2017年 04月 22日

   ・・・ 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 ・・・

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       1週間前の快晴の午後のひと時、近くのカッペッラ・マッジョーレ・Cappella Maggiore
       の町外れにある「ロンゴバルド教会」の見学会があり、出かけてきました。

       この教会があるのは既に20年ほど前から知っていましたが、
       殆ど放置された状態で閉まっていて内部が見れずで、
       今回参加しているグループの見学があるというので喜んで!

       ロンゴバルド時代の教会というと、この近くではフリウリ州の
       チヴィダーレの教会がとても美しくて有名ですし、期待したのでした。
       




       カッペッラ・マッジョーレの町の中心はこんな感じですが、位置が少し高く、
       ここから更に奥の高台の田舎に至る上り口、という感じの小さな町で、
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       訪問した教会は、左下に伸びる道を行き、坂を下った平野部にあり、





       車で動くようになってからは余り通らない道なので、
       すっかり整備修復されていたのも初めて知り!
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       これはトップで見て頂いた道端の標識を入ってきての、南側からの眺めで、
       教会周囲もきちんと整備され、洗われた壁の白さがとても美しく。
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       扉は正面と脇に2か所、窓も正面扉上に一つ、南側壁に2つ、
       張り出した小さな聖具室部に一つ、そしてこの写真では見えないのですが、
       内陣部の南側に一つありますが、
       建物の東側、北側には一つもありません。





       脇扉の上に TRINO ET UNI と彫り込みが見えますが、三位一体の事で、
       この教会が奉納された正式名「サンティッシマ・トゥリニタ・Santissima Trinità
       を示します。
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       最初に出た「ロンゴバルド教会」の名が一般に知られている名前だと思うのですが、
       その他にも「マッタレッラ教会・Mattarella」とも呼ばれているようで、
       マッタレッラというのは、この土地の古い持ち主の名前から来ているのだそう。





       教会前にあった掲示板の写真で、一番上の平面図に見える
       白い線が現在の教会の形で、緑の線がロンゴバルドの時代にあった小さな教会
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       つまり8世紀から9世紀建設とみられる古い小さな教会を内に含み、
       14~15世紀に大きく拡張されたのが現在の教会、という訳。

       ピンクの線は壁画のある部分で、南に張り出している聖具室部分は17世紀のもので、
       教会上に見える小さな鐘楼もどうやらその時のものの様子。





       皆がぼちぼちと車に分乗して集まって来、神父さんが来られ扉を開けて下さり、
       最初に扉の中に頭を突っ込み覗いたshinkaiが見たのがこれ!
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       もちろん神父さんに「写真を撮っても良いですか?」と尋ね、OKを頂いておりますです。

       正面の「最後の晩餐図」の左脇、上、そして右にも少し見える石の跡
       これがロンゴバルド時代の小さな教会跡の壁なのです。
       きっと高さも低かった事でしょう!





       この壁画は蛮族-ビザンティン様式11世紀のもので、6x3mの大きさというので、
       最初の教会の大きさがそれで分かりますね。
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       銀貨の入った袋を握ったユダはテーブルのこちら側に小さく光輪なしで、
       キリストにべったりと寄りかかる使徒ヨハネ、その肩越しにユダにパンを与えるキリスト。
      
       長いテーブルの上にはワインもパンも、木の実のような小さい丸いもの、
       果物なのかな、細長いものも見えますね。
 
      
       上に「蛮族-ビザンティン様式・barbarico-bizantino」と書きましたが、
       ここで蛮族というのは北から来た民であるロンゴバルド族を指します。
       
       イタリア語では北からの侵入民族をバールバロ・barbaroと言いますが、
       その語源はというと、何をバルバルしゃべっているのか分からない、から来ているという説明が、
       昔大いに勉強になった小学生向け図鑑に書いてあったのを思い出しましたぁ!
       ほら、日本語で、ベラベラしゃべりやがって、というのと同じでしょう、ははは。





       皆が入り込まないうちにと、大急ぎで撮っていきますが、
       上の「最後の晩餐図」以外は、時代が下り15世紀のもので、
       画家の名も判明、というのは、殆ど絵の下に書き入れがあるのです。
       
       隣の「ザクロの聖母子像」 アントネッロ・ダ・セッラヴァッレ作
       近くのヴィットリオ・ヴェネトの画家で、左の聖母子の足元に膝まづくのが寄進者と。
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       いつもこういう訪問の際のガイド役、ソリゴン・Soligonというグループの講師・元学校の先生が到着し、
       皆も席に着き説明が始まると、入り口の扉を閉めたため暗くなり、
       それもあって、今回の写真はイマイチよく見えないのをご容赦願います。       
       フレスコ画自体が損傷したり、傍で見ても細部がはっきり見えないのも多いのですが・・。

       全体の様子と、内陣後陣の全体像
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       「磔刑図」はベルガモ出身のアントニオ・ザーゴ・Antonio Zagoの作で、
       他にもう一人アントニオ・グネール?・Gnerという画家の名も。





       正面脇左下には聖母子像と、上に受胎告知の天使像
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       この聖母子像の顔細部が教会のパンフレットに載っていて、これです。
       達者な筆さばきでしょう?
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       同画面の下部にはこんな風な、右に眠る女性の顔半分と、
       白い犬がいて・・、ちょっと判じ物風。
       講師ソリゴンの説明によると、白い犬は彼女の処女性を示す、というのですが・・。
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       上部「受胎告知」の天使。 横割れの衣装から脚を大胆に見せた天使が
       口に百合の花を咥えて、というちょっと変わった構図でして、はは、
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       左脇、下の絵はかなり薄れていますが、上部の「受胎告知」のマリア側
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       聖母は謙虚に描かれているのですが、ここでも左上の天使の目つきとか、
       聖母の右奥の天使の顔もちょっと変わっており、
       聖母の左の戸棚の中も、いかにも家庭の中の戸棚の静物画の様で、ははは。
       画家の名がはっきりしませんが、面白いセンスを持っていると・・。





       後陣の「磔刑図」上部、キリストの顔ははっきりしませんが、
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       右の男はこんな風に描かれているのを、サイトで見つけました。
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       背景が壁になっている構図も初めて見ましたし、壁の上の三角風の飾り、
       これはヴェネツィアの大運河、リアルト橋横の新装なった元のドイツ商館の屋根飾りと同じ。 





       左下には心痛で気を失いかける聖母が抱えられており、  
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       右下のこの人物たち、これが良く分かりません。
       お分かりの方、お教えください! 
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       「磔刑図」を見ていて、中央のキリストは槍で心臓を突かれ、手足も釘付けですが、
       左右の二人は腕を横木に縛られ、脚も縛られた状態で、脚に傷を受けています。

       今までこんな風に描き分けられたのを見た記憶がなく、
       この違いは何を意味するのかと、改めて「磔刑」についてちょっと読んでみました。   
       知ったのは、

       磔刑はバビロニア期から行われていた極刑で、
       ローマ期においてローマ市民に適用されたことはなく、
       奴隷や破壊活動者、外国人に対してのみ適用され、
       磔刑の前に行われる鞭打ち、これがまさに酷い拷問であった様子。

       常に十字の形でなく、一本の木でも、逆さまVでも行われたようで、
       十字の場合、縦の木はすでに建てられており、横木を受刑者が運ばされたのだそう。

       脚に見える傷については、いつも、こん棒か槌で折られたのだそうで、
       つまり磔刑の目的は、長いゆっくりの死の苦しみの後に、貧血、肋骨の圧縮による窒息、
       または心臓の血液循環の滞り、虚脱による死、なのだそう。 恐ろしい事!!

       キケロは磔刑について、一番残酷な体刑であり、一番陰鬱なもの、と。
       




       内陣の天井図
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       内陣、北側の壁、上部。 これはアントニオ・ザーゴ作。
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       アーチ部の飾り画
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       というような、ロンゴバルド教会の、どこかちょっと違った教会なのかと出かけたのですが、
       教会自体は後の時代に改装されたもので、内部のフレスコ画も後世のものでした。
   
       が、一風変わったフレスコ画で、修復されて見やすくなっており、
       色も鮮やかで素朴で、なかなか良いと満足でした。

       1936年にこの一帯に地震があり、今残っているフレスコ画はこの地震で
       助かったものだそうで、案外教会全部がフレスコ画で埋まっていたのかも、ですね。

       神父さんが仰ったのは、ここは博物館ではなく、毎週金曜日には
       ミサが行われる教会ですので、お出かけください、との事でした。



       
       所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
       そうです、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、
       解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


       この一帯の地図をどうぞ
       薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
       見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、
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       北東にサルメデ・Sarmede 毎年国際絵本原画の展覧会のある場所 
       北西にヴィットリオ・ヴェネト  http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
       南に我が村スコミーゴ 星のついている所に我が家   http://italiashio.exblog.jp/i12/
       そしてオリアーノ・Ogliano  http://italiashio.exblog.jp/23811624/
       一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ   http://italiashio.exblog.jp/9036585/






       オリアーノの教会前から撮ったカステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼
       小高い丘の上に、こんなぐうに張り出した形であり、       
       ここからだと、例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。
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       カステッロ・ローガンツゥオーロの教会前の庭から見る、
       こちらがオリアーノの教会と丘
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       午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





       高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
       新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります
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       で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
       ティツィアーノの家が見当たらず・・!

       で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
       おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

       北向きの、この風景の、右の大きな一群の建物
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       これですね、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが
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       その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
       ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!

       つまり、手前の長い屋根の奥に見える茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのが
       ティツィアーノの家なんだそう!
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       いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係の組合とかなんとかの
       建物なんだそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





       たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場で見かけましたが、
       それの片づけでまだ教会が開いており、
       我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

       幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
       例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
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       左に見える礼拝堂の絵が見える部分にティツィアーノの祭壇画が。





       これです。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある修復画ではなく
       この近くの画家が描いた修復画を基にしたコピーで、
       額はこれがオリジナルなんだそう。
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       サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元
       肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。
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       右のサン・パオロ像の方は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
       写真では見えたのですが、こうしてみると、
       ティツィアーノが男を描くときの鋭さは見えず・・!
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       丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
       聖パオロが剣を持った姿で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭い方で、
       言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





       こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
       これもティツィアーノの作とは見えませんが、質問するのを忘れまして・・、
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       これが上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
       復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。
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       この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで読んでおりましたので、
       ああ、これの事かと納得でした。


       ティツィアーノに払ったのは、リンクした記事に書いた契約の物品だけでなく、
       ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

       ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、巻いて天井裏に隠した
       当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、イタリアにある、とだけを答え、
       オーストリアの軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、ないのでまた戻り、
       司祭さんは監獄に入れられたとか、


       そんなにまでして描いてもらった、守った絵が修復しても元に戻らずの状態で、
 
       その間に祭壇のフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も綺麗に
       修復されたりで、

       結局、このフレスコ画の方が良い、という事になって、
       ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
       ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっているのだそう、
       という始末記でしたぁ!





       こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子
       右下に教会があり、左上にティツィアーノの家のヴィッラ・ファブリスがあり、
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       そうですね、確かに教会からだと前をふさぐ形に、大きな建物があることに!

       シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで勝手に近寄れず、
       shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

       リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、何十年も前のもの!
       という事になります、という始末記でした。





       教会前からの長閑で美しい風景をもう一度
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       ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ
       残された絵も今はこんな状態で、
       家も奥に見える大屋根の上に半分だけ見える、
       という・・、歴史の変遷のお話でした

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今週はパスさせて頂きま~す!

       復活祭関連で、お出かけ2回、食事会2回、車の検査と続き、
       本当に久しぶりに絵を描く時間が取れませんでした。
       
       まぁ、たまの息抜き、という事で、明日からまた頑張りま~す。

       絵のブログはこちら



     ◆ お詫びを ◆

       19日にアップしました記事のスタイルが、文字がずっと横長になるという
       見にくい形となり、一旦削除しアップしなおしましたが、
       それでも文字もいつもと形も大きさも違い、
       編集しなおしたものの、てんでんばらばらの見っともない面となりました。

       それまでにも2度エキサイトにヘルプ・メールを入れましたが、
       返事がなく、昨夜再度メールを送りましたが、まだ何も・・!

       気になり今朝方早く起き出して来まして、
       ひょっとしてと気が付いた事を実行し、
       前の記事を削除し、再度アップし直しました。

       何とかうまく行きそうですが、この方法だと頂いたコメントと、
       「いいね」が消えてしまいますが、
       どうぞ、ご了承下さるよう、お願いいたします!!
       



     *****        
       
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# by italiashiho2 | 2017-04-22 12:31 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)