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タグ:教会・修道院 ( 118 ) タグの人気記事


2017年 04月 22日

   ・・・ 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 ・・・

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       1週間前の快晴の午後のひと時、近くのカッペッラ・マッジョーレ・Cappella Maggiore
       の町外れにある「ロンゴバルド教会」の見学会があり、出かけてきました。

       この教会があるのは既に20年ほど前から知っていましたが、
       殆ど放置された状態で閉まっていて内部が見れずで、
       今回参加しているグループの見学があるというので喜んで!

       ロンゴバルド時代の教会というと、この近くではフリウリ州の
       チヴィダーレの教会がとても美しくて有名ですし、期待したのでした。
       




       カッペッラ・マッジョーレの町の中心はこんな感じですが、位置が少し高く、
       ここから更に奥の高台の田舎に至る上り口、という感じの小さな町で、
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       訪問した教会は、左下に伸びる道を行き、坂を下った平野部にあり、





       車で動くようになってからは余り通らない道なので、
       すっかり整備修復されていたのも初めて知り!
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       これはトップで見て頂いた道端の標識を入ってきての、南側からの眺めで、
       教会周囲もきちんと整備され、洗われた壁の白さがとても美しく。
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       扉は正面と脇に2か所、窓も正面扉上に一つ、南側壁に2つ、
       張り出した小さな聖具室部に一つ、そしてこの写真では見えないのですが、
       内陣部の南側に一つありますが、
       建物の東側、北側には一つもありません。





       脇扉の上に TRINO ET UNI と彫り込みが見えますが、三位一体の事で、
       この教会が奉納された正式名「サンティッシマ・トゥリニタ・Santissima Trinità
       を示します。
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       最初に出た「ロンゴバルド教会」の名が一般に知られている名前だと思うのですが、
       その他にも「マッタレッラ教会・Mattarella」とも呼ばれているようで、
       マッタレッラというのは、この土地の古い持ち主の名前から来ているのだそう。





       教会前にあった掲示板の写真で、一番上の平面図に見える
       白い線が現在の教会の形で、緑の線がロンゴバルドの時代にあった小さな教会
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       つまり8世紀から9世紀建設とみられる古い小さな教会を内に含み、
       14~15世紀に大きく拡張されたのが現在の教会、という訳。

       ピンクの線は壁画のある部分で、南に張り出している聖具室部分は17世紀のもので、
       教会上に見える小さな鐘楼もどうやらその時のものの様子。





       皆がぼちぼちと車に分乗して集まって来、神父さんが来られ扉を開けて下さり、
       最初に扉の中に頭を突っ込み覗いたshinkaiが見たのがこれ!
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       もちろん神父さんに「写真を撮っても良いですか?」と尋ね、OKを頂いておりますです。

       正面の「最後の晩餐図」の左脇、上、そして右にも少し見える石の跡
       これがロンゴバルド時代の小さな教会跡の壁なのです。
       きっと高さも低かった事でしょう!





       この壁画は蛮族-ビザンティン様式11世紀のもので、6x3mの大きさというので、
       最初の教会の大きさがそれで分かりますね。
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       銀貨の入った袋を握ったユダはテーブルのこちら側に小さく光輪なしで、
       キリストにべったりと寄りかかる使徒ヨハネ、その肩越しにユダにパンを与えるキリスト。
      
       長いテーブルの上にはワインもパンも、木の実のような小さい丸いもの、
       果物なのかな、細長いものも見えますね。
 
      
       上に「蛮族-ビザンティン様式・barbarico-bizantino」と書きましたが、
       ここで蛮族というのは北から来た民であるロンゴバルド族を指します。
       
       イタリア語では北からの侵入民族をバールバロ・barbaroと言いますが、
       その語源はというと、何をバルバルしゃべっているのか分からない、から来ているという説明が、
       昔大いに勉強になった小学生向け図鑑に書いてあったのを思い出しましたぁ!
       ほら、日本語で、ベラベラしゃべりやがって、というのと同じでしょう、ははは。





       皆が入り込まないうちにと、大急ぎで撮っていきますが、
       上の「最後の晩餐図」以外は、時代が下り15世紀のもので、
       画家の名も判明、というのは、殆ど絵の下に書き入れがあるのです。
       
       隣の「ザクロの聖母子像」 アントネッロ・ダ・セッラヴァッレ作
       近くのヴィットリオ・ヴェネトの画家で、左の聖母子の足元に膝まづくのが寄進者と。
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       いつもこういう訪問の際のガイド役、ソリゴン・Soligonというグループの講師・元学校の先生が到着し、
       皆も席に着き説明が始まると、入り口の扉を閉めたため暗くなり、
       それもあって、今回の写真はイマイチよく見えないのをご容赦願います。       
       フレスコ画自体が損傷したり、傍で見ても細部がはっきり見えないのも多いのですが・・。

       全体の様子と、内陣後陣の全体像
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       「磔刑図」はベルガモ出身のアントニオ・ザーゴ・Antonio Zagoの作で、
       他にもう一人アントニオ・グネール?・Gnerという画家の名も。





       正面脇左下には聖母子像と、上に受胎告知の天使像
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       この聖母子像の顔細部が教会のパンフレットに載っていて、これです。
       達者な筆さばきでしょう?
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       同画面の下部にはこんな風な、右に眠る女性の顔半分と、
       白い犬がいて・・、ちょっと判じ物風。
       講師ソリゴンの説明によると、白い犬は彼女の処女性を示す、というのですが・・。
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       上部「受胎告知」の天使。 横割れの衣装から脚を大胆に見せた天使が
       口に百合の花を咥えて、というちょっと変わった構図でして、はは、
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       左脇、下の絵はかなり薄れていますが、上部の「受胎告知」のマリア側
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       聖母は謙虚に描かれているのですが、ここでも左上の天使の目つきとか、
       聖母の右奥の天使の顔もちょっと変わっており、
       聖母の左の戸棚の中も、いかにも家庭の中の戸棚の静物画の様で、ははは。
       画家の名がはっきりしませんが、面白いセンスを持っていると・・。





       後陣の「磔刑図」上部、キリストの顔ははっきりしませんが、
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       右の男はこんな風に描かれているのを、サイトで見つけました。
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       背景が壁になっている構図も初めて見ましたし、壁の上の三角風の飾り、
       これはヴェネツィアの大運河、リアルト橋横の新装なった元のドイツ商館の屋根飾りと同じ。 





       左下には心痛で気を失いかける聖母が抱えられており、  
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       右下のこの人物たち、これが良く分かりません。
       お分かりの方、お教えください! 
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       「磔刑図」を見ていて、中央のキリストは槍で心臓を突かれ、手足も釘付けですが、
       左右の二人は腕を横木に縛られ、脚も縛られた状態で、脚に傷を受けています。

       今までこんな風に描き分けられたのを見た記憶がなく、
       この違いは何を意味するのかと、改めて「磔刑」についてちょっと読んでみました。   
       知ったのは、

       磔刑はバビロニア期から行われていた極刑で、
       ローマ期においてローマ市民に適用されたことはなく、
       奴隷や破壊活動者、外国人に対してのみ適用され、
       磔刑の前に行われる鞭打ち、これがまさに酷い拷問であった様子。

       常に十字の形でなく、一本の木でも、逆さまVでも行われたようで、
       十字の場合、縦の木はすでに建てられており、横木を受刑者が運ばされたのだそう。

       脚に見える傷については、いつも、こん棒か槌で折られたのだそうで、
       つまり磔刑の目的は、長いゆっくりの死の苦しみの後に、貧血、肋骨の圧縮による窒息、
       または心臓の血液循環の滞り、虚脱による死、なのだそう。 恐ろしい事!!

       キケロは磔刑について、一番残酷な体刑であり、一番陰鬱なもの、と。
       




       内陣の天井図
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       内陣、北側の壁、上部。 これはアントニオ・ザーゴ作。
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       アーチ部の飾り画
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       というような、ロンゴバルド教会の、どこかちょっと違った教会なのかと出かけたのですが、
       教会自体は後の時代に改装されたもので、内部のフレスコ画も後世のものでした。
   
       が、一風変わったフレスコ画で、修復されて見やすくなっており、
       色も鮮やかで素朴で、なかなか良いと満足でした。

       1936年にこの一帯に地震があり、今残っているフレスコ画はこの地震で
       助かったものだそうで、案外教会全部がフレスコ画で埋まっていたのかも、ですね。

       神父さんが仰ったのは、ここは博物館ではなく、毎週金曜日には
       ミサが行われる教会ですので、お出かけください、との事でした。



       
       所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
       そうです、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、
       解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


       この一帯の地図をどうぞ
       薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
       見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、
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       北東にサルメデ・Sarmede 毎年国際絵本原画の展覧会のある場所 
       北西にヴィットリオ・ヴェネト  http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
       南に我が村スコミーゴ 星のついている所に我が家   http://italiashio.exblog.jp/i12/
       そしてオリアーノ・Ogliano  http://italiashio.exblog.jp/23811624/
       一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ   http://italiashio.exblog.jp/9036585/






       オリアーノの教会前から撮ったカステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼
       小高い丘の上に、こんなぐうに張り出した形であり、       
       ここからだと、例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。
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       カステッロ・ローガンツゥオーロの教会前の庭から見る、
       こちらがオリアーノの教会と丘
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       午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





       高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
       新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります
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       で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
       ティツィアーノの家が見当たらず・・!

       で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
       おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

       北向きの、この風景の、右の大きな一群の建物
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       これですね、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが
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       その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
       ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!

       つまり、手前の長い屋根の奥に見える茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのが
       ティツィアーノの家なんだそう!
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       いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係の組合とかなんとかの
       建物なんだそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





       たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場で見かけましたが、
       それの片づけでまだ教会が開いており、
       我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

       幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
       例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
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       左に見える礼拝堂の絵が見える部分にティツィアーノの祭壇画が。





       これです。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある修復画ではなく
       この近くの画家が描いた修復画を基にしたコピーで、
       額はこれがオリジナルなんだそう。
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       サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元
       肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。
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       右のサン・パオロ像の方は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
       写真では見えたのですが、こうしてみると、
       ティツィアーノが男を描くときの鋭さは見えず・・!
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       丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
       聖パオロが剣を持った姿で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭い方で、
       言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





       こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
       これもティツィアーノの作とは見えませんが、質問するのを忘れまして・・、
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       これが上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
       復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。
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       この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで読んでおりましたので、
       ああ、これの事かと納得でした。


       ティツィアーノに払ったのは、リンクした記事に書いた契約の物品だけでなく、
       ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

       ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、巻いて天井裏に隠した
       当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、イタリアにある、とだけを答え、
       オーストリアの軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、ないのでまた戻り、
       司祭さんは監獄に入れられたとか、


       そんなにまでして描いてもらった、守った絵が修復しても元に戻らずの状態で、
 
       その間に祭壇のフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も綺麗に
       修復されたりで、

       結局、このフレスコ画の方が良い、という事になって、
       ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
       ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっているのだそう、
       という始末記でしたぁ!





       こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子
       右下に教会があり、左上にティツィアーノの家のヴィッラ・ファブリスがあり、
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       そうですね、確かに教会からだと前をふさぐ形に、大きな建物があることに!

       シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで勝手に近寄れず、
       shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

       リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、何十年も前のもの!
       という事になります、という始末記でした。





       教会前からの長閑で美しい風景をもう一度
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       ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ
       残された絵も今はこんな状態で、
       家も奥に見える大屋根の上に半分だけ見える、
       という・・、歴史の変遷のお話でした

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今週はパスさせて頂きま~す!

       復活祭関連で、お出かけ2回、食事会2回、車の検査と続き、
       本当に久しぶりに絵を描く時間が取れませんでした。
       
       まぁ、たまの息抜き、という事で、明日からまた頑張りま~す。

       絵のブログはこちら



     ◆ お詫びを ◆

       19日にアップしました記事のスタイルが、文字がずっと横長になるという
       見にくい形となり、一旦削除しアップしなおしましたが、
       それでも文字もいつもと形も大きさも違い、
       編集しなおしたものの、てんでんばらばらの見っともない面となりました。

       それまでにも2度エキサイトにヘルプ・メールを入れましたが、
       返事がなく、昨夜再度メールを送りましたが、まだ何も・・!

       気になり今朝方早く起き出して来まして、
       ひょっとしてと気が付いた事を実行し、
       前の記事を削除し、再度アップし直しました。

       何とかうまく行きそうですが、この方法だと頂いたコメントと、
       「いいね」が消えてしまいますが、
       どうぞ、ご了承下さるよう、お願いいたします!!
       



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

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by italiashiho2 | 2017-04-22 12:31 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 14日

   ・・・ サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo (追記)・・・

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       トスカーナはオルチャの谷の西の山の上にあるモンタルチーノの町。
       そこから南に9kmほどにあるサンタンティモ修道院

       9年前に訪問した時は修復の最中で、入り口脇、そしてとりわけ後陣部分が
       覆われていて見ることが出来なかったのですが、
       3年前の春に再訪した時は修復後で、じっくりと見ることが出来ました。

       今回はたくさん撮っていた写真を漸くに整理しましたので、
       そのせいもあってか、へへ、写真が多いですが、どうぞ細部をご覧下さいね。

       
       トップはモンタルチーノの町から朝早く出かけ、遠くの道から修道院が見えてきた所




       隣接するカステルヌオーヴォ・デッラバーテ・Castelnuovo dell'Abateの村
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       この村もサイトで見てなかなか良い趣の村で、見たいと思い寄ったのですが、
       村の下には駐車場があったものの、うっかり車で入り込み、何せ村の中も坂道で・・、
       全然駐車できる隙間がなく! 漸くにターンして村の下に戻り駐車。
       そしてそのまま修道院の方に歩いたもので、そして戻りには忘れており、へへへ、 
       通り過ぎただけ!という・・、に過ぎましたぁ。





       地図をどうぞ
       モンタルチーノ・Montalcinoの町から南に9kmほどで、
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       以前調べたときはカステルヌオーヴォ・デッラバーテまでバスの便があるように
       見つけたのでしたが、今回はまるで時刻表が見つからず!!
       行ったご覧になりたい方、どうぞ改めてお調べ願います!

       オルチャの谷の町ご案内、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       ピエンツァ・Pienza





       駐車場から舗装された道が遠回りに修道院を見る位置についており、
       徐々に近づく様子を眺め楽しみながら、歩きます
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       この道は以前は舗装されていなかったですし、道脇に駐車スペースが並んでいるので、
       多分観光客がかなり多いのではないかと・・!

       創設の由来、歴史の中の変遷などの詳細もどうぞ





       shinkaiが行ったのは5月7日、朝の8時半頃ですから、まだ一人も見かけず、
       ただまだうす曇りの空で、それが少し残念でしたが、

       脇を通って、入り口前に来た所
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       入口上部と、上部の2つ窓にはすでに鳩のカップル! 
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       入口向かって左脇、円柱状の動物。 先回は覆いが被って良く見えずでした。
       犬ではないと思うのですが、何の動物でしょうか?
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       そしてまた今回も、向かって右脇の円柱上も見ていないのです!! あほ!
       サイトで見つけた写真には鳥のようなものが見えており・・。





       入口のごつい石組の張り出し部
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       扉上、まぐさ石の彫り模様と、
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       右側の飾り
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       脇にこんな表示がおいてあり、
         教会は終日開いています
         教会すべての訪問は下の時間帯に、と。
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       となると、内部は写真禁止だし、祈りを捧げるわけでもないので・・、と
       ついつい大人しいshinkaiは入るのを躊躇い、表からこの1枚のみ!       
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       という事で、内部の写真はサイトで見つけたものを何枚かを。
       光の入りようが大変美しい内部ですので、まず白黒写真2枚を
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       側廊上部はかっての婦人参拝客用で、matroneo・マトゥロネーオと言いますが、
       そこからの内陣、後陣部分。
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       最初に建設されたのは8世紀頃とみられますが、12世紀に繁栄期を迎え、
       以前の小さな教会の周囲に一回り大きな教会が造られ
       その差が、珍しい内陣をめぐる通路に利用されているのも良く分かります。

     ◆ 追記を ◆

       上記した「以前の小さな教会の周囲に・・」という言葉ですが、
       捕捉しますと、第1期には最初の礼拝堂、現在の祭壇部分にあったとみられ、
       第2期 現在の教会の外側にある、見える、古い後陣部分のカロリンガの教会9世期+最初の礼拝堂
       第3期 1,000年頃に建設されたと思われる現在よりも一回り小さく短い教会+カロリンガの教会+鐘楼
       第4期 現在の大きさ

       という変遷があったとみられ、私は第2期と第3期の違いを書いておりませんでしたが、

       のす爺ぃ様よりコメントを頂き、再読し、自分でもいささか混同していた事に気が付き、
       ここに追記いたします。





       内陣、木製の十字架上のキリスト像のお顔
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       素晴らしい円柱上の柱頭飾り。 
       これはライオンに囲まれる預言者ダニエル。
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       他の柱頭飾り
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       クリプタ・地下礼拝堂の様子
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       灯の灯った祭壇部。 
       斜めに射し込む光も美しいですが、灯の灯った様子もさぞ・・!
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       脇廊上部のマトゥロネーオからの写真といい、サイトではかなり内部の写真が見つかったので、
       確か写真禁止だったはず、と www.abbazia.com を見ましたら、
       写真は撮れるけれども、ミサの時はノー、とありました。 ん、もう!

       入口右脇の円柱上もですが、マトゥロネーオからの様子は見たいもの!!です。
       カステルヌオーヴォ・デッラバーテの村も見残しだし・・、
       またのチャンスがありますように!
    




       中庭を挟んで見える奥の建物、修道僧たちの居住区と
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       中庭の整理もされ、花も咲いていますが、
       以前はなかった柵が教会の横に出来ており、入れません!





       教会から続く建物部分。 多分ここは教会建て増し以前からのもので、
       石も様々な色、形であるのが良く分かります。
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       北の脇壁の様子
       多分古い教会建設の石が側廊上部に使われたのではないかと。
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       この修道院の建設に使われている石は、近くのカステルヌオーヴォ・デッラバーテからの
       石で、これは石灰華の層にアラバスター・雪花石膏の層が石目、縞目に入る石
       なんだそうで、艶があり、周囲の色や季節によりその色が反映し、変化するのだそう。
       確かに、アップで撮っている写真で見ると、半透明感の像などもあり、

       光の強い夏の写真や、朝の曇った光により、
       ずいぶんと色が違って写っている理由も納得したことでした。





       入口側から北脇に回ってすぐの壁で、左上のはローマ期のもののリサイクル!
       コルヌコピア・豊穣の角笛を抱えたもので、近くのローマ期のヴィッラのものだろうと。
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       内庭に面した教会脇扉には、素晴らしいロンゴバルドの彫りの施された扉飾りが
       あるようなのですが、今回も見られずで、

       こちら側のは片面の柱と、扉上部の飾りのみ。
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       右側の下部分
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       上部、まぐさ石の装飾。 右端に、飾りをかぷっと咥える動物がいて・・!
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       鐘楼。 かって鐘楼は教会と離れていたというのですが、
       増設され、現在は教会本体に食い込んだ形に。
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       鐘楼と教会の壁の角にいる動物、牛かな?
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       1階部分は窓なし、2階と3階には窓が一つ、が3階の方が大きく
       そして4階の窓は2つ窓。 これは重量を減らす意味もあったそう。
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       鐘楼のアーチ部から見つめる動物
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       鐘楼の角から後陣部に
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       鐘楼の東向きの壁には碑がはめ込まれているのでご注目を。




       上部には、この稚拙な聖母子像と天使、左側には動物が上下に2頭
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       左には翼と角を持った動物、しっぽの先が2つに分かれ・・!
       右の壁に見えるのは、頭が欠けたライオン像。
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       鐘楼と後陣の境にいるライオン像と。 頭部が欠け残念ですが、
       見事なたてがみを持ち、ごつい手!!
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       後陣の外に張り出す礼拝堂部分。 内部には祭壇がある小礼拝堂は
       後陣から3つ張り出し、屋根の下の庇支えの動物と柄がそれぞれ見事!
       
       最初の張り出し部の右から左へ
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       後陣の窓、隙間に咲く花。 サルビア種かな?
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       と書いていましたら、友人からメールを頂き、
       金魚草か、あるいはペチュニアではないのかとの事で、
       う~ん、そういえば金魚草かなぁ?

       どなたかご存知の方、お教えくださ~い!





       後ろから見る姿、鐘楼と内陣の高い部分と後陣
       そして左に、古い教会の名残部分
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       ここは以前まるで見られなかった古い時代の教会部分ですが、
       ここにも礼拝堂の張り出しがあった様子で、
       古い石組がなんとも良い趣!
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       庇の下にも、稚拙ながら何かの柄があったのが見て取れますね。

     ◆ 追記 ◆

       この小さな古い後陣部分が9世紀頃のカロリンガ期の教会部分
       ある事を追記いたします。
    
       つまり最初の原始的な礼拝堂(含むクリプタ)よりも少し離れて造られ、
       後の11世紀、12世紀の拡張においても残った部分。





       これは後陣の真ん中と左の、礼拝堂の張り出し部分の庇の下の柄
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       この長~い舌を出したあっかんべーが2か所にあり、これが大好き!!
       動物がいると、いかにも中世!という趣になり、
       それがまた怪奇な動物であるほど、痺れます、ははは。





       後陣上部の窓。 ここから、あのなんとも印象的な光が入るのですね。
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       南側からの眺めと
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       鐘楼上部に見えた、鐘2つ!
       これを見るまでは、鐘楼には鐘がないのかと思っておりましたが、あったぁ~!
       これも、アーケード式鐘楼というのでしょうか?
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       東にかけて広がる眺め。 上の写真の右中に見える道を辿って来たのでした。
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       赤いヒナゲシもいくつか咲いていたのですが、金網があって。
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       突如と響く大型バイクの爆音! 
       こういうのはまるでこの場所に似合わないと思うのですが、
       しばらく後、立ち去って行きました、やれやれ。
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       道脇の花を眺めながら
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       漸くに射してきた陽に映える修道院を眺めながら、shinkaiは戻ります。       
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     *****

       あれこれモンタルチーノからのバス便を調べましたが、やはり見つかりません。

       ですが、シエナからの半日ツァー、モンタルチーノの町とサンタンティモ修道院訪問
       ワインの試飲込みで38エウロ というのが見つかりました。
       イタリア語のみのサイトですが、お試しになりたい方こちらから。
       


       と、今まで修道院に住み祈りの生活と共に管理人でもあったフランス人修道僧たちが
       36年間の共同生活体の後、南フランスはアヴィニョンの近くの修道院に戻る、
       という2015年のニュースを、バス便を探していて見つけました。

       詳しくは原因が出てきませんが、どうやらイタリアの文化財保護管理事務所との関係、
       フランス側の母体派の問題もあるようで、2015年11月に立ち去り・・

       というのでその後の経過を探しましたら、

       その後はモンテ・オリヴェート・マッジョーレのベネデッティーノ派修道院
       引き継ぐ事になり、2016年の1月から2人の僧侶が移殖することになったと。

       我ら凡人から見ると、平穏な祈りの生活に明け暮れているように思われる
       修道院生活、僧侶たちの日常ですが、
       今回はこんなニュースを見つけフ~ムと思い、
       まぁ、後継ぎが見つかって良かった、と思った事でした。

       という事で、これから行かれても大丈夫、
       サンタンティモ修道院は、12世紀間の歴史を紡ぎ続けている事でしょう




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、花のカステルッチョ 途中経過と、 スコミーゴ村の花 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-04-14 23:31 | ・トスカーナ Toscana | Comments(24)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)
2017年 02月 14日

   ・・・ ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 ・・・

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       昨年春の南ラツィオの旅、今回は最後のご案内になるガエータ・Gaetaを。

       この地には昔から思い入れがありまして、というのもず~っと昔見たガイドブックに
       浜辺にそってパステル・カラーの低い家並みの続く写真「ガエタ」が1枚あり、
       当時の未だ他を知らなかったshinkaiにはとても魅力的に見え!
       いつか行ってみたいと思っていたのでした。

       さて実際に長い年月の後に訪問してみると、やはりまるで思い込みとは違い、ははは、
       写真を整理しながらも、この町の一番の印象は何だったろう、と考えました。

       古いガイドブックにあったような「貧しい海辺の町」ではまるでなく、
       多分これより西にある「スペルロンガ」と混同しているのでしょうが、

       ローマからは南に120km,ナポリからは北西に80kmの距離にあり、
       長い紀元前からの歴史を持ち、港を持った繁栄の地であり、
       何度も異民族に襲撃されながらも、城壁を築き町全体を要塞化して備え、
       現在は明るい陽光のもと、海辺の小さな町の良さを満喫している、とでも・・?!
       
       そんな町の印象がお伝えできますかどうか・・。
       と、今回の写真は何故か呆けピントのが圧倒的に多く! 馬鹿がぁ、
       必死に修正したのですが、どうぞその辺りはご容赦下さいますようお願い致します。

       今回も写真の数が多くなりましたが・・、
       なかなかこの辺りまで行かれる方は少ないであろう、・・でも、
       shinkaiのブログはそういう方にも旅の、町の雰囲気を味わって頂いている筈と、
       ははは、そう考えてご案内しておりますので、
       ごゆっくり楽しんで頂けますように!
       
       
       上の写真は町の中程の海辺沿いでバスを降り、港の南方面を見た所で、


       角度を少し変え、海岸沿いの続きはこんな感じ。
       高い鐘楼が見えますが、これがガエータの聖堂のもの。
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       ガエータ湾をはさみ北東方面、山上に見える町はマラノーラ・Maranolaと。
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       南ラツィオのご案内全体は、こちらから。



       ガエータの町の中心部の地図をどうぞ。
       ガエータは湾を挟んで北西にも伸び、南側の浜辺も含まれるのですが、
       右に突き出した半島の先っちょ、色が少し濃くなった辺りが旧市街の位置。
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       訪問した教会2つの位置と、町の上に見える城の位置を示しましたが、


       実は町の中心に行く前に、左下に囲ったサンティッシマ・トゥリニタ・SS.ma Trinità
       という聖所を訪れ、教会や、岩山の裂け目にある礼拝堂などを拝見し、はぁ、
       ついでに右下に赤丸で囲んだ「トルコ人の洞窟」なるもの、
       なに、トルコの海賊たちが隠れ家にしていた深い洞窟でして、
       shinkaiはお金を払ってまで階段を下る気はなく、はは、行きませんでしたが、
       そんなあれこれ、そして南の海岸沿いの浜辺のパノラマを見たりでした。

       ついでに町との間に挟まる山にあるオルランド公園に赤丸も打ちましたが、
       この辺りにはローマ期の貴族の聖廟もある様子で、
       ここからの町の旧市街の様子が絶景!
       我らは行きませんでしたが、本日最後にここからの様子をお目に入れますです。




       という事で、上の地図の海辺に沿った位置、2つの教会に挟まれたちょうど真ん中辺り
       緑色で見えるのが駐車場兼公園で、

       この辺りからの眺めが上の海岸沿いの写真であり、

       右手の上に見えるのが、このサン・フランチェスコ教会
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       ここには行きませんでしたが、1222年聖フランチェスコがガエータに滞在した折に
       基礎をした教会で、14世紀に再建築、19世紀に上部を追加という形だそう。




       そしてそれより北、海岸沿いに近い低所にあるのが、
       サンティッシマ・アンヌンツィアータ・SS.ma Annunziata、ここも聖所と。
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       手前に高い城壁が一部残っているのが見えますね。
       現在は中心の方のは無くなっているようですが、
       かっての海賊、蛮族襲撃に備えての要塞化された町だった名残。
       
       ここは後ほどご案内を。




       そしてちょうど真上辺りに見えるのが、町の城・要塞
       四角い城を左右2つ繋いだ形に見えますが、時代が違い、
       右の少し低い方が、13世紀フランスのアンジュー家が占領していた時代ので、
       左の高い方が、16世紀スペインのカルロ5世アラゴン家が拡張したもので、
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       カステッロ・アンジョイーノ-アラゴネーゼ・Castello angioino-aragonese
       と呼ばれ、広さは1万4千平米に及ぶ広いもの。

       アンジュー家の方は近年まで監獄に使われていた様子ですが、
       現在は市の持ち物となり、未来は海洋大学となる予定だそうで、
       アラゴン家の方は戦前はカラビニエーリ(かっての国王警備から派生したイタリア警察で、
       軍隊組織を持ち、イタリア警察とは別組織)の学校だったのが、
       現在は経済警察(フィナンツァ)の海洋学校が入っているそう。


       こうして見て頂いただけでも、海岸沿いから天然の地形を活かし、
       階段状に町が高く重なっているのがお分かりいただけると思いますが、




       町の聖堂に向いつつ、
       真ん中に見えるのが教会サン・ジョヴァンニ・ア・マーレ・San Giovanni a Mare
       海のサン・ジョヴァンニ教会
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       クーポラの形がアラブ式になっていて、
       きっとかっての漁民たちの守護教会でもあったのでしょう、海に面していて、
       10世紀建設を1213年の地震の後に再建したものだそう。

       今は無くなったものの城壁の外、海のすぐ傍にあるため高潮の時には海水が
       内部まで入り込むのが流れ出るよう、床は微かに傾斜していると。
       



       海岸沿いを行きますが、
       大きな建物のこんな形は、今は住居とは言え、以前は何だったのかと思うほどで、
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       こちらはナポリを思い出す造りで、・・生活が窺えるでしょう?!
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       道であったワンちゃん。  あんたのお父さんは、お猿さん?! ははは。
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       遥か彼方からも素敵な威容が見えた町の聖堂の鐘楼で、
       こちらが脇の入り口。
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       鐘楼は12世紀のもので、ニコロ・デッランジェロ・Nicolo dell'Angeloの作で、
       スートゥリ・Sutriや、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ教会でも働いているそう。




       美しい鐘楼の細部をどうぞ
       アラブ・ノルマン形式の影響を受けたロマネスクで、
       3層、2つの窓で、一番上は8角形。
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       緑色の丸いお椀型や、平の四角形など、緑色の濃淡の釉彩を使ったものが
       たくさんはめ込まれ、これは光を受けて輝くのですよね。
       平らな薄目の煉瓦の組み方も工夫されているのが見え、
       白と黒の石をアクセントに、同じロマネスクとはいえやはり表現が違うなぁと・・。
       



    
       鐘楼の下に聖堂への脇入り口の上り階段があり、
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       実は現在の聖堂は、7世紀の以前あった教会の後に建設された
       11世紀のものだそうで、この入口はかっての教会の入口だったそうで、   
       現在の聖堂の正式の名はサンティ・エラズモ・エ・マルチャーノ・Santi Erasmo e Marciano.



       アーチの左右にライオン像が見えますが、
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       向かって左側のは正面から見た時、横向きの顔、とのみ思ったのが、
       何処かからライオン像だけ持ってきてはめ込んだのか、
       怖い顔して空飛ぶライオン、みたいに見え、思わず笑いましたぁ!
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       鐘楼の基礎部の石積み部分
       何ともあっちこっちからのリサイクル利用の石が混じっていて楽しく!
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       入口部分にも柄が入った石がいくつも見かけられたのですが、

       これは階段途中、左右の壁にある石棺
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       ローマ期の物、と思うのですが、この波打つような柄は左右どちらにもあり、
       実は後で見て頂く内陣の祭壇もこの柄なのです。

       土地柄なのか、何か理由があるのか、それともロンゴバルドの柄の影響なのか
       どなたかご存知でしたら、お教え願います

       と、上の竜に羽が生えたような動物、左右に対でありますが、これは竜? それとも鯨?
       というのも、どちらも人間を(ヨナ?)を飲み込む図かとも思い・・。




       内部全体の写真を撮っておらず、これはサイトから拝借し、
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       古いかっての円柱が、はめ込まれた形で残っていて



       こんな感じ。
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       内陣と後陣部分が高い造りになっていて、その下に見える
       4福音者のシンボル像と、コズマ式装飾
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       そして、やはり波模様の石棺利用の祭壇と、脚代わりのライオン像。
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       床の一部に残るコズマ式モザイクですが、ここのは黄色が多く、少し派手目。
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       これは円柱のように太く、全面にキリストの生涯と、サンテラーズモの生涯の
       浮き彫りの入った蝋燭立て、で、
       チェーロ・パスクワーレ・cero pasqualeと呼ばれる、復活祭の前夜に灯される
       蝋燭立てで、キリストの復活を祝うシンボル的なものなのだそう。
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       高い祭壇脇から階段を降り、スッコルポ・succorpoと呼ばれる礼拝堂というか、
       聖人たちの聖遺物を収める為のもので、
       上の内陣、後陣は、このスッコルポのために17世紀に高く建設されたのだそう。
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       今まで各地でお目にかかっていたクリプタ・cripta・地下礼拝堂
       意味は同じなのでしょうが、何とも絢爛豪華で派手な装飾で・・!
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       フレスコ画と大理石、とあるのですが、
       この天井部分は漆喰ではないのかなぁ・・、大理石だと重くなりすぎと思うのですが。


       それにしても、正面の祭壇画の聖人はどなたなのか、
       絵の部分をアップして眺めましたら、なんとお腹を切り開かれておりまして・・!




       半地下の豪華絢爛たる礼拝堂から上がってきましたら、
       ははは、ワンちゃんがおり・・。
       いつもながら、教会内のワン君には、可笑しいながら違和感を持ちますです、はい。
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       ガイドさんの話では、近年この聖堂は修復が済んだ所なのだそうですが、
       なんと修復代が見積もりよりもかなり安く上がったのだそうで、ははは、
       イタリアにしては大変珍しいお話です、と!

       そしてどこから聖堂をでたのか、脇からと思うのですが、
       教会正面を見ておりませんで!
       まぁ、1903年のもので、ネオゴシック調の煉瓦と明るい色石のもの、とあるので、
       ガイドさんも飛ばしたのかもしれませんね、はい。




       さて町中を見物しながら通り、
       これは天然の岩を利用し、隙間にレンガや石を詰め城壁代わりにしている場所で、
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       どうやら隙間から水が漏れ出すのもそのままに、植物が茂っており!




       こちらは上の写真の右側の所で、岩の裂け目がこんな風に!
       夏など天然の自然風で涼しかったりして・・! ははは。
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       ガエータには紀元前10世紀から11世紀には既に移植民がいたものの、
       ローマの下に、紀元前4世紀には皆滅ぼされた様子。

       そしてローマ期にはこの地は別荘地として大変に持て囃されたのだそうで、
       皇帝を始めとして裕福な貴族、執政官、議員達が通い、
       その為にアッピア街道よりも短くこの地に連絡するフラッカ街道・Via Flacca
       造られたのだそう!  やりますねぇ、ははは。

       町の地図で見て頂いた現在の公園オルランド山の頂上にある聖廟、
       というのも、このローマ期のルーチョ・ムナツィオ・プランコ・Lucio Munazio Planco,
       軍人、政治家、執政官、ガエータで紀元1年に亡くなっている彼のもので、
       ジュリオ・チェーザレの将軍でもあったそう。
       
       
       ローマ帝国の滅びた後は暗黒の変遷時代の始まりで
       はじめは蛮族の襲撃、略奪、そしてトルコ人と続き、半島の先っちょ、自然な土地柄と
       防御がし易い事から、城塞都市と変わっていったのだと。

       ガエータで「中世の区画・ボルゴ・メディエオヴァーレ」と呼ばれる古い小高い部分は
       城壁で囲まれ、要塞城も築かれ、近隣からも城壁内に移住してきたのだそう。

       最初の城は6世紀、ゴート人との戦いの物で、後の確かなものは12世紀とあり、
       この間9世紀から12世紀に掛け、町もビザンティン皇帝から自治権を獲得し、
       ガエータ公国となり、その独立を徐々に強固に、
       自国の貨幣フォッラーロ・follaroも鋳造、海洋通商の豊かな繁栄も遂げます。

       海洋国と認められ、アマルフィ、ナポリ、ソッレントと連盟を結び
       ローマに襲撃を掛けようとしたトルコ軍を相手にした849年の「オスティアの戦い」では、
       トルコ軍を総崩れにし敗走させ、
       
       915年にはやはり「ガリリアーノの戦い」でトルコ軍相手に勝ち、
       これで中央イタリアからアラブ人を決定的に退ける事となり、
       その後12世紀末、シチリア王国のもとに約7世紀間の併合を。

       この間13世紀末から15世紀かけフランスのアンジュー家の支配があり、
       16~7世紀をスペインの元に、そして18世紀の短い期間オーストリアの元にと
       変遷をし、最後イタリア王国に入ります。

       ですがあれこれ読んでいて、1571年の対トルコとの最終戦「レパントの戦い」
       のキリスト教国側の艦隊が、ここガエータの港に集結したと読み、
       この戦いにはヴェネツィア艦隊も参加し、勝利していますので、
       単純shinkaiはなんとなしにこの町に親近感を感じたりで・・、ははは。

       
       そうなんですね、海岸続きではありますが、近くのスペルロンガとは違う
       趣は明らかで、スペルロンガは貧しい漁村であったのが、
       こちらはトルコの海賊と戦って勝ち、海洋通商で繁栄した歴史を持っているのですね。

       アマルフィのご案内

       アマルフィの聖堂

       ナポリのご案内 周遊バスで

       ソッレントのご案内





       町の通りもこんな風に並行して上下が重なり
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       小さな広場では、そろそろレストランが昼の準備を始めており
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       これは既に仲間が写真を撮っている姿が写っていますが、
       スピリト・ディ・ヴィーノ・ワインの精神
       ファルマチーア・デイ・サーニ・健康薬局  とあり、ははは、飲み屋で~す。
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       通り抜けていく道脇に咲く鉢植えの花々
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       そして、サンティッシマ・アンヌンツィアータ・Santissima Annunziata・
       聖所お告げの聖母マリーア教会に。
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       建設は1321年からで、1352年に聖別され、17世紀にバロック様式に
       改築され、現在見るのはその形なのだそうで、
       一番上に小さな帆型の鐘楼、マヨリカ焼きの時計が見えますが、
       大きなゴシック様式の鐘楼も後陣右脇に。




       内部は細めの一廊式ですが、ご覧のようにここも豪華なもので、
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       祭壇の大理石装飾と、
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       床の柄
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       17世紀のパイプ・オルガンの席
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       一旦教会を出て、別の棟にある礼拝堂に行く時に見た、
       これ、何かわかりますか?  捨て子を入れる場所、です。
       ここに捨て子を入れ、ぐるっと回すと、建物内で受けて呉れたのですね。
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       やはり繁栄の時代を迎えた町でも、貧しくて生まれた子供を育てられず、
       捨て子に来た親がいたのですね。

       この教会では、受胎の聖母マリーアの名にちなみ、病院施設もあったそうですから、
       こんな捨て子を受ける場所も備えていたのでしょう。
       



       かと思うと、こちらの棟にあった「黄金の礼拝堂・カッペッラ・ドーロ・Cappella d'Oro
       天井は木製彫刻の金塗りで、周囲に19枚の油彩「キリストと聖母の生涯」を描いたもの。
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       何とも豪華なものですが、装飾も絵もまるで趣味が違いまして・・!




       小さな中庭に出てきて、この黄土色と小さな井戸、敷石の模様にホッとし
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       教会の高い脇壁の道を通り戻りますが、
       かっての町の城壁は、唯一、この教会の入口あたりで町に入れたのだとか。
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       やれやれ、やっとお昼ご飯だ!と喜んで歩きましたが、ははは、



       
       最後はサイトで見つけた写真で、
 
       オルランド山の公園から見たガエータの夜景を。
       この角度からだと、城のある位置が良く分かりますねし、
       これだと、如何に屈強なトルコの海賊でも攻められませんよね?!       
       う~ん、これは見たかったなぁ!!
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       長い町案内にお付き合い頂き、有難うございましたぁ!!
       

       

     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-14 03:13 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 09日

   ・・・ テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 ・・・

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       今回のご案内はローマから南に110kmほど、車で1時間半程の
       距離にあるテッラチーナ・Terracinaのご案内を。

       昨年春の南ラツィオの旅行では、ここの浜辺沿いのリゾート・ホテルを
       基地にして、あちこちに出かけたのでしたが、
       テッラチーナの旧市街の見学は最終日になっていたのですね。

       で5月の煌めくような朝早く、浜辺のホテルを後にし、
       一路こんなアッピア街道を模したような道を行きます。

       今回は写真が多くなりましたので、ごゆっくりどうぞ!



       これは通りすがりに見えた町のローマ門。 ご丁寧にS.P.Q.Tと!
       S.P.Q.Rだと「元老院とローマの人民」となるので、
       どうやら「テッラチーナの人民」の意味を込めている様で、
       シャレというか、どこか親父ギャグみたいで、ははは。
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       ですが我々は一旦町を通り過ぎ、町外れの山上にある
       アンクスールのジュピター寺院の遺跡見学に先に行きます。

       これが港から見上げたアンクスールのジュピター寺院・Tempio di Giove Anxur
       そうです、この高さに大きな寺院があったのですね。
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       ですが寺院遺跡のご案内は苦手の上長くなりすぎますので、
       写真で様子を見て頂けるよう、水彩ブログの方に載せましたので見てやって下さい。




       街の様子の地図をどうぞ
       街全体としては海辺沿いにずっと細長く西に続きますが、
       ジュピター寺院と、色がほんの少し濃い囲った旧市街の位置を。 
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       テッラチーナと近くの街の関係地図は




       現在のテッラチーナの人口は4万6千人程。
       これは小高い位置にある旧市街部分以外の、
       下の街と呼ばれる部分の方が大きいと思うのですが、

       バスで山の上のジュピター寺院を見るのに道を上っていく時に、
       かっての町の城壁が良く見え。
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       テッラチーナは紀元前6世紀の末には既にローマの勢力圏にあったようで、
       その後古代イタリア民族のウォルスキ族の下にもあったのが、再度ローマ人にと、
       繰り返された後、紀元前312年にアッピア街道が通り、ローマ期が続きます。

       ビザンティンの時代を経て8世紀から9世紀は教皇領になり、
       中世にも、このローマに近いこの町は様々な変遷を経ることになり、

       町の繁栄も衰退も何度もあった様子で、16世紀にはマラリアの蔓延で、
       町の人口はわずか150名にもなった事もあった様ですが、

       近代となり干拓事業も進み、新道路もつき、観光地として栄えている様子。



       さてジュピター寺院の見学から町に戻り、城壁の外でバスを降り、
       ガイドさんに連れられて細い道を下りながら、ローマ遺跡の中を通りますが、
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       位置としては、今見える鐘楼が現在の中心広場にある聖堂サン・チェザレーオ・
       San Cesareoで、正面の建物類は18世紀に増改築された聖堂部分。
       
       現在カピトリウム・Capitolium(ジュピター神殿のある聖地の意)と呼ばれる
       ローマ遺跡群は、後にご覧頂く中心広場の北東、という事になります。
       
      



       まず驚いたのがこの美しい壁!! 斜め格子状に石を組むのはポンペイ遺跡でも、
       スペルロンガのティベリオの遺跡でも見ていますが、  
       ここのは凝灰岩の茶と石灰岩でまさに格子柄になっているのですね。
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       脇はこんな形で、高台になっていて、角に
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       角にこの円柱が1本残ります。
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       狭い場所で、すぐ脇にはこんな風に家が立て込んでいて・・
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       上の写真の壁は正面に回ってくると、こんな感じに2重になっており、
       かっての仕切壁だったのが分かるのですが、
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       ここには、現在の聖堂に含まれた形になった大寺院とは別の
       小寺院があったのだそうで、これらはその遺跡で、
       
       つまりこの小寺院の中は3つに別れ、それぞれにジュピター、ジュノー、ミネルヴァ
       3神が祀られていたと。

       


       上の写真にも見える、奥の家の壁に残る色付きの部分にご注目を
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       屋根の形が分かる事から、かってあった建物の壁を利用して、
       後に建て増しをされていた事も分かり、これが神殿を隠していたのだそう。

       実はこの一帯、第2次大戦の時の爆撃で上にあった家々が被害を受け、
       それでこれらのかってのローマ遺跡が明らかになったのだそうで・・!


       右手に見えるアーチの上にも、かっての壁跡が見えますし、

       我らは今回見なかったのですが、中央奥に見える小アーチの上に小路が見えますね、
      
       あれを左奥に行くと・・・、




       こんなテアトロ・劇場跡が4分の一程も見え、これも爆撃で明らかになったのだそう!
       他の部分は上に家々が立て込んでいるのだそうですが、
       近年の研究では、劇場の直径が約72m、4000人ほどの観客収納数の大きさと。
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       脇道の角の上階の柱、これも明らかに神殿の柱をリサイクル利用していて、
       ここはどうやら現在の聖堂の一部の様子!
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       これは何だろ? 浴槽?
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       遺跡につきものの猫ちゃん。 少し痩せぎすね。
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       こうして旧市街の中心広場かってのローマ期のフォーロ・エミリアーノ・Foro Emilianoに
       塔は聖堂の鐘楼と同じ時代12,3世紀、同じ高さ、とあっても探しても高さは見つからず、
       塔はフルメンターリア・frumentariaというので、穀物倉だったと。
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       塔の右手のモダンな建物と奥側とともに市役所だそうですが、




       ついでに塔の横の階段の様子も見て頂き、
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       古い側の市役所の壁もご覧下さいね。 
       そうなんです、かってのこの建物の壁も2色の格子壁、
       つまりローマ期の何か古い建物があったのでしょうね!
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       そして広場の西を占める聖堂サン・チェザレーオ・San Cesareo.
       元々あったローマ期の大寺院を含む形で大きく建設されたもので、高台に
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       聖堂の右に見える建物は、13世紀のパラッツォ・ヴェンディッティ・Vendittiで、
       元々は市の建物だったそうで、下に見えるアーチをくぐると、上で見て頂いたローマ遺跡で、
       
       このアーチの下をかってのアッピア街道が通っていたのですね。
       



       鐘楼、12~3世紀。 こちらも2色使いの素晴らしいもので、上階に行くごとに
       窓の幅が広くなりますが、これは重量を減らす工夫だったそう。
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       そして装飾にはめ込まれた色付きの丸い鉢のようなもの、お分かりでしょうか?
       彩りを添えますが、修復の際に取り替えられたものだそう。

       同じ彩色陶器を使う工夫がポンポーザの修道院にも




       元々の教会はローマ期の寺院があった上に建てられた9世紀のものだそうですが、
       聖別されたのは11世紀、鐘楼とともに内部の修復も12~3世紀と。

       教会前のロッジャ部分の、モザイクによる装飾は現在右側にしか残っておらず、
       何のモチーフかまだ明らかではないそうですが、最初の十字軍遠征であろうかと・・。
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       軒下の装飾部分。 人物像が見えるのは、玉座に座る人物と。
       その右にいるのは猿のようで・・!
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       入口前の円柱の下の飾り部分。 背を向けて座っている人物や
       ライオンというのですが、残念ながら破損部分が大きくて。
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       こちらは良く分かるライオン像
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       こちらのサイトに、聖堂の装飾の詳細写真が。       




       さて、聖堂内部。左の説教壇にご注目を。 と祭壇部分
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       ここの説教壇のコズマ式装飾が素晴らしいもので!!
       と言いつつ、暗くてshinkaiの写真はピンぼけが多く・・、とほほ。
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       説教壇を支える者たち! 素敵ぃ!
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       古い起源の町に残っていた遺跡群の中から、リサイクル出来るものは
       ちゃんと皆再利用した様子でして、はい、
       これらライオン像もそうなのではないかと・・。
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       床のコズマ式装飾がまた素晴らしく!!
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       これは柱に残っていたもので、全盛期には柱にもこれらの装飾が、多分!
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       コズマ式装飾の素晴らしいのには、サレルノの聖堂でも出会い、

       アマルフィの聖堂でも
       http://italiashio.exblog.jp/15410032      
       



       さて聖堂から出まして、
       かってのローマ期のフォーロ広場の敷石
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       広場の東南側の端、3段の高台にも円柱が並ぶ部分が有り、
       ここも爆撃の跡から日の目を見たローマ期の遺跡部分で、
       その右奥に見えるのは、中世の塔の跡と。
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       何度か爆撃の跡から見つかった、明らかになった遺跡、と出てきますが、
       爆撃がなければ未だに立て込む家々に埋まり、、多分このあたりにある筈、
       というだけで見れなかった訳で、 ・・へへ、こういうのは、喜んでも良いですよね?!




       そしてその前に見えているこれが、元のアッピア街道の敷石
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       ローマからこのテッラチーナまで約一直線に繋がるアッピア街道が建設されたのが
       紀元前1世紀の末から紀元後1世紀のはじめだそう。

       このテッラチーナからは斜めにイタリア半島を横切り、アドリア海沿岸南の
       ブリンディシまで連絡していた、いわばローマ帝国の大幹線道路だったわけですね。

       この古いアッピア街道は中世には廃れたのだそうですが、
       後に干拓事業がされ、16世紀頃から徐々に旧アッピア街道に沿っての
       拡張工事が進み、今回南ラツィオで見た美しいアッピア街道の姿
       


       いやぁそれにしても、ここでこんなにしっかりした形で残るアッピア街道を見れるとは!
       フォーロ、かってのローマ期の市民広場、集会場であったフォーロの中を通り、
       大神殿横のアーチを潜り抜け、町を走り、通り抜けていったローマ期の軍勢、人々。
       そんな姿が彷彿とするアッピア街道の一大拠点が思い浮かびましたし、

       かなりの遺跡跡、美しい壁も見れ、テッラチーナの町を新しく知り、見直した事でした!!




       このアーチは、かって4つあったそうですが、実はどの部分で見たのか記憶に残っておらず・・!
       市のサイトにはArco Onorario Via Appia・アッピア街道の名誉門とあり、
       他に読んだサイトの説明では、アッピア街道はこのアーチの下を通って、ここから坂道を上る、とあり、
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       写真番号からしても、ひょっとして中心広場から出ての下り道にあったのかも・・。




       上のアーチの脇に咲き誇るブーゲンビリアの赤い花。 やはりここは南国!
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       さて、聖堂の眺めにも別れを告げ
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       我らは坂道を下り、バスとの集合場所に向いますが
       旧市街のある高さがお分かりでしょうか? 海がこんな風に見えるのです!
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       かなりの道のりの坂道をせっせと歩きながら、こんな街頭も眺め
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       車の陰で涼む猫ちゃんも撮り。 この隣に顔がクチャクチャのライオン像もあり・・。
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       こちらはトドみたいな、ははは、ライオン像を見かけ、
       サイトで同じライオン君の写真を見つけましたが、アルビーノ門の葬式のライオンと!
       ははぁ、どこかの墓所から持ってきたのでしょうね、きっと。
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       遂に坂道を下り、やはりまっすぐな松並木の道を見ながら、
       我らは右に曲がり、
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       暫く下の街の、こんなオレンジの並木道を歩き、バスとの待ち合わせ場所に。
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       そしてテッラチーナと、南ラツィオの街々と別れを告げ、
       一路ヴェネトの家に戻ったのでした。

       テッラチーナのご案内、お楽しみいただけましたように!
       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました


       この時の旅行で訪れたガエータの街のご案内もまだでして・・、
       は~い、頑張って写真整理もすることに。




     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-09 01:07 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 01月 25日

   ・・・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ ・・・ (旅行 お出かけ)

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       すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
       プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。
       
       このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
       11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
       内部装飾などでは有名画家の収蔵作品などはないものの、

       国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
       そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、化粧品、ワインなど
       その活動で大変有名な修道院です。
        
       プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を受けた事も
       あったのですが、ヘっヘっへ、忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
       改めて資料を読み、今回ご案内を!

       上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所




       近くには大きなヴィッラも見える、気候温暖な事でも知られるパドヴァの南西部
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       道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所
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       それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 高い城壁を兼ねているような建物群が
       ぐるりと周囲をめぐります。




       プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ
       パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下ってエステ・Esteに至る、
       県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置します。
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       少し南東に行くと、有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Termeがあり、
       南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者であるペトラルカ・Petrarca
       古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。




       さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
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       入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でしたね。
       内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、この時はかなり待ちました。
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       待合室から内部の回廊が見えましたが、
       奥の建物の壁にかってはフレスコ画装飾があった様子ですね。
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       壁にあった聖母子と聖ヨハネのフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、
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       部屋の隅にあった修道院特産品のウィンドウなども覗き!
       左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、
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       様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。
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       勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
       サイトはこちら



       待ち時間が長く、一旦表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
       城のような背の高い壁に圧倒されます!
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       とにかくきちんと整美されており、ゴミなども勿論落ちておらず! はは。
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       軒下に見えた陶板の飾り
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       1箇所、こんな風に壁の開いている場所があったのですが、
       手前に柵があり、近くまで寄れず・・。
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       山側には、養蜂の箱
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       待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真
       サイトで見つけた平面図と見比べましたので、大体の位置をご説明いたしますね。
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       写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
       その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、火のある普段の部屋(台所、食堂?)
       そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ・回廊部分が2重になっているのだそう。

       その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
       左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
       左側の、屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ・食堂・会議室

       右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培をしていた回廊と。
       一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ、かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
       にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。

    
       所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
       マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polironeに従属する形だったのが、  
       14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
       15世紀中頃にはパドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会のもとに入り、19世紀まで。

       1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、僧侶たちは追放されますが、
       4年後にオーストリア軍の下で再び修道院は活動を再開。
       が、1867年にイタリア国となって後、再びすべての修道院の廃止となり、
       当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
       他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
       イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
       1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
       同年の10月には再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
       カンティーナも持つほどのワイン製造をしているので、
       多分この写真にも見える周囲の葡萄畑はすべてこの修道院のものと!


       サンタンティモ修道院
       
       サン・ガルガーノ修道院

       プロヴァンス  セナンク修道院 1と2




       さて漸くに見学の時間が来て、
       待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り
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       聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。
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       見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
       こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
       適度に剥落し、とても良い色合いに。
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       ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという回廊部分ですが、
       現在はきれいな植え込みの風景に。
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       廊下に見えた「聖母子と天使像」
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       そして、キオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊
       周囲の屋根からの雨水はすべて濾過されて井戸水として使用される方式。
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       この回廊周辺がすべての僧侶たちにとって一番使われている部分なのだそうで、

       脇にあったこの部屋はロープが張ってあるので、現在使われていないものと思いますが、
       真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
       この部屋に僧侶たちが集まり、会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。
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       廊下にあった16世紀の手洗いの泉、大変美しい大理石の嵌め込み柄。
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       細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、直訳すると食堂なのですが、
       この素晴らしい作りと飾り付けから見て、会議室でもあったでしょうか。
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       廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
       奥は葡萄畑のようですが、手前は現在の薬草畑と?
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       そして、手前の植え込み部分
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       回廊の見学を終え、廊下を行く、左がガイドをして下さった僧侶。
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       廊下の上から見下ろす、修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。
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       傍らに、ちょうど花を開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
       ちょっと蕾の形がちがうような気もするなぁ・・。
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       この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

       こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館
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       そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。




       有名な古書の修復ですが、
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       1951年の秋から始められていて、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、版画、写本、
       手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の手紙類、と全てに及び、
       正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数であろうと。

       1966年のフィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
       すべてでは約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

       インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの被害などから
       価値ある古書を救い、できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

       Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
       E mail: restauro.libro@praglia.it
       と連絡先も。




       葡萄畑での収穫の写真
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       さて、最後の見学は聖堂内を。
       我々は横の入口から入ったのですが、まずは正面入口側からの様子を。
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       祭壇前の大理石の床模様羅針盤ですね。
        済みません、うっかり羅針盤と書きましたが、
        これは「風の薔薇」と呼ばれる風見、風の方向を示す柄と思います。
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       外に出て聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。
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       聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭の
       塀の中と、咲き乱れる薔薇の花
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       近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、それでも千年近い歴史を生き抜き
       この長閑で温暖な地で営々と農業を営み続け、今に至る修道院

       元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院などは、
       ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
       この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
       僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし過ごして来たのでしょう。

       ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

       修道院のサイトの、このページの下にヴィデオが2つあり、
       上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     



     *****

       ヴェローナのサンタナスターシャ教会でご案内したピサネッロのフレスコ画、
       「サン・ジョルジョと姫」に見える騎士2人、姫の左と右のどちらがサン・ジョルジョか?

       コメントで疑問を頂き、再度調べてみた様子を「再追記」しました。


     *****

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       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-01-25 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 01月 05日

・・・ サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ ・再追記・・・ (旅行・お出かけ)

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       今回のご案内は、以前訪問したまま纏めておらず、
       時に思い出して気にかかっていたヴェローナの
       サンタナスターシャ教会・Sant'Anastasiaを。

       ここには皆さんも良くご存知の、ピサネッロの傑作「サン・ジョルジョと姫」
       のフレスコ画があり、30年程も前の訪問時に見ているのですが、はい、
       その後こちらに来て後何度かヴェローナに行った時は教会自体が修復中。

       焦がれていたピサネッロのフレスコ画に再会できたのは4年前の夏。
       暫く以前から美しくすっきりとなった教会正面を見てウズウズしていたのでした。

       という様子で、写真も整理し直しましたのでご覧くださいね。

       上は、中心のエルバ広場からまっすぐ教会に向かい、正面に見えてくる時
       この遠い位置からだと左奥の鐘楼が見えるのですが、
       教会正面からは見えませんので、最後にご覧頂く事に。




       サンタナスターシャ教会はどこにあるか、地図をどうぞ
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       ヴェローナの旧市街、ローマ期からの町があった突出部、
       アディジェ河・Adigeが大きく湾曲する、地図番号10の位置に。

       ちなみに11がドゥオーモで、2,14辺りがエルベ広場、
       下に見えるが野外劇場・アレーナ。
       一番左の川岸に見えるがカステルヴェッキオ、次回にご案内を。




       さて、こちらが正面
       12世紀末の建設で、正面扉の周囲は大理石で整備されているのですが、
       それ以外は建設時のままの煉瓦の見える姿、いわば未完のまま。
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       教会前広場の左手にも一つ教会らしきものも見えますが、
       サンタナスターシャ教会との接続部に見える棺についても最後に。

       右手はヴェローナの有名ホテル、ドゥエ・トッリ・Due Torriで、
       13世紀からの由緒ある館だそうで、一度泊まったことがありますが、
       貧乏shinkaiにはまれな経験で、ははは、
       ロビーなどはやはり素晴らしいものでしたぁ!




       正面扉周辺の5連の大理石アーチは、白とヴェローナの赤い大理石、
       と、黒と説明されていますが、実際は青いグレーに見える石を使っていて、
       如何にもサンタナスターシャ(聖女アナスターシャ)という教会名に相応しい感じ。
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       ですが、このサンタナスターシャという名は現在の教会の建設以前にあった教会名で、
       13世紀に建設されたのは、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる、
       ヴェローナの守護聖人でもあるドメニコ会派の僧に捧げられたもの。
       が、街の人々はずっとサンタナスターシャ教会と呼び習わしているのだそう。

       扉上部の横枠の真ん中、円柱の上に聖母子像、右に輪のサンタ・カテリーナ像、
       そして左に見えるのがサンタナスターシャと。




       夏の強い日差しの下の写真で、扉脇の聖人像も霞んで見えますが、
       扉は15世紀のものと。
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       扉右脇にある碑は、この教会が捧げられた殉教者サン・ピエトロの生涯を描き、
       上に13世紀半ばの殉教時の姿がありますが、
       その左下、頭に大きな斧みたいなのを受けた姿が分かりますか?
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       ドメニコ会派の白と黒の僧服を身につけ、頭の真ん中に大きな包丁、という
       殉教者サン・ピエトロの姿は絵画の中、また像でも時々見かけ、最初は驚き!でしたが、
       名前を知ってからは、あ、ここにも居られる、と・・。 はは。
       ローマ・ヴァティカンのサン・ピエトロとは別人、殉教者サン・ピエトロです。
       



       さて、中に入ります。
       ご覧の通り、大変きらびやかで、長い世紀のうちに何度か改修されたそうで、
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       天井はこんな様子
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       主祭壇の内陣と後陣
       木製彩色の十字架のキリスト像があり、その背後にステンドグラスの
       長い窓が見えますが、このステンドグラスは20世紀になってからの物と。
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       で、両脇の壁には、




       右手にはフレスコ画が見られ、これは「最後の審判」のテーマと。
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       左手には、この教会の特色の中でも抜きん出た
       コルテジーア・セレーゴ・Cortesia Serego(1335頃-1386)の記念墓碑
       15世紀初頭があり、上の写真でお分かりのように、壁面いっぱいの大きなもの。
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       棺の上に騎馬像が見えますが、棺の中には何もない記念墓碑で、
       棺部分には正面に5つと、両脇に1つずつの壁龕が見えますが、
       ここにはセレーゴ家の業績を示す青銅像が納まる筈であったそう。


       セレーゴ家というのは、ヴィチェンツァ出身の傭兵隊長で、
       コルテジ―アの時代にヴェローナに出て、スカラ家の軍指揮官として
       活躍した人物の様子。

       この記念墓碑を作ったのは彼の息子のコルテジ―ア2世で、
       騎馬像に跨るコルテジ―アが手にしているのは、指揮を取る棒。

       棺の両脇に立った兵士が重たい緞帳を掲げ、右側の兵は帽子を取って
       敬意を示し、緞帳の一番上にも抜き身の剣を持った持った兵士。

       写真では少し見え難いのですが、緞帳の締め具の一番下の部分、
       赤い部分には剣が3本描かれ、これがセレーゴ家の紋章なんだそうで、
       一番上の兵士の剣も納得です。

       周囲を取り巻くのは金色の枝とアカンサスの葉、そして肉厚の大きな白い花。
       どうやらこれらは当初は彩色されていた様子で、ご想像下さい、
       背景のブルーの中でひときわ鮮やかであったろうと。




       上部は両脇に建物が見られ、空に浮かぶのは「天国」だそうで、
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       下の方に天使がいるのは判断できますが、なにせ見た時はそこまで
       意識して見ていませんで・・。





       主祭壇の右にあるのが「巡礼の礼拝堂・Capella Pellegrini」ですが、
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       主祭壇のアーチの上、左右に見える梯子の紋章は、
       ヴェローナの繁栄の領主、スカラ家の紋章。

     ◆ 追記を。
       「巡礼の礼拝堂」と訳を付けたので「小父さん」から疑問を頂きましたが、
       巡礼のための礼拝堂ではなく、ペッレグリーニ・巡礼という性を持つアントニオという人が、
       1492年に遺言で礼拝堂をつくる依頼とお金を残し、造られたという謂れです。
       



       ここにお目当ての、ピサネッロ(1390頃-1455)の傑作
       「サン・ジョルジョと姫 」のフレスコ画が!
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       30年ほど前にやはりこの絵を目当てにやって来て、
       が、絵を見たのはこの場所ではありませんでした。

       今の聖具室だったか、普通の部屋の天井の高さで、その下にあり、
       暗い部屋の中で見つめていると、たまたま入ってきた教会関係者と思われる
       シニョーラが電灯のスイッチを入れてくれ・・、という思い出があり、

       その記憶が余りにも強く残っていたもので、今回
       この高い位置にあるのに気が付くのに、かなり時間がかかりました!

       そうなんですね、ちょうど絵の中心が山形にくびれており
       考えてみれば、まさにこの礼拝堂入り口のアーチにぴったりで、
       この場所に納まる事を条件に描かれたのだと、納得した事でした。




       右側の「サン・ジョルジョと姫 1436-1438」の部分
       2人の間に白い馬の大きなお尻があり、背景の煌びやかな町の建物、
       そして左に見える2人の吊るされた男、と、どこか謎めいた構成。
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       姫の横顔は、如何にもピサネッロの描く女性の横顔で、
       額が素晴らしく出た白く繊細な細面、大きな装飾の被り物と美しく、

       良く見る構図、龍退治のサン・ジョルジョの横に添えものの姫、とは
       一線を画した構成。
       それに引き換え、サン・ジョルジョが余り男前でないのを
       いつも疑問に思うのですが・・、ははは。

     ◆ 追記です
       shinkaiはずっと、サン・ジョルジョは姫とは馬を挟んだ左側の、
       金髪の男と思っておりましたが、
       そうではなく、姫の右側、綺羅びやかな馬具を付けている白馬の上に見える顔
       兜をつけ、馬に跨る姿がサン・ジョルジョなのだと知りました!!
       あれま、こんな所に誰かがいるとは気が付いたこともありませんで、
       そう知って見ると、確かに凛々しい顔の男性です!
       それに、右手に長い槍と思われる武器も持っています。

       大変、失礼をば!
       が、そうすると、姫とは反対の方を見つめている事になり、
       誰もが視線を合わせない事にもなり、尚更不思議な構図だとも思います・・。

       写真、追加。  この方がサン・ジョルジョです
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     ◆ 再追記を ◆

       サン・ジョルジョが姫の左側にいる男性か、それとも姫の右側の馬上の男性か?

       改めてmitsuさんから質問を頂きましたので、もう一度あれこれサイトから
       関連した記事を引き、読んでみました。

       サン・ジョルジョとして出てくる男性の顔は、上に載せた兜をかぶった騎乗の顔が
       いくつかあるのですが、
       このフレスコ画描写にうんちくを傾けている記事に、こんな説明を2つほど見つけました。

       まず姫と馬のお尻を挟んでいる左側の男性の写真をどうぞ。
d0097427_18112192.jpg
       つまり左の男性は、左手を馬の鞍に掛け、左足を馬の鐙に置いていて、
       姫に別れを告げ、龍との戦いに出かけるため、
       今まさに騎乗の人となろうとしている所、と。
       少し呆然としているかにも見え、ほんの少し口を開け歯もみえる、
       光輪にも似た金髪の髪と。
       
       確かにそう指摘されて見ると、左手と左足の位置は、まさに馬に乗る前の姿で、
       やはりこの左の男性がサン・ジョルジョとして、ピサネッロは描いているのですね。
       そして姫は彼を見送っている姿。
       で、右の騎乗の男性は、サン・ジョルジョの侍者が槍を持っている姿と。

       そうですね、イタリア版のウィキには右側の騎乗の男性とありましたが、
       左の男性がサン・ジョルジョと考えたほうが、姫とも向き合う形になり、
       主題がはっきりしてきますね。

       mitsuさん、コメントに疑問を書いて頂き、有難うございました!!
       お陰様で自分が納得の行く答えを得られ、とても嬉しいです。

       
       所であれこれの記事を読んでいて、改めて知った事を幾つか

       絵画の歴史において、ピサネッロが初めてこのフレスコ画の中において、
       馬を正面からとお尻から描いたのだそうで、これによって絵の奥行きが得られている。
       それまでは常に横側からの姿、この方が描きやすくもあり、だったのだそう。

       そして、右側の馬の顔を見た時、ちょっと鼻がおかしいな、とは思ったのですが、
       これは中東に於いて、馬が走った時に空気が吸い込みやすいようにと、
       かっては馬の鼻孔を切り取っていた!のだそうで、
       ピサネッロはどこかの宮廷において見かけた馬をデッサンしていたのだと。

       今回あれこれ写真を探している時に、ピサネッロの様々なデッサン
       また纏めてご覧頂きますね。


     ***




       真ん中に美しい空色の海が広がり、帆船の姿も見え
       この色で全体が残っていたら、さぞや素晴らしく煌びやかであったろうと!


       左側は、龍退治、または既に退治された龍であろうと思うのですが、
       残念ながら森の動物たちの姿と、左下に頭蓋骨が認められる位・・。
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       左側の絵の損失は、壁からの雨水の染み込みのため、というのも改めて知りました。
       周囲の縁飾りの部分などにも金色が使われていたらしいのですが、
       それらも損失した、という事です。

       壁画全部を剥がし、それで聖具室の方に長らく、教会自体の修復が済むまで、
       置かれていたと云う様子です。
       

       それにしてもこれだけの素晴らしい絵が、こんな高い場所に!
       少し高すぎる、のが残念ですね。

     


       こちらはその右隣にあるロザーリオの礼拝堂、なのかどうか、少し不明です。
       というのも今回この絵が3段の絵画の真ん中に収まリ、立派な礼拝堂に安置された
       写真が見つかったのですが、この背後に見られるのとは違いまして・・。
       仮の姿で、ここに安置されていたのかも。
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       礼拝堂は祭壇脇に2つずつ、そして脇壁に添って別の祭壇もあるのですが、       
       ピサネッロを見ただけで十分に満足してしまい・・!




       主祭壇の前、左側の壁のフレスコ画
       開いている扉は、聖具室への扉だったと。
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       祭壇に向かって左側の壁中程にあったオルガンの周囲
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       オルガンを挟む形で前にある2本の円柱の右、写真の中で一番右の円柱に
       見える立ちあがったライオンの紋章、これにご留意を。




       床の大理石模様。 床は建設当時15世紀中程のままだそう。
       白と黒はドメニコ会派の僧服の色であり、赤はこの教会が捧げられた
       殉教者サン・ピエトロの血の色を現わすと。
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       こちらは右の壁にあったと記憶する祭壇と祭壇画
       全体に大変装飾の素晴らしい祭壇で、絵も美しいでしょう?!
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       脇にあった小礼拝堂の形を取るもので、
       絵もはげ落ちさだかではありませんが、上部の飾りが素晴らしく、
       下部の大理石は、ひょっとして古い石棺のリサイクル・・?
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       これは教会入り口近くにあった聖水入れと、それを支える男の像
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       左右にあり、こちらは手を膝に置いていますが、
       もう一方のは、片手を頭に置いていると。  見ていませんで・・。




       訪問したのが夏の盛りとあって、入り口付近は大変明るかったのですが、
       照り返しの陽の中で、大変に清楚な美しさだった左側の壁の
       フレスコ画装飾の礼拝堂の上と下
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       そして、全体の姿をサイトから拝借し、ボルディエーリ・Bordieriの祭壇と。
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       他にもたくさんの祭壇、そして祭壇画、彫像などもあったのですが、
       自分の好きなものを主に選びまして、これで失礼を。


       参拝者たちの捧げる蝋燭の明かり
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       15世紀からの古い木製の扉を通り、外に出ます。
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       最初の写真左側に見えた、教会前広場の様子で、
       右側に教会からの接続部に見える門扉と、その上の柩
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       門扉の奥の中庭は、現在音楽学校なんだそうですが、
       石棺と上の屋根はこんな形で、
       この中の主はグリエルモ・ダ・カステルバルコ・Guglielmo da Castelbarco,
       (生年不明-1320)
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       そう、カステル・アーヴィオ・Castel Avioのご紹介の時に出た  
       カステルバルコ家の一番の繁栄時の領主ですが、
       当時の習わしとし、権力と財産を持つ人物のみができた教会建設の援助、
       このサンタナスターシャ教会の建設に大きな援助をし、
       主祭壇近く、またオルガンの前の、立ち上がる獅子の紋章はカステルバルコ家の物で、
       後には同じヴェローナのサン・フェルモ教会・San Fermoの建設にも関わったと。

       彼はここに葬られる事を願い、この形で埋葬されていますが、
       これが後にヴェローナの領主として君臨したスカラ家の墓所
       「アルケ・スカリージェレ・Arche Scaligere」の姿となったと。
     

       アルケ・スカリージェレの写真はこちらに
  
       ヴェローナの街の中心ちょっぴり

       ヴェローナ全体のご案内は、こちらから



       最後はエルベ広場のランベルトの塔の上から見た
       サンタナスターシャ教会の姿を。
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       これだと左奥の鐘楼も良く見えるでしょう?
       高さ72m、鐘楼の鐘は15世紀に5つだったのが、19世紀になり
       ヴェローナの名家からの寄贈で現在9あるそう。

       一番大きなのは1787Kg 直径が145cmもあるそうで、
       これだけの数の鐘が揃うと、かなりのメロディーを奏でる事が出来るんですと!

       

       ヴェローナのエルバ広場で日本人観光客の評判を聞いたことがありますが、
       ミラノからヴェネツィアに行く途中に、15分間だけね!って。 ははは。
       
       いやぁ、なんのなんの、見所がいっぱいの街で、しかも都会、お洒落です。
       訪問のチャンスが有りましたら、ごゆっくりどうぞ!!

       私はカステル・ヴェッキオのご案内を纏めないと・・!
       



     *****

       皆さま、いつもブログご訪問有難うございます!

       実は3日の朝から我がPCのインターネット接続が出来ませんで・・!
       モデムも正常、接続も出来ていると出るのですが、
       いざクリックすると「このサイトには届きません」と画面に。

       店は3日は休日と言うので、一日必死に絵を描いて我慢をし、
       そうなんです、お絵描きをすると無私の心境になれるので! ははは、

       昨日朝一番に店に持ち込みましたが、なぜならテクニコに来て貰うには
       数日かかるのはもう既に十分承知の助で、いつもPC本体を持ちこみますが、
       悪い予感通り昨日一日で戻らず、何がどうなっているのか電話をしても、
       その後の連絡がなし・・!!

       ブログの記事の方は4日朝の内に書きかけていたのですが、
       夕方になり、これは最低明日5日のお昼までかかりそう、と
       見極めざるを得ず、さてどうするか?!


       私はPCはいつどんな故障が起こるとも知れず、故障が起きて後では
       どのファイルも引き出せない、と考えているので、
       作業はPC本体を使っても、ファイルや写真はすべて外付けメモリーに
       保存していて、手元にあります。
       それで、何年も使っていなかった、まだ捨てていなかったノート・パソコンを
       引っ張り出し、ウィンドウズ・ヴィスタの一度雷にやられた奴で、

       改めて電源を入れ、NECの日本語でも何が何やら分からない設定をいれ、はは、
       かなりの騒音がするのも我慢し待つ事久し、なんとか復帰できました!

       有難い事!! やれやれ。   
       これからはちょいちょいスイッチを入れ、予備に据えて置かないと!


       それで外付けメモリーのファイルも読め、記事も続けられ、
       インターネットは使えないのでスマート・フォンで検索をかけ、
       古いPCにも入れていた写真ソフトも使え・・、

       夕方、状況は如何にと電話して来た友人相手にさんざ店の悪口を言い
       発散し、ははは。

       なんとか今夕のブログ更新に間に合うと思うのですがぁぁ、
       さて、どうなりますか!
       これを書いているのは朝9時前で、もうじき店が開きます。


       ・・という事で、皆さんにこれを読んで頂けている通り、
       午前中に無事我がPCが戻ってまいりました!

       ですが、テクニコの所では何にも問題なく、インターネットに接続できたそうで・・!!
       電気屋に修理に持っていくと、何も故障がないというのと同じでして・・、クソメ!
       
       ジュリアーナにメッセージを送りましたら、ベファーナの魔術だ!
       でも、今夜のヴィン・エ・パン(日本のトンドと同じ)で燃やすから心配するなと。
       はぁ、新しいPCなのに、早々に悪さを覚えないように願いますです。
       
       

     *****

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       アップしています。    
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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-01-05 23:38 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(20)
2016年 09月 16日

   ・・・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門 ・・・

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       2年前のちょうど9月に出かけましたヴォルテッラの町。
       今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から
       少し南に下った所にあるエトルスク門を。

       町の入り口にある展望台から見た、
       真ん中のとんがり屋根の8角形の建物が洗礼堂で、
       その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れてちょこっと
       見えるのがドゥオーモの正面




       先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を
       シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、
       ヴォルテッラの町はちょうどほぼ中間の位置に。
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       この位置だと、さぞやかっては両方の町からの領有争いが激しかったろう、
       と想像でき、確かにそうだった様子ですが、
       現在ヴォルテッラの町は、トスカーナ州ピサ県に含まれます。




       まず洗礼堂・Battistero.
       正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
       右手前に角が見えるのがドゥオーモ。
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       以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、
       今回は大丈夫。



       中央にあるのが洗礼盤、18世紀の物で、上に見える像が
       この洗礼堂に名を冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像
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       が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)
       への献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
       その為1階部分の奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、
       天上部などが塞がれており、

       素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気からほど遠く、
       おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiはがっかり!




       所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、
       ロッソ・フィオレンティーノのこの「十字架降下」がヴォルテッラの町の
       市の絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第だったか、と。
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       人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、
       ダ・ヴィンチやラファエッロなどが古典的美を完成させたと
       見られた位置から、もひとつ発展したルネッサンス期の美術ですが、

       この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、
       ダ・ヴィンチの最後を看取ったとされるフランス王フランソワ1世
       招かれフランスに赴き、王の年代記のフレスコ画を城に描いたり、
       イタリア美術をフランスに伝えたとされる画家で、
       フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。




       彼はフィレンツェ生まれ、本名はジョヴァンニ・バティスタ・ディ・ヤコポ
       Giovanni Battista di Jacopo.
       なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたのかと
       ふっと疑問がわいたのでしたが、

       アレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を
       記したヴァザーリの家にあるという、このロッソの肖像を見つけ、
       ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。
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       さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ
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       ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、
       正面部分はこのように白と濃い緑の大理石で装飾されており、
       ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano(1215/20-1278/84)の作と。
       
       ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、
       あの素晴らしいピサの洗礼堂や、
       息子のジョヴァンニと共に、各地に作品が残ります。
       

       ずっと昔になりますが、初めてこの洗礼堂を見た時
       素朴で強い白黒の縞模様に魅せられ、当時は濃い緑色とは思いもせず、
       周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂をスケッチした物でした。

       最初に見て頂いた朝日の写真を撮った位置辺りの、
       建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
       出てこられたシニョーレがスケッチを見て、
       抽象的に描いていないのが素晴らしい、と言って下さったのを覚えていますが、
       今考えると、他に褒めようがなかったのかもと、ははは。




       正面の扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、
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       扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ
       ロマネスクからゴッシクへの過渡期の趣を感じます。
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       正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、
       上部に色石を使った装飾模様。
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       サイトで見つけた写真で、
       洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼。
       以前の古い鐘楼に取り替わり1493年に高くされたものと。
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       さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面。
       以前在ったサンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、
       多分1117年の酷い地震によって崩壊、それ以降に再建された物で、
       正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・Cattedrale di Santa Maria Assunnta.
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       正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、
       使われている円柱などは、先回ご案内したテアトロ・ロマーノから
       持って来ているのですと!
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       聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。
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       外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな様子。
       12世紀の建設以来13世紀に拡張され、
       翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に改修され、
       19世紀にも大きな装飾などの改修があったそうで、
       正面壁同様のロマネスク様式はまるで残っておりません
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       内部平面図をどうぞ
       1.キエリーチ・Chiericiの聖母
       2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
       3.13世紀初めの木製の十字架降下像
       4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置
       5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
           Cappella dell'Addolorataがあり、
           デッラ・ロッビア工房、ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
       7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画
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       説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像、
       15世紀のフランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの
       作といわれるもので、木製彩色の美しいもの!
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       あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!




       内部でまず目を引いたのがこの格子天井。
       16世紀の改修で設置されたもので、
       模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!
d0097427_07415839.jpg
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       内部は3廊式、22本の円柱で仕切られ、
       壁に見える白とグレイの縞模様は塗り分けられたもので、
       円柱の薔薇色も漆喰で大理石の柄に見せかけたもの、だそう。
       いずれも19世紀の改修によるもの。
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       7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
         の「受胎告知
       面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ
       飾りつけで、多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。
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       4の説教壇、正面から。 一番上に金(塗り)の鷲像があり、
       余りにも強い照明で色が飛んでいますが、
       その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
       新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!
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       内陣、後陣部分。 階段の在る古い形式ではありますが、
       後陣のフレスコ画も何もなく、背後に見える山型はパイプ・オルガン。
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       入り口扉上にある薔薇窓。 
       「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
       これも最初はロマネスクの大理石の紋様があった事でしょう。
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       床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いの石ですね。
       手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?
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       なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
       正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
       まぁ、バロックの白と金色、にならなくて良かった、ははは。




       説明5,6の、聖堂横の礼拝堂部分の外の壁
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       聖堂横角、庇の部分にも細かい柄
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       さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
       
       角を曲がって見る、建物の壁の趣
       色も良く、古び加減も素敵でしょう?
       店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!
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       だらだらと下っていくと、このエトルスク門
       またはポルタ・ディ・アルコ・Porta di Arcoとも言われる、
       紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
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       残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
       家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!




       素晴らしく大きな石が使われているでしょう?
       後にローマ人がエトルリアに取って代わっての修復もあるだろうと。
d0097427_07462789.jpg
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       門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
       それに取り込まれた形になります。
d0097427_07492520.jpg
       門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、
       要は町の守護を司るものという事のようで、
       現在は表情も何も分かりません。


       右の城壁に見える碑ですが、
       ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、とのみあり、
       具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、




       門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに
       展示してあった古い写真を見つけました。
       右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって補修したのかな、
       などと思ったのでしたが、
d0097427_07494482.jpg
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       2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。
       そして、皆がせっせと手渡しで石を運んでいる写真、
       それに足元が地道になっていますよね、
       そんな事から、爆撃ではないと思ったのでしたが、
       イタリア版ウィキに答えを見つけました。

       つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、
       1944年6月30日、町に駐留していたドイツ軍指令部が、
       連合軍が町を通るのを妨げる為に、この門を爆破する事を決めたのだそう。
       ですが、24時間以内に、町の人々が門を通れなくするのであれば、
       爆破しない事に同意。  町の世話役が頑張ったのですねぇ!
       それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし
       せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。

       カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、
       道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
       案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、
       shinkaiにも楽しい発見でした。
       



       上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、
       この敷石が、あの20世紀前の古い門を援ける為に役立ったのですね!
d0097427_07502417.jpg

       奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、
       あそこにも上がりましたので、はは、高上がり大好き!  
       素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。




     *****

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by italiashiho2 | 2016-09-16 08:09 | ・トスカーナ Toscana | Comments(3)
2016年 07月 24日

   ・・・ 修道院、地下教会、異端審問所、輪の競走 ・ ナルニ ・・・

d0097427_00141148.jpg
       先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
       今回はちょっと特殊異質な場所へお連れ致しますね。
       
       上の写真は地下教会のものですが、
       この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループで、
       現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
       地下室の新しい発掘にも働いておられる「UTEC」から送って頂いたもの。

       サイトは http://www.narnisotterranea.it/

       内部写真は禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら
       送ります、というので大いに期待してお願いしましたら、
       上の写真を含めたったの3枚!が届き、
       それも雰囲気を盛り上げたキャバクラかと思うような照明のもの!!
       
       がっかりで、ここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しましたが、
       お陰で結構見つけ、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものを
       ここで使わせて頂き、
       サイト名の入っていないのが、拝借した写真です。
       



       先回ご案内した元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場などに
       用いられている、その地下に
       12世紀の地下教会と異端審問所があったのですが、

       現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、
       町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
       こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのに曲がります。
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       一番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、




       広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
       そこで以前の訪問でも見た覚えの、この塔を撮っていましたら
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       一人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せましたら、
       すぐ仲間を連れて戻って来て、ははは、全員でポーズ!
       こうして見ても、性格や将来の顔立ちも分かるようで面白いでしょう?!
d0097427_00154838.jpg
       
       右上角で笑ってみているのはアンジェラで、
       以前ちょっと書きました、50年前日本からの養蚕指導に訪れた
       松本からの日本人達と、暫く働いたという彼女です。




       広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が
       事務所、切符売り場。
       上の広場からはかなりの高低差
d0097427_00161059.jpg



       事務所から外に出れるようになっていて、その庭からの眺めがこれ
       つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、
       奥の山腹に見えるのは、サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano
d0097427_00164458.jpg
       



       アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、
       ナルニに向って谷底の道を来る途中で見上げる高さに見えましたが、
       10世紀に建設されたベネデッティーノ派の修道院
d0097427_00171243.jpg



       サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真
d0097427_00173604.jpg
       14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、
       16世紀頃から僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、
       建物の衰退も著しく進み、1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
       
       内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、
       時代が混乱するような部分もあり、
       さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか・・。




       遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、
       修道院の領地だったという事ですが、

       こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて
d0097427_00182022.jpg
       
       私はこの花びらの形が柱頭の飾りの形になったと思っていたのですが、



       この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が
       装飾文様に使われたのだそうで、
d0097427_00190871.jpg



       コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り
d0097427_00192447.jpg
d0097427_00195037.jpg
       いやぁ、やはり花びらの形も装飾文様になっていたと・・。




       さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
       入り口の様子を一連でご覧頂きますと
d0097427_00201761.jpg
d0097427_00205442.jpg
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       最後の写真の軒下に見える左側の鉄柵の付いた扉口
       これが発見された地下教会の入り口で、
       上のさし掛け屋根はかって発見された時はなく、
       手前の前庭、この一帯は当時住み着いていた老人の
       家庭菜園だったのだそう。



       つまりです、1979年の5月、青年ともいえない少年の年頃の
       6人が洞窟探検と称し、新しく手に入れたロープの装備を使い、
       左側の高い壁を伝って、この庭に下りたのだそう。
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       第二次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
       きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。

       所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていた
       エルナーニ・Ernani の上に舞い下り、畑を荒らした少年達に
       老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
       エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っている!と。

       上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、
       今でこそ張り出しの屋根も付き、鉄柵も装備されておりますが、
       当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し開いていたのだそうで、
       エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、自分は潜りこむ気もなく、
       少年達に教えたわけですね。




       これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループ
       UTECの創立者でもある、ロベルト・ニーニ・Roberto Nini
       が一番の年長で20歳だったそう。
d0097427_00221436.jpg
       このロベルト・ニーニは、リンクしますあれこれの
       Youtubeに登場して、地下教会や異端審問所に付いての
       説明をしておられる方で、
       彼はこの後大学に進み、考古学を修められたのだそう。
       ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする
       歴史の謎が、彼の一生を決めたという事ですね。




       潜り込んだ少年達が見つけたのはこの地下教会!
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       たっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が上から浸み込み、滴り、
       発見された当時は、上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、
       それでもフレスコ画に描かれた左右の天使の目が射る様に見えたと。

       左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、
       発見されて後12世紀建設のこの教会は改めて聖別を受け、
       サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと呼ばれますが、
       元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
       分かったのだそう。




       少年たちは周囲の壁を叩き音響の変化を探り、
       ある部分の壁の奥が空白であるのを知り、崩したく焦りますが、
       隣に住んでいる住人のシニョーラが、自分の家にも被害が
       及ぶのを恐れ許しません。

       で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行。
       するとその奥に、長い細い通路が口を開け!!
       

       その通路の先には広い地下室があり、
       それがかっての異端審問所であった事が分かったのですね。
d0097427_00231516.jpg
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       異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを
       審問する所、その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
       恐ろしい事は、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も
       拷問を受けたこと!

       ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった
       地図で分かったと言いますが、

       ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
       右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、は、
       ここに残っていたものではない、という事でしたが・・。

       に、拷問の図も出てきます。
       



       そして審問兼拷問所の横にある、そう広くも無い独房がこれ
d0097427_00235743.jpg
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       壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
       
       これの殆どを掘り込んだ人物は、
       Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・アンドレーア・ロンバルディーニ、   
       と彼自身が刻んでおり、
       彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
       意訳して、カトリック教会での最高権威を持つ(事務所)とでも?
       に勤める伍長で、
       逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
       



       一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
       その左右に IL PARA   TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
       にも見えるように、わざと D の字が省かれ、T で置き換えられています。
 
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       これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
       自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
       D を意識し、憎み、省いたものだろうと。

       R が我々には V かとも見えますが・・。
       引っかき削り込んでいて、赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。

       中には、シンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた
       観光客の一人が、あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたり、
       とにかく全部の壁一面に広がっておりますが、未だに書かれた意味が
       判読できないものもあるそう。

       4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、
       彼がこの独房で過ごし、取調べを受けたのは
       約3ヶ月間だったろうといい、その後特赦を願い3年後に許しが出て、
       その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。

       彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが、
       10年ほど前に分かったそうで、
       独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、
       の名前が見えるそう。

       
       そして彼の他にも一人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・
       Domenico Ciabocchiで、1726年の4月重婚罪で逮捕され、
       この独房に入れられたのが、看守を絞殺して逃げます。

       逃げた後どうなったかを、ガイドさんが話してくれましたが、
       逃げたものの2人目の妻が恋しく便りを出し、ははは、
       勿論ちゃんと見張りがついていて、会う約束を教皇領との境の町にして
       返事を出し、やって来たのを再逮捕した、という事。

      
       この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり
       1860年にイタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し
       修道院を略奪したので、ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡
       老人達の言い伝えで、町に地下があると言われていたものの、
       誰も見た事がなかったのを6人の少年達が見つけ出した訳です。

       つまり新しいイタリア国が出来る直前まで、19世紀まで!
       我らが中世の歴史の1つと思い込んでいた
       あのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!

       という事は、
       きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
       ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。

       
       そして重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが
       見つかったのだそうですが、
       全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
       トリニティー・カレッジの図書館から!

       これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては
       ちょっとした鳥肌物の因縁話の様にも感じられたろうと思うほど
       興味深い話なので、ここにご披露しますね。

       つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、
       しっかりパリに持って帰っていたのを、
       ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
       大したものではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
       一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
       
       それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていた、というのも、
       一学生がここの見学に来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると

       ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか
       稼いでは保存費用、新しい発掘に使っているのだそうで、
       到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
       ヴァティカン古文書館でコピーを頼むと、1枚80エウロなんだそうで!
       半ば諦めていたのが、
       ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!
       それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、

       漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に
       地下の異端審問所の働きが明らかにされた事になります。

       Youtubeはイタリア語のみで、説明も重複しますが、
       2つ目のには、町のご案内もありで、

       町のみのご案内は




       長々とお話しましたが、
       他の地下室を利用しての展示もされており、
       その中のひとつ、
       ちょっとこれは見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を
d0097427_00250292.jpg
       真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、     
       その建設などに使ったものがこれ。
       上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり
       これを支柱の後ろから眺め、真っ直ぐの位置を決め、
       先行する杭打ちに指示したというもの。

       そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな
       美しい道が出来たのですね。




       こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、
       中央にしゃがんでおられるのが、ロベルト・ニーニ氏
d0097427_00252450.jpg
       地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間
        6月15日から9月15日まで
         月曜~金曜12時と16時  土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
       
        4月1日から6月14日  9月16日から10月312日
         土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
         日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半

        11月1日から3月31日
         土曜 15時
         日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分

         クリスマスは休館

        ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイドですが、

        日本語は・・?


        予約は 333.1041645 または 0744-722292

        info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事





       地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見
       写真なし、うろつきなしで、こういう柱の壁画などは見られず・・。
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       今回は少し重いお話が続きましたので、
       最後は、毎年5月に行われるナルニの町を挙げてのお祭り
       「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧頂きますね。

       これは中心通りで繰り広げられる「中世の市」
       様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?
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       「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、
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       これは2015年のものですが、余り手振れが無いので、




       美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。
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       競技の模様を2枚
       吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、
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       競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
       競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。
       済みません、詳しく読む余裕がなく・・。




       勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、
       ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!
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       最後は落穂ひろいを、ははは。
       先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
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       1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたのを見つけました。
       ルーヴルに収蔵されているようですが、

       なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
       私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。
       今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
       現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?

       それにしても遥かフランスから、ウンブリアの南のナルニまで、
       あの当時どの位かかって辿り着いたのでしょうか?!
       その画家魂に、敬意を表しますです。


       という、ナルニのご案内その2でした。
       お楽しみ頂けました様に!



     ◆ 嬉しいご案内を ◆

       皆さんは「ルネサンスのセレブたち」というブログをご存知でしょうか?

       ルネッサンスのみでなく、ローマ期の歴史も含め、様々な人物や
       絵画、歴史上の事柄に付いて詳細に書かれているブログで、
       書き手はCuccila・クッチョラ・子犬さんと仰います。
       この名はイタリア人のご主人が、小柄な奥さんに付けられたとか。

       ブログの最初からファンになったのですが、
       しっかりした文章、内容、そしてローマ大学に留学され
       勉強された事なども知るにつけ、
       いつか必ず何かを成し遂げられる方、と思い、
       遠くから、頑張って下さい!とエールを送って参りました。

       彼女とは未だお会いした事なく、メールで時々のやり取りなのですが、
       それでもお付き合いはもうかなり古く、
       暫くしてお生まれのお嬢ちゃんが、この秋から小学校に!
       というお付き合いです。

       その彼女がどうやらウェブ・マガジンの書き手となったらしい、
       というニュースを知り、メールをしましたら、
       暫く前にお返事を頂き、
       
       講談社の Courrier  クーリエ・ジャポン
       というウェブ・マガジンに記事が既に記事が2つ掲載された事、

       「薔薇の名前」のウンベルト・エーコの遺言に付いて
 
       イタリアの「観光できない楽園」をめぐって

       偽イタリア産食品に気をつけろ
       
       これ以外の新しい記事は、署名が出ないので探しようがなかったのですが、
       新しい記事も既に載っているのかもしれません。

     
       そして別のウェブ・マガジン CIRCUS には

       ダ・ヴィンチの食堂 第1回 天才達の食事情   
       雑誌は月刊のようで、アドレスで出なくとも、
       右のカテゴリ欄「最近の記事」から読めます。
       
       第2回 美食の国イタリアの給食あれこれ
       と載っているのを拝見できました。

       こちらは署名入りですし、「ダ・ヴィンチの食堂」で
       調べられますね。

       Cucciolaさんのファンの方、またそうで無い方も、
       どうぞ彼女のブログ以外の記事にも、ご訪問お願いいたします


       cucciolaさん、遂にご自分のされたかったお仕事を始められ、
       本当におめでとうございます!!

       現在されているお仕事、お家の事、そして子供さんの事、
       様々にお忙しい日常の中で、別に調べて書く仕事が増えるのは
       大変だろうと思いますが、
       幸いご主人が協力されて下さっていると知るのも、心強く、

       ご自分の念願に向って、次なる飛躍に向けて
       体調にお気をつけ、大いに頑張って下さい、と応援いたします!!

       フレー、フレー、クッチョラ!!
       


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by italiashiho2 | 2016-07-24 00:43 | ・ウンブリア Umbria | Comments(10)