イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2016年 11月 04日

   ・・・ 再度の復興の願いを込め、 地震被災地への追悼を ・・・

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       8月24日に起こったイタリア中部アマトゥリーチェ一帯での
       大地震に続き、10月26日にはウンブリアのノルチャ一帯で、
       そして30日には止めを刺すかのような、
       1980年以降で最大といわれる8月のを上回る大きな地震が起こり、
       今なお余震が続き各地で被害が起きています

       先日友人のジュリアーナと話していた時、彼女が言った言葉、
        レンツィ(首相)は元の通りに復興すると言ったけど
        復興するには何年かかる?
        私はもうあの美しい一帯を見れないよ!

       そう、重要な場所から町村から、復興に取り掛かり、
       小さな末端の村々に至るまでに、一体何年かかるでしょう?!

       1997年のウンブリアの地震の後、イタリア国の守護聖人でもある
       アッシジのサン・フランチェスコ教会の修復は2年で済みましたが、
       ウンブリアの小さな村が、10年後の再訪ではいまだ手付かずの
       状態だったのを見ています。
       そしてその4年後の秋にはほぼ復興なった姿を実際に見ましたので、

       元通り復興する、と言う言葉を今では信じていますが、
       一体何年かかるでしょうか?!

       あのジュリアーノの言葉を聞いて後、
       本当にね、まだ元気で生きていても、あのウンブリアの奥まで
       旅行するだけの気力があるだろうか? という思いを押さえ込み、

       今日は、一日も早く復興して欲しい! の願いを込め、
       かっての美しかった町村への追悼も込め
       今回の地震被害の様子を纏めましたので、どうぞご覧下さい!


       トップは、10月26日の地震のシンボル的な写真
       ノルチャのサン・ベネデット聖堂が正面壁を残して崩壊した姿で、
       左は現市役所の建物と時計塔。




       こちらはかっての広場の様子で、右はノルチャで生誕の
       サン・ベネデット(480頃-547)の像。
       彼は後の修道院生活の基礎となる戒律を定め、
       現在のヨーロッパの守護聖人でもあり、
       聖堂の地下には、サン・ベネデットと双子の妹聖女スコラスティカ
       の生家といわれる跡があります。
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       この聖堂は12世紀に遡る物だそうですが、
       今回のニュースを見ていて、今迄に3度再建されたと知りましたし、

       26日の朝崩壊する前日夕方、内部に報道班が入った映像も
       見ましたが、8月末地震の被害修復の為の、内部に足場も築かれたまま、
       大きな亀裂も見えましたが、翌朝遂に・・。
       町の人々は、「4回目の再建」を口にしておりました。
       



       ノルチャは盆地にある、豚肉加工品で全国に名が通る町
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       世に評判の、ノルチャの旨いもの店は




       聖堂の横にある市役所の時計塔も、遠方からみると何とか
       大丈夫そうなのですが、大きな亀裂が入っており・・。
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       30日朝、聖堂が遂に崩壊し、町の建物にも大きな被害で
       人々への避難勧告が出て、クラウズーラ・生涯引きこもりの
       女子修道院の尼僧たちも町の広場に避難。
       ベネデット会の僧と共に、人々が跪いて祈る姿がありました。
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       一帯の地図をどうぞ
       真ん中を通る薄いグレイの点線の、左がウンブリア州、
       右がマルケ州、真ん中下がラツィオ州。
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       8月下旬の地震は、下に見えるアマトゥリーチェ・Amatrice
       中心とした一帯で、右上に囲った辺りの小さな村に大きな被害で、
       北のノルチャ・Norciaや、カステルッチョ・Castelliccio
       被害があったものの、そう大きくなかったのでしたが、

       10月末のでは、ノルチャからカステルッチョ、
       そしてプレーチ・Preciヴィッソ・Visso
       その右に見えるウッシタ・Ussitaの被害が甚大で、

       その後の余震で被害が出ているのは、マルケ州のトレンティーノから
       マチェラータとなっている様子。

       この他にも、たくさんたくさんの小さな村が山間に点在していますし
       到底地図に出ないほどの村がどんな被害を受けているか、
       想像するのも怖いほどです・・。
       



       8月の地震で300人近い死者もでたアマトゥリーチェ一帯ですが、

       アマトゥリーチェの町は、こんな美しい町並みだったよう。
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       それが町の中心地はほぼ壊滅状態となり、
       それでも赤い建物と、その左上に市の塔が残っているのが見えますね。
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       こんな風に、亀裂が入りながらも、町のシンボルみたいに
       頑張って立っていた塔なのですが、
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       26日、30日の相次いでの揺れに、遂に赤い建物も
       市の塔の上部も崩壊!
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       町の再建に向け、「微笑みながら再開しよう!」という
       催しが週末に行われる予定だった矢先だそうで、
       今まで何とか残っていた建物、家も崩壊する姿に、
       残っていた町の人々も遂に町を後にする姿が多いとか・・。




       これはノルチャの東南にあるサン・ペッレグリーノ・San Pellegrino
       という町にある13世紀の教会の鐘楼ですが、

       度重なる地震の度に亀裂が入り、遂に崩壊したという・・。
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       26日からの地震でよく耳にする町の名に、ウッシタという
       初めて聞く地名があり、地図で確かめるとヴィッソの北東に位置し、

       モンテ・シビッリーニ山一帯へのトレッキングとかスキーとか、
       町には大きな立派なスケート・リンクもあり、
       ちょっとした山間リゾートの基地の町でもあるらしい雰囲気で、
       古い町も素晴らしい眺めですが、
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       今回の地震ではこんな様子で、残っている家も住めない状態で
       最初は町に残って!と言っていた市長も、遂に立ち退きを勧告に。
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       そしてヴィッソ。 流れの早い清流が町脇を流れ、
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       「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている
       古くからの趣きある町でしたが、
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       今は町の入り口ですべて通行止め、町の人々も立ち退いていて
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       上でご覧の中心部は、こんな様子に
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       ヴィッソのご案内




       ヴィッソから山越えでカステルッチョに行く途中の、
       見事な城壁を持つカステルサンタンジェロ・スル・ネーラの町も、
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       これ位しか写真が見つかりません
       というのも、町の人々はすべて立ち退き、数名しか残っておらず、
       町は立ち入り禁止になっているので、写真がサイトに上がらないのです。
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       昨日のニュースで、町の下、街道筋のガソリン・スタンドの主人が登場。
       彼は7年前に街の生活に疲れこの地に移って来た人で、
       ここでの静かな生活が気に入っていたのが、今回の地震。
       今は町の人もおらず、道も通行止めになっているので車も通らずで、
       ガソリン・スタンドも開けているけど・・、と話しつつ
       じわっと涙する映像を見ながら、こちらも涙ぐみそうになりました。

       ニュースのインタヴューに応える人々は皆同じ。
       一見淡々と様子を語りますが、話が深くなると涙ぐみ、辛いです。




       ヴィッソとプレーチを繋ぐ道は、ネーラ川の渓谷を通る道ですが、
       そこで大きな山崩れがあり、道も川も埋まったという事ですが、
       多分、まだ塞き止められたままなのだろうと・・。
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       山間の高所に位置するプレーチの町
       中世以降の民間の外科学校があり、ヨーロッパ各地の王室の
       侍医をも輩出した事で有名な町ですが、
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       ここも町の人々は立ち退いているとの事で、写真が見つかりません。
       一見無事に見える建物ですが、亀裂が深く住めない状態なのだろうと。
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       左の建物は、プレーチをあの一帯の旅の基地として、2度にわたり
       滞在したホテル・アッリ・スカッキの見覚えがある壁
       やはり亀裂が無数に入っていますね。
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       プレーチの内部の写真は見つかりませんが、
       消防署が上空から撮ったプレーチの被害のヴィデオ




       プレーチからノルチャに向う道、プレーチの近くピエディヴァッレ・
       Piedivalleにある、中世外科学校の発生地として有名な
       サンテウティツィオ修道院教会
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       5世紀にシリアからの僧がこの地に住みつき、という長い歴史を持ち、
       ベネデット会派の修道院となり、彼らの持つ薬草や外科手術の知識を
       近隣の住民達に伝え、これが外科学校の基礎となったと言いますが、

       素晴らしい岩山の上の鐘楼や、再建された美しい薔薇窓を持つ教会は
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       26日の朝、教会上部の倒壊のみでしたが
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       その後の写真では、教会前部のみならず、岩場の鐘楼も、
       奥の建物もすべて崩壊した様子
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       手前の無事に見える建物の地下には、外科学校の様々な器材や
       書物の博物館があり、見学し写真も撮っているのですが、
       そのままになっています。

       プレーチの市役所の隣の部屋にも、小さな博物館が出来ていて、
       そこも整理しておりませんで、
       今回のこの地震被害の様子を見て、きちんと整理しなくては、と
       思ったことでした。 

       プレーチと、サンテウティツィオ教会のご案内
       http://italiashio.exblog.jp/5661411   




       プレーチからピエディヴァッレを過ぎて進むと、カンピの村があり、
       右奥に見える山腹の村がそれですが、

       村外れに、このサン・サルヴァトーレの古い教会。 
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       26日の朝一番のニュースで知ったのは、この教会の崩壊で
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       山腹の村の事が気にかかりましたが、なかなか写真が見付からず。
       が、やはり無事では済まなかったのを、見つけました。
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       カンピ・ヴェッキオのご案内
       http://italiashio.exblog.jp/14673663/   




       そして、カステルッチョの村
       ヴィッソからカステルサンタンジェロを通り、北から
       カステルッチョに向うと、峠を越し、こんな風に見えて来ます。
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       こちらは村の南に広がる大平原からの眺めで、
       赤く見えるのはポピーの花。
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       村の入り口に駐車場があり、その前に何軒かのバールと、
       特産の豚肉加工製品の店がありました。
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       ところが今回の地震で、カステルッチョはほぼ全壊
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       取材班のニュースも見ましたが、とても村の中には入れない様子で、
       勿論立ち入り禁止になっていて、ほぼ全員が退避したと。
       電気も水もなく残っているのは数名で、
       家畜がいるので土地を離れられない人々のみ

       これはどの土地、町でも同じで、牧畜業をされている方、
       店や企業をされていて、何とか継続できそうな方は
       その土地を離れる事が出来ないのと、また離れたくないのです。

       カステルッチョの大平原で羊を放牧されている方は、
       冬になるのでアドリア海のほうに、3千頭の羊と馬20頭を連れ
       移動するのは良いけれど、そうなるとこちらの家の問題があるし・・と。

       カステルッチョ、大平原のお花畑 その1と2
       http://italiashio.exblog.jp/8554377/  

       雨と霧のカステルッチョ 




       8月の地震の時に発見された、カステルッチョの東に位置する
       ベットーレ山での地震断層が一段と深く、引き攣られたように
       長く延びているのが確認されています。
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       断層は70cmも片側が沈下しており、長さは100k以上と
       いったか、今回ほどの断層の亀裂の違いは過去にもあまり例がないものと。
       
       ノルチャはなんと30cmも沈下したそうですし、
       衛星から見た地震での地殻変動の大きさは100平方キロにも及ぶそうで、
       暫くは、ひょっとして数年にわたり、今回のような地震が続くかも
       という発表もあるようで、恐ろしい事!!




       被災された皆さんは、体育館のような受け入れ施設で一時を過ごされたり、
       テント村に入られたり、はたまたアドリア海沿岸の各町のホテル
       仮設木製住宅に各町村ごとに移られたり、です。
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       レンツィ首相は、クリスマスまでにテントから木製住宅に
       そして、元通りにすべて再建する、との事。
       レンツィ、頑張れ!!




       今回の引き続いての地震災害の様子を見て、私が一番ショックを
       受けたのは、やはりカステルッチョの様子でした。

       ちょうどこの写真と同じ様な位置から見た村の様子が気に入っていて、
       次に描こう!と思っていたので、尚更なのかもしれませんが、
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       あのウンブリアの大好きな小さな古い村々が消えてしまったのは、
       住んでいた方々と同じ様に、私にもトラウマで残りそう。

       美しい大草原の花が咲くのは同じでも、ポピーの前に咲く
       レンズ豆・レンティッキの栽培はどうなるのか、
       あの美しい自然に引かれてやって来る人々の宿はどうなるのか・・、
 
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       こんなに美しい風景に位置する村が無残な姿で長く残るのは、
       とても哀しい事!! 
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       何世紀にも渡っての何度もの大地震を切り抜けて来られた方々が、    
       どうぞ、再び立ち上がり、再建して下さるよう
       心から願って止みません!!!




     *****

     ◆ ご案内 ◆

       11月22日から27日まで、広島三越7階三越画廊での
       個展がせまり、DMが出来てまいりました。
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       どうぞ、秋の良い日を、広島、宮島観光と兼ねてお出かけ下さり、
       ご覧頂けます様、ご案内いたします



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ジョットの鐘楼 詰めと、 カルページカ村の黄、紅葉 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

      
  
   
       
     
 


by italiashiho2 | 2016-11-04 23:56 | ・ウンブリア州 | Comments(16)
2016年 10月 06日

   ・・・ ヴォルテッラで食べた旨い物! ・・・

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       恒例の旅先での食べ物、旨い物編、今回はヴォルテッラを

       ヴォルテッラには2泊したのでしたが、
       2晩とも実は同じ店に出かけて食べたのでした。

       上の写真がその店「ドン・ベータ・Don Beta」の入り口で、
       これは店のサイトからの写真。
       店の写真を撮っておらず、名前を忘れ、グーグルのストリート・ヴューで、
       確かこの道を行った所だった筈と探して見つけ、ちょっと変わった名前
       だったと覚えていた店の名も分かったという訳。

       上の写真でご覧のように、入り口から3段程階段を上って、と
       記憶にあったのも確かだったのですが、




       こちらも店のサイトからの写真ですが、
       2晩とも同じ席に座り、ははは、これを見た時、
       テーブル・クロスはこんなだったっけ?と思いましたが、
       後ほどにその解答を、はい。
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       地図をどうぞ
       左下の「自由の為の殉教者たちの広場・Piazza Martiri della Libertà」が
       バス停留所で、その手前のカーヴに地下駐車場があり、一般車は広場まで。    
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       そこから真っ直ぐに見える位置にホテル・ナツィオナーレ・Hotel Nazionale
       ホテルの横の道ジャコモ・マッテオッティ通り・Via Giacomo Matteottiを行くと
       レストラン、ドン・ベータ・Don Betaがあり、
       その道をも少し先まで下ると、先回ご紹介したテアトロ・ロマーノに。




       さて写真を整理していて最初に出て来たこれ!
       旅を一緒したmkちゃんが食べたスープとは分かるのですが、
       この土鍋の液体の底に何があったのか思い出せず、ははは、
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       mkちゃんに、ヴォルテッラで何を食べたか、メモを取っている?
       とSOSメールを送り、これで良いかな?と戻ってきたのが、
       彼女が旅のスケッチと共に描いていた、食べた物のスケッチ。




       スケッチがこれ、Minestra fagioli・インゲン豆のスープ 7エウロ
       とあり、Far というのも見えますが、右下にfarroとあるので、
       正しくはインゲン豆とスペルト小麦のスープだったんだろうと推察、はい。
       そうなんです、こういう記録係がいると助かります、ははは。
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       こちらはshinkaiの茸のスープ、これは写真で分かりましたね。
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       ついでにテーブルの上と、mkちゃんのスケッチの様子を
       パンがこんなハトロン紙の袋を折り返したのに入って出て来る所が、
       最近は多くなりましたね。 ビールも見えます。
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       そして写真撮り忘れの、mkちゃんの食べたものは、
       鶏の猟師風・Pollo cacciatore 12エウロ
       覚えておりませんが、黒オリーヴも入っていたのかな?
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       上に花文字の Don Beta も見えます。

       


       とろけたチーズのかかったこれも、何だったのか思い出せず・・、ははは。
       赤ワインも飲んでいますね。
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       これもスケッチで判読、ラディッキオ(野菜)のグリル・Radicchio alla griglia
       8エウロ、赤ワインは地元産のテッラ・ディ・ヴォルテッラ、
       右の瓶はトスカーナのオリーヴ・オイル。
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       こちらは、2泊したホテル・ナツィオナーレ。
       店の向こう並びにはレストランも併設ですが、行かず。
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       親切な宿で、予約した時に上手く部屋が見つからずだったのが、
       返事が来て、お2人ならツイン・ベッドの部屋を用意できるし、
       その方がお安くなりますとの事で、一旦解約再予約が出来ましたし、
       部屋もトイレも広く明るく、また行く時はここにしようと。

       フロントにいつもいた中年後期のシニョーレは、
       我々がボンジョルノ!と言ってもにっこりするだけで一言も喋らずで、
       きっとイタリア語を知らんのじゃろ、と我ら2人、ははは。

       ホテルのサイトはこちら。




       ホテルの朝食。 
       ビュッフェ式で、果物、ハム、チーズもありでした。
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       日中はいつも夕方に合う時間を決めての自由行動ですが、
       この朝は一緒に塩田サリーナの町を見て帰った後、
       shinkaiはプリオーリ宮エトルスク門を見に行き、

       お昼はエトルスク門へ行く坂道途中の、小さな店の外で
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       カプレーゼ・サラダとビールを
       パンがありますし、今頃はこれでちょうど良い感じですね。
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       小さい小さいテーブルで、すぐ向こうは若いカップルなので、
       撮っていると思われぬよう気をつけて。 なにせ近すぎ・・!




       これは朝の写真ですが、レストラン、ドン・ベータのある
       ジャコモ・マッテオッティ通りで、ここを逆向きに下ります。
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       グーグルのストリート・ヴューではこう出ますが、
       この道をだらだらと下っていくと
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       左にテント張りの外の席の見えるのが、ドン・ベータ
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       ヴォルテッラにも勿論たくさん店がありますし、mkちゃんが寄った
       紙を買った店のシニョーラも教えてくれたのですが、
       かなり遠い場所になるので、結局、夕べの所に行こうか?と。
       つまりお高く無く、味も良く、雰囲気も悪くなかったのですね。




       店のお姉さんも覚えていてくれ、にっこりで、
       この夜出てきたのは、パンの代わりに焼き立て熱々のフォッカッチャ
       こういうのが良いですねぇ、美味しかった!
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       そしてこの日はワインを
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       野菜のグリルと、カポナータ(ラタトゥイユ)を一皿ずつ取って
       2人で半分こした様子。
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       そして太パスタ、上にチーズがかかっているのは分かりますが・・
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       ここでまたスケッチ登場、何を食べたかご説明いたしますと、はは、
       左上が、最初のフォッカッチャでしょうね。
       ワインがトスカーナはヴォルテッラのロッソ、0,5Lで6エウロ、
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       メニューは上から、カポナータ(ラタトゥイユ)5エウロ
       パスタは太い麺ピーチのCxxx, 多分チーズの名でこれが読めません、と胡椒。
       mkちゃんの鶏の猟師風、また食べているな、ははは。
       野菜のグリル 6エウロ




       デザートは、クレーマ・カタラーナ、プリンの上にざら目のお砂糖をかけ、
       焼いてあるもの。
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       スケッチで、クレーマ・カタラーナ 5エウロ
       サーヴィス料 4,49エウロ、2人で50エウロ位だったのでしょう。
       そして隣のテーブルのスケッチで、やはりサイトの写真と同じに、
       黄色いテーブル・クロスが2重にかかっていたのが証明されたのでしたぁ。
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       ドン・ベータのサイト

       今までの旨い物!編




       最後はmkちゃんのスケッチで、バス停留所の見晴台から見た
       ヴォルテッラの夕暮れを。
d0097427_04302440.jpg

       mkちゃん、スケッチをおおきにね!!
       お陰さまで、何を食べたのかメニュー名が分かりましたし、
       値段も書いてあったので、あれこれ懐かしく思い出しました。
       また次回にお願いする時は、
       スケッチの紙を真っ直ぐに伸ばし、ピントもしっかり合わせてね、ははは。



     *****

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by italiashiho2 | 2016-10-06 00:03 | ・旨いもの! | Comments(10)
2016年 09月 21日

   ・・・ サン・ジミニャーノから、ヴォルテッラへの道 ・・・

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       2年前の9月中旬、ヴォルテッラ・Volterraに行ったのは
       サン・ジミニャーノ・San Gimignanoからでした。

       写真を整理してみると、大変素晴らしい景色であったのも
       思い出し、今日はこの時の様子をご覧頂きますね。

       町の駐車場から出て、宿の主人から教えて貰っていた通り、
       そして道の標識通り左へ、西に向う道を辿りましたが、

       上の写真は町を外れて暫くしての、
       北からのサン・ジミニャーノの町の眺め
       

       美しき塔の町 サン・ジミニャーノ

       サン・ジミニャーノの朝  雲海の朝焼け



       行程図をご覧下さい
       グーグルでは3通り出たのですが、あれこれ考えると、
       上から西回りにヴォルテッラに連絡するグレーの道
       44分 32,6km という道でした。
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       というのも、ヴォルテッラの町に西下から近づき、
       町の北側の崖が落ち込んでいるのを見ていますし、
       ヴォルテッラの滞在後モンテリッジョーニ・Monteriggioni
       に向かった時は、南を辿るブルーの道を通っており、
       まるで違う眺めだったのをよく覚えているからです。




       同じ行程図を衛星地図で
       トスカーナのあの波打つ丘陵地帯を見つけるために
       衛星地図を見るのですが、この一帯はこんな感じ。
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       緑色以外のベージュ色の丘が細かく波打っているでしょう?
       これがなんとも言えない趣の風景を見せてくれるのですね。




       写真の前後を弄らず、辿った順に見て頂きますので、
       ごゆっくりと秋の気配の風景をお楽しみ下さいね

       写真は行程の関係でどうしても逆光の位置になるのが多く、
       色の発色がイマイチですが、ご容赦願います。


       ここでは農家が何軒か見えますが
       後には殆ど農家も見えません。
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       草を刈ったと思われるのですが、
       こんなに黒い、巻いたもの。
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       雲間からこぼれる陽と、荒れ土と
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       右に薄く緑が見える地には、麦畑のトラクターの跡
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       ここも多分麦畑
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       多分サン・ジミニャーノの町の遠望
       他に、この一帯にこれだけの町はありませんもの。
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       広い畑の真ん中に一軒屋がぽつんと
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       この辺りは、オルチャの谷の景観ともまた違う
       荒い雄大さとでも・・。
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       あの三角の山が道を行く毎に、姿を見せます。




       刈り取られた草と、影色の土
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       ここのは土の影色の暗さと思うのですが、
       時に同じ畑でも、クッキリと土の色が違う事があり、
       なんとも言えない不思議さで見つめます。




       この広さ、このなだらかさ!
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       丘の向こうに見える家は、上で見て頂いた農家
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       トラクターの跡が見えますね
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       ほらね、また三角の山
       道を進むにつれ、近づいたり離れたり、 
       そして光と影が移って行きます
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       農家が見え始め
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       この感じはオルチャの谷にも似ていますが、
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       そしてもう、ヴォルテッラの町の下
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       正面の崖の上、右に見える教会がヴォルテッラの町の西北にある
       サン・ジュスト・エ・クレメンテ教会
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       ちょうど訪れた年の春には雨が多かったのですが、
       町の中世の城壁が崩れ落ちたと言うTVニュースを見ていましたし、
       この時も、新らしい土の色が見えたので驚いたのでした。

       今こうして改めて見ると、
       左から突き出ている土地の崩れ様は、まさにカランキ・Calanchi
       と呼ばれる、シエナ東南部に見られる浸食地と同じですね。

       白タルトゥーフォと、雨上がりの緑のクレーター




       オルチャの谷の風景も雄大で美しいですが、
       このヴォルテッラ周辺の眺めは、また一寸特異な風景で、
       何十年前最初にバスで訪れた時にも、感嘆した記憶が残ります。

       フィレンツェやシエナからだと、コッレ・ヴァル・デルザ・Colle Val d'Elsaで
       バスの乗り換えで一寸不便かもしれませんが、
       ヴォルテッラに行かれる時は、町のみでなく
       この周辺の荒々しい雄大な景色も、是非お楽しみくださいね!!
       


     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-21 00:05 | ・トスカーナ州 | Comments(7)
2016年 09月 16日

   ・・・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門 ・・・

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       2年前のちょうど9月に出かけましたヴォルテッラの町。
       今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から
       少し南に下った所にあるエトルスク門を。

       町の入り口にある展望台から見た、
       真ん中のとんがり屋根の8角形の建物が洗礼堂で、
       その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れてちょこっと
       見えるのがドゥオーモの正面




       先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を
       シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、
       ヴォルテッラの町はちょうどほぼ中間の位置に。
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       この位置だと、さぞやかっては両方の町からの領有争いが激しかったろう、
       と想像でき、確かにそうだった様子ですが、
       現在ヴォルテッラの町は、トスカーナ州ピサ県に含まれます。




       まず洗礼堂・Battistero.
       正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
       右手前に角が見えるのがドゥオーモ。
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       以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、
       今回は大丈夫。



       中央にあるのが洗礼盤、18世紀の物で、上に見える像が
       この洗礼堂に名を冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像
d0097427_04044295.jpg
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       が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)
       への献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
       その為1階部分の奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、
       天上部などが塞がれており、

       素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気からほど遠く、
       おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiはがっかり!




       所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、
       ロッソ・フィオレンティーノのこの「十字架降下」がヴォルテッラの町の
       市の絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第だったか、と。
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       人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、
       ダ・ヴィンチやラファエッロなどが古典的美を完成させたと
       見られた位置から、もひとつ発展したルネッサンス期の美術ですが、

       この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、
       ダ・ヴィンチの最後を看取ったとされるフランス王フランソワ1世
       招かれフランスに赴き、王の年代記のフレスコ画を城に描いたり、
       イタリア美術をフランスに伝えたとされる画家で、
       フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。




       彼はフィレンツェ生まれ、本名はジョヴァンニ・バティスタ・ディ・ヤコポ
       Giovanni Battista di Jacopo.
       なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたのかと
       ふっと疑問がわいたのでしたが、

       アレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を
       記したヴァザーリの家にあるという、このロッソの肖像を見つけ、
       ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。
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       さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ
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       ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、
       正面部分はこのように白と濃い緑の大理石で装飾されており、
       ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano(1215/20-1278/84)の作と。
       
       ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、
       あの素晴らしいピサの洗礼堂や、
       息子のジョヴァンニと共に、各地に作品が残ります。
       

       ずっと昔になりますが、初めてこの洗礼堂を見た時
       素朴で強い白黒の縞模様に魅せられ、当時は濃い緑色とは思いもせず、
       周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂をスケッチした物でした。

       最初に見て頂いた朝日の写真を撮った位置辺りの、
       建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
       出てこられたシニョーレがスケッチを見て、
       抽象的に描いていないのが素晴らしい、と言って下さったのを覚えていますが、
       今考えると、他に褒めようがなかったのかもと、ははは。




       正面の扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、
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       扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ
       ロマネスクからゴッシクへの過渡期の趣を感じます。
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       正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、
       上部に色石を使った装飾模様。
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       サイトで見つけた写真で、
       洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼。
       以前の古い鐘楼に取り替わり1493年に高くされたものと。
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       さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面。
       以前在ったサンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、
       多分1117年の酷い地震によって崩壊、それ以降に再建された物で、
       正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・Cattedrale di Santa Maria Assunnta.
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       正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、
       使われている円柱などは、先回ご案内したテアトロ・ロマーノから
       持って来ているのですと!
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       聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。
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       外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな様子。
       12世紀の建設以来13世紀に拡張され、
       翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に改修され、
       19世紀にも大きな装飾などの改修があったそうで、
       正面壁同様のロマネスク様式はまるで残っておりません
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       内部平面図をどうぞ
       1.キエリーチ・Chiericiの聖母
       2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
       3.13世紀初めの木製の十字架降下像
       4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置
       5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
           Cappella dell'Addolorataがあり、
           デッラ・ロッビア工房、ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
       7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画
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       説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像、
       15世紀のフランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの
       作といわれるもので、木製彩色の美しいもの!
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       あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!




       内部でまず目を引いたのがこの格子天井。
       16世紀の改修で設置されたもので、
       模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!
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       内部は3廊式、22本の円柱で仕切られ、
       壁に見える白とグレイの縞模様は塗り分けられたもので、
       円柱の薔薇色も漆喰で大理石の柄に見せかけたもの、だそう。
       いずれも19世紀の改修によるもの。
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       7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
         の「受胎告知
       面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ
       飾りつけで、多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。
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       4の説教壇、正面から。 一番上に金(塗り)の鷲像があり、
       余りにも強い照明で色が飛んでいますが、
       その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
       新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!
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       内陣、後陣部分。 階段の在る古い形式ではありますが、
       後陣のフレスコ画も何もなく、背後に見える山型はパイプ・オルガン。
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       入り口扉上にある薔薇窓。 
       「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
       これも最初はロマネスクの大理石の紋様があった事でしょう。
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       床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いの石ですね。
       手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?
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       なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
       正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
       まぁ、バロックの白と金色、にならなくて良かった、ははは。




       説明5,6の、聖堂横の礼拝堂部分の外の壁
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       聖堂横角、庇の部分にも細かい柄
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       さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
       
       角を曲がって見る、建物の壁の趣
       色も良く、古び加減も素敵でしょう?
       店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!
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       だらだらと下っていくと、このエトルスク門
       またはポルタ・ディ・アルコ・Porta di Arcoとも言われる、
       紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
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       残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
       家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!




       素晴らしく大きな石が使われているでしょう?
       後にローマ人がエトルリアに取って代わっての修復もあるだろうと。
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       門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
       それに取り込まれた形になります。
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       門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、
       要は町の守護を司るものという事のようで、
       現在は表情も何も分かりません。


       右の城壁に見える碑ですが、
       ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、とのみあり、
       具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、




       門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに
       展示してあった古い写真を見つけました。
       右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって補修したのかな、
       などと思ったのでしたが、
d0097427_07494482.jpg
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       2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。
       そして、皆がせっせと手渡しで石を運んでいる写真、
       それに足元が地道になっていますよね、
       そんな事から、爆撃ではないと思ったのでしたが、
       イタリア版ウィキに答えを見つけました。

       つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、
       1944年6月30日、町に駐留していたドイツ軍指令部が、
       連合軍が町を通るのを妨げる為に、この門を爆破する事を決めたのだそう。
       ですが、24時間以内に、町の人々が門を通れなくするのであれば、
       爆破しない事に同意。  町の世話役が頑張ったのですねぇ!
       それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし
       せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。

       カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、
       道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
       案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、
       shinkaiにも楽しい発見でした。
       



       上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、
       この敷石が、あの20世紀前の古い門を援ける為に役立ったのですね!
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       奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、
       あそこにも上がりましたので、はは、高上がり大好き!  
       素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。




     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-16 08:09 | ・トスカーナ州 | Comments(3)
2016年 06月 09日

・・・ セルモネータ ・ グーグルStreet Viewで、美しい6村の1つ  追記 ・・・

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       今日のご案内は再度ラツィオ州南の旅に戻りまして、
       セルモネータ・Sermonetaという、中世がそのまま残ったような
       小さな素敵な町のご案内です。

       トップの写真は、平地から山の上に町が見えて来た所で、


       こんな風!
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       セルモネータの町はどこにあるか、地図をどうぞ
       ローマの南にあるラティーナ・Latinaから東に入り、山を上ります。
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       この日は午前中にセルモネータの町を訪問、昼食の後
       先回ご案内したニンファの庭園に行き、最後ちょうど中間に見える
       ヴァルヴィショーロの修道院に寄った、という日程でした。




       セルモネータの町は海抜237mに位置しますので、
       平地からぐんぐん坂道を上り始め、そして見えてくるのがこれ、

       突き出す岩山の上の塔、モンティッキオの塔・Torre di Monticchio.
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       中世のセルモネータの領主によって、ちょうど良い丘の上に建設され、
       近辺一帯平地の見張り基地とされたものだそうで、
       兵士や家族達が住んでおり、
       もしも敵の接近が見られたならば、即座にリレー式に町に知らされ、
       防御なり攻撃なりの態勢がとられたのだと。
   
       この近辺は近くを通る街道や鉄道施設に使う砂利採取が行われたというので、
       今見るこの姿は特殊ですが、建設当初はもっと緩やかな丘の姿で、
       砂利採取で周りが削られたのではないかと、想像しますが・・。




       曲がりくねりながら続く町への道。 漸くに見えて来た所!
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       町からかなり離れた場所に駐車場があり、そこから歩きますが、

       谷の向こうに見える山の斜面は、一面のオリーヴ畑
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       北の人間は働き者だけど、南の人間は・・、なんていうのは嘘だね、と
       思うほどにぴっちりとオリーヴが栽培されていて、
       



       こちらの道の脇に見えるオリーヴのこの幹!
       きっと何千年も経ているのでしょう!!
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       道の左手には、町から張り出したと思われる要塞が続き
       先方に町が見えてきて、
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       さて、町の門。 ここから中心に
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       町の地図をどうぞ
       右の2の位置の門から入り、ガリバルディ通り・Cosrso Garibaldiを行き、
       中央上に見える赤い大きなのが、カエターノの城・Castello Caetano
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       1. サン・ジュゼッペ教会
       2.ビアージョ・マルキオーニの階段  見逃しましたが美しい階段の様子
       4.18. カエターノ宮・陶器博物館
       8.コムーネ広場
       9.10.ロッジャ・デイ・メルカンティ・商人達のロッジャ
       13.見晴らし台 横に市役所
       14.15.16.サン・ミケーレ教会
       19.20. サンタ・マリーア・アッスンタ教会




       ガリバルディ通りを行きますが、奥に聳える城の塔。
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       右手前に見える大きなテラスの建物は、




       これ、番号4.18のカエターノ宮、現在陶器博物館の様子
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       町の中心コムーネ広場に到着
       見えるアーチが9.10の、ロッジャ・デイ・メルカンティ
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       かってはここで商取引が行われたのでしょうね。


       セルモネータの町がこの高所にあるのは
       かって下の平野は湿地帯でマラリアが蔓延していた事や、
       サラセン人の襲撃などを逃れる為だったといい、

       当時はローマへの通商道がこの山側を通っていた為、
       通行税の取立てや商交易の繁栄もあったのだそうですが、
 
       16世紀に入り平地の干拓が始まり、アッピア街道も再開発されると、
       この町は次第に衰退し、      
       13世紀の末からこの町を拠点にしていたカエターノ家も、平地の、
       セルモネータからは北西にあるチステルナ・Cisternaに本拠を移したと。


       グーグルのストリート・ヴューによる美しい村の人気度は
       6つの内の1つ、とありましたが、(後の5つはどこか不明!)

     ◆ 追記です ◆
       グーグルのストリート・ヴューによる美しい村の人気6村
       早速にクリスさんが調べて下さいました。
       それによると、

       アオスタのエトロブレス(Etroubles) エミリア・ロマーニャのサン・レオ(San Leo)
       カンパニアのカステッラバーテ(Castellabate) カラブリアのボーヴァ(Bova)
       シチリアのガンジ(Gangi) そしてこのセルモネータ だそうです。

       クリスさん、有難うございました!


       古い歴史を刻み込んで残ったこのセルモネータの町の趣は
       やはり単なる田舎町ではないのを感じます。
       そして、この高さのこの辺鄙な位置にある町なのに、
       訪れる人が多いのも分かり、寂れていない事が心地良いです。
       
       


       コムーネ広場から見えるこの道を辿ると、地図19.20の教会
       サンタ・マリーア・アッスンタがあり、ベノッツォ・ゴッツォーリの
       素晴らしい可愛い聖母の絵もあったのですが、教会ご案内は次回に。
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       コムーネ広場は3角形をしていて、ロッジャ・デイ・メルカンティの
       上から眺めるとこんな様子で、
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       我らはカエターノの城、サンタ・マリーア・アッスンタ教会の
       見学が済んでの昼食は、この広場の奥に見える白いテントの下で。




       ロッジャ・デイ・メルカンテの横にかっての城への門があり・
       アンニバルディ門・Porta Annibardi、道は細く上り坂に城に続きますが、
      
       脇道の様子がどこも素晴らしく、皆が覗いて撮りながら、
       ぼちぼちと上っていきます。
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       門の脇辺りにはかってユダヤ人のゲットーがあり、
       シナゴーガも(普通の家)あったそうなのですが、
       午後に一人で少し歩いた時は、見逃しました。

       カエターノ家の城要塞は素晴らしい威容でほぼ完璧に残っていて
       見張りの兵士達の歩いた城壁の上の道も通れ満足でしたが、
       ここのご案内も次回にさせて頂きますね。



       コムーネ広場の点景と、広場の敷石
       如何にも硬そうで古そうで、つるつる滑ります。
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       さて城から戻り、教会の見学も済ませ昼食も済ませると、
       集合までの時間を、ガイドさんが教えてくれた小路歩きに出かけますが、

       両脇から高い建物が押し迫り、古い石造りの威圧を。
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       狭い小路を抜けていくと、どことなく生活の匂いも感じられ
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       この家は一体いつからの物だろうと感嘆した家!
       道が狭く後ろに下がれずで、下と上に分け、
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       これが上の住居部への階段。 凄いでしょう?!
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       かと思うと、レモンが実る大きな木もあり
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       小路を上に上に辿っていくと、城の下に出て・・
       凄い高さ!! まさに中世の要塞城なのですね。
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       土台には自然の岩も組み込んでいるのですが、
       脇にあるお家の方が植えたのでしょう、ピンクの薔薇が
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       3輪車が2台。 そう、こんな車でないと辿れませんね、小路は。
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       城の脇から中の道を辿り下りますが、
       
       半分だけ木の扉にして修復されていると、しかも濃い色でね、
       なんとなしにモダンな感じも受け、
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       坂道に見えたお家ですが、扉の上にある年号は、1560年!
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       古い壁に残る、古い丸窓
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       保護色みたいになって見え難いですが、ははは、
       コムーネ広場の所で書いたアンニバルディ門の裏側に至り、
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       ロマネスク寺院めぐりの旅を続けられているクリスさんが、
       昨年10月にセルモネータに行かれており、
       違う駐車場から町歩きをされているので、どうぞ。
       トップの写真が、このアンニバルディ門です。




       門を出ての右側の眺め、陶器店の看板
       陶器博物館もありましたから、陶器製造が盛んだったのかも。
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       門の脇から横道に入り、すぐにあった店
       ここも陶器で作った家などの模型店の様子でしたが、
       如何にも古い趣でよい感じでしょう?!
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       少し入り込み、見上げる建物の壁と
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       建物の壁の角が作り出す、小さな一廓
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       この場所にはまさに中世の趣を感じ、暫く佇みましたっけ。
       ベンチやバイクを除けたら、そのまま時代が遡る感じでしょう?!




       そろそろ集合時間に近くなり、コムーネ広場に出て来ましたら、
       我々がお昼を食べたバールのテラス席には、中学校の生徒達が
       お昼を食べ終わってわんわんと騒いでおり・・!
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       なぜか窓の外に置かれているパン籠!
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       昼食後のひとときの時間、観光客の姿もなく
       来る時には見えなかった物が見え、仲間の姿もなしで、
       時計を見ながら、歩きながら、パシャパシャとやり、
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       ロカンダ(宿)ボニファーチョ8世の看板の出た扉。
       代々のカエターノ家の、一番の著名人物の名が付いていると、
       中はどんなのか興味がわくではないですかぁ?!
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       昼下がりの町の通りを振り返り
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       朝、町の門から入ってすぐの所にあった半円の塔の内部
       今はぞろぞろ歩く仲間もおらず、しっかり見え。
       時間があったら、あの銃眼から覗いたのに、残念!
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       町中から駐車場まで15分はかかるから、そのつもりで集合を
       と言われていたのを、門を出たら駐車場がすぐだった様に
       勘違いしており、必死にはぁはぁ言いながら歩き、ははは、
       途中でまだのんびり歩いている連中を追い越し、一安心!

       という様子で、セルモネータの町を後にしたのでしたが、
       次回にお城と教会のご案内を。
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       町の散策にお付き合い下さり、お疲れ様でしたぁ!
       有難うございました!



     *****

       ブログ「セレナ日和」のabiさんが、
       shinkaiが描かせて頂いた愛猫セレナ君の絵を、
       お家に掛けて下さった様子を載せて下さいました。
       猫ちゃん好きな方、見てやって下さいね!
       
   

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、芽生え 途中経過 と、 カルページカの丘の上から を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     




       


by italiashiho2 | 2016-06-09 00:07 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(18)
2016年 05月 30日

   ・・・ ニンファの庭園 ・ 中世のポンペイ + イギリス式庭園 ・・・

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       今回のご案内は、ニンファの庭園・Giardino di Ninfaと呼ばれる、
       イタリアの自然記念物指定も受けている、世界的に有名な庭園を。

       中世に町が放棄され埋もれていたのを、19世紀の末から
       持ち主が情熱を込めイギリス式庭園に蘇らせたもので、
       現在は年間5万人もの人々が訪れるという、人気のある庭園。

       写真がいつもよりもずっと多くなりましたが、
       庭園内を散策されるおつもりで、ごゆっくりどうぞ!

       上の写真は、ニンファの庭園に向って上る道から見えた、
       宿のある海辺の町テッラチーナの西に延びる岬の形
       顔を上に向け日に当る姿の様だとも。




       地図をどうぞ。
       ニンファの庭園・Giardino di Ninfaは中央上に。
       右下に見えるセルモネータ・Sermonetaの町の城塞と共に
       かってのカエターノ家の持ち物だったのが、現在はカエターノ財団と。
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       ニンファの庭園から九十九折りの道の上に見えるのが
       ノルマ・Normaという町で、後ほどご覧に。

       中ほど下に真っ直ぐ伸びるSS7の道、
       右下にStrada Statale 7 Via Appiaというのが見えますが、




       バスが庭園に近づき、チラッと見えた湖
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       入り口脇のショップにあった鉢植えの花々
       黄色や濃いピンクのカラーの花が鮮やか!
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       公園の専門ガイドに連れられ、庭園内に入り込むと、
       うっそうとした緑の小道が奥に続き
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       上でお話したノルマの町がこんな風に!
       岩山の上に細く繋がり、この部分が多分旧い町部分と。
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       まず教会の入り口扉から入り脇に抜け、ここで一通り庭園に付いての
       説明を受けますが、勝手にあちこち入り込まないよう注意をされ!
       
       元教会(確か、サン・ピエトロ教会)で、建物の屋根の右上に
       高く教会入り口部分の壁が見えるのが分りますか?
       この建物はそれを改装してあり、
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       こちら背後にあるのが、かっての後陣部分の半円の名残と
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       その左手には、うっそうとした糸杉の並木が続くのですが、
       こちらは入れず・・。
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       横にある、鐘楼の残り、足元部分
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       「ニンファの庭園」、ニンファはニンフ・妖精の意味ですが、
       元々この廃墟になった町の名がニンファといい、
       ローマ期にこの近くにあった湧き水の神を称える礼拝堂に因むと。

       元々の町は住人も少なかったのが、中世当時アッピア街道は
       湿地帯に埋もれており、この近くを通る道が唯一ローマへの接続道で、
       商業交易の繁栄もあり、町は次第に豊かに。

       所が教皇選出に関しての争いから、1171年フェデリコ・バルバロッサに
       略奪焼き討ちにあったり、領主も次々替わりますが、

       1294年カエターノ家のボニファーチョ8世が教皇となると、
       1298年に甥のピエトロ2世カエターノが20万フィオリーニ金貨で
       ニンファとこの近隣一帯を買うのを援け、
       カエターノ家がこの一帯に、以後7世紀間に渡って勢力を持つ始まりに

       ピエトロ2世カエターノは元からあった城を拡張し、城壁に囲まれた内庭、
       以前からの塔も高くし、城に城館も付け加えます。

       が1382年東西教会分裂の抗争の際、ニンファの町は再び略奪され
       これ以降再建される事なく、平地でのマラリア汚染にも影響され、
       生き残った町の人々も町を捨て、カエターノ家もローマや他の地に。
       
       こうしてニンファの町は廃墟となったのですね。


       
       
       流れの脇、 水は本当に澄みきっていて
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       奥に日を浴び鮮やかな、日本の楓
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       果樹もあり
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       緩やかに曲がりながら奥に続く道
       遺跡の石が転がり、バラが花咲き・・。
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       そしてまた先ほどの流れ、堰があり
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       少し低い部分には、あやめ科の花
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       木々に高低のアクセントをつける糸杉の姿
       そして葉の色の違う植物の取り合わせ
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       かっての住宅だったと思われる遺跡に絡まる植物、咲く花
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       「庭園」と聞いてのみやって来て、花の咲き乱れる姿もなく、
       刈り込まれた幾何学模様の生垣もなく、最初はいささか?だったのですが、
       この辺りになって段々飲み込め、
       なるほどなぁ、遺跡を利用してロマンチックな庭園にしたのだ、
       ぺんぺん草がはびこるのではなく、そういうのは一切排除し、
       廃墟に絡まるのは薔薇の花という風情なんだ、と。

       イギリス式庭園なる物を他では見た事がなく、
       このイタリアの強い太陽光線の下でも、全体にうっそうとした暗さで、
       かなりブレて写ったのも何枚もあって戸惑いましたし、
       花も咲き終り、萎んだのもたくさんそのまま、という手入れの仕方も、
       ちょっと他では見た覚えがなく、

       廃墟の美を如何にも自然風に、しかも美しくロマンチックに見せる
       という庭園のつくりなんだ、と納得した次第です。

     
       コモ湖で見たヴィッラ・カルロッタの花盛りの庭園は



       この辺りはぐるっと廃墟を回りこんで見る道取りになっていて、
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       この教会サンタ・マリーア・マッジョーレがかっての一番大きな
       教会だったそうで、フレスコ画が残っているのも見えますが、
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       幾つかの作品は剥がされ、セルモネータの城のほうに移されていると。
       ?!見たっけ?!




       こちらは鐘楼跡
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       小さな遺跡の壁跡を覆う薔薇の茂み
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       清楚な薔薇の花、ぽわぽわの塊、大きな紫のテッセン
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       遺跡の壁と大振りな葉を持つ植物の取り合わせ
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       この中世の町の廃墟を、16世紀にはカエターノ家出身の枢機卿
       植物学を愛するニコロ3世がお気に入りの庭園とすべく、
       小範囲で取り掛かった様子ですが、枢機卿の死と共に計画は消え、
       鱒の養殖、貴重な果樹もあったそうですが、
       
       次の挑戦は17世紀のフランチェスコ4世公爵カエターノで、
       情熱を注いだ物の、彼もまたマラリアに退散せざるを得ずで、
       ただし彼の取り掛かった水脈と泉は残ったと。

       こうして19世紀にはこの庭園の魅力を伝え聞き、
       「中世のポンペイ」として訪れる人々がたくさんいたのだそう。

       19世紀末遂に、オノラーロ・カエターノ・Onoraro Caetaniの妻
       イギリス人のアーダ・ボットゥル・ウィルブラハム・Ada Bootle Wilbraham
       が、彼らの6人の子供のうちの2人の息子ジェラージオ・Gelasio
       ロッフレード・Roffredoと共に、
       
       遺跡にはびこる大部分の沼地の植物を根絶し、最初の一連の糸杉、
       トキワガシ、樅、多種の薔薇などを植え、幾つかの遺跡も修復し、
       ロマンチックなイギリス式庭園に変えるべく奮闘したのだそう!

       現在財団の名となっている「ロッフレード・カエターノ財団」は、
       この時の一人の息子の仕事を記念している訳ですね。

       庭作りの仕事は、ロッフレードの妻マルゲリーテ・シャピン?・
       Marguerite Chapinに引き継がれ、潅木やバラが植えられ、
       1930年代には著名人や芸術家達に門が開かれますが、
       第2次大戦となり一族はセルモネータの城塞に避難し、
       1944年になってニンファに戻ります。

       最後のカエターノ家の当主は、1977年に亡くなったレーリア・Lelia
       ロッフレードの娘。
       大変敏感で繊細な女性で、汚染物質を一切使わず、
       大きな絵を描くように色の配置を考えつつ、たくさんの泰山木、
       イバラやツル性の薔薇を植えたのだそう。

       彼女は子孫を残さず、ここに7世紀に及ぶカエターノ家は絶えましたが、
       亡くなる前に前述した財団を設立、  
       この庭園とセルモネータの城塞を護る事に

       庭園のサイト http://www.fondazionecaetani.org/visita_ninfa.php 

       この庭園訪問には、予約、日と午前午後の時間指定が必要で、
       このサイトから予約できますし、
       月に何日間かしか開かずですが、それも調べられます。
       チャンスがありましたら、是非一度ご訪問を!

       セルモネータの城も大変な威容で驚きましたので、
       またご案内いたしますね。

       ポンペイ遺跡のご案内は、こちらに1~6
       http://italiashio.exblog.jp/15055303/  劇場2つ
       http://italiashio.exblog.jp/15072892/  野外闘技場、店あれこれ
       http://italiashio.exblog.jp/15086528/  パン屋、ルパナーレ、フォーロ
       http://italiashio.exblog.jp/15115959/  アポロ神殿、テルメ、牧神の家
       http://italiashio.exblog.jp/15125930/  秘儀荘 1
       http://italiashio.exblog.jp/15128707/  秘儀荘 2




       1ヶ所、様々な色の花が咲き乱れる場所があり
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       手入れ中の男性の姿。 
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       ラヴェンダーはまだ蕾が固く
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       遺跡をすっぽり覆う、花のある植物
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       如何にも、英国絵画に出てきそうな廃墟の姿、でしょう?!  
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       艶やかな百合の花
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       ニンファ川の流れが広い場所、陽が射していたのに、
       この後突然にぱらぱらとぱらつき始め・・。    
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       川を渡る3つの橋の1つ、マチェッロ・Macello橋
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       橋の名マチェッロというのは、屠殺場とか殺戮を指しますが、
       名の由来は2つあり、1つはこの橋での戦闘で大激戦があった事、
       も1つは、このすぐ近くに畜殺場があったからと・・!




       一番小さな古いローマ期の橋。 本当に大人が渡れた?! 
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       木製の橋。 どの橋も渡れず!
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       川の向こう側
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       竹林。 筍の煮物を思い出し、つばが溜まるshinkai!
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       8ヘクタールの広さにわたるという庭園ですが、
       世界様々から集めたであろう植物が根付き、
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       やっと普通に美しく咲いていた、はは、ピンクの薔薇。 
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       かっての城跡、塔の高さ32m。      
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       建て増しの城館跡と思われる壁の窓
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       塔の壁
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       右側には修復され、一時は住まいとされていた屋敷があり、
       現在は財団の事務所もあるという部分。
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       振り返って見る、奥に誘う小道のローマの松
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       さて帰り道には、湖の風景を見逃さぬよう用心し、はは、
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       こんな感じで、ニンファの庭園に別れを告げ

       長いお付き合い、有難うございました!!




     *****

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by italiashiho2 | 2016-05-30 00:34 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(14)
2016年 05月 10日

   ・・・ 湖畔の春色を撮りに ・ ラーゴ・ディ・レーヴィネ ・・・

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       この5日、久し振りに写真仲間と撮りに出かけました。

       天気予報ではまん丸の太陽さんだったのですが、・・嘘つきめぇ! 
       前夜は雨で、朝は雲の厚い薄ら寒い日となり、
       それでも朝の7時半に集合、6人が車2台に分乗し出かけました。

       上の写真はコネリアーノから北に向かう所で、
       前の車にジョヴァンニ達。
       ちょっとした遠足気分で、車中ではお喋りが弾み、ははは。




       出かけた場所はラーゴ・ディ・レーヴィネ・Lago di Revine.
       何度も出かけている場所ですが、四季折々の色があり、
       周囲の村落もとても良いのですね。

       コネリアーノからだと20kほど、30分足らずですが、
       途中のタルツォ・Tarzoでカフェをし、

       到着した湖はこんな色
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       湖の対岸には、ヴィットリオ・ヴェーネトから西に連絡する道に
       点在する村落が見え、これはラーゴ・Lagoの村。
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       この道、これより西に、この春復活祭の日に出かけたムーラ・Mura があり、
       カステルブランドの城のあるチゾン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarino
       元修道院のあるフォッリーナ・Forrina
       西のヴァルドッビアーデネ・Valdobbiadeneまで続きます。
      



       地図をどうぞ
       SP35・県道35号線が通り、東にヴィットリオ・ヴェーネトで、
       湖は2つに分かれ、この湖を見下ろしながら通る事も多いのですが、
       写真を撮るには逆光になるので、
       今回はさすがジョヴァンニ、良く状況を知っており、湖の南岸に。
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       南のタルツォから来ての突き当りを右に下り、湖近くの赤点を
       打った場所に小さな駐車場があるのに車を止め、
       このすぐ近くにピクニック用のテーブルや椅子、
       子供の遊技場なども整えられているのですが、

       我らは左の大きな湖の周囲を、まず東側の岸沿いに行き、
       東端の角辺りで引き返し、西の湖岸辺りまで。
       
       最後はラーゴ・Lago のパン屋により、
       それから少し西にあるソットクローダ・Sottocrodaの村に。
       この村はまるで知らずだったのですが、
       石造りの古い村でとても良かったので、またご案内いたしますね。




       地図の右上に見えるレーヴィネ・ラーゴの村の上にある、
       聖所とされる教会が見えます。
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       この日は雲が厚く、肌寒いほどでしたが、
       やはり、東に見える山、カンシーリオの上には雪が見え、
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       望遠で覗きましたら、大きな山小屋のあるのも見え!
       見えますか?

       ジョヴァンニに聞いたうろ覚えを頼りに、確か P で始まったと、ははは、
       調べましたら、モンテ・ピツォック・Monte Pizzocと。
       
       夏に出かけたカンシーリオの森から、ジグザグに山の中の道が
       すぐ近くまで続いているのも確かめました。
       ジョヴァンニに行ける場所かどうか、誘いをかけて見よう!
       勿論、彼の車か誰か仲間と一緒にね、ははは。
       



       一瞬雲の間から射す陽に、山の新緑が浮かび上がり
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       いやぁ、湖面を渡る風がかなり強く寒く、shinkaiはこの日
       コートのポケットに入れていた指なし手袋をはめて正解で、
       仲間達は手が冷たい、と言っておりました。




       この湖には河骨が咲くのですが、既に準備中のも。
       ね、水も綺麗でしょう?!
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       かなりの幅で湖岸が広がり、葦が茂っていますが
       今枯れた良い色。
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       道脇にびっしりのスギナ、ちょっと土筆の名残も!
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       ジョヴァンニの奥さん、マリーザに聞きましたら、
       食べないけど、何かの薬草になると聞いた、
       が、何に効くのかは覚えていない、との事。




       道脇の木にびっしりとつく苔類
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       切り株の緑の苔、綺麗でしょう?!
       右下に見える丸いのは茸。
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       切り株がまるで廃墟式に見える齧られ跡
       何箇所かにキツツキが突いた丸い穴も見え・・。
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       野生の小さな花々
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       芽吹く草の穂
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       あやめ科の小さな蕾
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       蛇はおらんよね?となんども訊ねつつ、ははは、
       草地の中に踏み込むshinkai。




       ジョヴァンニの、今回初お目見えの新兵器
       分りますか、三脚の上に乗せカメラを据えるもので、
       水平や角度が、脇に突き出す3つのつまみで簡単に
       調整できると言うもの。
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       ManfrottoのMHXpro3WGというのだそうで、
       200エウロだったんですって!
       値段を聞き、わぉ~!と言うと、
       隣からマリーザが笑いながら、家の財布を別にしたいと。
       うん、ついでに銀行もね、とshinkai、ははは。




       岸に沿って道がゆるく曲がり、右の新緑は桑の木
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       イタリアもかっては養蚕国でしたので、桑の木が今もあちこちに残り、
       大木になっているのも多く見かけますが、
       こういう場所にある、というのは貧しい農家で桑の木を持たずとも、
       ここの桑の葉は取っても良いという場所だったのでしょうね。
       教会の脇にあるのも、そういう意味だと聞きましたが。




       道はつかずはなれず、湖岸に沿って続き
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       太陽が雲から出たり入ったりで、山の色、緑の色が変化
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       ちょうど対岸の新緑が見える位置になった時
       陽が射し、柔らかい緑色が。
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       奥に続く道の脇、かなり広く草原が広がり
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       その奥に、道脇の建物が見え
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       ラーゴの村も角度が違って見えます
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       岸辺近く、河骨の繁殖が大きな場所もあり
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       風で騒ぐ波紋の色も様々に変わり
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       オオバンが一羽通過。
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       少し高い位置に上ると、
       平野の新緑が、光って鮮やかに煌き
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       下からカメラを向ける仲間にサーヴィスで少し踊りまして、ははは。
       左からミレーナ、マリーザ、サンドラ、ジャンナ。
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       彼らは本当にしょっちゅうのお喋りで
       カメラの事、写真の設定、友人の事、旅行の事 ecc,ecc.
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       少し湖の西を行きますが、こちらはこんな感じの細い道が続き、
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       隙間から見える、レーヴィネ・ディ・ラーゴの村
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       湖岸に近く、寄せる波
       雨量の多い時は、並木道の辺りまで水に浸かるのだそう。
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       今回は途中で引き返したのですが、
       こちらをも少し奥、北のラーゴの村に近い辺りに行くと、
       考古学公園・Parco Archiologicotoというのがあります。
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       新石器時代の終りから青銅時代の初期にかけて、
       この一帯に人々が定住していたと見られる歴史を振り返り、
       湖に張り出しての杭の上の住居を含め、3軒復元されていて、
       子供達も勿論、見学できるようになっている様子です。

       写真奥に1軒、杭の上のが見えますが、分るかな?

       サイトは http://www.parcolivelet.it/ 

       shinkaiは一度見学のチャンスがあったのを逃しており、
       見学の日を一日間違えまして、へへへ、
       いつかまたのチャンスを待っております。




       さて戻ろうか、という事になり、
       最後にもう一度、ラーゴの村を
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       桑の並木が続いていた辺り、今、陽が射しこみ!
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       駐車場近くにあったハイキング用の椅子とテーブル
       子供達の遊具類も備えられ、小さな舞台もありました!
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       さて、こちらが道に上がって来てのラーゴの村で、
       何度も写した教会の鐘楼。
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       そしてここに、ジョヴァンニご推薦のパン屋さんがあり、
       ほらね、葡萄棚の葉に隠れそうな「Forno・フォルノ」が見えるでしょう?
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       中はこんな風に小さな店で、棚にあるのが本日のパンで、
       無くなると店を閉めるのだそう!
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       シニョーラの顔の奥に見える干し葡萄とアーモンドの入った
       塊の半分と、ピッツァを1つ買い5エウロで、ちょっと高めかな。
       でもカボチャの粉も入っている様子で甘い、美味しいパンでした。

       ジョヴァンニの言うには、粉も石臼で挽いた粉を使っているそうで、
       それでちょっとお高いのだそうですが、
       この辺りではかなり有名なパン屋さんなんだと。

       この後行った小さな村では、本当に小さなお菓子屋さんも
       ジョヴァンニの案内で、彼は本当に良く知っているのでしたぁ!

       こういう案内人兼撮影テクの手引きみたいな友がいるというのは、
       おまけに本当に優しい男ですし、有難いことです!!



     *****

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by italiashiho2 | 2016-05-10 00:54 | ・ヴェネト州 | Comments(2)
2016年 05月 05日

   ・・・ ヴァルヴァゾーネ ・ イタリアで一番美しい村々 ・・・

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       5月に入り、そちら日本はゴールデン・ウィークも終盤ですね。
       良いお休みを過ごされましたでしょうか?

       こちらイタリアはお天気が一定せず、まだ朝夕は冷え冷え、
       北の山々には雪が見え、家の中はまだ暖房が切れず・・!
       5月に入ってもまだ暖房をつけているというのは、
       イタリア25年の居住で初めてかと・・!

       幸い今週後半はお天気が続く様子ですから、
       少し青葉若葉を愛でに、近くに出かけてこようと思っています。


       さて今回ご覧頂くのは、先週出かけてきたフリウーリの
       ヴァルヴァゾーネ・Valvasone
       「イタリアで一番美しい村々」に登録されている、
       中世の町並みがそのまま残っている小さな町です。
       
       上の写真は、町の入り口にある細長い広い広場から見える、
       町のドゥオーモ、サンティッシモ・コルポ・ディ・クリスト
       Duomo del SS.mo Corpo di Cristo.

       オリージネは15世紀のロマネスク様式だったと言うのですが、
       現在のは19世紀の末に大きく改修されたネオ・ゴシック様式。




       鐘楼は15世紀のロマネスク様式のままと。
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       この鐘は毎夕9時(夏は10時)に豊かな響きを届けるのだそうで、
       かってはすぐ近くを流れるタリアメント河を渡る旅人達、
       遅くなって渡る旅人達に方角を知らせる役目もあったといい、

       伝説では、領主の娘が近くの森で道に迷った時、父の公爵が
       鐘を打ち鳴らし続けるよう命じ、娘は無事に戻れたと言う話もあり、
       またナポレオンの侵攻時代、この河の戦いで亡くなった人々に
       祈りを捧げる為ともいい、
       この伝統の鐘は今も響き渡るのだそう。
       



       ヴァルヴァゾーネの町はどこにあるか、地図をどうぞ
       ポルデノーネ・Pordenoneから北西に、コドゥロイポ・Codroipo
       に近く、切れて見えるパッサリアーノ・Passarianoに
       馬蹄型をした大きな中庭を持つヴィッラ・マニンがあり、
       間に流れるのがタリアメント河・Tagliamento。
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       当日の午後訪問したサン・ヴィトー・アル・タリアメント
       San Vito al Tagliamento の町は、南に。
       



       町の地図をどうぞ
       ほぼ楕円形の真ん中に細長い広場があり、中心にドゥオーモと
       その横にインフォメーション、そして突き当たりにお城。
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       勿論現在の町はもっと周囲に広がってはいるのですが、
       これが中心部の姿で、




       上空からの姿がこれ。 真ん中にドゥオーモが見え、
       一番奥にお城で、町の大きさが分りますね。
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       そうそう、地図、写真ともに、北は左側です。

       フリウーリ全般のご案内はこちらに。
       http://italiashio.exblog.jp/i9/



       当日は終日雨の天気予報で皆心配したのでしたが、
       有難いことに曇り空、時にチラッと陽が射す、と言う様子。
       それでも写真を撮るには、青空が残念ながら・・!

       駐車場でバスを降りて後、ガイドさんとの約束に15分ほどある、
       と言うので、皆カフェに入ったのですが、
       shinkaiは広場から西側の様子を窺いに。
      
       こんな通りが続き、左中に見える教会は
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       こんな様子で、教会の名はサン・ピエトロ・エ・パオロ。
       中のフレスコ画が14~15世紀の物と言うので、
       教会設立はほんの少し前でしょうか。
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       すぐ隣接しているここに、かってオスピターレ・Ospitale
       タリアメント河を渡ってくる徒歩旅行者、病人の救済所が
       併設されていたのだそうで、こちらは1355年の記録があるそう。
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       上にも記述しましたタリアメントの渡河場所ですが、
       北からの徒歩旅行者、巡礼達にとって幾つか上流にもあったようですが、
       このヴァルヴァゾーネの東、グラーヴァ・Gravaの渡河地点が最後。
       ここから平野に入り、川幅が広く水量が多くなるので、
       ここで渡ったのだそう。

       この戦略上重要な場所で、渡河税を取る為にも、ははは、
       城の重要な存在価値があった様子。




       教会内部ではちょうどシンドネ・Sindone・キリストの亡骸を
       包んだと言う聖骸布の写真展示が行われており、
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       肝心の壁画はどれもパネルで半分しか見えなかったのですが、
       これは祭壇左側の物で、  教会内いずれの壁画も、
       すべて様々な病気から護る聖人達の姿が描かれており、
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       聖ビアージョ・喉の痛み、聖女ルチーア・眼病、
       聖女アッポローニア・歯痛、聖クリストーフォロ・渡河の守護聖人、
       聖ロッコ・ペスト などなどの諸聖人の姿でした。




       教会入り口上には小さなオルガン、16世紀末から~17世紀に
       かけての物と見なされるオルガンがあり、周囲は壁画で装飾。
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       所で、上に書きましたシンドネ・聖骸布ですが
       現在トリノの聖堂に安置されている聖遺物で、
       これが写真を撮って陰画に浮かび上がったと言う
       キリストの亡骸の姿。
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       細長い布で全身を覆っていたもので、幅1,1m 長さ4,36mの
       亜麻布で、
       人物像は肉眼では見えないのだそうですが、
       血痕の滲みなどが残っているのだそう。

       人物像の両脇に4つ見える謎のような形は、
       かってフランスの教会に保存されていた16世紀、火事に遭い、
       折られていた布の角が焼けて、こういう穴が開いたものと。

       このシンドネの真贋両説がある事も存じておりますが、
       shinkaiとしては、様々な研究者の説明をTVで見たこともあり、
       またキリスト教徒にとってのこのシンドネが持つ価値の重みも
       知っておりますので、こういうものです、と申し上げるのみに。
       



       この辺りを書いていた時に、パシャッと電源が落ち、
       PCも、時計も、洗濯機も皆停まりまして・・、ああ、なんでやねんなぁ、
       コンドミニオの倉庫の我が家の電源を入れなおし、気持ちを取り直し、
       情け容赦なく消えてしまった部分の書き直しを・・!
 
       
       道の向かい側もこんな風にポルティコになっていて
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       朝のこの時間は閉まっておりましたが、ここはワイン・バーですね。
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       そして隣の建物の2階の窓の間には、こんな壁画。
       ここも聖母子を囲み、左に聖セバスティアーノ、右に聖ロッコ。
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       そろそろ集合時間が近づき、ドゥオーモ前の広場に向うと、
       綺麗な猫ちゃんが、尻尾をくねくねと迎えてくれ
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       ドゥオーモ前の広場の右側は、楕円形に建物がつながり
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       こちらは一番右端の建物の2階の窓の様子で、
       かってはどこにどんな形の窓があったのか、良く分るでしょう?
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       続く建物群は、こんな風に如何にも中世風の間口が狭く、
       そして屋根の高さが皆それぞれで、リズムがあって面白いですよね?!
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       建物の前にあった、かってのアイス・クリーム売りの屋台、というか、
       自転車の前に冷蔵庫を積んで走っていたやつですね。
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       さてガイドさんが来られ、ドゥオーモの脇の道を奥のお城に
       国旗の見える所に、インフォメーションあり。 
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       これがヴァルヴァゾーネのお城、既に13世紀前半に記録のあるもの。
       ですが、長い世紀の変遷の間に何度も改修され、
       現在はかっての戦略上の要塞城とは違って、ルネッサンス風の
       居城となっており、近年の修復がまだ続いています。
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       我らは幾つかの修復済みの部屋や、小さな劇場なども見れましたが、
       ここはまた改めてご案内という事で、今回は正面のみを。




       お城から西に少し行った所にある水車。
       かってもこの場所にあったのを偲んででしょうね、
       今のこの水車自体は何年か前に備えられた物らしく、
       イルマ・Irmaという可愛い名の水車が回っておりました。
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       こちらは水車小屋の前面に残るかってのフレスコ画の名残。
       ガイドさんの手の見える上辺りに、聖母子像があったといい、
       そう言われて見ると上に玉座の跡が見えますが、
       1473年という年号はしっかり残っておりますね。
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       横に見える文字ですが、これはフリウーリ語だそうで、
       ガイドさんは聞くのは分るけど話せないと、
       グループ内の何人かのフリウーリ出身者に答えておりました。




       この水車小屋の横に見えた石塀の積み石の様子
       この積み方はフリウーリのこの一帯の方法なのか、
       ヴィッラ・マニンにもこれを見ます。
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       町の中を辿る道。 こちらはかなり広い道幅で、
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       こちらは狭い道。
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       いずれもきちんと整備されていて、いや、正直な所、
       されすぎの感さえ感じ、
       居住されているのも分る家並みではあるのですが、
       ちょっと人気が無さ過ぎる感じもしまして・・!




       こんな扉の飾りを見ると、ちょっとホッと・・。
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       水車の水路が町の南に流れてきた辺り、
       水辺に見えるのはかっての洗濯場で、
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       この近く藤が咲き誇り、一帯に甘い香りが漂い
       お家の前の小さな花壇にも、花が咲き乱れ、
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       このお家の窓辺の小さな鉢、そして花壇も可愛いでしょう?
       こんなのを見ると、古い町にも人気を感じホッとしますね。
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       葡萄棚が窓辺に設えられ、もうこんなに育っていて、
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       中心広場にあるお家の窓も素敵でしょう?!
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       そして最後にドゥオーモに戻り、中に入りまして
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       これは正面左の柱に見える、14世紀始めのビザンティンからの絵で、
       聖母が授乳している図ですが、お乳の位置が脇過ぎません?! はは。
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       貰ってきたパンフレットには、板に油彩とありましたが、
       明らかに、黄金背景の、板にテンペラ画の間違いと。




       これよりも凄いお宝がこのドゥオーモにあり、
       右の壁上にあるこのオルガン。イタリアに唯一残っている
       16世紀にヴェネツィアで作られたオルガンで、
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       1532年300ドゥカーティで、ヴィンチェンツォ・コロンボ・
       Vincenzo Colonbo が製作した物と言い、
       それに彫を施した箱を誂えたのがステーファノ・マラゴンとジローラモ。
       金箔師のトンマーゾ・ダ・ウーディネが仕事を終えたのが1538年。

       オルガンの箱に絵を描くのを請け負ったのが、通称ポルデノーネ・Il Pordenone.
       が彼は1539年に亡くなり、後を引き継いだのが弟子であり婿の
       ポンポーニオ・アマルテーオ・Ponponio Amalteoと。

       北イタリア、とりわけフリウーリでは良く出会うポルデノーネと、
       ポンポーニオ・アマルテーオという画家の名ですが、
       両者の関係を今回知りました。

       今見える上の大きな絵は、「マンナを拾う人々」で、
       マンナ・mannaというのは、天から授かる食べ物の意ですね。




       で実は、この歴史的なオルガンの音色を聞かせて頂いたのでしたぁ!

       今こうして静々と、奏者の方が白手袋をはめて扉を開けましてぇ、
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       じゃ~~ん、中はこんな風! 如何にも典雅でしょう?!
       布の赤色はこんな風に派手ではなく、もっと濃い暗い赤で、
       オルガンのパイプも、もっと黒く見えました。
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       聞かせて頂いた曲とは違うかもしれませんが、
       こちらでこのオルガンの音色を聞きながら、町の姿も見れます、どうぞ

       扉の内側の絵の左側は「イサクの犠牲」で、右は何だったっけ?!

       このオルガンは特別の際に弾かれるのだそうで、そう、我らは特別、ははは、
       平常のミサの際には、身廊左にある小さな普通のオルガンだそう!




       町訪問の間、晴れ間が見えたり、雲がかかったりでしたが、
       やはり晴れた風景が良いですねぇ!
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       最後は、広く長いピアッツァ・メルカンテ、市が立つ広場でしょうか、
       中世のままの姿を保つ古い町の、古い家並みの広場でした。
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     *****

       ◆ グループ展のお知らせです ◆

       我が絵の師であり友人の二木一郎さんが講師をされている
       NHK文化センター、日本画青山教室の皆さんのグループ展
       未然会展が、
       東京中央区京橋のギャラリーくぼた本館3階にて、
       5月9日から15日まで開催されます。
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       どうぞお出かけ下さりご高覧賜りますよう
       ご案内申し上げます



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、描き始め 花2点 と、 スコミーゴ村の葡萄畑 を
       アップしています。   
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     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     



  



by italiashiho2 | 2016-05-05 01:41 | ・フリウリ・ヴェネツィアジューリア州 | Comments(8)
2016年 04月 30日

   ・・・ フリウーリの土地柄は ・ パンフレットの写真から ・・・

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       この水曜はグループでの一日見学で、お隣のフリウーリ州、正式には
       フリウーリ・ヴェネツィア-ジューリア州・Friuli-Venezia Giuliaの2つの町、
       イタリアで一番美しい村々に登録のヴァルヴァゾーネ・Valvasoneと、
       南に少し下ってのサン・ヴィトー・アル・タリアメント・San Vito al Tagliamento

       どちらも古い中世からの町ですが、その整備された美しい町の姿と、
       なんとも懐の豊かそうな奥深さにいささか驚きつつ、訪問して来ました。

       写真はまだ整理出来ていないのですが、
       貰って帰ったパンフレットに美しいフリウーリの写真がたくさんあり、
       私もよく分っていないフリウーリ州の取っ掛かりにとでも思い、
       ご紹介致しますね。

       そしてまず第一に、今までずっとフリウリと書いてきましたが、
       これもフリウーリと正確に発音訂正する事に、はい。


       まず上の写真、SLOW COUNTRY、持って帰ったパンフレットの1冊。
       農家の作業場、碾き臼と思うのですが、葡萄の絞り器かも・・。
       普通は大体説明があるのですが、
       今回は土地の名も何も記されておらずで・・。

       情けない事に中の説明は英語のみで、サイトを調べても英語版のみ!
       ですが、まぁ、新しい観光スタイルの推奨パンフレットで、
       協賛のホテルやアグリトゥリズモに最低2泊する旅行だと、
       観光ポイントなどもパックの特典旅行が出来るらしい、という
       スロー・カントリー・クラブなる旅行クラブのご案内。

       様々なレストラン、ホテル、アグリトゥリズモなどの案内もありますが、
       まぁこれは切りがありませんのでパスし、美しい写真のみを!
       
       イタリアの田舎というとすぐトスカーナとかウンブリアが思い浮かびますが、
       それだけではなく、フリウーリも美しく美味しい田舎ですよ、という
       宣伝スタイルのパンフレットですね。



      
       地図をどうぞ
       右に見える、イタリアの一番東北に位置する、
       5つある特別自治州の一つで、左に州地図。
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       州内は3つの県に別れ、左がポルデノーネ県・Pordenone
       真ん中から奥がウーディネ県・Udine
       そして右下がゴリーツィア県・Goriziaと、トリエステ県・Trieste.

       古いご案内も含まれますが、今まで既にご案内したのは、
       スピリンベルゴ・Spilimbergo http://italiashio.exblog.jp/10044969/

       タルヴィーシオ・Tarvisio http://italiashio.exblog.jp/5721170/
       ジェモーナ・デル・フリウーリ・Gemona del Friuli http://italiashio.exblog.jp/5534743/ 
       サン・ダニエーレ・デル・フリウーリ・San Daniele del Friuli http://italiashio.exblog.jp/5417322/
       チヴィダーレ・デル・フリウーリ・Cividale del Friuli http://italiashio.exblog.jp/9063014/
       ウーディネ・Udine http://italiashio.exblog.jp/8979474/       
       アクイレイア・Aquileia http://italiashio.exblog.jp/5035705/
                    http://italiashio.exblog.jp/5037537/
       リニャーノ・サッビアドーロ・Ligano Sabbiadoro http://italiashio.exblog.jp/10000151/
                                 http://italiashio.exblog.jp/10020639/
       グラード・grado http://italiashio.exblog.jp/5031770/

       ゴリーツィア・Gorizia http://italiashio.exblog.jp/5328184/
                   http://italiashio.exblog.jp/5328325/

       トリエステ・Trieste http://italiashio.exblog.jp/16640151/
                   http://italiashio.exblog.jp/16666499/

       ポルデノーネ・Pordenoneも、トルメッツォ・Tolmazzoも、他の町も
       何度か行っていてもご案内がないままで・・、古すぎて気になるのも幾つか・・!
       徐々に整理しなおさないといけません。

       まだ冬枯れの風景ですが、フリウーリの田舎の風景を




       これはどこのヴィッラか、分らないのがちょっと残念ですが
       きっと土地の領主のお城だったのでしょうね。
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     ◆ 追記です
       シニョレッリさんがコメントで教えて下さり、 いつも有難うございます!
       この城は、カプリ—ヴァ・デル・フリウーリ(Capriva del Friuli)にある
       12世紀に建てられたCastello di Spessa  と分りました。
       地図を見ると、ゴリツィアから西にあり、広い広い敷地にゴルフ場もある、
       なにやらお高いホテルになっている様子です。
       サイトはこちらに。 http://www.castellodispessa.it/n/

       


       収穫間近の葡萄畑の風景。 
       この整然と整った畝の美しさ!
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       葡萄摘み風景。 
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       実際はもっと多くの人出で一斉にやって行きますから、
       写真の為のデモンストレーションかな。




       ドロミーティの山の里でも良く見かける風景。
       木を使った扉、階段、そして道具類、ミルク缶。 
       郷愁に満ちているでしょう?!
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       これもまだまだ見かける囲炉裏端の光景
       様々な鍋類が下がり、床は石やレンガです。
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       これは今回見学したヴァルヴァゾーネのお城
       なんと、中に一族用の小さな劇場があったのですよ!
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       この風景は絵葉書で見た記憶がある、
       北東の端タルヴィーシオの近く、オーストリア国境に近い村と
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       この辺りに、イタリア、オーストリア、スロヴェニア3国の
       国境接触点もあり、寒く雪の多い土地で、
       犬ぞりの練習所もあるとか!




       フリウーリは、ドロミーティの山々が北にあり
       広~~い平野が中に広がり、南は海に接し
       イタリアで一番広い干潟もある土地で、

       言語もドイツ語、スロヴェニア語、フリウーリ語が共存し
       それに様々な土地の言葉も影響する複雑さだそう。

       この風景はきっと南の干潟辺り、魚の養殖場かも
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       TASTE EXPERIENCE・味の体験(ですよね?)のパンフレット。
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       まずは生ハム!!
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       フリウーリの生ハム http://italiashio.exblog.jp/5063183/ 
       



       そして、白ワイン
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       フリウーリはやはり白ワイン!  http://italiashio.exblog.jp/5328825/




       これは多分、お肉を炙り、香り付けをしているのだと。
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       チーズ、モンタージオ・Montasio と、
       右は詰め物パスタですが、中身はなんだろ?
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       フリウーリのチーズのあれこれ! 
       真ん中がリコッタで、左下手前の茶色いのは、その燻製。
       右上の3つ重なっている真ん中は、モンタージオ・Montasioの
       刻印が見えますが、上下のもそうかな?
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       フリウーリのチーズ(フォルマッジョ)ポレンタ


       当日の脱線小話をひとつ
       フリウーリのいわば家庭料理にフリーコ・fricoというのがあります。
       チーズをベースに、ジャガイモや玉葱をいれ薄く焼いた物で、
       今頃はスーパーでも売っているのを見ますが、
       見学の最後の時間待ちに、一人があそこに自動販売機があるよ、と。

       久し振りに食べたくなり、小銭整理にもとチャリンチャリンと入れ、
       フリーコの玉葱入り、を選びましたら、幾らだったっけ?
       なんと後ろにいつの間にか何人も集まっていて、
       ジャガイモの入った方が美味しいのに、とか、
       友人のジュリアーナなどは、そんなの美味しくないに決まっているじゃん、
       何で買うの、から始まり、
       家のマンマの作ったフリーコは物凄く美味しかった、なんぞと、
       てんでんばらばら、皆それぞれ好き勝手な事をね、ははは。

       お金はワッチが払うんじゃけん、好きなのを買わせてくれぇ、と云いたい程で、
       好奇心と姑目線を跳ね返し、ははは、
       ついでにフリウーリのチーズ、モンタージオも買って戻りました。

       フリーコを翌日のお昼に電子レンジでチンとやって食べましたが、
       まぁ、特別美味しくもないですが、悪くはないお味。
       それにしても、
       食べ物には一際の関心を示すイタリア国民だと、改めて感心!ははは。




       お肉の調理中、手前は茹で肉で、奥で切ってますね。
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       そして、お魚類!! にゃお~~ん
       手前にポレンタ、イワシ、カレイ、切り身と奥の魚はなんだっけぇ・・。
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       今回の写真の中で、一番shinkaiの心を掴んだもの、
       ああ、美味しそう!と思ったのが、これ!
       ね、食欲をそそりません?!
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       そして、再び囲炉裏端の写真
       一家団欒の場であり、調理の場でもある、暖かい囲炉裏端。
       かっては大変貧しい土地で、でも勤勉で正直で
       営々と生活を築き上げ続けたフリウーリの人々の拠り所なのかも
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       下がっている穴開きの鍋は、栗を煎るためで、
       秋から冬の、厳しい長い生活のお供ですね。




       最後は、ヴィッラ・マニン・Villa Manin
       ヴェネツィア共和国の最後の総督ルドヴィーコ・マニンの住まいであった、
       の広い前庭での、食の祭典。テーブルが並び、皆盛大に飲食している様子を!
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       ヴィッラ・マニンのご案内 http://italiashio.exblog.jp/15502299/

       今回のお昼はこの駐車場横の広場で、
       ピクニックのお昼らしく、バス会社が用意してくれていた
       チーズとハム類、カルチョーフィ(アンティチョーク)のマリネを
       挟んだパニーノとワイン、デザートのトルタなどを頂きました。


       そして私を日本人と見て話しかけてきた初めて会う一人と
       何の話になったと思われますか?
       なんと彼女は50年前に、日本から養蚕の技術指導に訪れた、
       それも松本から!の日本人技術者と働いた事があるのだそう!

       日本の囃子歌の掛け声、ヨイショヨイショ、とか、ヨイヨイ、
       数字の一、二、三、四、五なぞを、聞かされるとは思いもよらず、
       彼女の名前、アンジェラさん、とか、ははは、
       日本人は皆、さん(付け)のサント・聖人だと笑いました。

       イタリアもかっては養蚕大国で、とりわけヴェネトも、
       今私の住んでいる隣の町、サン・ジャーコモ・ディ・ヴェーリアには、
       かっての製糸工場跡が養蚕博物館になっていますし、
       そんなこんなの話も出て、そんな事も楽しい一日でした。
       


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ポルトガルの天使像 途中経過 と、 天使のはしご を
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by italiashiho2 | 2016-04-30 00:08 | ・フリウリ・ヴェネツィアジューリア州 | Comments(7)
2016年 04月 10日

・・・ モデナの街歩きちょっぴり シナゴーガ、市役所、軍士官学校 ・・・

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       先月中旬のモデナ行きの際、グループが2つに別れて回り、
       私方はモデナの街中見学が午後になりました。

       トップは、朝高速を降りて街中に行く途中に見た花々
       コネリアーノよりも早い咲き具合でしたが、       




       街の中心に向う時に、なんとまぁ、こんなに大きな街だったっけ?!
       という感嘆。 なにせ日頃田舎住まいですので、大きな街は怖い、ははは。
       人口は昨年末で18万5千人程。

       突き当りに見えるのが、モデナ駅と
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       建物に見かける色が、黄色とサーモン・ピンクが多い気がし
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       ヴィットリオ・エマヌエレ大通りのロータリー
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       正面にこの街の聖堂の鐘楼、ギルランディーナ・Ghirlandina
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       街の中心部の地図をどうぞ
       我らは北側から来て、コルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレの端で
       バスからおり、歩いて中心に向います。
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       この日中心で見たものは、アッカデーミア・ミリターレ・Accademia Militale
       軍士官学校シナゴーガ・Sinagoga・ユダヤ教徒の礼拝集会所
       市役所・Palazzo Comunale聖堂・Duomo di Modena、そして
       一番左に切れたエステンセ博物館・Museo Estense.
       ・・と書くと、どの様に歩いたかがお分かりですね。

       モデナ駅はコルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレのこちらの端から
       突き当りまで行きそこから北西に、7~800mほどの位置と。




       アッカデミア・ミリターレ前のローマ広場の端を通り、
       街中の細い小路の角で。
       パン屋サン・ジョルジョとありますが、カフェみたいな洒落たお店
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       皆がわぁ~お、と驚いた立派な大きなシナゴーガ
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       シナゴーガというのは、ユダヤ人の礼拝の為の集会所で、
       余りにも凄いので、ならばきっとモデナにはたくさんのユダヤ人が
       いたのだろうと調べましたら、

       確かにモデナには13世紀以来ユダヤ人が多く住み
       15世紀にスペインでユダヤ人排斥が起こった後移って来た人々も多く、
       1638年この辺り一帯がゲットーになった後、1000人ほどが住んでいた様子。

       有数の金貸し業、貴金属業を除き、多くは厳しく報われる事の少ない
       仕事に付かざるを得ず、大きな迫害などはこの街では起こらなかったとはいえ、
       2回の大戦への出兵、その後の変化などなどで、
       現在モデナに住むユダヤ人は100人ほどと。

       この素晴らしいシナゴーガは1873年に建設された、
       イタリアでも有数の、ユダヤ人文化の歴史が残るこの街の記念碑的な物と。
       
       かってのゲットーの道は道幅拡張などで取り壊されたそうですが、
       このシナゴーガのあるピアッツァ・マッツィーニ・Piazza Mazzini
       1、2本東の通り、ヴィア・スクアッローレ・Via Squalloreは、
       陽が射しこむのを妨げる程狭く、背の高い建物が立ち並び、
       かってのゲットーの面影を今に伝えていると。
       
       ヴェネツィアのゲットーは、




       このシナゴーガからすぐ近くにモデナの聖堂、グランデ広場があり、
       
       今グランデ広場の北東の端に出て来て
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       サイトから拝借の写真で、グランデ広場
       左に聖堂、正面が市役所、時計塔のある建物。
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       建物下のポルティチ、アーケード。
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       先回ご案内したモデナの伝統バルサミコ酢の醸造元で、
       試食をさせてもらい、ワインも1杯飲んでいましたから、
       特別お腹が減ってもいませんでしたが、ここで昼食休憩となり、

       5人で、すぐ隣の大きなカフェ・ビュッフェに入り
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       向こう側にはセルフ・サーヴィスのビュッフェがあるのですが、
       我らはこちらのカフェ部分で
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       皆が各自こんなクッキーに、これはカフェに生クリーム、などを取り
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       shinkaiには、そのつもり無く注文したら、薄焼きパンに野菜グリルの
       挟んだのが届き、パンをちょっぴりと野菜だけつまみ出し、ははは。

       今回は時々カフェやレストランでお目にかかる、さすがプロ!という
       ウェイトレスさんで、皆がなんだかんだと質問しながら
       細かく注文するのをメモもせず聞き取り、後の支払いもテーブルで、
       誰がなにを注文したかしっかり記憶しているという・・!
       
       この頃まさにところてん式記憶力のshinkaiには、
       驚異のシニョリーナでしたぁ。
       



       昼食後、元気が良すぎるほどのしっかりお喋りのガイドさんと
       再度待ち合わせ、まず市役所内の見学に。

       グランデ広場の東北の角から、こんな風に階段を上り
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       現在は一見唯一の建物に見える市役所ですが、11世紀頃からの
       次々との建て増しを17~18世紀に改装した物だそうで、
       グランデ広場の写真で見えた時計塔は17世紀に、
       地震の後に崩壊したそうですから、再建された物と。

       コンフィルマーティの間・Camerino dei Confirmati・どういう意味だろ、
       という家族(画家だったと)や、他の肖像画が並んだ部屋。
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       こちらは木の嵌めこみ細工のテーブル
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       部屋の名を覚えておらず、説明を撮ってもおらずで・・、
       これは天井ですが、すっごい部屋だなぁと、ははは。
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       壁が絹の布張りなんですぅ!
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       天井の真ん中にモデナ市の紋章があり、
       正面の絵は16世紀のものですが、ローマ風の衣装で、
       背後に左にボローニャ、右にモデナの街が見え、
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       この部屋は(上の写真も)火の部屋・Sala deo Fuocoと呼ばれ、
       常にこの暖炉に火が燃やされ、市民が暖を取れ、
       また家庭で使う火付けに燃え炭を持って帰る事が出来たという、
       市民サーヴィスの一端で、大変に市民に喜ばれていたと。
       施政者側が本当に豊かだったのでしょうね。
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       廊下の様子
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       グランデ広場側から上った階段の、反対側
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       聖堂脇、南側に広がるグランデ広場。 まさにグランデ・大きい!
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       4年前の夏にモデナに来た事があったのですが、
       来る前はモデナは初めて!と思い込んでいたのですね。
       所がこの広場に来て聖堂を見た途端、いや、ここは来ている!
       と思い出し、ははは、実際その22年前に来ておりましたぁ。

       4年前の春、ちょうどエミーリア・ロマーニャ地方に地震があり、
       その後だったのですが、この聖堂は世界遺産であり、
       即修復が始まっており、内部も半分しか見ることが出来ませんでした。

       今回は内も外も綺麗に修復されており、綺麗過ぎるほどで、ははは、
       別にご案内しようと思いますので、
       今回はこの脇からと




       正面からの1枚ずつのみのご紹介です。
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       聖堂から西に細い小路をずっと抜けていくと、
       古い小さなカフェに人々が集まっている姿があり
       古い街の、昔からの佇まいが偲ばれ、良い感じ。
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       細い道を辿り、エステンセ博物館に行き見学。
       ここもなんとも凄いエステ家のコレクションの博物館で、
       絵画作品よりも、所蔵品類とか、併設の考古学博物館が凄そうでしたが、
       ここのご案内も今回はパス。

       そろそろ夕暮れが近い街中の賑やかな通りを、
       バスの待ち場所に戻りますが、
       
       春色のショウウインドウや
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       ウェディング・ドレスの女性のお供はワン君で
       口の悪い我らは、夫は犬かいな?! ははは。
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       再度ドゥオーモ正面前の広場が見える通りを過ぎ、
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       聖堂鐘楼ギルランディーナも横目に見て
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       ヴィア・エミーリア・via Emiliaの店の明かりを撮っていると、
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       後ろから、マントを着た一団が来るではないですかぁ!
       前の真ん中に見えるのは司祭さんで、
       モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナの
       学生達で、カッコいいぃ!!
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       我々が聖堂見学に行った時、復活祭前の一連の宗教行事として、
       彼らは一人ずつ名前を呼ばれ、「告解」の最中だったのですが、
       ちょうど全員済んで帰る途中だったのですね。

       追っかけするつもりはなく、ははは、でも同じ道を行くもので、
       ついつい揺れるマント姿のかっこよさに惹かれまして・・、へへへ。
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       歩いていく道の突き当たりに見えて来る凄い建物、あれ何?!
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       MODENA-ASOLO と見える垂れ幕は、今年5月18日の
       自転車競技ジーロ・ディターリアの行程案内。 蛇足、へへ。

       隣のオリアーノ村を、ジーロ・ディターリアが通過




       彼らは真っ直ぐ入り口に向かい・・。
       でここは、かってのエステ家のドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
       現在はモデナ軍士官学校となっている事を知りましたぁ!
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       入り口のアーチ前で彼らは記念撮影し、勿論shinkaiも、ははは。
       司祭左の君ぃ、歯を出してにっこりし過ぎだよぉ!
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       モデナの軍士官学校・アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナは、
       第2次大戦後の1947年、かっての砲兵、技師?、歩兵、騎兵の士官学校が
       統合されて出来た、現在唯一のイタリア軍の士官学校。

       男女共に応募でき、学業は2年間、ここで将来イタリア軍と
       軍警察(カラビニエーリ)の仕官になる基礎教育を受け、
       技師、医師、獣医などになるには、各教育期間の延長が。
       
       載っていた彼らの日課は、朝7時の起床に始まりまさに分刻みで、
       食事時間もイタリア人らしからぬ朝20分、昼夕食30分!
       一日3回に分けての学業と、夜23時30分就寝までびっしりで、
       ガイドさんの話でも、大変に厳しいのだと。




       これは毎年6月2日のイタリア共和国記念日に、
       ローマのコロッセーオからピアッツァ・ヴェネツィアまでの
       フォーリ・インペリアーリ通りのパレードで、行進する姿。
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       この制服は昔からの伝統の制服姿との事。
       最前列に女性の姿も見えますが、カッコ良いですよねぇ。
       ここ何年かパレード中継を見ていませんが、今年は見ようっと。

       古いパレードのご案内ですが、宜しかったら・・、
       なんと同じ制服の女性が映っておりましたぁ。




       記念撮影していたアーチの中は、大きな内庭になっていて
       こんな舞踏会も開かれる様子。 多分女性18才の成人デヴュー舞踏会。
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       アッカデーミア・ミリターレ・ディ・モデナのサイトは




       元エステ家のドゥカーレ宮、現在軍士官学校の前に立つこの像は、
       イタリア統一運動時の英雄、チーロ・モネッティ・Ciro Monetti(1798-1831)
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       オーストリアに屈する立場のモデナ公国の独立を願い、
       モデナでの民衆蜂起を企て逮捕され、有罪判決で絞首刑にされたそう。
       詳しい事情はまるで知らないshinkaiですが、
       最初はモデナ公国のフランチェスコ4世との知り合いもあったのが、
       最後は裏切って、処刑判決に署名したフランチェスコ4世の部屋を
       睨む様にも見えるこの像、という説明もありましたです。
       



       最後は、ドゥカーレ宮全体が見えるサイトからの写真を。
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       建物は1634年から建設され、それ以前にあったエステ家の
       古い城跡に建てられたのだそう。
       当時は街の外れだったのが、街の拡張につれ、現在はほぼ中心地に。

       バロック様式の荘厳でエレガントなスタイル。
       
       エステ家のドゥカーレ宮(公爵の、総督の宮殿)と書いておりますが、
       元々ヴェネトはパドヴァ南にあるエステの地から隆盛し、
       フェッラーラの君主(1208-1598)、侯爵となり、
       文化の香り豊かなフェッラーラの宮廷を開いたエステ家・Este。

       教皇領の管轄によりその領土を増やし、1288年にモデナを
       続いてレッジョ・エミーリアも。
       そして14世紀から1859年に至るまで次々と領土の範囲は広がり、
       1471年には公爵位を得、公国領となり、
       モデナはエステ家の本拠地となったのですね。
       街の繁栄振りが分かるような気がします。

       エステ家の最初の本拠地フェッラーラのお城に付いて、1と2を


       フェッラーラの地は継承者が一時不在の際に教皇から召し上げられ失い
       男子の継承が途絶えたりではあるものの、ヨーロッパ中に広がり、
       オーストリアのハプスブルグ家やベルギー王家との繋がりもあり、
       現在もドイツのハノーヴァ家エルネスト・アウグスト公が(1954年生まれ)
       直系の御子孫にあたるのだそう!
       いやぁ、凄いものですねぇ!!


       というような、モデナの街歩きちょっぴりでしたぁ。



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       水彩+色鉛筆画ブログには、ヴェネツィアの途中経過と、描かれたヴェネツィア を
       アップしています。   
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       いつもブログご訪問、有難うございます!     







by italiashiho2 | 2016-04-10 00:53 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(5)