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2017年 04月 14日

   ・・・ サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo ・・・

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       トスカーナはオルチャの谷の西の山の上にあるモンタルチーノの町。
       そこから南に9kmほどにあるサンタンティモ修道院

       9年前に訪問した時は修復の最中で、入り口脇、そしてとりわけ後陣部分が
       覆われていて見ることが出来なかったのですが、
       3年前の春に再訪した時は修復後で、じっくりと見ることが出来ました。

       今回はたくさん撮っていた写真を漸くに整理しましたので、
       そのせいもあってか、へへ、写真が多いですが、どうぞ細部をご覧下さいね。

       
       トップはモンタルチーノの町から朝早く出かけ、遠くの道から修道院が見えてきた所




       隣接するカステルヌオーヴォ・デッラバーテ・Castelnuovo dell'Abateの村
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       この村もサイトで見てなかなか良い趣の村で、見たいと思い寄ったのですが、
       村の下には駐車場があったものの、うっかり車で入り込み、何せ村の中も坂道で・・、
       全然駐車できる隙間がなく! 漸くにターンして村の下に戻り駐車。
       そしてそのまま修道院の方に歩いたもので、そして戻りには忘れており、へへへ、 
       通り過ぎただけ!という・・、に過ぎましたぁ。





       地図をどうぞ
       モンタルチーノ・Montalcinoの町から南に9kmほどで、
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       以前調べたときはカステルヌオーヴォ・デッラバーテまでバスの便があるように
       見つけたのでしたが、今回はまるで時刻表が見つからず!!
       行ったご覧になりたい方、どうぞ改めてお調べ願います!

       オルチャの谷の町ご案内、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       ピエンツァ・Pienza





       駐車場から舗装された道が遠回りに修道院を見る位置についており、
       徐々に近づく様子を眺め楽しみながら、歩きます
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       この道は以前は舗装されていなかったですし、道脇に駐車スペースが並んでいるので、
       多分観光客がかなり多いのではないかと・・!

       創設の由来、歴史の中の変遷などの詳細もどうぞ





       shinkaiが行ったのは5月7日、朝の8時半頃ですから、まだ一人も見かけず、
       ただまだうす曇りの空で、それが少し残念でしたが、

       脇を通って、入り口前に来た所
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       入口上部と、上部の2つ窓にはすでに鳩のカップル! 
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       入口向かって左脇、円柱状の動物。 先回は覆いが被って良く見えずでした。
       犬ではないと思うのですが、何の動物でしょうか?
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       そしてまた今回も、向かって右脇の円柱上も見ていないのです!! あほ!
       サイトで見つけた写真には鳥のようなものが見えており・・。





       入口のごつい石組の張り出し部
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       扉上、まぐさ石の彫り模様と、
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       右側の飾り
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       脇にこんな表示がおいてあり、
         教会は終日開いています
         教会すべての訪問は下の時間帯に、と。
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       となると、内部は写真禁止だし、祈りを捧げるわけでもないので・・、と
       ついつい大人しいshinkaiは入るのを躊躇い、表からこの1枚のみ!       
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       という事で、内部の写真はサイトで見つけたものを何枚かを。
       光の入りようが大変美しい内部ですので、まず白黒写真2枚を
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       側廊上部はかっての婦人参拝客用で、matroneo・マトゥロネーオと言いますが、
       そこからの内陣、後陣部分。
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       最初に建設されたのは8世紀頃とみられますが、12世紀に繁栄期を迎え、
       以前の小さな教会の周囲に一回り大きな教会が造られ
       その差が、珍しい内陣をめぐる通路に利用されているのも良く分かります。





       内陣、木製の十字架上のキリスト像のお顔
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       素晴らしい円柱上の柱頭飾り。 
       これはライオンに囲まれる預言者ダニエル。
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       他の柱頭飾り
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       クリプタ・地下礼拝堂の様子
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       灯の灯った祭壇部。 
       斜めに射し込む光も美しいですが、灯の灯った様子もさぞ・・!
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       脇廊上部のマトゥロネーオからの写真といい、サイトではかなり内部の写真が見つかったので、
       確か写真禁止だったはず、と www.abbazia.com を見ましたら、
       写真は撮れるけれども、ミサの時はノー、とありました。 ん、もう!

       入口右脇の円柱上もですが、マトゥロネーオからの様子は見たいもの!!です。
       カステルヌオーヴォ・デッラバーテの村も見残しだし・・、
       またのチャンスがありますように!
    




       中庭を挟んで見える奥の建物、修道僧たちの居住区と
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       中庭の整理もされ、花も咲いていますが、
       以前はなかった柵が教会の横に出来ており、入れません!





       教会から続く建物部分。 多分ここは教会建て増し以前からのもので、
       石も様々な色、形であるのが良く分かります。
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       北の脇壁の様子
       多分古い教会建設の石が側廊上部に使われたのではないかと。
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       この修道院の建設に使われている石は、近くのカステルヌオーヴォ・デッラバーテからの
       石で、これは石灰華の層にアラバスター・雪花石膏の層が石目、縞目に入る石
       なんだそうで、艶があり、周囲の色や季節によりその色が反映し、変化するのだそう。
       確かに、アップで撮っている写真で見ると、半透明感の像などもあり、

       光の強い夏の写真や、朝の曇った光により、
       ずいぶんと色が違って写っている理由も納得したことでした。





       入口側から北脇に回ってすぐの壁で、左上のはローマ期のもののリサイクル!
       コルヌコピア・豊穣の角笛を抱えたもので、近くのローマ期のヴィッラのものだろうと。
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       内庭に面した教会脇扉には、素晴らしいロンゴバルドの彫りの施された扉飾りが
       あるようなのですが、今回も見られずで、

       こちら側のは片面の柱と、扉上部の飾りのみ。
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       右側の下部分
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       上部、まぐさ石の装飾。 右端に、飾りをかぷっと咥える動物がいて・・!
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       鐘楼。 かって鐘楼は教会と離れていたというのですが、
       増設され、現在は教会本体に食い込んだ形に。
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       鐘楼と教会の壁の角にいる動物、牛かな?
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       1階部分は窓なし、2階と3階には窓が一つ、が3階の方が大きく
       そして4階の窓は2つ窓。 これは重量を減らす意味もあったそう。
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       鐘楼のアーチ部から見つめる動物
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       鐘楼の角から後陣部に
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       鐘楼の東向きの壁には碑がはめ込まれているのでご注目を。




       上部には、この稚拙な聖母子像と天使、左側には動物が上下に2頭
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       左には翼と角を持った動物、しっぽの先が2つに分かれ・・!
       右の壁に見えるのは、頭が欠けたライオン像。
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       鐘楼と後陣の境にいるライオン像と。 頭部が欠け残念ですが、
       見事なたてがみを持ち、ごつい手!!
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       後陣の外に張り出す礼拝堂部分。 内部には祭壇がある小礼拝堂は
       後陣から3つ張り出し、屋根の下の庇支えの動物と柄がそれぞれ見事!
       
       最初の張り出し部の右から左へ
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       後陣の窓、隙間に咲く花。 サルビア種かな?
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       後ろから見る姿、鐘楼と内陣の高い部分と後陣
       そして左に、古い教会の名残部分
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       ここは以前まるで見られなかった古い時代の教会部分ですが、
       ここにも礼拝堂の張り出しがあった様子で、
       古い石組がなんとも良い趣!
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       庇の下にも、稚拙ながら何かの柄があったのが見て取れますね。





       これは後陣の真ん中と左の、礼拝堂の張り出し部分の庇の下の柄
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       この長~い舌を出したあっかんべーが2か所にあり、これが大好き!!
       動物がいると、いかにも中世!という趣になり、
       それがまた怪奇な動物であるほど、痺れます、ははは。





       後陣上部の窓。 ここから、あのなんとも印象的な光が入るのですね。
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       南側からの眺めと
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       鐘楼上部に見えた、鐘2つ!
       これを見るまでは、鐘楼には鐘がないのかと思っておりましたが、あったぁ~!
       これも、アーケード式鐘楼というのでしょうか?
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       東にかけて広がる眺め。 上の写真の右中に見える道を辿って来たのでした。
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       赤いヒナゲシもいくつか咲いていたのですが、金網があって。
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       突如と響く大型バイクの爆音! 
       こういうのはまるでこの場所に似合わないと思うのですが、
       しばらく後、立ち去って行きました、やれやれ。
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       道脇の花を眺めながら
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       漸くに射してきた陽に映える修道院を眺めながら、shinkaiは戻ります。       
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     *****

       あれこれモンタルチーノからのバス便を調べましたが、やはり見つかりません。

       ですが、シエナからの半日ツァー、モンタルチーノの町とサンタンティモ修道院訪問
       ワインの試飲込みで38エウロ というのが見つかりました。
       イタリア語のみのサイトですが、お試しになりたい方こちらから。
       


       と、今まで修道院に住み祈りの生活と共に管理人でもあったフランス人修道僧たちが
       36年間の共同生活体の後、南フランスはアヴィニョンの近くの修道院に戻る、
       という2015年のニュースを、バス便を探していて見つけました。

       詳しくは原因が出てきませんが、どうやらイタリアの文化財保護管理事務所との関係、
       フランス側の母体派の問題もあるようで、2015年11月に立ち去り・・

       というのでその後の経過を探しましたら、

       その後はモンテ・オリヴェート・マッジョーレのベネデッティーノ派修道院
       引き継ぐ事になり、2016年の1月から2人の僧侶が移殖することになったと。

       我ら凡人から見ると、平穏な祈りの生活に明け暮れているように思われる
       修道院生活、僧侶たちの日常ですが、
       今回はこんなニュースを見つけフ~ムと思い、
       まぁ、後継ぎが見つかって良かった、と思った事でした。

       という事で、これから行かれても大丈夫、
       サンタンティモ修道院は、12世紀間の歴史を紡ぎ続けている事でしょう




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、花のカステルッチョ 途中経過と、 スコミーゴ村の花 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-04-14 23:31 | ・トスカーナ Toscana | Comments(6)
2017年 04月 09日

   ・・・ 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 (写真追加)・・・

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       ヘミングウェイの「武器よさらば」は皆さんよくご存じと思います。
       あの簡潔なヘミングウェイの文体も素晴らしいですし、
       映画にもなっていますので、そちらからもご存知かと。

       第一次大戦のイタリアの戦場で脚を負傷し、ミラノの病院で手術。
       その病院で知り合った看護婦と恋に落ち、脱走し、
       マッジョーレ湖をボートを漕いでスイスに逃れ、
       そこで彼女は出産するも子供共に亡くなる、という粗筋。

       これはヘミングウェイのイタリアでの戦争体験が元に、というのも有名ですが、

       4年前の春、「ヘミングウェイのヴェネトでの足跡」を巡るツァーがあり参加。
       漸くにその時の写真を整理しましたので、へへ、ご覧ください。

       上はイタリア軍の軍服を着たヘミングウェイ、19歳(18歳)




       
       当日最初に行きましたのが、トゥレヴィーゾ南にあるカジエール・Casierという
       コムーネに付属のドッソン・Dossonという町。
       そこにあるヴィッラ・デ・レアーリ・Villa de Reali、17世紀。
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       おっちょこちょいのshinkaiはバスから降り標識を見て、えっ、レアーレ?!
       (王室の?!)かと驚いたのですが、

       いいえの、デ・レアーリ・de Realiという姓のジュゼッペ・マリーア、著名な政治家が、
       もともとはベネデッティーノ派の修道院だったのを改装してあったこのヴィッラを購入。
       その後、その息子のアントーニオ、上院議員、が大きく再建築し、
       13平米の庭を整備したものなんだそう。





       母屋の主体はこんな感じで
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       庭の奥隅に礼拝堂も見えます
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       ウィキペディアから拝借の写真で、礼拝堂の正面と建物の様子を。
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       翼側の建物
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       広大な庭園。 
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       ですが、どうも良く分からないまま、何となしに奥の方に行きそびれ、





       ちょっとした考古学博物館式になっているロッジャの下なぞや、
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       開いている窓から部屋の中を覗いたり・・!
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       この日ガイドしてくださった方は、地方歴史家というのか、
       第一次大戦におけるヴェネトの激戦地についてや、
       今回のヘミングウェイの足跡についての研究家の様子で、

       つまりこのヴィッラは特別ヘミングウェイに関係があるというのではなく、
       戦時中にこのヴィッラは兵隊の駐屯地にもなっていた様子で、
       その時に、彼もここに来て野営した、という関係だった様子・・!

       はぁ、まぁ、ヘミングウェイついでにヴィッラ拝見、とでも。





       漸くにヴィッラの中に入れ、お部屋を見れました
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       古い貴族のお屋敷を拝見に上がると、大抵懐かしい趣の写真があり
       そんなのを見るのが好きですが、今回も美人さんがおられ、
       懐かしいジョヴァンニ・パオロ2世教皇のお顔も!
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      ★ 写真追加 ◆  
       美人さんの写真、と書きながら、へへへ、肝心なのをアップし損なっておりました!

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       で、この女性なのかどうか・・、たぶん写真の撮り方から違うとは思うのですが、
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       デ・レアーリ家の最後の後継者テレーザが、1900年に侯爵ジュゼッペ・ディ・カノッサ・
       Giuseppe di Canossaと結婚し、
       1937年からこのお屋敷はカノッサ家の財産になっているのだそうで、
       現在の所有者は
       グアリエンティーナ・グアリエンティ・ディ・カノッサ・Guarientina Guarienti di Canossa.

       カノッサって、あのカノッサ?! と思われた方、
       はい、左様でございます。 
       あのカノッサ、10世紀からの貴族の家系、トスカーナ辺境伯、マティルデ女伯の下で
       「カノッサの屈辱」事件もあった、あのカノッサ家ですが、
       現在の上の麗々しいお名前の方はどの分枝の方か、存じませんです。


       「モンテクリスト伯」に、カヴァルカンティ・ディ・カヴァルカンティという
       イタリア貴族の騙りが登場しましたっけ、ぷっぷ。
        




       これは美しいお部屋でしょう?
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       でも、この小部屋の感じの方が好きだなぁ・・!
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       これは門扉の所にあった標識で、
       ほらね、「グアリエンティ・ディ・カノッサ」が見えるでしょ?!
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       見送って下さる管理人の方で、掌に入るほどのチビわんこを抱いて、
       やれやれ、野蛮人どもが帰るわい、という所、ははは。
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       我らはそれからバスで少し走り、地図で見ると多分シーレ河・Sileと思うのですが、
       その川岸を歩きながら、ガイドさんの説明を。
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       ですが、川岸の細い道でグループ全体が細い列になっていますから、
       ガイドさんの声はまるで通らず、後ろから付いていく我ら不良どもは、ははは、
       好きなように写真を撮って、時間の過ぎるのを待つばかり。
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       多分、このあたりにも若きヘミングウェイが出没したのでしょうが・・!


       そう、「若きヘミングウェイ」、本当に若かったのです!
       
       1899年7月21日、現在のシカゴ生まれ。 父親は医者、母親は元オペラ歌手志望。
       小学校へはあまり熱意なく通ったものの、ハイスクールで彼が文学に向いていることを
       発見した良き教師2人に出会い、彼らに励まされ、初めて学校新聞に発表。

       1917年卒業後大学には行かず、カンサス・シティでモダンで斬新、公平な記事を
       特徴とした地方紙「カンサス・シティ・スター」で働き始めるものの、
       
       この年4月6日にアメリカは第一次大戦に参戦、ヘミングウェイも仕事を捨て
       ヨーロッパでの戦いに志願するものの、視力の問題から、赤十字の救急車の運転手として
       イタリアへの派遣が決まり、
       2週間の教練と10日間のニューヨーク滞在の後、1918年5月23日ボルドー行きに乗船、
       5月29日上陸、ヘミングウェイ18歳!

       当時アメリカ側から参戦志願した若者たち、大学生の中には、
       ウィリアム・フォークナーやフランシス・スコット・フィッジェラルドなどもいたそうで。

       5月31日パリに。 ドイツの大砲により被害を受けた街並みを見た後、汽車でミラノに。
       何日かを緊急隊で働き、この時に近郊で、空爆を受けたくさんの女性工員が
       死んだ工場を見、彼にはこれが最初に直接に見た戦争での死者だったそう。

       そこからヴィチェンツァに、国際赤十字アメリカ部門のスキーオに配置されたものの、
       もっと戦争貢献と自分の記述のためを考え、短期間ながらもゴリーツィア、
       トリエステ近くのまさに最前線にも。

       が彼の所属していた部門はかなり平穏だったため、もっと実際の戦場に近い場所への
       配置転換を願い、こうしてピアーヴェ河の下流にある、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ・
       Fossalta di Piaveの近く、塹壕の補助員として配置に。



       地図をどうぞ
       左下に見えるカジエール・Casierの上に小さな赤点がついているのが、
       最初に見て頂いたヴィッラで、その次の川沿いの風景はその東を流れるシーレ河と。
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       東側を流れるのがピアーヴェ河で、この河を挟んで北から南、ずっと大激戦地で、
       上に見えるファガレ・Fagaréには、第一次大戦の戦死者の廟があり、

       地図には見えませんが、ピアーヴェ河を北に遡ったネルヴェーザ・デッラ・バッターリア・
       Nervesa della Battglia、我が町コネリアーノの西に位置するここには、
       もっと大きな戦没者の慰霊廟が。
       
       で、ヘミングウェイが負傷したのがフォッサルタ・ディ・ピアーヴェ
       右下に囲った、ピアーヴェ河が蛇行している所。





       バスに乗り、こんな菜の花畑を見ながら進み
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       ファガレの戦没者慰霊廟に
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       ここに葬られているのは、イタリア兵5191名、これは姓名が分かっている方で、
       身元不明の死者5350名、アメリカ兵1名、オーストリア兵1名と。
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       この部屋は下段に遺留品の展示もありますが、同じ形の部屋内全面に
       四角い廟という部屋が殆ど。
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       管理の方から、なんとも物凄い話もお聞きしたのですが、これはパス。





       そして、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ。 この一帯が大激戦地だったのですね。
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       途中で戦時中に破壊された教会、現在はきちんと修復されておりますが、
       その前にあったヘミングウェイの写真
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       下に見える説明には、
       一般にはヴォランティアには軍服とか火器は許されないが、
       ここではベルサリエーレの自転車に乗り、銃も付けているし、ポケットに手りゅう弾も。
       だから、たぶんフォッサルタでは小さな戦闘にも参加したのであろうと。
       こういうのは、どこでも行われていたと。





       金属板の碑にあったこの一帯の地図
       ちょうど真ん中、ピアーヴェが湾曲している部分が彼が負傷した場所で、
       その下に橋が架かり、教会も見えますが、
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       橋はこれ。 多分私設の橋なのでしょう、渡り賃を取る料金所が真ん中に。
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       ポー河の下流で一度船を繋いだ橋を渡ったことがあり、やはり料金所があったのですが、
       知らずでそのまます~っと渡ってしまった経験が! ははは。






       土手にこんな鋼鉄の碑
         この土手で、アーネスト・ヘミングウェイ、アメリカ赤十字のヴォランティアが、
         1918年7月8日の夜負傷した。
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       土手から見るピアーヴェ河の湾曲部
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       皆土手を下りて岸辺に近づきますが、上から見つめる18歳のヘミングウェイ
       La guerra di Hemingway・ヘミングウェイの戦争
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       ピアーヴェ河、湾曲部の地図。 濃い赤色の線が塹壕で、
       16の番号のある位置が、彼が負傷した場所。
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       ちょうどあの砂場が見えるあたりでしょうか
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       1915年5月24日から始まったイタリアの第一次大戦。
       1917年の10月頃までは外部にあったこの一帯が、
       イタリア軍が現在のスロヴェニアのコバリード、カポレットの戦い(10月24日から11月9日)で
       惨敗し退却した事から、ピアーヴェ河を挟んでオーストリア軍と対戦することになり、
       一転して最前線となったというのですね。

       「武器よさらば」にも描かれているカポレットの惨敗、退却は大変酷かったようで、
       shinkaiも現在のコバリードに行き、博物館も見学しましたが、なんとも・・!!
       負けが込んでいたオーストリア軍がドイツ軍に応援を求め、ついにドイツ軍が参加、
       毒ガスを用いたのも勝利につながったというのですが、
       博物館で見た写真には、ものすごいのもありました・・。

      
       そして1918年の夏、6月15日から23日にかけ、必死の反撃を掛けたオーストリア軍が
       ピアーヴェ河を渡ることに成功し、フォッサルタの村は全破壊の状態にされたと。
       家から家、1mそして1m、という記述があったことからご想像を!

       そして1918年7月8日の真夜中を過ぎた頃、ブーゾ・ブラート・Buso Burato
       呼ばれたこの湾曲部で、
       オーストリア軍の手りゅう弾がヘミングウェイの近くで爆発、
       または迫撃砲が着弾し、それで手りゅう弾が爆発とも、
       
       近くのイタリア兵一人が死亡、ヘミングウェイも負傷するものの、
       もう一人の負傷したイタリア兵を敵弾の届かない場所まで背負って救助し、
       その後敵の機関銃弾が右足に当たり膝もやられますが、這いずりながら自分も助かり、

       ミラノの軍病院に運ばれ、12回にわたる手術を受け、227に及ぶ破片が取り出されたと!





       これはヘミングウェイが被っていた帽子と身分証? ウィキペディアから拝借。
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       昔読んだ本の解説などでは、第一次大戦に従軍記者として参加、なんぞと
       書かれていたと記憶しますが、
       アメリカ赤十字に所属する救急隊員の補助で、毎日のように塹壕をめぐり、
       兵士達にタバコとかチョコレートとかの援助物資を配る、という事だった様子。

       彼は、自分が負傷しながらもイタリア兵を救助した、という事で、
       イタリア国から軍の銀メダルを、自国アメリカからも戦争十字を授かったと。





       「武器よさらば」に登場するイギリス人看護婦キャサリンとのロマンスですが、

       こちら、ドイツ系アメリカ人アグネス・フォン・クロウスキー・Agnes von Kurowsky
       ミラノのアメリカ軍病院入院中のロマンスの相手だったようで、彼より8歳年上の女性。
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       彼にとってはかなり真剣な恋だったようですが、何せまだ若い19歳。
       儚い3か月間のロマンスと入院が過ぎ、

       彼は一旦バッサーノ・デル・グラッパの戦場に戻りますが、部隊が動員解除となり、 
       近い将来の結婚約束を語りながら、翌年1919年1月21日にアメリカに戻りますが、
       3月、アグネスからイタリア人将校と婚約したことを告げる手紙が。





       アメリカに戻った彼は新聞記者をしながら書き始め、1926年「日はまた昇る」を。

       そして1929年にイタリア戦線での経験を盛り込んだ「武器よさらば」
       現在のモンダドーリ版の表紙には、入院中のヘミングウェイの笑顔が。
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       カポレットのイタリア軍の惨敗、退却、そして脱走が描かれている内容から、
       第一次大戦後のファッシスト党ムッソリーニ政権下のイタリアでは
       出版が1945年まで禁止されていたそうで、

       ヘミングウェイの翻訳で有名なフェルナンダ・ピヴァーノ・Fernanda Pivanoにより、
       すでに1943年に秘密のうちに翻訳されていたものの、彼女はその為に逮捕も。

       
       その後ヘミングウェイはスペインの人民戦争にも参加し、「誰がために鐘はなる」
       そして「老人と海」も。 1954年にはノーベル文学賞受賞


       重傷を負ったフォッサルタ・ディ・ピアーヴェを後年ヘミングウェイは再訪し、
       1950年に「川を渡って木立の中に」に当時の様子を描いているそうですが、
       これは読んでおりません。

       
       切れの良い簡潔な文章で語るストーリーは、アメリカの古典と称えられるそうですが、
       私は若い頃に熱中した上記の作品よりも、「海流の中の島々」が好き。
       自分が年を取ってから読んだことにも因るのかもしれませんが、
       なんとも心に染み入る優しさにあふれた作品と。       
       べたつかない、乾いた人間の感情、優しさが心地良いです。





       ガイドをして下さった歴史家は、フォッサルタの後まだ案内したい場所があったようですが、
       我らは内容の重さに少々疲れ、日も暮れかけるので早く家に帰りたく、
       バスの中で採決しましたら、まだ行きたい挙手は2~3名で、ははは、

       夕暮れ近い川を渡り
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       落日近い平野を走り
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       すでに暗くなったコネリアーノに戻った、「ヘミングウェイの古戦場巡り」でした




     *****

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by italiashiho2 | 2017-04-09 23:47 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 03月 30日

   ・・・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ ・・・

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       先回に続き、「印象派絵画展」を見に出かけたトゥレヴィーゾ・チェントロの、
       運河沿いに見かけた春の様子を見てやって下さいね。

       
       上の写真は、博物館から出てきてすぐの、わき道に見えた建物の壁画

       我が町コネリアーノも古い中心部はそうなのですが、トゥレヴィーゾもこの一帯の
       古い建物には大概壁画、フレスコ画装飾が残っており
       見てあれこれ想像するのが楽しいのです。





       そろそろお昼時に差し掛かる時間ですので、どこからともなく美味しい匂いが漂い、
       気持ちがそぞろになりますが、ははは、

       運河沿いに見えたお店の中の電球
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       運河沿いに沿って角を曲がり、見えるかっての水車
       ここのはかなり古い様ですが、今は動いていなかったと・・。
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       同じカニャン・Cagnan運河の奥には、まだせっせと動く水車あり





       水車の脇を抜けると中の島があり、運河はその両脇を
       かなりの水量で流れていますが、鴨たちがたくさん
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       中ノ島には常設屋台市があり、
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       もと元は魚売り場だったのですけど
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       今回見たチーズ売り場、2軒! 
       かなり強い匂いのする、美味しそうなのがありましたっけ・・。
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       ふと屋台の後ろを見ましたら、鴨たちがたむろしていて、
       しかもメス1羽に、オス5羽!! ははは。 
       こういうのも、ハーレムというのだろうか?!
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       運河沿いの向こう岸、ここもフレスコ画が残る建物ですが、
       新しくバールが店開きしたみたいで、良い感じの眺め。
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       中ノ島一帯に、明らかに観光客団体と思われるグループが何組もおり、
       印象派絵画展を見つつのトゥレヴィーゾ観光なんでしょうね。

       ええ、我々もフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見にボローニャに、
       「メッシーナ展」を見にロベレートに行ったりするのですものね。
       トゥレヴィーゾの中心も、見どころの多い場所なんで~す!

       以前の街のご案内はこちらから

       ちょっと興味深い、こちらもどうぞ

       




       野菜市もたつ狭い通りを横切り、も一度運河沿いに
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       初めてこの辺りに来た大昔、ははは、当時はこの右側の古い建物にも住人がおり
       窓辺や運河に張り出すテラスにも鉢植えの植物が見られましたが、
       ついに閉じられたようで・・。





       薄日が差し、淡い新緑の柳が揺れ・・
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       運河を渡る橋と
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       運河脇の建物に残るフレスコ画。 
       かってはきっと華やかな眺めの街だったでしょうねぇ!
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       橋の上を行きかう人々。 
       土曜日とあって家族連れ、そして買い物帰りの人々。
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       運河脇のインテリア店、ショウ・ウインドウの中
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       建物の間をぬい、道を抜け、もう一本流れる
       ボッテニーガ・Botteniga運河沿いに
       ここも柳の新緑が目に沁みます。
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       ほのかなピンク色が満開!
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       こちらの河岸にも鴨たち
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       オオバンがひょいっとお尻を持ち上げ、飛び込むのを撮ろうと思うのですがぁ、
       う~ん、コンパクト・カメラはシャッターが切れるのが遅くてねぇ・・。
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       この眺めを見るたび、いつか描くぞぉ!と思いつつ、ははは。
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       細い運河越しのこのお家、かって詩人が住んでいた、との事。
       そう、如何にもそんな感じを受けるお家なのです。
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       途中に架かる橋の上からの、逆向きの眺め
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       運河沿いの家の、上階のバルコニー
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       通りに出てきて、この建物も古いのですよねぇ。
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       建物の下をくぐり、流れていく運河
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       道はサン・ヴィトー広場に出て、何軒かの店が出ており、

       花屋さんの鮮やかな春の色!
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       斜めに横切り、トゥレヴィーゾの街の中心シニョーリ広場に。
       
       街の中心部は一般車は進入禁止ですし、ましてや土曜のお昼とあって、
       ゆっくりと行きかう人々で溢れていましたが、
       
       ここにはすでにお昼のテーブルが準備万端!
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       我らは、いやshinkaiはそれを睨みつつ、駅に戻ります。
       振り返るシニョーリ広場の建物と塔
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       う~ん、友人のジュリアーナと出かけるのは良い、楽しいのですが、
       彼女は写真を撮るのにも、食べるのにも余り関心がなく、・・それがどうもねぇ!
       という事で、結局この日のお昼はコネリアーノまで戻り、
       いつも行く彼女の家の近くのピッツェリーアでの、ピッツァでしたぁ!

       今年のパスクワも、4月16日、どうやら彼女とお出かけになりそうですが、
       う~ん、どこに行こうか、お昼をどうしようか・・・と、
       それがshinkaiの現在の悩みで~す。



     *****

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       この日曜の朝から「夏時間」となったこちらイタリアですが、
       
       土曜のお昼頃には、あ、今夜寝る前に時計を直さないと、と思いつつ
       コロッと忘れ、何せTV番組を見ませんので、お知らせも目に入らずで・・、

       日曜の朝、歩こうと起きて窓を開けびっくり、まだ暗い!!
       やっと、そうだ、夏時間になったのだと気が付いたものの、
        ・・自動的に時間変更に対応する目覚ましはイギリス製で、
         目覚ましはいつもの通り5時半(実質4時半)に鳴ったということで、

       目につく時計も、PCの時計も遅れたまま、頭の中も寝たまま!
       で、6時に出かける筈の歩き時間の計算ができず、いささかパニック、ははは。     


       と同様、今朝エキサイト・ブログのマイページをつけようと思いましたら
       レイアウトが変わっており、どうやったら即マイページに行けるのかと・・!


       う~ん、だんだん対応が遅くなっているなぁ・・!

       でもぉ、エキサイトの変更のは、shinkai一人ではなかろうなぁ、へへへ。
       



     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-30 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 03月 16日

・・・ ヴァイオリン博物館・クレモーナと、 ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ (再追記) ・・・

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       クレモーナ訪問の時に、2013年に開館した新しいヴァイオリン博物館を見ましたが、
       余り時間が取れずで、おまけにストラディヴァリの視聴が出来る、と聞いていたのが無しで、
       いささかがっかりで戻ったのでした。
       が、その後あれこれ調べているうちに、ヴァイオリンと言うものにすっかり嵌まりました!

       実際の演奏会には行ったことは少ないのですが、弦楽器全般、そしてヴァイオリンの
       音色は昔から大好きで、今も毎日絵を描く時にはBGMに常にCDを掛けて聞いています。
       で、今までは余り考えたことがなかったヴァイオリンという楽器そのものについて
       知り始めると大変に興味深く、もっともっととあれこれいつもの芋づる式に・・!

       という事で、何とか上手く纏まるよう、お伝えできるよう頑張りますので、
       よろしくお付き合いの程を!

       

       新しい、クレモーナのヴァイオリン博物館入り口
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       上記したように、ここは2013年秋オープンで、以前のストラディヴァリ博物館があった
       パラッツォ・アッファイターティ・Palazzo Affaitatiから移された楽器や
       ストラディヴァリの遺品の展示など10室の展示室、そして新しい音学室と、
       素晴らしいもので、ゆっくり時間があれば、と思ったものでした。




       前庭にあったストラディヴァリの像
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       こちらは建物の中庭にある、五線譜を使った鋼鉄の像
       スペインのプレンサ・Plensaという人の作品とか。
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       下はサイトで見つけた写真ですが、・・こういうのは、どうも、ですねぇ・・。





       こちらは博物館の中の一室、「宝の宝庫・Lo scrigno dei tesori」と呼ばれる部屋。

       この博物館のお宝である、1715年ストラディヴァリ作のクレモネーゼ・Cremonese
       初めとして、アマーティ・Amatiや グアルネーリ・Guarneriの作品
       1556年から1734年にかけての、全10点が収められた部屋。
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       壁も床もしっとりと布張りで、一つ一つの楽器がガラスケースに入っており、
       多分湿度調節とか様々な設備が施されているのでしょう。

       たまたま我々が行った時、最初のケースが空だったのですが、
       そのうちに一人の男性が持ってきてケースに入れ、それに続いて来た小グループに
       フランス語で説明しているのが聞こえましたから、視聴もあったのかも・・!

       博物館のお宝であるクレモネーゼは、この部屋の一番奥の真ん中に、
       ケースが明るく見えるのがそれですが、
       後ほども少し詳細に。




       こちらはズッカ・カボチャと呼ばれている、ははは、ヴィデオ視聴室で、
       中は暗く、円形状にそって椅子が並び、天井に映る音楽ヴィデオを視聴出来ましたが、
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       う~ん、いくら良い試聴室でも、ヴィデオではねぇ・・!




       こちらは新設の音楽室で、464人収容、真ん中で室内楽やソリストの演奏ができ
       ここの設計実現には日本の技術者トヨタ・ヤスヒサさんという方が携わったと。
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       博物館には他に、楽器店の科学的研究や診断も出来る工房が開かれたそう。

       博物館のサイトは http://www.museodelviolino.org/
       日本語版もありますし、右にはヴァーチャル・ツァーも出ます。





       さて、ヴァイオリンという楽器の歴史ですが、
       これについてはYAMAHAのサイトに分かりやすく載っていますので、ご覧頂き、
       
       イタリアで、というよりも歴史に残るヴァイオリン製作者の最初として名が挙がるのが、
       ガルダ湖畔サロ出身のガスパーロ・ダ・サロ・Gasparo da Salò
       そしてクレモーナのアンドレア・アマーティ・Andrea Amatiですが、

       こちらが上記のYAMAHAのサイトにあった、1565年頃のアマーティの作品
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       当時のヴァイオリンは、現在のと比べて指板、左手で弦を抑える板の部分
       短いのにご留意下さいね。
       
       
       が、上のヴァイオリン博物館のお宝の部屋には、1556年のアマーティの作品も、と
       帰ってきてから知る、見てない馬鹿が感じるこのちょっぴりの無念さ!
       




       通常ヴァイオリン発明者と言われるガスパロ・ダ・サロについては、こちらに

       彼は20歳の頃に父親が亡くなり、それでサロからブレーシャ・Bresciaに移り
       当時音楽が大変盛んだったブレーシャで活躍したらしいのですが、
       彼が作ったというヴァイオリン、これはまだ彼の作とは断定出来ていない様子ですが、

       大変に美しいオレ・ブル・Ole Bullというのを見つけました。
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       指板にも装飾が入り、少し長いようですし、裏板装飾も凝っていますが・・、
       ブレーシャではガスパロの作品としての研究が進んでいるようで。





       所でヴァイオリンは15世紀に登場した時、既に、現在の形とほぼ同じ形
       現れたのだそうで、故に後に改良されたのはほぼ僅かな部分と言われますが、
      
       古いタイプをバロック・ヴァイオリン、新しいのをモダン・ヴァイオリンと呼び、
       それの違いは、これもYAMAHAのサイトにあった図がとてもわかり易いので使わせて頂き、
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       つまり、かって室内楽で使われてちょうど良い音量であったヴァイオリンが
       大会場で使われるようになり、また高音が多く出やすいように改良したのがモダン・ヴァイオリン。

       高音がもっと弾けるように指板が長くなり、駒を高くし、ネックも少し傾いていて
       これは弦の張力を増し、音量を高く、輝きを増す為なんだそう。
   
       そして、胴の厚みは減っているようですし、かっては脇からすっと丸かったのが、
       現在のは一旦少し薄くなり、それから丸みを増しているようですね。





       こちらは1628年のニコロ・アマーティの作品で、彼はストラディヴァリの師匠として知られますが、
       これも指板が長いので、現代風に改良されている様子。
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       アントニオ・ストラディヴァリの肖像。 
       300年前に彼が作ったヴァイオリンが今も比類ない物と賞賛される人物。 
       1644年~1737年と、93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
       現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!
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       これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、ストラディヴァリの制作証明の紙片で、
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       こちらの2番めに見える、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
       Faciebat Anno 1667 がそれで、
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       Antoniusu Stradivariusというのが、Antonio Stradivariのラテン語名で、
       クレモナのアントニオ・ストラディヴァリの事。
       2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。

       1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
       Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
       Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った、という意味で、
     
       この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、という唯一の証明なのだそう。


       それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させていたのか知りませんが、
       最後の6を8に変えたり、ははは、かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。

       
       と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。





       こちらがヴァイオリンの各部の名称で、
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       そして、ヴァイオリンのお腹の中! これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。
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       バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、安定させると言い、
       魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。

       この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、ヴァイオリン製作の一番最後に
       F字孔から入れるんだ、というのは、友人のご主人、やはりクレモーナでヴァイオリン製作を
       学んだ人から昔聞いており、
       今回これを思い出し、どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りましたが、

       この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違ってくるのだそう!
       その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とも言える、
       アーニマ・魂の呼び名に恥じない、6cm程の小さな円柱ながら大きな働きをする物。

       このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きます。


       そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
       膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出てきましたが、
       魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠では留めず
       とりわけ魂柱、駒は音の質の違いを聞きながら、動かすのは上記の通り。


       




       という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ
       この写真はクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットでして、へへへ。
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       1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
         この内型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
         フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
       2.緒子掛の止め穴用。
       3.4.横板  
       5.表板    モミ
       6.F字孔
       7.バス・バー(力板)  モミ
       8.魂柱    モミ
       9.裏板    カエデ
      10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
      11.縁飾り、象嵌細工
      12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き  カエデ 
      16.糸巻き
      17.上駒
      18.指板   黒檀
      19.駒
      20.緒子
      21.緒子の留め板
      22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン

       という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
       裏と横板にはカエデが多い様子。
       が、あるYoutubeでみたリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
       一般にはカエデだがこれはポプラだと、手元の一台を指しましたので、
       その辺りは製作者により、事情により様々な様子。


       ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
       日本語版 https://www.youtube.com/watch?v=x6MO32VDZ0U
       イタリア語版 https://www.youtube.com/watch?v=42nPLiwtjGQ

       これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもので、猫ちゃんも登場です。





       モミの木は、北イタリアのトレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ・Val del Fiamme
       のもの、というのをYouitubeで見つけましたので、こちらを。

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       このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、ヴァイオリンに挿し込む場面がでます。 
       音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?と疑問ですが、ははは。

       後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの森が映り、この森は「響く森」と呼ばれており、
       モミを掌で叩くと見事に反響する場面があります。
       説明しているのはイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウティ・Ugo Utiで、
       ヴィヴァルディもここに来て、木を選んだのだと云います。
   
       彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っているのですが、
       その音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
       一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックだと言うような説明を。


     ◆ 再追記 ◆

       このモミの木は伐採後、5年から10年自然乾燥させたものを使い
       5年以下の木材を使うことは無いと。

           ***

       トレンティーノの山中に暮らしたマーリオ・リゴーニ・ステルンの本
       「野生の樹木園」みすず書房、この本も友人から戴いた物ですが、
       ふと思いついてモミの木の記述を探しました。
       少し長くなりますが、抜粋してみます。

       ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも言うべき樹木で、
       いつも私のそばにあった。   中略
       子供のころ、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、必ずアカモミ
       の苗木だった。   中略
       種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、そこはアルプスじゅうで
       もっとも美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも優良な種子を産出するとのことだった。
             中略
       独特の性質をもった、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類があって(樹皮を剥くと、
       幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついているのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、
       細心の注意を払って伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
       満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、より丈夫にする知恵である)。
       こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴を作る
             中略
       マツ科に属するアカモミは、都会の人にかぎらず多くの人から、誤ってマツと呼ばれる。
       マツと云うのは、また別ものである。
      
                ***



       ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働いていたようですが、
       1680年36歳の時家を買い、工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで続けます。

       師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・Girolamoが跡を継ぎ、
       彼は父親の最後の20年ほど仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
       それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
       重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
       
       同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが活躍し始めますが、
       息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ・Bartolomeo Giuseppe Antonio
       通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。


       デル・ジェズという通称を、「神の如き」と書いてあるのも見ますが、文字ではそうですが、
       これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の制作証明の丸印に
       彼は IHS と記したことからなのだそうで、
       これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
       まぁ、本人がどうしてこの3文字を選んだのかは分かりませんが・・。
       
      
       と、イタリア語で弦楽器の製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
       これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器でヴァイオリンはひきますが、
       同じ弦楽器という事で、同じ製作者がつくったのでしょうね。


       ストラディヴァリは約70年間ほどを弦楽器の制作に打ち込み
       最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると翌年再婚、
       この妻との間にも5人の子を持ち、はは、お元気ですねぇ!

       息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、もう1人のオモーボノは部分的に。
       ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子には全部の仕事を任せることはほんの時々で、
       それも安い仕事を一般に任せたのだそう、ははは。

       こうして1700年から1720年代に掛け、彼が56歳から76歳の時に当たりますが、
       いわゆる彼の黄金期で、仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。

       師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの形となり
       ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶-オレンジ色に
       楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。




       当時の作品で有名なのは、1704年のBetts, 1715年のAlard,

       そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
       これは現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。
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       そしてこれは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
       メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、
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       そしてこちらが、クレモナの博物館のお宝、1715年作クレモネーゼ・Cremonese.
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       これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、現代的に少し変えられている様子。





       実はshinkaiは、この「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持っておりまして、はい。
       10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで買っていて、
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       今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
       実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
       漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!


       これはあるヴァイオリニストの持ち物になっていたのが知れたのが1877年、
       その後も何度か持ち主が変わり、最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのだそう。
       それを1961年にクレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。


       1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されている様で、
       Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode などの名が上がるそうですが、
 
       元の名をヨアヒム・Joachim、クレモナ市に寄贈され名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
       と変えたこの楽器は、ニスはオレンジ-金色のオリジナル。
       音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の均一性優秀、などなど。       
       shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!

       
       写真でもよくご覧頂けると思いますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている
       使い込まれているのが分かりますね。

       これは当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた為なんだそうで、
       顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
       これで随分奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、当時は弾きにくかった部分も
       楽になり、ヴィブラートも簡単になったんだと。




       収納されている曲はご覧の通りですが、
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       博物館の音楽室で、このクレモネーゼを弾いているYoutubeが見つかりましたので、こちらを。 




       そして、もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
       アマティ、ストラディヴァリ、グァルネーリの音なんですね。
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       どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接ほどの音ではなくとも、
       一段の有り難さを心がけ、聴くように致しますです、はい。





       こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、
       ニコロ・パガニーニ・Niccolò Paganiniが弾いていた
       彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
       確か現在はジェノヴァにあるはず。
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       パガニーニはヨーロッパ各地を演奏して回り、その素晴らしく技巧的な曲と演奏で魅了し、
       共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、




       プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真をおまけに。
       ニースの市場から近くだったと記憶していますが、
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       碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
       彼の力倆ある魔法の音を讃えています。
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       これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で監獄に入った事も
       あったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。




       お邪魔するブログ「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」で、たまたま 
       取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、などなどの他に、
       デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた映画の話題もあり、

       彼についてはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
       いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、
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       映画の予告編はこちらに。 https://www.youtube.com/watch?v=q_IeJtWZpc0
       
       はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
       当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは興味深かった。

       彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは、



       「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
       千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのは、こちらから逆にお進み下さい。


       千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作の「デュランティ」を、
       2002年に思いもかけない経緯で購入されたのは有名なお話の様ですが、・・知らずでした。

       お話しにある「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、

       顎当ての無い方、向かって右側の下が楕円に少しニスの色が薄いような感じを受けましたし、
       裏板のニスも下のほうが少し薄くなっているような・・。

       それに最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
       が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間の事で、
       それ以前は1759年から枢機卿ですが、その前は1740年からローマの
       サン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。 
       彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと云うことで、
       音楽が好きで、それで購入したのかもしれませんが、
       そのあたりは少し曖昧に感じます。

       いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
       教皇様の在位期間は一般にとても短いので、それでちょっと気になって調べたのでした。

       と、また教皇様になったりすると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
       それほどのヴァイオリンをお持ちならば、お使いになるチャンスは数あったと思いますし、

       その後のフランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
       やはり同様では無かったでしょうか?

       ヴァイオリンは誰にも弾かれることがないと、ダメになると聞きますし、
       その為に現在の博物館のヴァイオリンは毎日、その為の係が弾いていると聞きます。

       まぁ、それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
       今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、新しく一から出直す覚悟で弾いている
       と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、
       楽器にしても、自分の真価を発揮してくれる本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
       千住さんのこれからのますますのご活躍を祈ります!




       と、少し横にそれましたが、

       上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、博物館の音楽室で
       ストラディヴァリの幾つかを試し弾きするYoutubeがありましたので、ご覧ください。
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       彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様子で、3度も弾いてみています。
       その間にグァリネーリも弾くのですが、これは余り好みではなかった様で、はは、
       勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違うのですが、
       これは興味深いヴィデオです。

       
       制作されて後300年近くを経て、元の木材での存在よりも、
       楽器そのものとして長く生き、乾燥し、本当に軽くなる様なのですね。
       クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を他の演奏家がしていましたが、
       近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、というその不思議さ!
   

       ストラディヴァリのニスについても、複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
       逆に単純に松のニスに油だけ、という結論を出した方もおられるようで、
       こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、

       まぁ、そんな事を知った所で、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、

       300年前の楽器製作者が自分の命を込めて作った楽器が今も生き
       同時代の鍵盤楽器などは残っていても、使える状態のものは一台もないといいますし、
       今も素晴らしい音色を響かせてくれる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
      
       今回は博物館を訪問して後の収穫が、自分にとってはとても大きく、楽しみました

       皆さんにも、少しはお伝えできましたよう、願います


     ◆ おまけ ◆

       ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんもよくご存知でしょう?!
       習い初めのヴァイオリンの音は、まさに他人にとっては拷問の如きものでして、ははは、
       大人が習い始めての2年間の進捗具合のYoutubeも見つけましたので、
       ご本人はとても可愛い美人さんなので、お暇な方、どうぞ!


     ◆ 追記 ◆

       肝心なことを書き忘れておりました。
       この何から何まで手作りの「クレモナ伝統の弦楽器作り」は、
       2012年からユネスコの文化遺産のリストに載っているそう。

       木材選びから、削り、接着し、ニスを塗り、このニスもスプレーは禁止、手作り、
       すべてが製作者の手を通して作られる、他に類を見ない伝統の弦楽器、技術

       職人技が奥まり、極まった所から生まれてくる弦楽器、とりわけヴァイオリンと言うもの、
       その不思議さに触れた思いがした、今回なのでした。
       


     *****

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       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-03-16 05:20 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)
2017年 02月 14日

   ・・・ ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 ・・・

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       昨年春の南ラツィオの旅、今回は最後のご案内になるガエータ・Gaetaを。

       この地には昔から思い入れがありまして、というのもず~っと昔見たガイドブックに
       浜辺にそってパステル・カラーの低い家並みの続く写真「ガエタ」が1枚あり、
       当時の未だ他を知らなかったshinkaiにはとても魅力的に見え!
       いつか行ってみたいと思っていたのでした。

       さて実際に長い年月の後に訪問してみると、やはりまるで思い込みとは違い、ははは、
       写真を整理しながらも、この町の一番の印象は何だったろう、と考えました。

       古いガイドブックにあったような「貧しい海辺の町」ではまるでなく、
       多分これより西にある「スペルロンガ」と混同しているのでしょうが、

       ローマからは南に120km,ナポリからは北西に80kmの距離にあり、
       長い紀元前からの歴史を持ち、港を持った繁栄の地であり、
       何度も異民族に襲撃されながらも、城壁を築き町全体を要塞化して備え、
       現在は明るい陽光のもと、海辺の小さな町の良さを満喫している、とでも・・?!
       
       そんな町の印象がお伝えできますかどうか・・。
       と、今回の写真は何故か呆けピントのが圧倒的に多く! 馬鹿がぁ、
       必死に修正したのですが、どうぞその辺りはご容赦下さいますようお願い致します。

       今回も写真の数が多くなりましたが・・、
       なかなかこの辺りまで行かれる方は少ないであろう、・・でも、
       shinkaiのブログはそういう方にも旅の、町の雰囲気を味わって頂いている筈と、
       ははは、そう考えてご案内しておりますので、
       ごゆっくり楽しんで頂けますように!
       
       
       上の写真は町の中程の海辺沿いでバスを降り、港の南方面を見た所で、


       角度を少し変え、海岸沿いの続きはこんな感じ。
       高い鐘楼が見えますが、これがガエータの聖堂のもの。
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       ガエータ湾をはさみ北東方面、山上に見える町はマラノーラ・Maranolaと。
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       南ラツィオのご案内全体は、こちらから。



       ガエータの町の中心部の地図をどうぞ。
       ガエータは湾を挟んで北西にも伸び、南側の浜辺も含まれるのですが、
       右に突き出した半島の先っちょ、色が少し濃くなった辺りが旧市街の位置。
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       訪問した教会2つの位置と、町の上に見える城の位置を示しましたが、


       実は町の中心に行く前に、左下に囲ったサンティッシマ・トゥリニタ・SS.ma Trinità
       という聖所を訪れ、教会や、岩山の裂け目にある礼拝堂などを拝見し、はぁ、
       ついでに右下に赤丸で囲んだ「トルコ人の洞窟」なるもの、
       なに、トルコの海賊たちが隠れ家にしていた深い洞窟でして、
       shinkaiはお金を払ってまで階段を下る気はなく、はは、行きませんでしたが、
       そんなあれこれ、そして南の海岸沿いの浜辺のパノラマを見たりでした。

       ついでに町との間に挟まる山にあるオルランド公園に赤丸も打ちましたが、
       この辺りにはローマ期の貴族の聖廟もある様子で、
       ここからの町の旧市街の様子が絶景!
       我らは行きませんでしたが、本日最後にここからの様子をお目に入れますです。




       という事で、上の地図の海辺に沿った位置、2つの教会に挟まれたちょうど真ん中辺り
       緑色で見えるのが駐車場兼公園で、

       この辺りからの眺めが上の海岸沿いの写真であり、

       右手の上に見えるのが、このサン・フランチェスコ教会
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       ここには行きませんでしたが、1222年聖フランチェスコがガエータに滞在した折に
       基礎をした教会で、14世紀に再建築、19世紀に上部を追加という形だそう。




       そしてそれより北、海岸沿いに近い低所にあるのが、
       サンティッシマ・アンヌンツィアータ・SS.ma Annunziata、ここも聖所と。
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       手前に高い城壁が一部残っているのが見えますね。
       現在は中心の方のは無くなっているようですが、
       かっての海賊、蛮族襲撃に備えての要塞化された町だった名残。
       
       ここは後ほどご案内を。




       そしてちょうど真上辺りに見えるのが、町の城・要塞
       四角い城を左右2つ繋いだ形に見えますが、時代が違い、
       右の少し低い方が、13世紀フランスのアンジュー家が占領していた時代ので、
       左の高い方が、16世紀スペインのカルロ5世アラゴン家が拡張したもので、
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       カステッロ・アンジョイーノ-アラゴネーゼ・Castello angioino-aragonese
       と呼ばれ、広さは1万4千平米に及ぶ広いもの。

       アンジュー家の方は近年まで監獄に使われていた様子ですが、
       現在は市の持ち物となり、未来は海洋大学となる予定だそうで、
       アラゴン家の方は戦前はカラビニエーリ(かっての国王警備から派生したイタリア警察で、
       軍隊組織を持ち、イタリア警察とは別組織)の学校だったのが、
       現在は経済警察(フィナンツァ)の海洋学校が入っているそう。


       こうして見て頂いただけでも、海岸沿いから天然の地形を活かし、
       階段状に町が高く重なっているのがお分かりいただけると思いますが、




       町の聖堂に向いつつ、
       真ん中に見えるのが教会サン・ジョヴァンニ・ア・マーレ・San Giovanni a Mare
       海のサン・ジョヴァンニ教会
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       クーポラの形がアラブ式になっていて、
       きっとかっての漁民たちの守護教会でもあったのでしょう、海に面していて、
       10世紀建設を1213年の地震の後に再建したものだそう。

       今は無くなったものの城壁の外、海のすぐ傍にあるため高潮の時には海水が
       内部まで入り込むのが流れ出るよう、床は微かに傾斜していると。
       



       海岸沿いを行きますが、
       大きな建物のこんな形は、今は住居とは言え、以前は何だったのかと思うほどで、
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       こちらはナポリを思い出す造りで、・・生活が窺えるでしょう?!
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       道であったワンちゃん。  あんたのお父さんは、お猿さん?! ははは。
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       遥か彼方からも素敵な威容が見えた町の聖堂の鐘楼で、
       こちらが脇の入り口。
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       鐘楼は12世紀のもので、ニコロ・デッランジェロ・Nicolo dell'Angeloの作で、
       スートゥリ・Sutriや、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ教会でも働いているそう。




       美しい鐘楼の細部をどうぞ
       アラブ・ノルマン形式の影響を受けたロマネスクで、
       3層、2つの窓で、一番上は8角形。
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       緑色の丸いお椀型や、平の四角形など、緑色の濃淡の釉彩を使ったものが
       たくさんはめ込まれ、これは光を受けて輝くのですよね。
       平らな薄目の煉瓦の組み方も工夫されているのが見え、
       白と黒の石をアクセントに、同じロマネスクとはいえやはり表現が違うなぁと・・。
       



    
       鐘楼の下に聖堂への脇入り口の上り階段があり、
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       実は現在の聖堂は、7世紀の以前あった教会の後に建設された
       11世紀のものだそうで、この入口はかっての教会の入口だったそうで、   
       現在の聖堂の正式の名はサンティ・エラズモ・エ・マルチャーノ・Santi Erasmo e Marciano.



       アーチの左右にライオン像が見えますが、
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       向かって左側のは正面から見た時、横向きの顔、とのみ思ったのが、
       何処かからライオン像だけ持ってきてはめ込んだのか、
       怖い顔して空飛ぶライオン、みたいに見え、思わず笑いましたぁ!
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       鐘楼の基礎部の石積み部分
       何ともあっちこっちからのリサイクル利用の石が混じっていて楽しく!
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       入口部分にも柄が入った石がいくつも見かけられたのですが、

       これは階段途中、左右の壁にある石棺
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       ローマ期の物、と思うのですが、この波打つような柄は左右どちらにもあり、
       実は後で見て頂く内陣の祭壇もこの柄なのです。

       土地柄なのか、何か理由があるのか、それともロンゴバルドの柄の影響なのか
       どなたかご存知でしたら、お教え願います

       と、上の竜に羽が生えたような動物、左右に対でありますが、これは竜? それとも鯨?
       というのも、どちらも人間を(ヨナ?)を飲み込む図かとも思い・・。




       内部全体の写真を撮っておらず、これはサイトから拝借し、
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       古いかっての円柱が、はめ込まれた形で残っていて



       こんな感じ。
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       内陣と後陣部分が高い造りになっていて、その下に見える
       4福音者のシンボル像と、コズマ式装飾
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       そして、やはり波模様の石棺利用の祭壇と、脚代わりのライオン像。
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       床の一部に残るコズマ式モザイクですが、ここのは黄色が多く、少し派手目。
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       これは円柱のように太く、全面にキリストの生涯と、サンテラーズモの生涯の
       浮き彫りの入った蝋燭立て、で、
       チェーロ・パスクワーレ・cero pasqualeと呼ばれる、復活祭の前夜に灯される
       蝋燭立てで、キリストの復活を祝うシンボル的なものなのだそう。
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       高い祭壇脇から階段を降り、スッコルポ・succorpoと呼ばれる礼拝堂というか、
       聖人たちの聖遺物を収める為のもので、
       上の内陣、後陣は、このスッコルポのために17世紀に高く建設されたのだそう。
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       今まで各地でお目にかかっていたクリプタ・cripta・地下礼拝堂
       意味は同じなのでしょうが、何とも絢爛豪華で派手な装飾で・・!
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       フレスコ画と大理石、とあるのですが、
       この天井部分は漆喰ではないのかなぁ・・、大理石だと重くなりすぎと思うのですが。


       それにしても、正面の祭壇画の聖人はどなたなのか、
       絵の部分をアップして眺めましたら、なんとお腹を切り開かれておりまして・・!




       半地下の豪華絢爛たる礼拝堂から上がってきましたら、
       ははは、ワンちゃんがおり・・。
       いつもながら、教会内のワン君には、可笑しいながら違和感を持ちますです、はい。
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       ガイドさんの話では、近年この聖堂は修復が済んだ所なのだそうですが、
       なんと修復代が見積もりよりもかなり安く上がったのだそうで、ははは、
       イタリアにしては大変珍しいお話です、と!

       そしてどこから聖堂をでたのか、脇からと思うのですが、
       教会正面を見ておりませんで!
       まぁ、1903年のもので、ネオゴシック調の煉瓦と明るい色石のもの、とあるので、
       ガイドさんも飛ばしたのかもしれませんね、はい。




       さて町中を見物しながら通り、
       これは天然の岩を利用し、隙間にレンガや石を詰め城壁代わりにしている場所で、
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       どうやら隙間から水が漏れ出すのもそのままに、植物が茂っており!




       こちらは上の写真の右側の所で、岩の裂け目がこんな風に!
       夏など天然の自然風で涼しかったりして・・! ははは。
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       ガエータには紀元前10世紀から11世紀には既に移植民がいたものの、
       ローマの下に、紀元前4世紀には皆滅ぼされた様子。

       そしてローマ期にはこの地は別荘地として大変に持て囃されたのだそうで、
       皇帝を始めとして裕福な貴族、執政官、議員達が通い、
       その為にアッピア街道よりも短くこの地に連絡するフラッカ街道・Via Flacca
       造られたのだそう!  やりますねぇ、ははは。

       町の地図で見て頂いた現在の公園オルランド山の頂上にある聖廟、
       というのも、このローマ期のルーチョ・ムナツィオ・プランコ・Lucio Munazio Planco,
       軍人、政治家、執政官、ガエータで紀元1年に亡くなっている彼のもので、
       ジュリオ・チェーザレの将軍でもあったそう。
       
       
       ローマ帝国の滅びた後は暗黒の変遷時代の始まりで
       はじめは蛮族の襲撃、略奪、そしてトルコ人と続き、半島の先っちょ、自然な土地柄と
       防御がし易い事から、城塞都市と変わっていったのだと。

       ガエータで「中世の区画・ボルゴ・メディエオヴァーレ」と呼ばれる古い小高い部分は
       城壁で囲まれ、要塞城も築かれ、近隣からも城壁内に移住してきたのだそう。

       最初の城は6世紀、ゴート人との戦いの物で、後の確かなものは12世紀とあり、
       この間9世紀から12世紀に掛け、町もビザンティン皇帝から自治権を獲得し、
       ガエータ公国となり、その独立を徐々に強固に、
       自国の貨幣フォッラーロ・follaroも鋳造、海洋通商の豊かな繁栄も遂げます。

       海洋国と認められ、アマルフィ、ナポリ、ソッレントと連盟を結び
       ローマに襲撃を掛けようとしたトルコ軍を相手にした849年の「オスティアの戦い」では、
       トルコ軍を総崩れにし敗走させ、
       
       915年にはやはり「ガリリアーノの戦い」でトルコ軍相手に勝ち、
       これで中央イタリアからアラブ人を決定的に退ける事となり、
       その後12世紀末、シチリア王国のもとに約7世紀間の併合を。

       この間13世紀末から15世紀かけフランスのアンジュー家の支配があり、
       16~7世紀をスペインの元に、そして18世紀の短い期間オーストリアの元にと
       変遷をし、最後イタリア王国に入ります。

       ですがあれこれ読んでいて、1571年の対トルコとの最終戦「レパントの戦い」
       のキリスト教国側の艦隊が、ここガエータの港に集結したと読み、
       この戦いにはヴェネツィア艦隊も参加し、勝利していますので、
       単純shinkaiはなんとなしにこの町に親近感を感じたりで・・、ははは。

       
       そうなんですね、海岸続きではありますが、近くのスペルロンガとは違う
       趣は明らかで、スペルロンガは貧しい漁村であったのが、
       こちらはトルコの海賊と戦って勝ち、海洋通商で繁栄した歴史を持っているのですね。

       アマルフィのご案内

       アマルフィの聖堂

       ナポリのご案内 周遊バスで

       ソッレントのご案内





       町の通りもこんな風に並行して上下が重なり
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       小さな広場では、そろそろレストランが昼の準備を始めており
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       これは既に仲間が写真を撮っている姿が写っていますが、
       スピリト・ディ・ヴィーノ・ワインの精神
       ファルマチーア・デイ・サーニ・健康薬局  とあり、ははは、飲み屋で~す。
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       通り抜けていく道脇に咲く鉢植えの花々
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       そして、サンティッシマ・アンヌンツィアータ・Santissima Annunziata・
       聖所お告げの聖母マリーア教会に。
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       建設は1321年からで、1352年に聖別され、17世紀にバロック様式に
       改築され、現在見るのはその形なのだそうで、
       一番上に小さな帆型の鐘楼、マヨリカ焼きの時計が見えますが、
       大きなゴシック様式の鐘楼も後陣右脇に。




       内部は細めの一廊式ですが、ご覧のようにここも豪華なもので、
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       祭壇の大理石装飾と、
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       床の柄
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       17世紀のパイプ・オルガンの席
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       一旦教会を出て、別の棟にある礼拝堂に行く時に見た、
       これ、何かわかりますか?  捨て子を入れる場所、です。
       ここに捨て子を入れ、ぐるっと回すと、建物内で受けて呉れたのですね。
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       やはり繁栄の時代を迎えた町でも、貧しくて生まれた子供を育てられず、
       捨て子に来た親がいたのですね。

       この教会では、受胎の聖母マリーアの名にちなみ、病院施設もあったそうですから、
       こんな捨て子を受ける場所も備えていたのでしょう。
       



       かと思うと、こちらの棟にあった「黄金の礼拝堂・カッペッラ・ドーロ・Cappella d'Oro
       天井は木製彫刻の金塗りで、周囲に19枚の油彩「キリストと聖母の生涯」を描いたもの。
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       何とも豪華なものですが、装飾も絵もまるで趣味が違いまして・・!




       小さな中庭に出てきて、この黄土色と小さな井戸、敷石の模様にホッとし
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       教会の高い脇壁の道を通り戻りますが、
       かっての町の城壁は、唯一、この教会の入口あたりで町に入れたのだとか。
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       やれやれ、やっとお昼ご飯だ!と喜んで歩きましたが、ははは、



       
       最後はサイトで見つけた写真で、
 
       オルランド山の公園から見たガエータの夜景を。
       この角度からだと、城のある位置が良く分かりますねし、
       これだと、如何に屈強なトルコの海賊でも攻められませんよね?!       
       う~ん、これは見たかったなぁ!!
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       長い町案内にお付き合い頂き、有難うございましたぁ!!
       

       

     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-14 03:13 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 09日

   ・・・ テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 ・・・

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       今回のご案内はローマから南に110kmほど、車で1時間半程の
       距離にあるテッラチーナ・Terracinaのご案内を。

       昨年春の南ラツィオの旅行では、ここの浜辺沿いのリゾート・ホテルを
       基地にして、あちこちに出かけたのでしたが、
       テッラチーナの旧市街の見学は最終日になっていたのですね。

       で5月の煌めくような朝早く、浜辺のホテルを後にし、
       一路こんなアッピア街道を模したような道を行きます。

       今回は写真が多くなりましたので、ごゆっくりどうぞ!



       これは通りすがりに見えた町のローマ門。 ご丁寧にS.P.Q.Tと!
       S.P.Q.Rだと「元老院とローマの人民」となるので、
       どうやら「テッラチーナの人民」の意味を込めている様で、
       シャレというか、どこか親父ギャグみたいで、ははは。
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       ですが我々は一旦町を通り過ぎ、町外れの山上にある
       アンクスールのジュピター寺院の遺跡見学に先に行きます。

       これが港から見上げたアンクスールのジュピター寺院・Tempio di Giove Anxur
       そうです、この高さに大きな寺院があったのですね。
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       ですが寺院遺跡のご案内は苦手の上長くなりすぎますので、
       写真で様子を見て頂けるよう、水彩ブログの方に載せましたので見てやって下さい。




       街の様子の地図をどうぞ
       街全体としては海辺沿いにずっと細長く西に続きますが、
       ジュピター寺院と、色がほんの少し濃い囲った旧市街の位置を。 
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       テッラチーナと近くの街の関係地図は




       現在のテッラチーナの人口は4万6千人程。
       これは小高い位置にある旧市街部分以外の、
       下の街と呼ばれる部分の方が大きいと思うのですが、

       バスで山の上のジュピター寺院を見るのに道を上っていく時に、
       かっての町の城壁が良く見え。
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       テッラチーナは紀元前6世紀の末には既にローマの勢力圏にあったようで、
       その後古代イタリア民族のウォルスキ族の下にもあったのが、再度ローマ人にと、
       繰り返された後、紀元前312年にアッピア街道が通り、ローマ期が続きます。

       ビザンティンの時代を経て8世紀から9世紀は教皇領になり、
       中世にも、このローマに近いこの町は様々な変遷を経ることになり、

       町の繁栄も衰退も何度もあった様子で、16世紀にはマラリアの蔓延で、
       町の人口はわずか150名にもなった事もあった様ですが、

       近代となり干拓事業も進み、新道路もつき、観光地として栄えている様子。



       さてジュピター寺院の見学から町に戻り、城壁の外でバスを降り、
       ガイドさんに連れられて細い道を下りながら、ローマ遺跡の中を通りますが、
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       位置としては、今見える鐘楼が現在の中心広場にある聖堂サン・チェザレーオ・
       San Cesareoで、正面の建物類は18世紀に増改築された聖堂部分。
       
       現在カピトリウム・Capitolium(ジュピター神殿のある聖地の意)と呼ばれる
       ローマ遺跡群は、後にご覧頂く中心広場の北東、という事になります。
       
      



       まず驚いたのがこの美しい壁!! 斜め格子状に石を組むのはポンペイ遺跡でも、
       スペルロンガのティベリオの遺跡でも見ていますが、  
       ここのは凝灰岩の茶と石灰岩でまさに格子柄になっているのですね。
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       脇はこんな形で、高台になっていて、角に
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       角にこの円柱が1本残ります。
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       狭い場所で、すぐ脇にはこんな風に家が立て込んでいて・・
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       上の写真の壁は正面に回ってくると、こんな感じに2重になっており、
       かっての仕切壁だったのが分かるのですが、
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       ここには、現在の聖堂に含まれた形になった大寺院とは別の
       小寺院があったのだそうで、これらはその遺跡で、
       
       つまりこの小寺院の中は3つに別れ、それぞれにジュピター、ジュノー、ミネルヴァ
       3神が祀られていたと。

       


       上の写真にも見える、奥の家の壁に残る色付きの部分にご注目を
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       屋根の形が分かる事から、かってあった建物の壁を利用して、
       後に建て増しをされていた事も分かり、これが神殿を隠していたのだそう。

       実はこの一帯、第2次大戦の時の爆撃で上にあった家々が被害を受け、
       それでこれらのかってのローマ遺跡が明らかになったのだそうで・・!


       右手に見えるアーチの上にも、かっての壁跡が見えますし、

       我らは今回見なかったのですが、中央奥に見える小アーチの上に小路が見えますね、
      
       あれを左奥に行くと・・・、




       こんなテアトロ・劇場跡が4分の一程も見え、これも爆撃で明らかになったのだそう!
       他の部分は上に家々が立て込んでいるのだそうですが、
       近年の研究では、劇場の直径が約72m、4000人ほどの観客収納数の大きさと。
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       脇道の角の上階の柱、これも明らかに神殿の柱をリサイクル利用していて、
       ここはどうやら現在の聖堂の一部の様子!
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       これは何だろ? 浴槽?
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       遺跡につきものの猫ちゃん。 少し痩せぎすね。
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       こうして旧市街の中心広場かってのローマ期のフォーロ・エミリアーノ・Foro Emilianoに
       塔は聖堂の鐘楼と同じ時代12,3世紀、同じ高さ、とあっても探しても高さは見つからず、
       塔はフルメンターリア・frumentariaというので、穀物倉だったと。
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       塔の右手のモダンな建物と奥側とともに市役所だそうですが、




       ついでに塔の横の階段の様子も見て頂き、
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       古い側の市役所の壁もご覧下さいね。 
       そうなんです、かってのこの建物の壁も2色の格子壁、
       つまりローマ期の何か古い建物があったのでしょうね!
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       そして広場の西を占める聖堂サン・チェザレーオ・San Cesareo.
       元々あったローマ期の大寺院を含む形で大きく建設されたもので、高台に
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       聖堂の右に見える建物は、13世紀のパラッツォ・ヴェンディッティ・Vendittiで、
       元々は市の建物だったそうで、下に見えるアーチをくぐると、上で見て頂いたローマ遺跡で、
       
       このアーチの下をかってのアッピア街道が通っていたのですね。
       



       鐘楼、12~3世紀。 こちらも2色使いの素晴らしいもので、上階に行くごとに
       窓の幅が広くなりますが、これは重量を減らす工夫だったそう。
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       そして装飾にはめ込まれた色付きの丸い鉢のようなもの、お分かりでしょうか?
       彩りを添えますが、修復の際に取り替えられたものだそう。

       同じ彩色陶器を使う工夫がポンポーザの修道院にも




       元々の教会はローマ期の寺院があった上に建てられた9世紀のものだそうですが、
       聖別されたのは11世紀、鐘楼とともに内部の修復も12~3世紀と。

       教会前のロッジャ部分の、モザイクによる装飾は現在右側にしか残っておらず、
       何のモチーフかまだ明らかではないそうですが、最初の十字軍遠征であろうかと・・。
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       軒下の装飾部分。 人物像が見えるのは、玉座に座る人物と。
       その右にいるのは猿のようで・・!
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       入口前の円柱の下の飾り部分。 背を向けて座っている人物や
       ライオンというのですが、残念ながら破損部分が大きくて。
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       こちらは良く分かるライオン像
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       こちらのサイトに、聖堂の装飾の詳細写真が。       




       さて、聖堂内部。左の説教壇にご注目を。 と祭壇部分
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       ここの説教壇のコズマ式装飾が素晴らしいもので!!
       と言いつつ、暗くてshinkaiの写真はピンぼけが多く・・、とほほ。
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       説教壇を支える者たち! 素敵ぃ!
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       古い起源の町に残っていた遺跡群の中から、リサイクル出来るものは
       ちゃんと皆再利用した様子でして、はい、
       これらライオン像もそうなのではないかと・・。
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       床のコズマ式装飾がまた素晴らしく!!
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       これは柱に残っていたもので、全盛期には柱にもこれらの装飾が、多分!
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       コズマ式装飾の素晴らしいのには、サレルノの聖堂でも出会い、

       アマルフィの聖堂でも
       http://italiashio.exblog.jp/15410032      
       



       さて聖堂から出まして、
       かってのローマ期のフォーロ広場の敷石
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       広場の東南側の端、3段の高台にも円柱が並ぶ部分が有り、
       ここも爆撃の跡から日の目を見たローマ期の遺跡部分で、
       その右奥に見えるのは、中世の塔の跡と。
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       何度か爆撃の跡から見つかった、明らかになった遺跡、と出てきますが、
       爆撃がなければ未だに立て込む家々に埋まり、、多分このあたりにある筈、
       というだけで見れなかった訳で、 ・・へへ、こういうのは、喜んでも良いですよね?!




       そしてその前に見えているこれが、元のアッピア街道の敷石
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       ローマからこのテッラチーナまで約一直線に繋がるアッピア街道が建設されたのが
       紀元前1世紀の末から紀元後1世紀のはじめだそう。

       このテッラチーナからは斜めにイタリア半島を横切り、アドリア海沿岸南の
       ブリンディシまで連絡していた、いわばローマ帝国の大幹線道路だったわけですね。

       この古いアッピア街道は中世には廃れたのだそうですが、
       後に干拓事業がされ、16世紀頃から徐々に旧アッピア街道に沿っての
       拡張工事が進み、今回南ラツィオで見た美しいアッピア街道の姿
       


       いやぁそれにしても、ここでこんなにしっかりした形で残るアッピア街道を見れるとは!
       フォーロ、かってのローマ期の市民広場、集会場であったフォーロの中を通り、
       大神殿横のアーチを潜り抜け、町を走り、通り抜けていったローマ期の軍勢、人々。
       そんな姿が彷彿とするアッピア街道の一大拠点が思い浮かびましたし、

       かなりの遺跡跡、美しい壁も見れ、テッラチーナの町を新しく知り、見直した事でした!!




       このアーチは、かって4つあったそうですが、実はどの部分で見たのか記憶に残っておらず・・!
       市のサイトにはArco Onorario Via Appia・アッピア街道の名誉門とあり、
       他に読んだサイトの説明では、アッピア街道はこのアーチの下を通って、ここから坂道を上る、とあり、
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       写真番号からしても、ひょっとして中心広場から出ての下り道にあったのかも・・。




       上のアーチの脇に咲き誇るブーゲンビリアの赤い花。 やはりここは南国!
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       さて、聖堂の眺めにも別れを告げ
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       我らは坂道を下り、バスとの集合場所に向いますが
       旧市街のある高さがお分かりでしょうか? 海がこんな風に見えるのです!
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       かなりの道のりの坂道をせっせと歩きながら、こんな街頭も眺め
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       車の陰で涼む猫ちゃんも撮り。 この隣に顔がクチャクチャのライオン像もあり・・。
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       こちらはトドみたいな、ははは、ライオン像を見かけ、
       サイトで同じライオン君の写真を見つけましたが、アルビーノ門の葬式のライオンと!
       ははぁ、どこかの墓所から持ってきたのでしょうね、きっと。
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       遂に坂道を下り、やはりまっすぐな松並木の道を見ながら、
       我らは右に曲がり、
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       暫く下の街の、こんなオレンジの並木道を歩き、バスとの待ち合わせ場所に。
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       そしてテッラチーナと、南ラツィオの街々と別れを告げ、
       一路ヴェネトの家に戻ったのでした。

       テッラチーナのご案内、お楽しみいただけましたように!
       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました


       この時の旅行で訪れたガエータの街のご案内もまだでして・・、
       は~い、頑張って写真整理もすることに。




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルッチョ 途中経過と、 ジュピター神殿 ・ テッラチーナ を
       アップしています。    
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     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-02-09 01:07 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 03日

・・・ 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 ・・・ (旅行 お出かけ) 

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       先日ピサネッロの絵デッサンをサイトで調べていた時、思いがけず、
       30年以上前にもなりますか、雑誌で見て忘れられずにいた絵に出会いました。

       「ミラノの古い貴族のお屋敷にあるピサネッロの壁画」と説明にあり、
       当時初めてのイタリア旅行で見た古い壁画や祭壇画の虜になっていた私には、
       それはもう、「遥か遠い国、魅せられたイタリア」以外の何物でもなく、ははは、
       ましてピサネッロ、という名にも魔法をかけられ、焦がれて見つめつつ、
       大切に写真を取っていたのでした。

       という、その一連の絵に、長い年月の後再会できたのでしたが、

       今は有難い事にPCでその写真の出処にも行き着き、あれこれ調べる事も出来るので、
       これらの壁画はミラノのボッロメーオ邸・Palazzo Borromeoに在ることも分かり、
       知らずにいた他の画面も知ることが出来ました。

       という事で、今日はこの壁画を通じて、
       15世紀のミラノの貴族の子弟たちのお遊びの姿をご覧くださいね。
       そして最後には、現在の貴族のご子孫達の様子もちょっぴりと。

 
       上の写真は、私の記憶に残っている写真の色に近い、壁画の部分




       ミラノのボッローメオ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
       まさにミラノの中心、ミラノのドゥオーモから歩いて10分ほど、
       1kmにも満たない位置に。
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       ボッローメオ広場に面した入り口。  13世紀末の建設で、四角い窓と、
       白と赤の大理石を使った入り口扉のある大きなアーチ。
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       入り口アーチの上部にいる駱駝像と、植物柄
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       その後の改装で建物も大きくなったそうで、上空から見る建物の現在で、
       内庭を囲む建物が2つある形で、奥の内庭が広く、
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       5角形の角柱に支えられたアーチに囲まれた、奥の内庭
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       奥の内庭は3面がアーチの回廊になっていて、残る一面に建物の壁があり、
       それには一面の壁画と、陶板飾りの装飾のある窓があり、
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       こちらが建物の壁画の柄で、王冠とボッローメオ家のモットーである
       Humilitas・ウミリタス・敬虔、謙遜、の文字。
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       で、この建物内の1階の広間に、今回ご案内する壁画があるのですね。

       これです!!
       窓側になる手前部分には無く、もしくは失われたかで、3方の壁にこの様子で。
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       左側が「タロッキ・tarocchi・カード遊び
       中央が「パルマータ・palmata・名前当て、とでも」
       右が「パッラ・palla・ボール遊び




       まずは左側の壁画から、背後にザクロの木が3本ある庭で、
       男女5人がカード遊びをしている様子で、右背後には湖の風景も見え、
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       写真によってかなり色の出方が違いますが、
       15世紀半ばの壁画内の、貴族の子弟たちの服装、髪型も詳細
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       カード遊びというのは、現在も大変盛んな遊びですが、
       どこか秘密めき、瞑想的でもあるこの遊びの雰囲気がよく出ていると思われませんか?!



       実はこの壁画は長い歴史の中で塗りつぶされていた様子で、
       第2次大戦の際に爆撃により被害を受け、戦後に行われた改修の際に
       見つかったのだそう。

       そしてこの赤っぽく見える色合いは実際の色ではなく
       この上から画家はかなりオークル・黄土色系の色をセッコ・乾いた状態で掛けているのが
       剥落し、湿度の問題もあり損傷が激しく、
       残念ながら、到底描かれていた当時の状態ではない、との事!
       それでも、これだけ素晴らしい雰囲気がわかるだけでも、有難いことですよね?!




       中央の、パルマータ
       やはりここにも5人の男女が見え、手を上げて遊んでいて、
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       パルマータと言うのは現在の遊び「スキアッフォ・デル・ソルダート・schiaffo del soldato
       に似ている、というので友人のジュリアーナにも尋ね、教えて貰いました。

       グループでの遊びで、一人が壁に向い(目をつむり)、片手を背中に回し
       手のひらを上に向けて立つのに、皆が順に指で触リ、済んだ所で皆が一斉に
       自分の指を上に上げて見せ、それで誰が触ったのかを当てるのだそう。

       元の名のスキアッフォ・デル・ソルダートと言うのは、兵士の平手打ち、の意ですから、
       元々は兵士がもっと乱暴に遊んでいたのから来たのかもしれませんが、      
       この画面の中でも、手の平を打ち付けている様子が見えます。

       パルマータとか、次のパッラ・ボール遊びなどは、中世でも伝統的に長く楽しまれ
       素朴で仲間と楽しく遊べる、こういう遊びはいつの時代も変わりませんね。




       この中央に立つ女性の衣装も見事ですが、
       衣装とか髪型には金色の線が描かれていた様子がわかるそうで、
       如何にも裕福なボッローメオ一族の子弟たちなのでしょう。
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       パッラ・ボール遊び。 
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       左の女性が棒を持ち、ボールを打つ所でしょうか?
       右奥背景の景色は、ラーゴ・マッジョーレ・マッジョーレ湖のアローナ・Aronaであろうと言い、 
       ここ一帯はボッローメオ家の領地であり、ボッローメオ国と呼ばれるほどのものだったと!
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       そして右側に並ぶ女性4人、これは当時の豪華な衣装、髪型で装った
       まさに貴族女性のお披露目みたいな様子で、
       色の損失、画面の損傷がとても残念。
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       これら一連のフレスコ画に登場する女性たちのスタイルは、まさにピサネッロの絵に
       登場する女性たちを彷彿とさせ、私が昔見た雑誌でも当時はピサネッロの壁画、と
       説明されていたのでしたが、

       今回改めて再会し、いや、これはピサネッロではない、とすぐ思いましたし、
       勿論調べてもピサネッロという名は出てきませんで・・。
       shinkaiの思うピサネッロが描く人物は、女性は、こういう目つきはしませんし、はは、
       雰囲気は似ているものの、ピサネッロは段違いに巧緻ですね。
       

       このボッローメオ邸の壁画はガイド付きで見学することが出来ますが、
       所有者の関係で月曜から金曜日までのみで、写真も禁止。
       見学は約1時間半ほどで、予約が必要、料金は13エウロ。
       サイトは 




       で、壁画の作者として研究者達から名が上がっているのが、
       ミケリーノ・ダ・ベソッツォ・Michelino da Besozzoという事ですが、
       彼の描いた教会のヴォールトの絵はこんな様子で、
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       彼は細密画も描いていますが、やはり同じような可愛い人物像で、
       彼がボッロメーオ邸の壁画の作者とは思えませんです。

       
       このボッローメオ邸は現在もボッローメオ家の持ち物ですが、
       オフィスに投資信託会社が使っているようで、住居にもなっているそう。




       所でボッローメオ家についてあれこれ読んでいて行き着いた一つが、
       
       ラーゴ・マッジョーレの東岸にあるアンジェーラの要塞・Rocca di Angera.
       200mの崖状にあリ、元はロンゴバルドの10世紀の要塞だったのを、
       14世紀にヴィスコンティ家が現在の要塞の形にし、ボッローメオ家が
       増改築したものだそうで、現在もボッローメオ家の所有。
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       一連のフレスコ画の「ボール遊び」の中央に見えた湖は、この要塞の対岸
       西にあるアローナという事でしたが、ここにもかって同様のボッローメオ家の要塞があり
       マッジョーレ湖の船の往き来を見張り、税を取り、アルプス側からの敵の侵入にも備えていたと。

       マッジョーレ湖はかってミラノの街の建設資材、大理石類などを調達し運ぶ一大輸送地で、
       ここでの税を免れた唯一は、ミラノのドゥオーモ建設の資材運搬船だったそうで、
       おまけに石材発掘も無料、運搬費も無料だったと!!
       どこかの国に「坊主丸儲け」という言葉がありましたっけね、ははは。

       残念ながら、こちらのアローナの要塞はナポレオン軍が打ち壊したそうですが、

       アンジェーラの要塞は、大変良い保存状態で残っており、




       ここには、イタリアで唯一という、「世界の人形」コレクションがあり、
       写真左に日本の武者人形も見えますが、お雛様のセットも見つけました。
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       お城の見学、人形博物館などは大体3月中頃から10月中頃まで、
       朝9時から17時半迄、休館無く開いている様子。
       アンジェーラの観光事務所の電話は、(+39) 0331 960 207




       そしてこのお城では結婚式、披露宴も行われる様子
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       所でご案内が後先になりましたが、ボッローメオ家・Borromeoと言うのは、
       出身がローマでトスカーナに移住、13世紀ミラノに移ってきた裕福な商人、貴族で、
       ミラノでヴィスコンティ家と縁戚となり、マッジョーレ湖一帯の領有、そして伯爵家となり、
       現在でも有数の子孫があり、繁栄存続している一族

       ボッローメオ家で検索を掛け最初に出た写真で、ああそうか、と思い出したのが、
       暫く前にTVニュースでも大々的に出た結婚式の模様でした。

       2015年の夏に行われた結婚式で、
       こちらはモナコで最初に行われた7月末の公的役所での結婚式の、
       左が花嫁のベアトリーチェ・Beatrice・ボッローメオ
       隣が証人のアンドレーア・カシラギ・Andrea Casiraghi、花婿の兄
       同じく証人のご夫婦ジョン・エルカン・John Elkann と、
       ラヴィーニア・ボッロメオ・Lavinia Borromeo
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       お分かりでしょうか、これらの人間関係から見える上流階級の模様が?!
       花婿はモナコのカロリーナ王女の2男(3番目の子)、ピエール・カシラギ・Pierre Cassiraghiで、
       花嫁の姉ラヴィーニアが、フィアット・クライスラーの会長ジョン・エルカンの妻、というわけ。

       花嫁はこの最初の結婚式では、ヴァレンティーノの衣装をお召だったそう。
     



       8月1日ロッカ・ディ・アンジェーラでカトリックによる式典が行われ、
       要塞の下にお着きのお二人がボートから上がる所
       右側ではお迎えの市長が、写真を撮っているもんね、ははは。
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       こちらがエレガントなアルマーニの衣装をお召しの花嫁、花婿
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       はぁ、そうなんですねぇ、イタリアでは戦後共和国になり、貴族の称号は公的には
       無くなったのですが、報道される時はちゃんと称号付きですし、
       こういう様子を垣間見ると、上流階級、現在も延々と続く貴族階級が伺えますですね。
       ・・やはりパルマータとかボール遊びをされる事もあるんでしょうかぁ? ははは。




       マッジョーレ湖、アンジェーラの要塞の夕日を最後に。
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     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-02-03 19:47 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(7)
2017年 01月 25日

   ・・・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ ・・・ (旅行 お出かけ)

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       すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
       プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。
       
       このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
       11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
       内部装飾などでは有名画家の収蔵作品などはないものの、

       国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
       そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、化粧品、ワインなど
       その活動で大変有名な修道院です。
        
       プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を受けた事も
       あったのですが、ヘっヘっへ、忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
       改めて資料を読み、今回ご案内を!

       上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所




       近くには大きなヴィッラも見える、気候温暖な事でも知られるパドヴァの南西部
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       道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所
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       それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 高い城壁を兼ねているような建物群が
       ぐるりと周囲をめぐります。




       プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ
       パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下ってエステ・Esteに至る、
       県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置します。
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       少し南東に行くと、有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Termeがあり、
       南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者であるペトラルカ・Petrarca
       古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。




       さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
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       入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でしたね。
       内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、この時はかなり待ちました。
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       待合室から内部の回廊が見えましたが、
       奥の建物の壁にかってはフレスコ画装飾があった様子ですね。
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       壁にあった聖母子と聖ヨハネのフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、
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       部屋の隅にあった修道院特産品のウィンドウなども覗き!
       左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、
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       様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。
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       勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
       サイトはこちら



       待ち時間が長く、一旦表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
       城のような背の高い壁に圧倒されます!
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       とにかくきちんと整美されており、ゴミなども勿論落ちておらず! はは。
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       軒下に見えた陶板の飾り
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       1箇所、こんな風に壁の開いている場所があったのですが、
       手前に柵があり、近くまで寄れず・・。
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       山側には、養蜂の箱
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       待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真
       サイトで見つけた平面図と見比べましたので、大体の位置をご説明いたしますね。
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       写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
       その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、火のある普段の部屋(台所、食堂?)
       そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ・回廊部分が2重になっているのだそう。

       その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
       左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
       左側の、屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ・食堂・会議室

       右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培をしていた回廊と。
       一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ、かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
       にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。

    
       所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
       マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polironeに従属する形だったのが、  
       14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
       15世紀中頃にはパドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会のもとに入り、19世紀まで。

       1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、僧侶たちは追放されますが、
       4年後にオーストリア軍の下で再び修道院は活動を再開。
       が、1867年にイタリア国となって後、再びすべての修道院の廃止となり、
       当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
       他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
       イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
       1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
       同年の10月には再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
       カンティーナも持つほどのワイン製造をしているので、
       多分この写真にも見える周囲の葡萄畑はすべてこの修道院のものと!


       サンタンティモ修道院
       
       サン・ガルガーノ修道院

       プロヴァンス  セナンク修道院 1と2




       さて漸くに見学の時間が来て、
       待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り
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       聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。
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       見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
       こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
       適度に剥落し、とても良い色合いに。
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       ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという回廊部分ですが、
       現在はきれいな植え込みの風景に。
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       廊下に見えた「聖母子と天使像」
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       そして、キオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊
       周囲の屋根からの雨水はすべて濾過されて井戸水として使用される方式。
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       この回廊周辺がすべての僧侶たちにとって一番使われている部分なのだそうで、

       脇にあったこの部屋はロープが張ってあるので、現在使われていないものと思いますが、
       真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
       この部屋に僧侶たちが集まり、会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。
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       廊下にあった16世紀の手洗いの泉、大変美しい大理石の嵌め込み柄。
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       細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、直訳すると食堂なのですが、
       この素晴らしい作りと飾り付けから見て、会議室でもあったでしょうか。
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       廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
       奥は葡萄畑のようですが、手前は現在の薬草畑と?
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       そして、手前の植え込み部分
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       回廊の見学を終え、廊下を行く、左がガイドをして下さった僧侶。
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       廊下の上から見下ろす、修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。
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       傍らに、ちょうど花を開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
       ちょっと蕾の形がちがうような気もするなぁ・・。
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       この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

       こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館
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       そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。




       有名な古書の修復ですが、
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       1951年の秋から始められていて、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、版画、写本、
       手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の手紙類、と全てに及び、
       正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数であろうと。

       1966年のフィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
       すべてでは約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

       インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの被害などから
       価値ある古書を救い、できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

       Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
       E mail: restauro.libro@praglia.it
       と連絡先も。




       葡萄畑での収穫の写真
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       さて、最後の見学は聖堂内を。
       我々は横の入口から入ったのですが、まずは正面入口側からの様子を。
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       祭壇前の大理石の床模様羅針盤ですね。
        済みません、うっかり羅針盤と書きましたが、
        これは「風の薔薇」と呼ばれる風見、風の方向を示す柄と思います。
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       外に出て聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。
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       聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭の
       塀の中と、咲き乱れる薔薇の花
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       近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、それでも千年近い歴史を生き抜き
       この長閑で温暖な地で営々と農業を営み続け、今に至る修道院

       元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院などは、
       ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
       この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
       僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし過ごして来たのでしょう。

       ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

       修道院のサイトの、このページの下にヴィデオが2つあり、
       上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     



     *****

       ヴェローナのサンタナスターシャ教会でご案内したピサネッロのフレスコ画、
       「サン・ジョルジョと姫」に見える騎士2人、姫の左と右のどちらがサン・ジョルジョか?

       コメントで疑問を頂き、再度調べてみた様子を「再追記」しました。


     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、丘の上 途中経過と、 ピサネッロの素晴らしいデッサン を
       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-01-25 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)