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2015年 11月 08日

   ・・・ 碌山美術館 ・ 信州安曇野 その2 ・・・

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       東穂高出身の日本近代彫刻の父ともいえる荻原碌山(本名は守衛)
       の素晴らしい美術館を安曇野に訪ねました。
       先回ご紹介のわさび田から西に行った所で、
       長閑でこじんまりとした一廓、木々に囲まれてありました。

       荻原碌山が安曇野出身であった事も知らずだったのですが、
       展示で出会った様々な人物名、高村光太郎、相馬黒光などと
       どんな関係だったのかを知る為にもあれこれ読み、

       明治末期の日本の芸術家達の様子も想像しながら
       碌山美術館の本当に細部まで拘った美しさを
       今懐かしく想い出しています。
      
       殆ど何も知らないまま見学し、その資料展示などからも
       博物館と思ったのでしたが、
       碌山美術館 となっている事を知りましたので、ここに訂正です。


       上の写真は、道に面してある「碌山美術館」の入り口



       植え込みがあり、右手に切符売り場で、
       シニアで、と言いましたら、ここにはそれはありませんと。あれま!

       そしてそこから振り返ると左手奥に、この教会を模した建物
       こじんまりと、そして格調高く!
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       建物の入り口に絡んだ蔦が、ちょうど紅葉を始めた所で
       とても良い雰囲気。
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       敷地内には幾つかの展示館があるのですが、
       この一番の主たる展示館の様子を右側から撮った写真
       サイトで見つけましたので、拝借し。

       こんもりとした木々に囲まれ、静謐な空間
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       入り口に向う右手に、この「労働者」の像
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       これは帰国2年目に第3回文展に出品し落選したものだそうで、
       戻ってくるなり、碌山は左腕と両脚を取り除けたと。




       入り口上部。 塔の上にあるのは鳩の像
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       扉にあった碑
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       碌山美術館    1958
       この館は29万9千100余人の力で生まれたりき

       この美術館は、地元の人々の寄金により出来上がったのだそうで、
       この碑も単なる碑ではなく、周囲を楓の葉かな、が囲み、
       留め金部分も、ほら、薔薇の花みたいでしょう?
       この他にも、扉のノッカーが、キツツキだったようで・・。
       
       この館の設計者は(基俊太郎)と言う方で、彼のお父さんは
       彫刻家で、碌山の友人だったそうです。
       そんな事もあってか、まさに心のこもった配慮の設計である事が感じられ
       大変に居心地の良い、暖かな美術館となっている様子です。

     追記と訂正を。
       主となっている「碌山館」の設計は、今井兼次と言う方がされ、
        他の2棟の設計が基俊太郎とのことです。
     
       


       入り口を入った所のロビー部とでも言うのか、
       左側には、彫りを施した厚板の台があり
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       右側には、暖炉と薪置き台。 
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       館内は写真禁止でしたので、碌山美術館のサイトから拝借の
       写真で様子をご覧くださいね。

       入り口部分から奥に。 上部に見えるのが碌山の写真で、
       手前はフランスに留学中の作品と言われる「抗夫」、
       奥の左から2番目、腕を組んでいるのが「文覚
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       奥から入り口部分を、右列真ん中にお尻が見えるのが「絶望・デスペア
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       真ん中左に見えるのが「女」、碌山の絶作となった作品。
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       両手を後ろで組み、ひざまずいて立ち、何かを求めるように
       上を向き、喘いでいる女の姿。       

       この作品は碌山の死後、文部省に買い上げられ、
       日本の近代彫刻としてはじめて重要文化財に指定されたものだそう。




       この作品と、碌山が一緒の写真がありました。
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       荻原碌山、1879年・明治12年12月1日 - 1910年・明治43年4月22日
       画家を志し1901年にニューヨークに渡り学び、
       1904年にパリでロダンの「考える人」を見て深く感動し、
       彫刻家になる事を決意。
       1906年からパリのアカデミアで彫刻を学び、1908年に帰国。

       1908年に文展に「文覚」入選。
       1910年「女」を制作。 4月22日に急逝。
       
       僅か30年の生涯、画家を志しニューヨークに渡ってから10年、
       彫刻を学び帰国して後2年!の本当に短い生涯でした。




       上の「女」の像は、実際のモデルがいますが、
       新宿中村屋の創業者相馬愛蔵と妻の黒光(こっこう)夫妻の、
       黒光が碌山と恋仲であり、モデルだったと言う説が通っています。

       その相馬黒光(本名は良で、その才気を少し黒く隠せというニックネーム
       から来ているそう)の少女の頃の様子と、
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       これは碌山の一周忌に、彼を偲んでアトリエに集まった人々
       写真だそうで、安曇野の旧家出身の相馬愛蔵、碌山の長兄の本十も、
       他にも著名人の名が見えます。
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       碌山はまだ安曇野にいる頃に、土地の旧家の相馬家に嫁いできた
       黒光と知りあったのだそうで、
       帰国して新宿にアトリエを構えてからは、中村家に通い、
       家族の一員のようにして付き合っていたそうで、
       留守がちの夫に代わり事業を切り回していた黒光に、
       弟のように甘えたりもしていたそう。

       夫の愛蔵の浮気に悩む黒光を慰め励まし、それでも離婚しない
       黒光への愛情と渇望に苦しむ中から生まれたのが
       「女」の像だと言います。
       
       が、手前真ん中に見える中村彝、に実は驚いたshinkaiです。




       まん丸の赤いほっぺの少女像、同じ顔の裸婦像も
       相馬夫妻の娘の俊子だったと知ったのも驚きだったですが、
 
       彼のこの「ワシリー・エロシェンコ像」の画家が、
       ずっと昔、絵を描き始めた頃に衝撃を持って見つめたこの絵の画家が、
       いわゆる中村屋に集まる文化人のサロン「中村屋サロン」の
       常連の一人だったと言うのにも驚き!
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       こちらは劇団関係にも援助をしていたと言う相馬夫婦の、
       その集まりの際の写真。
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       中村屋サロンの幅広い交流を通し芸術家達が育っていった
       と言うのも間違いないようです。

       中村屋の3Fに美術館が開館し、
       サロンを通して交流した芸術家達の作品が見れる様子です。
       


       ちょっと話が前後しますが

       碌山が、黒光を慕い愛し、切望したのは確かだろうと思うのですが
       よく書かれている様に、黒光が夫の浮気に苦しむ姿から云々、
       と言うだけの単純な人物構図だけではなかった事も、
       黒光が普通の受身一方の女性ではなかった事も、今回読んで知りました。

       確かに夫愛蔵の浮気に黒光が苦しんだ事もあったでしょうが、
       愛蔵は大変度量の大きな人物で、実業家でもあり、
       逆に家庭内では黒光の男関係には一言もいわず、
       黒光はサロンに集まる男達を、才気と美貌でペットにした部分もあった様で、

       実際、碌山の親友であった高村光太郎などは、
       彼女を大変に嫌っていたと。

       確かに彼女の才気、事業での頑張り、成功には敬意を表しますが、
       女同士として友人になりたいかというと、ちょっと違うような・・。
       
       当時の人物についてご興味のある方、こちらに大変詳しく。       
       相馬黒光という女
    



       館の南側と、見える塔
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       そして西の裏扉。 この佇まいがとても気に入りました。
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       この脇に高村光太郎の詩を刻んだ碑があり

       荻原守衛

       単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
       坑夫、文覚、トルソ、胸像。
       人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
       新宿中村屋の店の奥に。

       巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
       彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
       荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
       単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。

       ――原始、
       ――還元、
       ――岩石への郷愁、
       ――燃える火の素朴性、

       角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
       ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
       六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
       荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。

       粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
       「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
       荻原守衛はもう一度いふ、
       「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」

       四月の夜ふけに肺がやぶけた。
       新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
       荻原守衛は血の塊を一升はいた。
       彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。

       昭和十一年 高村光太郎 作




       他にも2棟、碌山と交流のあった人物の作品の展示館が
       ありましたが、省略させて頂き、

       これは入り口に近い場所にあったグズベリー館、ショップ
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       入り口にかかる暖簾に「Love is Art」とあるのを見て、
       きゃ、と敬遠したのですが、すみません、こういう言葉は苦手でして。
       ですが、今回あれこれ読んでいて、これは碌山の言葉

       LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.
       愛は芸術なり 相剋は美なり

       から来ているのだと知りました!
       ・・言葉の独り歩きは、怖い!!




       ショップの前にあったこんなテーブル
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       こちらは倉庫だったか、校倉造りを模し、
       大変に細部の和洋折衷装飾が凝っていて、
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       なんとなしに帰国した碌山の気持ちを思いやっての設計かという様な、
        彫刻を学び生まれた自国に戻ったものの、
        当時の日本には西洋彫刻を受け入れる態勢もなく、
        時にはどんなにニューヨークやパリを懐かしんだろう、
       そんな気持ちが現れているようで、ちょっと切なくなりました。

       だって、shinkaiもそうだったんですもん、
       よ~く分ります!!


       当時の日本の芸術家達の気持ちは、皆こんなだったでしょうね。
 
        ふらんすへ行きたしと思へども
        ふらんすはあまりに遠し
        せめては新しき背廣をきて
        きままなる旅にいでてみん。
               萩原朔太郎
       
       


       う~ん、少し湿っぽくなったかな。

       最後はサイトで見つけた、美しい雪景色の美術館をどうぞ!
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       信州の松本近くまでお出かけになったら
       是非一足延ばし、碌山美術館にお出かけ下さいね!
       碌山の素晴らしい作品のみならず、
       美術館を囲む静謐な空気にも、心が和らぎます。


       碌山美術館
       住所:長野県安曇野市穂高5095-1
       TEL:0263-82-2094
       開館日:5月~10月  無休
       休館日:11月~4月、月曜日と祝祭日の翌日。12月21日~12月31日。
       開館時間:3月~10月→AM9:00~PM5:10
       11月~2月→AM9:00~PM4:10 (入館は30分前まで)

       入館料:大人=700円、高校生=300円、小・中学生=150円、団体料金あり
       アクセス:電車利用=JR大糸線穂高駅下車徒歩約7分、
       車利用=安曇野ICから約15分 駐車場あり

       公式サイトhttp://www.rokuzan.jp/


       

     *****

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by italiashiho2 | 2015-11-08 01:45 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(15)
2015年 11月 03日

   ・・・ 安曇野のわさび農場訪問 ・ 信州の旅 その1 ・・・

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       日本到着の翌々日、松本から安曇野に出かけました。
       「安曇野」という、如何にも日本の故郷を感じさせる言葉の響きは
       ずっと知っていますが、まだ訪ねた事がなく、
       松本近郊出身の二木さんが案内して下さいました。

       安曇野での訪問はわさび田と、安曇野出身でロダンに魅せられ
       自身も彫刻家となった荻原碌山の博物館でしたが、
       まずは写真整理の済んだ山葵田から、ご覧下さいね。

       トップは、ここ一体に広がるわさび田でも一番大きく有名な
       大王わさび農場の駐車場から見る常念岳(真ん中)。
       この日は快晴の良い日だったのですが、残念ながら
       日本アルプス連山は靄っていて見えず、常念岳のみでした。



       私より皆さんのほうが地理を良くご存知かもですが・・、
       一応長野県の中での安曇野、そしてわさび農場の位置を
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       地図は大王わさび農場のサイトから拝借。
       



       駐車場の脇に咲く、赤いスカンポ
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       すぐ近くを川が流れ、奥に水車小屋が見えます。
       黒澤明監督の映画に使用されるので作られたという事ですが、
       如何にもピッタリと風景の中に収まり・・。
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       この右手手前にゴムボート乗り場があり、
       何とか入れずに撮ろうとするのに苦労しましたっけ!



 
       この手前を流れる川は湧き水100%の蓼川というそうですが、
       本当に透明に透き通った美しい水で、
       川底の水草も綺麗で、さすが、わさび田!と思った事でした。
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       大王わさび農場に入場は無料でするっと入れ、
       道脇の木々も少し紅葉しかけており
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       少し先に、先ほど見えた水車小屋が2軒並び
       いかにも!の素敵で長閑な眺めでしょう?!
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       こちらが奥の小屋で、壁に立てかけた農具が見えますが、
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       手前の小屋の農具はこんな感じで、
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       脇では水車がゆったりと回り・・
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       近くにあった説明の立て札には
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       しっかり読んで下さいましたか、皆さん?!




       ブログ用に縮小しましたら、ちょっと分りにくくなりましたが、
       右手に見える土手のような1本道が、2本の川の境目です。
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       そして、お待ち兼ねのわさび田!
       この部分には、直射日光避けの寒冷紗のテントが広げられていて、
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       収穫が済んだのでしょう、次の植え込みを待つ畑も見え
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       はい、お勉強! ははは。
       こういう説明を見ながら、なるほどなぁ、と美しい畑を眺めます。
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       ほらね、大きな塊の縦筋があり、その縦筋の中にずっと
       斜め横に作られた畝が並びます
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       畝の間、畑の間を通り抜け、また合流する水の流れ
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       わさびは、水が綺麗な場所でないと育たない、とは良く聞きますが、
       こういう畑のつくりを見ると素直に納得できますね。
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       一面に広がる、見事なわさび田!
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       大王わさび農場のサイトには、こんな写真が
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       かっては雑草の生え茂る扇状地の原野だったのを、
       大正4年から5町村にまたがる土地15丁歩を個人所有と
       することから初め、そののち開拓に着手。
       昭和10年までの20年間をかけて開拓したのだそう!
       
       夢の一大プロジェクトだったのでしょうね。
       園内には神社があり、その脇に開拓を始めた初代ご夫妻の
       像もありましたが、
       水温は年間通して13℃だそうで、
       開拓ができてから後の、栽培の大変さも思うと、頭が下がります!

       そして現在は、農場面積15ヘクタール
       わさび収穫量、年に150トン
       年間観光客120万人!
       という、日本最大規模のわさび農場なのですね。



       上から見ると、結構わさびの葉っぱが虫に食われているのが見え
       逆に考えると、農薬を使っていないことが納得・・!
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       こんなにも透明な湧き水!
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       凄いですねぇ、1日に12万トンの湧き水!
       そして末は犀川、千曲川、そして信濃川となって日本海に!
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       犀川・さいがわ、という名は、長野で育ったshinkaiの中では、
       子供の頃から馴染んだ名なのです。




       安曇野には、様々な素朴な道祖神が点在しているようですが、
       園内の水車小屋近くにも2つ3つ。
       ですが如何にもの狙った感じで、好みではありませんでしたので、

       逆にこの、わさびだぞぉ!というのはどうでしょうか、ははは。
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       レストランや、わさび漬け講習会場、そして先回のブログでご紹介した、
       わさびソフトクリームや、わさび入りコロッケなどの屋台もあり、
       売店で、shinkaiはわさび入りオカカを買って戻りました。




       道脇に見つけた秋の花、秋の色
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       そして、再度常念岳を見ながら、碌山博物館に
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       安曇野は、時間をとって歩いたら楽しそうです
       またいつか、ね。



     *****

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by italiashiho2 | 2015-11-03 03:17 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(4)
2015年 09月 19日

   ・・・ ゴンドラ についてのあれこれを ・・・

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       さて今回はトップの写真に見えますように、
       ヴェネツィアで見るあのすらっと細長い船 ゴンドラ・gondola 
       複数形でゴンドレ・gondoleについてのあれこれを。

       ヴェネツィアの、とお断りしたのは、
       最近は世界のあちこちで「ゴンドラ」と名乗る船がいる様子で、
       サイトでとんでもなくずんぐりむっくりのを見たり、
       ゴンドリエーレ・ゴンドラ漕ぎ、が半パンを履いていたり!

       そんな様々ではなく、ヴェネツィアの運河にいるゴンドラ
       最近ゴンドラを描く事が増え、かなり見知っている筈が、
       えっ、ここどうなっていたっけ?!と焦る事もあるので、
       一度しっかり調べて見たい、と思っていたのでした。

       ヴェネツィアの写真が何千枚にもなっていて、
       その中からゴンドラの写真を探そうと思うと時間がかかり、
       ここのはもっと良いのがある筈と思いつつも
       なかなか上手く探し出せませんでしたが、と言い訳を、へへへ、
       それでも殆ど全部、今までご覧頂いてない写真の筈。
       
       いつかヴェネツィアにお出いでになりゴンドラに乗られる際に、
       お役に立ちますように、 ・・ん? 立つかなぁ? はは、
       既に乗られた方はその時を思い出し、
       のんびりとお楽しみ下さいませませ! 

       ヴェネツィア全体のご案内は
       http://italiashio.exblog.jp/i5/ 



       まずはヴェネツィア名所に見るゴンドラの姿ですが、

       溜め息橋
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       対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を望み、
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       サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂が奥に。
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       こちらが、休んでいる覆いの架かったゴンドラの姿で、
       冬などは全部覆われている事が多いのですが、
       たくさんの各部の様々な覆いがあるでしょう?
       櫂も、あんな所に先っちょが仕舞われるのですね。 
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       現在のゴンドラの船体ですが、 
       最初に見て頂いたように細長く、10,8~11mあり、
       幅が 1,4~1,6m、 船体のみの重さが 350kgあるのだそう。

       ですがこれは昔からの姿ではなく、こちらが1500年に
       描かれたジェンティーレ・ベッリーニ・Gentile Belliniの
       絵の中に見るゴンドラの姿。
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       現在よりもずっと短く、すんなりとしておらず、
       一番の違いは現在のように左右非対称ではない事で、
       漕ぎ手の位置も平らで低く、櫂受けも現在の様に曲がっていないと。

       そして17~18世紀にゴンドラの使用が大きくなり、船体が長く
       前後の傾斜も大きくなり、着いている金属部も大きく、
       櫂受けも曲がって来たのだそう。
          
       19世紀になり船体の長さも11mとなり、漸くにここで
       緩やかな船体の非対称が導入されたのだそうで、
       これはゴンドラの漕ぎ手からの操作についての必要性による物で、
       最終的に現在の形になったのは20世紀の初めなんだそう。

       ゴンドラの船体が左右対称ではないと言うのは、
       漕ぎ手が一人で、船首に向って左側にいますから、
       それでバランスが取れるように竜骨が曲がっていて、
       左舷の方が右よりも約25cmほど長いのだそう。

       ゴンドラの黒い色についても、1609年以降それまでの様々な
       色や、華美な装飾を廃することが公示され、
       現在の黒色になったのだそう。

       黒はいつもエレガントな色と見なされていた事に因るのですが、
       はい、黒は葬儀の色ではなく、当時の喪の色はパヴォナッツォ・
       pavonazzoと呼ばれる暗い赤紫色でした。
       



       古い写真に見るゴンドラの姿で、これは19世紀のもの。
       2人漕ぎで、中ほどにフェルゼ・felzeと呼ぶ客室が見えます。
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       この客室があるのは、ヴェネツィア貴族の間では一家に一艘か
       またはそれ以上のゴンドラを持っており、
       会合や船での出歩きにも使われ、一般でも一種の交通手段となり始めると、
       一目を避けたり、また冬などは厳しい寒さを避ける為にも必要だったよう。




       これはドゥカーレ宮の中庭に展示されている
       ドージェの使ったゴンドラで、一般の物よりもずっと大きく、
       客室もある、舳先の彫り物が見事なものです!
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       ゴンドラの製作は、280もの異なる部分から成り立ち、
       木材も8種類、樅、桜、クルミ、楡、オーク、シナなどなど、
       勿論すべて手製で制作に1年以上かかり、お値段は約2万エウロ! 
       20年間は使えるそう。 
       
       これは確かヴェネツィアで1軒のみ残っていると聞いた
       サン・トロヴァーゾ・San Trovasoのゴンドラ製作所・スクエーロ
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       ここはサン・マルコの運河越し斜め向かいのドガーナ・税関から
       南のジューデッカ運河沿いのザッテレ・Zattereをずっと辿り、
       サン・トロヴァーゾ教会の隣にあります。

       建物自体も16世紀ごろの物のようですが、
       ゴンドラの船底が平底で、緑色に塗られているのも見え、
       大きなマグロがゴロンと寝ている様でもあり・・!




       これは舳先の彫り物部分
       如何にも職人仕事である事が分かり、好きな絵葉書です。
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       ゴンドラの舳先のあの鎌みたいな金属ですが、
       衝突から船を守る為でもあり、美しさを加味し、
       そしてヴェネツィアを象徴しているのですね。

       よく聞く説明ですが、6本の歯はヴェネツィアの6区を現し、
       上からサン・マルコ、サン・ポーロ、サンタ・クローチェ、カステッロ、
       ドルソドゥーロ、カンナレッジョ、後ろに伸びるのはジュウデッカ。
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       間に挟まる3つの形は、ヴェネツィア・ラグーナの代表的な3つの島、
       上からムラーノ、ブラーノ、トルチェッロを。
       ですが、間に3つあるのは数が少なく、近年の物といいます。

       あの大きな一番上はドージェ・ヴェネツィア総督の冠を現し、
       その下の半円部分の上のラインはリアルト橋を、
       中はサン・マルコ前の海かな、これが良く分りません。

       いずれにしてもこの重さは10kあり、使っている金属により
       それ以上にもなるそう。
       金属の質を書いてあるのが見つかりませんでしたが、
       shinkaiは鉛だろうと思っています。




       艫にもやはり金属の飾りがあるのですが、
       ここの形は様々で、やはり船体を衝突から守る為とはいえ、
       はぁ、こんな風に力尽きているのも、結構見ますです。
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       ゴンドラ内部の装飾となると、これはもう注文主の美的センス、
       金銭状態を示し様々でして、豪華なのから少し質素なのまで・・!
       なかなか、と思って写したのをご覧下さいね。
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       こちらは新婚カップル用のゴンドラで、
       ゴンドリエーレの衣装も違うのです。
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       サイトで見つけた、新婚カップル専用レンタル会社ので、
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       はい、ご用命はこちらのサイトに色々ございますので、どうぞ!




       ヴェネツィア名所その2、リアルト橋にやって参りまして、
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       こんな風にカップルでゴンドラを楽しむ人もあれば
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       何艘も連なっていくグループもあり
       大概こういうのには、アコーディオン奏者と歌手が乗っていて、
       歌いながら行きますが、時に「サンタ・ルチーア」などが聞こえたり・・!
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       大運河を行くグループは、ヴァポレットやモーターボートと一緒で
       ちょっと波が立ったりしますが、
       脇にそれ小運河を行くと、今度はゴンドラ同士のすれ違いがあり、
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       ほらね、右の真ん中のゴンドリエーレは足を使っているでしょう?
       あれは余り壁に近寄って、ゴンドラがこすれない為で~す。




       狭い運河での出会いの衝突を避けるため
       勿論ミラーが付いている場所もあり、そうでないとゴンドリエーレが
       警笛代わりの声を上げます、「オェ、オェ~!」というような・・。
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       ゴンドラは細長く、そして平底で水面下に沈まないので、
       あの大きさにしては操縦が楽なんだそうですが、
       それでも熟練と機敏さとバランス感覚が大いに必要だそうで、
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       こんな狭い間を、こんなにいっぱい、総勢6人!
       乗せたのを漕いで行くのですものね、大変ですよね。




       懐かしい写真が見つかりましたので、

       1951年、ハンフリー・ボガードと奥さんのローレン・バコール
       彼も素敵だったけど、彼女のあの目はなんとも素晴らしかった!
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       前の教皇様、ベネデット16世
       一緒に乗っているのはゴンドリエーレの衣装ですけど、
       みんな櫂を持ってからに、警備の人じゃないのかなぁ、ははは。
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       客待ちのゴンドリエーリ
       冬はお客が少ないからと言って、これは半分職務放棄の姿ね。
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       ゴンドリエーレ・ゴンドラ漕ぎにとって大事な櫂受け
       材質はクルミの根で、これは彫りの入った大変美しいものですが、
       この様々な角を使って角度や速度を決める様子。
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       前進で普通に漕ぐには、上の右の半円状に当てているのを見ますが、




       英語ですが、こんな図も見つかりましたので、
       大体これで漕ぐ時の櫂の置き場が分りますね
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       そうそう、櫂の長さは4,2mで、長年寝かせたブナ材から
       掘り出すのだそう。
       
       櫂受けは、取り外しが出来るようになっていて、
       仕事を終えて覆いの架かったゴンドラには見えません。




       この写真、奥に見えるのはゴンドラですが、
       手前のカップルが乗っているのは、ゴンドラではなく
       サンダロ・sandaloと言い、ほら、舳先が違うでしょう?
       ゴンドラではありませんので、客引きがゴンドラ、ゴンドラ!
       と言っても、皆さん、引っかかりませんように!
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       と言うようなゴンドラについての様々でしたが、
       ヴェネツィアはやはりいつもヴェネツィア、
       世界唯一の独特の美しさを持つ街。
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       おいでませ、ヴェネツィアに!!




     *****

       水彩ブログには、 ヴェネツィアの運河 2点 ・ 途中経過と描き出しと を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    

 

     *****        
       
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by italiashiho2 | 2015-09-19 01:04 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(10)
2015年 02月 05日

   ・・・ 塩田・サリーネ という名の町 ・ ヴォルテッラ近郊 ・・・

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       旅の下調べ段階はとても楽しく、色々知る事も多いですが、
       そんなこんなで発見したトスカーナはヴォルテッラ近くの町
       サリーネ・Salineのご案内です。

       ヴォルテッラ周辺風景は雄大で素晴らしかった、という
       ずっと以前の記憶があり、どう回ろうかと地図を調べていて
       目に付いたのが、ヴォルテッラの南西8k程の地名サリーネ。

       サリーネ・塩田?! こんな平野に?!

       勿論北ヨーロッパの岩塩採掘など知識としてはあっても、
       塩田と聞くとやはり海辺の塩田を思いますよね?
       で調べましたら、やはり古代より塩の採取で有名だった事が分り、
       も一つ、かってヴォルテッラまでの鉄道線があった事も知り・・、
       あれこれ纏めての今日のご案内です。

       上の写真は、ヴォルテッラの町から西方の眺めで、
       中程に細長く広がるのがサリーネの町、
       手前から蛇行しつつ行く道が、州道68号線。



       地図をどうぞ
       中程にヴォルテッラ・Volterraの町があり、南西の赤点が
       サリーネ・Saline、ティレニア海に出た所がチェチーナ・Cecina
       ここは今回後ほどご案内を。
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       そして東には、北からチェルタルド・Certaldo・ボッカッチョの町、
       ポッジボンシ・Poggibonsi、ここはシエナからサン・ジミニャーノや
       ヴォルテッラへのバスの連絡駅。




       海抜が530mもあるヴォルテッラの町から坂道を下り
       やっと路肩に止まれる場所から仰ぎ見る町。
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       右端に並木が途切れ、人の姿がチラッと見える辺り、
       あの辺りから、明け行く平野を眺めたのでした。

       朝の平野の姿は




       州道68号線といっても、やっと2車線のカーヴの多い道で、
       上手く止まれる場所を探しつつ、
       次々と変化する風景を睨みつつ・・!
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       西に進んでの右手、つまり北側の風景よりも、
       左側南の風景の方が雄大で変化に富むのですが
       逆光になり、ほんの少し靄で色が少し冴えず・・。
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       振り返ってのヴォルテッラの町
       上でもご覧頂いた旧市街中心の洗礼堂やプリオーリ宮のでっぱり、
       そして右端の傾斜に沿って大きく見えるのが、メディチ家の要塞。
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       北側の風景、写真整理中に気がついてちょっと感嘆したのは
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       見え難いのをご容赦願い、部分を半分切り取ったのがこれ。
       お分かりですか、電線が平野を3本走るのに
       びっしりと黒い鳥、中には少し灰色も見えるのですが、
       大きさから考え多分カラスの種と。
       こんなにもびっしりと止まっているのでした!
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       茶のなだらかなハーモニーもあり
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       濃い茶と、緑の縞々の段だらと
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       大きくカーヴする道、白く丸いのは、どうやら現代彫刻らしい
       のですがぁぁ、大きな廃墟も見え、
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       ・・なんだろ、これ? 要塞とか居城跡かな?
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       もうそろそろサリーネの町に近い位置
       shinkaiのパンダちゃんと、車の陰でスケッチするmkちゃん。
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       この頃はグーグル・マップの地図、衛星地図、
       ストリート・ヴュー等、とても便利で活用していまして、
       町の様子も先に大体探る事が出来ますよね。

       でやはり、サリーネの町自体は街道筋に家や店が立ち並ぶ
       変哲もない町でして、失礼、
       見かけた道路標識だけ撮っておりまして・・
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       東ヴォルテッラまで8k
       西チェチーナまで30k
      



       最初に書きました様に、サリーネの町の由来を読んでいて、
       かってヴォルテッラまでの鉄道が通っていたのが、
       現在は廃線となっている事を知りましたが、

       こちらがその駅、鉄路はここで途切れます
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       上の写真で奥に見える駅舎ですが、写真に見える右の
       ガードレールのすぐ横は州道が通り、かなりの車の往き来があり、
       駅舎の前までは行かなかったのですが、
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       こちらがサイトから拝借の駅舎正面の様子。
       サリーネ・ポマランチェ・Pomaranceのポマランチェは、
       サリーネから南に行った町。
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       これがかっての鉄道線の行程。
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       どこの国にも鉄道ファン、それもかっての蒸気機関車ファン、
       廃線になった鉄道線のファンなるものが居られる様子で、
       今回調べているうちに、かなりの情熱をこめた記事も写真も
       見つかりまして、あれこれ知ることが出来ました。

   
       まず、ヴォルテッラに向ってはかなりの傾斜となるのが
       お分かりですよね。
       なのでこの区間3箇所にクレマリエーラ・cremagliera
       日本語でラック式と呼ばれる歯車を噛み合わせて傾斜を上る
       方法が採用され、西海岸のチェチーナ(リヴォルノ県)まで
       乗客、ヴォルテッラのアラバスターやサリーネの塩を運んだのだと。




       古い写真が見つかりました!
       まずラック式という、歯車を噛み合わせて傾斜地を克服する
       方法なのですが、
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       線路をご覧下さいね。 二本の通常の線路の他に、
       真ん中に太い線が見えるでしょう?
       この部分がぎざぎざの長い歯車になっているのですね。

       写真の背景の風景から見て、ヴォルテッラの町から
       坂を下り西に向う位置と思いますが、
       見物人も出ているのが、楽しい!! ははは。




       もう一枚どうぞ。
       こちらではっきり真ん中の歯車式が分りますね。
       そして小さめの機関車の車体自体が傾斜し、可愛い!
       前についている輪が歯車を噛む式になっているのが見えます。          
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       あの急坂のヴォルテッラの町のどこに鉄道駅があったのかと
       考えましたが、どうやらメディチ家要塞の下の平地部分に駅が
       あった様子で、現在はバス駅に利用されているとの事。



       所でサリーネの駅を傍まで見に行かなかったのは、
       廃線になったと読み、てっきり駅も使われていないものと
       思ったからなのでしたが、
       サリーネから西に向う部分は生きていたのですね。

       後先逆になりますが、ここの鉄道線について書きますと、
       西のティレーニア海側のチェチーナからサリーネの30km間が
       開通したのが1863年10月20日
       更にヴォルテッラまでの開通は1912年だったとの事。

       第二次大戦中に破壊されたりもあったのが、戦後直ちに復活、
       貨物列車がせっせと活躍していた様子ですが、
       次第に貨物での運搬物資が減り、様々な新しい試みもされた物の
       ヴォルテッラ・サリーネ間が閉じられたのが1958年11月12日
       はい、この区間は大変短い運行期間だったのですね。

       そして車での運搬が増え、サリーネ・チェチーナ間も
       遂に1990年代に貨物の運行が止まり、乗客輸送のみになっていたのも
       1999年の川の大氾濫による被害があったりで止まり加減だった様子。



       それが漸くに何ヶ月間の保線修理も終え、
       2013年12月4日に西海岸側とを結ぶ鉄道線が再開されたといい、
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       現在は日に4往復、日曜日と、学校が閉まるクリスマス休暇と
       夏休みの6月最初から9月の最初まではお休み、という運行。

       そうなんです、我がスコミーゴ村を通過するバスも、
       ちょうどこんな運行本数で、日曜と学校のお休み期間は無しで、
       イタリアの田舎の場合はこういうのが多いのではないかしらん・・。
       



       所でこのヴォルテッラ・サリーネ間の元の線路跡
       通行できるようだとグーグル・マップで知り、
       あの狭いカーヴの道で停車できる場所を探すよりも、
       こちらの方がゆっくり風景を楽しめるかもと、行って見る事に!
       へい、好奇心いっぱいのshinkaiですよってね。

       衛星地図をどうぞ
       赤点がサリーネの町、左下の電車の印が駅の位置で、
       小さい赤点ポツポツが元の鉄道線路跡、上を黄色の州道が通ります。
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       細眺めの池に見えるのが、町の名サリーネ・塩田の由来となるもので、
       大きな赤点を打った辺りに我々は間違えて入り込んだのでした。




       駅の近くで丁寧に教えてくれる人に出会い、確かに入り込んだ道は
       正しかったのですが、行き過ぎてしまい、ははは、こんな道!!
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       出会った高年シニョーレにヴォルテッラまで行けるかと訊ねると、
       途中の橋が落ちているから、そこまでは行けるけど、
       あとは車では無理だというので、では、そこまで行こうかと。

       春からずっと大雨が続いていましたし、4輪駆動の大型車でも
       通ったのか酷い道になっており、
       直に、やめた方が良いね、と車を回そうとしてガタンと
       落ち込み、友人が右だ左だと指示を出してくれて脱出成功!




       その道脇に車を置いて、暫く先まで歩いて行きましたが、
 
       普通車は寄せ付けない凸凹道も、蟻は大丈夫なのね、ふむ。
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       道を間違えていた事は、今回ブログ・アップの為にもう一度
       グーグルマップを確かめて気がついたのですが、
       
       間違えずに元の鉄道線路跡に入り込んでいたら、
       この塩田は見れませんでした! ならば幸運だったのかな? へへ。
       はい、これがサリーネの塩田なのです。
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       塩田といっても、海水を平たい畑に通し、太陽の陽で乾燥させる
       のではなく、ここのは塩水の湧き水利用でしたし、
       こうしてご覧になる様に、いわば岩塩状態ですね。
       まさにこの一帯には、イタリアにおける大きな埋蔵量
       地下にあるのだそう!

       エトルスクの時代からここの塩辛い湧き水は利用されていた様子で、
       ローマ期には既にそれを記したものがあリ、
       中世を通しこの湧き水はモイエ・moieと呼ばれ、
       この地方の経済を潤し、当時はヴォルテッラの司教領主の
       持ち物だったのも、コムーネに渡り、そしてフィレンツェ共和国に。

       塩田の最初の記録が残るのは980年頃、
       当時ドイツのザクセン地方で岩塩鉱が見つかり、
       神聖ローマ帝国皇帝オットーネ2世が、技術を学ぶよう
       この地方の塩製法の親方達を招いたものだそう。

       フィレンツェ共和国、トスカーナ大公国に渡った後も、
       大きな税金はかけられた物のこの地のものとされ、
       どんどん大掛かりな製造法になって行った様子。

       モイエ・塩水の湧き水から塩を取り出す方法
       ちょっと面白くダイナミックなので書いてみますね。

       5つの井戸(6つと書いてあるのも)から巻き上げ機によって、
       24時間に500杯もの塩水が大バケツで汲み上げられ、
       幾筋かに分けられた道を通り槽に溜められ、
       そこから再度幾筋かの道を通り8基の燃焼器に。

       燃焼器の下は鉛製の格納庫とでも言うのか、になっていて、
       3時間毎に木製の熊手で出来上がった塩を掻き出す仕組み。

       昼も夜も焚き続けるために、一つの燃焼器に付き3人の男が働き、
       この燃やす薪は、一日にロバの積荷にして100荷もの薪が必要。
       パスクワの休暇以外は休むことが無いので、
       周囲5マイル一帯は薪の山で埋まっていたんだそう!

       3ヶ月ごとに石の燃焼器が新しく作られ、その上に鉛の塊が置かれ、
       その鉛が溶け石の燃焼器の形となり、塩が燃焼器から出る時に
       乾燥するのにちょうど良い形になるのだそうで、・・ご想像を!
       出来た塩は即袋に詰められ、ヴォルテッラの倉庫に送られたと。

       トスカーナ大公国からイタリア王国に、そしてイタリア共和国にと
       持ち主が移り、塩も国家専売品に。




       塩田脇より眺める現在の精製工場で、アティサーレ・Atisale.
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       サイトを見ましたら、所有の3つの塩田の説明があり、
       ここサリーネのは、地下100~200mにある1700平米の岩塩で、
       大変純度の高い細かい塩なのだそう。       

       イタリア内に所有する3つの塩田の様子も知れるサイト




       道をもっと進むと、こんな廃屋もあり
d0097427_02322923.jpg



       小池もあり、・・うん、ここも塩味かな? ははは。
d0097427_02351793.jpg



       草や細かい枝に絡みつくようなカタツムリがあちこちに
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       そして、塩からトンボ風、かなり大きめ。
       ね、塩田脇に塩からトンボなんて出来すぎですよね、ははは。
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       道はまだまだこんな風に延びて行き
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       振り返ると、遠くにサリーネの町並み
       小さな小屋の先に、小さく見えるshinkaiのパンダちゃん。
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       も少し先の小高い所から眺める、ヴォルテッラの町
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       さて、引き返す事にしましょうか・・。

     
       少し長い説明もありましたが、
       どうぞ、お楽しみ頂けました様に!



 
     *****

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by italiashiho2 | 2015-02-05 02:37 | ・トスカーナ Toscana | Comments(14)
2014年 11月 03日

   ・・ アレッツォ生まれの著名人の家、とその周辺 (追記) ・・

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       今日はこの街生まれの著名人、それも歴史に名を留める大有名人
       アレッツォに生家または家が残る
       お一人は家もないのですが、偶然に標識を見つけまして・・、
       その4名の家や周辺、そして例によりもろもろの話題を。

       上手く纏まりますか・・、お付き合いを願います!

       上の写真はこの街のドゥオーモ
       カッテドラーレ・デイ・サンティ・ピエトロ・エ・ドナート・
       dei Santi Pietro e Donatoで、街の北東の高台にあり、

       ゴシックの素晴らしく大きな聖堂で、
       古いロマネスク教会・ラ・ピエーヴェをご案内する時にでも・・。



       街の地図をどうぞ
       ドゥオーモが右上に、緑色の線で囲った部分が今日のご案内ですが、
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       左上、XX Settembre・ヴェンティ・セッテンブレの通りに
       あるのが、ジョルジョ・ヴァザーリの家
       
       ドゥオーモの左端から下る Via Ceesalpino・ヴィア・チェザルピーノの
       番号5の家が、グイド・モナコ・ダレッツォ の生家

       同じ通りの下右側に緑点を打った場所に見つけたのが、
       ピエトロ・アレティーノの標識で、
       その斜め下に見える仮面の印の場所に、彼の名を冠したテアトロ。

       この通りをずっと下った番号14が、先回ご案内の
       ピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画のフランチェスコ教会で、
       その下の教会で見た展覧会の様子を少しご紹介

       で、ドゥオーモから左下に斜めに下って来た番号6に、
       フランチェスコ・ペトラルカの生家、と言う訳で、

       右下のグランデ広場の上側のヴァザーリのロッジェには、
       左の緑点を打った所に、彼の浮き彫り像が。



       という事で、ジョルジョ・ヴァザーリの家博物館からご案内ですが、
       今回訪問しておらず、写真もサイトから拝借し、
       こちらが彼の自画像
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       正直な感想は、えっ、こんな顔だった?!なんですが、
       どう思われますか?
       画家、建築家、そして美術史家としての活躍を思うと、
       何歳の自画像かは分りませんが、少し覇気が無い様な・・、
       ははは、失礼!

       ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511–1574)
       近年フィレンツェのヴェッキオ宮の彼の壁画の下に、
       幻のレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画が残っているや否やで
       大いに話題になった画家であり、
       ウフィッツィ宮、ヴァザーリの回廊などの建築家でもあり、



       そして何よりも我々にとって近しい存在なのは、
       1550年に出版された「画家・彫刻家・建築家列伝
       Le Vite de' più eccellenti pittori, scultori e architettori italiani
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       チマブーエから彼の時代に至る約160名を取り上げ、
       その生い立ちや逸話、時に彼の創作も含め、はは、
       様々な技術についても言及した大変に貴重な作品で、
       当時の画家の生き生きとした様子を今に。

       ヴァザーリが取り上げている逸話を
       レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから 1と2
       http://italiashio.exblog.jp/15601820/
       http://italiashio.exblog.jp/15601729/



       こちらがヴェンティ・セッテンブレ通り55番にある、
       ヴァザーリの家博物館・Museo di Casa Vasari.
d0097427_545184.jpg

       1541年に購入し、彼自身が
       アレッツォの家の(準備が?)始まっている
       町の一番良い地区サン・ヴィートで、広い菜園が付いている
       と記している、3階建ての素晴らしい物。



       彼自身が建物の装飾をする事を考え
       芸術、芸術家、そして自分自身を称える為の正確な計画を
       広げ始めた意図が良く分かるそう。
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       彼がフィレンツェで没後、最後の子孫となった人が
       1687年に「世俗の信心会」とでも言う会に不動産を遺し、
       この会の建物がグランデ広場の西を占めるパラッツォ・デッラ・
       フラテルニタ・デイ・ライチ・Palazzo della Fraternita dei Laiciで、
       後に持ち主も変わりますが、
       1911年生誕400年を期し国が購入、現在の博物館にと。

       この博物館入場も30分毎の予約が必要で
       http://www.giorgiovasari-ticketoffice.it/

       今回の写真も、サイト名が入っているのはshinkaiの撮った物、
       他はサイトから拝借のものです。


       グランデ広場に抜ける長~い、ヴァザーリのロッジャ
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       ロッジャと書いておりますが、この上の建物全体を含め
       ヴァザーリが1573年に設計したもので、
       グランデ広場の1辺を、すっきりとルネッサンス様式で占めます。



       ロッジャの西の端の壁に、こんな彼の像が。
       自画像よりずっと良い印象!  ははは。
       左手に筆、右肘の下に本、背後に薄く見えるのはウフィッツィかな、
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       ジョルジョ・ヴァザーリに
       愛と尊厳を、  故郷  1911年 
       


       ついでにグランデ広場の逸話をひとつ。
       アレッツォ近郊出身の俳優ロベルト・ベニーニ・Roberto Benigni
       アカデミー賞を取った映画「人生は美しい」に登場の場面。
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       さてもう一度ドゥオーモ近辺の図を。
       番号2がドゥオーモで、1がプリオーリ宮・Palazzo Priori
       現在は市役所で、インフォメーションもありますが、
       この建物に続いて南側にコの字型の建物
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       朝早くの写真で、
       右の2番目の石造りの古い建物がプリオーリ宮、現市役所、
       塔のある建物も含まれ、その脇から道が下り、
       通りの名はヴィア・チェザルピーノ・Via Cesalpino.
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       道を少し下った位置から逆に見るとこんな感じで、
       左側の建物の角近くに石碑が見えます。
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       建物は位置から考えても由緒ある物と思われますが、
       建物入り口扉の木彫り
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       最初にこの木彫りに気がつき、



       次に石碑が目に入り、音符が書いてあるので写真を。
       ここにグイド・モナコが生まれ、住んだ
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       この時点では何者かまるで知らなかったのですが、
       アレッツォの予告編の時にMUSICAさんがコメントを下さり、
       ドレミの創始者と!



       そう言われてみると、アレッツォの鉄道駅から少し来た所に
       大きなロータリーがあり、グイド・モナコ広場と名が冠され、
       彫像もある事が分かり、
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       改めてお知り合いになるべく、ははは、調べました。
       石碑にはMonacoと大文字だったので、姓かと思ったのですが、
       どうやらGuido monaco、僧侶グイドで、
       アレッツォ出身のグイド、グイド・ダレッツォ・Guido d'Arezzo
        (992頃-1050)ベネデッティーノ派の僧侶。

       ヴェネトからポー河を渡ってのエミーリア・ロマーニャ州は
       ポンポーザの修道院・Abbazia di Pomposaで
       音楽を教えていたと言います。

       でミサで歌われるグレゴーリオ聖歌のリズムを
       僧侶達が覚えるのに苦労している事から、
       従来とはまったく違う教授のメソドを考え出したのだそうで、
       北イタリアで大変有名になり、敵対嫉妬心の攻撃で、
       修道院は無かったものの歌曲が盛んだったアレッツォに移り、
       この地でそれまでの研究を集大成した
       新しい音楽の標記法を纏め上げたのだそう。

       で音楽標記に関する記事を、何度も読み返し、
       こういう事ではないかと纏めますので、
       もし違っていましたら、先にご教授をお願いおきまして・・!

       初期の音楽標記は言葉の上に、斜め線やら、その横に点を打ったり、
       延ばした線で書いていたのが、
       中世になりメロディが長く、区切られるようになると
       歌う為に記憶するのが難しくなり、

       9世紀から中世全般にわたり使われたのがネウマ譜というもの。
       ■、そしてそれに棒を付け加えたりの標記で基本形が8種、
       それに特別な形の複雑なものが何種も!
       つまりネウマ譜というのは、メロディとリズムを与えた
       ひとつの記号で、これに画期的な標記を与えたのが
       グイド・ダレッツォで、4本線を加えたわけ。

       そしても一つグイドの歌手を助ける為の教授法は、
       グイドの手と呼ばれるもので、
       聖ヨハネの歌から、Ut Re Mi Fa Sol La のイニシャルを取り
       6音音階を現した事なのだそう。
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       後に Ut は Do となり Si が加わるわけですが、
       ドレミファソラシの原形は彼にと。

       という事で、お許しを! 

       ポンポーザの修道院
       http://italiashio.exblog.jp/8922205/


       さらにこんな坂道を下り
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       ふと目に留まった標記のある建物
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       ピエトロ・アレティーノ・Pietro Aretino
       Arezzo 1492-Venezia 1556
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       並外れた天才、鋭い偏見にとらわれない文学者、
       当時の君主、著名人の中において、一番の高い名声を得る。
       カルロ5世、フランスのフランソワ1世の友達であった。
       この町で生まれるが、早くにペルージャに移る・・・。


       到底shinkaiの手には負えない大人物でして、はい、
       アレッツォの町の遊女と貧しい靴職人との間に生まれたという
       この人物が、時の君主や法王と交わるだけの才気に富み、
       文筆家として世を渡り、大財産を持ち、
       画料がめちゃくちゃ高かったらしいティツィアーノに
       53歳の頃に描かせた肖像画がこれ!
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       恐ろしいほどの傲岸不遜さが、逆に小気味よくもありますが・・、
       男を描くティツィアーノの素晴らしさ!!



       ちょっと毒気を抜いて頂くため、ははは、
       ずっとチェザルピーノ通りを下ると、
       先回ご案内のサン・フランチェスコ教会
       その東の脇道に入り口のある同教会の下の教会は
       近年修復され現在は展示会場に。

       その修復資金を援助したのが、エトルリア銀行・Banca Etruriaで、
       この写真の金庫室は、はい、エトルリア銀行の。
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       ポスターの前で、これ、インゴットよね?
       本当にこんなにあるの?!と係りの女性に聞きましたら、
       にっこりと、まぁ大体これ位は、って!

       で銀行のサイトを調べましたら、ははは、
       実体の金を持っているのでは、イタリアで一番、 
       なんですってさ!



       実際に金細工師の仕事ぶりをと
       斜め向かいで、こんな拵えで、若き美人がお仕事を。
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       ランプに炎が上がっているのが見えますが、
       この炎で手に持つヘラを温め、赤い蝋をすくい、ならし
       原型を
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       とにかく細かい細かい仕事!
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       左の棚の一番下段の真ん中、ちょっと見え難いですが、
       中に原型を収めた円筒形があり、
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       この円筒形に納め、周囲に石膏を流し込み型を取るのだそう。
       後はこの型に金を流し込む訳ですね。

       

       さてもう一度街の一番高所にあるドゥオーモに戻って頂き、

       斜めに角を曲がって来ると、一番の通りコルソ・イターリアに続く道、
       素晴らしく大きなラ・ピアーヴェ教会の鐘楼も見えますが、
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       右手前に凸凹に見える壁が



       この建物で、現在は図書館になっているプレトーリオ宮
       Palazzo Pretorio、壁のたくさんの紋章が素敵で、
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       陽射しを浴びると素晴らしい威容を見せますが
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       その右横に見える塀から覗く内庭
       見える鐘楼はドゥオーモのなのですが、
       横に小さな標記があって、ペトラルカの家と。
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       サイトから拝借の写真をどうぞ。
       上でご覧頂いた内庭は、写真の一番左端に切れて見える部分で、
       どうやら現図書館に含まれ、
       右奥に大きく見える扉が、ペトラルカの生家博物館入り口
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       脱線ですが、shinkaiが勝手にミーハーしている、ははは、
       ガルダ湖畔のガブリエーレ・ダヌンツィオの家博物館、
       イル・ヴィットリアーレ・Il Vittorialeの建物正面には
       たくさんの紋章が掛けられていて、
       アレッツォのペトラルカの家を模した、と読んだ記憶。

       となると、元々はこの建物辺りは繋がっていたのか、
       単純にダヌンツィオがすぐの隣を取り違えたのか、
       なんぞと楽しく想像するshinkai、はは、長生きしそう?!

       ダヌンツィオのガルダ湖畔の家
       http://italiashio.exblog.jp/5946852/



       前の道はヴィア・デルオルト・Via dell'Ortoと言い、
       ノスタルジアを感じる古い絵葉書も見つかりまして・・。
d0097427_5565215.jpg



       現在のペトラルカの生家博物館の入り口
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       小さな中庭があり、奥に入り口なのですが、
       中は写真禁止になっておりまして・・。
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       入り口には若者達が4人ほどでお喋りに夢中!
       写真はNoと聞いて自粛したのですが、
       あんなに勝手なお喋りで盛り上がっていたのなら、
       撮っても気がつかなかったろうと、・・残念!



       中はかなり小さな部屋が並びますが、
       こんな風に蔵書たくさんの図書館風でして、
       小さな衣類や骨の破片などの展示物もちょっぴり。
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       フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarca
       アレッツォ生まれ1304年7月20日ーアルカ1374年18/19日
       ダンテと並ぶ詩人、作家、ダンテが当時俗語と見なされていた
       イタリア語で書いたのに対し、ペトラルカはラテン語で。

       彼の両親はフィレンツェ人で、ダンテの友人だったといい、
       彼同様フィレンツェを追放された身で、
       フランチェスコはアレッツォのこの家で生まれますが、
       僅か7歳の時に、父親が職を求める為にフランスは
       アヴィニョンの近くに引越しを。

       ボローニャ大学で法学を学び、父親の亡き後再びアヴィニョンに
       戻ったり、作家活動を続けながらイタリア各地を。
       そして最後はパドヴァの南、アルカ・Arquàの里に家を貰い
       晩年を過ごし亡くなった・・。

       アルカ・ペトラルカの彼の家はこちらにご案内ですが、
       http://italiashio.exblog.jp/4752528/

       今回ほんの少し複雑な彼の足跡を辿り、
       晩年をあの穏やかな里で過ごし、気に入りの家で亡くなったのを
       他人事ながら、良かった!と思ったことでした。

       彼は大変に猫ちゃんを愛したそうで、とりわけお気に入りの
       彼が書き物をしている足元にいつも居た雌猫ちゃんに、
       なんとラテン語の詩を残しているのですね!
       で及ばずながらshinkaiが、はは、拙訳を。

         私が彼の最大の情熱だったの、ラウラは2番目よ。
         なぜ笑うの? もし彼女が女王の美しさの魅力なら、
         私は賞賛に値する忠誠の愛人よ。
         もし彼女が聖なる紙にリズムとインスピレーションを
         与えたのなら、私はそれらを邪悪な鼠どもから守ったわ。
         まだ私が生きていた時は、鼠どもを神聖なる戸口から遠ざけたの、
         私の主人が書いた物を破壊する事のないようにね。
         そして今は死んでしまったけど、彼らをいまだに怖がらせるの、
         命の無い私の胸の中には、昔のままの忠誠が生き続けているのよ。

       ラウラと言うのは彼の作品に登場する、愛を捧げたと言う女性ですが・・、
       今回この詩を見つけた事で、遠かったフランチェスコが
       とても親しく感じることを、今回の最後に!

       長いお付き合い、有難うございました!


     *****

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by italiashiho2 | 2014-11-03 06:18 | ・トスカーナ Toscana | Comments(13)
2014年 06月 14日

   ・・・ 狙いたがわず! モンティージの町 ・・・

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       トスカーナはシエナ県、オルチャの谷の北に位置する町の
       カステルムーツィオ、サン・ジョヴァンニ・ダッソと続きまして、
       この地域三点セット、ははは、今回最後を〆ますは、
       モンティージ・Montisi の町のご案内。

       サイトで知る町の歴史、イメージ情報、衛星地図の町の形
       などから、ここは良さそう!と狙って行ったのですが、
       まさに!珠玉の町と呼ぶに値する姿を見る事が出来ました。

       上の写真は町の東側からの眺め
       海抜413m、町の住人350人弱という様子を
       ゆるゆるとご案内いたします、どうぞ!

       すぐ近くのカステルムーツィオ、サン・ジョヴァンニ・ダッソの
       町のご案内は先回、先々回にアップし、
       近辺の地図も載せておりますので、そちらでご覧を。


       旅の初めに1泊した朝、前夜からのかなりの雨降りの中を
       歩きつつ、これは良い町だ、出直そう!と決め、
       旅の最終日の快晴の空の下、もう一度訪問したのでした。
       なので、ここにアップの写真は殆どが2度目の訪問時の物。

       町は東西に細く伸びていますが、
       西端と北側に駐車場があり、宿に近い事もあり西側に停め、

       町を通り抜ける一本道ウンベルト1世通り・via Umberto I
       出てくる角にこの小さな礼拝堂。
       案内も何もなく、そう古い物でもなさそうですが・・。
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       グランチャ・ディ・サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ
       Grancia di Santa Maria della Scala
       サンタ・マリーア・デッラ・スカーラの荘園が道の向こうに。
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       これです!
       こちらが入り口で、緩やかな坂道の敷石には、
       荷車を引いて上がったかっての轍の跡が残り、
       建物全体は素晴らしく大きく、
       今、車が通る左端の向こうにチラッと見えるオレンジ色のミラー、
       あれよりも奥まで。
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       現在は手前側の建物がアグリトゥリーズモの宿にもなり、
       イタリアで一番小さい劇場の一つでもある、
       座席58席のテアトロも近年復元されていると。
       


       入り口扉上に見えるシエナのデッラ・スカーラ病院の紋
       スカーラは梯子、階段を言います。
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       入り口脇の角に見えるタベルナーコロ
       聖母像などを安置する壁龕。
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       タベルナーコロをたくさん見かけたジェノヴァの街
       http://italiashio.exblog.jp/13520374/


       こちらが奥に続いている、まさに巨大な建物で、
       あの見える扉には「オリーヴ油エキストラ・ヴェルジネ直販」の
       看板が出ていて、
       13世紀から延々と、このグランチャの歴史が続いているのですね。
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       今回モンティージに行くにあたり、デッラ・スカーラ病院の荘園が
       あったのを知り、今までもあちこちでこの病院の名前と
       設けていた巡礼宿に出会っていますので、
       今回は少しその実態について知りたくなり、読んでみましたので、
       ほんの一端ですがどうぞ。


       かってあった大きな高い塔、シエナのカンポ広場にある
       マンジャの塔を模したといわれる塔は、
       第2次大戦の終戦間際、ドイツ軍が引き上げる際に爆破したといい、
       現在はありませんが、

       この図は1762年の財産目録・カブレーオ・Cabreoの為に描かれた
       この荘園の細部に至るまでの図が添えられた目録だそうで、
       塔以外は現在と余り変化の無いのが良く分かります。
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       現在内部を一般公開していないので見れないのが残念ですが、
       サイトからの写真を1枚どうぞ。

       入り口の扉を入った第一の中庭の眺めで、もう一つ中庭があるそう、
       坂道から門のアーチをくぐった所の石の擦り減り具合が印象的。
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       サイトはこちらに
       http://www.lagrancia.com/


       道脇から眺め、まさに要塞だ!と感じた威容、圧迫感ですが、
       これがグランチャ、中世における修道院付属の荘園の姿なのですね。
       
       このモンティージのグランチャの元は1295年
       町の領主シモーネ・カッチャコンティ・Simone Cacciacontiが
       彼の住いと土地を含む資産すべてを、シエナの
       サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院に
       遺言で残したのに始まります。

       これについては後に再度触れますが、ここではこれのみで。

       グランチャ・Granciaと呼んでいますが、
       一般にグランジャ・Grangiaとも呼ぶそうで、
       15世紀の記録に残る記述によると、
         塔のある邸宅、外扉と回廊内庭を挟んで巻き上げ橋、
         深い外堀がある城壁が取り囲み、
         内部の住居、穀物倉、ワイン貯蔵庫を護るまさに要塞
       という当時の様子。
       ええ、現在無いのは塔と外堀、そして巻き上げ橋!

       こういう大規模要塞造りの荘園を、デッラ・スカーラ病院は
       イギリスのカンタベリーからローマへの巡礼道、通商道である
       ヴィア・フランチージェナ・フランチェージェナ街道沿い、
       またその近辺に設け、つまりトスカーナ一帯に跨り各地に。

       モンティージの他にこの近くではサン・クイリコ・ドルチャ、
       その南東にあるスペダレット・Spedaletto、
       先回ご案内のサン・ジョヴァンニ・ダッソの城・要塞も一時
       デッラ・スカーラの持ち物だったとありました。

       つまりその周辺の穀物の集積場、倉庫であり
       保管し護る為の要塞であり、またオリーヴ油やワインの製造所も
       兼ね、如何に合理的に膨大な農産物を管理するかで、

       最初はこの荘園も、修道院付きの信用できる僧侶達が管理を任され、
       15世紀まではそれで続きましたが、
       それ以降は世俗の人物に任せるようになったと。


       一方モンティージの町は1371年にシエナの元に入るものの、
       シエナの凋落と共にフィレンツェのトスカーナ大公国の元に。
       続く世紀はこの町を貧しさが覆いますが、サフランの栽培で
       何とかしのいだ、という記述も!

       1778年にここのグランチャを私有にするという事から、
       町の有力者であるイアコポ・マンヌッチ-ベニンカーザ・
       Iacopo Mannucci Benincasaが買い取り、現在に至ると。
       まさに町の歴史そのままのグランチャの歴史、姿なのですね。

       マルケ州のファブリアーノの紙の博物館で、
       たまたま開催中の公証人の展示会で見た愉快な落書き、
       農民が荘園に農産物を納め、管理する修道僧の様子を。
       http://italiashio.exblog.jp/9391469/

       ヴィア・フランチェージナについては
       http://italiashio.exblog.jp/9599110/


       町の衛星地図をどうぞ
       左下斜めに薄緑の線で囲った所がグランチャで、
       町中を通り抜ける道がヴィア・ウンベルト1世・Via Umberto I.
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       中程、薄緑の四角を打った広場に泊まった宿があり、
       広場から通りの右側2軒目の大きな建物が、
       マンヌッチ-ベニンカーザ邸、写真撮り忘れで、はは、
       元々はフィレンツェ出身の貴族の家系なんだそう。

       ブルーのバス停の位置から、町の一番の中心核に。



       さて、グランチャから町の中心に向かいます。
       緩やかにカーヴする道をそろそろと行きますが、
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       道の両脇に並ぶ建物群の背が高く重厚な事など、
       単なる田舎町でない事を示します。
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       建物の壁には、デッラ・スカーラの紋がある所も見え、
       その関連の建物でもあったのでしょう・・。



       ここが町の通りの中心広場、見える鐘楼は、
       古い一廓にあるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会のもの。
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       実はこの日、町の入り口で時代衣装を纏った人々が
       出かけて行くのを見かけ、どうもなにやらあるらしいと・・。
       窓から白い布が翻っていますね?
       最初は単に洗濯物かと、ははは、失礼、思ったのですが、
       訊ねてみると、やはりぃ!

       ポルトガルのファーティマの聖女像が、
       今日この町にお出ましになるので、皆さんでお出迎えし、
       上の教会まで行進するのだそう!

       ファーティマ・Fátima にも行きまして、ご案内は宿題のまま!
       強い民間信仰の雰囲気にも触れていますから、
       町の皆さんが浮き浮きと興奮するのも分りましたが、
       上の町の路地を歩いている時には、
       車椅子に座ったままのお年寄りから、今日はね!、と
       話しかけられたりもしたのでした。



       広場から、ラ・ロカンダ・ディ・モンティージ
       La Locanda di Montisi、shinkai の泊まった宿。
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       朝食の部屋は、古い17世紀頃という建物の雰囲気を
       利用していたものの、各部屋は普通に整備され特別の事はなく・・。
       それにしては今回の宿で一番高いお値段、シングル75エウロ!



       この広場で町の皆さんが、食べて飲んで騒いでいる写真を!
       これは毎年8月に開催される町の最大のお祭り、と想像、
       ジオストラ・ディ・シモーネ・Giostra di Simoneの後、    
       勝者をたたえ、負けた地区は慰めあい・・、はは、の光景。
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       こちらがそのジオストラの様子
       ジオストラというのは、現在のお祭りの移動遊園地も指しますが、
       回顧の馬上競技、槍試合などを言います。
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       大体がこういうサラセン人と見立てた像の持つ標的を
       槍で突いたり、手から下がる輪の中を突き刺したりなのですが、
       ここのは凄いのですよ、ははは、
       標的は左手に、左の肩には輪が、槍の先5,5cmよりも1,5cm大きな直径、
       延ばした右手からは石膏の球が2つ下がるという・・!

       輪を突き通す、または標的の真ん中を突くと点数が加算され、
       5回の勝負の合計点で、町の地域の一つが勝者に。
       はい、町は4つの地域に分けられていて、
       勝つと聖母子像の描かれた布・この町ではパンノと呼ぶそう、が
       与えられると言うもの。

       shinkai が何を必死に読んだかと言いますと、
       標的の数もさることながら、ははは、
       ジオストラに冠された名前がシモーネのジオストラ、なんですね。

       これはこの町の領主だったシモーネ・カッチャコンティ、
       シエナのデッラ・スカーラ病院に遺言で資産を残した、
       という男の名に由来するのですが、
       読んで分った事はです、

       このシモーネというのは悪辣な領主で、町の住人から憎まれ
       モンティージから追放されるのですが、
       自分の兵士を使い逆襲し、町を焼き払い略奪、
       農園の家畜を皆殺しという残虐行為で、
       挙句、結局町を治められずシエナに逃げそこで亡くなり、
       遺言で町を病院に残したのだ、というのを知りました。

       つまり18世紀には既に記録にある、というこのお祭りで、
       いまだに13世紀の悪辣領主が槍で突かれ続けているという
       ははは、そういう由来のあるお祭りなのでしたぁ!

       そうそう、どこにこんな馬が走れるほどの広場があるのかと訊ねましたら、
       町の西の入り口の前に教会があって、その前に広場があるのだそう。
       きっと何かの大きな行事の時には、そこでなのでしょうね。



       さて町の一番の核、衛星地図でも見えた北東部に
       素晴らしい青空でしょう?!
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       時計塔は、かってトスカーナ大公国に入る前の町の動乱期、
       フランスの占領下にもあったようで、その時の遺産ですが、
       かなり改修を経ているとの事。
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       翻る旗は、町を4分する地区の一つ、
       ここカステッロ地区のもの。



       道の奥に見えるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会
       Pieve della Santissima Annunziata.
       13世紀建設のロマネスク様式で歴史的にも由緒があるそうですが、
       入り口上の半円のモザイク部分、内部も改修されています。
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       今日は重要な祭日とて、扉も開け放たれ
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       最初に訪問した時はガラス戸が閉まり入れずに、
       カメラを押し付けて撮った内部。
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       扉の開いていた祭日に撮った写真はもっとボケ!
       はぁ、ボケのshinkai・・。



       教会の横、鐘楼と隣の建物の間に隙間があるのを見つけ
       そろっと覗きに行きましたら、
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       はい、町のパノラマ! 金網が残念!
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       教会前の建物、道に沿ってのカーヴが面白いでしょう?
       右手前の建物からは、ぐぃ~~んとドリルの音が響き、
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       石版彫刻のギーゴ・Ghigoというシニョーレの工房でした。
       町の至る所で、彼の作品を見かけましたが、
       ええまぁ、素朴稚拙な味わい。
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       古い一廓をあっちにこっちに行ったり来たり、楽しみます
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       ご覧の通り、ちゃんと人々が住み、手入れがされた家々で
       人の姿は余り見ないのですが、寂れた感じは一つも無いのです。
       石の色も美しく、見かける人々もにっこり!
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       細い路地を辿り、町の一番の高所の広場に
       こちらが南側で、
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       西側
       あれ、白いワンちゃんがいるのか、と一瞬思ったほどの
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       大きな猫ちゃんが寝ておりまして・・、
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       こちらは北側ですが、こちらにも茶色の猫ちゃん
       見えますか?
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       ほらね
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       東側の大きな高い建物、カッゼーロ・Casseroと呼ばれる
       元々はモンティージの領主の住まいだったと。
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       その後小学校になったり、様々な改修もされ、
       現在は住まいになっているそうで、自転車やボールが転がり・・。



       茶色の猫ちゃんに触らせてもらって遊んでいると、

       後ろに白ちゃんがやって来て、ごろんごろんして見せてくれ
       おお、可愛いねぇ!と喜んで撮るshinkai。
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       すると後ろで、茶ちゃんが
       何だ、その位で喜ぶのかぃ、そんなの簡単じゃぁないかぁ、と
       ごろんごろんを、ははは、うれしいぃぃ!
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       遊んでもらって、じゃぁね、またねぇ! 元気でねぇ!
       と再度路地歩きを。
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       教会の鐘が切れ目なく鳴り始め、
       そろそろ行事の始まりを告げるのを潮に、
       バールでカフェとクロワッサンを食べ、引き上げますが、

       道脇の下にのんびり日向ぼっこのワンちゃんを見つけ、
       チッチッ、と舌を鳴らして呼びますが、
       見てくれたのは茶色の方だけ! ははは。
       このワンちゃん達は、トリフ探しのワンちゃん!
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       駐車場の脇のサクランボの実
       5月上旬のこの日、まだ緑色。
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       そして、脇のオリーヴ畑。
       銀緑の細い葉が光ります
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       眩しいほどに晴れ上がった5月のトスカーナ
       素敵な町を見た喜びを味わいながら、
       北のシエナのクレーターの道に向かったのでした。



     *****

       水彩ブログには、最近買った画材あれこれ
       をアップしております。
       見てやってくださ~い!       
       http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


     *****        
       

       いつも有難うございます!  
     
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by italiashiho2 | 2014-06-14 01:34 | ・トスカーナ Toscana | Comments(12)
2014年 01月 11日

   ・・・ 映画はお好き? ・ 最近見たもの、懐かしいもの ・・・

       お天気が、暖かい陽射しが恋しい、寒い霧の毎日が続きますが、
       さぁて、元気を出して参りましょう!

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       というわけで今日は最近見た映画や届いたDVDのお話を!

       トップは、お正月休み最後の6日に仲間と見に行った映画
       こちらでは主人公の名のまま「フィロメーナ」でしたが、
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       若き日にふとした出会いで身ごもり、修道院で出産。
       生き別れのまま50年経ち、今、我が子を探す旅に。
       そして、知った真実は・・。
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       実話からの映画化だそうですが、やはり哀しい。
       そしてカトリック、宗教というより、その世界に住む人々の偏狭さ、
       取り繕いの偽善は、胸をえぐります。

       あなたを抱きしめる日まで
       ・2013年 イギリス製作
       ・スティーヴン・フリアーズ監督
       ・主演 ジュディ・ランチ、 スティーヴ・クーガン



       アンコール!! (マリオンへの歌)
       暫く前に見たのですが、とても良かった!
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       年金生活者たちのコーラス・グループ。
       妻は明るく前向き、でも夫は内にこもり息子とも上手く行かない、
       そんなカップルの妻が先立ち、一人残された夫はコーラスに参加・・。

       妻はかたくなな夫に「あなたの心の色はどんな色、見せて・・」と歌い、
       夫は「お休み私の天使、・・我々はいつまでも一緒だよ」と歌う・・。

       名女優ヴァネッサ・レッドグレーヴに久しぶりに会えて嬉しかったし、
       夫役は、「コレクター」のテレンス・スタンプ。
       薄いブルーの瞳は相変わらずだけど、冷たさが無くなっていた様な・・。
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       コーラス・グループの指導に当たる若い女性の描かれ方、
       優しくそして適切に年配者に接し、扮した女優も可愛く素晴らしかった。


       それにしても、日本語のタイトルを知るために見たウィキペディア日本版の
       あらすじに「老婆マリオンの・・」とあって、久しぶりに開いた口が塞がりませんでした!
       一体幾つにおなりの方が書かれた文章なのか、
       いまだこんな言葉が辞書としてのサイトにまかり通るのか、
       KSBKをつけてお返ししたい気になりました!!
       
       マリオンへの歌
       ・2012年 イギリス映画
       ・ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督
       ・主演 ヴァネッサ・レッドグレーヴ、 テレンス・スタンプ



       大分前に見た映画なのですけど、元気な年配者達を描いた
       マリーゴールド・ホテルで会いましょう
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       それぞれが各人なりの悩みや解決すべき問題を抱え、経済的なことも含め、
       やって来たインドでの新しい生活、そしてインドの若者カップル。

       インドに行ったから問題が解決するわけでもない、でも新しい展開もある、
       という内容、面白かった!

       マリーゴールド・ホテル
       ・2012年 イギリス、アメリカ、アラブ首長国製作
       ・ジョン・マッデン監督
       ・主演 ジュディ・デンチ、 ビル・ナイ、 マギー・スミス、 トム・ウィルキンソン



       最近、元気な年配者達を描いた映画がたくさん出始めたと思われませんか?
       現実社会にそういう方たちが多い事も反映しているでしょうし、
       新しい現実的な問題も多いのかもですね。

       暫く前に、パリ近郊の高層アパートに済む、貧しい年金生活の女性が、
       如何に少しでも稼ぐかから、なんとマリファナの売人になる、
       それも自分のかっての料理人の腕を生かし、お菓子の中に混ぜ込んで売る、
       それがバカ売れで、友人達も手伝う程、・・そのくせ自分の婿は警察捜査官!
       というような、ちょっとおとぎ話的な可笑しなフランス映画もありましたっけ。

       たしかタイトルは「ポーリーン」というこの女性の名前で、
       今回探しましたが分かりませんでした、残念!
       


       ゾラン・私の馬鹿な甥
       という、タイトルだけで笑えてくる、ちょっぴり皮肉で可笑しなイタリア映画。
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       フリウリの田舎に住むパオロは、お隣のスロヴェニアに住む叔母さんが
       亡くなったとの知らせで相続に赴くものの、遺産は甥のゾランのみ!

       やむなく引き取って戻ったものの、のん兵衛で、まじめに働きもしない彼には、
       甥なんて面倒くさいだけ。
       所がこの一見鈍げな甥が、なんとダーツの抜群の名手と知り・・、

       最後の詰めは、まぁ最初から読めるのですが・・、

       こんな田舎のバールというかメンサというか、わやくちゃな場所が皆のたまり場で、
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       芸達者な役者たちが、生き生きとイタリア男を演じて見せます、ははは。
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       映画の中で、男性熟年コーラス・グループが、いとも荘重に歌う場面があり、
       歌詞(標準語)は下記の如し。 ただしフリウリ訛りで歌われます。

       il vino fa allegria       ワインは楽しくさせる
       l'acqua è il funerale      水はお葬式
       chi lascia il vino furiulano   フリウリのワインを飲まない者は
       è proprio il figlio d'un cane  まったくもってろくでなし

       il vino sorregge la vita     ワインは人生を支える
       l'acqua la beve il cane     水は犬が飲むもの
       chi lascia il vino furiulano   フリウリのワインを飲まない者は
       è proprio il figlio d'un cane  まったくもってろくでなし

       http://video.sky.it/cinema/trailer/zoran_il_mio_nipote_scemo_il_trailer/v170080.vid

       ゾラン・私の馬鹿な甥
       ・2013年 イタリア、スロヴェニア製作
       ・マッテオ・オレオット監督
       ・主演 ジュゼッペ・バッティストン、 テーコ・チェーリオ



       友人のルイーザがフランスからお持ち帰りのDVDを、一夕彼女の家で楽しみました。
       はい、日本映画「裸の島
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       ご存知の通り、この映画は台詞が一言もないので、
       フランス版とはいえ、はい十分に、皆が私めの解説で納得いたしました、ははは。

       水の無い瀬戸内の小島に住む貧しい一家のお話、
       医者を捜し歩き、手遅れで子供が死ぬ所など切ないですね。

       裸の島
       ・1960年 日本映画
       ・新藤兼人監督
       ・主演 音羽信子、 殿山泰司



       クリスマス前にオンラインで注文したDVDが、漸くに先日届きました。
       ジュリア・ロバーツの新しい2作もあるのですが、
       懐かしい映画を見つけて3本購入。

       可愛いマシュマロちゃんみたいなマリリン・モンローの
       バス・ストップ
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       「7年目の浮気」とか、「お熱いのがお好き」「7年目の浮気」「王子と踊り子」
       などいろいろありますけど、彼女の映画ではこれが一番好き。
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       純情な青年に、これまた心根の優しい女、という取り合わせで、
       こちらも素直に楽しめる、良く出来た映画ですよね。

       バス・ストップ
       ・1956年 アメリカ映画
       ・ジョシュア・ローガン監督
       ・主演  マリリン・モンロー、 ドン・マレー



       自分はまったく踊れませんが、ダンス映画は大好き人間で、ははは、
       
       こちらはブロードウェイの大ヒット作の映画化
       コーラス・ライン
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       ブロードウェイのミュージカル舞台に引かれた線、コーラスライン。
       主役でないバックで踊るダンサーたちが、これより前に出れないラインだそうですが、
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       バックで踊る役を得るためのオーディションに集まるダンサーたちの、
       それぞれの人生を語りながら進行します。
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       何よりも出だしの速いテンポの音楽と、凄い数の応募ダンサーたちの
       熱気溢れる踊りが素晴らしい!!

       こちらでちょっぴりどうぞ!
       http://www.youtube.com/watch?v=sYVgf_IsRBg
       http://www.youtube.com/watch?v=fdLtsDpzpwA

       コーラス・ライン
       ・1985年 アメリカ映画
       ・リチャード・アッテンボロー監督
       ・主演 マイケル・ダグラス、 アリソン・リード
     
       Youtubeを見て頂くにはどれが良いかなぁ、と探していましたら、
       ウェスト・サイド・ストーリーのオープニング場面が見つかり、
       DVDを持ってはいるのに、忙しいのに見てしまい! 困ったもんだ、まったく!
       これも凄い映画でしたぁ!!  我が青春の一こま・・。  
       http://www.youtube.com/watch?v=bxoC5Oyf_ss



       そして、あのテーマ・ソングはいつでも即思い出せる
       日曜はダメよ
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       ギリシャの港町にやって来た古代ギリシャ信奉者のアメリカ人観光客と、
       港町の娼婦イリア、そして町の男たちが繰り広げるコメディ。

       サマセット・モームの短編に、南方のモンスーンの島で
       娼婦を改悛させようとし、自分が破綻する伝道師のお話がありますが、
       この港町の娼婦に同様に接する頭でっかちの、ははは、観光客。
       結末は分かっているのですが、テーマソングとともにいつまでも残る映画。

       それに、このメリナ・メルクーリの存在感が素晴らしい!
       今頃はどうか知りませんが、我らの時代にあっては、ははは、
       女の子が憧れる大人の女、の一人でしたよね、女性の皆さん?!
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       こちらでちょっぴり音楽とあらすじをどうぞ!
       http://www.youtube.com/watch?v=2Wap_KyNF_s

       日曜はダメよ
       ・1960年 アメリカ映画
       ・ジュールス・ダッシン監督
       ・主演 メリナ・メルクーリ、 ジュールス・ダッシン


       いやぁ、やっぱり映画って素晴らしいですねぇ!!


     *****

     ◆ お知らせ ◆

       広島の絵の友人 玉垣光(たまがき こう)さんが、
       15日から20日まで、広島市のギャラリー「SORA」にて個展を開かれます。

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       中世の人間模様をも想起させる彼の素敵な絵、
       どうぞお出かけご覧くださいますよう、ご案内申し上げます!

 
     *****     

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by italiashiho2 | 2014-01-11 00:59 | ・映画絵画文学 Film Arte Le | Comments(15)
2013年 11月 08日

   ・・・ 長野再訪 ・ 芹田小学校 と 善光寺 ・・・

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       上諏訪での個展が始まる前に、軽井沢周辺のお出かけの後
       長野市に行き、長野朝日TVの塚田ディレクターと青池さんと共に、
       我が母校芹田小学校と善光寺に!

       昨年「おお、信州人!」の番組で取り上げて頂いたのがご縁で、
       母校の芹田小学校に私の絵を寄贈させて頂く事が出来ましたが、
       そのご挨拶という事でお邪魔いたしました。

       長野市に行く事自体が、なんと半世紀ぶり位で!!
       軽井沢からは新幹線で、なんとなんと30分!!
       あっという間に着いて、青池さんが駅まで迎えて下さり、
       長野の以前住んでいた辺り、七瀬(ななせ)周辺をぐるっと
       通って下さったのですが、まるでまるで面影なし!
       
       上の写真は、当然ながら余りにも変わり過ぎ、
       新しい知らない街になっていた、長野の通り


       ですが、なんとも不思議なご縁というかなんというか、
       青池さんが七瀬にお住まいというのは、イタリアに来られた時
       既にお聞きしていたのですが、
       車でぐるっと通って下さった時、まるで変わってはいましたが、
       なんと我が家のあった場所の道の向かい側に
       青池さんのお住まいのマンションがありました!

       子供の頃の感覚ではかなり広い、距離のあった筈の場所も狭く近く、
       でも今も川が流れ橋がかかり、形も色も変わってはいてもガスタンクも!
       絵の宿題が出ると、何度もこのガスタンクを描いたものでしたが、はは。

       小学校周辺も、今は小学校になっている1年半通った中学校もあるものの、
       田んぼも畑もない、街になっておりました。


       芹田小学校、これは青池さんが昨年撮って送って下さったもので、
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       こちらは私が卒業した時の様子で、
       当然ながら校舎は皆建て替わり、それもぎっしりで、
       生徒数も現在700人との事、
       かっての正門は裏門となり、桜並木のあった前庭もなく、
       二宮金次郎の銅像も無くなっておりました。
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       迎えて下さった教頭先生にそれをお話しましたら、
       歩きながら本を読む、というのが問題で今は無いのだそうで、



       その代わり、中庭に花壇や池があり
       小学校の池とは思えない程の立派な鯉が何匹も。
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       学校の中もご案内して頂き
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       確かに毎日眺めた記憶のある、校舎の南に見える山の姿
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       そして、母校に寄贈させた頂いた私の絵
       この写真は青池さんが撮って下さったもので、
       現在は学校玄関入り口の、すぐ正面の壁にありました。
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       正直、ちょっと恥ずかしい、というか、面映ゆく!
       そして、う~ん、昨年はこれで精いっぱいだったのですが・・。



       そして、思いも掛けなかった歓迎会もして頂きました!
       体育館に6年生全部が待っていて下さり、
       きちんと式次第に則り会が進行し、歓迎の言葉やコーラスも!!
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       我が人生にもこんな事があるんだなぁ、と感激しつつ、
       歓迎会に相応しくなさそうな我が身もちらと頭をかすめ・・!

       ですが、コーラスのリフレインが「信じる事に理由は無い
       という素敵な言葉で、お返事をしたくなり立ちまして、

       私はあなた方のお祖母さんという年ですが、と言い掛け、
       卒業して何年になりますか、と先生に訊ねましたら、
       どなたかが計算して下さり、56年!!と。 わぉ~!!

       考えずに始め、例の如く理路整然とは行かなかったですが、はは、
       自分を信じて、しっかり進んで下さい!
       と言ったのが、6年生にとってとても良い言葉でした、と
       教頭先生が言って下さりホッとし・・。
       
       幾つになっても大人になり切れないこんな私よりも、
       ずっと立派な大人に、何かをやり遂げるかもの将来ある子供たちに、
       遠いイタリアで絵を描いている年寄りが来たっけ、と
       思い出して貰えるのも有難いよね、と思った事でした。

       帰りの車の中で青池さんが言われたのは、
       中学の講演会に呼ばれて行ったら、わぁわぁガヤガヤまるで聞かず、
       おまけにヤジまで飛んで来た事があったそうで、
       それに反して今日の会はとても爽やかで素敵だった!と。

       芹田小学校の先生方、皆さん、本当に有難うございました!!
       創立140年になるという母校の今後ともの発展と
       これからの皆さんの将来に、大いなる幸あれ、と祈ります!

       芹田小学校のHP
       http://www.nagano-ngn.ed.jp/seritajs/



       母校を失礼し、さて向かいましたのは、善光寺
       長野の街中もすっきりと整備され、綺麗になっているのと同様、
       善光寺への門前町も、どこもかしこもすっきり垢ぬけ、
       昔風の面影を残してはいるのですが、かなりモダンですねぇ。
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       昨年長野朝日TVさんに頂いたお土産のトウガラシ、八幡屋蟻五郎の店も、
       看板の字は古いですが、中はすっきりの店舗に。
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       こんなフランス風ワインの店も
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       さてこちらが、善光寺のサイトから拝借の地図で、
       サイトはこちら、http://www.zenkoji.jp/
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       4.仁王門  昔は仁王さまを見るのが怖かったっけ!
       7.大勧進  前の池にたくさん亀がいた事と、一度お茶会で中に。
       10.六地蔵
       1.山門   今は上にあがれ、パノラマを楽しめる様子。



       さて、いよいよ境内に入り、仁王門に向かいます
       両脇に宿坊が続き、
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       こちらが仁王門で、
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       左右の仁王さんの前には、昔からこんな風にわらじが捧げられ
       いつか特大のわらじが下げられていた記憶もあるのですが・・。       
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       向かって左側の仁王様
       そう、こんなのが子供の頃は怖かったよねぇ!
       獅子舞のお獅子も怖かったけど・・。
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       そして見えてくる山門
       平日とはいえ、結構の観光客、参拝者の数でして・・。
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       仁王門の下にもこの道にも、かなりの土産物屋や名物売りの店
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       六地蔵が並び
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       大勧進の重厚な屋根と、池にかかる橋
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       橋の右側には「大賀はす」が囲われてあり、
       この池にたくさん亀がいたのですけど、と言いましたら、
       ほら、いますよ、と。
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       そして見上げる山門、1750年建設の重要文化財
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       そうね、上に上っている人が見えますね。
       7年に一度の御開帳があり、それで整備も行き届いているのか、
       どこもがきちんと整っている感じ!
       う~ん、イタリアの物を見慣れた目にはねぇ。



       山門は一段高い場所にあり、その奥に善光寺の御本堂
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       山門の石段を上がって振り返る山門
       見事ですねぇ、美しい形!
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       善光寺の御本堂を背後に、塚田さんと青池さん
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       御本堂、と獅子が上にいる大きな香炉
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       この香炉の煙を悪所に刷りこむと良くなる、というので、
       昔はうちの親がよく私の頭に頂いたものでしたっけが、
       効果?! ははは、聞いて下さる程の事は、・・でございます!
       
       御本堂は国宝で、現在の物は1707年再建
       高さ27m、間口約24m、奥行き約53mで国宝指定の木造建築では
       3番めの大きさなのだそう。

       という様な事より、信濃の善光寺と言えば通じるこのお寺
       小さい時には散々聞かされ、行きもした庶民のお寺さんですが、
       さてこうして書きはじめると、知らない事ばかりなのに気が付きました。

       小さい時に聞いた善光寺の由来は本当に? ご開帳って一体本当は何?
       ご本尊は小さいけども、あんなに大きなお堂なんだよ、と聞いたけど、
       一尺位と聞いたご本尊の大きさは?
       などなど。

       ウィキぺディアには建物や仏像の事は書いてありますが、
       私が御幼少のみぎりに、ははは、さんざん聞かされた事への答えは
       こちらのサイトにありました。
       親切に分かり易く、疑問点を要領よく教えて下さり、
       どこにも見つからなった本殿内部の写真、
       本堂内では写真禁止、もこちらでどうぞ!       
       http://www.iitoki.jp/around/info/post-2.html

       
       でお急ぎの方に、shinkaiが手っ取り早くご説明しますと、
       
       「善光寺縁起」に書かれた伝承によると、
       ご本尊は552年に百済の王から、仏教とともに日本に伝えられ、
       蘇我と物部の仏教崇拝、廃仏の論争の元となり、
       難波に捨てられたのを本田善光(ほんだよしみつ)が拾い、
       ・・彼が通りかかった時、仏陀が「よしみつ、よしみつ」と
       呼びとめた、と聞かされましたが、

       生まれ故郷の長野に(飯田市)持ち帰り祀ったのを、
       642年に仏陀が命じた本来の長野市に移され、堂が建てられた、
       というのが、長野善光寺の縁起だそう。

       そして善光寺は、諸宗派に分かれる以前からの寺院だという事で、
       宗派の区別が無く、その上に女人禁制ではなかったという事が
       大きな特徴でしょうか。
       つまり何人にも救済の手が差し伸べられている、という訳ですね。

       本尊の阿弥陀如来は厳重に秘仏となっていて、鎌倉時代に
       ご本尊を摸した前立本尊(前だち)が作られたというのですが、
       現在ではこの前立本尊までもが秘仏とされ、
       7年に一度の御開帳で、漸くに前立本尊が拝める、という・・。

       こんな秘仏の御開帳ですので、前回の2009年には
       なんと673万人もの参拝があったそう!
       

       で、善光寺の住職様も(少しややこしい上人様の選抜なので、ここでは略し)
       百済から渡来のご本尊はご覧になれないわけですが、

       前立本尊、大型の舟形光背の前に如来と両菩薩の三尊像、
       の大きさは、中尊が約42cm 脇が約30cm
       多分ご本尊もその大きさであろうとの事。

       子供の頃聞かされた話では、本田善光は懐に抱いて持ち運んだ、と
       言うのですが、42cmだとすると懐に入れるには少し大きいかも、ですね。

       
       本堂内はかなりの広さですが、かっては信者たちがここで休む事も
       出来たのだそうで、
       遥かスペインのサンティアーゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の回廊も
       かっては信者、巡礼達に解放されていた、というのを思い出しました。



       本堂への階段の下の、柱の足元を守る銅の囲いと、
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       この高さに御本堂、そして階段の木肌
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       本堂内は写真禁止で、
       本堂の床下にあるまっ暗闇の中を手さぐりで進み、
       鍵だったかな、を触る事が出来ると極楽に行けるという、
       戒壇巡りが有名ですが、
       一度経験ありますが、本当に真っ暗!!
       あれほどの暗さは他に思い当たりませんね。



       横の回廊に出た所から、山門の方の眺め
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       本堂前を横下から
       ここも山門も仁王門も、見事に鳩除けの網が巡らされており・・。
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       善光寺訪問の後は、長野朝日放送局に寄って局内をちょっと拝見し、
       青池さんとお別れした後、長野駅前のデパートをうろつき、はは、
       駅前の本屋さんで藤沢周平さんの文庫本を買い込み、
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       お、渡辺謙さんだ、と分かりましたが、金髪の方は分からず。


       夕暮れ迫る長野駅前を眺め
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       私の知っている長野駅は、お寺さんみたいな大屋根が特徴でしたが、
       今は変哲もない、失礼! 駅舎となり、しかも改装中。
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       はい、また戻れるチャンスがありましたなら、
       もうちょっとゆっくり善光寺さんの回りも、他の場所も、
       いろいろ見たい物はたくさん!    
       
       昔はこうだったああだった、という懐古趣味は余り持ち合わせず、
       今の目で見て、きっとそれで楽しい筈。
       戸隠にも、地獄谷のお猿さんの温泉も、是非見たいもので、
       再度のチャンスを待ちます!!

       
       長野朝日TVの塚田ディレクターさん、青池さん
       長野へのご縁を頂きまして、本当に有難うございました!!


      
     *****     

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by italiashiho2 | 2013-11-08 01:04 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(22)
2013年 06月 11日

   ・・・ ベリー公のいとも豪華なる時梼書 (追記3つ) ・・・

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       本日は突然の、いとも華麗な趣に変身の我がブログ、
       驚かれた方もおいでのことと思いますが、
       はい、なんでございます、ガサツなshinkai にも隠された
       華麗で豪華端麗な部分があると言う事でございまして、言わせてぇ、ひひひ、

       15世紀の細密写本の時梼書として、世界最高との評をもつ
       「ベリー公のいとも豪華な時梼書/Très riches heures du Duc de Berry」の
       中からとりわけ有名な、12ヶ月のカレンダー部分をご覧下さいね。

       今回は写真が小さすぎると愉しめませんので、
       いつもより大きいサイズでご覧頂く事にして、
       これらはウィキペディアのイタリア語版から拝借しましたが、
       https://it.wikipedia.org/wiki/Tr%C3%A8s_riches_heures_du_Duc_de_Berry
       フランス語、オランダ語のウィキのページは、素晴らしいの星付きで、
       これらからももっと大きな写真も見れますし、
       拡大も出来ますのでどうぞ。

       まずトップは1月の饗宴で、
       ベリー公の大広間に集まった貴族たちが年頭の挨拶を交わし、
       ご馳走に預かり、贈り物の交換をしている場面と。

       1月の饗宴のこの場面に付いては、cucciolaさんが
       大変詳細に記されておられますので、こちらをどうぞ。
       http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3678432.html


       この「ベリー公の時梼書」に描かれている細密画は、
       今日ご覧頂く12ヶ月のカレンダー、
       つまり上の半円部分に描かれるその月の星座表と、その下の
       各月毎の四季感あふれる素晴らしい情景が描かれたものに続いて、
       様々な祈りのページがあり、たくさんの細密画も含まれる物。

       現在この時梼書はフランスのシャンティイ城のコンデ美術館内、
       図書館に収められ非公開との事ですが、
       羊皮紙206葉で、ページ・サイズは29x21cm
       カレンダーの絵の大きさは22x14cm!
       この小さなサイズに閉じ込められた絵の世界の大きさ、素晴らしさ
       まさに驚嘆するばかりです。

      
       所でなぜ今回ベリー公の時梼書を取り上げたか、と言いますと、
       ずっと以前からこのカレンダーの絵に魅かれ、
       一度模写してみたい、と考えておりました。
       ですが到底歯が立たない物と半ば諦めていたのでしたが、
       最近自分の絵の描き方が変わった事から、ひょっとして出来るかも、
       と考え始め、遂に取り掛かったという次第です。

       どの月から始めようかと思ったのですが、
       はい、やはり12ヶ月分全部をぼちぼちと!と思っておりますが、
       次はどこかに飛ぶにせよ、まずは1月から、と
       先日来初めまして、今回分室の水彩画の方にアップを。

       まだ漸くにペン描きを済ませ、一応の色を入れた所なのですが、
       1月の饗宴場面を描きながら気のついた事も書きましたので、
       この後にでも見てやって下さいね。
       


       2月 雪景色
       寒い冬空の下、外で働く姿、家畜小屋、
       そして家の中で暖を取る人々、なんという暖まり方! ははは。
       暖炉の傍には猫ちゃんも。
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       3月 春、畑の仕事始め
       手前に牛に鋤で畑を耕させる農夫がいて、
       向こうには葡萄畑の手入れや種蒔き準備の姿。
       奥に見えるお城は、ベリー公の各地の城が各場面に。
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       4月 婚約式
       緑の草原で執り行われている婚約、指輪の交換場面。
       侍女たちは傍らで草花を摘み・・、なんとも牧歌的。
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       細密画写本と称される、これら素晴らしい彩りの絵ですが、
       羊皮紙に、鉛丹インクで下描きをし、
       彩色は卵白と粉絵具を使うテンペラ画で。

       鉛丹・ミニウムで描いたのからミニアチュールという言葉が生まれ、
       初期の絵は小さかった事から、ミニアチュールが細密画と誤解され、
       などとも読みましたが、まぁ、今現在はこの意味ですね。

       羊皮紙の作り方、その詳細、そしてインク、絵具の事に付いて、
       こちらに大変詳細な説明がありますので、どうぞ。
       http://www.youhishi.com/introduction.html
       http://www.youhishi.com/manuscriptmaking.html
       
       
             
       5月 若葉狩り
       貴族の若者たちの、騎馬での春のお出かけ。
       ラッパを吹く者たち、2匹のワン君もお伴の華々しさ。
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       6月 草刈り
       冬の家畜の飼料になる、夏草の刈り入れ場面。
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       この「ベリー公の時梼書」のカレンダーの情景の素晴らしさは、
       単に貴族生活の華やかさが描かれているのみでなく、
       交互に四季の農民の働く姿、何に従事しているかが
       描かれている事だと思うのですが、

       その農民の働く姿も、大変優雅に洗練されたスタイルで、
       色の取り合わせの見事さに、本当に魅了されます。


       所でこの時梼書に名を残すベリー公・Duc de Berryですが、
       フランスの歴史にも疎いshinkai には、読んで来た所の
       (1340年~1416年)、フランス王ジャン2世善良王の3男で、
       兄にシャルル5世賢明王とアンジュー公1世、
       弟にブルゴーニュ公フィリップ2世豪胆王がいた、
       としか書けませんで、・・すんまへん。

       とにかくコレクション・マニア、芸術家たちのパトロンとしてが、
       政治的な働きよりも有名な方なのだそう。
       コレクションの目録があるそうで、それにより
       1月の饗宴場面に描かれているテーブル右端の大きな舟形が、
       あの金製の塩入れ、だと分かるとも!

      
       一方この時梼書を描いたランブール兄弟・Limbourgですが、
       アルファベットをご覧の様にリンブルク兄弟とも呼ぶそう、
       オランダのブルージュ、またはナイメーヘンの生まれとあり、
       有名なのが兄弟の内の3人で、
       大体1385年から88年に3人が生まれている様子。

       ヘルマン・Herman、ポル・Pol、そしてヨハン・Johanの3人
       この「ベリー公の時梼書」に関わっており、これ以前にも
       他の公の時梼書の制作もしており、大変なお気に入りとなり、
       とりわけポルが腕も立ったのでしょう、リーダー格で、
       公からの贈り物もたくさん頂いていた様子です。

       コレクション・マニアであるだけでなく、大変な目利きでも
       あったベリー公の下で仕事をし、
       多分そのコレクションを見る機会も持ち、それに参画していただろう
       立場で、大いに勉強できるチャンスもあった事でしょう。


       shinkai が関心を持って調べた話としましては、
       1月の饗宴図に半ば顔を隠されて登場のポルの愛妻ジレット・
       Gilette de la Mercièreですが、
       どこにいるかは、リンクしましたcucciolaさんの記事でどうぞ。

       日本語版ウィキの記事で読んだものの良く分からず、
       興味をひかれ好奇心満々のshinkai、
       イタリア語版フランス語版にも書いてないので、
       遂にオランダ語版を翻訳して読んで参りましたぁ! ははは。
       はい、オランダの画家ですから、やはり本国版が詳しく・・。

       つまりです、ポルはブルージュの実業家の富豪の娘、
       父親は亡くなり、母親だけだった様子ですが、
       その娘を、なんと8歳の娘を好きになり、結婚したいと
       申し込んだものの、母親と親戚がウンと言わないので、
       彼を気に入って私的従者にも任命していたベリー公に頼み込み、

       公は娘を城に監禁してしまい、こういう所が如何にも乱暴ですが、
       ははは、で、公自身事件に巻き込まれた形となり、
       娘を母親に戻す事で一件落着。

       で次にどうしたか、と言いますと、
       ポルとその兄弟にブルージュで一番豪奢な家をプレゼントし、
       遂に1411年、12歳になったジレットとポル24歳がめでたく結婚。
       
       ですが子供に恵まれず、1416年にポルを始め、
       兄弟3人が次々と亡くなります、ベリー公も同じ年に!
       
       これはこの歳に流行ったペストのせいだろうと言うのですが、
       関係者が全て亡くなった事でベリー公の時梼書は中途のままとなり、
       のち70年後に他の画家が引き継ぎ完成させます。

       兄弟3人とも28歳から31歳の若い死で、
       これが大変残念な事です。

       一方残されたポルの愛妻ジレットですが、
       夫の亡くなった同年の内に再婚し、夫の残した豪奢な家に
       そのまま再婚相手と住んだそうなもし。

      ◆ 追記 1 ◆
       ポルの妻となったジレットの件で、フランス語版に書いてなかった、
       と上記しましたが、書いてありまして私の見逃しでした。
       ですが、やはりオランダ語版の方が詳細に。
      


       さて本題に戻りまして、

       7月 羊の毛刈りと麦の刈り入れ
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       8月 鷹狩りに出かける貴族の一行
       背後の川では裸になって泳ぐ男達がおり、
       その後ろの畑では刈った麦を束ね、荷車で運ぶ姿も。
d0097427_21381495.jpg



       9月 葡萄摘みと運ぶ様子
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       10月 畑の畝を作り、種蒔きをし、
       左には即ついばむ小鳥の姿も。
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       11月 林のドングリを落とし、豚に食べさす場面
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       ランブール兄弟、そしてベリー公が一時に亡くなり、
       この時梼書は長い中断があったと書きましたが、
       9月頃からの描き方、色使いが少し違う事に気が付きます。
       後年制作が再開されて後、画家が変わったと言う事ですが、

       とりわけこの11月、そして12月の変化が激しいと・・。   
       


       12月 イノシシ狩り
       猟犬が激しく襲いかかる狩りの姿。
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       リアル感溢れる場面、描き方なのですが、

       やはりランブール兄弟の優雅さ、色使いの端麗さとは
       程遠い感じがありますね。


       1412年頃から制作が始まった、というので、
       関係者一同が亡くなる1416年までの
       4年間に渡る時梼書の作品。

       たった14x22cmの大きさの絵の中に描かれた世界の素晴らしさ!
       
       6世紀を経て、未だこの鮮やかな色と優雅な絵画世界が見れる嬉しさ!!
       じっくり眺めつつ絵の世界に入り込むと、
       静かで幸せな気持ちに満たされます。


      ◆ 追記 2 ◆
       ブログリンクさせて頂いているフランスはブルゴーニュにお住まい
       Otiumさんが興味深いコメントを入れて下さり、お邪魔して拝見して来ました。

       この時梼書の「1月の饗宴」をご自分のプロフィール写真に使っておられる程
       お気に入りの様子ですが、お友達が遺産相続したお家で見つかった
       石像の追跡調査で、この「ベリー公の時梼書」からヒントを得られた事など、
       如何にも彼女らしい追跡と蘊蓄が語られます。
      
       こちらをどうぞ。
       http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1971.html


     ◆ 追記 3 

       「うたたね歳時記」のうたたねさんも、この「ベリー公の歳時記」を
       大いに気に入り、ご自分のプロフィール画にされた事、画集も買われた事
       などのあれこれをお知らせ下さり、こちらの記事にリンクして下さいました。

       私が書かなかった事などもあれこれ載せておられますので、
       どうぞご訪問ください。  こちらです。
       http://utatanetion.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/--fd5a.html

  
    *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       毎日バタバタ過ごしておりますが、この日曜にちょっと嬉しい事が
       ありましたので、聞いてやって下さいね。

       暫く前から毎週日曜の午前、お天気が良い時は仲間と歩く事に
       しているのですが、はい、大体2時間半位の歩きですが、
       コネリアーノの町中の橋の脇に集まり、そこから出かけます。

       この朝ジュリアーナが今日来る?と電話をくれ、
       行くよ、いつもの時間にね、と。
       で9時半までお絵描きし、9時50分にいつもの彼女との待ち合わせ場所、
       エディーコラ前に行きますと、・・いない!
       訊ねると、ジュリアーナは歩いて先に行ったよ、と。

       手前のロータリーで、自転車ハイキングの長~い一行に出会い、
       車が列を作って待った事もあり、焦って行ったのですがアウト。
       おまけに駐車場がもう満杯でぐるっと回ってやっと滑り込み、
       大急ぎでバール、いつも出発前に元気付けのカフェをやるバールに
       行きましたが、だあれもおらず、
       あ~あ、置いて行かれたぁ!

       バールに急ぐまでに既に脚が重いのにも気が付き、
       これは家に帰ったらすぐ近くを歩かないと、と戻って来ますと、
       なんと家の前に3人仲間が居るではないですかぁ!

       つまりです、皆が一斉に焦って話し分かった事は、
       先週は私は月一のお墓行きで欠席だったので、
       暑くなったから、と集合を30分早めていたのを知らず、だったのですね。

       彼女達は私が事故でもしたのかと心配し、
       ヘルガの家まで行って車に乗り、我が家に来てくれたと言う訳!
       はぁ、携帯はいつも消しており、持たずでして・・。

       で、ガレージのシャッターや、コンドミニオのドアをどんどんやったそうで、
       上の奥さんが下に来て話しており、もひとつ向こうの奥さんも
       何があったの?と出てくる所に私が戻ったと言う訳でした。

       私めは単純に、ああ、置いて行かれちゃった、と思ったのでしたが、
       彼女達は本当に心配してくれた様子で、ジュリアーナなど
       顔つきが変わっていましたし、申し訳ない!
       理由が分かると大いに安堵してくれ、
       1時間半程我が家の周囲を歩いた後に寄って貰い
       カフェとジェラートのサーヴィス付きで、絵も見て貰い・・。

       申し訳ない事でしたが、本当に嬉しくも有難い思いでした!
       
       はい、お陰さまで良い友人達に恵まれ
       元気で無事に毎日を過ごしております

       皆さまにも、今後ともよろしくお願いいたします、と申し上げます!
       
       

     *****     

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by italiashiho2 | 2013-06-11 21:41 | ・映画絵画文学 Film Arte Le | Comments(19)
2013年 06月 06日

   ・・・ 古物コレクション、 スコミーゴ村のお隣さん ・・・

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       今日ご覧頂くのは、ちょうど一年前にお邪魔して写真を撮った、
       同じスコミーゴ村の2軒先のお隣さんのお家。
       彼女のコレクションのほんの一部をご覧下さいね。

       上の写真は彼女のお家で、緑色の鎧戸の家の方にお住まいで、

d0097427_21275956.jpg

       下の写真の古い方は、細い道を挟んでの向かい側の納屋。
       手前左に伸びている石壁の中にはイタ鴨や鶏小屋があり、
       結構賑やかに鳴くのが、時折聞こえます。


       彼女・マリーアの家にお邪魔する切っ掛けは、
       たまたまコネリアーノの町中で出会った時、
       人形を見に来た、集めていると言うので、
       古い人形かどうか聞きますと、古いのもある、というので
       では見せて下さい、と頼んだのでした。

       ずっと昔油絵を描いていた時に、フランスの古い人形を
       1体持っていたので、そんな古い人形かと思ったのでした。

       が彼女のは古いと言っても、所謂アンティーク人形ではなく、
       とにかく可愛らしいのを、お家の中所せましと集めておりまして・・!
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       私にはそれよりももっと、他の古物類、かっての生活道具類
       大いに気に入りましたので、今日はそれをご覧頂きますね。

       これはお家の1階にあったマヨリカ焼きのストーブ。       
       大変暖かいのですよ、これ!
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       アンナリーザのお家にも、マヨリカ焼きのストーブがあると。



       外から見るお家は、如何にも古い農家風なのですけど、
       中はしっかり修復されておりまして、・・はぁ、お金持ちね、

       これらは古い秤類等ですが、一番左に見える球はコーヒーの豆煎り
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       これは素晴らしく大きな、直径60cm位だったかな、銅の鍋
       何に使ったのか、チーズ作りか、はたまた洗濯物を火に掛けるのか・・。
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       済みません、聞いたのですけど1年経って忘れています!



       蹄鉄と、それを打つ釘ですって!
       釘が余りにも長いので、見ただけで痛くなったshinkai。
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       これは靴直しに使った物。
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       所で皆さんお気付きになりましたか?
       古い家の床は、この様にいろいろな大理石の
       破片を集めて固めて床にしているのですね。
       今頃は木の床が流行っている様ですが、
       我が家の様に庶民用コンドミニオは、タイル床で~す。



       2階に上がる階段の壁には、こんな風に古い写真が、
       これもまた所せましに・・。
d0097427_21453324.jpg



       1900年代の初頭、ちょうど100年前のコネリアーノの町の姿。
       信じられない程建物が少なく、これはどうやら家畜市で、
       奥の丘の上の見えるのはコネリアーノのお城。
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       位置は違いますが、こちらが現在のお城
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       この橋は今もありますが、今はもう手前に建物が立ち並び、
       写真に見えるこのお屋敷は奥の並びに。
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       こちらの写真の様子は、馬車等は別として、ははは、
       余り変わらずに今も存在し、
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       手前に見える橋は、こちらで、
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       左手奥に見える建物の並びは、
       逆向きですが、ここです。
d0097427_21363848.jpg

       
       右手から2軒目は、キプロス王の家でご紹介した建物。
       http://italiashio.exblog.jp/17347141/



       これがご両親とご一家の写真で、
       抱かれている女の子が彼女、今も目もとが同じ!
d0097427_2137470.jpg
       
       私がスコミーゴ村に来た22年前!には、
       まだこのお父さんがご健在でしたっけ!



       写真の中には、こんなイタリア国王とムッソリーニが
       写っているのもありまして・・、
d0097427_21372123.jpg



       屋根裏というのか、3階に上がりますと、
       ここがまさに羨ましい感じのアトリエ風でして・・!
       ここにもたくさんのコレクション。
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       この胴の鍋も素敵でしょう?!
d0097427_2138034.jpg



       古いバリカン類に、なぜか並んでパスタ切り
d0097427_21381493.jpg



       古いトランクなのですけど、
       上が厚紙製で、下が木製、下のはお父さんが作ったのだと。
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       イタリアの昔は貧しく、日本と同じ様に移民する、
       出稼ぎに行く人々が多かったのですが、
       こういう厚紙のトランクに詰め、縄で縛っている写真を
       見た事があります。



       20cm程の籠の中、下側にはいっぱいの大きさのハチの巣
d0097427_21385369.jpg



       部屋の反対側で、右の本棚の上に見える木製の枠は、
       真ん中に炭火を入れたアンカを置き、冬のベッドを温めたもの。
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       この形の物は、ウンブリアでもヴェネトでも見かける
       かって本当に庶民が使っていた物ですね。


       これ、同じ様なのを日本でも使っていましたっけね。
       そう、湯たんぽ
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       糸取り器
d0097427_21404979.jpg



       これ、分かりますか?
       かっての脚のギブスで~す。
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       古い籠類と鍋と
       静物画が描けそうでしょう?
d0097427_21411962.jpg
      


       古い手回しのミシン、今も動きます!
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       古い琺瑯の水差し
       右のブルーと白の斑のが、とても綺麗でしょ?!
       やはり琺瑯の洗面器と共に、昔の寝室に。
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     ***

       最後はおまけの一枚を
       漸くにこちらのお天気も収まりそうな気配ですが、

       今2週間の休暇でヴェネトの浜辺に行っている、
       アンナリーザから届いた、チビちゃん2人の写真です。
d0097427_21422972.jpg
       
       漸くに青空の見える浜辺ですが、まだ少し寒そう!

       皆さんも良い季節をお楽しみくださ~い!!



     *****     

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by italiashiho2 | 2013-06-06 21:46 | ・スコミーゴ村の四季 Scomigo | Comments(10)