イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2016年 10月 11日

   ・・・ エトルスク博物館 ヴォルテッラ ・・・

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       ヴォルテッラの有名な見所をあれこれご覧頂いて来ましたが、
       今回が最終回、この町の名を世界に広めている
       エトルスク博物館・Museo Etrusco Guarnacciのご案内を。
      
       博物館名の最後にあるGuarunacci・グアルナッチというのは、
       この博物館収蔵品の大きな、そして主要な部分を占める作品を
       寄贈したマーリオ・グアルナッチ氏(1701-1785)の名が冠されたもの。

       18世紀後半にこの博物館が出来たのですが、それまでは町の
       貴人著名人達の個人コレクションとして分散していたのだそう。
       1776年地下墳墓からたくさんの発掘があった際に市に寄贈され、
       それがこの博物館発足のきっかけになったと。
       
       とにかく物凄い数と質の高い収蔵品でして、
       到底すべてをご覧頂けず、ご説明もままなりませんが、
       shinkaiの目で見た好きな物、良いと思ったもの優先で、はは、
       あまり学術的では無いご案内ですが、ごゆっくりどうぞ。

       上の写真は、町の中心からヴィア・マッテオッティ・Via Matteotti
       を、そして右にヴィア・グラムシ・Via Gramusciを南に。
       左からの道が合流する位置のヴェンティ・セッテンブレ広場・
       Piazza XXSettembre.
       
       この辺りレストランもたくさんあり、




       目指す博物館は、そこからのドン・ミンツォーニ通り・Via Don Minzoni
       を少し先に行った所。
       町の地図は既に2度ほど載せておりますので、そちらで。
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       エトルスコ・Etruscoと言っておりますが、これはエトルリア人、国、
       形容詞にあたり、エトルリア文明・文化と同じ事で、  
       イタリアで馴染みの言葉ですので、これを使わせてもらいますね。

       エトルスコ文化が栄えたのは紀元前8世紀から1世紀ごろと言われ、
       とりわけイタリア中部に広がり、独特の言語文化を持ちますが、
       紀元前4世紀頃からローマ人が勢力を持つようになると、
       徐々に併合、吸収されていった民族です。

       この博物館の38室には、それぞれの時代、部門にわたる展示が
       ありますが、
       ここでは大まかに区切り纏め、ご覧頂くことに。
       専門家の皆様、ごめんなさい!

       まずは石棺類ですが、素晴らしい彫りのものを。

       船の到着を迎える女性の楽人たち、戦闘場面、狩猟かな、
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       これは上下が別々の物を一緒に展示しているらしい石棺
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       こちらはテラコッタのお棺
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       ご覧になって分かるよう、大きな石棺と、このテラコッタ製の
       小さなのがありますが、小さいのには火葬しての遺骨を入れたものと。
       エトルリア人達の間ではかなり火葬が多かった様子で、
       棺の上に横たわるのは、生前の人々の在りし日の姿を偲ぶ物。

       そして棺の他に骨壷や、小さな家の形をしたものとか、
       様々な埋葬の品があります。




       上の様に一人で横たわるのも多いのですが、ご夫婦で、というのもあり、
       この博物館の目玉の一つが、テラコッタ製のこれ!
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       棺の蓋部のお2人のみが残っていて、紀元前1世紀頃の作、
       大きさを探しましたが見つからず、
       見た記憶からだと、長さが1m位だったかな・・。
       


       仲良く寝椅子に寄り添い、妻の方はじっと夫の顔を見つめているのですがぁ・・、
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       こうして見ると、妻の凝視がちょっときつく見え、ははは、
       大阪弁で「アンさん、若い女を作ったら承知しまへんでぇ」とでも・・、
       ははは、失礼。

       所で夫の左手に持っているのは何かと思いましたら、
       これは角笛なんだそう!
       動物の強い力を借り、黄泉の世界に旅立つ為の魔よけなんだそうで、
       必ず男性の左手に持たれていると。




       背後から見るとこんな形
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       妻の頭に見える穴は、テラコッタを変形させる事なく焼く為に、
       中の厚みを調整しているのですが、それを掻き出すための穴と。

       夫が右手にも何か持っているのですが、これは何も指摘が無く、
       花の様にも見えませんか? とすると、可愛い夫ですねぇ!!




       所でちょっと脱線ですが、

       「夫婦像の寝棺」として有名なのが、ローマのヴィッラ・ジューリア博物館
       にある、同じくエトルスクのテラコッタのこれ!
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       これはラツィオ州の北の海辺に近いチェルベーテリ・Cerveteriで、
       19世紀に発掘された物で、高さは1,14m 長さは1,9m、

       アルカイック・スマイルと呼ばれる謎に満ちた微笑を浮かべ、
       あの世でもずっと一緒に寄り添う事を確信した笑みなんだそう。
       なんともエレガントな作品で、紀元前6世紀の作というのには驚くばかり!!




       背後からの姿、この髪型も良いですねぇ!
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       そして、この女性の手の優雅な事!!
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       足先ですが、夫は裸足で、妻は靴を履いていて、
       妻の靴の裏底の形が綺麗に揃っているでしょう?
       当時のテラコッタ職人の技術の高さと
       その美的センスの良さにも大いに驚かされた事でした。
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       ローマの街自体も殆ど知りませんが、
       この博物館はまだ行った事がなく、チャンスを待つ事に!




       さて、ヴォルテッラのエトルスコ博物館に戻りまして、

       今回あれこれ見ていて石棺の中にも、ご当地名産のアラバスター
       石膏雪花の石で造られたものと、他の石で造られたものとが
       あるのに気がつき見え、そうなんだ!と一人で納得のshinkai。
       
       この豊満美女はアラバスターの石の中で、今も微笑み続け・・
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       ですがね、これは美女ですし、周囲が緑色の枠内なので載せましたが、
       黒枠の中に、顔にだけライトが当っているのもあり、
       パッと見た時、ぎゃぉぇ~!と叫びそうな位で、本当に怖かった!!

       胸部が黒枠の向こうにあり、顔にだけライトが当っているのですよ、
       それも下からね、ご想像下さい!!
       ずっと昔に訪問した時に比べ、大変整備された今回の再訪だったですが、
       誰が設置方法を考えたのか、誠に良いご趣味で、はぁ・・。




       こちらは副葬品の、なんとも薄い金の花びらかな、の王冠
       お金持ちにしても、大変な愛情のこもった美しい高価な物ですねぇ!
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       金のイヤリング。  素敵ぃ!
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       博物館の床に移された、床モザイク。  
       渋い色合いの幾何学模様、素敵でしょう?!
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       ギリシャの影響が大きく感じられる壷絵
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       そして、取っ手のついた大皿。 シックですねぇ。
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       これは当博物館蔵ではなく、フィレンツェの考古学博物館所蔵ですが、
       発掘はヴォルテッラ、とあるので、ついでにご覧を。
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       多分、ワイン入れでしょうね。
       それにしても、形と文様の見事さ! 
       こんなのを実用していたのですね、エトルリアの民は!




       そして当博物館の一番有名な所蔵品と言っても良いか、
       「夕暮れの影・オンブラ・デッラ・セーラ」と名づけられた男性像。
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       フィレンツェの骨董市で1737年頃まで売られていたのを、
       紛れも無くヴォルテッラからの出土と、当博物館創設の
       グワルナッチ氏が1750年に買い取ったものだそう。

       ブロンズ製、高さは57cm、頭の高さは3,2cm、直径2cm、
       首の長さ1,5cm、肩から性器まで22cm、そこから足まで30,3cm、
       重さは1322グラム。




       紀元前3世紀始めの作と見られるそうですが、
       こうして見ると、髪もきちんとセットされているのが分かります。
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       この小像に「夕暮れの影」とロマンティックな名を与えたのは、
       ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele D'Annunzio(1863-1938)
       詩人、作家、政治家、愛国者と幾つもの顔を持つ人。


       shinkaiはイタリアに来て後、彼の写真を見て
       即いかれたミーハーですが、ははは、
       彼はまたヴォルテッラを舞台にした映画「熊座の淡き星影」の
       原作者でもあり、他に良く知られているのは、やはり映画「イノセンス」で、
       どちらも監督はルキーノ・ヴィスコンティ・Luchino Visconti.
      

       彼の最後の住居、ヴィットリアーレについては
       

       フィレンツェのヴィッラ
       

       愛人だったエレオノーラ・ドゥーゼの博物館展示にも彼
       




       昔初めて博物館でこの小像を見た時のshinkaiの第一印象は、
       わっ、ジャコメッティだ!! と思ったのでしたが、

       アルベルト・ジャコメッティ・Alberto Giacometti(1901-1966)は
       スイスの彫刻家、画家で、このヴォルテッラの小像から
       強いインスピレーションを受けたであろう事が
       彼の作品をご覧頂くとすぐ分かります、これです。
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       下の写真は、1955年のアンリ・カルティエ・ブレッソンが撮った物と。




       という様子で、上の細長い小像はやはりちょっと特殊で、
       小さなブロンズ製の人物像や動物達の作品がたくさんあります。
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       ギリシャの影響を強く感じる頭部像
       美しいですねぇ!
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       ガラス製品。 
       練りこみガラスと言うのか、大変美しいもの!
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       小さな実用品の美しさ、楽しさ!
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       こちらは骨壷
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       ヴェネトの本土側、ちょうどヴェネツィアはトルチェッロ島の
       北に当りますが、アルティーノ・Altinoという村に
       国立の考古学博物館があり、ずっと昔に偶然寄って見た事があります。

       いまだヴェネツィアの歴史も、アクイレイアの遺跡の凄さも良く知らずでしたが、
       それでもその収蔵品の内容の凄さに驚いた記憶があります。
       少しだけ記述しておりますが、
       収蔵品のひとつに美しい青いガラスの骨壷がありました。
       こちらでどうぞ。
               
       アルティーノもその後の発掘が進んでいる様子ですので、
       来年にでも再訪問してみたいと思っています。




       これは灯火器と。
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       闘士の兜と頬宛。 兜には細かい浮き彫り。
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       日常用品の鍋釜類
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       これらは家具に取り付ける物でしょうか?
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       なにせ夥しい数の展示で、ここでは2枚のみに。




       美しいオレンジ色の指輪、メノウでしょうか?
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       金のブローチと、下は何でしょう?
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       真ん中はイヤリングで、右はピンの付いたブローチかな?
       緑色は何でしょう、ガラスかな?
       金の細工も細やかで、技術の高さが偲ばれます。
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       ざっとのご案内になりましたが、それでもたくさんの品々
       お疲れでしたしょう、 お付き合い有難うございました!!

       ヴォルテッラのご案内
       最後は近くの広場からの谷の眺めをどうぞ!
       城壁に囲まれているのも見えます。
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       トスカーナのフィレンツェ、またはピサ方面に行かれた時は、
       是非ヴォルテッラまで足を延ばして下さいね
       周囲の風景も他とは違い、荒々しく雄大で
       エトルスクの息吹が今も残る、素晴らしい博物館も是非どうぞ!!
       


       
     *****

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       アップしています。    
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     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

   
  
   
       




by italiashiho2 | 2016-10-11 00:03 | ・トスカーナ州 | Comments(2)
2016年 07月 14日

・・・ イ・ヴィヴァリーニ展 ・ ヴェネツィア絵画の煌きと移り ・・・

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       先週、イ・ヴィヴァリーニ展・I Vivarini に出かけて来ましたので、
       今回は「黄金背景の祭壇画」の煌きをたっぷりご覧頂きますね。

       地元のコネリアーノで2月の下旬から開催されていたのを、
       も少し暖かくなってからね、と引き伸ばしていたのが、
       友人それぞれに予定があり、6月5日終了迄に出かけられず・・。

       残念と思っていたのが、会期延長で7月17日まで!との
       市の通知が郵便受けに入っており!
       それで漸くに友人のジュリアーナと出かけたという次第です。

       ヴィヴァリーニの名前も知らずの!(無知ムチshinkai)画家でしたが、
       ヴェネツィア、そしてヴェネト近辺の町で活躍した15世紀の
       アントーニオ・Antonio 1420頃-1476~1484
       バルトロメーオ・Bartolomeo 1432頃-1491以降
       アルヴィーゼ・Alvise   1446頃-1503~1505 の3名。

       アントーニオとバルトロメーオは兄弟で、
       アルヴィーゼはアントーニオの息子という関係で、

       これにアントーニオの姉(妹)と結婚していた、つまり義理の兄弟である
       ジョヴァンニ・ダレマーニャ・Giovanni d'Alemagna(1411頃-1450)も、
       初期には一緒に仕事をしていた、という一家で、

       上記しましたように、ヴェネツィアはもとよりヴェネトの各地
       とりわけ教会の祭壇画などを多く手がけていた様で、
       当時としてはかなり売れっ子だったのではないかと。

       今回はそんな彼らの作品を集めた展覧会で、
       兄弟、親子といえどもかなり作風も違い、時代がちょうど
       ゴシックからルネッサンスに移り行く15世紀後半とあって、
       その影響も作風に見受けられる興味深いものでしたので、

       カタログの写真と、サイトから集めた物でご覧くださいね。
       カタログからの写真はshinkaiのサイト名を入れましたが、
       その他はサイトからのものです。

       トップの写真はカタログの表紙になっていた物で、
       バルトロメーオ作の祭壇画の一部、大天使ミケーレの顔
       後ほど全体もご覧頂きますが、かなりメリハリの効いた表現。


       私はかなり偏った好みを持ち、有名画家にも好き嫌いがありまして、
       余り美術評論的褒め言葉ではなくあれこれ書きますが、
       かといってその評価を認めていないわけではありません。
       ただこのように見た、思った、というのを単純に書きますので、
       どうぞそれをご了解下さり、読んで頂ける様にお願いいたします。



       兄弟はヴェネツィアはムーラノ島の生まれで、
       父親ミケーレはガラス職人ですが、パドヴァ生まれと。
       アントーニオの作品が記録に最初に残るのは1441年とありますが、
    
       今回展覧会場の第1作はこちら、クロアチアのパレンツォ(Poreč)
       の博物館からの祭壇画と細部。1440年。
       諸聖人に囲まれた聖母子と、昇天するキリスト。
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       見ての正直な感想は、女性像は美しいけれど、男性像がちょっと
       類型的というのか、イマイチしっくりしてないなぁ、と・・。
       まぁ、この辺りがゴシック絵画でもあるのですが。
       



       こちらはアントーニオの師匠と言うか、その一派であると見なされる
       アンドレア・ダ・ムラーノ・Andrea da Murano(生没年不詳)の、
       現在ヴェネツィアのアッカデミア美術館収蔵の物。

       ムラーノのサン・ピエトロ・マルティレ教会にあった祭壇画と見られ、    
       1475年ごろの作品と。
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       かなり強い作風で、北方絵画の影響も見られる様な。




       そして義理の兄弟でもあったジョヴァンニ・ダレマーニャの作品で、
       こちらもヴェネツィアのアッカデミアに収蔵の祭壇画。
       彼は元々ドイツ人で、装飾的、北方絵画の影響が強いと。
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       もう一枚、アントーニオが強い影響を受けたと言われる
       ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabriano(1370-1427)の
       「三博士の礼拝」を。
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       そしてこちらが、展覧会には来ておりませんでしたが、
       アントーニオの「三博士の礼拝」現在ベルリンにあるそう。
       煌びやかな表情が良く似ておりますね。
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       アントーニオとジョヴァンニ・ダレマーニャの合作
       「玉座の聖母子」1443年頃 現在パドヴァのディオチェザーノ博物館蔵。
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       サイトからの全体像の写真は濃く写っておりますが、
       実際は部分像よりももっと明るく美しい物でした。
       とりわけ聖母子共に、肌の色が涼しく、大変細やかな表現で、
       衣装の赤と金の部分が素晴らしかった。
       表情も最初にご覧頂いた聖母と比べると、随分と違いますよね?!




       アントーニオの義理の兄弟ジョヴァンニは、アントーニオよりも
       年上だったと思いますが、
       初期の作品は合作が多く、そしてお互いの良さが上手く融合していたと
       思われます。

       2人で一緒に参加して仕事をしたのに、パドヴァのエレミターニ教会・Eremitani
       のオベターリ礼拝堂・Cappella Ovetariのフレスコ画があり、
       1448年と1457年の制作と言いますが、

       この礼拝堂の仕事には、彼らよりも年の若いアンドレア・マンテーニャ
       Andrea Mantegna(1431-1506)未だ未成年の年頃だったのも、
       働いていた様子。

       このオヴェターリ礼拝堂のこちら部分は1944年3月に爆撃を受け、
       いくらかの破片が残る位で、ここに見えるのは
       白黒写真が残っていたのに着色した物だそう。
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       蛇足ながら、エレミターニ教会の北隣には




       同じオヴェターリ礼拝堂の、後半に描かれたマンテーニャのみの、
       有名な遠近法を活用した「聖クリストフォロの殉教と遺体の運搬」は
       爆撃以前に剥がされ、別の場所に保存されていたので、
       無事残ったという次第。
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       今回ヴィヴァリーニ兄弟の事を知るのにあれこれ読んでいて、
       パドヴァのサンタントーニオ聖堂の前のドナテッロ作の
       ガッタメラータ将軍騎馬像の事も、
       フィレンツェ在のドナテッロが作って送ったと単純に考えていたのが、

       そうでなく、ドナテッロがフィレンツェを離れパドヴァに10年ほど
       (1443-1453)住んで仕事をしていた事も含め、
       やはり当時のフィレンツェと比べると田舎であったパドヴァに、
       ルネッサンスの空気を運んで来たのを知りました。

       そういったパドヴァで仕事をし、マンテーニャを始め、
       その師であり養父であったスクアルチョーネ・Squarcioneが、
       いわば絵画で、パドヴァのルネッサンスの音頭取りをした
       ここから北イタリアにもルネッサンスが広がっていった
       その時代の空気を吸い大いに刺激を受け、勉強したのであろうと、
       想像して、こちらもいささか興奮しました!
       
       パドヴァのご案内のあれこれは、こちらから



       アントーニオとの合作でよい成果を生み、パドヴァでも一緒に
       働いていた義兄弟のジョヴァンニ・ダレマーニャが1450年に
       パドヴァで死亡しており、年代から考えて仕事中の事故死だったのかも。
       彼の死はアントーニオにとって、大変な痛手であったでしょうが、

       アントーニオの末の弟、何人兄弟だったのか、
       12歳ほど年下のバルトロメーオが成長して来ます。
       パドヴァを訪問マンテーニャを知り、大きな刺激を受けたに違いなく、


       これはマンテーニャの描いた「聖セバスティアーノ」ですが、
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       こちらはバルトロメーオの祭壇画 1491年
       現在ベルガモのアッカデーミア・カッラーラ収蔵で、
       右側のサン・セバスティアーノの部分をどうぞ。
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       良く似てはおりますが、少し違うとも・・。




       バルトロメーオのもう1つの祭壇画 1488年
       こちらもベルガモのアッカデーミア収蔵。
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       右端の大天使ミケーレの部分を今日の最初に見て頂きましたが、
       真ん中の聖母子が美しいでしょう?!




       そして左端のサン・ピエトロ
       最初にご覧頂いたアントーニオ作1440年の祭壇画の聖人像に
       比べると、ぐんと現実感が溢れる聖人像になってきていて、
       半世紀ほどの違いの差が良く分かります。
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       バルトロメーオ 玉座の聖母子 1465年
       ナポリのカポディモンティ美術館蔵
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       実際はこの様に派手でなく、と言っても修復による物かも知れずですが、
       大変に美しい作品で、とりわけ聖母の衣装がなんとも綺麗!
       
       興味深いのは、バルトロメーオのご覧頂いた祭壇画1488年のに
       比べると、脇の聖人像の顔がまだ不安定な事! 
       いや、こういう見方は邪道なのかもしれませんが、
       年数を描いていて良くなる、というのは安心しますです、ははは。
       



       今回見た中で一番気に入った作品、本当に美しいと思ったのはこれ
       バルトロメーオの「聖母子」1465-1470
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       実際はこんなに背景の赤、金箔を貼る下塗りの赤が見えているのが、
       これほど強く見えませんで、顔の赤色ももっと薄く、
       肌の白さと衣装の黒に近い青、そして赤色とインパクトも強く、
       美しさに暫し見とれました!

       ただ気になったのは、アントーニオもそうでしたが、
       子供の手と足の描き方で、前を向く足が異様に短く、
       足首のプックリさの描き方が変に凝っている様子で・・。




       サイトから見つけた、バルトロメーオの別の「聖母子」を。
       これはワシントンにあるようですが、
       これも美しいでしょう?!
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       そしてボストンにあるという「マグダラのマリーア」
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       マンテーニャに大いに影響を受けたというものの、
       辿った道は違っていた、と言うのが良く分かる気がしますね。




       そしてアントーニオの息子アルヴィーゼの登場で、
       「聖ヒエロニムス」 1476-1477 ベルガモのアッカデーミア蔵
       人物も背景も、暗い茶色の如何にもの古典調で、空の色のぼかしも!
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       アルヴィーゼ  左「聖母子」1480年代 ヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・
       イン・ブラーゴラ教会 
       右「十字架を運ぶキリスト」1475年頃 ヴェネツィア、サンティ・ジョヴァンニ・
       エ・パオロ聖堂 画布にテンペラ
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       当時既に油絵が画布に描かれるようになっていましたが、
       彼らは板にテンペラ画、がアルヴィーゼは画布にテンペラも試み、

       キリストの顔なども如何にも油絵的手法が試みられ、
       劇的効果を求めてか、かなり影が濃くなっている印象を受けます。




       かと思うと、またこんな涼やかというか、クールな表現もあり、
       「パドヴァのサンタントーニオ」1480-1481
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       これは彼の父親のアントーニオと、叔父さんのバルトローメオとの
       合作の、1458年の祭壇画ですが、
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       上のアルヴィーゼの作品は、この中の男性諸聖人の薄い感じに
       良く似たところがあると思ったのでした。




       アルヴィーゼ 「聖母子と諸聖人たち」1500年
       この表現などは既にルネッサンスの空気で、油絵風というか・・。
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       最後は、アルヴィーゼの 「キリスト昇天」1497-1498
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       これを最後の部屋で見た時、ほぉ~と見とれ、
       ティツィアーノやラファエッロの作品を連想しました。
       同じようなのがあったっけ、と探しましたが見つからず、
       きっと如何にも晴れやかなルネッサンスの空気を感じ
       後世の画家の作品を思ったのでしょう。

       15世紀の僅か60~70年代の絵画表現の変化が
       こんな風に一家の3人に現れているのはとても興味深く
       当時の時代の変化の激しさも想像した事でした。




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ティツィアーノの家 途中経過と、 スコミーゴ村の緑 を
       アップしています。   
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by italiashiho2 | 2016-07-14 00:21 | ・絵画展・催し・映画・DVD | Comments(7)
2016年 06月 29日

   ・・・ ティベリウス帝の別荘跡と博物館 ・ スペルロンガ ・・・

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       先回のスペルロンガの町のご案内に引き続き、
       今日のご案内は町の東、浜続きにある
       第2代ローマ皇帝ティベリウスの別荘跡、洞窟と
       洞窟内から発掘された大彫像などを展示している博物館のご案内を。

       上の写真は、海辺に面している別荘跡の写真をサイトから拝借し、
       右下に見える建物が博物館。



       私はローマ史に弱く、ギリシャ神話にもまるで疎いので、
       最初に博物館内を見学した時、ギリシャの大古典である
       ホメロスのオドュッセイに関連した大彫像群を見ていささか困惑。
       ガイドさんの説明も殆ど聞かなかった事を白状いたしますが、へへ、

       一人で館内を歩きつつ見ているうちに、
       船が難破しかけ、なにやら海獣たちに喰いつかれる人間達
       その迫真の彫像を見て、これは凄い!!と感じ、

       今回これらが何を現しているのかをあれこれ読み、写真も集め、
       ああ、そうなのか!と納得しましたので、

       shinkai同様、こういうのがいささか苦手、という方にも分かりやすく、
       私めがそうか!と納得した方法でご説明いたしますので、
       お付き合い頂ける様、お願いいたしますです、はい。




       博物館前、 国立考古学博物館 ティベーリオ(ティベリウス)の洞窟
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       入り口入ってすぐの左側、ガラス張りの天井から射し込む光の下、
       シッラ・Scilla(セイレーン、スキュラ)・海の怪獣たちに襲われる
       オドュッセイ達の船
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       かなり破損し失われている部分が多く、
       残っている像から元の姿を想像するのは困難なのですが、
       援けになったのは、横にあったこの写真
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       ですがセイレーン(スキュラ)という怪物がオドュッセイの船を
       襲っているらしいのは分かりますが、
       写真上に見える女性と、男達を襲う動物との関連が
       良く分かりません。




       で、見つけたのがこれ。
       そうなんです、このスキュラの下半身が6つもの海獣(犬)に
       分かれ、男達に喰らいついている凄まじい場面!
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       こうして見ると、オドュッセイの第12話に詠われた、
       オドュッセイは船にしがみつき何とか無事にやり過ごせそうなものの、
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       頭はスキュラの手に捕らえられ、危ない状態で!!
       ははは、持って行かれず助かって良かった!
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       ライオンにも似たこの凄まじい犬達に、むさぼり喰われる男達!!
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       ホメロスのオドュッセイ物語は、同じくイーリアスと並んでの
       ギリシャの大古典といわれ、shinkaiも名前のみは知っておりますが、
       荒筋を読んだ程度の無知でして・・!

       このオドュッセイを詠った英雄叙事詩の大筋は、
       トロイア戦争での勝利から故郷に戻ろうとしつつ
       ギリシャ神話の神ポセイドンの怒りを買い、10年に及ぶ漂泊の身となり
       その間様々な冒険というか、危険な目に遭いつつ遂に家に戻ると、
       亭主が既に死亡したものと思い、妻に言い寄る男達を発見、
       それらを殺害、復讐する、という物語で、なかなかに凄まじい物!
       
       で、このオドュッセイの逸話の中から、
       大きな彫像群としては2話、上のスキュラが船を襲う場面と、


       第9話の、一つ目の大怪物ポリフェーモ・Polifemo(ポリュペーモス)
       の目をオドュッセイと仲間達が突き潰すというもので、


       それがこちら。 博物館の一番奥にあったのですが、
       建物の大きさと比較して、その大きさをご想像くださいね!
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       こちらも、全体の想像図を見つけましたが
       こんな様子で、これだと分かりやすいでしょう?!
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       一つ目の大怪物群像とはいえ、こういう肉体美の像でして・・!!
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       発掘された実物の方も展示されていて、
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       まさに考古学者たちの細心にして忍耐の賜物である
       復元像に、驚き感嘆するばかり!!




       これは一つ目の目を狙うオドュッセイの顔
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       所でこれらの彫像群は、1957年、西のテッラチーナから
       東のガエータに至る道を建設中に偶然発掘された物で、

       建設技師の方が考古学に大変詳しい方で、発見されすぐに
       大変な物らしいと分かり、私費で工事人たちに発掘させたといい、

       当初から、あれに良く似ている、とされた彫像がこちら
       1506年にローマのトラヤヌス浴場付近で発掘されたもので、
       見学に来たミケランジェロに大きな感銘を与えと言われる、
       現在ヴァティカン美術館に所蔵されている、ラオコーン像
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       トロイアの神官ラオコーンが、ポセイドンが送った海蛇の怪物
       2匹に、息子もろとも喰われたというもの。

       確かに後に確かめられたのは、このラオコーンの彫像の作者名3人
       と同じ、Agesandro、Atanodoro、 Polidoroの名が見つかったとの事。

       そして発掘された像の幾つかは、ギリシャのヘレニズム期・
       紀元前180年のオリジナルの物である事も確かめられたと。




       これらの大彫像群を含めた素晴らしい大理石像が
       どのようにティベリウス帝の別荘に隣接の洞窟内にあったかですが、

       博物館にあったこの図をどうぞ
       洞窟内の円形プールの真ん中に、最初にご覧頂いたセイレーンに
       襲われるオドュッセイたちの船の像、B、
       洞窟の奥、右の小洞穴に一つ目のポリュペーモス像群が、C、
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       現在は欠けている円形プールの突き出した部分に
       A アキレスを救い出すオドュッセイ
       D パラス神殿の強奪
       と洞窟入り口上に、E 鷲に拉致されたガニメーデ像
       という具合に配置されていた様子。
    



       こちらが博物館にあった、
       鷲に拉致されたガニメーデ像と、顔の部分
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       と、洞窟上部にあるコピー像
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       なんとも凄い趣向のガニメーデ像を、ヴェネツィアの館で
       見たことがあります。

       なぜガニメーデが登場するのかは
       オリンポスの神々へのお給仕の為に鷲に拉致されたというので、
       成る程、夏の食卓、横臥宴会場のあるこの洞窟に相応しいという
       皇帝の思し召しだった訳でしょうね。
       




       博物館内には発掘品の幾つか、壷や、彫像、モザイクも
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       そして外に出て、ヴィッラ発掘場所に向いますが、
       
       庭に見えた、これは浴槽でしょうか?
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       サボテンにたくさんの実がつき、熟れていて・・!
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       草むらに咲く花
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       最初に見て頂いた上からの眺望写真に見える、
       博物館と遺跡との間の木々は刈り取られ、見晴らしが良くなっていて、
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       こちらが全景。 海のすぐ傍にある大きな別荘で、
       一番手前は兵舎や馬小屋だったそう。
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       その向こうに、広い中庭を取り囲む形で住居や召使達の住まい
       台所、フォルノ、パン焼き釜部分などが広がります。




       壁の造りがとても厚く、見事なサイコロ型の石の斜め積み
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       そして床はレンガの杉綾模様
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       山に沿った東側に洞窟が見え、屋根の掛けられた部分には
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       こんな風に、フレスコ画装飾された部屋がある様子ですが、
       ここは見ておりません。
       きっとこの奥まった部分に、皇帝の居室、寝室があったものと。
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       これはヴィッラ跡の一番の南西角にあったもので、
       水洗トイレ跡なんですと!
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       どう使ったのか良く分からず隣にいたエレオノーラに訊ねると、
       ローマのオスティアにも有った同じ形と言い、
       見ていないshinkaiが再度訊ねるのにガイドさんが気がつき、ははは、
       詳しく説明してくれたのですが、

       この周囲に水が流れていて、今は無くなっているものの、
       石とか木製の突き出した椅子式おまるがあり、
       それに腰掛て用を足し、拭き取るには、スプーン状の物でぬぐったのだと!
       
       もうちょっと詳細にお尻にお知りになりたい方は、こちらを。
       ガイドさんの話では、水洗とはいえ、やはりかなり匂ったと!
       ふむ、さもありなん!!


       この別荘は元々ティベリウスの母方の祖父、つまり初代ローマ皇帝
       アウグストゥスの妻にもなったリディア(リウィア)の父
       が持っていた物と見られ、
       紀元後1世紀の始めに拡張し、自然の洞窟にも手を加えたものと。




       さて洞窟の正面からですが、上部にガニメーデの像が見え、
       手前に広がるのは生簀、魚の養殖をしていたプール!
       でその中、洞窟の正面に四角くもう1つプールが見えますね。
       その真ん中に草の生えた四角い部分が見えるのは、夏用の食堂!
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       図をどうぞ
       白く点々の付いた道が見学用に歩ける道で、上に遺跡群があり、
       中庭を囲み住居部が広がる様子、北に離れて兵舎、厩舎があり、

       洞窟の中に丸いプールがあり、これは直径12mで、
       真ん中に島が見えるのは、ここにスキュラと船の像があった場所で、
       手前に方形プール、その中心部色の濃い部分に夏用食堂
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       魚の養殖をしていた外側の広い四角いプールは海水ですが、
       淡水魚も山からの水を引いて養殖していたとの事ですので、
       円形とその手前の小さい方形プールは淡水か、もしくは
       海水とが混じるようにされていたのかも、ですね。

       洞窟の奥に、左右に奥まる小洞窟があり
       右は奥にポリュペーモス像群がおかれていた部分で、
       この手前には小さな滝があり、水の遊びが出来た様子で、
       左には横臥食堂があったそう。




       外側の大きなプールには、今も悠々と大きな魚が泳ぎ
       狭い道を列を作って歩く我らは、
       うっかり落ちると魚に食べられそう、と笑う位の大きさ! ははは。
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       洞窟内はご覧のようにかなり広く、手前に円形プールがあり、
       奥に見える小洞窟は、手前に小さな滝があったり噴水があったり、
       この奥に一つ目の怪人の目を潰すオドュッセイ達の群像があった場所。
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       これは滝から流れ出す水を、円形プールに導く溝
       で、多分円形プールでは淡水魚も飼っていた、と想像する水の流れ。
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       洞窟内から見渡す現在のスペルロンガの町
       夏の暑い日、海風の吹き込むこの涼しい洞窟内から海を眺め、
       あの正面に見える夏用の食卓で、美女をはべらせ、
       養殖している新鮮な魚を食べ、音楽を聞き・・!!
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       こちらは左にある小洞窟の方で、奥に横臥食堂があったと言いますが、
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       この一部に最近修復が済んだという、皇帝の寝室もあったそうで、
       覗きこむと、床に黒い線のモザイク跡。
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       壁脇にある穴、これは何かとガイドさんに訊ねましたら、
       花を生けていたのだそう! なんと優雅な!!
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       いやぁ、紀元1世紀に生き、栄華を尽くしたローマ皇帝の
       夏の別荘なのでしたぁ。




       洞窟のすぐ傍まで迫る海、見える石積みは防波堤。
       位置から見て、かっては船の停泊も出来たのだろうと。
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       近くの砂浜に出来た波の紋
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       スペルロンガの町を望み
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       夏の夕暮れにはこんな風に!! 
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       そして、頂く海の幸
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       う~ん、ローマ皇帝の権力栄華には及ばずとも、
       我らもきっと彼と同じ位の幸せは味わえているのですよね
       そう思われません、皆さん?! ははは。
      


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、下描きを始めた1枚と、 スペルロンガの夕暮れ を
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by italiashiho2 | 2016-06-29 00:05 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(2)
2016年 03月 26日

・・・ ルチャーノ・パヴァロッティの家博物館訪問 ・ モデナ ・・・

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       先週水曜にモデナ・Modenaをグループで、市内の聖堂、エステンセ美術館、
       そして郊外にあるルチャーノ・パヴァロッティの家博物館、
       モデナ名物のバルサミコ酢醸造元、等を訪問して来ました。

       当日は生憎と小雨が時にぱらつく日でしたが、
       天気予報の終日雨よりはまし!
       たっぷりぎっしりの日程をこなして楽しんで来ましたが、
    
       今日はまず、イタリアが誇る世紀のテノール歌手
       ルチャーノ・パヴァロッティ・Luciano Pavarotti(1935-2007)
       の家博物館の様子をご覧くださいね。

       shinkaiめはまだ日本にいる頃から彼の歌声の大ファンでして、
       あの明るく豊かな声量の歌声を聴いていると
       まさにイタリアの煌く青空が私の中にいっぱいに広がる様な・・。
       そんな印象で、憧れと共に惚れ惚れと聞き惚れていたのでした。

       なので今回、グループ旅行で嬉しく行く事ができ、
       皆さんにもモデナ訪問の最初にご案内、という、ははは、
       様子です。 彼の歌声も最後に聞いて頂きますね。
       
     

       家の前、明るい彩の家、門扉が目に付き
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       一番左に見えるこれ、これは彼が歌い終わってのいつものご挨拶姿
       手に大きなハンカチを持ち、両手をいっぱいに広げる姿。
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       この家博物館はどこにあるか、
       モデナ市の郊外、Stradello Nava 6 に。
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       蛇足ながら、パヴァロッティ博物館のすぐ北に、高速A1を挟んで
       見えるB&B Contrada という民宿
       ここに2年前の秋、トスカーナに向う前に1泊しており、
       とてもお安く、猫や犬が居たのを良く覚えている、懐かしいB&Bが出て!




       さて入り口の門扉から見る家、左手の黄色い部分はブックショップで、
       母屋は右手のサーモン・カラーの部分
       広い庭の木々に花が咲き始めておりました。
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       母屋の入り口
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       ガイドさんに連れられて入り口を入ると、右手奥にピアノが見え
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       話を聞くと、彼は自分の幸運だった人生を振り返り、
       パン屋の息子に生まれ、特別の財産があったわけでもない彼が、
       その折々に人々から受けた支援で今があると考えていて、
       この家にやって来る歌手志望者には、
       このピアノで無料レッスンを与えていたそう。

       左に切れて、彼の着ていたモーニングが見えますが、
       さすが、大きい!!




       ピアノの右手の壁には、大きな書棚
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       この家は古い農家が売りに出されたのを買取リ、取り壊し、
       彼の長年のアイディアをすべて込めて
       古い田舎家風に新築された物なのだそう。

       80年代に買取リ、設計が始まり、実際に工事に掛かったのは
       90年代。 彼はすべてを自分の思うようにしたい、が
       しょっちゅう海外にも公演で出かけるので、しばしば工事中断も。
       
       実際に家が完成し、ここに住んだのは約3年間!
       で、このお家で亡くなったと。 




       入り口側の壁はこんな感じで、
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       ここにはプッチーニの手紙のコレクションが。
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       そうですよね、ジャコモ・プッチーニのオペラ作品、
       トスカ、トゥーランドット、ラ・ボエーム、蝶々さん、などなど、
       パヴァロッティの当たり役がたくさんありました!

       プッチーニの家博物館のご案内
       



       家の中の家具類などは、すべて使っていたものがそのままにされており、
       それに博物館としての資料を加えている、という事で、

       この陳列ケースには、左上にメモ帳、その右下に折れ釘
       舞台で手に持っていたハンカチ類(右上光って見え難く・・!)
       蝶ネクタイなど。
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       折れ釘、というのは最初の舞台だったか、
       舞台で見つけた折れ釘をポケットに入れていたのが上手く歌えたので、
       それ以来彼のおまじないのようになったのだそう。




       左上にあったメモ帳、かなりのメモ魔だったようで、
       左側のには、各公演日に *TOSCA OK one などと。
       oneは、benoneの略で、bene良い、の上級形、
       つまり公演の出来具合を記していて、
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       右側の開かれているページには、あれこれ料理のレシピ!

       ガイドさんによると、パン屋の隣に大統領の電話番号があったりで、
       彼にとっては皆同じだったんだろうと、ははは。




       入り口扉の正面にはエレベーターが備えられていて
       そりゃまぁ、あの体格で階段を上がるのは大変でしたでしょうしね、はは、

       そのガラスに書かれていたのを見て、あれ?!
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       Buongirono a questo giorno che si sveglia oggi con me,
       buongiorno al latte ed al caffè,
       buongirono a chi non c'è...
       今朝一緒に目覚める君にお早う、
       カフェラッテにお早う、
       ここに居ない君にお早う・・

       この歌詞はしばらく前にTVで流れたヌテッラ・半液体チョコレートの
       懐かしく彼の声を聞きましたっけ!  多分彼の最後の曲なのかも・・。
    
   


      1階の反対側の部屋には、彼の写真とシャツがあり、 
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       部屋にかかっている油絵は、皆彼が描いたものだそうで、
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       部屋の壁の色も明るいでしょう?!
       明るい色が好みだったそうで、絵もその通り明るい色調。
       そして、やはり美味しい物が大好きだったと!




       この部屋の半分の天井はこんな風に古い格子天井が使われていて、
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       こじんまりとした居間風で、クッションでいっぱいのソファー
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       カード遊びが大好きで、公演旅行にもカード仲間が一緒だったと!
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       彼のお父さんは、やはり美声のアマチュアで歌っていたそうで、
       まさにステージ・パパとして、世界中の公演に付いてまわっていたと、
       これはイタリアに来てからの彼のインターヴューで聞きました。

     


       間の細い廊下、脇の棚には食器類、を抜けると
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       広い黄色い台所!
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       流し台と6口のガス台の間が遠いのが、ちょっと気になりましたが、
       はは、すぐテラスに続くドアがあり、
       夏など気持ちの良い昼、夕食だったでしょうね!




       さて我らは、明るいサーモン・ピンク色の階段を上り
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       2階と3階の中央は吹き抜けになっており
       天井が開き明るい広い空間に。
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       左に行くと、クローゼットがあり
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       その奥は、キングサイズのベッドがある寝室!
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       部屋にかかる自作の油絵、2度目の結婚で生まれたチビちゃんと
       彼の愛情が溢れていますね。
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       彼は2度結婚しており、shinkaiがイタリアに住むようになって後に、
       TVニュースで彼と秘書のニコレッタとのゴシップが流れるようになり、
       遂に前の奥さんと離婚、若いニコレッタと結婚、女の子誕生、
       という様ないきさつがありました。

       日本で単純に彼の歌声を聞いて惚れ惚れしていたのと違い、
       イタリアでのジャーナリストのインタヴューの肌合いの違いにも
       驚いた物でしたが、
       例えばインタヴューで、貴方はお金に細かいそうですが、本当ですか?
       なんぞとは、日本では大物歌手には訊ねないですよね?
       そんな違いもあったのですが、

       ニコレッタと一緒になってから始めた公演、
       パヴァロッティとフレンズ、という音楽ジャンルを問わずの、
       若いミュージシャン達との公演中継も最初の何回かはTVで見たものの、
       やはりちょっと違うな、という感じとなり、

       ニコレッタが冷たい、と言ったという様なゴシップも聞くと、
       次第に単にCDを聴くのみとなり、そして訃報、という様子でした。




       寝室の隣にバス・ルームがあったのですが、
       こちらは普通サイズのバスやトイレで!  皆がちょっと驚き、
       ただし体重計は大型でしたぁ!
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       寝室の反対側には、こんな風にすっきりの白い部屋もあり
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       屋根裏っぽい部屋には、大型スクリーンを寝転んで見れる設えがあり、
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       暫く眺めていましたら、この懐かしい、歌い終わっての姿が出て!!
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       出合ったたくさんの人々との写真!!
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       左上はダライ・ラマ、ポール・マッカートニー、コロンボ警部、ははは、
       アナン国連総長ですよね、左下は誰かな、そしてカラヤンとミレッラ・フレーニ、
       彼女は同じモデナの、しかも家も近い子供の頃からの知り合いだったそうで、
       ボエームの舞台も一緒だった時のCDも持っていますが、
       ヨハネ・パオロ2世とも!

       家のあちこちに大きな彼の写真があり、舞台で使った衣装も
       様々展示されていましたが・・。
       



       反対側の隅には、彼の肖像画
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       上から見下ろす吹き抜け部分
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       上からエレベーターで地下1階まで降りると、
       世界各地から届いたファンレターや、写真、プレゼントの展示があり、
      
       彼は馬が好きで、ここモデナに厩舎も持っていたそうですが、
       馬との写真もたくさんあり、
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       パヴァロッティとフレンズ、の公演仲間との夥しい写真! 
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       お家の庭の隅に、子供用の遊び道具があり
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       彼の理想の家とすべく、長い年月をかけて造った家に僅か3年、
       というのを聞き、ちょっと哀しくなりました。
       現在2度目の妻(と子)は、ボローニャに住んでいるそう。
  
       享年71歳、まだまだ歌える年だったと思うと、ちょっとね。
       冥福を祈ります!!


       彼の一番有名な曲というと、やはり「トゥーランドット」の
       ネッスン・ドルマ・Nessun Dorma・誰も寝てはならぬ、でしょうか?
       こちらでどうぞ。


       shinkaiの大好きな、情緒てんめんたる、はは、カルーゾ・Carusoを。


       最後は皆さんに、イタリアの青空の広がりを!
       懐かしい、ホセ・カレーラス、プラチド・ドミンゴと一緒の楽しいのを。
       

       こうして聞き直すと、やはり本当に素晴らしい偉大なテノールだったと!!
       同時代に生き、折々に近しい感じで聞ける事が出来たのを嬉しく思います




       パヴァロッティの家博物館は
       月曜休館 毎日10時から18時までオープン、
       住所は Stradello Nava 6 Modena 
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       公式サイトはこちらに
       ニコレッタが語るパヴァロッティ、のヴィデオもあります。



     *****

     ◆ 展覧会のお知らせ ◆

       ブログリンクをさせて頂いていますフレスコさん、永見隆義さん
       陶芸の内山正義さんの2人展が
       3月31日から4月5日まで、大阪心斎橋ギャラリー永井にて開催されます
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       どうぞご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます


     *****

       さて、この27日はパスクワ・復活祭!
       いよいよ春の盛りを迎えますね。

       皆様、ブオーナ・パスクワ!! 
       良い復活祭をお迎えくださ~い!


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 描き始め2枚と、 花盛りの木々 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     







by italiashiho2 | 2016-03-26 00:16 | ・エミーリア・ロマーニャ州 | Comments(15)
2016年 02月 10日

・・・ ヴィテルボ 3 コンクラーヴェ(教皇選出)の言葉の初まり、聖堂 ・・・

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       ヴィテルボの街のご案内も今回が最後!
       中世が盛りだくさんに残っているヴィテルボの街ですが、
       その中でも大変興味深くもあり、はたまたご案内が面倒な、はは、失礼、
       歴史に残る長~い教皇選出が行われた街でもあり、
       現在も使われるコンクラーヴェ・conclaveという言葉が生まれた街。

       教科書的、無味乾燥な歴史の記述はshinkai本人が苦手ですので、
       何とか分りやすくご説明を、でもなるべく正確詳細に、をモットーに、ははは、
       取り組んでみますので、宜しくお願いいたしま~す!

       まずトップの写真はサイトから拝借の、
       上から見たサン・ロレンツォ広場の様子

       左側に鐘楼と共に見えるのが、街のドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂で、
       右奥に長く続くのが、パラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi
       13世紀に教皇庁が30年ほど、ローマからこちらに移っていた本拠地。

       教皇様の事をイタリア語でパーパ・Papaと呼びますが、
       (父親を呼ぶパパ・papàの場合は終わりのaにアクセントが)
       約30年間の間に、9人の教皇がこのヴィテルボに居られましたので、
       複数形でパーピ・Papi となる訳ですね。




       まず上の写真の左下にちょっと見える、ドゥオーモの左手前の
       ヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタの家・Casa di Valentino della Pagnotta
       これは13世紀建設の、典型的な中世の邸宅なのだそう。
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       名を残すヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタという人物は、
       1458年に町の執政官に選ばれたと記録に残る、農業の財産家だったのだそう。

       大きなアーチを持つ美しくエレガントな家ですが、何度か改装されたり、
       第2次大戦の爆撃の後も、元々の姿に再建されたものなんだそう。




       さて、サン・ロレンツォ聖堂の美しい鐘楼
       これは12世紀のオリジナルで、2つ並んだ窓と、白と青灰色の縞模様。
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       聖堂は、この場所に7世紀に遡る小さな教会があった後に建設された物で、
       現在、聖堂の内部は建設時12世紀のロマネスク様式なのですが、 
       正面はご覧のように16世紀に改装された姿
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       聖堂内部は、天井も側廊アーチも床も全部見えるのをサイトから拝借し、
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       柱頭飾りもなかなか興味深いのがあり
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       天井の梁装飾が興味深く、なんと書いてあるのか読めると良いのですが・・。
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       床模様がコズマ式! 綺麗に残っているでしょう? 好きなのです、これが。
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       右下の平面図をどうぞ、と言いますのも、
       16世紀に教会の正面を改装したのと同じに、内部左右の側廊の壁を開け、
       10の礼拝堂を造ったのですね。 これで壁の以前のフレスコ画が失われ、
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       17世紀には内陣を深くする改装が行われ、図に見える突出した部分
       ですが、この聖堂も第2次大戦の爆撃でやられた部分の修復時に、
       出来るだけ元のロマネスクの形に復元され、

       現在は聖堂内からは突出した内陣部も見えませんが、
       隣のパラッツォ・デイ・パーピ内部の見学と共に、聖堂横の博物館受付に
       申し出ると見学できるとの事。




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       これは聖堂内に残っていた数少ない壁画の一つ




       そしてパイプ・オルガン。 ただし20世紀後半の物と。
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       16世紀に教会の正面をルネッサンス様式に変えた人物の名が、
       正面に彫り込まれており、
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       IO FRANC CAR DE GAMBARA、つまり、Io Francesco Cardinale Gambra
       我フランチェスコ枢機卿ガンバラ でして、

       バニャイアのヴィッラ・ランテを造ったと同じ人物、あのヴィッラの
       東屋にも同じ彫りが残されていましたが、

       こういう場所には、教会の名とか神に捧げる献辞とかがあるものと思い込んで
       おりましたので、これを知った時には少し驚き! この顕示欲!!
       
       ガンバラ(1533-1587)は1568年から80年までヴィテルボの司教を務めており、
       教皇ピオ5世の下に、異端審問にも確固たる信念を持って働いたという、
       ちょっと怖い人物であったのも知りますと・・、
       まぁ、俗世間から離れ、ゆったり寛げるお庭も欲しくなりますわな・・。




       これは聖堂の脇壁だったと思うのですが、
       ここにも見つけたガンバラ枢機卿の紋章!
       上につばの広い枢機卿の帽子が見え、下に鷲と海老の彼の紋章です。
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       ここヴィテルボには、カンタベリーからローマに至る中世巡礼の道、
       ヴィア・フランチージナ・Via Francigenaが通っていた、
       と言う小さな標識が右に見えます。
       


       
       聖堂正面、張り出した脇壁にあった小さな薔薇窓
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       サイトから拝借の写真で、
       聖堂とパラッツォ・デイ・パーピの間の様子
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       右手前に見える階段は、パラッツォ・デイ・パーピの入り口階段で、
       奥が司教座、教皇庁の本部でもあり、住居でもあった建物類




       聖堂、そしてパラッツォ・デイ・パーピの間に広がる広場の石畳
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       広場の奥に広がるパラッツォ・デイ・パーピと、正面部
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       写真は2度の訪問で撮ったものの良い方を使っておりますので、
       陽射しの様子が違うのはご勘弁を。




       階段上部と扉、そしてテラスへの入り口部、そして扉上のライオン像
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       正面階段の下は、こんな風になっておりまして、
       奥に見えるアーチの下を通って、ここまで道が着いています。
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       階段の上にある円柱の下に見える横縞の紋章にご注目を。




       そして建物に続いてあるテラス、ロッジャ・開廊と呼ばれる部分、
       その上部のアップ。
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       アップにもしっかり見える横縞の紋章。これは街のご案内にも出てきた
       ガッティ家のもので、
 
       そうなんですね、このガッティ家の当時の当主、ラニエーロ・ガッティ・
       Raniero Gatti、街のカピターノ・デル・ポーポロ・行政官でもあった
       彼が、このパラッツォ・デイ・パーピを造り、
       教皇庁をローマからヴィテルボに迎えるために働いたのですね。

       つまり1254年に教皇即位のアレッサンドロ4世からの内意を受け、
       以前からあった司教庁を拡張したりの設備が整うと同時に
       1257年、教皇と教皇庁がこの街に移転してきた、という訳で、

       なぜヴィテルボにと言うと、当時のローマでも教皇派と
       皇帝派の軋轢があり、それに耐えられずにアレッサンドロ教皇は
       既に司教庁の大きなのがあったこの街に移転を決めた様子。
       
       それにしても教皇と教皇庁が移転する、というのは、
       当時にあってもやはり大問題、遷都に匹敵するような出来事では
       なかったかと想像するのですが・・。

       ロッジャは少し遅れて1267年、やはりラニエーロ・ガッティにより
       建設された物と。

       ガッティ家は当時のイタリアを揺るがせていた教皇派(グエルフィ)と
       皇帝派(ギベッリーニ)の対立の中で、ヴィテルボの教皇派の大物。
       穀物の取引と金融業からの莫大な富を持ち、
       「ヴィテルボの最初の銀行」と定義付けされているほどだそう。




       正式には「祝福の為のロッジャ」という、教皇様がここにお出ましになり、
       広場の庶民に祝福を与える為のロッジャですが、
       内部から見るサン・ロレンツォ広場はこんな感じ
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       現在残っているのは広場に向いた側だけで、天井屋根部分もありませんが、
       建設当時は奥の谷に面した壁、そして天井部分もあったのが、
       1325年に崩れ落ち、それ以降この姿なのだと。

       まぁ、この美しい2重になった円柱の並びと、
       三つ葉飾りのアーチだけでも、よくぞ残ってくれた、と思えますですね。




       そしてこのロッジャ内にも泉
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       左上の平面図をご覧下さいね
       階段に続いての右のロッジャ部分と、左の大きな細長い部屋
       ここは教皇がお出ましの、いわゆる応接議会室だったのが、
       現在歴史に残る長~い教皇選出、33ヶ月!!が行われた舞台とされ
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       見学できていたのですが、
       細長く大きな明るい部屋、両側に6つの窓、と言うだけで何も無い部屋
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       歴史に語られる長~い教皇選出というのが始まったのは
       1268年11月の末の事で、1271年9月までの1006日!もかかったのですね。

       前の教皇クレメンテ4世が、寝室の(書斎という説も)
       天井穹窿部が落ちて亡くなった後の事で、
       こんなにも長くかかったのは、ひとえに選出選挙の為に集まった
       19名(一人はフランス王に従いチュニジアに行っており、欠席のち死亡)の
       枢機卿たちが、いわば教皇派、皇帝派と二分し
       当時は教皇選出には枢機卿の3分の2の投票が必要だったので、
       妥結点を見出せなかった事によります。

       枢機卿達が街中に滞在し、一日に一度サン・ロレンツォ聖堂に集まり
       投票がくり返されるのみで、1年近くたっても結果が出ないのに
       怒ったのはヴィテルボ市民達。 
       もてなし費用は当時は市民が持っていましたので、ははは、勿論怒りますよね。
      
       ここにラニエーロ・ガッティが乗り出し、枢機卿達を心地よい滞在住居から
       引き離し、パラッツォ・デイ・パーピに閉じ込め
       食料の差し入れもパンと水だけ!にし、
       遂には屋根を引っ剥がし、風雨も流れ込む状態にした、と言う!

       鍵で部屋に閉じ込めたので、clausi cum=con clave・コンクラーヴェ
       ここに初めて、教皇選出に今も使われる言葉の登場、となります。
       枢機卿同士の根競べではありませぬぞえ、ははは。

       現在の研究者によると、この屋根も引っ剥がした部屋に監禁、というのは、
       約3週間続き、その後はパラッツォ・デイ・パーピ内の部屋に
       住まう事が許されたと言いますが、やはり建物内監禁で、
       選挙中に19名のうち2名の枢機卿が亡くなり、17名になっても
       それでもまだ枢機卿たちは頑張ったのですねぇ! ははは。

       屋根を引っ剥がすと言う思い切った行動に出たのも、
       枢機卿の一人が機知で、こういう部屋には神の意思も届きにくいね、
       と言ったのが、通り易くする為のインスピレーションを与えたのだと、ははは。
       



       所で、今までコンクラーヴェの行われたのは、上でご覧頂いた大部屋
       いう事になっていたのですが、

       2014年末から公開されている、このサーラ・グワルティエーロ・Sala Gualtiero
       美しくフレスコ画で装飾された部屋で、上でご覧の大部屋に続いてあるのだそうで、
       ここが実際に13世紀のコンクラーヴェが行われた部屋ではないかと
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       広さは約200平米、20名弱の枢機卿達が集まって協議する、投票するには
       ちょうど良い大きさ。 何よりも早急な修理が望まれるこの部屋は、
       天井からの雨漏りの為に破壊されているのだそう! 成る程ぉ!!


       こうして約33ヶ月もを費やし、選出された教皇はグレゴーリオ10世
       俗世の名をテダルド・ヴィスコンティ・Tedaldo Visconti、
       ピアチェンツァの貴族出身ですが、かのミラノ大公ヴィスコンティ家の
       支流であるともないともの方で、
       ただ彼の精神の正しさと正直さが大変に評価されていた
       聖職者の位置としては最下の、司祭でもなかった方!

       選出選の間にも、指名され驚いて逃げ出した候補者、
       辞退した候補者もいた様子ですが、
       彼は遂に呆然としながらも受託し、1272年3月27日に即位。
       後にこの方は教皇選出に付いての新しい法則に付いても、発布されたと。

       
       所でヴィテルボに教皇庁が置かれていたのは約30年間と短く
       が、その間の教皇は9人と多く、まぁ、年を取って教皇になられる事が
       多いので必然そうなるのかもですが、

       以下にヴィテルボでの教皇様の一覧を
       ・アレッサンドロ4世 1254年から61まで在位 ヴィテルボには1257年から。 選出時55才 没62才
       ・ウルバーノ4世 1261-1264 ヴィテルボとオルヴィエートを行ったり来たり。 選出66才 没69才
       ・クレメンテ4世 1265-1268 殆どヴィテルボに。 選出70歳 没73才
       ・グレゴーリオ10世 1271-1276 実際には約1ヶ月間ヴィテルボに居たのみ。 選出61才 没66才
       ・インノチェンツォ5世 1276年1月選出 6月没! 約半月間ヴィテルボに。 選出、没51才  
       ・アドリアーノ5世 1276年7月選出 8月没! 殆どヴィテルボの修道院に。 選出、没71才
       ・ジョヴァンニ21世 1276年9月選出 1277年5月没 殆どヴィテルボ。 選出61才 没62才
       ・ニッコロ3世 1277-1280 ヴィテルボとローマ、そしてソリアーノ・ネル・チミーノ。 選出61才 没64才 
       ・マルティーノ4世 1281年2月選出後、すぐにヴィテルボから教皇庁を撤退。 選出71才 没75才
       
       なんとまぁ、3人の教皇様が数ヶ月で亡くなっていますねぇ!

  ◆ 追記 教皇選出時と亡くなった年齢を調べ、追記しました。 はは、物好き・・。
       それにしてもどの教皇様は余りヴィテルボに長滞在は無かった様で。
       
       所で長期間かかったグレゴーリオ10世選出の際の枢機卿17名ですが、
       その中の4名が後に教皇になられていて、このリストの中の
       アドリアーノ5世、マルティーニ4世も長い教皇選出に加わった方。
       

       枢機卿というのは、司教叙階の方の中から教皇が選ばれる方々で、
       教皇についでの位階というか、現在は新しい教皇は枢機卿の中からが自然で、
       その数も現在は過去最高の230名くらい居られるとか!

       教皇選挙は現在も完全秘密必須のコンクラーヴェではありますが、
       80歳以上の枢機卿は、教皇非選出との事。

       
       現在では、世界10億人を超えると言うカトリック信者の頂点に立つ
       教皇様として、政治的にはともかく、厳然と大きな影響力をお持ちと思うのですが、
       中世のこの時代、政治的にも権力を持っていたいわば領主の立場でもあり、
       勢力権力争いの真っ只中で、大変だったろうな、との率直な感想も。

       この後ヴィテルボの街に教皇庁が戻る事は無く
       当時の繁栄は廃れ、ラツィオ州内でも常に2流の立場に甘んじたと。




       ロッジャからは背後の眺めが大変素晴らしく
       北に広がる街並みや、旧市街を囲む城壁も。
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       これはパラッツォ・デイ・パーピの背後からの眺めで、
       間の谷をファウルの谷・valle FAULと言い、まさに要塞の趣きも。
       素晴らしい威容でしょう?!
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       ファウルの谷のこちらには大駐車場があり、
       緑地で若者達が遊ぶ姿も
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       あれこれどこかまだ書くべき事が不足している気もするのですが・・、
       ご説明が上手く出来ましたでしょうか?
       これで一応今回のヴィテルボのご案内をお終いとし
       皆様、長いお付き合い有難うございました!!



       最後は、サイトから拝借の写真で、
       サン・ロレンツォ聖堂の夕景と
       パラッツォ・デイ・パーピの夜のイルミネーションをどうぞ!
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     *****

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by italiashiho2 | 2016-02-10 00:02 | ・ローマとラツィオ州 | Comments(6)
2016年 01月 06日

   ・・・ 松本城訪問 ・ 信濃の国 ・・・

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       昨年の秋日本に行った時、松本と安曇野を訪ねましたが、
       今回は、松本城訪問の様子を見てやって下さいね。

       信州長野生まれで育った私は、小学6年生の春(だったと)に
       松本から諏訪への修学旅行で一度訪問しているのですが、
       それ以降はいつも素通りでしたので、町の様子も知らずのままで・・。
       今回漸くに安曇野も含め訪問できたと言う訳でした。

       上の写真は、お城、天守への内堀を渡っての、二の門
       復元された門との事ですが、立派で控え壁には鉄砲用挟間も見られ、
       外人観光客の姿もかなり多く・・。




       案内図をどうぞ
       上でご覧頂いた二の門は、中ほど下に見える「現在地」から上、
       の数字にあり、
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       2. 本丸御殿跡、3. 二の丸御殿跡も実際には建物がありませんので、
       6.二の門の後は、11.黒門を通ると、広い庭園になります。

       6.の右に、外堀を渡っての位置になりますが、
       10.太鼓門、門の上に楼上があり、鐘と太鼓で情報を伝えていたと言い、
       ここは見なかったのですが、復元された大きな立派な門で、
       多分こちらが家臣の登城門だったのでしょうね。




       案内図11.の黒門、こちらも復元された物と言いますが、
       本丸御殿に通じる重要な門で、
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       柱にも初代城主であった石川氏の笹竜胆の紋
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       門の内側に、この城の歴代藩主の名と紋所が。
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       元々は16世紀の初めに、当時深志城と呼ばれた城が築かれたのが
       始まりのようで、城主は戦国の世の中ですので色々変遷があり、
       
       最初に名の見える石川数正が入城したのは1590年、徳川家の関東移封後で、
       彼が天主を築き、城郭、町の整備も行ったとの事。
       こうして代々城主が変わりながらも引き続き、明治2年まで。 

       明治最初の城取り壊しの際、競売に掛けられ解体される寸前に、
       街の有志が音頭を取り運動を繰り広げ、
       遂に現在まで生き残ったという城なのですね。

       松本城のサイトはこちらに

       上諏訪の町とお城については




       黒門から入ってくると、広い庭園の向こうに大天守が聳えます
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       そうなんですよね、この松本城は平城!
       もともとの築城年を考えると、ちょっと不思議な位なのですが、
       天守のある城としては唯一の平城なんだそう。

       そして、えっへん、はは、私が威張っても始まりませんが、ははは、
       そう、この松本城は日本に5つある国宝の城の一つ!なんですねぇ。
       (4つかと思っていましたが、松江城が昨年指定を受け)
       他の3つは犬山城、彦根城、そして姫路城ですね。
       
       犬山は明治村に寄った記憶がありますが、まだ城は知らずで、
       重文指定の他の7つの天守も美しく、チャンスがあれば!です。
       



       で、サイトから見つけた名と高さ入りの写真をどうぞ
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       という事で、乾小天守と大天守を繋ぐ渡り櫓の下にある
       大手口から入りますが、

       これは大天守の石垣の迫り出し具合
       角の上には石落としも見える実戦構造の城ですね。
       黒の色は漆塗りなんだそう!
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       石垣前に武者姿のこの方がおられ、皆さんとの記念撮影に
       応じられていたのですけど、shinkaiがお願いしますとカメラを構えると、
       一人撮影とわかって、あっ、あれっとちょっと照れたりして、ははは。
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       むむ、貴殿お持ちの三階菱の紋所は、2代目城主小笠原氏の物でござるな。




       ささ、大天守へいざ、いざ、お進みめされ!
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       ちゃんと靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がって下さいよ、
       そこの外人さん。 (英語でなんていうの? ははは)




       松本城天守の構造。 
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       上がる前にしっかり読んで、というのをいつもパシャッと撮って、
       ブログ書きの前に読んでなるほど、というshinkaiですが、

       戦国時代の終わりの平城でも、やはりそれなりの実戦体制を
       取っての築城だったのが、鉄砲攻撃に備えての厚い壁とかで分りますね。
       大天守の壁の中には、木の枝とか縄を真ん中に挟み塗りこめてあり、
       厚さが20~30cmもあるそうで、これだと火縄の玉も通しません。

       明治時代にこの大天守が傾き、大改修が行われた事があった様子ですが、
       この説明の2にある、天守台の石垣の中に、16本の栂材の丸太柱を埋め込み、
       千トンの重さを支える、というのが、
       この丸太柱の老朽で支えきれなくなった、という事情もある様子。
       昭和に行われた解体大修理の際に発掘された柱は、
       殆どが腐食され形を留めていなかったとの事。
       400年もの歴史を持つ城ですものね!




       大天守の北にある乾小天守ですが、「北」にある小天守が「乾」・北西を指す、
       と呼ばれるのは、「北」が意味する言葉の不吉さを嫌ったからなのだそうで、

       大天守と違って、こちらには丸太の柱も使われているのだそう。
       すり減り、磨き上げられた、床と柱の美しさに目が行きます!
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       階段の踏み板も、支えもツルツルすべすべ
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       中はやはり薄暗く、窓の外の快晴の空、緑が嬉しく
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       この柱の見事さ! 木目の美しさ!
       床が黒いのは、これもかっては漆塗りだったんだろうか?
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       大天守への渡り櫓部にあった、梁の大きく曲がった太い柱
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       こんな自然のままの柱は強度に強いのだそうですが、
       傍らの管理の小父さんが、この柱は何の材木だと思いますか、と出題。
       でも、この城の名に因んだ名前です、とヒントもね、ははは。
       というので覚えると、忘れませんよね。




       でもね、凄みのある木目でした!
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       昭和の大修理(昭和25~30年)で取り替えられた展示品もあり、
       これは鬼面鬼瓦
       余り怖くなく可愛い顔にさえ見えますね、ははは。
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       大天守の1階の大広間、鉋や手斧で仕上げられた柱が
       整然と薄暗い中に並びます。
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       この広間の周囲を、約45cm低い武者走りが取り囲みますが、
       土台は2重になっているのだそう。




       大天守の上を護っていたシャチ。 口を開けているのが雄で、
       閉じているのが雌、というのですが、これはどちらかな?
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       かなり興味をそそった火縄銃の各種の展示があり、
       長いのと、馬上筒と呼ばれる短い物。
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       説明図によると、大筒と呼ばれる口径30mm程の物が、
       大阪夏の陣では昼夜を分かたず打ち込まれ、和議を早めたという事で、
       これ位のものだと射程500mほどの命中率はなかなかのものだったとか、
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       馬上筒は加藤清正が武器として取り入れたのが初めで、
       馬上で使いやすいよう50cmほどの長さの火縄銃で、近距離用。
       勿論連続発射は出来ず。

       右上に見える抱え大筒というのは、口径25~40mm程までの火縄大筒で、
       これを抱えて撃つ日本独特のものなのだそう。
       狭い坂道でも抱えて運べるので山城攻めとか、戦国後期に威力を発揮したと。




       こちらは鉛の弾、勿論手つくりで、
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       考えた事もなかったのですが、戦国期の武士の妻や娘の仕事だったそうで!
       夫の火縄銃に合った弾作りに精を出しているかっての女達の姿を思うと、
       いじらしくもあり、少々おかしくもあり!
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       火縄つくりも大切だったようで、良い火縄だと命中度が違い、
       木綿の火縄だと火持ちも良く、灰も真っ白で軽く、
       引き金を引いて玉の出るタイミングもとても良いと!

       ですが、木綿はかって北の国では栽培できず大変に高価だったので、
       刺し子や菱刺しの起源もこの理由からでしたしね、
       古くには繊維の長い竹や麻を混ぜて火縄を作ったとも。




       甲冑ですが、後ろに「当世具足」と見えるように、
       戦国時代になって当時の鉄砲戦に相応しい形を考えだした物で、
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       かっての煌びやかな革の小片を繋いだものではなく、
       鉄を使った大量生産で、鉄砲戦に対応した強い物、玉を反らせるために
       曲線や傾斜を多用し、機能性も重視しているのが特徴と。

       背中に玉込め用の棒・カルカを背負い、腰には玉入れを下げ、
       肩から口薬・点火薬入れの水筒みたいなのを提げ、
       これで火縄を持つと約20kgの重量だったと!

       ふっと気づいたのですが、玉込め用の棒がカルカ!
       イタリア語でカーリカ・caricaは職務、積荷、充填、仕込みなどを指し、
       戦闘での「弾込め、撃つ用意!」は動詞caricareから、carica!なんですね。

       仏壇にお供えする水を「閼伽・あか」と言うそうですが、
       これはacqua・アックワから来ているのかも、と聞いた事があり、

       と同様、遠い土地からの由来の言葉みたいにも思い至りました。




       これは4階の大広間の一廓、御簾で囲った御座所
       有事の際の御座所として使われた様子。
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       窓の形は、大屋根の下に作られる千鳥派風・東西と、
       南北にある唐派風とがあり、こちらは唐派風で、
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       こっちが千鳥派風の窓
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       大天守の中には1階から6階まで階段が7箇所あるそうで、
       どの階段もかなり急な階段でしたが、
       とりわけ4階から5階への階段が傾斜が61度もあり、
       おまけに蹴上げが約40cm!
       掴まりながら上がるのですが、足元は勿論見る余裕がなく、
       ヨイショ!と足で探りながら上がる感じで、

       今奥に見える階段の上の部分がそれ!
       昔の人は体も小さく、脚も短かったでしょうに、はは、
       大変だったでしょうねぇ~、ひひ。
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       こうして上がった最上階、大屋根の下に見えた注連縄
       納得しますです!
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       見えた、国宝指定書、昭和二十七年三月二十九日
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       窓から見る松本の街
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       乾小天守の屋根
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       内堀の西側と埋橋(うずめ橋)。
       4年前の地震で埋門の石垣がずれ、現在こちらからの入城が
       停止されているとの事。
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       そして黒門方面
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       階段を降り、最後はこの月見櫓
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       大天守に続いての辰巳附櫓、そして月見櫓ですが、
       ここは徳川3代将軍家光が長野善光寺参拝の途中に松本に寄る、
       というので建てられたのだそうで、
       外側には赤い欄干を巡らした月見櫓らしい風雅さなのですが、
       結局善光寺参拝は中止になったのだそうで・・。




       大天守の最上階に上がった辺りで、カメラ電池の消耗に気づき、
       最低限の写しにしていたのですが、
     
       遂に最後の一枚!となった、内堀越しの大天守の眺め
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       という、長年の夢でもあった松本城再訪でしたぁ。




       最後はサイトから1枚拝借し、
       美しい雪化粧の松本城をどうぞ!
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     *****

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by italiashiho2 | 2016-01-06 00:47 | ・日本・アジア | Comments(13)
2015年 12月 23日

   ・・・ インスブルックの街 その2 金の屋根、聖堂、博物館 ・・・


       引き続き、有難うございます!
       インスブルックの街、旧市街訪問を続けます。

       煌びやかな店の看板が目を引きますが
       これは左に大きな葡萄を担いだ男2人が見えるので、
       酒屋かな? それとも醸造所だった?
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       さてさて、インスブルックの街のシンボルの一つと言える
       「金の屋根」ですが、こんな風に建物から飛び出したテラスで、
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       斜め向かい角には、こんなロココ式の凝った装飾の家
       Helblinghaus・ヘルブリング邸、一般市民の住居だったというのがあり、
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       正面側に回ると、この豪華さ!
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       ちょうどこの邸宅と金の屋根の前が広場になっていて
       大きなクリスマス・ツリーと、屋台店が立ち並び、大賑わい!!

       その屋台店の並んだ間の上に上れる様になっていまして、
       上からの眺めはこんな風。 
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       背後の建物はNeur Hof・チロル伯爵の邸宅として
       1420年頃に建てられたもので、それにマッシミリアーノ1世が
       1500年の記念祭用にと、1494~96年に取り付けさせた物と。

       「金の屋根」と呼ばれる由来は、金を焼き付けた2657枚の
       鱗型の銅の屋根板から来ていて、
       ご覧のように2層になっています。    




       上階には、奥の壁にフレスコ画で、マッシミリアーノ1世と2人の奥方、
       最初の妻マリーア・ディ・ボルゴーニャ(ブルターニュ)・Maria di Borgogna
       と、再婚の妻ビアンカ・マリーア・スフォルツァ・Bianca Maria Sforza
       と、どちらがどの方かshinkaiには分りかねますが、
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       マッシミリアーノの宮廷生活を描いた、という事から想像を逞しくし、
       最初の結婚は幸せで上手く行き彼は2人の子を得ており、
       2度目の妻とは上手く行かず、子供も無かった、というので、

       左側のお付女官や書記官、吟遊詩人も混じっての賑やかなのが最初の結婚生活、
       右側の鷲鼻の横顔の彼と女性一人のが、ビアンカ・マリーアと想像を。
       
       その下の木彫彩色部には、踊っている兵士達と、真ん中はやはり
       マッシミリアーノの姿、そして2人の妻、の場面ですね。


       蛇足ながら、2度目の妻ビアンカ・マリーア・スフォルツァというのは、
       暗殺されたミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘で、
       ルドヴィーコ・イル・モーロの姪で、

       22歳でミラノでの盛大な結婚式の後インスブルックに。
       大勢の侍女やお付き次官たちを引き連れての行程に、ひょっとして
       レオナルド・ダ・ヴィンチも混じっていたのかも・・。

       というのも、最近になって彼の作かどうかと云われていた肖像画が
       真筆であると発表されたのを、皆さんも覚えておいででしょうか。
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       最初の妻にも劣らず美しく彼よりずっと若い妻だったのですが、
       マッシミリアーノはまったく彼女に愛を感じることなく、
       2人の間は冷たいままで、彼女はティロルの山の城で一人寂しく過ごし、
       晩年は神経性の食欲不振に陥り、38歳の若い死、衰弱死だったと。


       肝心のマッシミリアーノ1世、神聖ローマ皇帝にして、
       ハプスブルグ家の隆盛の基となった彼に付いては、
       最後に彼の廟を見ましたので、その時のご説明にしますね。       




       下の部分は、真ん中に窓と、両脇にフレスコ画で旗手の姿が描かれ
       下に並ぶ紋章は、オーストリアとティロルの物と。
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       で、バルコニーの軒下の部分には

    
       こんな風に、男達が格子の角にうずくまり
       うXちをしたり、おしXこをしたりなんですねぇ、ははは。
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       この周辺は、まさに古い町の歴史がそのまま残り
       古い頑丈な飛び出した壁の角があったり、物見かな?
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       この古い扉! 扉の右下の石だけ、すり減っているのにご注目を!
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       今回この古い地区を見てとても気に入ったのは
       パステル・カラーで美しく補修されているのですが、
       こういった古いものがきちんと使われ、残されている事でした。
       新しくモダンな新市街も広がる中心に、こういう一廓があるというのは、
       自分達の町を誇りに思い、護って行く意志があるからですよね。
       内側は出来る限り快適に改装しているのでしょうが、
       重厚な歴史感を感じ、大変に心地良かったです!




       狭い道を北に抜けていくと、サン・ジャコモ聖堂・Dom zu St. Jakoがあり、
       現在のは1717~1724に建設されたもので、
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       内部のその絢爛豪華なバロック様式に見とれました!
       はぁ、趣味ではないのですが、余りにも素晴らしく美しいと、ははは、
       やはり凄いなぁ!と見蕩れますです。
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       良く見えませんが、上の写真の祭壇画の中央に切り抜いたように
       別の聖母子像がはめ込まれているのが分りますか?
       あれはルーカス・クラナッハの聖母子像なのだそう。




       内陣の左右に、こんな風に御臨席があり
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       金色の双頭の鷲が王冠を持ち、両足に剣を構えているので、
       あれま、尻尾で立っているの?と笑えるshinkai、ははは。




       こちらは左側の翼部分にあったマッシミリアーノ3世の廟、17世紀。
       近くの王室教会にあるマッシミリアーノ1世の廟に憧れて、と
       ガイドさんの説明にあったような・・。
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       内部の柱装飾も、誠に優雅で煌びやか!
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       入り口の上にあったオルガン
       オルガン本体は20世紀の末に作られたのだそうですが、
       18世紀初期のこの見事な箱の中に納められたのだそう。
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       青緑の色も美しく、こういうのを見ると、わぁ~おと声が出ますです。




       ついでに、王宮見学も
       ですが、もう朝の9時から始まった見学でいい加減草臥れ、
       12時頃のこの時は、もういいよぉ、という感じで、ははは、
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       おまけに内部の写真禁止というので、広い舞踏室や、
       様々の部屋を通り抜けただけで・・!



       これは入り口にあった、展示案内の横幕
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       ガイドさんの言うには、この絵は日本人画家が描かれたのだそうで、
       私は好きじゃない、との事。
       でもこれは画家の趣味ではなく、注文主の注文ですからね、へっへっへっ。




       2階の廊下からの眺めを1枚
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       大きな舞踏室には、偉大なるオーストリア女帝マリーア・テレーザの
       17人だったかの子供達の肖像画が並び、
       その中には、マリー・アントワネットの肖像もありましたっけ。




       最後に見物したのが、ここ宮廷教会の隣にあった、
       現ティロル民族博物館
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       内部の、多分教会付属修道院の中庭で、
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       ここで見たのは、マッシミリアーノ1世の記念墓所、廟
       彼の遺体はここには無く、というのも、戦争に明け暮れした彼の
       町への借金不払いが余りにも多く、滞在を拒否されており、
       こういう当時からの市民勢力の強さを知ると、うふうふしますが、
       せっかく愛する町に眠りたいという彼の墓所準備もむなしく、
       ウィーナー・ノイシュタット、ウィーンの南に墓所があるそう。
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       この紋章の数々!  細部の細工の細やかさ!
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       マッシミリアーノ1世(1459-1519)オーストリア大公、神聖ローマ皇帝、
       ハプスブルグ家の隆盛の基を築いた人物でもあり、
       武勇に優れ、芸術を愛し、10ヶ国語を話し・・、まさに王となる為に
       生まれたかの様な人物でして、ちょっとあれこれ読んだ位では
       到底その人物を詳しくご紹介するまでには至りませんで。

       ですが、ハプスブルグ家の家訓は、婚姻により領土を増やす事にあったそうで、
       まさに自身もブルゴーニュ家の一人娘と結婚し、ネーデルランドも獲得、
       子供達もスペインのカスティーリア-アラゴン家と結婚させ、 
       孫に当るカルロス1世は、スペイン王、神聖ローマ皇帝となった人物、
       という様に、隆盛を招いた人物だったのですね。

       ヨーロッパの王室の関係の複雑さはまさにまさにで、
       今回もあれこれ読み出すと、ちょっぴり名を知っている人々に芋づる式に
       ずるずると繋がり、興味が尽きませんでしたぁ。




       中の棺の浮き彫り、マッシミリアーノの生涯を語る1枚。
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       で、この棺を挟んで左右両脇に黒いブロンズ像が全部で28体
       彼の生涯に影響、関連した人物像が、葬列に参加という様子で並びます。
       等身大以上の大きさで、黒いので、かなりの迫力!
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       祭壇側はこんな様子で
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       前側から見ると、棺の上にマッシミリアーノが祭壇に向き
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       左側上部に女性達の像もあり、自身の2人の妻や、息子の妻も。
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       足元には名が刻まれていたのですが、到底確かめておりませんで、
       どれがどなたか判別できませんが、




       こんな風に衣服の描写も凄く手の込んだもので
       でもブロンズ像で黒となると、やはりいかつい感じですねぇ。
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       祭壇手前左右に2体ずつあったのですが、これは左側で、
       どなたかな?
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       それがです、写真を撮っていると、ヴァレーリアが近寄ってきて、
       大変失礼な事に、ははは、


       撫でると運が付くのよ!といいつつ、するっと撫でまして、
       ほらね、かなりもう既に光っているでしょう?!
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       ヴァレーリアは大体ちょっと変わった女性なのですが、
       こっちに来て、といいつつ入り口近い左側の像の前に連れて行き、
       ほら!と、このピカピカを見せ
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       マッシミリアーノ1世の息子「美男フィリップ」像だと言い、
       「運が来る」と念入りに撫で回し、横にいた仲間の男性2人も大笑い!!
       shinkai? 撫でませんよぉ、そんなものぉ!!




       で、お笑いはもう一つ、彼女が撫でたのはお目当ての像ではなく、
       こちらが肝心の「美男フィリップ」王なのでしたぁ!! きゃはは。
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       最後に不謹慎な教会内事件でしたが、ははは、
       漸くにガイドさんから解放され、お昼を食べ、買い物をし、
       
       早くも日が傾きかける冬の午後、
       インスブルックの街に別れを告げ、戻り道を辿ったのでした。
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       長いご案内にお付き合いいただきまして
       有難うございました!
       お楽しみいただけましたように!!


       最後におまけの、クリスマス・カードを。

       皆様、ブオン・ニャターレ!!
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       良いクリスマスをお迎え下さいね


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ポルトガルの海 途中経過と、描き始め1枚  クリスマス近く を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    


     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     
   



      


by italiashiho2 | 2015-12-23 01:24 | ・ヨーロッパ | Comments(0)
2015年 12月 03日

   ・・・ コネリアーノの町  落ち葉の色、山の雪 ・・・

       いよいよ12月に突入し、気ぜわしい季節となりました。
       とは言うものの、私めにはいつもなら余り関係がないのですが、
       今、友人のジュリアーナが入院しておりまして。

       いぇ、大した手術ではなく2日間の入院と言う予定で、
       それでも友人一同ちょっぴり緊張し、
       入院の送り迎え、お見舞いはどの日に誰と誰、というように、
       ははは、しっかり当番日程を組む、独り者相互援助体制に!

       昨日午後お見舞いに行ってきましたが、少し痛みはあるそうですが、
       元気でよく喋り、安心しましたが、
       
       で、今朝電話があり、今夕予定通り退院できそうとの事。
       で、3時半頃から行き待ち、漸くに6時半に退院、
       家まで無事に送り届けましたぁ、やれやれ!

       おまけに明日3日4日と1泊で、オーストリアの
       インスブルック旅行を申し込んでいる為、
       ちょっぴり気ぜわしい、という感じです。
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       そんな訳で今回は、10日ほど前の日曜日の歩き会の様子を。
       水彩ブログの方には、「初雪!」と「落ち葉の色」として
       既に少し載せたのですが、なかなか良いなぁ、と見直し、
       当日はかなり撮っていたのを整理しましたので、
       ちょっと重複する部分もありますが、見てやって下さい!


       トップの写真は、コネリアーノの町の中心広場である
       チーマ広場の北面を占める、テアトロ・アッカデミア

       当日は町の中の道を上って降りて、あっちに曲がりこっちに曲がり、
       本日は「コネリアーノの観光ツァー行程」と、ははは、
       朝のカフェで会ったピエロとカテリーナのカップルも一緒に、
       半ば気の向くまま、足の向くままに歩いたので、
       町中の写真は適当に端折り、大体の位置合わせでご覧頂きますね。




       コネリアーノのドゥオーモは現在鐘楼が修復中で、
       すっぽり覆われているので、入り口前のロッジャのフレスコ画を
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       2階部分には、かっての徒歩旅行者用の救護所として使われたという
       細長い部屋があり、その内部もすっかりフレスコ画で埋められているのですが、
       外、内ともに16世紀のものと。




       前を通りましたら、鐘楼修復の様子の写真が展示されており、
       う~ん、これは修復が必要よね、という感じでして、
       まぁ、手遅れにならずに済んで良かったです、はは。
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       ドゥオーモの上の道からは、お城への坂道の横にある
       パッラーディオ式のお屋敷も見え、
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       裏側の細い道に並ぶ家々の壁には、かってのフレスコ画の
       名残もあり、
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       中世からの家が残る古い小路
       これは西側から見ているのですが、光の当っている家の手前、
       表に看板が出ている家が、
       この町出身の画家チーマ・ダ・コネリアーノ・Cima da Conegliano
       (1459-1517)の生家。
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       この家がそれで、今回は垂れ幕に名の見える画家、かな、
       の展示が開催中の様子で、開いておりました。
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       3階建ての、当時としてはかなり裕福な家だったそうで、
       税金の額も庶民としては大目だった、と聞いたことがあります。

       チーマ・ダ・コネリアーノ展の様子 その1と2




       これはドゥオーモの前の通りを西に突っ切り、
       もう一つ西の通りに入った所にある壁の碑
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        ユダヤ人共同体はこの区域に於いて、何世紀間に渡り
        信仰の習慣に従い、働き、生きる事ができた。

       1997年に納められた碑ですが、今回始めてピエロが教えてくれ、
       この区域がかってのゲットーだったと知りました。

       コネリアーノにはかなり大きなユダヤ人の集落があり、
       立派なシナゴークもあったのが、戦後解体され、
       イスラエルの方に移築されたといいます。




       この一帯は新しい大きなコンドミニオに建て変わっていたりですが
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       一番外れにあったこの建物、綺麗に修復され明るい色に塗られていますが、
       これなどまさに中世のままの家の形。
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       西に進むと、洒落たお屋敷街になるのですが、
       その一廓で、素晴らしい色に出会いました!
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       敷き詰められた落ち葉の小路を抜けつつ
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       せっせと足元の落ち葉を撮ります
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       サヤが色づき始めた植木、なんだろ?
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       蔦ではないみたいだけど・・、真っ赤!!
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       お城がこの位置に見える場所に来ると
       ほらshinkai、あんたはコネリアーノも描かないとダメよ!
       とジュリアーノが責めるのですが、今回はエレオノーラまで一緒にね。
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       そんな事言われたって、これが描けたら苦労は無いよ、へっへっへ。
       



       うん、こちらの方がまだ色が綺麗よね!
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       わぉ、ボケの花がもう咲いてる!
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       山茶花も!!
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       かと思うと、トケイソウもまだ咲いてる!
       もう、完全にピンボケで、ご容赦ぁ!!
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       お家の塀沿いに、こんな顔して、顎を乗せているワンちゃん
       皆が、寂しそうな顔して!と言ったのですがぁ、
       良く見ると、寄り目でしょう?! ・・して見せたのかなぁ、きゃはは。
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       だって、次の瞬間にはこんな鋭い目になっていて
       塀越しに手を差し出したピエロに、猛然と吠え掛かったのですよ!
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       そう、塀の向こうは無関係、大丈夫なんだけど、
       一旦塀を越すと、警戒警報発令なんだよね、ははは。




       小鳥ちゃんたちのお出でを待つ、いっぱいの赤い身!
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       落ち葉に埋もれるベンチ
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       広いお庭の向こうで、一心に見張りを続ける猫ちゃん
       声をかけているのは聞いているのですけどね、トカゲの方が大事ね。
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       坂道を上り、この辺りはもう隣町のスセガーナに近く、
       正面に見える建物が、国立のワイン醸造業者育成の為の中学校
       道のこちら手前側の一部にカンティーナとレストラン。
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       そう、ヴェネト平野の地平線!




       そして少し西に向かい
       葡萄畑の葉も殆ど落ち、遠くに見える丘が素敵でしょう?!
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       下の写真、奥の山の中央から少し左、塔が見えるのが
       スセガーナのサン・サルヴァトーレの城で、




       こんな様子
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       サン・サルヴァトーレのお城は

       同一族の、コッラルトのお城と人々




       丘の上の道を奥に進み、その朝初冠雪が見えた北の山並みと
       コッラルブリーゴの教会と集落
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       少し東側。 
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       当日のメンバー
       左から、ピエロ、エレオノーラ、カテリーナ、ヘルガ、
       ジュリアーナ、そしてロレダーナ。
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       shinkaiがつけたあだ名は、エレオノーラ=コマンダンテ・隊長、
       ヘルガ=ロッテンマイヤー、ほら、「ハイジ」に出てくるでしょ、ははは。
       ヘルガのは本人には内緒なんですけど、周りの皆が喜んで同意! ひひ。




       坂道を降りてくると、まだ獲物を睨んでいるさっきの猫ちゃん
       やはりこちらを向いてくれず・・!
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       下の草原でも、何かを狙っている猫ちゃん
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       shinkaiが見つけたのは、茸!
       お昼にちょうど良さそうなんだけど、残念、お家のお庭でしたぁ。
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     *****
   
       という事で、明日朝早くからインスブルックに出かけて来ます
       と言っても1泊ですので、はは、すぐ戻ります。

       実は10月の初め日本に出発する前に、
       カメラを清掃と電池室の蓋の修理に出しました。
       1ヶ月位と聞いたので、11月の初めには戻ると思って。
       ところが戻らず、催促した翌週、既に預けて1ヵ月半となって、 
       修復見積もりは99エウロだけど、OKか、と!

       OKだから、早くしてぇ!と言ったのですが、
       その時点で、これはもうインスブルックには間に合わない、と。

       いくらニコンとはいえ、ニコン・トリノとなると、
       働いているのはイタリア人ですものね?!
       ああ、見積もりが甘かったぁ!!

       てな事で、ウン十年振りかのインスブルックの街中の写真も、
       せっかくの新品18-300mmのレンズを試す事が出来ず、残念!
       
       でも久し振りの外国ですので、ははは、
       頑張って撮って来ま~す、お楽しみに!

       コメントのお返事が遅れると思いますが、
       宜しくお願いいたします。
       


     *****

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by italiashiho2 | 2015-12-03 04:37 | ・我が町コネリアーノ | Comments(16)
2015年 11月 08日

   ・・・ 碌山美術館 ・ 信州安曇野 その2 ・・・

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       東穂高出身の日本近代彫刻の父ともいえる荻原碌山(本名は守衛)
       の素晴らしい美術館を安曇野に訪ねました。
       先回ご紹介のわさび田から西に行った所で、
       長閑でこじんまりとした一廓、木々に囲まれてありました。

       荻原碌山が安曇野出身であった事も知らずだったのですが、
       展示で出会った様々な人物名、高村光太郎、相馬黒光などと
       どんな関係だったのかを知る為にもあれこれ読み、

       明治末期の日本の芸術家達の様子も想像しながら
       碌山美術館の本当に細部まで拘った美しさを
       今懐かしく想い出しています。
      
       殆ど何も知らないまま見学し、その資料展示などからも
       博物館と思ったのでしたが、
       碌山美術館 となっている事を知りましたので、ここに訂正です。


       上の写真は、道に面してある「碌山美術館」の入り口



       植え込みがあり、右手に切符売り場で、
       シニアで、と言いましたら、ここにはそれはありませんと。あれま!

       そしてそこから振り返ると左手奥に、この教会を模した建物
       こじんまりと、そして格調高く!
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       建物の入り口に絡んだ蔦が、ちょうど紅葉を始めた所で
       とても良い雰囲気。
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       敷地内には幾つかの展示館があるのですが、
       この一番の主たる展示館の様子を右側から撮った写真
       サイトで見つけましたので、拝借し。

       こんもりとした木々に囲まれ、静謐な空間
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       入り口に向う右手に、この「労働者」の像
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       これは帰国2年目に第3回文展に出品し落選したものだそうで、
       戻ってくるなり、碌山は左腕と両脚を取り除けたと。




       入り口上部。 塔の上にあるのは鳩の像
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       扉にあった碑
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       碌山美術館    1958
       この館は29万9千100余人の力で生まれたりき

       この美術館は、地元の人々の寄金により出来上がったのだそうで、
       この碑も単なる碑ではなく、周囲を楓の葉かな、が囲み、
       留め金部分も、ほら、薔薇の花みたいでしょう?
       この他にも、扉のノッカーが、キツツキだったようで・・。
       
       この館の設計者は(基俊太郎)と言う方で、彼のお父さんは
       彫刻家で、碌山の友人だったそうです。
       そんな事もあってか、まさに心のこもった配慮の設計である事が感じられ
       大変に居心地の良い、暖かな美術館となっている様子です。

     追記と訂正を。
       主となっている「碌山館」の設計は、今井兼次と言う方がされ、
        他の2棟の設計が基俊太郎とのことです。
     
       


       入り口を入った所のロビー部とでも言うのか、
       左側には、彫りを施した厚板の台があり
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       右側には、暖炉と薪置き台。 
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       館内は写真禁止でしたので、碌山美術館のサイトから拝借の
       写真で様子をご覧くださいね。

       入り口部分から奥に。 上部に見えるのが碌山の写真で、
       手前はフランスに留学中の作品と言われる「抗夫」、
       奥の左から2番目、腕を組んでいるのが「文覚
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       奥から入り口部分を、右列真ん中にお尻が見えるのが「絶望・デスペア
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       真ん中左に見えるのが「女」、碌山の絶作となった作品。
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       両手を後ろで組み、ひざまずいて立ち、何かを求めるように
       上を向き、喘いでいる女の姿。       

       この作品は碌山の死後、文部省に買い上げられ、
       日本の近代彫刻としてはじめて重要文化財に指定されたものだそう。




       この作品と、碌山が一緒の写真がありました。
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       荻原碌山、1879年・明治12年12月1日 - 1910年・明治43年4月22日
       画家を志し1901年にニューヨークに渡り学び、
       1904年にパリでロダンの「考える人」を見て深く感動し、
       彫刻家になる事を決意。
       1906年からパリのアカデミアで彫刻を学び、1908年に帰国。

       1908年に文展に「文覚」入選。
       1910年「女」を制作。 4月22日に急逝。
       
       僅か30年の生涯、画家を志しニューヨークに渡ってから10年、
       彫刻を学び帰国して後2年!の本当に短い生涯でした。




       上の「女」の像は、実際のモデルがいますが、
       新宿中村屋の創業者相馬愛蔵と妻の黒光(こっこう)夫妻の、
       黒光が碌山と恋仲であり、モデルだったと言う説が通っています。

       その相馬黒光(本名は良で、その才気を少し黒く隠せというニックネーム
       から来ているそう)の少女の頃の様子と、
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       これは碌山の一周忌に、彼を偲んでアトリエに集まった人々
       写真だそうで、安曇野の旧家出身の相馬愛蔵、碌山の長兄の本十も、
       他にも著名人の名が見えます。
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       碌山はまだ安曇野にいる頃に、土地の旧家の相馬家に嫁いできた
       黒光と知りあったのだそうで、
       帰国して新宿にアトリエを構えてからは、中村家に通い、
       家族の一員のようにして付き合っていたそうで、
       留守がちの夫に代わり事業を切り回していた黒光に、
       弟のように甘えたりもしていたそう。

       夫の愛蔵の浮気に悩む黒光を慰め励まし、それでも離婚しない
       黒光への愛情と渇望に苦しむ中から生まれたのが
       「女」の像だと言います。
       
       が、手前真ん中に見える中村彝、に実は驚いたshinkaiです。




       まん丸の赤いほっぺの少女像、同じ顔の裸婦像も
       相馬夫妻の娘の俊子だったと知ったのも驚きだったですが、
 
       彼のこの「ワシリー・エロシェンコ像」の画家が、
       ずっと昔、絵を描き始めた頃に衝撃を持って見つめたこの絵の画家が、
       いわゆる中村屋に集まる文化人のサロン「中村屋サロン」の
       常連の一人だったと言うのにも驚き!
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       こちらは劇団関係にも援助をしていたと言う相馬夫婦の、
       その集まりの際の写真。
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       中村屋サロンの幅広い交流を通し芸術家達が育っていった
       と言うのも間違いないようです。

       中村屋の3Fに美術館が開館し、
       サロンを通して交流した芸術家達の作品が見れる様子です。
       


       ちょっと話が前後しますが

       碌山が、黒光を慕い愛し、切望したのは確かだろうと思うのですが
       よく書かれている様に、黒光が夫の浮気に苦しむ姿から云々、
       と言うだけの単純な人物構図だけではなかった事も、
       黒光が普通の受身一方の女性ではなかった事も、今回読んで知りました。

       確かに夫愛蔵の浮気に黒光が苦しんだ事もあったでしょうが、
       愛蔵は大変度量の大きな人物で、実業家でもあり、
       逆に家庭内では黒光の男関係には一言もいわず、
       黒光はサロンに集まる男達を、才気と美貌でペットにした部分もあった様で、

       実際、碌山の親友であった高村光太郎などは、
       彼女を大変に嫌っていたと。

       確かに彼女の才気、事業での頑張り、成功には敬意を表しますが、
       女同士として友人になりたいかというと、ちょっと違うような・・。
       
       当時の人物についてご興味のある方、こちらに大変詳しく。       
       相馬黒光という女
    



       館の南側と、見える塔
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       そして西の裏扉。 この佇まいがとても気に入りました。
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       この脇に高村光太郎の詩を刻んだ碑があり

       荻原守衛

       単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
       坑夫、文覚、トルソ、胸像。
       人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
       新宿中村屋の店の奥に。

       巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
       彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
       荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
       単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。

       ――原始、
       ――還元、
       ――岩石への郷愁、
       ――燃える火の素朴性、

       角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
       ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
       六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
       荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。

       粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
       「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
       荻原守衛はもう一度いふ、
       「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」

       四月の夜ふけに肺がやぶけた。
       新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
       荻原守衛は血の塊を一升はいた。
       彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。

       昭和十一年 高村光太郎 作




       他にも2棟、碌山と交流のあった人物の作品の展示館が
       ありましたが、省略させて頂き、

       これは入り口に近い場所にあったグズベリー館、ショップ
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       入り口にかかる暖簾に「Love is Art」とあるのを見て、
       きゃ、と敬遠したのですが、すみません、こういう言葉は苦手でして。
       ですが、今回あれこれ読んでいて、これは碌山の言葉

       LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.
       愛は芸術なり 相剋は美なり

       から来ているのだと知りました!
       ・・言葉の独り歩きは、怖い!!




       ショップの前にあったこんなテーブル
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       こちらは倉庫だったか、校倉造りを模し、
       大変に細部の和洋折衷装飾が凝っていて、
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       なんとなしに帰国した碌山の気持ちを思いやっての設計かという様な、
        彫刻を学び生まれた自国に戻ったものの、
        当時の日本には西洋彫刻を受け入れる態勢もなく、
        時にはどんなにニューヨークやパリを懐かしんだろう、
       そんな気持ちが現れているようで、ちょっと切なくなりました。

       だって、shinkaiもそうだったんですもん、
       よ~く分ります!!


       当時の日本の芸術家達の気持ちは、皆こんなだったでしょうね。
 
        ふらんすへ行きたしと思へども
        ふらんすはあまりに遠し
        せめては新しき背廣をきて
        きままなる旅にいでてみん。
               萩原朔太郎
       
       


       う~ん、少し湿っぽくなったかな。

       最後はサイトで見つけた、美しい雪景色の美術館をどうぞ!
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       信州の松本近くまでお出かけになったら
       是非一足延ばし、碌山美術館にお出かけ下さいね!
       碌山の素晴らしい作品のみならず、
       美術館を囲む静謐な空気にも、心が和らぎます。


       碌山美術館
       住所:長野県安曇野市穂高5095-1
       TEL:0263-82-2094
       開館日:5月~10月  無休
       休館日:11月~4月、月曜日と祝祭日の翌日。12月21日~12月31日。
       開館時間:3月~10月→AM9:00~PM5:10
       11月~2月→AM9:00~PM4:10 (入館は30分前まで)

       入館料:大人=700円、高校生=300円、小・中学生=150円、団体料金あり
       アクセス:電車利用=JR大糸線穂高駅下車徒歩約7分、
       車利用=安曇野ICから約15分 駐車場あり

       公式サイトhttp://www.rokuzan.jp/


       

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ソラーノの民家、途中経過と、映画「ウッフィツィ美術館」 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       

       



by italiashiho2 | 2015-11-08 01:45 | ・日本・アジア | Comments(15)
2015年 09月 14日

   ・・・ フィレンツェの眺め ・ クーポラの上から ・・・

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       今回はフィレンツェは花の大聖堂の最後
       クーポラの上からの街の眺めをお楽しみ下さいね。
       写真が多くなりましたが、ごゆっくりどうぞ!

       朝早めに上った時は、上の様に肌寒い曇り日で、
       すぐ北に見えるサン・ロレンツォ聖堂のクーポラもこんな眺めで、




       東南にあるサンタ・クローチェ聖堂もこんな感じ。 
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       ジョットの鐘楼のてっぺん部ですが、
       はるか西の方の街は明るく陽が射しているでしょう?
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       クーポラの頂上は、こんな感じになっていて
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       飛び出し部と
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       ランテルナ・灯台中央部。 聖堂内への明り取り兼王冠部分でも
       あるわけですが、明り取りの部分が高さ8mだそう。
       そしてこの部分に下からも見えるステンド・グラスがあり、 
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       こんな風に外から見えます。
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       このランテルナ部分の内側に、ちょっと仕掛けがあるのを      
       今回知りましたので、後ほど。

       フィレンツェのご案内全般は
       http://italiashio.exblog.jp/i27



       上がった時は曇っていたのが、上に暫くいる内に
       太陽が顔を出し!
       
       そう、そうなるとまるで街の見えようが違うのです。
       最初のメディチ家礼拝堂の丸屋根もこんなにくっきりと
       手前側にサン・ロレンツォ聖堂の正面そして回廊部も見えます。
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       東側、太陽光線で街が、家々が起き上がったみたいでしょう?!
       右側真っ直ぐ通る道がヴィア・デイ・セルヴィ・Via dei Servi
       左に延びるのがヴィア・リカソーリ・Via Ricasoliで、
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       ヴィア・リカソーリの奥に見えるのが、サン・マルコ教会
       美しく静謐なフラ・アンジェリコの壁画がありますが、
       15世紀のフィレンツェの街に一大宗教改革を起こし、最後は
       シニョリーア広場で火刑にされたサヴォナローラがいた教会でもあり・・。
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       この通りの斜め向かい辺りに、ミケランジェロの作品で有名な
       アッカデミア美術館があったはず。




       ドゥオーモのすぐ足元。 大きな建物も見えますが、
       小さな家々の並びが陽の射しこみで、なんともくっきりと面白く、
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       街を取り囲む北側の山々、雲が湧き、流れます
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       聖堂の正面側と鐘楼。 
       修復中で覆われた洗礼堂の天辺だけが飛び出して見えます。
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       鐘楼にも今しっかり陽が当り
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       鐘楼の足元
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       そして、南側の家並み
       なんとまぁ、思い思いに自由な出っ張りのある屋根、屋根で、
       中世の名残の小さな塔の家がたくさん見えるのも楽しい!
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       ルネッサンスの都に、中世を探して その1と2




       そんな屋根の上で、お仕事中
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       南西に見える共和国広場・Piazza della Repubblica.
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       街に落ちるクーポラの影
       白いクレーンが見えますが、鐘楼の壁の修理でした。
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       西に見える大きなサンタ・マリーア・ノベッラ聖堂・S.M.Novella
       と、右にちょっぴり見えるフィレンツェの中央駅
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       南の、ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchioと塔、そしてロッジャ
       狭い奥にウフィッツィ美術館もちょっぴり見え、
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       ヴェッキオ宮のご案内




       南の奥に大きく広がるピッティ宮・Palazzo Pitti.
       背後に大きな公園もあるのですが、まだ見た事なしで、
       そして写真左下に見える通りが、ヴェッキオ橋の上。
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       ほらね、橋の中央の開いた所に陽が射し込んでいます。
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       橋の真ん中辺りから、確かにクーポラの頂上部が見えるのを
       確かめていますから間違いありません。
       手前の大きな高い建物は、オルサンミケーレ教会・Orsanmichele.

       オルサンミケーレ教会、というには教会らしからぬ建物ですが、
       周囲には著名な彫像類、内部にも素晴らしい祭壇がありますので、
       またご案内いたしますね。

       ヴェッキオ橋のご案内



       そんなこんなで1時間半ほども上で粘って楽しみ
       クーポラを下ります。

       道中略で、はい、クーポラ内側の壁画が見える位置に。
       全体が見える写真はウィキぺーディアから拝借したもので、
       この壁画に取り掛かったのは、クーポラが閉じられランテルナも出来、
       頂上の球と十字架も据えられた1461年から100年以上経った1572年
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       当初は偉大なクーポラには素晴らしい内部装飾を、という事で
       モザイク画が検討されたのだそう。
       ですがクーポラ自体の重みが25000トンもあり!
       モザイク画となるとそれに大変な重さが加わる事、
       経費も莫大になる事、そして既にモザイク画装飾が主流を過ぎていた事
       などなどで、フレスコ画装飾となり、
   
       ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511-1574)に仕事が
       依頼され開始されたものの、その2年後にヴァザーリは亡くなり、
       後継はフェデリコ・ズッカリ・Federico Zuccari(1539-1609)に。
       
       ズッカリは殆ど助手も使わず5年ほどの短い期間で、
       世界で最大の面積の一つとなるクーポラ内部、マニエリズモ絵画の
       代表作の一つでもある作品を1579年に仕上げます。

       ウィキのイタリア版説明にズッカリはテンペラで仕上げたとあり、
       これがちょっと気になりますので、アンテナを立て調べて見るつもりです。

       ズッカリの長兄のタッデオ・Taddeoも歴史に名の残る画家で、
       彼が手がけた一連のフレスコ画は、カプラローラのファルネーゼ邸にも




       この壁画のテーマは「最後の審判」で、
       正面に審判を行うキリストがいて、絵の中で彼の周囲を取り巻く
       人々は、良き行いにより永遠の生を授けられた人々で、
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       その下一周部には、地獄に落とされ苦しむ人々の姿が描かれ
       そう、通廊を歩く我らのすぐ頭の上に、めちゃめちゃ悪魔達に
       やられる人々の姿、それも巨大に描かれた苦しむ人々の姿!! 
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       所々に見える穴は、壁画を描く為の足場の梁を通す穴で、
       後々の修理の為にもそのままにされている物で、
       両方から小鬼やら天使が支える姿を描きこんでいて、
       どこかユーモラスというか、芸が細かいというか、ははは。



       こんな三つ頭の怪物も、骸骨もすぐ傍に!
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       ちょうど悪魔の股間にいるような構図も一枚あったのですが、
       良質美的を目的とする我がブログには相応しくないので、ひひひ、
       泣く泣く省略を。
   
       透明プラスティックの板が通路を囲んでいて、
       先回肩位の高さと書きましたが、こうして再度写真を見ながら考えると、
       どうも軽く頭を越す高さまでだったっけ、と思い出しました。
       そうですよね、真下の内陣部分に上からひょっこり覗いたりするのが
       いては、失敬ですよね。




       こちらが上のランテルナ部分を見上げた所
       上で見た、羊と十字架の付いた杖、洗礼者ヨハネのシンボル、が
       左に見えます。
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       所でランテルナの内側に、こんな青銅の穴の開いたのが付いていて
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       この説明図のように、穴を通った光が内陣の定められた位置に
       届くのだそう!
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       6月の6,13,21,25日の12時半から13時半
       内陣部分左にあるクローチェ礼拝堂内
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       この小穴の名はニョモーネ・gnomone・日時計の指示針と
       いうのだそうで、90mの高さから届く世界で一番大きな物で、
       フィレンツェ人の数学者トスカネッリ・Toscanelli氏が
       1475年に付けた物なんだそう。

       当日は無料で、カノーニチの扉・Porta dei Canonici から
       入場できるそうですが、予約した方が良いそうです。
       Telは055-2302885、ご興味のある方どうぞ!




       ロジェッタ・通廊部分にある丸窓のステンドグラス
       キリスト誕生と、十字架降下。
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       さてまた下りますと、クーポラの建設に使ったという工具類
       当時の物のままと、その後の修復に当って再現した、
       という道具類が展示されていましたが、大変暗い場所でして・・。
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       という事で降りて参りました聖堂内部
       片道463段の往復分を頑張ったわけです!
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       上り口は北側でしたが、降りて来て出るのは聖堂参観の
       人々と同じ南側の出口で、

       考えて見ますと、上り下りの道で逆行きの人には
       出会っておりませんので、内と外の壁の中の道は少なくとも
       2方向から続いている訳ですね。
       ちょうどオルヴィエートのサン・パトリーツィオの井戸の様に、
       上り下りが別々の螺旋状の道みたいなものかな、と考えつつ、

       ブルネレッスキは凄かったんだねぇ!と改めて感嘆、
       偉大な物を残してくれたルネッサンス人に感謝!!




       最後は、出口から近いバールに座り、ご苦労様のジェラートを!
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       こちらにお尻を向けて彼女を撮っているカップル、
       どうやら中国人らしく、可笑しく厚かましい事をあれこれ
       見せてくれ、暫し楽しませて頂きましたっけ、ははは。
       

       3度にわたる「フィレンツェの花の大聖堂」にお付き合い頂き
       有難うございました!!
       楽しんでいただけましたように!

       


     ◆ お知らせ ◆

       10月10日から18日の、諏訪のギャッリー橋田さんでの
       個展が迫りました。

       DMが出来上がりましたら、またご案内させて頂きますが、
       ご住所をお知らせいただけると、画廊にお知らせし、
       直接ご案内状をお送りできると思います。

       新しくご希望の方は、ご住所とお名前を
       コメント欄の「管理者にのみ閲覧」にチェックを入れ
       お知らせ下さいませ。

       頂いたご住所、お名前は他には出しませんので、
       宜しくお願いいたします。 



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       水彩ブログには、 描き始めの、ソラーノの古い民家 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    

 

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       いつもブログご訪問、有難うございます!     


       



by italiashiho2 | 2015-09-14 00:54 | ・フィレンツェ | Comments(2)