イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2009年 11月 27日

   ・・・ ルネッサンスの都に、中世を探して その2 ・・・

      今日は先回に続き ルネッサンスの都に、中世を探して を
      ご紹介したいと思いますが、まずお断りを。
      というのも、このテーマを最初は考えておらず、写真も撮らずで。
      が、調べているうちに
      中世当時のフィレンツェの町がいかにカオスに満ち
      喧騒と乱闘騒ぎに明け暮れ、塔の家に満ちていたかを知り
      大変興味深く面白く、それをご紹介したくなったのです。
      という事で、写真は余り面白くありませんが、よろしくお付き合い願います!

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      ◆ジャンフィリアッツィ邸 地図番号- 1

       これは ジャンフィリアッツィ邸・Gianfigliazzi といい、
       サンタ・トリニタ橋を北に渡ってすぐ、トルナブオーニ通り・
       Tornabuoni にあり、塔の造りではありますが豪華なもの。

       最初ここには教皇派・グエルファの一族ルッジェリーニ・Ruggerini
       の建物があったものの、1260年の両派の戦いの後追放、
       建物はほぼ完全に破壊されたのを、14世紀の終わりに再建、
       ジャンフィリアッツィ家が買取り、18世紀の一族の消滅まで所有。
       で、現在は高級ホテル。

       このジャンフィリアッツィ家は、最初は単なる平民であったのが、
       13世紀から14世紀にかけて、貸付銀行と商売で急速に成長繁栄
       それも、フィエゾレの大浪費の司教に貸付、破産した膨大な富を吸収、
       それを南フランスで上手く投資活用。
       貸付利子が平常であったフィレンツェに比し、南フランスでは
       当時266,66%まで行ったのだとか!

       こういった厚顔無比な強欲ぶりは、当然ダンテの神曲の中でも批判され、
       地獄の灼熱に焼かれる様で登場しているとの事。

      ◆ 追記です 

       これを書いた時には、なぜ南仏でそんな高利の投資が出来たのか、
       疑問でしたが、アヴィニョンへの教皇庁移転造営工事について知り、
       漸くに、そうか、そういう事だったか! と納得しました。
       大学生相手の金貸し、という言葉もあったのですが、
       既にあった大学に新しく法学部も設立されたというので、
       ヨーロッパ中から優秀な学生も集まっていたのでしょう。
       
       アヴィニョンの教皇庁宮殿については
       http://italiashio.exblog.jp/11627847
       
       cucciolaさんが、こちらに大学生相手の金貸しについて詳細に。
       http://d.hatena.ne.jp/cucciola/20100403



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      ◆アミデイの塔  1 地図- 2

       シニョリーア広場から西に、すぐ出会う道を左折すると
       ヴェッキオ橋に向かいますが、この道がポル・サンタ・マリーア通り・
       via Por S.Maria で、中ほどにこの塔があります。

       アミデイの塔・Torre dei Amidei と言い、
       素晴らしい2つのライオンの顔に魅かれて写しましたが、
       顔の一つ(左?)は、エトルスク時代の物との説もあるそうで、
       ライオンの塔・Torre dei Leoni と呼ばれるとも。



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      ◆アミデイの塔  2  サイトから

       全体の写真を撮っていませんので、これを。

       塔の家の高さは、平均60mほどもあったそうで!
       この塔も実際はもっと高かったのが、13世紀の終わりに
       50ブラッチャ・約29m以上にしてはならない
       という規制ができ、上辺を刈り取られたのだそう!

     

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      ◆アミデイの塔  3
       
       ライオンの写真と共にこの石碑も写しました。
       で、ここに見える紋章の AMIDEI という名から、
       今回の興味の追跡に、少し大袈裟!            

       アミデイ家(貸付業)はギベッリーニ・Ghibellini・皇帝派に属し、
       フィレンツェのみならずイタリア全体を、何世紀にも渡っての
       血にまみれた騒乱の渦に巻き込んだ、
       グエルフィ・教皇派と ギベッリーニ・皇帝派の闘争の
       最初のきっかけの殺人事件の主人公なのでした。

       ギベッリーニ・皇帝派というのは、神聖ローマ帝国皇帝派、
       グエルフィ・教皇派は、ローマ教皇派 を現しますが、
       元々は、司教や修道院長の収益問題が絡む叙任権争いから始まり、
       どちらを支持するかで、都市間、町中の争いに発展した様子。
       
       事件の経緯の詳細は略しますが、ある宴会の喧嘩に始まり
       その収拾のため、アミデイの娘とボンデルモンティ・Bondelmonti・
       グエルフィ・Guerfi・教皇派 の婚姻約束が交わされ、
       反故になった場合は高額の賠償金を、という契約。

       所がここに、ドナーティ家・Donati・教皇派の奥方
       グアルドゥローバ・Gualdroba が乗り出し、
       違反金を払って上げるから自分の娘と結婚を、の申し出!
       アミデイの娘は美人でないのに比べ、
       ドナーティの娘は評判の美人、おまけに賠償金もとの事で、
       ボンデルモンティは結婚式を放棄

       収まらないのはアミデイ家とその党派で、復讐計画を練り
       棒で殴る、顔に傷をつける、など言いあう席で
       モスカ・デイ・ランベルティ・Mosca dei Lamberti
       激烈な方が後を引かない、と発言し決定。

       ボンデルモンティはドナーティの娘との結婚式に向かう
       1216年復活祭の日に、このアミデイの塔の前で
       棒で殴られ落馬した所をナイフで殺害、
       これが町中を巻き込む大騒ぎに発展、教皇派と皇帝派に
       分かれての争いが始まる元となった、と言うのでした。

       読んでいて、まさに火事と喧嘩は大きいほど・・!! 
       で笑えましたが、歴史の大事件もホンの些細な事が発端ですねぇ。

       家の紋章の下に見えるダンテの神曲は、
       この事件に触れているのでした。



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      ◆ダンテの家  1 ガイドブック 地図- 3

       という所で、ダンテの家博物館に。

       が、ダンテ・アリギエーリ・Dante Alighieri の実の生家ではなく、
       20世紀初頭に、中世の面影の強く残るこの地域、
       そして唯一の記録から、近くに生家があったと認められるこの地に
       再建されたものなのですね。

       19世紀末にたったの5年間でしたが、フィレンツェに
       新生イタリアの首都が置かれた事があり、
       当時ダンテの生誕600年に当る事からの着想だったそう。

       実の生家はダンテが町を追放された後破壊されており、
       右に見える塔も、近くにあったジュオッキ家・Giuochi
       1300年前後に消滅した家の2つの塔の一つを移した物。
       ダンテの生家は貴族ではあっても小貴族で、
       塔を所有した事はなかったそう。

       とはいえ、なかなか雰囲気のある中世の家なので
       覗きに行ったという次第。



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      ◆ダンテの家  2

       向かいの壁にあった石碑で、ダンテの詩
       ・・私は、美しいアルノ河の傍の素晴らしい家で生まれ育った。 



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      ◆ダンテの家  3

       現在の家の前。 広場があり、井戸も。



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      ◆ダンテの家  4

       塔部分、博物館入り口もこちらに。

       月曜休館 開館時間は10時~17時



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      ◆ダンテの家  5

       博物館内部。
       中世や、ダンテの神曲について様々な説明展示。
       


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      ◆ダンテの家  6

       当時の貴族階級の花嫁衣装の再現で、
       大変豪華な物ですが、当時衣類は財産でもあり、
       遺産相続にも含まれました。

       公証人の毛皮付きの衣類もあリましたが、ピンボケで。 



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      ◆ダンテの肖像  1 地図- 4

       ヴェッキオ宮の東の道・via del Proconsolo
       ドゥオーモに向かって辿る途中、見つけた垂れ幕
       「ダンテの実の顔・一番古い実証的な肖像

       まだ若く、厳しい面影はありませんね。



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      ◆ダンテの肖像  2

       プロコンソロ通りの「判事と公証人の組合の館」で、
       ここ内部にフレスコ画が残っている様子。
       
       判事と公証人の職業組合 というのは、
       13世紀初頭に既に記録に登場、
       フィレンツェにあった7つの大組合
       16の小組合の筆頭に位置する、力と威信を持つ組合で、
       他の展示もあり興味深そうです。



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      ◆ダンテの家  7 ガイドブック

       ダンテが生きた時代のフィレンツェの町

       市壁に囲まれ、ドゥオーモの丸屋根もなく、
       見える大きな家は、すべて塔の家。
       塔の家・Le Case-Torri という言葉に、
       この博物館で始めて出会いました。



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      ◆塔の家  1 ガイドブック

       塔の家 の内部図。
       この手の絵が大好きで、大いに興味を持ちまたあれこれと。

       町の歴史はローマ期からですが、千年前後になると
       市壁に囲まれた内側に土地の余裕がなくなり、
       どんどん上に延びる様になったのだとか。

       最初は防御の目的、つまり町中の勢力争いに備え、
       塔の1階には出入り口もなく、2階部分に取り外し出来る梯子を
       かけたり、近所の同じ党派を組む家から出入りしたり!

       張り出したバルコニーや持ち出し部分
       勿論上からの攻撃用で、傍らには石やら用意、
       階毎に一部屋で、縄梯子や引き上げ梯子で上階に。
       この時期の塔の高さは、時に130ブラッチャ、約75mにも

       大いに住居の必要性が増した12世紀半ばには
       町中に林立する塔の家は、150~170もあったと!

       内部の1階部分は、中庭(土間)窯 薪置き場 家畜小屋など。
       そして順次上に、集会用、寝室、火事用心に台所は一番上に。

       窓の部分は少し大きくなるものの、防御を兼ねて木か、
       または蝋塗りの布で覆われ、光を余り通さず薄暗かったと。
       女性達は一日働き詰めで出かける事も殆どなく、大変な生活状態。

       道はいまだ石畳ではなく、真ん中に溝が掘られ雨水のみならず
       家にはトイレ設備がない事とて、汚水もごみも垂れ流し!
       塔の家から張り出しのバルコニーで陽も射し込み難く、ぬかるみで、
       門閥徒党間の争いからも 人々は中庭に集まり過ごす事が多く、
       井戸に毒を投げ込まれる事も恐れ、鯉を飼っていたとか!

       う~~ん、やはり凄い時代だったんだ!



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      ◆塔の家  2 ガイドブック 地図 5

       これは、栗の塔・Torre della Castagna
       ダンテの家のすぐ近くに。

       塔の歴史は大変古く既に1028年に建設、
       1282年にフィレンツェでの最初の行政官の集会が
       持たれたのだそう。

       栗・カスターニャの塔 の名の由来は、
       当時、投票に栗を使い、栗をフィレンツェでは バッロッテ・ballotte
       と言うので、現在使われているバッロタッジョ・ballotaggio・
       決選投票、優勝決定戦の言葉の元ともなったのだそう。
       
       先日ヴェネツィアのギリシャ教会で、イコンの展示を見ましたが、
       その際、Si`, No と書かれた木製の筒があり、
       投票用の白い玉、何かを丸めた様な形を見つけ訊ねましたら、
       皮 との事でしたから、土地風習により色々ですね。

       現在この塔の下部分は、国家統一運動博物館・Risorgimento 
       として見学可能だそうで、イタリアの広場には必ずおられる
       ガリバルディ将軍の、座ったクッションなどが見られるそう!



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      ◆塔の家  3

       こちらはジオットの鐘楼の中程からの眺め
       後側高い塔は、右からヴェッキオ宮の塔
       尖ったのがバディア・フィオレンティーナの鐘楼・Badia Fiorentina
       左がバルジェッロ宮の塔。

       一番手前に見えるのが、ヴィズドミーニの塔・Torre dei Visdomini
       この斜め奥、バディア・フィオレンティーナの鐘楼の右に見えるのが
       上でご紹介した栗の塔かと。



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      ◆塔の家  4 ガイドブック 地図 6

       ヴィズドミーニの塔

       ヴィズドミーニ家は、ドゥオーモのすぐ傍に元の家があったのが
       ドゥオーモの拡張でここに移った様子で、
       空席の司教の代理権を持ち、大いに稼いだとか・・、
       それもダンテの神曲に書かれているのだそう!



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      ◆塔の家  5 地図 7

       ジオットの鐘楼から。

       半円形の塔が見えますね、
       これがパリアッツァの塔・Torre della Paliazza

       隣に見える高い塔は身元不明、
       新しいのかもしれません。



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      ◆塔の家  6 ガイドブック

       パリアッツァの塔
       この珍しい半円の塔は、基礎がローマ期の張り出しテラス・
       エセードラ・esedra を利用したビザンティン様式の塔で、
       フィレンツェでも唯一なのだそう。

       しかも最近の発掘で、これが温泉・テルメを取り囲む形の物と
       分かったそうで、公衆浴場または私的な物にしろ、町では2番目。
       最初のは、先回ご紹介したテルメ通り、ボンデルモンテの塔のある
       通りに遺跡があるそうで、それでテルメ通りなのでした。

       パリアッツァ・藁の寝袋 の名の由来は、
       13世紀以降監獄、女囚用に使われ、
       男の囚人は床に直接寝たのに対し、女囚には藁の袋が
       与えられた事に由来するそう。

       現在はホテルだそうですが、発掘品の陶器の博物館があり、
       希望すると見れるとの事。



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      ◆塔の家  7 ガイドブック 地図 8

       このドナーティの塔・Torre dei Donati も古く
       写真では分かりませんが、中庭を囲む形とか。

       ドナーティ家は近くに別の塔も持っていますが、
       同じ地区に、ライヴァルのチェルキ家の塔・Torri dei Cerchi
       があり、これは同じグエルフィ・皇帝派内の争い、
       富裕市民層の白派と 貴族階級の黒派の血みどろの争いに繋がり、
       遂に中立地域の小路が設けられ、これは現在も
       スキャンダル小路・vicolo dello Scancalo として残っているそう。

       ダンテは小貴族で白派に属し要職にも就いたものの、黒派が勝つと
       1301年に追放処分となり、長い20年間の放浪の果て
       フィレンツェに戻る事無く、ラヴェンナで亡くなったのでした。



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      ◆塔の家  8 地図 9

       こちらは同じドナーティ家の塔ですが、2つあり、
       コルソ・ドナーティ家の塔・Torri di Corso Donati
       と呼ばれます。

       ドナーティ家というのは大貴族で、それに繋がる
       ジェンマ・ドナーティ・Gemma Donati がダンテの奥方。

       ダンテの神曲も読んだ事がなく、彼への知識もありませんが
       イタリアの誇る大詩人、哲学者政治家である位は知っており、
       今回改めて、ダンテの奥方の名前や、彼が神曲の中で崇める       
       ベアトリーチェとの経緯も知りました。
       で、あれほどベアトリーチェに詩を捧げ崇めている彼が
       長年の放浪生活を一緒にしたであろう妻のジェンマには
       詩の一行も与えていない事をも知り、憤慨!

       大概の事は、それはそれよね、と思う私ですが、
       許婚であリ、心染まない相手であったとはしても
       苦しい放浪生活を共にした妻、4人の子をもうけ、
       700年後の今もダンテ家は残っているのですね。
       それを、人妻を恋い焦がれ崇め続けて作品に公表。
       女房を踏みにじリ、顧みもしないこの男の勝手さ。

       ジェンマとの生活の断片も、亡くなった年も定かでない、
       読んでいて、哀れを覚えました。
       ダンテ・アリギエーリ、彼の残した作品が如何に偉大でも
       男としては、偉大な K S 野郎! です。



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      ◆塔の家  9 ガイドブック 地図 10

       こちらは少し離れて、サンタ・クローチェ教会近くの
       特徴ある塔なので、ご存知の方も多いと。

       アルベルティの塔・Torre degli Alberti と言い、
       大一族のアルベルティ家はグエルファ・教皇派ではあるものの、
       立ち回りが上手いと言うのか追放されても戻り、
       また政治の中枢に食い込むを繰り返し、18世紀まで継続。



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      ◆サンタ・クローチェ教会

       最後は、サンタ・クローチェ教会の青空を。
       
       ダンテ・アリギエーリに憤慨し疲れましたが、
       この教会の左手にも、彼の像があるのでした!



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      ◆地図をどうぞ

       文字制限に引っかかりそう、
       地図に番号を打ちますので、以下略でご勘弁を!


      ◆*◆

       ブログご訪問、有難うございます!

       すっかり冬模様の霧の朝が多くなりました。
       先日はベッドのマットレスをひっくり返し、冬用の羊毛の側に。
       
       皆さんも、体調にご注意を!

by italiashiho2 | 2009-11-27 06:04 | ・フィレンツェ | Comments(2)
Commented by 出会いにキュンキュン at 2009-12-25 16:32 x
ブログを読ませていただきありがとうございます。
来年も良い年になりますように。
Commented by shinkai at 2009-12-26 00:14 x
★出会いに・・さま、 初めまして、こんにちは!  読んでいただき、コメント有難うございます。

はい、今日はクリスマス、良いクリスマスを! そして、良いお年をお迎え下さい!




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