イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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タグ:古城・要塞 ( 77 ) タグの人気記事


2016年 11月 09日

・・・ カステル・ベゼーノ ・ トレントにおける最大の要塞城 ・・・

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       トレント・アルト-アディジェ州において最大の要塞城である
       カステル・ベゼーノ・Castel Besenoのご案内を。

       古代から、アルプスを越えての北の国と南欧のイタリアを繋ぐ
       幹線道を見張る格好の地にあり、
       中世にこの地に城が築かれて後は、幾度かの凄まじい攻防戦の
       舞台となったこのカステル・ベセーノ。

       15世紀には居城ともなり、いくらかの壁画も残っておりますが、
       何よりも実戦に備えた要塞城である姿を、ご覧下さいね。       
       


       
       カステル・ベゼーノはどこにあるか、地図をどうぞ
       ヴェローナから北上し、ロヴェレート・Roveretoから約10分ほど、
       ボゼネッロ・Bosenelloという町の丘の上に。
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       3年ほど前トレントに行った際、国道筋からもその威容が良く見え、
       皆がおお!とどよめいたのでしたが、今回実際に見れるチャンスが
       あり、喜んで参加したのでした。




       大騒ぎの昼食の後ボゼネッロの町に着くと、雨が上がった後。

       これは如何にもかっての町の見張り所といえる姿があり、
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       丘の上の城まで運んでくれる小型バスを待つ間に見る民家も
       きちんと整備はされていても、まさに中世からの姿そのもの!
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       このお膝元のボゼネッロの町から見上げる城!
       城の左下にチラッと白い物が見えますが、あそこの駐車場まで
       小型バスが3往復して我らを運んでくれました。
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       駐車場からかなりきつい坂道を歩いて城に向かいますが、
       これが第1の門
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       坂道の角を曲がる所から見上げるこの姿!! 威圧!
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       そして、その先に見える第2の門
       ほらね、かなりの人数が既にへたっているでしょう、ははは。
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       第2の門を内側から見た所
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       車が止まっている辺りに左に抜ける門があり、



       抜けた所に広がる広場、練兵場とでも
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       素晴らしい広さで眺めも良く美しく、
       現在夏にはここで様々な中世的催しがある様子。




       一見緩やかな緑の坂が続き、城壁、そして半月の要塞が見え
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       shinkaiが、なんか映画に出てくるシーンの様ね、というと、
       ホントホントという声が周囲から。
       騎乗の騎士がかっかっと馬を走らせる姿が、思い浮かびます!




       城壁から下を覗くと、谷間の集落とうねる道が見え
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       奥に見える家々も、古い姿のままで
       まるで時が止まっているかの様子!
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       門内の道に戻り、坂道を上ります
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       半月の要塞に見えた紋章
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       上の紋章はどの家系のか知りませんが、

       古くから見張り所があったに違いないこの地に、
       要塞が築かれたと、記録にでるのが12世紀。 
       この一帯を領有していたアッピアーノ公・Appianoの家臣である
       ダ・ボゼーノ・Da Boseno家が住んでいた様子。

       その後アーヴィオの城を領有していたカステルバルコ家の下に
       13世紀グリエルモ・Guglielmo・カステルバルコとありますから、
       カステルバルコ家が歴史の表に名を出し始めての4代目、
       一番の隆盛を極めた時代で、
       ヴェローナのサンタナスターシャ教会表の左側に、
       彼の棺があるのも知りましたが、

       その後15世紀の半ばになり、マルカブルーノ2世・Marcabruno・
       カステルバルコという逸材が出た時代、
       北への領有をもくろむヴェネツィア共和国との間に、
       1487年のカッリアーノの戦い・Battaglia di Callianoが勃発。
       この戦闘でヴェネツィア側は多大な死者と指揮者をも失う大敗を、

       という変遷があったのですが、

       城塞自体、時代と共に拡大し、備えも充実していった様子。




       坂道を辿りつつ振り返る、中央の半月要塞と城壁
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       城壁の中の道がかなりな上り坂である事が見えるでしょう?
       ここで角を曲がり、
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       これが第3の門、城郭内への入り口の門
       跳ね橋が下りる様になっていて、右手前には警備兵達の詰め所があり、
       その奥には、城壁外を巡る警備路が続いているのが見え。
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       門はその都度開閉され、通る人物を時間をかけて鑑定し、
       警備兵達もかなりの数が詰めていたと。

       勤務は厳しいとはいえ、警備が暇な時間もあるわけで、はぁ、
       石の椅子の座に刻まれた番目と、転がす鉄のサイコロ
       トゥリオ・trioという遊びをしていたらしいのが、
       城塞の修復の時に見つかったそう。




       ちゃんと大人しくガイドさんの話を聞かず、
       何か見えるとつい横道にそれるshinkaiですが、

       これも横に見えた戸口から入ってみた、警備路の一部
       左にずっと城壁内の道が続いておりました。
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       平面図が見つからず、これで内部の様子が分かりやすいかと
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       下左に見える道が駐車場から上ってくる道で、
       第2の門を入り、練兵場があり、右の半月要塞の下に城郭内への門

       半月形の要塞は3ヶ所、右と中央と、一番奥にあり、
       最初の半月要塞と、一番奥のは巡邏兵のパトロール道を
       通る事が出来ました。
       
       ちょうど中程に、右奥に塔のある広い四角な広場が見えますね、
       その手前に第4の門があり、広場の向こう奥にある部分が居住区で、

       一番奥の半月要塞部に一段と高く見えるのが、古い城と呼ばれる部分で、

       全長250m、幅約50mの威容を誇ります。




       城郭への第3の門の中は、こんな風にカーヴを描いており、
       ガイドさんの話によると、内部の様子が即見えない為の配慮と。
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       門の内側はまた中央が狭まり、広場の奥が見えない仕掛けですが、
       この辺りはまだまだ、ずっと上り坂!
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       広場の奥に辿り着くと、左に見える巡邏道入り口から
       ぐるりと最初の半月要塞の上も回って、戻って来れるコースが。
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       パトロール道から見る麓のボゼネッラの町、そして北への道。
       次々と谷に山が張り出し、そこに連絡の見張り所、要塞が
       あったという訳で、お天気でなかったのが残念!
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       葡萄畑の棚つくりが見事に広がります
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       広場の括れ部に見えるのは、水はけの道で、
       真ん中に排水溝が見えますが、あれは地下に天水の貯水槽があり、
       井戸水として使っていたのだそう。
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       真ん中、そして奥に黒々と見えるのは天然の岩場で、
       それを生かして城壁も造っている様子。




       半月要塞上のパトロール道で、
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       途中にあった銃眼、覗き窓から見る下の草地
       下から見上げると細い狭い窓に見えるのに、
       上からだとかなり広い部分が見えるのを発見!
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       奥の広い四角い広場と塔が見えます。
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       おっ、広場に寝そべる猫ちゃん、発見!
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       艶つやとした太目の猫ちゃんで、広場のバールが家の様子。
       我らが帰る時には既に閉まったバールの前で、
       誰か開けてぇ、と待っており、親切shinkaiが試みましたがダメ。
       残念ねぇ、あんた今夜は野宿だよ。




       さて、第4の門を潜り
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       四角い大きな広場に
       角に立つ塔の上は物見所でもあり、知らせの塔でもあり、
       ここからインディアン式に、知らせが次々の塔に発せられたそうで、
       またお天気が良いと、インスブルックからもこの塔が見えたと!
       本当かや?!
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       地図で見る直線距離で約167kmと出ましたがぁぁ、
       う~ん、この城の塔が見えるかなぁと、疑うshinkai。
       皆さん、どう思われます?!
       単眼鏡の出来たのは何年位でした?
       

       そしてこの城塞の凄い点は、普通は外側の城壁にある
       敵に対して攻撃したり、熱い液体を流したりする落下口が、
       広場の中に向っても備えられている事!
       ここまで敵が侵入して来ても、絶対交戦の構えなのですね。




       広場の外、城壁の外を巡る道
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       広場からの門を潜ってくると
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       ここは居住区として、16世紀の火事のあと再建され修復されたもので、
       壁にはルネッサンス期の壁画も残りますが、
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       この角の部分や他も、これは単に年数を経て崩れたのではなく、
       税金を払わずにいて、打ち壊しになった跡なのだそう!
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       これには皆が、当時にも居たのかと笑いましたが、
       税金というよりも、領主に払う年貢金でしょうか、
       払い逃れは許されなかったのですねぇ!




       この一帯は大きな広場になっていて、多分公的行事の広場でもあり、
       ご覧のように右にも左側にも建物が続いていて、
       右の大きな建物上部には、多分城の歴史を見せる常設展会場が。
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       こんな兜なども見れた様子ですが、残念。
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       左に井戸の部屋があり、城内にあった2つの井戸の1つで、
       左上から広場などの雨水が流れ込み、濾過して手前の井戸に。
       水が溢れる時は左の口から流れ落ち、壁際の排水溝にという仕組み。
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       こちらは向かい側の建物にあった台所内の、パン焼き釜
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       そして再び狭い通路と城壁の間を通り
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       傍らには、天井の低い牢の跡もあり、
       一列に見える四角い穴の跡が、天井の高さで、
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       そして、最後の南側の半円要塞跡に。
       広すぎて全部カメラに収まらず!
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       この部分が古い城と呼ばれる城郭跡
       多分一番最初は、この部分のみが城塞だったのでしょう。
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       ここの城塞パトロール道から見た下の平野の眺め
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       これではヴェネツィア軍が攻め寄せた時、いち早く発見されたのも無理なく、
       次々と知らせが発せられティロルの援軍が到着。
       敗走して逃げる途中に、舟を繋いで作ったアディジェ河の橋が決壊、
       指揮者のロベルト・サンソヴェリーノ・Roberto Sansoverino d'Aragona
       落下して溺死、何千に及ぶ兵士が死亡、または捕らわれの身という、
       ヴェネツィア側にとってまさに大敗の戦だったと。

       またこの戦において、ランツクネヒトと呼ばれる、
       スイス傭兵を教師に編成されたドイツ傭兵の集団が
       初めてイタリア兵を相手に戦った、のだそう。

       この後も18世紀末には、ナポレオン軍相手の激烈な戦いがあり、
       一旦は落ちた物の数日後にオーストリア軍援軍が到着という・・、
       
       平和の世になり城の意義が薄れ19世紀には放棄という
       幾多の変遷を経て、最後の持ち主であったトラップ家・Trappから
       1973年に自治県であるトレント県に贈与され、
       改修の後、一般公開されるようになったと。
       



       毎年夏には、様々な教育的回顧的催しもされる様で、
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       お城のサイトはこちら  

       開館は、5月から11月初めまで 10時から18時
           冬季は土、日、または3月末から火曜~日曜まで9時半から17時

       訪問前にはサイトでお確かめを

       
       いやぁ、下から見上げた姿も素晴らしい威容でしたが
       如何にも実戦配備の大要塞で、訪問の価値ありでした!!
       トレントに行かれるチャンスには、是非寄り道を



     *****

     ◆ ご案内 ◆

       11月22日から27日まで、広島三越7階三越画廊での
       個展がせまり、DMが出来てまいりました。
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       どうぞ、秋の良い日を、広島、宮島観光も兼ねてお出かけ下さり、
       ご覧頂けます様、ご案内いたします



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、絵はパスし、 スコミーゴ村・晩秋の色と、ワン達 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       
  
   
       
       




by italiashiho2 | 2016-11-09 23:54 | ・トゥレンティーノ・アルトアディジェ州 | Comments(5)
2016年 10月 30日

・・・ カステッロ・ディ・アーヴィオ ・ 中世からの軍事拠点、居城 ・・・


       最初に、イタリア中部地震の速報をお伝えします。
       今朝7時40分に、震源地ノルチャ・Norciaのすぐ近く、地下10kmの
       強い揺れ、8月24日の地震よりも強いマグニチュード6,5が一帯を襲い、
       町の中心はすべて避難命令が出ております。

       お昼のニュースを見た所では、幸い今回も死者は無く
       怪我人、危険信号程度の重症者も含め20人程で済んだ様子です。

       ノルチャの北にあるプレーチ近くの、サン・テウティツィオ教会は、
       先日教会正面壁の一部が落下したのが、今回は遂に全体が崩壊したと。

       プレーチと北のヴィッソからの連絡道である道脇、ネーラ川が流れますが、
       大きな山崩れがあり、川も道路も埋まり、
       プレーチとの連絡は途絶えているとの事ですが、市長からの電話で
       町の教会も倒壊したとかで、大きな被害が予想されていて、
       これはカステルッチョも同様の様子で、
       その他の各町の中心地は進入禁止になっている所が多い模様。
       
       今回の地震はローマでもかなり揺れた様子で、地下鉄が止まったり、
       各地で点検の為の一時的な観光施設の閉鎖もあった様子。

       余震が続いてはいたものの、他にも大きな災害ニュースがあったりで、
       ニュースも小さくなりかけていた矢先の、再度の大きな地震でした。

       この先48時間以内に、ひょっとして今まで以上の大きな地震が
       起こる可能性もあるという事で、一帯の人々には避難指示が出ていますが、
       
       被災者の皆さんの心理的なお疲れも想像でき、
       寒さに向かい本当にお気の毒です!

       救助にずっと当られている消防団、救急隊員たちの方々の
       疲労の大きさにも想いが行き、頭が下がります、
       本当にご苦労様です!! 宜しくお願いいたします!


     *****

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       イタリアのヴェローナから北の隣国のインスブルックを繋ぐ
       ローマ期からの街道筋の要所であり、
       高い山を背後に平野を睥睨、アディジェ河の渡河地点の見張りでもあった
       カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avioのご案内を。

       見学日が曇り空でしたので、トップの写真はせめて青空の一枚をと、
       現在の城の持ち主であるFAI・Fondazione Ambiente Italia・イタリア環境財団とでも、
       のサイトから拝借で、記事中の我がサイト名のないのもそうです。
       
       今回は写真が多いですので、ごゆっくりご覧くださいね!!



       城入り口前からの城壁の眺め
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       城の図をどうぞ
       左下Ingresso・入り口から入り、常に坂道で上り、
       赤丸の付いているのが現地点という事で、
       その道から下の右下部分は現在私有地になっているそうで、
       その中に含まれるTorre Picadora・ピカドーラの塔
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       赤丸地点の左Casa delle Guardie・警備人の家
       矢印にそって坂道を行き、左に見えるグレイの位置に最初の門
       ここから右部分は城の下と呼ばれ、兵舎部分でもあったでしょうか。

       グレイの部分の先に2番目の門があり、我々はそこを抜け、
       左回りに行き、一番上に3番目の門、そして角を曲がって4番目の門
       赤い四角が主塔・Mastio、その右にGrande Cucina・大台所

       そして次の門をくぐると居住地部分で、
       左に抜けると内庭というのか、Pozzo・井戸があり、
       長い大きな城館がPaazzo Baronale・男爵館とも領主館とも。
       左外れの白い部分Resti della Capella・礼拝堂の遺跡

       ぐるりと城壁に囲まれ、5つの塔、領主館
       そしてフレスコ画で装飾された警備人の家、主塔の上部という、
       約千年の歴史を持つ城です。

       


       これが現在私有地内に含まれるピカドーラの塔
       ここで絞首刑が行われ、下の村から見えるように吊るされたのだそう!
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       名前と由来を聞いて皆がフフと笑いまして、
       というのも、吊るすというのがインピッカーレ・impiccareなんですね。




       警備人の家に入り、2階に
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       そして、おお!となったのが、まずこの壁画
       現在のパッチワークの柄にもありますよね、これ?!
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       真ん中にアルファベットが見えますね、
       でも何の関係もない文字が入っているのだそう。
       下に見えるのは、カーテンを吊った感じのものですが、
       後ほどご覧頂く、城内のフレスコ画のカーテン部はすべて同じ柄。

       shinkaiは一番後ろで写真を撮っていまして、
       殆どガイドさんの説明を聞いていませんで、ははは、
       すると中ほどに居たルイーザがすっと寄ってきて、
       ガイドが、本当は写真禁止ですが、撮られているのを見ても
       見ない振りをしますが、フラッシュは焚かないように、と言ったそう。
       はは、良く出来たガイドさんですねぇ!!




       そして隣の部屋に、これが圧巻でした!
       部屋一面に戦闘場面のフレスコ画があり、それが整理された線と色
       そしてどこかニヒルな目を持って見つめ描いている、というのか・・。

       こちらが入って正面の壁
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       右側の壁上側。 戦闘場面なのに、一番右の男はこちらを見ていて・・。
       
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       部屋の入り口背後の壁、上の右にアーヴィオのお城が
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       窓にもこんな柄模様
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       描いたのは14世紀中頃のトレンティーノの画家であろうと。

       警備人の家・見張り人の部屋と現在は呼ばれていて、
       確かに位置的にもそうなのですが、多分長たる人の住まいでもあったろうと。




       上の道から見た警備人の家。 1階部分はこの傾斜地に寄っていて、
       我々は1階の戸口から入り、今見える2階の左の戸口から外に。
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       坂道を上り
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       最初の門
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       中から見た最初の門。 城壁に穴が順序良く開いていて、
       かっては中を見張りの兵士が辿った廊下部があったものと。
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       右に開いているアーチの中が城の下部分で、
       上に伸びている壁の内側が、かっての礼拝堂の壁、というのを
       後ほどに知りました。
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       この左に2番目の門があり、




       2番目の門を振り返った所。 ずっと上り坂!
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       城壁は城をぐるっと囲んでいる一部なのですが、
       下側にも上側にもM字が見えますね?
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       これは城壁の上に付いているメルレット・レース飾りと呼ばれるもので、
       つまり下のMは最初の城壁の上にあったものが、
       防御から埋められ城壁が高くされ、その上にまたM字が付けられ、
       それがまた埋められている様子なのです。

       M字型は王冠の上の飾りを意味し、このM字が付いている城は
       皇帝側である事を示し、
       教皇側の城には、教皇冠を示す尖がりが1つ、が残ります。


       アーヴィオの城の建設が記録に残るのは1053年
       12世紀にトレントの司教の臣であるカステルバルコ・Castelbarco
       一族の領有となったと。
       
       カステルバルコ一族で最初に記録に名がでるのは1177年、
       アルドリゲット・Aldrighettoがトレントの司教アデルプレート・
       Adelpretoを殺害したというもので、
       封建領主間の争いが激しく、それが原因だった様子ですが、解放され、

       その息子ブリーノ・Brinoは政治的軍事的にも勢力を伸ばし、
       その後を継いだアッツォーネ・Azzoneは、
       アーヴィオの城も整え、フェデリコ2世皇帝の希望にもより、
       皇帝の副王でもあったエッツェリーノ3世ダ・ロマーノとも連帯、
       この一帯での重要な立場を持つ事に。

       1265年に亡くなったアッツォーネの後継がグリエルモ・Guglielmo
       で、ますます政治的軍事的に威力を持ち、ヴェローナのスカリージェリ家
       にも近づきますが、1320年後継者を残さず亡くなり、
       彼の財産は甥達の間で分割、という事に。

       ですが、その後も様々な困難を切り抜け、数世紀を
       カステルバルコ一族は存続し続け、ミラノ方面にも進出、
       カステルバルコ・ヴィスコンティ・シモネッタ・アルバーニという姓に!

       このアーヴィオの城は1977年、エマヌエーラ・カステルバルコ・Emanuela
       指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニの姪にあたるそうですが、
       FAIに贈ったのだそう。

       
       ええと、つまりです、何が本当に言いたかったかと言いますと、ははは、
       
       中世の、城の防御の仕組みが本当に良く残った城であるという事、
       そして経済的にも豊かで、城館内の装飾も優雅であるという事、で~す。
       



       3つ目の門をくぐり
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       銃眼というより、弓を射る窓から外を
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       城館部分に近づき、両側の壁が高まり、4つ目の門
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       門を潜って目の前に広がる、周囲の威圧する壁!
       右は床と境の壁部分が落ちているのですが、暖炉部分や、
       壁の祭壇部も見え、
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       左下にフレスコ画が見えますが、後ほど。




       上の写真の右側はこんな様子で、主塔に接し、
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       上でチラッと見えたフレスコ画ですが、これです。
       色が見え難いので少し濃い目にしましたが、
       白馬に乗った騎士と貴婦人ですね。優雅!
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       このフレスコ画の下の、アーチ越しに見えた植物のフレスコ画
       わぁ~お!
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       遂に一番奥の城館部に入った訳で、この建物は領主館の
       一番東(右側)の外壁ということになりますが、

       植物状のフレスコ画は1階部分で、2階には布の柄が一面に
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       上の写真の向かい側に当る、2階の布の柄
       左に斜めになって延びる壁にもフレスコ画の名残が。
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       潜ってきたアーチの内側にも、植物の柄
       こういう柄は本当に優雅ですよね。 
       女性達の部屋ででもあったのでしょうか?!
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       城壁側との境にアーチの仕切りがあり
       1階部分はこれで仕切られていたのでしょう、
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       アーチ壁の向こうには地下へ下りる石段があり、
       最初は真っ暗で降りる気もしなかったのですが、ははは、
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       城館見学が済み出て来ると、案内の人が、下は倉庫で降りれますよ、
       との事で、その時は明かりも見えたので降りてみました。
       大きな倉庫が次々とあり、右側は閉まっていて見えませんでしたが、
       氷室があった、との事。




       横から低めのアーチを潜っていくと台所で、
       この大きなフードに驚き!!
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       一帯何人位住んでいたのか、とガイドさんに尋ねると、
       お城や要塞をたくさん持っていたから、そんなにたくさんでないと思う、
       との事ですが、それでもねぇ、この大きさだとすると、
       何頭もの豚ちゃんもグリル出来そうですよね?!




       中庭から見る主塔
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       さて、領主館の中に
       この左の壁の外側に、植物柄と布柄のフレスコ画が残っていた部分で、
       中から見上げる壁が異様に高く感じおまけに薄暗く、大変な威圧感!
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       真ん中上に見えるのは暖炉の跡、上部で、
       この部の煙突が残っているのを後ほど。




       遠くの壁に残っていた、祭壇画の窪み
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       反対側の壁。 この先は天井が低くなり、その高さの違う部分に
       黒い板壁で覆いがあるのが見えますか?
       時代毎の修復の蓄積がここにも見れます。
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       領主館の一番西端の大きな部屋。 
       ここにも柄のフレスコ画が2階部分と、窓にも同じカーテン柄
       四角い穴が続くのは、2階の部屋の床部分の梁があった場所。
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       そしてその外側に、かっての礼拝堂の壁画が残る壁の一部が。
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       下は、最初の門をくぐって上って来た所の、城の下の部分。




       細長い中庭はこんな様子で、右が領主館の部分で、
       幾つもの壁、アーチで仕切られ、左は主塔に至る石段部分。
       手前に見えるのは中庭の井戸で、
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       この下に、地下倉庫の氷室があるのですって。
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       主塔に上りますが、ここが塔の入り口
       とはいえ、塔は11世紀に出来たものの、この入り口がついたのは
       後年の事で、最初は塔の入り口の左の壁に見える窓、
       あそこから梯子で出入りし、梯子は使用後は中に仕舞っていた、と。
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       こんな階段で上に上ります、確か3回梯子を上ったと!
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       最初の階には窓がひとつあり、これはそれよりも上階の窓
       壁の厚みにご注目!
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       そして辿り着いた上階、「愛の部屋」と呼ばれるフレスコ画装飾の部屋!
       塔のこんな上に、こんな優雅なフレスコ画があるのなんて初めて!!
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       窓を挟み、右に半分欠けて分かり難いのですが、
       馬に(犬ではおまへん)乗り、弓を持った人(騎士だったっけ?)が描かれ、
       窓の左の貴婦人は矢を払いのけ、掌にはワンちゃん
       つまり、男の愛は変わりやすく、そうそう、ははは、
       犬は忠実のシンボルなんですって。

       天井部分には、膝まづく人の姿と、右は誰だったっけ、聞いとりません、へへ。
       shinkaiが面白いなぁと思ったのは、天井の肋骨部分の描き様が、
       ちゃんと一番のデッパリ部を白く、膨らんでいる様に描いている所。




       この左に続く場面には、愛の矢で射られた
       幸か不幸か分からぬ貴婦人がいて、
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       向かいの壁には、馬上の騎士と接吻する貴婦人の姿。
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       14世紀中頃の、ヴェネトかエミーリアの画家だろうというのですが、
       洗練され、愛の寓話に満ちた宮廷画で
       むむ、一体誰がこんな部屋を、何の理由で、こんな場所に作ったんだぁ?!




       「愛の部屋」の隅に、まさに梯子階段があり、上の物見の部屋に
       つまりここが塔の最上部で、一段と高い見回りの段に上れ、
       ぐるりとほぼ一周する事が出来ます。
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       見張り窓から見る北の山
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       塔から見下ろす領主館の屋根と、右に城の入り口、
       そしてピカドーラの塔
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       上の写真左に切れたのが、領主館の屋根からの煙突
       館の2階部分の暖炉の上部のみ残っていた場所ですが、
       煙突の先の形が、どこか古めかしく趣がありますでしょ。
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       城の一番の高所から見下ろす、麓の村サッビオナーラ
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       アーヴィオの中世からのお城のご案内
       お付き合い、有難うございました!
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、詰めの2枚と、 カルページカ村のたそがれ色 を
       アップしています。    
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     *****

       ◆ お知らせ ◆

       11月22日から27日に開催の、広島の三越での個展が迫りました。
       もしDMを送って欲しい方が居られましたら、コメント欄の
       「管理者のみに閲覧」にチェックを入れ、住所とお名前をお知らせ下さい。

       今までに届いている方は、お知らせが無くとも大丈夫です。
       来週辺りには届くと思いますので、宜しくお願いいたします。



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by italiashiho2 | 2016-10-30 22:26 | ・トゥレンティーノ・アルトアディジェ州 | Comments(2)
2016年 10月 26日

・・・ トレントの古城2つ 前奏曲 ・ カステッロ・ディ・アーヴィオ ・地震速報追記 ・・・

   イタリア中部地震のニュースに関し、最後に追記、写真アップを致しました。
        
********

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       先週水曜にグループで出かけて来ましたトレントの古城2つ、
       カステッロ・ディ・アーヴィオ・Castello di Avio
       カステル・ベゼーノ・Castel Beseno.

       生憎の曇り空で靄のかかったお天気でしたが、何とか雨はのがれ、
       千年近い歴史を持つ古城の、内部と規模の大きさに満足し戻りました。

       写真整理も資料を読むのも済んでおらず、さてどうしようか・・。
       以前アーヴィオのお城は訪ねたことがあり、月曜休館で外からのみ、
       その時のは何枚か、ガルダ湖北の訪問で見て頂いただけですし、
           
       先日とは打って変わった青空の美しい写真なので、シメシメ、これを!と。
       いやぁ、先日来こちらは雨と曇り空が続いており、
       青空と太陽さんが恋しく、時間稼ぎにもちょうど良いと、ははは。


       という事で、今日はアーヴィオのお城の前奏曲、ならびに
       麓のサッビオナーラ・Sabbionaraの村の様子をどうぞ!

       上の写真は、サイトから拝借のアーヴィオのお城を遠方から

       このお城に惹かれるのは、如何にも中世の、絵に描いたような姿で、
       これはヴェローナからボルツァーノに向う鉄道からも、高速からも見え、   
       やはり一度は内部も見たかったのでした。




       アーヴィオのお城はどこにあるか、地図をどうぞ。
       我が町コネリアーノから行くにはちょうど北周りと南周りの行程があり、
       この日は往きにヴェローナ経由の青の線南回りで、
       午後にロヴェレートの北東にあるベゼーノの城を見物後、
       戻りは北回りのグレイの線で。       
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       ここから暫くは、以前の、はぁ、2007年5月下旬の、ははは、
       緑濃い写真をご覧頂きますが、

       高速を降り、サッビオナーラの村に向かい
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       お城の手前の駐車場から、見上げる姿
       現在残っているのは上の城館部分と主塔で、城壁が取り囲みます。
       
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       城の下から見下ろすサッビオナーラの村
       如何にも昔からの、お城の膝もとの村、という感じでしょう?!
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       村を囲んでいるのは葡萄畑、なんですが、
       いつもご覧頂いている畝の畑とは違い、
       この辺りのは、葡萄の枝をパラソルのように広げた棚作りで、
       太陽の恵みを最大限に取り入れる仕様なのですね。




       南、ヴェローナ方面を望んで
       両側から高い険しい山々が迫る狭い谷の中をアディジェ河・Adige
       流れ、それに沿って道、高速と鉄道線が南北を結びます。
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       村の外れの教会
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       再び見上げる城
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       こちらは北に向っての眺め
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       山が迫る谷の括れごとに、かっては見張りの城、要塞があったものと見え、
       このアーヴィオの城の城主一族カステルバルコ・Castelbarco
       この谷一帯に15位も城を持っていたのではないか、とはガイドさんの言葉。




       村の中の道は狭く、当時免許取立てのshinkaiはやっと角を曲がりつつ、
       急傾斜の道をお城の駐車場まで辿り着いたのでした、ははは。
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       5月下旬の暑いほどの陽射しの日で、ラヴェンダーも良い香りを放ち
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       サクランボも美味しく熟れ、勿論味見をしましたっけ!
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       これは葡萄の房。 花が咲き終わり、実になりかけの所。
       そして、オリーヴの花
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       というような、初夏の良いお天気のアーヴィオでしたが、

       今回はまだ真っ暗な朝6時に出発で、濃い霧の中のヴェネト平野を行き
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       ヴェローナから北に向うと、漸くに薄日が差し始め・・。
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       高速を降りる所で見えたアーヴィオの城
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       城の手前から見えたのよりも、ずっと主塔が高いのが分かりますが、
       今回あの上にも上りましたぁ!




       村の通りでバスを降り、城まで運んでくれる小型バスに分乗、
       まさに城の入り口前まで運んでもらいましたが、
       傾斜の小路は恐ろしいほどで、慣れた運転手さんもゆるゆると。
       
       お城入り口から見下ろす、サッビオネータの村
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       雲間から射す光の筋
       一日雨の予報でしたので、こんな光でも嬉しい事!
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       見上げる上の城館と主塔の先
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       入り口脇の建物、見張りの塔
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       最初は盛んに吠えていたワン君、鼻先を柵から突き出し、
       その後は、庭に寝そべって・・。
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       南、ヴェローナ方面。 
       アディジェ河は谷を蛇行して下り、ヴェローナの街中に。
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       一瞬、輝く太陽の光に、まるで違った風景のよう
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       奥の険しい山の黄葉にも陽が射し
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       高速の停滞を恐れ早く出発し、早く着き過ぎた我々が
       ガイドさんが待つ間がありましたが、

       城の中には、こんなフレスコ画があれこれ残っていて
       これはもう、全然予期していなかったので感激!
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       という今回の予告編でした。




       午後訪問したベゼーノのお城の威容はこの通り!
       これは駐車場にあった写真ですが、
       左下から辿り、右の一番奥まで! 
       訪問の価値あり! でしたぁ。
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、途中経過と、詰めと ・ お城での昼食の騒ぎを を
       アップしています。    
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     *****

       イタリア中部地震速報

       昨夜26日19時11分イタリア中部においてマグニチュード5,4の
       地震が起こりました。
       震源地はこの夏の8月24日の大地震が発生した地区よりも北、
       ノルチャ・Norciaカステルサンタンジェロ・Castelsantangelo sul Nera
       そしてヴィッソ・Visso の近く。
       その後21時18分に続いての地震があり、こちらの方が強い揺れで、
       各地に大きな被害が出ました。
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       が、この度の地震では怪我人が各地で出たものの、死者は無く、
       お年寄りが一人心臓発作を起こし亡くなりましたが、幸いでした。

       ちょうどかなりの大雨と霧で、雨がやみ始めた今朝になって
       各地の被害の様子が徐々に明らかになっています。


       震源地に近いカステルサンタンジェロの夜の写真
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       朝一番の日本からの友人の速報メールで知ったのは、
       プレーチからノルチャに行く途中のカンピ・Campiの古い教会
       サン・サルバトーレが崩壊したというニュース。
       
       何度か通った道で、ブログにも載せていた好きな教会でしたので、
       嘘であってくれ!と願いましたが、残念ながら・・!
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       プレーチ・Preciの近く、中世ノルチャの外科学校の発生地としても
       知られるサンテウティツィオ教会も、正面壁が落下。
       お昼のニュースで見たもっと明るい状態では、この写真よりもひどく、
       大きく落下しておりました。
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       ヴィッソは町の中央が立ち入り禁止になっていて、
       町の門の中の写真はまだ見つかりませんでしたが、
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       上空からのヘリコプターの映像によると、かなりあちこちの屋根が
       落ちているのが見えました。


       中心から少し外れた外なのか、この歴史的建物、壁の厚さが80cmも
       あるという建物が崩れた様子。
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       そしてこの一帯よりも北に位置するカメリーノ・Camerinoの町では
       教会の鐘楼が崩れ、脇の家も潰れましたが、幸いに死者はなしでした。
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       このカメリーノの町、そしてノルチャから南のウッシタ・Ussitaの町も
       かなりの建物崩壊がある様子で、
       ノルチャの教会サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエでも
       崩壊があったと。
       
       夏の地震で壊滅的な崩壊があったアマトゥリーチェの町でも、
       残っていた建物の新たな崩壊があった様子。

       幸い死者はなくて済んだ今回の地震ですが、これから冬に向かい、
       崩壊は無くとも住めなくなった家が殆どのようで、
       被災地の皆さんには大変な冬になりそうで、お気の毒です。
       


     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

  
   
       




by italiashiho2 | 2016-10-26 00:02 | ・トゥレンティーノ・アルトアディジェ州 | Comments(9)
2016年 10月 16日

   ・・・ イタリアで一番美しい 10の村々 ・ サイトから ・・・

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       先日偶然「イタリアで一番美しい10の村々」というサイトを見つけ、
       既に知っている場所もあり、初めて知る名もで
       とても興味深く思ったので、それを今日は皆さんにも!

       サイト名は、mondointasca - giornale on line di turismo e cultura del viaggiare
       ポケットの中の世界 - 観光旅行と文化の為のオンライン新聞
       
       魅惑的な美しさを持ち、皆さんに発見され評価されるに値すると
       思われる、10の村々をここにご案内

       というサイトの紹介文に相応しく、
       「小さな美しい村々」として既に有名な町村以外の、
       まだ余り知られていない、でも・・!という10の町の紹介ですね。

       という事で、北から南のシチーリアまでの10の村々の写真が
       1枚ずつ載っているのですが、州と町名だけではピンと来ませんよね?
       
       というよりもshinkai自身が知りたいものですから、ははは、
       どこにある町かの地図と、写真ももう一枚探し、ここにご披露を。
       短い紹介文はサイトにあったものです。

       サイトではボルゴ・Borgo(複borghi)村となっているのですが、
       これはイタリアでの慣習ですので、ここでは町とご紹介致しますね。


       1.チヴィダーレ・Cividale フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州
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       ジュリオ・チェーザレ(シーザー)によって興された町で、
       ユネスコの世界遺産の指定を受けている。
       魅惑的な町で、例えば写真の悪魔橋・ポンテ・デル・ディアーヴォロに
       伝わる、最初の通行者(実は猫)が、橋を造った悪魔の犠牲になった等
       たくさんの言い伝えがある。




       地図をどうぞ
       ウーディネ・Udineから私鉄道が連絡。
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       ロンゴヴァルド文化がしっかり残っている町で、国立博物館もありますが、
       この小神殿・テンピエットも大変美しく、町訪問の際はお見逃しなく!
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       チヴィダーレには以前何度も行き、何度かご紹介しています。
       こちらからどうぞ。




       2.ヴォゴーニャ・Vogogna  ピエモンテ州
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       ヴァル・ドッソラ・Val d'Ossolaに位置する住民1702人の町。
       中世からの町で、写真のお城は町よりも高い位置にあり、
       ほぼ円形の塔は町のすべてを睥睨する。





       地図をどうぞ。
       2つ見える湖の右はコモ湖、左はマッジョーレ湖で、
       ヴォゴーニャはそこから西に。
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       サイトで写真を探し見つかったのがこれで、随分昔、
       まだイタリアに来て間もない頃に雑誌で見つけた写真に惹かれ、
       切り取っていたのを懐かしく思い出しました。
       確かに行ってみる価値はありそう!!
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       3.ベッラージョ・Bellagio  ロンバルディア州
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       町はコモ湖に飛び出した先っちょに位置し、休暇を過ごすのに
       最適な事で知られ、北の山越しにアルプスが望め、
       コモ湖南の散策に適した色彩豊かな町である。




       地図は上のヴォゴーニャと同じもので、よくお分かりと。
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       もう一枚の写真は、湖から町の反対側を
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       生憎の曇り空の日でしたが、町の周遊のご案内は




       4.テッラーロ・Tellaro  リグーリア州       
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       この町はラ・スぺーツィア・La Spezia湾に位置する町村の中で
       一番魅力的な町の1つで、有名なチンクエ・テッレ・Cinque Terre
       からも遠くない。
       町は岩礁の上にあり、細い道を辿り背後の山にも行ける。
       



       地図をどうぞ。  左端切れて囲った場所がチンクエ・テッレで、
       確かに近いですが、行くとなると別ですね、これは・・。
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       今日のトップは、サイトにあったテッラーロの写真でしたが、
       いささか味気ない写真で、町紹介のも何か良く分からない感じ! 
       という事で、トップと同じ位置からの美しい写真をどうぞ。      
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       5.ソラーノ・Sorano  トスカーナ州
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       凝灰岩が掘られた上にある小さな町で、トスカーナのグロセット・
       Grosseto市にある。
       魅惑的な造りと古くからの趣のこの町は、エトルスクの証言に満ち、
       ヴァッレ・デル・レンテ・Valle del Lenteの傾斜地にある。




       地図をどうぞ。  左に見える薄いグレイの点線がトスカーナ州と
       ラツィオ州の境で、右上をかすめるのがウンブリア州。
       ソラーノの町はトスカーナの南東に位置します。
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       美しい夜景写真をどうぞ
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       この町にはピティリアーノから日帰りで出かけ、町中の美しさは
       知っていましたが、今回写真を探していて、
       町の対岸からの特殊な造形美の美しさにも感嘆しました。
       次回の為にインプット!
       
       町のご案内は




       6.カプラローラ・Caprarola  ラツィオ州 
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       カプラローラはラツィオ州の火山湖であるヴィーコ湖の 
       傍らに位置する。
       ここでは美しい風景と共に、素晴らしいファルネーゼ邸の庭園、
       そしてサンタ・テレーザ教会ではヴェロネーゼ・Veroneseや、
       グイド・レーニ・Guido Reniの絵画の鑑賞が出来る。




       地図をどうぞ。
       町にはヴィテルボ・Viterboから連絡
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       町の景観の美しさは我がブログでご案内していますので、
       ここではファルネーゼ邸の入り口からの眺めを
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       ブログでのご案内 カプラローラの町  

       ファルネーゼ邸 その1~3




       7.スペルロンガ・Sperlonga  ラツィオ州
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       海の町、自然のオアシスであるほかにスペルロンガの町は、
       海に突き出す岬に位置するたくさんの家々の眺めで魅惑し、
       幻惑する。 いくつかの見張りの塔の存在で分かるように、
       ずっと要塞化された町であったとみなされている。
       



       地図をどうぞ。  現在は道路状況が良くなり
       ローマからも楽に行ける場所となったと。
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       この春この一帯に出かけ、スペルロンガの町も散策しましたが、
       残念、この一廓を見ておらず、サイトで写真を見る度に・・・!!
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       町のご案内は




       8.フローレ・Furore  カンパーニア州
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       この町の美しさは何年も前から様々な観光協会によって知らされ、
       1997年にはアマルフィ海岸一帯がユネスコの世界遺産に指定された。
       と共に、イタリアで一番美しい村々クラブ、ワインの町協会、
       描かれた町協会にも加盟、2007年にはプロジェット・エデン・
       Progetto Edenで表彰された。

       描かれた町協会、というのは、町村の家の壁に壁画を描く企画で、
       通りが賑やかになり、観光の人々が集まる利点もありますが、
       何でも描けば良いというものではない、と思う事も、はい。
       古い町の美しい年月を経た壁が、下手な壁画で潰されるのは哀しく、
       町の趣が一変してしまう面もありますから。

       プロジェット・エデンというのは、どうやら観光客誘致の為の
       様々な企画をし、実行するものの様子。          




       地図をどうぞ。  アマルフィ・Amalfi とポジターノ・Positanoの
       中間にあるのですねぇ。
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       上の凄い眺めの写真から、どういう状況にあるのかと思いましたら、
       海が細く岩礁に入り込んでいる様子なのを見つけましたぁ!
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       9.カステルサルド・Castelsardo  サルデーニャ島・Sardegna
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       カステルサルドは自然の素晴らしさである。半島の頂上に位置する
       ドリア家の城に至る細い道、急な坂道の特徴ある、
       中世からの町がとても良い状態で保たれている。




       地図をどうぞ。 サルデーニャ島のサッサリ・Sassariに近く
       北に見える島は、フランス領コルシカ島。
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       上の写真の、山の頂上の城の写真を探しましたら、これひとつ!
       物凄い岩と城の区別がつきますか?!
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       10.カステッランマーレ・デル・ゴルフォ・Castellammare del Golfo シチーリア島
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       カステッランマーレ・デル・ゴルフォの町は、トラーパニ・Trapaniの
       湾に面し、12世紀のノルマン族の征服期に端を発する町。
       この町からの素晴らしい海の色の眺めは驚異的であり、
       まさに空と海が混ざり合うようである。




       地図をどうぞ。  パレルモの西、湾の奥に位置するのですね。
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       上の写真ではちっとも町の良さが分かりませんので、ははは、
       探しましたぁ! 
       これで海に飛び出す要塞城も、古い町の造りも
       海の色の素晴らしさも分かりますね。
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       如何でしたか?
       お気に入りになりそうな、小さな美しい町は見つかりそうでしょうか?

       う~~ん、シチーリアにも、他にも行ってみたい所ばかりだなぁ・・!!

       
 
     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ティツィアーノの生家 詰め と、スコミーゴ村の朝焼け を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

      
  
   
       



by italiashiho2 | 2016-10-16 00:03 | ・イタリア全般・番外編・ご挨拶 | Comments(4)
2016年 06月 19日

   ・・・ カエターニの城 ・ セルモネータ ・・・

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       先々回に、ラツィオ州にあるセルモネータ・Sermoneta の町
       ご案内いたしましたが、    
       今回はこの町にほぼ完璧な姿で残るカエターニの城・Casello Caetani
       と呼ばれる中世からの城塞見学のご案内です。

       上の写真はサイトから拝借の、城の形が良く分かる物で、
       主塔・マスキオ・Maschioと呼ばれる塔が見え、
       その左に張り出したテラスが見えるのにご留意を。

       で、左下に見える低い張り出し部が、城への入り口部




       町の中心にあるコムーネ広場から上り道を辿り、
       このアンニバルディ門をくぐり、さらに小路を上って行くと、
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       右手に城が現れ、この部分は主塔の手前の館部分で、
       一番上に主塔のてっぺん部分が。
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       ここが城の入り口、切符売り場
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       木曜が定休日で、毎日公開されていますが、
       内部はガイド付きの案内で、10時から1時間毎、午後は3時から。
       詳しくはこちらを。http://www.fondazionecaetani.org/visita_castello.php 




       入り口を入ると草地の小広場・オルミ広場があり、 
       そこから折り返す感じで、城内部への入り口にかかりますが、

       これは切符売り場の先から見上げる、最初の跳ね橋。 
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       最初の広場から見る城への入り口ですが、
       下から見上げた最初の跳ね橋はこの門の手前で、鎖が見えますか?
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       跳ね橋の上から見る平野の眺め
       写真では分かり難いのですが、遥かに海が!
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       そして左に折れ、2つ目の跳ね橋があり、
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       それを渡ると、城の中庭に出ますが、
       分かりやすい様に上から撮った写真で、ご説明を。

       2つ目の跳ね橋を渡ると、内庭の手前左隅に出て来て、
       正面に見えるのが、枢機卿の家・Casa dei Cardinaleと呼ばれる建物。
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       カエターニ城と呼ばれるこの城は、
       13世紀、当時の教皇からこの一帯を領土に預かった
       アンニバルディ一族が建設した物で、
       現在も残る主塔マスキオ、高さ42mと、それに付随している小さい塔・
       マスキエットを主とした完全に中世の軍事的要塞

       それを1297年、当時経済的危機に陥っていたアンニバルディ家から、
       教皇になったボニファーチョ8世の甥ピエトロ2世カエターニが、
       セルモネータと近接の土地を14万フィオリーニ金貨で、
       既に庭園をご案内したニンファの土地を20万フィオリーニで買い取ります。
            
       建物も増設、この地をカエターニ家の本拠とし、着々と勢力を伸ばしますが、
       
       1492年ボルジャー家のアレッサンドロ6世が教皇に選出されると、
       1499年カエターニ家は破門措置を受け、財産も特権も没収され、

       この城はボルジャー家の手に渡り、以前にも増し軍事色の濃い配備がなされ、
       城壁を完璧にし、主塔の上部にあった教会を潰し、
       1400年代からそこに埋葬されていたカエターニ家の領主の墓も潰し、
       後世1536年に神聖ローマ皇帝カルロ5世が、騎馬千頭、歩兵4千を
       持っても落とす事ができなかったという要塞城に。

       きっと城の軍事的改造にはチェーザレ・ボルジャーも来て、
       あれこれ実際の指揮を取ったに違いなく・・、
       と、あれこれ想像が広がります、はい。
       
 
       で、上の写真のご説明に戻りますが、
       この正面に見える「枢機卿の家」というのが、ボルジャー家が
       ここに居た短期間・約5年間、アレッサンドロ6世の死1503年まで、
       彼らが唯一建設した住居で、
       ここにはかのルクレツィア・ボルジャーも住んだ事があったと。




       そして1504年、教皇ジューリオ2世によりカエターニ家に戻され、

       内庭の南側はこんな感じで、左に、枢機卿の家の斜めの位置に、
       2棟の建物があり、
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       14世紀にカエターニ家がここに住み始めて建設、拡張した物で、
       この左側の建物にフレスコ画の描かれた部屋があり、




       内庭の西を占める形でこの建物があり、そして塔への入り口階段
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       広場の真ん中にある大きな井戸は、高所にあるのを配慮した
       天水利用の井戸なんだそう。




       主塔マスキオと小塔マスキエット、そして右下に第2の跳ね橋から
       この内庭に続くアーチの入り口が見え、
       塔の左に、主塔への階段上り口が。
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       塔の上部と
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       塔への階段上り口
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       見物は、内庭の東側に見えた「枢機卿の家」からで、
       これは壁にあった、カエターニ家の紋。
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       内部はとにかく広い広い部屋が3つ、だったっけ?あり、
       余りにも整備されすぎていて、写真の撮りようもなく・・!
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       壁にはかってこの城を訪れた客人たちの落書き、
       作曲家であったカエターニ家の一人の五線譜の音符などもありましたが・・。




       建物を出て、城郭の東南角に当たる部分
       ここの角部分が崩壊した廃墟部となっているのですが、
       その幾何学的ともいえる形態に、光が射し込む様子に魅せられました!
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       石畳の下り阪を行き、左に折れると
       先頭は今回の旅のガイドさん、元気印で美人のリンダさん。
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       内庭からの下り道を振り返るとこんな様子で
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       城の東南角の崩壊部分
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       ここには小麦を挽く、碾き臼の部屋があったそうで、
       挽石なども地面に見られましたが、
       上階は多分居室だったのでしょう、暖炉の名残も見えます。


       17世紀になり、平野を通るアッピア街道も再開発されると、
       カエターニ家も平野部に一族の本拠を移し、この城は放置され、
       18世紀、スペイン軍、フランス軍の略奪破壊にも遭い、
       19世紀には軍や農作物の倉庫代わりに貸し出されたりもし、
       漸くに19世紀の末になり、カエターニ家が修復を始めたのだそう。
       



       で、先ほどの石段の下りの先には、

       これは入り口部分を逆に見ていますが、
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       ここに厩舎があり
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       この小さなアーチ部、これは古いのが残されたのと思いますが、
       ここに秣を置いたものと見られ、
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       片側に20、つまり20頭、全部で40頭の厩舎だそう!

       ここにずらっと駿馬40頭が並んでいる姿をご想像あれ!
       かっての栄光時は、きっと煌びやかなものだったでしょうね。

       この厩舎は映画の撮影にも使われ、10年ほど前までは
       ここで室内楽のコンサートも行われたのだと。




       細長い厩舎の突き当りを出ると、この左の壁は周囲を囲む城壁で、
       この広場で、馬の毛をすいたりしたのだと。
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       石段道を戻り、奥に見える建物の奥側の扉から入りますが、
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       建物の壁の装飾が単純にフレスコ画と思っていたのが、
       少し削っているのにも気が付き・・。
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       建物の端には台所がありましたが、
       そっけないほど台所仕事を想像させる何物もなく、
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       単に大きな大きな吹き抜けの煙突!
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       ここでは城内の兵士すべての食事を賄うのではなく、
       貴人達のみの食事を作っていたのかも、と。




       隣の建物の入り口から入ると、ここは大広間で、
       「狩の部屋、または男爵の部屋」という部分と思いますが、
       大宴会なども開かれた部屋と。
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       仲間が一緒で部屋の写真が撮れず、上のはサイトから拝借し、
       右奥に見える扉から入ると




       客人用の寝室が2部屋あり、ピンタの部屋と呼ばれる
       15世紀後半のフレスコ画装飾された部屋で、
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       主題は伝説的、神話的なもので、画家はピントリッキオ派の 
       無名画家だそうですが、絵として余り上等とは思えませんで・・!
       これでピントリッキオ派なんて言ったら、師匠が泣くのではないかと、ははは。




       古いまま残った窓際の席と
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       出窓の天井にあったカエターニ家の紋
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       1つの出窓から町の姿が見え!
       飛び出している鐘楼は、サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂のもの。
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       これは南西に見えた教会で、コムーネのサイトで分かったのは、
       サン・フランチェスコ教会と元修道院。
       13世紀頃からの古いものだそうですが、今見えるのは15世紀の物と。
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       建物を出て、主塔に上るべく移動しますが
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       内庭越しに見る、北の城壁
       最初に内庭に入ってきた時も、この城壁の威圧感が凄かったですが、
       壁の厚さは3mもあるのだそう。
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       上部のメルレット・レース飾りと呼ばれる凸凹も、
       ボルジャー時代の改造だそうで、この上の歩哨の見張り道を
       後ほど歩きましたぁ!




       右が塔で、左が建物に沿った外階段で、
       今見える渡り橋は、かっては跳ね橋だったのだそう!
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       で、塔との間の隙間部分は、こんな感じの深さ!で、
       足の悪い方、高所に弱い方は下で待つように、と言われまして・・。
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       多分、かってはここにも床が在ったのだろうと想像しますが、

       窓越しの遥か向こうに、海が見えましたぁ!
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       一旦小塔の部屋に入ると、書斎があり、
       主塔の中に、代々の領主達の寝室がそのまま残されており
       この天蓋つきベッドも、オリジナルなんですと!
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       つまりこの領主の部屋に至るには、3つの跳ね橋を通る訳で、
       この部屋から外のテラスに出るにも、跳ね橋が在るのだと。
       ・・テラスに出ましたが、跳ね橋には気がつかずで・・!

       小塔の方にある書斎は、20世紀の始め、この城の修復に
       取り掛かったジェラージオ・カエターニ・Gelasio Caetaniが使っていたと。




       これは部屋の隅にあった暖炉で、如何にも古い作りでしょう?
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       ちょっと脱線しますが、あれこれ写真を調べたりしていて、
       このセルモネータのカエターニ家の最後の人々の写真も見付かり、

       おまけになんと、母親のアーダと一緒にニンファの庭園作りに取り掛かった
       ロッフレード、彼の名が現在の財団の名に残りますが、
       その兄である15代セルモネータ公爵レオーネの妻
       ヴィットーリア・コロンナ、ローマ貴族コロンナ家の名を引く様ですが、

       彼女と当時の未来派画家ウンベルト・ボッチョーニとの
       2ヶ月間に渡る秘密の、いや、秘密ではないですね、
       ばれて別居になったようで・・! 情事なども知りましたぁ。
       なぜ2ヶ月だったか、彼が落馬して亡くなったのだそうで・・。 

       「カエターニ」で検索していて素晴らしく美しい婦人の写真が見付かり、
       それからずるずると芋蔓式にたどり着いたのでしたが、
       あれこれ詳細記事が見付かったものの、ははは、
       いまだしっかり読んでおらずで、暫くひっそり楽しめそうです、うひひ。
       



       さて本題に戻りまして、ここが領主の寝室から跳ね橋で出る
       主塔から張り出したテラス
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       つまりこのテラスまでは敵が上って来れても、跳ね橋があるので
       領主の寝所には入れない事になりますが、
       味方の謀反程度ならいざ知らず、本当に大群の敵に取り囲まれた場合、
       塔の中に引きこもり無事であっても、兵糧攻めになったらどうするんだろ?




       これが城壁の上の見張りのパトロール道、広いでしょう?!
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       一番東端まで行き、間から見晴らす北の眺め
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       そして狭い階段で潜り込んだ、城壁の壁の厚みの間をくり貫いた
       トンネルのパトロール道。  ここを逆行きに戻り、
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       階段を下り、2つ目の跳ね橋の脇、つまり内庭に出るアーチの横に
       出て来て、7世紀間を生き残ってきた城塞見学がお終いに!
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       我々見学者に公開されている部分はこんな感じですが、




       この方角からの城の写真に見える、周囲を取り囲む城壁の上、
       またこの南面に見える建物上階に続くテラスなど、
       きっとずっと兵士の見回りがあり、今も上れるのだろうと思います。
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       いやぁ、如何にも堅固な中世の城という感じで、
       華麗さは無かったですが、興味深かった。

       ニンファの庭園に行かれる方、お近くにお出かけの方、
       可愛い小さな町の散策と共に、お城見物も是非どうぞ!!




       ◆ おまけ ◆

       町のご案内の時に、「ロカンダ・ボニファーチョ8世」という
       宿とレストランの表を見て、中はどんなのかと思ってましたら、
       写真を1枚見つけましたので、どうぞ。
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       階段の段差が少し複雑に入り込んでますが、
       如何にも中世風な趣でしょう?!




       町のサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂に付いては
       水彩・色鉛筆画ブログの方でご案内をしておりますので、
       下のリンクからどうぞ!


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、もうちょっとの2枚と、 S.M.アッスンタ聖堂・セルモネータ を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     


       


   


by italiashiho2 | 2016-06-19 00:12 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(4)
2016年 05月 15日

   ・・・ ヴァルヴァゾーネの城 ・ イタリアで一番美しい村々の ・・・

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       先々回ご案内しました「イタリアで一番美しい村々」に登録の、
       フリウーリ・ヴェネツィア-ジューリア州のヴァルヴァゾーネ

       今回は村の起源ともなり、公爵領主の居城でもあった
       お城のご案内を。

       当日は曇り空でしたので、まずトップは青空の美しい写真を
       サイトから拝借致しまして、

       元々は13世紀の要塞城で、周囲を深い堀が囲み高い塔もあって、
       現在は橋も普通ですが、当時は跳ね橋だったと。
       


       真正面からの写真では見えない、向って左側も少しどうぞ
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       長い世紀の間に炎上もし、修復され拡張され地震の被害も受け、と
       様々な変遷を辿った城で、
       まず橋の向こうに見える門囲いの上部、本来ならばこの上部には凸凹形、
       イタリア語でメルレット・レース飾り、があったのが潰されていて
       名残がうっすらと見えますね。
       
       左に見えるロッジャ部分も、18世紀になってつけられたもので、
       正面上部の壁にも円柱が残っているのが見えます。
       我々の内部見学は、左のロッジャ部分から入りましたが、
       ロッジャには門囲いの内側の、左に開いた入り口から。

       城は現在、国の記念物に指定になっているそうですが、
       持ち主はコムーネ・市。
       現在まだ修復が続いていて内部の一般公開はされていない様子。
       ガイドさんが鍵を開けて、という形でした。





       橋を渡っての奥に見える中庭と、円形の井戸
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       実は上の写真で見える右側の翼部分、ここは個人の持ち主が
       3軒分入居されているそうで、かって公爵から購入されたとの事で、
       我々は中庭には入れず。

       門の奥には鉄柵があり、たまたま入居者の車がやって来て柵が開き、
       中が見えたのでした。




       本館側左部分3階と4階の間、18世紀の改修部分
       これは実は3階の上の部分に、テラス庭園があったのを潰し、
       居住部分に替えた名残なのだそう!
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       皆が一斉に、勿体ない!と声を上げたのですが、ははは、
       ガイドさんの説明によると、時代が下り、要塞城というよりも
       ルネッサンス様式の居城に様変わりしていて、
       一族の皆さんがたくさん住んでおり、部屋が不足だったのだろうと。       




       正面左側壁の様子。 右がやはり18世紀に建て増しのロッジャ部分の上、
       左の窓の形は古い物。
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       ロッジャの前庭から見る埋め立てられた堀と、深い堀だったそう、
       お城前の広場にある建物類、多分この辺り家臣達の物と。
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       お城前の広場・ピアッツァ・カステッロ
       現在は駐車場になっていますが、
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       右奥に見えるのは塔の門で、



       こんな様子で、町の西側の門。
       塔の名はトッレ・デッレ・オーレ・Torre delle Ore,
       かっての時代、時を知らせる鐘でも備えていたのでしょうか。
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       右に見える壁画のある建物は
       


       これ。 トラットリーア・ラ・トッレ・Toratoria La Torre,
       ちょっと有名な土地の料理、そして古い土地の料理を食べさせる様子。
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       広場の端にある井戸、優雅な飾りがありますから、
       この広場の周辺建物は、領主の主だった家臣達で占められていたものと。
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       広場南面の様子。 見える鐘楼は先回ご案内のドゥオーモの鐘楼。
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       サイトで見つけた17世紀のお城と村の様子
       堀が周囲を囲い、町の周囲にも流れ、城壁が町を囲んでいた様子。
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       堀に渡された橋は3本あり、一つは上のトッレ・デッレ・オーレに、
       もう1本は城に、そして集落に連絡していたそう。

       城の高い塔も、高さ18mあったそう、積年の災害などで危険な状態となり、
       1884年に取り壊されたと。




       こちらがロッジャ部分で、ここから我らは城の中に
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       最初に入った部屋の様子で、兵達の詰め所でもあったでしょうか。
       一番手前に見えるのが大きな釜、洗濯物の煮沸に使われ、
       18世紀まで使用されていたと。
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       灰汁を使い、また香り付けの香草も使ったりで、
       この部屋は「香りの部屋」と呼ばれていたと。
    
       ですが、洗濯の後はちゃっちゃっと洗って、きっと煮炊きもしたんだろうね、
       というのは、shinkaiと傍の仲間との内緒話。

       見える鳥の様な物は、グリフォーネ・grifoneという伝説上の鳥で、
       現代の鉄の彫刻。

       一番奥に切込みが見え、真ん中にも扉が見えますが、ご留意を。       




       これが釜の部分で、大きなフードがあり、
       左横には、窓際に設えの席が向かい合ってありました。
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       真ん中の扉の中、隙間から中がチラッと見えるのに気がついた
       shinkaiが必死で狙うのを見て、ガイドさんが開けてくれ、ははは、

       はい、トイレなんですけど、壁に聖像用のくり貫きがあるのを  
       初めて見まして・・!
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       そして、蓋付き! ガイドさんに確かめましたら、
       やはり堀に落下する様になっていて、ははは、
       蓋は臭い封じでもありますが、風などの吹き込みも防いだのでしょう。

       ここのは修復され、座も蓋も新しい物でしたが、




       部屋の奥に見えた、壁の切り込み式のトイレがこれ!
       ここのは座も蓋も木の、古い物でしたぁ。
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       こういう古いトイレには、大いに興味をそそられるshinkaiでして、ははは、
       フィレンツェはヴェッキオ宮のは  http://italiashio.exblog.jp/10363547/
       同じくフィレンツェ、ダヴァンツァーティ邸  http://italiashio.exblog.jp/10480570/
       アシャーノの博物館内のは  http://italiashio.exblog.jp/20195158/


       友人のジュリアーナは、フリウーリの北で暮らした子供時代
       お祖母ちゃんの家にこんな蓋付きトイレがあり、
       中に吸い込まれそうでとても怖かった!という想い出話をね。

       以前読んだ「ノルチーノ登場」という戯作本には、
       ノルチーノというのは、ウンブリアはノルチャ出身の、
       豚肉加工職人であり、藪医者でもあり、去勢手術人を指しますが、

       ケチなノルチーノがあれこれ細々と遺言を書き残すのに、
       瓦1枚とか、楊枝1本、スプーン1本とか、ははは、
       中にトイレの蓋、というのがあり、当時は意味が分らず訊ねましたっけ!
       ははは、こちらのトイレの蓋は丸いのも知ったのでしたぁ!!




       天井にはこんな風に飾りが描かれ、柱の間にはそれぞれの紋章が
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       部屋の端の壁には、かっての落書きがあれこれ!
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       窓の外を覗くと、抱卵中の鳩が2羽。 頑張ってね!
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       こちらはフレスコ画装飾がされた部屋
       修復が済んだばかりなので、触らないように注意をとガイドさん。
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       順にご案内しますと、正面のは、最初のフレスコ画を塗りつぶした上に
       後の時代に描かれたもの、を引き剥がし、改めて別の下地に貼り付けた物。
       



       右側の壁、これが上に見えたものと同じ、後から描かれた柄。
       これがいつの時代のか、説明を聞き逃し、サイトでも見付からず・・。
       17~18世紀の物でしょうか?
       長年同じ古い壁画を見続けて、きっと飽きが来たのでしょう、ははは。
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       これも上の写真の続きですが、
       上に見える黒と赤の狼の立ち姿、これがヴァルヴァゾーネの
       城主の紋章でして、
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       白地に黒が、このヴァルヴァゾーネのもので、
       赤が同じ家系の分家筋というのか、クッカーニャ・Cuccagna、
       そしてスピリンベルゴ・Spilimbergoの領主の物で、
       村の中にも並んで描かれているのが見えました。

       元々ヴァルヴァゾーネ・Valvasoneという領主の名、村の名は
       ドイツ語の wolfes + höfe に由来し、狼の群れの意、
       イタリアの北東の国境を越えたオーストリアは
       カリンツィアの貴族出身との事。

       13世紀に当時あった古い要塞の跡に城を築き、
       先回町のご案内の時にご説明した、ローマ期以来戦術上重要な
       ターリアメント河渡河のこの位置で栄えたという家系です。




       さてこちらが左の壁の興味深いフレスコ画で、
       修復の際に偶然上のフレスコ画の下から見付かったという
       14世紀中頃のもの!
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       右端から、貴族の男女の姿、木の姿に囲まれての比喩的な物
       そして左端が大変興味深いロバと狼の姿。




       右端の貴族の男女の姿ですが、
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       左の3人の女性の真ん中は既に結婚した女性を表し、何か贈り物を
       差出し、奥は城を抱えていますね。そして音楽を奏でる手前の女性。
       さて何を物語っていたものか、絵に隠された比喩は?
       



       真ん中の木に囲まれた小さな図ですが、これも当時の比喩らしく、
    
       子供達が遊んでいる図ですが、フリウーリ弁で書かれた文字は、
       「さて、遊びが始まる」と。
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       夫婦に小さな子供2人、テーブルの上には硬貨が見え、
       夫が頬杖をつき、書かれた文は
       「ここが思案のしどころ」という意味と、ははは。
       ね、洋の東西、世紀を問わず、どこの家庭も同じなので~す!
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       男女が向き合い、鏡を見ながら見繕いを
       「綺麗にして」と。
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       全体で何か賢者の言葉を伝える、絵解きだったのでしょう。




       左のこれは、アルメッリーノの毛皮を着たロバが立派な椅子に座り
       前に狼が居ます。
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       現在はロバは馬鹿の意味で使われますが、中世の世にあっては、
       ロバは賢者だったのだそうで、ガイドさんは意味不明と言いましたが、
       サイトで見た説明にはこんなのがありました。

       つまりアルメッリーノを肩にかけたロバは、アクイレイアの司教で、
       アクイレイアの司教はかっては大勢力を誇り、このヴァルヴァゾーネも
       その支配下にあったほどで、
       前にいる狼に、勿論ヴァルヴァゾーネの領主、何か教えていると。

       土地に残る話に「ゾッポラの戦争」というのがあり、それの関係だろうとあり、
       何かと調べましたら、
       ゾッポラ・Zoppolaという町がヴァルヴァゾーネの南西10kほどにあり、
       ここに11世紀からの城があり、城主は変わっても1405年まで続いていたのが、
       それ以降アクイレイアの司教の持ち物となり、現在に至るも
       荘園(土地)は当時の司教アントニオ・パンチェーラ・A.Pancieraの子孫、
       パンチェーラ家のものである、というのがありました。

       ヴァルヴァゾーネの領主とゾッポラの領主が争ったというのに、
       案外アクイレイアの司教が乗り出し、上手い事我が物にした、された、
       という事を代々伝えているのかな、とも・・?!
       
       所でこの城は現在も残り、中には天井が木製金塗りの小さな司教の書斎とか、
       ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロやピエトロ・ロンギの作品も残っていて、
       予約すると、庭園共々見学できるのだそう!
       
       電話 +39-0432-288588   ファックス +39-0432-2297790
       サイトは www.consorziocastelli.it
            info@consorziocastelli.it

       聞いたことも無い別の田舎の町にも、かっての富が眠っているようですね!



       
       この部屋の天井にもやはり模様が施されており、間には多分一族の
       肖像なのでしょうね、特別豪華ではありませんが、
       やはり中世の要塞とは違う、居城の趣になっていたのが分ります。
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       これは隣(最初)の部屋から入ってきた境にあるアーチですが、
       やはりここにもフレスコ画の装飾が。
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       この階段の下には下りれませんでしたが、城の半地下にでもなるのでしょうか、
       きちんと修復が施されており、
       階段は貴人たちが騎乗のまま上れる、段差の低い物
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       この部屋から低目の扉を潜り、段差を一段下ると、
       この城の呼び物の一つである、小劇場!
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       舞台上はこんな風で、上には左脇からと、今見える右奥から階段があり、
       子供達が遊ぶ間に風景が描き込まれた帯状の飾り模様が天井の下を巡り、
       正面左側の聖母子像と、右の大きな額縁は騙し絵です。




       舞台に向う客席側は、こんな感じで上部にあり
       細かい細部にもすべて装飾が施された18世紀の、一族用の小劇場!
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       我々が入ってきた隣の部屋からも入れますが、
       舞台の対面に入り口扉があり、そこから左右にある階段で上の桟敷に
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       観客席の下はこんな感じで、立ち見も出来ると言うわけですが、
       上の観客席はせいぜい35,6人と言ったかな、
       完全に一族が楽しむ為の小劇場なのですね。
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       帯状の飾りは子供達と風景ですが、
       16世紀のエラーズモ・ディ・ヴァルヴァゾーネ・Erasmo di Valvasone
       (1523-1593)という方が、一族の中で一番有名な詩人で
       作品を残されているのだそうで、その中の場面の様子と。
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       城の2階には礼拝堂や、豪華な大部屋などがあるそうですが、
       ガイドさんによるとやっと修復が済んだ所で、まだ公開されていない、
       との事でしたが、

       初めて知り見たこの城の内部の裕福さ贅沢さに
       なんとまぁ、こんな田舎に!というのが正直な感想で、
       奥が深いなぁと思った事でした!
  



       毎年9月の半ば、金土日の3日間、今年2016年は9月9,10,11日に、
       「中世のヴァルヴァゾーネ・Medioevo a Valvasone」という、
       栄えた16世紀辺りを目安にした回顧祭りが開かれる様子で、
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       こんな旗振り競技も、騎士物語りも、時代衣装の行列も
       繰り広げられ、
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       中世風の屋台や職人芸や、様々な催しが楽しめる様子。

       最後は、夜の広場の様子をどうぞ!
       チャンスがありましたら、このフリウーリの古い町にお出かけ下さいね!!
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     *****

       皆様、いつもブログご訪問、有難うございます!

       さてshinkaiは、この18日から22日までの5日間、
       グループのバス旅行で、ラツィオ州の海岸沿いの町、島を巡る旅に
       出かけますので、春休みを頂く事とし、へへへ、
      
       次回のブログアップは25日に、という事で、
       宜しくお願い致しま~す!!

       はぁ、いつも日曜のshinkaiではありますがぁ、
       ブログに追われぬ10日間は嬉しいぃぃぃ!! うふぃうふぃ。

       しっかり眺め、撮りまくって来るつもりで~す!

       皆様にも良い春でありますように!!
       

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ヴェネツィアの夕暮れ 途中経過と、 スポレートの水道橋 を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     







by italiashiho2 | 2016-05-15 00:03 | ・フリウリ・ヴェネツィアジューリア州 | Comments(4)
2016年 01月 06日

   ・・・ 松本城訪問 ・ 信濃の国 ・・・

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       昨年の秋日本に行った時、松本と安曇野を訪ねましたが、
       今回は、松本城訪問の様子を見てやって下さいね。

       信州長野生まれで育った私は、小学6年生の春(だったと)に
       松本から諏訪への修学旅行で一度訪問しているのですが、
       それ以降はいつも素通りでしたので、町の様子も知らずのままで・・。
       今回漸くに安曇野も含め訪問できたと言う訳でした。

       上の写真は、お城、天守への内堀を渡っての、二の門
       復元された門との事ですが、立派で控え壁には鉄砲用挟間も見られ、
       外人観光客の姿もかなり多く・・。




       案内図をどうぞ
       上でご覧頂いた二の門は、中ほど下に見える「現在地」から上、
       の数字にあり、
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       2. 本丸御殿跡、3. 二の丸御殿跡も実際には建物がありませんので、
       6.二の門の後は、11.黒門を通ると、広い庭園になります。

       6.の右に、外堀を渡っての位置になりますが、
       10.太鼓門、門の上に楼上があり、鐘と太鼓で情報を伝えていたと言い、
       ここは見なかったのですが、復元された大きな立派な門で、
       多分こちらが家臣の登城門だったのでしょうね。




       案内図11.の黒門、こちらも復元された物と言いますが、
       本丸御殿に通じる重要な門で、
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       柱にも初代城主であった石川氏の笹竜胆の紋
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       門の内側に、この城の歴代藩主の名と紋所が。
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       元々は16世紀の初めに、当時深志城と呼ばれた城が築かれたのが
       始まりのようで、城主は戦国の世の中ですので色々変遷があり、
       
       最初に名の見える石川数正が入城したのは1590年、徳川家の関東移封後で、
       彼が天主を築き、城郭、町の整備も行ったとの事。
       こうして代々城主が変わりながらも引き続き、明治2年まで。 

       明治最初の城取り壊しの際、競売に掛けられ解体される寸前に、
       街の有志が音頭を取り運動を繰り広げ、
       遂に現在まで生き残ったという城なのですね。

       松本城のサイトはこちらに

       上諏訪の町とお城については




       黒門から入ってくると、広い庭園の向こうに大天守が聳えます
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       そうなんですよね、この松本城は平城!
       もともとの築城年を考えると、ちょっと不思議な位なのですが、
       天守のある城としては唯一の平城なんだそう。

       そして、えっへん、はは、私が威張っても始まりませんが、ははは、
       そう、この松本城は日本に5つある国宝の城の一つ!なんですねぇ。
       (4つかと思っていましたが、松江城が昨年指定を受け)
       他の3つは犬山城、彦根城、そして姫路城ですね。
       
       犬山は明治村に寄った記憶がありますが、まだ城は知らずで、
       重文指定の他の7つの天守も美しく、チャンスがあれば!です。
       



       で、サイトから見つけた名と高さ入りの写真をどうぞ
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       という事で、乾小天守と大天守を繋ぐ渡り櫓の下にある
       大手口から入りますが、

       これは大天守の石垣の迫り出し具合
       角の上には石落としも見える実戦構造の城ですね。
       黒の色は漆塗りなんだそう!
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       石垣前に武者姿のこの方がおられ、皆さんとの記念撮影に
       応じられていたのですけど、shinkaiがお願いしますとカメラを構えると、
       一人撮影とわかって、あっ、あれっとちょっと照れたりして、ははは。
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       むむ、貴殿お持ちの三階菱の紋所は、2代目城主小笠原氏の物でござるな。




       ささ、大天守へいざ、いざ、お進みめされ!
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       ちゃんと靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がって下さいよ、
       そこの外人さん。 (英語でなんていうの? ははは)




       松本城天守の構造。 
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       上がる前にしっかり読んで、というのをいつもパシャッと撮って、
       ブログ書きの前に読んでなるほど、というshinkaiですが、

       戦国時代の終わりの平城でも、やはりそれなりの実戦体制を
       取っての築城だったのが、鉄砲攻撃に備えての厚い壁とかで分りますね。
       大天守の壁の中には、木の枝とか縄を真ん中に挟み塗りこめてあり、
       厚さが20~30cmもあるそうで、これだと火縄の玉も通しません。

       明治時代にこの大天守が傾き、大改修が行われた事があった様子ですが、
       この説明の2にある、天守台の石垣の中に、16本の栂材の丸太柱を埋め込み、
       千トンの重さを支える、というのが、
       この丸太柱の老朽で支えきれなくなった、という事情もある様子。
       昭和に行われた解体大修理の際に発掘された柱は、
       殆どが腐食され形を留めていなかったとの事。
       400年もの歴史を持つ城ですものね!




       大天守の北にある乾小天守ですが、「北」にある小天守が「乾」・北西を指す、
       と呼ばれるのは、「北」が意味する言葉の不吉さを嫌ったからなのだそうで、

       大天守と違って、こちらには丸太の柱も使われているのだそう。
       すり減り、磨き上げられた、床と柱の美しさに目が行きます!
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       階段の踏み板も、支えもツルツルすべすべ
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       中はやはり薄暗く、窓の外の快晴の空、緑が嬉しく
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       この柱の見事さ! 木目の美しさ!
       床が黒いのは、これもかっては漆塗りだったんだろうか?
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       大天守への渡り櫓部にあった、梁の大きく曲がった太い柱
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       こんな自然のままの柱は強度に強いのだそうですが、
       傍らの管理の小父さんが、この柱は何の材木だと思いますか、と出題。
       でも、この城の名に因んだ名前です、とヒントもね、ははは。
       というので覚えると、忘れませんよね。




       でもね、凄みのある木目でした!
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       昭和の大修理(昭和25~30年)で取り替えられた展示品もあり、
       これは鬼面鬼瓦
       余り怖くなく可愛い顔にさえ見えますね、ははは。
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       大天守の1階の大広間、鉋や手斧で仕上げられた柱が
       整然と薄暗い中に並びます。
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       この広間の周囲を、約45cm低い武者走りが取り囲みますが、
       土台は2重になっているのだそう。




       大天守の上を護っていたシャチ。 口を開けているのが雄で、
       閉じているのが雌、というのですが、これはどちらかな?
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       かなり興味をそそった火縄銃の各種の展示があり、
       長いのと、馬上筒と呼ばれる短い物。
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       説明図によると、大筒と呼ばれる口径30mm程の物が、
       大阪夏の陣では昼夜を分かたず打ち込まれ、和議を早めたという事で、
       これ位のものだと射程500mほどの命中率はなかなかのものだったとか、
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       馬上筒は加藤清正が武器として取り入れたのが初めで、
       馬上で使いやすいよう50cmほどの長さの火縄銃で、近距離用。
       勿論連続発射は出来ず。

       右上に見える抱え大筒というのは、口径25~40mm程までの火縄大筒で、
       これを抱えて撃つ日本独特のものなのだそう。
       狭い坂道でも抱えて運べるので山城攻めとか、戦国後期に威力を発揮したと。




       こちらは鉛の弾、勿論手つくりで、
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       考えた事もなかったのですが、戦国期の武士の妻や娘の仕事だったそうで!
       夫の火縄銃に合った弾作りに精を出しているかっての女達の姿を思うと、
       いじらしくもあり、少々おかしくもあり!
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       火縄つくりも大切だったようで、良い火縄だと命中度が違い、
       木綿の火縄だと火持ちも良く、灰も真っ白で軽く、
       引き金を引いて玉の出るタイミングもとても良いと!

       ですが、木綿はかって北の国では栽培できず大変に高価だったので、
       刺し子や菱刺しの起源もこの理由からでしたしね、
       古くには繊維の長い竹や麻を混ぜて火縄を作ったとも。




       甲冑ですが、後ろに「当世具足」と見えるように、
       戦国時代になって当時の鉄砲戦に相応しい形を考えだした物で、
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       かっての煌びやかな革の小片を繋いだものではなく、
       鉄を使った大量生産で、鉄砲戦に対応した強い物、玉を反らせるために
       曲線や傾斜を多用し、機能性も重視しているのが特徴と。

       背中に玉込め用の棒・カルカを背負い、腰には玉入れを下げ、
       肩から口薬・点火薬入れの水筒みたいなのを提げ、
       これで火縄を持つと約20kgの重量だったと!

       ふっと気づいたのですが、玉込め用の棒がカルカ!
       イタリア語でカーリカ・caricaは職務、積荷、充填、仕込みなどを指し、
       戦闘での「弾込め、撃つ用意!」は動詞caricareから、carica!なんですね。

       仏壇にお供えする水を「閼伽・あか」と言うそうですが、
       これはacqua・アックワから来ているのかも、と聞いた事があり、

       と同様、遠い土地からの由来の言葉みたいにも思い至りました。




       これは4階の大広間の一廓、御簾で囲った御座所
       有事の際の御座所として使われた様子。
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       窓の形は、大屋根の下に作られる千鳥派風・東西と、
       南北にある唐派風とがあり、こちらは唐派風で、
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       こっちが千鳥派風の窓
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       大天守の中には1階から6階まで階段が7箇所あるそうで、
       どの階段もかなり急な階段でしたが、
       とりわけ4階から5階への階段が傾斜が61度もあり、
       おまけに蹴上げが約40cm!
       掴まりながら上がるのですが、足元は勿論見る余裕がなく、
       ヨイショ!と足で探りながら上がる感じで、

       今奥に見える階段の上の部分がそれ!
       昔の人は体も小さく、脚も短かったでしょうに、はは、
       大変だったでしょうねぇ~、ひひ。
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       こうして上がった最上階、大屋根の下に見えた注連縄
       納得しますです!
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       見えた、国宝指定書、昭和二十七年三月二十九日
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       窓から見る松本の街
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       乾小天守の屋根
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       内堀の西側と埋橋(うずめ橋)。
       4年前の地震で埋門の石垣がずれ、現在こちらからの入城が
       停止されているとの事。
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       そして黒門方面
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       階段を降り、最後はこの月見櫓
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       大天守に続いての辰巳附櫓、そして月見櫓ですが、
       ここは徳川3代将軍家光が長野善光寺参拝の途中に松本に寄る、
       というので建てられたのだそうで、
       外側には赤い欄干を巡らした月見櫓らしい風雅さなのですが、
       結局善光寺参拝は中止になったのだそうで・・。




       大天守の最上階に上がった辺りで、カメラ電池の消耗に気づき、
       最低限の写しにしていたのですが、
     
       遂に最後の一枚!となった、内堀越しの大天守の眺め
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       という、長年の夢でもあった松本城再訪でしたぁ。




       最後はサイトから1枚拝借し、
       美しい雪化粧の松本城をどうぞ!
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ゴルドーニの家 内庭 と スコミーゴ村の初雪 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    


     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     







by italiashiho2 | 2016-01-06 00:47 | ・日本・アジア | Comments(13)
2015年 08月 30日

   ・・・ 我が町コネリアーノ ・ フェッラゴストの日の城と町 ・・・

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       あっという間に8月も終わりに近づき
       夏休みを終えた町は、子供達は9月上旬まで夏休みなのですけど、
       車の通行もいつもの通りに戻っています。

       この夏はアフリカからの熱波到来で何十年ぶりかという
       熱さが続き、とはいえ大都市でないこの辺りは、
       皆さんのブログやメールから拝見する日本よりは楽に過ごせました。

       が、夏の初めに歩き会のメンバーであるジュリアーナが、
       山歩きに参加して右脚の腱かどこか痛め歩けなくなり、
       それに伴うこの夏の熱さと(年から来る)皆の横着さとで、ははは、
       日曜午前の歩きの距離が大幅に短くなり、

       お城の上のバールで待っているジュリアーナに合流すべく、
       坂道を上ってお城に行く程度の距離に縮まり、
       いつもだと2時間半程度歩いていたのが1時間ほどに縮まり!
       涼しいテラスのバールでジュースを飲みながらのお喋りに堕落!

       という様子が続いていた8月15日
       この日こちらは「聖母子被昇天」の祭日、そして16日と連休の、
       どこのお店も閉める夏休みの大〆の日の歩き会、

       いつもよりは少しぐるっと大回りし、それもかなり早歩きの
       1時間半でお城のバールまで行き、
       戻りは閑散とした町中を通った様子を、今日はご覧下さいね。

       上の写真は、お城への坂道にかかった辺りのオリーヴ畑
     


       柿の実もこんなに大きくなっていて
       あ、ちなみにこちらでもKakiです。
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       坂道が大きくカーヴする場所から
       葡萄畑の緑も、今が一番濃い季節。
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       ずっと上り坂が続く道のりを行き、
       今お城の北側の門、先を歩くエレオノーラ。
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       今この道が車でお城に行く際の唯一の道で、以前は車も通れた
       南側の道は、歩きと許可された住民の車のみ通行可。




       門の内側
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       門を出て左側に聳える城壁の内側が現在のお城で、
       今見える突き当りの道の右端に隠れて、
       町からの古い城壁沿いの小路も通じます。
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       道を左に折れると、


       こんな風に、今も残るコネリアーノのお城の塔
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       上り石段脇の石榴の実も大きくなっていて、 
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       お城の横庭というのか、かっては城郭内だったのでしょうが、
       今は駐車場で、
       見える元サンタ・オルスラ教会と鐘楼、かってはここが
       コネリアーノのドゥオーモだったのだそう。
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       駐車場の端から見る町の南とヴェネト平野
       そう、地平線が見えるので~す。
       これは南部分ですが、東のフリウリ平野にかけてもね。
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       もともとのお城は10世紀に遡るのだそうですが、       
       かっては中心に4本あったという塔も残っておらず、

       残るこの塔は、町の人々や役員に招集をかけるための鐘があった鐘楼塔で
       手前は鐘楼への入り口の塔で、中は現在市の博物美術館。
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       鐘楼の塔・トッレ・カンパニーレには上がれ、それこそヴェネトから
       フリウリの平野が一望なのですが、
       う~ん、写真はあるけどまだご覧に入れてないなぁ・・。




       内庭の井戸
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       庭の北に残る現在はバール兼トラットリーアになっている
       かってのサラチェーナの塔・Torre Saracena.
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       お城とその他ちょっぴりのご案内は



       ここには城の庭に続く張り出しのテラス席もあり
       日陰で風通しも良く、町の人々が散歩がてらに集まります。
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       で、ここで冷たい生オレンジのジュース2.5エウロを飲みつつ、
       お喋りに1時間半ほども潰したこの夏!


       8月15日は「聖母被昇天の日」の祭日ですが、
       一般に「フェッラゴスト・Ferragosto」とも呼びます。
       この呼び名が何に由来するのかと思いましたら、

       古代ローマのアウグスト帝が、自分の誕生日にちなんで制定した
       「アウグストの祭日・Feriae Augusuti・8月1日」に因るのだそう。

       でも私にとっては、やはり「お盆」ですね。



       テラスからは町の北側の見晴らしが素晴らしく、
       中程の丘のほぼ中央に見えるのが、オリアーノ村の教会鐘楼で、
       我がスコミーゴ村はあれより坂を下りますので、ここからは見えず。
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       少し西に向いての眺め
       中央奥に見える教会鐘楼はフォルメニーガ・Formeniganode
       の物で、以前はあそこまで往復3時間半ほども歩いたのになぁ~!
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       さて漸くにお喋りも切り上げ、南の坂道を下りますが
       こんな風に素晴らしい並木の坂道が続き、
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       2度目のカーヴを過ぎた所に素晴らしい眺望が開け

       北側から順に見ていただくと、
       小さな葡萄畑の向こうに、パドヴァのカッラーラ家が造ったという
       10世紀頃の古い城壁内を通る道が見え、
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       奥に見える山並みのも少し左に、先ごろご案内の
       サン・サルヴァトーレの城が見えます。




       町の山側西端に位置する、かってのサン・フランチェスコ修道院
       修復され、現在は国立醸造業学校の本部に。
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       そして平野部にこんな風に広がるコネリアーノの町
       手前山側のこの一廓が古い町の中心地で、
       現在ドゥオーモの鐘楼が修復中。
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       中程上に見える、突き当りの細長い建物がコネリアーノ駅で、
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       今こうして見える駅向こうの広場っぽいのとか川の橋とか、
       いつも通る道なりの地図で考えて、えっ、どこだろう?!と。




       こうして下って来た道は突然に町に接し、といつも感じる、
       右はピアッツァ・チーマに面するテアトロ・アッカデミアと、
       正面突き当りを東西に走るヴェンティ・セッテンブレ通り・via XX Settembre.
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       左側のポルティコの奥側は市役所の本部で、結婚式場と
       3階ぐらいだったかに市の記録古文書館があります。
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       右にチラッと見えるスフィンクスみたいなのは


       
       これ! ほらウィーンのベル・ヴェデーレ宮殿の庭にも
       ありますよね? あれです。
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       これ、あれ、というのは、正しい言葉を知らないからでして、ははは、
       コネリアーノがかってオーストリア側の下にあった事を物語ります。

       トリエステの西にあるミラ・マーレのお城にも、ありましたっけ。
       このお城はハプスブルグ家の最後の王の弟、マキシミリアンが
       造った城ですから、まぁ、当然でしょうが、
       ですが、実際は何を現すのでしょうか? ご存知の方、よろしくぅ!

     ◆ 追記です

       いつものごとく即教えて頂きまして、「スフィンクス」で
       宜しいとの事です。
       詳しくはコメント欄のシニョレッリさん、クリスさんのご回答をどうぞ!
       お2人さま、いつも本当に有難うございます!
       



       ピアッツァ・チーマ・チーマ広場は、コネリアーノ・ダ・チーマ・
       Conegliano da Cima、15~16世紀にかけて活躍の画家の生地でもあり、
       生家がこのすぐ近くにあることの記念で、
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       テアトロ・アッカデミア、19世紀建設で、
       私がイタリアに来た頃は映画館でしたが、現在は元のテアトロで、
       様々な催し、公演が行われています。
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       チーマ・ダ・コネリアーノ展とコネリアーノの町 1と2

       コネリアーノの町の古いご案内は

       コネリアーノ全体のご案内は
       http://italiashio.exblog.jp/i36




       ここで家が近いエレオノーラと別れ、
       一人でヴィア・ヴェンティ・セッテンブレの東半分を
       閉まった店をのんびりと覗きながら行きます。

       室内装飾の展示ルームですが、店にかかっている半抽象の絵が
       上手いなぁ!と眺め、
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       この通りは、かってのコネリアーノの一番の通り
       お金持ちの豪勢な家が並んでいた通りでして、
       こんな風にフレスコ画で装飾されていたのが今もたくさん残ります。
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       フレスコ画はもっと良く見えるのもたくさんあるのですが、ははは、
       この時は白い窓のテントを写すつもりでして・・。




       市が企画展示する絵画展等の会場となっているサルチネッリ邸
       前には、既に済んだカルパッチョ展の案内がまだ出ていて、
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       う~ん、この大ポスターのこの絵はさすがぁ!と思う素晴らしさでしたが、
       イーストリアの方で活躍したという息子ベネデットの絵は、
       何これ、shinkaiより下手じゃん!という感想だったもんなぁ・・、
       ははは、言わせてぇ。




       人通りが本当にまばらなポルティチを通り
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       閉まっている骨董店の中を覗き、 
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       春頃から店開きした額屋兼画材店も偵察に覗き、はは、
       正面に見える水彩用額縁は、ちょっと変化に乏しいなぁと・・。
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       扉が開いていたので、ちょっと覗きましたら、

       モンタルバン新邸の入り口と言うのか、馬車寄せというのか
       向こう側は現在町の中心通りとなっているコルソ・マッツィーニとを
       結ぶ、こんな広い邸宅内の様子。
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       天使が窓の下に残り
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       近くのワイン・バールの飲み残しか、グラスが一つ。 
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       通りの東の門・モンティカーノ・Monticano.
       こちら側には、ヴェネツィア共和国のシンボルである小さな
       有翼のライオン君がいますが、向こう側には大きなフレスコ画のが。
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       道を横切り、橋を渡り、




       ここにも骨董店があり
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       お向かいには、大きな前栽を持つ大きなお屋敷
       木立に囲まれ如何にも涼しそうな、
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       フェッラゴストの日、この夏の思い出でしたぁ

       皆さんも、夏のお疲れが出ませんように!



     *****

       水彩ブログには、 納屋の窓 途中経過と、仕上げにしたい3点 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    

 

     *****        
       
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by italiashiho2 | 2015-08-30 00:14 | ・我が町コネリアーノ | Comments(13)
2015年 08月 25日

   ・・・ コッラルトの村と城跡 そして コッラルト家の人々 (追記)・・・

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       先々回お隣のスセガーナの町にあるサン・サルヴァトーレの城の
       すぐ下に広がる葡萄畑をご覧頂きましたが、

       あの日は葡萄畑の後shinkaiの希望で、写真仲間と一緒に
       スセガーナの北西にあるコッラルトの城を見に行きました。

       ここは古い塔に有名な伝説も残る城跡と小さな集落がある村で、
       スセガーナの町のサン・サルヴァトーレの城主コッラルト家の
       最初の城でもあった、いわば本拠でもあった地なのですね。

       上の写真は古い塔12世紀の物と、南にある中世の門

      
       写真右下に小さく柵が見えますが、


       こんな感じで、多分湧き水のある場所なのだろうと
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       位置関係の地図をどうぞ。
       我が町コネリアーノが北東に、そしてサン・サルヴァトーレの城のある
       スセガーナ・Susegana、そして北西にコッラルト・Collalto.
       スセガーナとコッラルトの距離は約6kmと。
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       西に流れるのはピアーヴェ河・Piave、かっては北のベッルーノ・Belluno
       から木材を筏に組んでヴェネツィアに運んだといいますが、
       今でもピアーヴェの西、東という呼び名がある、いわばヴェネツィア領域と
       フリウリ領域に分ける河だったようです。
      
       左下に囲んだネルヴェーザ・デッラ・バッターリア・Nervesa della battaglia
       の上から西に広がる楕円形の山、丘はモンテッロ・Montelloと言い、
       ここはピアーヴェ河を挟んでの第一次大戦の激戦地だった一帯で、
       ネルヴェーザには、大戦の大きな慰霊所があります。

       モンテッロの丘、この地図に見える範囲よりも少し西には、
       「王の監視所」という山中の農家を改装した、半地下の視察所が今も残る程で、
       オーストリア軍側にあった、ピアーヴェ河東すぐのスセガーナの城、
       コッラルトの城共に砲撃を受け、大破壊されたのも良く分る距離と思います。

       

       今回の写真はshinkaiの撮ったのはブログのアドレス入りで、
       他はサイトから拝借の物です。


       奥にもう一つ門が見えますが、まずは最初の門をくぐり
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       左には3~4軒の家並みがあり、右には広場
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       コッラルトの村に行きたいと言ったのは
       ずっと以前に一度訪れた事があり、その時の印象がとても良く、
       この何軒かの家並みに描けそうな印象を持っていたからなのですが、
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       今回改めて見ると、私めの目が肥えすぎたのかどうか、へへへ、
       ちょっと面白い所もあるにはあるのですが・・。




       右に広がる広場には、ドゥエ・トッリ・Due Torriという
       リストランテ、トラットリーア・バールがあり、
       
       これは最初の門を入る前にあった看板で、
       左に見える拙い絵が、失礼、ははは、伝説を物語ります。
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       こちらが広場にあるトラットリーア
       まだ入った事はないのですが、かなり広そうでしょう?
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       サイトで見つけたスピエード・串焼きの写真!
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       そしてこちらは部屋のフレスコ画
       土地の画家が描いたと言う、新しい物と思いますが、
       真ん中上がコッラルト家の紋章、その右がコッラルティーノ・ディ・コッラルト・
       Collaltino di Collaltoの肖像、彼については後に、
       そして下の真ん中にある大きな戦闘図をご記憶下さいね。
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       最初の門から真っ直ぐ、広場の脇の坂道を上りますが
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       その前に、こちらは最初の門をくぐった右手から広がる城壁で、
       ぐるっと城郭を囲む城壁ですが、背は高い物の厚みが無く、
       城自体が12世紀の物だったことを物語ります。
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       そして高台に見える古い大きな塔
       ここには上れず、近づいて見れるのも夏の期間の定められた日に、
       解説付きの見学ツァーがある様子。
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       坂の手前にあった城の簡単な解説、 
       コッラルトの城、中世の塔と外域を囲む城壁の名残の跡、
       初代トゥレヴィーゾ伯爵エンセディージョ・Ensedisioにより
       1110年に建設されたもの。 1312~1806年まで伯爵領の本拠地。
       1917~18年の第一次大戦で破壊された。
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       坂道を上り奥の門をくぐると、右手にもう一つ門が見え
       この奥が城の中核、城主の居住地であったのでしょう。
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       鉄柵の間からのぞくと、こんな感じに城壁の名残が見え
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       サイトで見つけた、内側の小さな写真2枚
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       実はこの城の塔に残る有名な伝説がありまして、
       時は中世のいつごろか、どこにも出ませんが、
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       主人公はトルベルト・ディ・コッラルト・Tolberto di Collaltoと、
       その妻キアーラ・ダ・カミーノ・Chiara da Camino.

       長年の敵である現在はヴィットリオ・ヴェネトになる
       チェーネダ・Cenedaのカミーノ家から、和平の為に輿入れして来た
       美貌は並ながら大変嫉妬深い奥方、はは、ちょっと可笑しな言葉使いですが、
       
       そして彼女のお付侍女となったビアンカ・Bianca
       長い波打つ金髪の髪、優しい笑顔、優しい性格と、
       それはもうそうでなくてはね、ははは。
    
       トルベルトはビアンカを愛しますが、奥方の嫉妬を恐れ密やかに。
       そして戦に出発する朝、奥方の部屋に挨拶に出向き、
       髪をといていたビアンカにも微笑んで挨拶。

       ビアンカの頬を伝う涙からすべてを察した奥方は、
       トルベルトが出発するや否や、上の絵のようにビアンカを生きたまま
       塔の壁の中に閉じ込めたのですと!

       お話の終末は2筋ありまして、トルベルトは戦から無事戻り、
       出来事を聞くや否や、奥方のキアーラを追放したというのと、
       ついに生きて戻らず、という説と。

       ですがビアンカの亡霊は、その後コッラルトの人々の前に
       良い出来事がある時は白いベールで、逆の時は黒いベールに顔を隠し、
       現れるのですと!

       このお話は、1925年にコッラルト家の伯爵夫人から明かされた物だそうで、
       如何にもでしょう?
       なので演劇や音楽劇にも何度も取り上げられているのだそう。




       コッラルトの村では、このビアンカの悲劇を扱ったお祭りもあり
       かっての衣装で皆さん参加される様子。
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       少し奥には左に見える13世紀の古い塔が残り
       右はかって砲撃で破壊された大きな屋敷跡に建てられたと思われる
       教会があります。
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       塔の上部
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       城郭跡を囲む古い城壁の名残。
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       下の写真の城壁には張り出しが付いていますね。
       これで壁の上の通路は少し広くなり、小胞位は撃てる広さなのだと。




       奥の方はまさに森の佇まいですが
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       一廓にあったこれ、多分、牢であったろうと
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       今はまさに「つわものどもが夢の跡」の面影なのですが、
       20世紀初めの、砲撃前の村と城の様子が絵葉書に残ります
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       そしてこちらが、模型で復元されたかってのコッラルトの姿
       右端下に見えるのが最初の門で、坂道を上り、
       右に折り返した高台に城郭と今も残る古い大きな塔があったのですね。
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       コッラルト家はロンゴバルド族出身で、記録は無いものの、
       カール大帝などがイタリアに来た頃一緒に付いて来た戦士だったろうと言い、
       上手く立ち回り、騎士の位を手に入れたのだろうと。
       いつコッラルトの姓を名乗ったかも定かではありませんが、
       住み着いた土地の姓を名乗ったのであろうと。

       958年最初の記録にでるランバルド1世は、イタリア国王であった(950-961)
       べレンガーリオ2世・BerengarioIIとその息子アダルベルト・Adalbertoから
       トゥレヴィーゾの南の土地とモンテッロ近くを受けた様子で、
       ランバルドはべレンガーリオの娘ジスラ・Gislaと結婚したというので、
       重く用いられたのでしょう。

       モンテッロの近く、というのは戦術的に重要なピエーヴェ河の渡河を
       見張る位置でもあり、
       べレンガーリオがその下に下ったオットー2世の元、オットー3世の元で
       正式にトゥレヴィーゾ伯爵の位も受け、領土も徐々に増え、
       1000年の最初頃にはトゥレヴィーゾからチェーネダ、パードヴァから
       ヴィチェンツァ一帯に散らばり広がる領地を持つ大きな貴族になっていた様子。
       
       そうそう、中世のヴェネト史に登場するカミーノ家
       これはコッラルト家の始祖と言われるランバルド1世の息子から
       始まる家系であることも、今回知りました。
    



       城郭跡の下に広がる土地には、茶色の牛達が草を食み
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       こんな土地が遥に広がりますが、サイトによると、
       これもコッラルト家の土地なのだそう!
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       先々回の葡萄畑を思い出して下さいね。
       我々はこの写真中程に見える坂道を上り、上のサン・サルヴァトーレの城
       の手前から左に行って下り、ちょうど緑の葡萄畑が見える三角形を
       歩いて出発点に戻ったのでした。
       つまりコッラルト家の葡萄畑をちょっぴり歩かせて頂いたという訳!
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       写真に見える大きな赤屋根の建物が、現在のコッラルト家の
       企業本体であるワイン醸造所、コンテ・コッラルト。

       そうそう、上の行程の出発とゴール点の位置にある教会
       私がひょっとして礼拝堂かも、と書いたのは、
       シニョレッリさんが教えてくださったとおり、
       アンヌンツィアータ教会・Chiesa dell'Annunziataでした。

       教会名、スセガーナで検索して出た教会は別の教会だったのですが、
       コッラルト、スセガーナで今回あれこれ検索していて出ました。
       シニョレッリさん、改めて有難うございました!
       先々回の記事のほうは訂正しておきます。




       で1千年続く現在のコッラルト家の当主は
       右から2人目のイザベッラ・Isabellaで、
       右は夫のギュローム・ドゥ・クロイ・Guillaume de Croÿ ベルギーの
       クロイ家の君子で、イザベッラもIsabella Collalto de Croÿ と名乗ります。
       ・・家柄としてはどちらが上なのでしょうかぁ?
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       先代のコッラルト家には男子が生まれず、4人のプリンチペッサのみで、
       長女のイザベッラがコッラルト家の農業企業、150平米に広がる葡萄畑からの
       ワイン醸造業を統率している様子で、

       2人の子息は、左がエマヌエーレ・Emanuele、既に現在公的に
       活躍している様子で、右がヴィオレッテ・Violette.

       今回平民のshinkaiがふぅ~んと思ったのはです、
       サイト記事に出る名前にきちんと Principe、Principessa、Contessaと
       敬称付きなのですね。

       イタリア共和国になってこういう敬称は廃止されたと思っていたのですが、
       やはりきちんと残っているイタリア社会なのでした。
       



       コッラルト家のイザベッラ、お綺麗な方ですねぇ!
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       ワイン醸造についてなど、現在のコッラルト家の活動については
       http://www.cantine-collalto.it/




       ウィーンには、こんなコッラルト家のお館もあるそうで~す。
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       さてこちらは、トラットリーアの壁画に肖像が見えた
       コッラルティーノ・ディ・コッラルト・Collaltino (1523-1569)
       第何代になるのか分りませんが、コッラルト家の中で名が残る方、
       それも武勲ではなくロマンスで、なのです。
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       父マンフレード・Manfredo、母ビアンカ・マリーア・ヴィンチグエッラ・
       Bianca Maria Vinciruella、この母親が詩人だったそうで、
       勿論当時の貴族として武術も納め、と同時に文学もたしなみ、
       1545年には詩集も出版しているとの事。

       教養ある洗練された人柄で、ヴェネツィアの文学者達の集まりにも
       すんなりと溶け込み、




       そこで知り合ったのが、女流詩人ガースパラ・スタンパ・
       Gaspara Stampa(1523-1554)で、
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       パードヴァで父親が亡くなった後、母親の郷ヴェネツィアに戻り、
       その家が文学サロンとなり、貴族、詩人、音楽家、文学者の溜まり場となり、
       その美貌と秀でたリュートの演奏と歌、詩で有名だったのだそう。
       
       コッラルティーノとガスパーラは同い年で、25歳の出会い。
       じきに恋愛関係となった様子ですが、
       彼女の方が真っ当に深く愛し求めたのに対し、彼の方はなかなか・・。
       別れもあり、縒りが戻った時期もあり、
       彼女に素晴らしいソネットが生まれた事もあったものの、
       結局約3年の後に彼女は捨てられた形となり、

       元々虚弱体質であった彼女には精神的にも厳しく、
       ついに僅か31歳の生涯を終えたのでした。
       
       ガースパラ・スタンパについては、pescecrudoさんが3回に渡り
       書いておられます。

       コッラルティーノとの関係については、2回目のこちらに。
      

       コッラルティーノのその後は
       1557年にジューリア・トレッリ・Giulia Torelliと結婚し、
       2人の息子フーリオ・カミッロ・Furio Camilloと   
       ピッロ・Pirroが生まれていますが、 長子の名にご留意を

       そして1558年、武装してヴェネツィア共和国領内に入り込み、
       親族に激烈な恨みを持ち襲撃したかった様なのですが、
       反逆罪に問われ追放とされ、マントヴァのゴンザーガ家に逃げたそう。
 



       そして今回最後の人物、フーリオ・カミッロ・ディ・コッラルト
       これはつい最近出版された本で、トラットリーアに描かれたフレスコ画が
       表紙にもなっているのですが、
       絵の下に見える副題が、Traditore innamorato・恋に落ちた裏切り者
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       そう、上のコッラルティーノの長子フーリオ・カミッロが主人公で、
       小説仕立てですが、実際に起こった事件をヴェネツィアの記録古文書から
       拾い出し、歴史を踏まえ当時の世相なども知るように描かれていると。

       つまり落ち着きの無い乱暴者のフーリオ・カミッロが、
       同じ一族のジュリアーナ・ディ・コッラルト・Giulianaに恋をし
       1585年コッラルトの城を襲撃して、彼女をさらったのだそう!

       父親コッラルティーノは、サン・サルヴァトーレの城で生まれていますから、
       多分直系があちらに住んでいたのだと想像し、
       父親がいつまでマントヴァに追放の身でいたかなのですが、
       フーリオ・カミッロはサン・サルヴァトーレの城にいて、
       こちらのコッラルトの城のジュリアーナを見初め、奪いにかかったと、
       彼が28歳の時の事。

       彼女を奪い、目指したのがマントヴァと言うので、
       父親の追放先でもあるので、知り合いがいたのとも考えられますし、
       どうして一族の女性を、城を襲ってまで奪わなければいけなかったのか、
       既に結婚していたのか、余りにも近親すぎたのか、eccecc
       そして最後どうなったのか、これを知りたいのですがぁぁ、
       
       フーリオ・カミッロの名で検索をかけると、
       でるのは、この本のことばかり!!
       作者のインタヴューにも、本の紹介にも結末は明かされてませんし、
       12エウロで本を買うべきかどうか、ははは、只今考慮中で~す!

     ◆ 追記 ◆
       確かコッラルト家の歴史について書いた古い出版(1929)の復刻版を
       持っていた筈と思い出し探し、フーリオ・カミッロについて
       何か書いていないか調べました。

       7行ほど触れておりまして、フーリオではなくフルビオ・Fulvio Camillo
       となっていて、1585年の4月にたくさんの兵と強力な武器を持って
       コッラルトの城を襲い、破壊し多くの戦利品を奪ったと。
       原因はコッラルトの城にいた親戚に利害関係の古い恨みがあったものと。

       どうやら父親の襲撃事件とおなじ怨恨が続いていたのではないかと
       思われ、これには「恋した女性ジュリアーナ」には触れておりませんし、
       行きがけの駄賃に、失礼、略奪したのかも知れず、
       それを今回ちょっとお話を膨らましたのかも知れず、と思いましたです。 
       



       そんなこんな、ちょっと浮世離れのした古城跡と人物伝が
       続きましたので、最後も綺麗に、
       コッラルトの美しい秋の風景をどうぞ!
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       ちょっと長くなりましたが、
       楽しんで頂けましたように!


     *****

       水彩ブログには、 ブラーノ島の洗濯物、下描き を
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by italiashiho2 | 2015-08-25 01:39 | ・ヴェネト州 | Comments(8)
2015年 08月 15日

   ・・・ ヴェネト盛夏 ・ 葡萄畑の様子は ・・・

       皆様、残暑お見舞い申し上げます!

       立秋の日も過ぎ、今お盆休みの最中ですね。
       そろそろ暑さの峠も過ぎたかなと期待しつつ、
       夏の最後を楽しんでまいりましょう!

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       今日ご覧頂くのは、我がコネリアーノの町の西隣、
       スセガーナ・Suseganaの町の
       サン・サルヴァトーレの城に沿っての葡萄畑に、
       月初めの4日に写真仲間と出かけてきた時の様子です。

       
       上は、朝の8時15分に城の下にある駐車場に集合の後、
       お城への坂道を上り始める脇にある礼拝堂 教会

     ◆ 追記です
       入り口扉の上に伯爵冠を戴いた紋章が見えるので、
       コッラルト家の礼拝堂かと思ったのですが、
       シニョレッリさんが「アンヌンツィアータ教会・Chiesa dell'Annunziata」
       であると教えてくださり、確認も取れました。
       シニョレッリさん、有難うございました!
     
       


       坂道を上り始め
       上の礼拝堂の上にも見えた月、見えるかな?
       手前の畑のこれは、何の作物だろう・・。
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       右奥に見える建物を目印にしますので、ご記憶を。       
       

       坂道を辿った写真は、こちらにも




       途中にある元修道院跡の建物の一部
       住んでおられるのですね。
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       こんな花も
d0097427_01173670.jpg



       この辺り、既にかなり上っていて、
       東側に見下ろす大きな古い造りの農家
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       壁の屋根の下そして中程に、少し消えかかっていますが
       赤い線が 見えるでしょう?
       これは城主コッラルト家の持ち物であるという印なんだそう。
       
       そう教えてくれたのは、今回一緒したジョヴァンニの奥さんで、
       きゃ、名前が出ない、 他にも大変興味深い話を聞かせて貰ったので、
       それは後ほど。




       見下ろす、畑の中の最初の農家、納屋
       ほら、ここにも赤い線が見えるでしょう?
       手前に茂っているのは、オリーヴの木、畑、
       そしてヴェネト平野、ピアーヴェ河東の葡萄畑。
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       大分上ってきて、既にshinkaiは城の前なのですけど、
       ジャンナ達はまだ途中の修道院跡辺り
       ここまでお喋りの声が聞こえてくるのですよ!
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       とにかく暑い日で、しかも少し湿気があり、
       逆光で遠くの平野が靄って上手く写らず、残念!




       こちらがサン・サルヴァトーレの城の正面
       上に見えるのが、伯爵冠を戴くコッラルト家の紋章。
       中の見学や、恒例の春の白ワインの催しの時もここからは入れず、
       城の下の道をずっと奥まで行って、脇門から入ります。
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       コッラルト家が最初に歴史に登場するのは958年、
       凄いというのか素晴らしいと言うのか、
       現在まで延々と1千年を越え、家系が続いているのですね。

       現在の城壁内の敷地の広さは、イタリアで一番とか、
       あれこれ時々目にしたり聞いたりする事からも、
       この家系の大きさ根強さが想像できるのですが、
       今回は改めてきちんと読みたい、という気になりました。

       サン・サルヴァトーレの城の内部ご案内は

       コッラルト家の人々、オリジナルについては




       城の門の前から見る、例の農家、納屋
       そして周囲に広がる、見事なまでの葡萄畑!
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       ちょうど前の土地が荒地になっていますが、
       古い写真ではここも葡萄畑でしたから、
       きっと新しい苗に植え替えるのでしょう。

       我々はぐるっと回って、最後はあの納屋の前の道を通り、
       最初の礼拝堂の脇に出たのでした。




       一緒したミレーナ
       彼女はね、私が撮っているとその後から来て
       写すのです、狙いをコピーするんですって、ははは。
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       石塀の上のトカゲ君
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       お城の正面を過ぎ西側に回ると、こんな風に
       城壁に沿って更に道が続きます
       車もたま~に通る位で、散歩の人が何人か。
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       そしてまた西角に行き、曲がり角があり
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       石塀と糸杉の間を道がず~っと奥に続いて行きますが
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       我々はミラーのあった脇から、こんな道をだらだらと下り
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       農家、納屋の前に
       ほら、ここにも赤線、もとえ、赤い線が、ははは。
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       納屋の中に白く新しいプラスティックの椅子があり
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       向かい合ってある建物の前にも、如何にも人待ち顔に!
       今は閉められていますが、こちらはきっと住居だったのでしょうね。
       白い椅子の前にあるテーブルは、車輪をリサイクルした物でした。
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       ジョヴァンニの奥さんが話してくれたのですが、
       とにかく一帯の領地が広く、小作人として農民達が働いていたわけで、
       第一次大戦時は、コッラルト家はオーストリア側だったので
       イタリア軍の爆撃も受け、戦後は土地もイタリア国王に摂取。
       で農民達は土地が戻ったら自分達の物になるかも、と期待したのだそう。
       ところがそのまま伯爵領に戻ったので、
       農民達は武器を持って押しかけ直に強談判したのだとか!

       どこかにこの話について書いたのがないか、
       もっと詳しく知りたくなったshinkaiです!




       家の中庭を通り過ぎ、葡萄畑の中の道にでます。
       手前はジョヴァンニ。 暑く眩しく目を細めている所。
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       道はこんな風にだらだらの下り坂
       あの面白い形の木は、松の木なんですよ!
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       で、この右に広がる葡萄畑の葡萄が、素晴らしく!
       こんなまだ赤ちゃんみたいに遅く小さいのもありましたが、
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       日当たりが良いせいか、既にもう、こんなに色づき!!
       葡萄の木の幹も、太く古いのにご注目を!
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       中でもこれが一番熟していた色
       つられて一粒摘みましたが、味はまだ酸っぱかった!
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       今のこの暑さがこの調子で続けば、
       今年は葡萄摘み・ヴェンデーミア・vendemmiaが早いでしょうね。
       そして良い収穫かも!

       日本でお米の作柄状況がニュースに出るように、
       こちらイタリアでは、今年のヴェンデーミアは、と出ます。




       葡萄畑の畝の間の道、ず~っと遠くまで・・
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       畑の脇の赤土には、蟻んこたちの巣
       この暑いのにせっせと小さな蟻達が働いていまして。
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       トラクターに乗った方がこちらにやって来て、
       にっこりと挨拶しながら、
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       角を曲がり、あの家・納屋のほうに
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       上からかなりのスピードで下って来たサイクリングの2人
       西に角を曲がっていった先にも、やはりトラクター。
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       上から見たときは変な形と思った松の木も、
       こうして見ると、威風堂々、に見えません?
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       ずっと目印に見ていた例の家・納屋の前から、
       今度は逆にお城を見ます。
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       今見える真ん中の塔は礼拝堂の鐘楼で、
       大きな塔もあったのが爆撃でやられたのだと。
       残っていたら、さぞや素晴らしい眺めでしょうに、ね。




       という事で、出発点の礼拝堂の後ろに戻った我々
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       暑い中、ご苦労様でしたぁ!




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by italiashiho2 | 2015-08-15 01:33 | ・ヴェネト州 | Comments(15)