イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2015年 11月 08日

   ・・・ 碌山美術館 ・ 信州安曇野 その2 ・・・

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       東穂高出身の日本近代彫刻の父ともいえる荻原碌山(本名は守衛)
       の素晴らしい美術館を安曇野に訪ねました。
       先回ご紹介のわさび田から西に行った所で、
       長閑でこじんまりとした一廓、木々に囲まれてありました。

       荻原碌山が安曇野出身であった事も知らずだったのですが、
       展示で出会った様々な人物名、高村光太郎、相馬黒光などと
       どんな関係だったのかを知る為にもあれこれ読み、

       明治末期の日本の芸術家達の様子も想像しながら
       碌山美術館の本当に細部まで拘った美しさを
       今懐かしく想い出しています。
      
       殆ど何も知らないまま見学し、その資料展示などからも
       博物館と思ったのでしたが、
       碌山美術館 となっている事を知りましたので、ここに訂正です。


       上の写真は、道に面してある「碌山美術館」の入り口



       植え込みがあり、右手に切符売り場で、
       シニアで、と言いましたら、ここにはそれはありませんと。あれま!

       そしてそこから振り返ると左手奥に、この教会を模した建物
       こじんまりと、そして格調高く!
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       建物の入り口に絡んだ蔦が、ちょうど紅葉を始めた所で
       とても良い雰囲気。
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       敷地内には幾つかの展示館があるのですが、
       この一番の主たる展示館の様子を右側から撮った写真
       サイトで見つけましたので、拝借し。

       こんもりとした木々に囲まれ、静謐な空間
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       入り口に向う右手に、この「労働者」の像
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       これは帰国2年目に第3回文展に出品し落選したものだそうで、
       戻ってくるなり、碌山は左腕と両脚を取り除けたと。




       入り口上部。 塔の上にあるのは鳩の像
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       扉にあった碑
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       碌山美術館    1958
       この館は29万9千100余人の力で生まれたりき

       この美術館は、地元の人々の寄金により出来上がったのだそうで、
       この碑も単なる碑ではなく、周囲を楓の葉かな、が囲み、
       留め金部分も、ほら、薔薇の花みたいでしょう?
       この他にも、扉のノッカーが、キツツキだったようで・・。
       
       この館の設計者は(基俊太郎)と言う方で、彼のお父さんは
       彫刻家で、碌山の友人だったそうです。
       そんな事もあってか、まさに心のこもった配慮の設計である事が感じられ
       大変に居心地の良い、暖かな美術館となっている様子です。

     追記と訂正を。
       主となっている「碌山館」の設計は、今井兼次と言う方がされ、
        他の2棟の設計が基俊太郎とのことです。
     
       


       入り口を入った所のロビー部とでも言うのか、
       左側には、彫りを施した厚板の台があり
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       右側には、暖炉と薪置き台。 
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       館内は写真禁止でしたので、碌山美術館のサイトから拝借の
       写真で様子をご覧くださいね。

       入り口部分から奥に。 上部に見えるのが碌山の写真で、
       手前はフランスに留学中の作品と言われる「抗夫」、
       奥の左から2番目、腕を組んでいるのが「文覚
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       奥から入り口部分を、右列真ん中にお尻が見えるのが「絶望・デスペア
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       真ん中左に見えるのが「女」、碌山の絶作となった作品。
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       両手を後ろで組み、ひざまずいて立ち、何かを求めるように
       上を向き、喘いでいる女の姿。       

       この作品は碌山の死後、文部省に買い上げられ、
       日本の近代彫刻としてはじめて重要文化財に指定されたものだそう。




       この作品と、碌山が一緒の写真がありました。
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       荻原碌山、1879年・明治12年12月1日 - 1910年・明治43年4月22日
       画家を志し1901年にニューヨークに渡り学び、
       1904年にパリでロダンの「考える人」を見て深く感動し、
       彫刻家になる事を決意。
       1906年からパリのアカデミアで彫刻を学び、1908年に帰国。

       1908年に文展に「文覚」入選。
       1910年「女」を制作。 4月22日に急逝。
       
       僅か30年の生涯、画家を志しニューヨークに渡ってから10年、
       彫刻を学び帰国して後2年!の本当に短い生涯でした。




       上の「女」の像は、実際のモデルがいますが、
       新宿中村屋の創業者相馬愛蔵と妻の黒光(こっこう)夫妻の、
       黒光が碌山と恋仲であり、モデルだったと言う説が通っています。

       その相馬黒光(本名は良で、その才気を少し黒く隠せというニックネーム
       から来ているそう)の少女の頃の様子と、
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       これは碌山の一周忌に、彼を偲んでアトリエに集まった人々
       写真だそうで、安曇野の旧家出身の相馬愛蔵、碌山の長兄の本十も、
       他にも著名人の名が見えます。
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       碌山はまだ安曇野にいる頃に、土地の旧家の相馬家に嫁いできた
       黒光と知りあったのだそうで、
       帰国して新宿にアトリエを構えてからは、中村家に通い、
       家族の一員のようにして付き合っていたそうで、
       留守がちの夫に代わり事業を切り回していた黒光に、
       弟のように甘えたりもしていたそう。

       夫の愛蔵の浮気に悩む黒光を慰め励まし、それでも離婚しない
       黒光への愛情と渇望に苦しむ中から生まれたのが
       「女」の像だと言います。
       
       が、手前真ん中に見える中村彝、に実は驚いたshinkaiです。




       まん丸の赤いほっぺの少女像、同じ顔の裸婦像も
       相馬夫妻の娘の俊子だったと知ったのも驚きだったですが、
 
       彼のこの「ワシリー・エロシェンコ像」の画家が、
       ずっと昔、絵を描き始めた頃に衝撃を持って見つめたこの絵の画家が、
       いわゆる中村屋に集まる文化人のサロン「中村屋サロン」の
       常連の一人だったと言うのにも驚き!
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       こちらは劇団関係にも援助をしていたと言う相馬夫婦の、
       その集まりの際の写真。
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       中村屋サロンの幅広い交流を通し芸術家達が育っていった
       と言うのも間違いないようです。

       中村屋の3Fに美術館が開館し、
       サロンを通して交流した芸術家達の作品が見れる様子です。
       


       ちょっと話が前後しますが

       碌山が、黒光を慕い愛し、切望したのは確かだろうと思うのですが
       よく書かれている様に、黒光が夫の浮気に苦しむ姿から云々、
       と言うだけの単純な人物構図だけではなかった事も、
       黒光が普通の受身一方の女性ではなかった事も、今回読んで知りました。

       確かに夫愛蔵の浮気に黒光が苦しんだ事もあったでしょうが、
       愛蔵は大変度量の大きな人物で、実業家でもあり、
       逆に家庭内では黒光の男関係には一言もいわず、
       黒光はサロンに集まる男達を、才気と美貌でペットにした部分もあった様で、

       実際、碌山の親友であった高村光太郎などは、
       彼女を大変に嫌っていたと。

       確かに彼女の才気、事業での頑張り、成功には敬意を表しますが、
       女同士として友人になりたいかというと、ちょっと違うような・・。
       
       当時の人物についてご興味のある方、こちらに大変詳しく。       
       相馬黒光という女
    



       館の南側と、見える塔
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       そして西の裏扉。 この佇まいがとても気に入りました。
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       この脇に高村光太郎の詩を刻んだ碑があり

       荻原守衛

       単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
       坑夫、文覚、トルソ、胸像。
       人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
       新宿中村屋の店の奥に。

       巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
       彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
       荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
       単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。

       ――原始、
       ――還元、
       ――岩石への郷愁、
       ――燃える火の素朴性、

       角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
       ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
       六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
       荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。

       粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
       「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
       荻原守衛はもう一度いふ、
       「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」

       四月の夜ふけに肺がやぶけた。
       新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
       荻原守衛は血の塊を一升はいた。
       彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。

       昭和十一年 高村光太郎 作




       他にも2棟、碌山と交流のあった人物の作品の展示館が
       ありましたが、省略させて頂き、

       これは入り口に近い場所にあったグズベリー館、ショップ
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       入り口にかかる暖簾に「Love is Art」とあるのを見て、
       きゃ、と敬遠したのですが、すみません、こういう言葉は苦手でして。
       ですが、今回あれこれ読んでいて、これは碌山の言葉

       LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.
       愛は芸術なり 相剋は美なり

       から来ているのだと知りました!
       ・・言葉の独り歩きは、怖い!!




       ショップの前にあったこんなテーブル
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       こちらは倉庫だったか、校倉造りを模し、
       大変に細部の和洋折衷装飾が凝っていて、
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       なんとなしに帰国した碌山の気持ちを思いやっての設計かという様な、
        彫刻を学び生まれた自国に戻ったものの、
        当時の日本には西洋彫刻を受け入れる態勢もなく、
        時にはどんなにニューヨークやパリを懐かしんだろう、
       そんな気持ちが現れているようで、ちょっと切なくなりました。

       だって、shinkaiもそうだったんですもん、
       よ~く分ります!!


       当時の日本の芸術家達の気持ちは、皆こんなだったでしょうね。
 
        ふらんすへ行きたしと思へども
        ふらんすはあまりに遠し
        せめては新しき背廣をきて
        きままなる旅にいでてみん。
               萩原朔太郎
       
       


       う~ん、少し湿っぽくなったかな。

       最後はサイトで見つけた、美しい雪景色の美術館をどうぞ!
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       信州の松本近くまでお出かけになったら
       是非一足延ばし、碌山美術館にお出かけ下さいね!
       碌山の素晴らしい作品のみならず、
       美術館を囲む静謐な空気にも、心が和らぎます。


       碌山美術館
       住所:長野県安曇野市穂高5095-1
       TEL:0263-82-2094
       開館日:5月~10月  無休
       休館日:11月~4月、月曜日と祝祭日の翌日。12月21日~12月31日。
       開館時間:3月~10月→AM9:00~PM5:10
       11月~2月→AM9:00~PM4:10 (入館は30分前まで)

       入館料:大人=700円、高校生=300円、小・中学生=150円、団体料金あり
       アクセス:電車利用=JR大糸線穂高駅下車徒歩約7分、
       車利用=安曇野ICから約15分 駐車場あり

       公式サイトhttp://www.rokuzan.jp/


       

     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 ソラーノの民家、途中経過と、映画「ウッフィツィ美術館」 を
       アップしています。
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     

       

       



by italiashiho2 | 2015-11-08 01:45 | ・日本・アジア | Comments(15)
Commented by MUSICA at 2015-11-08 11:44 x
白馬には何度も車でいって、ここに行くチャンスは何度もあって、でも通り過ぎていた美術館。
今日、ここに連れてきてくださってありがとうございます
学び取ろうとするエネルギーが強いと短い留学生活でもすごい高みに達するもの。
命が短いからこんなに燃焼するのでしょうね。shihoさんのご案内で謎も解けていい画像も見えて
いい時間を過ごせました。
Commented by 小父さん at 2015-11-08 14:23 x
こんにちは

大変興味深く拝読いたしました。
碌山美術館については確かNHK日曜美術館で観て、たぶんDVDも持っていると思うんですがブロンズ像の『女』以外は記憶が少ないです。
ただ番組には見入っていたと思います。
まあ、日曜日の朝のNHKですからこのページの記事のような掘り下げた紹介はなかったと思います。

荻原碌山という名を見てすぐにwikiを全部読んでみました。
そして「相馬黒光という女」のリンク先を相当読んでいたんですが、「あとどのくらいかな?」と画面を下にずらしたら半分か半分以上、下に残っていたので驚きました(笑)

しかし、凡人から考えて30歳の若さで、このような作品や逸話に自分の名がついた美術館まで残るということは驚嘆に値しますね。
三島由紀夫ですら45歳ですよね。

芸術って人生経験や、人生哲学を超越したものなのか!?なんて素朴に思います。

>これは帰国2年目に第3回文展に出品し落選したものだそうで、戻ってくるなり、碌山は左腕と両脚を取り除けたと。

ちょっとショックです。
芸術って感性なんでしょうか?
この「労働者」の像の印象にしても、碌山のその時の感情なりで刻々変わっていくでしょうし、確かにこの片腕の「労働者」には、インパクトを感じます。
でも、その文展で入選していて最初像が残っていたとしたら滑稽な気もします。

「文覚」の像なんてその風貌や形は男なら誰でも経験したことあるような・・・(笑)
マスメディアによく出てくるのは野球の監督のポーズでしょうか?

いやはや、碌山美術館の建物と芸術家の生きている世界の一端を覗き見て芸術の秋を満喫させていただいた気分になっています(爆)

お断り、前にshinkaiさんが日本で食事された模様を紹介させて下さいと書いて、原稿を作りかけていましたが、どうもあまりにも失礼な気がして止めました。
合わせて謝ります。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-08 15:53
★Musicaさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、次回には是非是非どうぞ!! こじんまりとした美術館ですが、凝縮して密な、そして静謐な時間が流れている美術館、お勧めです。

いやぁ、余りにも短い生涯で、それにまず驚きましたし、彼との繋がりの様々を知るにつれ、やはり彼の実力が齎した物と思いました。 
なので、黒光との一面のみで取り上げられるのが、ちょっと残念な気がして書いたのでした。 

それにしても、明治ですものね。 明治と言う時代は凄かったんですね。
  
Commented by italiashiho2 at 2015-11-08 16:19
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、碌山については私もまずウィキを読んだのです、手っ取り早いですし。 で、あの如何にものロマンス小説みたいな説明が好きでなかったです。 ある部分の真実かもしれませんが、その程度の説明では納得できない年になっていますし、ははは。
で、あの長いサイトを読み、あれで人物の姿が見えてきたというか、よく分ったような気がしたのでした。

碌山の初期の作品は、如何にもロダンに傾倒し心酔したことが分るロダン風で、文展落選と言う「労働者」も如何にもロダンの「考える人」ですよね。 だから多分落選したのだと思います。
「文覚」もロダン風ですが、あの塊、目刺しから訴える力は大変強い物と思います。
「女」は、彼の作品の中では初めて西洋風ロダン風から抜け出した作品、そしてあの切なく訴える表情などが素晴らしいものだと思います。

僅か30歳で、と仰っておいでですが、あれで彼は初めて日本において、西洋風彫刻で訴える力のあるものを作った、見せた、と言ういわば日本での出発点だったと同時に、それまで10年近く学んできた力が本物であったのを見せた作品と思うのです。 
もし彼がもっと長生きしたら、あれから始まるもっと凄い物ができたかもしれませんし、逆に力尽きて弱い作品になったかも、その辺りは分りません。 
ですがあれで彼の一つの頂点に達したのだと思いますし、現在見ても素晴らしい作品である事は間違いないと思います。

う~ん、あの若さで肺結核で血をはいて急逝した、と言うのが、あの時代の貧しく厳しく生きていた芸術家達の象徴の様でもあり、ちょっと切ないです。


あ、小父さん、リンクの件はどうぞお気遣いなく! 私は自分が面白いと思うものを記事にし、出した以上はそれは一人歩きする物と思っていますので、どの様に取られても様々だと思っています。 ははは、年のせいで厚かましく鈍くなっているのかもですが。 ですので、どうぞお気遣いなさらぬようお願いいたします!!
Commented at 2015-11-09 16:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-10 00:13
★Y様、初めまして、こんにちは! ブログをいつも見て頂いているそうで有難うございます!

そうですか、12月半ばにトゥレヴィーゾにお出でですか。 街歩きでお勧めがあったら、というご質問ですが、そうですねぇ、私はトゥレヴィーゾの町が好きというのも、町全体のたたずまいがゆったりと落ち着いていて、観光客のためだけの町ではないのが気に入っています。 
それに経済的にも繁栄している町で、大変に活気があり、町も大きく店も多いので、何かちょっとした買い物がある時はトゥレヴィーゾまで出かけていく、という感じの町なのですね。

ですが私はいわゆるグルメの店とかは知りませんし、出かけた時の様子で適当に入り、それでどこも美味しく食べられる、という感じで済んでいます。
そして12月半ばですとどこの町も、クリスマス用の飾り付けで賑やかになっていますし、多分クリスマス市の屋台なども出ている事と思います。
お仕事柄から考えて服飾品のお店の飾りつけなどもご興味がお有りかもと思うのですが、かなり高級品の店などもチェントロ周辺にありますね。

ただ、どういうものがご覧になりたいのか、どういうものがお好きなのか存じ上げませんので、ちょっとお返事し難い、という感じなのですが、
トゥレヴィーゾの駅前からチェントロ方面に行かれ、運河の流れる、古い建物の並びの風情を愛でられる、それだけでもトゥレヴィーゾの町の魅力に触れられる事と思います。

私はトゥレヴィーゾから更に30分程北のコネリアーノという所に住んでおりますが、もしヴェネトの田舎の景色などをご覧になりたいのであれば、車でぐるっとご案内できますが、もしお時間が取れそうであればまたお知らせくださいね。
良いご旅行を!
Commented by Yuko at 2015-11-10 00:54 x
Shinkai様
早速のお返事ありがとうございます。
ただただイタリアの田舎町を歩く事が好きで通っています。
漠然と「お勧めを・・」なんて申し訳ない事を言ってしまいました。
>運河の流れる、古い建物の並びの風情を愛でられる
これだけでトゥレヴィーゾに行く価値があります!
12月14日お昼ごろヴェネチアに着いて翌15日か16日にトゥレヴィーゾに行きたいと思っております。
もしお会いすることが出来ましたらこんな嬉しい事はありません。
ご親切なお返事ありがとうございました。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-10 15:02
★Yuko様、お早うございます!

はい、トゥレヴィーゾはお時間があれば、行かれる価値のある町だと思います。

私は15日、16日頃は今の所予定がありませんので、丸一日は無理ですが、午後にコネリアーノにおいで頂けるのであれば、この周辺はご案内できると思います。 ただ冬の日で陽が短いですから、どうでしょうか・・。

今書いてくださったリンク先にお邪魔しましたらメール・アドレスがありましたので、私のアドレスをお知らせいたしますね。 それで予定がどうなるか、連絡いたしましょう。
Commented by yUKO at 2015-11-10 16:39 x
Shinkai様
ご親切にお誘い頂きまして感謝いたします。
お会いできますことを願って!
ありがとうございます。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-11 00:16
★Yuko様、  どう致しまして!
      メールを差し上げますね。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-12 00:17
★K様、 有難うございます!  メールを差し上げました。
こちらはメール・アドレスがあるので、削除させていただきますね。

Commented by クリス at 2015-11-12 18:42 x
今晩はsinkaiさん!!
相馬黒光については昔「パンとあこがれ」という連続テレビドラマで見ていた事を、今でも思い出すんですよ。一体何年前だろうと思ってWikiを調べてみたら1969年ですって!
改めて思うと、私はまだ中学生でした。長野県が関係したドラマでしたから見出したんでしょうが、あの頃の私にとって彼女の印象は強烈でした。好きという事ではないのですが。
考えてみると、碌山美術館は若いころに2,3度行っただけで最近はとんとご無沙汰している場所でした。灯台元暗しですね。

イタリアから無事に戻って、時差ボケも解消しつつあります。旅日記もアップし始めましたので暇の折にでも覗いてください。
Commented by kaida-poppoya at 2015-11-12 21:45
新開さま、 こんばんは!
「安曇野探訪」、興味深く拝見いたしました。

臼井吉美氏が書かれた「安曇野」、筑摩書房から大昔に、出ました。(笑)

相馬家へ嫁いだ黒光、守衛、愛蔵らが織りなすさまは、裏返したら私の ’青春’ のほぼ全ページかも!(笑)
新宿の中村屋の二階で、カリーライスを一人で食べたり。。。(笑)

43年前に喫茶店を嫁ぎ先が造った時に、
名前を「安曇野」にしたいと申し出ましたが、
舅が姓名判断で付けて貰った名前にされてしまったときの涙、、、、、
ああ、、、懐かしい!!

だからという訳でもありませんが、只今、長野県の住人!(笑)
碌山美術館へは、1時間半で!
Commented by italiashiho2 at 2015-11-12 23:38
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。
そうですか、無事お戻りになって、旅日記もアップですね。 はぁい、今回は多少の気持ちの余裕をもって拝見できそうです。 後ほどお邪魔を!

中学生の時にドラマを?! それも連続ドラマですか?! きゃはは、受けられた衝撃が想像できそうです!! それはもう彼女の印象は強烈だったでしょう!
書かれたのを読んでも、当時のあの時代にあって大変に飛んでいる女性でもあったようで、頭の良さと気の強さ、美貌でもって、少々の男性などは鼻面を持って引き回したような、そうだったろうと想像できますから。
それにしても、碌山があの若さで亡くなったのは本当にもったいなかった、残念だったと思います。彼はやはり信州が生んだ偉大な彫刻家、時代の先駆けでした。

ずっと以前、何の番組の中だったのか、あの碌山館の中で初老の男性が、「信濃の国」をオルガンで
弾かれているのを見た記憶が残っているのですが。 
今考えると、まさに碌山と信濃の国の歌詞はピッタリと重なりますね。
Commented by italiashiho2 at 2015-11-12 23:51
★開田のポッポ屋さん、こんにちは! コメント有難うございます。

ははは、聞いたぞ、聞いたぞ!! そうですか、臼井吉美の「安曇野」ね。 いや、読んだことはないのですが、へへへ、大体想像できますものね! カリーライスね。
ウンウン、あなたの青春でもあったのですね。 そしてお店の名を「安曇野」にしたかった、成る程成る程!!
いや、ですが姓名判断で選んだお舅様が偉かった! 正しかった! だから今のポッポ屋さんがあるのですぞ、ははは。

そうそう、岐阜の多治見がどの辺にあるのかも詳しく知らずのままだったのですが、無知なんです、今回諏訪から広島に行く時、名古屋のすぐ近くに多治見がある事を知り、なんとまぁ、開田高原から遠いのだと改めて思った事でした。

安曇野に近くなった今、青春を振り返ってまたご訪問を!


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