イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!

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2016年 09月 01日

   ・・・ 大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて ・・・

       皆さま、こんにちは! 
       8月最後に地震速報のアップをしましたが、
       約1ヶ月間のブログ休載のお休みを頂き、再度ここに。

       休載中もブログご訪問、そして応援クリック、
       本当に有難うございました!!!

       ブログ復帰の最初に何を、住んでいる村の緑? 葡萄畑?
       なんぞと考えておりましたが、

       つい先日歴史文化遺産、地震で崩壊した町村の修復に付いて
       レンツィ首相の「元の通りに、元の場所に・com'era, dov'era・
       コメ・エーラ、ドヴェ・エーラ」に、
       年月はかかっても修復する、という基本方針が明かされたのを受け、
       TV画面に一連の町と文化財の修復保存の様子が出ました。
       
       元の通り、元の場所に、というのはよく言われる言葉なのですが、
       今回この言葉がより大きく聞こえたのは、
       7年前のラクイラの大地震のその後が皆の頭にあるからなのですね。

       ラクイラ・L'Aquilaは隣のアブルッツォ州ですが、
       今度の地震被害の大きかったアマトゥリーチェ・Amatriceから、
       51kmほど、車で1時間半ほどの距離にあり、
       7年前の大地震の後、町の修復がいまだ捗々しくない様子。
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       人々は「ニュータウン」と呼ばれる、町の郊外に新しく建設された
       四角いコンクリート長屋みたいな!場所で生活するのを
       余儀なくされています。

       この「ニュータウン」の建設は、かのベルルスコーニ首相が
       強く望んでの建設だったそうですが、
       その後すぐにテラスが落ちたりの欠陥建設でもあり、
       町の人々の意識から大きく外れたものだったのですね。
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       それで尚の事、この度の「元の通りに、元の場所に」が
       大きな響きを持ったという様子です。

       前置きが長くなりましたが、
       それで出たニュース画面で見た写真にとても驚いたのがあり、
       歴史遺産や町の修復保存に付いて考えるきっかけとなり
       今回はそれをご覧頂きたいと思います。

       まず過去の大きな地震、写真が残っているものでは、

       1908年2月28日に起こったマグニチュード7,2の大地震、
       引き続く津波とで10万人もの死者が出たという、
       シチーリア島の本土側に一番近いメッシーナ・Messinaと、
       対岸のレッジョ・カラーブリアの被害

       これは地震後のメッシーナの聖堂前ですが、
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       現在はこの姿。 崩壊していた美しい鐘楼も元の姿に。
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       古い写真を探していて、こんなのも見つかりました。
       
       これは1968年のシチーリアの西、ベリーチェ・Beliceの地震後
       最初の食料救助隊が到着した時の模様。
       食料受け取りの容器を持った子供を、先に通そうとする救助隊。       
       ちょっと涙が出そうな写真です。
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       いつの物、どこでかも分かりませんが、こちらも
       クリスさんから、フリウリ地震の時のもの、と教えて頂きました。
       いつも有難うございます!
     
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       1980年11月23日のカンパーニア州のイルピーニア・Ilpiniaでの
       マグニチュード6,5 死者2914名の大地震後、
       救出された犬に喜ぶ人々
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       同じイルピーニアで50年前の1930年7月23日にも、マグニチュード6,7の
       大地震が起きていて、死者が1425名という記録がありました。 




       今回TVニュースで写真を見て驚いたのがこれ!
       1971年のトゥスカーニア・Tuscaniaでの地震で、と聞きつつピンと来ず、
       後陣の上部が崩壊した写真で、あっ、サン・ピエトロ聖堂の後陣!!
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       内部からはこんな様子
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       現在はこの姿で、そういえば確かに、レンガの色が違うなぁ、と
       感じた記憶はあったのですが・・。
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       後陣にあったフレスコ画の破片の写真も見つかりました。
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       サン・ピエトロ聖堂の正面には
       こんな美しい薔薇窓とその周囲の装飾があるのですが、
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       TVニュースでは、この薔薇窓がポコッと落下して残った
       丸い穴の開いた正面壁の写真も見たのですね!!
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       その写真をサイトで探し回りましたが、遂に見つけられずで、
       ひょっとして自分の思い違いか何かかと心配したのですが、
       薔薇窓と後陣の崩壊があった、という記事を見つけました。


       いやぁ、こんなに驚いたのは最近になく
       勿論地震に見舞われたというのは知っておりましたが、
       後陣崩壊、薔薇窓落下、なんぞとは考えもせず、
       正面の扉も鉄柵の扉になっていたのを、色気が無いね、なんぞと・・!

       自分が本当に、素晴らしい聖堂だ! なんと美しい!!
       と惚れ惚れと眺めたのが、
       今回、これは長年の修復師の皆さんのお陰なんだと改めて認識し
       あ、その前に政府の方針による財政補充があるわけで、

       今までは「修復された」というのをイマイチ不足に感じていたのですが、
       今後こんな不敬な事は考えまい!
       今も以前の姿を見れるのを感謝しなくてはいけないのだ!!
       と大いに反省、気持ちを改めるきっかけになったでした、はい。

       サン・ピエトロ聖堂ご案内




       その近くにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の方は、
       鐘楼の上部が崩れていたのは、多分地震かな、と考えており、
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       聖堂の方はどうだったか、と写真を探しましたが、
       上部の薔薇窓などは大丈夫だった様子ですが、
       正面左側が落ちていた様子
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       サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の様子は




       町のほうにも被害があったのでしょうが、その名残もなく、
       サン・ピエトロ教会から見える丘の並びに、
       崩壊したという城の名残の廃墟があります。
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       そして町の修復保存に付いて、今回も何度も言及されるのが、
       フリウリ・ヴェネツィアージューリア州のジェモーナの町。

       1976年5月6日の夜9時、マグニチュード6,1の地震が
       フリウリ一帯を襲い、1000名の死者が出ましたが、
       とりわけ中世の面影を残す美しい町のひとつである
       ジェモーナ・Gemonaの被害が大きかったのですね。
       
       聖堂正面の上部、側壁、そして鐘楼が崩壊し、
       高台にあったお城も崩壊、町の被害も大きかったのですが、
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       しかもこの時の地震は、皆さんが漸くに気持ちの整理も付き、
       なんとか復興に取り掛かった9月になり、
       11日、15日と再度襲ったのでした。

       写真でも、2度目の地震により被害が大きくなったのが分かります。



       現在はこの姿で、町も見事に復興し、美しい古い町の面影を
       伝えてくれています。
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       崩壊した石に番号を打ち、元の様に使えるものは使った、といい、
       ジェモーナの市長から今回の被災地の皆さんに
       我々が出来たのだから、頑張って!というエールも。

       ジェモーナの町の様子



       最後は、今回大丈夫だったアッシジの聖堂の上院の天井部の崩壊。
       1997年9月26日のウンブリアからマルケ州にかけての地震でしたが、
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       2年後に見事に復興となり、現在はこの美しい姿!
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       聖堂の修復の様子なども、こちらでご覧頂けます。


       イタリアも地震国で、今回記載したもの以外にも長~いリストがあり
       ウンブリアの地震後も、2002年には南部モリーゼ州とプーリア州に、
       2009年の、お話したラクイラの大地震があり、
       2012年には、エミーリア・ロマーニャ州でのモデナ一帯での地震
       と続きます。


       今回のイタリア中部の地震の様子をTVで見ると、
       崩壊した建物の中でもしっかり頑張っている建物が明らかで、
       やはり耐震設備は大事なんだ、との思いを強くしましたし、

       カステルッチョやノルチャでも、以前の地震災害の後
       耐震設備を施した家屋がしっかり残っているのが、良く分かる状態。

       今回の山岳部の古い家々は耐震装置が無いものですから、
       大きな地震の前に脆くも崩れており、とても無残!
       再建する時には必ず耐震で、と願います!
       

       今回の地震のあった一帯で、訪れている町、地域の
       以前の美しい様子を、shinkaiの愛しの風景をどうぞ!

       プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など
       今回プレーチの教会、サンテウティツィオ教会共に
       かなりのひび割れが起こった様子。
       http://italiashio.exblog.jp/5661411/        


       ウンブリア一帯の地震で被害を受け、10年後に訪ねても
       まだまるで復興しておらずショックだったのですが、
       その後再度の訪問では復興していた村、
       ロッカノルフィの様子を。 復興には年数がかかります!!       


       こちらも復興に長い年月のかかったカンピの村

 
       ノルチャとカステルッチョを

       カステルッチョの美しさ 1と2

       今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の
       美しい風景を、ジョヴァンニの写真で。


       これを書いている31日お昼のニュースによると、
       アマトゥリーチェのホテル・ローマから、また一人遺骸が
       救出されたそうで、依然として発掘が続いている様子です。


       どうぞ、被災地の皆さんが再び立ち上がり
       何年か後には、崩壊した町や村が元通り、美しく蘇りますように!!



     *****

       水彩+色鉛筆画ブログには、 夏休みの宿題提出と、 藤沢周平記念館など
       アップしています。    
       見てやってくださ~い!    



     *****        
       
       いつもブログご訪問、有難うございます!     


  
   
       


    


by italiashiho2 | 2016-09-01 02:06 | ・ウンブリア州 | Comments(6)
Commented by クリス at 2016-09-01 23:35 x
9月になりましたね。
ホテル・ローマのニュースはこちらにも伝わっています。まだ6人ほど残されてもいるとか。
救助隊のみなさんに敬意を表します。

ベルルスコーニのアクイラ復興策は、さん臭さがありますね。マフィアとの癒着報道記事はこちらでも散見できますが、アクイラの遅延を見ているとこの御仁には信用がおけません。

どこか解らないという写真はフリウリ地震の時のようです。この画像、検索をかけて見つかりましたので。ゲモーナは現地で、地震前後の様子の写真を見ました。まだお城とかは現在も修復の手が施されているのではありませんか? 行った時も工事中だったので。

改めて見ると、中部に限らず全土で地震が起きていますね。むしろ少ないのはドロミテ・アルプスかもしれません。
Commented by italiashiho2 at 2016-09-02 01:25
★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

はい、アマトゥリーチェは昨夜と今朝、またかなり大きな地震があったそうで、中心部はいまだ救助隊しか入れない状態です。

それでも近くの村の広場にプレハブの学校の、幼稚園から中学までの、建設が始まり、今月中頃の始業式には間に合うようにという動きです。

本当にあのベルルスコーニは、なんともイタリアの恥さらしの御仁でしたが、今でもまだ時に顔をTVに見せるので・・・!!!

以前は2~3度ジェモーナに行っているのですが、もう長くご無沙汰で。 お城の上は幾らか廃墟のように残っていた記憶のみですが、塔の後とか再度の修復があるのかもしれません。

はい、イタリア全土どこも安全といえる土地は無いという事なんですが、北の方がやはり少ないですね。
私もこちらに来て25年、揺れを感じたのはただの1度だけで助かっています。
Commented by くまま at 2016-09-02 11:07 x
いつも楽しく拝見しております。震災後の様子、ニュースでは伝わらない現地の姿が見られてありがたいです。イタリアでは建物は皆、石造りなので、再建は手間もお金もかかることでしょうね。石造りの耐震設備はどうなのか、地震国なので元の場所に、というのもどうなんだろうか、とか考えました。日本では、住民の数も激減したりとかありましたが、イタリアではどうなるのでしょうか。小さなことしかできませんが、できることを日本でしたいと思っています。また、そちらの様子などアップお願いいたします。
Commented by italiashiho2 at 2016-09-02 15:36
★くまま様、初めましてこんにちは! ブログご訪問、コメント有難うございます。

そうですね、今までの古い石積みの歴史文化財に付いては、基礎を固め、中に鋼鉄のベルトを通し締めたり、壁なども内側から補強するなどの方法がある様子です。

今回の地震のニュースで見たのは、その地区の地震帯に強い弱いの詳しい地図が既にある様子で、それに従ってOKな所は元の場所に、今回山肌ごと滑り落ちたような地区はやはり少し離れた場所に、という事になると思います。

はい、イタリアでは、日本人にはこんな過疎地に、と思うような所でもしっかり住み着き、離れたくないという人が殆ど全部なのですね。 今回もそうです。
日本人ほど快適さを基本にしていないと、いつも感じます。その点は頑固というか強いと思います。

となると、やはり時間とお金がかかっても、耐震設備の再建しかないと思います。

はい、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
Commented by granpa di itosugi at 2016-09-02 20:20 x
ご無沙汰しております。
美しい村が・・・・とても悲しく思います。ノルチャやカステルッチョも厳しい状態なのですね。M6.2・・・日本の震度に置き換えると震度5強位らしいのですが、日本だと大きな倒壊は起こらぬ規模です。私も、震災直後の福島で経験しましたが、被害は微細でした。石造りの建物は木のように劣化はしにくいが揺れには弱いのでしょうね。大好きなイタリア・・・基金等を探して何かアクションを起こしてみます。
Commented by italiashiho2 at 2016-09-03 01:07
★itosugiさん、こんにちは! こちらこそご無沙汰しております、コメント有難うございます。

そうなんです、アマトゥリーチェの中心部は本当に壊滅状態で、周辺の小さな古い町や村が、耐震装置の無いままの古い家々が殆ど崩壊しました。
以前の地震で耐震性のものに修復していた家々は、ノルチャやカステルッチョに多かった様子で、それらは無事だったのです。

ご援助して頂けるのですか?! 有難うございます!!
赤十字の方で受け付けている様子です。 
携帯から45500にかけると2エウロの援助金となるのですが、それが1200万エウロを越えたと言ってました。 物資も間髪をいれず多量に集まり、今は物資はもう良いので、資金の方をお願いします、と言っております。


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