イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2017年 05月 19日

   ・・・ メラーノ行きで食べた旨いものと、 美味しくなかったもの ・・・

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       今週の月曜と火曜に1泊グループ旅行で、南ティロルのメラーノ・Merano と
       その手前にあるラーナ・ディ・ソット・Lana di Sotto
       メラーノから西への谷を辿り、カステッロ・コイラ・Castello Coira
       「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれているグロレンツァ・Glorenza 
       などを訪ねてきました。

       大変な好天に恵まれ、暑いほどの2日間で、
       初めてのメラーノの街も美しく、13世紀からの古い城も大変興味深く、
       最後の半日を過ごしたメラーノの街近郊の「シシーの庭園」にも満足!

       ですがこの一帯は「イタリア国」ではあるものの、ドイツ語とのバイリンガルで、
       それもバイリンガルとはいうものの圧倒的にドイツ語圏、
       オーストリア文化の元にある事を強く感じた2日間でした。

       大急ぎで、恒例の旨いもの編のみ纏めましたので見てやって下さいね。
       がタイトル通り、ええ、美味しくなかった物もあったのですぅ!

       
       上はメラーノに到着しバスを降り、お昼を食べるべく中心街に向かい
       橋を渡る手前から見た様子。

       今まで見てきた山々よりも高く、雪を頂いたのが背後に迫り、・・おお!!





       地図をどうぞ
       コネリアーノを朝6時に出発し、細い谷の隙間を抜けながらトレント・Trentoまで。
       ここから高速に乗りボルツァーノ・Bolzanoを経て、
       途中でラーナ・Lanaで古い教会の、中央ヨーロッパでは木製祭壇の一番大きいという、
       高さ14m以上、というのを見て、メラーノに。
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       午後に出かけたメラーノから西への地図は次の機会にご覧頂きますね。

       冬、クリスマス前に通った時の道の様子は





       橋を渡ってまっすぐ行った辺りが旧市街になりますが、
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       我らは橋を渡った岸辺の道を右に折れ、 この写真は西向き、
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       ここは長い散歩道になっており、傍らには店が並びますが、
       並木道の下はこんな風に花壇となっていて、様々な花が咲き乱れ、
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       次にバールやレストランなどのテントが並び
       左にちょっと切れていますが、我らはここのブルーノ・Brunoという店に。
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       こちらのグループ旅行では、朝食と夕食はホテルで代金込み、
       昼食は各自が好きな仲間と好きな所で、という放し飼いで、ははは、

       この日もいつもの仲間と一緒で、ジュリアーナとロレダーナは、
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       パスタ・ペンネのルーコラのソース、店のお手製なんですと。
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       ジェノヴェーゼのソースはバジリコで、見た目は似ていてもやはり味が違い、
       こちらの方がちょっとピリッとした感じとでも・・。
       はぁ、味見させてもらいました。





       ジュリアーナ・ミランと、レオナルダ、そしてエレオノーラは、
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       クヌーデル・パンをふやかしたものの中に肉などを混ぜて丸め、
       これは焼いたのかな、にバターがかかっているもの、美味しかったそう。
       これは北の国の料理ですから、やはり本場ものというのかも。
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       それにエレオノーラはポテトの唐揚げを頼み、ロレダーナとshinkaiも一皿を。
       結局とても平らげられずに、皆に助けてもらい・・、ポテトはいつも美味しい!
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       shinkaiは、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ
       オリーヴ油がものすごくたっぷりで、パスタの量もドイツ的に多かったぁ! 
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       ストゥルーデルに生クリームをのせたのをデザートに、何人かが頼み、
       これも大きなスゥルーデルで、味見させて貰い、美味しかった!
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       アイスクリームとイチゴ、生クリーム。 これはエレオノーラとレオナルダだったかな。
       皆、量が多い!と言いつつ、ちゃんと綺麗に平らげ、ははは。
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       ウェイターのお兄ちゃん、イタリア人が3人か働いていて、それにシニョーラ。
       お勘定を一人ひとり払い、カメラを向けたらニヤッと笑ってくれ。
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       あっちこっちにピーシングしているのが見えますか?
       スカーフを巻く様なお天気ではなかったので、shinkaiの推察では、
       首のあたりにちょっと凄い刺青があるのではないかな、と、へへへ。

       ここでの支払いは、shinkaiがビールの中と、スパゲッティ・アーリオ・オーリオと
       ポテトの唐揚げ、そしてオルゾとで18エウロ位だったと。

       次回またオーストリアとかドイツ圏に行くチャンスがあったら、
       やはり迷わずに店名がイタリア名になっている所に行こうと、
       今回学んだ事の一つで~す。(夕食の部分をお読みになると分かりますです)





       午後は2か所、それもバスで1時間ほどの所を見学し、
       宿に戻ったのが8時前で、即、手だけ洗って夕食。

       陽が長いので、食堂の窓から見える高山の頭だけ、まだ陽が当たり・・
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       これは翌朝に撮ったホテルの写真で、創業が120年とか言ったかな、
       ですから建て直ししたのでしょう、内部も部屋も綺麗で新しかったです。
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       メラーノはホテルが満杯で団体は無理で、メラーノから西に30分弱の
       ナトゥールノ・Naturnoという小さな町でした。
       町の名はイタリア語ですが、朝食前に散歩がてらカメラをもって歩きましたら、
       出会う人や通学の子供たちが掛けてくれる挨拶が皆ドイツ語!で・・。





       で、ここの夕食が、上のタイトル通り、美味しくなかったのですよねぇ!!ははは。

       肉食人達に出たのは、まずラザーニャ
       前に座っていたジャンナに「美味しい?」と聞くと、「マ、・・インソンマ・まぁね」
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       そして、肉の焼いたのと、ジャガイモとトマトのグリル
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       これは何の肉? 豚肉だろうね、という言葉があちこちで交わされ、ははは、
       2切れ全部食べた人はわずかで、量は多いけれども美味しくなかったのでしょう。





       そしてベジェタリアンには、ペンネのトマト・ソース
       このトマト・ソースが全く、缶詰を開けてそのまま上からかけたのか、というお味でして、
       缶詰トマトが悪いというのでなく、ちっとも手をかけていない感じの味なんすよぉ。
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       そしてそして、大きなお皿に茹で野菜と、チーズ
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       この茹で野菜がです、まったくお湯の中に放り込んだだけ、みたいに、
       味もそっけもない味でして、はぁ。

       どうやったら美味しく食べれられるか、という事を一つも考えていない味ね、
       と言ったら、ジュリアーナが、まったく!と同意を。

       オリーヴ・オイルをかけ、塩胡椒して半分ほど食べましたが、う~~ん、もう!
       本当の生野菜を茹でたのなら、も少し野菜本来の味もあるでしょうにねぇ。


       そして一番皆が驚いたのは、飲み物、単にビールやワインだけでなく、
       水までも注文することで、

       水1Lが4,4エウロ、shinkaiが頼んだビールの小は4エウロでしたぁ!

       今までイタリア圏で、・・はい、ここもイタリアではあるのですが、
       グループ旅行ではワインは頼まずとも最初からテーブルに、カラフか壜で白、赤共に出ており、
       不足だと黙っていても追加してくれ、水代も勿論払った事なし!

       そういえばと思いだしたインスブルックの宿は、水は出ていましたが、
       ワインは注文でしたっけ。

       イタリアが良い!!とshinkaiが言うと、皆が笑いながら同意したのは勿論でしたねぇ、ははは。





       デザートはパンナコッタ、の小さいやつ、ははは。
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       これで部屋が狭かったり古かったりだと、もひとつ文句が出たでしょうが、
       有難い事に部屋は広く綺麗で、ベッドも大きく、
       毛布ではなく、インスブルックのホテルの様に、夏蒲団ほどの厚さのダウン1枚。
       そして、ヴィデが無かった!       
       やはり文化圏の違いを感じましたです。

       インスブルックのホテルの食事、部屋事情など





       翌朝6時に目覚ましで目が覚め、ベランダから見ると、
       ちょうど朝日が山に射している所で、月も
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       顔を洗い、朝食前にカメラをもって散歩がてらに出かけます。

       我らのホテルの斜め前に、こんな古いタイプのホテルがあり、
       こんなだと、泊まってみるのも興味深いでしょうに・・。
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       1時間近く近所を歩きましたが、普通の田舎町とはいえ、
       やはりいつもとは古さの感じ、町並みの様子も違い興味深かったので、
       また次回にでもご案内いたしますね。

       宿に戻ってくると、もう朝食の時間が始まっていて、各自てんでに。
       で、shinkaiのはこれ
       たくさんハムやソーセージ類が並んでおりましたが・・。
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       9時出発で、少し早めにバスに乗り込み、あれこれ喋っている時に、
       2席前のレオナルダが振り返った顔を見て大笑い!!
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       きゃはは、6つ目だぁ!というと、前の席のエレオノーラが、オット!・8つ!と訂正。
       なぜかというと、彼女はコンタクトをはめているんですと、ははは。

       今回は参加者がいつもよりも少なめで38人だったそうで、
       お陰でとてもゆっくり感があり、いつもこうだと良いね、と、ははは。

       38名だと、バスはゆっくりですが、それでも見学するには多く、
       最高35名くらい、出来たら20名だとね、と後ろの席で言いたい放題!





       メラーノの街に到着、3時間以上をガイドさんと共に周り、

       その後バスで郊外の「シシーの庭園」、オーストリア帝国の最後の皇帝妃
       エリザベス(シシー)のお気に入りだった、7か月間ほども住んでいた城もある、
       庭園に到着、午後の5時まで解散。
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       道を挟んでこちら側に入口、駐車場があり、
       ここから高架橋を渡り、大庭園に。





       レストランと、バール・スナックがあり、我らはちょうど中央に見える白い屋根の
       バール・スナックでお昼を。
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       ブルスケッタを何人か。 トマトにバルサミコ酢がかかっているとジュリアーナが。
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       ジュリアーナ・ミランは、アスパラとスペックのニョッキ
       隣に座っていたshinkaiにスペックの匂いが届くほどで、美味しかったと!
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       shinkaiは、モッツァレッラのカプレーゼとビールの小を。
       暑い日には、こんなのが美味しい!
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       何人かが頼んだジェラートと果物の盛り合わせ
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       この後山肌に沿って広がる大庭園を、上まで上ったり下ったり歩き回り
       しっかり大晴天と種々数々の花の盛りを、香りを楽しみ、
       まだ明るい8時半前に我が町コネリアーノに戻ってきたのでした。





       いやぁ、メラーノのあの抜けるような青空の下
       木陰のテントの下で食べたお昼は、きっと、ずっと忘れないでしょうね!
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、マントヴァ 描き始めと、 メラーノ・南ティロルへの道 その1 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-05-19 23:31 | ・旨いもの!Buono! | Comments(4)
2017年 05月 14日

   ・・・ ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 ・・・

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       先週水曜午後にヴェネツィア・メストレに出かける用があり、
       天気予報を見ると朝は曇り、午後から晴れると。
       用が済んだら即家に戻りたい、朝8時前だとまだ駅裏の駐車場が空いている、
       などなど条件をあれこれ考えつつ、
       なにかヴェネツィアで展覧会の良いのがあったら出かけよう!

       と考え見たサイトはこちらで、  http://www.veneziatoday.it/eventi/
       されているというのです!!

       ならば少し曇り空でも朝一番に出かけ、10時からの開館で上って見て、
       ついでにサン・マルコ広場の様子も見て、とたちまち計画完了。

       翌朝は7時半の電車に乗り、8時半にはすでにヴェネツィア歩き開始で、
       ちょうど9時55分にコンタリーニ・デル・ボーヴォロの前に。


       そうです、コンタリーニ邸の名前はご存じなくとも、上の写真をご覧になると
       ああ、あれ、とご存知の方はたくさんおられると思いますが、はい、あれ。





       コンタリーニ・デル・ボーヴォロ邸はどこにあるか、地図をどうぞ
       リアルト橋から西に、運河で切れる手前の小路を南に入っていくと、
       カンポ・マニン・Campo Maninの広場に出ますから、
       広場の南側真ん中あたりの小路を入っていき、突き当りを左に、
       そして案内が見える小路を右に。 分かりやすいと思います。
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       地図には、リアルト橋南、元のドイツ商館の上階のテラスから見晴らしも出来る場所と、
       今回のコンタリーニ・デル・ボーヴォロの場所、
       そしてサン・マルコ聖堂の位置と、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂にも印を。

       コンタリーニ・デル・ボーヴォロからサン・マルコ聖堂の位置は、
       正面側を北西から見る、というのにご留意を。





       こちらがカンポ・マニンで、私の居る位置の左に、南に入る小路があり、
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       もう一つの小路を入り込んできた所が、ここ。
       右側に邸宅があり、左に建物の各階を連絡するエレガントならせん階段があり、
       コンタリーニ・デル・ボーヴォロのボーヴォロ・bovoloはカタツムリ、らせんの意。
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       以前来た時は無かった看板が出ており、
         ヴェネツィアの隠れた宝石 コンタリーニ・デル・ボーヴォロの階段
         開館は、毎日10時から13時30分  14時から18時
         入場料は私めシニアで、確か6エウロだったと。
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       暫く前に修復が済んでいたのが、漸くに今年の1月末から公開されているそうで、
       現在サイトには、今年2017年12月31日まで公開、との事。





       柵が開かれ、入り口に。 切符売り場は右に入った所の事務所に。
       この日はshinkaiがトップで、ははは。 
       同じ時間帯には10名足らずで、写真には珍しく!誰も写っていませんです。
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       さて、勇んで階段を上り始め!
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       くるくると回りながら上ります
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       天井部は、上の階段の裏側という訳で、こんな様子。
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       3階辺りで見えた、サン・マルコの鐘楼!  おお、見えたぁ!!
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       階は5階までで、4階から見上げる天井部は丸く木組みが見え、
       真ん中に1874.REST. この年に修復された、という意味かな?
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       はい、この木組は1874年のものだそうなので、その前は無かったのかも・・。
       

       コンタリーニ家・Contarini家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも古く著名な家柄で、
       最初の記録に残る家系の最初は853年と言い、
       千年を超す歴史の中、全部で120代のヴェネツィアのドージェに8名が選出されており、

       様々な分枝がある中で、ここのコンタリーニ家は少なくとも13世紀に名の出てくる
       サン・パテルニアン・San Paternianの家系だそうで、
       
       15世紀の末、ピエトロ・コンタリーニがこの14~15世紀からあった住居に、
       この特徴的な外階段とロッジャを付けたことにより、

       コンタリーニ・デル・ボーヴォロ・カタツムリのコンタリーニ、という呼び名が付いたのだそう!





       4階から5階には、この狭い直線階段を上り、
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       現在のこの階段は19世紀に、という事は4階の、展望台の下の木組みと
       同時の改装だったのかも。





       表側の細い開けた通路を通り
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       先っちょの開けた展望台部分に!
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       サン・マルコの鐘楼も、このように!
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       展望台の真ん中に展示のもの、パッと見に、ドージェ・ヴェネツィア総督 の帽子?
       と思って近寄りましたら、
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       なんと、絵付けされた便器でありましたぁ! ははは。
       ちょうど今、3階の本館の方で、何とか言う方の、ははは、コラージュと絵の展示会があり、
       どうやらその人の作品らしいと見当をつけましたが、・・こういうのもアート?!
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       さて、展望台からの眺めを!
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       と言いつつ、これは通路からですが、下の広場と内庭、入り口辺り
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       近くの古い家並、屋根の色も壁も趣あるのが見え
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       手前の屋根上に3つの明り取りのある教会は、サン・サルヴァトール・San Salvator.
       その右奥にちょっと正面と丸いドゥオモが見えるのが、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ
       一番右端、中華鍋で少し隠れているのが、サンタ・マリーア・フォルモーザの鐘楼。
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       お天気が良いと、こちらからは奥にヴェネト平野の奥から
       フリウリに広がる高山の山並みも見えると。




       今改めて比べてみると、サン・マルコの鐘楼、聖堂なども建物の屋根越しに見える高さは
       ほぼ同じ様子ですが、
       こちらは大運河の眺めが見えない代わりに、サン・マルコにぐんと近くなり、

       聖堂、鐘楼の眺めがこんな様子
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       鐘楼を、グングングンとアップしますと
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       ほらね、展望台に上っている人々も
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       塔の頂上、百合の花を持つ大天使ガブリエレも
       この像は風見になっていて、クルクルと回ります。       
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       漸くに、少し薄日が射してきて、

       聖堂の正面、入口の一番上のサン・マルコ像、その下のライオンも見え、
       左には、時計塔の上のムーア人2人も!
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       そして、鐘楼の右横には(左横にも)、ドゥカーレ宮の壁まで見え! 
       南側の壁真ん中の、裁きの女神像も!! 
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       パラッツォ・ドゥカーレ宮のご案内 1~4
       http://italiashio.exblog.jp/14795419/  





       少し離れて、写真の中では右に、
       サン・マルコの運河越しの、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼の上も!
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       展望台にも陽が射し、お日様に当たると本当に暖かく!
       でも雲が多く、またすぐ隠れたりで・・。
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       南には、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の大クーポラ!
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       西には、サント・ステーファノ教会の傾いた鐘楼!
       う~ん、だいぶ傾いていますねぇ・・。
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       鐘楼が傾くのは何も「ピサの斜塔」のみではありませんで、
       この近くではブラーノ島の教会鐘楼もかなり傾いていますし、
       ・・我が隣村のオリアーノの鐘楼も少しね。

       こちらにサント・ステーファノ教会、鐘楼について
       




       ああ、もうちょっと早く陽が射してくれたら良かったのになぁ、と思いつつ下り、
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       ヴェネツィア共和国の旗を出しているお家の窓を眺め、
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       3階まで下ったところで、奥の本館側の扉が開いており、覗くと、
       展示会場になっていて、 展示は見たものの、はぁ、私のタイプではありませんで、ははは、

       これは壁にあった古いフレスコ画
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       細長い部屋の奥の壁、これはドゥカーレ宮のマッジョール・コンシーリオ大広間にある
       ティントレット作の大壁画「天国」 世界一大きな油彩壁画22mx7,5m 1558~1592年
       の、下絵なんだそう。
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       下の写真は少し明るめにしましたが、とにかく彼の絵は余りにも暗くて、ゴテゴテで、
       いくら素晴らしい絵であると聞いても読んでも、注意して見た事がありませんで・・、失礼をば。





       ここで漸くに、階段の塔と、こちら本館とを繋ぐ構造にも目が行き、はは、
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       ちょうど説明文の掲示もあったのを写して置き、読みましたら、

       階段構造の真ん中を一直線に通る石は、イーストゥリア・Istria、スロヴェニアの石で、
       26mの1本の石なんだそうで、
       これに階段の踏み石というのか、階段がはめ込まれ、鉛で固定されているのだそう。
       へへ、周囲の景色にのみ気が取られ、所々で、うん、鋲で留めている、とは思ったのですが・・。

       4階部分で天井の木組みの写真の右側に見えるのが、円柱の一番上部で、
       ここでは飾りが施され、細くなっておりました。





       そしてここにのみ残っていたフレスコ画なのですが、
       どうやら最初は階段内部にも外側にも、全部フレスコ画の装飾があったと!
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       だとすると、それは大変に人目を惹いたでしょうし、評判をとり、
       庶民の話のタネにもなり、即、あのカタツムリ階段のコンタリーニ、となったのでしょう!





       という事で、前庭に置かれている井桁のコレクションと、
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       私の好きな細かい柄の井桁と、あの入り口の細い小路の女性を撮った写真を
       どこかに載せたはず、とあれこれ探し回り、ははは、やっと見つけました。
       お暇な方、どうぞ!





       こちらが階段部分の一番下、1階部分
       階段の中心の円柱は、下の白い石の上から始まっているのが見えます。
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       という事で、ヴェネツィアの新名所、
       コンタリーニ・デル・ボーヴォロのカタツムリ階段のご案内でした
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       開館は今年1年間という事ですので、
       今年ヴェネツィアにお出かけの方、高上りがお好きの方、はは、是非どうぞ!

       リアルト橋横の元ドイツ商館のテラスは無料ですが、
       こちらはも少し近くからサン・マルコ聖堂や、デッラ・サルーテが見えますで~す。

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今回はパスさせてやって下さ~い。
          新しいのを描き出しているのですが、やっとペンでの下描きが済んだ所でして・・。
          次回には見て頂けるよう、頑張りま~~す!
          




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-05-14 22:51 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(4)
2017年 05月 04日

   ・・・ トゥレヴィーゾ行き ・ 日本展と、パラッツォ・デイ・トゥレチェント ・・・

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       5月1日メーデーの日、日本のゴールデン・ウィークに比べるとささやかですが、
       ははは、こちらは30日日曜に続いての連休となり、
       仲間とトゥレヴィーゾに出かけてきました。

       トゥレヴィーゾには3月に印象派絵画展を見に出かけたばかりですが、
       「花咲く日本展」というのが開かれていて、浮世絵が見れるらしいから行こう、
       という仲間のお誘いで。

       浮世絵もかなりの数の展示で、着物や帯、履物の展示もあり、
       その都度の仲間の質問に答える形で、皆満足の展覧会見学で、
       shinkaiも一応の責任を果たせて、ほっと。

       がそれよりも今回は、展覧会の後偶然に開いているのを初めてみた、はい、本当に!
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリにあるパラッツォ・デイ・トゥレチェントの扉、
       そして内部も初めて見ることが出来ましたので、その様子をご案内いたしますね。

       
       上は、中心街の細い小路を彩る三色旗





       先回のトゥレヴィーゾ行きは曇り空で残念だったのですが、

       今回は駅前から少し行って出会うシーレ河・Sile
        -先日はオアジ・チェルヴァーラで見て頂いたシーレ河が街中を流れます、
       にも綺麗に映りこむ風景。
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       朝まだ9時頃の到着でしたので、朝日が斜めに射し込み
       人通りが殆どない道を中心に向かい、
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       途中の広場で出会う銅像のこの方は、マリーオ・デル・モナコ・Mario del Monaco.
       (1519-1982) 「アイーダ」のラダメスの衣装でしょう。
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       若い方はともかく、オペラ好きな方ならご存知ですよね?!
       輝かしく重くドラマチックな素晴らしい声量の持ち主で、容姿も素晴らしく
       戦後のイタリア50年代60年代を代表するテノール歌手でした。

       彼は晩年をトゥレヴィーゾの北、ヴィッロルバ・Villorbaの彼の別荘で過ごしており、
       亡くなったのはメストレですので、その関係で彼の像がここに、と。

       生まれはガエータとか、フィレンツェとかいろいろ説があるのですが、
       ヴィッロルバというのもあり、晩年住んでいた事から考えると、
       両親がここの生まれで、住んでおられたのではないかと・・。

       第3回目のイタリア・オペラ日本公演1961年で来日し、
       その時に聞いた「道化師」の彼の声は素晴らしく、驚き、
       またプッチーニの「西部の娘」などshinkaiにとってはまさにオペラの洗礼でしたし、
       ・・「西部の娘」は後に見て、別の感想を持ちましたが、
       まぁ、当時は純真な高校生でして、ははは。
        
       こちらに来て後、サン・レモ音楽祭で彼が歌った「こんなにも大きな愛・Un amore così grande
       もTVで見て感激したことをよく覚えております。

       Youtubeで見つけましたので、どうぞ





       街の中心、印象派絵画展を見たサンタ・カテリーナ博物館へ行くよりも
       少し手前で左に曲がり
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       斜めに入り込むと、右手の奥に見えるのが今回の展覧会場
       カ・デイ・カッラレージ・Ca' dei Carraresi.
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       カ・デイ・カッラレージというのは、カッラーラ家の家という意味で、
       パドヴァの領主であったカッラーラ家がトゥレヴィーゾを領有した1384~88年代にも
       関係しているのでしょうが、

       博物館のサイトによると、それ以前の1354年当時の記録によると、
       ここは街中でもかなり有名なオステリーア・アッラ・クローチェ・Osteria alla Croce
       という食堂、宿であったそうで、

       北からの旅人や商人、ドイツやオーストリア、そしてフリウリを通ってハンガリアからの
       旅人がここで食べ休みしていたのだそうで、
       初代からの持ち主が変わって後の1396年まで大変繁盛していたのだそう。

       カッラーラ家の紋章、4つの輪が繋がった荷車を上から見た様子、は
       正面の壁にあったのが、上から塗られて消された形になっていたそうですが、
       内部に残るフレスコ画には、いくらか面影をしのべるものがあるそうで、

       という事で、ここは一時カッラーラ家の私的な住居でもあった様子。





       隣の、今はカフェになっている建物、これは元々教会ではなかったと言う様な・・。
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       これは美術館北側の運河沿いの眺め。 
       右に切れて見えるポスターは今ちょうどフランシス・ベーコン展もしており、     
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       この日は5月1日の祭日、月曜にあたり、月曜休館か特別開館か、
       はたまた9時開館か、それとも10時か、
       どのサイトを見ても皆好き勝手なことを書いており、イタリア式、はい、
       電話をして開館は確実、と確かめて出かけたのでしたが、

       9時頃に到着したものの、やはり10時開館で、
       運河沿いのカフェで時間を稼ぐ間に、
       お天気が良く、新緑が見事だったので、shinkaiはちょっと近所を。

       すぐそばの水車はゆっくりと回っており
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       運河にしだれる柳の新緑、朝の陽に浮き出る橋
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       という事で展覧会はゆっくりしっかり楽しみまして、

       北斎の「波越しの富士」は再び、「下界は雨、稲妻光る富士」は今回初めて、
       先回もいくつか見た広重の東海道の宿場の何枚か、
       
       ですが、今回の出品作の方が格段に作品の保存が良く、
       浮世絵の摺師の手腕も良く分かり、感嘆しましたし、

       日本語が何とか読めるshinkaiは、ははは、描き込んである場所や名所の説明も出来、
       仲間たちも大いに楽しんだ様子で良かったです。


       
       という事で、どこかで軽いお昼にしよう前に行ったあそこは?という事で、

       古い建物の見える細い小路を抜け
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       パラッツォ・デイ・トゥレチェントの北側に出てきて、       
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       手前の家並の並びを入った所の小さなオステリーアで、あれこれお任せのパニーノを
       お昼の様子は、絵のブログの方に。





       さて、このパラッツォ・デイ・トゥレチェント・13世紀の館ですが、
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリに位置し、右に見えるのがそれで、
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       これが東側からの眺めと、上の広間への階段
       ご覧の様に、壁に筋が見え、煉瓦の色も違う事にご留意を。
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       お昼を済ませ、どこかでカフェを、と裏側の広場に出てきましたら、
       階段上の扉が開いているのが見え
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       あっ、あ、開いているよ! というと、行っておいで、とエレオノーラが言うので、
       まだ出てこない仲間を残し先に階段を上りまして、ははは、
       まぁ、後からは仲間が全部上ってきましたが・・。

       何せ、来伊以来26年めにして、初めて扉が開いているのを見たのです!!
       こんなチャンスを逃す手はありませんよね?! もちろん!





       入口から見た様子
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       正面部。  ここは市議会場でもありますので、北側半分がその会場に、
       そしてこの部分にフレスコ画がしっかり残っております。
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       こちらが東側、階段からの入り口
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       中央には、大きな書見台
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       ちょうど南半分の真ん中で、こんな作品の展覧会が開催中で
       5月1日の祭日だったので、ここも開いていたという事で、幸運でした!
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       壁にこのようなパネルが3枚あり、このパラッツォの歴史変遷を説明しておりましたが、
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       肝心の真ん中の写真が、なんとPCの不手際で開けなくなり・・! くそめぇ。
       まぁ、資料は他にも見つけましたので、何とか大丈夫。





       最初の東側からの写真で見えた、建物の傷の線ですが、

       こちらがウィキから拝借の、1944年4月7日の爆撃でやられたパラッツォの様子
       はい、ちょうど屋根からズドンとやられたそう。
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       ここは12世紀の終わりに建設され初め、様々な組織の集会所であり、
       近くに監獄も備えたのが完成したのが1268年。

       市民の政治行政の中心であったこの建物の周囲にはたくさんの店も集まり、
       1546年には建物の下、ロッジャの部分だけでも44軒の店があり、
       これらは5年毎に市から賃貸の形で、どんどん増えていったのだそう。

       確かにトゥレヴィーゾの街は12~13世紀に大変な繁栄を遂げたのだそうで、
       13世紀にはグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ(皇帝派)の争いもあり、
       近隣領主エッツェリーニ、コッラルト、ダ・カミーノ、スカリージェリ、の領有もありましたが、

       1339年に自らヴェネツィア共和国の元に下り
       その後一時的にオーストリア、そしてダ・カッラーラの下にあったものの、
      
       1388年以降は1797年まで400年間の平和と繁栄を享受、という街。

       現在も地元経済が大変に元気なのを感じる街の空気です。


       
       で、このパラッツォは16世紀半ばに改装された様子ですが、
       19世紀から20世紀にかけ大きな改修が行われ、

       現在見る東側の大階段も、最初は建物西にあったのが東に移され、
       それも両側から連絡していたのが北側からだけに減らされ、
       建物の西側に残っていた急傾斜の階段も取り外され、
       今見る形に近い形だったそう。

       で爆撃の後、全部を建て直さなければいけないかと心配されたのが、
       なんとか修復できるという見極めで、修復不全の壁は取り壊し、
       幸運にも以前の古い北側部分が残っているのだそう。

       ただ現在見る南と北面の尖がった形は、この時に決められたもので、
       周囲のレース飾り、煉瓦の小さな一連の尖がりも、この時のものと。





       という事で、フレスコ画の様子をどうぞ

       ぐるっと周囲を囲む紋章と、その下の名、年は、14~15世紀にかけての
       ポデスタ・執政長官の名と家紋で、
       一番上の部分にも、様々な物語の主題が描かれているのが見えます。
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       北正面のフレスコ画装飾、まず左脇から
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       正面左
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       正面中央、聖母子の脇にいるのは、左にサン・ピエトロ、
       右の旗を持ったのがサン・リベラーレと。
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       聖母の顔が、ねぇ、残念・・。





       正面右側。  
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       フレスコ画は16世紀後半のものとみられ、
       左側共に円柱の間に描かれた4女性は4つの主要な徳を表しており、
       知恵、勇気、節度、正義なんですって。  ご存知でした?  

       騙し絵的な影が背後に付けられており、くっきり浮き出す形。





       右の壁にあった、これは楽しいラクダの絵!
       壁画を描いた画家の内に、見た者はいなかったのでしょうね、ははは。
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       議会場側から見た南側
       周囲に大きな3連窓がずらっと並んでいるので、大広間も明るい空間。
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       壁と屋根の高さ
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       この広間、議会場と展示場は、
       今年2017年1月から土曜、日曜の14時半から18時まで公開されていて、
       入場料は、通常5エウロ、割引3エウロ、18歳未満とトゥレヴィーゾ市民は無料と。

       我らは祭日、労働者の日に当たり、無料でしたぁ!

       ちょっと及びませんが、
       今年からの公開で、やはりかなりの大広間ですので、
       トゥレヴィーゾに行かれ、お時間が合う方はどうぞご訪問を!





       広間を出て来ての階段の上からの眺め、かなりの高さで、
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       下の広場の女性像が、こんな風に見えます。
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       shinkaiはずっとこの像を、どこかから吹き込まれたまま、へへへ、
       「イタリア像」と思い込んでおりましたが、
      
       今回これは独立広場・ピアッツァ・インディペンデンテにある、
       正式名は「独立の記念塔」なんだそうで! ご容赦を。

       1866年のオーストリアからの独立で戦い亡くなった、
       トゥレヴィーゾの愛国者達に捧げられたものだそうで、
       アスブルグ家の支配の鎖を踏みつけ、右手に槍を、左手に月桂樹の冠を持ち、
       像の高さは槍の先まで3,83mで、全体で7,13mの高さ。
       
       説明にはご丁寧に、イタリア像とよく間違えられるが・・、とありましたぁ。
       へへ、それは私で~す。
       




       階段を下りてきた所で、綺麗な真っ白のワン君と出会い、
       撮らせてもらったのですが、肝心のワンは横向きで、ははは。
       でもこの若者、可愛いでしょう?!
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       シニョーリア広場を囲む商店街
       ここも古い街並みによくある、中世の細高く、奥に長い建物群。
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       駅に向かって歩きながら見つけた、可愛いカフェのモカ
       可愛い新作が出たようで・・!!
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       左のアルピーノのも可愛いですが、緑と赤のはお土産にも良さそうですねぇ!





       ショウ・ウインドウはすでに夏!
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       途中のカフェ・テラスで、一休み
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       こちらは今回トップで見て頂いたシーレ河の、橋の反対側
       白く見えるのは汚れではなく、花びらで~す。
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       駅正面を来た所にある小広場、新緑がとても鮮やか!
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       下の写真の左、彫刻のある後ろがコンティネンタル・ホテル。



       爽やかな日の、楽しく思いがけない事のあったトゥレヴィーゾ行きでした





     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルムーツィオ そろそろと、 トゥレヴィーゾ行きのお昼ご飯 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




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by italiashiho2 | 2017-05-04 22:39 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 29日

   ・・・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し ・・・

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       先日ヴェネトのブレンタ川・Brenta沿いの写真の欲しいのを思い出し、
       探していて、そういえばこれはまだご案内していなかったっけ、という事で、はい。

       ブレンタ川というのは、アルトアディジェ州のトレント辺りから流れ下り、
       バッサーノ・デル・グラッパからヴェネト州に、
       このヴェネトの平野を流れる頃にはゆっくりと、そしてヴェネツィア湾に注ぎます。

       かってはヴェネツィアからパドヴァ間の連絡船が通っていたというのですが、
       現在は観光客用の船が夏の間運行しており、

       というのも、平野の眺めも美しいのですが、その中に点在する
       ヴェネツィア貴族の館・別荘が色を添え、長閑で大変美しい趣なのです。

       
       今回ご覧頂くのは7年前の、へへ、ちょうど5月のもので、
       あれこれご案内して来たものの落穂ひろいとでも言えますが、ははは、
       美しい川の流れ、周辺のヴィッラの様子をごゆっくりどうぞ!

       トップは釣り人、そしてイタ鴨の家族





       今回の写真は、ほとんどドーロ・Dolo周辺ブレンタ川沿いですが、地図をどうぞ。
       ドーロは赤く囲った位置にあり、西に見えるストゥラ・Straから続く細い水色の線が
       ブレンタ川で、ミーラ・Miraオリアーゴ・Oriagoマルコンテンタ・Malcontentaを通り、
       矢印を付けた先、フジーナ・Fusinaでヴェネツィア湾に注ぎます。
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       パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、
       途中こんな風にレストランで昼食をする場合もあり、船での昼食もあり。
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       ヴェネツィアからのブレンタ川遊覧船の様子はこちらに。 その1と2

       ドーロの骨董市
       http://italiashio.exblog.jp/11176143/  





       川の幅はそう広くはなく、とても穏やか
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       ちょうど長男の家に遊びに行き、一緒にお昼ご飯を食べに出た時に、
       この辺りにはたくさんヴィッラがあるから、とぐるっと一回りしてくれたのですね。
       で、その時に見た4つか5つほどの内から3つご案内を。

       ヴェネト各地に点在するヴィッラの数は一致幾つあるのか! ですが、
       有名なパッラーディオのヴィッラ、またその壮大さで群を抜くと思われるのも
       いくつかあるのですが、

       今回ご覧いただくのは、そんなに有名なものではありませんが、
       
       最初のは、ヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・Villa Ferretti Angeli.
       我々は背後から近づきましたので、こんなトウモロコシ畑も見え、ははは、
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       正面はこういう感じで
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       上部、タンパンの装飾
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       こちらは横に続く倉庫・納屋部で、
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       正面とはこういう感じでつながっており
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       横には、こんな広い庭園が広がります
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       このヴィッラを造ったのは、ヴェネツィア貴族の分枝でヴィチェンツァのフェッレッティ家で、
       その後リゴーニ・Rigoni、アンジェリ・Angeli家を経て、
       19世紀にはモチェニーゴ・Mocenigo家のものに。   
       という事で、正式のヴィッラの名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!
       はい、歴代の持ち主の大きな名前がずらっと並びます。
       
       20世紀初めに戦争の影響で衰退があったものの、その後修復され、
       現在の持ち主はヴェネツィア県なんだそうで、
       どうやらENAIP Venetoという事務所が使っている様子ですが、
       何の関係なのか、はぁ、読んでもさっぱりわかりませんでしたぁ、ははは。
       ・・と笑いでごまかす。





       ぐるっと横から回り込むと、こんな風に先程の倉庫・納屋の壁が見え母屋に続き
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       きちんと正面から撮ると、こんな感じで
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       今回これを書くのに調べていて、なんとこれはヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
       Vincenzo Scamozzi 1596年作 と知りました!

       スカモッツィはヴィチェンツァ生まれ、パッラーディオが手掛け、彼の死で中途になった
       テアトロ・オリンピコ・Teatro Olinpicoなども彼が仕上げたことで有名ですし、

       パッラーディオより40歳若かった彼は、パッラーディオの弟子の様にみなされ、
       偉大な名を遺した先輩パッラーディオの陰に半ば隠れているのですが、
       実際は大変博識な勉強家であり、真のルネッサンスの建築家であったと言われます。
       
       ヴィッラの最初の建築依頼がヴィチェンツァの貴族ですので、
       同じヴィチェンツァ同志という関係もあったのかもですが、
       当時のヴェネト第一級の建築家の彼に依頼というのは、
       やはり裕福な貴族であったのでしょう。





       shinkaiが撮ったのでは、前庭がかなり広いでしょう?
       それがサイトで、ブレンタ川からこんな風に見える写真を見つけ、
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       ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探したほど!
       が、どうやら望遠で撮ったらしい、と気が付き、ほっとした事でしたぁ。





       そして2番目のヴィッラは、やや小ぶりですが、こちら。
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       これを撮るのに、目いっぱいに下がっておりまして、





       屋敷の門はこんな風にブレンタ川に面していて、係留所も。
       ですから、今は門の前を通っている道も、当時は無かったのだろうと・・。
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       門の両脇柱上の立像
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       そして、こちらが脇にあった門の彫像と、ヴィッラの名前。
       はい、ここはヴィッラ・バドエル・ファットレット・Baroer Fattoretto.
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       隙間から覗くお屋敷。 一見手前は小さそうですが、奥は建て増しが見え広そう。
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       このヴィッラは名前にも見えるように、著名なヴェネツィア貴族バドエル家
       14世紀の初めごろからこの一帯に土地を持っており、その管理のための
       田舎風館があったのだろうと考えられますが、
       現在の形になったのは18世紀になってからの事と。

       左に見えるのが多分バルケッセ・barchesseと呼ばれる倉庫・納屋部分で、
       他に管理人の住居もあるそうで、
       1846年バドエル家はここを売り払い、その後数回持ち主が変わり、
      
       第2次大戦中にはドイツ軍の軍病院となり、その後英軍の倉庫となり、
       かなりの変革があった様子で、

       現在の持ち主、1945年にここを買い取ったのが門柱に名前の見えた
       ファットレット・Fattoretto、ワイン醸造業という事で、
       確かにサイトを http://www.fattoretto.com/index.html 見つけました。

       サイトの最初のページに2つ項目が見え、左がワイン醸造、右がヴィッラのページに。
       ワインは特別高級ワインというのではなく、一般向け赤の大衆ワインの様ですが、

       右のヴィッラのページからMUSEO・博物館に行くと、
       このヴィッラにあるこの土地とかっての農民文化、職人道具の大コレクションの
       Villano博物館の様子も見れます。

       
       奥は広大な庭園になっている様で、
       そうそう、持ち主があれこれ変わった内に、1903年に買い取った
       男爵シャンタール・Chantalが掘った池があるそうで、
       というのも、何世紀も前に僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!
       見つかったのかどうかは・・、書いてありませんでしたぁ、ははは。


       サイトによると、ヴィッラとお庭、博物館の見学はガイド付きで
       4月、5月、6月、9月、10月の祭日、15時、16時半、18時に。

       グループ10人以上は、予約すると年間を通してOK、
       そして予約すると、ここのワインとおつまみのサーヴィスも、という事で~す。





       前から見る庭園の奥、 木陰にはあれこれ隠れた像も見え
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       という、ヴィッラ・バドエル・ファットレットでした。





       長閑なブレンタの流れを愉しみ
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       次はこちら、母屋らしき建物と、右にかなり壮大な門があり
       左奥にもあれこれ細々と続いているヴィッラ・ヴェッツィ・Vezzi.
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       こちらが母屋右手前の門と、
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       母屋の入り口部。 
       斜め前からなのは、正面の道からだと木が邪魔でして・・。
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       ですがこれは、上に書きましたヴィッラ・ヴェッツィとはまるで名前、持ち主が違い、
       パラツェット・モリン・ティート・Palazetto Molin Titoと分かりました。

       パラツェットというのは、邸宅をパラッツォと言いますが、
       それよりも小さなという意味で、この辺りは大きなのが並びますので・・!

       1797年にパドヴァの記録にマルコ・モリン・Marco Molinの名で載っており、
       母屋と納屋、教会、建設は1780年から1797年だろうと。
       ここにヴェネツィアのアッカデミアで学んだ画家エットーレ・ティート・Ettore Tito
       借家775リーレで住んだのだそう。
       
              



       長く次々とあるので、shinkaiは別のヴィッラが並んでいるとは思わず
       こちらではどうやら細部を撮るのに興味を持ったようで・・。

       次にあった母屋上部の像と鐘
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       扉と、その上の飾り像
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       煙突もちょっと変わって繊細で、はは、
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       これは礼拝堂上部の飾り、天使像
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       そして、牡丹、かな。
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       で、最初に上のヴィッラの名を間違えてヴェッツィと書きましたが、
       これは礼拝堂の前の説明文にあった名前の中の最初の名を、
       自分の写真のフォルダ名に勝手につけていたのでしたが、
       それをすっかり忘れ、はは、今回サイトでヴィッラの説明を探すのに往生しまして、

       漸く探し当てた正式の名は、ヴィッラ・バッフォ・ヴェッツィ・アヴォガドゥロ・ヴェッルーティ・
       Villa Baffo Vezzi Avogadro Velluti.

       一見、長~く続いていると思った上のパラツェット・モリン・ティートとは
       別物と分かったのが、
       今までご説明してきたヴィッラの殆どが、ドーロのコムーネ内のサンブルソン・Sambruson
       という所にあり、そのサイトからなのでした。

       サンブルソンにある他のたくさんの大小のヴィッラの写真も見れますので、どうぞ

      
       という事で、このヴィッラの名にあるヴェネツィア貴族バッフォが建設したのが1661年、
       そしてやはりヴェネツィア貴族のヴェッツィに1704年に。
       そして1797年にアヴォガドゥロに渡り、最後が現在の持ち主でもあるヴェッルーティに。

       サイトで見つけたヴィッラ全体の写真がこれです
       真ん中に母屋部分があり、左右にバルケッセ・納屋部が広がる形。
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       この一帯のヴィッラをヴェネツィア貴族が持っていたのは、長らく地中海貿易、
       中近東一帯の貿易で栄えたヴェネツィアが、内陸部に土地を持ちはじめ、
       それの管理ももちろんですが、日曜とか夏に出かける別荘でもあったのですね。
       とりわけこのブレンタ一帯はヴェネツィアから近く船で来れますし、便利だったのでしょう。

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ のご案内
       




       所で、このヴィッラの事を調べていて見つかった意外な人物!
       はい、最後の所有者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティ・Giovanni Battista Velluti.
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       1780年マルケ州の現在コッリドーニア・Corridonia生まれ、
       1861年このヴィッラで亡くなった、
       最後の偉大なカストラート・去勢ソプラノ歌手、の一人と見なされる人物
   
       本当の姓はStracciavellutiと長く、後半部分を芸名としたもので、
       去勢手術を受けたというよりは、多分医者の間違いの結果だったようで、
       本来は軍人になる筈だったのだそう!

       フォルリで1800年にデヴュー、ローマでも長く活躍し、作曲家のお気に入りにもなり、
       また大変に優れた歌手であったようで、聞きに来る貴族階層やファンへの対応も見事、
       ナポレオンやロッシーニなども通ってきたそうで・・!

       そして、彼の身体条件にも関わらず、たくさんのエロチックな冒険談もあり、ははは、
       1809年にはミラノの貴族階級の女性とのスキャンダルも。
       ええ、この目つき!!

       ババーリア、ウィーン、そしてサン・ピエトロブルゴにも公演に赴き、
       ここではロマノフ家の大公爵夫人の愛人となったと、きゃはぁ、凄い!
       ・・ブログアップした後に、年代から誰だったのかを調べてみよう。

       まるで映画「カストラート」を地で行ったような方ですが、ははは、

       1825年になり、24年ぶりにイギリスに行きロンドンで公演。
       最初はすでに趣向が変わっている聴衆に対立するものの、最後は喝采を。

       登場人物の歴史考察にのっとった衣装にも留意する最初の公演もしますが、
       やはり年齢からくる声量の衰えがあり、観客からの罵声も出るようになり、
       1829年ロンドンから去り、その後はごくまれに歌うようになり、遂には引退。

       そして既に1822年に購入してあったこのヴィッラに引きこもり、
       一緒に購入していた土地で、新しい農業のやり方に興味を持ち、
       少数の友人達やロッシーニとは文通をしていたものの、世間からは引きこもりで、

       1861年に80歳で亡くなった時、知らせを聞いた人々はまだ生きていたのかと驚いたそうで、
       まさに既に遠い過去となった、音楽史上のカストラート歌手存在のシンボルだったのだと。

       カストラート歌手が17~18世紀に持て囃された背後には、
       彼らの声がボーイ・ソプラノのままで、それに男性の胸郭による声量の大きさが加わり、
       女性ソプラノとは違う素晴らしさと、当時の教会内では女性は歌う事が出来なかった
       という理由もあったと言われます。
      
       ちなみに、この場面の中で失神する紳士はヘンデルです。


       いやぁ、こんな人物が出て来るとは思いもかけず、
       ブログをしているお陰でshinkaiは、様々な探検冒険を味わっているようなものでして・・、
       お陰様で、有難うございます! です。





       ブレンタ川は町脇を通り抜け、船の通行には橋が回る場所が何か所かあり
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       いくつもの名も知らないヴィッラが点在しますが、
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       この写真の奥のヴィッラ
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       こちらヴィッラ・フランチェスキ・Francheschiは、現在ホテルになっていて、
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       レストランもあり、結婚式なども出来るという、サイトはこちらに。





       川は何度もあちこちでゆっくりと蛇行しつつ、       
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       これはドーロの東、ミーラ・Miraの市役所だったと思いますが、
       これもかってのヴィッラでしょうね。
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       翌日もブレンタ川に沿って行ききし、ヴィッラの写真を撮っていまして、
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       今回の最後の一枚、ヴェネトのヴィッラの女王と呼ばれ、現在国の博物館
       ブレンタ川の西の端ストラにあるヴィッラ・ピサーニ・Pissani.
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       まさに素晴らしく壮大なヴィッラで、初めてブレンタ川沿いに見た時には本当に、
       わぁ~~お!!という驚きの美しさでした。
       
       2度訪問しているのですが、内部は写真禁止でしたしご案内しておりませんが、
       あれこれ調べ、写真も集められましたら次回にでも、と意欲が湧いてきておりますです。
       はぁい、うまく行きますように!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-29 23:56 | ・ヴェネト Veneto | Comments(7)
2017年 04月 14日

   ・・・ サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo (追記)・・・

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       トスカーナはオルチャの谷の西の山の上にあるモンタルチーノの町。
       そこから南に9kmほどにあるサンタンティモ修道院

       9年前に訪問した時は修復の最中で、入り口脇、そしてとりわけ後陣部分が
       覆われていて見ることが出来なかったのですが、
       3年前の春に再訪した時は修復後で、じっくりと見ることが出来ました。

       今回はたくさん撮っていた写真を漸くに整理しましたので、
       そのせいもあってか、へへ、写真が多いですが、どうぞ細部をご覧下さいね。

       
       トップはモンタルチーノの町から朝早く出かけ、遠くの道から修道院が見えてきた所




       隣接するカステルヌオーヴォ・デッラバーテ・Castelnuovo dell'Abateの村
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       この村もサイトで見てなかなか良い趣の村で、見たいと思い寄ったのですが、
       村の下には駐車場があったものの、うっかり車で入り込み、何せ村の中も坂道で・・、
       全然駐車できる隙間がなく! 漸くにターンして村の下に戻り駐車。
       そしてそのまま修道院の方に歩いたもので、そして戻りには忘れており、へへへ、 
       通り過ぎただけ!という・・、に過ぎましたぁ。





       地図をどうぞ
       モンタルチーノ・Montalcinoの町から南に9kmほどで、
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       以前調べたときはカステルヌオーヴォ・デッラバーテまでバスの便があるように
       見つけたのでしたが、今回はまるで時刻表が見つからず!!
       行ったご覧になりたい方、どうぞ改めてお調べ願います!

       オルチャの谷の町ご案内、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       ピエンツァ・Pienza





       駐車場から舗装された道が遠回りに修道院を見る位置についており、
       徐々に近づく様子を眺め楽しみながら、歩きます
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       この道は以前は舗装されていなかったですし、道脇に駐車スペースが並んでいるので、
       多分観光客がかなり多いのではないかと・・!

       創設の由来、歴史の中の変遷などの詳細もどうぞ





       shinkaiが行ったのは5月7日、朝の8時半頃ですから、まだ一人も見かけず、
       ただまだうす曇りの空で、それが少し残念でしたが、

       脇を通って、入り口前に来た所
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       入口上部と、上部の2つ窓にはすでに鳩のカップル! 
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       入口向かって左脇、円柱状の動物。 先回は覆いが被って良く見えずでした。
       犬ではないと思うのですが、何の動物でしょうか?
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       そしてまた今回も、向かって右脇の円柱上も見ていないのです!! あほ!
       サイトで見つけた写真には鳥のようなものが見えており・・。





       入口のごつい石組の張り出し部
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       扉上、まぐさ石の彫り模様と、
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       右側の飾り
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       脇にこんな表示がおいてあり、
         教会は終日開いています
         教会すべての訪問は下の時間帯に、と。
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       となると、内部は写真禁止だし、祈りを捧げるわけでもないので・・、と
       ついつい大人しいshinkaiは入るのを躊躇い、表からこの1枚のみ!       
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       という事で、内部の写真はサイトで見つけたものを何枚かを。
       光の入りようが大変美しい内部ですので、まず白黒写真2枚を
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       側廊上部はかっての婦人参拝客用で、matroneo・マトゥロネーオと言いますが、
       そこからの内陣、後陣部分。
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       最初に建設されたのは8世紀頃とみられますが、12世紀に繁栄期を迎え、
       以前の小さな教会の周囲に一回り大きな教会が造られ
       その差が、珍しい内陣をめぐる通路に利用されているのも良く分かります。

     ◆ 追記を ◆

       上記した「以前の小さな教会の周囲に・・」という言葉ですが、
       捕捉しますと、第1期には最初の礼拝堂、現在の祭壇部分にあったとみられ、
       第2期 現在の教会の外側にある、見える、古い後陣部分のカロリンガの教会9世期+最初の礼拝堂
       第3期 1,000年頃に建設されたと思われる現在よりも一回り小さく短い教会+カロリンガの教会+鐘楼
       第4期 現在の大きさ

       という変遷があったとみられ、私は第2期と第3期の違いを書いておりませんでしたが、

       のす爺ぃ様よりコメントを頂き、再読し、自分でもいささか混同していた事に気が付き、
       ここに追記いたします。





       内陣、木製の十字架上のキリスト像のお顔
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       素晴らしい円柱上の柱頭飾り。 
       これはライオンに囲まれる預言者ダニエル。
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       他の柱頭飾り
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       クリプタ・地下礼拝堂の様子
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       灯の灯った祭壇部。 
       斜めに射し込む光も美しいですが、灯の灯った様子もさぞ・・!
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       脇廊上部のマトゥロネーオからの写真といい、サイトではかなり内部の写真が見つかったので、
       確か写真禁止だったはず、と www.abbazia.com を見ましたら、
       写真は撮れるけれども、ミサの時はノー、とありました。 ん、もう!

       入口右脇の円柱上もですが、マトゥロネーオからの様子は見たいもの!!です。
       カステルヌオーヴォ・デッラバーテの村も見残しだし・・、
       またのチャンスがありますように!
    




       中庭を挟んで見える奥の建物、修道僧たちの居住区と
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       中庭の整理もされ、花も咲いていますが、
       以前はなかった柵が教会の横に出来ており、入れません!





       教会から続く建物部分。 多分ここは教会建て増し以前からのもので、
       石も様々な色、形であるのが良く分かります。
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       北の脇壁の様子
       多分古い教会建設の石が側廊上部に使われたのではないかと。
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       この修道院の建設に使われている石は、近くのカステルヌオーヴォ・デッラバーテからの
       石で、これは石灰華の層にアラバスター・雪花石膏の層が石目、縞目に入る石
       なんだそうで、艶があり、周囲の色や季節によりその色が反映し、変化するのだそう。
       確かに、アップで撮っている写真で見ると、半透明感の像などもあり、

       光の強い夏の写真や、朝の曇った光により、
       ずいぶんと色が違って写っている理由も納得したことでした。





       入口側から北脇に回ってすぐの壁で、左上のはローマ期のもののリサイクル!
       コルヌコピア・豊穣の角笛を抱えたもので、近くのローマ期のヴィッラのものだろうと。
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       内庭に面した教会脇扉には、素晴らしいロンゴバルドの彫りの施された扉飾りが
       あるようなのですが、今回も見られずで、

       こちら側のは片面の柱と、扉上部の飾りのみ。
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       右側の下部分
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       上部、まぐさ石の装飾。 右端に、飾りをかぷっと咥える動物がいて・・!
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       鐘楼。 かって鐘楼は教会と離れていたというのですが、
       増設され、現在は教会本体に食い込んだ形に。
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       鐘楼と教会の壁の角にいる動物、牛かな?
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       1階部分は窓なし、2階と3階には窓が一つ、が3階の方が大きく
       そして4階の窓は2つ窓。 これは重量を減らす意味もあったそう。
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       鐘楼のアーチ部から見つめる動物
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       鐘楼の角から後陣部に
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       鐘楼の東向きの壁には碑がはめ込まれているのでご注目を。




       上部には、この稚拙な聖母子像と天使、左側には動物が上下に2頭
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       左には翼と角を持った動物、しっぽの先が2つに分かれ・・!
       右の壁に見えるのは、頭が欠けたライオン像。
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       鐘楼と後陣の境にいるライオン像と。 頭部が欠け残念ですが、
       見事なたてがみを持ち、ごつい手!!
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       後陣の外に張り出す礼拝堂部分。 内部には祭壇がある小礼拝堂は
       後陣から3つ張り出し、屋根の下の庇支えの動物と柄がそれぞれ見事!
       
       最初の張り出し部の右から左へ
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       後陣の窓、隙間に咲く花。 サルビア種かな?
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       と書いていましたら、友人からメールを頂き、
       金魚草か、あるいはペチュニアではないのかとの事で、
       う~ん、そういえば金魚草かなぁ?

       どなたかご存知の方、お教えくださ~い!





       後ろから見る姿、鐘楼と内陣の高い部分と後陣
       そして左に、古い教会の名残部分
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       ここは以前まるで見られなかった古い時代の教会部分ですが、
       ここにも礼拝堂の張り出しがあった様子で、
       古い石組がなんとも良い趣!
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       庇の下にも、稚拙ながら何かの柄があったのが見て取れますね。

     ◆ 追記 ◆

       この小さな古い後陣部分が9世紀頃のカロリンガ期の教会部分
       ある事を追記いたします。
    
       つまり最初の原始的な礼拝堂(含むクリプタ)よりも少し離れて造られ、
       後の11世紀、12世紀の拡張においても残った部分。





       これは後陣の真ん中と左の、礼拝堂の張り出し部分の庇の下の柄
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       この長~い舌を出したあっかんべーが2か所にあり、これが大好き!!
       動物がいると、いかにも中世!という趣になり、
       それがまた怪奇な動物であるほど、痺れます、ははは。





       後陣上部の窓。 ここから、あのなんとも印象的な光が入るのですね。
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       南側からの眺めと
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       鐘楼上部に見えた、鐘2つ!
       これを見るまでは、鐘楼には鐘がないのかと思っておりましたが、あったぁ~!
       これも、アーケード式鐘楼というのでしょうか?
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       東にかけて広がる眺め。 上の写真の右中に見える道を辿って来たのでした。
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       赤いヒナゲシもいくつか咲いていたのですが、金網があって。
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       突如と響く大型バイクの爆音! 
       こういうのはまるでこの場所に似合わないと思うのですが、
       しばらく後、立ち去って行きました、やれやれ。
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       道脇の花を眺めながら
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       漸くに射してきた陽に映える修道院を眺めながら、shinkaiは戻ります。       
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     *****

       あれこれモンタルチーノからのバス便を調べましたが、やはり見つかりません。

       ですが、シエナからの半日ツァー、モンタルチーノの町とサンタンティモ修道院訪問
       ワインの試飲込みで38エウロ というのが見つかりました。
       イタリア語のみのサイトですが、お試しになりたい方こちらから。
       


       と、今まで修道院に住み祈りの生活と共に管理人でもあったフランス人修道僧たちが
       36年間の共同生活体の後、南フランスはアヴィニョンの近くの修道院に戻る、
       という2015年のニュースを、バス便を探していて見つけました。

       詳しくは原因が出てきませんが、どうやらイタリアの文化財保護管理事務所との関係、
       フランス側の母体派の問題もあるようで、2015年11月に立ち去り・・

       というのでその後の経過を探しましたら、

       その後はモンテ・オリヴェート・マッジョーレのベネデッティーノ派修道院
       引き継ぐ事になり、2016年の1月から2人の僧侶が移殖することになったと。

       我ら凡人から見ると、平穏な祈りの生活に明け暮れているように思われる
       修道院生活、僧侶たちの日常ですが、
       今回はこんなニュースを見つけフ~ムと思い、
       まぁ、後継ぎが見つかって良かった、と思った事でした。

       という事で、これから行かれても大丈夫、
       サンタンティモ修道院は、12世紀間の歴史を紡ぎ続けている事でしょう




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、花のカステルッチョ 途中経過と、 スコミーゴ村の花 を
       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-04-14 23:31 | ・トスカーナ Toscana | Comments(24)
2017年 04月 09日

   ・・・ 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 (写真追加)・・・

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       ヘミングウェイの「武器よさらば」は皆さんよくご存じと思います。
       あの簡潔なヘミングウェイの文体も素晴らしいですし、
       映画にもなっていますので、そちらからもご存知かと。

       第一次大戦のイタリアの戦場で脚を負傷し、ミラノの病院で手術。
       その病院で知り合った看護婦と恋に落ち、脱走し、
       マッジョーレ湖をボートを漕いでスイスに逃れ、
       そこで彼女は出産するも子供共に亡くなる、という粗筋。

       これはヘミングウェイのイタリアでの戦争体験が元に、というのも有名ですが、

       4年前の春、「ヘミングウェイのヴェネトでの足跡」を巡るツァーがあり参加。
       漸くにその時の写真を整理しましたので、へへ、ご覧ください。

       上はイタリア軍の軍服を着たヘミングウェイ、19歳(18歳)




       
       当日最初に行きましたのが、トゥレヴィーゾ南にあるカジエール・Casierという
       コムーネに付属のドッソン・Dossonという町。
       そこにあるヴィッラ・デ・レアーリ・Villa de Reali、17世紀。
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       おっちょこちょいのshinkaiはバスから降り標識を見て、えっ、レアーレ?!
       (王室の?!)かと驚いたのですが、

       いいえの、デ・レアーリ・de Realiという姓のジュゼッペ・マリーア、著名な政治家が、
       もともとはベネデッティーノ派の修道院だったのを改装してあったこのヴィッラを購入。
       その後、その息子のアントーニオ、上院議員、が大きく再建築し、
       13平米の庭を整備したものなんだそう。





       母屋の主体はこんな感じで
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       庭の奥隅に礼拝堂も見えます
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       ウィキペディアから拝借の写真で、礼拝堂の正面と建物の様子を。
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       翼側の建物
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       広大な庭園。 
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       ですが、どうも良く分からないまま、何となしに奥の方に行きそびれ、





       ちょっとした考古学博物館式になっているロッジャの下なぞや、
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       開いている窓から部屋の中を覗いたり・・!
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       この日ガイドしてくださった方は、地方歴史家というのか、
       第一次大戦におけるヴェネトの激戦地についてや、
       今回のヘミングウェイの足跡についての研究家の様子で、

       つまりこのヴィッラは特別ヘミングウェイに関係があるというのではなく、
       戦時中にこのヴィッラは兵隊の駐屯地にもなっていた様子で、
       その時に、彼もここに来て野営した、という関係だった様子・・!

       はぁ、まぁ、ヘミングウェイついでにヴィッラ拝見、とでも。





       漸くにヴィッラの中に入れ、お部屋を見れました
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       古い貴族のお屋敷を拝見に上がると、大抵懐かしい趣の写真があり
       そんなのを見るのが好きですが、今回も美人さんがおられ、
       懐かしいジョヴァンニ・パオロ2世教皇のお顔も!
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      ★ 写真追加 ◆  
       美人さんの写真、と書きながら、へへへ、肝心なのをアップし損なっておりました!

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       で、この女性なのかどうか・・、たぶん写真の撮り方から違うとは思うのですが、
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       デ・レアーリ家の最後の後継者テレーザが、1900年に侯爵ジュゼッペ・ディ・カノッサ・
       Giuseppe di Canossaと結婚し、
       1937年からこのお屋敷はカノッサ家の財産になっているのだそうで、
       現在の所有者は
       グアリエンティーナ・グアリエンティ・ディ・カノッサ・Guarientina Guarienti di Canossa.

       カノッサって、あのカノッサ?! と思われた方、
       はい、左様でございます。 
       あのカノッサ、10世紀からの貴族の家系、トスカーナ辺境伯、マティルデ女伯の下で
       「カノッサの屈辱」事件もあった、あのカノッサ家ですが、
       現在の上の麗々しいお名前の方はどの分枝の方か、存じませんです。


       「モンテクリスト伯」に、カヴァルカンティ・ディ・カヴァルカンティという
       イタリア貴族の騙りが登場しましたっけ、ぷっぷ。
        




       これは美しいお部屋でしょう?
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       でも、この小部屋の感じの方が好きだなぁ・・!
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       これは門扉の所にあった標識で、
       ほらね、「グアリエンティ・ディ・カノッサ」が見えるでしょ?!
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       見送って下さる管理人の方で、掌に入るほどのチビわんこを抱いて、
       やれやれ、野蛮人どもが帰るわい、という所、ははは。
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       我らはそれからバスで少し走り、地図で見ると多分シーレ河・Sileと思うのですが、
       その川岸を歩きながら、ガイドさんの説明を。
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       ですが、川岸の細い道でグループ全体が細い列になっていますから、
       ガイドさんの声はまるで通らず、後ろから付いていく我ら不良どもは、ははは、
       好きなように写真を撮って、時間の過ぎるのを待つばかり。
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       多分、このあたりにも若きヘミングウェイが出没したのでしょうが・・!


       そう、「若きヘミングウェイ」、本当に若かったのです!
       
       1899年7月21日、現在のシカゴ生まれ。 父親は医者、母親は元オペラ歌手志望。
       小学校へはあまり熱意なく通ったものの、ハイスクールで彼が文学に向いていることを
       発見した良き教師2人に出会い、彼らに励まされ、初めて学校新聞に発表。

       1917年卒業後大学には行かず、カンサス・シティでモダンで斬新、公平な記事を
       特徴とした地方紙「カンサス・シティ・スター」で働き始めるものの、
       
       この年4月6日にアメリカは第一次大戦に参戦、ヘミングウェイも仕事を捨て
       ヨーロッパでの戦いに志願するものの、視力の問題から、赤十字の救急車の運転手として
       イタリアへの派遣が決まり、
       2週間の教練と10日間のニューヨーク滞在の後、1918年5月23日ボルドー行きに乗船、
       5月29日上陸、ヘミングウェイ18歳!

       当時アメリカ側から参戦志願した若者たち、大学生の中には、
       ウィリアム・フォークナーやフランシス・スコット・フィッジェラルドなどもいたそうで。

       5月31日パリに。 ドイツの大砲により被害を受けた街並みを見た後、汽車でミラノに。
       何日かを緊急隊で働き、この時に近郊で、空爆を受けたくさんの女性工員が
       死んだ工場を見、彼にはこれが最初に直接に見た戦争での死者だったそう。

       そこからヴィチェンツァに、国際赤十字アメリカ部門のスキーオに配置されたものの、
       もっと戦争貢献と自分の記述のためを考え、短期間ながらもゴリーツィア、
       トリエステ近くのまさに最前線にも。

       が彼の所属していた部門はかなり平穏だったため、もっと実際の戦場に近い場所への
       配置転換を願い、こうしてピアーヴェ河の下流にある、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ・
       Fossalta di Piaveの近く、塹壕の補助員として配置に。



       地図をどうぞ
       左下に見えるカジエール・Casierの上に小さな赤点がついているのが、
       最初に見て頂いたヴィッラで、その次の川沿いの風景はその東を流れるシーレ河と。
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       東側を流れるのがピアーヴェ河で、この河を挟んで北から南、ずっと大激戦地で、
       上に見えるファガレ・Fagaréには、第一次大戦の戦死者の廟があり、

       地図には見えませんが、ピアーヴェ河を北に遡ったネルヴェーザ・デッラ・バッターリア・
       Nervesa della Battglia、我が町コネリアーノの西に位置するここには、
       もっと大きな戦没者の慰霊廟が。
       
       で、ヘミングウェイが負傷したのがフォッサルタ・ディ・ピアーヴェ
       右下に囲った、ピアーヴェ河が蛇行している所。





       バスに乗り、こんな菜の花畑を見ながら進み
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       ファガレの戦没者慰霊廟に
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       ここに葬られているのは、イタリア兵5191名、これは姓名が分かっている方で、
       身元不明の死者5350名、アメリカ兵1名、オーストリア兵1名と。
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       この部屋は下段に遺留品の展示もありますが、同じ形の部屋内全面に
       四角い廟という部屋が殆ど。
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       管理の方から、なんとも物凄い話もお聞きしたのですが、これはパス。





       そして、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ。 この一帯が大激戦地だったのですね。
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       途中で戦時中に破壊された教会、現在はきちんと修復されておりますが、
       その前にあったヘミングウェイの写真
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       下に見える説明には、
       一般にはヴォランティアには軍服とか火器は許されないが、
       ここではベルサリエーレの自転車に乗り、銃も付けているし、ポケットに手りゅう弾も。
       だから、たぶんフォッサルタでは小さな戦闘にも参加したのであろうと。
       こういうのは、どこでも行われていたと。





       金属板の碑にあったこの一帯の地図
       ちょうど真ん中、ピアーヴェが湾曲している部分が彼が負傷した場所で、
       その下に橋が架かり、教会も見えますが、
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       橋はこれ。 多分私設の橋なのでしょう、渡り賃を取る料金所が真ん中に。
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       ポー河の下流で一度船を繋いだ橋を渡ったことがあり、やはり料金所があったのですが、
       知らずでそのまます~っと渡ってしまった経験が! ははは。






       土手にこんな鋼鉄の碑
         この土手で、アーネスト・ヘミングウェイ、アメリカ赤十字のヴォランティアが、
         1918年7月8日の夜負傷した。
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       土手から見るピアーヴェ河の湾曲部
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       皆土手を下りて岸辺に近づきますが、上から見つめる18歳のヘミングウェイ
       La guerra di Hemingway・ヘミングウェイの戦争
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       ピアーヴェ河、湾曲部の地図。 濃い赤色の線が塹壕で、
       16の番号のある位置が、彼が負傷した場所。
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       ちょうどあの砂場が見えるあたりでしょうか
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       1915年5月24日から始まったイタリアの第一次大戦。
       1917年の10月頃までは外部にあったこの一帯が、
       イタリア軍が現在のスロヴェニアのコバリード、カポレットの戦い(10月24日から11月9日)で
       惨敗し退却した事から、ピアーヴェ河を挟んでオーストリア軍と対戦することになり、
       一転して最前線となったというのですね。

       「武器よさらば」にも描かれているカポレットの惨敗、退却は大変酷かったようで、
       shinkaiも現在のコバリードに行き、博物館も見学しましたが、なんとも・・!!
       負けが込んでいたオーストリア軍がドイツ軍に応援を求め、ついにドイツ軍が参加、
       毒ガスを用いたのも勝利につながったというのですが、
       博物館で見た写真には、ものすごいのもありました・・。

      
       そして1918年の夏、6月15日から23日にかけ、必死の反撃を掛けたオーストリア軍が
       ピアーヴェ河を渡ることに成功し、フォッサルタの村は全破壊の状態にされたと。
       家から家、1mそして1m、という記述があったことからご想像を!

       そして1918年7月8日の真夜中を過ぎた頃、ブーゾ・ブラート・Buso Burato
       呼ばれたこの湾曲部で、
       オーストリア軍の手りゅう弾がヘミングウェイの近くで爆発、
       または迫撃砲が着弾し、それで手りゅう弾が爆発とも、
       
       近くのイタリア兵一人が死亡、ヘミングウェイも負傷するものの、
       もう一人の負傷したイタリア兵を敵弾の届かない場所まで背負って救助し、
       その後敵の機関銃弾が右足に当たり膝もやられますが、這いずりながら自分も助かり、

       ミラノの軍病院に運ばれ、12回にわたる手術を受け、227に及ぶ破片が取り出されたと!





       これはヘミングウェイが被っていた帽子と身分証? ウィキペディアから拝借。
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       昔読んだ本の解説などでは、第一次大戦に従軍記者として参加、なんぞと
       書かれていたと記憶しますが、
       アメリカ赤十字に所属する救急隊員の補助で、毎日のように塹壕をめぐり、
       兵士達にタバコとかチョコレートとかの援助物資を配る、という事だった様子。

       彼は、自分が負傷しながらもイタリア兵を救助した、という事で、
       イタリア国から軍の銀メダルを、自国アメリカからも戦争十字を授かったと。





       「武器よさらば」に登場するイギリス人看護婦キャサリンとのロマンスですが、

       こちら、ドイツ系アメリカ人アグネス・フォン・クロウスキー・Agnes von Kurowsky
       ミラノのアメリカ軍病院入院中のロマンスの相手だったようで、彼より8歳年上の女性。
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       彼にとってはかなり真剣な恋だったようですが、何せまだ若い19歳。
       儚い3か月間のロマンスと入院が過ぎ、

       彼は一旦バッサーノ・デル・グラッパの戦場に戻りますが、部隊が動員解除となり、 
       近い将来の結婚約束を語りながら、翌年1919年1月21日にアメリカに戻りますが、
       3月、アグネスからイタリア人将校と婚約したことを告げる手紙が。





       アメリカに戻った彼は新聞記者をしながら書き始め、1926年「日はまた昇る」を。

       そして1929年にイタリア戦線での経験を盛り込んだ「武器よさらば」
       現在のモンダドーリ版の表紙には、入院中のヘミングウェイの笑顔が。
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       カポレットのイタリア軍の惨敗、退却、そして脱走が描かれている内容から、
       第一次大戦後のファッシスト党ムッソリーニ政権下のイタリアでは
       出版が1945年まで禁止されていたそうで、

       ヘミングウェイの翻訳で有名なフェルナンダ・ピヴァーノ・Fernanda Pivanoにより、
       すでに1943年に秘密のうちに翻訳されていたものの、彼女はその為に逮捕も。

       
       その後ヘミングウェイはスペインの人民戦争にも参加し、「誰がために鐘はなる」
       そして「老人と海」も。 1954年にはノーベル文学賞受賞


       重傷を負ったフォッサルタ・ディ・ピアーヴェを後年ヘミングウェイは再訪し、
       1950年に「川を渡って木立の中に」に当時の様子を描いているそうですが、
       これは読んでおりません。

       
       切れの良い簡潔な文章で語るストーリーは、アメリカの古典と称えられるそうですが、
       私は若い頃に熱中した上記の作品よりも、「海流の中の島々」が好き。
       自分が年を取ってから読んだことにも因るのかもしれませんが、
       なんとも心に染み入る優しさにあふれた作品と。       
       べたつかない、乾いた人間の感情、優しさが心地良いです。





       ガイドをして下さった歴史家は、フォッサルタの後まだ案内したい場所があったようですが、
       我らは内容の重さに少々疲れ、日も暮れかけるので早く家に帰りたく、
       バスの中で採決しましたら、まだ行きたい挙手は2~3名で、ははは、

       夕暮れ近い川を渡り
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       落日近い平野を走り
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       すでに暗くなったコネリアーノに戻った、「ヘミングウェイの古戦場巡り」でした




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-09 23:47 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 03月 30日

   ・・・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ ・・・

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       先回に続き、「印象派絵画展」を見に出かけたトゥレヴィーゾ・チェントロの、
       運河沿いに見かけた春の様子を見てやって下さいね。

       
       上の写真は、博物館から出てきてすぐの、わき道に見えた建物の壁画

       我が町コネリアーノも古い中心部はそうなのですが、トゥレヴィーゾもこの一帯の
       古い建物には大概壁画、フレスコ画装飾が残っており
       見てあれこれ想像するのが楽しいのです。





       そろそろお昼時に差し掛かる時間ですので、どこからともなく美味しい匂いが漂い、
       気持ちがそぞろになりますが、ははは、

       運河沿いに見えたお店の中の電球
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       運河沿いに沿って角を曲がり、見えるかっての水車
       ここのはかなり古い様ですが、今は動いていなかったと・・。
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       同じカニャン・Cagnan運河の奥には、まだせっせと動く水車あり





       水車の脇を抜けると中の島があり、運河はその両脇を
       かなりの水量で流れていますが、鴨たちがたくさん
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       中ノ島には常設屋台市があり、
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       もと元は魚売り場だったのですけど
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       今回見たチーズ売り場、2軒! 
       かなり強い匂いのする、美味しそうなのがありましたっけ・・。
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       ふと屋台の後ろを見ましたら、鴨たちがたむろしていて、
       しかもメス1羽に、オス5羽!! ははは。 
       こういうのも、ハーレムというのだろうか?!
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       運河沿いの向こう岸、ここもフレスコ画が残る建物ですが、
       新しくバールが店開きしたみたいで、良い感じの眺め。
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       中ノ島一帯に、明らかに観光客団体と思われるグループが何組もおり、
       印象派絵画展を見つつのトゥレヴィーゾ観光なんでしょうね。

       ええ、我々もフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見にボローニャに、
       「メッシーナ展」を見にロベレートに行ったりするのですものね。
       トゥレヴィーゾの中心も、見どころの多い場所なんで~す!

       以前の街のご案内はこちらから

       ちょっと興味深い、こちらもどうぞ

       




       野菜市もたつ狭い通りを横切り、も一度運河沿いに
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       初めてこの辺りに来た大昔、ははは、当時はこの右側の古い建物にも住人がおり
       窓辺や運河に張り出すテラスにも鉢植えの植物が見られましたが、
       ついに閉じられたようで・・。





       薄日が差し、淡い新緑の柳が揺れ・・
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       運河を渡る橋と
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       運河脇の建物に残るフレスコ画。 
       かってはきっと華やかな眺めの街だったでしょうねぇ!
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       橋の上を行きかう人々。 
       土曜日とあって家族連れ、そして買い物帰りの人々。
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       運河脇のインテリア店、ショウ・ウインドウの中
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       建物の間をぬい、道を抜け、もう一本流れる
       ボッテニーガ・Botteniga運河沿いに
       ここも柳の新緑が目に沁みます。
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       ほのかなピンク色が満開!
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       こちらの河岸にも鴨たち
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       オオバンがひょいっとお尻を持ち上げ、飛び込むのを撮ろうと思うのですがぁ、
       う~ん、コンパクト・カメラはシャッターが切れるのが遅くてねぇ・・。
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       この眺めを見るたび、いつか描くぞぉ!と思いつつ、ははは。
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       細い運河越しのこのお家、かって詩人が住んでいた、との事。
       そう、如何にもそんな感じを受けるお家なのです。
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       途中に架かる橋の上からの、逆向きの眺め
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       運河沿いの家の、上階のバルコニー
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       通りに出てきて、この建物も古いのですよねぇ。
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       建物の下をくぐり、流れていく運河
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       道はサン・ヴィトー広場に出て、何軒かの店が出ており、

       花屋さんの鮮やかな春の色!
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       斜めに横切り、トゥレヴィーゾの街の中心シニョーリ広場に。
       
       街の中心部は一般車は進入禁止ですし、ましてや土曜のお昼とあって、
       ゆっくりと行きかう人々で溢れていましたが、
       
       ここにはすでにお昼のテーブルが準備万端!
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       我らは、いやshinkaiはそれを睨みつつ、駅に戻ります。
       振り返るシニョーリ広場の建物と塔
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       う~ん、友人のジュリアーナと出かけるのは良い、楽しいのですが、
       彼女は写真を撮るのにも、食べるのにも余り関心がなく、・・それがどうもねぇ!
       という事で、結局この日のお昼はコネリアーノまで戻り、
       いつも行く彼女の家の近くのピッツェリーアでの、ピッツァでしたぁ!

       今年のパスクワも、4月16日、どうやら彼女とお出かけになりそうですが、
       う~ん、どこに行こうか、お昼をどうしようか・・・と、
       それがshinkaiの現在の悩みで~す。



     *****

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       この日曜の朝から「夏時間」となったこちらイタリアですが、
       
       土曜のお昼頃には、あ、今夜寝る前に時計を直さないと、と思いつつ
       コロッと忘れ、何せTV番組を見ませんので、お知らせも目に入らずで・・、

       日曜の朝、歩こうと起きて窓を開けびっくり、まだ暗い!!
       やっと、そうだ、夏時間になったのだと気が付いたものの、
        ・・自動的に時間変更に対応する目覚ましはイギリス製で、
         目覚ましはいつもの通り5時半(実質4時半)に鳴ったということで、

       目につく時計も、PCの時計も遅れたまま、頭の中も寝たまま!
       で、6時に出かける筈の歩き時間の計算ができず、いささかパニック、ははは。     


       と同様、今朝エキサイト・ブログのマイページをつけようと思いましたら
       レイアウトが変わっており、どうやったら即マイページに行けるのかと・・!


       う~ん、だんだん対応が遅くなっているなぁ・・!

       でもぉ、エキサイトの変更のは、shinkai一人ではなかろうなぁ、へへへ。
       



     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-30 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 03月 16日

・・・ ヴァイオリン博物館・クレモーナと、 ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ (再追記) ・・・

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       クレモーナ訪問の時に、2013年に開館した新しいヴァイオリン博物館を見ましたが、
       余り時間が取れずで、おまけにストラディヴァリの視聴が出来る、と聞いていたのが無しで、
       いささかがっかりで戻ったのでした。
       が、その後あれこれ調べているうちに、ヴァイオリンと言うものにすっかり嵌まりました!

       実際の演奏会には行ったことは少ないのですが、弦楽器全般、そしてヴァイオリンの
       音色は昔から大好きで、今も毎日絵を描く時にはBGMに常にCDを掛けて聞いています。
       で、今までは余り考えたことがなかったヴァイオリンという楽器そのものについて
       知り始めると大変に興味深く、もっともっととあれこれいつもの芋づる式に・・!

       という事で、何とか上手く纏まるよう、お伝えできるよう頑張りますので、
       よろしくお付き合いの程を!

       

       新しい、クレモーナのヴァイオリン博物館入り口
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       上記したように、ここは2013年秋オープンで、以前のストラディヴァリ博物館があった
       パラッツォ・アッファイターティ・Palazzo Affaitatiから移された楽器や
       ストラディヴァリの遺品の展示など10室の展示室、そして新しい音学室と、
       素晴らしいもので、ゆっくり時間があれば、と思ったものでした。




       前庭にあったストラディヴァリの像
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       こちらは建物の中庭にある、五線譜を使った鋼鉄の像
       スペインのプレンサ・Plensaという人の作品とか。
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       下はサイトで見つけた写真ですが、・・こういうのは、どうも、ですねぇ・・。





       こちらは博物館の中の一室、「宝の宝庫・Lo scrigno dei tesori」と呼ばれる部屋。

       この博物館のお宝である、1715年ストラディヴァリ作のクレモネーゼ・Cremonese
       初めとして、アマーティ・Amatiや グアルネーリ・Guarneriの作品
       1556年から1734年にかけての、全10点が収められた部屋。
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       壁も床もしっとりと布張りで、一つ一つの楽器がガラスケースに入っており、
       多分湿度調節とか様々な設備が施されているのでしょう。

       たまたま我々が行った時、最初のケースが空だったのですが、
       そのうちに一人の男性が持ってきてケースに入れ、それに続いて来た小グループに
       フランス語で説明しているのが聞こえましたから、視聴もあったのかも・・!

       博物館のお宝であるクレモネーゼは、この部屋の一番奥の真ん中に、
       ケースが明るく見えるのがそれですが、
       後ほども少し詳細に。




       こちらはズッカ・カボチャと呼ばれている、ははは、ヴィデオ視聴室で、
       中は暗く、円形状にそって椅子が並び、天井に映る音楽ヴィデオを視聴出来ましたが、
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       う~ん、いくら良い試聴室でも、ヴィデオではねぇ・・!




       こちらは新設の音楽室で、464人収容、真ん中で室内楽やソリストの演奏ができ
       ここの設計実現には日本の技術者トヨタ・ヤスヒサさんという方が携わったと。
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       博物館には他に、楽器店の科学的研究や診断も出来る工房が開かれたそう。

       博物館のサイトは http://www.museodelviolino.org/
       日本語版もありますし、右にはヴァーチャル・ツァーも出ます。





       さて、ヴァイオリンという楽器の歴史ですが、
       これについてはYAMAHAのサイトに分かりやすく載っていますので、ご覧頂き、
       
       イタリアで、というよりも歴史に残るヴァイオリン製作者の最初として名が挙がるのが、
       ガルダ湖畔サロ出身のガスパーロ・ダ・サロ・Gasparo da Salò
       そしてクレモーナのアンドレア・アマーティ・Andrea Amatiですが、

       こちらが上記のYAMAHAのサイトにあった、1565年頃のアマーティの作品
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       当時のヴァイオリンは、現在のと比べて指板、左手で弦を抑える板の部分
       短いのにご留意下さいね。
       
       
       が、上のヴァイオリン博物館のお宝の部屋には、1556年のアマーティの作品も、と
       帰ってきてから知る、見てない馬鹿が感じるこのちょっぴりの無念さ!
       




       通常ヴァイオリン発明者と言われるガスパロ・ダ・サロについては、こちらに

       彼は20歳の頃に父親が亡くなり、それでサロからブレーシャ・Bresciaに移り
       当時音楽が大変盛んだったブレーシャで活躍したらしいのですが、
       彼が作ったというヴァイオリン、これはまだ彼の作とは断定出来ていない様子ですが、

       大変に美しいオレ・ブル・Ole Bullというのを見つけました。
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       指板にも装飾が入り、少し長いようですし、裏板装飾も凝っていますが・・、
       ブレーシャではガスパロの作品としての研究が進んでいるようで。





       所でヴァイオリンは15世紀に登場した時、既に、現在の形とほぼ同じ形
       現れたのだそうで、故に後に改良されたのはほぼ僅かな部分と言われますが、
      
       古いタイプをバロック・ヴァイオリン、新しいのをモダン・ヴァイオリンと呼び、
       それの違いは、これもYAMAHAのサイトにあった図がとてもわかり易いので使わせて頂き、
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       つまり、かって室内楽で使われてちょうど良い音量であったヴァイオリンが
       大会場で使われるようになり、また高音が多く出やすいように改良したのがモダン・ヴァイオリン。

       高音がもっと弾けるように指板が長くなり、駒を高くし、ネックも少し傾いていて
       これは弦の張力を増し、音量を高く、輝きを増す為なんだそう。
   
       そして、胴の厚みは減っているようですし、かっては脇からすっと丸かったのが、
       現在のは一旦少し薄くなり、それから丸みを増しているようですね。





       こちらは1628年のニコロ・アマーティの作品で、彼はストラディヴァリの師匠として知られますが、
       これも指板が長いので、現代風に改良されている様子。
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       アントニオ・ストラディヴァリの肖像。 
       300年前に彼が作ったヴァイオリンが今も比類ない物と賞賛される人物。 
       1644年~1737年と、93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
       現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!
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       これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、ストラディヴァリの制作証明の紙片で、
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       こちらの2番めに見える、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
       Faciebat Anno 1667 がそれで、
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       Antoniusu Stradivariusというのが、Antonio Stradivariのラテン語名で、
       クレモナのアントニオ・ストラディヴァリの事。
       2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。

       1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
       Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
       Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った、という意味で、
     
       この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、という唯一の証明なのだそう。


       それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させていたのか知りませんが、
       最後の6を8に変えたり、ははは、かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。

       
       と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。





       こちらがヴァイオリンの各部の名称で、
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       そして、ヴァイオリンのお腹の中! これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。
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       バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、安定させると言い、
       魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。

       この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、ヴァイオリン製作の一番最後に
       F字孔から入れるんだ、というのは、友人のご主人、やはりクレモーナでヴァイオリン製作を
       学んだ人から昔聞いており、
       今回これを思い出し、どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りましたが、

       この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違ってくるのだそう!
       その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とも言える、
       アーニマ・魂の呼び名に恥じない、6cm程の小さな円柱ながら大きな働きをする物。

       このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きます。


       そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
       膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出てきましたが、
       魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠では留めず
       とりわけ魂柱、駒は音の質の違いを聞きながら、動かすのは上記の通り。


       




       という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ
       この写真はクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットでして、へへへ。
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       1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
         この内型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
         フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
       2.緒子掛の止め穴用。
       3.4.横板  
       5.表板    モミ
       6.F字孔
       7.バス・バー(力板)  モミ
       8.魂柱    モミ
       9.裏板    カエデ
      10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
      11.縁飾り、象嵌細工
      12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き  カエデ 
      16.糸巻き
      17.上駒
      18.指板   黒檀
      19.駒
      20.緒子
      21.緒子の留め板
      22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン

       という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
       裏と横板にはカエデが多い様子。
       が、あるYoutubeでみたリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
       一般にはカエデだがこれはポプラだと、手元の一台を指しましたので、
       その辺りは製作者により、事情により様々な様子。


       ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
       日本語版 https://www.youtube.com/watch?v=x6MO32VDZ0U
       イタリア語版 https://www.youtube.com/watch?v=42nPLiwtjGQ

       これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもので、猫ちゃんも登場です。





       モミの木は、北イタリアのトレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ・Val del Fiamme
       のもの、というのをYouitubeで見つけましたので、こちらを。

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       このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、ヴァイオリンに挿し込む場面がでます。 
       音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?と疑問ですが、ははは。

       後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの森が映り、この森は「響く森」と呼ばれており、
       モミを掌で叩くと見事に反響する場面があります。
       説明しているのはイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウティ・Ugo Utiで、
       ヴィヴァルディもここに来て、木を選んだのだと云います。
   
       彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っているのですが、
       その音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
       一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックだと言うような説明を。


     ◆ 再追記 ◆

       このモミの木は伐採後、5年から10年自然乾燥させたものを使い
       5年以下の木材を使うことは無いと。

           ***

       トレンティーノの山中に暮らしたマーリオ・リゴーニ・ステルンの本
       「野生の樹木園」みすず書房、この本も友人から戴いた物ですが、
       ふと思いついてモミの木の記述を探しました。
       少し長くなりますが、抜粋してみます。

       ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも言うべき樹木で、
       いつも私のそばにあった。   中略
       子供のころ、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、必ずアカモミ
       の苗木だった。   中略
       種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、そこはアルプスじゅうで
       もっとも美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも優良な種子を産出するとのことだった。
             中略
       独特の性質をもった、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類があって(樹皮を剥くと、
       幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついているのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、
       細心の注意を払って伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
       満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、より丈夫にする知恵である)。
       こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴を作る
             中略
       マツ科に属するアカモミは、都会の人にかぎらず多くの人から、誤ってマツと呼ばれる。
       マツと云うのは、また別ものである。
      
                ***



       ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働いていたようですが、
       1680年36歳の時家を買い、工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで続けます。

       師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・Girolamoが跡を継ぎ、
       彼は父親の最後の20年ほど仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
       それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
       重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
       
       同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが活躍し始めますが、
       息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ・Bartolomeo Giuseppe Antonio
       通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。


       デル・ジェズという通称を、「神の如き」と書いてあるのも見ますが、文字ではそうですが、
       これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の制作証明の丸印に
       彼は IHS と記したことからなのだそうで、
       これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
       まぁ、本人がどうしてこの3文字を選んだのかは分かりませんが・・。
       
      
       と、イタリア語で弦楽器の製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
       これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器でヴァイオリンはひきますが、
       同じ弦楽器という事で、同じ製作者がつくったのでしょうね。


       ストラディヴァリは約70年間ほどを弦楽器の制作に打ち込み
       最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると翌年再婚、
       この妻との間にも5人の子を持ち、はは、お元気ですねぇ!

       息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、もう1人のオモーボノは部分的に。
       ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子には全部の仕事を任せることはほんの時々で、
       それも安い仕事を一般に任せたのだそう、ははは。

       こうして1700年から1720年代に掛け、彼が56歳から76歳の時に当たりますが、
       いわゆる彼の黄金期で、仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。

       師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの形となり
       ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶-オレンジ色に
       楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。




       当時の作品で有名なのは、1704年のBetts, 1715年のAlard,

       そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
       これは現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。
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       そしてこれは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
       メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、
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       そしてこちらが、クレモナの博物館のお宝、1715年作クレモネーゼ・Cremonese.
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       これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、現代的に少し変えられている様子。





       実はshinkaiは、この「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持っておりまして、はい。
       10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで買っていて、
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       今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
       実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
       漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!


       これはあるヴァイオリニストの持ち物になっていたのが知れたのが1877年、
       その後も何度か持ち主が変わり、最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのだそう。
       それを1961年にクレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。


       1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されている様で、
       Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode などの名が上がるそうですが、
 
       元の名をヨアヒム・Joachim、クレモナ市に寄贈され名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
       と変えたこの楽器は、ニスはオレンジ-金色のオリジナル。
       音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の均一性優秀、などなど。       
       shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!

       
       写真でもよくご覧頂けると思いますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている
       使い込まれているのが分かりますね。

       これは当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた為なんだそうで、
       顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
       これで随分奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、当時は弾きにくかった部分も
       楽になり、ヴィブラートも簡単になったんだと。




       収納されている曲はご覧の通りですが、
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       博物館の音楽室で、このクレモネーゼを弾いているYoutubeが見つかりましたので、こちらを。 




       そして、もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
       アマティ、ストラディヴァリ、グァルネーリの音なんですね。
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       どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接ほどの音ではなくとも、
       一段の有り難さを心がけ、聴くように致しますです、はい。





       こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、
       ニコロ・パガニーニ・Niccolò Paganiniが弾いていた
       彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
       確か現在はジェノヴァにあるはず。
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       パガニーニはヨーロッパ各地を演奏して回り、その素晴らしく技巧的な曲と演奏で魅了し、
       共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、




       プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真をおまけに。
       ニースの市場から近くだったと記憶していますが、
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       碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
       彼の力倆ある魔法の音を讃えています。
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       これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で監獄に入った事も
       あったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。




       お邪魔するブログ「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」で、たまたま 
       取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、などなどの他に、
       デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた映画の話題もあり、

       彼についてはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
       いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、
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       映画の予告編はこちらに。 https://www.youtube.com/watch?v=q_IeJtWZpc0
       
       はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
       当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは興味深かった。

       彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは、



       「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
       千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのは、こちらから逆にお進み下さい。


       千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作の「デュランティ」を、
       2002年に思いもかけない経緯で購入されたのは有名なお話の様ですが、・・知らずでした。

       お話しにある「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、

       顎当ての無い方、向かって右側の下が楕円に少しニスの色が薄いような感じを受けましたし、
       裏板のニスも下のほうが少し薄くなっているような・・。

       それに最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
       が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間の事で、
       それ以前は1759年から枢機卿ですが、その前は1740年からローマの
       サン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。 
       彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと云うことで、
       音楽が好きで、それで購入したのかもしれませんが、
       そのあたりは少し曖昧に感じます。

       いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
       教皇様の在位期間は一般にとても短いので、それでちょっと気になって調べたのでした。

       と、また教皇様になったりすると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
       それほどのヴァイオリンをお持ちならば、お使いになるチャンスは数あったと思いますし、

       その後のフランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
       やはり同様では無かったでしょうか?

       ヴァイオリンは誰にも弾かれることがないと、ダメになると聞きますし、
       その為に現在の博物館のヴァイオリンは毎日、その為の係が弾いていると聞きます。

       まぁ、それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
       今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、新しく一から出直す覚悟で弾いている
       と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、
       楽器にしても、自分の真価を発揮してくれる本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
       千住さんのこれからのますますのご活躍を祈ります!




       と、少し横にそれましたが、

       上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、博物館の音楽室で
       ストラディヴァリの幾つかを試し弾きするYoutubeがありましたので、ご覧ください。
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       彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様子で、3度も弾いてみています。
       その間にグァリネーリも弾くのですが、これは余り好みではなかった様で、はは、
       勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違うのですが、
       これは興味深いヴィデオです。

       
       制作されて後300年近くを経て、元の木材での存在よりも、
       楽器そのものとして長く生き、乾燥し、本当に軽くなる様なのですね。
       クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を他の演奏家がしていましたが、
       近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、というその不思議さ!
   

       ストラディヴァリのニスについても、複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
       逆に単純に松のニスに油だけ、という結論を出した方もおられるようで、
       こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、

       まぁ、そんな事を知った所で、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、

       300年前の楽器製作者が自分の命を込めて作った楽器が今も生き
       同時代の鍵盤楽器などは残っていても、使える状態のものは一台もないといいますし、
       今も素晴らしい音色を響かせてくれる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
      
       今回は博物館を訪問して後の収穫が、自分にとってはとても大きく、楽しみました

       皆さんにも、少しはお伝えできましたよう、願います


     ◆ おまけ ◆

       ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんもよくご存知でしょう?!
       習い初めのヴァイオリンの音は、まさに他人にとっては拷問の如きものでして、ははは、
       大人が習い始めての2年間の進捗具合のYoutubeも見つけましたので、
       ご本人はとても可愛い美人さんなので、お暇な方、どうぞ!


     ◆ 追記 ◆

       肝心なことを書き忘れておりました。
       この何から何まで手作りの「クレモナ伝統の弦楽器作り」は、
       2012年からユネスコの文化遺産のリストに載っているそう。

       木材選びから、削り、接着し、ニスを塗り、このニスもスプレーは禁止、手作り、
       すべてが製作者の手を通して作られる、他に類を見ない伝統の弦楽器、技術

       職人技が奥まり、極まった所から生まれてくる弦楽器、とりわけヴァイオリンと言うもの、
       その不思議さに触れた思いがした、今回なのでした。
       


     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-16 05:20 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
d0097427_00015666.jpg
       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)