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2017年 03月 16日

・・・ ヴァイオリン博物館・クレモーナと、 ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ (再追記) ・・・

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       クレモーナ訪問の時に、2013年に開館した新しいヴァイオリン博物館を見ましたが、
       余り時間が取れずで、おまけにストラディヴァリの視聴が出来る、と聞いていたのが無しで、
       いささかがっかりで戻ったのでした。
       が、その後あれこれ調べているうちに、ヴァイオリンと言うものにすっかり嵌まりました!

       実際の演奏会には行ったことは少ないのですが、弦楽器全般、そしてヴァイオリンの
       音色は昔から大好きで、今も毎日絵を描く時にはBGMに常にCDを掛けて聞いています。
       で、今までは余り考えたことがなかったヴァイオリンという楽器そのものについて
       知り始めると大変に興味深く、もっともっととあれこれいつもの芋づる式に・・!

       という事で、何とか上手く纏まるよう、お伝えできるよう頑張りますので、
       よろしくお付き合いの程を!

       

       新しい、クレモーナのヴァイオリン博物館入り口
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       上記したように、ここは2013年秋オープンで、以前のストラディヴァリ博物館があった
       パラッツォ・アッファイターティ・Palazzo Affaitatiから移された楽器や
       ストラディヴァリの遺品の展示など10室の展示室、そして新しい音学室と、
       素晴らしいもので、ゆっくり時間があれば、と思ったものでした。




       前庭にあったストラディヴァリの像
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       こちらは建物の中庭にある、五線譜を使った鋼鉄の像
       スペインのプレンサ・Plensaという人の作品とか。
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       下はサイトで見つけた写真ですが、・・こういうのは、どうも、ですねぇ・・。





       こちらは博物館の中の一室、「宝の宝庫・Lo scrigno dei tesori」と呼ばれる部屋。

       この博物館のお宝である、1715年ストラディヴァリ作のクレモネーゼ・Cremonese
       初めとして、アマーティ・Amatiや グアルネーリ・Guarneriの作品
       1556年から1734年にかけての、全10点が収められた部屋。
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       壁も床もしっとりと布張りで、一つ一つの楽器がガラスケースに入っており、
       多分湿度調節とか様々な設備が施されているのでしょう。

       たまたま我々が行った時、最初のケースが空だったのですが、
       そのうちに一人の男性が持ってきてケースに入れ、それに続いて来た小グループに
       フランス語で説明しているのが聞こえましたから、視聴もあったのかも・・!

       博物館のお宝であるクレモネーゼは、この部屋の一番奥の真ん中に、
       ケースが明るく見えるのがそれですが、
       後ほども少し詳細に。




       こちらはズッカ・カボチャと呼ばれている、ははは、ヴィデオ視聴室で、
       中は暗く、円形状にそって椅子が並び、天井に映る音楽ヴィデオを視聴出来ましたが、
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       う~ん、いくら良い試聴室でも、ヴィデオではねぇ・・!




       こちらは新設の音楽室で、464人収容、真ん中で室内楽やソリストの演奏ができ
       ここの設計実現には日本の技術者トヨタ・ヤスヒサさんという方が携わったと。
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       博物館には他に、楽器店の科学的研究や診断も出来る工房が開かれたそう。

       博物館のサイトは http://www.museodelviolino.org/
       日本語版もありますし、右にはヴァーチャル・ツァーも出ます。





       さて、ヴァイオリンという楽器の歴史ですが、
       これについてはYAMAHAのサイトに分かりやすく載っていますので、ご覧頂き、
       
       イタリアで、というよりも歴史に残るヴァイオリン製作者の最初として名が挙がるのが、
       ガルダ湖畔サロ出身のガスパーロ・ダ・サロ・Gasparo da Salò
       そしてクレモーナのアンドレア・アマーティ・Andrea Amatiですが、

       こちらが上記のYAMAHAのサイトにあった、1565年頃のアマーティの作品
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       当時のヴァイオリンは、現在のと比べて指板、左手で弦を抑える板の部分
       短いのにご留意下さいね。
       
       
       が、上のヴァイオリン博物館のお宝の部屋には、1556年のアマーティの作品も、と
       帰ってきてから知る、見てない馬鹿が感じるこのちょっぴりの無念さ!
       




       通常ヴァイオリン発明者と言われるガスパロ・ダ・サロについては、こちらに

       彼は20歳の頃に父親が亡くなり、それでサロからブレーシャ・Bresciaに移り
       当時音楽が大変盛んだったブレーシャで活躍したらしいのですが、
       彼が作ったというヴァイオリン、これはまだ彼の作とは断定出来ていない様子ですが、

       大変に美しいオレ・ブル・Ole Bullというのを見つけました。
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       指板にも装飾が入り、少し長いようですし、裏板装飾も凝っていますが・・、
       ブレーシャではガスパロの作品としての研究が進んでいるようで。





       所でヴァイオリンは15世紀に登場した時、既に、現在の形とほぼ同じ形
       現れたのだそうで、故に後に改良されたのはほぼ僅かな部分と言われますが、
      
       古いタイプをバロック・ヴァイオリン、新しいのをモダン・ヴァイオリンと呼び、
       それの違いは、これもYAMAHAのサイトにあった図がとてもわかり易いので使わせて頂き、
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       つまり、かって室内楽で使われてちょうど良い音量であったヴァイオリンが
       大会場で使われるようになり、また高音が多く出やすいように改良したのがモダン・ヴァイオリン。

       高音がもっと弾けるように指板が長くなり、駒を高くし、ネックも少し傾いていて
       これは弦の張力を増し、音量を高く、輝きを増す為なんだそう。
   
       そして、胴の厚みは減っているようですし、かっては脇からすっと丸かったのが、
       現在のは一旦少し薄くなり、それから丸みを増しているようですね。





       こちらは1628年のニコロ・アマーティの作品で、彼はストラディヴァリの師匠として知られますが、
       これも指板が長いので、現代風に改良されている様子。
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       アントニオ・ストラディヴァリの肖像。 
       300年前に彼が作ったヴァイオリンが今も比類ない物と賞賛される人物。 
       1644年~1737年と、93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
       現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!
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       これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、ストラディヴァリの制作証明の紙片で、
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       こちらの2番めに見える、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
       Faciebat Anno 1667 がそれで、
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       Antoniusu Stradivariusというのが、Antonio Stradivariのラテン語名で、
       クレモナのアントニオ・ストラディヴァリの事。
       2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。

       1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
       Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
       Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った、という意味で、
     
       この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、という唯一の証明なのだそう。


       それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させていたのか知りませんが、
       最後の6を8に変えたり、ははは、かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。

       
       と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。





       こちらがヴァイオリンの各部の名称で、
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       そして、ヴァイオリンのお腹の中! これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。
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       バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、安定させると言い、
       魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。

       この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、ヴァイオリン製作の一番最後に
       F字孔から入れるんだ、というのは、友人のご主人、やはりクレモーナでヴァイオリン製作を
       学んだ人から昔聞いており、
       今回これを思い出し、どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りましたが、

       この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違ってくるのだそう!
       その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とも言える、
       アーニマ・魂の呼び名に恥じない、6cm程の小さな円柱ながら大きな働きをする物。

       このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きます。


       そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
       膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出てきましたが、
       魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠では留めず
       とりわけ魂柱、駒は音の質の違いを聞きながら、動かすのは上記の通り。


       




       という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ
       この写真はクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットでして、へへへ。
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       1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
         この内型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
         フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
       2.緒子掛の止め穴用。
       3.4.横板  
       5.表板    モミ
       6.F字孔
       7.バス・バー(力板)  モミ
       8.魂柱    モミ
       9.裏板    カエデ
      10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
      11.縁飾り、象嵌細工
      12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き  カエデ 
      16.糸巻き
      17.上駒
      18.指板   黒檀
      19.駒
      20.緒子
      21.緒子の留め板
      22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン

       という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
       裏と横板にはカエデが多い様子。
       が、あるYoutubeでみたリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
       一般にはカエデだがこれはポプラだと、手元の一台を指しましたので、
       その辺りは製作者により、事情により様々な様子。


       ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
       日本語版 https://www.youtube.com/watch?v=x6MO32VDZ0U
       イタリア語版 https://www.youtube.com/watch?v=42nPLiwtjGQ

       これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもので、猫ちゃんも登場です。





       モミの木は、北イタリアのトレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ・Val del Fiamme
       のもの、というのをYouitubeで見つけましたので、こちらを。

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       このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、ヴァイオリンに挿し込む場面がでます。 
       音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?と疑問ですが、ははは。

       後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの森が映り、この森は「響く森」と呼ばれており、
       モミを掌で叩くと見事に反響する場面があります。
       説明しているのはイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウティ・Ugo Utiで、
       ヴィヴァルディもここに来て、木を選んだのだと云います。
   
       彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っているのですが、
       その音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
       一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックだと言うような説明を。


     ◆ 再追記 ◆

       このモミの木は伐採後、5年から10年自然乾燥させたものを使い
       5年以下の木材を使うことは無いと。

           ***

       トレンティーノの山中に暮らしたマーリオ・リゴーニ・ステルンの本
       「野生の樹木園」みすず書房、この本も友人から戴いた物ですが、
       ふと思いついてモミの木の記述を探しました。
       少し長くなりますが、抜粋してみます。

       ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも言うべき樹木で、
       いつも私のそばにあった。   中略
       子供のころ、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、必ずアカモミ
       の苗木だった。   中略
       種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、そこはアルプスじゅうで
       もっとも美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも優良な種子を産出するとのことだった。
             中略
       独特の性質をもった、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類があって(樹皮を剥くと、
       幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついているのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、
       細心の注意を払って伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
       満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、より丈夫にする知恵である)。
       こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴を作る
             中略
       マツ科に属するアカモミは、都会の人にかぎらず多くの人から、誤ってマツと呼ばれる。
       マツと云うのは、また別ものである。
      
                ***



       ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働いていたようですが、
       1680年36歳の時家を買い、工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで続けます。

       師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・Girolamoが跡を継ぎ、
       彼は父親の最後の20年ほど仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
       それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
       重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
       
       同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが活躍し始めますが、
       息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ・Bartolomeo Giuseppe Antonio
       通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。


       デル・ジェズという通称を、「神の如き」と書いてあるのも見ますが、文字ではそうですが、
       これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の制作証明の丸印に
       彼は IHS と記したことからなのだそうで、
       これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
       まぁ、本人がどうしてこの3文字を選んだのかは分かりませんが・・。
       
      
       と、イタリア語で弦楽器の製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
       これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器でヴァイオリンはひきますが、
       同じ弦楽器という事で、同じ製作者がつくったのでしょうね。


       ストラディヴァリは約70年間ほどを弦楽器の制作に打ち込み
       最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると翌年再婚、
       この妻との間にも5人の子を持ち、はは、お元気ですねぇ!

       息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、もう1人のオモーボノは部分的に。
       ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子には全部の仕事を任せることはほんの時々で、
       それも安い仕事を一般に任せたのだそう、ははは。

       こうして1700年から1720年代に掛け、彼が56歳から76歳の時に当たりますが、
       いわゆる彼の黄金期で、仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。

       師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの形となり
       ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶-オレンジ色に
       楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。




       当時の作品で有名なのは、1704年のBetts, 1715年のAlard,

       そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
       これは現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。
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       そしてこれは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
       メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、
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       そしてこちらが、クレモナの博物館のお宝、1715年作クレモネーゼ・Cremonese.
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       これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、現代的に少し変えられている様子。





       実はshinkaiは、この「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持っておりまして、はい。
       10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで買っていて、
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       今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
       実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
       漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!


       これはあるヴァイオリニストの持ち物になっていたのが知れたのが1877年、
       その後も何度か持ち主が変わり、最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのだそう。
       それを1961年にクレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。


       1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されている様で、
       Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode などの名が上がるそうですが、
 
       元の名をヨアヒム・Joachim、クレモナ市に寄贈され名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
       と変えたこの楽器は、ニスはオレンジ-金色のオリジナル。
       音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の均一性優秀、などなど。       
       shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!

       
       写真でもよくご覧頂けると思いますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている
       使い込まれているのが分かりますね。

       これは当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた為なんだそうで、
       顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
       これで随分奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、当時は弾きにくかった部分も
       楽になり、ヴィブラートも簡単になったんだと。




       収納されている曲はご覧の通りですが、
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       博物館の音楽室で、このクレモネーゼを弾いているYoutubeが見つかりましたので、こちらを。 




       そして、もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
       アマティ、ストラディヴァリ、グァルネーリの音なんですね。
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       どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接ほどの音ではなくとも、
       一段の有り難さを心がけ、聴くように致しますです、はい。





       こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、
       ニコロ・パガニーニ・Niccolò Paganiniが弾いていた
       彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
       確か現在はジェノヴァにあるはず。
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       パガニーニはヨーロッパ各地を演奏して回り、その素晴らしく技巧的な曲と演奏で魅了し、
       共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、




       プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真をおまけに。
       ニースの市場から近くだったと記憶していますが、
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       碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
       彼の力倆ある魔法の音を讃えています。
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       これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で監獄に入った事も
       あったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。




       お邪魔するブログ「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」で、たまたま 
       取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、などなどの他に、
       デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた映画の話題もあり、

       彼についてはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
       いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、
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       映画の予告編はこちらに。 https://www.youtube.com/watch?v=q_IeJtWZpc0
       
       はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
       当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは興味深かった。

       彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは、



       「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
       千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのは、こちらから逆にお進み下さい。


       千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作の「デュランティ」を、
       2002年に思いもかけない経緯で購入されたのは有名なお話の様ですが、・・知らずでした。

       お話しにある「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、

       顎当ての無い方、向かって右側の下が楕円に少しニスの色が薄いような感じを受けましたし、
       裏板のニスも下のほうが少し薄くなっているような・・。

       それに最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
       が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間の事で、
       それ以前は1759年から枢機卿ですが、その前は1740年からローマの
       サン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。 
       彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと云うことで、
       音楽が好きで、それで購入したのかもしれませんが、
       そのあたりは少し曖昧に感じます。

       いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
       教皇様の在位期間は一般にとても短いので、それでちょっと気になって調べたのでした。

       と、また教皇様になったりすると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
       それほどのヴァイオリンをお持ちならば、お使いになるチャンスは数あったと思いますし、

       その後のフランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
       やはり同様では無かったでしょうか?

       ヴァイオリンは誰にも弾かれることがないと、ダメになると聞きますし、
       その為に現在の博物館のヴァイオリンは毎日、その為の係が弾いていると聞きます。

       まぁ、それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
       今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、新しく一から出直す覚悟で弾いている
       と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、
       楽器にしても、自分の真価を発揮してくれる本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
       千住さんのこれからのますますのご活躍を祈ります!




       と、少し横にそれましたが、

       上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、博物館の音楽室で
       ストラディヴァリの幾つかを試し弾きするYoutubeがありましたので、ご覧ください。
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       彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様子で、3度も弾いてみています。
       その間にグァリネーリも弾くのですが、これは余り好みではなかった様で、はは、
       勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違うのですが、
       これは興味深いヴィデオです。

       
       制作されて後300年近くを経て、元の木材での存在よりも、
       楽器そのものとして長く生き、乾燥し、本当に軽くなる様なのですね。
       クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を他の演奏家がしていましたが、
       近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、というその不思議さ!
   

       ストラディヴァリのニスについても、複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
       逆に単純に松のニスに油だけ、という結論を出した方もおられるようで、
       こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、

       まぁ、そんな事を知った所で、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、

       300年前の楽器製作者が自分の命を込めて作った楽器が今も生き
       同時代の鍵盤楽器などは残っていても、使える状態のものは一台もないといいますし、
       今も素晴らしい音色を響かせてくれる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
      
       今回は博物館を訪問して後の収穫が、自分にとってはとても大きく、楽しみました

       皆さんにも、少しはお伝えできましたよう、願います


     ◆ おまけ ◆

       ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんもよくご存知でしょう?!
       習い初めのヴァイオリンの音は、まさに他人にとっては拷問の如きものでして、ははは、
       大人が習い始めての2年間の進捗具合のYoutubeも見つけましたので、
       ご本人はとても可愛い美人さんなので、お暇な方、どうぞ!


     ◆ 追記 ◆

       肝心なことを書き忘れておりました。
       この何から何まで手作りの「クレモナ伝統の弦楽器作り」は、
       2012年からユネスコの文化遺産のリストに載っているそう。

       木材選びから、削り、接着し、ニスを塗り、このニスもスプレーは禁止、手作り、
       すべてが製作者の手を通して作られる、他に類を見ない伝統の弦楽器、技術

       職人技が奥まり、極まった所から生まれてくる弦楽器、とりわけヴァイオリンと言うもの、
       その不思議さに触れた思いがした、今回なのでした。
       


     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-16 05:20 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)
2017年 03月 01日

   ・・・ クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 ・・・

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       先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
       ロンバルディア州のクレモーナ・Cremonaの街に行ってきました。

       生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか

       上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きましたが、

       靄の風景は、水彩ブログの方でご覧頂くことにし、


       行程は往復ともこの道筋で、
       ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、片道3時間ちょっと。
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       街に到着してもすっぽり靄に包まれ、道も濡れており
       お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、
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       地図をどうぞ
       バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
       では先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
       教会は街の中心から5~6km離れているが、おそらく街で一番美しい教会ですと。
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       我々のバスが到着したのは、赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
       赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremonaが街の中心
       上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ミラノ、ブレーシャからの連絡です。




       ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。
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       サン・シジスモンド教会からもう一度、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
       歩いて街の中心まで行き、聖堂と洗礼堂・Battistero
       そして市役所聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
       一旦お昼の放し飼いの後、
       街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、そして最後は地図の左下に見える
       ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

       クレモーナには10年ほど前に一度訪問しており、
       その時の様子はこちらに。  http://italiashio.exblog.jp/5745890/




       サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
       サイトから拝借のこれで。
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       この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り外出禁止の修道院だそうですが、
       元々はサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、

       この教会で1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
       唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ・Bianca Maria Viscontiが、
       傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforzaと結婚したのでした。

       つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
       クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
       ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられました。

       で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され、新しく大きな教会となり、
       1535年以降、北イタリアにおける素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、
       現在に至っているということで、
       今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
       まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で、全壁面が埋められており
       この教会については、またの機会にご案内するつもりで、今回はほんの予告編を。
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       電気を点けるには、修道院に行き長~~く待たされて許可をもらいお金も払うんだ、
       とのガイドさんの説明で、曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
       どんなかご想像下さい! ははは。

      
       クレモナの街、ヴァイオリンの事も映りますので、今回はこれを。

       



       さて再び街に戻り、街の聖堂に向かって歩きますが、

       こんなふうに装飾された家も何軒か見かけ・・。
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       お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
       これはカルネヴァーレの時期の揚げ菓子。
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       古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、以前の時も撮っていましたが、
       やはり今回も目につき、
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       道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
       聖堂のある辺りが一番高いのだそうで、緩やかに街全体が上下していて・・。
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       綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えますから、
       何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
       グループで出かけると、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!
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       細い脇道を覗き込みつつ・・
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       聖堂前の広場に出てきた所ですが、この日は市の立つ日で賑やか!
       向い側右がコムーネ・市役所で、奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.
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       こちらが、クレモナの聖堂。12世紀からの建設で、完成したのは15世紀。
       装飾は後のバロッコ式にまで及びます。
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       トラッツォと呼ばれる、クレモーナのシンボル的な高い鐘楼
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       同じ広場の南側にある洗礼堂
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       今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学しましたので、改めて別にご案内を。

       実はこの3点の写真は、聖堂の向かい側にあるコムーネの中から写しておりまして、
       この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
       お天気でなく、時間もなかったのが残念!




       こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、手ブレご容赦!
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       階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室がありましたが、
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       階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間
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       shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、隣の部屋の窓から
       聖堂を写した後トイレに行き、こちらの奥の部屋にどうやら市役所が保存している
       ストラディヴァリなどの展示室があった様子なのですが! くやち!
       隣の棟なども覗きに行ったのに仲間が見つからず・・、見逃しましたぁ。
       



       この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
       shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニとその奥方と一緒に、      
       ガイドさんが教えてくれた、聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

       魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と
       野菜のグラタン風、珍しくお水と。 というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。
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       この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!と、オルゾで、
       お腹いっぱいに!

       ジョヴァンニは今度参加しているグループで写真講座を受け持つことになったそうで、
       参加する者の条件に、携帯は消すこと、事前に説明をしっかり読んで、
       その都度の設定の質問はなし、としたと云うので、大笑い!
       というのも、この条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまる事で、
       ジョヴァンニはいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからなのですね、ははは。




       街のこの日ので見かけた、しっかり積み上げたハム類と!
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       チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!
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       クレモーナの街は世界に有名なストラディヴァリの街、ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
       これはコムーネの前にあったポスター、ヴァイオリン博物館にお出で下さい
       ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品がお待ちしています、と。
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       コムーネ脇の展示窓
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       午後はトッローネの店に行き、その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

       コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。
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       通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面
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       小さな広場、通りがかりの道に見かける、リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
       クレモナには150に近い店があるそうで・・。
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       こちらが新しいヴァイオリン博物館
       以前からの建物を改修し、5年ほど前からヴァイオリン博物館としてオープンしたそうで、
       以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、その時の様子はこちらに
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       今回は時間が迫っていて、博物館内も十分には見れませんでしたが、
       その分戻ってきてから様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て、
       興味深くとても楽しく、すっかりハマりました!
       また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を聞いて頂きますね。




       バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  ああ、やっとの青空!!
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       が、帰り道はまたまた靄の道で、
       ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-01 00:06 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(4)
2017年 02月 14日

   ・・・ ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 ・・・

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       昨年春の南ラツィオの旅、今回は最後のご案内になるガエータ・Gaetaを。

       この地には昔から思い入れがありまして、というのもず~っと昔見たガイドブックに
       浜辺にそってパステル・カラーの低い家並みの続く写真「ガエタ」が1枚あり、
       当時の未だ他を知らなかったshinkaiにはとても魅力的に見え!
       いつか行ってみたいと思っていたのでした。

       さて実際に長い年月の後に訪問してみると、やはりまるで思い込みとは違い、ははは、
       写真を整理しながらも、この町の一番の印象は何だったろう、と考えました。

       古いガイドブックにあったような「貧しい海辺の町」ではまるでなく、
       多分これより西にある「スペルロンガ」と混同しているのでしょうが、

       ローマからは南に120km,ナポリからは北西に80kmの距離にあり、
       長い紀元前からの歴史を持ち、港を持った繁栄の地であり、
       何度も異民族に襲撃されながらも、城壁を築き町全体を要塞化して備え、
       現在は明るい陽光のもと、海辺の小さな町の良さを満喫している、とでも・・?!
       
       そんな町の印象がお伝えできますかどうか・・。
       と、今回の写真は何故か呆けピントのが圧倒的に多く! 馬鹿がぁ、
       必死に修正したのですが、どうぞその辺りはご容赦下さいますようお願い致します。

       今回も写真の数が多くなりましたが・・、
       なかなかこの辺りまで行かれる方は少ないであろう、・・でも、
       shinkaiのブログはそういう方にも旅の、町の雰囲気を味わって頂いている筈と、
       ははは、そう考えてご案内しておりますので、
       ごゆっくり楽しんで頂けますように!
       
       
       上の写真は町の中程の海辺沿いでバスを降り、港の南方面を見た所で、


       角度を少し変え、海岸沿いの続きはこんな感じ。
       高い鐘楼が見えますが、これがガエータの聖堂のもの。
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       ガエータ湾をはさみ北東方面、山上に見える町はマラノーラ・Maranolaと。
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       南ラツィオのご案内全体は、こちらから。



       ガエータの町の中心部の地図をどうぞ。
       ガエータは湾を挟んで北西にも伸び、南側の浜辺も含まれるのですが、
       右に突き出した半島の先っちょ、色が少し濃くなった辺りが旧市街の位置。
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       訪問した教会2つの位置と、町の上に見える城の位置を示しましたが、


       実は町の中心に行く前に、左下に囲ったサンティッシマ・トゥリニタ・SS.ma Trinità
       という聖所を訪れ、教会や、岩山の裂け目にある礼拝堂などを拝見し、はぁ、
       ついでに右下に赤丸で囲んだ「トルコ人の洞窟」なるもの、
       なに、トルコの海賊たちが隠れ家にしていた深い洞窟でして、
       shinkaiはお金を払ってまで階段を下る気はなく、はは、行きませんでしたが、
       そんなあれこれ、そして南の海岸沿いの浜辺のパノラマを見たりでした。

       ついでに町との間に挟まる山にあるオルランド公園に赤丸も打ちましたが、
       この辺りにはローマ期の貴族の聖廟もある様子で、
       ここからの町の旧市街の様子が絶景!
       我らは行きませんでしたが、本日最後にここからの様子をお目に入れますです。




       という事で、上の地図の海辺に沿った位置、2つの教会に挟まれたちょうど真ん中辺り
       緑色で見えるのが駐車場兼公園で、

       この辺りからの眺めが上の海岸沿いの写真であり、

       右手の上に見えるのが、このサン・フランチェスコ教会
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       ここには行きませんでしたが、1222年聖フランチェスコがガエータに滞在した折に
       基礎をした教会で、14世紀に再建築、19世紀に上部を追加という形だそう。




       そしてそれより北、海岸沿いに近い低所にあるのが、
       サンティッシマ・アンヌンツィアータ・SS.ma Annunziata、ここも聖所と。
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       手前に高い城壁が一部残っているのが見えますね。
       現在は中心の方のは無くなっているようですが、
       かっての海賊、蛮族襲撃に備えての要塞化された町だった名残。
       
       ここは後ほどご案内を。




       そしてちょうど真上辺りに見えるのが、町の城・要塞
       四角い城を左右2つ繋いだ形に見えますが、時代が違い、
       右の少し低い方が、13世紀フランスのアンジュー家が占領していた時代ので、
       左の高い方が、16世紀スペインのカルロ5世アラゴン家が拡張したもので、
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       カステッロ・アンジョイーノ-アラゴネーゼ・Castello angioino-aragonese
       と呼ばれ、広さは1万4千平米に及ぶ広いもの。

       アンジュー家の方は近年まで監獄に使われていた様子ですが、
       現在は市の持ち物となり、未来は海洋大学となる予定だそうで、
       アラゴン家の方は戦前はカラビニエーリ(かっての国王警備から派生したイタリア警察で、
       軍隊組織を持ち、イタリア警察とは別組織)の学校だったのが、
       現在は経済警察(フィナンツァ)の海洋学校が入っているそう。


       こうして見て頂いただけでも、海岸沿いから天然の地形を活かし、
       階段状に町が高く重なっているのがお分かりいただけると思いますが、




       町の聖堂に向いつつ、
       真ん中に見えるのが教会サン・ジョヴァンニ・ア・マーレ・San Giovanni a Mare
       海のサン・ジョヴァンニ教会
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       クーポラの形がアラブ式になっていて、
       きっとかっての漁民たちの守護教会でもあったのでしょう、海に面していて、
       10世紀建設を1213年の地震の後に再建したものだそう。

       今は無くなったものの城壁の外、海のすぐ傍にあるため高潮の時には海水が
       内部まで入り込むのが流れ出るよう、床は微かに傾斜していると。
       



       海岸沿いを行きますが、
       大きな建物のこんな形は、今は住居とは言え、以前は何だったのかと思うほどで、
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       こちらはナポリを思い出す造りで、・・生活が窺えるでしょう?!
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       道であったワンちゃん。  あんたのお父さんは、お猿さん?! ははは。
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       遥か彼方からも素敵な威容が見えた町の聖堂の鐘楼で、
       こちらが脇の入り口。
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       鐘楼は12世紀のもので、ニコロ・デッランジェロ・Nicolo dell'Angeloの作で、
       スートゥリ・Sutriや、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ教会でも働いているそう。




       美しい鐘楼の細部をどうぞ
       アラブ・ノルマン形式の影響を受けたロマネスクで、
       3層、2つの窓で、一番上は8角形。
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       緑色の丸いお椀型や、平の四角形など、緑色の濃淡の釉彩を使ったものが
       たくさんはめ込まれ、これは光を受けて輝くのですよね。
       平らな薄目の煉瓦の組み方も工夫されているのが見え、
       白と黒の石をアクセントに、同じロマネスクとはいえやはり表現が違うなぁと・・。
       



    
       鐘楼の下に聖堂への脇入り口の上り階段があり、
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       実は現在の聖堂は、7世紀の以前あった教会の後に建設された
       11世紀のものだそうで、この入口はかっての教会の入口だったそうで、   
       現在の聖堂の正式の名はサンティ・エラズモ・エ・マルチャーノ・Santi Erasmo e Marciano.



       アーチの左右にライオン像が見えますが、
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       向かって左側のは正面から見た時、横向きの顔、とのみ思ったのが、
       何処かからライオン像だけ持ってきてはめ込んだのか、
       怖い顔して空飛ぶライオン、みたいに見え、思わず笑いましたぁ!
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       鐘楼の基礎部の石積み部分
       何ともあっちこっちからのリサイクル利用の石が混じっていて楽しく!
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       入口部分にも柄が入った石がいくつも見かけられたのですが、

       これは階段途中、左右の壁にある石棺
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       ローマ期の物、と思うのですが、この波打つような柄は左右どちらにもあり、
       実は後で見て頂く内陣の祭壇もこの柄なのです。

       土地柄なのか、何か理由があるのか、それともロンゴバルドの柄の影響なのか
       どなたかご存知でしたら、お教え願います

       と、上の竜に羽が生えたような動物、左右に対でありますが、これは竜? それとも鯨?
       というのも、どちらも人間を(ヨナ?)を飲み込む図かとも思い・・。




       内部全体の写真を撮っておらず、これはサイトから拝借し、
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       古いかっての円柱が、はめ込まれた形で残っていて



       こんな感じ。
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       内陣と後陣部分が高い造りになっていて、その下に見える
       4福音者のシンボル像と、コズマ式装飾
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       そして、やはり波模様の石棺利用の祭壇と、脚代わりのライオン像。
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       床の一部に残るコズマ式モザイクですが、ここのは黄色が多く、少し派手目。
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       これは円柱のように太く、全面にキリストの生涯と、サンテラーズモの生涯の
       浮き彫りの入った蝋燭立て、で、
       チェーロ・パスクワーレ・cero pasqualeと呼ばれる、復活祭の前夜に灯される
       蝋燭立てで、キリストの復活を祝うシンボル的なものなのだそう。
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       高い祭壇脇から階段を降り、スッコルポ・succorpoと呼ばれる礼拝堂というか、
       聖人たちの聖遺物を収める為のもので、
       上の内陣、後陣は、このスッコルポのために17世紀に高く建設されたのだそう。
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       今まで各地でお目にかかっていたクリプタ・cripta・地下礼拝堂
       意味は同じなのでしょうが、何とも絢爛豪華で派手な装飾で・・!
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       フレスコ画と大理石、とあるのですが、
       この天井部分は漆喰ではないのかなぁ・・、大理石だと重くなりすぎと思うのですが。


       それにしても、正面の祭壇画の聖人はどなたなのか、
       絵の部分をアップして眺めましたら、なんとお腹を切り開かれておりまして・・!




       半地下の豪華絢爛たる礼拝堂から上がってきましたら、
       ははは、ワンちゃんがおり・・。
       いつもながら、教会内のワン君には、可笑しいながら違和感を持ちますです、はい。
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       ガイドさんの話では、近年この聖堂は修復が済んだ所なのだそうですが、
       なんと修復代が見積もりよりもかなり安く上がったのだそうで、ははは、
       イタリアにしては大変珍しいお話です、と!

       そしてどこから聖堂をでたのか、脇からと思うのですが、
       教会正面を見ておりませんで!
       まぁ、1903年のもので、ネオゴシック調の煉瓦と明るい色石のもの、とあるので、
       ガイドさんも飛ばしたのかもしれませんね、はい。




       さて町中を見物しながら通り、
       これは天然の岩を利用し、隙間にレンガや石を詰め城壁代わりにしている場所で、
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       どうやら隙間から水が漏れ出すのもそのままに、植物が茂っており!




       こちらは上の写真の右側の所で、岩の裂け目がこんな風に!
       夏など天然の自然風で涼しかったりして・・! ははは。
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       ガエータには紀元前10世紀から11世紀には既に移植民がいたものの、
       ローマの下に、紀元前4世紀には皆滅ぼされた様子。

       そしてローマ期にはこの地は別荘地として大変に持て囃されたのだそうで、
       皇帝を始めとして裕福な貴族、執政官、議員達が通い、
       その為にアッピア街道よりも短くこの地に連絡するフラッカ街道・Via Flacca
       造られたのだそう!  やりますねぇ、ははは。

       町の地図で見て頂いた現在の公園オルランド山の頂上にある聖廟、
       というのも、このローマ期のルーチョ・ムナツィオ・プランコ・Lucio Munazio Planco,
       軍人、政治家、執政官、ガエータで紀元1年に亡くなっている彼のもので、
       ジュリオ・チェーザレの将軍でもあったそう。
       
       
       ローマ帝国の滅びた後は暗黒の変遷時代の始まりで
       はじめは蛮族の襲撃、略奪、そしてトルコ人と続き、半島の先っちょ、自然な土地柄と
       防御がし易い事から、城塞都市と変わっていったのだと。

       ガエータで「中世の区画・ボルゴ・メディエオヴァーレ」と呼ばれる古い小高い部分は
       城壁で囲まれ、要塞城も築かれ、近隣からも城壁内に移住してきたのだそう。

       最初の城は6世紀、ゴート人との戦いの物で、後の確かなものは12世紀とあり、
       この間9世紀から12世紀に掛け、町もビザンティン皇帝から自治権を獲得し、
       ガエータ公国となり、その独立を徐々に強固に、
       自国の貨幣フォッラーロ・follaroも鋳造、海洋通商の豊かな繁栄も遂げます。

       海洋国と認められ、アマルフィ、ナポリ、ソッレントと連盟を結び
       ローマに襲撃を掛けようとしたトルコ軍を相手にした849年の「オスティアの戦い」では、
       トルコ軍を総崩れにし敗走させ、
       
       915年にはやはり「ガリリアーノの戦い」でトルコ軍相手に勝ち、
       これで中央イタリアからアラブ人を決定的に退ける事となり、
       その後12世紀末、シチリア王国のもとに約7世紀間の併合を。

       この間13世紀末から15世紀かけフランスのアンジュー家の支配があり、
       16~7世紀をスペインの元に、そして18世紀の短い期間オーストリアの元にと
       変遷をし、最後イタリア王国に入ります。

       ですがあれこれ読んでいて、1571年の対トルコとの最終戦「レパントの戦い」
       のキリスト教国側の艦隊が、ここガエータの港に集結したと読み、
       この戦いにはヴェネツィア艦隊も参加し、勝利していますので、
       単純shinkaiはなんとなしにこの町に親近感を感じたりで・・、ははは。

       
       そうなんですね、海岸続きではありますが、近くのスペルロンガとは違う
       趣は明らかで、スペルロンガは貧しい漁村であったのが、
       こちらはトルコの海賊と戦って勝ち、海洋通商で繁栄した歴史を持っているのですね。

       アマルフィのご案内

       アマルフィの聖堂

       ナポリのご案内 周遊バスで

       ソッレントのご案内





       町の通りもこんな風に並行して上下が重なり
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       小さな広場では、そろそろレストランが昼の準備を始めており
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       これは既に仲間が写真を撮っている姿が写っていますが、
       スピリト・ディ・ヴィーノ・ワインの精神
       ファルマチーア・デイ・サーニ・健康薬局  とあり、ははは、飲み屋で~す。
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       通り抜けていく道脇に咲く鉢植えの花々
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       そして、サンティッシマ・アンヌンツィアータ・Santissima Annunziata・
       聖所お告げの聖母マリーア教会に。
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       建設は1321年からで、1352年に聖別され、17世紀にバロック様式に
       改築され、現在見るのはその形なのだそうで、
       一番上に小さな帆型の鐘楼、マヨリカ焼きの時計が見えますが、
       大きなゴシック様式の鐘楼も後陣右脇に。




       内部は細めの一廊式ですが、ご覧のようにここも豪華なもので、
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       祭壇の大理石装飾と、
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       床の柄
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       17世紀のパイプ・オルガンの席
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       一旦教会を出て、別の棟にある礼拝堂に行く時に見た、
       これ、何かわかりますか?  捨て子を入れる場所、です。
       ここに捨て子を入れ、ぐるっと回すと、建物内で受けて呉れたのですね。
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       やはり繁栄の時代を迎えた町でも、貧しくて生まれた子供を育てられず、
       捨て子に来た親がいたのですね。

       この教会では、受胎の聖母マリーアの名にちなみ、病院施設もあったそうですから、
       こんな捨て子を受ける場所も備えていたのでしょう。
       



       かと思うと、こちらの棟にあった「黄金の礼拝堂・カッペッラ・ドーロ・Cappella d'Oro
       天井は木製彫刻の金塗りで、周囲に19枚の油彩「キリストと聖母の生涯」を描いたもの。
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       何とも豪華なものですが、装飾も絵もまるで趣味が違いまして・・!




       小さな中庭に出てきて、この黄土色と小さな井戸、敷石の模様にホッとし
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       教会の高い脇壁の道を通り戻りますが、
       かっての町の城壁は、唯一、この教会の入口あたりで町に入れたのだとか。
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       やれやれ、やっとお昼ご飯だ!と喜んで歩きましたが、ははは、



       
       最後はサイトで見つけた写真で、
 
       オルランド山の公園から見たガエータの夜景を。
       この角度からだと、城のある位置が良く分かりますねし、
       これだと、如何に屈強なトルコの海賊でも攻められませんよね?!       
       う~ん、これは見たかったなぁ!!
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       長い町案内にお付き合い頂き、有難うございましたぁ!!
       

       

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by italiashiho2 | 2017-02-14 03:13 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 09日

   ・・・ テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 ・・・

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       今回のご案内はローマから南に110kmほど、車で1時間半程の
       距離にあるテッラチーナ・Terracinaのご案内を。

       昨年春の南ラツィオの旅行では、ここの浜辺沿いのリゾート・ホテルを
       基地にして、あちこちに出かけたのでしたが、
       テッラチーナの旧市街の見学は最終日になっていたのですね。

       で5月の煌めくような朝早く、浜辺のホテルを後にし、
       一路こんなアッピア街道を模したような道を行きます。

       今回は写真が多くなりましたので、ごゆっくりどうぞ!



       これは通りすがりに見えた町のローマ門。 ご丁寧にS.P.Q.Tと!
       S.P.Q.Rだと「元老院とローマの人民」となるので、
       どうやら「テッラチーナの人民」の意味を込めている様で、
       シャレというか、どこか親父ギャグみたいで、ははは。
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       ですが我々は一旦町を通り過ぎ、町外れの山上にある
       アンクスールのジュピター寺院の遺跡見学に先に行きます。

       これが港から見上げたアンクスールのジュピター寺院・Tempio di Giove Anxur
       そうです、この高さに大きな寺院があったのですね。
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       ですが寺院遺跡のご案内は苦手の上長くなりすぎますので、
       写真で様子を見て頂けるよう、水彩ブログの方に載せましたので見てやって下さい。




       街の様子の地図をどうぞ
       街全体としては海辺沿いにずっと細長く西に続きますが、
       ジュピター寺院と、色がほんの少し濃い囲った旧市街の位置を。 
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       テッラチーナと近くの街の関係地図は




       現在のテッラチーナの人口は4万6千人程。
       これは小高い位置にある旧市街部分以外の、
       下の街と呼ばれる部分の方が大きいと思うのですが、

       バスで山の上のジュピター寺院を見るのに道を上っていく時に、
       かっての町の城壁が良く見え。
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       テッラチーナは紀元前6世紀の末には既にローマの勢力圏にあったようで、
       その後古代イタリア民族のウォルスキ族の下にもあったのが、再度ローマ人にと、
       繰り返された後、紀元前312年にアッピア街道が通り、ローマ期が続きます。

       ビザンティンの時代を経て8世紀から9世紀は教皇領になり、
       中世にも、このローマに近いこの町は様々な変遷を経ることになり、

       町の繁栄も衰退も何度もあった様子で、16世紀にはマラリアの蔓延で、
       町の人口はわずか150名にもなった事もあった様ですが、

       近代となり干拓事業も進み、新道路もつき、観光地として栄えている様子。



       さてジュピター寺院の見学から町に戻り、城壁の外でバスを降り、
       ガイドさんに連れられて細い道を下りながら、ローマ遺跡の中を通りますが、
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       位置としては、今見える鐘楼が現在の中心広場にある聖堂サン・チェザレーオ・
       San Cesareoで、正面の建物類は18世紀に増改築された聖堂部分。
       
       現在カピトリウム・Capitolium(ジュピター神殿のある聖地の意)と呼ばれる
       ローマ遺跡群は、後にご覧頂く中心広場の北東、という事になります。
       
      



       まず驚いたのがこの美しい壁!! 斜め格子状に石を組むのはポンペイ遺跡でも、
       スペルロンガのティベリオの遺跡でも見ていますが、  
       ここのは凝灰岩の茶と石灰岩でまさに格子柄になっているのですね。
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       脇はこんな形で、高台になっていて、角に
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       角にこの円柱が1本残ります。
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       狭い場所で、すぐ脇にはこんな風に家が立て込んでいて・・
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       上の写真の壁は正面に回ってくると、こんな感じに2重になっており、
       かっての仕切壁だったのが分かるのですが、
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       ここには、現在の聖堂に含まれた形になった大寺院とは別の
       小寺院があったのだそうで、これらはその遺跡で、
       
       つまりこの小寺院の中は3つに別れ、それぞれにジュピター、ジュノー、ミネルヴァ
       3神が祀られていたと。

       


       上の写真にも見える、奥の家の壁に残る色付きの部分にご注目を
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       屋根の形が分かる事から、かってあった建物の壁を利用して、
       後に建て増しをされていた事も分かり、これが神殿を隠していたのだそう。

       実はこの一帯、第2次大戦の時の爆撃で上にあった家々が被害を受け、
       それでこれらのかってのローマ遺跡が明らかになったのだそうで・・!


       右手に見えるアーチの上にも、かっての壁跡が見えますし、

       我らは今回見なかったのですが、中央奥に見える小アーチの上に小路が見えますね、
      
       あれを左奥に行くと・・・、




       こんなテアトロ・劇場跡が4分の一程も見え、これも爆撃で明らかになったのだそう!
       他の部分は上に家々が立て込んでいるのだそうですが、
       近年の研究では、劇場の直径が約72m、4000人ほどの観客収納数の大きさと。
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       脇道の角の上階の柱、これも明らかに神殿の柱をリサイクル利用していて、
       ここはどうやら現在の聖堂の一部の様子!
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       これは何だろ? 浴槽?
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       遺跡につきものの猫ちゃん。 少し痩せぎすね。
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       こうして旧市街の中心広場かってのローマ期のフォーロ・エミリアーノ・Foro Emilianoに
       塔は聖堂の鐘楼と同じ時代12,3世紀、同じ高さ、とあっても探しても高さは見つからず、
       塔はフルメンターリア・frumentariaというので、穀物倉だったと。
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       塔の右手のモダンな建物と奥側とともに市役所だそうですが、




       ついでに塔の横の階段の様子も見て頂き、
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       古い側の市役所の壁もご覧下さいね。 
       そうなんです、かってのこの建物の壁も2色の格子壁、
       つまりローマ期の何か古い建物があったのでしょうね!
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       そして広場の西を占める聖堂サン・チェザレーオ・San Cesareo.
       元々あったローマ期の大寺院を含む形で大きく建設されたもので、高台に
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       聖堂の右に見える建物は、13世紀のパラッツォ・ヴェンディッティ・Vendittiで、
       元々は市の建物だったそうで、下に見えるアーチをくぐると、上で見て頂いたローマ遺跡で、
       
       このアーチの下をかってのアッピア街道が通っていたのですね。
       



       鐘楼、12~3世紀。 こちらも2色使いの素晴らしいもので、上階に行くごとに
       窓の幅が広くなりますが、これは重量を減らす工夫だったそう。
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       そして装飾にはめ込まれた色付きの丸い鉢のようなもの、お分かりでしょうか?
       彩りを添えますが、修復の際に取り替えられたものだそう。

       同じ彩色陶器を使う工夫がポンポーザの修道院にも




       元々の教会はローマ期の寺院があった上に建てられた9世紀のものだそうですが、
       聖別されたのは11世紀、鐘楼とともに内部の修復も12~3世紀と。

       教会前のロッジャ部分の、モザイクによる装飾は現在右側にしか残っておらず、
       何のモチーフかまだ明らかではないそうですが、最初の十字軍遠征であろうかと・・。
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       軒下の装飾部分。 人物像が見えるのは、玉座に座る人物と。
       その右にいるのは猿のようで・・!
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       入口前の円柱の下の飾り部分。 背を向けて座っている人物や
       ライオンというのですが、残念ながら破損部分が大きくて。
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       こちらは良く分かるライオン像
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       こちらのサイトに、聖堂の装飾の詳細写真が。       




       さて、聖堂内部。左の説教壇にご注目を。 と祭壇部分
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       ここの説教壇のコズマ式装飾が素晴らしいもので!!
       と言いつつ、暗くてshinkaiの写真はピンぼけが多く・・、とほほ。
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       説教壇を支える者たち! 素敵ぃ!
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       古い起源の町に残っていた遺跡群の中から、リサイクル出来るものは
       ちゃんと皆再利用した様子でして、はい、
       これらライオン像もそうなのではないかと・・。
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       床のコズマ式装飾がまた素晴らしく!!
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       これは柱に残っていたもので、全盛期には柱にもこれらの装飾が、多分!
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       コズマ式装飾の素晴らしいのには、サレルノの聖堂でも出会い、

       アマルフィの聖堂でも
       http://italiashio.exblog.jp/15410032      
       



       さて聖堂から出まして、
       かってのローマ期のフォーロ広場の敷石
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       広場の東南側の端、3段の高台にも円柱が並ぶ部分が有り、
       ここも爆撃の跡から日の目を見たローマ期の遺跡部分で、
       その右奥に見えるのは、中世の塔の跡と。
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       何度か爆撃の跡から見つかった、明らかになった遺跡、と出てきますが、
       爆撃がなければ未だに立て込む家々に埋まり、、多分このあたりにある筈、
       というだけで見れなかった訳で、 ・・へへ、こういうのは、喜んでも良いですよね?!




       そしてその前に見えているこれが、元のアッピア街道の敷石
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       ローマからこのテッラチーナまで約一直線に繋がるアッピア街道が建設されたのが
       紀元前1世紀の末から紀元後1世紀のはじめだそう。

       このテッラチーナからは斜めにイタリア半島を横切り、アドリア海沿岸南の
       ブリンディシまで連絡していた、いわばローマ帝国の大幹線道路だったわけですね。

       この古いアッピア街道は中世には廃れたのだそうですが、
       後に干拓事業がされ、16世紀頃から徐々に旧アッピア街道に沿っての
       拡張工事が進み、今回南ラツィオで見た美しいアッピア街道の姿
       


       いやぁそれにしても、ここでこんなにしっかりした形で残るアッピア街道を見れるとは!
       フォーロ、かってのローマ期の市民広場、集会場であったフォーロの中を通り、
       大神殿横のアーチを潜り抜け、町を走り、通り抜けていったローマ期の軍勢、人々。
       そんな姿が彷彿とするアッピア街道の一大拠点が思い浮かびましたし、

       かなりの遺跡跡、美しい壁も見れ、テッラチーナの町を新しく知り、見直した事でした!!




       このアーチは、かって4つあったそうですが、実はどの部分で見たのか記憶に残っておらず・・!
       市のサイトにはArco Onorario Via Appia・アッピア街道の名誉門とあり、
       他に読んだサイトの説明では、アッピア街道はこのアーチの下を通って、ここから坂道を上る、とあり、
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       写真番号からしても、ひょっとして中心広場から出ての下り道にあったのかも・・。




       上のアーチの脇に咲き誇るブーゲンビリアの赤い花。 やはりここは南国!
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       さて、聖堂の眺めにも別れを告げ
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       我らは坂道を下り、バスとの集合場所に向いますが
       旧市街のある高さがお分かりでしょうか? 海がこんな風に見えるのです!
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       かなりの道のりの坂道をせっせと歩きながら、こんな街頭も眺め
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       車の陰で涼む猫ちゃんも撮り。 この隣に顔がクチャクチャのライオン像もあり・・。
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       こちらはトドみたいな、ははは、ライオン像を見かけ、
       サイトで同じライオン君の写真を見つけましたが、アルビーノ門の葬式のライオンと!
       ははぁ、どこかの墓所から持ってきたのでしょうね、きっと。
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       遂に坂道を下り、やはりまっすぐな松並木の道を見ながら、
       我らは右に曲がり、
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       暫く下の街の、こんなオレンジの並木道を歩き、バスとの待ち合わせ場所に。
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       そしてテッラチーナと、南ラツィオの街々と別れを告げ、
       一路ヴェネトの家に戻ったのでした。

       テッラチーナのご案内、お楽しみいただけましたように!
       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました


       この時の旅行で訪れたガエータの街のご案内もまだでして・・、
       は~い、頑張って写真整理もすることに。




     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-09 01:07 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 03日

・・・ 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 ・・・ (旅行 お出かけ) 

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       先日ピサネッロの絵デッサンをサイトで調べていた時、思いがけず、
       30年以上前にもなりますか、雑誌で見て忘れられずにいた絵に出会いました。

       「ミラノの古い貴族のお屋敷にあるピサネッロの壁画」と説明にあり、
       当時初めてのイタリア旅行で見た古い壁画や祭壇画の虜になっていた私には、
       それはもう、「遥か遠い国、魅せられたイタリア」以外の何物でもなく、ははは、
       ましてピサネッロ、という名にも魔法をかけられ、焦がれて見つめつつ、
       大切に写真を取っていたのでした。

       という、その一連の絵に、長い年月の後再会できたのでしたが、

       今は有難い事にPCでその写真の出処にも行き着き、あれこれ調べる事も出来るので、
       これらの壁画はミラノのボッロメーオ邸・Palazzo Borromeoに在ることも分かり、
       知らずにいた他の画面も知ることが出来ました。

       という事で、今日はこの壁画を通じて、
       15世紀のミラノの貴族の子弟たちのお遊びの姿をご覧くださいね。
       そして最後には、現在の貴族のご子孫達の様子もちょっぴりと。

 
       上の写真は、私の記憶に残っている写真の色に近い、壁画の部分




       ミラノのボッローメオ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
       まさにミラノの中心、ミラノのドゥオーモから歩いて10分ほど、
       1kmにも満たない位置に。
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       ボッローメオ広場に面した入り口。  13世紀末の建設で、四角い窓と、
       白と赤の大理石を使った入り口扉のある大きなアーチ。
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       入り口アーチの上部にいる駱駝像と、植物柄
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       その後の改装で建物も大きくなったそうで、上空から見る建物の現在で、
       内庭を囲む建物が2つある形で、奥の内庭が広く、
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       5角形の角柱に支えられたアーチに囲まれた、奥の内庭
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       奥の内庭は3面がアーチの回廊になっていて、残る一面に建物の壁があり、
       それには一面の壁画と、陶板飾りの装飾のある窓があり、
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       こちらが建物の壁画の柄で、王冠とボッローメオ家のモットーである
       Humilitas・ウミリタス・敬虔、謙遜、の文字。
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       で、この建物内の1階の広間に、今回ご案内する壁画があるのですね。

       これです!!
       窓側になる手前部分には無く、もしくは失われたかで、3方の壁にこの様子で。
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       左側が「タロッキ・tarocchi・カード遊び
       中央が「パルマータ・palmata・名前当て、とでも」
       右が「パッラ・palla・ボール遊び




       まずは左側の壁画から、背後にザクロの木が3本ある庭で、
       男女5人がカード遊びをしている様子で、右背後には湖の風景も見え、
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       写真によってかなり色の出方が違いますが、
       15世紀半ばの壁画内の、貴族の子弟たちの服装、髪型も詳細
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       カード遊びというのは、現在も大変盛んな遊びですが、
       どこか秘密めき、瞑想的でもあるこの遊びの雰囲気がよく出ていると思われませんか?!



       実はこの壁画は長い歴史の中で塗りつぶされていた様子で、
       第2次大戦の際に爆撃により被害を受け、戦後に行われた改修の際に
       見つかったのだそう。

       そしてこの赤っぽく見える色合いは実際の色ではなく
       この上から画家はかなりオークル・黄土色系の色をセッコ・乾いた状態で掛けているのが
       剥落し、湿度の問題もあり損傷が激しく、
       残念ながら、到底描かれていた当時の状態ではない、との事!
       それでも、これだけ素晴らしい雰囲気がわかるだけでも、有難いことですよね?!




       中央の、パルマータ
       やはりここにも5人の男女が見え、手を上げて遊んでいて、
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       パルマータと言うのは現在の遊び「スキアッフォ・デル・ソルダート・schiaffo del soldato
       に似ている、というので友人のジュリアーナにも尋ね、教えて貰いました。

       グループでの遊びで、一人が壁に向い(目をつむり)、片手を背中に回し
       手のひらを上に向けて立つのに、皆が順に指で触リ、済んだ所で皆が一斉に
       自分の指を上に上げて見せ、それで誰が触ったのかを当てるのだそう。

       元の名のスキアッフォ・デル・ソルダートと言うのは、兵士の平手打ち、の意ですから、
       元々は兵士がもっと乱暴に遊んでいたのから来たのかもしれませんが、      
       この画面の中でも、手の平を打ち付けている様子が見えます。

       パルマータとか、次のパッラ・ボール遊びなどは、中世でも伝統的に長く楽しまれ
       素朴で仲間と楽しく遊べる、こういう遊びはいつの時代も変わりませんね。




       この中央に立つ女性の衣装も見事ですが、
       衣装とか髪型には金色の線が描かれていた様子がわかるそうで、
       如何にも裕福なボッローメオ一族の子弟たちなのでしょう。
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       パッラ・ボール遊び。 
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       左の女性が棒を持ち、ボールを打つ所でしょうか?
       右奥背景の景色は、ラーゴ・マッジョーレ・マッジョーレ湖のアローナ・Aronaであろうと言い、 
       ここ一帯はボッローメオ家の領地であり、ボッローメオ国と呼ばれるほどのものだったと!
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       そして右側に並ぶ女性4人、これは当時の豪華な衣装、髪型で装った
       まさに貴族女性のお披露目みたいな様子で、
       色の損失、画面の損傷がとても残念。
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       これら一連のフレスコ画に登場する女性たちのスタイルは、まさにピサネッロの絵に
       登場する女性たちを彷彿とさせ、私が昔見た雑誌でも当時はピサネッロの壁画、と
       説明されていたのでしたが、

       今回改めて再会し、いや、これはピサネッロではない、とすぐ思いましたし、
       勿論調べてもピサネッロという名は出てきませんで・・。
       shinkaiの思うピサネッロが描く人物は、女性は、こういう目つきはしませんし、はは、
       雰囲気は似ているものの、ピサネッロは段違いに巧緻ですね。
       

       このボッローメオ邸の壁画はガイド付きで見学することが出来ますが、
       所有者の関係で月曜から金曜日までのみで、写真も禁止。
       見学は約1時間半ほどで、予約が必要、料金は13エウロ。
       サイトは 




       で、壁画の作者として研究者達から名が上がっているのが、
       ミケリーノ・ダ・ベソッツォ・Michelino da Besozzoという事ですが、
       彼の描いた教会のヴォールトの絵はこんな様子で、
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       彼は細密画も描いていますが、やはり同じような可愛い人物像で、
       彼がボッロメーオ邸の壁画の作者とは思えませんです。

       
       このボッローメオ邸は現在もボッローメオ家の持ち物ですが、
       オフィスに投資信託会社が使っているようで、住居にもなっているそう。




       所でボッローメオ家についてあれこれ読んでいて行き着いた一つが、
       
       ラーゴ・マッジョーレの東岸にあるアンジェーラの要塞・Rocca di Angera.
       200mの崖状にあリ、元はロンゴバルドの10世紀の要塞だったのを、
       14世紀にヴィスコンティ家が現在の要塞の形にし、ボッローメオ家が
       増改築したものだそうで、現在もボッローメオ家の所有。
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       一連のフレスコ画の「ボール遊び」の中央に見えた湖は、この要塞の対岸
       西にあるアローナという事でしたが、ここにもかって同様のボッローメオ家の要塞があり
       マッジョーレ湖の船の往き来を見張り、税を取り、アルプス側からの敵の侵入にも備えていたと。

       マッジョーレ湖はかってミラノの街の建設資材、大理石類などを調達し運ぶ一大輸送地で、
       ここでの税を免れた唯一は、ミラノのドゥオーモ建設の資材運搬船だったそうで、
       おまけに石材発掘も無料、運搬費も無料だったと!!
       どこかの国に「坊主丸儲け」という言葉がありましたっけね、ははは。

       残念ながら、こちらのアローナの要塞はナポレオン軍が打ち壊したそうですが、

       アンジェーラの要塞は、大変良い保存状態で残っており、




       ここには、イタリアで唯一という、「世界の人形」コレクションがあり、
       写真左に日本の武者人形も見えますが、お雛様のセットも見つけました。
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       お城の見学、人形博物館などは大体3月中頃から10月中頃まで、
       朝9時から17時半迄、休館無く開いている様子。
       アンジェーラの観光事務所の電話は、(+39) 0331 960 207




       そしてこのお城では結婚式、披露宴も行われる様子
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       所でご案内が後先になりましたが、ボッローメオ家・Borromeoと言うのは、
       出身がローマでトスカーナに移住、13世紀ミラノに移ってきた裕福な商人、貴族で、
       ミラノでヴィスコンティ家と縁戚となり、マッジョーレ湖一帯の領有、そして伯爵家となり、
       現在でも有数の子孫があり、繁栄存続している一族

       ボッローメオ家で検索を掛け最初に出た写真で、ああそうか、と思い出したのが、
       暫く前にTVニュースでも大々的に出た結婚式の模様でした。

       2015年の夏に行われた結婚式で、
       こちらはモナコで最初に行われた7月末の公的役所での結婚式の、
       左が花嫁のベアトリーチェ・Beatrice・ボッローメオ
       隣が証人のアンドレーア・カシラギ・Andrea Casiraghi、花婿の兄
       同じく証人のご夫婦ジョン・エルカン・John Elkann と、
       ラヴィーニア・ボッロメオ・Lavinia Borromeo
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       お分かりでしょうか、これらの人間関係から見える上流階級の模様が?!
       花婿はモナコのカロリーナ王女の2男(3番目の子)、ピエール・カシラギ・Pierre Cassiraghiで、
       花嫁の姉ラヴィーニアが、フィアット・クライスラーの会長ジョン・エルカンの妻、というわけ。

       花嫁はこの最初の結婚式では、ヴァレンティーノの衣装をお召だったそう。
     



       8月1日ロッカ・ディ・アンジェーラでカトリックによる式典が行われ、
       要塞の下にお着きのお二人がボートから上がる所
       右側ではお迎えの市長が、写真を撮っているもんね、ははは。
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       こちらがエレガントなアルマーニの衣装をお召しの花嫁、花婿
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       はぁ、そうなんですねぇ、イタリアでは戦後共和国になり、貴族の称号は公的には
       無くなったのですが、報道される時はちゃんと称号付きですし、
       こういう様子を垣間見ると、上流階級、現在も延々と続く貴族階級が伺えますですね。
       ・・やはりパルマータとかボール遊びをされる事もあるんでしょうかぁ? ははは。




       マッジョーレ湖、アンジェーラの要塞の夕日を最後に。
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     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、壁の聖母子像と、 南出麗子さんという日本画家 を
       アップしています。    
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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-02-03 19:47 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(7)
2017年 01月 25日

   ・・・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ ・・・ (旅行 お出かけ)

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       すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
       プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。
       
       このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
       11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
       内部装飾などでは有名画家の収蔵作品などはないものの、

       国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
       そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、化粧品、ワインなど
       その活動で大変有名な修道院です。
        
       プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を受けた事も
       あったのですが、ヘっヘっへ、忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
       改めて資料を読み、今回ご案内を!

       上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所




       近くには大きなヴィッラも見える、気候温暖な事でも知られるパドヴァの南西部
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       道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所
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       それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 高い城壁を兼ねているような建物群が
       ぐるりと周囲をめぐります。




       プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ
       パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下ってエステ・Esteに至る、
       県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置します。
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       少し南東に行くと、有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Termeがあり、
       南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者であるペトラルカ・Petrarca
       古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。




       さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
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       入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でしたね。
       内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、この時はかなり待ちました。
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       待合室から内部の回廊が見えましたが、
       奥の建物の壁にかってはフレスコ画装飾があった様子ですね。
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       壁にあった聖母子と聖ヨハネのフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、
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       部屋の隅にあった修道院特産品のウィンドウなども覗き!
       左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、
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       様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。
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       勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
       サイトはこちら



       待ち時間が長く、一旦表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
       城のような背の高い壁に圧倒されます!
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       とにかくきちんと整美されており、ゴミなども勿論落ちておらず! はは。
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       軒下に見えた陶板の飾り
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       1箇所、こんな風に壁の開いている場所があったのですが、
       手前に柵があり、近くまで寄れず・・。
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       山側には、養蜂の箱
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       待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真
       サイトで見つけた平面図と見比べましたので、大体の位置をご説明いたしますね。
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       写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
       その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、火のある普段の部屋(台所、食堂?)
       そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ・回廊部分が2重になっているのだそう。

       その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
       左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
       左側の、屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ・食堂・会議室

       右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培をしていた回廊と。
       一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ、かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
       にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。

    
       所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
       マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polironeに従属する形だったのが、  
       14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
       15世紀中頃にはパドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会のもとに入り、19世紀まで。

       1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、僧侶たちは追放されますが、
       4年後にオーストリア軍の下で再び修道院は活動を再開。
       が、1867年にイタリア国となって後、再びすべての修道院の廃止となり、
       当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
       他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
       イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
       1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
       同年の10月には再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
       カンティーナも持つほどのワイン製造をしているので、
       多分この写真にも見える周囲の葡萄畑はすべてこの修道院のものと!


       サンタンティモ修道院
       
       サン・ガルガーノ修道院

       プロヴァンス  セナンク修道院 1と2




       さて漸くに見学の時間が来て、
       待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り
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       聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。
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       見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
       こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
       適度に剥落し、とても良い色合いに。
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       ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという回廊部分ですが、
       現在はきれいな植え込みの風景に。
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       廊下に見えた「聖母子と天使像」
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       そして、キオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊
       周囲の屋根からの雨水はすべて濾過されて井戸水として使用される方式。
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       この回廊周辺がすべての僧侶たちにとって一番使われている部分なのだそうで、

       脇にあったこの部屋はロープが張ってあるので、現在使われていないものと思いますが、
       真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
       この部屋に僧侶たちが集まり、会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。
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       廊下にあった16世紀の手洗いの泉、大変美しい大理石の嵌め込み柄。
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       細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、直訳すると食堂なのですが、
       この素晴らしい作りと飾り付けから見て、会議室でもあったでしょうか。
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       廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
       奥は葡萄畑のようですが、手前は現在の薬草畑と?
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       そして、手前の植え込み部分
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       回廊の見学を終え、廊下を行く、左がガイドをして下さった僧侶。
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       廊下の上から見下ろす、修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。
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       傍らに、ちょうど花を開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
       ちょっと蕾の形がちがうような気もするなぁ・・。
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       この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

       こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館
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       そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。




       有名な古書の修復ですが、
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       1951年の秋から始められていて、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、版画、写本、
       手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の手紙類、と全てに及び、
       正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数であろうと。

       1966年のフィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
       すべてでは約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

       インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの被害などから
       価値ある古書を救い、できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

       Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
       E mail: restauro.libro@praglia.it
       と連絡先も。




       葡萄畑での収穫の写真
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       さて、最後の見学は聖堂内を。
       我々は横の入口から入ったのですが、まずは正面入口側からの様子を。
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       祭壇前の大理石の床模様羅針盤ですね。
        済みません、うっかり羅針盤と書きましたが、
        これは「風の薔薇」と呼ばれる風見、風の方向を示す柄と思います。
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       外に出て聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。
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       聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭の
       塀の中と、咲き乱れる薔薇の花
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       近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、それでも千年近い歴史を生き抜き
       この長閑で温暖な地で営々と農業を営み続け、今に至る修道院

       元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院などは、
       ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
       この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
       僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし過ごして来たのでしょう。

       ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

       修道院のサイトの、このページの下にヴィデオが2つあり、
       上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     



     *****

       ヴェローナのサンタナスターシャ教会でご案内したピサネッロのフレスコ画、
       「サン・ジョルジョと姫」に見える騎士2人、姫の左と右のどちらがサン・ジョルジョか?

       コメントで疑問を頂き、再度調べてみた様子を「再追記」しました。


     *****

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by italiashiho2 | 2017-01-25 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(8)
2017年 01月 15日

・・・ n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ ・・・(旅行 お出かけ)

第一回プラチナブロガーコンテスト
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       今回は、ヴェローナのカステルヴェッキオのご案内 その2を。 

       博物館に収蔵の中世の像を何体かご覧頂いた所ですが、
       今回は最初に、城の中から連絡して北のアディジェ河を渡る橋について
       ちょっとお話をさせて下さいね。

       上の写真はグーグルの衛生地図から切り取ったもので、
       橋の3連アーチの位置がよく分かると思い・・。

       ちょうどアディジェ河が街中に来て大きく蛇行する位置に城と橋があり、
       河のほぼ真ん中に、最初の城からの長いアーチの橋脚があり
       後の距離をほぼ半分にして、もう2つのアーチがかかります。

       つまり、同じ幅のアーチではないのですね。
       



       こちらをどうぞ。
       横から、その差がよく見えるのをサイトで見つけまして、

       橋の全長119,9m、 城側の一番長いアーチの部分が48,69mで、
       あとのは29,15mと、24mと。
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       城から最初のアーチの頂上部分まで少し上り坂で、
       そこから緩やかな下り坂で北に渡ります。


       説明には、ヴェローナの中世において一番大胆で見事な作品であると。
       確かに、アーチの下を支える白い石と上部の赤い煉瓦の色の対比も鮮やかで、
       城の防御の一部としての造りも頑丈な、見事な橋!

       建設は城と同じグリエルモ・ベーヴィラックワの名が上がり、
       1354年から56年にかけての、城が完成した後に引き続いての事と見られ、
       万が一に備えての、北への逃亡路でもあったと。

       
       こうして5世紀を無傷で経た橋は、北側にあった塔と橋の上のレース飾りが、
       主塔の上を削られたと同じようにフランス軍に寄って削られ、
       またその後のオーストリア軍占領時に再建設された事もあったのですが、




       一番大きな損害は、1945年4月24日、撤退するドイツ軍によって爆破された事!
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       爆破はこの橋のみならず、アディジェ河に掛かる街のすべての橋が爆破されたのだそうで、
       ドゥオーモの北東にあるローマ期のピエトラ橋も爆破された写真も見つけました。




       戦争終了後、即、街の他の重要な記念物、橋共に再建が決められ
       上の写真で見るように、大爆破にも関わらず基礎の大事な部分が残っているのを幸いに、
       新しく全部掛け替えるのではなく、その部分を修復して掛けることに決定。

       最初の仕事が始まったのは、1945年の最後からで、まさに戦後数ヶ月にして
       河床の残骸を除くことから始まり、

       1949年からは新しい無傷の切石がオリジナルと同じ場所に置かれ始めたのだそう。
       これは幸いにも爆破前にされた測量と写真があったのが役立ったといい、
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       おまけに石の色彩研究から、中世の石切場のどこからこの橋の石が
       切り出されたのかも突き止めることが出来、
       つまりヴァルポリチェッラ・Valpolicellaのサン・ジョルジョ・San Giorgio
       一帯の石であるのもわかったのだそう。

       ヴェローナの有名なワインにヴァルポリチェッラ、同名の赤ワインがありますが、
       同じくヴェローナの赤い大理石の産地でもあるのですね。
       ヴェローナから北西、山地に掛かる一体で、サン・ジョルジョはその中でもやや南西に。

       こうして新しく赤いヴェローナの石が切り出され、橋の下部に使われ、

       一方煉瓦は、粘土があちこちのもので大きさも不揃い、各地で焼かれている事から、
       解体された建物から新しい煉瓦を取り出し、またヴェローナやマントヴァの違う
       煉瓦工場から取り寄せたのだそうで、      
       こうして無事に架替工事が終了したのが1951年7月20日の事。


       爆破された当時の写真からも見えるように、アーチの基礎は5角系で、
       上流側は尖った形に張り出し、3連のアーチの広さも様々の長さ120m,幅6mを越す橋、
       アディジェ河の水の流れもよく研究された、中世14世紀の橋がこうして蘇ったのでした。


       修復や建設工事の際の様々な研究努力を読むと、つい興奮し、
       何とか皆さんにもお伝えしたいと、ははは、お分かり下さいますよねぇ?!


       と、この城が「カステルヴェッキオ・古い城」と呼ばれる所以ですが、
       この城の後アディジェ河を挟んだ北の山手側にサン・フェリーチェ・San Felice と
       サン・ピエトロ・San Pietro(現考古学博物館)が築かれて後、
       古い城・ヴェッキオと呼ばれることに。

       そしてもう一つお断りですが、
       先回スカラ家と書いておりましたが、Scalaの発音はスカーラですので、
       やはりスカーラ家と書くのが正しいと思い、先回の分から訂正させて頂きましたので、
       よろしくご了承願います。




       さて、博物館内見学に戻って頂きまして

       1階の彫像展示室から出て、スカーラ家の居城だった一郭の展示室に移動する際、
       上階の角に展示のカングランデ像が見え・・。
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       スカーラ家の居城であった部分にも展示室がある事も頭になく、
       自然に順路に従い移動したのでしたが
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       今になって知ってみると、この奥が城郭部分だったのでしょうねぇ! 
       もっとしっかり見ておくんでしたぁ!!




       宝石類を使った装飾品があり、美しいと思ったのを数点写しておりますが、
       ピンぼけご容赦!
       首飾り、ベルト、ブローチでしょうか。 美しい貴族の品々!
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       とにかく展示品の数が多く、ぱっと見て、あっ、良いな!と思ったものだけ撮っていて、

       これは旧約聖書の絵解きですね。
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       スカーラ家の城郭部の展示室は、こんな風に部屋の形も真四角でないのがあり
       天井下にはずっとスカーラ家の紋章、梯子・イタリア語でスカーラ、と
       両脇には立ち上がったの紋章が描かれ、その下は装飾柄のフレスコ画で埋まります。
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       なぜ紋章に犬なのか、なぜ一族にカングランデ・大きな犬とか、マスティーノ・マスティフ犬などの
       名があるのか、ずっと疑問だったのですが、現在では時に余り良い意味を持たない「犬」も、
       中世において「犬」には良い意味があり、価値とか賞賛を示したそうですし、
       
       スカーラ家がかってトルコ系の軍の長であるKhanと縁戚になったとか、
       カングランデが生まれる前に、母親は犬の唸り声の中で犬が生まれる夢を見たという伝承もあり、
       とりわけカングランデの偉大さが知られて後は、家系と犬を結びつけたのであろうという事。

       カングランデについては、後ほど騎馬像の所で改めてご説明いたしますが、
       ここでスカーラ家についてちょっとご案内させて下さいね。

       最初の記録にスカーラ家が登場するのが1180年
       布、織物商アルドゥイーノ・デッラ・スカーラ・Arduino della Scala
       南の方から移って来たように申告があり、

       その息子ジャコミーノ・Giacomino またはヤコピーノ・Jacopino 毛織物商、
       彼が後に続くヴェローナの君主の始祖と見做されます。

       ヤコピーノの息子マスティーノ1世・Mastinoは特別の金持ちでもなく、貴族の称号も
       持っておりませんでしたが、残虐で知られるエッツェリーノ3世・ダ・ロマーノの占領から
       逃れて間もないヴェローナ市民に受け入れられやすい平和志向の男で、

       大変に政治的にも優秀であった弟のアルベルト・Albertoとともに、
       当時の街の政治を動かしていた富裕な羊毛組合の中で自然に長となり、
       特別な闘争なしに、マスティーノが1262年にヴェローナの君主となり、1277年まで

       ついで弟のアルベルト1世が、1277年-1301年まで、
       3代目はアルベルトの息子バルトロメーオ・Bartolomeoが1301-1304年
       4代はアルベルトの息子、バルトロメーオの弟アルボイーノ・Alboino1304-1311年

       そして5代目が、アルベルト1世の3男に当たるカングランデで、1308-1329年
       ここにスカーラ家の一番の繁栄期、絶頂を迎えるという事になります。
       



       こちらはナポレオン棟の展示室で、長い展示室が続きます。
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       この黄金背景の綺羅びやかな絵、天使たちが飛び交う花園の中の聖母子像は、
       多分スカーラ家の城郭部の方にあったのと思いますが・・、
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       これはベッリーニでしょうか?
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       そしてマンテーニャの作品ですが、かなり工房の弟子の手が入っているなぁと・・。
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       この「落書きを見せる少年像」は気に入って撮ったのではなく、ははは、
       当時でも、こういうのもありだったんだなぁ、と思って撮ったのでしたが、
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       何と3年後の2015年11月19日夕方、閉館近くの博物館に入った強盗
       盗み去った17点の中に含まれており・・!

       盗まれた作品は1年後に見つかり、博物館に2016年12月23日に無事戻ったのでしたが、
      
       作品はコレクションする人間の希望にそって選ばれたと見られれる、というのを読み、
       う~~ん、私だったらこういうのは要らないなぁ、ははは、失礼!と思うものが多く、
       もっと良いのが他にいっぱいあるじゃぁないの!!と・・。 きゃはは。




       とは言え、このルーベンスも持ち去られた内の一作品で、
       ええ、これはねぇ、素晴らしい作品ですねぇ!
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       こちらはマティルデ・ディ・カノッサ・Matilde di Canossa(1046-1115)の肖像画。
       「カノッサの屈辱」事件で有名なカノッサ城を所領に持つ、トスカーナ女伯、と言っても
       書いている本人shinkaiにもあまりピンときておりませんが、ははは、
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       彼女の遺骸がかってあった(現在はヴァティカンに)というマントヴァの南にある
       サン・ベネデット・ポーという町の大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polirone を訪問した時この絵(の複製)を見ていたので、
       あれ、実物はここにあったんだと少し驚き・・。




       収蔵展示品は他にも見くたびれるほどあるのですが、余り写真を撮っておらず、
       上からの眺めなども見て頂きたいので、これでお終いとしまして、

       これは展示室から見える橋の眺め
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       そして、お待ち兼ねの「カングランデ騎馬像」

       鎖帷子を付け、翼を持つ犬がついた兜は後ろにはね、にっこり笑った笑顔!
       愛馬も頭部は主人と同じ兜をつけ、ダマスコ織りの踝まで届く盛装をし、
       それが一陣の風にひらめいている、という素晴らしい騎馬像!
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       多分右手には鞘の剣を持っていたと見られ、これは平和を示し、
       笑顔には温情が見られると。

       この像は元は彼のお墓、スカーラ家墓所・アルケ・スカリージェレの横にある彼の棺所の
       上にあったのだそうですが、現在墓所にあるのはコピーだそう。


       カングランデという名を持つ人物はスカーラ家に2人おりまして、
       こちらがスカーラ家一番の隆盛を築き、盛名高かったカングランデ1世(1291-1329)
       
       父親はヴェローナの君主2代目となったアルベルト1世で、
       バルトロメーオ、アルボイーノに次ぐ3男として生まれ、
       洗礼名はカン・フランチェスコ・Can Francescoだったようですが、
       彼の幼少からの目覚ましい成長を認めての通称がカングランデ・偉大なるカンとなったと。
       勢力争いの激しかったヴェローナで、敵方からも1年後にはイタリア王になるだろう、と
       言われ、スカーラ家に招かれ身を寄せていたダンテも賛美を惜しまなかったという人物。

       頭脳明晰、武力に秀で、雄弁快活、謙虚な信心深さももち、芸術にも関心を持ち
       一旦決めたことにはためらいなく、鉄の意志を持って向かう、という
       まさに君主になるべくして生まれた人物

       皇帝フェデリコ2世と縁戚の父を持つジョヴァンナ・ディ・ズヴェーヴィア・Giovanna di Sveviaが、
       ドイツにまだ見ぬ夫との結婚に向かう途中、スカーラ家の当時の当主バルトロメーオ1世の
       妻となっていた姉のコスタンツァの元に逗まった時、
       彼女を見たカングランデは一目惚れし17世で結婚! 彼女の方が11歳ほども年上だった様ですが・・。
       ですが、この結婚からは嫡子を得ず、カングランデの8人の子供はすべて庶子(男子4名)!

       
       そして彼は38歳の夏、7月22日トゥレヴィーゾに於いて突然の死を遂げます。
       トゥレヴィーゾの政情不安のため乗り出し攻略に成功、町に入ったのが18日で、
       司教館に滞在しますが、
       4日後22日の朝司教館の部屋で、健康に問題なかった壮健の盛りの突然の死。

       トゥレヴィーゾに向かう途中、湧き水の冷たい水を飲んだのが原因と見られ、
       ほんの少し毒殺の声もあったものの、近年まで自然死と見做されていたのが、
       2004年に墓所から遺骸を取り出しての科学的検査が行われ、
       遂にジギタリス(和名キツネノテブクロ)による毒殺と判明!

       ジギタリスはピンクの筒型が集まった美しい花で、心不全の薬として現在も
       用いられているそうですが、意図して適量を越すと毒薬にもなり、
       まさにこれが原因だったというのが判明したと。       
       多分彼の侍医によるものと見られますが、この医者は後に絞首されたそう。
       
       誰もが考えもしなかった一代の英雄の死が起こったのでしたが、
       彼の嫡子はなく、甥のアルベルト2世がスカーラ家の当主となり、その次代は彼の弟
       マスティーノ2世と続き、徐々にスカーラ家は衰退の道を辿り始めます

       


       この素晴らしい衣装は、棺の中のカングランデが纏っていた絹の高級織物を
       再現したものだそうで、
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       生前の身長は175cmほど、髪は明るい栗色、顔は長く、下顎がひときわ出っ張っていた
       特徴ある顔だったと、2004年の検査が明らかにしていますが、

       カステルヴェッキオから北西にある、サン・フェルモ教会の後陣に描かれた人物像の中に
       ひときわ出っ張った顎を持ち高官にある人物の衣服を付けたのが、多分彼を描いたものと。
       



       城の見学順路には、かっての物見兵士たちのパトロール道も含まれていて、

       ここはナポレオン棟のアディジェ河を見下ろす通路で、
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       昔、これによく似た通路を通った記憶が・・!




       向こう側の岸で記念撮影中のカップル
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       この高さから橋が見え、向こうに見える鐘楼はサン・フェルモ教会
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       ローマ兵士も、ははは、休憩中なのが見え、
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       これは主塔の横に出てきた辺りからの眺めで、
       橋の上、そして鳩でいっぱいのナポレオン棟の屋根の上
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       物見パトロール道は、この写真の右に見える城壁、橋に続く城内の通りの右横、
       コルテ・ダルミとの境の城壁の上も通ることが出来、
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       こんな様子のパトロール通路で
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       時計塔の中に入り、展示のマスティーノ2世・MastinoII(1329-1351)の騎馬像
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       カングランデ騎馬像と同じような作りなのですが、やはり少し及ばない感がありますねぇ。

       マスティーノ2世の時代に一旦所領はぐんと大きくなるのですが、
       フィレンツェと組んだヴェネツィアと戦う羽目になり、結局領土はヴェローナと
       ヴィチェンツアのみになり、スカーラ家の勢力は徐々に下り坂となり、

       カングランデ2世(執政1351~、カンシニョーリオパオロ・アルボイーノバルトロメーオ2世
       アントーニオと、1387年まで君主制が続きますが、
       スカーラ家のレジーナ・Reginaと結婚していたベルナボ・ヴィスコンティ・Bernabò Visconti
       がパドヴァ、フェッラーラ、マントヴァと組み、妻の相続を口実の攻略を始め、
       ヴェローナは激しい戦いを乗り切り独立を守りますが、
       これによりアントーニオ・デッラ・スカーラは引退し、

       125年間12代に及ぶスカーラ家の王朝は終わりを告げたのでした。




       時計塔の横に小さい芝生があり、夏の暑い時にホッと
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       こちらが先回の一番最初に見て頂いた城の正面側の城壁、内側からで、
       向こうに広がるのがヴェローナの旧市街地。
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       時計塔を出ると、街に接した城壁の上を歩き、いや、パトロールし、はは、
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       こんな街中の喧騒も見、次にはあの2階建てバスに乗って回ろうとか計画し、ははは、
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       博物館入口に戻って、見学はお終いです。
       
       2度に渡ってのお付き合い、有難うございましたぁ!!




       最後はサイトから拝借の夜景を
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       ほぼ6世紀に渡っての変遷を生き残り、今も見事な中世の城塞を見せてくれる
       カステルヴェッキオ。 
       いやぁ、やはり見事なものでした!!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-01-15 21:45 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(2)
2017年 01月 10日

・・・ カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 その1 ・ ヴェローナ ・・・(旅行 お出かけ)

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       ヴェローナのご案内が続きますが、今回は2度に分けて
       カステルヴェッキオ・Castelvecchio・現在博物館になっている14世紀からの城と、
       城内を通りアディジェ河を北に渡る3連アーチの美しい橋、のご案内を。

       トップは、18世紀のヴェネツィアの画家ベルナルド・べロット・Bernardo Bellotto
       の描いたカステルヴェッキオと橋の眺め。
       河に張り出した漁のためと見られる突堤や小屋以外、城と橋の眺めは
       現在とまるで変わりません。

       ベルナルド・ベロットと聞くとちょっとご存じないかも知れませんが、
       ヴェネツィア風景で有名なカナレット・Canalettoという画家はご存知でしょう?
       カナレットの本名はジョヴァンニ・アントニオ・カナル(1697-1768)といい、
       彼の妹がベルナルドの母親で、つまり甥になります。
       よく似た作風で描いていますが、北ヨーロッパでの活躍が多かった様で、
       最後はポーランドのワルシャワで亡くなっています。




       カステルヴェッキオはどこにあるかは、先回のサンタナスターシャ教会ご案内の地図
       描き込んでいますので、そちらをご覧くださいね。

       正面から全体が写っている写真が見つからず、サイトから拝借し、

       アディジェ河がヴェローナの旧市街の出っ張り部分を大きく湾曲して包み込む、
       旧市街の西の端にある、14世紀スカーラ家建設のカステルヴェッキオの正面

       
       ご覧のように高い塔が3つ見え、真ん中の塔が現在の博物館への正面入口で
       跳ね橋が見え、これは手前右の塔にも名残が見えますが、
       かってはアディジェ河から水が引き込まれた堀が城をめぐり、各塔の下にある門は
       すべて跳ね橋があったそうですが、この堀は現在はすべて空堀、または埋められています。
       奥に見える塔には時計が見え、その通り時計塔と。




       塔の間を繋ぐ城壁の上は物見の通路となっていて、     
       その上にはメルレット・レースと呼ばれる飾り兼銃眼、狭間付きの壁。  
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       こちらが正面の塔と跳ね橋で、
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       この門の扉
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       門の内側に見えた井戸。 
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       今回は先に橋の様子をご覧頂きますので、また表に出て頂き、はは、

       こちらが時計塔。 
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       カステルヴェッキオは現在ヴェローナ市の博物館となっていて、
       その切符に城と橋の上空写真があり、分かりやすいのでご覧を。
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       先程の真ん中の正面の塔は、一番東の塔よりも細く見えますが幅があり、、
       跳ね橋を渡って中に入っての様子もお分かりですね。
       
       中庭は大内庭・コルティーレ・マッジョーレ、または武器の広場・コルテ・ダルミ
       と呼ばれ、見える河寄りの建物が現在の博物館で、
       正面白く見える壁の部分に図書館や事務室があり、
       この建物左上角部分、アディジェ河寄りにもう一つの塔。
       
       そして正面側の3つの塔の手前(下側)に、高い城壁に挟まれた通路があり、
       ここが橋に至る城内を通る通路で、
       左側、河の手前に見える高い大きな塔、これがマスティオ・主塔と呼ばれる塔ですが、
       この横を抜けて橋に連絡します。

       そしてこの写真では切れて見えませんが、正面の塔のつながりの一番下に、
       もう一つ低めの塔があり、ここから斜め下左に城壁が伸び、

       この部分の城壁は2重になっており、その内側、つまり
       主塔の手前に見える建物類、ここがかってのスカーラ家の城郭だった
       レッジャ・スカリージェラと呼ばれる一郭。




       
       所でこの写真に見える現在の城は、築かれた当時、そして18世紀後期までとは
       違う姿なのですね。

       というのもこの平面図をどうぞ。
       これは1801年の城の平面図で、2のスカーラ家の城郭部分、3の主塔部分は同じですが、
       1のコルテ・ダルミと呼ばれる右の広場の河よりの部分、現在の博物館棟がありません。
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       ここは実はナポレオン軍が統治時代に兵舎として建て増しをした部分なので、
       ナポレオン棟と呼ばれることもあり、土手や砲台がヴェネツィア共和国時代にも
       築かれた事はあったようですが、ずっとアディジェ河に向かって開けていたようです。

       ですから、正面側の入口の門から入って見える姿は随分違っていた、
       兵士や兵舎が多分並んだ、ちょっと殺風景な要塞城の姿だったことでしょう。
       
 


       さて、橋に行きましょうか。
       時計塔の左下に橋への通路口があり、入り口からの眺めはこんな様子で、
       奥に見えるのが主塔の下部分。
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       右側の城壁は内庭との境の壁ですが小さな通路口があり、
       上空からの写真で見えたスカーラ家の城館部分との境の城壁は、
       左の内側に高く見える城壁です。




       ここが主塔の横を通り橋に抜ける部分で、奥に橋が見えます。
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       抜けてきた正面を振り返り、見える塔が正面城壁の一番端の低い塔
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       緩やかな上り坂の通路左側、主塔の内庭と呼ばれる部分は奥の城壁との間が
       一段低くなっていて、こんな井戸も見え、
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       大砲の弾、石の球!も積んであるのが見え、
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       これは主塔の窓、テラスで、奥にちらっと見える壁がスカーラ家の城郭だった
       壁の一部。
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       かっての城の様子を見て頂いた所で、ちょっぴりこの街と城の歴史を。
       ですが、長い歴史の変遷を持つ街と城ですので、ほんの要約です。

       現在のヴェローナは、ミラノとヴェネツィアを結ぶ幹線上の一都市、
       に近い存在になっていますが、
       かってのヴェローナは、ここからアディジェ河に沿って北に向かい、アルプスを越え
       北ヨーロッパの国々とを連絡する通商交易で重要な街道の基点地だったのですね

       先史時代からすでに集落があり、紀元前のローマ期には現在の旧市街地区が
       きちんと整理された都市であり、ローマ期の主街道の交差点でもあり、
       テアトロやアレーナ・闘技場も現在に残っているのは、よくご存知と。

       そして中世に入り自由都市となり、ロンゴバルドの下、また封建領主の影響も受け、
       13世紀に頭角を現しヴェローナの領主となったのがスカーラ家・Scalaで、
       1262年から1387年にかけての125年間、この街を支配します。

       スカーラ家の要塞城として建設されたこの城は、1298年から形となり始め、
       かっての自由都市時代からの城壁も利用し、最終的に完成したのが1354年
       
       建設を任されたのはグリエルモ・ベーヴィラックワ・Guglielmo Bevilacqua
       という名が上がり、同時にアディジェ河に掛かる橋の建設、
       城と一体になっているこの橋は、万一の際の北への逃亡にも備えたものであり、
       スカラ家の居城でもあり都市要塞でもあるこの城が、更に主塔マスティオの建設を加え、
       南西側が少し引っ張られた、全体として大きな台形の城が完成したのが1376年

       
       ヴェローナの君主としてのスカーラ家の時代の後、1404年この街はヴェネツィア共和国の下に
       その下での平和の時代が4世紀ほど続き、この城は兵舎、武器庫などなどに利用され、
       その後ナポレオン統治の下に、上記したようにアディジェ河の眺めを塞ぐ長い棟が出来、
       現在の姿になります。

       


       さて、アディジェ河に掛かる橋に戻りまして

       橋の上はこんな様子で、観光客のみでなく、地元の人々の生活の通路でもあり、
       自転車も通り抜けて行きます!
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       橋の上から振り返る主塔。 
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       この主塔は、カステルヴェッキオの歴史の中の変遷とともに変化を遂げ、
       ヴェネツィア共和国時代には東側の面に、大きなサン・マルコのライオン像の
       フレスコ画が描かれていたそうですし、

       ナポレオン軍が駐留していた時代には、上部を削られ低くされた事もあったそうですが、
       その後のオーストリア軍占領のもとで元の姿に。
       塔の中ほどでレンガの色が違って見えますね。 多分あの高さにされたのだろうと・・!

       で、一体どれほどの高さがあるのかと調べましたが見つからず、かなり意地になりましたが、
       ははは、遂に見つからず!! まぁ、教会の鐘楼程度かなと思いますが・・。
            
       今、買い物袋を下げた地元の人も通って行きます。 この橋を渡って真っ直ぐ行くと、
       アレーナの前のブラ広場に出ますし、地元の人々にはきっと便利な橋なのですね。




       橋から見る現博物館の建物、ナポレオン軍が兵舎として建て増しした部分で、 
       一番上階は見張り兵士の通り道になっており、カップルがアディジェ河を見下ろし・・。
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       橋から眺める街の東側。 見える橋はポンテ・ヴィットーリアで、
       右の鐘楼はサンテウフェーミア教会・Sant'Eufemiaで、左奥がドゥオーモの鐘楼。
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       アディジェ河はトレントの奥、アルプスからの流れで全長約410km
       イタリアでの最長の河ポー(652km)よりも少し北でアドリア海に注ぎますが、
       ここヴェローナでもとうとうと流れ河幅も広く、
       城から掛かる橋の長さは119,9mもあるそう。
       

       所で、スカリージェロ(ア)・Scaligelo(a)(複はリ、ラ・li,la)
       という言葉もガイドブックにはよく出ますが、
       ポンテ・スカリージェロ、カステッロ・スカリージェロなどなどですが、
       スカリージェロというのは、スカラ家の、という形容詞です。
       shinkaiはややこしくならぬよう、なるべく使わず、
       スカーラ家とご説明していますので、ご了承願います。




       この部分は橋から張り出す、アーチの基礎部分の上で
       この尖った3角形は上流側に向かった部分で、下流側は四角形。
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       かっては物見兵士の通路だった細道も、今は観光客の格好の撮影ポイントで、ははは、
       大賑わいなのですね。
       ローマ兵士の格好をした、撮影お供のモデル氏もいますです。
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       橋を渡りきっての北からの眺め
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       橋の北の袂にある、ローマ期のものだったと思う碑。 可哀想に落書きされ!
       以前説明を読んだ記憶があるのですが、今回見つからずで・・。
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       所でこの橋は、グーグルのストリート・ヴューで渡ることが出来ます!
       しかも白バイ2台を先導に渡れますから、ははは、ぜひお試しを!!
       



       さて橋を渡って戻り、博物館の見学に。
       この棟がナポレオン軍支配当時に増築された兵舎で、その後中世風に修復されたもの。
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       上の写真の左下に見える遺構ですが、これも多分アディジェ河の水を引き込んだ堀の一部と。




       博物館の建物の左端、2階部分に見える騎馬像は、
       スカーラ家の一番隆盛を極めた領主カングランデの像・Cangrande.
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       昔博物館に入らずに庭からこの像を眺め、本当に憧れたものでした、はぁ。
       今回は中からじっくりカングランデの顔も、お馬君の顔も眺めることが出来ましたので、
       次回のご案内でご覧頂きますね。




       城壁の飾りが映る博物館の窓。 多分これは東側、事務所図書館側の窓と。
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       前庭の山羊かな、を形どった小さな泉と、奥に見えるのが博物館入口。
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       ほっと一息の、前庭に咲いていた鮮やかな花
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       入り口脇にあった碑。 どこから来たのか、日時計のようでもあり、
       飾りの碑の一部のようでもあり・・。
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       かっての城の一部と兵舎を利用して博物館にする大改修は
       1958年から1974年にかけて行われ、監修はカルロ・スカルパ・Carlo Scarpa
       すっきりと見やすい30室ほどの陳列室に改装され、彫像、絵画、武器、貴金属などなど、
       見きれないほどの収蔵品の博物館となっています。


       日本の建築美に傾倒した著名な設計家カルロ・スカルパの、有名作品の一つ
       トンバ・ブリオンのご案内




       博物館に入り左側、1階は彫像の展示があり、ローマ期から始まり、
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       そしてshinkaiの大好きな中世。 気に入った女性像のみを数点ご紹介しますと、
       まずは輪のサンタ・カテリーナ
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       アレキサンドリア(エジプト)の聖女カテリーナ(287-305)を指し、
       その美しさから王に仕えるよう、改宗するよう説得されるのを受け付けず、
       刃のついた車輪で拷問死刑を受けるものの車輪が壊れ、遂には斬首に、という聖女で~す。




       昔から写真で見て憧れていたこの背中! 男性的でもあるこの存在感!
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       初めて正面からお目にかかりましたが、音楽の守護聖人サンタ・チェチーリアかな?
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       こちらも背中ですが、はは、渋く素晴らしい緑色の彩色像で、
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       何という事! 今回写真を整理していて気が付きましたが、
       前面から撮っておりませんで・・、バカがぁ!!




       きっとこのも一つ、素晴らしく優しい雰囲気の聖女像に目が行ったのだろうと・・。

       優しい目つき、ふっくらの頬、口元、細かい衣装の彫り、素晴らしい!!
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       サンタ・リベーラ・Libera像、サンタナスターシャ教会のマエストロたちの作で
       あろうと云うことで、14世紀半ばの作品と。



       という所で今回はお終いにし、次回のご案内に続きます。
       お疲れ様でしたお楽しみ頂けましたように!

       次回は、橋についてもう少し詳細にと、展示物の幾つか、スカーラ家などなど。
       よろしくお願い致しま~す。



       

     *****

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by italiashiho2 | 2017-01-10 23:48 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(4)
2017年 01月 05日

・・・ サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ ・再追記・・・ (旅行・お出かけ)

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       今回のご案内は、以前訪問したまま纏めておらず、
       時に思い出して気にかかっていたヴェローナの
       サンタナスターシャ教会・Sant'Anastasiaを。

       ここには皆さんも良くご存知の、ピサネッロの傑作「サン・ジョルジョと姫」
       のフレスコ画があり、30年程も前の訪問時に見ているのですが、はい、
       その後こちらに来て後何度かヴェローナに行った時は教会自体が修復中。

       焦がれていたピサネッロのフレスコ画に再会できたのは4年前の夏。
       暫く以前から美しくすっきりとなった教会正面を見てウズウズしていたのでした。

       という様子で、写真も整理し直しましたのでご覧くださいね。

       上は、中心のエルバ広場からまっすぐ教会に向かい、正面に見えてくる時
       この遠い位置からだと左奥の鐘楼が見えるのですが、
       教会正面からは見えませんので、最後にご覧頂く事に。




       サンタナスターシャ教会はどこにあるか、地図をどうぞ
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       ヴェローナの旧市街、ローマ期からの町があった突出部、
       アディジェ河・Adigeが大きく湾曲する、地図番号10の位置に。

       ちなみに11がドゥオーモで、2,14辺りがエルベ広場、
       下に見えるが野外劇場・アレーナ。
       一番左の川岸に見えるがカステルヴェッキオ、次回にご案内を。




       さて、こちらが正面
       12世紀末の建設で、正面扉の周囲は大理石で整備されているのですが、
       それ以外は建設時のままの煉瓦の見える姿、いわば未完のまま。
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       教会前広場の左手にも一つ教会らしきものも見えますが、
       サンタナスターシャ教会との接続部に見える棺についても最後に。

       右手はヴェローナの有名ホテル、ドゥエ・トッリ・Due Torriで、
       13世紀からの由緒ある館だそうで、一度泊まったことがありますが、
       貧乏shinkaiにはまれな経験で、ははは、
       ロビーなどはやはり素晴らしいものでしたぁ!




       正面扉周辺の5連の大理石アーチは、白とヴェローナの赤い大理石、
       と、黒と説明されていますが、実際は青いグレーに見える石を使っていて、
       如何にもサンタナスターシャ(聖女アナスターシャ)という教会名に相応しい感じ。
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       ですが、このサンタナスターシャという名は現在の教会の建設以前にあった教会名で、
       13世紀に建設されたのは、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる、
       ヴェローナの守護聖人でもあるドメニコ会派の僧に捧げられたもの。
       が、街の人々はずっとサンタナスターシャ教会と呼び習わしているのだそう。

       扉上部の横枠の真ん中、円柱の上に聖母子像、右に輪のサンタ・カテリーナ像、
       そして左に見えるのがサンタナスターシャと。




       夏の強い日差しの下の写真で、扉脇の聖人像も霞んで見えますが、
       扉は15世紀のものと。
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       扉右脇にある碑は、この教会が捧げられた殉教者サン・ピエトロの生涯を描き、
       上に13世紀半ばの殉教時の姿がありますが、
       その左下、頭に大きな斧みたいなのを受けた姿が分かりますか?
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       ドメニコ会派の白と黒の僧服を身につけ、頭の真ん中に大きな包丁、という
       殉教者サン・ピエトロの姿は絵画の中、また像でも時々見かけ、最初は驚き!でしたが、
       名前を知ってからは、あ、ここにも居られる、と・・。 はは。
       ローマ・ヴァティカンのサン・ピエトロとは別人、殉教者サン・ピエトロです。
       



       さて、中に入ります。
       ご覧の通り、大変きらびやかで、長い世紀のうちに何度か改修されたそうで、
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       天井はこんな様子
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       主祭壇の内陣と後陣
       木製彩色の十字架のキリスト像があり、その背後にステンドグラスの
       長い窓が見えますが、このステンドグラスは20世紀になってからの物と。
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       で、両脇の壁には、




       右手にはフレスコ画が見られ、これは「最後の審判」のテーマと。
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       左手には、この教会の特色の中でも抜きん出た
       コルテジーア・セレーゴ・Cortesia Serego(1335頃-1386)の記念墓碑
       15世紀初頭があり、上の写真でお分かりのように、壁面いっぱいの大きなもの。
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       棺の上に騎馬像が見えますが、棺の中には何もない記念墓碑で、
       棺部分には正面に5つと、両脇に1つずつの壁龕が見えますが、
       ここにはセレーゴ家の業績を示す青銅像が納まる筈であったそう。


       セレーゴ家というのは、ヴィチェンツァ出身の傭兵隊長で、
       コルテジ―アの時代にヴェローナに出て、スカラ家の軍指揮官として
       活躍した人物の様子。

       この記念墓碑を作ったのは彼の息子のコルテジ―ア2世で、
       騎馬像に跨るコルテジ―アが手にしているのは、指揮を取る棒。

       棺の両脇に立った兵士が重たい緞帳を掲げ、右側の兵は帽子を取って
       敬意を示し、緞帳の一番上にも抜き身の剣を持った持った兵士。

       写真では少し見え難いのですが、緞帳の締め具の一番下の部分、
       赤い部分には剣が3本描かれ、これがセレーゴ家の紋章なんだそうで、
       一番上の兵士の剣も納得です。

       周囲を取り巻くのは金色の枝とアカンサスの葉、そして肉厚の大きな白い花。
       どうやらこれらは当初は彩色されていた様子で、ご想像下さい、
       背景のブルーの中でひときわ鮮やかであったろうと。




       上部は両脇に建物が見られ、空に浮かぶのは「天国」だそうで、
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       下の方に天使がいるのは判断できますが、なにせ見た時はそこまで
       意識して見ていませんで・・。





       主祭壇の右にあるのが「巡礼の礼拝堂・Capella Pellegrini」ですが、
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       主祭壇のアーチの上、左右に見える梯子の紋章は、
       ヴェローナの繁栄の領主、スカラ家の紋章。

     ◆ 追記を。
       「巡礼の礼拝堂」と訳を付けたので「小父さん」から疑問を頂きましたが、
       巡礼のための礼拝堂ではなく、ペッレグリーニ・巡礼という性を持つアントニオという人が、
       1492年に遺言で礼拝堂をつくる依頼とお金を残し、造られたという謂れです。
       



       ここにお目当ての、ピサネッロ(1390頃-1455)の傑作
       「サン・ジョルジョと姫 」のフレスコ画が!
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       30年ほど前にやはりこの絵を目当てにやって来て、
       が、絵を見たのはこの場所ではありませんでした。

       今の聖具室だったか、普通の部屋の天井の高さで、その下にあり、
       暗い部屋の中で見つめていると、たまたま入ってきた教会関係者と思われる
       シニョーラが電灯のスイッチを入れてくれ・・、という思い出があり、

       その記憶が余りにも強く残っていたもので、今回
       この高い位置にあるのに気が付くのに、かなり時間がかかりました!

       そうなんですね、ちょうど絵の中心が山形にくびれており
       考えてみれば、まさにこの礼拝堂入り口のアーチにぴったりで、
       この場所に納まる事を条件に描かれたのだと、納得した事でした。




       右側の「サン・ジョルジョと姫 1436-1438」の部分
       2人の間に白い馬の大きなお尻があり、背景の煌びやかな町の建物、
       そして左に見える2人の吊るされた男、と、どこか謎めいた構成。
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       姫の横顔は、如何にもピサネッロの描く女性の横顔で、
       額が素晴らしく出た白く繊細な細面、大きな装飾の被り物と美しく、

       良く見る構図、龍退治のサン・ジョルジョの横に添えものの姫、とは
       一線を画した構成。
       それに引き換え、サン・ジョルジョが余り男前でないのを
       いつも疑問に思うのですが・・、ははは。

     ◆ 追記です
       shinkaiはずっと、サン・ジョルジョは姫とは馬を挟んだ左側の、
       金髪の男と思っておりましたが、
       そうではなく、姫の右側、綺羅びやかな馬具を付けている白馬の上に見える顔
       兜をつけ、馬に跨る姿がサン・ジョルジョなのだと知りました!!
       あれま、こんな所に誰かがいるとは気が付いたこともありませんで、
       そう知って見ると、確かに凛々しい顔の男性です!
       それに、右手に長い槍と思われる武器も持っています。

       大変、失礼をば!
       が、そうすると、姫とは反対の方を見つめている事になり、
       誰もが視線を合わせない事にもなり、尚更不思議な構図だとも思います・・。

       写真、追加。  この方がサン・ジョルジョです
d0097427_22085943.jpg
     ◆ 再追記を ◆

       サン・ジョルジョが姫の左側にいる男性か、それとも姫の右側の馬上の男性か?

       改めてmitsuさんから質問を頂きましたので、もう一度あれこれサイトから
       関連した記事を引き、読んでみました。

       サン・ジョルジョとして出てくる男性の顔は、上に載せた兜をかぶった騎乗の顔が
       いくつかあるのですが、
       このフレスコ画描写にうんちくを傾けている記事に、こんな説明を2つほど見つけました。

       まず姫と馬のお尻を挟んでいる左側の男性の写真をどうぞ。
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       つまり左の男性は、左手を馬の鞍に掛け、左足を馬の鐙に置いていて、
       姫に別れを告げ、龍との戦いに出かけるため、
       今まさに騎乗の人となろうとしている所、と。
       少し呆然としているかにも見え、ほんの少し口を開け歯もみえる、
       光輪にも似た金髪の髪と。
       
       確かにそう指摘されて見ると、左手と左足の位置は、まさに馬に乗る前の姿で、
       やはりこの左の男性がサン・ジョルジョとして、ピサネッロは描いているのですね。
       そして姫は彼を見送っている姿。
       で、右の騎乗の男性は、サン・ジョルジョの侍者が槍を持っている姿と。

       そうですね、イタリア版のウィキには右側の騎乗の男性とありましたが、
       左の男性がサン・ジョルジョと考えたほうが、姫とも向き合う形になり、
       主題がはっきりしてきますね。

       mitsuさん、コメントに疑問を書いて頂き、有難うございました!!
       お陰様で自分が納得の行く答えを得られ、とても嬉しいです。

       
       所であれこれの記事を読んでいて、改めて知った事を幾つか

       絵画の歴史において、ピサネッロが初めてこのフレスコ画の中において、
       馬を正面からとお尻から描いたのだそうで、これによって絵の奥行きが得られている。
       それまでは常に横側からの姿、この方が描きやすくもあり、だったのだそう。

       そして、右側の馬の顔を見た時、ちょっと鼻がおかしいな、とは思ったのですが、
       これは中東に於いて、馬が走った時に空気が吸い込みやすいようにと、
       かっては馬の鼻孔を切り取っていた!のだそうで、
       ピサネッロはどこかの宮廷において見かけた馬をデッサンしていたのだと。

       今回あれこれ写真を探している時に、ピサネッロの様々なデッサン
       また纏めてご覧頂きますね。


     ***




       真ん中に美しい空色の海が広がり、帆船の姿も見え
       この色で全体が残っていたら、さぞや素晴らしく煌びやかであったろうと!


       左側は、龍退治、または既に退治された龍であろうと思うのですが、
       残念ながら森の動物たちの姿と、左下に頭蓋骨が認められる位・・。
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       左側の絵の損失は、壁からの雨水の染み込みのため、というのも改めて知りました。
       周囲の縁飾りの部分などにも金色が使われていたらしいのですが、
       それらも損失した、という事です。

       壁画全部を剥がし、それで聖具室の方に長らく、教会自体の修復が済むまで、
       置かれていたと云う様子です。
       

       それにしてもこれだけの素晴らしい絵が、こんな高い場所に!
       少し高すぎる、のが残念ですね。

     


       こちらはその右隣にあるロザーリオの礼拝堂、なのかどうか、少し不明です。
       というのも今回この絵が3段の絵画の真ん中に収まリ、立派な礼拝堂に安置された
       写真が見つかったのですが、この背後に見られるのとは違いまして・・。
       仮の姿で、ここに安置されていたのかも。
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       礼拝堂は祭壇脇に2つずつ、そして脇壁に添って別の祭壇もあるのですが、       
       ピサネッロを見ただけで十分に満足してしまい・・!




       主祭壇の前、左側の壁のフレスコ画
       開いている扉は、聖具室への扉だったと。
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       祭壇に向かって左側の壁中程にあったオルガンの周囲
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       オルガンを挟む形で前にある2本の円柱の右、写真の中で一番右の円柱に
       見える立ちあがったライオンの紋章、これにご留意を。




       床の大理石模様。 床は建設当時15世紀中程のままだそう。
       白と黒はドメニコ会派の僧服の色であり、赤はこの教会が捧げられた
       殉教者サン・ピエトロの血の色を現わすと。
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       こちらは右の壁にあったと記憶する祭壇と祭壇画
       全体に大変装飾の素晴らしい祭壇で、絵も美しいでしょう?!
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       脇にあった小礼拝堂の形を取るもので、
       絵もはげ落ちさだかではありませんが、上部の飾りが素晴らしく、
       下部の大理石は、ひょっとして古い石棺のリサイクル・・?
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       これは教会入り口近くにあった聖水入れと、それを支える男の像
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       左右にあり、こちらは手を膝に置いていますが、
       もう一方のは、片手を頭に置いていると。  見ていませんで・・。




       訪問したのが夏の盛りとあって、入り口付近は大変明るかったのですが、
       照り返しの陽の中で、大変に清楚な美しさだった左側の壁の
       フレスコ画装飾の礼拝堂の上と下
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       そして、全体の姿をサイトから拝借し、ボルディエーリ・Bordieriの祭壇と。
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       他にもたくさんの祭壇、そして祭壇画、彫像などもあったのですが、
       自分の好きなものを主に選びまして、これで失礼を。


       参拝者たちの捧げる蝋燭の明かり
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       15世紀からの古い木製の扉を通り、外に出ます。
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       最初の写真左側に見えた、教会前広場の様子で、
       右側に教会からの接続部に見える門扉と、その上の柩
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       門扉の奥の中庭は、現在音楽学校なんだそうですが、
       石棺と上の屋根はこんな形で、
       この中の主はグリエルモ・ダ・カステルバルコ・Guglielmo da Castelbarco,
       (生年不明-1320)
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       そう、カステル・アーヴィオ・Castel Avioのご紹介の時に出た  
       カステルバルコ家の一番の繁栄時の領主ですが、
       当時の習わしとし、権力と財産を持つ人物のみができた教会建設の援助、
       このサンタナスターシャ教会の建設に大きな援助をし、
       主祭壇近く、またオルガンの前の、立ち上がる獅子の紋章はカステルバルコ家の物で、
       後には同じヴェローナのサン・フェルモ教会・San Fermoの建設にも関わったと。

       彼はここに葬られる事を願い、この形で埋葬されていますが、
       これが後にヴェローナの領主として君臨したスカラ家の墓所
       「アルケ・スカリージェレ・Arche Scaligere」の姿となったと。
     

       アルケ・スカリージェレの写真はこちらに
  
       ヴェローナの街の中心ちょっぴり

       ヴェローナ全体のご案内は、こちらから



       最後はエルベ広場のランベルトの塔の上から見た
       サンタナスターシャ教会の姿を。
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       これだと左奥の鐘楼も良く見えるでしょう?
       高さ72m、鐘楼の鐘は15世紀に5つだったのが、19世紀になり
       ヴェローナの名家からの寄贈で現在9あるそう。

       一番大きなのは1787Kg 直径が145cmもあるそうで、
       これだけの数の鐘が揃うと、かなりのメロディーを奏でる事が出来るんですと!

       

       ヴェローナのエルバ広場で日本人観光客の評判を聞いたことがありますが、
       ミラノからヴェネツィアに行く途中に、15分間だけね!って。 ははは。
       
       いやぁ、なんのなんの、見所がいっぱいの街で、しかも都会、お洒落です。
       訪問のチャンスが有りましたら、ごゆっくりどうぞ!!

       私はカステル・ヴェッキオのご案内を纏めないと・・!
       



     *****

       皆さま、いつもブログご訪問有難うございます!

       実は3日の朝から我がPCのインターネット接続が出来ませんで・・!
       モデムも正常、接続も出来ていると出るのですが、
       いざクリックすると「このサイトには届きません」と画面に。

       店は3日は休日と言うので、一日必死に絵を描いて我慢をし、
       そうなんです、お絵描きをすると無私の心境になれるので! ははは、

       昨日朝一番に店に持ち込みましたが、なぜならテクニコに来て貰うには
       数日かかるのはもう既に十分承知の助で、いつもPC本体を持ちこみますが、
       悪い予感通り昨日一日で戻らず、何がどうなっているのか電話をしても、
       その後の連絡がなし・・!!

       ブログの記事の方は4日朝の内に書きかけていたのですが、
       夕方になり、これは最低明日5日のお昼までかかりそう、と
       見極めざるを得ず、さてどうするか?!


       私はPCはいつどんな故障が起こるとも知れず、故障が起きて後では
       どのファイルも引き出せない、と考えているので、
       作業はPC本体を使っても、ファイルや写真はすべて外付けメモリーに
       保存していて、手元にあります。
       それで、何年も使っていなかった、まだ捨てていなかったノート・パソコンを
       引っ張り出し、ウィンドウズ・ヴィスタの一度雷にやられた奴で、

       改めて電源を入れ、NECの日本語でも何が何やら分からない設定をいれ、はは、
       かなりの騒音がするのも我慢し待つ事久し、なんとか復帰できました!

       有難い事!! やれやれ。   
       これからはちょいちょいスイッチを入れ、予備に据えて置かないと!


       それで外付けメモリーのファイルも読め、記事も続けられ、
       インターネットは使えないのでスマート・フォンで検索をかけ、
       古いPCにも入れていた写真ソフトも使え・・、

       夕方、状況は如何にと電話して来た友人相手にさんざ店の悪口を言い
       発散し、ははは。

       なんとか今夕のブログ更新に間に合うと思うのですがぁぁ、
       さて、どうなりますか!
       これを書いているのは朝9時前で、もうじき店が開きます。


       ・・という事で、皆さんにこれを読んで頂けている通り、
       午前中に無事我がPCが戻ってまいりました!

       ですが、テクニコの所では何にも問題なく、インターネットに接続できたそうで・・!!
       電気屋に修理に持っていくと、何も故障がないというのと同じでして・・、クソメ!
       
       ジュリアーナにメッセージを送りましたら、ベファーナの魔術だ!
       でも、今夜のヴィン・エ・パン(日本のトンドと同じ)で燃やすから心配するなと。
       はぁ、新しいPCなのに、早々に悪さを覚えないように願いますです。
       
       

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルッチョ 途中経過と、元日の朝の色 を
       アップしています。    
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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-01-05 23:38 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(20)