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2017年 02月 19日

   ・・・ 古城ホテルへの滞在はいかが?! ・・・

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       暫く前に、イタリアには一体いくつのお城があるんだろう? と疑問がわき
       検索を掛けましたら、 
       へへ、いくつあると思し召す?
       なんと、全部で3177!!

       この数は城も要塞も含めてのことで、美しいのもそうでないのも、堀のあるもの無いもの、
       城壁に囲まれたもの、古い村の小高い頂上にあるもの、などなどで、

       近年になり、博物館やホテルに様変わりしたのも、また観光客の訪れない土地にあるもの、
       未だその貴族の子孫や、はたまた趣味が高じての方の持ち物となったもの様々ですが、
 
       2007年の調査によると、
       歴史的はたまた高雅な貴族の城や邸宅に住む家族は2404に及ぶそうで・・。

       詳しくお知りになりたい方は www.icastelli.it に、とあり、


       のこのこ訪問したshinkaiは、そこでそのサイトの一つのテーマ、
       本日のトップの写真にある「城に滞在する」というのに出会いました。


       ふ~ん、とあれこれ眺めていて知っている城が見つかったり、わぁ~お!というのがあったりで、
       では皆さんにもほんの少しご案内をと、ここに。

       サイトで紹介されているホテルとなっている城や要塞、塔は、ざっと数えても90以上あり、
       イタリア全土に渡りますので、興味のお有りの方はサイトをご覧頂くと、
       もっと写真も多く、またホテルの直接のサイトにも行けますので、どうぞそちらから。



       今回、とにかく最初に目を惹かれたのが、これ、

       オルシーニの城ホテル ネローラ
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       ローマから北東に50kmほど、車で1時間程の距離にあり
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       ネローラ・Nerolaの村の頂上に君臨するオルシーニ・Orsiniの城
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       詳しい資料は無いのだそうですが、10世紀から11世紀にかけての城と想定され、
       オルシーニ家の物となったのが1235年、塔を嵩上げし、城壁で囲んだ城にしたのだそう。

       オルシーニ家と言うのは、教皇を2名も輩出したほどの古く著名なローマ貴族ですが、
       ブラッチャーノ公爵でもあったフラーヴィオ・Flavio Orsiniの没後1698年は、
       彼の直系は子孫がなく途絶え、分枝であるデッラ・ローヴェレ家のものに。

       その後も持ち主は変わったものの、20世紀になってCA.DI.というのが買い取り修復、
       現在に至っているそう。
       



       こんなプールも有り
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       食堂、レストランというのか、これは結婚式の披露宴会場と
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       ローヤル・スウィートのお部屋!
       上の会場にしろ、この部屋にしろ、何とも石壁の威圧感がすごく・・!
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       こちらはスウィートのお部屋
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       へへへ、シングルのお部屋も見つかりましたが・・!
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       全部で50室あるそうで、
       ホテルのサイトは https://www.icastelli.net/it/castello-orsini-hotel-nerola




       北イタリアはボルツァーノから電車で30分程の、メラーノ・Meranoの山奥にある、

       ホテル・カステル・フラウスブルグ
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       地図をどうぞ
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       こんな朝の光を見ることの出来る高所に在るようで、
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       ここは対ナポレオン戦の英雄でもあったアンドレアス・ホーファー・Andreas Hoferが、
       1624年に狩猟用に建てたものだったそうで、
       1954年に現在の持ち主Ortner家のものとなり、ホテルに改築改装、
       このタイプのものとしては唯一の5つ星と。




       北の香り、ティロルの香りというのか、
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       緑に囲まれた食卓
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       こんなテラスで体操も出来
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       スウィートのお部屋
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       サイトはこちら。 https://www.icastelli.net/it/hotel-castel-fragsburg
       
       11月から4月の初め、冬季、つまり復活祭前まではお休みだそう。
       他にもそのお知らせの在るホテルがありましたので、
       もしお泊りご希望の方は、ご留意を。




       カステルブランド、 ヴェネトの我が家の近く。
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       地図をどうぞ
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       いつも歩いているカルページカ・Carpesicaモ、オリアーノ・Oglianoも載っているのに、
       我が村スコミーゴ・Scomigoがない! 悔しいので、ははは、赤点を打ちましたぁ。




       かってはここまで馬車で乗り入れた、というフロント前。
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       右に見える大階段は、


       こんな風に一番上まで続きますが、横に各階に連絡し
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       食堂・レストラン
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       ローヤル・スウィートのお部屋
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       サイトは、 https://www.icastelli.net/it/castelbrando

       城は一度訪問見学した事があり、こちらに




       あれっ、あそこのだ、と懐かしかったのが、
       カステッロ・ディ・レオニーナ・ルレ
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       地図をどうぞ
       シエナの東南から、シエナのクレーターと呼ばれる侵蝕地をアシャーノに向かう途中、
       細い地道が続いているのを見て、どんなのかと辿ってみた村にあったのでした。
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       その時の様子はこちらに
       
       地図に見えるアシャーノ・Ascianoから、地道をMonte Sante Marie, Torre a Castello
       と辿った様子は




       表からは中をそっと覗くしか出来ませんで、元修道院かと思ったのでしたが、
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       村の名の通りカステッロ・城、というよりは要塞がシエナによって築かれたのが中世で、
       1234年には、ここはシエナとオルヴィエートの領界争いの戦闘の舞台となり、
       破壊の激しさから打ち壊すしか無かったのだそうで、

       15世紀になり同じ場所にルネッサンス様式で建設されたのが現在の元になるもので、
       その後徐々に持ち主の農家が要塞化したものだそう。

       20世紀になり、荒廃していたのが元のように修復され、2003年から現在の姿と。




       食堂、レストラン
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       そう、ここは土地が高く、眺めも素敵なんですよね!
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       ただ、サイトの写真にはチョンボというか、まやかしがありましてぇ、
       サン・クイリコ・ドルチャの東からの有名な眺めの写真が使ってありました。
       それはまぁ、車で行くと50k足らずの行程で、1時間ほどで行けますがぁ・・・!




       スイートのお部屋
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       壁に、シエナのパラッツォ・プッブリコ・現市役所にある、シモーネ・マルティーニ作の
       「グイド・リッチョ将軍」の図が見えますね。
       彼に関係のある戦だったのかどうか、調べてみようっと。

       ホテルのサイトは、 https://www.icastelli.net/it/castello-di-leonina-relais




       カステッロ・バンフィ と 村       
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       この城の場所は、モンタルチーノの夜レストランで食べていた時、
       前の席の青年から教えてもらったもので、懐かしく思い出し・・。




       地図をどうぞ
       赤い太めの線で囲ったモンタルチーノ・Montalcinoの南西、約20kmに
       カステッロ・バンフィがあり、
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       この辺りはあちこちと何度も行っていて、季節ごとに思い出が蘇る土地!
       右下に切れているRadi・・は、ラディコーファニ・Radicofani




       城の威容! 素晴らしい!!
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       1700年建設の城で、城の名に並び「村・ボルゴ・borgo」とあるのは、
       どうやら村自体が城壁に囲まれ、その中に働くお百姓たちが住んでいた様子。





       サロンの一つでしょうね。
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       食堂、レストラン。  ワインが豊富!
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       元々がバンフィ・Banfiという名のカンティーナで、
       サンジョジョヴェーゼと、ブルネッロと。
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       レストランも勿論有り、どうやら料理教室も開かれる様子で、
       今回のサイトの中では唯一、料理写真が見つかったもので、
       う~ん、タルトゥッフォ・トリフが乗っているよぉ!
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       スウィート・デラックスのお部屋
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       この大きさのお城で、部屋は全部で14室、内スウィートが5部屋、だそうですから、
       それぞれがかなりのデラックス版ということでしょうか?!

       ここも11月の半ばから閉め、3月末に開くそうで、動物連れはダメと。




       お城ではなく、塔がホテルになっている
       トッレ・アルモンテ、往時の住まい
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       トーディの周囲にはたくさんの要塞化された村があり、これもその一つのようで、
       12世紀建設の24mの高さの塔

       1954年まで保護状態だったとありますから、多分それ以降に持ち主が変わり
       修復され、現在の姿、ということでしょうか。




       地図をどうぞ
       ウンブリア州のトーディ・Todiから北東に10k程、車で17分ほどの位置。
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       中世に大繁栄したトーディの町の周囲にはたくさんの要塞地があったと上記しましたが、
       トーディの町の南にイッツァリーニ・Izzaliniという名が見え、懐かしく!

       ここはトーディに行った時、古い土地が好きなら行ってみたら、と宿の主人に勧められ訪ねたのでしたが、
       後にヴェネトの13世紀の残虐でもあり、また一種のヒーローでもあったエッツェリーノ・ダ・ロマーノ
       所縁の地でもある、と読み驚いたのでした。
       写真を撮ったままになっておりますが、・・整理してみようかな。



       この部屋はアッパルタメント・台所付きの意、とありますが、
       ご覧のようにモダンな意匠に改修されており、
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       台所もご覧の通り
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       塔の1階に食堂があり、塔5階分に2つのスウィートと、2つのアッパルタメントのみで、       

       こちらはスウィートのお部屋
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       塔の上からの眺め!
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       最後はロンバルディアのはミラノの東、
       ヴィスコンティの要塞
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       地図をどうぞ。
       ミラノから東に30kmほど、車で約50分程
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       カッサーノ・ダッダ・Cassano d'Adda
       アッダ河沿いに於けるヴィスコンティ家の護りの要塞だったのが分かりますが、
                                     
       この地では1259年ヴェネトを拠点にしていた皇帝派のエッツェリーノ・ダ・ロマーノ3世が、
       残虐非道な治世でも知られた男でもありましたが、ミラノを目指す最後の戦いに破れ
       重傷を負い、ソンチーノで没という、まずそれを思い出したshinkaiですが、

       も少し東にはカラヴァッジョ・Caravaggioの地名が見え、ここがかの16世紀から17世紀に
       かけて活躍の画家、カラヴァッジョの両親はここの出身だったそうですし、

       西にはゴルゴンゾーラ・Gorgonzola、はい、あの美味しいブルーチーズの一種であるチーズが
       15世紀にここで生まれた、という地の名も見えます。




       大広間
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       この城要塞は、まさにロンバルディアのミラノ公国とヴェネトのヴェネツィア共和国を
       分ける自然な国境ともいうべきアッダ河沿いに、
       1261年から95年にオットーネ・ヴィスコンティ・Ottone Viscontiによって建設され、

       軍勢の守備隊地、通商交易の取締、領主の住まい、平和時にはお遊びの地でもあり、
       土地の治世事務所でもあり、法廷、監獄と、様々な要素を含んでの要塞なんだそうで、
       15世紀には素晴らしい城壁も出来、城塞としては完璧な形に。

       ルドヴィーコ・イル・モーロの時代には、レオナルド・ダ・ヴィンチも訪れ
       ここの塔の上から、かの鳥の羽を模した空を飛ぶ研究の一端もしたと伝えられ、

       後の世紀に衰退したのを、漸くに1960年代になり修復が始まり、
       当時の姿が蘇り、装飾なども修復されたのだそう。
       



       食堂、レストラン
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       この色使いと、装飾の形!
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       でも、他はわりとシンプルに、モダンで
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       中庭の夜
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       他にもたくさんのお泊りできる宿が各地にありますので
       皆様、旅の思い出にどうぞ!



       
     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、芽生え 一応の仕上げとし ・ ルドルフ・ヌレエフの を
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by italiashiho2 | 2017-02-19 00:14 | ・ご挨拶・番外 Saluti Speci | Comments(6)
2017年 02月 09日

   ・・・ テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 ・・・

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       今回のご案内はローマから南に110kmほど、車で1時間半程の
       距離にあるテッラチーナ・Terracinaのご案内を。

       昨年春の南ラツィオの旅行では、ここの浜辺沿いのリゾート・ホテルを
       基地にして、あちこちに出かけたのでしたが、
       テッラチーナの旧市街の見学は最終日になっていたのですね。

       で5月の煌めくような朝早く、浜辺のホテルを後にし、
       一路こんなアッピア街道を模したような道を行きます。

       今回は写真が多くなりましたので、ごゆっくりどうぞ!



       これは通りすがりに見えた町のローマ門。 ご丁寧にS.P.Q.Tと!
       S.P.Q.Rだと「元老院とローマの人民」となるので、
       どうやら「テッラチーナの人民」の意味を込めている様で、
       シャレというか、どこか親父ギャグみたいで、ははは。
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       ですが我々は一旦町を通り過ぎ、町外れの山上にある
       アンクスールのジュピター寺院の遺跡見学に先に行きます。

       これが港から見上げたアンクスールのジュピター寺院・Tempio di Giove Anxur
       そうです、この高さに大きな寺院があったのですね。
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       ですが寺院遺跡のご案内は苦手の上長くなりすぎますので、
       写真で様子を見て頂けるよう、水彩ブログの方に載せましたので見てやって下さい。




       街の様子の地図をどうぞ
       街全体としては海辺沿いにずっと細長く西に続きますが、
       ジュピター寺院と、色がほんの少し濃い囲った旧市街の位置を。 
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       テッラチーナと近くの街の関係地図は




       現在のテッラチーナの人口は4万6千人程。
       これは小高い位置にある旧市街部分以外の、
       下の街と呼ばれる部分の方が大きいと思うのですが、

       バスで山の上のジュピター寺院を見るのに道を上っていく時に、
       かっての町の城壁が良く見え。
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       テッラチーナは紀元前6世紀の末には既にローマの勢力圏にあったようで、
       その後古代イタリア民族のウォルスキ族の下にもあったのが、再度ローマ人にと、
       繰り返された後、紀元前312年にアッピア街道が通り、ローマ期が続きます。

       ビザンティンの時代を経て8世紀から9世紀は教皇領になり、
       中世にも、このローマに近いこの町は様々な変遷を経ることになり、

       町の繁栄も衰退も何度もあった様子で、16世紀にはマラリアの蔓延で、
       町の人口はわずか150名にもなった事もあった様ですが、

       近代となり干拓事業も進み、新道路もつき、観光地として栄えている様子。



       さてジュピター寺院の見学から町に戻り、城壁の外でバスを降り、
       ガイドさんに連れられて細い道を下りながら、ローマ遺跡の中を通りますが、
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       位置としては、今見える鐘楼が現在の中心広場にある聖堂サン・チェザレーオ・
       San Cesareoで、正面の建物類は18世紀に増改築された聖堂部分。
       
       現在カピトリウム・Capitolium(ジュピター神殿のある聖地の意)と呼ばれる
       ローマ遺跡群は、後にご覧頂く中心広場の北東、という事になります。
       
      



       まず驚いたのがこの美しい壁!! 斜め格子状に石を組むのはポンペイ遺跡でも、
       スペルロンガのティベリオの遺跡でも見ていますが、  
       ここのは凝灰岩の茶と石灰岩でまさに格子柄になっているのですね。
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       脇はこんな形で、高台になっていて、角に
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       角にこの円柱が1本残ります。
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       狭い場所で、すぐ脇にはこんな風に家が立て込んでいて・・
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       上の写真の壁は正面に回ってくると、こんな感じに2重になっており、
       かっての仕切壁だったのが分かるのですが、
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       ここには、現在の聖堂に含まれた形になった大寺院とは別の
       小寺院があったのだそうで、これらはその遺跡で、
       
       つまりこの小寺院の中は3つに別れ、それぞれにジュピター、ジュノー、ミネルヴァ
       3神が祀られていたと。

       


       上の写真にも見える、奥の家の壁に残る色付きの部分にご注目を
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       屋根の形が分かる事から、かってあった建物の壁を利用して、
       後に建て増しをされていた事も分かり、これが神殿を隠していたのだそう。

       実はこの一帯、第2次大戦の時の爆撃で上にあった家々が被害を受け、
       それでこれらのかってのローマ遺跡が明らかになったのだそうで・・!


       右手に見えるアーチの上にも、かっての壁跡が見えますし、

       我らは今回見なかったのですが、中央奥に見える小アーチの上に小路が見えますね、
      
       あれを左奥に行くと・・・、




       こんなテアトロ・劇場跡が4分の一程も見え、これも爆撃で明らかになったのだそう!
       他の部分は上に家々が立て込んでいるのだそうですが、
       近年の研究では、劇場の直径が約72m、4000人ほどの観客収納数の大きさと。
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       脇道の角の上階の柱、これも明らかに神殿の柱をリサイクル利用していて、
       ここはどうやら現在の聖堂の一部の様子!
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       これは何だろ? 浴槽?
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       遺跡につきものの猫ちゃん。 少し痩せぎすね。
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       こうして旧市街の中心広場かってのローマ期のフォーロ・エミリアーノ・Foro Emilianoに
       塔は聖堂の鐘楼と同じ時代12,3世紀、同じ高さ、とあっても探しても高さは見つからず、
       塔はフルメンターリア・frumentariaというので、穀物倉だったと。
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       塔の右手のモダンな建物と奥側とともに市役所だそうですが、




       ついでに塔の横の階段の様子も見て頂き、
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       古い側の市役所の壁もご覧下さいね。 
       そうなんです、かってのこの建物の壁も2色の格子壁、
       つまりローマ期の何か古い建物があったのでしょうね!
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       そして広場の西を占める聖堂サン・チェザレーオ・San Cesareo.
       元々あったローマ期の大寺院を含む形で大きく建設されたもので、高台に
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       聖堂の右に見える建物は、13世紀のパラッツォ・ヴェンディッティ・Vendittiで、
       元々は市の建物だったそうで、下に見えるアーチをくぐると、上で見て頂いたローマ遺跡で、
       
       このアーチの下をかってのアッピア街道が通っていたのですね。
       



       鐘楼、12~3世紀。 こちらも2色使いの素晴らしいもので、上階に行くごとに
       窓の幅が広くなりますが、これは重量を減らす工夫だったそう。
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       そして装飾にはめ込まれた色付きの丸い鉢のようなもの、お分かりでしょうか?
       彩りを添えますが、修復の際に取り替えられたものだそう。

       同じ彩色陶器を使う工夫がポンポーザの修道院にも




       元々の教会はローマ期の寺院があった上に建てられた9世紀のものだそうですが、
       聖別されたのは11世紀、鐘楼とともに内部の修復も12~3世紀と。

       教会前のロッジャ部分の、モザイクによる装飾は現在右側にしか残っておらず、
       何のモチーフかまだ明らかではないそうですが、最初の十字軍遠征であろうかと・・。
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       軒下の装飾部分。 人物像が見えるのは、玉座に座る人物と。
       その右にいるのは猿のようで・・!
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       入口前の円柱の下の飾り部分。 背を向けて座っている人物や
       ライオンというのですが、残念ながら破損部分が大きくて。
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       こちらは良く分かるライオン像
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       こちらのサイトに、聖堂の装飾の詳細写真が。       




       さて、聖堂内部。左の説教壇にご注目を。 と祭壇部分
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       ここの説教壇のコズマ式装飾が素晴らしいもので!!
       と言いつつ、暗くてshinkaiの写真はピンぼけが多く・・、とほほ。
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       説教壇を支える者たち! 素敵ぃ!
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       古い起源の町に残っていた遺跡群の中から、リサイクル出来るものは
       ちゃんと皆再利用した様子でして、はい、
       これらライオン像もそうなのではないかと・・。
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       床のコズマ式装飾がまた素晴らしく!!
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       これは柱に残っていたもので、全盛期には柱にもこれらの装飾が、多分!
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       コズマ式装飾の素晴らしいのには、サレルノの聖堂でも出会い、

       アマルフィの聖堂でも
       http://italiashio.exblog.jp/15410032      
       



       さて聖堂から出まして、
       かってのローマ期のフォーロ広場の敷石
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       広場の東南側の端、3段の高台にも円柱が並ぶ部分が有り、
       ここも爆撃の跡から日の目を見たローマ期の遺跡部分で、
       その右奥に見えるのは、中世の塔の跡と。
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       何度か爆撃の跡から見つかった、明らかになった遺跡、と出てきますが、
       爆撃がなければ未だに立て込む家々に埋まり、、多分このあたりにある筈、
       というだけで見れなかった訳で、 ・・へへ、こういうのは、喜んでも良いですよね?!




       そしてその前に見えているこれが、元のアッピア街道の敷石
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       ローマからこのテッラチーナまで約一直線に繋がるアッピア街道が建設されたのが
       紀元前1世紀の末から紀元後1世紀のはじめだそう。

       このテッラチーナからは斜めにイタリア半島を横切り、アドリア海沿岸南の
       ブリンディシまで連絡していた、いわばローマ帝国の大幹線道路だったわけですね。

       この古いアッピア街道は中世には廃れたのだそうですが、
       後に干拓事業がされ、16世紀頃から徐々に旧アッピア街道に沿っての
       拡張工事が進み、今回南ラツィオで見た美しいアッピア街道の姿
       


       いやぁそれにしても、ここでこんなにしっかりした形で残るアッピア街道を見れるとは!
       フォーロ、かってのローマ期の市民広場、集会場であったフォーロの中を通り、
       大神殿横のアーチを潜り抜け、町を走り、通り抜けていったローマ期の軍勢、人々。
       そんな姿が彷彿とするアッピア街道の一大拠点が思い浮かびましたし、

       かなりの遺跡跡、美しい壁も見れ、テッラチーナの町を新しく知り、見直した事でした!!




       このアーチは、かって4つあったそうですが、実はどの部分で見たのか記憶に残っておらず・・!
       市のサイトにはArco Onorario Via Appia・アッピア街道の名誉門とあり、
       他に読んだサイトの説明では、アッピア街道はこのアーチの下を通って、ここから坂道を上る、とあり、
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       写真番号からしても、ひょっとして中心広場から出ての下り道にあったのかも・・。




       上のアーチの脇に咲き誇るブーゲンビリアの赤い花。 やはりここは南国!
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       さて、聖堂の眺めにも別れを告げ
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       我らは坂道を下り、バスとの集合場所に向いますが
       旧市街のある高さがお分かりでしょうか? 海がこんな風に見えるのです!
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       かなりの道のりの坂道をせっせと歩きながら、こんな街頭も眺め
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       車の陰で涼む猫ちゃんも撮り。 この隣に顔がクチャクチャのライオン像もあり・・。
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       こちらはトドみたいな、ははは、ライオン像を見かけ、
       サイトで同じライオン君の写真を見つけましたが、アルビーノ門の葬式のライオンと!
       ははぁ、どこかの墓所から持ってきたのでしょうね、きっと。
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       遂に坂道を下り、やはりまっすぐな松並木の道を見ながら、
       我らは右に曲がり、
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       暫く下の街の、こんなオレンジの並木道を歩き、バスとの待ち合わせ場所に。
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       そしてテッラチーナと、南ラツィオの街々と別れを告げ、
       一路ヴェネトの家に戻ったのでした。

       テッラチーナのご案内、お楽しみいただけましたように!
       長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました


       この時の旅行で訪れたガエータの街のご案内もまだでして・・、
       は~い、頑張って写真整理もすることに。




     *****

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by italiashiho2 | 2017-02-09 01:07 | ・ローマ・ラツィオ Roma Lazio | Comments(2)
2017年 02月 03日

・・・ 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 ・・・ (旅行 お出かけ) 

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       先日ピサネッロの絵デッサンをサイトで調べていた時、思いがけず、
       30年以上前にもなりますか、雑誌で見て忘れられずにいた絵に出会いました。

       「ミラノの古い貴族のお屋敷にあるピサネッロの壁画」と説明にあり、
       当時初めてのイタリア旅行で見た古い壁画や祭壇画の虜になっていた私には、
       それはもう、「遥か遠い国、魅せられたイタリア」以外の何物でもなく、ははは、
       ましてピサネッロ、という名にも魔法をかけられ、焦がれて見つめつつ、
       大切に写真を取っていたのでした。

       という、その一連の絵に、長い年月の後再会できたのでしたが、

       今は有難い事にPCでその写真の出処にも行き着き、あれこれ調べる事も出来るので、
       これらの壁画はミラノのボッロメーオ邸・Palazzo Borromeoに在ることも分かり、
       知らずにいた他の画面も知ることが出来ました。

       という事で、今日はこの壁画を通じて、
       15世紀のミラノの貴族の子弟たちのお遊びの姿をご覧くださいね。
       そして最後には、現在の貴族のご子孫達の様子もちょっぴりと。

 
       上の写真は、私の記憶に残っている写真の色に近い、壁画の部分




       ミラノのボッローメオ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
       まさにミラノの中心、ミラノのドゥオーモから歩いて10分ほど、
       1kmにも満たない位置に。
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       ボッローメオ広場に面した入り口。  13世紀末の建設で、四角い窓と、
       白と赤の大理石を使った入り口扉のある大きなアーチ。
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       入り口アーチの上部にいる駱駝像と、植物柄
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       その後の改装で建物も大きくなったそうで、上空から見る建物の現在で、
       内庭を囲む建物が2つある形で、奥の内庭が広く、
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       5角形の角柱に支えられたアーチに囲まれた、奥の内庭
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       奥の内庭は3面がアーチの回廊になっていて、残る一面に建物の壁があり、
       それには一面の壁画と、陶板飾りの装飾のある窓があり、
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       こちらが建物の壁画の柄で、王冠とボッローメオ家のモットーである
       Humilitas・ウミリタス・敬虔、謙遜、の文字。
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       で、この建物内の1階の広間に、今回ご案内する壁画があるのですね。

       これです!!
       窓側になる手前部分には無く、もしくは失われたかで、3方の壁にこの様子で。
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       左側が「タロッキ・tarocchi・カード遊び
       中央が「パルマータ・palmata・名前当て、とでも」
       右が「パッラ・palla・ボール遊び




       まずは左側の壁画から、背後にザクロの木が3本ある庭で、
       男女5人がカード遊びをしている様子で、右背後には湖の風景も見え、
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       写真によってかなり色の出方が違いますが、
       15世紀半ばの壁画内の、貴族の子弟たちの服装、髪型も詳細
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       カード遊びというのは、現在も大変盛んな遊びですが、
       どこか秘密めき、瞑想的でもあるこの遊びの雰囲気がよく出ていると思われませんか?!



       実はこの壁画は長い歴史の中で塗りつぶされていた様子で、
       第2次大戦の際に爆撃により被害を受け、戦後に行われた改修の際に
       見つかったのだそう。

       そしてこの赤っぽく見える色合いは実際の色ではなく
       この上から画家はかなりオークル・黄土色系の色をセッコ・乾いた状態で掛けているのが
       剥落し、湿度の問題もあり損傷が激しく、
       残念ながら、到底描かれていた当時の状態ではない、との事!
       それでも、これだけ素晴らしい雰囲気がわかるだけでも、有難いことですよね?!




       中央の、パルマータ
       やはりここにも5人の男女が見え、手を上げて遊んでいて、
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       パルマータと言うのは現在の遊び「スキアッフォ・デル・ソルダート・schiaffo del soldato
       に似ている、というので友人のジュリアーナにも尋ね、教えて貰いました。

       グループでの遊びで、一人が壁に向い(目をつむり)、片手を背中に回し
       手のひらを上に向けて立つのに、皆が順に指で触リ、済んだ所で皆が一斉に
       自分の指を上に上げて見せ、それで誰が触ったのかを当てるのだそう。

       元の名のスキアッフォ・デル・ソルダートと言うのは、兵士の平手打ち、の意ですから、
       元々は兵士がもっと乱暴に遊んでいたのから来たのかもしれませんが、      
       この画面の中でも、手の平を打ち付けている様子が見えます。

       パルマータとか、次のパッラ・ボール遊びなどは、中世でも伝統的に長く楽しまれ
       素朴で仲間と楽しく遊べる、こういう遊びはいつの時代も変わりませんね。




       この中央に立つ女性の衣装も見事ですが、
       衣装とか髪型には金色の線が描かれていた様子がわかるそうで、
       如何にも裕福なボッローメオ一族の子弟たちなのでしょう。
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       パッラ・ボール遊び。 
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       左の女性が棒を持ち、ボールを打つ所でしょうか?
       右奥背景の景色は、ラーゴ・マッジョーレ・マッジョーレ湖のアローナ・Aronaであろうと言い、 
       ここ一帯はボッローメオ家の領地であり、ボッローメオ国と呼ばれるほどのものだったと!
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       そして右側に並ぶ女性4人、これは当時の豪華な衣装、髪型で装った
       まさに貴族女性のお披露目みたいな様子で、
       色の損失、画面の損傷がとても残念。
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       これら一連のフレスコ画に登場する女性たちのスタイルは、まさにピサネッロの絵に
       登場する女性たちを彷彿とさせ、私が昔見た雑誌でも当時はピサネッロの壁画、と
       説明されていたのでしたが、

       今回改めて再会し、いや、これはピサネッロではない、とすぐ思いましたし、
       勿論調べてもピサネッロという名は出てきませんで・・。
       shinkaiの思うピサネッロが描く人物は、女性は、こういう目つきはしませんし、はは、
       雰囲気は似ているものの、ピサネッロは段違いに巧緻ですね。
       

       このボッローメオ邸の壁画はガイド付きで見学することが出来ますが、
       所有者の関係で月曜から金曜日までのみで、写真も禁止。
       見学は約1時間半ほどで、予約が必要、料金は13エウロ。
       サイトは 




       で、壁画の作者として研究者達から名が上がっているのが、
       ミケリーノ・ダ・ベソッツォ・Michelino da Besozzoという事ですが、
       彼の描いた教会のヴォールトの絵はこんな様子で、
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       彼は細密画も描いていますが、やはり同じような可愛い人物像で、
       彼がボッロメーオ邸の壁画の作者とは思えませんです。

       
       このボッローメオ邸は現在もボッローメオ家の持ち物ですが、
       オフィスに投資信託会社が使っているようで、住居にもなっているそう。




       所でボッローメオ家についてあれこれ読んでいて行き着いた一つが、
       
       ラーゴ・マッジョーレの東岸にあるアンジェーラの要塞・Rocca di Angera.
       200mの崖状にあリ、元はロンゴバルドの10世紀の要塞だったのを、
       14世紀にヴィスコンティ家が現在の要塞の形にし、ボッローメオ家が
       増改築したものだそうで、現在もボッローメオ家の所有。
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       一連のフレスコ画の「ボール遊び」の中央に見えた湖は、この要塞の対岸
       西にあるアローナという事でしたが、ここにもかって同様のボッローメオ家の要塞があり
       マッジョーレ湖の船の往き来を見張り、税を取り、アルプス側からの敵の侵入にも備えていたと。

       マッジョーレ湖はかってミラノの街の建設資材、大理石類などを調達し運ぶ一大輸送地で、
       ここでの税を免れた唯一は、ミラノのドゥオーモ建設の資材運搬船だったそうで、
       おまけに石材発掘も無料、運搬費も無料だったと!!
       どこかの国に「坊主丸儲け」という言葉がありましたっけね、ははは。

       残念ながら、こちらのアローナの要塞はナポレオン軍が打ち壊したそうですが、

       アンジェーラの要塞は、大変良い保存状態で残っており、




       ここには、イタリアで唯一という、「世界の人形」コレクションがあり、
       写真左に日本の武者人形も見えますが、お雛様のセットも見つけました。
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       お城の見学、人形博物館などは大体3月中頃から10月中頃まで、
       朝9時から17時半迄、休館無く開いている様子。
       アンジェーラの観光事務所の電話は、(+39) 0331 960 207




       そしてこのお城では結婚式、披露宴も行われる様子
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       所でご案内が後先になりましたが、ボッローメオ家・Borromeoと言うのは、
       出身がローマでトスカーナに移住、13世紀ミラノに移ってきた裕福な商人、貴族で、
       ミラノでヴィスコンティ家と縁戚となり、マッジョーレ湖一帯の領有、そして伯爵家となり、
       現在でも有数の子孫があり、繁栄存続している一族

       ボッローメオ家で検索を掛け最初に出た写真で、ああそうか、と思い出したのが、
       暫く前にTVニュースでも大々的に出た結婚式の模様でした。

       2015年の夏に行われた結婚式で、
       こちらはモナコで最初に行われた7月末の公的役所での結婚式の、
       左が花嫁のベアトリーチェ・Beatrice・ボッローメオ
       隣が証人のアンドレーア・カシラギ・Andrea Casiraghi、花婿の兄
       同じく証人のご夫婦ジョン・エルカン・John Elkann と、
       ラヴィーニア・ボッロメオ・Lavinia Borromeo
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       お分かりでしょうか、これらの人間関係から見える上流階級の模様が?!
       花婿はモナコのカロリーナ王女の2男(3番目の子)、ピエール・カシラギ・Pierre Cassiraghiで、
       花嫁の姉ラヴィーニアが、フィアット・クライスラーの会長ジョン・エルカンの妻、というわけ。

       花嫁はこの最初の結婚式では、ヴァレンティーノの衣装をお召だったそう。
     



       8月1日ロッカ・ディ・アンジェーラでカトリックによる式典が行われ、
       要塞の下にお着きのお二人がボートから上がる所
       右側ではお迎えの市長が、写真を撮っているもんね、ははは。
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       こちらがエレガントなアルマーニの衣装をお召しの花嫁、花婿
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       はぁ、そうなんですねぇ、イタリアでは戦後共和国になり、貴族の称号は公的には
       無くなったのですが、報道される時はちゃんと称号付きですし、
       こういう様子を垣間見ると、上流階級、現在も延々と続く貴族階級が伺えますですね。
       ・・やはりパルマータとかボール遊びをされる事もあるんでしょうかぁ? ははは。




       マッジョーレ湖、アンジェーラの要塞の夕日を最後に。
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     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-02-03 19:47 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(5)
2017年 01月 30日

   ・・・ 冬枯れの丘、色  オリアーノ村散歩 ・・・ (旅行 お出かけ)

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       先週の日曜の朝お天気が良いので、隣のオリアーノ村へ散歩に

       いつもプールへの行き帰りに眺める冬枯れの色が良いので、
       日曜だと車の通りも少なく、歩くのにも良いかと寒いのを我慢し、
       車は元旦の朝置いた村の家並みの外れに置き、
       コネリアーノ・Coneglianoに向かって歩きました。

       ちょうど朝の9時過ぎで、この時間だとちょうどコネリアーノに向かう
       南から東は逆光になるのは分かっているのですが、
       道の西側は綺麗に見えるからと折り合いをつけ・・。

       上の写真は、村の家並みの外れにある農家、廃屋なのですが、
       お隣の犬に吠えられつつ、やかましい、お前はぁ! ははは、
       丘に少し登り、北の雲一つない青空と一緒に。 
       
       オリアーノからコネリアーノへの秋の道

       「スコミーゴ村の四季」のカテゴリからどうぞ




       南東に向かって。 
       逆光の葡萄畑のはるか向こう、地平線が広がります。
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       コネリアーノへの蛇行する坂道を行きながらの西側。
       葡萄畑の向こう、点在する農家と雑木林
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       年明け頃より少しは寒気が緩んだようですが、それでも毎朝殆ど零下で、
       道脇の地道には薄く氷が張っていて
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       道路脇の標識 「鹿に注意」
       そう、こんなのも有るんですよ、と皆さんにお見せしたくて撮ったのですがぁ、
       この後、本当に・・!!
       
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       緑の季節には見えない、気がつかない家並も見えます!
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       真ん中に一列に続く家並みの前を、プールの近くから入り込んで
       オリアーノ・Oglianoの裏側に出てくる道が通っていて、
       昨年の夏の暑い盛りに仲間と一緒によく歩きましたっけ。




       その少し北側。  丘が幾重にも重なリ、農家が点在
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       東に入り込む道。 奥にアグリトゥリズモがあるようなのですが、
       まだ行ったこと無し。
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       丘の稜線に並ぶ並木と、手前の葡萄畑
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       ここは2年ほど前まで草原だったのですね。 そして奥にあの小屋がぽつんと。
       いつか描きたいなぁ、という雰囲気だったのですが・・!
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       脇の段差の陰には、霜が降りて真っ白!
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       道は何度もゆるくカーヴしながら進み、この辺りで一旦平地になり、
       向こうに見える家並みを過ぎると、最後の上りでコネリアーノの町に。
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       日曜の朝とあって、恒例の自転車のグループ!
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       ゆるい坂道を行くと、突然斜め左後ろからダ、ダ、ダ、ダッと走る音がして、
       なんと目の前の幅広の溝を鹿達が飛び越え、葡萄畑の中に消えました!!
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       4頭!! で、続けざまに走ってきて溝を飛び越えたのを3枚撮っておりました。
       最初のは逃し、2,3頭目はすでに葡萄畑の中に頭を突っ込んでいて上手く撮れておらず、
       これは最後の一頭

       家の近くの道を夜仲間と車で通っていた時、パッと大きなものが横切り、
       あの大きさでは鹿だね、という経験が一度ありましたが、
       まぁさか、この日中、朝の10時頃に鹿達を見ようとは!!

       後ろから来た車が驚いて止まり、その後そろそろと徐行して通りましたが、
       やはり道路標識通り居るんですねぇ!

       まだ居住出来る自然が有る、と言えるのか、どんな所に居るんだろう、
       流れ者かな、とか、あれこれ考えた事でした。




       この辺りまで道を下ってきたのは、ここから見るオリアーノが山を背景に美しいからですが、
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       う~ん、手前に広がる葡萄畑の雄大さと一緒に、と思うと、
       教会鐘楼が小さくなりすぎで、思うようには・・!




       フォルメニーガ・Formenigaの教会が正面からの姿で
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       我が家から斜め北に歩いて、カルページカ・Carpesicaの教会前から見る
       この教会は、長い丘の稜線の一番高い所に横からの姿で見えるのですが、
       この眺めもなかなかでしょう?!




       そろそろと戻り道にかかり、西に一面に広がる葡萄畑
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       小道に入り込み葡萄畑の中を覗くと、剪定された枝が間にまだ放置され、
       太短い幹と、枝を支える針金、支え棒のみの林!
       初夏になり葉っぱがしっかり茂ると、この針金はまるで見えなくなります。
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       道脇のお家の前には、季節に先がけ新芽が伸びており
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       北との境になる山の上には、2週間前の雪がまだほんの少し残り
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       こちらはすでに綺麗に剪定済みの葡萄畑と、奥の雑木林
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       上まで宿り木がまとい付いた太い木の幹と、
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       豆の鞘の残りがぶら下がる枝。
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       またもや自転車のグループ。 今度のは車の伴走付き!
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       後ろに付いて走る太めのシニョーレ達も一緒に、オリアーノへの最後の坂道
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       山の凹みの向こうに見えるフリウリ州の高山の嶺は、いつもは大概真っ白ですが・・!
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       フリウリの奥、スロヴェニアの遥かな山々は雪を被り、望遠でこんな感じ。
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       オリアーノの教会前まで戻り
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       東のコッレ・ウンベルト・Colle Umbertoの村
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       葡萄摘みが始まって

       春を探しに




       これは我がスコミーゴ村・Scomigoの教会と鐘楼
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       我が家のある階段式コンドミーニオが真ん中に見えますが、
       右から2段めの1階に我が家。
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       この写真は、今回珍しいものが写ったのでご覧に。
       一番奥の白い大きな建物はヴィットリオ・ヴェネトの病院で、9km程の距離、
       我が家との間に見える手前の大きな建物類は、工場地帯のもので、
       左に、あんな大きな煙突かな、があるのも始めてみました!

       多分この角度で300mmで撮ったのは初めてで、間の距離がぐんと縮まって見え、
       何処か別の風景を見ているような、物珍しさ・・!




       最後は、ヴェネツィアに向かう高速の流れを。
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     *****

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by italiashiho2 | 2017-01-30 21:35 | ・スコミーゴ村の四季 Scomigo | Comments(0)
2017年 01月 20日

   ・・・ 春5月 シエナのクレーターの道を行く ・・・ (旅行 お出かけ)

第一回プラチナブロガーコンテスト

       イタリアは夏と秋に地震が起こり、大きな災害が続いたのでしたが、
       同じ中部のアブルッツォ州を震源とする地震が、この18日に起こりました。
       ほぼ同じ一帯を覆う地震で、マグニチュード5クラスの揺れ、
       建物崩壊の下になった老人の死亡報道がありました。

       南イタリア一帯はおまけに先日来からの大寒波、そして大雪と大変な様ですが、
       これ以上の災害が起こらぬよう
       そして、暖かい春の来るのを待ち望んでいる今日この頃です。


     *****

       3回ヴェローナのご案内が続きましたので、今回は少し離れたトスカーナに、
       春5月の緑のトスカーナをご覧頂きますね。
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       3年前の春に出かけたトスカーナのオルチャの谷一帯からの戻り道、
       ピエンツァから北に13k程にあるモンティージ・Montisiの町に再度寄り、
       そこから北上しアシャーノ・Ascianoを目指しました。

       というのも、アシャーノからシエナに向かうのに、普通は国道438号を通るのですが、       
       暫く前に見つけた、13kmほどのシエナのクレーターの地道を通ってみたかったのですね。


       トップの写真は、まだアシャーノに着く前の平野の向こうに見えるこの城、
       ガッリコの城・Castelo di Gallico といい、
        



       他にも、こんな如何にも荘園風、城館風という建物も見かけ
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       こちらもなかなか良い感じの農家でしょう?
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       大きな小さな起伏の丘を行く、これは何をしているのか、後ろに箱型の漏斗風を付け、
       種まきするには時期が遅いと思うのですが、
       起伏に左右上下ガタガタと翻弄されながら、ゆっくり進んで行きます。
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       この年の春は、春先の雨が多すぎ、暖かくなるのが遅く、
       土地によっては小麦の育つ緑色がまだまだ少ない所もあったのですが、

       この辺りは綺麗に緑色が広がり、小池も見えます
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       当時はまだ写真をRAWで撮っておりませんで、緑の発色が良くなく、
       今回大急ぎで整理したものの、少し靄が出ていた日でもあり、なかなか・・。
       という言い訳でご容赦願います!




       大体この辺りでアシャーノの町横を過ぎ、町外れから狙っていた道に入り込み・・、
       という事で、どの道を通ったのか、地図をどうぞ
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       赤い点々を打った道がそれで、地元の人々が通る道、また途中に何軒か
       アグリトゥリズモをしている農家もあるので、それへの連絡道という感じですが、
       一般には左側に白く見える道SS438を通ります。

       なぜこの道を通ってみたかったかと言いますと、
       サイトで見つけた何枚かの素晴らしい写真に魅せられたからで、
       自分が行ける距離で、自分が通れる道なら、一度見たい!と思ったのでした。

       こちらにそれらの写真を少し纏めています。
       う~ん、これらの写真を見ると、彼らは如何に時間帯も狙っているかが良く分かりますし、
       時に写真ソフトで色を大幅に弄っているのも、ね。




       トスカーナの丘の不思議な眺めの一つが、こんな風に同じ丘の続きでありながら、
       多分植えてある植物、この場合は小麦ですが、
       こんな風に色違いの帯になること!
       多分厳密に言うと、味にも差ができるのではないかと・・。
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       丘を流れ下る水路により、と思いますが、木々の育つ場所もあり、
       生育が良い所、少しはげちょろけの所、色々様々!
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       アシャーノ一帯は、シエナのクレーターと呼ばれる侵食地が顔を出しているので
       有名な土地なのですが、ここにもかなりの広さで。
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       アシャーノ近くの大クレーターの脇の小さな村キュズーレ



       そして丘の向こうに、かなりの町並みが見えます。
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       丘の起伏の波打ち、そして、薄いピンクの花が。
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       アグリトゥリズモの看板が道端にでていましたが、農家の姿はまるで見えず、
       かなり離れた奥にあるのでしょうね。
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       この凸凹の丘!
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       種まきのトラクラーが通った跡が縱橫に残り・・!
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       黄色い花が咲き誇っている谷もあり
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       鉄道線が谷を渡るのも見えましたが、
       現在この線は季節の特別列車が走るのみの様子。
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       これを撮った時の様子はよぉく覚えています!!
       というのも、砂利道でおまけにズルズルっと行く傾斜がひどく、
       とても車を止めて外に出る勇気がなく、ははは、これは車の中から!
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       少し外れるとこんな様子で、前方の丘の上に家が1軒!
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       ですが眺めが開けるまでに、こんな廃屋の農家の横も通り
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       色違い、生育違いの丘の起伏も眺め
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       先程の丘の農家。 横並びの丘の上にもまた別の農家
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       丘の上の農家の写真は、サイトですでに親しんでおり
       ああ、これだったんだぁ!と。
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       ここはモンテ・サンテ・マリーエ・Monte Sante Marieの辺りですが、
       なにせ村の標識が見えたのが、ここだけだったもので・・!




       鉄道線の上を越え
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       ひ弱な育ち具合の畑の色!
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       ね、同じ谷なのに、緑の色がみんな違うでしょう?!
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       道を進み、グルっと回って再び見えた先程の農家の丘の続き
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       坂道を上っていくと、こんな所に止まっている先客。
       上の写真の眺めを見つめて休んでいる中年カップルがいて、ほら、足が見えるでしょう?
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       眺めが良いのでshinkaiも車を止め、何枚か撮りましたが、
       トヨタ車ですが、どこから来たのかな、イタリアの車ではありませんでした。
       それにしても、車全体が土埃にまみれており・・!




       雄大な眺め、雲が遊び、どこまでも広がり・・!
       こんな風景を見つめていると、本当に我を忘れます!!
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       少し先に小さな池
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       遠くで犬の吠える声を聞き、どこにいるんやぁ?と望遠でやっと見つけたワン君!!
       警戒警報よりも、他人を見たのが嬉しかったのかも、ははは。
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       遥かに羊の群れを見つけ
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       谷の下にも群れがいて
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       さっき見えた羊の群れの所まで辿り着くと、池があり
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       アザミの種かな、の花が咲き、
       右の茎に、誰かが卵を産み付けたのか、泡が見えます。
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       池で羊が順に水を飲んでいるのですが
       水草が物凄く繁殖しており、飲めるのかな、飲んでも大丈夫なのかな・・、
       そして、食用蛙の大きな濁声の鳴き声が周囲に響き渡り!
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       雲が動いて行きます
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       暫く走り、再度大きく開けた平野に出て、こちらは右側で、
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       左側には鉄道線が見え、
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       この後、次第に集落に近づき、アシャーノから辿ってきた「白い砂利道」は
       トッレ・ア・カステッロ・Torre a Castelloでお終いに

       砂利道で高低差もありましたが、心配していた程の悪路でもなく、
       オルチャの谷の雄大さとはまた別の趣の風景が楽しめました。

       次回また通るチャンスがあったら、通る季節と時間を大いに考えて
       と思っています、 へへへ、喉元過ぎれば熱さ忘れる・・! 



     *****

      ◆ 個展のお知らせ ◆

        広島にお住いの田谷行平先生が、この21日から29日まで
        並木通りの「ギャラリーたむら」で、個展を開催されます
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        どうぞお出かけご高覧頂けますよう、ご案内申し上げます




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、夏の葡萄畑 途中経過と、 スコミーゴ村周辺の冬景色 を
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by italiashiho2 | 2017-01-20 22:37 | ・トスカーナ Toscana | Comments(10)
2017年 01月 15日

・・・ n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ ・・・(旅行 お出かけ)

第一回プラチナブロガーコンテスト
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       今回は、ヴェローナのカステルヴェッキオのご案内 その2を。 

       博物館に収蔵の中世の像を何体かご覧頂いた所ですが、
       今回は最初に、城の中から連絡して北のアディジェ河を渡る橋について
       ちょっとお話をさせて下さいね。

       上の写真はグーグルの衛生地図から切り取ったもので、
       橋の3連アーチの位置がよく分かると思い・・。

       ちょうどアディジェ河が街中に来て大きく蛇行する位置に城と橋があり、
       河のほぼ真ん中に、最初の城からの長いアーチの橋脚があり
       後の距離をほぼ半分にして、もう2つのアーチがかかります。

       つまり、同じ幅のアーチではないのですね。
       



       こちらをどうぞ。
       横から、その差がよく見えるのをサイトで見つけまして、

       橋の全長119,9m、 城側の一番長いアーチの部分が48,69mで、
       あとのは29,15mと、24mと。
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       城から最初のアーチの頂上部分まで少し上り坂で、
       そこから緩やかな下り坂で北に渡ります。


       説明には、ヴェローナの中世において一番大胆で見事な作品であると。
       確かに、アーチの下を支える白い石と上部の赤い煉瓦の色の対比も鮮やかで、
       城の防御の一部としての造りも頑丈な、見事な橋!

       建設は城と同じグリエルモ・ベーヴィラックワの名が上がり、
       1354年から56年にかけての、城が完成した後に引き続いての事と見られ、
       万が一に備えての、北への逃亡路でもあったと。

       
       こうして5世紀を無傷で経た橋は、北側にあった塔と橋の上のレース飾りが、
       主塔の上を削られたと同じようにフランス軍に寄って削られ、
       またその後のオーストリア軍占領時に再建設された事もあったのですが、




       一番大きな損害は、1945年4月24日、撤退するドイツ軍によって爆破された事!
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       爆破はこの橋のみならず、アディジェ河に掛かる街のすべての橋が爆破されたのだそうで、
       ドゥオーモの北東にあるローマ期のピエトラ橋も爆破された写真も見つけました。




       戦争終了後、即、街の他の重要な記念物、橋共に再建が決められ
       上の写真で見るように、大爆破にも関わらず基礎の大事な部分が残っているのを幸いに、
       新しく全部掛け替えるのではなく、その部分を修復して掛けることに決定。

       最初の仕事が始まったのは、1945年の最後からで、まさに戦後数ヶ月にして
       河床の残骸を除くことから始まり、

       1949年からは新しい無傷の切石がオリジナルと同じ場所に置かれ始めたのだそう。
       これは幸いにも爆破前にされた測量と写真があったのが役立ったといい、
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       おまけに石の色彩研究から、中世の石切場のどこからこの橋の石が
       切り出されたのかも突き止めることが出来、
       つまりヴァルポリチェッラ・Valpolicellaのサン・ジョルジョ・San Giorgio
       一帯の石であるのもわかったのだそう。

       ヴェローナの有名なワインにヴァルポリチェッラ、同名の赤ワインがありますが、
       同じくヴェローナの赤い大理石の産地でもあるのですね。
       ヴェローナから北西、山地に掛かる一体で、サン・ジョルジョはその中でもやや南西に。

       こうして新しく赤いヴェローナの石が切り出され、橋の下部に使われ、

       一方煉瓦は、粘土があちこちのもので大きさも不揃い、各地で焼かれている事から、
       解体された建物から新しい煉瓦を取り出し、またヴェローナやマントヴァの違う
       煉瓦工場から取り寄せたのだそうで、      
       こうして無事に架替工事が終了したのが1951年7月20日の事。


       爆破された当時の写真からも見えるように、アーチの基礎は5角系で、
       上流側は尖った形に張り出し、3連のアーチの広さも様々の長さ120m,幅6mを越す橋、
       アディジェ河の水の流れもよく研究された、中世14世紀の橋がこうして蘇ったのでした。


       修復や建設工事の際の様々な研究努力を読むと、つい興奮し、
       何とか皆さんにもお伝えしたいと、ははは、お分かり下さいますよねぇ?!


       と、この城が「カステルヴェッキオ・古い城」と呼ばれる所以ですが、
       この城の後アディジェ河を挟んだ北の山手側にサン・フェリーチェ・San Felice と
       サン・ピエトロ・San Pietro(現考古学博物館)が築かれて後、
       古い城・ヴェッキオと呼ばれることに。

       そしてもう一つお断りですが、
       先回スカラ家と書いておりましたが、Scalaの発音はスカーラですので、
       やはりスカーラ家と書くのが正しいと思い、先回の分から訂正させて頂きましたので、
       よろしくご了承願います。




       さて、博物館内見学に戻って頂きまして

       1階の彫像展示室から出て、スカーラ家の居城だった一郭の展示室に移動する際、
       上階の角に展示のカングランデ像が見え・・。
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       スカーラ家の居城であった部分にも展示室がある事も頭になく、
       自然に順路に従い移動したのでしたが
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       今になって知ってみると、この奥が城郭部分だったのでしょうねぇ! 
       もっとしっかり見ておくんでしたぁ!!




       宝石類を使った装飾品があり、美しいと思ったのを数点写しておりますが、
       ピンぼけご容赦!
       首飾り、ベルト、ブローチでしょうか。 美しい貴族の品々!
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       とにかく展示品の数が多く、ぱっと見て、あっ、良いな!と思ったものだけ撮っていて、

       これは旧約聖書の絵解きですね。
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       スカーラ家の城郭部の展示室は、こんな風に部屋の形も真四角でないのがあり
       天井下にはずっとスカーラ家の紋章、梯子・イタリア語でスカーラ、と
       両脇には立ち上がったの紋章が描かれ、その下は装飾柄のフレスコ画で埋まります。
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       なぜ紋章に犬なのか、なぜ一族にカングランデ・大きな犬とか、マスティーノ・マスティフ犬などの
       名があるのか、ずっと疑問だったのですが、現在では時に余り良い意味を持たない「犬」も、
       中世において「犬」には良い意味があり、価値とか賞賛を示したそうですし、
       
       スカーラ家がかってトルコ系の軍の長であるKhanと縁戚になったとか、
       カングランデが生まれる前に、母親は犬の唸り声の中で犬が生まれる夢を見たという伝承もあり、
       とりわけカングランデの偉大さが知られて後は、家系と犬を結びつけたのであろうという事。

       カングランデについては、後ほど騎馬像の所で改めてご説明いたしますが、
       ここでスカーラ家についてちょっとご案内させて下さいね。

       最初の記録にスカーラ家が登場するのが1180年
       布、織物商アルドゥイーノ・デッラ・スカーラ・Arduino della Scala
       南の方から移って来たように申告があり、

       その息子ジャコミーノ・Giacomino またはヤコピーノ・Jacopino 毛織物商、
       彼が後に続くヴェローナの君主の始祖と見做されます。

       ヤコピーノの息子マスティーノ1世・Mastinoは特別の金持ちでもなく、貴族の称号も
       持っておりませんでしたが、残虐で知られるエッツェリーノ3世・ダ・ロマーノの占領から
       逃れて間もないヴェローナ市民に受け入れられやすい平和志向の男で、

       大変に政治的にも優秀であった弟のアルベルト・Albertoとともに、
       当時の街の政治を動かしていた富裕な羊毛組合の中で自然に長となり、
       特別な闘争なしに、マスティーノが1262年にヴェローナの君主となり、1277年まで

       ついで弟のアルベルト1世が、1277年-1301年まで、
       3代目はアルベルトの息子バルトロメーオ・Bartolomeoが1301-1304年
       4代はアルベルトの息子、バルトロメーオの弟アルボイーノ・Alboino1304-1311年

       そして5代目が、アルベルト1世の3男に当たるカングランデで、1308-1329年
       ここにスカーラ家の一番の繁栄期、絶頂を迎えるという事になります。
       



       こちらはナポレオン棟の展示室で、長い展示室が続きます。
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       この黄金背景の綺羅びやかな絵、天使たちが飛び交う花園の中の聖母子像は、
       多分スカーラ家の城郭部の方にあったのと思いますが・・、
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       これはベッリーニでしょうか?
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       そしてマンテーニャの作品ですが、かなり工房の弟子の手が入っているなぁと・・。
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       この「落書きを見せる少年像」は気に入って撮ったのではなく、ははは、
       当時でも、こういうのもありだったんだなぁ、と思って撮ったのでしたが、
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       何と3年後の2015年11月19日夕方、閉館近くの博物館に入った強盗
       盗み去った17点の中に含まれており・・!

       盗まれた作品は1年後に見つかり、博物館に2016年12月23日に無事戻ったのでしたが、
      
       作品はコレクションする人間の希望にそって選ばれたと見られれる、というのを読み、
       う~~ん、私だったらこういうのは要らないなぁ、ははは、失礼!と思うものが多く、
       もっと良いのが他にいっぱいあるじゃぁないの!!と・・。 きゃはは。




       とは言え、このルーベンスも持ち去られた内の一作品で、
       ええ、これはねぇ、素晴らしい作品ですねぇ!
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       こちらはマティルデ・ディ・カノッサ・Matilde di Canossa(1046-1115)の肖像画。
       「カノッサの屈辱」事件で有名なカノッサ城を所領に持つ、トスカーナ女伯、と言っても
       書いている本人shinkaiにもあまりピンときておりませんが、ははは、
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       彼女の遺骸がかってあった(現在はヴァティカンに)というマントヴァの南にある
       サン・ベネデット・ポーという町の大修道院サン・ベネデット・イン・ポリローネ
       San Benedetto in Polirone を訪問した時この絵(の複製)を見ていたので、
       あれ、実物はここにあったんだと少し驚き・・。




       収蔵展示品は他にも見くたびれるほどあるのですが、余り写真を撮っておらず、
       上からの眺めなども見て頂きたいので、これでお終いとしまして、

       これは展示室から見える橋の眺め
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       そして、お待ち兼ねの「カングランデ騎馬像」

       鎖帷子を付け、翼を持つ犬がついた兜は後ろにはね、にっこり笑った笑顔!
       愛馬も頭部は主人と同じ兜をつけ、ダマスコ織りの踝まで届く盛装をし、
       それが一陣の風にひらめいている、という素晴らしい騎馬像!
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       多分右手には鞘の剣を持っていたと見られ、これは平和を示し、
       笑顔には温情が見られると。

       この像は元は彼のお墓、スカーラ家墓所・アルケ・スカリージェレの横にある彼の棺所の
       上にあったのだそうですが、現在墓所にあるのはコピーだそう。


       カングランデという名を持つ人物はスカーラ家に2人おりまして、
       こちらがスカーラ家一番の隆盛を築き、盛名高かったカングランデ1世(1291-1329)
       
       父親はヴェローナの君主2代目となったアルベルト1世で、
       バルトロメーオ、アルボイーノに次ぐ3男として生まれ、
       洗礼名はカン・フランチェスコ・Can Francescoだったようですが、
       彼の幼少からの目覚ましい成長を認めての通称がカングランデ・偉大なるカンとなったと。
       勢力争いの激しかったヴェローナで、敵方からも1年後にはイタリア王になるだろう、と
       言われ、スカーラ家に招かれ身を寄せていたダンテも賛美を惜しまなかったという人物。

       頭脳明晰、武力に秀で、雄弁快活、謙虚な信心深さももち、芸術にも関心を持ち
       一旦決めたことにはためらいなく、鉄の意志を持って向かう、という
       まさに君主になるべくして生まれた人物

       皇帝フェデリコ2世と縁戚の父を持つジョヴァンナ・ディ・ズヴェーヴィア・Giovanna di Sveviaが、
       ドイツにまだ見ぬ夫との結婚に向かう途中、スカーラ家の当時の当主バルトロメーオ1世の
       妻となっていた姉のコスタンツァの元に逗まった時、
       彼女を見たカングランデは一目惚れし17世で結婚! 彼女の方が11歳ほども年上だった様ですが・・。
       ですが、この結婚からは嫡子を得ず、カングランデの8人の子供はすべて庶子(男子4名)!

       
       そして彼は38歳の夏、7月22日トゥレヴィーゾに於いて突然の死を遂げます。
       トゥレヴィーゾの政情不安のため乗り出し攻略に成功、町に入ったのが18日で、
       司教館に滞在しますが、
       4日後22日の朝司教館の部屋で、健康に問題なかった壮健の盛りの突然の死。

       トゥレヴィーゾに向かう途中、湧き水の冷たい水を飲んだのが原因と見られ、
       ほんの少し毒殺の声もあったものの、近年まで自然死と見做されていたのが、
       2004年に墓所から遺骸を取り出しての科学的検査が行われ、
       遂にジギタリス(和名キツネノテブクロ)による毒殺と判明!

       ジギタリスはピンクの筒型が集まった美しい花で、心不全の薬として現在も
       用いられているそうですが、意図して適量を越すと毒薬にもなり、
       まさにこれが原因だったというのが判明したと。       
       多分彼の侍医によるものと見られますが、この医者は後に絞首されたそう。
       
       誰もが考えもしなかった一代の英雄の死が起こったのでしたが、
       彼の嫡子はなく、甥のアルベルト2世がスカーラ家の当主となり、その次代は彼の弟
       マスティーノ2世と続き、徐々にスカーラ家は衰退の道を辿り始めます

       


       この素晴らしい衣装は、棺の中のカングランデが纏っていた絹の高級織物を
       再現したものだそうで、
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       生前の身長は175cmほど、髪は明るい栗色、顔は長く、下顎がひときわ出っ張っていた
       特徴ある顔だったと、2004年の検査が明らかにしていますが、

       カステルヴェッキオから北西にある、サン・フェルモ教会の後陣に描かれた人物像の中に
       ひときわ出っ張った顎を持ち高官にある人物の衣服を付けたのが、多分彼を描いたものと。
       



       城の見学順路には、かっての物見兵士たちのパトロール道も含まれていて、

       ここはナポレオン棟のアディジェ河を見下ろす通路で、
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       昔、これによく似た通路を通った記憶が・・!




       向こう側の岸で記念撮影中のカップル
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       この高さから橋が見え、向こうに見える鐘楼はサン・フェルモ教会
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       ローマ兵士も、ははは、休憩中なのが見え、
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       これは主塔の横に出てきた辺りからの眺めで、
       橋の上、そして鳩でいっぱいのナポレオン棟の屋根の上
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       物見パトロール道は、この写真の右に見える城壁、橋に続く城内の通りの右横、
       コルテ・ダルミとの境の城壁の上も通ることが出来、
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       こんな様子のパトロール通路で
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       時計塔の中に入り、展示のマスティーノ2世・MastinoII(1329-1351)の騎馬像
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       カングランデ騎馬像と同じような作りなのですが、やはり少し及ばない感がありますねぇ。

       マスティーノ2世の時代に一旦所領はぐんと大きくなるのですが、
       フィレンツェと組んだヴェネツィアと戦う羽目になり、結局領土はヴェローナと
       ヴィチェンツアのみになり、スカーラ家の勢力は徐々に下り坂となり、

       カングランデ2世(執政1351~、カンシニョーリオパオロ・アルボイーノバルトロメーオ2世
       アントーニオと、1387年まで君主制が続きますが、
       スカーラ家のレジーナ・Reginaと結婚していたベルナボ・ヴィスコンティ・Bernabò Visconti
       がパドヴァ、フェッラーラ、マントヴァと組み、妻の相続を口実の攻略を始め、
       ヴェローナは激しい戦いを乗り切り独立を守りますが、
       これによりアントーニオ・デッラ・スカーラは引退し、

       125年間12代に及ぶスカーラ家の王朝は終わりを告げたのでした。




       時計塔の横に小さい芝生があり、夏の暑い時にホッと
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       こちらが先回の一番最初に見て頂いた城の正面側の城壁、内側からで、
       向こうに広がるのがヴェローナの旧市街地。
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       時計塔を出ると、街に接した城壁の上を歩き、いや、パトロールし、はは、
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       こんな街中の喧騒も見、次にはあの2階建てバスに乗って回ろうとか計画し、ははは、
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       博物館入口に戻って、見学はお終いです。
       
       2度に渡ってのお付き合い、有難うございましたぁ!!




       最後はサイトから拝借の夜景を
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       ほぼ6世紀に渡っての変遷を生き残り、今も見事な中世の城塞を見せてくれる
       カステルヴェッキオ。 
       いやぁ、やはり見事なものでした!!




     *****

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by italiashiho2 | 2017-01-15 21:45 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(2)
2017年 01月 10日

・・・ カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 その1 ・ ヴェローナ ・・・(旅行 お出かけ)

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       ヴェローナのご案内が続きますが、今回は2度に分けて
       カステルヴェッキオ・Castelvecchio・現在博物館になっている14世紀からの城と、
       城内を通りアディジェ河を北に渡る3連アーチの美しい橋、のご案内を。

       トップは、18世紀のヴェネツィアの画家ベルナルド・べロット・Bernardo Bellotto
       の描いたカステルヴェッキオと橋の眺め。
       河に張り出した漁のためと見られる突堤や小屋以外、城と橋の眺めは
       現在とまるで変わりません。

       ベルナルド・ベロットと聞くとちょっとご存じないかも知れませんが、
       ヴェネツィア風景で有名なカナレット・Canalettoという画家はご存知でしょう?
       カナレットの本名はジョヴァンニ・アントニオ・カナル(1697-1768)といい、
       彼の妹がベルナルドの母親で、つまり甥になります。
       よく似た作風で描いていますが、北ヨーロッパでの活躍が多かった様で、
       最後はポーランドのワルシャワで亡くなっています。




       カステルヴェッキオはどこにあるかは、先回のサンタナスターシャ教会ご案内の地図
       描き込んでいますので、そちらをご覧くださいね。

       正面から全体が写っている写真が見つからず、サイトから拝借し、

       アディジェ河がヴェローナの旧市街の出っ張り部分を大きく湾曲して包み込む、
       旧市街の西の端にある、14世紀スカーラ家建設のカステルヴェッキオの正面

       
       ご覧のように高い塔が3つ見え、真ん中の塔が現在の博物館への正面入口で
       跳ね橋が見え、これは手前右の塔にも名残が見えますが、
       かってはアディジェ河から水が引き込まれた堀が城をめぐり、各塔の下にある門は
       すべて跳ね橋があったそうですが、この堀は現在はすべて空堀、または埋められています。
       奥に見える塔には時計が見え、その通り時計塔と。




       塔の間を繋ぐ城壁の上は物見の通路となっていて、     
       その上にはメルレット・レースと呼ばれる飾り兼銃眼、狭間付きの壁。  
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       こちらが正面の塔と跳ね橋で、
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       この門の扉
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       門の内側に見えた井戸。 
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       今回は先に橋の様子をご覧頂きますので、また表に出て頂き、はは、

       こちらが時計塔。 
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       カステルヴェッキオは現在ヴェローナ市の博物館となっていて、
       その切符に城と橋の上空写真があり、分かりやすいのでご覧を。
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       先程の真ん中の正面の塔は、一番東の塔よりも細く見えますが幅があり、、
       跳ね橋を渡って中に入っての様子もお分かりですね。
       
       中庭は大内庭・コルティーレ・マッジョーレ、または武器の広場・コルテ・ダルミ
       と呼ばれ、見える河寄りの建物が現在の博物館で、
       正面白く見える壁の部分に図書館や事務室があり、
       この建物左上角部分、アディジェ河寄りにもう一つの塔。
       
       そして正面側の3つの塔の手前(下側)に、高い城壁に挟まれた通路があり、
       ここが橋に至る城内を通る通路で、
       左側、河の手前に見える高い大きな塔、これがマスティオ・主塔と呼ばれる塔ですが、
       この横を抜けて橋に連絡します。

       そしてこの写真では切れて見えませんが、正面の塔のつながりの一番下に、
       もう一つ低めの塔があり、ここから斜め下左に城壁が伸び、

       この部分の城壁は2重になっており、その内側、つまり
       主塔の手前に見える建物類、ここがかってのスカーラ家の城郭だった
       レッジャ・スカリージェラと呼ばれる一郭。




       
       所でこの写真に見える現在の城は、築かれた当時、そして18世紀後期までとは
       違う姿なのですね。

       というのもこの平面図をどうぞ。
       これは1801年の城の平面図で、2のスカーラ家の城郭部分、3の主塔部分は同じですが、
       1のコルテ・ダルミと呼ばれる右の広場の河よりの部分、現在の博物館棟がありません。
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       ここは実はナポレオン軍が統治時代に兵舎として建て増しをした部分なので、
       ナポレオン棟と呼ばれることもあり、土手や砲台がヴェネツィア共和国時代にも
       築かれた事はあったようですが、ずっとアディジェ河に向かって開けていたようです。

       ですから、正面側の入口の門から入って見える姿は随分違っていた、
       兵士や兵舎が多分並んだ、ちょっと殺風景な要塞城の姿だったことでしょう。
       
 


       さて、橋に行きましょうか。
       時計塔の左下に橋への通路口があり、入り口からの眺めはこんな様子で、
       奥に見えるのが主塔の下部分。
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       右側の城壁は内庭との境の壁ですが小さな通路口があり、
       上空からの写真で見えたスカーラ家の城館部分との境の城壁は、
       左の内側に高く見える城壁です。




       ここが主塔の横を通り橋に抜ける部分で、奥に橋が見えます。
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       抜けてきた正面を振り返り、見える塔が正面城壁の一番端の低い塔
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       緩やかな上り坂の通路左側、主塔の内庭と呼ばれる部分は奥の城壁との間が
       一段低くなっていて、こんな井戸も見え、
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       大砲の弾、石の球!も積んであるのが見え、
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       これは主塔の窓、テラスで、奥にちらっと見える壁がスカーラ家の城郭だった
       壁の一部。
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       かっての城の様子を見て頂いた所で、ちょっぴりこの街と城の歴史を。
       ですが、長い歴史の変遷を持つ街と城ですので、ほんの要約です。

       現在のヴェローナは、ミラノとヴェネツィアを結ぶ幹線上の一都市、
       に近い存在になっていますが、
       かってのヴェローナは、ここからアディジェ河に沿って北に向かい、アルプスを越え
       北ヨーロッパの国々とを連絡する通商交易で重要な街道の基点地だったのですね

       先史時代からすでに集落があり、紀元前のローマ期には現在の旧市街地区が
       きちんと整理された都市であり、ローマ期の主街道の交差点でもあり、
       テアトロやアレーナ・闘技場も現在に残っているのは、よくご存知と。

       そして中世に入り自由都市となり、ロンゴバルドの下、また封建領主の影響も受け、
       13世紀に頭角を現しヴェローナの領主となったのがスカーラ家・Scalaで、
       1262年から1387年にかけての125年間、この街を支配します。

       スカーラ家の要塞城として建設されたこの城は、1298年から形となり始め、
       かっての自由都市時代からの城壁も利用し、最終的に完成したのが1354年
       
       建設を任されたのはグリエルモ・ベーヴィラックワ・Guglielmo Bevilacqua
       という名が上がり、同時にアディジェ河に掛かる橋の建設、
       城と一体になっているこの橋は、万一の際の北への逃亡にも備えたものであり、
       スカラ家の居城でもあり都市要塞でもあるこの城が、更に主塔マスティオの建設を加え、
       南西側が少し引っ張られた、全体として大きな台形の城が完成したのが1376年

       
       ヴェローナの君主としてのスカーラ家の時代の後、1404年この街はヴェネツィア共和国の下に
       その下での平和の時代が4世紀ほど続き、この城は兵舎、武器庫などなどに利用され、
       その後ナポレオン統治の下に、上記したようにアディジェ河の眺めを塞ぐ長い棟が出来、
       現在の姿になります。

       


       さて、アディジェ河に掛かる橋に戻りまして

       橋の上はこんな様子で、観光客のみでなく、地元の人々の生活の通路でもあり、
       自転車も通り抜けて行きます!
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       橋の上から振り返る主塔。 
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       この主塔は、カステルヴェッキオの歴史の中の変遷とともに変化を遂げ、
       ヴェネツィア共和国時代には東側の面に、大きなサン・マルコのライオン像の
       フレスコ画が描かれていたそうですし、

       ナポレオン軍が駐留していた時代には、上部を削られ低くされた事もあったそうですが、
       その後のオーストリア軍占領のもとで元の姿に。
       塔の中ほどでレンガの色が違って見えますね。 多分あの高さにされたのだろうと・・!

       で、一体どれほどの高さがあるのかと調べましたが見つからず、かなり意地になりましたが、
       ははは、遂に見つからず!! まぁ、教会の鐘楼程度かなと思いますが・・。
            
       今、買い物袋を下げた地元の人も通って行きます。 この橋を渡って真っ直ぐ行くと、
       アレーナの前のブラ広場に出ますし、地元の人々にはきっと便利な橋なのですね。




       橋から見る現博物館の建物、ナポレオン軍が兵舎として建て増しした部分で、 
       一番上階は見張り兵士の通り道になっており、カップルがアディジェ河を見下ろし・・。
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       橋から眺める街の東側。 見える橋はポンテ・ヴィットーリアで、
       右の鐘楼はサンテウフェーミア教会・Sant'Eufemiaで、左奥がドゥオーモの鐘楼。
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       アディジェ河はトレントの奥、アルプスからの流れで全長約410km
       イタリアでの最長の河ポー(652km)よりも少し北でアドリア海に注ぎますが、
       ここヴェローナでもとうとうと流れ河幅も広く、
       城から掛かる橋の長さは119,9mもあるそう。
       

       所で、スカリージェロ(ア)・Scaligelo(a)(複はリ、ラ・li,la)
       という言葉もガイドブックにはよく出ますが、
       ポンテ・スカリージェロ、カステッロ・スカリージェロなどなどですが、
       スカリージェロというのは、スカラ家の、という形容詞です。
       shinkaiはややこしくならぬよう、なるべく使わず、
       スカーラ家とご説明していますので、ご了承願います。




       この部分は橋から張り出す、アーチの基礎部分の上で
       この尖った3角形は上流側に向かった部分で、下流側は四角形。
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       かっては物見兵士の通路だった細道も、今は観光客の格好の撮影ポイントで、ははは、
       大賑わいなのですね。
       ローマ兵士の格好をした、撮影お供のモデル氏もいますです。
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       橋を渡りきっての北からの眺め
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       橋の北の袂にある、ローマ期のものだったと思う碑。 可哀想に落書きされ!
       以前説明を読んだ記憶があるのですが、今回見つからずで・・。
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       所でこの橋は、グーグルのストリート・ヴューで渡ることが出来ます!
       しかも白バイ2台を先導に渡れますから、ははは、ぜひお試しを!!
       



       さて橋を渡って戻り、博物館の見学に。
       この棟がナポレオン軍支配当時に増築された兵舎で、その後中世風に修復されたもの。
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       上の写真の左下に見える遺構ですが、これも多分アディジェ河の水を引き込んだ堀の一部と。




       博物館の建物の左端、2階部分に見える騎馬像は、
       スカーラ家の一番隆盛を極めた領主カングランデの像・Cangrande.
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       昔博物館に入らずに庭からこの像を眺め、本当に憧れたものでした、はぁ。
       今回は中からじっくりカングランデの顔も、お馬君の顔も眺めることが出来ましたので、
       次回のご案内でご覧頂きますね。




       城壁の飾りが映る博物館の窓。 多分これは東側、事務所図書館側の窓と。
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       前庭の山羊かな、を形どった小さな泉と、奥に見えるのが博物館入口。
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       ほっと一息の、前庭に咲いていた鮮やかな花
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       入り口脇にあった碑。 どこから来たのか、日時計のようでもあり、
       飾りの碑の一部のようでもあり・・。
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       かっての城の一部と兵舎を利用して博物館にする大改修は
       1958年から1974年にかけて行われ、監修はカルロ・スカルパ・Carlo Scarpa
       すっきりと見やすい30室ほどの陳列室に改装され、彫像、絵画、武器、貴金属などなど、
       見きれないほどの収蔵品の博物館となっています。


       日本の建築美に傾倒した著名な設計家カルロ・スカルパの、有名作品の一つ
       トンバ・ブリオンのご案内




       博物館に入り左側、1階は彫像の展示があり、ローマ期から始まり、
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       そしてshinkaiの大好きな中世。 気に入った女性像のみを数点ご紹介しますと、
       まずは輪のサンタ・カテリーナ
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       アレキサンドリア(エジプト)の聖女カテリーナ(287-305)を指し、
       その美しさから王に仕えるよう、改宗するよう説得されるのを受け付けず、
       刃のついた車輪で拷問死刑を受けるものの車輪が壊れ、遂には斬首に、という聖女で~す。




       昔から写真で見て憧れていたこの背中! 男性的でもあるこの存在感!
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       初めて正面からお目にかかりましたが、音楽の守護聖人サンタ・チェチーリアかな?
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       こちらも背中ですが、はは、渋く素晴らしい緑色の彩色像で、
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       何という事! 今回写真を整理していて気が付きましたが、
       前面から撮っておりませんで・・、バカがぁ!!




       きっとこのも一つ、素晴らしく優しい雰囲気の聖女像に目が行ったのだろうと・・。

       優しい目つき、ふっくらの頬、口元、細かい衣装の彫り、素晴らしい!!
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       サンタ・リベーラ・Libera像、サンタナスターシャ教会のマエストロたちの作で
       あろうと云うことで、14世紀半ばの作品と。



       という所で今回はお終いにし、次回のご案内に続きます。
       お疲れ様でしたお楽しみ頂けましたように!

       次回は、橋についてもう少し詳細にと、展示物の幾つか、スカーラ家などなど。
       よろしくお願い致しま~す。



       

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by italiashiho2 | 2017-01-10 23:48 | ・ヴェローナ・ガルダ湖 Verona- | Comments(4)
2016年 12月 23日

   ・・・ 新装なった元ドイツ商館からの眺め ・ ヴェネツィア ・・・

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       先回のヴェネツィアの高潮に続き今回ご覧頂くのは、リアルト橋南脇にある
       かってのドイツ商館・フォンダコ・デイ・テデスキ・Fondaco dei Tedeschi.

       長らくヴェネツィア郵便局だったのですが、ベネトンが買い取り修復し、
       新しくショッピング・センターとして生まれ変わっています。
       
       そして、屋上のテラスがこの秋から一般に公開されていて、
       しかも無料で!というニュースを知っていましたので、
       リアルト橋に向いながら、そうだ、ちょっと寄って見よう!と。

       郵便局がまだ入っていた時の様子がこちらに。

       入り口には黒いスーツのドア・マンがいて、ドアを開けてくれ・・!
       
       トップの写真が入り口を入って見えた正面で



       こちらが右側
       11月半ばでしたが、すっかりクリスマスの飾り付けがされていて、
       スッキリと美しくなりましたが、右上の時計も元のままですし、
       大きな目に見える改装は天井と床でしょうか?
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       かっては郵便物が運び込まれ、運び出されているのがリアルト橋からも見えた
       大運河に向かっている北の扉内から見る外の様子。
       現在修復中のリアルト橋はすっかり覆われていて・・。
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       エレベーターは無く、右手(左手にも)中央にある階段を上りますが、
       途中の踊り場にあった、かってのヴェネツィアの姿
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       フォンダコ・商館と呼ばれたかってのこの建物は、ドイツ語圏からの商人達が
       ヴェネツィア共和国に運び込む商品の貯蔵所でもあり、
       商人達自身の宿泊所でもあったようで、200を超える部屋があったといいます。

       ヴェネツィア共和国は警察制度が厳しく、商人達は夜は外出禁止、
       ヴェネツィア人達も入れず、しっかり管理されていた様子ですが、

       こういう商館は現在残っているのにはトルコ商館がありますが、
       他は消滅していて、そんな歴史的見地からも大きな改装はされなかったのでしょうね。





       ここが下から見た天井の上、屋根の下、という部分ですが、
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       床の素材は、ヴェネツィアの大運河に掛けられた第4の橋、駅前からローマ広場に
       渡る橋に使われた光線を通す素材、橋は濡れると滑る、と不評のあの素材かな?

       壁には黄金モザイクのモチーフの映像があり、波に揺れる感じで揺らぎます。



       テラスに出るのは無料ですが、この部屋の南側の廊下受付で呉れる、
       指定時間を書いた丸い札が必要で、それを持ってこの部屋で並んで待ちます。

       ガードマンらしきこれも黒スーツの男性がテラス前にいて、札を調べ通してくれますが
       15分毎の入れ替えで、私は30分以上待ったと思いますが、
       でもその価値はあります!!

       中には子供がいるから、とか急ぐから、と先に入れてくれと粘る人々もいますが、
       男性は柔らかく、でもきっぱり、残念ですがと。 
       

       で、テラスに出ての最初の眺めが、正面のこれ!
       リアルト橋北側と大運河で、正面の白い建物には確か国の会計検査院が入っていて、
       奥が裁判所の建物。 3角形の岸の広場にはいつもだと、カフェのテラス席が並びます。
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       リアルト橋からいつもこの屋根の飾りを見ていたのが、今は逆に中からだもんね!
       曇り空なのが残念!!

       ヴェネツィアで高い所に上ってパノラマを見れる、というのはサン・マルコの鐘楼か、
       大運河の向こうのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼くらいかな、
       カ・ドーロの大運河側のテラスの眺めもありますが、少し低いし・・、
       と場所が少ないので、ここは街の北側のパノラマを眺められる重要拠点になりますね。




       広場はすっかり濡れていますが、今は水が岸辺迄で人も出ているので、
       高潮が少し引き始めたのかも。
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       このフォンダコ・デイ・テデスキに並んで続く、大運河東岸の眺め
       奥に見える教会と鐘楼は位置から見て、サンティッシミ・アポストリと。
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       上の写真に続いて、奥、カ・ドーロが見えます。
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       カ・ドーロのご案内  その1と2




       テラスからは南東方面に当たるサンティッシミ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂
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       テラスに一緒に上がったグループの中にいたワン君
       ちょっとピンぼけですが、何となしに不安そうな顔をしていて・・! ははは。
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       屋根の上に来ているカモメたち
       何かを待っている顔をしていて、細かいカスをつまんだりで、
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       テラスの上にいるガードマン氏によると、過日考えなしの誰かが餌をやったらしいのですね。
       そんな事して、いっぱいカモメ達が集まってきたらどうするつもりだったんだろ?!

       こうしてみると、屋根の修復で瓦が大幅に取り替えられた事が良く分かる
       新しい瓦で、古びて良い色になるのに、だいぶ掛かりそうですね。




       ヴェネツィア本島の真ん中を逆Sの字に流れる大運河のちょうど真ん中に掛かる
       リアルト橋。  早く修復が済んでくれないと・・!
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       フォンダコから西にかけての建物の屋根上
       小さな屋根の上のテラスが、結構あちこちの建物の上に作られているのが見えます。
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       蒸し暑い夏の夜は上に出て涼んだり、はたまた、帽子の縁だけ残してその上に髪の毛を広げ、
       日に焼いて金髪にするという、ヴェネツィアの金髪、というのもこんな所でやったのかも・・!




       細長いテラスの一番西側に寄って覗く大運河
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       そしてその先、ヴァポレットの停留所の濃い緑色の先の白い建物、
       2階に旗が出ている建物がイタリア銀行
       
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       リアルト橋から西の大運河の眺め、正面奥に見えるのが現在はヴェネツィア大学のある
       カ・フォスカリ・Ca’Foscari. 
       ここで運河は左に曲がり、アッカデミア美術館、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の方に。
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       改修されたフォンダコ・デイ・テデスキの新しい屋根の上部分。
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       南西から南にかけての眺め
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       少し南に向いて、サン・マルコ聖堂が見えます。
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       大運河の北、ゴンドラをもう一度眺め
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       ・・時間となってテラスから降り、
       上階から下の中庭部分を眺めた様子。
       赤茶と白の縞模様がモダンでもあり、クラシックでもあり・・。
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       下の階まで降りて、これは南西の角の方。
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       以前もあった井戸ですが、以前は中庭の真ん中にありました。
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       といっても当時も井桁だけだったらしい、と写真を見直して思ったのも、
       屋根も塞がれていましたから、中庭の天水利用の井戸の意味が無いわけですね。
       で今度は入り口の直ぐ傍に移されており、やはりこれも変遷ですね。


       それにしても、あの一等地の眺めを無料で!
       しかも何人ものガードマンを割り当てての、大盤振る舞い!!
       ヴェネツィアに行かれてお時間があったら、是非どうぞ!!


     *****

       さて今日は12月22日、日本はすでに23日で、クリスマスももうすぐ!!

       皆様、よいクリスマスをお迎え下さいね! ブオン・ナターレ!!
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       「サンタがやって来る!」をマイケル・ブブレでどうぞ。
       



     *****

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by italiashiho2 | 2016-12-23 00:08 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(6)
2016年 12月 17日

   ・・・ ヴェネツィア  アックワ・アルタの日 ・・・

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       ヴェネツィアの冬の名物 とも言えるアックワ・アルタ(高潮)
       この冬最初の大きなアックワ・アルタだった11月13日、
       たまたま行き合わせて写真を撮りましたので、ご覧ください。

       上は朝到着したヴェネツィア駅構内
       暫く前から改装中だった駅構内が、すっかり新しい店舗に生まれ変わっています。
       



       この日は日本へのお土産調達でしたので、カメラもコンパクトのみを
       持参したのでしたが、駅を出てすぐ、細い水溜まりが出来ているのを見て、
       あれ、ひょっとして今日はアックワ・アルタかな?!
       が、酷い時には駅前にも渡り板が出ますので、まぁ大した事もないかと
       あちこち店によりつつそのまま道を進み、

       ポンテ・グーリエ・Guglie(グーリア橋)まで来て、あっ、やっぱり!!
       こちらの岸はひたひたと、小波が寄せる度に浸水する部分が増えていて、
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       先に続く道は、すでにとっぷり浸かっています!
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       大運河の方を見ると、薄っすらと射す陽射しに水が煌めき、
       こういう日は、どこかいつもよりも静かなのですよね!!
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       グーリエ橋の上に上がり、高みの見物ですが、
       モーター・ボートがヤケクソみたいに、ははは、走っていくのが見え・・。
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       両岸の道が沈み、カンナレージョの運河がいつもよりも広くなったみたい!!
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       運河の東側の岸はこんな様子。 も少し先に行くと、ゲットーへの入り口の
       小路があるのですが、きっとあの道も水に浸かっているでしょう。
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       もっと浸水してくるのかどうなのか、少し気になりつつ道を進み、
       道脇のカンポ・マッダレーナ・Campo Maddalenaの横の小運河
       扉の下がもうすっかり浸かっていて、
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       東に続く道の橋の下も、こんな感じにたっぷりの水
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       橋の上から見る奥の建物も、扉にひたひたの水位
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       橋を渡ってすぐ左の広場、カンポ・サンタ・フォスカ・Santa Foscaの脇に
       綺麗なゴンドラが係留していて、
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       こういう日でも、と思うのがおかしいのかも知れませんが、
       その後すぐに家族が乗り込み、出て行きました。

       ただし、私が撮っているのは橋の上からなのですが、
       この橋をゴンドラがくぐるのがちょっと大変でして。 つまり、
       水位が上がるのでゴンドラの船体やゴンドリエーレの頭がつっかえるのですね、
       それで家族全員が協力させられ、体をずらしておりましたです。




       奥の道は水位すれすれですが、平然と歩いてくるカップル。 
       慣れています!
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       この日はサン・マルコ広場までは行くつもりは最初からなく、
       でもまぁとにかくリアルト橋までは行ってみようかと・・

       サン・マルコ広場のアックワ・アルタ




       サン・フェリーチェ教会・San Felice近くだったか、道脇を覗くと
       こんな風に入り口が浸かっている家が見え
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       鳩達も塀の上に避難
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       大運河の向こう側、サン・カッシアーノ・ホテルが見えますが、
       とにかく水がたっぷり、というイメージでしょう?!
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       サンタ・ソフィーア教会前広場の端には、大運河を渡るゴンドラがあり、
       向かい側の市場の様子も見えるので見に行くと、
       渡し船も動いているようですが、やはり乗客が少ないような・・。

       正面の建物下が魚市場で、
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       その横、低い屋根だけ見える部分が野菜市場、続く長い建物は裁判所
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       高潮の日というのは、なんとなしに気持ちがワサワサとし
       そのくせいつもの賑やかさはなく、何かを待っているように世間がシ~ンと、
       と、shinkaiが感じるだけの事か知りませんが・・・。
       



       サンティッシミ・アポストリ・SS.Apostoli広場まで行き、橋を渡るのですが、
       わぁ~お、すれすれまで来ているよぉ!
       あそこの運河沿いのレストランは、今日はやはり休みみたいね。
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       で、その手前に綺麗な赤い飾り付けのゴンドラがいて、
       とても目立って、眺めている人は多いのですがぁ・・!
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       道は回り込みつつリアルト橋に近づきますが、アポストリ広場の次の橋の所で、
       あっ、ゴンドラが橋をくぐる! と見つけて走りました。
       私の後ろからついて走る女性がいて、顔を見合わせ笑いましたが、ははは。
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       ほら、ゴンドラの舳先の飾りの高さが、橋のアーチよりも高いでしょう?!




       で、少し傾けた姿で入り込み、そろそろと進みます
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       ゴンドリエーレは、船体の右寄りに立ち、板でそろそろと漕いでいて・・。
d0097427_21463006.jpg
       
       ゴンドラに乗られたことのある方はご存知でしょうが、どこの席に座るかを
       乗る時に指定されます。 
       平底のゴンドラで、ゴンドリエーレが迫り上がった艫の左に乗って漕ぐために、
       船体の竜骨自体がカーヴしているのですが、
       客の数により、バランスの配分で席を指定されるのですね。

       で今、船体自体が右に傾いているのを利用して、ゴンドリエーレが右側に重みをかけ
       船体をもっと右に傾けつつ高さを低めているのです。

       ゴンドラについての、あれこれ





       アーチに近づくと手で調子を取り、橋の下に潜ります
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       でここまで見た物好きshinkaiは、橋の反対側に走ります、ははは。




       向こう岸では、橋の下を覗き込んで待つ人々がいて!
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       実はこの写真の右側に、中年の日本女性が二人おられたのを切りました。
       というのも、一人はしゃがみ込んで覗いておられたのですが、
       テンションが上がっているのか、高い声で「あっ、ぶつかった!ぶつかったよ!!」
       なぞともう一人の方に報告されるのが、周囲がし~んとしている中に響き渡り!
       ええ、勿論、橋の下からゴツン、ドンという低い音も聞こえましたが・・。




       ついに、ゴンドラの舳先の飾りが見え、す~っと出始め
d0097427_21465585.jpg
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       かなり斜めの方向に出てきます。  船体を傾けるので寄るのかも。
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       ゴンドリエーレも出てきて、オールで橋を突き
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       漸くに立ち上がって調子を整え進み始めると、見物客から一斉に拍手が起こり、
       ははは、でもゴンドリエーレはそそくさとね。 
       彼にとっては面倒事が一つ過ぎただけなのかも。
       帰るまでに潜らないといけない別の橋が頭にあるのかも・・!
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       ほらね、艫の飾りがポッキリと折れているでしょう?!
       ここの飾りが折れているのはよく見るのですが、
       今回この様子を見ていて、舳先は神経を集中して潜っても、
       後ろの方はつい疎かになって、ポキっとやるのかなぁ、とも思った事でした。


       という、ヴェネジア高潮の日、 ゴンドラ、橋をくぐる、の中継でしたぁ!



     *****

       皆様、いつもブログご訪問、有難うございます!

       少しづつ新しいPCにも慣れてきている毎日ですが、
       今やPCは完全に家庭電化用品の位置にあるなぁと改めて。
 
       春頃から暮には買い換えないと思い、それまでは何とか保ってくれぇ、と
       願っていたので、やれやれとは思ったのでしたが
       とりわけ嬉しい事もなく、即始める仕事に差し支えが無い事のみが希望で・・。

       今回はいつもトラブルの時持ち込んでいた店で購入したのですが、
       OSは基本のウィンドウズ10でも、ワードとかエクセル、メディア・プレイヤーなどのソフト、
       マイクロ・ソフトに支払わないといけない物は全然入っておらず、
       すべてそれに当たる、似たソフトが入っていて、
       それの使い勝手に慣れるのと、納得するのに時間がかかりました。

      *改めてPC内探検の結果、メディア・プレイヤーは入っているのに気が付き、
       現在Mp3に変換してダウンロードした音楽を、CD書き込みに使用中です。


       そして、新しく入れてみたグーグルの日本語ソフト、これはとても気に入りました!
       本当に賢く、私の言葉使いにすぐ慣れ、様々な応用編を次々と提供してくれます。

       この度のPCでは、短縮言語を覚えさせ変換する、というのが出来ずなのですが、
       優れもののグーグルの日本語ソフトで大丈夫、不便を感じません。
       これは皆さんにも、お試しをお勧めです。



       所でお世話になっているエキサイト・ブログですが、
       私は年間少し払うアドヴァンスの契約で、使う容量は無限なのですが、
       夏頃までは、PCによる訪問者数とページ・ヴューの数しか知る事が出来ませんでした。

       2,3年前から徐々に訪問者数、並びにページ・ヴューの数が減り始め、
       多分スマート・フォンで見て下さる方が増えたのかも、とは思っても、
       実態がわからず少々心配しておりました。

       で8月中頃に更新する際、思い切ってモバイルからの訪問者数なども分かる
       もう一つ上のランクの契約にしようかと考えたのですが、
       エキサイトとの交渉があやふやで、確かな返事をエキサイトから貰えないまま、
       今まで通りの契約を続けるようにしたのでした。

       が、なんと9月中頃からだったか、アドヴァンスの契約でも、
       モバイルからの訪問者とページ・ヴューの数も見れるようになり!

       以前よりも、見て頂いている数が増えている事も分かりました!

       皆様、有難うございます!!
       安心いたしました!!

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by italiashiho2 | 2016-12-17 23:36 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(4)
2016年 12月 13日

   ・・・ 安芸の宮島 麗しの厳島神社 ・・・

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       広島での友人宅での一日、宮島に出かけてきました。
       あいにくの曇り空でしたが寒くはなく、一人で気軽に・・。

       ところがです、なんと宮島で電車を降りた途端に、ものすごい人、人、人!!
       宮島への連絡船の船着場に歩く道筋も、いっぱいの人!

       切符を買い、ちょうど連絡がよく船にもすぐ乗れたのですが混雑で、
       幸いに座れたものの外の景色は見えず・・。




       漸くに島が近づいてきた頃、幸いに前の人が移動し・・。
       左下に、ちょっぴり赤い鳥居が見えますか?  
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       到着前に船内で案内があり、今日の宮島は大変混んでおります
       ロープウェイは1時間半待ちです、と。

       とは聞いたものの、何度も行っている宮島なだけに、
       その混雑ぶりが実感できずでしたが、船を降りた途端に、これは凄い!!

       美味しそうなイカ焼きの匂いにつられて撮ったのですが、ははは、
       左上にびっしりと参道への道を歩く人々の姿、いやぁ本当に混雑でした!!   
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       人の歩かない並木道の高い所で休む鹿ちゃん。 餌をねだるどころか・・!
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       人混みに押されるようにして歩き、漸くに厳島神社が見えた所。 
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       受付で参拝料を払い、回廊を行きますが、
       ちょうど潮が満ち始める所でした。

       あまりにも多い観光客に、どこにカメラを向けても人が入り過ぎなのですが、
       少しでもと宮島の美しさを狙います。
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       古代からあった厳島神社のようですが、平清盛の大きな庇護を受け、
       神殿作りの神社となったのは、平安末期1241年の造営だそう。
       平氏一門の後も天皇家、そして様々な大名家の庇護を受け、
       寄贈された「平家納経」を始めとする様々な優れた美術工芸品も多く、
       現在の神社の建物は皆国宝、または重要文化財の指定を受けていると。




       ここは本殿よりも手前にある客・まろうど神社
       朱の柱、緑と黒の格子が素敵でしょう?!
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       広く清々しい木肌の床、朱塗りの回廊。 
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       回廊は幅4m,長さが275mあるそう。
       床板の隙間は目透しといい、高潮の時の下から押し上がる海水の
       圧力を弱め、海水や雨水を海に流す為なんですと。

       




       見上げると、北にある千畳閣横の五重塔が。 
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       鏡の池と呼ばれる回廊の角の池に、どんどん潮が満ち入り込んでいくのが見え、
       その中をゆうゆうと獲物を探しつつ歩くシロサギ。  
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       参道を歩きながら、実は何枚もこの朱の鳥居を撮っているのですが、
       アングルに気をつけないと、対岸の中腹にあるどこかの宗教団体の大きな
       建物が入ってしまうのですね。 
       きっとそれを狙ってあの位置に建てたのでは無いかと思うのですが、

       漸くにこの位置だと、右後ろの大きなマンションを見なければ・・、
       平安の昔の素晴らしさも感じ取れるでしょう?!
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       朱の大鳥居は奈良の大仏殿とほぼ同じ高さの16m、重量は約60トン!
       樹齢500~600年の楠の自然木で、現在のは8代目なんだそう。
       海の中に埋められているのではなく、松材の杭で地盤を強化し、
       箱型の島地の中に石を詰めて加重し、その中に鳥居の重みだけで立っているのだそう。

       春の大引き潮のときは、この鳥居の位置まで潮が引き、
       潮干狩りに皆出かけるのですよ。

       広島の貝汁、アサリのお味噌汁は美味しいもんね!!
       長野で、ちっこいシジミの身をせせった記憶の残るshinkaiには、
       こんなに美味しい貝のお汁があるんか、という驚きでしたものね、ははは。

       




       朱色と白壁、そして黒の格子、艶やかで美しい!
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       漸くに本殿前にたどり着き、高舞台とともに一枚
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       この舞台では春と秋の一夜、舞楽が奉納され、2,3度夜出かけてきて
       拝観したことが良い思い出となっています。

       夜の広島は観光客が殆どおらず静かで、潮がひたひたと満ちてき、
       回廊下の柱にチャプチャプとあたり、それに回廊に灯された灯が映り、
       雅楽のあの雅な音に舞う舞人の、暗い中に煌めく衣装。
       舞人がすっと足を滑らして引き、ついでトンと床を打つ音。
       舞楽のあの異国の香りのする面。

       まさに平安の昔はこうだったんだろう、という厳島神社
       昼の人混みの中で見るのは、ちょっとむごい感じも受けましたっけ。
       



       舞台と本殿の間にいる、大きな青銅の狛犬
       こうして正面から見ると、なるほど、という感じですが、
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       後ろから見るとです、ははは、尻尾がね、指でサインを出しているようでしょう?!
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       床の美しい木目
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       本殿前にあった清めの水。 はい、shinkaiめも。
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       本殿では、ちょうど七五三のご祈祷中で
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       神官がこのあと、参拝者のお祓いを
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       現在の本殿は1571年、毛利元就によって改築されたものと。




       回廊の下にも満ちてくる潮。 波を打ちながら、ひたひたと。
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       お供えの酒樽。 「清盛」というのもあるんですねぇ!
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       奥の右側は、能舞台。 現在の舞台と橋掛けが建設されたのは1680年。
       海に浮かぶ国内唯一の能舞台なんだそう。
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       能舞台に近寄りますが、舞台には上る事は出来ずで、
       春の奉納能の時なども確かこちらの回廊から拝見するのみだったと。
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       背景の松、 そして軒下の木彫の変わった飾り
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       普通の能舞台では足拍子の響きを良くするため、舞台下に共鳴用の甕が
       埋められているのが、ここでは舞台の床が一枚板のようになっている、のだそう。
       一枚板のようになっている、というのがどういうのか、ちょっと分かりかねますが・・!
       



       最後の回廊の向こうに見える反橋。 現在の橋は16世紀半ばの物と。
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       宮島厳島神社を初めて訪れたのは、短大生の時ですから50年前ですか、きゃは。
       当時は靴の上から草鞋をはいて回廊を歩くようになっていて、
       その時はこの橋の上にも登れたのでしたが、
       その後広島に住むようになった時には、もう登れなくなっていましたっけ。




       能舞台の近く、満ちてきた潮の中、獲物を探すアオサギ
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       反橋の向こうで回廊を出て、町中を歩きつつ、お昼を食べる場所を探します。
       
       ここは宮島の町家博物館、一度中も拝見しましたが、
       奥ゆかしく裕福な町家が偲ばれるものでした。
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       宮島はまた高校野球の応援団が打ち鳴らす「しゃもじ」や木工細工でも有名ですが、
       我が家にも宮島で買ったしゃもじが今もあり、

       歩いていて、こんな木地師の仕事場を
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       紅葉のシーズン、日曜とあって、食べ物どころはどこも満員で、表にズラッと列が出来ており、
       到底並ぶ元気はなく、ず~っと端まで歩き、ついに空いている所を見つけ、
       外の席に座り、こんな景色を見ながら・・
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       穴子をまぶしたご飯と、わかめと雑魚の酢の物を。 
       いつも外でのご飯にはビールを1杯やるのですけど、何故かこの日はお茶だけでした。
       あまりの人混みに飲み込まれたのかも!
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       こちらの友人たちへのお土産に、宮島の「孫の手」をと決めていたので、
       それを探して買い込み、
       戻り道は厳島神社の裏側を歩きます。
    
       すっかり満潮となり、回廊のすぐ下まで海水が上がってきているのが見え
       やはり美しい姿ですねぇ!
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       豊臣秀吉が1587年に建築を命じたという千畳閣に寄ることにし、石段を登ります。
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       ちょうど千畳閣前の大銀杏が見事な黄葉で!
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       建築が終わらぬうちに秀吉が亡くなり、豪華絢爛となる筈だったこの大経堂も、
       御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成ですが、
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       俗に千畳閣と言われ、857畳も敷ける、この広さ!!
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       太い梁が見える天井には様々な絵馬が奉納されており、
       これは明治元年の物のようで、
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       興味深かったのは、もみじ饅頭生誕百周年記念の絵馬
       平成21年となっていますから、何年前かな?
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       あまりにも名が知られすぎ、皆さん、もみじ饅頭を食べず嫌いではないでしょうか?!
       そういう方、ぜひ一度騙されたと思って食べて見て下さいね、
       本当に美味しいんですよ!! 




       最後にもう一度下の道に降りて、平安の名残を眺め、戻ります。
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       今回は鹿ちゃんを見ることも少なかったような・・!
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       と云う、安芸の宮島、麗しの厳島神社のご案内でした。



     §§§§§

       皆様、いつもブログご訪問、有難うございます!

       今回のブログ更新は新しいPCでの作成ですが、なんとか大丈夫そうです。


       実は今日は私の誕生日でありまして、イタリア時間ではまだ12日で、
       お祝いの電話メールもあれこれ頂き、また一年頑張って行こうと喜んでおります。

       今朝一番にメール・チェックした時に届いていたのに、大笑いさせて貰いましたので、
       皆様にもここにご披露させて下さいね。

       私の絵の師匠である二木一郎さんの奥さん、竹ちゃんが
       いつも知恵を絞って描いて届けて下さるカードなのですが、

       なんと今回は、shinkaiが演歌歌手としてデビューしたら、という発想での舞台衣装!!
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       竹ちゃんは友禅がお仕事なので、お人形さんの衣装も手作りで、というのはご紹介しましたが、
       今回の演歌歌手としての初舞台の衣装は、月夜の桜!!

       なんとも手の込んだ労作で有難く、嬉しく・・、でもねぇ、上のキャプションは
       私の師であり、竹ちゃんの夫である一郎君の作なんだそうで、

       きゃはは、笑った、笑った!!
       「・・雨じゃった」とちゃんと広島弁になっていて、おまけに即日廃盤だと! ははは。
       良かった、演歌の練習をせにゃいけんかと思ったところじゃったぁ!!

       もう一枚のには、私が大ファンの作家の藤沢周平さんと同郷の竹ちゃんが、
       思い出して描いてくださった故郷の食べ物で、
       美味しそう、食べてみたい!というのがたくさん並んでおりました。

       竹ちゃん、そして和菓子よ我が師よ、有難うございましたぁ!!
       しっかり印刷して、壁に貼っておきま~す。



     *****

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by italiashiho2 | 2016-12-13 02:06 | ・日本・アジア Japan Asia | Comments(8)