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2017年 02月 19日

   ・・・ 古城ホテルへの滞在はいかが?! ・・・

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       暫く前に、イタリアには一体いくつのお城があるんだろう? と疑問がわき
       検索を掛けましたら、 
       へへ、いくつあると思し召す?
       なんと、全部で3177!!

       この数は城も要塞も含めてのことで、美しいのもそうでないのも、堀のあるもの無いもの、
       城壁に囲まれたもの、古い村の小高い頂上にあるもの、などなどで、

       近年になり、博物館やホテルに様変わりしたのも、また観光客の訪れない土地にあるもの、
       未だその貴族の子孫や、はたまた趣味が高じての方の持ち物となったもの様々ですが、
 
       2007年の調査によると、
       歴史的はたまた高雅な貴族の城や邸宅に住む家族は2404に及ぶそうで・・。

       詳しくお知りになりたい方は www.icastelli.it に、とあり、


       のこのこ訪問したshinkaiは、そこでそのサイトの一つのテーマ、
       本日のトップの写真にある「城に滞在する」というのに出会いました。


       ふ~ん、とあれこれ眺めていて知っている城が見つかったり、わぁ~お!というのがあったりで、
       では皆さんにもほんの少しご案内をと、ここに。

       サイトで紹介されているホテルとなっている城や要塞、塔は、ざっと数えても90以上あり、
       イタリア全土に渡りますので、興味のお有りの方はサイトをご覧頂くと、
       もっと写真も多く、またホテルの直接のサイトにも行けますので、どうぞそちらから。



       今回、とにかく最初に目を惹かれたのが、これ、

       オルシーニの城ホテル ネローラ
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       ローマから北東に50kmほど、車で1時間程の距離にあり
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       ネローラ・Nerolaの村の頂上に君臨するオルシーニ・Orsiniの城
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       詳しい資料は無いのだそうですが、10世紀から11世紀にかけての城と想定され、
       オルシーニ家の物となったのが1235年、塔を嵩上げし、城壁で囲んだ城にしたのだそう。

       オルシーニ家と言うのは、教皇を2名も輩出したほどの古く著名なローマ貴族ですが、
       ブラッチャーノ公爵でもあったフラーヴィオ・Flavio Orsiniの没後1698年は、
       彼の直系は子孫がなく途絶え、分枝であるデッラ・ローヴェレ家のものに。

       その後も持ち主は変わったものの、20世紀になってCA.DI.というのが買い取り修復、
       現在に至っているそう。
       



       こんなプールも有り
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       食堂、レストランというのか、これは結婚式の披露宴会場と
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       ローヤル・スウィートのお部屋!
       上の会場にしろ、この部屋にしろ、何とも石壁の威圧感がすごく・・!
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       こちらはスウィートのお部屋
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       へへへ、シングルのお部屋も見つかりましたが・・!
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       全部で50室あるそうで、
       ホテルのサイトは https://www.icastelli.net/it/castello-orsini-hotel-nerola




       北イタリアはボルツァーノから電車で30分程の、メラーノ・Meranoの山奥にある、

       ホテル・カステル・フラウスブルグ
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       地図をどうぞ
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       こんな朝の光を見ることの出来る高所に在るようで、
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       ここは対ナポレオン戦の英雄でもあったアンドレアス・ホーファー・Andreas Hoferが、
       1624年に狩猟用に建てたものだったそうで、
       1954年に現在の持ち主Ortner家のものとなり、ホテルに改築改装、
       このタイプのものとしては唯一の5つ星と。




       北の香り、ティロルの香りというのか、
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       緑に囲まれた食卓
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       こんなテラスで体操も出来
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       スウィートのお部屋
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       サイトはこちら。 https://www.icastelli.net/it/hotel-castel-fragsburg
       
       11月から4月の初め、冬季、つまり復活祭前まではお休みだそう。
       他にもそのお知らせの在るホテルがありましたので、
       もしお泊りご希望の方は、ご留意を。




       カステルブランド、 ヴェネトの我が家の近く。
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       地図をどうぞ
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       いつも歩いているカルページカ・Carpesicaモ、オリアーノ・Oglianoも載っているのに、
       我が村スコミーゴ・Scomigoがない! 悔しいので、ははは、赤点を打ちましたぁ。




       かってはここまで馬車で乗り入れた、というフロント前。
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       右に見える大階段は、


       こんな風に一番上まで続きますが、横に各階に連絡し
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       食堂・レストラン
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       ローヤル・スウィートのお部屋
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       サイトは、 https://www.icastelli.net/it/castelbrando

       城は一度訪問見学した事があり、こちらに




       あれっ、あそこのだ、と懐かしかったのが、
       カステッロ・ディ・レオニーナ・ルレ
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       地図をどうぞ
       シエナの東南から、シエナのクレーターと呼ばれる侵蝕地をアシャーノに向かう途中、
       細い地道が続いているのを見て、どんなのかと辿ってみた村にあったのでした。
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       その時の様子はこちらに
       
       地図に見えるアシャーノ・Ascianoから、地道をMonte Sante Marie, Torre a Castello
       と辿った様子は




       表からは中をそっと覗くしか出来ませんで、元修道院かと思ったのでしたが、
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       村の名の通りカステッロ・城、というよりは要塞がシエナによって築かれたのが中世で、
       1234年には、ここはシエナとオルヴィエートの領界争いの戦闘の舞台となり、
       破壊の激しさから打ち壊すしか無かったのだそうで、

       15世紀になり同じ場所にルネッサンス様式で建設されたのが現在の元になるもので、
       その後徐々に持ち主の農家が要塞化したものだそう。

       20世紀になり、荒廃していたのが元のように修復され、2003年から現在の姿と。




       食堂、レストラン
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       そう、ここは土地が高く、眺めも素敵なんですよね!
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       ただ、サイトの写真にはチョンボというか、まやかしがありましてぇ、
       サン・クイリコ・ドルチャの東からの有名な眺めの写真が使ってありました。
       それはまぁ、車で行くと50k足らずの行程で、1時間ほどで行けますがぁ・・・!




       スイートのお部屋
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       壁に、シエナのパラッツォ・プッブリコ・現市役所にある、シモーネ・マルティーニ作の
       「グイド・リッチョ将軍」の図が見えますね。
       彼に関係のある戦だったのかどうか、調べてみようっと。

       ホテルのサイトは、 https://www.icastelli.net/it/castello-di-leonina-relais




       カステッロ・バンフィ と 村       
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       この城の場所は、モンタルチーノの夜レストランで食べていた時、
       前の席の青年から教えてもらったもので、懐かしく思い出し・・。




       地図をどうぞ
       赤い太めの線で囲ったモンタルチーノ・Montalcinoの南西、約20kmに
       カステッロ・バンフィがあり、
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       この辺りはあちこちと何度も行っていて、季節ごとに思い出が蘇る土地!
       右下に切れているRadi・・は、ラディコーファニ・Radicofani




       城の威容! 素晴らしい!!
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       1700年建設の城で、城の名に並び「村・ボルゴ・borgo」とあるのは、
       どうやら村自体が城壁に囲まれ、その中に働くお百姓たちが住んでいた様子。





       サロンの一つでしょうね。
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       食堂、レストラン。  ワインが豊富!
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       元々がバンフィ・Banfiという名のカンティーナで、
       サンジョジョヴェーゼと、ブルネッロと。
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       レストランも勿論有り、どうやら料理教室も開かれる様子で、
       今回のサイトの中では唯一、料理写真が見つかったもので、
       う~ん、タルトゥッフォ・トリフが乗っているよぉ!
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       スウィート・デラックスのお部屋
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       この大きさのお城で、部屋は全部で14室、内スウィートが5部屋、だそうですから、
       それぞれがかなりのデラックス版ということでしょうか?!

       ここも11月の半ばから閉め、3月末に開くそうで、動物連れはダメと。




       お城ではなく、塔がホテルになっている
       トッレ・アルモンテ、往時の住まい
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       トーディの周囲にはたくさんの要塞化された村があり、これもその一つのようで、
       12世紀建設の24mの高さの塔

       1954年まで保護状態だったとありますから、多分それ以降に持ち主が変わり
       修復され、現在の姿、ということでしょうか。




       地図をどうぞ
       ウンブリア州のトーディ・Todiから北東に10k程、車で17分ほどの位置。
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       中世に大繁栄したトーディの町の周囲にはたくさんの要塞地があったと上記しましたが、
       トーディの町の南にイッツァリーニ・Izzaliniという名が見え、懐かしく!

       ここはトーディに行った時、古い土地が好きなら行ってみたら、と宿の主人に勧められ訪ねたのでしたが、
       後にヴェネトの13世紀の残虐でもあり、また一種のヒーローでもあったエッツェリーノ・ダ・ロマーノ
       所縁の地でもある、と読み驚いたのでした。
       写真を撮ったままになっておりますが、・・整理してみようかな。



       この部屋はアッパルタメント・台所付きの意、とありますが、
       ご覧のようにモダンな意匠に改修されており、
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       台所もご覧の通り
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       塔の1階に食堂があり、塔5階分に2つのスウィートと、2つのアッパルタメントのみで、       

       こちらはスウィートのお部屋
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       塔の上からの眺め!
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       最後はロンバルディアのはミラノの東、
       ヴィスコンティの要塞
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       地図をどうぞ。
       ミラノから東に30kmほど、車で約50分程
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       カッサーノ・ダッダ・Cassano d'Adda
       アッダ河沿いに於けるヴィスコンティ家の護りの要塞だったのが分かりますが、
                                     
       この地では1259年ヴェネトを拠点にしていた皇帝派のエッツェリーノ・ダ・ロマーノ3世が、
       残虐非道な治世でも知られた男でもありましたが、ミラノを目指す最後の戦いに破れ
       重傷を負い、ソンチーノで没という、まずそれを思い出したshinkaiですが、

       も少し東にはカラヴァッジョ・Caravaggioの地名が見え、ここがかの16世紀から17世紀に
       かけて活躍の画家、カラヴァッジョの両親はここの出身だったそうですし、

       西にはゴルゴンゾーラ・Gorgonzola、はい、あの美味しいブルーチーズの一種であるチーズが
       15世紀にここで生まれた、という地の名も見えます。




       大広間
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       この城要塞は、まさにロンバルディアのミラノ公国とヴェネトのヴェネツィア共和国を
       分ける自然な国境ともいうべきアッダ河沿いに、
       1261年から95年にオットーネ・ヴィスコンティ・Ottone Viscontiによって建設され、

       軍勢の守備隊地、通商交易の取締、領主の住まい、平和時にはお遊びの地でもあり、
       土地の治世事務所でもあり、法廷、監獄と、様々な要素を含んでの要塞なんだそうで、
       15世紀には素晴らしい城壁も出来、城塞としては完璧な形に。

       ルドヴィーコ・イル・モーロの時代には、レオナルド・ダ・ヴィンチも訪れ
       ここの塔の上から、かの鳥の羽を模した空を飛ぶ研究の一端もしたと伝えられ、

       後の世紀に衰退したのを、漸くに1960年代になり修復が始まり、
       当時の姿が蘇り、装飾なども修復されたのだそう。
       



       食堂、レストラン
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       この色使いと、装飾の形!
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       でも、他はわりとシンプルに、モダンで
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       中庭の夜
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       他にもたくさんのお泊りできる宿が各地にありますので
       皆様、旅の思い出にどうぞ!



       
     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-19 00:14 | ・ご挨拶・番外 Saluti Speci | Comments(2)
2017年 02月 03日

・・・ 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 ・・・ (旅行 お出かけ) 

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       先日ピサネッロの絵デッサンをサイトで調べていた時、思いがけず、
       30年以上前にもなりますか、雑誌で見て忘れられずにいた絵に出会いました。

       「ミラノの古い貴族のお屋敷にあるピサネッロの壁画」と説明にあり、
       当時初めてのイタリア旅行で見た古い壁画や祭壇画の虜になっていた私には、
       それはもう、「遥か遠い国、魅せられたイタリア」以外の何物でもなく、ははは、
       ましてピサネッロ、という名にも魔法をかけられ、焦がれて見つめつつ、
       大切に写真を取っていたのでした。

       という、その一連の絵に、長い年月の後再会できたのでしたが、

       今は有難い事にPCでその写真の出処にも行き着き、あれこれ調べる事も出来るので、
       これらの壁画はミラノのボッロメーオ邸・Palazzo Borromeoに在ることも分かり、
       知らずにいた他の画面も知ることが出来ました。

       という事で、今日はこの壁画を通じて、
       15世紀のミラノの貴族の子弟たちのお遊びの姿をご覧くださいね。
       そして最後には、現在の貴族のご子孫達の様子もちょっぴりと。

 
       上の写真は、私の記憶に残っている写真の色に近い、壁画の部分




       ミラノのボッローメオ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
       まさにミラノの中心、ミラノのドゥオーモから歩いて10分ほど、
       1kmにも満たない位置に。
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       ボッローメオ広場に面した入り口。  13世紀末の建設で、四角い窓と、
       白と赤の大理石を使った入り口扉のある大きなアーチ。
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       入り口アーチの上部にいる駱駝像と、植物柄
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       その後の改装で建物も大きくなったそうで、上空から見る建物の現在で、
       内庭を囲む建物が2つある形で、奥の内庭が広く、
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       5角形の角柱に支えられたアーチに囲まれた、奥の内庭
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       奥の内庭は3面がアーチの回廊になっていて、残る一面に建物の壁があり、
       それには一面の壁画と、陶板飾りの装飾のある窓があり、
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       こちらが建物の壁画の柄で、王冠とボッローメオ家のモットーである
       Humilitas・ウミリタス・敬虔、謙遜、の文字。
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       で、この建物内の1階の広間に、今回ご案内する壁画があるのですね。

       これです!!
       窓側になる手前部分には無く、もしくは失われたかで、3方の壁にこの様子で。
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       左側が「タロッキ・tarocchi・カード遊び
       中央が「パルマータ・palmata・名前当て、とでも」
       右が「パッラ・palla・ボール遊び




       まずは左側の壁画から、背後にザクロの木が3本ある庭で、
       男女5人がカード遊びをしている様子で、右背後には湖の風景も見え、
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       写真によってかなり色の出方が違いますが、
       15世紀半ばの壁画内の、貴族の子弟たちの服装、髪型も詳細
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       カード遊びというのは、現在も大変盛んな遊びですが、
       どこか秘密めき、瞑想的でもあるこの遊びの雰囲気がよく出ていると思われませんか?!



       実はこの壁画は長い歴史の中で塗りつぶされていた様子で、
       第2次大戦の際に爆撃により被害を受け、戦後に行われた改修の際に
       見つかったのだそう。

       そしてこの赤っぽく見える色合いは実際の色ではなく
       この上から画家はかなりオークル・黄土色系の色をセッコ・乾いた状態で掛けているのが
       剥落し、湿度の問題もあり損傷が激しく、
       残念ながら、到底描かれていた当時の状態ではない、との事!
       それでも、これだけ素晴らしい雰囲気がわかるだけでも、有難いことですよね?!




       中央の、パルマータ
       やはりここにも5人の男女が見え、手を上げて遊んでいて、
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       パルマータと言うのは現在の遊び「スキアッフォ・デル・ソルダート・schiaffo del soldato
       に似ている、というので友人のジュリアーナにも尋ね、教えて貰いました。

       グループでの遊びで、一人が壁に向い(目をつむり)、片手を背中に回し
       手のひらを上に向けて立つのに、皆が順に指で触リ、済んだ所で皆が一斉に
       自分の指を上に上げて見せ、それで誰が触ったのかを当てるのだそう。

       元の名のスキアッフォ・デル・ソルダートと言うのは、兵士の平手打ち、の意ですから、
       元々は兵士がもっと乱暴に遊んでいたのから来たのかもしれませんが、      
       この画面の中でも、手の平を打ち付けている様子が見えます。

       パルマータとか、次のパッラ・ボール遊びなどは、中世でも伝統的に長く楽しまれ
       素朴で仲間と楽しく遊べる、こういう遊びはいつの時代も変わりませんね。




       この中央に立つ女性の衣装も見事ですが、
       衣装とか髪型には金色の線が描かれていた様子がわかるそうで、
       如何にも裕福なボッローメオ一族の子弟たちなのでしょう。
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       パッラ・ボール遊び。 
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       左の女性が棒を持ち、ボールを打つ所でしょうか?
       右奥背景の景色は、ラーゴ・マッジョーレ・マッジョーレ湖のアローナ・Aronaであろうと言い、 
       ここ一帯はボッローメオ家の領地であり、ボッローメオ国と呼ばれるほどのものだったと!
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       そして右側に並ぶ女性4人、これは当時の豪華な衣装、髪型で装った
       まさに貴族女性のお披露目みたいな様子で、
       色の損失、画面の損傷がとても残念。
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       これら一連のフレスコ画に登場する女性たちのスタイルは、まさにピサネッロの絵に
       登場する女性たちを彷彿とさせ、私が昔見た雑誌でも当時はピサネッロの壁画、と
       説明されていたのでしたが、

       今回改めて再会し、いや、これはピサネッロではない、とすぐ思いましたし、
       勿論調べてもピサネッロという名は出てきませんで・・。
       shinkaiの思うピサネッロが描く人物は、女性は、こういう目つきはしませんし、はは、
       雰囲気は似ているものの、ピサネッロは段違いに巧緻ですね。
       

       このボッローメオ邸の壁画はガイド付きで見学することが出来ますが、
       所有者の関係で月曜から金曜日までのみで、写真も禁止。
       見学は約1時間半ほどで、予約が必要、料金は13エウロ。
       サイトは 




       で、壁画の作者として研究者達から名が上がっているのが、
       ミケリーノ・ダ・ベソッツォ・Michelino da Besozzoという事ですが、
       彼の描いた教会のヴォールトの絵はこんな様子で、
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       彼は細密画も描いていますが、やはり同じような可愛い人物像で、
       彼がボッロメーオ邸の壁画の作者とは思えませんです。

       
       このボッローメオ邸は現在もボッローメオ家の持ち物ですが、
       オフィスに投資信託会社が使っているようで、住居にもなっているそう。




       所でボッローメオ家についてあれこれ読んでいて行き着いた一つが、
       
       ラーゴ・マッジョーレの東岸にあるアンジェーラの要塞・Rocca di Angera.
       200mの崖状にあリ、元はロンゴバルドの10世紀の要塞だったのを、
       14世紀にヴィスコンティ家が現在の要塞の形にし、ボッローメオ家が
       増改築したものだそうで、現在もボッローメオ家の所有。
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       一連のフレスコ画の「ボール遊び」の中央に見えた湖は、この要塞の対岸
       西にあるアローナという事でしたが、ここにもかって同様のボッローメオ家の要塞があり
       マッジョーレ湖の船の往き来を見張り、税を取り、アルプス側からの敵の侵入にも備えていたと。

       マッジョーレ湖はかってミラノの街の建設資材、大理石類などを調達し運ぶ一大輸送地で、
       ここでの税を免れた唯一は、ミラノのドゥオーモ建設の資材運搬船だったそうで、
       おまけに石材発掘も無料、運搬費も無料だったと!!
       どこかの国に「坊主丸儲け」という言葉がありましたっけね、ははは。

       残念ながら、こちらのアローナの要塞はナポレオン軍が打ち壊したそうですが、

       アンジェーラの要塞は、大変良い保存状態で残っており、




       ここには、イタリアで唯一という、「世界の人形」コレクションがあり、
       写真左に日本の武者人形も見えますが、お雛様のセットも見つけました。
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       お城の見学、人形博物館などは大体3月中頃から10月中頃まで、
       朝9時から17時半迄、休館無く開いている様子。
       アンジェーラの観光事務所の電話は、(+39) 0331 960 207




       そしてこのお城では結婚式、披露宴も行われる様子
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       所でご案内が後先になりましたが、ボッローメオ家・Borromeoと言うのは、
       出身がローマでトスカーナに移住、13世紀ミラノに移ってきた裕福な商人、貴族で、
       ミラノでヴィスコンティ家と縁戚となり、マッジョーレ湖一帯の領有、そして伯爵家となり、
       現在でも有数の子孫があり、繁栄存続している一族

       ボッローメオ家で検索を掛け最初に出た写真で、ああそうか、と思い出したのが、
       暫く前にTVニュースでも大々的に出た結婚式の模様でした。

       2015年の夏に行われた結婚式で、
       こちらはモナコで最初に行われた7月末の公的役所での結婚式の、
       左が花嫁のベアトリーチェ・Beatrice・ボッローメオ
       隣が証人のアンドレーア・カシラギ・Andrea Casiraghi、花婿の兄
       同じく証人のご夫婦ジョン・エルカン・John Elkann と、
       ラヴィーニア・ボッロメオ・Lavinia Borromeo
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       お分かりでしょうか、これらの人間関係から見える上流階級の模様が?!
       花婿はモナコのカロリーナ王女の2男(3番目の子)、ピエール・カシラギ・Pierre Cassiraghiで、
       花嫁の姉ラヴィーニアが、フィアット・クライスラーの会長ジョン・エルカンの妻、というわけ。

       花嫁はこの最初の結婚式では、ヴァレンティーノの衣装をお召だったそう。
     



       8月1日ロッカ・ディ・アンジェーラでカトリックによる式典が行われ、
       要塞の下にお着きのお二人がボートから上がる所
       右側ではお迎えの市長が、写真を撮っているもんね、ははは。
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       こちらがエレガントなアルマーニの衣装をお召しの花嫁、花婿
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       はぁ、そうなんですねぇ、イタリアでは戦後共和国になり、貴族の称号は公的には
       無くなったのですが、報道される時はちゃんと称号付きですし、
       こういう様子を垣間見ると、上流階級、現在も延々と続く貴族階級が伺えますですね。
       ・・やはりパルマータとかボール遊びをされる事もあるんでしょうかぁ? ははは。




       マッジョーレ湖、アンジェーラの要塞の夕日を最後に。
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     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-02-03 19:47 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 01月 10日

・・・ カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 その1 ・ ヴェローナ ・・・(旅行 お出かけ)

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       ヴェローナのご案内が続きますが、今回は2度に分けて
       カステルヴェッキオ・Castelvecchio・現在博物館になっている14世紀からの城と、
       城内を通りアディジェ河を北に渡る3連アーチの美しい橋、のご案内を。

       トップは、18世紀のヴェネツィアの画家ベルナルド・べロット・Bernardo Bellotto
       の描いたカステルヴェッキオと橋の眺め。
       河に張り出した漁のためと見られる突堤や小屋以外、城と橋の眺めは
       現在とまるで変わりません。

       ベルナルド・ベロットと聞くとちょっとご存じないかも知れませんが、
       ヴェネツィア風景で有名なカナレット・Canalettoという画家はご存知でしょう?
       カナレットの本名はジョヴァンニ・アントニオ・カナル(1697-1768)といい、
       彼の妹がベルナルドの母親で、つまり甥になります。
       よく似た作風で描いていますが、北ヨーロッパでの活躍が多かった様で、
       最後はポーランドのワルシャワで亡くなっています。




       カステルヴェッキオはどこにあるかは、先回のサンタナスターシャ教会ご案内の地図
       描き込んでいますので、そちらをご覧くださいね。

       正面から全体が写っている写真が見つからず、サイトから拝借し、

       アディジェ河がヴェローナの旧市街の出っ張り部分を大きく湾曲して包み込む、
       旧市街の西の端にある、14世紀スカーラ家建設のカステルヴェッキオの正面

       
       ご覧のように高い塔が3つ見え、真ん中の塔が現在の博物館への正面入口で
       跳ね橋が見え、これは手前右の塔にも名残が見えますが、
       かってはアディジェ河から水が引き込まれた堀が城をめぐり、各塔の下にある門は
       すべて跳ね橋があったそうですが、この堀は現在はすべて空堀、または埋められています。
       奥に見える塔には時計が見え、その通り時計塔と。




       塔の間を繋ぐ城壁の上は物見の通路となっていて、     
       その上にはメルレット・レースと呼ばれる飾り兼銃眼、狭間付きの壁。  
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       こちらが正面の塔と跳ね橋で、
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       この門の扉
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       門の内側に見えた井戸。 
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       今回は先に橋の様子をご覧頂きますので、また表に出て頂き、はは、

       こちらが時計塔。 
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       カステルヴェッキオは現在ヴェローナ市の博物館となっていて、
       その切符に城と橋の上空写真があり、分かりやすいのでご覧を。
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       先程の真ん中の正面の塔は、一番東の塔よりも細く見えますが幅があり、、
       跳ね橋を渡って中に入っての様子もお分かりですね。
       
       中庭は大内庭・コルティーレ・マッジョーレ、または武器の広場・コルテ・ダルミ
       と呼ばれ、見える河寄りの建物が現在の博物館で、
       正面白く見える壁の部分に図書館や事務室があり、
       この建物左上角部分、アディジェ河寄りにもう一つの塔。
       
       そして正面側の3つの塔の手前(下側)に、高い城壁に挟まれた通路があり、
       ここが橋に至る城内を通る通路で、
       左側、河の手前に見える高い大きな塔、これがマスティオ・主塔と呼ばれる塔ですが、
       この横を抜けて橋に連絡します。

       そしてこの写真では切れて見えませんが、正面の塔のつながりの一番下に、
       もう一つ低めの塔があり、ここから斜め下左に城壁が伸び、

       この部分の城壁は2重になっており、その内側、つまり
       主塔の手前に見える建物類、ここがかってのスカーラ家の城郭だった
       レッジャ・スカリージェラと呼ばれる一郭。




       
       所でこの写真に見える現在の城は、築かれた当時、そして18世紀後期までとは
       違う姿なのですね。

       というのもこの平面図をどうぞ。
       これは1801年の城の平面図で、2のスカーラ家の城郭部分、3の主塔部分は同じですが、
       1のコルテ・ダルミと呼ばれる右の広場の河よりの部分、現在の博物館棟がありません。
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       ここは実はナポレオン軍が統治時代に兵舎として建て増しをした部分なので、
       ナポレオン棟と呼ばれることもあり、土手や砲台がヴェネツィア共和国時代にも
       築かれた事はあったようですが、ずっとアディジェ河に向かって開けていたようです。

       ですから、正面側の入口の門から入って見える姿は随分違っていた、
       兵士や兵舎が多分並んだ、ちょっと殺風景な要塞城の姿だったことでしょう。
       
 


       さて、橋に行きましょうか。
       時計塔の左下に橋への通路口があり、入り口からの眺めはこんな様子で、
       奥に見えるのが主塔の下部分。
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       右側の城壁は内庭との境の壁ですが小さな通路口があり、
       上空からの写真で見えたスカーラ家の城館部分との境の城壁は、
       左の内側に高く見える城壁です。




       ここが主塔の横を通り橋に抜ける部分で、奥に橋が見えます。
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       抜けてきた正面を振り返り、見える塔が正面城壁の一番端の低い塔
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       緩やかな上り坂の通路左側、主塔の内庭と呼ばれる部分は奥の城壁との間が
       一段低くなっていて、こんな井戸も見え、
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       大砲の弾、石の球!も積んであるのが見え、
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       これは主塔の窓、テラスで、奥にちらっと見える壁がスカーラ家の城郭だった
       壁の一部。
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       かっての城の様子を見て頂いた所で、ちょっぴりこの街と城の歴史を。
       ですが、長い歴史の変遷を持つ街と城ですので、ほんの要約です。

       現在のヴェローナは、ミラノとヴェネツィアを結ぶ幹線上の一都市、
       に近い存在になっていますが、
       かってのヴェローナは、ここからアディジェ河に沿って北に向かい、アルプスを越え
       北ヨーロッパの国々とを連絡する通商交易で重要な街道の基点地だったのですね

       先史時代からすでに集落があり、紀元前のローマ期には現在の旧市街地区が
       きちんと整理された都市であり、ローマ期の主街道の交差点でもあり、
       テアトロやアレーナ・闘技場も現在に残っているのは、よくご存知と。

       そして中世に入り自由都市となり、ロンゴバルドの下、また封建領主の影響も受け、
       13世紀に頭角を現しヴェローナの領主となったのがスカーラ家・Scalaで、
       1262年から1387年にかけての125年間、この街を支配します。

       スカーラ家の要塞城として建設されたこの城は、1298年から形となり始め、
       かっての自由都市時代からの城壁も利用し、最終的に完成したのが1354年
       
       建設を任されたのはグリエルモ・ベーヴィラックワ・Guglielmo Bevilacqua
       という名が上がり、同時にアディジェ河に掛かる橋の建設、
       城と一体になっているこの橋は、万一の際の北への逃亡にも備えたものであり、
       スカラ家の居城でもあり都市要塞でもあるこの城が、更に主塔マスティオの建設を加え、
       南西側が少し引っ張られた、全体として大きな台形の城が完成したのが1376年

       
       ヴェローナの君主としてのスカーラ家の時代の後、1404年この街はヴェネツィア共和国の下に
       その下での平和の時代が4世紀ほど続き、この城は兵舎、武器庫などなどに利用され、
       その後ナポレオン統治の下に、上記したようにアディジェ河の眺めを塞ぐ長い棟が出来、
       現在の姿になります。

       


       さて、アディジェ河に掛かる橋に戻りまして

       橋の上はこんな様子で、観光客のみでなく、地元の人々の生活の通路でもあり、
       自転車も通り抜けて行きます!
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       橋の上から振り返る主塔。 
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       この主塔は、カステルヴェッキオの歴史の中の変遷とともに変化を遂げ、
       ヴェネツィア共和国時代には東側の面に、大きなサン・マルコのライオン像の
       フレスコ画が描かれていたそうですし、

       ナポレオン軍が駐留していた時代には、上部を削られ低くされた事もあったそうですが、
       その後のオーストリア軍占領のもとで元の姿に。
       塔の中ほどでレンガの色が違って見えますね。 多分あの高さにされたのだろうと・・!

       で、一体どれほどの高さがあるのかと調べましたが見つからず、かなり意地になりましたが、
       ははは、遂に見つからず!! まぁ、教会の鐘楼程度かなと思いますが・・。
            
       今、買い物袋を下げた地元の人も通って行きます。 この橋を渡って真っ直ぐ行くと、
       アレーナの前のブラ広場に出ますし、地元の人々にはきっと便利な橋なのですね。




       橋から見る現博物館の建物、ナポレオン軍が兵舎として建て増しした部分で、 
       一番上階は見張り兵士の通り道になっており、カップルがアディジェ河を見下ろし・・。
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       橋から眺める街の東側。 見える橋はポンテ・ヴィットーリアで、
       右の鐘楼はサンテウフェーミア教会・Sant'Eufemiaで、左奥がドゥオーモの鐘楼。
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       アディジェ河はトレントの奥、アルプスからの流れで全長約410km
       イタリアでの最長の河ポー(652km)よりも少し北でアドリア海に注ぎますが、
       ここヴェローナでもとうとうと流れ河幅も広く、
       城から掛かる橋の長さは119,9mもあるそう。
       

       所で、スカリージェロ(ア)・Scaligelo(a)(複はリ、ラ・li,la)
       という言葉もガイドブックにはよく出ますが、
       ポンテ・スカリージェロ、カステッロ・スカリージェロなどなどですが、
       スカリージェロというのは、スカラ家の、という形容詞です。
       shinkaiはややこしくならぬよう、なるべく使わず、
       スカーラ家とご説明していますので、ご了承願います。




       この部分は橋から張り出す、アーチの基礎部分の上で
       この尖った3角形は上流側に向かった部分で、下流側は四角形。
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       かっては物見兵士の通路だった細道も、今は観光客の格好の撮影ポイントで、ははは、
       大賑わいなのですね。
       ローマ兵士の格好をした、撮影お供のモデル氏もいますです。
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       橋を渡りきっての北からの眺め
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       橋の北の袂にある、ローマ期のものだったと思う碑。 可哀想に落書きされ!
       以前説明を読んだ記憶があるのですが、今回見つからずで・・。
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       所でこの橋は、グーグルのストリート・ヴューで渡ることが出来ます!
       しかも白バイ2台を先導に渡れますから、ははは、ぜひお試しを!!
       



       さて橋を渡って戻り、博物館の見学に。
       この棟がナポレオン軍支配当時に増築された兵舎で、その後中世風に修復されたもの。
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       上の写真の左下に見える遺構ですが、これも多分アディジェ河の水を引き込んだ堀の一部と。




       博物館の建物の左端、2階部分に見える騎馬像は、
       スカーラ家の一番隆盛を極めた領主カングランデの像・Cangrande.
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       昔博物館に入らずに庭からこの像を眺め、本当に憧れたものでした、はぁ。
       今回は中からじっくりカングランデの顔も、お馬君の顔も眺めることが出来ましたので、
       次回のご案内でご覧頂きますね。




       城壁の飾りが映る博物館の窓。 多分これは東側、事務所図書館側の窓と。
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       前庭の山羊かな、を形どった小さな泉と、奥に見えるのが博物館入口。
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       ほっと一息の、前庭に咲いていた鮮やかな花
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       入り口脇にあった碑。 どこから来たのか、日時計のようでもあり、
       飾りの碑の一部のようでもあり・・。
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       かっての城の一部と兵舎を利用して博物館にする大改修は
       1958年から1974年にかけて行われ、監修はカルロ・スカルパ・Carlo Scarpa
       すっきりと見やすい30室ほどの陳列室に改装され、彫像、絵画、武器、貴金属などなど、
       見きれないほどの収蔵品の博物館となっています。


       日本の建築美に傾倒した著名な設計家カルロ・スカルパの、有名作品の一つ
       トンバ・ブリオンのご案内




       博物館に入り左側、1階は彫像の展示があり、ローマ期から始まり、
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       そしてshinkaiの大好きな中世。 気に入った女性像のみを数点ご紹介しますと、
       まずは輪のサンタ・カテリーナ
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       アレキサンドリア(エジプト)の聖女カテリーナ(287-305)を指し、
       その美しさから王に仕えるよう、改宗するよう説得されるのを受け付けず、
       刃のついた車輪で拷問死刑を受けるものの車輪が壊れ、遂には斬首に、という聖女で~す。




       昔から写真で見て憧れていたこの背中! 男性的でもあるこの存在感!
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       初めて正面からお目にかかりましたが、音楽の守護聖人サンタ・チェチーリアかな?
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       こちらも背中ですが、はは、渋く素晴らしい緑色の彩色像で、
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       何という事! 今回写真を整理していて気が付きましたが、
       前面から撮っておりませんで・・、バカがぁ!!




       きっとこのも一つ、素晴らしく優しい雰囲気の聖女像に目が行ったのだろうと・・。

       優しい目つき、ふっくらの頬、口元、細かい衣装の彫り、素晴らしい!!
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       サンタ・リベーラ・Libera像、サンタナスターシャ教会のマエストロたちの作で
       あろうと云うことで、14世紀半ばの作品と。



       という所で今回はお終いにし、次回のご案内に続きます。
       お疲れ様でしたお楽しみ頂けましたように!

       次回は、橋についてもう少し詳細にと、展示物の幾つか、スカーラ家などなど。
       よろしくお願い致しま~す。



       

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by italiashiho2 | 2017-01-10 23:48 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(4)
2016年 11月 09日

・・・ カステル・ベゼーノ ・ トレントにおける最大の要塞城 ・・・

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       トレント・アルト-アディジェ州において最大の要塞城である
       カステル・ベゼーノ・Castel Besenoのご案内を。

       古代から、アルプスを越えての北の国と南欧のイタリアを繋ぐ
       幹線道を見張る格好の地にあり、
       中世にこの地に城が築かれて後は、幾度かの凄まじい攻防戦の
       舞台となったこのカステル・ベセーノ。

       15世紀には居城ともなり、いくらかの壁画も残っておりますが、
       何よりも実戦に備えた要塞城である姿を、ご覧下さいね。       
       


       
       カステル・ベゼーノはどこにあるか、地図をどうぞ
       ヴェローナから北上し、ロヴェレート・Roveretoから約10分ほど、
       ボゼネッロ・Bosenelloという町の丘の上に。
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       3年ほど前トレントに行った際、国道筋からもその威容が良く見え、
       皆がおお!とどよめいたのでしたが、今回実際に見れるチャンスが
       あり、喜んで参加したのでした。




       大騒ぎの昼食の後ボゼネッロの町に着くと、雨が上がった後。

       これは如何にもかっての町の見張り所といえる姿があり、
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       丘の上の城まで運んでくれる小型バスを待つ間に見る民家も
       きちんと整備はされていても、まさに中世からの姿そのもの!
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       このお膝元のボゼネッロの町から見上げる城!
       城の左下にチラッと白い物が見えますが、あそこの駐車場まで
       小型バスが3往復して我らを運んでくれました。
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       駐車場からかなりきつい坂道を歩いて城に向かいますが、
       これが第1の門
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       坂道の角を曲がる所から見上げるこの姿!! 威圧!
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       そして、その先に見える第2の門
       ほらね、かなりの人数が既にへたっているでしょう、ははは。
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       第2の門を内側から見た所
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       車が止まっている辺りに左に抜ける門があり、



       抜けた所に広がる広場、練兵場とでも
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       素晴らしい広さで眺めも良く美しく、
       現在夏にはここで様々な中世的催しがある様子。




       一見緩やかな緑の坂が続き、城壁、そして半月の要塞が見え
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       shinkaiが、なんか映画に出てくるシーンの様ね、というと、
       ホントホントという声が周囲から。
       騎乗の騎士がかっかっと馬を走らせる姿が、思い浮かびます!




       城壁から下を覗くと、谷間の集落とうねる道が見え
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       奥に見える家々も、古い姿のままで
       まるで時が止まっているかの様子!
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       門内の道に戻り、坂道を上ります
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       半月の要塞に見えた紋章
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       上の紋章はどの家系のか知りませんが、

       古くから見張り所があったに違いないこの地に、
       要塞が築かれたと、記録にでるのが12世紀。 
       この一帯を領有していたアッピアーノ公・Appianoの家臣である
       ダ・ボゼーノ・Da Boseno家が住んでいた様子。

       その後アーヴィオの城を領有していたカステルバルコ家の下に
       13世紀グリエルモ・Guglielmo・カステルバルコとありますから、
       カステルバルコ家が歴史の表に名を出し始めての4代目、
       一番の隆盛を極めた時代で、
       ヴェローナのサンタナスターシャ教会表の左側に、
       彼の棺があるのも知りましたが、

       その後15世紀の半ばになり、マルカブルーノ2世・Marcabruno・
       カステルバルコという逸材が出た時代、
       北への領有をもくろむヴェネツィア共和国との間に、
       1487年のカッリアーノの戦い・Battaglia di Callianoが勃発。
       この戦闘でヴェネツィア側は多大な死者と指揮者をも失う大敗を、

       という変遷があったのですが、

       城塞自体、時代と共に拡大し、備えも充実していった様子。




       坂道を辿りつつ振り返る、中央の半月要塞と城壁
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       城壁の中の道がかなりな上り坂である事が見えるでしょう?
       ここで角を曲がり、
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       これが第3の門、城郭内への入り口の門
       跳ね橋が下りる様になっていて、右手前には警備兵達の詰め所があり、
       その奥には、城壁外を巡る警備路が続いているのが見え。
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       門はその都度開閉され、通る人物を時間をかけて鑑定し、
       警備兵達もかなりの数が詰めていたと。

       勤務は厳しいとはいえ、警備が暇な時間もあるわけで、はぁ、
       石の椅子の座に刻まれた番目と、転がす鉄のサイコロ
       トゥリオ・trioという遊びをしていたらしいのが、
       城塞の修復の時に見つかったそう。




       ちゃんと大人しくガイドさんの話を聞かず、
       何か見えるとつい横道にそれるshinkaiですが、

       これも横に見えた戸口から入ってみた、警備路の一部
       左にずっと城壁内の道が続いておりました。
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       平面図が見つからず、これで内部の様子が分かりやすいかと
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       下左に見える道が駐車場から上ってくる道で、
       第2の門を入り、練兵場があり、右の半月要塞の下に城郭内への門

       半月形の要塞は3ヶ所、右と中央と、一番奥にあり、
       最初の半月要塞と、一番奥のは巡邏兵のパトロール道を
       通る事が出来ました。
       
       ちょうど中程に、右奥に塔のある広い四角な広場が見えますね、
       その手前に第4の門があり、広場の向こう奥にある部分が居住区で、

       一番奥の半月要塞部に一段と高く見えるのが、古い城と呼ばれる部分で、

       全長250m、幅約50mの威容を誇ります。




       城郭への第3の門の中は、こんな風にカーヴを描いており、
       ガイドさんの話によると、内部の様子が即見えない為の配慮と。
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       門の内側はまた中央が狭まり、広場の奥が見えない仕掛けですが、
       この辺りはまだまだ、ずっと上り坂!
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       広場の奥に辿り着くと、左に見える巡邏道入り口から
       ぐるりと最初の半月要塞の上も回って、戻って来れるコースが。
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       パトロール道から見る麓のボゼネッラの町、そして北への道。
       次々と谷に山が張り出し、そこに連絡の見張り所、要塞が
       あったという訳で、お天気でなかったのが残念!
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       葡萄畑の棚つくりが見事に広がります
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       広場の括れ部に見えるのは、水はけの道で、
       真ん中に排水溝が見えますが、あれは地下に天水の貯水槽があり、
       井戸水として使っていたのだそう。
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       真ん中、そして奥に黒々と見えるのは天然の岩場で、
       それを生かして城壁も造っている様子。




       半月要塞上のパトロール道で、
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       途中にあった銃眼、覗き窓から見る下の草地
       下から見上げると細い狭い窓に見えるのに、
       上からだとかなり広い部分が見えるのを発見!
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       奥の広い四角い広場と塔が見えます。
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       おっ、広場に寝そべる猫ちゃん、発見!
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       艶つやとした太目の猫ちゃんで、広場のバールが家の様子。
       我らが帰る時には既に閉まったバールの前で、
       誰か開けてぇ、と待っており、親切shinkaiが試みましたがダメ。
       残念ねぇ、あんた今夜は野宿だよ。




       さて、第4の門を潜り
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       四角い大きな広場に
       角に立つ塔の上は物見所でもあり、知らせの塔でもあり、
       ここからインディアン式に、知らせが次々の塔に発せられたそうで、
       またお天気が良いと、インスブルックからもこの塔が見えたと!
       本当かや?!
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       地図で見る直線距離で約167kmと出ましたがぁぁ、
       う~ん、この城の塔が見えるかなぁと、疑うshinkai。
       皆さん、どう思われます?!
       単眼鏡の出来たのは何年位でした?
       

       そしてこの城塞の凄い点は、普通は外側の城壁にある
       敵に対して攻撃したり、熱い液体を流したりする落下口が、
       広場の中に向っても備えられている事!
       ここまで敵が侵入して来ても、絶対交戦の構えなのですね。




       広場の外、城壁の外を巡る道
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       広場からの門を潜ってくると
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       ここは居住区として、16世紀の火事のあと再建され修復されたもので、
       壁にはルネッサンス期の壁画も残りますが、
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       この角の部分や他も、これは単に年数を経て崩れたのではなく、
       税金を払わずにいて、打ち壊しになった跡なのだそう!
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       これには皆が、当時にも居たのかと笑いましたが、
       税金というよりも、領主に払う年貢金でしょうか、
       払い逃れは許されなかったのですねぇ!




       この一帯は大きな広場になっていて、多分公的行事の広場でもあり、
       ご覧のように右にも左側にも建物が続いていて、
       右の大きな建物上部には、多分城の歴史を見せる常設展会場が。
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       こんな兜なども見れた様子ですが、残念。
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       左に井戸の部屋があり、城内にあった2つの井戸の1つで、
       左上から広場などの雨水が流れ込み、濾過して手前の井戸に。
       水が溢れる時は左の口から流れ落ち、壁際の排水溝にという仕組み。
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       こちらは向かい側の建物にあった台所内の、パン焼き釜
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       そして再び狭い通路と城壁の間を通り
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       傍らには、天井の低い牢の跡もあり、
       一列に見える四角い穴の跡が、天井の高さで、
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       そして、最後の南側の半円要塞跡に。
       広すぎて全部カメラに収まらず!
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       この部分が古い城と呼ばれる城郭跡
       多分一番最初は、この部分のみが城塞だったのでしょう。
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       ここの城塞パトロール道から見た下の平野の眺め
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       これではヴェネツィア軍が攻め寄せた時、いち早く発見されたのも無理なく、
       次々と知らせが発せられティロルの援軍が到着。
       敗走して逃げる途中に、舟を繋いで作ったアディジェ河の橋が決壊、
       指揮者のロベルト・サンソヴェリーノ・Roberto Sansoverino d'Aragona
       落下して溺死、何千に及ぶ兵士が死亡、または捕らわれの身という、
       ヴェネツィア側にとってまさに大敗の戦だったと。

       またこの戦において、ランツクネヒトと呼ばれる、
       スイス傭兵を教師に編成されたドイツ傭兵の集団が
       初めてイタリア兵を相手に戦った、のだそう。

       この後も18世紀末には、ナポレオン軍相手の激烈な戦いがあり、
       一旦は落ちた物の数日後にオーストリア軍援軍が到着という・・、
       
       平和の世になり城の意義が薄れ19世紀には放棄という
       幾多の変遷を経て、最後の持ち主であったトラップ家・Trappから
       1973年に自治県であるトレント県に贈与され、
       改修の後、一般公開されるようになったと。
       



       毎年夏には、様々な教育的回顧的催しもされる様で、
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       お城のサイトはこちら  

       開館は、5月から11月初めまで 10時から18時
           冬季は土、日、または3月末から火曜~日曜まで9時半から17時

       訪問前にはサイトでお確かめを

       
       いやぁ、下から見上げた姿も素晴らしい威容でしたが
       如何にも実戦配備の大要塞で、訪問の価値ありでした!!
       トレントに行かれるチャンスには、是非寄り道を



     *****

     ◆ ご案内 ◆

       11月22日から27日まで、広島三越7階三越画廊での
       個展がせまり、DMが出来てまいりました。
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       どうぞ、秋の良い日を、広島、宮島観光も兼ねてお出かけ下さり、
       ご覧頂けます様、ご案内いたします



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、絵はパスし、 スコミーゴ村・晩秋の色と、ワン達 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2016-11-09 23:54 | ・北イタリア Italia nord | Comments(5)
2016年 10月 30日

・・・ カステッロ・ディ・アーヴィオ ・ 中世からの軍事拠点、居城 ・・・


       最初に、イタリア中部地震の速報をお伝えします。
       今朝7時40分に、震源地ノルチャ・Norciaのすぐ近く、地下10kmの
       強い揺れ、8月24日の地震よりも強いマグニチュード6,5が一帯を襲い、
       町の中心はすべて避難命令が出ております。

       お昼のニュースを見た所では、幸い今回も死者は無く
       怪我人、危険信号程度の重症者も含め20人程で済んだ様子です。

       ノルチャの北にあるプレーチ近くの、サン・テウティツィオ教会は、
       先日教会正面壁の一部が落下したのが、今回は遂に全体が崩壊したと。

       プレーチと北のヴィッソからの連絡道である道脇、ネーラ川が流れますが、
       大きな山崩れがあり、川も道路も埋まり、
       プレーチとの連絡は途絶えているとの事ですが、市長からの電話で
       町の教会も倒壊したとかで、大きな被害が予想されていて、
       これはカステルッチョも同様の様子で、
       その他の各町の中心地は進入禁止になっている所が多い模様。
       
       今回の地震はローマでもかなり揺れた様子で、地下鉄が止まったり、
       各地で点検の為の一時的な観光施設の閉鎖もあった様子。

       余震が続いてはいたものの、他にも大きな災害ニュースがあったりで、
       ニュースも小さくなりかけていた矢先の、再度の大きな地震でした。

       この先48時間以内に、ひょっとして今まで以上の大きな地震が
       起こる可能性もあるという事で、一帯の人々には避難指示が出ていますが、
       
       被災者の皆さんの心理的なお疲れも想像でき、
       寒さに向かい本当にお気の毒です!

       救助にずっと当られている消防団、救急隊員たちの方々の
       疲労の大きさにも想いが行き、頭が下がります、
       本当にご苦労様です!! 宜しくお願いいたします!


     *****

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       イタリアのヴェローナから北の隣国のインスブルックを繋ぐ
       ローマ期からの街道筋の要所であり、
       高い山を背後に平野を睥睨、アディジェ河の渡河地点の見張りでもあった
       カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avioのご案内を。

       見学日が曇り空でしたので、トップの写真はせめて青空の一枚をと、
       現在の城の持ち主であるFAI・Fondazione Ambiente Italia・イタリア環境財団とでも、
       のサイトから拝借で、記事中の我がサイト名のないのもそうです。
       
       今回は写真が多いですので、ごゆっくりご覧くださいね!!



       城入り口前からの城壁の眺め
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       城の図をどうぞ
       左下Ingresso・入り口から入り、常に坂道で上り、
       赤丸の付いているのが現地点という事で、
       その道から下の右下部分は現在私有地になっているそうで、
       その中に含まれるTorre Picadora・ピカドーラの塔
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       赤丸地点の左Casa delle Guardie・警備人の家
       矢印にそって坂道を行き、左に見えるグレイの位置に最初の門
       ここから右部分は城の下と呼ばれ、兵舎部分でもあったでしょうか。

       グレイの部分の先に2番目の門があり、我々はそこを抜け、
       左回りに行き、一番上に3番目の門、そして角を曲がって4番目の門
       赤い四角が主塔・Mastio、その右にGrande Cucina・大台所

       そして次の門をくぐると居住地部分で、
       左に抜けると内庭というのか、Pozzo・井戸があり、
       長い大きな城館がPaazzo Baronale・男爵館とも領主館とも。
       左外れの白い部分Resti della Capella・礼拝堂の遺跡

       ぐるりと城壁に囲まれ、5つの塔、領主館
       そしてフレスコ画で装飾された警備人の家、主塔の上部という、
       約千年の歴史を持つ城です。

       


       これが現在私有地内に含まれるピカドーラの塔
       ここで絞首刑が行われ、下の村から見えるように吊るされたのだそう!
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       名前と由来を聞いて皆がフフと笑いまして、
       というのも、吊るすというのがインピッカーレ・impiccareなんですね。




       警備人の家に入り、2階に
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       そして、おお!となったのが、まずこの壁画
       現在のパッチワークの柄にもありますよね、これ?!
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       真ん中にアルファベットが見えますね、
       でも何の関係もない文字が入っているのだそう。
       下に見えるのは、カーテンを吊った感じのものですが、
       後ほどご覧頂く、城内のフレスコ画のカーテン部はすべて同じ柄。

       shinkaiは一番後ろで写真を撮っていまして、
       殆どガイドさんの説明を聞いていませんで、ははは、
       すると中ほどに居たルイーザがすっと寄ってきて、
       ガイドが、本当は写真禁止ですが、撮られているのを見ても
       見ない振りをしますが、フラッシュは焚かないように、と言ったそう。
       はは、良く出来たガイドさんですねぇ!!




       そして隣の部屋に、これが圧巻でした!
       部屋一面に戦闘場面のフレスコ画があり、それが整理された線と色
       そしてどこかニヒルな目を持って見つめ描いている、というのか・・。

       こちらが入って正面の壁
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       右側の壁上側。 戦闘場面なのに、一番右の男はこちらを見ていて・・。
       
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       部屋の入り口背後の壁、上の右にアーヴィオのお城が
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       窓にもこんな柄模様
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       描いたのは14世紀中頃のトレンティーノの画家であろうと。

       警備人の家・見張り人の部屋と現在は呼ばれていて、
       確かに位置的にもそうなのですが、多分長たる人の住まいでもあったろうと。




       上の道から見た警備人の家。 1階部分はこの傾斜地に寄っていて、
       我々は1階の戸口から入り、今見える2階の左の戸口から外に。
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       坂道を上り
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       最初の門
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       中から見た最初の門。 城壁に穴が順序良く開いていて、
       かっては中を見張りの兵士が辿った廊下部があったものと。
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       右に開いているアーチの中が城の下部分で、
       上に伸びている壁の内側が、かっての礼拝堂の壁、というのを
       後ほどに知りました。
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       この左に2番目の門があり、




       2番目の門を振り返った所。 ずっと上り坂!
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       城壁は城をぐるっと囲んでいる一部なのですが、
       下側にも上側にもM字が見えますね?
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       これは城壁の上に付いているメルレット・レース飾りと呼ばれるもので、
       つまり下のMは最初の城壁の上にあったものが、
       防御から埋められ城壁が高くされ、その上にまたM字が付けられ、
       それがまた埋められている様子なのです。

       M字型は王冠の上の飾りを意味し、このM字が付いている城は
       皇帝側である事を示し、
       教皇側の城には、教皇冠を示す尖がりが1つ、が残ります。


       アーヴィオの城の建設が記録に残るのは1053年
       12世紀にトレントの司教の臣であるカステルバルコ・Castelbarco
       一族の領有となったと。
       
       カステルバルコ一族で最初に記録に名がでるのは1177年、
       アルドリゲット・Aldrighettoがトレントの司教アデルプレート・
       Adelpretoを殺害したというもので、
       封建領主間の争いが激しく、それが原因だった様子ですが、解放され、

       その息子ブリーノ・Brinoは政治的軍事的にも勢力を伸ばし、
       その後を継いだアッツォーネ・Azzoneは、
       アーヴィオの城も整え、フェデリコ2世皇帝の希望にもより、
       皇帝の副王でもあったエッツェリーノ3世ダ・ロマーノとも連帯、
       この一帯での重要な立場を持つ事に。

       1265年に亡くなったアッツォーネの後継がグリエルモ・Guglielmo
       で、ますます政治的軍事的に威力を持ち、ヴェローナのスカリージェリ家
       にも近づきますが、1320年後継者を残さず亡くなり、
       彼の財産は甥達の間で分割、という事に。

       ですが、その後も様々な困難を切り抜け、数世紀を
       カステルバルコ一族は存続し続け、ミラノ方面にも進出、
       カステルバルコ・ヴィスコンティ・シモネッタ・アルバーニという姓に!

       このアーヴィオの城は1977年、エマヌエーラ・カステルバルコ・Emanuela
       指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニの姪にあたるそうですが、
       FAIに贈ったのだそう。

       
       ええと、つまりです、何が本当に言いたかったかと言いますと、ははは、
       
       中世の、城の防御の仕組みが本当に良く残った城であるという事、
       そして経済的にも豊かで、城館内の装飾も優雅であるという事、で~す。
       



       3つ目の門をくぐり
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       銃眼というより、弓を射る窓から外を
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       城館部分に近づき、両側の壁が高まり、4つ目の門
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       門を潜って目の前に広がる、周囲の威圧する壁!
       右は床と境の壁部分が落ちているのですが、暖炉部分や、
       壁の祭壇部も見え、
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       左下にフレスコ画が見えますが、後ほど。




       上の写真の右側はこんな様子で、主塔に接し、
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       上でチラッと見えたフレスコ画ですが、これです。
       色が見え難いので少し濃い目にしましたが、
       白馬に乗った騎士と貴婦人ですね。優雅!
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       このフレスコ画の下の、アーチ越しに見えた植物のフレスコ画
       わぁ~お!
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       遂に一番奥の城館部に入った訳で、この建物は領主館の
       一番東(右側)の外壁ということになりますが、

       植物状のフレスコ画は1階部分で、2階には布の柄が一面に
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       上の写真の向かい側に当る、2階の布の柄
       左に斜めになって延びる壁にもフレスコ画の名残が。
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       潜ってきたアーチの内側にも、植物の柄
       こういう柄は本当に優雅ですよね。 
       女性達の部屋ででもあったのでしょうか?!
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       城壁側との境にアーチの仕切りがあり
       1階部分はこれで仕切られていたのでしょう、
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       アーチ壁の向こうには地下へ下りる石段があり、
       最初は真っ暗で降りる気もしなかったのですが、ははは、
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       城館見学が済み出て来ると、案内の人が、下は倉庫で降りれますよ、
       との事で、その時は明かりも見えたので降りてみました。
       大きな倉庫が次々とあり、右側は閉まっていて見えませんでしたが、
       氷室があった、との事。




       横から低めのアーチを潜っていくと台所で、
       この大きなフードに驚き!!
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       一帯何人位住んでいたのか、とガイドさんに尋ねると、
       お城や要塞をたくさん持っていたから、そんなにたくさんでないと思う、
       との事ですが、それでもねぇ、この大きさだとすると、
       何頭もの豚ちゃんもグリル出来そうですよね?!




       中庭から見る主塔
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       さて、領主館の中に
       この左の壁の外側に、植物柄と布柄のフレスコ画が残っていた部分で、
       中から見上げる壁が異様に高く感じおまけに薄暗く、大変な威圧感!
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       真ん中上に見えるのは暖炉の跡、上部で、
       この部の煙突が残っているのを後ほど。




       遠くの壁に残っていた、祭壇画の窪み
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       反対側の壁。 この先は天井が低くなり、その高さの違う部分に
       黒い板壁で覆いがあるのが見えますか?
       時代毎の修復の蓄積がここにも見れます。
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       領主館の一番西端の大きな部屋。 
       ここにも柄のフレスコ画が2階部分と、窓にも同じカーテン柄
       四角い穴が続くのは、2階の部屋の床部分の梁があった場所。
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       そしてその外側に、かっての礼拝堂の壁画が残る壁の一部が。
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       下は、最初の門をくぐって上って来た所の、城の下の部分。




       細長い中庭はこんな様子で、右が領主館の部分で、
       幾つもの壁、アーチで仕切られ、左は主塔に至る石段部分。
       手前に見えるのは中庭の井戸で、
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       この下に、地下倉庫の氷室があるのですって。
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       主塔に上りますが、ここが塔の入り口
       とはいえ、塔は11世紀に出来たものの、この入り口がついたのは
       後年の事で、最初は塔の入り口の左の壁に見える窓、
       あそこから梯子で出入りし、梯子は使用後は中に仕舞っていた、と。
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       こんな階段で上に上ります、確か3回梯子を上ったと!
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       最初の階には窓がひとつあり、これはそれよりも上階の窓
       壁の厚みにご注目!
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       そして辿り着いた上階、「愛の部屋」と呼ばれるフレスコ画装飾の部屋!
       塔のこんな上に、こんな優雅なフレスコ画があるのなんて初めて!!
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       窓を挟み、右に半分欠けて分かり難いのですが、
       馬に(犬ではおまへん)乗り、弓を持った人(騎士だったっけ?)が描かれ、
       窓の左の貴婦人は矢を払いのけ、掌にはワンちゃん
       つまり、男の愛は変わりやすく、そうそう、ははは、
       犬は忠実のシンボルなんですって。

       天井部分には、膝まづく人の姿と、右は誰だったっけ、聞いとりません、へへ。
       shinkaiが面白いなぁと思ったのは、天井の肋骨部分の描き様が、
       ちゃんと一番のデッパリ部を白く、膨らんでいる様に描いている所。




       この左に続く場面には、愛の矢で射られた
       幸か不幸か分からぬ貴婦人がいて、
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       向かいの壁には、馬上の騎士と接吻する貴婦人の姿。
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       14世紀中頃の、ヴェネトかエミーリアの画家だろうというのですが、
       洗練され、愛の寓話に満ちた宮廷画で
       むむ、一体誰がこんな部屋を、何の理由で、こんな場所に作ったんだぁ?!




       「愛の部屋」の隅に、まさに梯子階段があり、上の物見の部屋に
       つまりここが塔の最上部で、一段と高い見回りの段に上れ、
       ぐるりとほぼ一周する事が出来ます。
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       見張り窓から見る北の山
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       塔から見下ろす領主館の屋根と、右に城の入り口、
       そしてピカドーラの塔
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       上の写真左に切れたのが、領主館の屋根からの煙突
       館の2階部分の暖炉の上部のみ残っていた場所ですが、
       煙突の先の形が、どこか古めかしく趣がありますでしょ。
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       城の一番の高所から見下ろす、麓の村サッビオナーラ
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       アーヴィオの中世からのお城のご案内
       お付き合い、有難うございました!
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     *****

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       ◆ お知らせ ◆

       11月22日から27日に開催の、広島の三越での個展が迫りました。
       もしDMを送って欲しい方が居られましたら、コメント欄の
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by italiashiho2 | 2016-10-30 22:26 | ・北イタリア Italia nord | Comments(2)
2016年 10月 26日

・・・ トレントの古城2つ 前奏曲 ・ カステッロ・ディ・アーヴィオ ・地震速報追記 ・・・

   イタリア中部地震のニュースに関し、最後に追記、写真アップを致しました。
        
********

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       先週水曜にグループで出かけて来ましたトレントの古城2つ、
       カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avio
       カステル・ベゼーノ・Castel Beseno.

       生憎の曇り空で靄のかかったお天気でしたが、何とか雨はのがれ、
       千年近い歴史を持つ古城の、内部と規模の大きさに満足し戻りました。

       写真整理も資料を読むのも済んでおらず、さてどうしようか・・。
       以前アーヴィオのお城は訪ねたことがあり、月曜休館で外からのみ、
       その時のは何枚か、ガルダ湖北の訪問で見て頂いただけですし、
           
       先日とは打って変わった青空の美しい写真なので、シメシメ、これを!と。
       いやぁ、先日来こちらは雨と曇り空が続いており、
       青空と太陽さんが恋しく、時間稼ぎにもちょうど良いと、ははは。


       という事で、今日はアーヴィオのお城の前奏曲、ならびに
       麓のサッビオナーラ・Sabbionaraの村の様子をどうぞ!

       上の写真は、サイトから拝借のアーヴィオのお城を遠方から

       このお城に惹かれるのは、如何にも中世の、絵に描いたような姿で、
       これはヴェローナからボルツァーノに向う鉄道からも、高速からも見え、   
       やはり一度は内部も見たかったのでした。




       アーヴィオのお城はどこにあるか、地図をどうぞ。
       我が町コネリアーノから行くにはちょうど北周りと南周りの行程があり、
       この日は往きにヴェローナ経由の青の線南回りで、
       午後にロヴェレートの北東にあるベゼーノの城を見物後、
       戻りは北回りのグレイの線で。       
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       ここから暫くは、以前の、はぁ、2007年5月下旬の、ははは、
       緑濃い写真をご覧頂きますが、

       高速を降り、サッビオナーラの村に向かい
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       お城の手前の駐車場から、見上げる姿
       現在残っているのは上の城館部分と主塔で、城壁が取り囲みます。
       
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       城の下から見下ろすサッビオナーラの村
       如何にも昔からの、お城の膝もとの村、という感じでしょう?!
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       村を囲んでいるのは葡萄畑、なんですが、
       いつもご覧頂いている畝の畑とは違い、
       この辺りのは、葡萄の枝をパラソルのように広げた棚作りで、
       太陽の恵みを最大限に取り入れる仕様なのですね。




       南、ヴェローナ方面を望んで
       両側から高い険しい山々が迫る狭い谷の中をアディジェ河・Adige
       流れ、それに沿って道、高速と鉄道線が南北を結びます。
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       村の外れの教会
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       再び見上げる城
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       こちらは北に向っての眺め
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       山が迫る谷の括れごとに、かっては見張りの城、要塞があったものと見え、
       このアーヴィオの城の城主一族カステルバルコ・Castelbarco
       この谷一帯に15位も城を持っていたのではないか、とはガイドさんの言葉。




       村の中の道は狭く、当時免許取立てのshinkaiはやっと角を曲がりつつ、
       急傾斜の道をお城の駐車場まで辿り着いたのでした、ははは。
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       5月下旬の暑いほどの陽射しの日で、ラヴェンダーも良い香りを放ち
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       サクランボも美味しく熟れ、勿論味見をしましたっけ!
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       これは葡萄の房。 花が咲き終わり、実になりかけの所。
       そして、オリーヴの花
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       というような、初夏の良いお天気のアーヴィオでしたが、

       今回はまだ真っ暗な朝6時に出発で、濃い霧の中のヴェネト平野を行き
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       ヴェローナから北に向うと、漸くに薄日が差し始め・・。
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       高速を降りる所で見えたアーヴィオの城
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       城の手前から見えたのよりも、ずっと主塔が高いのが分かりますが、
       今回あの上にも上りましたぁ!




       村の通りでバスを降り、城まで運んでくれる小型バスに分乗、
       まさに城の入り口前まで運んでもらいましたが、
       傾斜の小路は恐ろしいほどで、慣れた運転手さんもゆるゆると。
       
       お城入り口から見下ろす、サッビオネータの村
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       雲間から射す光の筋
       一日雨の予報でしたので、こんな光でも嬉しい事!
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       見上げる上の城館と主塔の先
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       入り口脇の建物、見張りの塔
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       最初は盛んに吠えていたワン君、鼻先を柵から突き出し、
       その後は、庭に寝そべって・・。
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       南、ヴェローナ方面。 
       アディジェ河は谷を蛇行して下り、ヴェローナの街中に。
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       一瞬、輝く太陽の光に、まるで違った風景のよう
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       奥の険しい山の黄葉にも陽が射し
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       高速の停滞を恐れ早く出発し、早く着き過ぎた我々が
       ガイドさんが待つ間がありましたが、

       城の中には、こんなフレスコ画があれこれ残っていて
       これはもう、全然予期していなかったので感激!
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       という今回の予告編でした。




       午後訪問したベゼーノのお城の威容はこの通り!
       これは駐車場にあった写真ですが、
       左下から辿り、右の一番奥まで! 
       訪問の価値あり! でしたぁ。
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、途中経過と、詰めと ・ お城での昼食の騒ぎを を
       アップしています。    
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     *****

       イタリア中部地震速報

       昨夜26日19時11分イタリア中部においてマグニチュード5,4の
       地震が起こりました。
       震源地はこの夏の8月24日の大地震が発生した地区よりも北、
       ノルチャ・Norciaカステルサンタンジェロ・Castelsantangelo sul Nera
       そしてヴィッソ・Visso の近く。
       その後21時18分に続いての地震があり、こちらの方が強い揺れで、
       各地に大きな被害が出ました。
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       が、この度の地震では怪我人が各地で出たものの、死者は無く、
       お年寄りが一人心臓発作を起こし亡くなりましたが、幸いでした。

       ちょうどかなりの大雨と霧で、雨がやみ始めた今朝になって
       各地の被害の様子が徐々に明らかになっています。


       震源地に近いカステルサンタンジェロの夜の写真
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       朝一番の日本からの友人の速報メールで知ったのは、
       プレーチからノルチャに行く途中のカンピ・Campiの古い教会
       サン・サルバトーレが崩壊したというニュース。
       
       何度か通った道で、ブログにも載せていた好きな教会でしたので、
       嘘であってくれ!と願いましたが、残念ながら・・!
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       プレーチ・Preciの近く、中世ノルチャの外科学校の発生地としても
       知られるサンテウティツィオ教会も、正面壁が落下。
       お昼のニュースで見たもっと明るい状態では、この写真よりもひどく、
       大きく落下しておりました。
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       ヴィッソは町の中央が立ち入り禁止になっていて、
       町の門の中の写真はまだ見つかりませんでしたが、
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       上空からのヘリコプターの映像によると、かなりあちこちの屋根が
       落ちているのが見えました。


       中心から少し外れた外なのか、この歴史的建物、壁の厚さが80cmも
       あるという建物が崩れた様子。
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       そしてこの一帯よりも北に位置するカメリーノ・Camerinoの町では
       教会の鐘楼が崩れ、脇の家も潰れましたが、幸いに死者はなしでした。
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       このカメリーノの町、そしてノルチャから南のウッシタ・Ussitaの町も
       かなりの建物崩壊がある様子で、
       ノルチャの教会サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエでも
       崩壊があったと。
       
       夏の地震で壊滅的な崩壊があったアマトゥリーチェの町でも、
       残っていた建物の新たな崩壊があった様子。

       幸い死者はなくて済んだ今回の地震ですが、これから冬に向かい、
       崩壊は無くとも住めなくなった家が殆どのようで、
       被災地の皆さんには大変な冬になりそうで、お気の毒です。
       


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by italiashiho2 | 2016-10-26 00:02 | ・北イタリア Italia nord | Comments(9)
2016年 10月 16日

   ・・・ イタリアで一番美しい 10の村々 ・ サイトから ・・・

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       先日偶然「イタリアで一番美しい10の村々」というサイトを見つけ、
       既に知っている場所もあり、初めて知る名もで
       とても興味深く思ったので、それを今日は皆さんにも!

       サイト名は、mondointasca - giornale on line di turismo e cultura del viaggiare
       ポケットの中の世界 - 観光旅行と文化の為のオンライン新聞
       
       魅惑的な美しさを持ち、皆さんに発見され評価されるに値すると
       思われる、10の村々をここにご案内

       というサイトの紹介文に相応しく、
       「小さな美しい村々」として既に有名な町村以外の、
       まだ余り知られていない、でも・・!という10の町の紹介ですね。

       という事で、北から南のシチーリアまでの10の村々の写真が
       1枚ずつ載っているのですが、州と町名だけではピンと来ませんよね?
       
       というよりもshinkai自身が知りたいものですから、ははは、
       どこにある町かの地図と、写真ももう一枚探し、ここにご披露を。
       短い紹介文はサイトにあったものです。

       サイトではボルゴ・Borgo(複borghi)村となっているのですが、
       これはイタリアでの慣習ですので、ここでは町とご紹介致しますね。


       1.チヴィダーレ・Cividale フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州
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       ジュリオ・チェーザレ(シーザー)によって興された町で、
       ユネスコの世界遺産の指定を受けている。
       魅惑的な町で、例えば写真の悪魔橋・ポンテ・デル・ディアーヴォロに
       伝わる、最初の通行者(実は猫)が、橋を造った悪魔の犠牲になった等
       たくさんの言い伝えがある。




       地図をどうぞ
       ウーディネ・Udineから私鉄道が連絡。
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       ロンゴヴァルド文化がしっかり残っている町で、国立博物館もありますが、
       この小神殿・テンピエットも大変美しく、町訪問の際はお見逃しなく!
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       チヴィダーレには以前何度も行き、何度かご紹介しています。
       こちらからどうぞ。




       2.ヴォゴーニャ・Vogogna  ピエモンテ州
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       ヴァル・ドッソラ・Val d'Ossolaに位置する住民1702人の町。
       中世からの町で、写真のお城は町よりも高い位置にあり、
       ほぼ円形の塔は町のすべてを睥睨する。





       地図をどうぞ。
       2つ見える湖の右はコモ湖、左はマッジョーレ湖で、
       ヴォゴーニャはそこから西に。
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       サイトで写真を探し見つかったのがこれで、随分昔、
       まだイタリアに来て間もない頃に雑誌で見つけた写真に惹かれ、
       切り取っていたのを懐かしく思い出しました。
       確かに行ってみる価値はありそう!!
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       3.ベッラージョ・Bellagio  ロンバルディア州
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       町はコモ湖に飛び出した先っちょに位置し、休暇を過ごすのに
       最適な事で知られ、北の山越しにアルプスが望め、
       コモ湖南の散策に適した色彩豊かな町である。




       地図は上のヴォゴーニャと同じもので、よくお分かりと。
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       もう一枚の写真は、湖から町の反対側を
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       生憎の曇り空の日でしたが、町の周遊のご案内は




       4.テッラーロ・Tellaro  リグーリア州       
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       この町はラ・スぺーツィア・La Spezia湾に位置する町村の中で
       一番魅力的な町の1つで、有名なチンクエ・テッレ・Cinque Terre
       からも遠くない。
       町は岩礁の上にあり、細い道を辿り背後の山にも行ける。
       



       地図をどうぞ。  左端切れて囲った場所がチンクエ・テッレで、
       確かに近いですが、行くとなると別ですね、これは・・。
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       今日のトップは、サイトにあったテッラーロの写真でしたが、
       いささか味気ない写真で、町紹介のも何か良く分からない感じ! 
       という事で、トップと同じ位置からの美しい写真をどうぞ。      
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       5.ソラーノ・Sorano  トスカーナ州
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       凝灰岩が掘られた上にある小さな町で、トスカーナのグロセット・
       Grosseto市にある。
       魅惑的な造りと古くからの趣のこの町は、エトルスクの証言に満ち、
       ヴァッレ・デル・レンテ・Valle del Lenteの傾斜地にある。




       地図をどうぞ。  左に見える薄いグレイの点線がトスカーナ州と
       ラツィオ州の境で、右上をかすめるのがウンブリア州。
       ソラーノの町はトスカーナの南東に位置します。
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       美しい夜景写真をどうぞ
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       この町にはピティリアーノから日帰りで出かけ、町中の美しさは
       知っていましたが、今回写真を探していて、
       町の対岸からの特殊な造形美の美しさにも感嘆しました。
       次回の為にインプット!
       
       町のご案内は




       6.カプラローラ・Caprarola  ラツィオ州 
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       カプラローラはラツィオ州の火山湖であるヴィーコ湖の 
       傍らに位置する。
       ここでは美しい風景と共に、素晴らしいファルネーゼ邸の庭園、
       そしてサンタ・テレーザ教会ではヴェロネーゼ・Veroneseや、
       グイド・レーニ・Guido Reniの絵画の鑑賞が出来る。




       地図をどうぞ。
       町にはヴィテルボ・Viterboから連絡
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       町の景観の美しさは我がブログでご案内していますので、
       ここではファルネーゼ邸の入り口からの眺めを
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       ブログでのご案内 カプラローラの町  

       ファルネーゼ邸 その1~3




       7.スペルロンガ・Sperlonga  ラツィオ州
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       海の町、自然のオアシスであるほかにスペルロンガの町は、
       海に突き出す岬に位置するたくさんの家々の眺めで魅惑し、
       幻惑する。 いくつかの見張りの塔の存在で分かるように、
       ずっと要塞化された町であったとみなされている。
       



       地図をどうぞ。  現在は道路状況が良くなり
       ローマからも楽に行ける場所となったと。
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       この春この一帯に出かけ、スペルロンガの町も散策しましたが、
       残念、この一廓を見ておらず、サイトで写真を見る度に・・・!!
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       町のご案内は




       8.フローレ・Furore  カンパーニア州
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       この町の美しさは何年も前から様々な観光協会によって知らされ、
       1997年にはアマルフィ海岸一帯がユネスコの世界遺産に指定された。
       と共に、イタリアで一番美しい村々クラブ、ワインの町協会、
       描かれた町協会にも加盟、2007年にはプロジェット・エデン・
       Progetto Edenで表彰された。

       描かれた町協会、というのは、町村の家の壁に壁画を描く企画で、
       通りが賑やかになり、観光の人々が集まる利点もありますが、
       何でも描けば良いというものではない、と思う事も、はい。
       古い町の美しい年月を経た壁が、下手な壁画で潰されるのは哀しく、
       町の趣が一変してしまう面もありますから。

       プロジェット・エデンというのは、どうやら観光客誘致の為の
       様々な企画をし、実行するものの様子。          




       地図をどうぞ。  アマルフィ・Amalfi とポジターノ・Positanoの
       中間にあるのですねぇ。
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       上の凄い眺めの写真から、どういう状況にあるのかと思いましたら、
       海が細く岩礁に入り込んでいる様子なのを見つけましたぁ!
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       9.カステルサルド・Castelsardo  サルデーニャ島・Sardegna
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       カステルサルドは自然の素晴らしさである。半島の頂上に位置する
       ドリア家の城に至る細い道、急な坂道の特徴ある、
       中世からの町がとても良い状態で保たれている。




       地図をどうぞ。 サルデーニャ島のサッサリ・Sassariに近く
       北に見える島は、フランス領コルシカ島。
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       上の写真の、山の頂上の城の写真を探しましたら、これひとつ!
       物凄い岩と城の区別がつきますか?!
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       10.カステッランマーレ・デル・ゴルフォ・Castellammare del Golfo シチーリア島
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       カステッランマーレ・デル・ゴルフォの町は、トラーパニ・Trapaniの
       湾に面し、12世紀のノルマン族の征服期に端を発する町。
       この町からの素晴らしい海の色の眺めは驚異的であり、
       まさに空と海が混ざり合うようである。




       地図をどうぞ。  パレルモの西、湾の奥に位置するのですね。
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       上の写真ではちっとも町の良さが分かりませんので、ははは、
       探しましたぁ! 
       これで海に飛び出す要塞城も、古い町の造りも
       海の色の素晴らしさも分かりますね。
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       如何でしたか?
       お気に入りになりそうな、小さな美しい町は見つかりそうでしょうか?

       う~~ん、シチーリアにも、他にも行ってみたい所ばかりだなぁ・・!!

       
 
     *****

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by italiashiho2 | 2016-10-16 00:03 | ・ご挨拶・番外 Saluti Speci | Comments(4)
2016年 06月 19日

   ・・・ カエターニの城 ・ セルモネータ ・・・

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       先々回に、ラツィオ州にあるセルモネータ・Sermoneta の町
       ご案内いたしましたが、    
       今回はこの町にほぼ完璧な姿で残るカエターニの城・Casello Caetani
       と呼ばれる中世からの城塞見学のご案内です。

       上の写真はサイトから拝借の、城の形が良く分かる物で、
       主塔・マスキオ・Maschioと呼ばれる塔が見え、
       その左に張り出したテラスが見えるのにご留意を。

       で、左下に見える低い張り出し部が、城への入り口部




       町の中心にあるコムーネ広場から上り道を辿り、
       このアンニバルディ門をくぐり、さらに小路を上って行くと、
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       右手に城が現れ、この部分は主塔の手前の館部分で、
       一番上に主塔のてっぺん部分が。
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       ここが城の入り口、切符売り場
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       木曜が定休日で、毎日公開されていますが、
       内部はガイド付きの案内で、10時から1時間毎、午後は3時から。
       詳しくはこちらを。http://www.fondazionecaetani.org/visita_castello.php 




       入り口を入ると草地の小広場・オルミ広場があり、 
       そこから折り返す感じで、城内部への入り口にかかりますが、

       これは切符売り場の先から見上げる、最初の跳ね橋。 
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       最初の広場から見る城への入り口ですが、
       下から見上げた最初の跳ね橋はこの門の手前で、鎖が見えますか?
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       跳ね橋の上から見る平野の眺め
       写真では分かり難いのですが、遥かに海が!
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       そして左に折れ、2つ目の跳ね橋があり、
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       それを渡ると、城の中庭に出ますが、
       分かりやすい様に上から撮った写真で、ご説明を。

       2つ目の跳ね橋を渡ると、内庭の手前左隅に出て来て、
       正面に見えるのが、枢機卿の家・Casa dei Cardinaleと呼ばれる建物。
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       カエターニ城と呼ばれるこの城は、
       13世紀、当時の教皇からこの一帯を領土に預かった
       アンニバルディ一族が建設した物で、
       現在も残る主塔マスキオ、高さ42mと、それに付随している小さい塔・
       マスキエットを主とした完全に中世の軍事的要塞

       それを1297年、当時経済的危機に陥っていたアンニバルディ家から、
       教皇になったボニファーチョ8世の甥ピエトロ2世カエターニが、
       セルモネータと近接の土地を14万フィオリーニ金貨で、
       既に庭園をご案内したニンファの土地を20万フィオリーニで買い取ります。
            
       建物も増設、この地をカエターニ家の本拠とし、着々と勢力を伸ばしますが、
       
       1492年ボルジャー家のアレッサンドロ6世が教皇に選出されると、
       1499年カエターニ家は破門措置を受け、財産も特権も没収され、

       この城はボルジャー家の手に渡り、以前にも増し軍事色の濃い配備がなされ、
       城壁を完璧にし、主塔の上部にあった教会を潰し、
       1400年代からそこに埋葬されていたカエターニ家の領主の墓も潰し、
       後世1536年に神聖ローマ皇帝カルロ5世が、騎馬千頭、歩兵4千を
       持っても落とす事ができなかったという要塞城に。

       きっと城の軍事的改造にはチェーザレ・ボルジャーも来て、
       あれこれ実際の指揮を取ったに違いなく・・、
       と、あれこれ想像が広がります、はい。
       
 
       で、上の写真のご説明に戻りますが、
       この正面に見える「枢機卿の家」というのが、ボルジャー家が
       ここに居た短期間・約5年間、アレッサンドロ6世の死1503年まで、
       彼らが唯一建設した住居で、
       ここにはかのルクレツィア・ボルジャーも住んだ事があったと。




       そして1504年、教皇ジューリオ2世によりカエターニ家に戻され、

       内庭の南側はこんな感じで、左に、枢機卿の家の斜めの位置に、
       2棟の建物があり、
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       14世紀にカエターニ家がここに住み始めて建設、拡張した物で、
       この左側の建物にフレスコ画の描かれた部屋があり、




       内庭の西を占める形でこの建物があり、そして塔への入り口階段
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       広場の真ん中にある大きな井戸は、高所にあるのを配慮した
       天水利用の井戸なんだそう。




       主塔マスキオと小塔マスキエット、そして右下に第2の跳ね橋から
       この内庭に続くアーチの入り口が見え、
       塔の左に、主塔への階段上り口が。
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       塔の上部と
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       塔への階段上り口
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       見物は、内庭の東側に見えた「枢機卿の家」からで、
       これは壁にあった、カエターニ家の紋。
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       内部はとにかく広い広い部屋が3つ、だったっけ?あり、
       余りにも整備されすぎていて、写真の撮りようもなく・・!
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       壁にはかってこの城を訪れた客人たちの落書き、
       作曲家であったカエターニ家の一人の五線譜の音符などもありましたが・・。




       建物を出て、城郭の東南角に当たる部分
       ここの角部分が崩壊した廃墟部となっているのですが、
       その幾何学的ともいえる形態に、光が射し込む様子に魅せられました!
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       石畳の下り阪を行き、左に折れると
       先頭は今回の旅のガイドさん、元気印で美人のリンダさん。
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       内庭からの下り道を振り返るとこんな様子で
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       城の東南角の崩壊部分
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       ここには小麦を挽く、碾き臼の部屋があったそうで、
       挽石なども地面に見られましたが、
       上階は多分居室だったのでしょう、暖炉の名残も見えます。


       17世紀になり、平野を通るアッピア街道も再開発されると、
       カエターニ家も平野部に一族の本拠を移し、この城は放置され、
       18世紀、スペイン軍、フランス軍の略奪破壊にも遭い、
       19世紀には軍や農作物の倉庫代わりに貸し出されたりもし、
       漸くに19世紀の末になり、カエターニ家が修復を始めたのだそう。
       



       で、先ほどの石段の下りの先には、

       これは入り口部分を逆に見ていますが、
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       ここに厩舎があり
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       この小さなアーチ部、これは古いのが残されたのと思いますが、
       ここに秣を置いたものと見られ、
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       片側に20、つまり20頭、全部で40頭の厩舎だそう!

       ここにずらっと駿馬40頭が並んでいる姿をご想像あれ!
       かっての栄光時は、きっと煌びやかなものだったでしょうね。

       この厩舎は映画の撮影にも使われ、10年ほど前までは
       ここで室内楽のコンサートも行われたのだと。




       細長い厩舎の突き当りを出ると、この左の壁は周囲を囲む城壁で、
       この広場で、馬の毛をすいたりしたのだと。
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       石段道を戻り、奥に見える建物の奥側の扉から入りますが、
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       建物の壁の装飾が単純にフレスコ画と思っていたのが、
       少し削っているのにも気が付き・・。
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       建物の端には台所がありましたが、
       そっけないほど台所仕事を想像させる何物もなく、
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       単に大きな大きな吹き抜けの煙突!
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       ここでは城内の兵士すべての食事を賄うのではなく、
       貴人達のみの食事を作っていたのかも、と。




       隣の建物の入り口から入ると、ここは大広間で、
       「狩の部屋、または男爵の部屋」という部分と思いますが、
       大宴会なども開かれた部屋と。
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       仲間が一緒で部屋の写真が撮れず、上のはサイトから拝借し、
       右奥に見える扉から入ると




       客人用の寝室が2部屋あり、ピンタの部屋と呼ばれる
       15世紀後半のフレスコ画装飾された部屋で、
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       主題は伝説的、神話的なもので、画家はピントリッキオ派の 
       無名画家だそうですが、絵として余り上等とは思えませんで・・!
       これでピントリッキオ派なんて言ったら、師匠が泣くのではないかと、ははは。




       古いまま残った窓際の席と
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       出窓の天井にあったカエターニ家の紋
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       1つの出窓から町の姿が見え!
       飛び出している鐘楼は、サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂のもの。
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       これは南西に見えた教会で、コムーネのサイトで分かったのは、
       サン・フランチェスコ教会と元修道院。
       13世紀頃からの古いものだそうですが、今見えるのは15世紀の物と。
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       建物を出て、主塔に上るべく移動しますが
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       内庭越しに見る、北の城壁
       最初に内庭に入ってきた時も、この城壁の威圧感が凄かったですが、
       壁の厚さは3mもあるのだそう。
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       上部のメルレット・レース飾りと呼ばれる凸凹も、
       ボルジャー時代の改造だそうで、この上の歩哨の見張り道を
       後ほど歩きましたぁ!




       右が塔で、左が建物に沿った外階段で、
       今見える渡り橋は、かっては跳ね橋だったのだそう!
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       で、塔との間の隙間部分は、こんな感じの深さ!で、
       足の悪い方、高所に弱い方は下で待つように、と言われまして・・。
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       多分、かってはここにも床が在ったのだろうと想像しますが、

       窓越しの遥か向こうに、海が見えましたぁ!
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       一旦小塔の部屋に入ると、書斎があり、
       主塔の中に、代々の領主達の寝室がそのまま残されており
       この天蓋つきベッドも、オリジナルなんですと!
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       つまりこの領主の部屋に至るには、3つの跳ね橋を通る訳で、
       この部屋から外のテラスに出るにも、跳ね橋が在るのだと。
       ・・テラスに出ましたが、跳ね橋には気がつかずで・・!

       小塔の方にある書斎は、20世紀の始め、この城の修復に
       取り掛かったジェラージオ・カエターニ・Gelasio Caetaniが使っていたと。




       これは部屋の隅にあった暖炉で、如何にも古い作りでしょう?
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       ちょっと脱線しますが、あれこれ写真を調べたりしていて、
       このセルモネータのカエターニ家の最後の人々の写真も見付かり、

       おまけになんと、母親のアーダと一緒にニンファの庭園作りに取り掛かった
       ロッフレード、彼の名が現在の財団の名に残りますが、
       その兄である15代セルモネータ公爵レオーネの妻
       ヴィットーリア・コロンナ、ローマ貴族コロンナ家の名を引く様ですが、

       彼女と当時の未来派画家ウンベルト・ボッチョーニとの
       2ヶ月間に渡る秘密の、いや、秘密ではないですね、
       ばれて別居になったようで・・! 情事なども知りましたぁ。
       なぜ2ヶ月だったか、彼が落馬して亡くなったのだそうで・・。 

       「カエターニ」で検索していて素晴らしく美しい婦人の写真が見付かり、
       それからずるずると芋蔓式にたどり着いたのでしたが、
       あれこれ詳細記事が見付かったものの、ははは、
       いまだしっかり読んでおらずで、暫くひっそり楽しめそうです、うひひ。
       



       さて本題に戻りまして、ここが領主の寝室から跳ね橋で出る
       主塔から張り出したテラス
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       つまりこのテラスまでは敵が上って来れても、跳ね橋があるので
       領主の寝所には入れない事になりますが、
       味方の謀反程度ならいざ知らず、本当に大群の敵に取り囲まれた場合、
       塔の中に引きこもり無事であっても、兵糧攻めになったらどうするんだろ?




       これが城壁の上の見張りのパトロール道、広いでしょう?!
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       一番東端まで行き、間から見晴らす北の眺め
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       そして狭い階段で潜り込んだ、城壁の壁の厚みの間をくり貫いた
       トンネルのパトロール道。  ここを逆行きに戻り、
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       階段を下り、2つ目の跳ね橋の脇、つまり内庭に出るアーチの横に
       出て来て、7世紀間を生き残ってきた城塞見学がお終いに!
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       我々見学者に公開されている部分はこんな感じですが、




       この方角からの城の写真に見える、周囲を取り囲む城壁の上、
       またこの南面に見える建物上階に続くテラスなど、
       きっとずっと兵士の見回りがあり、今も上れるのだろうと思います。
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       いやぁ、如何にも堅固な中世の城という感じで、
       華麗さは無かったですが、興味深かった。

       ニンファの庭園に行かれる方、お近くにお出かけの方、
       可愛い小さな町の散策と共に、お城見物も是非どうぞ!!




       ◆ おまけ ◆

       町のご案内の時に、「ロカンダ・ボニファーチョ8世」という
       宿とレストランの表を見て、中はどんなのかと思ってましたら、
       写真を1枚見つけましたので、どうぞ。
d0097427_00001541.jpg
       階段の段差が少し複雑に入り込んでますが、
       如何にも中世風な趣でしょう?!




       町のサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂に付いては
       水彩・色鉛筆画ブログの方でご案内をしておりますので、
       下のリンクからどうぞ!


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、もうちょっとの2枚と、 S.M.アッスンタ聖堂・セルモネータ を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



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by italiashiho2 | 2016-06-19 00:12 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(4)
2016年 05月 15日

   ・・・ ヴァルヴァゾーネの城 ・ イタリアで一番美しい村々の ・・・

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       先々回ご案内しました「イタリアで一番美しい村々」に登録の、
       フリウーリ・ヴェネツィア-ジューリア州のヴァルヴァゾーネ

       今回は村の起源ともなり、公爵領主の居城でもあった
       お城のご案内を。

       当日は曇り空でしたので、まずトップは青空の美しい写真を
       サイトから拝借致しまして、

       元々は13世紀の要塞城で、周囲を深い堀が囲み高い塔もあって、
       現在は橋も普通ですが、当時は跳ね橋だったと。
       


       真正面からの写真では見えない、向って左側も少しどうぞ
d0097427_23424089.jpg
       長い世紀の間に炎上もし、修復され拡張され地震の被害も受け、と
       様々な変遷を辿った城で、
       まず橋の向こうに見える門囲いの上部、本来ならばこの上部には凸凹形、
       イタリア語でメルレット・レース飾り、があったのが潰されていて
       名残がうっすらと見えますね。
       
       左に見えるロッジャ部分も、18世紀になってつけられたもので、
       正面上部の壁にも円柱が残っているのが見えます。
       我々の内部見学は、左のロッジャ部分から入りましたが、
       ロッジャには門囲いの内側の、左に開いた入り口から。

       城は現在、国の記念物に指定になっているそうですが、
       持ち主はコムーネ・市。
       現在まだ修復が続いていて内部の一般公開はされていない様子。
       ガイドさんが鍵を開けて、という形でした。





       橋を渡っての奥に見える中庭と、円形の井戸
d0097427_23425529.jpg
       実は上の写真で見える右側の翼部分、ここは個人の持ち主が
       3軒分入居されているそうで、かって公爵から購入されたとの事で、
       我々は中庭には入れず。

       門の奥には鉄柵があり、たまたま入居者の車がやって来て柵が開き、
       中が見えたのでした。




       本館側左部分3階と4階の間、18世紀の改修部分
       これは実は3階の上の部分に、テラス庭園があったのを潰し、
       居住部分に替えた名残なのだそう!
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       皆が一斉に、勿体ない!と声を上げたのですが、ははは、
       ガイドさんの説明によると、時代が下り、要塞城というよりも
       ルネッサンス様式の居城に様変わりしていて、
       一族の皆さんがたくさん住んでおり、部屋が不足だったのだろうと。       




       正面左側壁の様子。 右がやはり18世紀に建て増しのロッジャ部分の上、
       左の窓の形は古い物。
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       ロッジャの前庭から見る埋め立てられた堀と、深い堀だったそう、
       お城前の広場にある建物類、多分この辺り家臣達の物と。
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       お城前の広場・ピアッツァ・カステッロ
       現在は駐車場になっていますが、
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       右奥に見えるのは塔の門で、



       こんな様子で、町の西側の門。
       塔の名はトッレ・デッレ・オーレ・Torre delle Ore,
       かっての時代、時を知らせる鐘でも備えていたのでしょうか。
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       右に見える壁画のある建物は
       


       これ。 トラットリーア・ラ・トッレ・Toratoria La Torre,
       ちょっと有名な土地の料理、そして古い土地の料理を食べさせる様子。
d0097427_23441644.jpg
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       広場の端にある井戸、優雅な飾りがありますから、
       この広場の周辺建物は、領主の主だった家臣達で占められていたものと。
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       広場南面の様子。 見える鐘楼は先回ご案内のドゥオーモの鐘楼。
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       サイトで見つけた17世紀のお城と村の様子
       堀が周囲を囲い、町の周囲にも流れ、城壁が町を囲んでいた様子。
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       堀に渡された橋は3本あり、一つは上のトッレ・デッレ・オーレに、
       もう1本は城に、そして集落に連絡していたそう。

       城の高い塔も、高さ18mあったそう、積年の災害などで危険な状態となり、
       1884年に取り壊されたと。




       こちらがロッジャ部分で、ここから我らは城の中に
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       最初に入った部屋の様子で、兵達の詰め所でもあったでしょうか。
       一番手前に見えるのが大きな釜、洗濯物の煮沸に使われ、
       18世紀まで使用されていたと。
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       灰汁を使い、また香り付けの香草も使ったりで、
       この部屋は「香りの部屋」と呼ばれていたと。
    
       ですが、洗濯の後はちゃっちゃっと洗って、きっと煮炊きもしたんだろうね、
       というのは、shinkaiと傍の仲間との内緒話。

       見える鳥の様な物は、グリフォーネ・grifoneという伝説上の鳥で、
       現代の鉄の彫刻。

       一番奥に切込みが見え、真ん中にも扉が見えますが、ご留意を。       




       これが釜の部分で、大きなフードがあり、
       左横には、窓際に設えの席が向かい合ってありました。
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       真ん中の扉の中、隙間から中がチラッと見えるのに気がついた
       shinkaiが必死で狙うのを見て、ガイドさんが開けてくれ、ははは、

       はい、トイレなんですけど、壁に聖像用のくり貫きがあるのを  
       初めて見まして・・!
d0097427_23461158.jpg
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       そして、蓋付き! ガイドさんに確かめましたら、
       やはり堀に落下する様になっていて、ははは、
       蓋は臭い封じでもありますが、風などの吹き込みも防いだのでしょう。

       ここのは修復され、座も蓋も新しい物でしたが、




       部屋の奥に見えた、壁の切り込み式のトイレがこれ!
       ここのは座も蓋も木の、古い物でしたぁ。
d0097427_23464213.jpg
       
       こういう古いトイレには、大いに興味をそそられるshinkaiでして、ははは、
       フィレンツェはヴェッキオ宮のは  http://italiashio.exblog.jp/10363547/
       同じくフィレンツェ、ダヴァンツァーティ邸  http://italiashio.exblog.jp/10480570/
       アシャーノの博物館内のは  http://italiashio.exblog.jp/20195158/


       友人のジュリアーナは、フリウーリの北で暮らした子供時代
       お祖母ちゃんの家にこんな蓋付きトイレがあり、
       中に吸い込まれそうでとても怖かった!という想い出話をね。

       以前読んだ「ノルチーノ登場」という戯作本には、
       ノルチーノというのは、ウンブリアはノルチャ出身の、
       豚肉加工職人であり、藪医者でもあり、去勢手術人を指しますが、

       ケチなノルチーノがあれこれ細々と遺言を書き残すのに、
       瓦1枚とか、楊枝1本、スプーン1本とか、ははは、
       中にトイレの蓋、というのがあり、当時は意味が分らず訊ねましたっけ!
       ははは、こちらのトイレの蓋は丸いのも知ったのでしたぁ!!




       天井にはこんな風に飾りが描かれ、柱の間にはそれぞれの紋章が
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       部屋の端の壁には、かっての落書きがあれこれ!
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       窓の外を覗くと、抱卵中の鳩が2羽。 頑張ってね!
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       こちらはフレスコ画装飾がされた部屋
       修復が済んだばかりなので、触らないように注意をとガイドさん。
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       順にご案内しますと、正面のは、最初のフレスコ画を塗りつぶした上に
       後の時代に描かれたもの、を引き剥がし、改めて別の下地に貼り付けた物。
       



       右側の壁、これが上に見えたものと同じ、後から描かれた柄。
       これがいつの時代のか、説明を聞き逃し、サイトでも見付からず・・。
       17~18世紀の物でしょうか?
       長年同じ古い壁画を見続けて、きっと飽きが来たのでしょう、ははは。
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       これも上の写真の続きですが、
       上に見える黒と赤の狼の立ち姿、これがヴァルヴァゾーネの
       城主の紋章でして、
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       白地に黒が、このヴァルヴァゾーネのもので、
       赤が同じ家系の分家筋というのか、クッカーニャ・Cuccagna、
       そしてスピリンベルゴ・Spilimbergoの領主の物で、
       村の中にも並んで描かれているのが見えました。

       元々ヴァルヴァゾーネ・Valvasoneという領主の名、村の名は
       ドイツ語の wolfes + höfe に由来し、狼の群れの意、
       イタリアの北東の国境を越えたオーストリアは
       カリンツィアの貴族出身との事。

       13世紀に当時あった古い要塞の跡に城を築き、
       先回町のご案内の時にご説明した、ローマ期以来戦術上重要な
       ターリアメント河渡河のこの位置で栄えたという家系です。




       さてこちらが左の壁の興味深いフレスコ画で、
       修復の際に偶然上のフレスコ画の下から見付かったという
       14世紀中頃のもの!
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       右端から、貴族の男女の姿、木の姿に囲まれての比喩的な物
       そして左端が大変興味深いロバと狼の姿。




       右端の貴族の男女の姿ですが、
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       左の3人の女性の真ん中は既に結婚した女性を表し、何か贈り物を
       差出し、奥は城を抱えていますね。そして音楽を奏でる手前の女性。
       さて何を物語っていたものか、絵に隠された比喩は?
       



       真ん中の木に囲まれた小さな図ですが、これも当時の比喩らしく、
    
       子供達が遊んでいる図ですが、フリウーリ弁で書かれた文字は、
       「さて、遊びが始まる」と。
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       夫婦に小さな子供2人、テーブルの上には硬貨が見え、
       夫が頬杖をつき、書かれた文は
       「ここが思案のしどころ」という意味と、ははは。
       ね、洋の東西、世紀を問わず、どこの家庭も同じなので~す!
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       男女が向き合い、鏡を見ながら見繕いを
       「綺麗にして」と。
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       全体で何か賢者の言葉を伝える、絵解きだったのでしょう。




       左のこれは、アルメッリーノの毛皮を着たロバが立派な椅子に座り
       前に狼が居ます。
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       現在はロバは馬鹿の意味で使われますが、中世の世にあっては、
       ロバは賢者だったのだそうで、ガイドさんは意味不明と言いましたが、
       サイトで見た説明にはこんなのがありました。

       つまりアルメッリーノを肩にかけたロバは、アクイレイアの司教で、
       アクイレイアの司教はかっては大勢力を誇り、このヴァルヴァゾーネも
       その支配下にあったほどで、
       前にいる狼に、勿論ヴァルヴァゾーネの領主、何か教えていると。

       土地に残る話に「ゾッポラの戦争」というのがあり、それの関係だろうとあり、
       何かと調べましたら、
       ゾッポラ・Zoppolaという町がヴァルヴァゾーネの南西10kほどにあり、
       ここに11世紀からの城があり、城主は変わっても1405年まで続いていたのが、
       それ以降アクイレイアの司教の持ち物となり、現在に至るも
       荘園(土地)は当時の司教アントニオ・パンチェーラ・A.Pancieraの子孫、
       パンチェーラ家のものである、というのがありました。

       ヴァルヴァゾーネの領主とゾッポラの領主が争ったというのに、
       案外アクイレイアの司教が乗り出し、上手い事我が物にした、された、
       という事を代々伝えているのかな、とも・・?!
       
       所でこの城は現在も残り、中には天井が木製金塗りの小さな司教の書斎とか、
       ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロやピエトロ・ロンギの作品も残っていて、
       予約すると、庭園共々見学できるのだそう!
       
       電話 +39-0432-288588   ファックス +39-0432-2297790
       サイトは www.consorziocastelli.it
            info@consorziocastelli.it

       聞いたことも無い別の田舎の町にも、かっての富が眠っているようですね!



       
       この部屋の天井にもやはり模様が施されており、間には多分一族の
       肖像なのでしょうね、特別豪華ではありませんが、
       やはり中世の要塞とは違う、居城の趣になっていたのが分ります。
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       これは隣(最初)の部屋から入ってきた境にあるアーチですが、
       やはりここにもフレスコ画の装飾が。
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       この階段の下には下りれませんでしたが、城の半地下にでもなるのでしょうか、
       きちんと修復が施されており、
       階段は貴人たちが騎乗のまま上れる、段差の低い物
d0097427_23501730.jpg
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       この部屋から低目の扉を潜り、段差を一段下ると、
       この城の呼び物の一つである、小劇場!
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       舞台上はこんな風で、上には左脇からと、今見える右奥から階段があり、
       子供達が遊ぶ間に風景が描き込まれた帯状の飾り模様が天井の下を巡り、
       正面左側の聖母子像と、右の大きな額縁は騙し絵です。




       舞台に向う客席側は、こんな感じで上部にあり
       細かい細部にもすべて装飾が施された18世紀の、一族用の小劇場!
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       我々が入ってきた隣の部屋からも入れますが、
       舞台の対面に入り口扉があり、そこから左右にある階段で上の桟敷に
d0097427_23510981.jpg
      



       観客席の下はこんな感じで、立ち見も出来ると言うわけですが、
       上の観客席はせいぜい35,6人と言ったかな、
       完全に一族が楽しむ為の小劇場なのですね。
d0097427_23512201.jpg



       帯状の飾りは子供達と風景ですが、
       16世紀のエラーズモ・ディ・ヴァルヴァゾーネ・Erasmo di Valvasone
       (1523-1593)という方が、一族の中で一番有名な詩人で
       作品を残されているのだそうで、その中の場面の様子と。
d0097427_23513601.jpg
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       城の2階には礼拝堂や、豪華な大部屋などがあるそうですが、
       ガイドさんによるとやっと修復が済んだ所で、まだ公開されていない、
       との事でしたが、

       初めて知り見たこの城の内部の裕福さ贅沢さに
       なんとまぁ、こんな田舎に!というのが正直な感想で、
       奥が深いなぁと思った事でした!
  



       毎年9月の半ば、金土日の3日間、今年2016年は9月9,10,11日に、
       「中世のヴァルヴァゾーネ・Medioevo a Valvasone」という、
       栄えた16世紀辺りを目安にした回顧祭りが開かれる様子で、
d0097427_23521039.jpg



       こんな旗振り競技も、騎士物語りも、時代衣装の行列も
       繰り広げられ、
d0097427_23522387.jpg
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       中世風の屋台や職人芸や、様々な催しが楽しめる様子。

       最後は、夜の広場の様子をどうぞ!
       チャンスがありましたら、このフリウーリの古い町にお出かけ下さいね!!
d0097427_23525187.jpg

    

     *****

       皆様、いつもブログご訪問、有難うございます!

       さてshinkaiは、この18日から22日までの5日間、
       グループのバス旅行で、ラツィオ州の海岸沿いの町、島を巡る旅に
       出かけますので、春休みを頂く事とし、へへへ、
      
       次回のブログアップは25日に、という事で、
       宜しくお願い致しま~す!!

       はぁ、いつも日曜のshinkaiではありますがぁ、
       ブログに追われぬ10日間は嬉しいぃぃぃ!! うふぃうふぃ。

       しっかり眺め、撮りまくって来るつもりで~す!

       皆様にも良い春でありますように!!
       

     *****

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by italiashiho2 | 2016-05-15 00:03 | ・フリウリ・VG Friuli- | Comments(4)
2016年 01月 06日

   ・・・ 松本城訪問 ・ 信濃の国 ・・・

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       昨年の秋日本に行った時、松本と安曇野を訪ねましたが、
       今回は、松本城訪問の様子を見てやって下さいね。

       信州長野生まれで育った私は、小学6年生の春(だったと)に
       松本から諏訪への修学旅行で一度訪問しているのですが、
       それ以降はいつも素通りでしたので、町の様子も知らずのままで・・。
       今回漸くに安曇野も含め訪問できたと言う訳でした。

       上の写真は、お城、天守への内堀を渡っての、二の門
       復元された門との事ですが、立派で控え壁には鉄砲用挟間も見られ、
       外人観光客の姿もかなり多く・・。




       案内図をどうぞ
       上でご覧頂いた二の門は、中ほど下に見える「現在地」から上、
       の数字にあり、
d0097427_00283112.jpg
       2. 本丸御殿跡、3. 二の丸御殿跡も実際には建物がありませんので、
       6.二の門の後は、11.黒門を通ると、広い庭園になります。

       6.の右に、外堀を渡っての位置になりますが、
       10.太鼓門、門の上に楼上があり、鐘と太鼓で情報を伝えていたと言い、
       ここは見なかったのですが、復元された大きな立派な門で、
       多分こちらが家臣の登城門だったのでしょうね。




       案内図11.の黒門、こちらも復元された物と言いますが、
       本丸御殿に通じる重要な門で、
d0097427_00284532.jpg



       柱にも初代城主であった石川氏の笹竜胆の紋
d0097427_00285972.jpg



       門の内側に、この城の歴代藩主の名と紋所が。
d0097427_00291434.jpg
       
       元々は16世紀の初めに、当時深志城と呼ばれた城が築かれたのが
       始まりのようで、城主は戦国の世の中ですので色々変遷があり、
       
       最初に名の見える石川数正が入城したのは1590年、徳川家の関東移封後で、
       彼が天主を築き、城郭、町の整備も行ったとの事。
       こうして代々城主が変わりながらも引き続き、明治2年まで。 

       明治最初の城取り壊しの際、競売に掛けられ解体される寸前に、
       街の有志が音頭を取り運動を繰り広げ、
       遂に現在まで生き残ったという城なのですね。

       松本城のサイトはこちらに

       上諏訪の町とお城については




       黒門から入ってくると、広い庭園の向こうに大天守が聳えます
d0097427_00292858.jpg
       そうなんですよね、この松本城は平城!
       もともとの築城年を考えると、ちょっと不思議な位なのですが、
       天守のある城としては唯一の平城なんだそう。

       そして、えっへん、はは、私が威張っても始まりませんが、ははは、
       そう、この松本城は日本に5つある国宝の城の一つ!なんですねぇ。
       (4つかと思っていましたが、松江城が昨年指定を受け)
       他の3つは犬山城、彦根城、そして姫路城ですね。
       
       犬山は明治村に寄った記憶がありますが、まだ城は知らずで、
       重文指定の他の7つの天守も美しく、チャンスがあれば!です。
       



       で、サイトから見つけた名と高さ入りの写真をどうぞ
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       という事で、乾小天守と大天守を繋ぐ渡り櫓の下にある
       大手口から入りますが、

       これは大天守の石垣の迫り出し具合
       角の上には石落としも見える実戦構造の城ですね。
       黒の色は漆塗りなんだそう!
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       石垣前に武者姿のこの方がおられ、皆さんとの記念撮影に
       応じられていたのですけど、shinkaiがお願いしますとカメラを構えると、
       一人撮影とわかって、あっ、あれっとちょっと照れたりして、ははは。
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       むむ、貴殿お持ちの三階菱の紋所は、2代目城主小笠原氏の物でござるな。




       ささ、大天守へいざ、いざ、お進みめされ!
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       ちゃんと靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がって下さいよ、
       そこの外人さん。 (英語でなんていうの? ははは)




       松本城天守の構造。 
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       上がる前にしっかり読んで、というのをいつもパシャッと撮って、
       ブログ書きの前に読んでなるほど、というshinkaiですが、

       戦国時代の終わりの平城でも、やはりそれなりの実戦体制を
       取っての築城だったのが、鉄砲攻撃に備えての厚い壁とかで分りますね。
       大天守の壁の中には、木の枝とか縄を真ん中に挟み塗りこめてあり、
       厚さが20~30cmもあるそうで、これだと火縄の玉も通しません。

       明治時代にこの大天守が傾き、大改修が行われた事があった様子ですが、
       この説明の2にある、天守台の石垣の中に、16本の栂材の丸太柱を埋め込み、
       千トンの重さを支える、というのが、
       この丸太柱の老朽で支えきれなくなった、という事情もある様子。
       昭和に行われた解体大修理の際に発掘された柱は、
       殆どが腐食され形を留めていなかったとの事。
       400年もの歴史を持つ城ですものね!




       大天守の北にある乾小天守ですが、「北」にある小天守が「乾」・北西を指す、
       と呼ばれるのは、「北」が意味する言葉の不吉さを嫌ったからなのだそうで、

       大天守と違って、こちらには丸太の柱も使われているのだそう。
       すり減り、磨き上げられた、床と柱の美しさに目が行きます!
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       階段の踏み板も、支えもツルツルすべすべ
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       中はやはり薄暗く、窓の外の快晴の空、緑が嬉しく
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       この柱の見事さ! 木目の美しさ!
       床が黒いのは、これもかっては漆塗りだったんだろうか?
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       大天守への渡り櫓部にあった、梁の大きく曲がった太い柱
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       こんな自然のままの柱は強度に強いのだそうですが、
       傍らの管理の小父さんが、この柱は何の材木だと思いますか、と出題。
       でも、この城の名に因んだ名前です、とヒントもね、ははは。
       というので覚えると、忘れませんよね。




       でもね、凄みのある木目でした!
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       昭和の大修理(昭和25~30年)で取り替えられた展示品もあり、
       これは鬼面鬼瓦
       余り怖くなく可愛い顔にさえ見えますね、ははは。
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       大天守の1階の大広間、鉋や手斧で仕上げられた柱が
       整然と薄暗い中に並びます。
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       この広間の周囲を、約45cm低い武者走りが取り囲みますが、
       土台は2重になっているのだそう。




       大天守の上を護っていたシャチ。 口を開けているのが雄で、
       閉じているのが雌、というのですが、これはどちらかな?
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       かなり興味をそそった火縄銃の各種の展示があり、
       長いのと、馬上筒と呼ばれる短い物。
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       説明図によると、大筒と呼ばれる口径30mm程の物が、
       大阪夏の陣では昼夜を分かたず打ち込まれ、和議を早めたという事で、
       これ位のものだと射程500mほどの命中率はなかなかのものだったとか、
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       馬上筒は加藤清正が武器として取り入れたのが初めで、
       馬上で使いやすいよう50cmほどの長さの火縄銃で、近距離用。
       勿論連続発射は出来ず。

       右上に見える抱え大筒というのは、口径25~40mm程までの火縄大筒で、
       これを抱えて撃つ日本独特のものなのだそう。
       狭い坂道でも抱えて運べるので山城攻めとか、戦国後期に威力を発揮したと。




       こちらは鉛の弾、勿論手つくりで、
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       考えた事もなかったのですが、戦国期の武士の妻や娘の仕事だったそうで!
       夫の火縄銃に合った弾作りに精を出しているかっての女達の姿を思うと、
       いじらしくもあり、少々おかしくもあり!
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       火縄つくりも大切だったようで、良い火縄だと命中度が違い、
       木綿の火縄だと火持ちも良く、灰も真っ白で軽く、
       引き金を引いて玉の出るタイミングもとても良いと!

       ですが、木綿はかって北の国では栽培できず大変に高価だったので、
       刺し子や菱刺しの起源もこの理由からでしたしね、
       古くには繊維の長い竹や麻を混ぜて火縄を作ったとも。




       甲冑ですが、後ろに「当世具足」と見えるように、
       戦国時代になって当時の鉄砲戦に相応しい形を考えだした物で、
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       かっての煌びやかな革の小片を繋いだものではなく、
       鉄を使った大量生産で、鉄砲戦に対応した強い物、玉を反らせるために
       曲線や傾斜を多用し、機能性も重視しているのが特徴と。

       背中に玉込め用の棒・カルカを背負い、腰には玉入れを下げ、
       肩から口薬・点火薬入れの水筒みたいなのを提げ、
       これで火縄を持つと約20kgの重量だったと!

       ふっと気づいたのですが、玉込め用の棒がカルカ!
       イタリア語でカーリカ・caricaは職務、積荷、充填、仕込みなどを指し、
       戦闘での「弾込め、撃つ用意!」は動詞caricareから、carica!なんですね。

       仏壇にお供えする水を「閼伽・あか」と言うそうですが、
       これはacqua・アックワから来ているのかも、と聞いた事があり、

       と同様、遠い土地からの由来の言葉みたいにも思い至りました。




       これは4階の大広間の一廓、御簾で囲った御座所
       有事の際の御座所として使われた様子。
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       窓の形は、大屋根の下に作られる千鳥派風・東西と、
       南北にある唐派風とがあり、こちらは唐派風で、
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       こっちが千鳥派風の窓
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       大天守の中には1階から6階まで階段が7箇所あるそうで、
       どの階段もかなり急な階段でしたが、
       とりわけ4階から5階への階段が傾斜が61度もあり、
       おまけに蹴上げが約40cm!
       掴まりながら上がるのですが、足元は勿論見る余裕がなく、
       ヨイショ!と足で探りながら上がる感じで、

       今奥に見える階段の上の部分がそれ!
       昔の人は体も小さく、脚も短かったでしょうに、はは、
       大変だったでしょうねぇ~、ひひ。
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       こうして上がった最上階、大屋根の下に見えた注連縄
       納得しますです!
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       見えた、国宝指定書、昭和二十七年三月二十九日
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       窓から見る松本の街
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       乾小天守の屋根
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       内堀の西側と埋橋(うずめ橋)。
       4年前の地震で埋門の石垣がずれ、現在こちらからの入城が
       停止されているとの事。
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       そして黒門方面
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       階段を降り、最後はこの月見櫓
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       大天守に続いての辰巳附櫓、そして月見櫓ですが、
       ここは徳川3代将軍家光が長野善光寺参拝の途中に松本に寄る、
       というので建てられたのだそうで、
       外側には赤い欄干を巡らした月見櫓らしい風雅さなのですが、
       結局善光寺参拝は中止になったのだそうで・・。




       大天守の最上階に上がった辺りで、カメラ電池の消耗に気づき、
       最低限の写しにしていたのですが、
     
       遂に最後の一枚!となった、内堀越しの大天守の眺め
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       という、長年の夢でもあった松本城再訪でしたぁ。




       最後はサイトから1枚拝借し、
       美しい雪化粧の松本城をどうぞ!
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by italiashiho2 | 2016-01-06 00:47 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(13)