎に住んでいても、
       いざ葡萄摘みとなると、毎日出かけるわけでも無いので、
       なかなかその日のその畑に出会うことは難しく、
       チャンス!と思って出かけたのですね。


       上の写真はこの春のものですが、何度か見て頂いているこの丘の、
       葡萄摘み・ヴェンデンミア・vendemmiaを見かけたのは
       これに続いて広がる畑で、




       奥に建物が見える手前の、傾斜地のこの広い畑
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       ここは緩やかな坂道の東側にず~っと続いて広がる畑。
       坂道の写真は7月に、カルページカ村の教会まで歩いての
       戻り道に撮ったものですが、
             
       最初のカーヴを過ぎ、ちょうどこの右奥の庭に、
       いつも吠えて尻尾を振ってくれるワンがいて、
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       上のカーヴを過ぎると、これがまた長~~い坂道!
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       で、この長い坂道の最初辺りから、最後位まで続く、
       これまた長~~い広い葡萄畑でして
       ほら、同じ柵がずっと続いているでしょう?




       その一廓の半分から北側、右に見える道の角下で、
       朝7時半頃に葡萄摘みが始まっているのを見かけたという訳。
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       曇り空の日で、一寸残念と思いつつ朝ご飯を食べ、
       9時になって家をでました。

       所が坂道にかかる頃から有難いことに太陽が顔を出し
       良かった!と思いつつ道を行きますが、
       朝見かけた皆さんの赤いジャンパーが見えません!

       こちら側の傾斜の葡萄摘みが済んで、向こうに下ったりすると
       見えなくなる・・、と心配しつつ歩いていくと、
       畑の手前と向こうにちょこっと頭が見え
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       小さな車のウンウン唸る音と、人の姿は見えるのですが
       肝心の皆さんの姿は見えず・・!!
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       その内に遠くから音楽が聞こえてきたので、ああ、いるいる!!

       ほらね!!
       葡萄の畝の陰に隠れて、皆さんの姿が見えなかったのでした。
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       こちらの道から手前の畑を越えての、向こうの畑で、
       おまけにここの畑には普通は無い柵があり、私有地の標識もあって
       傍に寄れず、近くからの様子は撮れないのですが、

       でも考えてみると、平地の畑は傍では見れるものの
       一列の畝の間しか見えませんから、逆に良かったのかも!




       若者、中年のシニョーレも混じり
       赤い籠の中には満杯の葡萄も!!
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       今年は雨が多かったので、ほんのちょっぴり色が付き始めたかな、
       という程度で、未だに葡萄の葉が緑なのですね。
       
       この小さい車と2人のシニョーリが何をしているのか
       何度か写真を見返していて分かりました。
       まだ摘果の済んでいない列に、収穫用の赤い籠、プラスティックの籠を
       適当に置いているのですね。
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       そうそう、まだまだ摘むべき畝は長いぞ~!!
       
       そしていっぱいになった籠は、この2人が運び上げているのでしょう。


       摘んだ籠から、大小のトラックの荷台にシートを敷き広げて移され、
       それから各地の農業組合の醸造所に運ばれるのが普通ですが、

       ここの畑はビゾール・Bisolの土地なので、
       自分ちの醸造所に運ぶわけですね。

       ビゾールの醸造所訪問

       一度私が撮った写真を使いたい、というので本社まで持参しましたら、
       お昼ご飯前でしたの、はい。
       すると折角なので1杯どうぞ!と大き目のシャンパングラスに
       プロセッコをたっぷりね。ははは。
       嫌いではないので、写真代と思って勿論頂きましたがぁぁぁ、
       帰りのカーヴ続きの坂道は、ほろ酔い加減にはきつかったぁ!!
       



       すぐお隣の畑の葡萄の熟れ具合!
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       少しでも近くが良いかと思って移動したのですが、
       畑に近づくと畝の中に皆さんが隠れて見えずで、

       再び畝と真っ直ぐの位置に戻り
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       どんどん摘み取りながら、皆さん移動して行きます
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       中腰での作業が多く大変な仕事!!
       一度フリウリの農業学校で機械摘みの畑の葡萄の木を見た時、
       働く側の作業としては楽になったのでしょうが、
       一列にスパッと刈り取られた枝を見るのは無残でした。
       
       土地と日光の恵みを含んだ、芳醇なワインの味わいの中には、
       元の葡萄を手塩をかけて育て、手で摘み取った人々の愛情もあるんだよね、
       と、改めて思ったことでした。




       道沿いに植えられているオリーヴの木々の実も
       かなり大きく育って来ています。
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       そろそろと道を戻りかけると
       皆さんが畝の下まで下りてきて、次の畝に移動する所。
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       坂道の下の畑は、この春、前の葡萄が引っこ抜かれ、
       整地されて新しく植えられた苗木がひょろっと
       確か葡萄摘みができるまで3年かかる、と聞いたような・・。
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       家に戻る道の角の奥地には、お馬の親子も健在で
       どちらが親か、姿だけではもう分からないほど!
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       家の近くまで戻っての畑の葡萄
       もうそろそろね、と思ったのでしたが、まさにその翌朝
       買い物に出かけるのに通ったら、葡萄摘みの最中でしたぁ!
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       最後はお隣のオリアーノ村の様子を
       色づき始めた木々の色と、村の教会。
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       こちらは昨年の、家の近くの葡萄摘み
       http://italiashio.exblog.jp/22238958/   
       
       トスカーナはピティリアーノの葡萄摘み、運ぶ様子



     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-26 00:35 | ・スコミーゴ村の四季 | Comments(9)
2016年 09月 21日

   ・・・ サン・ジミニャーノから、ヴォルテッラへの道 ・・・

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       2年前の9月中旬、ヴォルテッラ・Volterraに行ったのは
       サン・ジミニャーノ・San Gimignanoからでした。

       写真を整理してみると、大変素晴らしい景色であったのも
       思い出し、今日はこの時の様子をご覧頂きますね。

       町の駐車場から出て、宿の主人から教えて貰っていた通り、
       そして道の標識通り左へ、西に向う道を辿りましたが、

       上の写真は町を外れて暫くしての、
       北からのサン・ジミニャーノの町の眺め
       

       美しき塔の町 サン・ジミニャーノ

       サン・ジミニャーノの朝  雲海の朝焼け



       行程図をご覧下さい
       グーグルでは3通り出たのですが、あれこれ考えると、
       上から西回りにヴォルテッラに連絡するグレーの道
       44分 32,6km という道でした。
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       というのも、ヴォルテッラの町に西下から近づき、
       町の北側の崖が落ち込んでいるのを見ていますし、
       ヴォルテッラの滞在後モンテリッジョーニ・Monteriggioni
       に向かった時は、南を辿るブルーの道を通っており、
       まるで違う眺めだったのをよく覚えているからです。




       同じ行程図を衛星地図で
       トスカーナのあの波打つ丘陵地帯を見つけるために
       衛星地図を見るのですが、この一帯はこんな感じ。
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       緑色以外のベージュ色の丘が細かく波打っているでしょう?
       これがなんとも言えない趣の風景を見せてくれるのですね。




       写真の前後を弄らず、辿った順に見て頂きますので、
       ごゆっくりと秋の気配の風景をお楽しみ下さいね

       写真は行程の関係でどうしても逆光の位置になるのが多く、
       色の発色がイマイチですが、ご容赦願います。


       ここでは農家が何軒か見えますが
       後には殆ど農家も見えません。
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       草を刈ったと思われるのですが、
       こんなに黒い、巻いたもの。
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       雲間からこぼれる陽と、荒れ土と
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       右に薄く緑が見える地には、麦畑のトラクターの跡
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       ここも多分麦畑
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       多分サン・ジミニャーノの町の遠望
       他に、この一帯にこれだけの町はありませんもの。
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       広い畑の真ん中に一軒屋がぽつんと
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       この辺りは、オルチャの谷の景観ともまた違う
       荒い雄大さとでも・・。
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       あの三角の山が道を行く毎に、姿を見せます。




       刈り取られた草と、影色の土
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       ここのは土の影色の暗さと思うのですが、
       時に同じ畑でも、クッキリと土の色が違う事があり、
       なんとも言えない不思議さで見つめます。




       この広さ、このなだらかさ!
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       丘の向こうに見える家は、上で見て頂いた農家
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       トラクターの跡が見えますね
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       ほらね、また三角の山
       道を進むにつれ、近づいたり離れたり、 
       そして光と影が移って行きます
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       農家が見え始め
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       この感じはオルチャの谷にも似ていますが、
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       そしてもう、ヴォルテッラの町の下
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       正面の崖の上、右に見える教会がヴォルテッラの町の西北にある
       サン・ジュスト・エ・クレメンテ教会
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       ちょうど訪れた年の春には雨が多かったのですが、
       町の中世の城壁が崩れ落ちたと言うTVニュースを見ていましたし、
       この時も、新らしい土の色が見えたので驚いたのでした。

       今こうして改めて見ると、
       左から突き出ている土地の崩れ様は、まさにカランキ・Calanchi
       と呼ばれる、シエナ東南部に見られる浸食地と同じですね。

       白タルトゥーフォと、雨上がりの緑のクレーター




       オルチャの谷の風景も雄大で美しいですが、
       このヴォルテッラ周辺の眺めは、また一寸特異な風景で、
       何十年前最初にバスで訪れた時にも、感嘆した記憶が残ります。

       フィレンツェやシエナからだと、コッレ・ヴァル・デルザ・Colle Val d'Elsaで
       バスの乗り換えで一寸不便かもしれませんが、
       ヴォルテッラに行かれる時は、町のみでなく
       この周辺の荒々しい雄大な景色も、是非お楽しみくださいね!!
       


     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-21 00:05 | ・トスカーナ州 | Comments(7)
2016年 09月 16日

   ・・・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門 ・・・

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       2年前のちょうど9月に出かけましたヴォルテッラの町。
       今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から
       少し南に下った所にあるエトルスク門を。

       町の入り口にある展望台から見た、
       真ん中のとんがり屋根の8角形の建物が洗礼堂で、
       その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れてちょこっと
       見えるのがドゥオーモの正面




       先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を
       シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、
       ヴォルテッラの町はちょうどほぼ中間の位置に。
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       この位置だと、さぞやかっては両方の町からの領有争いが激しかったろう、
       と想像でき、確かにそうだった様子ですが、
       現在ヴォルテッラの町は、トスカーナ州ピサ県に含まれます。




       まず洗礼堂・Battistero.
       正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
       右手前に角が見えるのがドゥオーモ。
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       以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、
       今回は大丈夫。



       中央にあるのが洗礼盤、18世紀の物で、上に見える像が
       この洗礼堂に名を冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像
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       が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)
       への献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
       その為1階部分の奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、
       天上部などが塞がれており、

       素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気からほど遠く、
       おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiはがっかり!




       所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、
       ロッソ・フィオレンティーノのこの「十字架降下」がヴォルテッラの町の
       市の絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第だったか、と。
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       人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、
       ダ・ヴィンチやラファエッロなどが古典的美を完成させたと
       見られた位置から、もひとつ発展したルネッサンス期の美術ですが、

       この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、
       ダ・ヴィンチの最後を看取ったとされるフランス王フランソワ1世
       招かれフランスに赴き、王の年代記のフレスコ画を城に描いたり、
       イタリア美術をフランスに伝えたとされる画家で、
       フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。




       彼はフィレンツェ生まれ、本名はジョヴァンニ・バティスタ・ディ・ヤコポ
       Giovanni Battista di Jacopo.
       なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたのかと
       ふっと疑問がわいたのでしたが、

       アレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を
       記したヴァザーリの家にあるという、このロッソの肖像を見つけ、
       ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。
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       さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ
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       ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、
       正面部分はこのように白と濃い緑の大理石で装飾されており、
       ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano(1215/20-1278/84)の作と。
       
       ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、
       あの素晴らしいピサの洗礼堂や、
       息子のジョヴァンニと共に、各地に作品が残ります。
       

       ずっと昔になりますが、初めてこの洗礼堂を見た時
       素朴で強い白黒の縞模様に魅せられ、当時は濃い緑色とは思いもせず、
       周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂をスケッチした物でした。

       最初に見て頂いた朝日の写真を撮った位置辺りの、
       建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
       出てこられたシニョーレがスケッチを見て、
       抽象的に描いていないのが素晴らしい、と言って下さったのを覚えていますが、
       今考えると、他に褒めようがなかったのかもと、ははは。




       正面の扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、
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       扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ
       ロマネスクからゴッシクへの過渡期の趣を感じます。
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       正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、
       上部に色石を使った装飾模様。
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       サイトで見つけた写真で、
       洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼。
       以前の古い鐘楼に取り替わり1493年に高くされたものと。
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       さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面。
       以前在ったサンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、
       多分1117年の酷い地震によって崩壊、それ以降に再建された物で、
       正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・Cattedrale di Santa Maria Assunnta.
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       正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、
       使われている円柱などは、先回ご案内したテアトロ・ロマーノから
       持って来ているのですと!
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       聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。
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       外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな様子。
       12世紀の建設以来13世紀に拡張され、
       翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に改修され、
       19世紀にも大きな装飾などの改修があったそうで、
       正面壁同様のロマネスク様式はまるで残っておりません
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       内部平面図をどうぞ
       1.キエリーチ・Chiericiの聖母
       2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
       3.13世紀初めの木製の十字架降下像
       4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置
       5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
           Cappella dell'Addolorataがあり、
           デッラ・ロッビア工房、ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
       7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画
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       説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像、
       15世紀のフランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの
       作といわれるもので、木製彩色の美しいもの!
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       あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!




       内部でまず目を引いたのがこの格子天井。
       16世紀の改修で設置されたもので、
       模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!
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       内部は3廊式、22本の円柱で仕切られ、
       壁に見える白とグレイの縞模様は塗り分けられたもので、
       円柱の薔薇色も漆喰で大理石の柄に見せかけたもの、だそう。
       いずれも19世紀の改修によるもの。
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       7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
         の「受胎告知
       面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ
       飾りつけで、多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。
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       4の説教壇、正面から。 一番上に金(塗り)の鷲像があり、
       余りにも強い照明で色が飛んでいますが、
       その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
       新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!
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       内陣、後陣部分。 階段の在る古い形式ではありますが、
       後陣のフレスコ画も何もなく、背後に見える山型はパイプ・オルガン。
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       入り口扉上にある薔薇窓。 
       「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
       これも最初はロマネスクの大理石の紋様があった事でしょう。
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       床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いの石ですね。
       手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?
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       なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
       正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
       まぁ、バロックの白と金色、にならなくて良かった、ははは。




       説明5,6の、聖堂横の礼拝堂部分の外の壁
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       聖堂横角、庇の部分にも細かい柄
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       さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
       
       角を曲がって見る、建物の壁の趣
       色も良く、古び加減も素敵でしょう?
       店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!
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       だらだらと下っていくと、このエトルスク門
       またはポルタ・ディ・アルコ・Porta di Arcoとも言われる、
       紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
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       残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
       家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!




       素晴らしく大きな石が使われているでしょう?
       後にローマ人がエトルリアに取って代わっての修復もあるだろうと。
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       門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
       それに取り込まれた形になります。
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       門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、
       要は町の守護を司るものという事のようで、
       現在は表情も何も分かりません。


       右の城壁に見える碑ですが、
       ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、とのみあり、
       具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、




       門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに
       展示してあった古い写真を見つけました。
       右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって補修したのかな、
       などと思ったのでしたが、
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       2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。
       そして、皆がせっせと手渡しで石を運んでいる写真、
       それに足元が地道になっていますよね、
       そんな事から、爆撃ではないと思ったのでしたが、
       イタリア版ウィキに答えを見つけました。

       つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、
       1944年6月30日、町に駐留していたドイツ軍指令部が、
       連合軍が町を通るのを妨げる為に、この門を爆破する事を決めたのだそう。
       ですが、24時間以内に、町の人々が門を通れなくするのであれば、
       爆破しない事に同意。  町の世話役が頑張ったのですねぇ!
       それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし
       せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。

       カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、
       道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
       案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、
       shinkaiにも楽しい発見でした。
       



       上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、
       この敷石が、あの20世紀前の古い門を援ける為に役立ったのですね!
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       奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、
       あそこにも上がりましたので、はは、高上がり大好き!  
       素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。




     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-16 08:09 | ・トスカーナ州 | Comments(3)
2016年 09月 11日

   ・・・ テアトロ・ロマーノ ・ ヴォルテッラ   写真追加・・・

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       今回ご紹介するのはトスカーナはヴォルテッラ・Volterra の
       テアトロ・ロマーノ・Teatro Romano.
       
       なぜ急に?とは仰って下さいますな、
       なぜか虫が起きて・・、としか、へへへ。



       ヴォルテッラの町は、シエナからポッジボンシを通って西に
       約54km 1時間の距離にありますが、

       町の地図をどうぞ.
       緑の線で囲った中心部から北に、
       中世に建設された市壁の門外に出た、傾斜地に位置します。
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       他に囲った部分は、テアトロ・ロマーノの隣の門、
       門の名はポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentina,
       町の有名なエトルスクの門・アルカ・エトルスカは町の南側に、
       エトルスク博物館は町の東側に。
       
       ヴォルテッラの朝の夜明けを。




       町に到着しホテルにチェックインした後、
       中心部を通りぬけ、このテアトロ・ロマーノに来た時は
       中に入らず、上の城壁の道から覗く形だったのですが、
       ちょうど夕暮れ時の陽が射しこみ、素晴らしかった!
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       上からの眺めだとほぼ全体が見れる高さで、
       真ん中からこちら半分がテアトロ・ロマーノ・ローマ期の劇場跡で、
       向こう側はその後に造られた浴場跡
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       現在残るローマ期の劇場跡では、大変に保存の良いもののひとつだと。




       翌日改めて見学に出かけました。
       27年前に一度来た事があり、その時の印象が強く残っていたのは
       やはりこの遺跡で、わぁお、ローマ遺跡がある!と
       無知度が大きかったshinkaiはひどく驚いたのでしたが、
       なにせローマ遺跡が残っているのはローマだけ、
       という程度の認識でしたし・・、ははは。

       以前の訪問時にはまだ整備されておらず、入場料もなしでしたが、はは、
       今回はちゃんと切符売り場もあり、5エウロ、
       道を辿って入っていくとこの様に見えて来ます
       少し曇り空で、写真の発色が悪いのが残念。
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       観客席の傾斜は、ギリシャ期の劇場のように、
       自然の土地、丘の傾斜を利用したもので、
       その観客席の上側に、13世紀に町の城壁が建設され、
       市壁の向こうに見えるのは町の家並み。




       平面図を見つけましたのでどうぞ
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       1.いわば天井桟敷に当たる部分
         観客席に連絡する11の入り口から行けたそう。
       2.観客席 上等席下から10列、並席上の9列で、
         座席の石はいずれもピニャーノ・Pignanoという当地産の凝灰岩
       3.オーケストラ席 ですが、このヴォルテッラでは町の著名人たちが
         ここを占領していたそうで、オーケストラと合唱隊は、
         説教壇と書いてあるので、舞台横にでも押込められた様子。
       4.舞台前部
       5.La fronte-scenaとあり、どう訳したら良いのか分からず、
         後ほど復元予想図をご覧頂きますね。
       6.柱廊 これは劇場背後の両側に後に建設された物で、
         後陣部分が飛び出した形。
       7.浴場部分 
       



       遺跡内部には入り込めませんで、観客席の上側の通路から
       見渡す感じで、移動します。

       今見える左の建物の壁と円柱の2階建て部分が、上の説明5で、
       右側は崩壊していますが、回収した石材で再建可能とか。
       その手前に舞台前部4があり、その手前真ん中に白と茶の石の部分が
       少し見えますが、ここがオーケストラ席3だったのが、
       ヴォルテッラでは町の権力者達が居座ったという、ははは。
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       舞台部で残っている上部と、右側の遺跡部
       舞台部の高さは15,5m、前面の長さは35,98mあるそう。
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       こうして見るだけではピンと来ませんが、
       復元予想図を見つけましたので、どうぞ。
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       素晴らしいですねぇ! というか、素晴らしかったのですねぇ!!

       観客席の上に見える布製のテントは、座席全部を覆える事が
       出来る様になっていたのが、支え部分の発掘で分かっているそうで、
       観客席は全部で1800~2000人収容できたそう。
       イタ版ウィキには、最高で3500人と書いてありましたが。
       この大きさの劇場では、トリエステにあるのとほぼ同じと。

       この劇場が造られたのは、紀元前1世紀から紀元後42年に
       存在したこの町の有力なカエチナエ・Caecinae家の2人、
       いずれも執政官であったアウロ・カエチナエ・セヴェーロと、
       ガイオ・カエチナエ・ラルゴの意思による物だそうで、
    
       ローマ皇帝で言うと、ちょうどアウグストとティベーリオの
       時代に当ります。

       3世紀の終わりになって劇場の方が放棄された後に
       その後部に浴場施設が造られたのだそう。

       


       観客席上部
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       観客席上部の後ろを通る通路
       この上に、13世紀に町の市壁が造られた訳です。
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       遺跡の草原に咲く野草
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       劇場背後に広がる浴場跡、楕円の部分にはモザイクも見えます。
       そして円柱の並び
       柱廊状に円柱が並んでいるので、浴場は内庭にあったのですね。
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       この遺跡が発掘されたのは1950年代、町の考古学者である
       エンリコ・フュゥーミ・Enrico Fiumiが指揮したもので、
       当時の町の精神病院の入院患者が幾人か働いたそう。



       市壁の上から覗く観光客。 ただ見だぁ! ははは。
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       夜のテアトロのイルミネーションを
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       この遺跡の舞台を使っての国際フェスティヴァルが
       毎年夏に行われるそうで、興味深い事でしょうね。


       テアトロ・ロマーノの開場は
       3月14日から11月1日まで 毎日 10時半から17時半
       11月2日から3月13日まで 土曜と日曜、祭日の10時から16時半
       



       ところで、このテアトロに付いて調べていて、
       関係者達はさぞや小躍りしているであろう、
       昨年7月の新発掘のニュースを見つけました。

       場所はテアトロ・ロマーノの横に位置する町の門から下って行った
       北にある、町の墓地に近い場所で、
       なんとローマ期のアンフィテアトロ・円形劇場、闘技場と
       見られる楕円形の遺跡の壁が見つかったのだそう!
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       歴史に完全に埋没し忘れ去られていたここの発見は、
       偶然にも水道工事をしていて見つかったもので、
       80mの長さの壁と2つの椅子
       工事の手法はテアトロ・ロマーノと同じもので、
       剣闘士たちの闘技場と見られ、
       この100年間における最重要な再発見と見られると
       
       さて、これからどの様に発掘するか、どの様に資金を見つけるか、
       さぞ関係者達は嬉しくも大変でしょうが、ははは、
       今の水道工事の方はどうなりますか?!
       



       所でテアトロ・ロマーノのすぐ横にある中世の市壁の門
       ポルタ・フィオレンティーナも、一緒にご案内しますね。

       城壁が造られた13世紀に一緒に造られた門で、
       外からの様子はこんな感じで、
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       続く城壁はこういう様子。
       背は高いのですが、門の壁をご覧になっても分かるように、
       この時代、中世の壁はそんなに厚くありません。
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       最後はテアトロの背後の城壁上から見渡す北の平野を
       夕陽を浴びて、谷にうっすらと靄が湧いているのです。
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       丘の向こう、平野の端にたつ教会サン・ジュスト・エ・クレメンテ
       San Giusto e Clemente.
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       ヴォルテッラに行くのに、サン・ジミニャーノからの道を行き、
       ちょうどこの教会の裏手を通り、教会に迫って切り立った崖が見え、
       その年の春の大雨で落ちたのかと気になったのでしたが、

       ウィキのサイトに写真がありましたので、追加です。
       これ!です、凄いでしょう?!
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       この一帯はバルツェ(複)・Le balze・崖、絶壁と呼ばれる
       独特の地形で、雨が粘土の層まで浸み込みやすく崩れるのだそう。
      
       現在の教会はサン・ジュスト・ヌオーヴォ・新サン・ジュスト教会と
       呼ばれもする18世紀の物だそうで、
       それ以前の教会は17世紀のバルツェで飲み込まれたのだそう!
       という事なども知りましたが、

       いやぁ、こういう土地に再建するというのも、
       キリスト教社会というのは凄いなぁ、と思った事でした。



     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-11 01:14 | ・トスカーナ州 | Comments(6)
2016年 09月 06日

   ・・・ 新しい散歩道 ・ スコミーゴ村ちょっぴり秋の気配 ・・・

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       8月の末、前日の朝歩いて発見した新しい散歩道に、
       再びカメラを手に出かけました。

       道がある事は知っていましたし、地図でも確かめていたのですが、
       いつもの道から知らない道に入り込むというのは、
       ちょっときっかけが要りますよね。
       凄い坂道だ!というのが見えていましたしね、ははは。

       それで日曜の朝歩いた帰りに入り込んでみたのです。
       するとやはり凄い下り坂で、逆行きはとんでもない! ははは、
       ワン君が1匹、鼻息を荒くしているのが聞こえ、
       もう1匹の大きいのは庭から吠え、

       でもオリーブ畑が広がる斜面の道で、そこを突っ切ると
       想像していた通り、ベッルーノ・ヴェネツィア間の高速道路を
       見下ろしながら、丘の中腹を辿る道で、
       葡萄畑の広がりも見え、ヴィットーリオ・ヴェネトの町も見える
       そして牛舎のある道だったのです!

       カメラを持って出かけたのは午後遅めで、
       その方が光線の具合が良かろうかと思ったからでしたが、
       残念、薄靄がかかった日だったのと、
       丘の中腹を辿るので、道の半分ほどは金網が張ってあった事!

       ですが、まぁ、ご覧下さい。

       上の写真は、この道に入り込む手前角にあるスコミーゴ村の慰霊廟で、



       内部の上に書いてあったのは、
       1945年4月29日の朝8時に爆撃があり
       14名が亡くなり、その慰霊の為の建立だった様子。
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       それにしても何を考えて、こんな何も無い村を爆撃したのですかね?!




       さて、目指す道に入り込むと、この高さ!
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       すぐ目の下を高速が走り、ヴィットリオ・ヴェネト南へ続くカーヴ
       出かけていく時、いつもshinkaiが通るカーヴの1つで~す。
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       あれこれ金網の隙間から撮ったのですが、結局ボツにし、
       これは金網手前のガードレールによじ登り、ははは、撮ったもので、

       向こうに見えるのは、高速のサーヴィス・ステーション
       こちらには葡萄畑、そして右端に少し色づいたトウモロコシ畑。
 
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       上のカーヴもこの位置から見ると緩やかでしょう?
       右奥に見えるのがヴィットリオ・ヴェネトの町
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       靄がかかっていて残念ですが、こんな様子で、
       山の手前に広がるのがチェーネダ・Cenedaの部分。
       ドゥオーモの正面ちょっぴりと、鐘楼が見えます。
       このチェーネダで、モーツァルトのオペラ台本を書いた
       ロレンツォ・ダ・ポンテ・Lorenzo Da Ponte(1749-1838)が生誕。
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       山の上に見えるのは、司教館と古い城の名残で、
       ヴィットリオ・ヴェーネトのもう1つの町セッラヴァッレ・Serravalleは、
       間に延びている山の向こう側に。

       ヴィットリオ・ヴェネトのご案内




       こんな感じで道を辿っていくと、あっ、いた、いたぁ!!
       ママに子供2人
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       子狸、もとえ子猫
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       最初に見たママは、さっと横の塀の上に逃げましたが、
       この美人ちゃんはそのままで、こちらを見つめ、
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       黒ちゃんもゆっくり
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       そして刈った草の陰から、もう一人!
       都合ママと4匹の色違いの子猫たち。
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       後ろに牛舎があり、一頭がこんな風に顔を出し
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       前日の朝通った時、ちょうど表にご主人が出ていて挨拶をして
       通ったのですが、牛がいるのは匂いとモゥ~で分かりますから、
       ひょっとして中におられるかと覗き込み、

       ちょうど乳絞りの時間でおられたので、写真とっても良いですかと
       許可を貰いまして。
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       奥に4頭、手前右に最初の1頭、左奥に1頭、手前に子牛が2頭の
       全部で8頭。




       前日の朝会ったのを覚えていて下さって、あれこれ話してくださり、
       この白と茶の牛は、白黒のホルスタイン種よりはお乳の出は少ないそうですが、
       ずっと濃厚なお乳が出るのだそうで、
       実際お乳のバケツを覗くと、上にこってりのクリームが
       3cmほども浮いておりました!
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       今、脚の間に挟んでいるバケツのちょうど上5cm位の所まで、
       1頭の牛のお乳が出るのです!

       スコミーゴ村で今も乳牛を飼っているのは、こことあともう一軒のみだそうで、
       坂の下の方とか聞きましたが、どこか見当が付きません。
       shinkaiが住み始めた時には、我が家の近くにも1軒あったのですが、
       今はもう、モゥ~が聞こえません。

       乳牛を飼うのは大変きつい仕事で、朝早くの乳絞り、
       そして夕方と欠かせませんし、
       エミーリア・ロマーニャの方の大農家では、その為にインド人が
       たくさん働いていると聞きました。




       入り口脇にいた子牛、手前が3週間ほどで、奥のが2週間位。
       あのゆったりの子猫ちゃんが入って来て座り込み、
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       入り口脇にいた牛、あれが一番若いのだそうですが、
       長~いピンクの舌で、ペロッと何度も舐めようとし、
       ちょうど届かない位の位置に座っている子猫ちゃん。




       ほらね、こんな風に、遊んであげようかと誘ってもくれる
       良い子で、なでなでも勿論OK!
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       それに引き換え、ママの方は塀の上に上がりっぱなしで、
       こんな目でね、ははは。
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       ご主人に礼をいい、先に進み、

       斜面の葡萄畑
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       ほんの少し色が付いて、熟しかけた感じ
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       今年の作柄は、6月は雨が多すぎたものの、その後持ち直し、
       質、量共に満足の行く出来具合だそう。




       振り返っての南の様子
       あの丘の向こうにヴェネト平野が広がります。
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       上に迫って白く見えるのは、ヴィットリオ・ヴェネトとの境にある
       工場地帯の建物なのですが、
       その手前にこんなに広い林があるのに驚きました!
       そしてその中に埋もれるようにして、家が1軒。
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       上りの坂道にかかる手前で引き返します。
       
       杉の木にたくさん実がついていて
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       オリーヴも大分大きく実って来ています
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       秋を感じさせる赤い実
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       道の片側は丘の斜面で、何軒か家が点在しているのですが、
       そこにあった竹林。 竹の子出るんだろうか?!
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       筍? 出ません! とばかりに吠えるワン君、ははは。
       一枚撮ってあげるけん、じっとして!! 
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       というような、新しく見つけた散歩道でした
       日曜の朝の歩きの戻りに通るとちょうど良い感じで、
       写真を印刷して、牛舎のあのお家の前に届けておきましょう。




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ジョットの鐘楼描き初めと、 レガータ・ストーリカ2016 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
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by italiashiho2 | 2016-09-06 01:44 | ・スコミーゴ村の四季 | Comments(6)
2016年 09月 01日

   ・・・ 大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて ・・・

       皆さま、こんにちは! 
       8月最後に地震速報のアップをしましたが、
       約1ヶ月間のブログ休載のお休みを頂き、再度ここに。

       休載中もブログご訪問、そして応援クリック、
       本当に有難うございました!!!

       ブログ復帰の最初に何を、住んでいる村の緑? 葡萄畑?
       なんぞと考えておりましたが、

       つい先日歴史文化遺産、地震で崩壊した町村の修復に付いて
       レンツィ首相の「元の通りに、元の場所に・com'era, dov'era・
       コメ・エーラ、ドヴェ・エーラ」に、
       年月はかかっても修復する、という基本方針が明かされたのを受け、
       TV画面に一連の町と文化財の修復保存の様子が出ました。
       
       元の通り、元の場所に、というのはよく言われる言葉なのですが、
       今回この言葉がより大きく聞こえたのは、
       7年前のラクイラの大地震のその後が皆の頭にあるからなのですね。

       ラクイラ・L'Aquilaは隣のアブルッツォ州ですが、
       今度の地震被害の大きかったアマトゥリーチェ・Amatriceから、
       51kmほど、車で1時間半ほどの距離にあり、
       7年前の大地震の後、町の修復がいまだ捗々しくない様子。
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       人々は「ニュータウン」と呼ばれる、町の郊外に新しく建設された
       四角いコンクリート長屋みたいな!場所で生活するのを
       余儀なくされています。

       この「ニュータウン」の建設は、かのベルルスコーニ首相が
       強く望んでの建設だったそうですが、
       その後すぐにテラスが落ちたりの欠陥建設でもあり、
       町の人々の意識から大きく外れたものだったのですね。
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       それで尚の事、この度の「元の通りに、元の場所に」が
       大きな響きを持ったという様子です。

       前置きが長くなりましたが、
       それで出たニュース画面で見た写真にとても驚いたのがあり、
       歴史遺産や町の修復保存に付いて考えるきっかけとなり
       今回はそれをご覧頂きたいと思います。

       まず過去の大きな地震、写真が残っているものでは、

       1908年2月28日に起こったマグニチュード7,2の大地震、
       引き続く津波とで10万人もの死者が出たという、
       シチーリア島の本土側に一番近いメッシーナ・Messinaと、
       対岸のレッジョ・カラーブリアの被害

       これは地震後のメッシーナの聖堂前ですが、
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       現在はこの姿。 崩壊していた美しい鐘楼も元の姿に。
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       古い写真を探していて、こんなのも見つかりました。
       
       これは1968年のシチーリアの西、ベリーチェ・Beliceの地震後
       最初の食料救助隊が到着した時の模様。
       食料受け取りの容器を持った子供を、先に通そうとする救助隊。       
       ちょっと涙が出そうな写真です。
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       いつの物、どこでかも分かりませんが、こちらも
       クリスさんから、フリウリ地震の時のもの、と教えて頂きました。
       いつも有難うございます!
     
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       1980年11月23日のカンパーニア州のイルピーニア・Ilpiniaでの
       マグニチュード6,5 死者2914名の大地震後、
       救出された犬に喜ぶ人々
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       同じイルピーニアで50年前の1930年7月23日にも、マグニチュード6,7の
       大地震が起きていて、死者が1425名という記録がありました。 




       今回TVニュースで写真を見て驚いたのがこれ!
       1971年のトゥスカーニア・Tuscaniaでの地震で、と聞きつつピンと来ず、
       後陣の上部が崩壊した写真で、あっ、サン・ピエトロ聖堂の後陣!!
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       内部からはこんな様子
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       現在はこの姿で、そういえば確かに、レンガの色が違うなぁ、と
       感じた記憶はあったのですが・・。
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       後陣にあったフレスコ画の破片の写真も見つかりました。
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       サン・ピエトロ聖堂の正面には
       こんな美しい薔薇窓とその周囲の装飾があるのですが、
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       TVニュースでは、この薔薇窓がポコッと落下して残った
       丸い穴の開いた正面壁の写真も見たのですね!!
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       その写真をサイトで探し回りましたが、遂に見つけられずで、
       ひょっとして自分の思い違いか何かかと心配したのですが、
       薔薇窓と後陣の崩壊があった、という記事を見つけました。


       いやぁ、こんなに驚いたのは最近になく
       勿論地震に見舞われたというのは知っておりましたが、
       後陣崩壊、薔薇窓落下、なんぞとは考えもせず、
       正面の扉も鉄柵の扉になっていたのを、色気が無いね、なんぞと・・!

       自分が本当に、素晴らしい聖堂だ! なんと美しい!!
       と惚れ惚れと眺めたのが、
       今回、これは長年の修復師の皆さんのお陰なんだと改めて認識し
       あ、その前に政府の方針による財政補充があるわけで、

       今までは「修復された」というのをイマイチ不足に感じていたのですが、
       今後こんな不敬な事は考えまい!
       今も以前の姿を見れるのを感謝しなくてはいけないのだ!!
       と大いに反省、気持ちを改めるきっかけになったでした、はい。

       サン・ピエトロ聖堂ご案内




       その近くにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の方は、
       鐘楼の上部が崩れていたのは、多分地震かな、と考えており、
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       聖堂の方はどうだったか、と写真を探しましたが、
       上部の薔薇窓などは大丈夫だった様子ですが、
       正面左側が落ちていた様子
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       サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の様子は




       町のほうにも被害があったのでしょうが、その名残もなく、
       サン・ピエトロ教会から見える丘の並びに、
       崩壊したという城の名残の廃墟があります。
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       そして町の修復保存に付いて、今回も何度も言及されるのが、
       フリウリ・ヴェネツィアージューリア州のジェモーナの町。

       1976年5月6日の夜9時、マグニチュード6,1の地震が
       フリウリ一帯を襲い、1000名の死者が出ましたが、
       とりわけ中世の面影を残す美しい町のひとつである
       ジェモーナ・Gemonaの被害が大きかったのですね。
       
       聖堂正面の上部、側壁、そして鐘楼が崩壊し、
       高台にあったお城も崩壊、町の被害も大きかったのですが、
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       しかもこの時の地震は、皆さんが漸くに気持ちの整理も付き、
       なんとか復興に取り掛かった9月になり、
       11日、15日と再度襲ったのでした。

       写真でも、2度目の地震により被害が大きくなったのが分かります。



       現在はこの姿で、町も見事に復興し、美しい古い町の面影を
       伝えてくれています。
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       崩壊した石に番号を打ち、元の様に使えるものは使った、といい、
       ジェモーナの市長から今回の被災地の皆さんに
       我々が出来たのだから、頑張って!というエールも。

       ジェモーナの町の様子



       最後は、今回大丈夫だったアッシジの聖堂の上院の天井部の崩壊。
       1997年9月26日のウンブリアからマルケ州にかけての地震でしたが、
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       2年後に見事に復興となり、現在はこの美しい姿!
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       聖堂の修復の様子なども、こちらでご覧頂けます。


       イタリアも地震国で、今回記載したもの以外にも長~いリストがあり
       ウンブリアの地震後も、2002年には南部モリーゼ州とプーリア州に、
       2009年の、お話したラクイラの大地震があり、
       2012年には、エミーリア・ロマーニャ州でのモデナ一帯での地震
       と続きます。


       今回のイタリア中部の地震の様子をTVで見ると、
       崩壊した建物の中でもしっかり頑張っている建物が明らかで、
       やはり耐震設備は大事なんだ、との思いを強くしましたし、

       カステルッチョやノルチャでも、以前の地震災害の後
       耐震設備を施した家屋がしっかり残っているのが、良く分かる状態。

       今回の山岳部の古い家々は耐震装置が無いものですから、
       大きな地震の前に脆くも崩れており、とても無残!
       再建する時には必ず耐震で、と願います!
       

       今回の地震のあった一帯で、訪れている町、地域の
       以前の美しい様子を、shinkaiの愛しの風景をどうぞ!

       プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など
       今回プレーチの教会、サンテウティツィオ教会共に
       かなりのひび割れが起こった様子。
       http://italiashio.exblog.jp/5661411/        


       ウンブリア一帯の地震で被害を受け、10年後に訪ねても
       まだまるで復興しておらずショックだったのですが、
       その後再度の訪問では復興していた村、
       ロッカノルフィの様子を。 復興には年数がかかります!!       


       こちらも復興に長い年月のかかったカンピの村

 
       ノルチャとカステルッチョを

       カステルッチョの美しさ 1と2

       今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の
       美しい風景を、ジョヴァンニの写真で。


       これを書いている31日お昼のニュースによると、
       アマトゥリーチェのホテル・ローマから、また一人遺骸が
       救出されたそうで、依然として発掘が続いている様子です。


       どうぞ、被災地の皆さんが再び立ち上がり
       何年か後には、崩壊した町や村が元通り、美しく蘇りますように!!



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 夏休みの宿題提出と、 藤沢周平記念館など
       アップしています。    
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     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     


  
   
       


    


by italiashiho2 | 2016-09-01 02:06 | ・ウンブリア州 | Comments(6)