イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2017年 05月 24日

   ・・・ 南ティロルの風景と、小さな町ナトゥールノ ・・・

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       今日ご覧頂くのは先週出かけてきた南ティロル、
       メラーノから西にヴァル・ヴェノスタ・Val Venostaを1時間ほど行った
       グロレンツァ・Glorenzaの町から、
       宿を取ったナトゥールノ・Naturnoの町に向かっての山と村の景色、
       そして翌朝のナトゥールノの町の様子と、メラーノに向かっての道筋の風景です。

       上はグロレンツァの町を出てすぐの、平地から見える南の連山の眺めで、
       雪が真っ白に輝くのに、皆が見惚れたのでした!

       夏山スキーが出来るゲレンデが幾つもある、というのも大いに納得!





       地図をどうぞ。
       左に見えるグレーの線がスイスとイタリアの国境線で、
       メラーノからカステル・コイラ・Castel Coiraの古城と、グロレンツァの町見学に。
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       谷の南側に高山が連なる様子もお分かりと思いますが、
       ヴェローナに流れ下るアディジェ河・Adigeはこの谷が水源なのですね。

       「イタリアで一番美しい村々」に登録されているグロレンツァと、
       千年近い歴史を持ち、未だに個人所有のカステル・コイラのご案内もいずれ頑張って・・!
       
       メラーノの北に見えるティローロ・Tirolo・ティロルは、
       今我々がティロル(地方)と呼ぶ語源となったティロル伯爵が、中世にここに城を持ち、
       一帯を領有していた事に端を発します。





       ヴァル・ヴェノスタのいわば西の端にあるグロッレンツァから徐々に下りつつ、
       行きは北側の眺めを、この戻りは南の眺めをわぁ~お!と感嘆しながら行きますが、

       山の麓に小さな集落が広がり、そこには必ず鐘楼が見える教会があり、
       山の中腹には森を切り開いての草地と農家が点在し・・。
       山の中腹に孤立して生きる彼らの生活はどんなだろう、と考えます。
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       これはたぶん放置された古い教会跡
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       すでに午後6時過ぎですから、かなり陽が西に傾き、山の影が高く濃く
       そして集落から離れ山腹に点在する農家
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       1か所道路工事中で臨時の信号機で停車した時の、道脇のリンゴ畑
       畑は殆どリンゴ畑、または梨とか杏子だそうですが、
       リンゴの木も日本のとは違い、畝を作って並びます。
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       所で道中あちこちで盛んにスプリンクラーで水を撒く様子が目についたのでしたが、
       翌日のガイドさんの説明によると、単純に水やりの為のみでなく、
       スプリンクラーで細かい霧状のものを作り、それによって冷害の被害を防ぐ、
       花がついて凍るのを防ぐ意味があるのだそう。

       それにこの冬は雪が少なかったので、水不足も心配されており、
       コムーネによって水の配給が決められるのだそうで、
       ガイドさんの住むメラーノ近郊では、2週間に一度の水やりなんだそう!
       かなり厳しいですね。
       




       そしてまた白い峰
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       地図で見るとカステルベッロ・Castelbello辺りなのか、
       いったん大きく山間の平地が広がる部分があり、
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       道脇で休憩中のサイクリングのカップルも見かけ、
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       ここからまた狭い谷の道を行き、それでも道脇に家並が繋がるようになり、
       ナトゥールノの町、宿に到着



       翌朝起き抜けにテラスから見た、南の山々の峰にさす陽と月
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       宿の前は広場になっており、これは南側の向きで、
       右が我らの宿のカフェとレストランのテラス。
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       所でグーグル・マップの衛星地図で、ストリート・ヴューを見ましたら、
       2011年のが出て、我らが泊まった宿はまだ古い建物でしたぁ。




       正面には、1階部分にスーパーや店の入った建物と、左に古い建物の宿
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       6時半過ぎ、朝日の道を自転車で通勤していくシニョーラ
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       こちらが広場の角にあった古い建物の宿で、
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       カフェ、レストランもあり、そして
       今回本当に町筋でよく見かけた十字架のキリスト像
       
       イタリアでこれ式のを見かけるのはやはりドロミーティに多く、
       町中では壁に小さな祠式が多いので、この大きなのはよく目に留まりました。
       北国の習慣的なものなのか、雪国の生活の過酷さ、または街道筋だからなのか・・





       北側の山々
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       そして南側
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       道を少し東に行った所に見かけた大きなホテル
       他にも道を少し入った所には、大小さまざまなホテルが。
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       小さな道脇の広場にあった泉と、脇のマロニエかな、の大木
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       ナトゥールノの町は、ウィキペディアによると、
       海抜が528m、人口が5700人ほど。
       青銅器時代からの移殖の痕跡があるそうで、
       記録に出てくるのは千年以降ですが、多分元は初期ローマであろうと。
       この町から北にも南にも山道を辿り、古い灌漑用の水路を訪ねたり出来るそうで、
       夏には避暑地として賑わうのでしょうね。





       北の山々と、山腹の家
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       本屋さんのウィンドウを覗きましたら、ほらね、全部ドイツ語の本!
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       うん、ALL IN ONEは分かったですが、ははは、
       BUCH、ブックね +KARTE、カルテ、地図ね +APP これは何?
       neuは、NEWではなく、ここだけドイツ語ね、ははは。
       ガーデンはGARTENね、はいはい。





       少し北に坂を上った所で見えた小さな要塞式城館
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       下って、道を西に行き、少し高台より南を
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       古い建物、再び十字架。
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       最初に少し上った道の先に小学校があるらしく、
       あちこちの道から通学の子供たちが出て来てすれ違います
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       親に付き添われた小さな子もいますが、殆どは自転車か歩きで、
       中にはキックボード(という言葉を調べましたぁ、昔はスクーターとか言いませんでした?)
       を漕ぐ子も何人かおり、上りの坂道をはぁはぁ言いながら・・!

       たまに目が合うと、ちょっと恥ずかしそうに挨拶してくれるのですが、
       なんと言っているのか聞き取れず・・。で、こちらはにっこり「ボンジョルノ!」





       ここも古い建物なのでしょう、
       壁には聖人が描かれ、バール・カフェ・ビストロ
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       大きなビッレリア、レストラン。  
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       ゆっくりと蛇行する狭めの道を通勤の車、通学の子供たちが行きかい
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       狭い道が1本町中を抜けて行き、道に沿って商店があり、
       脇道にそれると家が何軒かという具合で、
       家も表通りと同じようなちょっと小奇麗な修復された家ばかりで、
       他には特別に何もなし!
     




       古い、多分売り家の前にあった、自動貸本屋!
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       両脇の門柱の上部が祠式になっていて、聖人の絵が描かれており、
       上はどの聖人なのか、水を汲んで(注いで)いる姿ですが、
       下のは、自分のマントを分け与えた聖マルティーニ。
       それにしても絵が、如何にもドイツ表現主義式のちょっとエグイもので・・。





       さてホテルに戻り朝ご飯を食べ、のんびりと9時に出発ですが、

       町中の道を行き始めてすぐの写真にこれが
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       ナトゥールノに泊まったと書きましたら、クリスさんが「サン・プロコロを見ましたか?
       とコメントを下さったのでしたが、
       残念、もうちょっと東の外れまで行った所にあったのでした。





       ウィキペディアにあった写真はこれで、7世紀に遡る古い建物が火事で
       崩壊した後に建てられた8~9世紀の教会と。
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       内部には9世紀のカロリンガ期のフレスコ画が残されているそうで、
       すっきり明快、ブランコに乗っているのか、楽しい姿も
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        朝見た要塞の姿、東からの眺め
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       ナトゥールノの町を過ぎ東、メラーノに向かいます。
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       やはり山腹の農家にも目が行きますが
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       ついに谷を出た、という感じの所で、これよりどんどん坂道を下り、
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       ここは前日の上り道でも目についた大きな一連の建物群で、
       古いのでしょうね、様々なフレスコ画の装飾も目につき、渡り廊下もあり、
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       最後にBEERという文字が見え、ビールを飲ませるレストラン? 醸造所?
       まぁ、宿も兼ねた全部なのでしょうね。





       平野が開け始め
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       もうすぐメラーノの中心に!
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       という、南ティロルはヴァル・ヴェノーザの風景でした




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、ピエンツァ 仕上げまじかと、 メラーノ、南ティロルへの道 その2 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-05-24 23:31 | ・北イタリア Italia nord | Comments(3)
2017年 05月 14日

   ・・・ ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 ・・・

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       先週水曜午後にヴェネツィア・メストレに出かける用があり、
       天気予報を見ると朝は曇り、午後から晴れると。
       用が済んだら即家に戻りたい、朝8時前だとまだ駅裏の駐車場が空いている、
       などなど条件をあれこれ考えつつ、
       なにかヴェネツィアで展覧会の良いのがあったら出かけよう!

       と考え見たサイトはこちらで、  http://www.veneziatoday.it/eventi/
       されているというのです!!

       ならば少し曇り空でも朝一番に出かけ、10時からの開館で上って見て、
       ついでにサン・マルコ広場の様子も見て、とたちまち計画完了。

       翌朝は7時半の電車に乗り、8時半にはすでにヴェネツィア歩き開始で、
       ちょうど9時55分にコンタリーニ・デル・ボーヴォロの前に。


       そうです、コンタリーニ邸の名前はご存じなくとも、上の写真をご覧になると
       ああ、あれ、とご存知の方はたくさんおられると思いますが、はい、あれ。





       コンタリーニ・デル・ボーヴォロ邸はどこにあるか、地図をどうぞ
       リアルト橋から西に、運河で切れる手前の小路を南に入っていくと、
       カンポ・マニン・Campo Maninの広場に出ますから、
       広場の南側真ん中あたりの小路を入っていき、突き当りを左に、
       そして案内が見える小路を右に。 分かりやすいと思います。
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       地図には、リアルト橋南、元のドイツ商館の上階のテラスから見晴らしも出来る場所と、
       今回のコンタリーニ・デル・ボーヴォロの場所、
       そしてサン・マルコ聖堂の位置と、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂にも印を。

       コンタリーニ・デル・ボーヴォロからサン・マルコ聖堂の位置は、
       正面側を北西から見る、というのにご留意を。





       こちらがカンポ・マニンで、私の居る位置の左に、南に入る小路があり、
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       もう一つの小路を入り込んできた所が、ここ。
       右側に邸宅があり、左に建物の各階を連絡するエレガントならせん階段があり、
       コンタリーニ・デル・ボーヴォロのボーヴォロ・bovoloはカタツムリ、らせんの意。
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       以前来た時は無かった看板が出ており、
         ヴェネツィアの隠れた宝石 コンタリーニ・デル・ボーヴォロの階段
         開館は、毎日10時から13時30分  14時から18時
         入場料は私めシニアで、確か6エウロだったと。
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       暫く前に修復が済んでいたのが、漸くに今年の1月末から公開されているそうで、
       現在サイトには、今年2017年12月31日まで公開、との事。





       柵が開かれ、入り口に。 切符売り場は右に入った所の事務所に。
       この日はshinkaiがトップで、ははは。 
       同じ時間帯には10名足らずで、写真には珍しく!誰も写っていませんです。
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       さて、勇んで階段を上り始め!
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       くるくると回りながら上ります
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       天井部は、上の階段の裏側という訳で、こんな様子。
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       3階辺りで見えた、サン・マルコの鐘楼!  おお、見えたぁ!!
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       階は5階までで、4階から見上げる天井部は丸く木組みが見え、
       真ん中に1874.REST. この年に修復された、という意味かな?
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       はい、この木組は1874年のものだそうなので、その前は無かったのかも・・。
       

       コンタリーニ家・Contarini家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも古く著名な家柄で、
       最初の記録に残る家系の最初は853年と言い、
       千年を超す歴史の中、全部で120代のヴェネツィアのドージェに8名が選出されており、

       様々な分枝がある中で、ここのコンタリーニ家は少なくとも13世紀に名の出てくる
       サン・パテルニアン・San Paternianの家系だそうで、
       
       15世紀の末、ピエトロ・コンタリーニがこの14~15世紀からあった住居に、
       この特徴的な外階段とロッジャを付けたことにより、

       コンタリーニ・デル・ボーヴォロ・カタツムリのコンタリーニ、という呼び名が付いたのだそう!





       4階から5階には、この狭い直線階段を上り、
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       現在のこの階段は19世紀に、という事は4階の、展望台の下の木組みと
       同時の改装だったのかも。





       表側の細い開けた通路を通り
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       先っちょの開けた展望台部分に!
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       サン・マルコの鐘楼も、このように!
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       展望台の真ん中に展示のもの、パッと見に、ドージェ・ヴェネツィア総督 の帽子?
       と思って近寄りましたら、
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       なんと、絵付けされた便器でありましたぁ! ははは。
       ちょうど今、3階の本館の方で、何とか言う方の、ははは、コラージュと絵の展示会があり、
       どうやらその人の作品らしいと見当をつけましたが、・・こういうのもアート?!
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       さて、展望台からの眺めを!
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       と言いつつ、これは通路からですが、下の広場と内庭、入り口辺り
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       近くの古い家並、屋根の色も壁も趣あるのが見え
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       手前の屋根上に3つの明り取りのある教会は、サン・サルヴァトール・San Salvator.
       その右奥にちょっと正面と丸いドゥオモが見えるのが、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ
       一番右端、中華鍋で少し隠れているのが、サンタ・マリーア・フォルモーザの鐘楼。
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       お天気が良いと、こちらからは奥にヴェネト平野の奥から
       フリウリに広がる高山の山並みも見えると。




       今改めて比べてみると、サン・マルコの鐘楼、聖堂なども建物の屋根越しに見える高さは
       ほぼ同じ様子ですが、
       こちらは大運河の眺めが見えない代わりに、サン・マルコにぐんと近くなり、

       聖堂、鐘楼の眺めがこんな様子
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       鐘楼を、グングングンとアップしますと
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       ほらね、展望台に上っている人々も
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       塔の頂上、百合の花を持つ大天使ガブリエレも
       この像は風見になっていて、クルクルと回ります。       
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       漸くに、少し薄日が射してきて、

       聖堂の正面、入口の一番上のサン・マルコ像、その下のライオンも見え、
       左には、時計塔の上のムーア人2人も!
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       そして、鐘楼の右横には(左横にも)、ドゥカーレ宮の壁まで見え! 
       南側の壁真ん中の、裁きの女神像も!! 
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       パラッツォ・ドゥカーレ宮のご案内 1~4
       http://italiashio.exblog.jp/14795419/  





       少し離れて、写真の中では右に、
       サン・マルコの運河越しの、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼の上も!
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       展望台にも陽が射し、お日様に当たると本当に暖かく!
       でも雲が多く、またすぐ隠れたりで・・。
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       南には、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の大クーポラ!
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       西には、サント・ステーファノ教会の傾いた鐘楼!
       う~ん、だいぶ傾いていますねぇ・・。
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       鐘楼が傾くのは何も「ピサの斜塔」のみではありませんで、
       この近くではブラーノ島の教会鐘楼もかなり傾いていますし、
       ・・我が隣村のオリアーノの鐘楼も少しね。

       こちらにサント・ステーファノ教会、鐘楼について
       




       ああ、もうちょっと早く陽が射してくれたら良かったのになぁ、と思いつつ下り、
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       ヴェネツィア共和国の旗を出しているお家の窓を眺め、
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       3階まで下ったところで、奥の本館側の扉が開いており、覗くと、
       展示会場になっていて、 展示は見たものの、はぁ、私のタイプではありませんで、ははは、

       これは壁にあった古いフレスコ画
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       細長い部屋の奥の壁、これはドゥカーレ宮のマッジョール・コンシーリオ大広間にある
       ティントレット作の大壁画「天国」 世界一大きな油彩壁画22mx7,5m 1558~1592年
       の、下絵なんだそう。
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       下の写真は少し明るめにしましたが、とにかく彼の絵は余りにも暗くて、ゴテゴテで、
       いくら素晴らしい絵であると聞いても読んでも、注意して見た事がありませんで・・、失礼をば。





       ここで漸くに、階段の塔と、こちら本館とを繋ぐ構造にも目が行き、はは、
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       ちょうど説明文の掲示もあったのを写して置き、読みましたら、

       階段構造の真ん中を一直線に通る石は、イーストゥリア・Istria、スロヴェニアの石で、
       26mの1本の石なんだそうで、
       これに階段の踏み石というのか、階段がはめ込まれ、鉛で固定されているのだそう。
       へへ、周囲の景色にのみ気が取られ、所々で、うん、鋲で留めている、とは思ったのですが・・。

       4階部分で天井の木組みの写真の右側に見えるのが、円柱の一番上部で、
       ここでは飾りが施され、細くなっておりました。





       そしてここにのみ残っていたフレスコ画なのですが、
       どうやら最初は階段内部にも外側にも、全部フレスコ画の装飾があったと!
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       だとすると、それは大変に人目を惹いたでしょうし、評判をとり、
       庶民の話のタネにもなり、即、あのカタツムリ階段のコンタリーニ、となったのでしょう!





       という事で、前庭に置かれている井桁のコレクションと、
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       私の好きな細かい柄の井桁と、あの入り口の細い小路の女性を撮った写真を
       どこかに載せたはず、とあれこれ探し回り、ははは、やっと見つけました。
       お暇な方、どうぞ!





       こちらが階段部分の一番下、1階部分
       階段の中心の円柱は、下の白い石の上から始まっているのが見えます。
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       という事で、ヴェネツィアの新名所、
       コンタリーニ・デル・ボーヴォロのカタツムリ階段のご案内でした
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       開館は今年1年間という事ですので、
       今年ヴェネツィアにお出かけの方、高上りがお好きの方、はは、是非どうぞ!

       リアルト橋横の元ドイツ商館のテラスは無料ですが、
       こちらはも少し近くからサン・マルコ聖堂や、デッラ・サルーテが見えますで~す。

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今回はパスさせてやって下さ~い。
          新しいのを描き出しているのですが、やっとペンでの下描きが済んだ所でして・・。
          次回には見て頂けるよう、頑張りま~~す!
          




     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-05-14 22:51 | ・ヴェネツィア Venezia | Comments(4)
2017年 05月 09日

   ・・・ ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王 ・・・

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       先々回に見て頂いたヴェネト州のリビエーラ・ブレンタ・ブレンタ川沿いの
       大小さまざまなヴィッラ・邸宅の内でも、

       とりわけ素晴らしく美しく、そして壮大なヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisani.
       ヴェネト州に点在する数多くのヴィッラの内でも
       「ヴィッラの女王」と呼ばれ、現在は国立博物館、のご案内を。

       ピサーニ家はヴェネツィア貴族の内でも大変に裕福な家柄で、
       分枝もいくつかですので、ヴィッラ・ピサーニというのはいくつもあり、
       ですからここのは、ヴィッラ・ピサーニ・ストラ・Straと呼ばれます。


       上は、上空からの素晴らしい写真を見つけましたが、

       前を流れるブレンタ川が、余りにも綺麗に半円を作っているのを見て、
       これはきっとヴィッラを造る際に川の流れ、河岸も整備した物と・・。





       駐車場は屋敷の敷地東側にあり、
       ず~~っと続く塀沿いを、所々の切れ目から中を覗きつつ歩き、
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       屋敷脇の門、東側
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       ヴィッラ・ピサーニ前の、敷地の芝生の切れ目を走る道路と
       ガード・レールの向こうはブレンタ川が流れ、そして向こう岸に庶民の家並、ははは。
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       ブレンタ川をやって来ての到着は、こんな具合にね。
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       正面からの横に長い姿を撮ろうと、精いっぱい道まで下がったのですが、
       望遠の18㎜でも全部が入らず・・!
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       正面部、ズーム・アップと、屋根の頂上の彫像
       壮麗にして華麗!
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       横に広がる翼部分の屋根の上。  
       余りにもたくさん像がありすぎて、撮る意欲が無くなります・・。
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       入口、そして脇の大彫像4体
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       入口の彫像の脇、左右にある装飾。 これは向かって左のもの。
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       正面入り口から入って突き抜けると、中央部の通りを挟み、
       左右に内庭が広がり、
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       通路にずらっと並ぶ様々な彫像。
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       こちらが、このヴィッラを造ったアルヴィーゼ・ピサーニ・Alvise Pisani(1664-1741)
       第114代のヴェネツィア共和国のドージェ(総督)1735年1月17日より。
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       ドージェの選出選挙にはアルヴィーゼはすでに2度立候補しており、
       3回目のこの時は巨額金を立候補しそうな41名に配ったそうで、
       立候補は彼1名、めでたく満場一致の選出だったそう!

       ドージェ時代には、すでに退廃色の濃い当時のドージェ達に習い、
       祭りの際の華やかさにより手配を配るタイプの務めぶりだったようですが、
       幸いに外交的にも大事がなく、つつがなく。
       1741年5月疲れを癒すための別荘行きにゴンドラに乗り込んだ所で気分が悪くなり、
       ドージェのアパートに運び込まれ、6月17日に他界。

       ピサーニ家は、確かな事は分からないのだそうですが、トスカーナはピサの
       長官であったバッシ伯爵家・Conti Bassiの子孫といい、
       ヴェネツィアにやって来たのが804年とも905年とも、で、
       ピサーニという出身地を表す姓を名乗ったと。

       商人、銀行家であり、そして傭兵隊長として、のちには宗教面においても
       外交官としてもヴェネツィア共和国内の中枢を占める位置で働き、
       大変に裕福で著名な貴族になったと。

       時代を経ていくつかの分枝になりますが、その中でも一番が
       ヴェネツィアのサント・ステーファノにある家系で、
       ドージェになり、このヴィッラを造ったのは、この家系のアルヴィーゼ。





       内庭を囲む建物の2階部分の壁のフレスコ画は様々な人物像ですが、
       画家はジャンバッティスタ・ティエポロ・Gianbattista Tiepolo.
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       この、なんとも勇壮で、達者な筆使い!





       全体の様子はこんな感じで、本館が1、それに向き合う形の奥15は厩舎、
       有名な植え込みで作られた迷路は3、右奥にはカフェも、11。
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       現在国の博物館になっているこのヴィッラは、1721年に建設が始まったもので、
       設計建築がジェローラモ・フリジメーリカ・Gerolamo Frigimelica、
       総面積は15平米、

       部屋数は建設当初114室、というのもヴェネツィア共和国の114代ドージェ
       を祝ったものだったそうですが、現在は168室と。

       最初の設計家フリジメーリカが1732年に亡くなり、当初はパドヴァ一帯の
       農地の管理と住居というイメージが主体だったのが、
       この後アルヴィーゼの夢はより壮大なものとなり、建築家も変わり、
       すべての建設終了は1756年、彼の没後。


       ガイド付きでも、個人でも見学できますが、いずれも2階の貴族住居部で、
       2度訪問していて写真禁止なのを、2枚だけ内緒で撮っていまして、




       奥が舞踏室、を撮っており
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       有名な、建物の中央にある豪華絢爛の舞踏室。
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       天井画はティエポロ作の、「ピサーニ家の栄光」
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       他にもたくさんの美しい部屋があり、装飾はティエポロの他にも数名の名が挙がり、
       単なる美しい住居以上に、常に王のスタイルを模すのに拘ったアルヴィーゼで、

       余りにも壮大になり建築費がかかりすぎ、一家の経済に深刻な問題を及ぼした、
       というのがちょっと可笑しくもありですが、


       1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊したのち、

       このヴィッラは1807年7月にナポレオンに、1,901,000ヴェネト・リーレで買い取られ、
       暫くここに居住を。
       う~ん、ヴェネト・リーラというのはどの程度の価値でしょうか? 


       という事で、これがナポレオンの寝室とベッド
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       立派な天蓋付きではありますが、今と比して小さめのベッドですし、
       マットレスも今の方が格段に寝心地が良いであろうと思われるもので・・!





       そしてナポレオンの後、彼の妻ジョセフィーヌの連れ子であったウジェーヌ・ボアルネ
       イタリア王国の副王であったそうで、とその妻の住居となり、
       ヴィッラのかなりの部分が、新しい皇帝趣味に替えられたそう。

       1814年ヴィッラの持ち主はオーストリアのハプスブルグ家に代わり、
       王室の別荘でもあり、またヨーロッパ各国の王侯貴族を迎える場所となり、
       スペインのカルロ4世、ロシア皇帝アレッサンドロ1世、両シチーリア王フェルディナンド2世
       などが訪問しているそう。

       後に漸く、はは、1866年ヴェネトがイタリア国に併合され、
       ヴィッラ・ピサーニは国有となり、1884年に博物館になりますが、

       1934年には最初の公的なヒットラーとムッソリーニの会合の場にも。

       という事で、以下のサイトで見つけた写真は、当初のヴィッラとはいささか
       趣も設えも変わっていることをご承知の上、ご覧下さいね。
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       イタリアであちこちかっての大きな邸宅、城、王宮などを見ていて気が付くのですが、
       廊下は必ず、大概、部屋の外側に一直線に通っており
       部屋の端を通り抜けながら隣の部屋に、という様子なのですね。
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       余りプライヴァシーはなかったのではないかと気になりますが、
       そういう感じの廊下を一枚撮っておりまして、見える脚は管理の方。


       ヴェネトのヴィッラのいくつかを
 
       ラ・ロトンダ訪問

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ

       ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
       http://italiashio.exblog.jp/9337470/ 

       ヴィッラ・エモ
       http://italiashio.exblog.jp/18796424/  
      
       ヴィッラ・コルデッリーナ
       http://italiashio.exblog.jp/20373976/  





       庭園の眺めは上から撮れまして、庭越しの厩舎の眺め
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       この庭園は、フランスのヴェルサイユ宮殿を模したフランス式をヴェネト風にしたものだそうで、
       向かって左にみえるこんもりした林は、ナポレオン時代にイギリス式庭園風に増やされたものと。

       細長く続く池は、20世紀初めにパドヴァ大学が水の研究で掘ったものだそうで、
       でもちょうど良い眺めになっていませんか? はは。

       手前側の楕円部分には、水連が花を咲かせます。





       それにしても、これが厩舎とはねぇ! 
       まぁ、高級車のガレージと運転手の住まいだった、と考えると納得ですが・・。
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       庭園側からの建物の眺め。 屋根の上の像以外はすっきりのデザイン。
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       この庭園は2008年に、イタリアで一番美しい公園に選ばれたこともあるそうで、
       西側のこんもりとした林に対し、東側にはハプスグルグ家の当時に植物園式が取り入れられ、
       ゆったりとした散策が楽しめるように。
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       植木による迷宮・ラビリントは、こちらでご案内を。




       黒歌鳥メルロ。 どこにでもいて、本当に良い声で歌います。
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       これはバラのトンネルだったかな、他には藤のトンネルもあったと。
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       庭園のあちらこちらに彫像がおかれ、隠れ
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       右奥のカフェ・ハウス近くには、あれこれの設備もあり
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       こちらは氷室。 夏は涼しい空気が下から吹き上げたそうで、優雅!
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       大木がうっそうと茂る部分もあり、根元は苔むすほど
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       今回の写真は5月の初めの暑い日だったのですが、
       木漏れ日のこんな光、広い庭はとても心地よい、素晴らしいものでした!
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       軒下のこんな顔や、灯に送られ、ヴィッラに別れを告げ、
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       駐車場に着いたところで、結婚式のカップルに
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       花婿は2度目の結婚で、すでに小学校高年の息子がおり、
       若く美人の花嫁は東欧女性の様で、既にお腹が少し大きく!
       撮った写真を後日送りましたら、お礼のメールが届きましたっけ。
       今も、今後も、どうぞお幸せに!!




     *****

       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-05-09 21:07 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 05月 04日

   ・・・ トゥレヴィーゾ行き ・ 日本展と、パラッツォ・デイ・トゥレチェント ・・・

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       5月1日メーデーの日、日本のゴールデン・ウィークに比べるとささやかですが、
       ははは、こちらは30日日曜に続いての連休となり、
       仲間とトゥレヴィーゾに出かけてきました。

       トゥレヴィーゾには3月に印象派絵画展を見に出かけたばかりですが、
       「花咲く日本展」というのが開かれていて、浮世絵が見れるらしいから行こう、
       という仲間のお誘いで。

       浮世絵もかなりの数の展示で、着物や帯、履物の展示もあり、
       その都度の仲間の質問に答える形で、皆満足の展覧会見学で、
       shinkaiも一応の責任を果たせて、ほっと。

       がそれよりも今回は、展覧会の後偶然に開いているのを初めてみた、はい、本当に!
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリにあるパラッツォ・デイ・トゥレチェントの扉、
       そして内部も初めて見ることが出来ましたので、その様子をご案内いたしますね。

       
       上は、中心街の細い小路を彩る三色旗





       先回のトゥレヴィーゾ行きは曇り空で残念だったのですが、

       今回は駅前から少し行って出会うシーレ河・Sile
        -先日はオアジ・チェルヴァーラで見て頂いたシーレ河が街中を流れます、
       にも綺麗に映りこむ風景。
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       朝まだ9時頃の到着でしたので、朝日が斜めに射し込み
       人通りが殆どない道を中心に向かい、
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       途中の広場で出会う銅像のこの方は、マリーオ・デル・モナコ・Mario del Monaco.
       (1519-1982) 「アイーダ」のラダメスの衣装でしょう。
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       若い方はともかく、オペラ好きな方ならご存知ですよね?!
       輝かしく重くドラマチックな素晴らしい声量の持ち主で、容姿も素晴らしく
       戦後のイタリア50年代60年代を代表するテノール歌手でした。

       彼は晩年をトゥレヴィーゾの北、ヴィッロルバ・Villorbaの彼の別荘で過ごしており、
       亡くなったのはメストレですので、その関係で彼の像がここに、と。

       生まれはガエータとか、フィレンツェとかいろいろ説があるのですが、
       ヴィッロルバというのもあり、晩年住んでいた事から考えると、
       両親がここの生まれで、住んでおられたのではないかと・・。

       第3回目のイタリア・オペラ日本公演1961年で来日し、
       その時に聞いた「道化師」の彼の声は素晴らしく、驚き、
       またプッチーニの「西部の娘」などshinkaiにとってはまさにオペラの洗礼でしたし、
       ・・「西部の娘」は後に見て、別の感想を持ちましたが、
       まぁ、当時は純真な高校生でして、ははは。
        
       こちらに来て後、サン・レモ音楽祭で彼が歌った「こんなにも大きな愛・Un amore così grande
       もTVで見て感激したことをよく覚えております。

       Youtubeで見つけましたので、どうぞ





       街の中心、印象派絵画展を見たサンタ・カテリーナ博物館へ行くよりも
       少し手前で左に曲がり
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       斜めに入り込むと、右手の奥に見えるのが今回の展覧会場
       カ・デイ・カッラレージ・Ca' dei Carraresi.
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       カ・デイ・カッラレージというのは、カッラーラ家の家という意味で、
       パドヴァの領主であったカッラーラ家がトゥレヴィーゾを領有した1384~88年代にも
       関係しているのでしょうが、

       博物館のサイトによると、それ以前の1354年当時の記録によると、
       ここは街中でもかなり有名なオステリーア・アッラ・クローチェ・Osteria alla Croce
       という食堂、宿であったそうで、

       北からの旅人や商人、ドイツやオーストリア、そしてフリウリを通ってハンガリアからの
       旅人がここで食べ休みしていたのだそうで、
       初代からの持ち主が変わって後の1396年まで大変繁盛していたのだそう。

       カッラーラ家の紋章、4つの輪が繋がった荷車を上から見た様子、は
       正面の壁にあったのが、上から塗られて消された形になっていたそうですが、
       内部に残るフレスコ画には、いくらか面影をしのべるものがあるそうで、

       という事で、ここは一時カッラーラ家の私的な住居でもあった様子。





       隣の、今はカフェになっている建物、これは元々教会ではなかったと言う様な・・。
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       これは美術館北側の運河沿いの眺め。 
       右に切れて見えるポスターは今ちょうどフランシス・ベーコン展もしており、     
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       この日は5月1日の祭日、月曜にあたり、月曜休館か特別開館か、
       はたまた9時開館か、それとも10時か、
       どのサイトを見ても皆好き勝手なことを書いており、イタリア式、はい、
       電話をして開館は確実、と確かめて出かけたのでしたが、

       9時頃に到着したものの、やはり10時開館で、
       運河沿いのカフェで時間を稼ぐ間に、
       お天気が良く、新緑が見事だったので、shinkaiはちょっと近所を。

       すぐそばの水車はゆっくりと回っており
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       運河にしだれる柳の新緑、朝の陽に浮き出る橋
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       という事で展覧会はゆっくりしっかり楽しみまして、

       北斎の「波越しの富士」は再び、「下界は雨、稲妻光る富士」は今回初めて、
       先回もいくつか見た広重の東海道の宿場の何枚か、
       
       ですが、今回の出品作の方が格段に作品の保存が良く、
       浮世絵の摺師の手腕も良く分かり、感嘆しましたし、

       日本語が何とか読めるshinkaiは、ははは、描き込んである場所や名所の説明も出来、
       仲間たちも大いに楽しんだ様子で良かったです。


       
       という事で、どこかで軽いお昼にしよう前に行ったあそこは?という事で、

       古い建物の見える細い小路を抜け
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       パラッツォ・デイ・トゥレチェントの北側に出てきて、       
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       手前の家並の並びを入った所の小さなオステリーアで、あれこれお任せのパニーノを
       お昼の様子は、絵のブログの方に。





       さて、このパラッツォ・デイ・トゥレチェント・13世紀の館ですが、
       街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリに位置し、右に見えるのがそれで、
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       これが東側からの眺めと、上の広間への階段
       ご覧の様に、壁に筋が見え、煉瓦の色も違う事にご留意を。
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       お昼を済ませ、どこかでカフェを、と裏側の広場に出てきましたら、
       階段上の扉が開いているのが見え
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       あっ、あ、開いているよ! というと、行っておいで、とエレオノーラが言うので、
       まだ出てこない仲間を残し先に階段を上りまして、ははは、
       まぁ、後からは仲間が全部上ってきましたが・・。

       何せ、来伊以来26年めにして、初めて扉が開いているのを見たのです!!
       こんなチャンスを逃す手はありませんよね?! もちろん!





       入口から見た様子
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       正面部。  ここは市議会場でもありますので、北側半分がその会場に、
       そしてこの部分にフレスコ画がしっかり残っております。
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       こちらが東側、階段からの入り口
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       中央には、大きな書見台
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       ちょうど南半分の真ん中で、こんな作品の展覧会が開催中で
       5月1日の祭日だったので、ここも開いていたという事で、幸運でした!
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       壁にこのようなパネルが3枚あり、このパラッツォの歴史変遷を説明しておりましたが、
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       肝心の真ん中の写真が、なんとPCの不手際で開けなくなり・・! くそめぇ。
       まぁ、資料は他にも見つけましたので、何とか大丈夫。





       最初の東側からの写真で見えた、建物の傷の線ですが、

       こちらがウィキから拝借の、1944年4月7日の爆撃でやられたパラッツォの様子
       はい、ちょうど屋根からズドンとやられたそう。
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       ここは12世紀の終わりに建設され初め、様々な組織の集会所であり、
       近くに監獄も備えたのが完成したのが1268年。

       市民の政治行政の中心であったこの建物の周囲にはたくさんの店も集まり、
       1546年には建物の下、ロッジャの部分だけでも44軒の店があり、
       これらは5年毎に市から賃貸の形で、どんどん増えていったのだそう。

       確かにトゥレヴィーゾの街は12~13世紀に大変な繁栄を遂げたのだそうで、
       13世紀にはグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ(皇帝派)の争いもあり、
       近隣領主エッツェリーニ、コッラルト、ダ・カミーノ、スカリージェリ、の領有もありましたが、

       1339年に自らヴェネツィア共和国の元に下り
       その後一時的にオーストリア、そしてダ・カッラーラの下にあったものの、
      
       1388年以降は1797年まで400年間の平和と繁栄を享受、という街。

       現在も地元経済が大変に元気なのを感じる街の空気です。


       
       で、このパラッツォは16世紀半ばに改装された様子ですが、
       19世紀から20世紀にかけ大きな改修が行われ、

       現在見る東側の大階段も、最初は建物西にあったのが東に移され、
       それも両側から連絡していたのが北側からだけに減らされ、
       建物の西側に残っていた急傾斜の階段も取り外され、
       今見る形に近い形だったそう。

       で爆撃の後、全部を建て直さなければいけないかと心配されたのが、
       なんとか修復できるという見極めで、修復不全の壁は取り壊し、
       幸運にも以前の古い北側部分が残っているのだそう。

       ただ現在見る南と北面の尖がった形は、この時に決められたもので、
       周囲のレース飾り、煉瓦の小さな一連の尖がりも、この時のものと。





       という事で、フレスコ画の様子をどうぞ

       ぐるっと周囲を囲む紋章と、その下の名、年は、14~15世紀にかけての
       ポデスタ・執政長官の名と家紋で、
       一番上の部分にも、様々な物語の主題が描かれているのが見えます。
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       北正面のフレスコ画装飾、まず左脇から
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       正面左
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       正面中央、聖母子の脇にいるのは、左にサン・ピエトロ、
       右の旗を持ったのがサン・リベラーレと。
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       聖母の顔が、ねぇ、残念・・。





       正面右側。  
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       フレスコ画は16世紀後半のものとみられ、
       左側共に円柱の間に描かれた4女性は4つの主要な徳を表しており、
       知恵、勇気、節度、正義なんですって。  ご存知でした?  

       騙し絵的な影が背後に付けられており、くっきり浮き出す形。





       右の壁にあった、これは楽しいラクダの絵!
       壁画を描いた画家の内に、見た者はいなかったのでしょうね、ははは。
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       議会場側から見た南側
       周囲に大きな3連窓がずらっと並んでいるので、大広間も明るい空間。
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       壁と屋根の高さ
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       この広間、議会場と展示場は、
       今年2017年1月から土曜、日曜の14時半から18時まで公開されていて、
       入場料は、通常5エウロ、割引3エウロ、18歳未満とトゥレヴィーゾ市民は無料と。

       我らは祭日、労働者の日に当たり、無料でしたぁ!

       ちょっと及びませんが、
       今年からの公開で、やはりかなりの大広間ですので、
       トゥレヴィーゾに行かれ、お時間が合う方はどうぞご訪問を!





       広間を出て来ての階段の上からの眺め、かなりの高さで、
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       下の広場の女性像が、こんな風に見えます。
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       shinkaiはずっとこの像を、どこかから吹き込まれたまま、へへへ、
       「イタリア像」と思い込んでおりましたが、
      
       今回これは独立広場・ピアッツァ・インディペンデンテにある、
       正式名は「独立の記念塔」なんだそうで! ご容赦を。

       1866年のオーストリアからの独立で戦い亡くなった、
       トゥレヴィーゾの愛国者達に捧げられたものだそうで、
       アスブルグ家の支配の鎖を踏みつけ、右手に槍を、左手に月桂樹の冠を持ち、
       像の高さは槍の先まで3,83mで、全体で7,13mの高さ。
       
       説明にはご丁寧に、イタリア像とよく間違えられるが・・、とありましたぁ。
       へへ、それは私で~す。
       




       階段を下りてきた所で、綺麗な真っ白のワン君と出会い、
       撮らせてもらったのですが、肝心のワンは横向きで、ははは。
       でもこの若者、可愛いでしょう?!
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       シニョーリア広場を囲む商店街
       ここも古い街並みによくある、中世の細高く、奥に長い建物群。
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       駅に向かって歩きながら見つけた、可愛いカフェのモカ
       可愛い新作が出たようで・・!!
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       左のアルピーノのも可愛いですが、緑と赤のはお土産にも良さそうですねぇ!





       ショウ・ウインドウはすでに夏!
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       途中のカフェ・テラスで、一休み
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       こちらは今回トップで見て頂いたシーレ河の、橋の反対側
       白く見えるのは汚れではなく、花びらで~す。
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       駅正面を来た所にある小広場、新緑がとても鮮やか!
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       下の写真の左、彫刻のある後ろがコンティネンタル・ホテル。



       爽やかな日の、楽しく思いがけない事のあったトゥレヴィーゾ行きでした





     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、カステルムーツィオ そろそろと、 トゥレヴィーゾ行きのお昼ご飯 を
       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-05-04 22:39 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 29日

   ・・・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し ・・・

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       先日ヴェネトのブレンタ川・Brenta沿いの写真の欲しいのを思い出し、
       探していて、そういえばこれはまだご案内していなかったっけ、という事で、はい。

       ブレンタ川というのは、アルトアディジェ州のトレント辺りから流れ下り、
       バッサーノ・デル・グラッパからヴェネト州に、
       このヴェネトの平野を流れる頃にはゆっくりと、そしてヴェネツィア湾に注ぎます。

       かってはヴェネツィアからパドヴァ間の連絡船が通っていたというのですが、
       現在は観光客用の船が夏の間運行しており、

       というのも、平野の眺めも美しいのですが、その中に点在する
       ヴェネツィア貴族の館・別荘が色を添え、長閑で大変美しい趣なのです。

       
       今回ご覧頂くのは7年前の、へへ、ちょうど5月のもので、
       あれこれご案内して来たものの落穂ひろいとでも言えますが、ははは、
       美しい川の流れ、周辺のヴィッラの様子をごゆっくりどうぞ!

       トップは釣り人、そしてイタ鴨の家族





       今回の写真は、ほとんどドーロ・Dolo周辺ブレンタ川沿いですが、地図をどうぞ。
       ドーロは赤く囲った位置にあり、西に見えるストゥラ・Straから続く細い水色の線が
       ブレンタ川で、ミーラ・Miraオリアーゴ・Oriagoマルコンテンタ・Malcontentaを通り、
       矢印を付けた先、フジーナ・Fusinaでヴェネツィア湾に注ぎます。
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       パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、
       途中こんな風にレストランで昼食をする場合もあり、船での昼食もあり。
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       ヴェネツィアからのブレンタ川遊覧船の様子はこちらに。 その1と2

       ドーロの骨董市
       http://italiashio.exblog.jp/11176143/  





       川の幅はそう広くはなく、とても穏やか
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       ちょうど長男の家に遊びに行き、一緒にお昼ご飯を食べに出た時に、
       この辺りにはたくさんヴィッラがあるから、とぐるっと一回りしてくれたのですね。
       で、その時に見た4つか5つほどの内から3つご案内を。

       ヴェネト各地に点在するヴィッラの数は一致幾つあるのか! ですが、
       有名なパッラーディオのヴィッラ、またその壮大さで群を抜くと思われるのも
       いくつかあるのですが、

       今回ご覧いただくのは、そんなに有名なものではありませんが、
       
       最初のは、ヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・Villa Ferretti Angeli.
       我々は背後から近づきましたので、こんなトウモロコシ畑も見え、ははは、
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       正面はこういう感じで
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       上部、タンパンの装飾
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       こちらは横に続く倉庫・納屋部で、
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       正面とはこういう感じでつながっており
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       横には、こんな広い庭園が広がります
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       このヴィッラを造ったのは、ヴェネツィア貴族の分枝でヴィチェンツァのフェッレッティ家で、
       その後リゴーニ・Rigoni、アンジェリ・Angeli家を経て、
       19世紀にはモチェニーゴ・Mocenigo家のものに。   
       という事で、正式のヴィッラの名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!
       はい、歴代の持ち主の大きな名前がずらっと並びます。
       
       20世紀初めに戦争の影響で衰退があったものの、その後修復され、
       現在の持ち主はヴェネツィア県なんだそうで、
       どうやらENAIP Venetoという事務所が使っている様子ですが、
       何の関係なのか、はぁ、読んでもさっぱりわかりませんでしたぁ、ははは。
       ・・と笑いでごまかす。





       ぐるっと横から回り込むと、こんな風に先程の倉庫・納屋の壁が見え母屋に続き
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       きちんと正面から撮ると、こんな感じで
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       今回これを書くのに調べていて、なんとこれはヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
       Vincenzo Scamozzi 1596年作 と知りました!

       スカモッツィはヴィチェンツァ生まれ、パッラーディオが手掛け、彼の死で中途になった
       テアトロ・オリンピコ・Teatro Olinpicoなども彼が仕上げたことで有名ですし、

       パッラーディオより40歳若かった彼は、パッラーディオの弟子の様にみなされ、
       偉大な名を遺した先輩パッラーディオの陰に半ば隠れているのですが、
       実際は大変博識な勉強家であり、真のルネッサンスの建築家であったと言われます。
       
       ヴィッラの最初の建築依頼がヴィチェンツァの貴族ですので、
       同じヴィチェンツァ同志という関係もあったのかもですが、
       当時のヴェネト第一級の建築家の彼に依頼というのは、
       やはり裕福な貴族であったのでしょう。





       shinkaiが撮ったのでは、前庭がかなり広いでしょう?
       それがサイトで、ブレンタ川からこんな風に見える写真を見つけ、
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       ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探したほど!
       が、どうやら望遠で撮ったらしい、と気が付き、ほっとした事でしたぁ。





       そして2番目のヴィッラは、やや小ぶりですが、こちら。
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       これを撮るのに、目いっぱいに下がっておりまして、





       屋敷の門はこんな風にブレンタ川に面していて、係留所も。
       ですから、今は門の前を通っている道も、当時は無かったのだろうと・・。
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       門の両脇柱上の立像
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       そして、こちらが脇にあった門の彫像と、ヴィッラの名前。
       はい、ここはヴィッラ・バドエル・ファットレット・Baroer Fattoretto.
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       隙間から覗くお屋敷。 一見手前は小さそうですが、奥は建て増しが見え広そう。
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       このヴィッラは名前にも見えるように、著名なヴェネツィア貴族バドエル家
       14世紀の初めごろからこの一帯に土地を持っており、その管理のための
       田舎風館があったのだろうと考えられますが、
       現在の形になったのは18世紀になってからの事と。

       左に見えるのが多分バルケッセ・barchesseと呼ばれる倉庫・納屋部分で、
       他に管理人の住居もあるそうで、
       1846年バドエル家はここを売り払い、その後数回持ち主が変わり、
      
       第2次大戦中にはドイツ軍の軍病院となり、その後英軍の倉庫となり、
       かなりの変革があった様子で、

       現在の持ち主、1945年にここを買い取ったのが門柱に名前の見えた
       ファットレット・Fattoretto、ワイン醸造業という事で、
       確かにサイトを http://www.fattoretto.com/index.html 見つけました。

       サイトの最初のページに2つ項目が見え、左がワイン醸造、右がヴィッラのページに。
       ワインは特別高級ワインというのではなく、一般向け赤の大衆ワインの様ですが、

       右のヴィッラのページからMUSEO・博物館に行くと、
       このヴィッラにあるこの土地とかっての農民文化、職人道具の大コレクションの
       Villano博物館の様子も見れます。

       
       奥は広大な庭園になっている様で、
       そうそう、持ち主があれこれ変わった内に、1903年に買い取った
       男爵シャンタール・Chantalが掘った池があるそうで、
       というのも、何世紀も前に僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!
       見つかったのかどうかは・・、書いてありませんでしたぁ、ははは。


       サイトによると、ヴィッラとお庭、博物館の見学はガイド付きで
       4月、5月、6月、9月、10月の祭日、15時、16時半、18時に。

       グループ10人以上は、予約すると年間を通してOK、
       そして予約すると、ここのワインとおつまみのサーヴィスも、という事で~す。





       前から見る庭園の奥、 木陰にはあれこれ隠れた像も見え
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       という、ヴィッラ・バドエル・ファットレットでした。





       長閑なブレンタの流れを愉しみ
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       次はこちら、母屋らしき建物と、右にかなり壮大な門があり
       左奥にもあれこれ細々と続いているヴィッラ・ヴェッツィ・Vezzi.
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       こちらが母屋右手前の門と、
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       母屋の入り口部。 
       斜め前からなのは、正面の道からだと木が邪魔でして・・。
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       ですがこれは、上に書きましたヴィッラ・ヴェッツィとはまるで名前、持ち主が違い、
       パラツェット・モリン・ティート・Palazetto Molin Titoと分かりました。

       パラツェットというのは、邸宅をパラッツォと言いますが、
       それよりも小さなという意味で、この辺りは大きなのが並びますので・・!

       1797年にパドヴァの記録にマルコ・モリン・Marco Molinの名で載っており、
       母屋と納屋、教会、建設は1780年から1797年だろうと。
       ここにヴェネツィアのアッカデミアで学んだ画家エットーレ・ティート・Ettore Tito
       借家775リーレで住んだのだそう。
       
              



       長く次々とあるので、shinkaiは別のヴィッラが並んでいるとは思わず
       こちらではどうやら細部を撮るのに興味を持ったようで・・。

       次にあった母屋上部の像と鐘
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       扉と、その上の飾り像
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       煙突もちょっと変わって繊細で、はは、
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       これは礼拝堂上部の飾り、天使像
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       そして、牡丹、かな。
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       で、最初に上のヴィッラの名を間違えてヴェッツィと書きましたが、
       これは礼拝堂の前の説明文にあった名前の中の最初の名を、
       自分の写真のフォルダ名に勝手につけていたのでしたが、
       それをすっかり忘れ、はは、今回サイトでヴィッラの説明を探すのに往生しまして、

       漸く探し当てた正式の名は、ヴィッラ・バッフォ・ヴェッツィ・アヴォガドゥロ・ヴェッルーティ・
       Villa Baffo Vezzi Avogadro Velluti.

       一見、長~く続いていると思った上のパラツェット・モリン・ティートとは
       別物と分かったのが、
       今までご説明してきたヴィッラの殆どが、ドーロのコムーネ内のサンブルソン・Sambruson
       という所にあり、そのサイトからなのでした。

       サンブルソンにある他のたくさんの大小のヴィッラの写真も見れますので、どうぞ

      
       という事で、このヴィッラの名にあるヴェネツィア貴族バッフォが建設したのが1661年、
       そしてやはりヴェネツィア貴族のヴェッツィに1704年に。
       そして1797年にアヴォガドゥロに渡り、最後が現在の持ち主でもあるヴェッルーティに。

       サイトで見つけたヴィッラ全体の写真がこれです
       真ん中に母屋部分があり、左右にバルケッセ・納屋部が広がる形。
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       この一帯のヴィッラをヴェネツィア貴族が持っていたのは、長らく地中海貿易、
       中近東一帯の貿易で栄えたヴェネツィアが、内陸部に土地を持ちはじめ、
       それの管理ももちろんですが、日曜とか夏に出かける別荘でもあったのですね。
       とりわけこのブレンタ一帯はヴェネツィアから近く船で来れますし、便利だったのでしょう。

       ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ のご案内
       




       所で、このヴィッラの事を調べていて見つかった意外な人物!
       はい、最後の所有者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティ・Giovanni Battista Velluti.
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       1780年マルケ州の現在コッリドーニア・Corridonia生まれ、
       1861年このヴィッラで亡くなった、
       最後の偉大なカストラート・去勢ソプラノ歌手、の一人と見なされる人物
   
       本当の姓はStracciavellutiと長く、後半部分を芸名としたもので、
       去勢手術を受けたというよりは、多分医者の間違いの結果だったようで、
       本来は軍人になる筈だったのだそう!

       フォルリで1800年にデヴュー、ローマでも長く活躍し、作曲家のお気に入りにもなり、
       また大変に優れた歌手であったようで、聞きに来る貴族階層やファンへの対応も見事、
       ナポレオンやロッシーニなども通ってきたそうで・・!

       そして、彼の身体条件にも関わらず、たくさんのエロチックな冒険談もあり、ははは、
       1809年にはミラノの貴族階級の女性とのスキャンダルも。
       ええ、この目つき!!

       ババーリア、ウィーン、そしてサン・ピエトロブルゴにも公演に赴き、
       ここではロマノフ家の大公爵夫人の愛人となったと、きゃはぁ、凄い!
       ・・ブログアップした後に、年代から誰だったのかを調べてみよう。

       まるで映画「カストラート」を地で行ったような方ですが、ははは、

       1825年になり、24年ぶりにイギリスに行きロンドンで公演。
       最初はすでに趣向が変わっている聴衆に対立するものの、最後は喝采を。

       登場人物の歴史考察にのっとった衣装にも留意する最初の公演もしますが、
       やはり年齢からくる声量の衰えがあり、観客からの罵声も出るようになり、
       1829年ロンドンから去り、その後はごくまれに歌うようになり、遂には引退。

       そして既に1822年に購入してあったこのヴィッラに引きこもり、
       一緒に購入していた土地で、新しい農業のやり方に興味を持ち、
       少数の友人達やロッシーニとは文通をしていたものの、世間からは引きこもりで、

       1861年に80歳で亡くなった時、知らせを聞いた人々はまだ生きていたのかと驚いたそうで、
       まさに既に遠い過去となった、音楽史上のカストラート歌手存在のシンボルだったのだと。

       カストラート歌手が17~18世紀に持て囃された背後には、
       彼らの声がボーイ・ソプラノのままで、それに男性の胸郭による声量の大きさが加わり、
       女性ソプラノとは違う素晴らしさと、当時の教会内では女性は歌う事が出来なかった
       という理由もあったと言われます。
      
       ちなみに、この場面の中で失神する紳士はヘンデルです。


       いやぁ、こんな人物が出て来るとは思いもかけず、
       ブログをしているお陰でshinkaiは、様々な探検冒険を味わっているようなものでして・・、
       お陰様で、有難うございます! です。





       ブレンタ川は町脇を通り抜け、船の通行には橋が回る場所が何か所かあり
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       いくつもの名も知らないヴィッラが点在しますが、
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       この写真の奥のヴィッラ
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       こちらヴィッラ・フランチェスキ・Francheschiは、現在ホテルになっていて、
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       レストランもあり、結婚式なども出来るという、サイトはこちらに。





       川は何度もあちこちでゆっくりと蛇行しつつ、       
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       これはドーロの東、ミーラ・Miraの市役所だったと思いますが、
       これもかってのヴィッラでしょうね。
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       翌日もブレンタ川に沿って行ききし、ヴィッラの写真を撮っていまして、
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       今回の最後の一枚、ヴェネトのヴィッラの女王と呼ばれ、現在国の博物館
       ブレンタ川の西の端ストラにあるヴィッラ・ピサーニ・Pissani.
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       まさに素晴らしく壮大なヴィッラで、初めてブレンタ川沿いに見た時には本当に、
       わぁ~~お!!という驚きの美しさでした。
       
       2度訪問しているのですが、内部は写真禁止でしたしご案内しておりませんが、
       あれこれ調べ、写真も集められましたら次回にでも、と意欲が湧いてきておりますです。
       はぁい、うまく行きますように!




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、アーゾロの聖母子、そろそろと、 CM の可愛いワンとニャン を
       アップしています。    
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by italiashiho2 | 2017-04-29 23:56 | ・ヴェネト Veneto | Comments(7)
2017年 04月 22日

   ・・・ 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 ・・・

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       1週間前の快晴の午後のひと時、近くのカッペッラ・マッジョーレ・Cappella Maggiore
       の町外れにある「ロンゴバルド教会」の見学会があり、出かけてきました。

       この教会があるのは既に20年ほど前から知っていましたが、
       殆ど放置された状態で閉まっていて内部が見れずで、
       今回参加しているグループの見学があるというので喜んで!

       ロンゴバルド時代の教会というと、この近くではフリウリ州の
       チヴィダーレの教会がとても美しくて有名ですし、期待したのでした。
       




       カッペッラ・マッジョーレの町の中心はこんな感じですが、位置が少し高く、
       ここから更に奥の高台の田舎に至る上り口、という感じの小さな町で、
d0097427_18315129.jpg
       訪問した教会は、左下に伸びる道を行き、坂を下った平野部にあり、





       車で動くようになってからは余り通らない道なので、
       すっかり整備修復されていたのも初めて知り!
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       これはトップで見て頂いた道端の標識を入ってきての、南側からの眺めで、
       教会周囲もきちんと整備され、洗われた壁の白さがとても美しく。
d0097427_18321663.jpg
       扉は正面と脇に2か所、窓も正面扉上に一つ、南側壁に2つ、
       張り出した小さな聖具室部に一つ、そしてこの写真では見えないのですが、
       内陣部の南側に一つありますが、
       建物の東側、北側には一つもありません。





       脇扉の上に TRINO ET UNI と彫り込みが見えますが、三位一体の事で、
       この教会が奉納された正式名「サンティッシマ・トゥリニタ・Santissima Trinità
       を示します。
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       最初に出た「ロンゴバルド教会」の名が一般に知られている名前だと思うのですが、
       その他にも「マッタレッラ教会・Mattarella」とも呼ばれているようで、
       マッタレッラというのは、この土地の古い持ち主の名前から来ているのだそう。





       教会前にあった掲示板の写真で、一番上の平面図に見える
       白い線が現在の教会の形で、緑の線がロンゴバルドの時代にあった小さな教会
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       つまり8世紀から9世紀建設とみられる古い小さな教会を内に含み、
       14~15世紀に大きく拡張されたのが現在の教会、という訳。

       ピンクの線は壁画のある部分で、南に張り出している聖具室部分は17世紀のもので、
       教会上に見える小さな鐘楼もどうやらその時のものの様子。





       皆がぼちぼちと車に分乗して集まって来、神父さんが来られ扉を開けて下さり、
       最初に扉の中に頭を突っ込み覗いたshinkaiが見たのがこれ!
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       もちろん神父さんに「写真を撮っても良いですか?」と尋ね、OKを頂いておりますです。

       正面の「最後の晩餐図」の左脇、上、そして右にも少し見える石の跡
       これがロンゴバルド時代の小さな教会跡の壁なのです。
       きっと高さも低かった事でしょう!





       この壁画は蛮族-ビザンティン様式11世紀のもので、6x3mの大きさというので、
       最初の教会の大きさがそれで分かりますね。
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       銀貨の入った袋を握ったユダはテーブルのこちら側に小さく光輪なしで、
       キリストにべったりと寄りかかる使徒ヨハネ、その肩越しにユダにパンを与えるキリスト。
      
       長いテーブルの上にはワインもパンも、木の実のような小さい丸いもの、
       果物なのかな、細長いものも見えますね。
 
      
       上に「蛮族-ビザンティン様式・barbarico-bizantino」と書きましたが、
       ここで蛮族というのは北から来た民であるロンゴバルド族を指します。
       
       イタリア語では北からの侵入民族をバールバロ・barbaroと言いますが、
       その語源はというと、何をバルバルしゃべっているのか分からない、から来ているという説明が、
       昔大いに勉強になった小学生向け図鑑に書いてあったのを思い出しましたぁ!
       ほら、日本語で、ベラベラしゃべりやがって、というのと同じでしょう、ははは。





       皆が入り込まないうちにと、大急ぎで撮っていきますが、
       上の「最後の晩餐図」以外は、時代が下り15世紀のもので、
       画家の名も判明、というのは、殆ど絵の下に書き入れがあるのです。
       
       隣の「ザクロの聖母子像」 アントネッロ・ダ・セッラヴァッレ作
       近くのヴィットリオ・ヴェネトの画家で、左の聖母子の足元に膝まづくのが寄進者と。
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       いつもこういう訪問の際のガイド役、ソリゴン・Soligonというグループの講師・元学校の先生が到着し、
       皆も席に着き説明が始まると、入り口の扉を閉めたため暗くなり、
       それもあって、今回の写真はイマイチよく見えないのをご容赦願います。       
       フレスコ画自体が損傷したり、傍で見ても細部がはっきり見えないのも多いのですが・・。

       全体の様子と、内陣後陣の全体像
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       「磔刑図」はベルガモ出身のアントニオ・ザーゴ・Antonio Zagoの作で、
       他にもう一人アントニオ・グネール?・Gnerという画家の名も。





       正面脇左下には聖母子像と、上に受胎告知の天使像
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       この聖母子像の顔細部が教会のパンフレットに載っていて、これです。
       達者な筆さばきでしょう?
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       同画面の下部にはこんな風な、右に眠る女性の顔半分と、
       白い犬がいて・・、ちょっと判じ物風。
       講師ソリゴンの説明によると、白い犬は彼女の処女性を示す、というのですが・・。
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       上部「受胎告知」の天使。 横割れの衣装から脚を大胆に見せた天使が
       口に百合の花を咥えて、というちょっと変わった構図でして、はは、
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       左脇、下の絵はかなり薄れていますが、上部の「受胎告知」のマリア側
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       聖母は謙虚に描かれているのですが、ここでも左上の天使の目つきとか、
       聖母の右奥の天使の顔もちょっと変わっており、
       聖母の左の戸棚の中も、いかにも家庭の中の戸棚の静物画の様で、ははは。
       画家の名がはっきりしませんが、面白いセンスを持っていると・・。





       後陣の「磔刑図」上部、キリストの顔ははっきりしませんが、
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       右の男はこんな風に描かれているのを、サイトで見つけました。
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       背景が壁になっている構図も初めて見ましたし、壁の上の三角風の飾り、
       これはヴェネツィアの大運河、リアルト橋横の新装なった元のドイツ商館の屋根飾りと同じ。 





       左下には心痛で気を失いかける聖母が抱えられており、  
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       右下のこの人物たち、これが良く分かりません。
       お分かりの方、お教えください! 
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       「磔刑図」を見ていて、中央のキリストは槍で心臓を突かれ、手足も釘付けですが、
       左右の二人は腕を横木に縛られ、脚も縛られた状態で、脚に傷を受けています。

       今までこんな風に描き分けられたのを見た記憶がなく、
       この違いは何を意味するのかと、改めて「磔刑」についてちょっと読んでみました。   
       知ったのは、

       磔刑はバビロニア期から行われていた極刑で、
       ローマ期においてローマ市民に適用されたことはなく、
       奴隷や破壊活動者、外国人に対してのみ適用され、
       磔刑の前に行われる鞭打ち、これがまさに酷い拷問であった様子。

       常に十字の形でなく、一本の木でも、逆さまVでも行われたようで、
       十字の場合、縦の木はすでに建てられており、横木を受刑者が運ばされたのだそう。

       脚に見える傷については、いつも、こん棒か槌で折られたのだそうで、
       つまり磔刑の目的は、長いゆっくりの死の苦しみの後に、貧血、肋骨の圧縮による窒息、
       または心臓の血液循環の滞り、虚脱による死、なのだそう。 恐ろしい事!!

       キケロは磔刑について、一番残酷な体刑であり、一番陰鬱なもの、と。
       




       内陣の天井図
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       内陣、北側の壁、上部。 これはアントニオ・ザーゴ作。
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       アーチ部の飾り画
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       というような、ロンゴバルド教会の、どこかちょっと違った教会なのかと出かけたのですが、
       教会自体は後の時代に改装されたもので、内部のフレスコ画も後世のものでした。
   
       が、一風変わったフレスコ画で、修復されて見やすくなっており、
       色も鮮やかで素朴で、なかなか良いと満足でした。

       1936年にこの一帯に地震があり、今残っているフレスコ画はこの地震で
       助かったものだそうで、案外教会全部がフレスコ画で埋まっていたのかも、ですね。

       神父さんが仰ったのは、ここは博物館ではなく、毎週金曜日には
       ミサが行われる教会ですので、お出かけください、との事でした。



       
       所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
       そうです、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、
       解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


       この一帯の地図をどうぞ
       薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
       見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、
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       北東にサルメデ・Sarmede 毎年国際絵本原画の展覧会のある場所 
       北西にヴィットリオ・ヴェネト  http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
       南に我が村スコミーゴ 星のついている所に我が家   http://italiashio.exblog.jp/i12/
       そしてオリアーノ・Ogliano  http://italiashio.exblog.jp/23811624/
       一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ   http://italiashio.exblog.jp/9036585/






       オリアーノの教会前から撮ったカステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼
       小高い丘の上に、こんなぐうに張り出した形であり、       
       ここからだと、例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。
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       カステッロ・ローガンツゥオーロの教会前の庭から見る、
       こちらがオリアーノの教会と丘
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       午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





       高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
       新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります
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       で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
       ティツィアーノの家が見当たらず・・!

       で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
       おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

       北向きの、この風景の、右の大きな一群の建物
d0097427_18360009.jpg



       
       これですね、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが
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       その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
       ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!

       つまり、手前の長い屋根の奥に見える茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのが
       ティツィアーノの家なんだそう!
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       いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係の組合とかなんとかの
       建物なんだそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





       たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場で見かけましたが、
       それの片づけでまだ教会が開いており、
       我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

       幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
       例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
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       左に見える礼拝堂の絵が見える部分にティツィアーノの祭壇画が。





       これです。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある修復画ではなく
       この近くの画家が描いた修復画を基にしたコピーで、
       額はこれがオリジナルなんだそう。
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       サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元
       肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。
d0097427_18364151.jpg




       右のサン・パオロ像の方は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
       写真では見えたのですが、こうしてみると、
       ティツィアーノが男を描くときの鋭さは見えず・・!
d0097427_18364966.jpg
      
       丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
       聖パオロが剣を持った姿で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭い方で、
       言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





       こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
       これもティツィアーノの作とは見えませんが、質問するのを忘れまして・・、
d0097427_18365696.jpg




       これが上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
       復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。
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       この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで読んでおりましたので、
       ああ、これの事かと納得でした。


       ティツィアーノに払ったのは、リンクした記事に書いた契約の物品だけでなく、
       ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

       ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、巻いて天井裏に隠した
       当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、イタリアにある、とだけを答え、
       オーストリアの軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、ないのでまた戻り、
       司祭さんは監獄に入れられたとか、


       そんなにまでして描いてもらった、守った絵が修復しても元に戻らずの状態で、
 
       その間に祭壇のフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も綺麗に
       修復されたりで、

       結局、このフレスコ画の方が良い、という事になって、
       ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
       ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっているのだそう、
       という始末記でしたぁ!





       こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子
       右下に教会があり、左上にティツィアーノの家のヴィッラ・ファブリスがあり、
d0097427_18371829.jpg
       
       そうですね、確かに教会からだと前をふさぐ形に、大きな建物があることに!

       シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで勝手に近寄れず、
       shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

       リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、何十年も前のもの!
       という事になります、という始末記でした。





       教会前からの長閑で美しい風景をもう一度
d0097427_18372694.jpg
       ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ
       残された絵も今はこんな状態で、
       家も奥に見える大屋根の上に半分だけ見える、
       という・・、歴史の変遷のお話でした

       



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログは、今週はパスさせて頂きま~す!

       復活祭関連で、お出かけ2回、食事会2回、車の検査と続き、
       本当に久しぶりに絵を描く時間が取れませんでした。
       
       まぁ、たまの息抜き、という事で、明日からまた頑張りま~す。

       絵のブログはこちら



     ◆ お詫びを ◆

       19日にアップしました記事のスタイルが、文字がずっと横長になるという
       見にくい形となり、一旦削除しアップしなおしましたが、
       それでも文字もいつもと形も大きさも違い、
       編集しなおしたものの、てんでんばらばらの見っともない面となりました。

       それまでにも2度エキサイトにヘルプ・メールを入れましたが、
       返事がなく、昨夜再度メールを送りましたが、まだ何も・・!

       気になり今朝方早く起き出して来まして、
       ひょっとしてと気が付いた事を実行し、
       前の記事を削除し、再度アップし直しました。

       何とかうまく行きそうですが、この方法だと頂いたコメントと、
       「いいね」が消えてしまいますが、
       どうぞ、ご了承下さるよう、お願いいたします!!
       



     *****        
       
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by italiashiho2 | 2017-04-22 12:31 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 04月 14日

   ・・・ サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo (追記)・・・

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       トスカーナはオルチャの谷の西の山の上にあるモンタルチーノの町。
       そこから南に9kmほどにあるサンタンティモ修道院

       9年前に訪問した時は修復の最中で、入り口脇、そしてとりわけ後陣部分が
       覆われていて見ることが出来なかったのですが、
       3年前の春に再訪した時は修復後で、じっくりと見ることが出来ました。

       今回はたくさん撮っていた写真を漸くに整理しましたので、
       そのせいもあってか、へへ、写真が多いですが、どうぞ細部をご覧下さいね。

       
       トップはモンタルチーノの町から朝早く出かけ、遠くの道から修道院が見えてきた所




       隣接するカステルヌオーヴォ・デッラバーテ・Castelnuovo dell'Abateの村
d0097427_01310191.jpg
       この村もサイトで見てなかなか良い趣の村で、見たいと思い寄ったのですが、
       村の下には駐車場があったものの、うっかり車で入り込み、何せ村の中も坂道で・・、
       全然駐車できる隙間がなく! 漸くにターンして村の下に戻り駐車。
       そしてそのまま修道院の方に歩いたもので、そして戻りには忘れており、へへへ、 
       通り過ぎただけ!という・・、に過ぎましたぁ。





       地図をどうぞ
       モンタルチーノ・Montalcinoの町から南に9kmほどで、
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       以前調べたときはカステルヌオーヴォ・デッラバーテまでバスの便があるように
       見つけたのでしたが、今回はまるで時刻表が見つからず!!
       行ったご覧になりたい方、どうぞ改めてお調べ願います!

       オルチャの谷の町ご案内、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia
       ピエンツァ・Pienza





       駐車場から舗装された道が遠回りに修道院を見る位置についており、
       徐々に近づく様子を眺め楽しみながら、歩きます
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       この道は以前は舗装されていなかったですし、道脇に駐車スペースが並んでいるので、
       多分観光客がかなり多いのではないかと・・!

       創設の由来、歴史の中の変遷などの詳細もどうぞ





       shinkaiが行ったのは5月7日、朝の8時半頃ですから、まだ一人も見かけず、
       ただまだうす曇りの空で、それが少し残念でしたが、

       脇を通って、入り口前に来た所
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       入口上部と、上部の2つ窓にはすでに鳩のカップル! 
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       入口向かって左脇、円柱状の動物。 先回は覆いが被って良く見えずでした。
       犬ではないと思うのですが、何の動物でしょうか?
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       そしてまた今回も、向かって右脇の円柱上も見ていないのです!! あほ!
       サイトで見つけた写真には鳥のようなものが見えており・・。





       入口のごつい石組の張り出し部
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       扉上、まぐさ石の彫り模様と、
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       右側の飾り
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       脇にこんな表示がおいてあり、
         教会は終日開いています
         教会すべての訪問は下の時間帯に、と。
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       となると、内部は写真禁止だし、祈りを捧げるわけでもないので・・、と
       ついつい大人しいshinkaiは入るのを躊躇い、表からこの1枚のみ!       
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       という事で、内部の写真はサイトで見つけたものを何枚かを。
       光の入りようが大変美しい内部ですので、まず白黒写真2枚を
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       側廊上部はかっての婦人参拝客用で、matroneo・マトゥロネーオと言いますが、
       そこからの内陣、後陣部分。
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       最初に建設されたのは8世紀頃とみられますが、12世紀に繁栄期を迎え、
       以前の小さな教会の周囲に一回り大きな教会が造られ
       その差が、珍しい内陣をめぐる通路に利用されているのも良く分かります。

     ◆ 追記を ◆

       上記した「以前の小さな教会の周囲に・・」という言葉ですが、
       捕捉しますと、第1期には最初の礼拝堂、現在の祭壇部分にあったとみられ、
       第2期 現在の教会の外側にある、見える、古い後陣部分のカロリンガの教会9世期+最初の礼拝堂
       第3期 1,000年頃に建設されたと思われる現在よりも一回り小さく短い教会+カロリンガの教会+鐘楼
       第4期 現在の大きさ

       という変遷があったとみられ、私は第2期と第3期の違いを書いておりませんでしたが、

       のす爺ぃ様よりコメントを頂き、再読し、自分でもいささか混同していた事に気が付き、
       ここに追記いたします。





       内陣、木製の十字架上のキリスト像のお顔
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       素晴らしい円柱上の柱頭飾り。 
       これはライオンに囲まれる預言者ダニエル。
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       他の柱頭飾り
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       クリプタ・地下礼拝堂の様子
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       灯の灯った祭壇部。 
       斜めに射し込む光も美しいですが、灯の灯った様子もさぞ・・!
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       脇廊上部のマトゥロネーオからの写真といい、サイトではかなり内部の写真が見つかったので、
       確か写真禁止だったはず、と www.abbazia.com を見ましたら、
       写真は撮れるけれども、ミサの時はノー、とありました。 ん、もう!

       入口右脇の円柱上もですが、マトゥロネーオからの様子は見たいもの!!です。
       カステルヌオーヴォ・デッラバーテの村も見残しだし・・、
       またのチャンスがありますように!
    




       中庭を挟んで見える奥の建物、修道僧たちの居住区と
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       中庭の整理もされ、花も咲いていますが、
       以前はなかった柵が教会の横に出来ており、入れません!





       教会から続く建物部分。 多分ここは教会建て増し以前からのもので、
       石も様々な色、形であるのが良く分かります。
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       北の脇壁の様子
       多分古い教会建設の石が側廊上部に使われたのではないかと。
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       この修道院の建設に使われている石は、近くのカステルヌオーヴォ・デッラバーテからの
       石で、これは石灰華の層にアラバスター・雪花石膏の層が石目、縞目に入る石
       なんだそうで、艶があり、周囲の色や季節によりその色が反映し、変化するのだそう。
       確かに、アップで撮っている写真で見ると、半透明感の像などもあり、

       光の強い夏の写真や、朝の曇った光により、
       ずいぶんと色が違って写っている理由も納得したことでした。





       入口側から北脇に回ってすぐの壁で、左上のはローマ期のもののリサイクル!
       コルヌコピア・豊穣の角笛を抱えたもので、近くのローマ期のヴィッラのものだろうと。
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       内庭に面した教会脇扉には、素晴らしいロンゴバルドの彫りの施された扉飾りが
       あるようなのですが、今回も見られずで、

       こちら側のは片面の柱と、扉上部の飾りのみ。
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       右側の下部分
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       上部、まぐさ石の装飾。 右端に、飾りをかぷっと咥える動物がいて・・!
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       鐘楼。 かって鐘楼は教会と離れていたというのですが、
       増設され、現在は教会本体に食い込んだ形に。
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       鐘楼と教会の壁の角にいる動物、牛かな?
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       1階部分は窓なし、2階と3階には窓が一つ、が3階の方が大きく
       そして4階の窓は2つ窓。 これは重量を減らす意味もあったそう。
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       鐘楼のアーチ部から見つめる動物
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       鐘楼の角から後陣部に
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       鐘楼の東向きの壁には碑がはめ込まれているのでご注目を。




       上部には、この稚拙な聖母子像と天使、左側には動物が上下に2頭
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       左には翼と角を持った動物、しっぽの先が2つに分かれ・・!
       右の壁に見えるのは、頭が欠けたライオン像。
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       鐘楼と後陣の境にいるライオン像と。 頭部が欠け残念ですが、
       見事なたてがみを持ち、ごつい手!!
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       後陣の外に張り出す礼拝堂部分。 内部には祭壇がある小礼拝堂は
       後陣から3つ張り出し、屋根の下の庇支えの動物と柄がそれぞれ見事!
       
       最初の張り出し部の右から左へ
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       後陣の窓、隙間に咲く花。 サルビア種かな?
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       と書いていましたら、友人からメールを頂き、
       金魚草か、あるいはペチュニアではないのかとの事で、
       う~ん、そういえば金魚草かなぁ?

       どなたかご存知の方、お教えくださ~い!





       後ろから見る姿、鐘楼と内陣の高い部分と後陣
       そして左に、古い教会の名残部分
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       ここは以前まるで見られなかった古い時代の教会部分ですが、
       ここにも礼拝堂の張り出しがあった様子で、
       古い石組がなんとも良い趣!
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       庇の下にも、稚拙ながら何かの柄があったのが見て取れますね。

     ◆ 追記 ◆

       この小さな古い後陣部分が9世紀頃のカロリンガ期の教会部分
       ある事を追記いたします。
    
       つまり最初の原始的な礼拝堂(含むクリプタ)よりも少し離れて造られ、
       後の11世紀、12世紀の拡張においても残った部分。





       これは後陣の真ん中と左の、礼拝堂の張り出し部分の庇の下の柄
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       この長~い舌を出したあっかんべーが2か所にあり、これが大好き!!
       動物がいると、いかにも中世!という趣になり、
       それがまた怪奇な動物であるほど、痺れます、ははは。





       後陣上部の窓。 ここから、あのなんとも印象的な光が入るのですね。
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       南側からの眺めと
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       鐘楼上部に見えた、鐘2つ!
       これを見るまでは、鐘楼には鐘がないのかと思っておりましたが、あったぁ~!
       これも、アーケード式鐘楼というのでしょうか?
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       東にかけて広がる眺め。 上の写真の右中に見える道を辿って来たのでした。
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       赤いヒナゲシもいくつか咲いていたのですが、金網があって。
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       突如と響く大型バイクの爆音! 
       こういうのはまるでこの場所に似合わないと思うのですが、
       しばらく後、立ち去って行きました、やれやれ。
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       道脇の花を眺めながら
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       漸くに射してきた陽に映える修道院を眺めながら、shinkaiは戻ります。       
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     *****

       あれこれモンタルチーノからのバス便を調べましたが、やはり見つかりません。

       ですが、シエナからの半日ツァー、モンタルチーノの町とサンタンティモ修道院訪問
       ワインの試飲込みで38エウロ というのが見つかりました。
       イタリア語のみのサイトですが、お試しになりたい方こちらから。
       


       と、今まで修道院に住み祈りの生活と共に管理人でもあったフランス人修道僧たちが
       36年間の共同生活体の後、南フランスはアヴィニョンの近くの修道院に戻る、
       という2015年のニュースを、バス便を探していて見つけました。

       詳しくは原因が出てきませんが、どうやらイタリアの文化財保護管理事務所との関係、
       フランス側の母体派の問題もあるようで、2015年11月に立ち去り・・

       というのでその後の経過を探しましたら、

       その後はモンテ・オリヴェート・マッジョーレのベネデッティーノ派修道院
       引き継ぐ事になり、2016年の1月から2人の僧侶が移殖することになったと。

       我ら凡人から見ると、平穏な祈りの生活に明け暮れているように思われる
       修道院生活、僧侶たちの日常ですが、
       今回はこんなニュースを見つけフ~ムと思い、
       まぁ、後継ぎが見つかって良かった、と思った事でした。

       という事で、これから行かれても大丈夫、
       サンタンティモ修道院は、12世紀間の歴史を紡ぎ続けている事でしょう




     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、花のカステルッチョ 途中経過と、 スコミーゴ村の花 を
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    




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by italiashiho2 | 2017-04-14 23:31 | ・トスカーナ Toscana | Comments(24)
2017年 04月 04日

   ・・・ ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 (追記)・・・

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       ここの所春めいた陽射しの日が続いているこちら北イタリア、ヴェネトです。

       日曜にヴェネツィア・メストレに出かけるので、家に戻る前ついでに
       以前から気にかかっていた「ティツィアーノの家」、
       近くのコッレ・ウンベルト辺りにあるらしい家を探してみようと思いつき、
       土曜の夜調べましたら、何と近い! では!! と寄り道し見つけました。

       今回はそのご報告と、ヴェネトの春の野ののどけさを!

   
       上は日曜の朝歩いた時に見た満開の八重桜と、藤の咲きかけ
       陽が昇った後じきの色です。





       さて、「ティツィアーノの家」と呼ばれるものですが、ウィキのイタリア版で
       見る写真はこれで、赤い矢印がついている家。
       背後の山並みから見て、これは南側から撮ったもの。
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       「ティツィアーノ・Tiziano」という名前だけで通じる16世紀のイタリアの大画家、

       学び、工房と家を持っていたヴェネツィアが彼の本拠地だったわけですが、
       ここ、ちょうどヴェネツィアとカドーレの中間に当たるカステッロ・ローガンツゥオーロ
       Castello Roganzuoloにも家を持ち
       旅の行き戻りに寄り、気候温暖なこの地で保養していた、というのですね。

       がその後に知った事は、この家はカステッロ・ローガンツゥオーロの教会の祭壇画を描き
       その支払の一部として受け取った、というので、
       支払いの一部?! 家を?!と驚き、尚の事、どこにあるのか興味を持っていたのでした。





       家は、現在の持ち主から「ヴィッラ・ファブリス・Villa Fabris」と呼ばれており、
       グーグル地図で検索しましたら、何の事はない、簡単に即見つかりまして、       
       我が家(Casa)から車で8分! 歩いても行ける位置!
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       地図の右下、カステッロ・ローガンツゥオーロと赤線で囲った上に打った赤点
       ここにティツィアーノが祭壇画を描いたという教会


       コッレ・ウンベルトへの道を途中で曲がって、それから・・、と頭に入れ、
       木々や丘で隠れていないと良いけれど・・と願いつつ、出かけました。





       心配することは何もなく、田舎道をゆるゆると進むうち
       進行方向右の丘の上に、あっ、あれだ!と見つかり、
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       間の木々が邪魔ですが、今はまだ殆ど枯れ木ですので、良く見えます。





       同じ丘の上に並ぶ大きな農家もこんなふうに見え、
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       周囲は春爛漫という感じで、花が咲き乱れ
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       道を挟んでの向こう側の葡萄畑の畝の間は、タンポポが満開!
       まさに春は黄色から!  
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       立木の上に見える泥棒カササギの巣。 
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       立木越しの姿以外には近寄る方法は無さそう、また出直してもよいかと
       車に戻り、ほんの100~150m程行った所にちょうどこのスペースが有り、
       そこから奥、畑の脇を通れそうな感じ・・! 
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       立っていた表示によると、この辺りはハイキングコースとしても利用され、
       11km~12kmのコースでの水車があるとか、有名なヴィッラがあるとかが
       示されていて、   
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       立木の隙間から見る、辿ってきた道。 のどかな風景でしょう?!
       右奥の大きな農家も、窓の作りなどから見て、古いかなりの農家。
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       ちょうど道のカーヴの所に白い標識が見えますね。
       あそこまでがコッレ・ウンベルトになり、今このshinkaiのいる場所はカステッロ・ローガンツゥオーロ。
       そして車を止めた道脇のすぐ先10mほどには、サン・フィオール・San Fiorと
       お隣のコムーネの標識が見えましたから、
       
       このティツィアーノの家のある丘 コル・ディ・マンツァ・Col di Manzaは、
       コッレ・ウンベルトとサン・フィオールの隙間に細長く飛び出している位置なのですね。





       道の左側にも、古い農家が細長く続くのが見え、
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       しめしめ、ここからだとよく見える、と目指すヴィッラを目指し進みます。
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       同じ丘の並びの大きな農家もこの位置で見え
       傾斜地には葡萄畑と、手前は麦畑。  
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       かなり歩いて、建物全部が見える奥まで入り込み
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       左の大きなのが、きっと最初に建てられたティツィアーノの家・ヴィッラで、
       右に続くのは後からの建て増し部分かも。
       一番右に離れて見えるのが、家の礼拝堂部分だそう。
       持ち主が変わり、内部も少し改装されているそう。 

       どの窓も皆閉じられていて、右に見える入り口の張り出し屋根の上に一つだけ
       明り取りに細く開けられた鎧戸が見えるのみで、

       こういう感じではいくら厚かましくとも、丘を上る気にはなれませんね。
       まして、公開されているヴィッラではありませんので・・。    
    
       まぁ、長年気にかかっていたティツィアーノの家が見つかった、というので納得



       上記した教会の祭壇画の支払いの一部としてこの家を、という事については、
       近年研究が進んで分った事だそうで、詳細が見つかりましたので、ご説明を。

       ティツィアーノの画料は大変高かった、というのはあちこちから知っておりましたが、
       このカステッロ・ローガンツゥオーロの教会から依頼された
       祭壇画の画料は200ドゥカート

       これが現在においてどの程度の価値になるのか、ご存知の方ぜひお教えくださいませ!!
       あれこれ探しては見ましたが分らずで、
       他の絵の画料についてでも宜しいので、教えていただけると有難いです!

     ◆ 追記 ◆

       シニョレッリさんがコメントで教えて下さいました。
       1ドゥカートは約10万円と考えてよかろう、との事ですので、
       200ドゥカートだと、約2千万円ほどですか。      
       なるほど、これだと「ヴィッラと土地」+アルファ、が成り立ちますね。
       シニョレッリさん、有難うございました!

     *****

       祭壇画は1543年に注文され、6年後の1549年に納入されたのですが、
       これはティツィアーノが64歳の時で、数々の名作ですでにイタリアのみならず
       国際的にも名を成した画家が、
       ちょうどこの1543年に、この一帯から2枚の注文を受けていまして、


       カステッロ・ローガンツゥオーロよりも遅く1552,3年に納入された、
       ヴィットリオ・ヴェネトの北側セッラヴァッレ・Serravalleのドゥオーモの大祭壇画 
       456x270cm、こちらです。
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       ティツィアーノがこれら2件の絵画注文を受けた理由として、3点考えられるそうで、

       セッラヴァッレのサルチネッリ家、コネリアーノにもサルチネッリ家の邸宅があり、
       現在は市の絵画展の催しに使われている邸宅で、お金持ちの一族。
       
       で、このセッラヴァッレのサルチネッリ家・Sarcinelliに、
       ティツィアーノの愛娘ラヴィーニア・Laviniaが嫁いでおり、
       ここカステッロ・ローガンツゥオーロからだとほんの数キロの距離で、
       会いに行けるという理由、

       そしてヴェネツィアと生地カドーレとのちょうど中間地点、気候温暖
       風光明媚のこの地に家を持ち、ここを基地にしようとした、という理由。

       基地というのは、画家ティツィアーノはここで保養しながら、

       その片割れの実業家ティツィアーノ、また彼の一族ヴェチェッリオの事業の
       中心管理事務所としての基地なのですね。

       すでに生地ピエーヴェ・ディ・カドーレから南に下ってきた所に一族が持つ製材所が2軒
       ここでの木材をヴェネツィアに運び販売するための管理。

       そしてこのカステル・ローガンツォーロの農製品、穀類、ワインの自家消費以外を
       ヴェネツィアで販売する事、などなど。



       どうやら最初の契約では祭壇画の画料として、土地と家を、という事の様だったのですが、
       かなり大雑把だったのを、ティツィアーノにうまくやられたのではないかと・・!

       1554年8月に祭壇画が納入された後、9月にも分割金を受け取っておらず、
       1556年になって教会の管理者との支払いについての話し合いが漸くにつき、
       今後8年間に渡って支払う事、という物品明細があり、

       ・1スターロ・staro値8リーレの、穀物を5スターロ    =416,585リットル
       ・1コンツゥオーリ.conzuoli値55リーレの、ワインを16コンツゥオーリ   =1248リットル
       ・建築のための資材をフレゴーナ・近くの石材のある場所から運ぶのに
        工人一日の賃金を4ソルドとして、各人に支払う事
       
       とあり、最後にティツィアーノへの支払額が26リーレ不足となり、支払われたと・・!!


       上記したスターロ、コンツゥオーロというのはいずれも計量の分量基準で、
       ローマ期からのものだそうですが、
       スターロは町によって基準がどんどん変わり、ヴェネツィアでは83,317リットル、
       コンツゥオーロは約78リットルだそうで、 

       shinkaiめが計算機をたたいて出た数字が、上の=で、これを8年分です!!

       8年間というのは、ヴィッラ建設を8年間で、という事からの様ですが、

       それにしても、本当に、計算に強い!という気がしません?!
       まさに偉大な画家でもありますが、頭の働きは実業家なのですね。

       こうして彼はこの後24年間を安楽に生き、86歳で亡くなります。
       
       



       丘の上のに広がる林、そして空と雲
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       大快晴の日のちょうどお昼時、逆光でコンパクト・カメラのディスプレイでは 
       何がどれくらい写っているのかも確認できないほど・・!

       う~ん、この雲はティツィアーノというよりは、ゴッホだなぁと、ははは。





       畑の右向こう、葡萄畑越しに遥かに見えるオリアーノ村の教会と鐘楼
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       その右の奥には、はるかフォルメニーガの教会も。
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       さて戻ろうかと振り返る畑の脇道、と言っても麦が植わっていない、という事でして・・!
       立木にも新緑の芽吹きの色が見え。
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       来る時は殆どヴィッラばかりを眺めて入り込んで来たのですが、
       戻りは足元も見つつで、

       たくさん土筆もあるのに気が付き! 日本のよりもずっと大きいのですよ
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       後ろに濃いめの色で見えるのは、立木の向こうの溝で、湧き水が流れているのですね。
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       これはなんという花でしたっけ?
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       葡萄畑の畝の先頭に、勢い良く新芽が伸びる薔薇の株
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       葡萄畑の薔薇の木は、何も美的要素のためではありませんで、
       葡萄の木とよく性質が似ているので、葡萄の病気の早期発見に役立つのだそう。





       可愛い新芽が出てきていて
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       葡萄の新芽を見ると、こちらも何となしに微笑みそうな可愛さ!





       辿ってきた道をもう一度
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       そして、タンポポの黄色、木々の新芽の色
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       道がどこに出るのか分かっているのでそのまま進み、

       道幅が広くなった所で見つけたこの古い家
       奥には大きな新しい家が2棟あるのですが、これは前庭に。
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       下の写真が入口側で、
       




       脇には、藤が咲きかけ
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       そしてこの道の名は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ通り
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       気候温暖なこの一帯、道脇にはオリーヴの畑
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       スコミーゴ村の上り坂の前まで戻ってきて、
       満開の白い花と、広がる葡萄畑
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       家に戻ってきて後、ヴィッラ・ファブリスへの接近方法を再検討、はは。
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       グーグルの衛星写真で、shinkaiが近づいた北東側は、ここでは家の裏側、
       やはり表側、南側には車寄せの前庭もあり、
       左に伸びる並木道が、一般道からヴィッラへの長い並木道で、
       他にはヴィッラへの接続道はないので、やはり近寄るのはちょっとなぁ、との結論。





       所で、肝心のティツィアーノが描いた祭壇画ですが、これです。
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       最初見た時、えっ、何、これ?! と驚いたのですが、
       理由を知り、納得もいきましたので、ご説明を。

       聖母子と、左にサン・ピエトロ、右にサン・パオロ
       画布の大きさは、両聖人が190x57,190x70cm、聖母子が240x80cm。

       祭壇画は注文を受けた6年後の1543年に納められた後ずっと教会にあった訳ですが、

       サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会と知り、教会は知っているけど絵は見てないよね、と
       少し泡を喰って以前の教会内のブログ記事を見直したほどですが、ははは。

       第一次大戦の勃発で、当時の教会の司祭殿がオーストリア軍に奪われては大変と、
       画布を教会の天井の下に隠したのだそう。

       司祭は尋問を受け逮捕もされたのだそうですが、隠し場所は発見されず、無事!

       そして戦争が終わり、無事だった絵も天井下から運び出されたのですが、
       なんと湿気のため、絵の具も剥げ落ちた酷い状態になっており、
       修復しても取り戻せないほどの落剝ぶり!!

       で現在は教会にはなく、ヴィットリオ・ヴェネトのディオチェザーノ聖美術博物館に

       何とかオーストリア軍の没収を逃れようと隠したものの、
       こういう結末になるとは!!

       本当に残念ながら、ティツィアーノらしい切れ味がまるで見られず、
       ぬるっとした肌合いの、そこらの地方画家の絵の出来具合の様で、本当に残念!
       最初はヴィットリオ・ヴェネト(チェーネダ)に見に行こうと思ったのでしたが、
       これでは見に行くほどの魅力を感じませんで・・、失礼。
       
       あれほどの高価な祭壇画でしたのに、勿体無いというか、逆に可笑しくもあり・・!
       兵どもが夢のあと、という言葉も思い出されたりして・・。




       ということで気分を変え、
       最後はお口直しに、イタリアの白い桜をどうぞ!
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by italiashiho2 | 2017-04-04 23:22 | ・ヴェネト Veneto | Comments(6)
2017年 03月 30日

   ・・・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ ・・・

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       先回に続き、「印象派絵画展」を見に出かけたトゥレヴィーゾ・チェントロの、
       運河沿いに見かけた春の様子を見てやって下さいね。

       
       上の写真は、博物館から出てきてすぐの、わき道に見えた建物の壁画

       我が町コネリアーノも古い中心部はそうなのですが、トゥレヴィーゾもこの一帯の
       古い建物には大概壁画、フレスコ画装飾が残っており
       見てあれこれ想像するのが楽しいのです。





       そろそろお昼時に差し掛かる時間ですので、どこからともなく美味しい匂いが漂い、
       気持ちがそぞろになりますが、ははは、

       運河沿いに見えたお店の中の電球
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       運河沿いに沿って角を曲がり、見えるかっての水車
       ここのはかなり古い様ですが、今は動いていなかったと・・。
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       同じカニャン・Cagnan運河の奥には、まだせっせと動く水車あり





       水車の脇を抜けると中の島があり、運河はその両脇を
       かなりの水量で流れていますが、鴨たちがたくさん
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       中ノ島には常設屋台市があり、
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       もと元は魚売り場だったのですけど
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       今回見たチーズ売り場、2軒! 
       かなり強い匂いのする、美味しそうなのがありましたっけ・・。
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       ふと屋台の後ろを見ましたら、鴨たちがたむろしていて、
       しかもメス1羽に、オス5羽!! ははは。 
       こういうのも、ハーレムというのだろうか?!
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       運河沿いの向こう岸、ここもフレスコ画が残る建物ですが、
       新しくバールが店開きしたみたいで、良い感じの眺め。
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       中ノ島一帯に、明らかに観光客団体と思われるグループが何組もおり、
       印象派絵画展を見つつのトゥレヴィーゾ観光なんでしょうね。

       ええ、我々もフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見にボローニャに、
       「メッシーナ展」を見にロベレートに行ったりするのですものね。
       トゥレヴィーゾの中心も、見どころの多い場所なんで~す!

       以前の街のご案内はこちらから

       ちょっと興味深い、こちらもどうぞ

       




       野菜市もたつ狭い通りを横切り、も一度運河沿いに
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       初めてこの辺りに来た大昔、ははは、当時はこの右側の古い建物にも住人がおり
       窓辺や運河に張り出すテラスにも鉢植えの植物が見られましたが、
       ついに閉じられたようで・・。





       薄日が差し、淡い新緑の柳が揺れ・・
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       運河を渡る橋と
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       運河脇の建物に残るフレスコ画。 
       かってはきっと華やかな眺めの街だったでしょうねぇ!
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       橋の上を行きかう人々。 
       土曜日とあって家族連れ、そして買い物帰りの人々。
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       運河脇のインテリア店、ショウ・ウインドウの中
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       建物の間をぬい、道を抜け、もう一本流れる
       ボッテニーガ・Botteniga運河沿いに
       ここも柳の新緑が目に沁みます。
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       ほのかなピンク色が満開!
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       こちらの河岸にも鴨たち
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       オオバンがひょいっとお尻を持ち上げ、飛び込むのを撮ろうと思うのですがぁ、
       う~ん、コンパクト・カメラはシャッターが切れるのが遅くてねぇ・・。
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       この眺めを見るたび、いつか描くぞぉ!と思いつつ、ははは。
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       細い運河越しのこのお家、かって詩人が住んでいた、との事。
       そう、如何にもそんな感じを受けるお家なのです。
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       途中に架かる橋の上からの、逆向きの眺め
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       運河沿いの家の、上階のバルコニー
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       通りに出てきて、この建物も古いのですよねぇ。
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       建物の下をくぐり、流れていく運河
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       道はサン・ヴィトー広場に出て、何軒かの店が出ており、

       花屋さんの鮮やかな春の色!
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       斜めに横切り、トゥレヴィーゾの街の中心シニョーリ広場に。
       
       街の中心部は一般車は進入禁止ですし、ましてや土曜のお昼とあって、
       ゆっくりと行きかう人々で溢れていましたが、
       
       ここにはすでにお昼のテーブルが準備万端!
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       我らは、いやshinkaiはそれを睨みつつ、駅に戻ります。
       振り返るシニョーリ広場の建物と塔
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       う~ん、友人のジュリアーナと出かけるのは良い、楽しいのですが、
       彼女は写真を撮るのにも、食べるのにも余り関心がなく、・・それがどうもねぇ!
       という事で、結局この日のお昼はコネリアーノまで戻り、
       いつも行く彼女の家の近くのピッツェリーアでの、ピッツァでしたぁ!

       今年のパスクワも、4月16日、どうやら彼女とお出かけになりそうですが、
       う~ん、どこに行こうか、お昼をどうしようか・・・と、
       それがshinkaiの現在の悩みで~す。



     *****

       いつもブログご訪問、有難うございます!

       この日曜の朝から「夏時間」となったこちらイタリアですが、
       
       土曜のお昼頃には、あ、今夜寝る前に時計を直さないと、と思いつつ
       コロッと忘れ、何せTV番組を見ませんので、お知らせも目に入らずで・・、

       日曜の朝、歩こうと起きて窓を開けびっくり、まだ暗い!!
       やっと、そうだ、夏時間になったのだと気が付いたものの、
        ・・自動的に時間変更に対応する目覚ましはイギリス製で、
         目覚ましはいつもの通り5時半(実質4時半)に鳴ったということで、

       目につく時計も、PCの時計も遅れたまま、頭の中も寝たまま!
       で、6時に出かける筈の歩き時間の計算ができず、いささかパニック、ははは。     


       と同様、今朝エキサイト・ブログのマイページをつけようと思いましたら
       レイアウトが変わっており、どうやったら即マイページに行けるのかと・・!


       う~ん、だんだん対応が遅くなっているなぁ・・!

       でもぉ、エキサイトの変更のは、shinkai一人ではなかろうなぁ、へへへ。
       



     *****

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by italiashiho2 | 2017-03-30 23:20 | ・ヴェネト Veneto | Comments(2)
2017年 03月 11日

・・・ クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さに時代毎の改装たっぷり ・・・

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       今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
       上の写真に見えるように、まさに街の中心、中世の面影を残す広場にあり、
       美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
       そして聖堂の右に位置する洗礼堂

       こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に集まって来ているのが
       良く分かりますが、
       手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、内庭2つの建物がコムーネ・市役所


       10年前にこの街を訪問した時は内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂で、
       今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
       というのも、街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
       たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労しましたので、
       じっくり見てやって下さいね、ははは。



     
       先回の予告編で見て頂いたように、訪問した日は一日中靄がかかり、
       写真の発色がよくありませんので、
       欲しいアングルのを以前に撮っていたら、それを使うことにしました、のと、
       右下に当ブログのサインの無いのは、サイトから拝借したもの。

       ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
       建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれたそうですが、
       全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      
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       正面扉の色が鶯色っぽいですが、多分塗り直したのでしょう、
       今回は濃いグレイになっておりました。

       と云うようなご説明はおいおいに、という事で、




       広場が狭く、鐘楼も聖堂も高いので、どうしてもどこかが切れてしまいますので、
       サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
       正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を見てやって下さいね。
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       左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでおりますが、
       これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
       広場の整備と並びに、ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
       20世紀の前半に取り壊し、現在はすっきりと美しい広場。

       このドゥオーモが建設されるのに、街で一番高い位置が選ばれ、
       理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためだったそうで、
       現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近くを流れていたのだそう。




       そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ、市役所の建物
       1206年建設ですが、現在見る真ん中の白い帯とか、窓の周囲の飾りは19世紀の改装との事。
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       クレモーナの街のシンボルとなっている、この高い鐘楼ですが、
       トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
       壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!
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       ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
       フリウーリ州のウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという小さな村にある
       高さは113,8mだそうで、教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!




       13世紀建設のこの鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
       この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
       直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
       ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ、・・あれっ?!
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       クレモーナに行った日は2月22日で、これを写した時間は14時45分でした。
       水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのは分かり、

       で、14時45分というのは現在での冬時間ですから、本来は13時45分となると、
       上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が時間を示しているのでしょう。
       ふ~む、かなり正確!!
 
       2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
       そして中心の黒い円の中に、小さな窓が開き、白く見えるのが、たぶん月齢なのでしょう。
       

       下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部にも使われているので、
       当時のクレモーナの街の紋章と。       
       



       こちらが鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
       頂上まで502段!
       フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段ですから、やはりあれより高い訳で!
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       登頂記はこちらに。 http://italiashio.exblog.jp/5745890/
       ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値はある眺めが楽しめますです!

       
       ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは1744年に鋳造の
       メロディを奏でる鐘で、一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

       7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
       残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
       奏でられるのは少しの機会に限られていると。


       高上り大好きshinkaiのお上りリスト
       フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
          々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
          々   ヴェッキオ宮の秘密コース    http://italiashio.exblog.jp/10363693/
       サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m  http://italiashio.exblog.jp/21296860/
       ラディコーファニの山上の要塞の塔   http://italiashio.exblog.jp/9701524/
       シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/
 
       ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。




       さて、ドゥオーモの正面細部を、向い側にあるコムーネ宮からの写真でご覧頂きますと、
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       大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
       真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた柱廊式小玄関の上に
       聖母子像と2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、大きなバラ窓は13世紀のもの。
         



       正面入り口の、 柱廊式小玄関部と、
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       柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像
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       そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
       右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される2人ですが、
       左のアダモのお尻がエヴァより大きくて、ははは。
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       柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
       右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.
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       中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
       下から見上げた時にちょうど良い感じにしているのかと思ったのですが・・、no!




       この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合かな
       様子を表す浮き彫りがあり、 
       左側部分には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、の秋以降の作業が。
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       大きなバラ窓、13世紀
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       そしてこの頂部には、1491年に4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
       他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
       正面壁は有難いことに、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残っています。
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       では、内部をご覧頂きましょうか。

       3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子
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       大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
       照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
       写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。




       後陣の祭壇画部分と
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       その上部にある、大きなフレスコ画救世主キリストと聖人達と、
       その手前上部には、受胎告知
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       ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製だそうですが、
       収められている箱は16世紀半ばの物。
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       内陣から後陣に向けて、半円形を型どり、
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       こちらは内陣の右側部分。
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       内陣の下に、我々は拝見しませんでしたが、クリプタ・地下礼拝堂があるそうで、
       サイトからの写真でご覧を。
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       やはり見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
       湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、というのがありました。

       ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様子ですが、
       先に訪れたサン・シジスモンド教会でも床の石がかなり濃い柄になっていて、
       これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
       さもありなん、と思ったことでした。



 
       そして翼廊部分の通路、右と左。 内陣に並んで左右に礼拝堂があり、
       いずれもどっしりと太い円柱がアーチと屋根を支えます。
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       参拝する女性の姿
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       中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
       扉上の磔刑図はポルデノーネ作と。 それにしても何処もかしこも暗いのです!!
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       左に見えるのが正面のバラ窓ですが、続く身廊部の交差ヴォールトにも
       しっかり装飾が見られ、
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       これは身廊脇のアーチ部の装飾
       何処もかしこもフレスコ画で埋められていますが、3人の画家による16世紀のものだそう。
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       上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっているのが見えますね。
       ここは中世に於いて婦人達の参拝席だったのですね。
       もちろん現在においては使われておらず、
       撮った写真をアップして見ましたが、格子柄は板に描かれたもので、
       それで閉じているのが分かりました。




       内部を分けるアーチとそれを支える円柱、角柱の太さに魅せられましたが、
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       ここのは細部にも凝り、しかも金色なのでしたぁ!




       脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾
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       クレモーナの聖堂が建設されたのは12世紀ですが、
       当時のこの街は、ポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
       少し前から自由都市になっていたこの街は、北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそうで、

       その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設。
       その後の変遷により、衰退時期があってもやはり常に繁栄を取り戻し、
       その時代時代の変化に合わせ、ご覧頂いた様に聖堂内部はつぎつぎと改装され、

       正面はロマネスク様式を残しているものの、内部はゴシック、ルネッサンス
       そしてバロック様式と、隙間無くぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモ

       あちこちで様々豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
       このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が渾然一体の独特なもの
       という印象を持ちました。
       
       それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らないほどの変遷でして!
       ヴェネトの歴史などは、大体15世紀にはどこもがヴェネツィア共和国の下に入り、
       18世紀末までの4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
       自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、ミラノ公国の下に入ると
       今度はスペインの治世下に、そして最後はオーストリアの支配下に。
       ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、中世以来の組合構造が廃止され、
       街は経済的に息を吹き返し、なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

       そういう様々な激変の中で生き抜いてきて、現在もやはりちょっと特殊な街で、 
       そして経済的に元気な街であるのは、とても良い感じですね。
       



       入り口脇の豪華な礼拝堂の前、たくさん灯された参拝客の蝋燭
       暗い聖堂の中で揺らめく蝋燭の火は、寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。
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       我々は翼廊を通り南側の出口から出て、見上げる翼廊の正面
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       そのまま正面に回りましたので、見なかった後陣の後ろ側を。
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       そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
       建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
       正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・San Giovanni Battista洗礼堂
       入り口には、ドゥオーモと同じに玄関口を支える円柱を背の、2頭のライオン像。
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       そして2面のみ大理石で装飾されているのですが、
       これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       



       高さは34mで、直径は20,5mあるそうで、
       中央に八角形の水槽、泉。
       これはヴェローナの赤い大理石の塊から造ったもので、16世紀、
       頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。
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       8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、そこに祭壇や十字架像があり、
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       周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
       フィレンツェの大聖堂のクーポラが掛かる2世紀前の事で、大変に苦労した様子
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       と、天井の明かり窓の、中央の大天使ガブリエーレの像
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       堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、
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       聖ルーカのシンボルの牡牛像
       これはとてもシンプルで美しく、逆にモダンな像の様でもあり、気に入りました。
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       入り口上にあった、木造の聖歌隊席
       入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、きっと壁の中を通る
       狭い階段が続いているのでしょう。
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       洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのをあれこれ見ているので、
       ついそんなのを想像していたのでしたが、ここのはドゥオーモの内装とは逆に、
       大変シンプルな煉瓦壁でありました。




       夕方予定していた見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
       やっと少し靄が晴れ、青空が見えたのでしたが、

       午前中の人出で賑わっていた市が片付き、本来の美しさを見せてくれたかの様な
       典雅なドゥオーモの姿
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       ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラスの上に諸聖人の像が並びますが、

       その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
       ヴァティカンのサン・ピエトロとは違い、殉教者サン・ピエトロと呼ばれる方。
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       これを教えて貰ったのがこのクレモーナの鐘楼に上った時の事で、
       入り口に居た管理のシニョーレに尋ねて知った、という想い出の聖人像。




       サイトで見つけた、クレモーナの街の南を流れるポー河と一緒の写真を。
       かってはもっと近くを流れていた、この河の輸送船の港で賑わったと言い、
       氾濫の際に被害を受けないよう、街の一番の高所にドゥオーモを建設した、というポー河と街。
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       そして、イタリアでは2番めの高さでヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
       この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、で今回はお終いです。
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       お付き合い、有難うございました! 
       お楽しみ頂けましたように!!

       サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、またいつかのチャンスに!




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by italiashiho2 | 2017-03-11 00:45 | ・ミラノと周辺 Milano e - | Comments(0)