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2017年 04月 24日

   ・・・ オアジ・チェルヴァーラ ・ シーレ河の自然公園 ・・・

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       先日出かけて来たオアジ・チェルヴァーラ・Oasi Cervara
       シーレ河・Sile沿いにある自然公園ですが、
   
       古くからの水車小屋も残り、水辺や沼地に住む動物たちの保護地でもあり、
       コウノトリ・Cicogna達の休憩繁殖地を目指すプロジェクトも進んでおり、       
       フクロウたちの飛ぶのも見せてもらえる、というので嬉しく見物に!

       上は入り口前にある大きな写真で、「コウノトリのための巣」と。





       「オアジ」というのは、「オアシス」の意ですが、
       ここでは日本で言う「野鳥の楽園」的な意味も含まれており、

       今回出かけたのはトゥレヴィーゾの西にある、クイント・ディ・トゥレヴィーゾ・Quinto di Trevizo
       のコムーネに含まれるサンタ・クリスティーナ・Santa Cristinaにあり、
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       シーレ河にピオヴェーガ・Piovegaという流れが合流する場所
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       地図の中にたくさんの水車の図が見えますが、かってはたくさん稼働していた様子で、
       上記したように、このオアジの中にも残っています。
       
       水車小屋については、絵のブログの方でご案内を。

   
       所でシーレ河は、ここから西に遡っていくと地図上から消えます、というよりも、
       ずっと山から流れてくる川ではなく、一旦地下水となり、
       それが湧き出す地点がシーレ河の水源で、
       カステル・フランコ・ヴェネトとトゥレヴィーゾの中間点位に。

       シーレ河はトゥレヴィーゾの街中を通り抜け最後はヴェネツィアの東で海に注ぐ、
       湧き水自体の流れも、沿岸風景も大変美しい事で良く知られていますが、
       とりわけこのシーレ河上流部分は農村風景が広がる美しい所。





       入口を入ってきた所にある建物2つ、左が水車小屋で、右が母屋
       現在はバールにもなっている建物。
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       水車小屋の前から見る流れ。 あいにくの曇り空で残念。
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       仲間の一人が、ほら、小鳥がいるよ!と。
       小鳥というより雛で、皆が入れ替わり立ち代わり見に近寄るので、
       そのうちに隠れてしまい・・!
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       ジョヴァンニにディスプレイを見せると、多分セキレイの子で、
       巣から落ちたんだろうと・・。
       




       沼沢地というのか、水の流れの中に水草もたくさん生えていて、
       河骨も咲き始め。
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       白鳥も悠々と。 岸をつつき、何か口に入れては、水の中でちゃちゃっと
       すすいでは口に入れるのですね、ミミズか何かかな?
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       少し先の、流れ越しにコウノトリの島となっている離れ地があり、
       まず目に入ったのは、その奥の高い送電線の上!!
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       手前には仲間たちが高い棒の上に設えられた台の上に巣を作っているのに、
       遠く高~い離れた場所を選ぶのもいるのですねぇ、ははは。





       コウノトリ・イタリア語ではチコーニャ・cicognaは、16世紀にイタリアでは絶滅し、
       1985年から様々な再導入策がとられているのだそう。
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       このオアジでは、まず大鳥舎の中に居住するコウノトリの一群を育て
       それにつられて野生のコウノトリがアフリカと北ヨーロッパへの移動中に
       ここで休憩、繁殖することを願ったプロジェクトを立ち上げ、活動中なのだと。

       白コウノトリは沼地、または乾いた土地にいる小さな脊椎動物を食すので、
       コウノトリが自由に生殖しているというのは、その土地環境が良い事を示すわけで、
       将来に向けての良い自然環境になるためへのシンボルとしての
       プロジェクトでもあると。

       ほら、西洋では赤ちゃん誕生を、コウノトリが赤ちゃんを運んでくる、と
       祝う、おめでたい絵柄もありますね。

       家の建設条件も違って来て、農薬も化学薬品を使うようになり、
       いったんはイタリアで途絶えたコウノトリの姿ですが、
       ぼちぼちと各地でコウノトリの巣、繁殖が見られている報告も。
       




       あの高い送電線の上のカップルの他に、3、4組ほど大鳥舎の外の
       棒杭の上の巣で抱卵中のや、巣作りが済んでカップリング中のがおり、

       ここのはすでに抱卵中で、もう一つの巣の上でも抱卵中でしたが、
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       ここのは左がオスで、フラッタリングと呼ぶ嘴をカタカタと鳴らす求愛をして見せ、
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       と思ううちに、そのお隣ではカップリングをして見せてくれ、ははは、
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       先程のカップルも負けじと始め、ははは、今日はサン・ヴァレンティーノの日だぁ!

       だって、イタリアではサン・ヴァレンティーノの日は、チョコレートの日ではなく、
       愛の日なんですもん!





       これが上で説明のあった大鳥舎の中で、ほら、子供のコウノトリも見えますね。
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       白に黒い羽根は、ちょっと見には、鶴を思い出させるのですが、

       羽根を広げたのを後ろから見ると、段だら縞!
       おお、おぬし、新選組にゆかりのお方かや?! ははは、アホが!
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       これは、うまく飛べない子がいた時にはここに連れてきて
       ちゃんと飛べるようになるまで、飼育するのだそう。
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       サイトには、以前親に飼育拒否された子供を育てた、というのも
       記されておりました。

       サイトはこちら。 http://www.oasicervara.it/





       こちらがオアジ・チェルヴァーラの地図で、全体の広さは25平米。
       左下に見えるPの向かい側が入り口で、1が母屋、2に水車、
       その斜め上の島の3が、コウノトリの島。
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       我らはそこから引き返し、2から見える左側の黄色のコースをたどり、
       野鳥の監視小屋や、亀達の囲いを見たり、寒い日だったので誰も出ておらず!
       ぐるっと囲った7で、猛禽類の飛行を見て戻った、という行程。

       地図に水溜まりみたいに見えるのは、湧き水のある所だそうで、

       このオアジ自体の設備などは地元の銀行財団の資金で作られたものの、
       運営は自営になっているそうで、なかなか大変なんだそう。

       今回我々が行ったのは、我が写真仲間のジョヴァンニ・Giovanniの紹介で、
       彼は以前から何度もここに来て知っており、素晴らしいので皆にも、と
       いう事でしたが、
       子供たちだけでなく、大人も楽しめる場所であったのは間違いないです!





       これはオアジを通り流れていく一部で、この後まだ4か所ほど合流し、
       滔々と流れていくシーレ河
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       上の地図にも見えるクイント・ディ・トゥレヴィーゾでは、
       まるで湖の様に広くなったシーレ河を見ることも出来るのですよ。





       沼地の中を通る道は、こんな風に板が組まれており
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       通り道の脇に咲いていた花々
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       脇の流れに、乗り出す木々
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       オオバンもいて
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       奥には向こう岸寄りに巣を作り、抱卵中のオオバンの奥方
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       一見野原に見えるのですが、地面が柔らかく
       上で少し飛び上がると、揺れるのです!!      
       やはり湿気が多く、とても寒い、との事でした。
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       向こう岸に固まって咲いている黄色い花、 
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       こんなに太い幹! ちょっと恐ろしい雰囲気で・・。
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       この表示の横に、夜行性猛禽類の飛行場
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       木製のベンチが階段状に設えられ、ぐるっと囲われており、
       立ち上がらない事、袋から食物を取り出さない、大きな声で喋らない、
       を注意され、 もちろんワン君はダメ!
       
       当日ジョヴァンニから少し離れて座っていたshinkaiにまで、
       彼の新しいカメラの連続シャッター音がパシャパシャパシャパシャと聞こえていたので、
       うまく撮れた?
       ブログに載せても良かったら、一番良く撮れたのを(一枚)送ってくれない?
       と書きましたら、軽~くOK! と7枚送ってくれましたので、ははは、

       ここからは鳥ごとに、ジョヴァンニの写真を最初にご覧頂きますね





       ジョヴァンニ・Giovanniの写真で、まずはメンフクロウを2枚
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       下の写真に写っているのが、ステファーニア・Stefaniaで、
       彼女と夫のジャンフランコ・Gianfrancoがこのオアジの責任者。

       メンフクロウはイタリア語でバルバジャンニ・barbagianniと呼びますが、
       一度ジャンバルジャンと間違えましたっけ、ははは。





       そしてshinkaiの。  ネーヴェ・雪ちゃん、とステファーニアは呼んでいましたが、
       一番従順そうで、何度もあちこち飛んで見せてくれたので、写真が多く、

       正面
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       横面、 ほら、嘴の上の羽は上向きなんですね!
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       背中の、小紋柄のような美しい模様!
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       2人が観客の間を移動しながら、距離を取ったり縮めたり、
       一度飛ぶと食べ物を貰え、それで飛ぶのだそうですが、ははは、

       だからと言って食べた後、名前を呼ばれたからと言って即飛ぶのではなく、
       周囲を見回し確認しながら、自分の意思で飛びます。
       重量を尋ねましたら250gくらいと。
       夜行性と言いますが、昼間もちゃんと見えるのですねぇ。

       肉を貰っているのは分かるのですが、何の肉かと思っていましたら、
     
       あっちゃぁ、さすが猛禽類! この顔で、こんな小さな足付きのお肉をね!
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       飛び立つ姿
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       お次はトラフズク。 ジョヴァンニの写真を1枚・una foto di Giovanni.
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       この子はかなり神経質で、あっちを見こっちを見で、なかなか!
       shinkaiのは飛んでいるのは良いのがなく、羽根色も地味加減で2枚だけ。
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       そしてフクロウの中でも大型の、王様フクロウという種。
       迫力あるジョヴァンニの写真を! 4foto bellissime di Giovanni.
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       とりわけ最初の2枚、凄いでしょう?!
       こんな目つきで、この大きさ、羽を広げると1,5mほどのが
       自分の方に飛んで来たら、それだけでビビりそう!!
              
       観客の間を移動しながら飛ばせるのは、羽音やその空気を
       感じさせるためなのでしょうが、この大きさで、この爪だとね、
       大丈夫と分かっていても、ね、ははは。





       ではshinkaiのを。
       この耳みたいにピッと飛び出しているのは、眉毛なんだそうで!
       耳は羽根の中に隠れているんですよね。
       こういう艶やかな羽根を見ると触ってみたくてたまりません!

       前からと後姿
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       ブレ加減ながら、飛んでいる姿を。 綺麗ですねぇ!!
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       ここのオアジには現在7羽ほどいるそうですが、皆オスなんだそうで、
       というのも、メスが混じるとどうしても繁殖期の問題が出てきて、そうそう、ははは、
       大変神経質になるし争い事も起り、こういうショウは出来なくなると。
       
       ですが、メスはオスよりも1,5倍ほども体が大きいそうですから、
       飛ぶ姿はもっと見事でしょうねぇ!





       どう、みんなぁ、俺の飛ぶ姿を見てくれたかい?!
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       という、オアジ・チェルヴァーラの訪問記でした




     *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       先回のブログアップに関しては、あれこれ見難い記事面で失礼いたしました。
       
       そして2度の削除と書き換えに際し、その都度「いいね!」を押して下さった方、
       中には都合3度も押して下さった方もおられ、皆様に本当に感謝です!!

       エキサイトの方から、24日の今朝になって、
       ひょっとしてスパム・メールに返事が届いていませんかとの事で、

       見ましたら、やはり今の私のPC、ウインドウズ10の変革に関係し、
       あれこれのソフトの動きが勝手に変化する事にも関わる問題の様で、

       多分それではないかと、2度目の削除書き換えを行ったのが正解だったようです。
       やれやれ、これでまた一つ学んだ事にはなりますが、

       
       いやぁ、まったくウインドウズ10のあれこれには不満がありまして、
       勝手にあれこれ改定してくるたびに、あちこちソフトが動かなくなったり!!
       おまけに前のヴィスタに比べ、本当に動作が鈍い、遅い!!!
       お使いの皆さん、そう思われませんか?!

       
       まぁ、これを書きだすと止まりませんので・・、ははは。

 
       皆さま、当ブログを、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げま~す!!




     *****

       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2017-04-24 21:42 | Comments(3)
2017年 04月 22日

   ・・・ 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 ・・・

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       1週間前の快晴の午後のひと時、近くのカッペッラ・マッジョーレ・Cappella Maggiore
       の町外れにある「ロンゴバルド教会」の見学会があり、出かけてきました。

       この教会があるのは既に20年ほど前から知っていましたが、
       殆ど放置された状態で閉まっていて内部が見れずで、
       今回参加しているグループの見学があるというので喜んで!

       ロンゴバルド時代の教会というと、この近くではフリウリ州の
       チヴィダーレの教会がとても美しくて有名ですし、期待したのでした。
       




       カッペッラ・マッジョーレの町の中心はこんな感じですが、位置が少し高く、
       ここから更に奥の高台の田舎に至る上り口、という感じの小さな町で、
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       訪問した教会は、左下に伸びる道を行き、坂を下った平野部にあり、





       車で動くようになってからは余り通らない道なので、
       すっかり整備修復されていたのも初めて知り!
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       これはトップで見て頂いた道端の標識を入ってきての、南側からの眺めで、
       教会周囲もきちんと整備され、洗われた壁の白さがとても美しく。
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       扉は正面と脇に2か所、窓も正面扉上に一つ、南側壁に2つ、
       張り出した小さな聖具室部に一つ、そしてこの写真では見えないのですが、
       内陣部の南側に一つありますが、
       建物の東側、北側には一つもありません。





       脇扉の上に TRINO ET UNI と彫り込みが見えますが、三位一体の事で、
       この教会が奉納された正式名「サンティッシマ・トゥリニタ・Santissima Trinità
       を示します。
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       最初に出た「ロンゴバルド教会」の名が一般に知られている名前だと思うのですが、
       その他にも「マッタレッラ教会・Mattarella」とも呼ばれているようで、
       マッタレッラというのは、この土地の古い持ち主の名前から来ているのだそう。





       教会前にあった掲示板の写真で、一番上の平面図に見える
       白い線が現在の教会の形で、緑の線がロンゴバルドの時代にあった小さな教会
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       つまり8世紀から9世紀建設とみられる古い小さな教会を内に含み、
       14~15世紀に大きく拡張されたのが現在の教会、という訳。

       ピンクの線は壁画のある部分で、南に張り出している聖具室部分は17世紀のもので、
       教会上に見える小さな鐘楼もどうやらその時のものの様子。





       皆がぼちぼちと車に分乗して集まって来、神父さんが来られ扉を開けて下さり、
       最初に扉の中に頭を突っ込み覗いたshinkaiが見たのがこれ!
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       もちろん神父さんに「写真を撮っても良いですか?」と尋ね、OKを頂いておりますです。

       正面の「最後の晩餐図」の左脇、上、そして右にも少し見える石の跡
       これがロンゴバルド時代の小さな教会跡の壁なのです。
       きっと高さも低かった事でしょう!





       この壁画は蛮族-ビザンティン様式11世紀のもので、6x3mの大きさというので、
       最初の教会の大きさがそれで分かりますね。
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       銀貨の入った袋を握ったユダはテーブルのこちら側に小さく光輪なしで、
       キリストにべったりと寄りかかる使徒ヨハネ、その肩越しにユダにパンを与えるキリスト。
      
       長いテーブルの上にはワインもパンも、木の実のような小さい丸いもの、
       果物なのかな、細長いものも見えますね。
 
      
       上に「蛮族-ビザンティン様式・barbarico-bizantino」と書きましたが、
       ここで蛮族というのは北から来た民であるロンゴバルド族を指します。
       
       イタリア語では北からの侵入民族をバールバロ・barbaroと言いますが、
       その語源はというと、何をバルバルしゃべっているのか分からない、から来ているという説明が、
       昔大いに勉強になった小学生向け図鑑に書いてあったのを思い出しましたぁ!
       ほら、日本語で、ベラベラしゃべりやがって、というのと同じでしょう、ははは。





       皆が入り込まないうちにと、大急ぎで撮っていきますが、
       上の「最後の晩餐図」以外は、時代が下り15世紀のもので、
       画家の名も判明、というのは、殆ど絵の下に書き入れがあるのです。
       
       隣の「ザクロの聖母子像」 アントネッロ・ダ・セッラヴァッレ作
       近くのヴィットリオ・ヴェネトの画家で、左の聖母子の足元に膝まづくのが寄進者と。
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       いつもこういう訪問の際のガイド役、ソリゴン・Soligonというグループの講師・元学校の先生が到着し、
       皆も席に着き説明が始まると、入り口の扉を閉めたため暗くなり、
       それもあって、今回の写真はイマイチよく見えないのをご容赦願います。       
       フレスコ画自体が損傷したり、傍で見ても細部がはっきり見えないのも多いのですが・・。

       全体の様子と、内陣後陣の全体像
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       「磔刑図」はベルガモ出身のアントニオ・ザーゴ・Antonio Zagoの作で、
       他にもう一人アントニオ・グネール?・Gnerという画家の名も。





       正面脇左下には聖母子像と、上に受胎告知の天使像
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       この聖母子像の顔細部が教会のパンフレットに載っていて、これです。
       達者な筆さばきでしょう?
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       同画面の下部にはこんな風な、右に眠る女性の顔半分と、
       白い犬がいて・・、ちょっと判じ物風。
       講師ソリゴンの説明によると、白い犬は彼女の処女性を示す、というのですが・・。
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       上部「受胎告知」の天使。 横割れの衣装から脚を大胆に見せた天使が
       口に百合の花を咥えて、というちょっと変わった構図でして、はは、
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       左脇、下の絵はかなり薄れていますが、上部の「受胎告知」のマリア側
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       聖母は謙虚に描かれているのですが、ここでも左上の天使の目つきとか、
       聖母の右奥の天使の顔もちょっと変わっており、
       聖母の左の戸棚の中も、いかにも家庭の中の戸棚の静物画の様で、ははは。
       画家の名がはっきりしませんが、面白いセンスを持っていると・・。





       後陣の「磔刑図」上部、キリストの顔ははっきりしませんが、
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       右の男はこんな風に描かれているのを、サイトで見つけました。
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       背景が壁になっている構図も初めて見ましたし、壁の上の三角風の飾り、
       これはヴェネツィアの大運河、リアルト橋横の新装なった元のドイツ商館の屋根飾りと同じ。 





       左下には心痛で気を失いかける聖母が抱えられており、  
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       右下のこの人物たち、これが良く分かりません。
       お分かりの方、お教えください! 
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       「磔刑図」を見ていて、中央のキリストは槍で心臓を突かれ、手足も釘付けですが、
       左右の二人は腕を横木に縛られ、脚も縛られた状態で、脚に傷を受けています。

       今までこんな風に描き分けられたのを見た記憶がなく、
       この違いは何を意味するのかと、改めて「磔刑」についてちょっと読んでみました。   
       知ったのは、

       磔刑はバビロニア期から行われていた極刑で、
       ローマ期においてローマ市民に適用されたことはなく、
       奴隷や破壊活動者、外国人に対してのみ適用され、
       磔刑の前に行われる鞭打ち、これがまさに酷い拷問であった様子。

       常に十字の形でなく、一本の木でも、逆さまVでも行われたようで、
       十字の場合、縦の木はすでに建てられており、横木を受刑者が運ばされたのだそう。

       脚に見える傷については、いつも、こん棒か槌で折られたのだそうで、
       つまり磔刑の目的は、長いゆっくりの死の苦しみの後に、貧血、肋骨の圧縮による窒息、
       または心臓の血液循環の滞り、虚脱による死、なのだそう。 恐ろしい事!!

       キケロは磔刑について、一番残酷な体刑であり、一番陰鬱なもの、と。
       




       内陣の天井図
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       内陣、北側の壁、上部。 これはアントニオ・ザーゴ作。
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       アーチ部の飾り画
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       というような、ロンゴバルド教会の、どこかちょっと違った教会なのかと出かけたのですが、
       教会自体は後の時代に改装されたもので、内部のフレスコ画も後世のものでした。
   
       が、一風変わったフレスコ画で、修復されて見やすくなっており、
       色も鮮やかで素朴で、なかなか良いと満足でした。

       1936年にこの一帯に地震があり、今残っているフレスコ画はこの地震で
       助かったものだそうで、案外教会全部がフレスコ画で埋まっていたのかも、ですね。

       神父さんが仰ったのは、ここは博物館ではなく、毎週金曜日には
       ミサが行われる教会ですので、お出かけください、との事でした。



       
       所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
       そうです、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、
       解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


       この一帯の地図をどうぞ
       薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
       見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、
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       北東にサルメデ・Sarmede 毎年国際絵本原画の展覧会のある場所 
       北西にヴィットリオ・ヴェネト  http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
       南に我が村スコミーゴ 星のついている所に我が家   http://italiashio.exblog.jp/i12/
       そしてオリアーノ・Ogliano  http://italiashio.exblog.jp/23811624/
       一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ   http://italiashio.exblog.jp/9036585/






       オリアーノの教会前から撮ったカステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼
       小高い丘の上に、こんなぐうに張り出した形であり、       
       ここからだと、例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。
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       カステッロ・ローガンツゥオーロの教会前の庭から見る、
       こちらがオリアーノの教会と丘
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       午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





       高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
       新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります
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       で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
       ティツィアーノの家が見当たらず・・!

       で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
       おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

       北向きの、この風景の、右の大きな一群の建物
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       これですね、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが
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       その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
       ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!

       つまり、手前の長い屋根の奥に見える茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのが
       ティツィアーノの家なんだそう!
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       いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係の組合とかなんとかの
       建物なんだそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





       たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場で見かけましたが、
       それの片づけでまだ教会が開いており、
       我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

       幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
       例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
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       左に見える礼拝堂の絵が見える部分にティツィアーノの祭壇画が。





       これです。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある修復画ではなく
       この近くの画家が描いた修復画を基にしたコピーで、
       額はこれがオリジナルなんだそう。
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       サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元
       肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。
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       右のサン・パオロ像の方は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
       写真では見えたのですが、こうしてみると、
       ティツィアーノが男を描くときの鋭さは見えず・・!
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       丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
       聖パオロが剣を持った姿で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭い方で、
       言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





       こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
       これもティツィアーノの作とは見えませんが、質問するのを忘れまして・・、
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       これが上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
       復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。
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       この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで読んでおりましたので、
       ああ、これの事かと納得でした。


       ティツィアーノに払ったのは、リンクした記事に書いた契約の物品だけでなく、
       ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

       ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、巻いて天井裏に隠した
       当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、イタリアにある、とだけを答え、
       オーストリアの軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、ないのでまた戻り、
       司祭さんは監獄に入れられたとか、


       そんなにまでして描いてもらった、守った絵が修復しても元に戻らずの状態で、
 
       その間に祭壇のフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も綺麗に
       修復されたりで、

       結局、このフレスコ画の方が良い、という事になって、
       ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
       ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっているのだそう、
       という始末記でしたぁ!





       こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子
       右下に教会があり、左上にティツィアーノの家のヴィッラ・ファブリスがあり、
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       そうですね、確かに教会からだと前をふさぐ形に、大きな建物があることに!

       シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで勝手に近寄れず、
       shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

       リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、何十年も前のもの!
       という事になります、という始末記でした。





       教会前からの長閑で美しい風景をもう一度
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       ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ
       残された絵も今はこんな状態で、
       家も奥に見える大屋根の上に半分だけ見える、
       という・・、歴史の変遷のお話でした

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今週はパスさせて頂きま~す!

       復活祭関連で、お出かけ2回、食事会2回、車の検査と続き、
       本当に久しぶりに絵を描く時間が取れませんでした。
       
       まぁ、たまの息抜き、という事で、明日からまた頑張りま~す。

       絵のブログはこちら



     ◆ お詫びを ◆

       19日にアップしました記事のスタイルが、文字がずっと横長になるという
       見にくい形となり、一旦削除しアップしなおしましたが、
       それでも文字もいつもと形も大きさも違い、
       編集しなおしたものの、てんでんばらばらの見っともない面となりました。

       それまでにも2度エキサイトにヘルプ・メールを入れましたが、
       返事がなく、昨夜再度メールを送りましたが、まだ何も・・!

       気になり今朝方早く起き出して来まして、
       ひょっとしてと気が付いた事を実行し、
       前の記事を削除し、再度アップし直しました。

       何とかうまく行きそうですが、この方法だと頂いたコメントと、
       「いいね」が消えてしまいますが、
       どうぞ、ご了承下さるよう、お願いいたします!!
       



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       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2017-04-22 12:31 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 14日

   ・・・ サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo ・・・

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       トスカーナはオルチャの谷の西の山の上にあるモンタルチーノの町。
       そこから南に9kmほどにあるサンタンティモ修道院

       9年前に訪問した時は修復の最中で、入り口脇、そしてとりわけ後陣部分が
       覆われていて見ることが出来なかったのですが、
       3年前の春に再訪した時は修復後で、じっくりと見ることが出来ました。

       今回はたくさん撮っていた写真を漸くに整理しましたので、
       そのせいもあってか、へへ、写真が多いですが、どうぞ細部をご覧下さいね。

       
       トップはモンタルチーノの町から朝早く出かけ、遠くの道から修道院が見えてきた所




       隣接するカステルヌオーヴォ・デッラバーテ・Castelnuovo dell'Abateの村
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       この村もサイトで見てなかなか良い趣の村で、見たいと思い寄ったのですが、
       村の下には駐車場があったものの、うっかり車で入り込み、何せ村の中も坂道で・・、
       全然駐車できる隙間がなく! 漸くにターンして村の下に戻り駐車。
       そしてそのまま修道院の方に歩いたもので、そして戻りには忘れており、へへへ、 
       通り過ぎただけ!という・・、に過ぎましたぁ。





       地図をどうぞ
       モンタルチーノ・Montalcinoの町から南に9kmほどで、
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       以前調べたときはカステルヌオーヴォ・デッラバーテまでバスの便があるように
       見つけたのでしたが、今回はまるで時刻表が見つからず!!
       行ったご覧になりたい方、どうぞ改めてお調べ願います!

       オルチャの谷の町ご案内、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       ピエンツァ・Pienza





       駐車場から舗装された道が遠回りに修道院を見る位置についており、
       徐々に近づく様子を眺め楽しみながら、歩きます
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       この道は以前は舗装されていなかったですし、道脇に駐車スペースが並んでいるので、
       多分観光客がかなり多いのではないかと・・!

       創設の由来、歴史の中の変遷などの詳細もどうぞ





       shinkaiが行ったのは5月7日、朝の8時半頃ですから、まだ一人も見かけず、
       ただまだうす曇りの空で、それが少し残念でしたが、

       脇を通って、入り口前に来た所
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       入口上部と、上部の2つ窓にはすでに鳩のカップル! 
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       入口向かって左脇、円柱状の動物。 先回は覆いが被って良く見えずでした。
       犬ではないと思うのですが、何の動物でしょうか?
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       そしてまた今回も、向かって右脇の円柱上も見ていないのです!! あほ!
       サイトで見つけた写真には鳥のようなものが見えており・・。





       入口のごつい石組の張り出し部
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       扉上、まぐさ石の彫り模様と、
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       右側の飾り
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       脇にこんな表示がおいてあり、
         教会は終日開いています
         教会すべての訪問は下の時間帯に、と。
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       となると、内部は写真禁止だし、祈りを捧げるわけでもないので・・、と
       ついつい大人しいshinkaiは入るのを躊躇い、表からこの1枚のみ!       
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       という事で、内部の写真はサイトで見つけたものを何枚かを。
       光の入りようが大変美しい内部ですので、まず白黒写真2枚を
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       側廊上部はかっての婦人参拝客用で、matroneo・マトゥロネーオと言いますが、
       そこからの内陣、後陣部分。
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       最初に建設されたのは8世紀頃とみられますが、12世紀に繁栄期を迎え、
       以前の小さな教会の周囲に一回り大きな教会が造られ
       その差が、珍しい内陣をめぐる通路に利用されているのも良く分かります。





       内陣、木製の十字架上のキリスト像のお顔
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       素晴らしい円柱上の柱頭飾り。 
       これはライオンに囲まれる預言者ダニエル。
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       他の柱頭飾り
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       クリプタ・地下礼拝堂の様子
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       灯の灯った祭壇部。 
       斜めに射し込む光も美しいですが、灯の灯った様子もさぞ・・!
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       脇廊上部のマトゥロネーオからの写真といい、サイトではかなり内部の写真が見つかったので、
       確か写真禁止だったはず、と www.abbazia.com を見ましたら、
       写真は撮れるけれども、ミサの時はノー、とありました。 ん、もう!

       入口右脇の円柱上もですが、マトゥロネーオからの様子は見たいもの!!です。
       カステルヌオーヴォ・デッラバーテの村も見残しだし・・、
       またのチャンスがありますように!
    




       中庭を挟んで見える奥の建物、修道僧たちの居住区と
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       中庭の整理もされ、花も咲いていますが、
       以前はなかった柵が教会の横に出来ており、入れません!





       教会から続く建物部分。 多分ここは教会建て増し以前からのもので、
       石も様々な色、形であるのが良く分かります。
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       北の脇壁の様子
       多分古い教会建設の石が側廊上部に使われたのではないかと。
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       この修道院の建設に使われている石は、近くのカステルヌオーヴォ・デッラバーテからの
       石で、これは石灰華の層にアラバスター・雪花石膏の層が石目、縞目に入る石
       なんだそうで、艶があり、周囲の色や季節によりその色が反映し、変化するのだそう。
       確かに、アップで撮っている写真で見ると、半透明感の像などもあり、

       光の強い夏の写真や、朝の曇った光により、
       ずいぶんと色が違って写っている理由も納得したことでした。





       入口側から北脇に回ってすぐの壁で、左上のはローマ期のもののリサイクル!
       コルヌコピア・豊穣の角笛を抱えたもので、近くのローマ期のヴィッラのものだろうと。
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       内庭に面した教会脇扉には、素晴らしいロンゴバルドの彫りの施された扉飾りが
       あるようなのですが、今回も見られずで、

       こちら側のは片面の柱と、扉上部の飾りのみ。
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       右側の下部分
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       上部、まぐさ石の装飾。 右端に、飾りをかぷっと咥える動物がいて・・!
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       鐘楼。 かって鐘楼は教会と離れていたというのですが、
       増設され、現在は教会本体に食い込んだ形に。
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       鐘楼と教会の壁の角にいる動物、牛かな?
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       1階部分は窓なし、2階と3階には窓が一つ、が3階の方が大きく
       そして4階の窓は2つ窓。 これは重量を減らす意味もあったそう。
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       鐘楼のアーチ部から見つめる動物
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       鐘楼の角から後陣部に
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       鐘楼の東向きの壁には碑がはめ込まれているのでご注目を。




       上部には、この稚拙な聖母子像と天使、左側には動物が上下に2頭
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       左には翼と角を持った動物、しっぽの先が2つに分かれ・・!
       右の壁に見えるのは、頭が欠けたライオン像。
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       鐘楼と後陣の境にいるライオン像と。 頭部が欠け残念ですが、
       見事なたてがみを持ち、ごつい手!!
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       後陣の外に張り出す礼拝堂部分。 内部には祭壇がある小礼拝堂は
       後陣から3つ張り出し、屋根の下の庇支えの動物と柄がそれぞれ見事!
       
       最初の張り出し部の右から左へ
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       後陣の窓、隙間に咲く花。 サルビア種かな?
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       後ろから見る姿、鐘楼と内陣の高い部分と後陣
       そして左に、古い教会の名残部分
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       ここは以前まるで見られなかった古い時代の教会部分ですが、
       ここにも礼拝堂の張り出しがあった様子で、
       古い石組がなんとも良い趣!
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       庇の下にも、稚拙ながら何かの柄があったのが見て取れますね。





       これは後陣の真ん中と左の、礼拝堂の張り出し部分の庇の下の柄
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       この長~い舌を出したあっかんべーが2か所にあり、これが大好き!!
       動物がいると、いかにも中世!という趣になり、
       それがまた怪奇な動物であるほど、痺れます、ははは。





       後陣上部の窓。 ここから、あのなんとも印象的な光が入るのですね。
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       南側からの眺めと
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       鐘楼上部に見えた、鐘2つ!
       これを見るまでは、鐘楼には鐘がないのかと思っておりましたが、あったぁ~!
       これも、アーケード式鐘楼というのでしょうか?
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       東にかけて広がる眺め。 上の写真の右中に見える道を辿って来たのでした。
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       赤いヒナゲシもいくつか咲いていたのですが、金網があって。
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       突如と響く大型バイクの爆音! 
       こういうのはまるでこの場所に似合わないと思うのですが、
       しばらく後、立ち去って行きました、やれやれ。
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       道脇の花を眺めながら
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       漸くに射してきた陽に映える修道院を眺めながら、shinkaiは戻ります。       
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     *****

       あれこれモンタルチーノからのバス便を調べましたが、やはり見つかりません。

       ですが、シエナからの半日ツァー、モンタルチーノの町とサンタンティモ修道院訪問
       ワインの試飲込みで38エウロ というのが見つかりました。
       イタリア語のみのサイトですが、お試しになりたい方こちらから。
       


       と、今まで修道院に住み祈りの生活と共に管理人でもあったフランス人修道僧たちが
       36年間の共同生活体の後、南フランスはアヴィニョンの近くの修道院に戻る、
       という2015年のニュースを、バス便を探していて見つけました。

       詳しくは原因が出てきませんが、どうやらイタリアの文化財保護管理事務所との関係、
       フランス側の母体派の問題もあるようで、2015年11月に立ち去り・・

       というのでその後の経過を探しましたら、

       その後はモンテ・オリヴェート・マッジョーレのベネデッティーノ派修道院
       引き継ぐ事になり、2016年の1月から2人の僧侶が移殖することになったと。

       我ら凡人から見ると、平穏な祈りの生活に明け暮れているように思われる
       修道院生活、僧侶たちの日常ですが、
       今回はこんなニュースを見つけフ~ムと思い、
       まぁ、後継ぎが見つかって良かった、と思った事でした。

       という事で、これから行かれても大丈夫、
       サンタンティモ修道院は、12世紀間の歴史を紡ぎ続けている事でしょう




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-14 23:31 | ・トスカーナ Toscana | Comments(6)
2017年 04月 09日

   ・・・ 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 (写真追加)・・・

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       ヘミングウェイの「武器よさらば」は皆さんよくご存じと思います。
       あの簡潔なヘミングウェイの文体も素晴らしいですし、
       映画にもなっていますので、そちらからもご存知かと。

       第一次大戦のイタリアの戦場で脚を負傷し、ミラノの病院で手術。
       その病院で知り合った看護婦と恋に落ち、脱走し、
       マッジョーレ湖をボートを漕いでスイスに逃れ、
       そこで彼女は出産するも子供共に亡くなる、という粗筋。

       これはヘミングウェイのイタリアでの戦争体験が元に、というのも有名ですが、

       4年前の春、「ヘミングウェイのヴェネトでの足跡」を巡るツァーがあり参加。
       漸くにその時の写真を整理しましたので、へへ、ご覧ください。

       上はイタリア軍の軍服を着たヘミングウェイ、19歳(18歳)




       
       当日最初に行きましたのが、トゥレヴィーゾ南にあるカジエール・Casierという
       コムーネに付属のドッソン・Dossonという町。
       そこにあるヴィッラ・デ・レアーリ・Villa de Reali、17世紀。
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       おっちょこちょいのshinkaiはバスから降り標識を見て、えっ、レアーレ?!
       (王室の?!)かと驚いたのですが、

       いいえの、デ・レアーリ・de Realiという姓のジュゼッペ・マリーア、著名な政治家が、
       もともとはベネデッティーノ派の修道院だったのを改装してあったこのヴィッラを購入。
       その後、その息子のアントーニオ、上院議員、が大きく再建築し、
       13平米の庭を整備したものなんだそう。





       母屋の主体はこんな感じで
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       庭の奥隅に礼拝堂も見えます
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       ウィキペディアから拝借の写真で、礼拝堂の正面と建物の様子を。
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       翼側の建物
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       広大な庭園。 
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       ですが、どうも良く分からないまま、何となしに奥の方に行きそびれ、





       ちょっとした考古学博物館式になっているロッジャの下なぞや、
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       開いている窓から部屋の中を覗いたり・・!
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       この日ガイドしてくださった方は、地方歴史家というのか、
       第一次大戦におけるヴェネトの激戦地についてや、
       今回のヘミングウェイの足跡についての研究家の様子で、

       つまりこのヴィッラは特別ヘミングウェイに関係があるというのではなく、
       戦時中にこのヴィッラは兵隊の駐屯地にもなっていた様子で、
       その時に、彼もここに来て野営した、という関係だった様子・・!

       はぁ、まぁ、ヘミングウェイついでにヴィッラ拝見、とでも。





       漸くにヴィッラの中に入れ、お部屋を見れました
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       古い貴族のお屋敷を拝見に上がると、大抵懐かしい趣の写真があり
       そんなのを見るのが好きですが、今回も美人さんがおられ、
       懐かしいジョヴァンニ・パオロ2世教皇のお顔も!
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      ★ 写真追加 ◆  
       美人さんの写真、と書きながら、へへへ、肝心なのをアップし損なっておりました!

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       で、この女性なのかどうか・・、たぶん写真の撮り方から違うとは思うのですが、
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       デ・レアーリ家の最後の後継者テレーザが、1900年に侯爵ジュゼッペ・ディ・カノッサ・
       Giuseppe di Canossaと結婚し、
       1937年からこのお屋敷はカノッサ家の財産になっているのだそうで、
       現在の所有者は
       グアリエンティーナ・グアリエンティ・ディ・カノッサ・Guarientina Guarienti di Canossa.

       カノッサって、あのカノッサ?! と思われた方、
       はい、左様でございます。 
       あのカノッサ、10世紀からの貴族の家系、トスカーナ辺境伯、マティルデ女伯の下で
       「カノッサの屈辱」事件もあった、あのカノッサ家ですが、
       現在の上の麗々しいお名前の方はどの分枝の方か、存じませんです。


       「モンテクリスト伯」に、カヴァルカンティ・ディ・カヴァルカンティという
       イタリア貴族の騙りが登場しましたっけ、ぷっぷ。
        




       これは美しいお部屋でしょう?
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       でも、この小部屋の感じの方が好きだなぁ・・!
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       これは門扉の所にあった標識で、
       ほらね、「グアリエンティ・ディ・カノッサ」が見えるでしょ?!
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       見送って下さる管理人の方で、掌に入るほどのチビわんこを抱いて、
       やれやれ、野蛮人どもが帰るわい、という所、ははは。
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       我らはそれからバスで少し走り、地図で見ると多分シーレ河・Sileと思うのですが、
       その川岸を歩きながら、ガイドさんの説明を。
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       ですが、川岸の細い道でグループ全体が細い列になっていますから、
       ガイドさんの声はまるで通らず、後ろから付いていく我ら不良どもは、ははは、
       好きなように写真を撮って、時間の過ぎるのを待つばかり。
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       多分、このあたりにも若きヘミングウェイが出没したのでしょうが・・!


       そう、「若きヘミングウェイ」、本当に若かったのです!
       
       1899年7月21日、現在のシカゴ生まれ。 父親は医者、母親は元オペラ歌手志望。
       小学校へはあまり熱意なく通ったものの、ハイスクールで彼が文学に向いていることを
       発見した良き教師2人に出会い、彼らに励まされ、初めて学校新聞に発表。

       1917年卒業後大学には行かず、カンサス・シティでモダンで斬新、公平な記事を
       特徴とした地方紙「カンサス・シティ・スター」で働き始めるものの、
       
       この年4月6日にアメリカは第一次大戦に参戦、ヘミングウェイも仕事を捨て
       ヨーロッパでの戦いに志願するものの、視力の問題から、赤十字の救急車の運転手として
       イタリアへの派遣が決まり、
       2週間の教練と10日間のニューヨーク滞在の後、1918年5月23日ボルドー行きに乗船、
       5月29日上陸、ヘミングウェイ18歳!

       当時アメリカ側から参戦志願した若者たち、大学生の中には、
       ウィリアム・フォークナーやフランシス・スコット・フィッジェラルドなどもいたそうで。

       5月31日パリに。 ドイツの大砲により被害を受けた街並みを見た後、汽車でミラノに。
       何日かを緊急隊で働き、この時に近郊で、空爆を受けたくさんの女性工員が
       死んだ工場を見、彼にはこれが最初に直接に見た戦争での死者だったそう。

       そこからヴィチェンツァに、国際赤十字アメリカ部門のスキーオに配置されたものの、
       もっと戦争貢献と自分の記述のためを考え、短期間ながらもゴリーツィア、
       トリエステ近くのまさに最前線にも。

       が彼の所属していた部門はかなり平穏だったため、もっと実際の戦場に近い場所への
       配置転換を願い、こうしてピアーヴェ河の下流にある、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ・
       Fossalta di Piaveの近く、塹壕の補助員として配置に。



       地図をどうぞ
       左下に見えるカジエール・Casierの上に小さな赤点がついているのが、
       最初に見て頂いたヴィッラで、その次の川沿いの風景はその東を流れるシーレ河と。
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       東側を流れるのがピアーヴェ河で、この河を挟んで北から南、ずっと大激戦地で、
       上に見えるファガレ・Fagaréには、第一次大戦の戦死者の廟があり、

       地図には見えませんが、ピアーヴェ河を北に遡ったネルヴェーザ・デッラ・バッターリア・
       Nervesa della Battglia、我が町コネリアーノの西に位置するここには、
       もっと大きな戦没者の慰霊廟が。
       
       で、ヘミングウェイが負傷したのがフォッサルタ・ディ・ピアーヴェ
       右下に囲った、ピアーヴェ河が蛇行している所。





       バスに乗り、こんな菜の花畑を見ながら進み
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       ファガレの戦没者慰霊廟に
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       ここに葬られているのは、イタリア兵5191名、これは姓名が分かっている方で、
       身元不明の死者5350名、アメリカ兵1名、オーストリア兵1名と。
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       この部屋は下段に遺留品の展示もありますが、同じ形の部屋内全面に
       四角い廟という部屋が殆ど。
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       管理の方から、なんとも物凄い話もお聞きしたのですが、これはパス。





       そして、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ。 この一帯が大激戦地だったのですね。
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       途中で戦時中に破壊された教会、現在はきちんと修復されておりますが、
       その前にあったヘミングウェイの写真
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       下に見える説明には、
       一般にはヴォランティアには軍服とか火器は許されないが、
       ここではベルサリエーレの自転車に乗り、銃も付けているし、ポケットに手りゅう弾も。
       だから、たぶんフォッサルタでは小さな戦闘にも参加したのであろうと。
       こういうのは、どこでも行われていたと。





       金属板の碑にあったこの一帯の地図
       ちょうど真ん中、ピアーヴェが湾曲している部分が彼が負傷した場所で、
       その下に橋が架かり、教会も見えますが、
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       橋はこれ。 多分私設の橋なのでしょう、渡り賃を取る料金所が真ん中に。
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       ポー河の下流で一度船を繋いだ橋を渡ったことがあり、やはり料金所があったのですが、
       知らずでそのまます~っと渡ってしまった経験が! ははは。






       土手にこんな鋼鉄の碑
         この土手で、アーネスト・ヘミングウェイ、アメリカ赤十字のヴォランティアが、
         1918年7月8日の夜負傷した。
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       土手から見るピアーヴェ河の湾曲部
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       皆土手を下りて岸辺に近づきますが、上から見つめる18歳のヘミングウェイ
       La guerra di Hemingway・ヘミングウェイの戦争
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       ピアーヴェ河、湾曲部の地図。 濃い赤色の線が塹壕で、
       16の番号のある位置が、彼が負傷した場所。
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       ちょうどあの砂場が見えるあたりでしょうか
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       1915年5月24日から始まったイタリアの第一次大戦。
       1917年の10月頃までは外部にあったこの一帯が、
       イタリア軍が現在のスロヴェニアのコバリード、カポレットの戦い(10月24日から11月9日)で
       惨敗し退却した事から、ピアーヴェ河を挟んでオーストリア軍と対戦することになり、
       一転して最前線となったというのですね。

       「武器よさらば」にも描かれているカポレットの惨敗、退却は大変酷かったようで、
       shinkaiも現在のコバリードに行き、博物館も見学しましたが、なんとも・・!!
       負けが込んでいたオーストリア軍がドイツ軍に応援を求め、ついにドイツ軍が参加、
       毒ガスを用いたのも勝利につながったというのですが、
       博物館で見た写真には、ものすごいのもありました・・。

      
       そして1918年の夏、6月15日から23日にかけ、必死の反撃を掛けたオーストリア軍が
       ピアーヴェ河を渡ることに成功し、フォッサルタの村は全破壊の状態にされたと。
       家から家、1mそして1m、という記述があったことからご想像を!

       そして1918年7月8日の真夜中を過ぎた頃、ブーゾ・ブラート・Buso Burato
       呼ばれたこの湾曲部で、
       オーストリア軍の手りゅう弾がヘミングウェイの近くで爆発、
       または迫撃砲が着弾し、それで手りゅう弾が爆発とも、
       
       近くのイタリア兵一人が死亡、ヘミングウェイも負傷するものの、
       もう一人の負傷したイタリア兵を敵弾の届かない場所まで背負って救助し、
       その後敵の機関銃弾が右足に当たり膝もやられますが、這いずりながら自分も助かり、

       ミラノの軍病院に運ばれ、12回にわたる手術を受け、227に及ぶ破片が取り出されたと!





       これはヘミングウェイが被っていた帽子と身分証? ウィキペディアから拝借。
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       昔読んだ本の解説などでは、第一次大戦に従軍記者として参加、なんぞと
       書かれていたと記憶しますが、
       アメリカ赤十字に所属する救急隊員の補助で、毎日のように塹壕をめぐり、
       兵士達にタバコとかチョコレートとかの援助物資を配る、という事だった様子。

       彼は、自分が負傷しながらもイタリア兵を救助した、という事で、
       イタリア国から軍の銀メダルを、自国アメリカからも戦争十字を授かったと。





       「武器よさらば」に登場するイギリス人看護婦キャサリンとのロマンスですが、

       こちら、ドイツ系アメリカ人アグネス・フォン・クロウスキー・Agnes von Kurowsky
       ミラノのアメリカ軍病院入院中のロマンスの相手だったようで、彼より8歳年上の女性。
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       彼にとってはかなり真剣な恋だったようですが、何せまだ若い19歳。
       儚い3か月間のロマンスと入院が過ぎ、

       彼は一旦バッサーノ・デル・グラッパの戦場に戻りますが、部隊が動員解除となり、 
       近い将来の結婚約束を語りながら、翌年1919年1月21日にアメリカに戻りますが、
       3月、アグネスからイタリア人将校と婚約したことを告げる手紙が。





       アメリカに戻った彼は新聞記者をしながら書き始め、1926年「日はまた昇る」を。

       そして1929年にイタリア戦線での経験を盛り込んだ「武器よさらば」
       現在のモンダドーリ版の表紙には、入院中のヘミングウェイの笑顔が。
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       カポレットのイタリア軍の惨敗、退却、そして脱走が描かれている内容から、
       第一次大戦後のファッシスト党ムッソリーニ政権下のイタリアでは
       出版が1945年まで禁止されていたそうで、

       ヘミングウェイの翻訳で有名なフェルナンダ・ピヴァーノ・Fernanda Pivanoにより、
       すでに1943年に秘密のうちに翻訳されていたものの、彼女はその為に逮捕も。

       
       その後ヘミングウェイはスペインの人民戦争にも参加し、「誰がために鐘はなる」
       そして「老人と海」も。 1954年にはノーベル文学賞受賞


       重傷を負ったフォッサルタ・ディ・ピアーヴェを後年ヘミングウェイは再訪し、
       1950年に「川を渡って木立の中に」に当時の様子を描いているそうですが、
       これは読んでおりません。

       
       切れの良い簡潔な文章で語るストーリーは、アメリカの古典と称えられるそうですが、
       私は若い頃に熱中した上記の作品よりも、「海流の中の島々」が好き。
       自分が年を取ってから読んだことにも因るのかもしれませんが、
       なんとも心に染み入る優しさにあふれた作品と。       
       べたつかない、乾いた人間の感情、優しさが心地良いです。





       ガイドをして下さった歴史家は、フォッサルタの後まだ案内したい場所があったようですが、
       我らは内容の重さに少々疲れ、日も暮れかけるので早く家に帰りたく、
       バスの中で採決しましたら、まだ行きたい挙手は2~3名で、ははは、

       夕暮れ近い川を渡り
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       落日近い平野を走り
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       すでに暗くなったコネリアーノに戻った、「ヘミングウェイの古戦場巡り」でした




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-09 23:47 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 04月 04日

   ・・・ ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 (追記)・・・

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       ここの所春めいた陽射しの日が続いているこちら北イタリア、ヴェネトです。

       日曜にヴェネツィア・メストレに出かけるので、家に戻る前ついでに
       以前から気にかかっていた「ティツィアーノの家」、
       近くのコッレ・ウンベルト辺りにあるらしい家を探してみようと思いつき、
       土曜の夜調べましたら、何と近い! では!! と寄り道し見つけました。

       今回はそのご報告と、ヴェネトの春の野ののどけさを!

   
       上は日曜の朝歩いた時に見た満開の八重桜と、藤の咲きかけ
       陽が昇った後じきの色です。





       さて、「ティツィアーノの家」と呼ばれるものですが、ウィキのイタリア版で
       見る写真はこれで、赤い矢印がついている家。
       背後の山並みから見て、これは南側から撮ったもの。
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       「ティツィアーノ・Tiziano」という名前だけで通じる16世紀のイタリアの大画家、

       学び、工房と家を持っていたヴェネツィアが彼の本拠地だったわけですが、
       ここ、ちょうどヴェネツィアとカドーレの中間に当たるカステッロ・ローガンツゥオーロ
       Castello Roganzuoloにも家を持ち
       旅の行き戻りに寄り、気候温暖なこの地で保養していた、というのですね。

       がその後に知った事は、この家はカステッロ・ローガンツゥオーロの教会の祭壇画を描き
       その支払の一部として受け取った、というので、
       支払いの一部?! 家を?!と驚き、尚の事、どこにあるのか興味を持っていたのでした。





       家は、現在の持ち主から「ヴィッラ・ファブリス・Villa Fabris」と呼ばれており、
       グーグル地図で検索しましたら、何の事はない、簡単に即見つかりまして、       
       我が家(Casa)から車で8分! 歩いても行ける位置!
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       地図の右下、カステッロ・ローガンツゥオーロと赤線で囲った上に打った赤点
       ここにティツィアーノが祭壇画を描いたという教会


       コッレ・ウンベルトへの道を途中で曲がって、それから・・、と頭に入れ、
       木々や丘で隠れていないと良いけれど・・と願いつつ、出かけました。





       心配することは何もなく、田舎道をゆるゆると進むうち
       進行方向右の丘の上に、あっ、あれだ!と見つかり、
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       間の木々が邪魔ですが、今はまだ殆ど枯れ木ですので、良く見えます。





       同じ丘の上に並ぶ大きな農家もこんなふうに見え、
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       周囲は春爛漫という感じで、花が咲き乱れ
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       道を挟んでの向こう側の葡萄畑の畝の間は、タンポポが満開!
       まさに春は黄色から!  
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       立木の上に見える泥棒カササギの巣。 
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       立木越しの姿以外には近寄る方法は無さそう、また出直してもよいかと
       車に戻り、ほんの100~150m程行った所にちょうどこのスペースが有り、
       そこから奥、畑の脇を通れそうな感じ・・! 
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       立っていた表示によると、この辺りはハイキングコースとしても利用され、
       11km~12kmのコースでの水車があるとか、有名なヴィッラがあるとかが
       示されていて、   
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       立木の隙間から見る、辿ってきた道。 のどかな風景でしょう?!
       右奥の大きな農家も、窓の作りなどから見て、古いかなりの農家。
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       ちょうど道のカーヴの所に白い標識が見えますね。
       あそこまでがコッレ・ウンベルトになり、今このshinkaiのいる場所はカステッロ・ローガンツゥオーロ。
       そして車を止めた道脇のすぐ先10mほどには、サン・フィオール・San Fiorと
       お隣のコムーネの標識が見えましたから、
       
       このティツィアーノの家のある丘 コル・ディ・マンツァ・Col di Manzaは、
       コッレ・ウンベルトとサン・フィオールの隙間に細長く飛び出している位置なのですね。





       道の左側にも、古い農家が細長く続くのが見え、
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       しめしめ、ここからだとよく見える、と目指すヴィッラを目指し進みます。
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       同じ丘の並びの大きな農家もこの位置で見え
       傾斜地には葡萄畑と、手前は麦畑。  
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       かなり歩いて、建物全部が見える奥まで入り込み
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       左の大きなのが、きっと最初に建てられたティツィアーノの家・ヴィッラで、
       右に続くのは後からの建て増し部分かも。
       一番右に離れて見えるのが、家の礼拝堂部分だそう。
       持ち主が変わり、内部も少し改装されているそう。 

       どの窓も皆閉じられていて、右に見える入り口の張り出し屋根の上に一つだけ
       明り取りに細く開けられた鎧戸が見えるのみで、

       こういう感じではいくら厚かましくとも、丘を上る気にはなれませんね。
       まして、公開されているヴィッラではありませんので・・。    
    
       まぁ、長年気にかかっていたティツィアーノの家が見つかった、というので納得



       上記した教会の祭壇画の支払いの一部としてこの家を、という事については、
       近年研究が進んで分った事だそうで、詳細が見つかりましたので、ご説明を。

       ティツィアーノの画料は大変高かった、というのはあちこちから知っておりましたが、
       このカステッロ・ローガンツゥオーロの教会から依頼された
       祭壇画の画料は200ドゥカート

       これが現在においてどの程度の価値になるのか、ご存知の方ぜひお教えくださいませ!!
       あれこれ探しては見ましたが分らずで、
       他の絵の画料についてでも宜しいので、教えていただけると有難いです!

     ◆ 追記 ◆

       シニョレッリさんがコメントで教えて下さいました。
       1ドゥカートは約10万円と考えてよかろう、との事ですので、
       200ドゥカートだと、約2千万円ほどですか。      
       なるほど、これだと「ヴィッラと土地」+アルファ、が成り立ちますね。
       シニョレッリさん、有難うございました!

     *****

       祭壇画は1543年に注文され、6年後の1549年に納入されたのですが、
       これはティツィアーノが64歳の時で、数々の名作ですでにイタリアのみならず
       国際的にも名を成した画家が、
       ちょうどこの1543年に、この一帯から2枚の注文を受けていまして、


       カステッロ・ローガンツゥオーロよりも遅く1552,3年に納入された、
       ヴィットリオ・ヴェネトの北側セッラヴァッレ・Serravalleのドゥオーモの大祭壇画 
       456x270cm、こちらです。
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       ティツィアーノがこれら2件の絵画注文を受けた理由として、3点考えられるそうで、

       セッラヴァッレのサルチネッリ家、コネリアーノにもサルチネッリ家の邸宅があり、
       現在は市の絵画展の催しに使われている邸宅で、お金持ちの一族。
       
       で、このセッラヴァッレのサルチネッリ家・Sarcinelliに、
       ティツィアーノの愛娘ラヴィーニア・Laviniaが嫁いでおり、
       ここカステッロ・ローガンツゥオーロからだとほんの数キロの距離で、
       会いに行けるという理由、

       そしてヴェネツィアと生地カドーレとのちょうど中間地点、気候温暖
       風光明媚のこの地に家を持ち、ここを基地にしようとした、という理由。

       基地というのは、画家ティツィアーノはここで保養しながら、

       その片割れの実業家ティツィアーノ、また彼の一族ヴェチェッリオの事業の
       中心管理事務所としての基地なのですね。

       すでに生地ピエーヴェ・ディ・カドーレから南に下ってきた所に一族が持つ製材所が2軒
       ここでの木材をヴェネツィアに運び販売するための管理。

       そしてこのカステル・ローガンツォーロの農製品、穀類、ワインの自家消費以外を
       ヴェネツィアで販売する事、などなど。



       どうやら最初の契約では祭壇画の画料として、土地と家を、という事の様だったのですが、
       かなり大雑把だったのを、ティツィアーノにうまくやられたのではないかと・・!

       1554年8月に祭壇画が納入された後、9月にも分割金を受け取っておらず、
       1556年になって教会の管理者との支払いについての話し合いが漸くにつき、
       今後8年間に渡って支払う事、という物品明細があり、

       ・1スターロ・staro値8リーレの、穀物を5スターロ    =416,585リットル
       ・1コンツゥオーリ.conzuoli値55リーレの、ワインを16コンツゥオーリ   =1248リットル
       ・建築のための資材をフレゴーナ・近くの石材のある場所から運ぶのに
        工人一日の賃金を4ソルドとして、各人に支払う事
       
       とあり、最後にティツィアーノへの支払額が26リーレ不足となり、支払われたと・・!!


       上記したスターロ、コンツゥオーロというのはいずれも計量の分量基準で、
       ローマ期からのものだそうですが、
       スターロは町によって基準がどんどん変わり、ヴェネツィアでは83,317リットル、
       コンツゥオーロは約78リットルだそうで、 

       shinkaiめが計算機をたたいて出た数字が、上の=で、これを8年分です!!

       8年間というのは、ヴィッラ建設を8年間で、という事からの様ですが、

       それにしても、本当に、計算に強い!という気がしません?!
       まさに偉大な画家でもありますが、頭の働きは実業家なのですね。

       こうして彼はこの後24年間を安楽に生き、86歳で亡くなります。
       
       



       丘の上のに広がる林、そして空と雲
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       大快晴の日のちょうどお昼時、逆光でコンパクト・カメラのディスプレイでは 
       何がどれくらい写っているのかも確認できないほど・・!

       う~ん、この雲はティツィアーノというよりは、ゴッホだなぁと、ははは。





       畑の右向こう、葡萄畑越しに遥かに見えるオリアーノ村の教会と鐘楼
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       その右の奥には、はるかフォルメニーガの教会も。
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       さて戻ろうかと振り返る畑の脇道、と言っても麦が植わっていない、という事でして・・!
       立木にも新緑の芽吹きの色が見え。
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       来る時は殆どヴィッラばかりを眺めて入り込んで来たのですが、
       戻りは足元も見つつで、

       たくさん土筆もあるのに気が付き! 日本のよりもずっと大きいのですよ
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       後ろに濃いめの色で見えるのは、立木の向こうの溝で、湧き水が流れているのですね。
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       これはなんという花でしたっけ?
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       葡萄畑の畝の先頭に、勢い良く新芽が伸びる薔薇の株
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       葡萄畑の薔薇の木は、何も美的要素のためではありませんで、
       葡萄の木とよく性質が似ているので、葡萄の病気の早期発見に役立つのだそう。





       可愛い新芽が出てきていて
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       葡萄の新芽を見ると、こちらも何となしに微笑みそうな可愛さ!





       辿ってきた道をもう一度
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       そして、タンポポの黄色、木々の新芽の色
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       道がどこに出るのか分かっているのでそのまま進み、

       道幅が広くなった所で見つけたこの古い家
       奥には大きな新しい家が2棟あるのですが、これは前庭に。
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       下の写真が入口側で、
       




       脇には、藤が咲きかけ
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       そしてこの道の名は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ通り
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       気候温暖なこの一帯、道脇にはオリーヴの畑
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       スコミーゴ村の上り坂の前まで戻ってきて、
       満開の白い花と、広がる葡萄畑
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       家に戻ってきて後、ヴィッラ・ファブリスへの接近方法を再検討、はは。
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       グーグルの衛星写真で、shinkaiが近づいた北東側は、ここでは家の裏側、
       やはり表側、南側には車寄せの前庭もあり、
       左に伸びる並木道が、一般道からヴィッラへの長い並木道で、
       他にはヴィッラへの接続道はないので、やはり近寄るのはちょっとなぁ、との結論。





       所で、肝心のティツィアーノが描いた祭壇画ですが、これです。
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       最初見た時、えっ、何、これ?! と驚いたのですが、
       理由を知り、納得もいきましたので、ご説明を。

       聖母子と、左にサン・ピエトロ、右にサン・パオロ
       画布の大きさは、両聖人が190x57,190x70cm、聖母子が240x80cm。

       祭壇画は注文を受けた6年後の1543年に納められた後ずっと教会にあった訳ですが、

       サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会と知り、教会は知っているけど絵は見てないよね、と
       少し泡を喰って以前の教会内のブログ記事を見直したほどですが、ははは。

       第一次大戦の勃発で、当時の教会の司祭殿がオーストリア軍に奪われては大変と、
       画布を教会の天井の下に隠したのだそう。

       司祭は尋問を受け逮捕もされたのだそうですが、隠し場所は発見されず、無事!

       そして戦争が終わり、無事だった絵も天井下から運び出されたのですが、
       なんと湿気のため、絵の具も剥げ落ちた酷い状態になっており、
       修復しても取り戻せないほどの落剝ぶり!!

       で現在は教会にはなく、ヴィットリオ・ヴェネトのディオチェザーノ聖美術博物館に

       何とかオーストリア軍の没収を逃れようと隠したものの、
       こういう結末になるとは!!

       本当に残念ながら、ティツィアーノらしい切れ味がまるで見られず、
       ぬるっとした肌合いの、そこらの地方画家の絵の出来具合の様で、本当に残念!
       最初はヴィットリオ・ヴェネト(チェーネダ)に見に行こうと思ったのでしたが、
       これでは見に行くほどの魅力を感じませんで・・、失礼。
       
       あれほどの高価な祭壇画でしたのに、勿体無いというか、逆に可笑しくもあり・・!
       兵どもが夢のあと、という言葉も思い出されたりして・・。




       ということで気分を変え、
       最後はお口直しに、イタリアの白い桜をどうぞ!
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-04 23:22 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)