イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2015年 12月 23日

   ・・・ インスブルックの街訪問 チェントロ その1 ・・・

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       クリスマスももうすぐ、そして年の瀬、お正月と
       皆様にはお忙しい事と存じます

       こちらは特別の事は何もせずの一人暮らしですので、
       皆さんよりは気楽ではありますが、
       ただやはりクリスマスとなるとちょっと特別で、
       会食の予定が幾つかありますので、お腹ごなしも考えませんと・・。

       と、カレンダーを睨みながらブログの予定も考えまして、
       やはり年内にインスブルックは終わりにしたい、
       ではどうするか、どこを抜かすか、となると難しく・・、
       で、今回を頑張って2回分に分ける事にいたしますね。

       と言うのも、やはりインスブルックは美しい街だったと思うのです。
       アルプスの山を背後に、建物も重厚で美しく、
       そして建物の色がいわゆるパステル・カラーで目に優しく、
       古い中世風も、逆に近代的な物もその中にあって趣を醸し、
       如何にも繁栄している街らしい賑わいや活気も感じられました。

       という事で、中心街の賑わい、美しさ、歴史などなど
       shinkaiが見た物だけでも纏めて見て頂きたいと思いますので、
       写真が多く長くなりますが、難しい事はなしで、はは、
       年末間近の一時をごゆっくりどうぞ!


       トップは、ガイドさんに連れられてあっちにこっちに、
       街の中心の通り、マリーア・テレーザ通り



       そして同じ通りの反対向き、夜の写真を見て頂いた凱旋門
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       ちょっと通りを入り込んだ所に見えた古い建物
       壁の装飾がレトロの趣きで、一番上の階の天井が低そうなのも、
       如何にも西洋風ですよね?
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       ネオクラシック風と言うのか、重厚でしょう?
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       かと思うと、こんなモダンな建物に、ピッツァ&パスタとあり、
       ははは、こういうのは若い人向けなんだろうか?
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       オーストリアの偉大な女帝の名を冠したマリーア・テレーザ通りは、
       旧市街に近く幅が広く、そして車通行禁止だったと。
       そしてクラシックなイメージの、大きく重厚な建物
       店が立ち並びます。
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       店のショウ・ウインドウも、クリスマス・カラーと飾りつけ、
       そしてどこかやはりティロル風
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       通りの真ん中に立つ塔、聖アンナの円柱と呼ばれ、1703年の対バイエルンと
       フランスとの戦勝を記念して1706年に建てられたものと。
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       ですが、名前の由来の聖アンナは、戦勝の日の守護聖人だったとの事で、
       塔の上にいるのは聖母で、聖アンナは他の守護聖人と共に基礎部に。
       今見える姿は背中側。 



       何よりもこの通りの美しさ素晴らしさは、このアルプスの眺め!
       常に山に向い、四季折々に対面する美しさには敵うものが無いですよね。
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       インスブルック・Innsbruckの街は海抜574mに位置し、
       もっと高いのかと思っていましたが・・! で人口は12万7千人ほど。

       インスブルックという街の名は、イン河にかかる橋、という意味だそうで、
       街の名が歴史に登場するのは1138年。現在「古い地区」と呼ばれる一帯が、
       Witen修道院から伯爵Andechsに贈られたというもので、
       1187年にはインスブルックと呼ばれる新しい、として登場。

       その後変遷を経て1363年にハプスブルグ家の元に入り、
       1420年にはティロルの首都となり、マッシミリアーノ1世・MassimilianoI
       の公的な居住地ともなり、14世紀から17世紀にかけ大きな繁栄を迎え、
       という事ですが、

       我々には1964年、1976年と2度の冬季オリンピック開催地としても
       記憶に新しいですよね。


     

       ガイドさんはオーストリア人でイタリア語を話す方だったのですが、
       自分でも「少しイタリア語が錆び付いていて・・」と言われた通り、
       とても話し難そうで、すぐに「ああ・・、ええ・・、」とつかえ、

       そればかりでなく、通りの店の紹介をずっと続け・・!!
       皆が草臥れて「店ばっかり・・!」とぶつぶつ言い始め、
       おまけになかなか先に進まないばかりか、
       自分が持っているガイドブックを売り始めたりして・・!

       ちょうどこの教会の前だったので、なかなか美しい教会でもあり、
       写真を撮りつつ待ったのですが、
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     ◆ 追記 ◆
       クリスさんがこの教会の名を教えて下さいました。
       シュピタールキルヒ(Spitalskirche)というそう。
       教会病院、と言う意味で、元あった病院の跡地に建てられたから、
       という意味だと教えて頂きました。

       中世の病院に付いて関心のある方、クリスさんのコメントをどうぞ!
       この土地にあった病院の様子から、あれこれ詳細に書いて下さいました。



       余りにも待たされ続けたので、遂に何人もが教会の中の見学に入り
       ははは、ね、中もなかなか素晴らしいでしょう?!
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       皆がイヤホン式のガイドを耳にしていたのですが、
       そのうちに一人が、先に進んでいるよ、と呼びに来てくれ、ははは。




       そうなると、余りガイドさんの話を聞かなくなり、へへへ、
       山を眺め、通りの向こうの建物を眺め・・
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       「シャネルのN.5」なんぞと言う大クラシックが並んでいるのを見つけ、
       どこかこの街に相応しい気がして撮ったのですが、
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       クリスマス前のTVのコマーシャルにも復活しているのを見ましたので、
       シャネル全体の商対策だったのかも。




       さて通りの奥に「金の屋根」の見える所まで来まして
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       街の中心部の地図をどうぞ
       左上部のイン河の右、黄色く囲まれた一帯が最初に町が出来た
       旧市街ですが、
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       Golgenes Dacelという赤い印が、「金の屋根」の位置で、
       その上、十字の印があるDom St. Jakob・サン・ジャコモ聖堂
       その下 Hofburg・王宮
       その斜め下 Hofkirche(王室教会)の隣に白い印を付けた所が
       現在博物館で、マッシミリアーノ1世の墓所を見学した所。
       



       左に折れ、如何にも中世の古い小路、という感じの通りを行き、
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       小さな画廊というのか、ショウウィンドウに展示されている
       如何にもアルプス、という感じの絵を見ていて、
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       左の中ほどの絵を発見!
       わぉ~、風邪ひかんのかなぁ、というshinkaiに、
       隣にいた仲間の男性が、毛皮があるから大丈夫だろ、と。ははは。
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       ちょっとした広場に出て、向こうの建物の窓一つ一つに
       全部番号が付いてプレゼントがぶら下がっているのです。
       こういうの、アドベント・カレンダー式というのかな?
       如何にも12月!という雰囲気ですよね。
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       細い小路が続き、低い軒に見える古い天使像と、聖母像
       如何にも稚拙な荒削りが素朴で良い感じ。
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       こちらはアルプスの山に、ガォ~という感じのライオン君
       何屋さんだったっけ?
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       ビールにワインに
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       薄い木の板の繊細な彫りもの
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       赤い色のリース集合
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       クリムトの絵が付いたカップが良いねぇ、と撮った写真なのですが、
       よく見ると、茶筒の入れ物に、抹茶の容器、茶筅まで!
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       小路を辿り、イン河沿いの道まで出て
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       橋や川向こうの建物を見ながら、そういえば26年前に来た時、
       この橋の上で、市民マラソンを見たっけ、と思い出し・・!
       確か川向こうのマリアフィルフェ通り・Mariahilfeにも行ったよね。
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       古い地区を振り返り。 
       左側の如何にも元要塞、という感じの建物は、
       オットーブルグ・Ottoburgと言うようですが、
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       その足元にあるこの人物像、何者かとガイドに聞きましたら、
       ティロルの英雄と教えてくれましたが、何をした英雄なのかは・・!
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     ◆ 追記 ◆
       この英雄の名と、何をしたかも、クリスさんが教えて下さいました。
       名はアンドレアスホーファー・Andreas-Hofer (1767-1810)で、
       ナポレオンがオーストリアに侵攻してハプスブルグ家が屈服した時、
       農民軍を率いて抵抗したのだそう。
       左の帽子を被り銃を持ったのが彼で、フランス軍の接近の知らせを
       聞いている姿なんだそう。
       詳しくは、コメント欄でもどうぞ。
       
       クリスさん、いつも有難うございます!!



       また旧市街の中心に向って引き返しますが、
       上の写真でも見えたこの建物(正面とも)は、かっての税関で、
       インスブルックの町に着いた荷は、ここに1晩置く事が
       義務付けられていたのだそう。
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       建物の装飾はすべてフレスコ画で描いたもので、
       かってもそうだったのか、それらしく描いたものなのか・・。

       現在この建物の1階は、レストランになっておりましたが、
       上階はホテルかな?




       道脇の建物の下は、どちらもポルティチと言うか、
       アーケード式になっていて、そうですよね、雪国ですものね。
       軒が低いのが、如何にも歴史が古い町の感じ。
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       と言う所でページの一番下の、 ・・ インスブルックの街 その2》をクリックし、
       その2に飛んで下さいね。
      
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     *****

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       いつもブログご訪問、有難うございます!     




       


by italiashiho2 | 2015-12-23 01:57 | ・ヨーロッパ | Comments(9)
Commented by クリス at 2015-12-23 08:54 x
おはようございますsinkaiさん!
しょうもないガイドですね、こんな人には案内してもらいたくない。
教会はシュピタールキルヒ(Spitalskirche)です。
旧市街区に入る手前、昔は城壁の外にあった場所にある建物ですね。

建物まるごとアドベント・カレンダーは面白いなぁ。窓からプレゼントもらえるのでしょか?

チロルの英雄!!
おお、と思って画像検索してみたら、やはり私の旅日記が出てきました。
http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/chirs/blog/17377.html

帽子に銃を手にしているのは、アンドレアス・ホーファーです。
Commented by italiashiho2 at 2015-12-23 16:44
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

いやぁ、本当にこのガイドさんは今までの中で最低だった気がします。 色々居られますねぇ。

そうそう、この教会の名前の出ている標識も撮っておいたのですが、はは、読み方が分らずに省略したのでした。 後で追記しておきます!

あの建物まるごとアドベント・カレンダーの所に、薄くなっていましたけど、壁にあるフレスコ画は聖クリストフォロ、クリスさんでしたよ。

今以前の旅メモを拝見して来ました。 有難うございます! マントヴァで処刑ですか、なんとアルプスを越えて、マントヴァまで? ナポレオンがちょうどイタリアにいたのかな?
いつも有難うございます! こちらも追記させて頂きますね。
Commented by クリス at 2015-12-25 23:05 x
Buon Natale!
sinkaiさん。
年末の忙しい季節ですが、私の日記の方は毎日更新してます。急がないと閉鎖になってしまうので。

メリークリスマスが言えたから、ついでに、前回のに少し補足を!

Spitalskircheの事ですが、Spitalの前にhoをつけてみてください。
Hospitalと英語なって、ドイツ語で病院教会となるのですよ。

なぜかって? それは、ガイドがちゃんと説明しなければいけないんですが、理由は病院跡地に建てられたからだそうです。
Commented by italiashiho2 at 2015-12-26 13:06
★クリスさん、 Buon Natale!!   再度のコメント、有難うございます。

Hospital なんですね! 納得です。 Ho、またはOだけでも分りますね。 そして前回のコメントで、元々は旧市街の城壁の外にあった病院の跡地に建てられたというので、多分それは病院と言うよりは、巡礼や徒歩旅行者、そして貧しい人々への救済院的なものだったのでしょうね。 有難うございます!

いいえの、この時のガイドさんは、この病院の事など一言も無かったです、まったくぅ!
Commented by クリス at 2015-12-26 21:27 x
sinkaiさん!
書き込みありがとうございました。そして、三度すみません。

>救済院的なものだったのでしょうね。
実は、中世の病院とはそんな人道的な物ではなかったのですよ。
まず、偽善的な救済院は確かにありました。そう言った物は使徒の数の12とか制限があって、それ以外の貧者は相手にされなかったりしたのですが。

そうでない病院もある事はあったのです。
それは隔離を目的とした建物でした。
この時期は医療制度が確立していなかったので、健常者から隔離して伝染病などの疫病を防ぐのが主目的だったため城壁外など一般市民から離れた所に建てられるのが常でした。
看護にあたるのは、年老いた修道僧が主だったようで、なから世捨て人のような人たちが面倒を見ていたようです。
医師も治療というより、検疫のための解剖や実験が中心で、いずれは治療法の改善に繋がるのですが、当時の患者からすれば、ここに入るのは、まず助からないと諦めるしかない、厭世的な場所だったのですよ。

町の発展とともに城壁が拡張され、市街区が広がった際に取り壊し、ここに教会を建てたのは、むしろ鎮魂的な意味合いが深かったのでしょうね。

種明かしをすると、これは私がガイドから聞いた話です。
この時(ツアーだったので)のガイドは、日独協会の関係者(イタリア人)の親戚で、サウス・チロルで高校教師でした。
Commented by 小父さん at 2015-12-26 22:46 x
こんばんは
冠雪したアルプスを仰ぎ見ることができるこんな街を歩いてみたいものです。

>クリスマスとなるとちょっと特別で、会食の予定が幾つかありますので、お腹ごなしも考えませんと・・。

こちらの連日の忘年会のような雰囲気なんでしょうか!
腹ごなしはウォーキングとプールですか?

>今回を頑張って2回分に分ける事にいたしますね。
そういうことでしたか!

パステル・カラーと繁栄の街並みなんですね。
全体が分かり易い表現です。
そして1枚目にも2枚目にも中世と近代がうまく調和しているように見えます。

>一番上の階の天井が低そうなのも
なるほど。

>そしてどこかやはりティロル風
ほんとですね。

>1706年に建てられた聖アンナの円柱!
こんな遺産が近代建築と調和するんだから素敵です。

>常に山に向い、四季折々に対面する美しさには敵うものが無いですよね。
このバックグラウンドに敵うものなしですね。
それにこの下の写真の色合いが何ともいいですね~。

Witen修道院~伯爵Andechs~ハプスブルグ家~マッシミリアーノ1世
このような変遷は興味深いです。
Commented by 小父さん  2 at 2015-12-26 22:47 x
>自分が持っているガイドブックを売り始めたりして・・!
ちょっと滑稽ですね。

>ね、中もなかなか素晴らしいでしょう?!
これはまた、風景をも圧倒するような教会ですね。

>そうなると、余りガイドさんの話を聞かなくなり、へへへ、
そんなこともあるんですね。

>左の中ほどの絵を発見!
面白い絵があるものですね。
風刺画なのか、裸体お描いたのか?

>こちらはアルプスの山に、ガォ~という感じのライオン君
これも面白い着想ですね。

>クリムトの絵が付いたカップが良いねぇ、と撮った写真なのですが、
これはお洒落ですね。

すみませ~ん、とりあえず今日はここまでで失礼致します。
Commented by italiashiho2 at 2015-12-27 01:17
★クリスさん、有難うございます!  いいぇ、話の趣旨を明確に書いて下さるのは嬉しい事です!!

病院の説明有難うございます。 大いに納得です! 城壁外にあったと言うのも理由があるのですね。 
そうなんですね、私はこちらイタリアの巡礼道沿いのオスピツィオとか、スペダーレを意識したのですが、中世からかなりの町だったここでは、城壁外の病院というのは別の意味をも含んでいたのですね。 
いやぁ、当時の貧しい人々にとっては病気になったが最後、諦めるしかなかったのでしょうね。


と、質問が浮かんだのですが、ドイツ辺りからも巡礼に出かけたのでしょうが、それらの人々はどの道を通ったのか、サンティーアゴ行きとか、ローマ行きとか、どんな様子だったのか知りたくなりました。 それらに付いて何か読まれたものはありますか?

Commented by italiashiho2 at 2015-12-27 01:38
★小父さん、こんにちは! コメント有難うございます。

ティロルの街はやはり風光明媚な街が多いと思いますね。 スキー客を初め、夏の避暑客も多いでしょうし、観光に力を入れていると思います。

イタリアの諺と言うか、言い習わされている習慣のようなものに、「クリスマスは家族と、パスクワは好きな人と」一緒に過ごすというのがあるのですね。
日本のお正月みたいな物ですから、皆が一緒に食事、それも大ご馳走を多量に、と言う感じなんです。 年越しの31日もそうですね。 
なので今日26日、なんと町や田舎道を歩いている人の多いこと!! 私も明日歩きます、ははは。


こちらの17,18世紀と言うと、すでに様式が近代的になっていて、今の街の建物自体がその年代に建設されていますから、違和感は無いと思います。 

パステル・カラーが主だと言うのに気がついて、実は少し驚いたのでした。 アルプスを半分越えてはいるのですが、まだイタリアに近いとか、ティロルの陽光が明るいとか、そんな影響があるのかなと思ったのですが、やはり本当に北の国の町の色とは違うのだろうと思います。
ウィーンには行っているのですが、余りそんな事に気がつきませんでしたし・・。

あの教会に付いて、クリスさんがあれこれ興味深いことを教えてくださったので、中世の病院に付いてご興味がおありでしたらどうぞ!

あの裸体でスキーというのは、日光浴と言う意味もあるので、ありそうな気もしますが、ははは、まぁ無理でしょうね。 
なので面白半分の客狙いの絵だと、余り上手くも無いですし、ははは、思います。

街の店のああいう看板にたくさん面白いのがあったのですよ。全部載せられずに残念でした。

お忙しい所、有難うございました!
 


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