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2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)
2017年 02月 14日

   ・・・ ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 ・・・

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       昨年春の南ラツィオの旅、今回は最後のご案内になるガエータ・Gaetaを。

       この地には昔から思い入れがありまして、というのもず~っと昔見たガイドブックに
       浜辺にそってパステル・カラーの低い家並みの続く写真「ガエタ」が1枚あり、
       当時の未だ他を知らなかったshinkaiにはとても魅力的に見え!
       いつか行ってみたいと思っていたのでした。

       さて実際に長い年月の後に訪問してみると、やはりまるで思い込みとは違い、ははは、
       写真を整理しながらも、この町の一番の印象は何だったろう、と考えました。

       古いガイドブックにあったような「貧しい海辺の町」ではまるでなく、
       多分これより西にある「スペルロンガ」と混同しているのでしょうが、

       ローマからは南に120km,ナポリからは北西に80kmの距離にあり、
       長い紀元前からの歴史を持ち、港を持った繁栄の地であり、
       何度も異民族に襲撃されながらも、城壁を築き町全体を要塞化して備え、
       現在は明るい陽光のもと、海辺の小さな町の良さを満喫している、とでも・・?!
       
       そんな町の印象がお伝えできますかどうか・・。
       と、今回の写真は何故か呆けピントのが圧倒的に多く! 馬鹿がぁ、
       必死に修正したのですが、どうぞその辺りはご容赦下さいますようお願い致します。

       今回も写真の数が多くなりましたが・・、
       なかなかこの辺りまで行かれる方は少ないであろう、・・でも、
       shinkaiのブログはそういう方にも旅の、町の雰囲気を味わって頂いている筈と、
       ははは、そう考えてご案内しておりますので、
       ごゆっくり楽しんで頂けますように!
       
       
       上の写真は町の中程の海辺沿いでバスを降り、港の南方面を見た所で、


       角度を少し変え、海岸沿いの続きはこんな感じ。
       高い鐘楼が見えますが、これがガエータの聖堂のもの。
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       ガエータ湾をはさみ北東方面、山上に見える町はマラノーラ・Maranolaと。
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       南ラツィオのご案内全体は、こちらから。



       ガエータの町の中心部の地図をどうぞ。
       ガエータは湾を挟んで北西にも伸び、南側の浜辺も含まれるのですが、
       右に突き出した半島の先っちょ、色が少し濃くなった辺りが旧市街の位置。
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       訪問した教会2つの位置と、町の上に見える城の位置を示しましたが、


       実は町の中心に行く前に、左下に囲ったサンティッシマ・トゥリニタ・SS.ma Trinità
       という聖所を訪れ、教会や、岩山の裂け目にある礼拝堂などを拝見し、はぁ、
       ついでに右下に赤丸で囲んだ「トルコ人の洞窟」なるもの、
       なに、トルコの海賊たちが隠れ家にしていた深い洞窟でして、
       shinkaiはお金を払ってまで階段を下る気はなく、はは、行きませんでしたが、
       そんなあれこれ、そして南の海岸沿いの浜辺のパノラマを見たりでした。

       ついでに町との間に挟まる山にあるオルランド公園に赤丸も打ちましたが、
       この辺りにはローマ期の貴族の聖廟もある様子で、
       ここからの町の旧市街の様子が絶景!
       我らは行きませんでしたが、本日最後にここからの様子をお目に入れますです。




       という事で、上の地図の海辺に沿った位置、2つの教会に挟まれたちょうど真ん中辺り
       緑色で見えるのが駐車場兼公園で、

       この辺りからの眺めが上の海岸沿いの写真であり、

       右手の上に見えるのが、このサン・フランチェスコ教会
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       ここには行きませんでしたが、1222年聖フランチェスコがガエータに滞在した折に
       基礎をした教会で、14世紀に再建築、19世紀に上部を追加という形だそう。




       そしてそれより北、海岸沿いに近い低所にあるのが、
       サンティッシマ・アンヌンツィアータ・SS.ma Annunziata、ここも聖所と。
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       手前に高い城壁が一部残っているのが見えますね。
       現在は中心の方のは無くなっているようですが、
       かっての海賊、蛮族襲撃に備えての要塞化された町だった名残。
       
       ここは後ほどご案内を。




       そしてちょうど真上辺りに見えるのが、町の城・要塞
       四角い城を左右2つ繋いだ形に見えますが、時代が違い、
       右の少し低い方が、13世紀フランスのアンジュー家が占領していた時代ので、
       左の高い方が、16世紀スペインのカルロ5世アラゴン家が拡張したもので、
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       カステッロ・アンジョイーノ-アラゴネーゼ・Castello angioino-aragonese
       と呼ばれ、広さは1万4千平米に及ぶ広いもの。

       アンジュー家の方は近年まで監獄に使われていた様子ですが、
       現在は市の持ち物となり、未来は海洋大学となる予定だそうで、
       アラゴン家の方は戦前はカラビニエーリ(かっての国王警備から派生したイタリア警察で、
       軍隊組織を持ち、イタリア警察とは別組織)の学校だったのが、
       現在は経済警察(フィナンツァ)の海洋学校が入っているそう。


       こうして見て頂いただけでも、海岸沿いから天然の地形を活かし、
       階段状に町が高く重なっているのがお分かりいただけると思いますが、




       町の聖堂に向いつつ、
       真ん中に見えるのが教会サン・ジョヴァンニ・ア・マーレ・San Giovanni a Mare
       海のサン・ジョヴァンニ教会
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       クーポラの形がアラブ式になっていて、
       きっとかっての漁民たちの守護教会でもあったのでしょう、海に面していて、
       10世紀建設を1213年の地震の後に再建したものだそう。

       今は無くなったものの城壁の外、海のすぐ傍にあるため高潮の時には海水が
       内部まで入り込むのが流れ出るよう、床は微かに傾斜していると。
       



       海岸沿いを行きますが、
       大きな建物のこんな形は、今は住居とは言え、以前は何だったのかと思うほどで、
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       こちらはナポリを思い出す造りで、・・生活が窺えるでしょう?!
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       道であったワンちゃん。  あんたのお父さんは、お猿さん?! ははは。
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       遥か彼方からも素敵な威容が見えた町の聖堂の鐘楼で、
       こちらが脇の入り口。
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       鐘楼は12世紀のもので、ニコロ・デッランジェロ・Nicolo dell'Angeloの作で、
       スートゥリ・Sutriや、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ教会でも働いているそう。




       美しい鐘楼の細部をどうぞ
       アラブ・ノルマン形式の影響を受けたロマネスクで、
       3層、2つの窓で、一番上は8角形。
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       緑色の丸いお椀型や、平の四角形など、緑色の濃淡の釉彩を使ったものが
       たくさんはめ込まれ、これは光を受けて輝くのですよね。
       平らな薄目の煉瓦の組み方も工夫されているのが見え、
       白と黒の石をアクセントに、同じロマネスクとはいえやはり表現が違うなぁと・・。
       



    
       鐘楼の下に聖堂への脇入り口の上り階段があり、
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       実は現在の聖堂は、7世紀の以前あった教会の後に建設された
       11世紀のものだそうで、この入口はかっての教会の入口だったそうで、   
       現在の聖堂の正式の名はサンティ・エラズモ・エ・マルチャーノ・Santi Erasmo e Marciano.



       アーチの左右にライオン像が見えますが、
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       向かって左側のは正面から見た時、横向きの顔、とのみ思ったのが、
       何処かからライオン像だけ持ってきてはめ込んだのか、
       怖い顔して空飛ぶライオン、みたいに見え、思わず笑いましたぁ!
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       鐘楼の基礎部の石積み部分
       何ともあっちこっちからのリサイクル利用の石が混じっていて楽しく!
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       入口部分にも柄が入った石がいくつも見かけられたのですが、

       これは階段途中、左右の壁にある石棺
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       ローマ期の物、と思うのですが、この波打つような柄は左右どちらにもあり、
       実は後で見て頂く内陣の祭壇もこの柄なのです。

       土地柄なのか、何か理由があるのか、それともロンゴバルドの柄の影響なのか
       どなたかご存知でしたら、お教え願います

       と、上の竜に羽が生えたような動物、左右に対でありますが、これは竜? それとも鯨?
       というのも、どちらも人間を(ヨナ?)を飲み込む図かとも思い・・。




       内部全体の写真を撮っておらず、これはサイトから拝借し、
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       古いかっての円柱が、はめ込まれた形で残っていて



       こんな感じ。
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       内陣と後陣部分が高い造りになっていて、その下に見える
       4福音者のシンボル像と、コズマ式装飾
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       そして、やはり波模様の石棺利用の祭壇と、脚代わりのライオン像。
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       床の一部に残るコズマ式モザイクですが、ここのは黄色が多く、少し派手目。
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       これは円柱のように太く、全面にキリストの生涯と、サンテラーズモの生涯の
       浮き彫りの入った蝋燭立て、で、
       チェーロ・パスクワーレ・cero pasqualeと呼ばれる、復活祭の前夜に灯される
       蝋燭立てで、キリストの復活を祝うシンボル的なものなのだそう。
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       高い祭壇脇から階段を降り、スッコルポ・succorpoと呼ばれる礼拝堂というか、
       聖人たちの聖遺物を収める為のもので、
       上の内陣、後陣は、このスッコルポのために17世紀に高く建設されたのだそう。
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       今まで各地でお目にかかっていたクリプタ・cripta・地下礼拝堂
       意味は同じなのでしょうが、何とも絢爛豪華で派手な装飾で・・!
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       フレスコ画と大理石、とあるのですが、
       この天井部分は漆喰ではないのかなぁ・・、大理石だと重くなりすぎと思うのですが。


       それにしても、正面の祭壇画の聖人はどなたなのか、
       絵の部分をアップして眺めましたら、なんとお腹を切り開かれておりまして・・!




       半地下の豪華絢爛たる礼拝堂から上がってきましたら、
       ははは、ワンちゃんがおり・・。
       いつもながら、教会内のワン君には、可笑しいながら違和感を持ちますです、はい。
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       ガイドさんの話では、近年この聖堂は修復が済んだ所なのだそうですが、
       なんと修復代が見積もりよりもかなり安く上がったのだそうで、ははは、
       イタリアにしては大変珍しいお話です、と!

       そしてどこから聖堂をでたのか、脇からと思うのですが、
       教会正面を見ておりませんで!
       まぁ、1903年のもので、ネオゴシック調の煉瓦と明るい色石のもの、とあるので、
       ガイドさんも飛ばしたのかもしれませんね、はい。




       さて町中を見物しながら通り、
       これは天然の岩を利用し、隙間にレンガや石を詰め城壁代わりにしている場所で、
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       どうやら隙間から水が漏れ出すのもそのままに、植物が茂っており!




       こちらは上の写真の右側の所で、岩の裂け目がこんな風に!
       夏など天然の自然風で涼しかったりして・・! ははは。
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       ガエータには紀元前10世紀から11世紀には既に移植民がいたものの、
       ローマの下に、紀元前4世紀には皆滅ぼされた様子。

       そしてローマ期にはこの地は別荘地として大変に持て囃されたのだそうで、
       皇帝を始めとして裕福な貴族、執政官、議員達が通い、
       その為にアッピア街道よりも短くこの地に連絡するフラッカ街道・Via Flacca
       造られたのだそう!  やりますねぇ、ははは。

       町の地図で見て頂いた現在の公園オルランド山の頂上にある聖廟、
       というのも、このローマ期のルーチョ・ムナツィオ・プランコ・Lucio Munazio Planco,
       軍人、政治家、執政官、ガエータで紀元1年に亡くなっている彼のもので、
       ジュリオ・チェーザレの将軍でもあったそう。
       
       
       ローマ帝国の滅びた後は暗黒の変遷時代の始まりで
       はじめは蛮族の襲撃、略奪、そしてトルコ人と続き、半島の先っちょ、自然な土地柄と
       防御がし易い事から、城塞都市と変わっていったのだと。

       ガエータで「中世の区画・ボルゴ・メディエオヴァーレ」と呼ばれる古い小高い部分は
       城壁で囲まれ、要塞城も築かれ、近隣からも城壁内に移住してきたのだそう。

       最初の城は6世紀、ゴート人との戦いの物で、後の確かなものは12世紀とあり、
       この間9世紀から12世紀に掛け、町もビザンティン皇帝から自治権を獲得し、
       ガエータ公国となり、その独立を徐々に強固に、
       自国の貨幣フォッラーロ・follaroも鋳造、海洋通商の豊かな繁栄も遂げます。

       海洋国と認められ、アマルフィ、ナポリ、ソッレントと連盟を結び
       ローマに襲撃を掛けようとしたトルコ軍を相手にした849年の「オスティアの戦い」では、
       トルコ軍を総崩れにし敗走させ、
       
       915年にはやはり「ガリリアーノの戦い」でトルコ軍相手に勝ち、
       これで中央イタリアからアラブ人を決定的に退ける事となり、
       その後12世紀末、シチリア王国のもとに約7世紀間の併合を。

       この間13世紀末から15世紀かけフランスのアンジュー家の支配があり、
       16~7世紀をスペインの元に、そして18世紀の短い期間オーストリアの元にと
       変遷をし、最後イタリア王国に入ります。

       ですがあれこれ読んでいて、1571年の対トルコとの最終戦「レパントの戦い」
       のキリスト教国側の艦隊が、ここガエータの港に集結したと読み、
       この戦いにはヴェネツィア艦隊も参加し、勝利していますので、
       単純shinkaiはなんとなしにこの町に親近感を感じたりで・・、ははは。

       
       そうなんですね、海岸続きではありますが、近くのスペルロンガとは違う
       趣は明らかで、スペルロンガは貧しい漁村であったのが、
       こちらはトルコの海賊と戦って勝ち、海洋通商で繁栄した歴史を持っているのですね。

       アマルフィのご案内

       アマルフィの聖堂

       ナポリのご案内 周遊バスで

       ソッレントのご案内





       町の通りもこんな風に並行して上下が重なり
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       小さな広場では、そろそろレストランが昼の準備を始めており
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       これは既に仲間が写真を撮っている姿が写っていますが、
       スピリト・ディ・ヴィーノ・ワインの精神
       ファルマチーア・デイ・サーニ・健康薬局  とあり、ははは、飲み屋で~す。
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       通り抜けていく道脇に咲く鉢植えの花々
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       そして、サンティッシマ・アンヌンツィアータ・Santissima Annunziata・
       聖所お告げの聖母マリーア教会に。
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       建設は1321年からで、1352年に聖別され、17世紀にバロック様式に
       改築され、現在見るのはその形なのだそうで、
       一番上に小さな帆型の鐘楼、マヨリカ焼きの時計が見えますが、
       大きなゴシック様式の鐘楼も後陣右脇に。




       内部は細めの一廊式ですが、ご覧のようにここも豪華なもので、
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       祭壇の大理石装飾と、
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       床の柄
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       17世紀のパイプ・オルガンの席
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       一旦教会を出て、別の棟にある礼拝堂に行く時に見た、
       これ、何かわかりますか?  捨て子を入れる場所、です。
       ここに捨て子を入れ、ぐるっと回すと、建物内で受けて呉れたのですね。
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       やはり繁栄の時代を迎えた町でも、貧しくて生まれた子供を育てられず、
       捨て子に来た親がいたのですね。

       この教会では、受胎の聖母マリーアの名にちなみ、病院施設もあったそうですから、
       こんな捨て子を受ける場所も備えていたのでしょう。
       



       かと思うと、こちらの棟にあった「黄金の礼拝堂・カッペッラ・ドーロ・Cappella d'Oro
       天井は木製彫刻の金塗りで、周囲に19枚の油彩「キリストと聖母の生涯」を描いたもの。
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       何とも豪華なものですが、装飾も絵もまるで趣味が違いまして・・!




       小さな中庭に出てきて、この黄土色と小さな井戸、敷石の模様にホッとし
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       教会の高い脇壁の道を通り戻りますが、
       かっての町の城壁は、唯一、この教会の入口あたりで町に入れたのだとか。
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       やれやれ、やっとお昼ご飯だ!と喜んで歩きましたが、ははは、



       
       最後はサイトで見つけた写真で、
 
       オルランド山の公園から見たガエータの夜景を。
       この角度からだと、城のある位置が良く分かりますねし、
       これだと、如何に屈強なトルコの海賊でも攻められませんよね?!       
       う~ん、これは見たかったなぁ!!
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       長い町案内にお付き合い頂き、有難うございましたぁ!!
       

       

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by italiashiho2 | 2017-02-14 03:13 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 09日

   ・・・ テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 ・・・

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       今回のご案内はローマから南に110kmほど、車で1時間半程の
       距離にあるテッラチーナ・Terracinaのご案内を。

       昨年春の南ラツィオの旅行では、ここの浜辺沿いのリゾート・ホテルを
       基地にして、あちこちに出かけたのでしたが、
       テッラチーナの旧市街の見学は最終日になっていたのですね。

       で5月の煌めくような朝早く、浜辺のホテルを後にし、
       一路こんなアッピア街道を模したような道を行きます。

       今回は写真が多くなりましたので、ごゆっくりどうぞ!



       これは通りすがりに見えた町のローマ門。 ご丁寧にS.P.Q.Tと!
       S.P.Q.Rだと「元老院とローマの人民」となるので、
       どうやら「テッラチーナの人民」の意味を込めている様で、
       シャレというか、どこか親父ギャグみたいで、ははは。
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       ですが我々は一旦町を通り過ぎ、町外れの山上にある
       アンクスールのジュピター寺院の遺跡見学に先に行きます。

       これが港から見上げたアンクスールのジュピター寺院・Tempio di Giove Anxur
       そうです、この高さに大きな寺院があったのですね。
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       ですが寺院遺跡のご案内は苦手の上長くなりすぎますので、
       写真で様子を見て頂けるよう、水彩ブログの方に載せましたので見てやって下さい。




       街の様子の地図をどうぞ
       街全体としては海辺沿いにずっと細長く西に続きますが、
       ジュピター寺院と、色がほんの少し濃い囲った旧市街の位置を。 
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       テッラチーナと近くの街の関係地図は




       現在のテッラチーナの人口は4万6千人程。
       これは小高い位置にある旧市街部分以外の、
       下の街と呼ばれる部分の方が大きいと思うのですが、

       バスで山の上のジュピター寺院を見るのに道を上っていく時に、
       かっての町の城壁が良く見え。
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       テッラチーナは紀元前6世紀の末には既にローマの勢力圏にあったようで、
       その後古代イタリア民族のウォルスキ族の下にもあったのが、再度ローマ人にと、
       繰り返された後、紀元前312年にアッピア街道が通り、ローマ期が続きます。

       ビザンティンの時代を経て8世紀から9世紀は教皇領になり、
       中世にも、このローマに近いこの町は様々な変遷を経ることになり、

       町の繁栄も衰退も何度もあった様子で、16世紀にはマラリアの蔓延で、
       町の人口はわずか150名にもなった事もあった様ですが、

       近代となり干拓事業も進み、新道路もつき、観光地として栄えている様子。



       さてジュピター寺院の見学から町に戻り、城壁の外でバスを降り、
       ガイドさんに連れられて細い道を下りながら、ローマ遺跡の中を通りますが、
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       位置としては、今見える鐘楼が現在の中心広場にある聖堂サン・チェザレーオ・
       San Cesareoで、正面の建物類は18世紀に増改築された聖堂部分。
       
       現在カピトリウム・Capitolium(ジュピター神殿のある聖地の意)と呼ばれる
       ローマ遺跡群は、後にご覧頂く中心広場の北東、という事になります。
       
      



       まず驚いたのがこの美しい壁!! 斜め格子状に石を組むのはポンペイ遺跡でも、
       スペルロンガのティベリオの遺跡でも見ていますが、  
       ここのは凝灰岩の茶と石灰岩でまさに格子柄になっているのですね。
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       脇はこんな形で、高台になっていて、角に
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       角にこの円柱が1本残ります。
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       狭い場所で、すぐ脇にはこんな風に家が立て込んでいて・・
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       上の写真の壁は正面に回ってくると、こんな感じに2重になっており、
       かっての仕切壁だったのが分かるのですが、
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       ここには、現在の聖堂に含まれた形になった大寺院とは別の
       小寺院があったのだそうで、これらはその遺跡で、
       
       つまりこの小寺院の中は3つに別れ、それぞれにジュピター、ジュノー、ミネルヴァ
       3神が祀られていたと。

       


       上の写真にも見える、奥の家の壁に残る色付きの部分にご注目を
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       屋根の形が分かる事から、かってあった建物の壁を利用して、
       後に建て増しをされていた事も分かり、これが神殿を隠していたのだそう。

       実はこの一帯、第2次大戦の時の爆撃で上にあった家々が被害を受け、
       それでこれらのかってのローマ遺跡が明らかになったのだそうで・・!


       右手に見えるアーチの上にも、かっての壁跡が見えますし、

       我らは今回見なかったのですが、中央奥に見える小アーチの上に小路が見えますね、
      
       あれを左奥に行くと・・・、




       こんなテアトロ・劇場跡が4分の一程も見え、これも爆撃で明らかになったのだそう!
       他の部分は上に家々が立て込んでいるのだそうですが、
       近年の研究では、劇場の直径が約72m、4000人ほどの観客収納数の大きさと。
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       脇道の角の上階の柱、これも明らかに神殿の柱をリサイクル利用していて、
       ここはどうやら現在の聖堂の一部の様子!
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       これは何だろ? 浴槽?
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       遺跡につきものの猫ちゃん。 少し痩せぎすね。
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       こうして旧市街の中心広場かってのローマ期のフォーロ・エミリアーノ・Foro Emilianoに
       塔は聖堂の鐘楼と同じ時代12,3世紀、同じ高さ、とあっても探しても高さは見つからず、
       塔はフルメンターリア・frumentariaというので、穀物倉だったと。
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       塔の右手のモダンな建物と奥側とともに市役所だそうですが、




       ついでに塔の横の階段の様子も見て頂き、
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       古い側の市役所の壁もご覧下さいね。 
       そうなんです、かってのこの建物の壁も2色の格子壁、
       つまりローマ期の何か古い建物があったのでしょうね!
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       そして広場の西を占める聖堂サン・チェザレーオ・San Cesareo.
       元々あったローマ期の大寺院を含む形で大きく建設されたもので、高台に
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       聖堂の右に見える建物は、13世紀のパラッツォ・ヴェンディッティ・Vendittiで、
       元々は市の建物だったそうで、下に見えるアーチをくぐると、上で見て頂いたローマ遺跡で、
       
       このアーチの下をかってのアッピア街道が通っていたのですね。
       



       鐘楼、12~3世紀。 こちらも2色使いの素晴らしいもので、上階に行くごとに
       窓の幅が広くなりますが、これは重量を減らす工夫だったそう。
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       そして装飾にはめ込まれた色付きの丸い鉢のようなもの、お分かりでしょうか?
       彩りを添えますが、修復の際に取り替えられたものだそう。

       同じ彩色陶器を使う工夫がポンポーザの修道院にも




       元々の教会はローマ期の寺院があった上に建てられた9世紀のものだそうですが、
       聖別されたのは11世紀、鐘楼とともに内部の修復も12~3世紀と。

       教会前のロッジャ部分の、モザイクによる装飾は現在右側にしか残っておらず、
       何のモチーフかまだ明らかではないそうですが、最初の十字軍遠征であろうかと・・。
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       軒下の装飾部分。 人物像が見えるのは、玉座に座る人物と。
       その右にいるのは猿のようで・・!
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       入口前の円柱の下の飾り部分。 背を向けて座っている人物や
       ライオンというのですが、残念ながら破損部分が大きくて。
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       こちらは良く分かるライオン像
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       こちらのサイトに、聖堂の装飾の詳細写真が。       




       さて、聖堂内部。左の説教壇にご注目を。 と祭壇部分
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       ここの説教壇のコズマ式装飾が素晴らしいもので!!
       と言いつつ、暗くてshinkaiの写真はピンぼけが多く・・、とほほ。
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       説教壇を支える者たち! 素敵ぃ!
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       古い起源の町に残っていた遺跡群の中から、リサイクル出来るものは
       ちゃんと皆再利用した様子でして、はい、
       これらライオン像もそうなのではないかと・・。
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       床のコズマ式装飾がまた素晴らしく!!
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       これは柱に残っていたもので、全盛期には柱にもこれらの装飾が、多分!
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       コズマ式装飾の素晴らしいのには、サレルノの聖堂でも出会い、

       アマルフィの聖堂でも
       http://italiashio.exblog.jp/15410032      
       



       さて聖堂から出まして、
       かってのローマ期のフォーロ広場の敷石
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       広場の東南側の端、3段の高台にも円柱が並ぶ部分が有り、
       ここも爆撃の跡から日の目を見たローマ期の遺跡部分で、
       その右奥に見えるのは、中世の塔の跡と。
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       何度か爆撃の跡から見つかった、明らかになった遺跡、と出てきますが、
       爆撃がなければ未だに立て込む家々に埋まり、、多分このあたりにある筈、
       というだけで見れなかった訳で、 ・・へへ、こういうのは、喜んでも良いですよね?!




       そしてその前に見えているこれが、元のアッピア街道の敷石
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       ローマからこのテッラチーナまで約一直線に繋がるアッピア街道が建設されたのが
       紀元前1世紀の末から紀元後1世紀のはじめだそう。

       このテッラチーナからは斜めにイタリア半島を横切り、アドリア海沿岸南の
       ブリンディシまで連絡していた、いわばローマ帝国の大幹線道路だったわけですね。

       この古いアッピア街道は中世には廃れたのだそうですが、
       後に干拓事業がされ、16世紀頃から徐々に旧アッピア街道に沿っての
       拡張工事が進み、今回南ラツィオで見た美しいアッピア街道の姿
       


       いやぁそれにしても、ここでこんなにしっかりした形で残るアッピア街道を見れるとは!
       フォーロ、かってのローマ期の市民広場、集会場であったフォーロの中を通り、
       大神殿横のアーチを潜り抜け、町を走り、通り抜けていったローマ期の軍勢、人々。
       そんな姿が彷彿とするアッピア街道の一大拠点が思い浮かびましたし、

       かなりの遺跡跡、美しい壁も見れ、テッラチーナの町を新しく知り、見直した事でした!!




       このアーチは、かって4つあったそうですが、実はどの部分で見たのか記憶に残っておらず・・!
       市のサイトにはArco Onorario Via Appia・アッピア街道の名誉門とあり、
       他に読んだサイトの説明では、アッピア街道はこのアーチの下を通って、ここから坂道を上る、とあり、
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       写真番号からしても、ひょっとして中心広場から出ての下り道にあったのかも・・。




       上のアーチの脇に咲き誇るブーゲンビリアの赤い花。 やはりここは南国!
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       さて、聖堂の眺めにも別れを告げ
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       我らは坂道を下り、バスとの集合場所に向いますが
       旧市街のある高さがお分かりでしょうか? 海がこんな風に見えるのです!
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       かなりの道のりの坂道をせっせと歩きながら、こんな街頭も眺め
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       車の陰で涼む猫ちゃんも撮り。 この隣に顔がクチャクチャのライオン像もあり・・。
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       こちらはトドみたいな、ははは、ライオン像を見かけ、
       サイトで同じライオン君の写真を見つけましたが、アルビーノ門の葬式のライオンと!
       ははぁ、どこかの墓所から持ってきたのでしょうね、きっと。
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       遂に坂道を下り、やはりまっすぐな松並木の道を見ながら、
       我らは右に曲がり、
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       暫く下の街の、こんなオレンジの並木道を歩き、バスとの待ち合わせ場所に。
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       そしてテッラチーナと、南ラツィオの街々と別れを告げ、
       一路ヴェネトの家に戻ったのでした。

       テッラチーナのご案内、お楽しみいただけましたように!
       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました


       この時の旅行で訪れたガエータの街のご案内もまだでして・・、
       は~い、頑張って写真整理もすることに。




     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-09 01:07 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 01月 25日

   ・・・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ ・・・ (旅行 お出かけ)

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       すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
       プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。
       
       このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
       11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
       内部装飾などでは有名画家の収蔵作品などはないものの、

       国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
       そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、化粧品、ワインなど
       その活動で大変有名な修道院です。
        
       プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を受けた事も
       あったのですが、ヘっヘっへ、忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
       改めて資料を読み、今回ご案内を!

       上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所




       近くには大きなヴィッラも見える、気候温暖な事でも知られるパドヴァの南西部
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       道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所
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       それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 高い城壁を兼ねているような建物群が
       ぐるりと周囲をめぐります。




       プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ
       パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下ってエステ・Esteに至る、
       県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置します。
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       少し南東に行くと、有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Termeがあり、
       南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者であるペトラルカ・Petrarca
       古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。




       さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
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       入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でしたね。
       内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、この時はかなり待ちました。
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       待合室から内部の回廊が見えましたが、
       奥の建物の壁にかってはフレスコ画装飾があった様子ですね。
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       壁にあった聖母子と聖ヨハネのフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、
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       部屋の隅にあった修道院特産品のウィンドウなども覗き!
       左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、
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       様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。
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       勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
       サイトはこちら



       待ち時間が長く、一旦表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
       城のような背の高い壁に圧倒されます!
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       とにかくきちんと整美されており、ゴミなども勿論落ちておらず! はは。
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       軒下に見えた陶板の飾り
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       1箇所、こんな風に壁の開いている場所があったのですが、
       手前に柵があり、近くまで寄れず・・。
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       山側には、養蜂の箱
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       待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真
       サイトで見つけた平面図と見比べましたので、大体の位置をご説明いたしますね。
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       写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
       その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、火のある普段の部屋(台所、食堂?)
       そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ・回廊部分が2重になっているのだそう。

       その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
       左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
       左側の、屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ・食堂・会議室

       右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培をしていた回廊と。
       一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ、かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
       にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。

    
       所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
       マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polironeに従属する形だったのが、  
       14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
       15世紀中頃にはパドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会のもとに入り、19世紀まで。

       1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、僧侶たちは追放されますが、
       4年後にオーストリア軍の下で再び修道院は活動を再開。
       が、1867年にイタリア国となって後、再びすべての修道院の廃止となり、
       当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
       他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
       イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
       1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
       同年の10月には再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
       カンティーナも持つほどのワイン製造をしているので、
       多分この写真にも見える周囲の葡萄畑はすべてこの修道院のものと!


       サンタンティモ修道院
       
       サン・ガルガーノ修道院

       プロヴァンス  セナンク修道院 1と2




       さて漸くに見学の時間が来て、
       待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り
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       聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。
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       見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
       こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
       適度に剥落し、とても良い色合いに。
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       ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという回廊部分ですが、
       現在はきれいな植え込みの風景に。
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       廊下に見えた「聖母子と天使像」
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       そして、キオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊
       周囲の屋根からの雨水はすべて濾過されて井戸水として使用される方式。
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       この回廊周辺がすべての僧侶たちにとって一番使われている部分なのだそうで、

       脇にあったこの部屋はロープが張ってあるので、現在使われていないものと思いますが、
       真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
       この部屋に僧侶たちが集まり、会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。
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       廊下にあった16世紀の手洗いの泉、大変美しい大理石の嵌め込み柄。
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       細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、直訳すると食堂なのですが、
       この素晴らしい作りと飾り付けから見て、会議室でもあったでしょうか。
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       廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
       奥は葡萄畑のようですが、手前は現在の薬草畑と?
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       そして、手前の植え込み部分
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       回廊の見学を終え、廊下を行く、左がガイドをして下さった僧侶。
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       廊下の上から見下ろす、修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。
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       傍らに、ちょうど花を開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
       ちょっと蕾の形がちがうような気もするなぁ・・。
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       この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

       こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館
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       そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。




       有名な古書の修復ですが、
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       1951年の秋から始められていて、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、版画、写本、
       手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の手紙類、と全てに及び、
       正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数であろうと。

       1966年のフィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
       すべてでは約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

       インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの被害などから
       価値ある古書を救い、できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

       Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
       E mail: restauro.libro@praglia.it
       と連絡先も。




       葡萄畑での収穫の写真
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       さて、最後の見学は聖堂内を。
       我々は横の入口から入ったのですが、まずは正面入口側からの様子を。
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       祭壇前の大理石の床模様羅針盤ですね。
        済みません、うっかり羅針盤と書きましたが、
        これは「風の薔薇」と呼ばれる風見、風の方向を示す柄と思います。
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       外に出て聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。
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       聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭の
       塀の中と、咲き乱れる薔薇の花
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       近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、それでも千年近い歴史を生き抜き
       この長閑で温暖な地で営々と農業を営み続け、今に至る修道院

       元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院などは、
       ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
       この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
       僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし過ごして来たのでしょう。

       ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

       修道院のサイトの、このページの下にヴィデオが2つあり、
       上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     



     *****

       ヴェローナのサンタナスターシャ教会でご案内したピサネッロのフレスコ画、
       「サン・ジョルジョと姫」に見える騎士2人、姫の左と右のどちらがサン・ジョルジョか?

       コメントで疑問を頂き、再度調べてみた様子を「再追記」しました。


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、丘の上 途中経過と、 ピサネッロの素晴らしいデッサン を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2017-01-25 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 01月 05日

・・・ サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ ・再追記・・・ (旅行・お出かけ)

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       今回のご案内は、以前訪問したまま纏めておらず、
       時に思い出して気にかかっていたヴェローナの
       サンタナスターシャ教会・Sant'Anastasiaを。

       ここには皆さんも良くご存知の、ピサネッロの傑作「サン・ジョルジョと姫」
       のフレスコ画があり、30年程も前の訪問時に見ているのですが、はい、
       その後こちらに来て後何度かヴェローナに行った時は教会自体が修復中。

       焦がれていたピサネッロのフレスコ画に再会できたのは4年前の夏。
       暫く以前から美しくすっきりとなった教会正面を見てウズウズしていたのでした。

       という様子で、写真も整理し直しましたのでご覧くださいね。

       上は、中心のエルバ広場からまっすぐ教会に向かい、正面に見えてくる時
       この遠い位置からだと左奥の鐘楼が見えるのですが、
       教会正面からは見えませんので、最後にご覧頂く事に。




       サンタナスターシャ教会はどこにあるか、地図をどうぞ
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       ヴェローナの旧市街、ローマ期からの町があった突出部、
       アディジェ河・Adigeが大きく湾曲する、地図番号10の位置に。

       ちなみに11がドゥオーモで、2,14辺りがエルベ広場、
       下に見えるが野外劇場・アレーナ。
       一番左の川岸に見えるがカステルヴェッキオ、次回にご案内を。




       さて、こちらが正面
       12世紀末の建設で、正面扉の周囲は大理石で整備されているのですが、
       それ以外は建設時のままの煉瓦の見える姿、いわば未完のまま。
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       教会前広場の左手にも一つ教会らしきものも見えますが、
       サンタナスターシャ教会との接続部に見える棺についても最後に。

       右手はヴェローナの有名ホテル、ドゥエ・トッリ・Due Torriで、
       13世紀からの由緒ある館だそうで、一度泊まったことがありますが、
       貧乏shinkaiにはまれな経験で、ははは、
       ロビーなどはやはり素晴らしいものでしたぁ!




       正面扉周辺の5連の大理石アーチは、白とヴェローナの赤い大理石、
       と、黒と説明されていますが、実際は青いグレーに見える石を使っていて、
       如何にもサンタナスターシャ(聖女アナスターシャ)という教会名に相応しい感じ。
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       ですが、このサンタナスターシャという名は現在の教会の建設以前にあった教会名で、
       13世紀に建設されたのは、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる、
       ヴェローナの守護聖人でもあるドメニコ会派の僧に捧げられたもの。
       が、街の人々はずっとサンタナスターシャ教会と呼び習わしているのだそう。

       扉上部の横枠の真ん中、円柱の上に聖母子像、右に輪のサンタ・カテリーナ像、
       そして左に見えるのがサンタナスターシャと。




       夏の強い日差しの下の写真で、扉脇の聖人像も霞んで見えますが、
       扉は15世紀のものと。
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       扉右脇にある碑は、この教会が捧げられた殉教者サン・ピエトロの生涯を描き、
       上に13世紀半ばの殉教時の姿がありますが、
       その左下、頭に大きな斧みたいなのを受けた姿が分かりますか?
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       ドメニコ会派の白と黒の僧服を身につけ、頭の真ん中に大きな包丁、という
       殉教者サン・ピエトロの姿は絵画の中、また像でも時々見かけ、最初は驚き!でしたが、
       名前を知ってからは、あ、ここにも居られる、と・・。 はは。
       ローマ・ヴァティカンのサン・ピエトロとは別人、殉教者サン・ピエトロです。
       



       さて、中に入ります。
       ご覧の通り、大変きらびやかで、長い世紀のうちに何度か改修されたそうで、
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       天井はこんな様子
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       主祭壇の内陣と後陣
       木製彩色の十字架のキリスト像があり、その背後にステンドグラスの
       長い窓が見えますが、このステンドグラスは20世紀になってからの物と。
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       で、両脇の壁には、




       右手にはフレスコ画が見られ、これは「最後の審判」のテーマと。
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       左手には、この教会の特色の中でも抜きん出た
       コルテジーア・セレーゴ・Cortesia Serego(1335頃-1386)の記念墓碑
       15世紀初頭があり、上の写真でお分かりのように、壁面いっぱいの大きなもの。
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       棺の上に騎馬像が見えますが、棺の中には何もない記念墓碑で、
       棺部分には正面に5つと、両脇に1つずつの壁龕が見えますが、
       ここにはセレーゴ家の業績を示す青銅像が納まる筈であったそう。


       セレーゴ家というのは、ヴィチェンツァ出身の傭兵隊長で、
       コルテジ―アの時代にヴェローナに出て、スカラ家の軍指揮官として
       活躍した人物の様子。

       この記念墓碑を作ったのは彼の息子のコルテジ―ア2世で、
       騎馬像に跨るコルテジ―アが手にしているのは、指揮を取る棒。

       棺の両脇に立った兵士が重たい緞帳を掲げ、右側の兵は帽子を取って
       敬意を示し、緞帳の一番上にも抜き身の剣を持った持った兵士。

       写真では少し見え難いのですが、緞帳の締め具の一番下の部分、
       赤い部分には剣が3本描かれ、これがセレーゴ家の紋章なんだそうで、
       一番上の兵士の剣も納得です。

       周囲を取り巻くのは金色の枝とアカンサスの葉、そして肉厚の大きな白い花。
       どうやらこれらは当初は彩色されていた様子で、ご想像下さい、
       背景のブルーの中でひときわ鮮やかであったろうと。




       上部は両脇に建物が見られ、空に浮かぶのは「天国」だそうで、
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       下の方に天使がいるのは判断できますが、なにせ見た時はそこまで
       意識して見ていませんで・・。





       主祭壇の右にあるのが「巡礼の礼拝堂・Capella Pellegrini」ですが、
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       主祭壇のアーチの上、左右に見える梯子の紋章は、
       ヴェローナの繁栄の領主、スカラ家の紋章。

     ◆ 追記を。
       「巡礼の礼拝堂」と訳を付けたので「小父さん」から疑問を頂きましたが、
       巡礼のための礼拝堂ではなく、ペッレグリーニ・巡礼という性を持つアントニオという人が、
       1492年に遺言で礼拝堂をつくる依頼とお金を残し、造られたという謂れです。
       



       ここにお目当ての、ピサネッロ(1390頃-1455)の傑作
       「サン・ジョルジョと姫 」のフレスコ画が!
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       30年ほど前にやはりこの絵を目当てにやって来て、
       が、絵を見たのはこの場所ではありませんでした。

       今の聖具室だったか、普通の部屋の天井の高さで、その下にあり、
       暗い部屋の中で見つめていると、たまたま入ってきた教会関係者と思われる
       シニョーラが電灯のスイッチを入れてくれ・・、という思い出があり、

       その記憶が余りにも強く残っていたもので、今回
       この高い位置にあるのに気が付くのに、かなり時間がかかりました!

       そうなんですね、ちょうど絵の中心が山形にくびれており
       考えてみれば、まさにこの礼拝堂入り口のアーチにぴったりで、
       この場所に納まる事を条件に描かれたのだと、納得した事でした。




       右側の「サン・ジョルジョと姫 1436-1438」の部分
       2人の間に白い馬の大きなお尻があり、背景の煌びやかな町の建物、
       そして左に見える2人の吊るされた男、と、どこか謎めいた構成。
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       姫の横顔は、如何にもピサネッロの描く女性の横顔で、
       額が素晴らしく出た白く繊細な細面、大きな装飾の被り物と美しく、

       良く見る構図、龍退治のサン・ジョルジョの横に添えものの姫、とは
       一線を画した構成。
       それに引き換え、サン・ジョルジョが余り男前でないのを
       いつも疑問に思うのですが・・、ははは。

     ◆ 追記です
       shinkaiはずっと、サン・ジョルジョは姫とは馬を挟んだ左側の、
       金髪の男と思っておりましたが、
       そうではなく、姫の右側、綺羅びやかな馬具を付けている白馬の上に見える顔
       兜をつけ、馬に跨る姿がサン・ジョルジョなのだと知りました!!
       あれま、こんな所に誰かがいるとは気が付いたこともありませんで、
       そう知って見ると、確かに凛々しい顔の男性です!
       それに、右手に長い槍と思われる武器も持っています。

       大変、失礼をば!
       が、そうすると、姫とは反対の方を見つめている事になり、
       誰もが視線を合わせない事にもなり、尚更不思議な構図だとも思います・・。

       写真、追加。  この方がサン・ジョルジョです
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     ◆ 再追記を ◆

       サン・ジョルジョが姫の左側にいる男性か、それとも姫の右側の馬上の男性か?

       改めてmitsuさんから質問を頂きましたので、もう一度あれこれサイトから
       関連した記事を引き、読んでみました。

       サン・ジョルジョとして出てくる男性の顔は、上に載せた兜をかぶった騎乗の顔が
       いくつかあるのですが、
       このフレスコ画描写にうんちくを傾けている記事に、こんな説明を2つほど見つけました。

       まず姫と馬のお尻を挟んでいる左側の男性の写真をどうぞ。
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       つまり左の男性は、左手を馬の鞍に掛け、左足を馬の鐙に置いていて、
       姫に別れを告げ、龍との戦いに出かけるため、
       今まさに騎乗の人となろうとしている所、と。
       少し呆然としているかにも見え、ほんの少し口を開け歯もみえる、
       光輪にも似た金髪の髪と。
       
       確かにそう指摘されて見ると、左手と左足の位置は、まさに馬に乗る前の姿で、
       やはりこの左の男性がサン・ジョルジョとして、ピサネッロは描いているのですね。
       そして姫は彼を見送っている姿。
       で、右の騎乗の男性は、サン・ジョルジョの侍者が槍を持っている姿と。

       そうですね、イタリア版のウィキには右側の騎乗の男性とありましたが、
       左の男性がサン・ジョルジョと考えたほうが、姫とも向き合う形になり、
       主題がはっきりしてきますね。

       mitsuさん、コメントに疑問を書いて頂き、有難うございました!!
       お陰様で自分が納得の行く答えを得られ、とても嬉しいです。

       
       所であれこれの記事を読んでいて、改めて知った事を幾つか

       絵画の歴史において、ピサネッロが初めてこのフレスコ画の中において、
       馬を正面からとお尻から描いたのだそうで、これによって絵の奥行きが得られている。
       それまでは常に横側からの姿、この方が描きやすくもあり、だったのだそう。

       そして、右側の馬の顔を見た時、ちょっと鼻がおかしいな、とは思ったのですが、
       これは中東に於いて、馬が走った時に空気が吸い込みやすいようにと、
       かっては馬の鼻孔を切り取っていた!のだそうで、
       ピサネッロはどこかの宮廷において見かけた馬をデッサンしていたのだと。

       今回あれこれ写真を探している時に、ピサネッロの様々なデッサン
       また纏めてご覧頂きますね。


     ***




       真ん中に美しい空色の海が広がり、帆船の姿も見え
       この色で全体が残っていたら、さぞや素晴らしく煌びやかであったろうと!


       左側は、龍退治、または既に退治された龍であろうと思うのですが、
       残念ながら森の動物たちの姿と、左下に頭蓋骨が認められる位・・。
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       左側の絵の損失は、壁からの雨水の染み込みのため、というのも改めて知りました。
       周囲の縁飾りの部分などにも金色が使われていたらしいのですが、
       それらも損失した、という事です。

       壁画全部を剥がし、それで聖具室の方に長らく、教会自体の修復が済むまで、
       置かれていたと云う様子です。
       

       それにしてもこれだけの素晴らしい絵が、こんな高い場所に!
       少し高すぎる、のが残念ですね。

     


       こちらはその右隣にあるロザーリオの礼拝堂、なのかどうか、少し不明です。
       というのも今回この絵が3段の絵画の真ん中に収まリ、立派な礼拝堂に安置された
       写真が見つかったのですが、この背後に見られるのとは違いまして・・。
       仮の姿で、ここに安置されていたのかも。
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       礼拝堂は祭壇脇に2つずつ、そして脇壁に添って別の祭壇もあるのですが、       
       ピサネッロを見ただけで十分に満足してしまい・・!




       主祭壇の前、左側の壁のフレスコ画
       開いている扉は、聖具室への扉だったと。
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       祭壇に向かって左側の壁中程にあったオルガンの周囲
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       オルガンを挟む形で前にある2本の円柱の右、写真の中で一番右の円柱に
       見える立ちあがったライオンの紋章、これにご留意を。




       床の大理石模様。 床は建設当時15世紀中程のままだそう。
       白と黒はドメニコ会派の僧服の色であり、赤はこの教会が捧げられた
       殉教者サン・ピエトロの血の色を現わすと。
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       こちらは右の壁にあったと記憶する祭壇と祭壇画
       全体に大変装飾の素晴らしい祭壇で、絵も美しいでしょう?!
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       脇にあった小礼拝堂の形を取るもので、
       絵もはげ落ちさだかではありませんが、上部の飾りが素晴らしく、
       下部の大理石は、ひょっとして古い石棺のリサイクル・・?
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       これは教会入り口近くにあった聖水入れと、それを支える男の像
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       左右にあり、こちらは手を膝に置いていますが、
       もう一方のは、片手を頭に置いていると。  見ていませんで・・。




       訪問したのが夏の盛りとあって、入り口付近は大変明るかったのですが、
       照り返しの陽の中で、大変に清楚な美しさだった左側の壁の
       フレスコ画装飾の礼拝堂の上と下
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       そして、全体の姿をサイトから拝借し、ボルディエーリ・Bordieriの祭壇と。
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       他にもたくさんの祭壇、そして祭壇画、彫像などもあったのですが、
       自分の好きなものを主に選びまして、これで失礼を。


       参拝者たちの捧げる蝋燭の明かり
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       15世紀からの古い木製の扉を通り、外に出ます。
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       最初の写真左側に見えた、教会前広場の様子で、
       右側に教会からの接続部に見える門扉と、その上の柩
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       門扉の奥の中庭は、現在音楽学校なんだそうですが、
       石棺と上の屋根はこんな形で、
       この中の主はグリエルモ・ダ・カステルバルコ・Guglielmo da Castelbarco,
       (生年不明-1320)
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       そう、カステル・アーヴィオ・Castel Avioのご紹介の時に出た  
       カステルバルコ家の一番の繁栄時の領主ですが、
       当時の習わしとし、権力と財産を持つ人物のみができた教会建設の援助、
       このサンタナスターシャ教会の建設に大きな援助をし、
       主祭壇近く、またオルガンの前の、立ち上がる獅子の紋章はカステルバルコ家の物で、
       後には同じヴェローナのサン・フェルモ教会・San Fermoの建設にも関わったと。

       彼はここに葬られる事を願い、この形で埋葬されていますが、
       これが後にヴェローナの領主として君臨したスカラ家の墓所
       「アルケ・スカリージェレ・Arche Scaligere」の姿となったと。
     

       アルケ・スカリージェレの写真はこちらに
  
       ヴェローナの街の中心ちょっぴり

       ヴェローナ全体のご案内は、こちらから



       最後はエルベ広場のランベルトの塔の上から見た
       サンタナスターシャ教会の姿を。
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       これだと左奥の鐘楼も良く見えるでしょう?
       高さ72m、鐘楼の鐘は15世紀に5つだったのが、19世紀になり
       ヴェローナの名家からの寄贈で現在9あるそう。

       一番大きなのは1787Kg 直径が145cmもあるそうで、
       これだけの数の鐘が揃うと、かなりのメロディーを奏でる事が出来るんですと!

       

       ヴェローナのエルバ広場で日本人観光客の評判を聞いたことがありますが、
       ミラノからヴェネツィアに行く途中に、15分間だけね!って。 ははは。
       
       いやぁ、なんのなんの、見所がいっぱいの街で、しかも都会、お洒落です。
       訪問のチャンスが有りましたら、ごゆっくりどうぞ!!

       私はカステル・ヴェッキオのご案内を纏めないと・・!
       



     *****

       皆さま、いつもブログご訪問有難うございます!

       実は3日の朝から我がPCのインターネット接続が出来ませんで・・!
       モデムも正常、接続も出来ていると出るのですが、
       いざクリックすると「このサイトには届きません」と画面に。

       店は3日は休日と言うので、一日必死に絵を描いて我慢をし、
       そうなんです、お絵描きをすると無私の心境になれるので! ははは、

       昨日朝一番に店に持ち込みましたが、なぜならテクニコに来て貰うには
       数日かかるのはもう既に十分承知の助で、いつもPC本体を持ちこみますが、
       悪い予感通り昨日一日で戻らず、何がどうなっているのか電話をしても、
       その後の連絡がなし・・!!

       ブログの記事の方は4日朝の内に書きかけていたのですが、
       夕方になり、これは最低明日5日のお昼までかかりそう、と
       見極めざるを得ず、さてどうするか?!


       私はPCはいつどんな故障が起こるとも知れず、故障が起きて後では
       どのファイルも引き出せない、と考えているので、
       作業はPC本体を使っても、ファイルや写真はすべて外付けメモリーに
       保存していて、手元にあります。
       それで、何年も使っていなかった、まだ捨てていなかったノート・パソコンを
       引っ張り出し、ウィンドウズ・ヴィスタの一度雷にやられた奴で、

       改めて電源を入れ、NECの日本語でも何が何やら分からない設定をいれ、はは、
       かなりの騒音がするのも我慢し待つ事久し、なんとか復帰できました!

       有難い事!! やれやれ。   
       これからはちょいちょいスイッチを入れ、予備に据えて置かないと!


       それで外付けメモリーのファイルも読め、記事も続けられ、
       インターネットは使えないのでスマート・フォンで検索をかけ、
       古いPCにも入れていた写真ソフトも使え・・、

       夕方、状況は如何にと電話して来た友人相手にさんざ店の悪口を言い
       発散し、ははは。

       なんとか今夕のブログ更新に間に合うと思うのですがぁぁ、
       さて、どうなりますか!
       これを書いているのは朝9時前で、もうじき店が開きます。


       ・・という事で、皆さんにこれを読んで頂けている通り、
       午前中に無事我がPCが戻ってまいりました!

       ですが、テクニコの所では何にも問題なく、インターネットに接続できたそうで・・!!
       電気屋に修理に持っていくと、何も故障がないというのと同じでして・・、クソメ!
       
       ジュリアーナにメッセージを送りましたら、ベファーナの魔術だ!
       でも、今夜のヴィン・エ・パン(日本のトンドと同じ)で燃やすから心配するなと。
       はぁ、新しいPCなのに、早々に悪さを覚えないように願いますです。
       
       

     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-01-05 23:38 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(18)
2016年 09月 16日

   ・・・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門 ・・・

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       2年前のちょうど9月に出かけましたヴォルテッラの町。
       今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から
       少し南に下った所にあるエトルスク門を。

       町の入り口にある展望台から見た、
       真ん中のとんがり屋根の8角形の建物が洗礼堂で、
       その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れてちょこっと
       見えるのがドゥオーモの正面




       先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を
       シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、
       ヴォルテッラの町はちょうどほぼ中間の位置に。
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       この位置だと、さぞやかっては両方の町からの領有争いが激しかったろう、
       と想像でき、確かにそうだった様子ですが、
       現在ヴォルテッラの町は、トスカーナ州ピサ県に含まれます。




       まず洗礼堂・Battistero.
       正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
       右手前に角が見えるのがドゥオーモ。
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       以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、
       今回は大丈夫。



       中央にあるのが洗礼盤、18世紀の物で、上に見える像が
       この洗礼堂に名を冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像
d0097427_04044295.jpg
d0097427_07561676.jpg
 

       が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)
       への献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
       その為1階部分の奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、
       天上部などが塞がれており、

       素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気からほど遠く、
       おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiはがっかり!




       所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、
       ロッソ・フィオレンティーノのこの「十字架降下」がヴォルテッラの町の
       市の絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第だったか、と。
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       人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、
       ダ・ヴィンチやラファエッロなどが古典的美を完成させたと
       見られた位置から、もひとつ発展したルネッサンス期の美術ですが、

       この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、
       ダ・ヴィンチの最後を看取ったとされるフランス王フランソワ1世
       招かれフランスに赴き、王の年代記のフレスコ画を城に描いたり、
       イタリア美術をフランスに伝えたとされる画家で、
       フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。




       彼はフィレンツェ生まれ、本名はジョヴァンニ・バティスタ・ディ・ヤコポ
       Giovanni Battista di Jacopo.
       なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたのかと
       ふっと疑問がわいたのでしたが、

       アレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を
       記したヴァザーリの家にあるという、このロッソの肖像を見つけ、
       ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。
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       さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ
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       ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、
       正面部分はこのように白と濃い緑の大理石で装飾されており、
       ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano(1215/20-1278/84)の作と。
       
       ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、
       あの素晴らしいピサの洗礼堂や、
       息子のジョヴァンニと共に、各地に作品が残ります。
       

       ずっと昔になりますが、初めてこの洗礼堂を見た時
       素朴で強い白黒の縞模様に魅せられ、当時は濃い緑色とは思いもせず、
       周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂をスケッチした物でした。

       最初に見て頂いた朝日の写真を撮った位置辺りの、
       建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
       出てこられたシニョーレがスケッチを見て、
       抽象的に描いていないのが素晴らしい、と言って下さったのを覚えていますが、
       今考えると、他に褒めようがなかったのかもと、ははは。




       正面の扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、
d0097427_07350763.jpg



       扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ
       ロマネスクからゴッシクへの過渡期の趣を感じます。
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       正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、
       上部に色石を使った装飾模様。
d0097427_07354840.jpg


      
       サイトで見つけた写真で、
       洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼。
       以前の古い鐘楼に取り替わり1493年に高くされたものと。
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       さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面。
       以前在ったサンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、
       多分1117年の酷い地震によって崩壊、それ以降に再建された物で、
       正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・Cattedrale di Santa Maria Assunnta.
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       正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、
       使われている円柱などは、先回ご案内したテアトロ・ロマーノから
       持って来ているのですと!
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       聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。
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       外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな様子。
       12世紀の建設以来13世紀に拡張され、
       翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に改修され、
       19世紀にも大きな装飾などの改修があったそうで、
       正面壁同様のロマネスク様式はまるで残っておりません
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       内部平面図をどうぞ
       1.キエリーチ・Chiericiの聖母
       2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
       3.13世紀初めの木製の十字架降下像
       4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置
       5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
           Cappella dell'Addolorataがあり、
           デッラ・ロッビア工房、ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
       7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画
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       説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像、
       15世紀のフランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの
       作といわれるもので、木製彩色の美しいもの!
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       あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!




       内部でまず目を引いたのがこの格子天井。
       16世紀の改修で設置されたもので、
       模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!
d0097427_07415839.jpg
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       内部は3廊式、22本の円柱で仕切られ、
       壁に見える白とグレイの縞模様は塗り分けられたもので、
       円柱の薔薇色も漆喰で大理石の柄に見せかけたもの、だそう。
       いずれも19世紀の改修によるもの。
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       7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
         の「受胎告知
       面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ
       飾りつけで、多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。
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       4の説教壇、正面から。 一番上に金(塗り)の鷲像があり、
       余りにも強い照明で色が飛んでいますが、
       その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
       新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!
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       内陣、後陣部分。 階段の在る古い形式ではありますが、
       後陣のフレスコ画も何もなく、背後に見える山型はパイプ・オルガン。
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       入り口扉上にある薔薇窓。 
       「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
       これも最初はロマネスクの大理石の紋様があった事でしょう。
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       床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いの石ですね。
       手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?
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       なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
       正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
       まぁ、バロックの白と金色、にならなくて良かった、ははは。




       説明5,6の、聖堂横の礼拝堂部分の外の壁
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       聖堂横角、庇の部分にも細かい柄
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       さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
       
       角を曲がって見る、建物の壁の趣
       色も良く、古び加減も素敵でしょう?
       店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!
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       だらだらと下っていくと、このエトルスク門
       またはポルタ・ディ・アルコ・Porta di Arcoとも言われる、
       紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
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       残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
       家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!




       素晴らしく大きな石が使われているでしょう?
       後にローマ人がエトルリアに取って代わっての修復もあるだろうと。
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       門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
       それに取り込まれた形になります。
d0097427_07492520.jpg
       門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、
       要は町の守護を司るものという事のようで、
       現在は表情も何も分かりません。


       右の城壁に見える碑ですが、
       ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、とのみあり、
       具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、




       門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに
       展示してあった古い写真を見つけました。
       右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって補修したのかな、
       などと思ったのでしたが、
d0097427_07494482.jpg
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       2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。
       そして、皆がせっせと手渡しで石を運んでいる写真、
       それに足元が地道になっていますよね、
       そんな事から、爆撃ではないと思ったのでしたが、
       イタリア版ウィキに答えを見つけました。

       つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、
       1944年6月30日、町に駐留していたドイツ軍指令部が、
       連合軍が町を通るのを妨げる為に、この門を爆破する事を決めたのだそう。
       ですが、24時間以内に、町の人々が門を通れなくするのであれば、
       爆破しない事に同意。  町の世話役が頑張ったのですねぇ!
       それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし
       せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。

       カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、
       道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
       案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、
       shinkaiにも楽しい発見でした。
       



       上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、
       この敷石が、あの20世紀前の古い門を援ける為に役立ったのですね!
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       奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、
       あそこにも上がりましたので、はは、高上がり大好き!  
       素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。




     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-16 08:09 | ・トスカーナ Toscana | Comments(3)
2016年 07月 24日

   ・・・ 修道院、地下教会、異端審問所、輪の競走 ・ ナルニ ・・・

d0097427_00141148.jpg
       先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
       今回はちょっと特殊異質な場所へお連れ致しますね。
       
       上の写真は地下教会のものですが、
       この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループで、
       現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
       地下室の新しい発掘にも働いておられる「UTEC」から送って頂いたもの。

       サイトは http://www.narnisotterranea.it/

       内部写真は禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら
       送ります、というので大いに期待してお願いしましたら、
       上の写真を含めたったの3枚!が届き、
       それも雰囲気を盛り上げたキャバクラかと思うような照明のもの!!
       
       がっかりで、ここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しましたが、
       お陰で結構見つけ、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものを
       ここで使わせて頂き、
       サイト名の入っていないのが、拝借した写真です。
       



       先回ご案内した元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場などに
       用いられている、その地下に
       12世紀の地下教会と異端審問所があったのですが、

       現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、
       町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
       こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのに曲がります。
d0097427_00145822.jpg
       一番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、




       広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
       そこで以前の訪問でも見た覚えの、この塔を撮っていましたら
d0097427_00152564.jpg



       一人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せましたら、
       すぐ仲間を連れて戻って来て、ははは、全員でポーズ!
       こうして見ても、性格や将来の顔立ちも分かるようで面白いでしょう?!
d0097427_00154838.jpg
       
       右上角で笑ってみているのはアンジェラで、
       以前ちょっと書きました、50年前日本からの養蚕指導に訪れた
       松本からの日本人達と、暫く働いたという彼女です。




       広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が
       事務所、切符売り場。
       上の広場からはかなりの高低差
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       事務所から外に出れるようになっていて、その庭からの眺めがこれ
       つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、
       奥の山腹に見えるのは、サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano
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       アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、
       ナルニに向って谷底の道を来る途中で見上げる高さに見えましたが、
       10世紀に建設されたベネデッティーノ派の修道院
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       サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真
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       14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、
       16世紀頃から僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、
       建物の衰退も著しく進み、1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
       
       内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、
       時代が混乱するような部分もあり、
       さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか・・。




       遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、
       修道院の領地だったという事ですが、

       こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて
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       私はこの花びらの形が柱頭の飾りの形になったと思っていたのですが、



       この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が
       装飾文様に使われたのだそうで、
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       コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り
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       いやぁ、やはり花びらの形も装飾文様になっていたと・・。




       さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
       入り口の様子を一連でご覧頂きますと
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       最後の写真の軒下に見える左側の鉄柵の付いた扉口
       これが発見された地下教会の入り口で、
       上のさし掛け屋根はかって発見された時はなく、
       手前の前庭、この一帯は当時住み着いていた老人の
       家庭菜園だったのだそう。



       つまりです、1979年の5月、青年ともいえない少年の年頃の
       6人が洞窟探検と称し、新しく手に入れたロープの装備を使い、
       左側の高い壁を伝って、この庭に下りたのだそう。
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       第二次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
       きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。

       所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていた
       エルナーニ・Ernani の上に舞い下り、畑を荒らした少年達に
       老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
       エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っている!と。

       上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、
       今でこそ張り出しの屋根も付き、鉄柵も装備されておりますが、
       当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し開いていたのだそうで、
       エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、自分は潜りこむ気もなく、
       少年達に教えたわけですね。




       これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループ
       UTECの創立者でもある、ロベルト・ニーニ・Roberto Nini
       が一番の年長で20歳だったそう。
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       このロベルト・ニーニは、リンクしますあれこれの
       Youtubeに登場して、地下教会や異端審問所に付いての
       説明をしておられる方で、
       彼はこの後大学に進み、考古学を修められたのだそう。
       ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする
       歴史の謎が、彼の一生を決めたという事ですね。




       潜り込んだ少年達が見つけたのはこの地下教会!
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       たっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が上から浸み込み、滴り、
       発見された当時は、上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、
       それでもフレスコ画に描かれた左右の天使の目が射る様に見えたと。

       左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、
       発見されて後12世紀建設のこの教会は改めて聖別を受け、
       サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと呼ばれますが、
       元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
       分かったのだそう。




       少年たちは周囲の壁を叩き音響の変化を探り、
       ある部分の壁の奥が空白であるのを知り、崩したく焦りますが、
       隣に住んでいる住人のシニョーラが、自分の家にも被害が
       及ぶのを恐れ許しません。

       で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行。
       するとその奥に、長い細い通路が口を開け!!
       

       その通路の先には広い地下室があり、
       それがかっての異端審問所であった事が分かったのですね。
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       異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを
       審問する所、その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
       恐ろしい事は、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も
       拷問を受けたこと!

       ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった
       地図で分かったと言いますが、

       ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
       右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、は、
       ここに残っていたものではない、という事でしたが・・。

       に、拷問の図も出てきます。
       



       そして審問兼拷問所の横にある、そう広くも無い独房がこれ
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       壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
       
       これの殆どを掘り込んだ人物は、
       Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・アンドレーア・ロンバルディーニ、   
       と彼自身が刻んでおり、
       彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
       意訳して、カトリック教会での最高権威を持つ(事務所)とでも?
       に勤める伍長で、
       逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
       



       一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
       その左右に IL PARA   TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
       にも見えるように、わざと D の字が省かれ、T で置き換えられています。
 
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       これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
       自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
       D を意識し、憎み、省いたものだろうと。

       R が我々には V かとも見えますが・・。
       引っかき削り込んでいて、赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。

       中には、シンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた
       観光客の一人が、あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたり、
       とにかく全部の壁一面に広がっておりますが、未だに書かれた意味が
       判読できないものもあるそう。

       4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、
       彼がこの独房で過ごし、取調べを受けたのは
       約3ヶ月間だったろうといい、その後特赦を願い3年後に許しが出て、
       その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。

       彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが、
       10年ほど前に分かったそうで、
       独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、
       の名前が見えるそう。

       
       そして彼の他にも一人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・
       Domenico Ciabocchiで、1726年の4月重婚罪で逮捕され、
       この独房に入れられたのが、看守を絞殺して逃げます。

       逃げた後どうなったかを、ガイドさんが話してくれましたが、
       逃げたものの2人目の妻が恋しく便りを出し、ははは、
       勿論ちゃんと見張りがついていて、会う約束を教皇領との境の町にして
       返事を出し、やって来たのを再逮捕した、という事。

      
       この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり
       1860年にイタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し
       修道院を略奪したので、ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡
       老人達の言い伝えで、町に地下があると言われていたものの、
       誰も見た事がなかったのを6人の少年達が見つけ出した訳です。

       つまり新しいイタリア国が出来る直前まで、19世紀まで!
       我らが中世の歴史の1つと思い込んでいた
       あのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!

       という事は、
       きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
       ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。

       
       そして重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが
       見つかったのだそうですが、
       全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
       トリニティー・カレッジの図書館から!

       これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては
       ちょっとした鳥肌物の因縁話の様にも感じられたろうと思うほど
       興味深い話なので、ここにご披露しますね。

       つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、
       しっかりパリに持って帰っていたのを、
       ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
       大したものではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
       一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
       
       それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていた、というのも、
       一学生がここの見学に来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると

       ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか
       稼いでは保存費用、新しい発掘に使っているのだそうで、
       到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
       ヴァティカン古文書館でコピーを頼むと、1枚80エウロなんだそうで!
       半ば諦めていたのが、
       ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!
       それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、

       漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に
       地下の異端審問所の働きが明らかにされた事になります。

       Youtubeはイタリア語のみで、説明も重複しますが、
       2つ目のには、町のご案内もありで、

       町のみのご案内は




       長々とお話しましたが、
       他の地下室を利用しての展示もされており、
       その中のひとつ、
       ちょっとこれは見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を
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       真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、     
       その建設などに使ったものがこれ。
       上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり
       これを支柱の後ろから眺め、真っ直ぐの位置を決め、
       先行する杭打ちに指示したというもの。

       そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな
       美しい道が出来たのですね。




       こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、
       中央にしゃがんでおられるのが、ロベルト・ニーニ氏
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       地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間
        6月15日から9月15日まで
         月曜~金曜12時と16時  土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
       
        4月1日から6月14日  9月16日から10月312日
         土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半

        11月1日から3月31日
         土曜 15時
         日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分

         クリスマスは休館

        ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイドですが、

        日本語は・・?


        予約は 333.1041645 または 0744-722292

        info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事





       地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見
       写真なし、うろつきなしで、こういう柱の壁画などは見られず・・。
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       今回は少し重いお話が続きましたので、
       最後は、毎年5月に行われるナルニの町を挙げてのお祭り
       「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧頂きますね。

       これは中心通りで繰り広げられる「中世の市」
       様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?
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       「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、
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       これは2015年のものですが、余り手振れが無いので、




       美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。
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       競技の模様を2枚
       吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、
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       競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
       競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。
       済みません、詳しく読む余裕がなく・・。




       勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、
       ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!
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       最後は落穂ひろいを、ははは。
       先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
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       1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたのを見つけました。
       ルーヴルに収蔵されているようですが、

       なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
       私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。
       今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
       現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?

       それにしても遥かフランスから、ウンブリアの南のナルニまで、
       あの当時どの位かかって辿り着いたのでしょうか?!
       その画家魂に、敬意を表しますです。


       という、ナルニのご案内その2でした。
       お楽しみ頂けました様に!



     ◆ 嬉しいご案内を ◆

       皆さんは「ルネサンスのセレブたち」というブログをご存知でしょうか?

       ルネッサンスのみでなく、ローマ期の歴史も含め、様々な人物や
       絵画、歴史上の事柄に付いて詳細に書かれているブログで、
       書き手はCuccila・クッチョラ・子犬さんと仰います。
       この名はイタリア人のご主人が、小柄な奥さんに付けられたとか。

       ブログの最初からファンになったのですが、
       しっかりした文章、内容、そしてローマ大学に留学され
       勉強された事なども知るにつけ、
       いつか必ず何かを成し遂げられる方、と思い、
       遠くから、頑張って下さい!とエールを送って参りました。

       彼女とは未だお会いした事なく、メールで時々のやり取りなのですが、
       それでもお付き合いはもうかなり古く、
       暫くしてお生まれのお嬢ちゃんが、この秋から小学校に!
       というお付き合いです。

       その彼女がどうやらウェブ・マガジンの書き手となったらしい、
       というニュースを知り、メールをしましたら、
       暫く前にお返事を頂き、
       
       講談社の Courrier  クーリエ・ジャポン
       というウェブ・マガジンに記事が既に記事が2つ掲載された事、

       「薔薇の名前」のウンベルト・エーコの遺言に付いて
 
       イタリアの「観光できない楽園」をめぐって

       偽イタリア産食品に気をつけろ
       
       これ以外の新しい記事は、署名が出ないので探しようがなかったのですが、
       新しい記事も既に載っているのかもしれません。

     
       そして別のウェブ・マガジン CIRCUS には

       ダ・ヴィンチの食堂 第1回 天才達の食事情   
       雑誌は月刊のようで、アドレスで出なくとも、
       右のカテゴリ欄「最近の記事」から読めます。
       
       第2回 美食の国イタリアの給食あれこれ
       と載っているのを拝見できました。

       こちらは署名入りですし、「ダ・ヴィンチの食堂」で
       調べられますね。

       Cucciolaさんのファンの方、またそうで無い方も、
       どうぞ彼女のブログ以外の記事にも、ご訪問お願いいたします


       cucciolaさん、遂にご自分のされたかったお仕事を始められ、
       本当におめでとうございます!!

       現在されているお仕事、お家の事、そして子供さんの事、
       様々にお忙しい日常の中で、別に調べて書く仕事が増えるのは
       大変だろうと思いますが、
       幸いご主人が協力されて下さっていると知るのも、心強く、

       ご自分の念願に向って、次なる飛躍に向けて
       体調にお気をつけ、大いに頑張って下さい、と応援いたします!!

       フレー、フレー、クッチョラ!!
       


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、お終いと、描き始めと、 カルページカ村の日の出 を
       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2016-07-24 00:43 | ・ウンブリア Umbria | Comments(10)
2016年 05月 05日

   ・・・ ヴァルヴァゾーネ ・ イタリアで一番美しい村々 ・・・

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       5月に入り、そちら日本はゴールデン・ウィークも終盤ですね。
       良いお休みを過ごされましたでしょうか?

       こちらイタリアはお天気が一定せず、まだ朝夕は冷え冷え、
       北の山々には雪が見え、家の中はまだ暖房が切れず・・!
       5月に入ってもまだ暖房をつけているというのは、
       イタリア25年の居住で初めてかと・・!

       幸い今週後半はお天気が続く様子ですから、
       少し青葉若葉を愛でに、近くに出かけてこようと思っています。


       さて今回ご覧頂くのは、先週出かけてきたフリウーリの
       ヴァルヴァゾーネ・Valvasone
       「イタリアで一番美しい村々」に登録されている、
       中世の町並みがそのまま残っている小さな町です。
       
       上の写真は、町の入り口にある細長い広い広場から見える、
       町のドゥオーモ、サンティッシモ・コルポ・ディ・クリスト
       Duomo del SS.mo Corpo di Cristo.

       オリージネは15世紀のロマネスク様式だったと言うのですが、
       現在のは19世紀の末に大きく改修されたネオ・ゴシック様式。




       鐘楼は15世紀のロマネスク様式のままと。
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       この鐘は毎夕9時(夏は10時)に豊かな響きを届けるのだそうで、
       かってはすぐ近くを流れるタリアメント河を渡る旅人達、
       遅くなって渡る旅人達に方角を知らせる役目もあったといい、

       伝説では、領主の娘が近くの森で道に迷った時、父の公爵が
       鐘を打ち鳴らし続けるよう命じ、娘は無事に戻れたと言う話もあり、
       またナポレオンの侵攻時代、この河の戦いで亡くなった人々に
       祈りを捧げる為ともいい、
       この伝統の鐘は今も響き渡るのだそう。
       



       ヴァルヴァゾーネの町はどこにあるか、地図をどうぞ
       ポルデノーネ・Pordenoneから北西に、コドゥロイポ・Codroipo
       に近く、切れて見えるパッサリアーノ・Passarianoに
       馬蹄型をした大きな中庭を持つヴィッラ・マニンがあり、
       間に流れるのがタリアメント河・Tagliamento。
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       当日の午後訪問したサン・ヴィトー・アル・タリアメント
       San Vito al Tagliamento の町は、南に。
       



       町の地図をどうぞ
       ほぼ楕円形の真ん中に細長い広場があり、中心にドゥオーモと
       その横にインフォメーション、そして突き当たりにお城。
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       勿論現在の町はもっと周囲に広がってはいるのですが、
       これが中心部の姿で、




       上空からの姿がこれ。 真ん中にドゥオーモが見え、
       一番奥にお城で、町の大きさが分りますね。
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       そうそう、地図、写真ともに、北は左側です。

       フリウーリ全般のご案内はこちらに。
       http://italiashio.exblog.jp/i9/



       当日は終日雨の天気予報で皆心配したのでしたが、
       有難いことに曇り空、時にチラッと陽が射す、と言う様子。
       それでも写真を撮るには、青空が残念ながら・・!

       駐車場でバスを降りて後、ガイドさんとの約束に15分ほどある、
       と言うので、皆カフェに入ったのですが、
       shinkaiは広場から西側の様子を窺いに。
      
       こんな通りが続き、左中に見える教会は
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       こんな様子で、教会の名はサン・ピエトロ・エ・パオロ。
       中のフレスコ画が14~15世紀の物と言うので、
       教会設立はほんの少し前でしょうか。
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       すぐ隣接しているここに、かってオスピターレ・Ospitale
       タリアメント河を渡ってくる徒歩旅行者、病人の救済所が
       併設されていたのだそうで、こちらは1355年の記録があるそう。
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       上にも記述しましたタリアメントの渡河場所ですが、
       北からの徒歩旅行者、巡礼達にとって幾つか上流にもあったようですが、
       このヴァルヴァゾーネの東、グラーヴァ・Gravaの渡河地点が最後。
       ここから平野に入り、川幅が広く水量が多くなるので、
       ここで渡ったのだそう。

       この戦略上重要な場所で、渡河税を取る為にも、ははは、
       城の重要な存在価値があった様子。




       教会内部ではちょうどシンドネ・Sindone・キリストの亡骸を
       包んだと言う聖骸布の写真展示が行われており、
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       肝心の壁画はどれもパネルで半分しか見えなかったのですが、
       これは祭壇左側の物で、  教会内いずれの壁画も、
       すべて様々な病気から護る聖人達の姿が描かれており、
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       聖ビアージョ・喉の痛み、聖女ルチーア・眼病、
       聖女アッポローニア・歯痛、聖クリストーフォロ・渡河の守護聖人、
       聖ロッコ・ペスト などなどの諸聖人の姿でした。




       教会入り口上には小さなオルガン、16世紀末から~17世紀に
       かけての物と見なされるオルガンがあり、周囲は壁画で装飾。
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       所で、上に書きましたシンドネ・聖骸布ですが
       現在トリノの聖堂に安置されている聖遺物で、
       これが写真を撮って陰画に浮かび上がったと言う
       キリストの亡骸の姿。
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       細長い布で全身を覆っていたもので、幅1,1m 長さ4,36mの
       亜麻布で、
       人物像は肉眼では見えないのだそうですが、
       血痕の滲みなどが残っているのだそう。

       人物像の両脇に4つ見える謎のような形は、
       かってフランスの教会に保存されていた16世紀、火事に遭い、
       折られていた布の角が焼けて、こういう穴が開いたものと。

       このシンドネの真贋両説がある事も存じておりますが、
       shinkaiとしては、様々な研究者の説明をTVで見たこともあり、
       またキリスト教徒にとってのこのシンドネが持つ価値の重みも
       知っておりますので、こういうものです、と申し上げるのみに。
       



       この辺りを書いていた時に、パシャッと電源が落ち、
       PCも、時計も、洗濯機も皆停まりまして・・、ああ、なんでやねんなぁ、
       コンドミニオの倉庫の我が家の電源を入れなおし、気持ちを取り直し、
       情け容赦なく消えてしまった部分の書き直しを・・!
 
       
       道の向かい側もこんな風にポルティコになっていて
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       朝のこの時間は閉まっておりましたが、ここはワイン・バーですね。
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       そして隣の建物の2階の窓の間には、こんな壁画。
       ここも聖母子を囲み、左に聖セバスティアーノ、右に聖ロッコ。
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       そろそろ集合時間が近づき、ドゥオーモ前の広場に向うと、
       綺麗な猫ちゃんが、尻尾をくねくねと迎えてくれ
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       ドゥオーモ前の広場の右側は、楕円形に建物がつながり
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       こちらは一番右端の建物の2階の窓の様子で、
       かってはどこにどんな形の窓があったのか、良く分るでしょう?
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       続く建物群は、こんな風に如何にも中世風の間口が狭く、
       そして屋根の高さが皆それぞれで、リズムがあって面白いですよね?!
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       建物の前にあった、かってのアイス・クリーム売りの屋台、というか、
       自転車の前に冷蔵庫を積んで走っていたやつですね。
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       さてガイドさんが来られ、ドゥオーモの脇の道を奥のお城に
       国旗の見える所に、インフォメーションあり。 
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       これがヴァルヴァゾーネのお城、既に13世紀前半に記録のあるもの。
       ですが、長い世紀の変遷の間に何度も改修され、
       現在はかっての戦略上の要塞城とは違って、ルネッサンス風の
       居城となっており、近年の修復がまだ続いています。
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       我らは幾つかの修復済みの部屋や、小さな劇場なども見れましたが、
       ここはまた改めてご案内という事で、今回は正面のみを。




       お城から西に少し行った所にある水車。
       かってもこの場所にあったのを偲んででしょうね、
       今のこの水車自体は何年か前に備えられた物らしく、
       イルマ・Irmaという可愛い名の水車が回っておりました。
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       こちらは水車小屋の前面に残るかってのフレスコ画の名残。
       ガイドさんの手の見える上辺りに、聖母子像があったといい、
       そう言われて見ると上に玉座の跡が見えますが、
       1473年という年号はしっかり残っておりますね。
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       横に見える文字ですが、これはフリウーリ語だそうで、
       ガイドさんは聞くのは分るけど話せないと、
       グループ内の何人かのフリウーリ出身者に答えておりました。




       この水車小屋の横に見えた石塀の積み石の様子
       この積み方はフリウーリのこの一帯の方法なのか、
       ヴィッラ・マニンにもこれを見ます。
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       町の中を辿る道。 こちらはかなり広い道幅で、
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       こちらは狭い道。
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       いずれもきちんと整備されていて、いや、正直な所、
       されすぎの感さえ感じ、
       居住されているのも分る家並みではあるのですが、
       ちょっと人気が無さ過ぎる感じもしまして・・!




       こんな扉の飾りを見ると、ちょっとホッと・・。
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       水車の水路が町の南に流れてきた辺り、
       水辺に見えるのはかっての洗濯場で、
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       この近く藤が咲き誇り、一帯に甘い香りが漂い
       お家の前の小さな花壇にも、花が咲き乱れ、
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       このお家の窓辺の小さな鉢、そして花壇も可愛いでしょう?
       こんなのを見ると、古い町にも人気を感じホッとしますね。
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       葡萄棚が窓辺に設えられ、もうこんなに育っていて、
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       中心広場にあるお家の窓も素敵でしょう?!
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       そして最後にドゥオーモに戻り、中に入りまして
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       これは正面左の柱に見える、14世紀始めのビザンティンからの絵で、
       聖母が授乳している図ですが、お乳の位置が脇過ぎません?! はは。
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       貰ってきたパンフレットには、板に油彩とありましたが、
       明らかに、黄金背景の、板にテンペラ画の間違いと。




       これよりも凄いお宝がこのドゥオーモにあり、
       右の壁上にあるこのオルガン。イタリアに唯一残っている
       16世紀にヴェネツィアで作られたオルガンで、
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       1532年300ドゥカーティで、ヴィンチェンツォ・コロンボ・
       Vincenzo Colonbo が製作した物と言い、
       それに彫を施した箱を誂えたのがステーファノ・マラゴンとジローラモ。
       金箔師のトンマーゾ・ダ・ウーディネが仕事を終えたのが1538年。

       オルガンの箱に絵を描くのを請け負ったのが、通称ポルデノーネ・Il Pordenone.
       が彼は1539年に亡くなり、後を引き継いだのが弟子であり婿の
       ポンポーニオ・アマルテーオ・Ponponio Amalteoと。

       北イタリア、とりわけフリウーリでは良く出会うポルデノーネと、
       ポンポーニオ・アマルテーオという画家の名ですが、
       両者の関係を今回知りました。

       今見える上の大きな絵は、「マンナを拾う人々」で、
       マンナ・mannaというのは、天から授かる食べ物の意ですね。




       で実は、この歴史的なオルガンの音色を聞かせて頂いたのでしたぁ!

       今こうして静々と、奏者の方が白手袋をはめて扉を開けましてぇ、
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       じゃ~~ん、中はこんな風! 如何にも典雅でしょう?!
       布の赤色はこんな風に派手ではなく、もっと濃い暗い赤で、
       オルガンのパイプも、もっと黒く見えました。
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       聞かせて頂いた曲とは違うかもしれませんが、
       こちらでこのオルガンの音色を聞きながら、町の姿も見れます、どうぞ

       扉の内側の絵の左側は「イサクの犠牲」で、右は何だったっけ?!

       このオルガンは特別の際に弾かれるのだそうで、そう、我らは特別、ははは、
       平常のミサの際には、身廊左にある小さな普通のオルガンだそう!




       町訪問の間、晴れ間が見えたり、雲がかかったりでしたが、
       やはり晴れた風景が良いですねぇ!
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       最後は、広く長いピアッツァ・メルカンテ、市が立つ広場でしょうか、
       中世のままの姿を保つ古い町の、古い家並みの広場でした。
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     *****

       ◆ グループ展のお知らせです ◆

       我が絵の師であり友人の二木一郎さんが講師をされている
       NHK文化センター、日本画青山教室の皆さんのグループ展
       未然会展が、
       東京中央区京橋のギャラリーくぼた本館3階にて、
       5月9日から15日まで開催されます。
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       どうぞお出かけ下さりご高覧賜りますよう
       ご案内申し上げます



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、描き始め 花2点 と、 スコミーゴ村の葡萄畑 を
       アップしています。   
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2016-05-05 01:41 | ・フリウリ・VG Friuli- | Comments(8)
2016年 04月 25日

   ・・・ モデナの大聖堂 グランデ広場 市の塔 ・ 世界遺産 ・・・

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       1997年に世界遺産に指定された、モデナ・Modena
       大聖堂・サンタ・マリーア・アッスンタ・イン・チエーロ・エ・サン・ジェミニアーノ・
       Santa Maria Assunta in Cielo e San Geminiano、という長~い名前を持つ聖堂と、
       グランデ広場・ピアッツァ・グランデ・Piazza Grande 大聖堂南面の広場、
       市の塔・トッレ・チーヴィカ・Torre Civica

       今回は、このモデナの街の中心にあるこの3つ、
       中世からモデナ市民の生活の要であった、のご案内を。

       トップの写真は西上空からの眺めで、どの位置に、どんな大きさか、
       よくお分かり頂けると思いますが、

       真ん中に見える白い大きな高い塔、これが大聖堂の鐘楼で、
       ギルランディーナ・Ghirlandinaの愛称を持ち、
       その右に大聖堂で、左脇すぐに見える建物群に聖堂博物館があり、
       大きな広場がグランデ広場
       広場の北西を囲む形であるのが市庁舎で、見える塔が市の塔

       ついでにご説明しますと、
       グランデ広場の南面を閉める四角い建物は、元裁判所のあった場所に、
       1963年ある銀行の本拠事務所の建物が建設された物で、
       大聖堂正面前広場の右に見えるのが、大司教の住居
       
       写真左上に見える細長い公園の奥、円形の屋根が飛び出しているのが、




       グランデ広場から見る、左に大聖堂、
       正面鉤の手に市庁舎と市の塔。
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       市の塔の上部。 下に切れて見えるアーチの中に美しい像があるのですが・・。
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       1671年地震の後に崩壊した、と言う説明がありましたが、
       こうして見ると最上階の部分のみの瓦解だった様子ですね。


       モデナには今年3月と4年前の夏、それ以前22年前に訪問で、
       今回、4年前の夏の青空の写真でOKなのは使っております。
       でないと、曇り空ばかりの写真では余りにも寂しいですものね、
       で、ブログ名のある写真はshinkaiの撮った物で、他はサイトから拝借の物。




       グランデ広場の北東の隅、写真奥に見える階段が市庁舎への階段ですが、
       その前にこんな大きな石舞台があり、
       リンガドーラの石・Pietra Ringadoraと。
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       13世紀の記録に既に残っており、その後何度か場所を移されもしたものの、
       1936年より元々あったこの場所に。

       ヴェローナの赤い大理石、長方形の大きなもので、
       リンガドーラの石、つまりアッリンガトーリア・arringatoriaの石、
       この上に立ち、市民に演説をするのに用いられたというもの。

       ですが、この石は他にもいろいろ用いられておりまして、
       泥棒や負債者への懲らしめ、溺死者の身元確認、そしてまた
       殺人の疑いがある場合などにも、ここに展示されたのだと。

       面白いというか凄いのが返済しない負債者への懲罰でして、
       広場で市の立つ日、頭を丸刈りにされ冠を被らされ、
       太鼓の知らせを先頭に広場を一周し、ははは、
       たっぷり松脂を塗ったこの石の上に、お尻を丸出しにして座らされ、
       3度、チェード・ボニス・財産をすべて放棄します、と言わされたと。
       その言葉を言わされたというよりも、そのように判決され、
       多分お尻を叩かれながら自ら宣言した、という事なのでしょう。

       中世の判決は大変厳しく、書きながらそういえばと思い出したのは
       パドヴァのパラッツォ・ラジョーネに関係しての記事で、
       黒い斑石ヴィトゥペーリオの石 


       チェード・ボニス・cedo bonisの意味が最初正確につかめず、
       友人のジュリアーナに援けを求め、その内にパドヴァの件を思い出し
       彼女にも知らせましたら、早速に興味深い!との返事。

       ただパドヴァの方は、ちゃんと下着、パンツをつけていた、
       という点が違い、その辺りで大いに笑った事でしたぁ、ははは。
       



       と言うような市民生活に直結した広場なのですが、

       その広~い広場の南東の隅から撮って
       漸くに鐘楼と聖堂が入る大きさ、高さ!
       鐘楼の高さは86,12m、この塔には上がれる様子。
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       リンガドーラの石のある辺りから見る、
       聖堂の後陣部分で、一番上に立っているのは大天使ミケーレ。
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       鐘楼、ギルランディーナの頂上部分
       ギルランダ・ghirlandaは花飾り、花冠を意味しますから、
       如何にモデナ市民に愛されてきた鐘楼か、よく分りますね。
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       ラ・ギルランディーナをこちらで。

       脱線ですが、
       上のラ・ギルランディーナを探していて偶然見つけた、
       初めて聞いた彼の歌、「歌・IL Canto
       ・・君が行ってしまった日から、夜はもうここには来ない
         時間も思い出も失くし、死なない愛の歌だけが残る
       普通の人々の歌う姿も写り、しっとりと歌うパヴァロッティの
       今は亡き声と姿に、思わず涙したshinkai・・。




       聖堂の脇からの姿、半分
       1099年6月9日、記念すべきこの日、
       現在に残る新しいモデナの聖堂の最初の石が置かれ
       内部の装飾もすべて済んで完成したのが、300年後!
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       こちらに大きな屋根の形が見える内陣の張り出し部分、
       中側左のは15世紀に設置された説教壇で、
       左に張り出す大きな入り口は、ポルタ・レジーア・Porta Regia.


       この聖堂の位置には5世紀からの2つの教会があり、
       聖堂のクリプタ・地下祭室には6世紀から保管されてきた
       街の守護聖人サン・ジェミニアーノ・San Geminianoの遺骸があり、
       教会側のみでなく市民からの強い要請があっての建設で、
       古いこの2つの教会を壊しながら、新しい聖堂が造られたと。

       1099年5月23日付の後陣外の石碑には、
       主任建築家ランフランコ・Lanfranco(11~12世紀)の名が見え、
       このモデナの聖堂が唯一彼の作として確かな物なのだそう。

       ランフランコはマエストリ・コマチーニ・Maestri Comaciniと呼ばれる、
       コマチーニというのはコモ湖周辺出身という意で、
       今も各地の建築物に名の残る、左官や石工の職人集団も連れて来た様子で、
       彼らはすぐに仕事に取り掛かりますが、

       ランフランコはじきに彫刻家のWilgelmo(11~12世紀)発音がぁ・・、
       多分ラテン語のWillelmusからの名で、イタリア語ではグリエルモ、
       (ウィルエルモと書いておりましたが、クリスさんのコメントにより) 
       グリエルモと標記させていただきますね
       
       このグリエルモは、イタリアで初めて作品に名前を記せた作家の一人。
       教会の装飾関係のみだけでなく建築もで、
       彼が正面壁の仕事を手がけ始め、
       ランフランコ達は後陣の仕事を、という進捗具合だった様子。


       でこういう両面からの仕事の進み具合の結果
       計算違いがあったのが良く分る、真ん中の繋がりなんだそう!

       一連の3つの窓を持つアーチの連続が、ほら、
       ポルタ・レジーアの右横で半分になっているでしょう?!
       まぁ、ポルタ・レジーアは後年開けられたからとはいえ、
       実際にアーチの広さや、窓の高さがかなり違うのだとか、ははは。

       こういう寸法の間違いは、ロマネスク建築の前半では頻繁にあった様で
       壁が膨らんだり、アーチの大きさの違い、帯状装飾が踊ったりなど等、ははは
       ゴシックになっていくらか緩和されたのだそうですが、

       当時にあっては、対称であるとか比率とか均衡性などは、
       特別な重さを与えられていなかった事もありで、
       はぁ、こう聞くとゆったりとして、長閑で良いですねぇ、ははは。





       これがグランデ広場に面したポルタ・レジーア
       最初の建設には無かった入り口、1209~1231年の建設で、
       円柱を背に乗せた獲物を抱え込む2頭のライオン像。
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       レジーア・Regiaというここでの言葉は、レ・Re・王には関係なく、
       中世においてのラテン語 regeは、建物の中心的扉を意味するのだといい、
       確かにグランデ広場に向いての、聖堂第2の正面入り口ですね。




       この写真は4年前の夏、工事中の覆いの隙間から撮った物で、
       ローマ期のライオン像と見られる背に、円柱が乗っている様子
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       そして、入り口脇の柱並びの装飾の様子
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       ライオン像の背中の円柱は、上のプローティロ・protiroと呼ばれる
       柱廊式玄関を支え、多分中に見える聖人はサン・ジェミニアーノと。
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       サン・ジェミニアーノ・San Geminiano(312~397)モデナの司教であり、
       この街で亡くなり、悪魔祓いの力を持っているとの評判だったようで、

       ジェミニアーノも、ジミニャーノも同じなんですと。
       で、彼を守護聖人に戴く町は他に幾つも。




       で、このプローティロの屋根の上には、十字を持つライオン君がいますが、
       その斜め上の屋根の仕切り壁脇に見える像にご注目を!
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       聖堂屋根の上の仕切り壁の脇全8面に見られる、
       このいささか複雑怪奇な半人半獣像はメートぺ・metopeと呼ばれ、


       現在この屋根の上にあるものはコピーで、年月による損耗が大きく、
       1950年よりお隣の聖堂博物館に本物が保管されており、

       私も見に行きましたが、現在の屋根の上のものはかなり実物と
       印象が違うので、博物館のサイトからの写真をどうぞ
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       グリエルモの弟子と見られるマエストロ・デッレ・メートペ(1130年頃)
       の作品で、その意匠の奇抜さのみならず、彫の技術も大変優れていると。
       



       これはも一つ西に続いてある扉で、ポルタ・デイ・プリンチーピ
       Porta dei Principiで、半円の下、梁にある彫り物は、
       サン・ジェミニアーノの生涯の逸話にちなむ物と。
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       正面側・ファッチャータに向う前に一枚、見つけた写真をどうぞ。
       1942年の写真だそうで、グランデ広場
       背後に見える聖堂は、ちょっと趣が違いますね。
       年代から考えて、対爆撃予防の防護壁でしょうか?
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       それにしても、この大泣きの女の子!
       私より大分、へへ、言わせてぇ、年上の年代ですが、
       力いっぱいの大きな泣き声まで聞こえそうで、ははは。




       さて、漸くに大聖堂の正面に。 やはり青空が良いですねぇ!
       写真正面を横切るのは、トロリー・バスの電線でして、
       おまけに広場がそう広くないので、こちら側の小路からしか狙えず・・!
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       ゴシック式の薔薇窓と、正面頂上に立つ大天使ガブリエル像
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       聖堂上部の、キリスト像の周囲を4福音者のシンボル像が囲み
       左上人物・マッテオ・Matteo  左下有翼のライオン・マルコ・Marco
       右上鷲・ジョヴァンニ・Giovanni  右下有翼の雄牛ルーカ・Luca
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       こうして見ると、大体左上には人物のマッテオがいつも居るみたいですが、
       後は並ぶ順番に決まりは無いのでしょうか? どなたかぁ~・・。

       そして石の色もいろいろ違うでしょう?
       色の違いは脇の壁でも顕著でしたが、これは石材確保の為に
       近隣のかっての建築物の残りや廃墟の石を運んで来て使ったり、
       それにも不足すると、ローマ期の墳墓の石を掘りに行ったのだそうで、ははは、

       入り口脇の円柱を背中で支えるライオン像なども
       そういう訳でローマ期のものなのだそう!

       同じ様な顔をしたライオン君は、我がヴェネトはトゥレヴィーゾの
       ドゥオーモ前にも座っていますし、フェッラーラでも見かけたような・・!
       そうか、そうだったのかぁ!!




       という事で、ははは、
       モデナの大聖堂正面入り口と、円柱を支えるライオン君
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       背後の壁、両脇に見える浮き彫りの石版と
       入り口脇柱の彫はグリエルモ




       ライオンがこうして柱を支えるというのは、
       ギリシャ神殿の柱に人物が彫られているのがありますね、
       あれの発想から来ているのだそう。
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       グリエルモの彫りがかなり深めのしっかりした物であるのも
       良く見えます。




       支えるプローティロの一番上はこんな感じで、
       ここは司教様が顔を出される場所(だった)のだそう。
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       グリエルモの彫り、聖書の絵解きの浮き彫りは4面あり、
       これは正面左側の脇扉の上のもの。
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       人類創造、アダモからエヴァが生まれ、禁断のリンゴを食べ・・。
       アダモがぱくっと大口を開け、リンゴを食べているのが楽しいぃ!




       正面右扉の上の場面は、カインの殺害、ノアの箱舟、右は何かな?
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       そしてあちこちに浮き彫りが散らばりますが、
       如何にもの中世風な、怪奇で楽しい動物達がいて
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       柱の上の柱頭飾りにも、動物達や人間達がひしめきます
       光りの当っている物は4年前の夏の物で、
       聖堂の脇だったかもしれませんが・・。
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       では、内部に入って頂きましょうか
       先回の夏は修復中で、内部もクリプタ辺りのみの公開で、
       今回は暗く人出も多く、グループ行動で自由に動けず、
       思うような写真が撮れておらず、サイトから拝借を。

       大きな街の、また小さな田舎の町でも、教会はよく改装されており、
       オリジナルは古くとも、内部は新しく明るく豪華絢爛というのが
       良くありますが、
       このモデナの聖堂は大きな修復が15世紀に一度
       それまでの木製の桁組み天井だったのが、日本語で言う
       「交差ヴォールト」に変えられたものと、
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       18世紀にクリプタの内部にある、守護聖人サン・ジェミニアーノの
       お墓の周囲を高価な大理石に変えたり、窓の材質を変えたり、と言う程度で、
       
       お陰で、現在も建設当時のロマネスク様式を保ったままの
       外部と内部が立派に存在している訳ですね。

       内部は3廊式になっていて、翼部分はなしで、
       左側の列柱の中ほどに見えるのが説教壇。




       脇から天井部分
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       内陣部分、下がクリプタで、上部が祭礼用内陣
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       上部の後陣部分に見える絵がモザイクかと思ったのですが、
       これは18世紀末から9世紀にかけて行われた改修の一つで、
       モデナのいわば無名の画家が、ビザンティン式のモザイク画に
       見せる絵を描いたのだそう!

       これは良いアイディアと。
       小さな町の主教会に行き、現代風な絵でも素晴らしければ良いのですが、
       時に無い方がと、失礼! 思うようなのもありますので・・。
       



       クリプタと上の祭壇の間には、このようなポンティーレ・pontile
       直訳すると桟橋、があり、木製と思うのですが、
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       左の円形の説教壇・読経壇の周囲には4人の福音者たちのシンボルが、
       手前直線部には最後の晩餐、ジュダの接吻などの彫り物が。
       
       これらはランフランコ、グリエルモたちに続く12~13世紀の
       建築家や彫刻家達によって小さな変更や装飾が施されたもので、
       マエストリ・カンピオネージと呼ばれる、やはりコモ湖周辺出身の
       集団の名が残ります。       




       こちらは半地下のクリプタで、
       全面にはやはり動物やうずくまる人間達の背中が円柱を背負い、
       上部のポンティーレを支えます。
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       聖堂内の列柱の根元
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       4年前の修復中の聖堂内の様子も窺える写真を1枚
       これは説教壇に登る階段の様子が見えますが、
       絵が描かれているのが見えます。
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       当時この一帯、春の地震のあった後で、どうやら天井ヴォールトにも
       ひび割れがあったり、薔薇窓にも破損部分があった様子。




       この聖堂内には絵画が少ないのですが、
       右側廊部にあったフレスコ画と、
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       左側廊部の、テラッコッタ像の祭壇
       大変手の込んだ繊細な物!
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       正面入り口上の薔薇窓、簡素な美しさ。
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       聖堂から出ますと
       聖堂前広場の南側を占める大司教館
       今は店舗が入っていて、上階はどうなのかな・・。
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       聖堂前から西に抜ける小路の建物壁
       聖堂同様、古いイメージがしっかり残る部分がたくさん見え。
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       聖堂脇すぐの小路から見える、ギルランディーナの美しい姿
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       この小路の左横に聖堂博物館がありますが、
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       今右側にライオン像が見える所、ここにも聖堂入り口があり、




       ポルタ・デッラ・ペスケリーア・Porta della Pescheria・
       魚市場、魚屋の門と呼ばれますが、美しい彫りでしょう?!
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       1110年~20年の作だそうで、動物の形や逸話、12ヶ月の寓意が
       モチーフで、
       なぜ魚屋の門と呼ばれたかと言うと、すぐ近くに魚屋の屋台があり、
       この入り口からは庶民達が出入りしたのだと。
       



       最後は、博物館の庭のベンチと
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       小路が抜けるグランデ広場の、ポルティチの下のカフェの席を。
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       モデナの大聖堂、建設された1000年当時のロマネスク様式を
       今も伝える数少ない聖堂のご案内、
       不足ばかりでしょうが、何とか宿題を済ませホッとしています。

       歴史の教科書式記述ではなく、自分が見て感じた様子を
       自分の言葉でと思い、不足は不足のままでと思っておりますが、
       ・・お付き合い頂き、いつも有難うございます!
      
 
       これを書いている今日は朝は小雨、午後は薄曇なのですが、
       こうしてお天気の良い写真を最後に見ているだけでも、
       気分が救われます!

       皆さま方にも、良いお天気が!
       被災者の方々にも、一日も早いお天気の日が届きますように!!


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by italiashiho2 | 2016-04-25 01:11 | ・エミーリア・R州 Emilia | Comments(11)